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4月29日~30日、春季埼玉県大会の3回戦が行われた。結果、浦和学院、春日部共栄、埼玉栄、春日部東、川口、成徳大深谷、南稜、所沢商が準々決勝進出を決めた。尚、上位4校が5月19日から開催される関東大会(於:県営大宮球場ほか)に出場する。 観戦した3試合の内、2試合の観戦記を以下に紹介。 ■浦和学院 9-1 所沢北 (4月29日、県営大宮球場)浦和学 001 000 0 =1所沢北 204 111 X =9(浦)佐藤-野村-小島、(所)小田-加藤-小林浦和学院が、序盤から所沢北を圧倒した。まず初回、1番・竹村春樹が安打で出塁すると、2番・林崎龍也への1球目に二盗。林崎の送りバントが三塁手の失策を誘い、3番・佐藤拓也への1球目に林崎がニ盗。無死二・三塁の好機に、佐藤が中前に適時打を放ち、あっという間に2点を先制した。初回にあらゆる策を弄して先取点を挙げるのが、浦和学院の定石だ。この2点で試合の主導権を奪うと、3回も3つの盗塁を試みて相手をかく乱し、山根佑太、石橋司の適時打で追加点を挙げて、勝利を手中にした。安打12、四死球5、得点9、盗塁10(内1つは失敗)、そして残塁9。残塁数だけ見ると相当に雑な印象を受けるが、それは機動力野球を駆使した後の「残骸」に過ぎない。そもそも埼玉県内における浦和学院の野球は「スペック自体が違う」のだ。これがボクの実感。尚、浦和学院の先発は、センバツ大会で活躍した佐藤拓也。今大会は背番号「8」で出場している。3回、満塁のピンチに、押し出しの四球を献上するなどまったくの不調。4回終了時に早々とマウンドを降りた。次回、リベンジか?(佐藤拓也の成績)4回、被安打7、与四死球2、奪三振4、失点1。■春日部共栄 4-0 狭山ヶ丘 (4月30日、県営大宮球場)春日部 300 100 000 =4狭山丘 000 000 000 =0(春)西澤-青木、(狭)紺野-武藤勝利した春日部共栄よりも、敗れた狭山ヶ丘の紺野大地(左腕)、武藤翔(右腕)の2投手にボクは興味をもった。特に紺野はノーワインドアップから投げるゆったりとしたフォームは風格が漂い、球質も重そう。立ち上がりに四球を連発したのが残念。これまで狭山ヶ丘に強豪という印象はなかったが、今大会に限って言えば、県大会3回戦レベルで姿を消すのがもったいないチームに思えた。1日1クリックお願いします
2012.04.30
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■今日(4月28日)行われた東京六大学リーグ、早稲田大vs立教大1回戦。早稲田 050 103 020 =11立教大 000 200 000 = 2(早)○高梨-横山-有原、(立)●小室-川端翔-齋藤-小林昌早稲田・高梨雄平(2年、川越東高)と小室正人(4年、日野高)の「左腕対決」は早稲田・高梨が制した。いや、小室が自滅した、という方が的確かもしれない。■ポイントは2回表、早稲田の攻撃だった。この回先頭の5番・地引雄貴(4年、木更津総合高)、そして6番・茂木栄五郎(1年、桐蔭学園高)の連続安打で無死一・二塁のチャンスをつかみ、7番・小野田俊介(2年、早稲田実)が三塁線に送りバントを試みる。慌てる必要のない打球だったが、これを小室がファンブル。早稲田は無死満塁にチャンスを広げる。そして高校時代は投手ながら4番を打っていた高梨。フルカウントから小室の6球目を叩くと、打球は前進守備だったレフトの頭上をはるかに超え、走者一掃の適時二塁打になった。早稲田のチャンスはなおも続く。送りバントで高梨が三進後、1番・佐々木孝樹(4年、早稲田実)が左打席に入る。1ストライク後、小室が投げた外角へ逃げる変化球を、佐々木が狙いすましたように逆方向に打ち返し、打球はレフトポール付近に飛んで高梨が生還し4点目を挙げた。さらに二塁を蹴って三塁に向かう佐々木の姿に慌てたのか、我如古盛次二塁手(2年、興南高)が三塁へ悪送球し、打者走者の佐々木は一気に生還(記録は二塁打)。早稲田は労せずして5点目を挙げた。■この2回を終了した時点で、小室はマウンドを降りた。打者13、球数45、被安打7、奪三振1、与四死球0、自責点4。今日の小室は、全体的に球が高めに浮き、まったく調子がよくなかった。立教が勝ち点を積み重ねる作戦を立てる時、その前提にあるのは大黒柱・小室の好投である。この土台が崩れると、優勝はおろか、かつての指定席(5位)に舞い戻る可能性もある。小室のファンブルを見ていて、2009年10月12日の立教対早稲田3回戦を思い出した。5回表、早稲田の攻撃時、当時エースだった戸村健次(現・楽天)のファンブルがきっかけになって5点を献上し、立教が逆転負けを喫したことがあった。相手校(早稲田)、そのイニングの失点数(5点)、ファンブルした場所(三塁線寄り)、すべて今日の小室と同じだった。1日1クリックお願いします
2012.04.28
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朝日くん「加藤せんせ~い」加藤せんせい「どうしたの、朝日くん?」朝日くん「あのね、読売くんがね、いっぱいおこづかいをつかって、クラスのみんなにお金をあげてね、学級委員になろうしていたの」加藤せんせい「あ~ら、それはいけないわね。よく朝日くんは見つけたわね」朝日くん「そうでしょ、ぼくは偉いんだからぁ。だからぼくのこと、もっとほめて、ほめて、ほめてぇ」加藤せんせい「朝日くんは、ちゃんと読売くんに注意をしたの?」朝日くん「え、なんでぼくがそんなことをやらなきゃいけないの?ぼくは悪いことを見つけて、学級新聞にそのことを書いたから、それでいいでしょ。だから、せんせい、もっとほめて、ほめて、ほめてぇ~」加藤せんせい「私もいそがしいの。読売くんのおじいちゃんの渡辺校長の手前もあるし、おおやけに調べることはできないの。わかってね、朝日くん」朝日くん「ぼく、せんせいにほめてもらえばそれでよかったのに・・・。でも、わかりましたぁ。ぐっすん(涙)」■はてさて、契約金超過問題は、いったいどうなったのか?最近の新聞報道を見る限り、尻すぼみの感は否めない。先日朝日新聞に掲載された西村欣也記者のコラムを読んだら、「加藤良三コミッショナーは何も仕事をしていない」と、批判の矛先を加藤コミッショナーに向けていた。一見、まともな記事ではある。但し、朝日以外のメディアが書くのであれば、それは許されるが、当事者の朝日がそれを書くと「弾はもう出尽くした。もう弾はない。だから、あとはコミッショナーがちゃんとやってくれ!」と、単に問題を丸投げをしているように、ボクには読めた。新聞に当事者意識とか、問題解決能力とかを求めるのは無理なことぐらいボクも分かっているが、これまでの契約金超過問題の取り扱いは、朝日の自己顕示欲だけが先行していて、それは客観的には単なる「お騒がせ」にしか見えない。そんな状況の中で、冒頭の寸劇を思いついた。まるで、タチの悪い小学生の学級委員のよう。今後、何らかの進展があることを期待したいのだが、もう無理だろうか?今日も1クリックお願いします
2012.04.27
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■つい先ほど、NHK‐BS『J-POP青春の’80』を見ていた。ゲストは太田裕美、山本潤子、渡辺真知子。太田は「雨だれ」「木綿のハンカチーフ」、山本は「冷たい雨」「中央フリーウエイ」「卒業写真」、そして渡辺は「カモメが翔んだ日」「唇よ、熱く君を語れ」を歌った。当時はJ-POPなんて言葉はなくて、ニューミュージックと呼ばれていた。特にボクが好きだったのは、渡辺の「唇よ、熱く君を語れ」。この曲はカネボウのCMに使われていた。番組では、この曲の発売は1980年だったと紹介していた。■先日図書館から借りた『激動の昭和スポーツ史 大学野球編』(ベースボール・マガジン社)がたまたま手元にある。興味があって「1980年」の頁をめくってみた。以下に引用。東京六大学野球春のリーグ戦は、明大が奮起して2シーズン連続20回目の優勝を成し遂げた。立大の野口裕美投手は96奪三振を記録、戦後の最多奪三振(29年春の明大・秋山登投手の86)の記録を抜いた。秋のリーグ戦は、法大が6シーズンぶり23回目の優勝を勝ち取った。首位打者になった中葉伸二郎遊撃手のほか、ベストテン2位の大麻裕一二塁手、西田真二左翼手、4本塁打の武藤一邦右翼手ら打撃陣の力強さが目立った。また、この年は第26回アマチュア野球選手権大会が開催された。学生からは東海大の原辰徳三塁手がただひとり参加した。■ボクは、原さんが出場したアマチュア野球選手権・日本対キューバの試合を、後楽園球場で見ていた。試合結果は覚えていないけれど、鳴り物の応援はまったくなく、投手の球を受け止める捕手のミットの音、バットが球をとらえる乾いた音、一球ごとにもれる観客の歓声、そして溜息。ライトスタンドで見ていたけれど、それらの音、音、音に感動したことを鮮明に覚えている。応援のない野球の素晴らしさを、このとき初めて体験した。ノイズのない野球はなんと素晴らしいことか・・・と。■そして前述した秋山登さんについても思い出がある。その当時、ボクは某メディアで編集アシスタントのアルバイトをしていた。そのメディアの契約評論家が秋山さんだった。白のポロシャツに白のジャケット、鮮やかな青のスラックスに白の革靴といったいでたちで、編集部にいつも現れるのが秋山さんだった(たしかジャケットが青の時は、スラックスが白)。いまから思うと、どえらい? ファッションだったけど、当時は「さすがに元プロ野球選手!」とボクは憧れのまなざしで、秋山さんを見つめていたものだった。■以上、ボクが経験した1980年の大切な思い出。今日も1クリックお願いします
2012.04.27
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あはは・・・(笑)、今日のブログは、このタイトルを書きたかっただけです。3月いっぱいで定年退職した開星高の元監督・野々村直通氏が4月28日、初の自叙伝『やくざ監督と呼ばれて』(白夜書房、1260円)を発売するそうです。私は学生時代から白夜書房の出版物は大好きですが、たぶん、これは読まないと思います。
2012.04.26
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■以下、日刊ゲンダイより。「菅野(東海大)でも藤岡(東洋大-ロッテ)でもプロに行くような投手は完封、完封だろう。それと東浜(亜大)も......。福谷をマスコミの皆さんが取り上げてくれるのはありがたいけど、選手がカン違いする。きょうも逃げているピッチングでは......」 17日、法大戦の八、九回に登板した慶大エースの福谷を江藤監督はこう評した。2年時から慶大投手陣の屋台骨を支え、神宮で斎藤(早大-日本ハム)や野村(明大-広島)と投げ合ってきた。しかし、今季は内転筋を痛めたこともあり、先発を外れ短いイニングしか投げていない。昨秋のリーグ戦も1勝(2敗)。MAX155キロのストレートも150キロ台は出ず、かわす投球が目立つ。それだけにプロ野球出身でその厳しさを身にしみて知る江藤監督の目には「これでは......」と映っているのであろう。■2枚看板の一人・福谷浩司の「逃げているピッチング」に対し、江藤省三監督は相当ご立腹のようだ。プロ球界にいた頃に知ったプロの厳しさを、江藤さんは自著『KEIO革命』(ベースボール・マガジン社新書)に綴っていた。それは巨人入団3年目、1968年キャンプでの川上哲治監督(当時)の訓示にあった。江藤さんは「これだ!」と興奮し、思わずノートに書き留めたのだと言う。「今日一日を巨人軍の選手として、日本プロ野球の盛衰を一身ににない、トレーニングできることに感謝し、喜び勇んでトレーニングにベストを尽くすこと。グラウンドには私(選手)の欲しいすべてがある。技術もお金も名声も未来も、これを取るも取らぬも、私自身の実行力だけが決める」この川上監督の訓示について、江藤さんが解説を加えている。日頃から川上監督の言葉には「超越せよ」とか「超えろ」という表現が頻繁に出てきた。つまり現状に満足するなということだった。だから上記の訓示に「超越」の文字は出てこないが、この訓話全体が「超えよ」と言っているように聞こえた。■冒頭のコメント「逃げているピッチングでは...」「これでは...」の後に、「現状に満足してはいけない。(プロを目指すなら)超えよ! 超えよ! 超えよ! 」江藤さんは、そう言いたかったに違いない。今日も1クリックお願いします
2012.04.23
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今日(4月22日)の東京六大学リーグ結果は早稲田大と法政大が連勝し、どちらも勝ち点を挙げた。■まず早稲田大。(4月22日、2回戦)東京大 000 000 000 =0早稲田 000 013 31X =8(東)●初馬-香取-中田、(早)○吉永-横山-内田早稲田の先発は、昨夏の甲子園V投手だった吉永健太朗(1年、日大三高)。6回を投げ東大打線を被安打1、奪三振7、与四死球0、自責点0に抑え初勝利を飾った。以下、日刊スポーツより。昨夏の甲子園優勝投手、早大・吉永健太朗がリーグ戦初勝利を挙げた。東大2回戦に初登板初先発。6回を1安打無失点に抑えた。5回までパーフェクトの快投。最速は140キロ止まりも決め球のシンカーがさえ、7三振を奪った。昨年まで日大三高で一緒だったチームメイトたち--明治大・高山俊、慶應義塾大・横尾俊建--も、すでに神宮で活躍している。「日大三高カルテット」の一人、吉永も神宮デビューを果たした。■次に法政大。(4月22日、2回戦)立教大 000 001 000 =1法政大 000 100 02X =3(立)●岡部賢-大澤、(法)○石田 法政・石田健大(2年、広島工高)が対慶應3回戦(4月17日)に続き完投勝利し、今季2勝目を挙げた。そして殊勲打を放ったのは、今季初めて2番打者に昇格した高木悠貴(4年、高知高)。以下、日刊スポーツより。法大が立大に連勝し、勝ち点2として単独トップに立った。1-1で迎えた8回、2死一、二塁から2番の高木悠貴二塁手が左中間に二塁打して2点を奪い、そのまま逃げ切った。高木悠は「外寄り高めに来たまっすぐだった。うれしいです」と初球をとらえた一打を振り返った。チームはこれで初戦引き分けのあと、4連勝だ。「優勝したいんで、自分としては勝ちに貢献して、ベストナインがとれたら」と目標を掲げていた。2009年春以来、3年ぶりの優勝を目指す法政は、慶應、立教に連勝して好スタートを切った。「日大三高カルテット」の一人、法政・畔上翔(1年、日大三高)も今日の試合で公式戦初出場した(8番・センター)。結果は2打数0安打、1四死球だったが、今後の活躍を期待したい。今日畔上が出場した理由は、ベンチに控えた岩澤寿和(4年、安房高)の交代要員だったと思う。岩澤は昨日、レフトフェンスに激突して飛球を好捕していただけに、それが原因でケガでもしたのか? その点が心配だ。■法政が好調な最も大きな理由は、エース・三嶋一輝(4年、福岡工高)の踏ん張りにある。身長176cmと小柄ながら、1年生の時には絶対の守護神として、東京六大学リーグ最速の155kmをマークした。先発にまわってからは、スピードを抑えた省エネ投法に転換(と言っても球のキレは凄いが)。今季2試合は速球を140km台半ばに抑え、変化球を交えて相手打線を封じている。この三嶋の好調がシーズン最後まで続くなら、チームの優勝は自ずと見えてくるに違いない。<三嶋一輝の今季成績> 東京六大学野球連盟HPより対戦カード回球数打者安振球責防御率対慶応大1回戦1015042712510.90 対立教大1回戦91083148111.00 計19258731120620.95 今日も1クリックお願いします
2012.04.22
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■今日(4月21日)行われた立教大対法政大1回戦。法政 001 100 000 =2立教 000 001 000 =1(法)○三嶋、(立)●小室-斎藤-大澤法政大は初回、2回と走者を出しながらも得点できなかったが、3回、ついに先制する。先頭の9番・三嶋一輝(4年、福岡工高)が右中間にフェンス直撃の二塁打で出塁すると、送りバントで三進後、2番・建部賢登(4年、桐光学園高)がセンター頭上を越える適時三塁打を放ち、三嶋が生還した。続く4回も、7番・土井翔平(4年、智弁学園高)がコンパクトなスイングでバットを振り切り、痛烈な打球がレフトスタンドに跳ねた。マウンド上で膝を落とす立教大のエース・小室正人(4年、日野高)。ボクが今季、土井の本塁打を見るのはこれで3度目。社会人対抗戦(4月8日)、対慶應義塾大2回戦(4月16日)、そして今日。いずれも打球はレフトスタンドのほぼ同じ場所に飛び込んだ。打撃絶好調の土井、試合終了後のインタビューでは、金光興ニ監督に怒られることを意識してか「明日はセンター狙いの堅実な打撃をします。大振りをしません」と言って頭を掻いた。■6回表終了時点で法政の残塁は8、好機を作りながらなかなか追加点を奪えない法政。一方の立教は、5回まで法政エース・三嶋にパーフェクトに抑えられていたが、6回一死後、やっと安打が生れる。8番・我如古盛次(2年、興南高)の打球は力のない飛球だったが、懸命に前進してダイビングキャッチしたセンターのグラブからこぼれ落ちた(記録は二塁打)。一死後、1番・平原庸多(3年、帝京高)がライト左に適時打を放ち1点を返した。立教は、続く7回、8回も急に制球が不安定になった三嶋を攻め立て好機を作ったが、あと一本が出ず、結局、三嶋に今季初白星を献上した。 ■敗れたものの、ボクが優勝候補No.1に挙げる立教の陣容は整いつつある。完全試合を逃れる初安打を放った我如古や、チーム初打点を挙げた平原など、若い戦力が芽を出してきた。まず我如古盛次のこと。2010年、甲子園の春夏連覇を果たした興南高の主将。さらに年間25安打を放ち甲子園新記録を作るなど、シュアな打撃が高評価に。ちなみに春の決勝は日大三高と戦い、スコア10-5で勝利した(延長12回)。この時、興南高のエースは島袋洋奨(現・中央大2年)、日大三高のエースは山崎福也(現・明治大2年)。そして平原庸多のこと。2009年夏、エース兼内野手として帝京高を甲子園ベスト8に牽引した。今日も1クリックお願いします
2012.04.21
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■テレ東系『カンブリア宮殿』を見た。今日の出演者は高齢社・上田研二会長(74歳)。タイトルは「定年後もイキイキ人生!」。補足説明は抜きにして、上田さんの言葉を一気に羅列します。・定年後の人たちに働く場と生きがいを提供する・日本の高齢者の就業率を、100%いかなくても70%とかは行きたい・休日出勤はまかせなさい・高齢者は即戦力・アナログでいい味出します・「言葉で人を導く人、尊し。働く姿で人を導く人、さらに尊し。後ろ姿で人を導く人、もっとも尊し」。高齢になって初めてわかる言葉。いろいろ頼りにされる人間であると非常に嬉しい・いたずらっぽいこと大好きですね・技能継承の問題。弱くなるので、高齢者活用の時期が来るだろうなと・定年後も半年過ぎると、奥さんにだんだん邪魔にされることになる。犬も嫌がる5回の散歩・金儲けで始めた会社じゃない・「高齢者が若者の職場を奪う」という話があるが、間違いと思う。10年後、労働力人口が500万人減る。労働力を補うには「女・老・外・ロボット」が必要・一番奥さんに感謝されている。家から粗大ゴミがいなくなったから。亭主元気で留守がいい・私は社員を第一に考える。社員はお客さんを第一に考える・お金中心じゃなくて、人を大切にする社会づくりをやっていく。会社においては社員を大事にしたい。高齢者自身が変わることで、社会を変え、国を変え、世界を変えていきたい・収入のない生活がどんなに悲惨かよくわかっている。経営者は絶対にリストラをやってはいけない・大変な時のほうが好き。自分のためになる。命を奪われるほどのことはないから・一生学習、臨終で卒業したい・起きたことは諦めることにしている。でも立ち直りは早い・働く意味は、生きているという喜び。社会に役立つとか、部下が伸びてくれれば、それが嬉しい。私から仕事を取り上げられたら早死にすると思う・会社の経営は、99%、よきにつけ悪しきにつけ、会社に責任があると思う。だから失敗した時は潔く腹を切るべきだと思う・売れない理由を相手に押し付けちゃいけない。不景気のせいにしちゃいけない。売れない理由は、必ず社内にあるというのが私の信念。・欲をかいてはいけない・「会社に人材がいない」という経営者が多い。自分だけが人材で、社員は人材でないということはあり得ない・高齢社のビジネスモデルを業種別に全国展開したい
2012.04.19
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■今日(4月19日付)の朝日新聞は、「戦中戦後、野球の灯をつなげた」相田暢一さんの訃報を伝えていた。1943年10月16日の出陣学徒壮行戦、いわゆる「最後の早慶戦」で、相田さんは早大のマネージャーとして開催に向けて奔走した。自ら出征するにあたり、「残る後輩には心おきなく野球を続けてほしい」と、バット300本、ボール300ダースをかき集めて野球部の寮に保管しておいた。■いくつかの書籍に、その頃のことが詳しく書かれている。まず『早慶戦100年 激闘と熱狂の記憶』(富永俊治著、講談社刊)から引用。保管するきっかけになったのは飛田穂洲のひとことだった。「今は戦争で野球がやりにくい時代だけど、戦争が終わりさえすれば、すぐに野球の時代がやってくる。その時に肝心の用具がなかったら、野球そのものがやれないよなぁ」飛田の命を受けたのは当時マネージャーだった相田暢一だった。慌てて用具を買い集めた。そして相田が出征後は、昭和19年度の主将・吉江一行が管理を引き継ぎ、まさに用具を「死守」した。空襲警報発令のサイレンが鳴るや、まだ合宿所に残る数人の部員たちと手分けをしてバットやボールを敷地内の防空壕に運び込み、警報解除とともに、今度は部員たちの手渡しで用具を倉庫に戻す重労働を繰り返した。晴れた日には湿気を取るための虫干しも行っていた。■次に『1943年晩秋 最後の早慶戦』(教育評論社刊)から。当時、早稲田大野球部のマネージャーだった相田暢一もついに1943年12月10日、横須賀第二海兵団に入団した。その直前、相田はすでに入手困難になっていたボール300ダース、バット300本、ノックバット10数本を準備した。これらの用具は東京大学野球連盟(現・東京六大学野球連盟)の残務整理に伴い、各大学への配分金で購入されたもので、たとえ部員が一人になっても練習を続けるという、飛田穂洲の意を受けた相田の機転によるものだった。その後、新たに主将になった吉江一行にバットやボールの管理を託された。吉江は福島県立磐城中学の出身で、「最後の早慶戦」には5番ライトで出場した。飛田穂洲は吉江の人となりを、心から愛した。※吉江主将も終戦直前、とうとう戦場に送り込まれる。そして戦場で病を患い、その病気がもとで、戦後間もなく故郷の福島県で亡くなった。■再び、朝日新聞の記事から。相田さんの回想。終戦からわずか3ヶ月後の1945年11月18日、米軍に接収されていた神宮球場で開催されたオール早慶戦。復員した相田さんは、この試合の実現にも尽力する。「試合が終わっても、4万5千人の観衆がなかなか帰ろうとしない。薄暗い球場に、たばこの火が、まるでホタルのようにともっていたのが忘れられません」■戦後、職業野球(東西対抗戦)が初めて行われたのが同年11月22日。大学野球は職業野球よりも復活は早かった。相田さんは、吉江さんとともに、戦後の野球復活を支えた人だった。今日も1クリックお願いします
2012.04.19
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■今日(4月17日)行われた慶應義塾大対法政大3回戦。法政 002 000 100 =3慶應 000 000 100 =1(法)○石田、(慶)●竹内大-只野-福谷慶應は7回、横尾俊建(1年、日大三高)の適時二塁打で1点を返したが、この横尾は昨夏Vの日大三高から東京六大学リーグ加盟校に入学した4人の内の1人。対法政1回戦から3試合とも途中出場していたが、今日の試合でやっと公式戦初安打を記録、初打点のオマケもついた。■明治大に進学した高山俊はすでに開幕戦から活躍し、明治大の勝ち点に貢献した。対東京大1回戦では3打数2安打2打点。日刊スポーツ(16日付)に「1年高山鮮烈2Hデビュー」と見出しを書かせた。以下に記事を引用。ルーキー高山俊(1年=日大三)が鮮烈デビューを飾った。8回無死一塁で代打として登場すると、2球目を右前打。9回一死一・三塁の第2打席では左越えの2点適時打を放った。「気後れせずにいつも通りの打撃ができた」。善波監督は「高山を出してから空気が変わった。期待以上です」と褒めた。■法政大の畔上翔もベンチ入りしている。だが今のところ出場機会はない。昨日の試合では、自チームの選手が守備に就く際、ラインの外側から外野手とキャッチボールをしていたが、近いうち、代打での出番はあるだろう。また早稲田大に進学した吉永健太朗は1年生ながら背番号「16」を背負う。斎藤佑樹(現・日本ハム)がかつて付けた同じ番号だ。さっそく「日大三高カルテット」の活躍が始まった。彼らのプレーで神宮が沸く日も近い。今日も1クリックお願いします
2012.04.17
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■今日(4月16日)行われた東京六大学・法政大vs慶應義塾大2回戦。慶應 300 000 000 =3法政 000 220 01X =5(慶)竹林-●菊池-山形、(法)船本-○宮崎-石田昨日の1回戦は延長10回、スコア1-1で引き分けた。そして迎えた今日の2回戦。1点差を追う法政は5回、二死から4番・岩澤寿和(4年、安房高)が中前打で出塁すると、5番・西浦直亨(3年、天理高)がレフトスタンドに2点本塁打を放ち逆転に成功。そして8回には、8番・土井翔平(4年、智弁学園高)が打った瞬間に本塁打とわかる打球をライナーでレフトスタンドに運んで勝利を決めた。投げては先発・船本一樹(3年、桐蔭学園高)がピリッとしなかったが、リリーフ登板した宮崎太郎(3年、済美高)、石田健大(2年、広島工高)の好投が、一度は慶應に行った「流れ」を法政に戻した。打のヒーローは、西浦と土井の”奈良”コンビだった。西浦直亨。2009年夏の奈良大会では打撃が絶好調、地元紙に「漫画みたいな(打率)8割男」と呼ばれた。そして土井翔平。2010年夏、甲子園に3番・捕手で出場したが、2回戦で報徳学園高にスコア4-5でサヨナラ負けした(延長10回)。報徳の投手は近田怜王(現・ホークス)。興味があったので、2人が高校時代の奈良県大会で対戦したかを調べてみた。2007年夏季大会・準決勝で智弁学園と天理が対戦していたが、土井が智弁の8番・捕手で出場していたものの、西浦はこの試合に出場していなかった。■一方の慶應大は初回に4番・藤本知輝(2年、慶應高)の2点本塁打などで先制したが、序盤安定しない船本を打ち崩せなかったことが敗因のひとつ。そして福谷浩司(4年、横須賀高)を故障で欠いていたことが、みすみす負け試合を作るもうひとつの原因になってしまった。西浦に逆転弾を浴び敗戦投手になった菊池達朗(3年、盛岡一高)。高校3年時、エースとしてチームを岩手県大会決勝に導いたが、菊池雄星のいる花巻東高に1-2で惜敗し、甲子園への切符を逃した。今日も1クリックお願いします
2012.04.16
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■今日(4月15日)、東京六大学春季リーグ戦が開幕した。第2試合の結果。明治大 000 100 217 =11 東京大 000 000 000 = 0(明)○山崎-今岡-月田、(東)●香取-中田-毛利-窪田-浅井昨秋まで28季連続最下位の東京大だが、今季開幕戦も大敗した。古くて恐縮だが、東京大野球部の歴史について語られているコラムを見つけた。今季こそ「赤門旋風」を期待しているぞ!■週刊ベースボール増刊『大学野球 2008秋季リーグ展望号』にあったコラムのタイトルは「東大が加盟していなかったら、六大学野球は雲散霧消していただろう」。書いたのは大内隆雄さん。大内さんは『六大学野球部物語』(恒文社)の東大編を書いた鈴木美嶺氏(元・毎日新聞社記者)から聞いた話をまず紹介している。「東大が日本の野球の開祖なのである。これが東京六大学野球に東大が存在する最大にして唯一の理由なのである。前身の開成校で日本で初めて野球が行われた。その後、 東大教養部の前身である旧制一高が1890年頃から日本最強チームとなり、早慶が台頭する1900年代初めまでその座を譲らなかった。『早慶時代』の前の日本野球は『東大時代』だった。早慶に人気があって受験生が集まるのは野球のおかげ。早慶は一高(東大)を破ることによってその名を高めた。一高という存在があったから早慶もあり得た」。鈴木さんの話を紹介したうえで、大内さんは次のように結んでいた。「東大を抜きにして日本の野球(史)は語れないし、その卒業生のもつあらゆる方面での影響力を考えれば、東京六大学野球発展のためには、東大の加盟は必然の成り行きだった。もし東大が加盟しなかったら、六大学野球はどこかで雲散霧消していただろう。我の強い早慶はお互いに別々のリーグを作り、「こちらが本家本元」と争っていたかもしれない。さらに頻繁に加盟校の入替えがあったかもしれない。そう考えると、東大が加盟したことで東京六大学の結束とその後の隆盛は約束されたということになる」。今日も1クリックお願いします
2012.04.15
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■今日(4月14日)、昨日行われた楽天対日本ハム戦の録画(GAORA)を見た。序盤はとてもスローペースで、3イニング目あたりに解説の岩本勉さんが「斎藤佑樹、田中将大ともにお互いに意識し過ぎて間が長すぎる。スタンドプレイが甚だしい。野手のエラーがあったのも投手のせいだ!」と怒っていた。ボクはその声に頷きながら、ついつい眠ってしまった。目が覚めたら試合は終わっていた。結果は田中の今季初白星、斎藤の今季初黒星だったらしい・・・。■さて明日、東京六大学春季リーグが開幕する(雨のため一日順延)。以下に、ボクの独断的な順位予想を。どの大学も決め手を欠く混戦模様だが、強いて挙げれば立教大、早稲田大、法政大の三つ巴になりそうだ。<立教大>小室正人(4年、日野高)、 岡部賢也(4年、立教新座高)など投手力が相対的に安定している。打線に心許なさを感じるが、投手力がカバーすることは可能だ。<早稲田大>昨年大きく戦力ダウンしたが、今年は違う。有原航平(2年、広陵高)や高梨雄平(2年、川越東高)の投手陣、そして杉山翔大(4年、東総工高)、地引雄貴(4年、木更津総合高)が実力どおり活躍できれば、十分に優勝を狙える。<法政大>十分優勝を狙える断トツの戦力をもつ。投手は石田健大(2年、広島工高)、船本一樹(3年、桐蔭学園高)、三嶋一輝(4年、福岡工高)がいる。打線も多木裕史(4年、坂出高)、建部賢登(4年、桐光学園高)がいるが、得点力不足は否めない。試合以前にチーム内のポジション争いに疲労困憊なのだと思う、きっと。従い上記3校がAクラス、以下の3校がBクラスと予想する。<慶應義塾大>本来なら優勝候補に推したいが、福谷浩司(4年、横須賀高)の故障は大きい。復帰したとはいえ、力投タイプだけに懸念材料。打線も伊藤隼太(現・阪神)の抜けた穴は大きい。山崎錬(4年、慶應高)だけでは荷が重そうだ。<明治大>昨年秋は優勝したが野村祐輔(現・広島)が抜けた穴を、岡大海(3年、倉敷商高)ら投手陣が埋められるか? 打線も相変わらず脆弱に見えるが・・・。<東京大>ただ一言、ぜひ頑張ってほしい!!!■試合の勝敗にも興味があるけど、甲子園で戦った選手たちの神宮での再戦を見るのはボクの楽しみだ。早稲田大・斎藤佑樹(早稲田実)と明治大・謝敷正吾(大阪桐蔭高)は面白かった。また高校時代のチームメイトが相対する試合も面白い。広陵高で一緒だった明治大・野村祐輔と早稲田大・土生翔平(現・広島)の対戦が最近の好例。今季の興味は、昨年甲子園で優勝した選手たちが東京六大学にバラバラになって入学したことで、早稲田大・吉永健太朗投手を軸に元チームメイトたちの対決を見れること。法政大には畔上翔がいる。慶應義塾大には横尾俊建、明治大には高山俊がいる。時空を超えた大学野球での対(再)戦。これがボクの大学野球の楽しみ方なのだ。 今日も1クリックお願いします
2012.04.14
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「自分探しなんかやめたらえぇねん。なんぼ追いかけたって自分の背中は絶対見えへんねん。おっちゃん、最近、先週かな、そのことに気づいた」。松本人志さんが出演するTVCMが面白い。ただ松本さんが見えないと言う「自分探し」は、今だれもが経験する共通のテーマだと思う。今年、継続雇用されていた団塊世代が65歳に達し、退職者が本格化する。かつて「2007年問題」が話題の頃、私は団塊世代の人たちに会って話を聞いたことがある(多くは外資系企業に勤務中及び早期退職者)。実際に会った彼らは、広告代理店の言う「ビートルズ世代」「先進的」といった「カッコいい」人たちではなかった。心の奥にあるビジネスマンとしての不完全燃焼の思い、定年後何をすればよいかわからないといった漠然とした不安。ある人は酔いにまかせて、「今後の人生で、自分が生きた爪痕を世の中に残したい」と言った。彼らこそ懸命に「自分探し」をする人たちだった。
2012.04.12
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野球ブログをご覧の皆さま、いつも訪問いただき、ありがとうございます!今回のブログは野球とは関係ありませんので、どうぞスルーしてください。以下、本題。■2004年頃からだったでしょうか、2007年から始まる団塊世代の定年退職が話題になり『2007年問題』という言葉があちこちで聞かれるようになりました。"自己主張能力"は長けた団塊世代ゆえ、定年退職と同時に世の中に変革が起きる!といった報道が多くありました。またそこまで団塊世代に好意的でなくても、単純に「塊」(人数=マーケット)が大きいため、その「塊」を目当てにしたビジネスも数多く登場しました。当時は、ボクも団塊世代に興味を持った一人でした。『Yahoo!セカンドライフ』(現在は閉鎖)からの勧めもあり、ブログを書き始めたこともありました。でもーーー、結果、2007年になっても大きな変化はありませんでした。最大の理由は、高齢者雇用安定法の改正により、65歳までの定年の引上げ、継続雇用制度の導入等が施行されたことです。つまり、60歳で定年するはずが65歳まで企業に留まることが可能になり、大きな変化など起きようもなかったってわけです。今、あれから5年経ちました。団塊世代の第一弾(昭和22年生まれ)が否が応でも企業から押し出されるのが、今年2012年です。■さて、今度こそ何かが起きるのでしょうか?ボクなりに何らかの動きをウオッチしていきたいと思っています。ま、当面は些細なことを書き連ねるしかありませんが、その後、結果として何らかの整理をしたいなと思っています。
2012.04.11
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■4月8日、時間の都合で法政大対JR東日本戦のみを観戦した(於、神宮球場)。法政大 000 000 200 =2東日本 110 000 001X=3(法)船本-石田-三嶋-青木-宮崎-●梅田、(東)戸田-吉田-○片山3回表、場内アナウンスに、スタンドがどよめいた。「法政大学、選手の交代をお知らせします。代打、畔上翔クン、日大三高、背番号29」「うおぉ~」という歓声と、大きな拍手がスタンドを包んだ。一塁側の法政応援席だけでなく、ネット裏、そして三塁側からも拍手が起きた。※畔上翔。昨年(2011年)夏、甲子園優勝にチームを牽引した”あの”選手である。高校通算本塁打は35本、甲子園での通算打率は4割を超えた好打者。昨年のセンバツでは史上4人目となる1試合6安打を記録した。突然の指名だったようで、畔上は慌てるようにベンチを飛び出し小走りで打席に向かった。身長178cmと聞いたが、その姿はもっと小さく見えた。素振りもそこそこに、相手投手に立ち向かう。1球目、直球(141km)、初球から果敢にバットを振るがファール。2球目、変化球(113km)を見逃し、ボール。3球目、変化球(108km)をファール。どうも打席での余裕がない。身体全体がそわそわした感じ。そして4球目。叩いた打球は逆方向に飛んだが、平凡な三塁ゴロに。難なく捕球されアウトになったが、畔上は懸命に走り、一塁ベースを駆け抜けた。初々しい、爽やかな印象を残して、この試合の出番はあっという間に終わった。■一週間後、東京六大学・春季リーグが開幕するが、法政の戦力について。投手陣は石田健大(2年、広島工高)と船本一樹(3年、桐蔭学園高)の2枚を先発にして、三嶋一輝(4年、福岡工高)を抑えに固定できれば万全だ。課題は打撃と守備にある。一昨年は中京大中京高で全国制覇に貢献した河合完治(3年)、そして昨年は高校通算96本の本塁打を放った伊藤諒介(2年)が入部したが今ひとつ得点力向上に結び付いていない。打の中心・多木裕史(4年、坂出高)に加え、河合、伊藤、そして畔上が本領を発揮できれば、法政大も優勝争いに食い込むことができると予想する。内野守備のミスは相変わらだが、打つことでカバーするしかない。■[資料] 法政大メンバー(対JR東日本戦)《先発メンバー》1(8)伊藤慎悟 (4年、常葉菊川高)2(9)建部賢登 (4年、桐光学園高)3(6)多木裕史 (4年、坂出高)4(7)岩澤寿和 (4年、安房高)5(5)西浦直亨 (3年、天理高)6(4)高木悠貴 (4年、高知高)7(3)大城戸匠理 (3年、寒川高)8(2)土井翔平 (4年、智弁学園高)9(1)船本一樹 (3年、桐蔭学園高)《リリーフ投手メンバー》石田健大 (2年、広島工高)三嶋一輝 (4年、福岡工高)青木勇人 (1年、智弁和歌山高)宮崎太郎 (3年、済美高)梅田広久 (3年、秀岳館高)《代打、代走、守備交代メンバー》高木智大 (3年、福岡大大濠高)畔上翔 (1年、日大三高)村井太一 (4年、伊豆中央高)伊藤諒介 (2年、神港学園高)的場健仁 (3年、法政二高)若林晃弘 (1年、桐蔭学園高)今日も1クリックお願いします
2012.04.09
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■朝日新聞(4月4日付)に「滝正男さん死去/中京商復活に貢献」という記事を見つけた。中京商(現・中京大中京高)野球部の選手として甲子園で優勝した中京大名誉教授の滝正男さんが2日、心不全のため90歳で亡くなった。戦前の中京商で捕手として活躍し、1937年夏と38年春の甲子園で優勝。指導者として54年夏、56年春を制し、その後は中京大でも指導するなど、アマチュア野球の発展に尽力した。ボクは滝正男さんという人を知らなかったので、さっそく調べてみた。すると滝さんは、プロ・アマの違いはあるけれど、川上哲治さんと共に野球復興の時代を歩んできた人であるように思えてきた。1937年(昭和12年)夏、滝さんがいた中京商は甲子園で優勝を果たしたが、決勝の相手は熊本工高、エースは川上さんだった。これが滝さんと川上さんの最初の接点。翌38年春、滝さんは中京商の正捕手として自身2度目の優勝を経験したが、川上さんは巨人に入団し打者としての才能を次第に開花させた。2人はプロ・アマそれぞれの世界で歩み始める。そして戦後になり、滝さんは中京商を2度の全国優勝に導くなど、アマチュア球界で指導者として着実に地歩を固め、川上さんはプロ球界で「打撃の神様」という愛称を冠するまでに成長した。2人は戦後の野球復興期を支えてきた。さらに56年、滝さんは中京商を率いて優勝し、川上さんは史上初の2千本安打を放った(5月31日、対中日)。川上さんの2千本目の安打を放った相手投手は、中京商が54年に優勝した時のエース~いわば滝さんの愛弟子の~中山俊丈だったことから、ボクは余計に2人の関係性を感じてしまった。■以下に、滝正男さんが選手、部長として優勝した甲子園決勝の戦績をまとめた。合わせて川上さんのことをはじめプロ野球の動向を付記した。No開催年大会結果相手校11937年(昭和12年)夏・第23回3-1熊本工高21938年(昭和13年)春・第15回1-0東邦商高31954年(昭和29年)夏・第36回3-0静岡商高41956年(昭和31年)春・第28回4-0岐阜商高 No.1 対熊本工高熊本工 000 000 001 =1中京商 020 001 00X =3(熊)川上-吉原、(中)野口二-松井中京商のエースは野口二郎(後に法政大中退-東京セネターズほか)。初戦の竜山中戦で野口はノーヒットに抑えながらも1失点でノーヒットノーランを逃す。2回戦の慶應商工戦は野口が2安打に抑え、延長11回サヨナラ勝ち。準々決勝は長野商高を1安打完封、準決勝の海星中戦も2安打1失点。決勝は、熊本工打線を4安打に抑え4年ぶり4回目の優勝を飾った。今大会、野口の被安打数はたった9本だった。(滝さんの決勝時のポジションは不明)※熊本工のエースは川上哲治、捕手は吉原正喜(いずれも後に巨人入団)。川上は決勝戦終了後、甲子園の土をユニフォームのポケットに入れ、母校のグラウンドに撒いた。甲子園の土を持ち帰った第1号という説もある。[1937年のプロ野球]9月11日に後楽園球場が開場した。日本職業野球連盟が結成されて2年目のこの年、選手権試合(現在の日本シリーズ)は春季リーグ戦優勝の巨人と、秋季優勝のタイガースが戦い、タイガースが4勝2敗で優勝した。ちなみにタイガースの主な選手は松木謙治郎、影浦将ら。巨人に沢村栄治、水原茂、中島治康らがいた。No.2 対東邦商高東邦商 000 000 000 =0中京商 000 000 10X =1(東)久野-日比野、(中)野口二-滝エースは野口二郎、捕手は滝正男。初戦の防府商を3安打完封、準々決勝の海草中はノーヒットノーラン。準決勝の海南中は2安打完封、決勝の東邦商も2安打完封した。[1938年のプロ野球]この年より南海が加わり9球団になった。選手権試合は前年同様にタイガースと巨人が戦い、タイガースが4連勝で優勝した。巨人は新入団の川上哲治、吉原正喜、千葉茂が活躍し、応召された沢村栄治の穴をヴィクトル・スタルヒンが埋めたが、選手権優勝には届かなかった。No.3 対静岡商高中京商 000 000 210 =3静岡商 000 000 000 =0(中)中山兄-加藤克、(静)松浦、横山-滝中京商の部長は滝正男。エース・中山俊丈(後に中日)が水戸一高を2安打完封し、2回戦で松商学園に辛勝すると、準々決勝は三原高を1安打完封。準決勝の新宮高戦は2安打17奪三振。決勝戦も静岡商を1安打完封して戦後初優勝を果たした。[1954年のプロ野球]パ・リーグに高橋ユニオンズの新規加入が認められた。日本シリーズは中日(セ)と西鉄(パ)が戦い、中日が4勝3敗で優勝した。中日・天知俊一監督は3年ぶりに中日の監督に復帰したことと、高校野球で中京商が全国制覇を果たしたことから、名古屋の街は熱狂にあふれた。MVPは天知監督の愛弟子・杉下茂。No.4 対岐阜商高岐阜商 000 000 000 =0中京商 300 001 00X =4(岐)清沢-丹羽、(中)安井-鈴木滝正男は中京商の部長。エースは安井勝、捕手は鈴木孝雄。初戦の大津東戦は延長戦を制して勝利。準々決勝の桐生高戦も9回に決勝点を入れて辛勝した。準決勝、決勝は安井投手が連続完封して優勝した。[1956年のプロ野球]5月31日、巨人・川上哲治が日本プロ野球史上初の通算2千本安打を達成した。この記念すべき安打を放った相手投手は中日・中山俊丈。2年前に中京商を優勝に導いた投手である。日本シリーズはその川上のいる巨人(セ)と西鉄(パ)が戦った。水原茂監督と三原脩監督の対決は『巌流島の決闘』とも称された。結果は西鉄が4勝2敗で優勝、MVPは豊田泰光、最優秀投手はルーキーだった稲尾和久。 (参考資料)・wikipedia・『高校野球 甲子園全出場校大事典』(森岡浩編、東京堂出版)・『改訂新版 野球百年史』(大和球士著、時事通信社)・『高校野球 忘れじのヒーロー』(ベースボールマガジン社)・『あま野球日記@大学野球』今日も1クリックお願いします
2012.04.07
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■スポーツナビより。東北楽天は4日、福岡ソフトバンクに6対5で勝利し、2連勝を飾った。星野仙一監督は試合後、会見場に着くなり長いため息。連勝でようやくひと安心したかのような表情を見せた。以下は星野監督のコメント。「(2連勝だが)うん、まぁやられた分をやり返そうという気持ちが、前面に出てますわね。(プロ入り3年目で初勝利した先発の戸村健次は)1、2回は良かったんだけどね......。やっぱり、点取ってから意識したのかな。分からんでもないけども......。まぁ、この(勝ち星)一つで、今まで2年間の分、ホッとして、いい形で出てくれると信じてますわ。続いて戸村健次投手のコメント。「(プロ初勝利は)うれしいです。最後(1点差の9回、2死三塁)は祈っていました。 今日は最低限のイニング(5回)しか投げていませんし、打者の方に打っていただき、リリーフの方に抑えていただいて、皆さんに助けてもらっての1勝だったと思います。(ウイニングボールは)昨年結婚した妻にあげたいと思います。(照れながら、奥さんに向けて)去年は勝てずごめんなさい。今年はたくさん勝ちます!」楽天入団3年目の戸村健次が、ついにプロ1勝目を挙げた。5回、被安打6、奪三振1、与四死球2、自責点1。勝利が決まった瞬間の、はにかんだような笑顔をスポーツニュースで見た。■戸村の笑顔を見るのはいつ以来だったか考えた。そして今から2年半前、対早稲田大2回戦以来だったことを思い出した。(立教大vs早稲田大 2回戦、2009年10月11日)立 000 200 200 =4早 000 000 000 =0(立)○戸村、(早)●福井-松下-池下-大野-楠田戸村はこの2回戦で完封勝利した。前日の1回戦では3回で降板しただけに「うれしい。変化球の制球が良かった。完封は気にせず1回ずつ丁寧に投げた」とコメントしたが、自然と笑みがこぼれていた。 それまでスタミナ不足を指摘され「ガラスのエース」と呼ばれ続けた。だが一皮むけたことをファンやプロ野球関係者に証明してみせた瞬間でもあった。※大学最後になったこのシーズンは、酷使を強いられた。投球回数74回2/3で断トツ1位。2位の「元祖・酷使投手」慶應義塾大・中林伸陽(現・JFE東日本)が60回1/3、早稲田大・斎藤佑樹(現・日本ハム)が38回だったことから、戸村の酷使ぶりがわかろうというもの。翌3回戦も先発し5回途中でKOされ降板したが、マウンドを降りる戸村へスタンドから惜しみない拍手が贈られたものだった。プロ2勝目は、大学・プロを通じて勝ったことのない斎藤佑樹と対戦して勝ちとってほしい。■戸村健次の立教大(2006年~2009年)、プロ(2010年~2011年)全成績≪立教大≫シーズン試合勝利敗北投球回安打四死球三振自責点防御率2006年秋100221300.00 2007年春8122222101583.272007年秋200343439.00 2008年春50112 1/31091064.382008年秋72336 1/329163192.232009年春93245 1/3452928152.982009年秋114674 2/3672846232.77通算431014195 2/317996137642.94≪楽天≫シーズン試合勝利敗北投球回安打四死球三振自責点防御率2010年40117231113147.272011年80341481826183.92通算120458712939324.97 今日も1クリックお願いします
2012.04.04
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■毎日新聞より。第84回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催、朝日新聞社後援、阪神甲子園球場特別協力)は4日午後、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で決勝を行い、大阪桐蔭(大阪)が光星学院(青森)を7-3で破り、初優勝を果たした。大阪桐蔭は小池の先制2ランで主導権を握り、その後も効果的に加点した。大阪勢がセンバツを制したのは第65回大会(93年)の上宮以来19年ぶり9回目。春夏通算19度目の全国制覇で、これまでトップで並んでいた愛知を引き離し、単独1位となった。春夏通じて東北勢初の甲子園優勝を目指した光星学院は昨夏に続く準優勝だった。■決勝戦のポイント決勝(2012年4月4日)光星学院 002 010 000 =3大阪桐蔭 203 000 11X =7(光)●城間-金沢、(大)○藤浪9度目の正直で初の「白河越え」を願うボクだったが、5回表、光星学院の攻撃に悔いが残る。同点の好機を作り「流れ」が光星学院に向きかけた時、大阪桐蔭・笠松悠哉三塁手がファインプレーを見せ、「流れ」をがっちり掴んで放さなかった。結果、このプレーが勝敗を分けた。その5回表のこと。3点差を追う光星学院の攻撃。先頭の3番・田村龍弘が落ちる球を上手く掬って中前打で出塁すると、続く4番・北條史也がすっぽ抜けたスライダーを叩いて左中間二塁打を放ち1点を返す。5番・大杉諒暢は一塁線にセーフティーバントを試みセーフ。無死一・三塁と好機は続く。一死後、7番・城間竜兵が打席に入る。1球目、ストライク。2球目、ファール。カウントは2ストライク。そして3球目。城間が叩いた打球は、強烈なゴロになって三遊間に飛んだ。抜けた!・・・と思った瞬間、大阪桐蔭・笠松が横っ跳びして捕球し、振り向きざまに本塁へ送球、三塁走者を刺した。もし打球が抜けていたら、この試合はどうなっていたかわからない。笠松のプレーがチームに優勝を手繰り寄せた。■詳細大阪桐蔭は1回、走者をひとり置いて4番・小池裕也が左中間に2点本塁打を放ち先制する。同点に追いつかれた3回、先ほど本塁打を打った小池が右前打で出塁すると、続く5番・安井洸貴の右中間三塁打で3点目。6番・笠松悠哉の死球後、7番・白水健太の右前打、8番・水谷友生也の犠飛で、さらに2点を加えた。なおも大阪桐蔭は攻撃の手を緩めない。7回に3番・水本弦の犠飛で6点目を挙げると、8回も1番・森友哉の犠飛で効率よく加点し、勝利を確実なものにした。投げてはエース・藤浪晋太郎が12安打を浴びたものの要所を締めて完投勝利した。光星学院も3回、3番・田村龍弘、4番・北條史也、5番・武田聖貴の3連打で同点に追いつき、5回も1点を返したが、その後は「流れ」を呼び戻すことができなかった。《藤浪晋太郎の成績》9回、148球、被安打12、奪三振6、与四死球2、自責点3。■今大会も「白河越え」は叶わなかった。過去「白河越え」を果たせなかった東北勢の決勝戦績に、今日の敗戦も書き加えることにしよう。今日も1クリックお願いします
2012.04.04
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■今日(4月2日)行われた準決勝第2試合は、光星学院高が関東一高をスコア6-1で降し決勝にコマを進めた。光星学院は4回、一死から3番の田村龍弘が、醍醐駿平のカーブを捉え左翼席に運ぶソロ本塁打。さらに中前打と四球で一・二塁とし、準々決勝でランニング3ランの大杉諒暢が左前適時打で、2点を先制した。8回、準々決勝に続いて先発した背番号4の城間竜兵が一死二・三塁のピンチを招いたが、5番・伊藤大貴の右飛でタッチアップを狙った三塁走者を、右翼の天久翔斗が本塁へノーバン返球しタッチアウト。ピンチを救った。(サンケイスポーツ)光星学院高は、明日16:00から大阪桐蔭高と決勝を戦う。さて、9度目の正直で「白河越え」を果たせるか?岩手・花巻出身のボクは、その点に興味がある。■過去、「白河越え」を果たせなかった東北各校の決勝戦績。2011年までの東北勢の戦績(決勝)No開催年大会学校結果相手校11915年夏・第1回秋田中(秋田)準優勝1-2京都二中(京都)21969年夏・第51回三沢高(青森)準優勝0-0(延長18回引分)2-4(再試合)松山商高(愛媛)31971年夏・第53回磐城高(福島)準優勝0-1桐蔭学園高(神奈川)41989年夏・第71回仙台育英高(宮城)準優勝0-2帝京高(東東京)52001年春・第73回仙台育英高(宮城)準優勝6-7常総学院高(茨城)62003年夏・第85回東北高(宮城)準優勝2-4常総学院高(茨城)72009年春・第81回花巻東高(岩手)準優勝0-1清峰高(長崎)82011年夏・第93回光星学院高(青森)準優勝0-11日大三高(西東京) 《解説》No.1 秋田中決勝は京都二中と対戦、スコア1-1で延長戦となり、13回裏にサヨナラ負けを喫した。エースは長崎広(後に明治大)。ただ第1回大会だったため、秋田中自ら県内で予選を開催して勝ち抜き、東北代表として出場した経緯がある。当時全国でも屈指の実力があるといわれた盛岡中などの岩手県勢に連絡がいかなかったことから、後々まで物議を醸した。No.2 三沢高あの伝説の決勝戦。太田幸司(後に近鉄)と松山商高・井上明(後に明治大)の投げ合いは果てしなく続いた。三沢は延長15回、16回と満塁機を惜しくも逃して得点できない。出鼻はやや調子の上がらない気配だった太田も回を追うごとに持ち前の速球が唸りを上げ、特に延長に入ってからは相手にチャンスすら与えなかった。4時間16分後、規定により延長18回引分け。翌日の再試合も太田が再びひとりで投げ抜いたが、投手が二枚いる松山商高に敗れた。No.3 磐城高「小さな大投手」と呼ばれた田村隆寿(後に日本大)は3試合連続完封で決勝に進み、桐蔭学園高に甲子園で初失点(34イニング目)、0-1で敗退した。この年の4月、常磐炭鉱の大部分が閉山となり、田村をはじめ多くの選手が離職者の家庭。錆びれ行く炭鉱の町の期待を一身に背負っての甲子園出場だった。No.4 仙台育英高エースは大越基(後に早稲田大-ホークスなど)。準々決勝はセンバツで敗退した上宮高の4番・元木大介(後に読売)を封じ込めてリベンジした。準決勝は宮地克彦(後にホークスなど)や谷佳知(現・読売)のいる尽誠学園高と対戦、10回表に大越自らタイムリーを放ち、仙台育英が接戦を制した。決勝はエース・吉岡雄二(後に近鉄ほか)を擁する帝京高に惜しくもスコア0-2で敗退した。その後、何の縁か吉岡が仙台・楽天に移籍したが、仙台市民は温かく吉岡を迎えたという。No.5 仙台育英高後に早稲田大に進む芳賀崇がエース。常総学院高との決勝は両チーム合わせて28安打が飛び交う乱打戦になった。最後は相手打線を上回る16安打を放った常総学院が仙台育英を退け、初優勝を飾った。※同じ宮城からは東北高も出場、エースは高井雄平(現・ヤクルト)だった。野間口貴彦(現・読売)を擁する関西創価高との対戦カードが注目を浴びたが、勝ったのは野間口。No.6 東北高エースはダルビッシュ有(後に日本ハムほか)。2点差を追う常総学院高は4回、坂克彦(後に楽天ほか)の二塁打などで3点を奪い逆転。8回にも坂の左前安打を皮切りに1点を追加して勝利を決めた。この大会で勇退を表明していたこと木内幸男監督は高々と宙に舞った。一方のダルビッシュは124球の熱投を見せたが、被安打12、失点4で敗戦。試合後、大粒の涙を流した。No.7 花巻東高エースは菊池雄星(現・西武)。初戦の鵡川高戦では最速152km/hを記録、9回一死まで無安打の投球で2安打完封。2回戦の明豊高戦では9安打を浴びたが2試合連続の完封。準々決勝・南陽工高戦ではビハインドの状況でリリーフ登板、4回無失点で逆転勝利。準決勝・利府戦では2点本塁打を浴び初失点を喫したが5安打2失点完投。決勝では、清峰高の今村猛(現・広島)との投手戦になるも0対1で敗れ、岩手県勢初の優勝はならなかった。菊池だけでなく佐藤涼平(後に日体大、故人)ら脇役たちの活躍も忘れられない。※それから1年半後の2010年8月18日、今村のプロデビュー戦。花巻市出身のヤクルト・畠山和洋(出身高は専大北上高)が今村から満塁本塁打を放ち、「花巻東高のリベンジを果たした!」と叫んだ人がいた・・・それは私です。No.8 光星学院高エースは秋田教良(現・三菱重工広島)。畔上翔(現・法政大)、横尾俊建(現・慶應義塾大)、高山俊(現・明治大)ら強力打線の日大三高に12安打を浴び、スコア0-11で大敗した。主軸の川上竜平(現・ヤクルト)、田村龍弘、北條史也(どちらも現3年)らの光星学院打線は、日大三のエース・吉永健太朗(現・早稲田大)に散発5安打に抑えられた。(参考資料)・wikipedia・『高校野球 甲子園全出場校大事典』(森岡浩編、東京堂出版)・『プロ野球選手の甲子園伝説』(宝島社)・『高校野球 忘れじのヒーロー』(ベースボールマガジン社)・『あま野球日記@大学野球』今日も1クリックお願いします
2012.04.02
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■以下、デイリースポーツより。最大級の怒号がスタジアムにこだました。「何やっとんじゃボケエ!」。楽天星野監督の視線の先で、ルーキーの島内が転んでいる。1点を追う八回無死満塁。中村が右飛を打ち上げる。犠飛で同点。誰もがそう思った次の瞬間に、ミスが起こった。打球の行方を追おうとしたのか、ベースから足が離れてしまい、慌てて戻ろうとした時に島内は足を滑らせ、スタートを切れなかった。「あんなの見たことない」とキレる指揮官。結局この回無得点。島内は報道陣からのどんな質問にも「ハイ、ハイ」と答えるのが精いっぱいだった。■今朝のテレビ『サンデーモーニング』(TBS系)には、ベンチに戻り青ざめた島内の表情が映った。島内の名を聞いても、それが誰なのかボクは分からなかった。調べてみて、初めて島内とは、星野仙一監督の後輩・明治大にいた島内宏明だったことを知った。そうか、昨秋のドラフトで楽天に入団したんだ・・・!?ま、やってしまったことは仕方がない。近いうちに汚名返上のプレーを期待したい。■島内宏明。明治大時代は、打席でやけに落ち着き払った、いかにも「明治」っぽいいしぶといアベレージヒッターだった。ただwikipediaには50m走、5.8秒の走力と紹介されていたが、主に3番・4番を打っていたせいか、走力に優れた選手とは気づかなかった。4年間通算の盗塁数がたった「3」だったし。出身高校は石川・星稜高。2007年夏の甲子園に1番・ファーストで出場した。だが初戦で長崎日大高と対戦し、スコア1-3で敗退した。自身の成績は3打数1安打、1四球。チームメイトには國學院大を経て読売に入団した高木京介がいた。(参考)2007年夏の甲子園は、佐賀北高の「がばい」旋風に沸いた、あの大会である。決勝で広陵高のエース・野村祐輔が逆転満塁本塁打を浴びて敗れた。明治大時代。島内は、その広陵高・野村祐輔とチームメイトになる。3年秋は打率.400を残すも規定打席に達しなかったが、4年春は.385を残して打撃十傑の3位、そしてベストナインに。続く秋もベストナインに選出された。チームメイトには他に、ペーチェット病と戦いながら読売に育成枠で入団した柴田章吾もいた。《島内、明治時代の成績》 東京六大学野球連盟HPのデータを編集した。シーズン試合打数安打本塁打打点盗塁四死球三振打率2010年秋92510121340.4002011年春123915042680.3852011年秋1343151601620.349計3410740212325140.374 今日も1クリックお願いします
2012.04.01
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■終盤になれば必ず試合が動く。そう感じながらテレビ観戦をしていた。センバツ準々決勝、光星学院高vs愛工大名電高戦。だがこの試合は、思わぬ判定が引き金となって決着した。名電 000 101 000 =2光星 100 000 13X =5■勝敗が決したのは8回だった。7回に同点に追いついた光星学院、この回、一気に突き放しにかかる。先頭の2番・村瀬大樹がライト線に二塁打を放ち出塁すると、中飛と死球で二死二・三塁とチャンスを広げる。この場面で、6番・大杉諒暢がカウント3ボールからセンター右を抜けるライナーの打球を放ち、2人の走者が生還。さらに打者走者の大杉までが生還する3点ランニング本塁打になって光星学院の勝利を確定させた。■ただこのプロセスの中に、信じられない主審の判定があった。無死二塁の場面で3番・田村龍弘がセンターに中飛を放ち、二塁走者の三進後だった。一死三塁になって、打者は4番・北條史也。光星学院ベンチの指示は強硬策。3ボールの後ファールが4球続く。フルカウント。すると8球目、一転して北條がスクイズを敢行した。だがバットを前に出したが、球はバットをかいくぐり、北條の足に当たった。スクイズ失敗で三振と思った。だが主審の判定は死球。光星学院にとって、一旦しぼんだはずのチャンスが息を吹き返し、大杉のランニング本塁打を呼び込んだ。■NHKではそのシーンをスローモーションで流していたが、どう見ても北條の空振りである。仮りの話をしても仕方ないが、もし主審が正しい判定をしていたら、この勝負はどうなっていたかわからない。紫紺の優勝旗の「白河の関」越えを願うボクではあるけれど、少し後味の悪い勝負になってしまった。 (4月4日 修正・追記)・(誤)犠飛 → (正)中飛・動画が見つかりましたので、URLを追記します→こちら。今日も1クリックお願いします
2012.04.01
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