2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全16件 (16件中 1-16件目)
1

東莞の街の表通りから一本奥に入った暗い路地にある、足ツボマッサージのネオンが光る店に突入してみた。店内は一見いかがわしい雰囲気で、ドアを開けると怪しいチャイナドレスのオネエサンが出て来たので「うぅむ、これはやはり別のタイプのマッサージか?」と躊躇していると、一緒に行った師匠のUさんは勝手にどんどん店内に入っていくので、とりあえず付いて行く。2階のフロントに上がると、そこには順番待ちの夫婦連れの客もいたりしたので一安心し、出されたフルーツなどを食べながらフロント脇の待合コーナーでしばし順番を待つ。 20分ほどすると我々は2人用の小部屋に通され、上下赤ジャージの元気な中国人のお姉ちゃん約2名が登場。ソファのような座席に座り、足は漢方薬を煎じたお湯の中に浸しながら、最初は首肩背中のマッサージ。グイグイと、結構力強い。足がポカポカしてきた頃、今度は足ツボマッサージに。足ツボは、台湾でも体験済みなので余裕の構えだったのだが、中国式はさらに強烈であった。足裏の筋をゴリグリゴリグリ。いででででで。ソコはイケンイケン。ゴリグリゴリグリ。あぅぅ、やめれやめれ。グリグリグリグリグリグリ!あだだだだだだ!グリグリグリグリグリグリのグリッ!ぉおい、イダイいっちゅうねん!さらに、焼けた石か何かが入った布の袋をワタクシのふくらはぎに押し付けて、ムギュ。うぎゃぁ!あづいあづい、アンタコレ熱いアルヨ!ふー、ふー。などとしばらく悶絶していたのだが、慣れてくるといつしかそれが次第に心地よく感じ始め、ついにヨロコビの薄笑いを浮かべる日本人約2名は、時間延長のリクエストを出すのであった。恐るべし、中国式足ツボマッサージ。
2004年04月30日
コメント(4)

終日、東莞の街に滞在。連日の食べすぎでこの日は、昼飯をカット。夜になってもさほど空腹ではなかったのだが、食事のために街に出る。 シーフードを食べようと30分ほど歩き、行き当たりばったりで四川料理の店に入る。観光客の来ない店のようで、いつものごとく日本語も英語も通じない。店のメニューと持参のガイドブックとゼスチャーゲームでなんとかお姉ちゃんに注文し、蟹の四川風炒め、白身魚の酸辣スープ風、麻婆豆腐などをいただく。それにしても、この写真の蟹炒め、味は悪くないが身が小さくて、香菜と唐辛子とピーナッツに隠れて蟹の姿がよく見えませぬ。とくに唐辛子の量が冗談のように山盛りでハンパじゃないので、間違ってカジらないように注意が必要なのだ。辛。
2004年04月29日
コメント(1)

香港から船で深曙Vへ、さらにクルマを乗り継いで延々走り、広州に辿り付く。中国最大規模の、国内で生産された輸出商品の大展示会『中国広州出口商品交易会』というのに潜入するためである。 何もない街のはずれに、異様に巨大な規模とスペーシーなデザインのコンベンション会場が突然姿を現す。入場ゲートに続く長い歩道には、「通訳します」「名刺2分で作ります」などと書いたボードを首から下げたネーチャンやオバチャンがずらりと並び、私を買ってと叫んでいる。入口の脇には、無表情のお兄さんが微動だにせず直立不動で立っている。目の前でカメラを向けると、一瞬目が泳いだが、それでも動かない。おそらく頭の中では「あーしんどいな、何やねんこの日本人は、あっちいけオレを撮るな撮るな、しっしっ。えーと今日は帰ったらレンタルビデオの『桃色小姐』を急いで観るけんねワシ」とか考えているかどうかは知らないが。会場内はやはりすごい広さで、日用雑貨から宝石店までありとあらゆるブースが軒を連ねる。その中をまたすごい数の来場者が右往左往している。バイヤーも世界中から来ているようで、英語、イタリア語、フランス語、ドイツ語、韓国語、日本語、関西弁などが飛び交っている。歩き疲れて会場の外の敷地で寝転んでいると、警備員がやってきて「寝るな」と怒られる。会場に戻ってベンチに座っていると、また別の警備員が寄って来て、隣のオジサンが「靴を脱ぐな」と怒られた。中国は風紀がキビシイのぅ、と思っていると、突然目の前に軍服を着た偉いヒトが大勢のとりまき&TVカメラを引き連れて会場の視察に現れ、警備員たちの顔に緊張が走る。なるほど、どなたかは存じませんが、今日はこれでキビシイわけね。
2004年04月28日
コメント(1)

湿度88%。マカオから香港に戻り、滞在先のホテルにチェックイン。カーテンを開けると、オォ、これぞホンコンというグッドなロケーション。だが、この日はその後すぐクライアント様の香港事務所を訪れてしばし打ち合わせのあと、夜はなぜか、これぞホンコン、とはまったく言えない純和風の「居酒屋」で焼酎飲みながら枝豆やレバニラをありがたくご馳走になる(・・・なんでやねん)。深夜、部屋に戻って外の夜景を見るのを忘れていたので、結局、眺めのいい部屋も意味ないしィ。
2004年04月27日
コメント(2)

香港を基点に、澳門や中国内陸部へと移動するには船便の方が便利だったりして、船体に『噴射飛航』という渋いネーミングのロゴが描かれたジェットフォイルに乗る。「普通位(エコノミークラス)」と「豪華位(スーパークラス)」の両方に乗ったが、「普通位」は貨物室に収まりきらないスーツケースやダンボール箱がそこらに溢れかえって積み上げられていて、混み合う航路はまるで難民船と化している。「豪華位」は「普通位」の上階にあり、革張りのゆったりシート。朝はパン・サラダ・フルーツなどの軽食、午後はビールが飲める。しかしいずれの席にしても、窓の外に見えるのは同じ「ドロのウミ」。中国の海は汚いのぅ。
2004年04月26日
コメント(1)

旅の楽しみは何といっても食事である。特に、仕事で出張となればカジノに行くわけでもなし、なおさら楽しみは食事頼みとなる。マカオの街には、広東料理、上海料理、四川料理、ポルトガル料理、飲茶に麺と粥の屋台までありとあらゆるメシ屋が並んでいる。 朝は、街なかの小さな店で海老ワンタン麺を食べた。極細麺にあっさりスープが上品に絡んでカラダにやさしい感じ。昼は、島のはずれにあるロケーションの良いレストランで、蟹肉クリームソースのイカ墨パスタを食べた。このソースが、中華とイタリアンの融合、といった感じでなかなか絶妙の味。ただし、麺はコシがなくふにゃふにゃなのが悲しい。同行している師匠のUさんは、「頼んだ白ワインがぬるい!」と店員を呼びつけて鬼のように厳しく指導し、慌てた店員は山ほどの氷に浸してキンキンに冷やしたボトルを抱えて走ってきた。その後、昼間の白熱した会議と大移動でヘトヘトに疲れた我々一行の夜の食事は、街の中心部からやや細道に入った所にあるレストランで、蟹、イワシ、あさりなどのシーフードに独特の味付けをしたポルトガル料理をいただいた。今日はこれから、慌しく香港に移動なのだ。
2004年04月25日
コメント(6)

名前のわからない鳥の鳴き声で目が覚めた。バルコニーに出ると、天気はさほど良くないが、目の前に広がる風景はなかなか開放的だ。それにしても、思ったよりマカオは遠かった。昨日の朝7時に家を出て、関空から香港に飛び、香港からフェリー、そしてバスへと乗り継ぎ、ホテルに着いたのは18時半頃だった。暑いな。気温は30度を超えている。そして湿度が異様に高い。さて、行かなくては。
2004年04月24日
コメント(7)
以前、少しだけ予告をしていたが、ついにその日がやってきました。突然ですが、明朝、ワタクシは日本を後にします。(冗談ではありませぬ)ご迷惑をおかけすることになる皆様、許してください。ひとまずは、マカオに潜伏する予定になっております。それでは皆様、ごきげんよう。
2004年04月22日
コメント(5)

前夜の日記には書かなかったが、夜、BARに行く前に首都圏ショッピングセンター巡りの打合せをしようとして、驚いた。この出張はすべて、「えなりかずき」を長身にしたような風貌の後輩K君の仕切りなのだが、「じゃあ、明日の行程は?」という質問に対してK君は「え?」と固まったまま下を向いている。先輩のMさんが「どこ見に行くねん」というと、Kくんは「えーと、えとえと」と言ってその場で考え始めた。おいおい。大丈夫か。Mさん、「見に行く場所の資料とかないのか?」。K君「はい。全部会社に置いてきました。」 ガク!Mさん「で、地図ぐらい持って来てないんか?」。Kくん「何も・・・。」コラ!どこ行くねんいったい!東京まで来て!結局、ワタシの持って来たPCで目当てのショッピングセンターの場所とルートを検索し、とりあえずの行程は決まった。翌朝、約束の時間にホテルに隣接のレストランに集合して一緒に朝食を食べる約束だったが、K君だけ来ない。仕方ないので、放っといて食べる。我々が食べ終わってしばらく経った頃、K君が寝ぼけた顔で現れた。。。予定より大幅に遅れて出発。本日のルートは、幕張→船橋→お台場→汐留というコースに決定。最初に行った幕張のショッピングセンターは見るべきものがなく、軽くパスする。次に行った船橋のショッピングセンターは規模も大きく、入居テナントもそれなりな感じだったので結構真剣に見て廻る。K君に「おい、写真おさえといてくれよ」というと、「カメラ忘れました・・・」。キミなあ、ホント、何しにきたの?という会話のあと、突然K君、我々からはぐれて行方不明になる。20分ほどその場で待つが一向に現れないので、携帯に何度か電話をするとようやく通じた。「どこ行ってんの?」と聞くと「えーと、カメラを買って写真撮ってます」と。なんでやねん。すぐに戻ってくるように命じ、帰って来たK君の手には真新しいデジカメが。「それ。。。買ったんか?」「はい、写るんですとデジカメ、どっちがいいかなーと思って、やっぱデジカメがいいなーなんて。安かったし、経費で買いました。」「いくら?」「○万円です」・・・死んでくれ。いいに決まってるわ。スナップ撮るぐらい、「写るんです」で充分やっちゅうんねん。この後もK君は、突然迷子になったり、意味のない場所で風景を撮影していたりと、終始挙動不審。そのたびに我々は携帯で呼び出したり、施設の中を探し回ったりと、どうでもいいことで波乱万丈となりたいへん充実感のある一日であった。お蔭で帰りの新幹線ではもうクタクタで、乗った瞬間に爆睡し、起きたら新大阪だった。ちなみにそんなK君は、超有名私立大学の最難関学部卒の34歳、2児の父親でもある。世の中不思議だ。
2004年04月18日
コメント(0)

週末だというのに、夜8時ののぞみで東京へ出張。他の同僚2人と一緒に駅弁&ビールを買って新幹線に乗り込む。食事を終え、膝の上でノートPCを広げて企画書を打とうとするが、圧倒的な寝不足のため猛烈に睡魔に襲われてそのまま寝込む。気が付いたらもう東京だった。出張の目的は、今年阪神間にオープンする新しい大規模ショッピングセンターの販促・広告プレゼンが来月行われる予定になっていて、その参考にするために首都圏のショッピングセンターを視察するというもの。翌日からの移動に備えて、八重洲口にあるレンタカー屋でクルマを借り、そのクルマに乗って品川のホテルにチェックインする。ホテルに入ったあと、1室に集まって翌日の行動について打ち合わせ。その後、高い所が好きな3人は、午前1時から隣のホテルの39階にあるBARに行く。窓際の席では周囲360°の夜景が広がっているが、おっさん3人ではロマンチックな事も何もない。一緒に行ったふたりは、ふだんは不動産(マンション)クライアント担当の営業なので、東京の夜の街にそびえる高層ビル群を指差しながら、近年供給された高層マンション物件の名前を次々に言い当てる。39階でありながら、さほど自分の目線の高さを感じなかったのだが、それは関西に比べて全体的に高層ビル群が高さがあり、かつ密集しているからなんだろうな、などと思いながらビールとウィスキーをたて続けに飲んで、午前2時閉店の蛍の光に追い立てられるようにしてこの日は解散した。眼下の夜景を眺めつつ、世界はワシのもの。という妄想に酔う。
2004年04月17日
コメント(4)

長年ともにデスクを並べて関西で頑張ってきた同じ部署の後輩Y君が東京に転勤することになり、部の仲間で送別会を開くことになった。Y君はもともと関東(横浜)の人間で、7年前に中途採用で当社の関西支社にやってきた。しかし環境への順応性の高いY君は、あっという間に喋る言葉も関西弁になり、この7年間ですっかり関西人になってしまっていた。そんなY君の関西最後を締めくくるのは、やはりここしかないだろうということで、大阪道頓堀の「くいだおれ」が送別会場となった。同じ部のメンバー6人のほとんどが関西人なのだが、過去に「くいだおれ」に行ったことがある者は、皮肉にも関東人である主賓のY君だけだった。なので、当日は主賓よりも、我々の方が興味深々でワクワクしていた。トレードマークのくいだおれ人形「太朗くん」が入り口に立つ8階建のビルは、1階が食堂、2階が居酒屋、3階が日本料理で、その上の4階~8階がお座敷部屋になっていた。「くいだおれ」のイメージというのは、普通はこの1~2階のネオンがチカチカ光るいかにもチープな食堂か居酒屋のイメージで、その上にお座敷があるとは今回行くまで誰も知らなかった。何度も通ったことのある店の前から、あまり目に付かないが奥に入る通路があり、通路の先にはお座敷フロアに直通の「隠しエレベータ」のようなものがあって、我々もそれに乗り込んで宴会場の部屋へと向かった。通された部屋は、意外にもこじんまりと上品な和室で、6人でちょうど良い広さの、なかなか雰囲気のある個室だった。順番に出される懐石のコース料理は、比較的リーズナブルな料金にしては味も見た目もまぁまぁの内容。しかし普通のコースでは物足りないので、今回はオプションメニューとして「たこやき教室」というのを追加してもらっていた。通常のコースとは別に、ひとり鍋用のセットの上に3個だけ焼けるたこ焼きの鉄板が乗っていて、仲居さんの指導のもとに各自が自分で焼くシステムになっている。一通りコース料理が一段落した頃、「さ、そろそろ始めましょか」と、仲居さんが赤いハッピとカラオケマシンのようなものを持って部屋に戻って来た。鉄板の下に火をつけ、しばらくすると「はいそれじゃ、まずダシ汁を溶いて鉄板に流し込んでください~」と仲居さんの指導でたこやき教室の部が始まる。タコやその他の具材を次々に投入した後、仲居さんは我々にハッピを着るように命じ、突然「たこやき音頭」なる音楽を大音量で流し始めた。♪タコヤキ、タコヤキ、タコヤキ音頭~という唄に合わせて今度は振り付けの指導が始まり、全員立ち上がって身振り手振りでタコヤキ音頭を踊らされる。「♪タコヤキ、タコヤキ、はい右手が前、左手後ろ~、はいクルクル廻って~!」と、終始中居さんのペースで大の男六人がタコヤキ音頭を夢中で踊る、踊る。汗をカキカキ踊って、ようやく唄が終ると、お!タコヤキがいい感じに焼けているではないか。そうか、そういうことだったのか。この踊りの時間というのがちょうどタコヤキが焼き上がる時間で、その前に焦っていじくり回したりすると生焼けでグジョグジョになったりするのだろう。そんなわけで、馬鹿馬鹿しくも楽しく、Y君の関西最後の宴は「たこやき音頭」とともに過ぎていったのであった。ちなみに、「たこやき音頭」を聴いてみたい方はこちらからどうぞ。ちょっとハマリます。なんなら、一度「くいだおれ」に行って体験してみるのもよろしいかと。
2004年04月15日
コメント(7)

さっき思い出したのだが、この前の週末は、家族に「焼きうどん」を作ったのだった。なぜかというと、先日イベントの仕事で“山ごもり”と称して仕事先のホテルに滞在していた時に、そこのホテルの中にあるBARで頼んだ焼きうどんが感動的に美味しかったので、家でもその味をなんとか再現してみたくなったのだ。しかし、考えると「焼きうどん」というのは不憫な食べ物である。例えば「焼きソバ」には、ややジャンクな雰囲気はあるけれども庶民のB級グルメの王道、といった確固たる存在感と不動のポジションがある。一方、長崎の「皿うどん」なんかは、それはそれで、ある種ノスタルジックな情緒漂うパリパリ麺が、独自の世界観を築いていて根強いファンも多いはずだ。ところが「焼きうどん」の影の薄さはどうだ。例えば、誰かが「いやぁ、今日の昼飯は焼きうどんでも食べにいこうかぁ」なんて言うのを聞いたことがあるだろうか。朝、出勤前の家庭で「あなた、今夜は焼きうどんにしますからね」なんて会話が、果たしてあるだろうか。そこらあたりのところを、焼きうどん業界の方々はどう認識しておるのか!焼きうどんの立場は、このままでいいんですか!え!どうなんですか!はぁはぁはぁ。なんてつい必要以上に興奮してしまったが、ともかくそのホテルのBARで食べた焼きうどんは旨かった。ただ、ソース味ではない和風の味付けだったことは覚えているのだが、正確な作り方はわからない。で、ネットであれこれ検索してレシピを探してみたのだが、どうもあの焼きうどんが再現できそうなものがなかったので、結局、エイヤで作ってみた。写真は実物ではなくて参考なのだが、具材は基本的にココのを真似てみた。これに想像で、「寄せ鍋用の濃縮かつをだし」+「オイスターソース」+「ごま油」を加えて炒めてみたら、なんと、あの焼きうどんにそっくりの味になった。激うまでした。ワシって天才かも。
2004年04月13日
コメント(15)

気がついたら、病院のベッドの上だった。腕には点滴注射が刺さったままだ。そういえば、交通事故に遭ったのだ。病室にはワタシの他に誰もいない。廊下に出てみるが、まるで人の気配がない。大声で呼んでみるが、反応がない。病院の中だけではない。病院の外に出てみるが、街には人影すら見当たらない。。。そんな感じで始まる、ダニー・ボイル監督の『28 DAYS LATER』(邦題:28日後)をDVDで見た。もともと映画館で公開中に観に行こうと思っていて行けなかった作品で、ようやくレンタルビデオ屋に登場したので急いで借りてきたのだ。実のところ、ストーリーはあまり気にしていなかった。一番見たかったのは、早朝のロンドンで交通封鎖をして無人と化した街の風景シーンだったのだが、やはりこれはなかなか圧巻だった。日常の都会の景色に「誰もいない」という、ありえない情景を、デジタルカメラによるザラついた映像で見せる手法は、シュールである反面、なんだか妙にリアリティーがあって良かった。主人公が虚空に向かって何度となく繰り返し叫ぶ「HELLO!」の言葉が胸に響いた。うーむ、これはなかなかアートしてるなぁと思っていると、突然、ウィルスに感染しゾンビとなった市民があちこちから現れて襲いかかってくる。これがまた変な早回しのギコちない動き、かつすんごいスピードで迫ってくるので、ちと怖すぎる。かと思えば、作品中盤からはガラっと趣が変わり、エンターテイメント溢れるドキドキ感で、純粋に娯楽映画として楽しませてくれる。全体的に閉塞感の漂う作品だけに、「希望」に向かうラストシーンでは爽快感すら覚える。BGMもお洒落に格好良く、ストーリー的には予想していない展開だったものの、最後まで期待を裏切らない秀作でした。 見終わったあと、深夜の寝静まった誰もいない街をビデオ屋まで歩きながら、思わず「HELLO...」と呟いてみる。公式Webサイトはコチラ。いろんなシーンのストリーミング映像が観られて楽しいです。
2004年04月12日
コメント(7)

ムスメに自転車を買ってやった。「幼稚園に入ったら」と、以前から約束していたからだ。自転車を買うまでは、ムスメは毎日愛用の三輪車に乗っていた。センスの良い義父母が買ってくれたエンジ色の三輪車は外国製で、デザインはとてもクラシカルでお洒落なのだが、全身鉄製のそいつは車輪が廻るたびに「ギィコ、ギィコ」と鈍く重厚な音を立て、幼児が乗るにはさぞや重かろうと思っていたのだが、ムスメはそれをものともせず、毎日ものすごいスピードでペダルを漕ぎまくっていた。しかし最近になって、さすがに伝動効率の悪さに不満を覚えはじめたムスメは、近所の大きな子供たちがスイスイと自転車で走り去るのを見ては「自分も自転車が欲しい」と要求するようになったのだ。「どうしてもこれがいい」という本人の希望により『無印良品』で購入したその白い自転車にまたがり、さっそくムスメは自宅まで帰る道のりを脇目も振らずにペダルを漕いでいる。結構器用に乗るもんだなぁとその姿を眺めながら、ふと自分の子供時代の自転車のことを思い出した。記憶にある中で自転車に乗った最初の想い出は、幼稚園の年少の頃だ。ワタシは3人兄弟の真ん中で、上に3歳違いの兄がいた(今もいるけど)。ワタシが幼稚園の年少当時すでに小学生だった兄は、これまた近所のお兄さんから譲り受けた、小学生にはかなり大きめの自転車に乗っていた。ある日ワタシは何を思ったのか、兄にも大きいその自転車に勝手に乗り、「乗る」というよりも万歳の格好でハンドルにしがみつくようにして、足はなんとかペダルを回しながら、ひとりで勝手に家を出た。家の前の路地を50mほど走り、車の往来の激しい通りに出た。30年以上前のその通りの両サイドにはフタのない下水路が流れていた。転倒ギリギリのバランスで蛇行運転をしていたワタシの自転車は、通りをさらに100mほど走ったところでついにバランスを崩し、ワタシは自転車もろとも深さ1mほどの下水路の中に落ちて行った。水量は大したことはなかったのだが、転落したショックと自分の上にある自転車の重みで身動きがとれない。途方に暮れて泣いていると、幸いにも通りに面した米屋の親父がたまたま転落の瞬間を見ていて、ワタシと自転車を引っ張りあげてくれたのであった。その後、小学生になって初めて親に買ってもらった自分の自転車は、なぜかピンク色だった。とても気に入っていたのだが全速力で走っている最中に突然ハンドルがスッポ抜けて、顔から地面に叩きつけられたのを覚えている。小学校の高学年の時には、変速機のついた自転車を買ってもらった。当時は日本海に面した町に住んでいて、砂浜に靴を脱いで裸足でテトラポッドに登って遊んでいたのだが、夕方帰ろうと思ったときには満潮で靴のあった場所はすでに海になっており、ワタシの靴は海の藻屑と消えていた。仕方なく、裸足でペダルを漕ぎながら家に帰った記憶がある。その後、中学、高校とさらに2台ほど壊れたり盗られたりしながら乗り継いできたが、やはり幼い時ほど自転車との関係が濃厚だったように思う。ロクでもない出来事ばかりだったような気がするが、あとになってみればどれも懐かしい想い出ばかりである。 だから、そのマイ・ファースト自転車、大事にしてくれぃ、ムスメよ。「モノにも、想い出」なのだよ。
2004年04月11日
コメント(6)

今日はムスメの幼稚園の入園式だったので、午前中会社を半休した。ムスメは今日も朝からノリノリで、初めての制服姿に着替えさせようとするのだが白いブラウスの下はいつまでもパンツ1丁で走り回っていて、妻に叱られている。どうにか着替えも終わって出かける時間になり、マンションのドアを空けた瞬間に全力で外の廊下を走っていったムスメは、勢い余ってマンションの壁に激突し、いきなり出発前から頬っぺたを切っていたよ。とほほ。ムスメの通う幼稚園は、この春に新設・移転したばかりの真新しい園舎で、何もかもがピカピカかつ最新の設備で羨ましいかぎり。人生やりなおしたくなる。その真新しいホールで、入園式がはじまる。新入園児が座るスペースはホールの前の方、保護者は後ろの方、と別々に別れて座るようになっているので一旦着席してしまうとお互いの様子が見えないのだが、保護者席がすでに満席になっていたので、我々夫婦はサイドの通路の壁際に立って見る。ムスメは意外にも、背筋を伸ばして小さな子供イスにキチンと座っている。えらいぞ。式は、はじまりの挨拶、国歌斉唱、園長先生の挨拶、在園児の挨拶、みんなの歌、おわりの挨拶、という感じで粛々と進行し、20分足らずで終了。その後、園児と保護者はそれぞれの教室(ムスメは「コアラ組」)に行き、担任の先生から通園の持ち物や諸注意などの説明を聞き、解散となった。 父親と言うものは、あまり深く考えていなくとも子は確実に育っていくものであるなぁと生活感の希薄な自分に感心しつつ(反省なんかしない)、ムスメの後姿をしみじみ眺めながら責任は感じながらも一生モラトリアム気分なワタシであった。
2004年04月09日
コメント(9)

山ごもりも、今日で5日目に入った。しかし山ごりと言っても、実際はとある仕事で某所に缶詰になっているだけのことである。ここでの生活は体力的にはきつい面もあるが、プロジェクトの成功に向けての明快な目的意識を持った仲間だけで構成される場なので、会社への帰属意識もまったく思い出すこともなく、結構すがすがしい気分だったりする。本日、ワタシの会社では新年度の辞令発令の日である。先日すでに上司から内示を言い渡されていて、ワタシはこの4月から管理職に昇格するとのことだ。しかしながら、このように山ごもり中の身なので、本日の発令を直接言い渡されることはない。さらに言えば、ワタシはこの山ごもりが終わったあとも、もう会社には戻らないことを心に決めたので、ワタシの管理職としての辞令は、受け取り手不在のまま滑稽にも宙に舞うことになる。家族にはまだキチンと話していないのだが、来月この国を発つフライトのチケットが今日手元に届く予定だ。本日、すべてが許される。
2004年04月01日
コメント(10)
全16件 (16件中 1-16件目)
1