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今日は、むちゃくちゃ暑かった。暑い中、午前中からモダンバレエの先生であったEさん (※参照)の三回忌の法要に出掛けた。法要が始まると、ふり仮名付きの般若心経の教本を渡されて、ワケもわからないままお上人と一緒に全員で「マカハンニャ~ハラミッタ~」と延々30分以上も声を出して斉唱していると、なんだか次第に脳内にα波が充満しはじめた感じで、半分トランス状態で気持ちが良かった。しかし午後には会社に戻り、そのまま16時まで大人数での会議。そのあと、引き続き24時まで小人数で打ち合わせで、再び頭は脳梗塞寸前のギュウギュウな感じで、めしも食べずに帰った。帰宅して風呂に入ったが、今日は夜になっても結構気温が高く、暑い暑いと呟きながら部屋の中で煽ぐものを探していたら、去年わざわざ通販で買ったがいまだに一度も使っていなかった扇子を発見した。高山寺の鳥獣戯画が描かれた可愛いやつで、煽いでみると、ふわりふわりと上品な香りが漂い、再び般若心境の心地良さが脳内に蘇る。※購入希望の方はコチラから今夜はこれで煽ぎながら心静かに寝ませう。てな感じで、忙しい日はプチ日記。
2004年05月30日
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どうにもヒマが追いつかないのでしばらく日記を閉鎖しようかとも思ったのだがひとまず前回の日記のままで更新しないでいると、ついに死んだかと思われるのもマズイので、形だけでも更新しておこうかと。最近書き込みいただいた方々、レスもできずにごめんなさい。襲撃事件でお亡くなりになられた可能性が高い、橋田信介さん著『イラクの中心で、バカとさけぶ』を早く読みたくてしょうがないのだが、いつになることやら。 職業は違えど、「自分の好きなことをやる」というのはいずれにしても家族を犠牲にするということか。
2004年05月29日
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タクシーに乗り込んだのは朝の5時半。今週はスゴイな、5日連続朝帰りだ。いつものタクシー運転手Hさんがこの時間まで待っていてくれて、自宅が同じ方面の同僚2人と一緒に帰る。夜中のうちに台風は通り過ぎたようで、白々と明るくなった空には引きちぎられたような雲があちこちに散らばっていた。運転手のHさんが「いやぁ、さっき嫌なもの見てしまいましてね」と話し出す。「目の前で、乗用車同士の衝突事故ですよ。その場はそのまま通り過ぎたんですけど、お客さんを送った帰りにもう一度その現場を通ったら、救急車2台、消防車2台、パトカーが4台も来てました。衝突した2台のクルマはもう完全にひとつの塊になっていて、まるで鉄のサイコロ状態でしたよ」と。そりゃぁ当事者たちは助かっていないだろうなと、徹夜明けで妙に神経が昂ぶった状態の頭で考えていた。そうしてしばらくタクシーは走り、さすがに疲労のために他の同僚が眠ってしまって静まり返った車内でひとり黙って外の景色を見ていた。この空の感じは、阪神大震災の当日の明け方の風景に似ているな、とボンヤリ思っていたその時だった。ちょうど乗っているタクシーが、信号のない小さな交差点にさしかかろうとした瞬間、頭の中で「!」と何か鈍い閃光のようなイメージが走った。「なんだ?」と思っていると、次の瞬間、助手席に乗っていたワタシのすぐ左側面に迫る白い大型セダンの姿が視界に飛び込んできた。運転手のHさんがブレーキを踏み込む。そこから先は、パノラマ現象ではないが白いセダンの動きはなぜかスローモーションに見え、ワタシは冴えたままの頭で「これはダメだな」と妙に冷静に思った。結果としては、運転手のHさんがブレーキを踏み込む反応速度が異様に速かったお蔭で、2台の車はまさに数センチの距離で止まり、奇跡的に衝突はしなかった。さすがにベテランのHさんも「申し訳ありませんでした!」と、相当ショックな様子で我々に平謝りだったが、白いセダンはそのまま猛スピードでその場を走り去ってしまった。明け方の、台風一過の散らかった空の雲。 阪神大震災の朝の風景の記憶。数時間前に起こった事故の話をしていて、自分たち自身が事故に直面する。その一瞬前に見た鈍い閃光のようなイメージ。自宅に着き、Hさんに「今日は何だか嫌な日だから気をつけて帰ってくださいね」と言ってタクシーを降りたが、もしかすると気をつけた方がいいのはワタシか?この不思議な感覚は何かを暗示しているのだろうか?などと思いながら、相変わらず頭の芯が冴えたままのワタシは、横になってもなかなか寝付けなかった。
2004年05月21日
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ワタシが二十歳の夏、初めての海外であるインドを旅したときに持っていったのは、神戸の元町にあった米軍系のミリタリーショップで買ったダッフルバッグという、まるでサンドバッグを一本のベルトで担ぐようなタイプの、緑色をした大きなズダブクロであった。当初から1日千円程度の予算で一ヶ月以上もあちこち彷徨うという貧乏旅行の計画だったので、誰に薦められた訳でもないが、自分では「この旅にこれ以上ふさわしいスタイルはない」と勝手に悦に入っていた。しかし旅が進むにつれて、この選択は大失敗の大馬鹿野郎であったことが判明。貧乏旅行というのは交通費も節約するために自分の足で歩く時間が長く、この大きく重いズダブクロを片一方の肩にズッシリと食い込ませて歩くのは、灼熱のインドにおいてはまさに軍隊なみの厳しさであった。以後の二十代前半の旅では、ズダブクロから人並みの「バックパック」にアップグレード。欧米人のツーリストがよく背負っている登山用で縦長のタイプのものだ。さすがに以前のような一泊千円以下の安宿やドミトリーに泊まるのは卒業したが、基本はひとり旅で、特に高級なホテルやレストランに出入りすることもなかったのでそれで十分だった。しかも、その格好で欧米人のバックパッカーに混じって長距離列車の切符を買う列に並んでいたりすると、「なんかワシって旅慣れてるって感じィ」なんて、またもや勘違い男は得意気であった。ただ、短期間であちこち移動を繰り返すような旅ばかりだったので、縦長タイプのバックパックの場合、底の方に潜り込んでしまった荷物を取り出すのが大変で、パッキングのたびに中身の出し入れが非常に面倒だった。ということで、これもそのうち使わなくなってしまった。社会人になり、出張で海外に行ったりするようになると、さすがに「背中に荷物を担いで」というワケにはいかなくなった。最初に使った「スーツケース」は、家にあったデカいサムソナイト。いくら中身が重くても、押せば転がるその楽チンさに「今までのワシの苦労はなんだったんだ」と、すべてがバカバカしくなった。それからの旅は常にスーツケースになったが、結局独身の時は親の物を借り、結婚してからは妻の物を借り、と全面的に借り物人生になり、あれだけ最初の旅でこだわっていた独自のスタイルというものは、最終形としてのスーツケースになった瞬間から、なぜか完全にどーでも良くなってしまった。ただひとつ変わらないのは、滞在地の街の中をウロウロする時のスタイルは昔も今も季節さえ良ければ「手ぶら、短パン、Tシャツ、サンダル」が基本である。別に汚い格好さえしていなければ、超高級ホテルに出入りするのだって何の問題もないし。だって、旅という行為は人生における「自由」の象徴みたいなもんだし、やっぱ手ぶらにサンダルだよなぁ。あぁ、自由っていいなぁ。
2004年05月19日
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別に、何かに腹が立っているというワケではないけれど、現在の状況に対する“何か漠然とした閉塞感”に対して「あ~、なんか、ブッ壊したい・・・」と思うことがある。この日はそういう気分の日だった。そんな気分のまま、休日出勤で打ち合わせのためクルマを走らせ、大阪に向かった。こういう時ワタシは必ず大音量で音楽を聴く。音楽はもちろんロックだ。この日の音楽は日本のロックだ。誰もいないクルマの中で一緒に唄うとストレス発散になるからだ。だが、そこで流すのは、「GLAY」や「ミスチル」ではない。この日セレクトしたのは、今はなき日本ロック界の異端的ロックバンド「筋肉少女帯」である。大槻ケンヂの激しいボーカルにあわせて、「♪ダーメ ダメ ダメ ダメ人間! 」 と、一緒に大きな声で歌っていると、なんだか判らないけれど、不思議と少しはその閉塞感が薄れるような気がした。 (♪踊るダメ人間:試聴)「唄うことで、閉塞感を打破する」という状況は、若い仕事仲間との飲み会の二次会でたまに行く「カラオケボックス」などで、往々にして起こる。はじめの頃は、みな好き勝手にイマドキの歌などを代わる代わる唄っているが、時間の経過とともに、必ずと言っていいほど「アニメ主題歌メドレー」あるいは「ピンクレディーメドレー」などの懐メロ歌合戦になっていく。これは、その時々によって参加メンバーが違えども大抵の場合お約束のように、そうなる。ハッキリ言って、ワタシはこの手のノリが好きではない。少なからず「人並みよりは聴く音楽にこだわりを持って生きてきた」と思っているワタシにとって、この歌謡曲やアニメソングを無邪気に唄うといった「誰もが思いつく安易な選択」にガマンがならないのだ。みんな、ダメだダメだそんなことでは。そしてまさにそういう時、あの“現在の状況に対する閉塞感”がワタシの中で膨らみはじめ、「あ~、なんか、ブッ壊したい・・・」という欲求につながってくるのだ。そこでワタシはおもむろに歌本を手に取り、現状の打開策に乗り出す。ワタシが満を持して唄うのは、「尾崎豊」などでは決してない。そんなものはノーサンキューだ。ワタシの使命は、この「閉塞した現状を打破する」ことである。「流れを一気に変える」ことなのである。そんな時ワタシがその場に投入する入魂の一曲は、やはり「筋肉少女帯」なのである。それまで流れていた「アタックナンバーワン」の曲が静かにフェードアウトしていくのと入れ替わりに、一転して激しい轟音ロック・サウンドのイントロが流れ出す。みんながハッと顔をあげると、普段は寡黙な心斎橋サンがいつのまにか立ち上がり、片足をローテーブルの上に「ガッ」と踏み上げたかと思うと「♪オレにカレーを食わせろ!オレはいつでも 辛さにこだわるぜー!」(♪日本印度化計画)などと、よくわからない歌を異様なテンションでシャウトするのだ。唄い終わり、皆が呆気にとられているうちにすかさず次は「トン平のヘイユー・ブルース」だ。冒頭からいきなりの「ヘイユー、ワッチャネーム!」の叫びで、その場の空気は、ほぼ手中に収めたも同然だ。さらに、息つくヒマも与えず畳みかけるように、鶴光の「鶯谷ミュージックホール」で完全にその場の支配権を奪う。唄い終わる頃には、若者達の目線が「参りました」と言っている。あースッとした。よし、閉塞状況は、これでクリアーだ。なんて思っているのは自分だけで、もしかして、浮いてるだけかワシ?
2004年05月16日
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我が家では、年に2回ほど家庭内の雰囲気が極めて悪化することがある。その原因は、実は浮気がバレたからということではなく、実は借金の請求書が見つかったからということでもなく、単に仕事が忙しすぎて全然家に帰れない、ということによるお互いのコミュニケーションの欠如によるものだ。自分では、就職して以来この業界しか知らないので、確かに楽ではない業界だとは感じていたが、それが世間一般と比較してどの程度のものなのかというのはよく判らなかった。しかし結婚当初、妻は「なぜそんなに忙しいのか?そんな仕事って本当にあるのか?」と、夫のあまりに想像を絶する生活ぶりに対する疑惑、不審、不満、不安は相当なものだったようだ。結婚すれば、きっとそういう事態になるであろうことを事前に想定していた賢い同僚の一人は、あえて相手の両親に「結婚前に、半年だけでも同棲させてほしい。そうして少しでも事前に自分の仕事の状態を肌で感じてもらわないと、間違いなく生活は破綻すると思うので」と申し出てその通りにしたのだが、それでも結婚後には奥さんに6度も家出されたそうだ(今はうまくやっているようだが)。我が家の場合も、さすがに年月がたつと妻も「とにかくそういうものなのか」という理解は多少進んだので衝突の頻度は減ったが、それでも不満が解消されることはないので上記のように、年に数度は険悪な状態に陥るのは避けられないのだ。お互い人間だしなぁ。◎過去の類似日記参照。先日妻が「これって同じ会社のヒトの家庭のことじゃないの?」と、とあるポータルサイトの書き込みをワタシに見せた。なーるほどなぁ。これは結婚初期の頃の我が家とまったく同じ状況じゃないか、と思わず二人で笑ってしまった。それに対するレスも、「そうなんだよなぁ」と思うものがたくさんあったのだが、下の書き込み&レスの内容は、世間の方々からみればやはり相当異常な世界なのだろうかねぇ。『広告代理店勤務って、朝帰り当たり前?』 by発言小町
2004年05月15日
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ゲロゲロ。また仕事の状況がエライことになってきた。しかも競合コンペの準備ではなく、受注が決まっている結構規模の大きな仕事が、よりによって4つも5つもすべて同じ時期に集中して押し寄せてきたので、会社としては景気が良くて結構なのだが、社員や一緒にやっている外部スタッフはもう昼も夜も土日も関係なくゾンビのように働いているよ。忙しいとなかなか食事に出かけるヒマもなくなってくるのだが、そんな時、うちの社員はフロアの隅っこにある「カエル」の前に立っていることが多い。これは何かというと、数年前からお菓子メーカーのグリコさんが置いている『オフィスグリコ』というお菓子の販売BOXで、3段重ねのケースの中に、ポッキーとかビスコとかクリームコロンとかのお菓子が常時20~30個入っている。食べたい時は、BOXの上部にあるカエルの口の中に100円玉を入れて、代わりに欲しいお菓子を1個取り出す。毎週金曜日なると、担当の女性がやってきてカエルの中に貯まった代金を回収し、新しいお菓子を補充するというシステムになっている。設置された当初は、男性社員が8割を占めるこの職場でお菓子なんか売れるんだろうか、と思っていたのだが、いつしか夕方になるとイイ大人の男が嬉しそうにビスコを頬ばってたり、ポッキーをくわえていたりする姿がすっかり定着し、毎週補充の前日にはBOXから見事にほとんどのお菓子が消えている。(時々、100円を入れずにお菓子を持っていくフトドキ者も見かけるが・・・)「オフィスグリコ」のサービスエリアは、まだ東京・大阪・兵庫・福岡などの一部の地域だけらしいが、それでも年商6億円ほどあるそうなので、たいしたもんである。っていうか、売上の額だけ職場のお菓子ゾンビ男がいるってことじゃないのか。今夜も残業で食事に行くヒマがないワシは、プリッツを食べながらまだ仕事ですよ。ポリポリ。
2004年05月13日
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大阪の梅田で打ち合わせの空き時間ができたのでどうしようかと思っていたら、駅の近くの商業ビルの地下にネットカフェがあるのに気が付いた。海外では街中にあるネットカフェを利用することはよくあるが、考えてみると国内でネットカフェに入ったことなんてなかったな(というか、必要性がなかった)と思い、試しに入ってみることにした。平日の昼間のネットカフェなんて、せいぜい暇なサボリーマンか学生がチラホラいる程度だろうと思っていたのだが、店内はなかなかトンデモナイことになっていた。店の入口に立つと、どこからか続々と客がやってきては受付で申込を済ませ、わっせわっせと店内に消えていく。ワタシが受付カウンターに行った時にはすでに満席状態であった。客層はどうかというと、ネクタイ姿からフリーターっぽいのまでかなり雑多な感じだが、女性客(OLやリクルート学生風)の割合が意外に多く、全体の三分の一ぐらいを占めている感じ。店のシステムは、最近よくある漫画喫茶とインターネット利用がセットになったようなものだが、まずスケールがデカイのに驚いた。個室風のブースになった席や、図書館のように隣とパーテーションで仕切られた席などが、ざっと見渡して100席ぐらいか。広い店内はかなり暗めのアンダーな照明で、内装はややサイバー系で割とカッコイイ。しかし、これだけ大勢の客がいるにも関わらず聞こえる音はキーボードのカタカタいう音だけで、ほの暗い店内は異様にシーンとしている。受付では、まず席の希望を訊かれる。説明によると、オープン席、ビジネス席、リクライニング席、カップル席などいくつかのタイプから選べるようになっていて、いずれも1時間400~500円。それを超えると10分60円など、従量課金制になる。インターネット使い放題の他、店内にある数万冊のコミックや雑誌は読み放題、無料の自販機で各種ドリンクも飲み放題。カップ麺や簡単なレトルト食品も販売している。あと、マクラや毛布の貸し出しがあるほか、シャワー室も完備なので徹夜明け(=_=)の仮眠や、終電がなくなった後のホテル代わりに使うヒトもいるんだろうなぁ。空席待ちの順番がきたので、席番が印字された伝票を渡され、店内をかなり歩いて指定された席に辿り付く。社長の椅子のようなハイバックの革張りチェアに座ると、目の前には落ち着いた木目調のPCデスクが用意されていて、その上に15インチのモニター画面が乗っている。横の壁面にはヘッドホンが掛かっていて「音楽などを聴くときはコレで」と書いてある。隣の席はアパレル店員風の女性がお菓子をボリボリ食べながら座っている。その隣は法律事務所勤務といった感じでややインテリ風の年配の女性が資料を横に積んで仕事をしている。とりあえずメールチェックなどしてみたが、そんなのは数分で終わってしまったので取り立ててすることもなく、自販機の無料ドリンクを飲みながら店内を歩いて他のブースを覗いて廻る。通路を歩いてみると、ちょうど両サイドのブースを斜めに見下ろす形で、チャットしている人、アダルトの動画サイトを見ている人、ネットゲームをしている人、漫画を読んでいる人など、各ブースのPCの画面と客の手元が見える。しかし現在のインターネット普及率から考えれば、みんな家でも職場でもすでにネット環境はあるハズなのだが、ここの客がやっていることは別に急を要することでもなさそうだし、こうして昼間からこんな地下の暗い店にわざわざ並んで座っているというのは、やはり家にも職場にもプライベートな時間と空間がなくて、それを求めてわざわざやってくるのかなぁ。まぁこの楽天日記も「いつもどこで書いていますか」なんてアンケート取ったりすると、結構こういうところで書いてるヒトも多いのかもな。そういえば同じ職場のアイツなんかも、昼間にいつも2時間ぐらいいなくなると思ったら、こんなトコでチャットでもやってるんじゃないのか?な~んて、実はワシが言われてたりして。ははは。
2004年05月10日
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連休明けの週末になり、ようやくムスメの体調も回復したようなので久しぶりに外の空気に触れさせてやろうと、昨年秋に宝塚にできた「犬と遊べる公園」に出かけた。うちの家系はもともと全員犬好きで、ワタシも昔は実家で雑種の大きな犬を飼っていたし、妻の実家では今も小型犬を飼っていたりするのだが、現在の我が家はペット禁止のマンションなので、時々ムスメと一緒に近所のペットショップに行っては、そこの犬たちに勝手に「ポチ、ポチ」と名前をつけて呼んだりしていて(ミニチュアダックスもチワワもみんな「ポチ」)、店員からは多分嫌がられているに違いない。この公園では、自分の飼い犬を連れてきた人は、近所の公園と違って周囲に気兼ねなく思い切り走らせたり遊ばせたりすることができ、犬のいない人は施設内で飼われている様々な種類の犬を自由に触ったり、レンタルして散歩体験ができる。いつもはペットショップでガラス越しにしか犬を観ることのできなかったムスメは、巨大なピレネー犬の白い腹をばふばふ叩いたりして嬉しそうであった。なかでもムスメは、犬の「肉球」に異常な興味を示していて、気持ちよく昼寝をしていたビーグル犬の両前足をギュッと両手でつかむと、肉球の部分をクリクリといじくりまわすので、ビーグル犬も変な気分になってきたのか、ついにムクリと起き上がるといきなりその場で大量のウンチをもりもりと出し始めた。ムスメは「なんでなんで?」と半泣きになっていたので「あれ(肉球)は犬のウンチのボタンだからあんまり触っちゃダメだよ」と、我ながらなかなか気のきいたことを言うと「へええ!」と目を丸くして驚いていた。公園の敷地内には、いたるところに丸テーブルとチェアがあり、その周り中に家族やカップルに連れられた大小の犬がゴロゴロ寝そべっていて、うっかりするとつい踏んづけそうになる。そういえば昔、バリ島のウブドゥという村に行った時、あまりの気温の暑さに半分麻痺した頭でフラフラしながら歩いていて、地面に寝ていた野良犬くんのわき腹を思い切り踏んづけてしまったことがある(すまぬ)。ビックリして飛び上がった野良犬くんは、そのままワタシの膝に噛み付いてきたのだが、もともと栄養失調気味のバリ犬くんなので、ワタシにたいしたダメージはなかった。けど、この公園に寝そべっている、毛並みのツヤツヤした体格の良いドーベルマンなんか踏んづけた日にゃもう、普通のカラダでは帰れませんで、お客さん。あぁ怖わ。←ウンチもりもりビーグル犬の図
2004年05月08日
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中国から帰る飛行機の機内から、なんとなくお腹に妙な違和感があるなと思っていた。関空に着き入国審査を終えてゲートを出ると、予想外にも妻子が迎えに来ていて驚いた。せっかくなのでそのまま空港内で軽く食事をしたのだが、数時間前に機内食を食べたばかりなのと、やはりどうもお腹の具合が思わしくないのとで、ワタシは何も食べられなかった。帰宅したその晩、イマダかつて経験したことのない激しい腹痛に見舞われた。30分に一度の周期で襲ってくる強烈な激痛と下痢のため、脂汗流しながらほとんど一睡もできずに朝になり、そのまま救急病院に行った。「えと、昨晩中国から帰った直後から、猛烈にハラが痛くて」というと、石橋蓮司によく似た当直のセンセイは一瞬ピクっと大袈裟に反応し、眼鏡の奥からじっとこちらを見つめながらイスの距離をじわじわと遠ざける。「もしかしてキミって、SARS・・・?」って、あんた、コントやってるんじゃないんだから。「あのー、それこっちが聞きたいんですケド」というと、石橋蓮司はようやくキコキコとイスの距離を近づけながら、「そやね、そやね、で、咳は出てないの、熱は?」と、ヒトがシンドイと言っているのに、まったくお茶目な医者である。勘弁してくれ。診断の結果は「ウィルス性の胃腸炎でしょう」とのことで、「なんかヘンもん拾って食べたでしょ?」って、食べてませんて。犬じゃないんだから。とりあえず抗生物質をもらって帰り服用すると、効果はテキメンで、その日のうちに腹痛も下痢もすっかり回復してしまった。ところが、その翌日から今度はムスメが39度の熱を出し、再びムスメを連れて救急病院へ。連休中の救急病棟は似たような親子連れがワンサカいて、ロビーで1時間半も待たされている間にムスメは益々具合が悪くなっていくようで、まったくなんとかならんものかと思う。しかも、もらった坐薬を投入するものの熱はいっこうに下がらず、結局GWの間中4日間ムスメは寝たきり、親は看病したきりであった。妻には「中国から何かヘンな菌もって帰ったでしょ」と責められる。連休明けに、再度別の小児科医院にムスメを連れて行ったのだが、この病院はPCや携帯から診察の予約申込みができ、さらに自分の順番まであと何人か、というのが病院に向かう途中でもその都度携帯で確認できる仕組みになっていて、これはスバラシイなぁと感心。ネットのシステムの利便性は、こういうことにこそどんどん活用して欲しいものである。ただし「Webで予約すれば薬がもう一袋ついてくる!」とか「通院するほどマイレージが貯まる!」なーんてサービスまではいらんけどね。
2004年05月07日
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