2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全10件 (10件中 1-10件目)
1

出産に立ち会っていて、ふと「この状況は何かに似てるなぁ」と思ったのだが、それはたぶん「初めて訪れる海外の空港の到着ロビー」の光景である。そこから先の世界を生きていくための知識も、言葉も、何も持たずにやってくる赤ん坊は、これから未知のゲートの外に最初の一歩を踏み出す無防備な旅行者である。我々大人は、まだ見ぬ相手がゲートの奥からやがて出て来ることだけは知っていて、案内のプラカードを持って待っている現地ガイドのようなものである。ゲートの外は、経験のない旅行者にとっては潜在的な刺激に満ちた世界なのだが、現地ガイドとの相性や腕前如何で、旅は楽しくもなりつまらなくもなったりする。ともかく、現れた旅行者は幸か不幸か「心斎橋ツーリスト」のお客である。さて、どこへご案内しようかねぇ。
2006年06月21日
コメント(6)

前日、2時間ほどしか寝ていなかったので、グッタリ疲れてさぁ今夜は寝るぞ、と床についた直後の午前1時過ぎ、突然妻に陣痛の予兆が来る。痛みはまだ弱いが時間を計ってみるとすでに10分間隔である。予定日より4日前であるが、お腹はもうパンパンで体力的にも限界近かったので、ついに来たかという感じ。産院に電話をすると、「とりあえず、すぐに来て下さい」とのことなので急いで身支度をする。とりあえず熟睡しているムスメはやむなく家に置いたまま、車で5分の産院に向かう。同時に、真夜中ではあるが義父母に連絡をとり、クルマで来てもらって、我々のいない間ムスメの様子を見ておいてもらうようお願いする。午前2時に産院に着くと、寝ぼけマナコの助産婦さんが出てきて「今夜はわたしひとりなんだけど。とりあえず先生呼びます」などと不安気な声で言うのでこちらもやや不安になる。とりあえず分娩室に入り、妻はとりあえず分娩台に乗せられ、なかなか医師が現れぬまま、なんだか本日は全面的にとりあえず型の進行で、こんなことで良いのかとさらに不安になる。助産婦さんは、見ていてなんとなく危なっかっしい手つきで、物を落っことしたり、点滴のセッティングにやたら手間取ったり、さっき置いたモノの場所がわからなくなったりしているくせに「あれ?あれ?うふふふふ」などと笑って誤魔化す傾向があり、「大丈夫かいな」と、ますます不安が高まる。そうこうしているうちにおもむろに先生が現れ、見てもらうと「結構早いかもしれません、朝までかかりませんよ」とのことであった。そのうち陣痛は5分間隔、3分間隔と、短くそして痛みも激しくなり、立会い出産の現場は徐々に修羅場と化してくる。最初の対応は何だかぎこちなく思えた助産婦さんも、さすがに出産本番になると的確なアドバイスで妊婦をエスコートしてゆく。子宮口全開大、頭が少し見えてきた、などと言われるが、そこからがしばらく一進一退のこう着状態で、なかなかシンドイ時間帯が続く。それでも、到着からキッカリ2時間後の午前4時、ついに第二子誕生。今回は最後まで性別を聞いていなかったのだが、助産婦さんの言葉を待っていると、「どっちかなー、あー、女の子ですね」と。またしても、ムスメ!やった。モテモテである。前回、上のムスメの時は、立会いもしていなかったし、なかなか待合室に知らせに来てくれなかったので、いつの間にどうやって産まれたのかもよくわからなかったのだが、今回は立会い出産なのでもう目の前で手に取るように進行がわかって、なるほどこういうことかと非常に勉強になる。最後は、手渡されたハサミで、ぶよぶよしたへその緒をチョキンと切っておしまい。あとは、出てきた子供をささっと簡単に拭いただけで、まだ全体的にガビガビと白っぽく汚れたまま、はいよ、と子供を手渡されてすぐに母子一緒になり、なんだかあっけないほど普通に自然な感じである。生まれてすぐ無菌室に入り、完全に外界と遮断されていた前回とは大違いである。最近は逆にこういうのが主流なんだろうか。ま、こっちのが良いのだけど。いやぁ全然実感ないのだが、そういうわけで二児の父である。プロフィールも書き換えなきゃ。ますます女系家族の勢力拡大の中で、おとーさんはひとり強く生きなければいけないのであった。
2006年06月20日
コメント(26)

またまた日帰りの東京出張で、飛行機での往復。しかし最近ちょっと疲れているせいか、離陸前に滑走路を助走しているあたりですでに爆睡してしまい、離陸の瞬間も意識が無いまま、気が付くといつの間にか空の上、というケースが多い。この日も、帰りの便で離陸直前に気を失い、上空で目が覚めた。目が覚めたのは良いのだが、ふと気付くと隣の席のおっさんの顔がワタシの顔のすぐ真横まで異様に接近してきていて、「やばい、このままチューされてしまうのか」と戦慄が走ったが実はそうではなくて、おっさんの視線の先は、窓際に座るワタシの横の窓から必死で外の景色を観ようとしているのであった。おっさんがそうまで身を乗り出して一体何を観ようとしているのかと思えば、窓の外に見えるのはやや曇天に霞む富士山の姿であった。アンタ子供かいな?と心の中でおっさんを揶揄しつつ、こちらも密かにデジカメを取り出すのであった。ワシは子供だからな。
2006年06月16日
コメント(8)

過日、仕事の合間を縫って夕方からちょっとオフィスを抜け出し、知人のライブを観に行ってきた。知人というのは、ワタシの日記にも時々出てくる、大阪梅田の裏通り「曽根崎デッドエンドストリート」にあるバー「ナチュラリー」のMさんである。以前、お店に寄ったとき既に前売チケットを買っていたので、この日は仕事が忙しくとも「モトを取らなきゃ」と思って出かけたのであった。会場は十三にあるライブハウス『ファンダンゴ』で、ここを訪れるのは、昔バンド仲間と一緒に来たとき以来十何年ぶりである。十三の駅で降りるのも数年ぶりだったが、飲食店や風俗店がひしめく猥雑な魅力と活気に満ちた街の中をすり抜け、開演時間ギリギリに店に到着して中に入ると、オールスタンディングの店内は既にほぼ満員で、熱気ムンムンであった。ステージは、昔見た時よりも随分小さくなったような印象だったのだが、長年の間に改装でもしたのだろうか。この日の出演は、Mさんのバンド「Less Than Zero」を含めて総勢6バンド共演というステージで、そのいずれもがこの「曽根崎デッドエンドストリート」に軒を連ねる店の関係者で構成されていた。Mさんのバンドは「次は、永遠のボクちゃんたちです」という紹介とともに、2番手で登場した。バンドは打ち込みドラムに、ボーカル&ギターのMさん、轟音ノイズギターが持ち味というS氏、あとワークブーツにオムツ姿のベーシスト、という3ピース編成であった。演奏は、打ち込みドラムにS氏の轟音ギシギシ系ギターとオムツ氏の弾むベースラインが絡み、そこへMさんの意外にエッジの効いたボイスと一瞬意味不明の歌詞が漂う、という構成で、全体的になかなか良いニューウェーブなドライブ感があって、思わずこちらも熱くなる。トレードマークのメガネを外したMさんはなかなか鋭いオトコマエなのだが、曲に合わせて時おり鳥のように手をパタパタさせながら白目を剥いて宙を睨みつけたかと思うと、喉の血管を浮き立たせてのけぞりながら痙攣性の動きで激しくシャウトする姿は、ほんま、シュールな気迫がみなぎっていて、あーなかなかこれはいいぞいいぞと滅法楽しくなってきた。中でも「海に砂を流し込む」という曲が詞的にも印象的であった。その次のツインベースのギャルバン「すっぽんぽん’ズ」も、これまた80年代的カルトがかったへたうまシュールなスタイルで非常に面白かったのだが、残念ながら時間がなかったので、すべてのバンドを見ることはできず途中で会場を後にした。久々のライブハウスの匂いに、ワシの胸はうずうず疼いていた。
2006年06月14日
コメント(6)

昨日の朝起きた時から、なんだか瞼の裏がゴロゴロする感じがして、おまけに目の中全体が妙に痒いのである。しかも目がショボショボしてうまく開かないので鏡で見ると、目の周りが目やにでいっぱいである。うへー、なんだこれはと思いつつ、顔と目を思いっ切りゴシゴシ洗うと多少スッキリしたのでいつもどおりコンタクトを入れたのだが、やはりどうも違和感がある。それでも昨日はプレゼンだったので、多少緊張感もあってそのまま目のことは気にせずなんとか一日過ごしたのだが、夜、家に帰ると再び思い出したように目の中がゴロゴロかゆかゆで不快極まりない。そういえば会社の同僚が先日「結膜炎になってしまって」と言いながら赤い眼をしていたので冗談で「近寄るなよ」と言っていたのを思い出しながら、もう一度鏡の前に立って目の中をあっちこっち見てみると、瞼の裏側を引っくり返したあたりにどうも小さな水泡のようなものができているようで、これがゴロゴロ感の原因のようである。これは一体なんだ?と気になり、ネットであれこれ調べているうちに、だんだん不安になってきた。どうも症状として一番近そうなのが、コンタクトレンズの汚れによるアレルギーが原因で引き起こされる「巨大乳頭結膜炎」という病気で、まさに瞼の裏側に無数の水泡がぶつぶつとできてとてつもなく痒く、治療にはかなり時間がかかるというものである。その中のひとつで紹介されている写真を見て一気に恐ろしくなった。さらに関連ページをいくつか調べると、「ただちにコンタクトの使用を廃止せよ」とか書いてあるので、「ひえーまずいなぁ、メガネも作りにいかなきゃぁ」とかいろいろ考えながらも、でももしかするとひと晩寝りゃあ治ってたりしてなんて思っていたのだが、今朝になってもやっぱり目はショボショボで中は痛くて痒くてグリグリするのである。さすがにこれはヤバイと思い、午前中、会社の近くの眼科に行って診てもらってきた。飛び込みで入った病院だったが思った以上に念入りに調べてくれて、診断の結果は意外にもぜんぜん大したことがなく、「確かに目の内側に少し何かできているけど、過労と目の疲れによる一時的なものでしょう。コンタクトもワンディタイプの使い捨てならそのままでOK」ということで、目薬を2種類貰っただけで帰ってきた。目の不快感は依然続いているのだが、ともあれ一安心である。ワタシの病気心配性とそれに伴う徹底研究癖は子供の頃からで、かつて小学校6年生の頃、ある日自分の珍々の付け根あたりに何やら赤い腫れ物があることに気付いたワタシは、子供心に「これはひょっとすると何かトンでもない病気にかかってしまったのかもしれない」と焦り、自宅にあった「家庭の医学」やら「平凡社大百科事典」なんかを本棚から引っ張り出しては親に内緒で調べまくり、ついに性病関連のページで「梅毒患者の患部」のえげつない写真を発見した瞬間、「どひゃー!ボクはきっとコレに違いないあぁもうダメだ死んでしまう」などと、エッチをしたこともないくせにひとり勝手に気が狂いそうになったりしていたものであった。(もちろん、その腫れは蚊にでも刺されたか何か程度のことであった)しかし、心配性の副産物も少しはあって、こういうヤバそうな病気などに関して、お蔭でワタシは結構物知りだったりするので、時々、何気なく病気の相談をしてくる友人たちに余計な知識をひけらかして恐怖のどん底に陥れるのは昔から得意なのである。
2006年06月13日
コメント(14)

ワタシは性格的に、一度無理だと判断したことにはあまり固執して食い下がったり、また、出来なかったことをクヨクヨ後悔したりすることもなく、どちらかというと諦めと切り替えが早い方である。これまでの人生においても、自分の力ではもはやどうすることもできないような状況に追い込まれた場合など、ただなすすべもなく立ち尽くしている自分をどこか客観的に眺めながら、むしろその状況を必然なのだと肯定的に捉えて楽しんでいる自分がいたりする。しかし、時にカラダが言うことを聞かないケースがある。特に、日々の生活の中で「予定していた時間に間に合わなくなる」というのはよくあることだが、そんなときワタシの頭の片隅では「まぁいいや、間に合わなくても別に死ぬわけじゃないし」なんて極端なことを思いつつも、自分の意思とは裏腹に、つい脚が悪あがきをして走り出してしまうのである。これは、なまじ高校で陸上をやっていた体質が幸か不幸かいまだに根強く残っており、40目前の現在でも、常に「走ればなんとかなる」と、カラダがつい反応してしまうのである。この日もそうだった。東京出張中のこの日は、うちの会社も出資している某ダイレクト・マーケティング系の会社が主催するセミナーに参加していて、終日会場に缶詰めであった。セミナーが終了したのが午後17時半。有楽町にいたのだが、19時発の飛行機で大阪に戻るために羽田に向かおうと、途中、預けていた荷物を取りにホテルに寄ったりしていたら、東銀座の駅に着くともう18時前になっていた。出発20分前までには空港の自動発券機でチェックインしなければいけないので、正味あと40分しかない。急いで切符を買って羽田行きのホームに入ると、あちゃー!タイミングの悪いことに、ちょうど羽田空港行きの急行が今まさに走り去っていくところであった。携帯で乗り換え検索をすると、次の電車に乗れば到着は18時30分。締め切り10分前には羽田に着くことが判明し、ひと安心。ところが次の電車に乗り、余裕をかましてiPodをフンガフンガ聴きながら本を読んでいたら、ふと気づくと乗り換え駅である泉岳寺を通過しているではないか。マイガー!慌てて次の駅で飛び降り、反対側のホームからもう一度泉岳寺まで戻る。再び携帯で乗り換え検索した結果、次の電車に乗ると到着が18時41分とのことである。ま、間に合わん。うーん、なんとかならんのかと思って携帯で航空会社の予約サイトを確認すると、携帯から自動チェックインができることが判明。ラッキー!ただし、それでも出発15分前の18時45分までには出発ロビーの自動チェックイン機で搭乗券の受け取りを完了しなければいけない。41分に地下2階のホームに到着して、45分までの4分間で空港の地上2階出発ロビーまで行けるのか?ま、ダメもとで、行くだけ行ってみるか(無理なら戻って新幹線だな)と、次の電車でとにかく羽田に向かう。日中の気温の高さに加え、夕方のラッシュで車内は異常に蒸し暑く、スーツの中では背中の汗が不快に流れる。この日は荷物が多く、リモワのトロリーに資料やらPCがぎっしり詰まっていて、混雑する車内で居場所の確保にも一苦労である。そうして苦痛に耐えているうちに、電車は18時41分を少し過ぎて羽田空港駅に到着。ドアが開くと同時に、ワタシは無意識のうちにリモワを引っ張りながら、正月恒例・大阪今宮戎の「福男」獲得ダッシュの勢いで走り出していた。ホームから改札への昇りエスカレーターを全力で駆け上がり、改札を抜けると、すぐそこに電車客が早めに使える自動チェックイン機が並んでいる。時計を見ると、43分。間に合った、と思って決済をしようとすると、画面に「この端末での取扱時間は過ぎています」という表示が!なにィ、やはり出発ロビーの端末じゃないと最終手続きはできないようなのである。再びそこから出発ロビーへと続く長い長いエスカレーターを、重い重いリモワを抱えたまま全力疾走で駆け上がり、ロビーの一番近くにあるチェックイン機にしがみ付く。決済処理。画面を見る。「お取り扱い時間を過ぎています。次の便の予約はカウンターで(実は既に満席)」と、無情の表示。ガーーーン。時計を見ると、既に47分であった。無駄だった。死亡。汗だくのままその場にガックリへたり込もうとしていると、すぐ横に航空会社の若い男性係員が立っていた。まぁこの彼に言ってもなぁと思いながらも、一応声だけかけてみるかと「19時の便、今からなんとかなりませんか」と彼の腕をつかむと、彼は一瞬ギョッとした表情でワタシのキャッシュカードを受取り、パーテーションの横から端末の裏側に回った。30秒後、若い男性係員はなんと搭乗券を手に持って姿を現し、「62番搭乗口、急いでください!」と叫んだ。え、まじ?エライ!素晴らしい!キミもやればできるじゃないか。誰かは知らないけど、上司に報告しとくよ。一転、ルンルン気分で手荷物検査を通過し、ワタシは大阪行き62番ゲートへ向かう。機体が滑走路を飛び立った頃には、下界はすっかり東京の夜景になっていたのだが、しばらくして雲の上に出ると、空の彼方にはまだかすかに夕日が輝き、眼下の雲海を照らしていた。それをぼんやり眺めながら「ちっ、またひとつ、走ればなんとかなるという実績が増えてしまったぜ」と、今日いちばんの一仕事を終えた余韻にひとり浸るのであった。
2006年06月06日
コメント(10)

泊まりで東京出張だったので、夜、写真家のKさんと中目黒で落ち合う。待ち合わせ時間ちょうどに駅の改札を出ると、Kさんから電話で「駅前にあるパチンコ屋の前で待て」との指令が来たので、パチンコ店でフィーバー中かと思って少し待っていると、フェイントで全然関係ない方面から「やあやあ」と長身のKさんはいつものように片手を上げながらふらりと現れたのであった。Kさんに連れられて入ったのは、中目黒の駅前から徒歩1分のところにある穴場的焼き鳥屋さんであった。ここはKさん自身もヒトに聞いて初めて来たそうで、焼き鳥以外にも一品ものが充実しているとのことだったが、いきなり付き出しの胡麻豆腐が絶品でKさんも思わず「なんだこりゃぁ」と声を漏らしていた。おまかせの焼き鳥もハズレがなく、加茂茄子の田楽なんかも非常に美味で、Kさん再び「なんですかなんですか、この味噌わぁ」と驚嘆していたのであった。最後にいただいた穴子の炊き込みご飯がこれまたレベルが高く、庶民的なロケーションと良心的な価格に対して結構バリューの高い名店であった。ぜひまた訪れたい。一軒目を出て目黒川沿いの暗い小路をテクテク歩くと、白熱灯の仄かな明かりが漏れるいい感じのオープンカフェやらテラス風の小ぢんまりしたレストランやらが川沿いの通りに面して軒を連ねていて、なかなか風情のある景観である。中目黒の街というのは初めて来たが、こうして夜にぶらぶらするのにはなかなか良い雰囲気で、すっかり気に入った。再びKさんの案内で、そのうちの一軒のカフェに入る。通りから一段上がった店内のフロアはちょうど川を見下ろせる位置にあり、間口は全面的に開放されていて、夜風が心地よい。ソファに腰を下ろして浮遊感漂うモグワイなどの店内BGMに耳を傾けつつ、あまりカフェには似つかわしくないような壁一面を覆う巨大な本棚に目をやると、澁澤龍彦や稲垣足穂 などのような、ちょうどワタシやKさんが学生時代を過ごした京都のアングラ&サブカル的溜まり場を髣髴とさせる書籍群が、これまた演出感抜群に所狭しと並んでいる。お互いの家族や友人知人の近況から、「言葉と地域」「収集癖と所有欲」「Web2.0時代の写真の在り方」といったテーマにまで話題は乱れ飛び、なんとなく会話の内容まで学生時代のような気分で妙に楽しかった。中目黒のあの辺りには、なんだか少し不思議な空気がある。
2006年06月05日
コメント(5)

自称チョコレートジャンキーのワタクシとしたことが、ようやくレンタルDVDが旧作対応になった今ごろになって、『チャーリーとチョコレート工場』を観たですよ。そしてムスメと並んで観ながら、座っていたソファをばんばん叩いて大後悔したですよ。なんで、どうして、これを、劇場の大スクリーンで観なかったのか、と。 もう最高。 大好き。 素晴らしい。 観て良かった。以前からいろんなところでいろんなヒトに公言している通り、ワタシはこの映画のように、制作者の妄想によって創りあげられた“独自のワールド”の中で、制作者の“自分勝手なルール”に従って、どこか“異常なキャラクター”たちが、“現実離れした舞台装置”の上で、“馬鹿馬鹿しくもうすら悲しい妄想世界”の住人として、まるで見えざる“神の手によって導かれる予定調和的な展開”をまっとうする、といったいかにも荒唐無稽なお伽噺のような作品が、もう愛おしくて仕方ないのである。例えて言えば、「ツインピークス」然り、「不思議惑星キンザザ」然り、「テレタビーズ」然り。さて、知っているヒトは知っていることだが、ワタシが自称チョコレートジャンキーなのにはもちろんワケがあって、チョコレートの原料であるカカオには「テオブロミン」という心臓血管や中枢神経に作用するリラックス成分が多く含まれている一方、逆に、ご存知「カフェイン」という脳神経の興奮を高める成分も含まれており、それらを摂取した結果として、脳内に「フェニルエチルアミン」という麻薬とほぼ同様の快感物質が生成されるのである。これは恋愛時の昂揚感として分泌される成分としても有名である。ゆえにチョコレートには緩やかではあるがれっきとした依存性・常習性があり、かくしてワタシは毎日密かにチョコレートを摂取しているのである。※ちなみに「イヌにチョコレートを与えてはいけない」というのはイヌの飼い主なら聞いたことがあると思うが、イヌはこの「テオブロミン」に対する耐性がなく急性中毒を起こしてしまうのである。てなわけで、この『チャーリーとチョコレート工場』だが、表向きは家族愛をテーマにした心温まるストーリーという仕立てになっているのであるが、はっきり言って主人公のチャーリーなんてそっちのけである。かなり意図的にぶっ飛んだ色彩感覚や、遠近感を狂わせるスケール感覚、そして唐突に楽しすぎる音楽展開などからして、実のところは一連のディズニー関連やビートルズ関連などの映像へのオマージュとして、チョコレートをモチーフにした新しい「アシッドムービー」として制作されているであろうことは想像に難くない。うーん、チョコおかわり。
2006年06月04日
コメント(10)

以下、英国出身の世界的人気ロック・バンド、ローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズさん(62)に関する一連の報道を、原文に忠実に抜粋。2006.05.04 『ストーンズのキースさん、ヤシの木から落ち脳手術』ニュージーランドの病院で脳内出血の手術が行われた模様。リチャーズさんは、4月27日、休暇先のフィジーで、ヤシの木に登ってから落ち、頭を打って病院に運ばれていた。2006.05.10 『キースさん、演奏復帰は絶望?…英大衆紙報道』容体が改善せず、医師らは家族に「演奏活動復帰は絶望的である可能性が高い」と宣告している。リチャーズさんは9日、ニュージーランドの病院で2度目の脳手術を受けたが、脳出血が止まらず、回復したとしても脳の損傷や体の麻痺が残るのは避けられない状態だという。 2006.05.10 『Rストーンズのキース・リチャーズさんが退院』手術を受けたニュージーランド・オークランド市内の病院から退院した。当面は市内に滞在し、治療を続けるという。2006.06.03 『キース・リチャーズさんけが完治、7月から公演再開』頭の負傷が完治し、7月から欧州でのコンサートを開始すると発表した。 リチャーズさんは「さあエンジン全開だ」との声明を発表している。なんじゃそれは。◎関連ニュースネタ元
2006年06月03日
コメント(2)

子供の頃、なぜか透明っぽいぷるぷるしたゼリー状の食べ物が好きだった。ゼリーはもとより、わらびもち、トコロテン、水羊羹、ういろう、などなど。小学生の頃は、時折自分で寒天やゼラチンを煮詰めてオリジナルのデザートを作ったりもしていた。しかしさすがに小学生男子による自作のゼリーなどの出来ばえは概ねいつも家族に不評で、仕方なくイヌにやっても「ぺっぺ」と吐き出して食わないことが多かったため、そのうち自分で作ることもなくなった。大人になって、さすがにそういったデザート(いま風に言うなら「スイーツ」)を食べることもめったになくなったが、いまでも時々食べるのがわらびもちである。スーパーで売っているものや、町の和菓子屋で売っているのも良いのだが、今まで試した中での最高峰は、京都の『文の助茶屋』のわらびもちである。ここのわらびもちは、一切れが大ぶりな上に本当にぷるんぷるんで、おまけに余計な雑味がいっさい感じられない上品な味である。文の助茶屋の本店は八坂神社の裏手にある「八坂の塔」に向かう坂道を登ったところにあり、店先にちょっとした庭のあるいい感じの店構えで、観光客も多い。先日行ったときは、やはり王道としてのオーソドックスなきな粉のわらびもちを注文したのだが何か物足りず、さらにコーンフレークの上に抹茶とバニラのアイスクリーム、小豆と白玉、そして抹茶のわらびもちなど乗ったパフェのようなものを注文してみたら、これがなかなか美味しかった。またひとつ京都に行く理由が増えた。
2006年06月01日
コメント(16)
全10件 (10件中 1-10件目)
1
![]()

![]()