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シリアルといっても、コーンフレークの話ではない。いわゆる「連続殺人犯」のことである。ドキュメンタリーフィルム『シリアル・キラー アイリーン』の主人公であるアイリーン・ウォーノスは、美人女優シャーリーズ・セロンが演じて話題になった映画『モンスター』のモデルであり、実在したアメリカ初の女性連続殺人犯である。最近続けざまにこの2本を観たのだが、『モンスター』の方は、不遇な主人公を取り巻く「愛と裏切りのラブストーリー」という描き方であり、どちらかいうとシャーリーズ・セロンの変貌ぶり(13キロ増量+不細工メイク)での話題が先行した感がある。一方、『シリアル・キラー アイリーン』は、なんたってホンモノである。英BBCなどで活躍し、マイケル・ムーアとも親交があるというドキュメンタリー作家ニック・ブルームフィールドが、アイリーン・ウォーノスの逮捕から死刑執行までを追い、刑務所内での本人への単独インタビューを何度も重ねた渾身のドキュメンタリーなのだ。連続殺人犯本人と直接接触した記録として、彼女の内面に迫るやりとりが非常に興味深い。 そもそもアイリーンのシリアル・キラーとしての発端は、恋人であったティリア・ムーアとの生活を維持するために続けていた売春稼業の末、お客の変態野郎に暴力プレイで殺されかけ、逆に銃で射殺してしまうところから始まるのだが、以下、参考までにアイリーン・ウォーノスの年表である。1956年2月29日 ミシガン州ロチェスターに生まれる。1960年3月 アルコール依存症の母親ダイアンが、アイリーンと兄キースの育児を放棄。2人はダイアンの祖父母に預けられる。祖父からはベルトのバックルで殴られるなど激しい虐待を受ける。1971年3月 14歳で父親不明の男児を出産。子供はすぐに養子に出された。※兄キースと近親相姦の関係あり。1971年7月 家を飛び出し、売春をしながら放浪生活を始める。1974年5月 コロラド州で酒に酔って車から銃を乱射し、逮捕。1976年6月 富豪の老人ルイス・フェルと結婚し、1ヶ月後に離婚。1981年5月 フロリダ州でコンビニ強盗を働き、実刑判決。1年間服役。1984年5月 キーウェストの銀行で偽造小切手を使い、逮捕。1986年1月 デイトナのバーでティリア・ムーア(ゲイの恋人)と出会う。1989年11月30日 リチャード・マロリー殺害を皮切りに、連続殺人を開始。1990年6月1日 フロリダ州シトラス郡で、デヴィッド・スピアーズの死体が発見される。1990年6月6日 フロリダ州パスコ郡で、9発の弾丸を撃ちこまれたチャールズ・カースカダンの死体が発見される。1990年7月4日 フロリダ州オレンジ・スプリングスで、6月7日以来行方不明だったピーター・シムズの車が発見される。目撃者の証言によって、車は2人の女性が乗り捨てていったものと判明。1990年8月4日 トロイ・バーレスの死体が、フロリダ州オカラ国立公園の敷地内で発見される。1990年9月12日 元アラバマ警察署長、ディック・ハインフリースの死体がフロリダ州マリオン郡発見される。1990年11月19日 クロス・シティの森の中で、ウォルター・アントニオの死体が発見される。1991年1月9日 ハーバー・オークスのバー「ラスト・リゾート」で、囮警官により逮捕される。1991年1月16日 自供を開始(正当防衛を主張)。1992年1月 マロリー殺害の罪で、死刑判決が下る。1992年5月 バーレス、ハインフリース、スピアーズ殺害の罪で、死刑判決。1992年11月 カースカダン殺害の罪で、死刑判決。1993年2月アントニオ殺害の罪で、6回目の死刑判決。2002年10月9日 フロリダ州刑務所で薬物注射により死刑を執行される。享年46歳。アイリーンの場合、殺人の動機を「自分の不幸な生い立ちに対する、歪んだ社会への復讐」としており、いわゆる快楽殺人ではない。殺害対象も、自分を買おうとした売春客の男性に限定されている点からみても、思考回路は割と真っ当である。別に彼女の殺人行為を肯定する気はないが、確かに彼女の言うように、世の中の多くのシリアル・キラーたちは、概ね生い立ちが不遇である。あの有名な殺人鬼、チャールズマンソンにしても、売春婦だった母親が事件を起こして刑務所に入ると、引き取り先の叔父からは虐待を受け、少年時代に刑務所に入れられると、同性愛の看守によって性的暴行を受けたりしている。正確なデータは知らないが、幸せな(或いは普通の)家庭環境で育った子供に比べ、幼少期に家庭環境に恵まれなかった少年少女が大人になって犯罪に手を染める確立というのは、きっと格段に高いはずである。まさに不幸の連鎖である。シリアル・キラーを増やさないために我々にできるのは、せいぜい自分の子供を不幸な環境に置かない努力をすることであろう。虐待されて育った子供は、必ずや荒んだオトナになるのだよ。頼むよ、世の親たちよ。で、この『アイリーン』だが、まぁいずれにしても、芸術作品を見るというよりも、殺人犯の取材記録なのであまり観て後味の良いものではない。観るなら『モンスター』までにしといた方が良いと思います。だったら観なきゃいいのに、ということなのだが、なぜかこういうテーマは気になってつい観てしまうんだなぁ。終わりに、彼女の最期の言葉が凄い。「私はキリストと船に乗って旅立ち、再び地上に現れる。……私は必ず戻ってくる」。 (本人画像)
2006年03月31日
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最近、自分のプロフィールの「好きな映画」の項目に、ラース・フォン・トリアー監督、ビョーク主演の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を追加した。この作品は、5年ほど前の劇場公開時に真っ先に観に行ったのだが、見終わった後の精神的衝撃が大きすぎて、しばらく座席から立ち上がれなかったのを覚えている。しかし「凄い映画だ」とは思ったものの、「果たしてこれは好きな作品なのか」と考えると、さすがに悲劇的なストーリーが好きなワタシの中でもどう処理してよいかよくわからなかったのだ。ただ、なんとなくこの映画は「いつかあらためてもう一度観なければいけない」という気がしていて、年月を経て、先日ようやくDVDで観なおしたのである。そしてこの作品は、ワタシのお気に入り映画の中で5本の指に入る傑作であると確信した。ようやくこの映画を冷静に観終えた感想は、ひとこと「あー、良くできてるなぁ」である。この作品の骨格とも言うべき評価ポイントは、細かいことはさて置き、もうこの3点に尽きる。1.救いようもなく転がり落ちる悲惨なストーリー展開と、その流れでしか生きられない主人公を設定したところ。2.過酷な現実世界から、逃避先である空想世界への分離を、ミュージカルの挿入という手法で(しかも違和感なく)表現したところ。3.なんと言っても、この主人公セルマを、ビョークが演じたところ。特に、これなくしてはこの作品はあり得ないと思えるのが、3つめの「ビョークの圧倒的な存在感」である。もはや白痴に近い愚直さで不幸のどん底に突っ走る主人公セルマとしての演技と、要所要所に挿入されるミュージカル場面での奇跡のように幻想的なビョークの歌声が、このひたすら暗い話を、極めてレベルの高いエンターテイメントに引き上げている。一方で、この作品がダメだと言うヒトも結構多いのだが、残念ながらその方々とは趣味を分かち合えないのである。◎世間の評価は、賛否真っ二つ。ただし、「まだもう一回観たいか?」と聞かれると、うーん…あと10年はいいです。
2006年03月30日
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ここだけの話だが、本日はサボリーマンである。今日は珍しく打合せの予定が何もなく、今後はまた当分忙しくなりそうなので、お蔭様で貯まりに貯まっている代休をささやかに消化させてもらったのである。ここのところ肩凝りがあまりにひどいのでこの一週間に2回もマッサージに行ったし、先週末は有馬温泉でリラックスしたはずなのだが、どうも体のダルさがスッキリしない。ということで、本日は有馬温泉よりももっと近場で地元の天然温泉施設に行き、朝からまたもや露天風呂に沈んでいたのである。今日のところは、なぜだか樹木の生い茂る「バリ風露天風呂」だったのだが、空への視界も抜けて広々としたロケーションはなかなかグッドである。ガムラン・ミュージックが欲しいところである。しかし、ムスメを連れて一緒に入っていたのだが、男湯なので、飢えたおっさんたちの野獣のような視線を警戒したり(気にしすぎか)、ムスメが走ったり滑ったり転んだり大声を出したりしないようにと気ばかり使って、モッタイナイことに、なんだかあまりリラックスできなかったのが誠に残念である。次回は絶対ひとりで入ろう。・・・って、最近何かというとやたら温泉ばかり入りたがるワタシは、きっと自分でも知らないうちにオッサン化もしくは老人化もしくはサル化のいずれかが急速に進行しているのであろう。なんだかコワイわ、コワイわ。もきー!
2006年03月29日
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今朝、某クライアント様のご一行が我々のオフィスに訪ねてこられ、先月末のコンペの結果が当社で決まったとの報告を頂戴しました。今年は幸いなことに、これでもう3つめの新規クライアント獲得です。ご提案差し上げた内容については、結果として予想以上に高い評価を頂いたようですが、今回のコンペは、我々は新規参入の立場であったため、既存の代理店数社を外して当社に取り引きを一本化するというわけにもいかないようです。しかし、ひとまず他社との関係は残しつつも、年間の計画の骨格となる主要な案件から当社に発注をいただけるようです。有り難いことです。今回のプレゼンも、私は私で頑張りましたが、当然、私ひとりの力で獲得できたわけでも何でもありません。関係した社内外すべての優秀なスタッフの力なのです。また間接的にはもちろん、生活の支えである家族や、日々何らかの刺激やヒントをもらう友人知人の支えもあります。今回の仕事は、商業施設の年間販促計画なので、当社にとっては喜ばしい安定的収益です。ただしサラリーマンの身なので、個人の収入は何も変わりません。けれど、新しい仕事を通じて何か新鮮な体験をさせていただけることは、それだけでも得がたい醍醐味です。有り難いことです。今日の日記は、いつもとは多少おもむきが違うかもしれませんが、ふざけているわけではありません。今は、たまたま割とうまく仕事も家庭も回っていますが、いつも良いときばかりとは限りません。ちょっとばかり運が良かったからと言って、自分を過大評価して勘違いしたり、思い上がったりしてはいけません。調子に乗って謙虚さを忘れ、周囲への感謝の気持ちを忘れた瞬間に、いつかきっと足元をすくわれると思うのです。そう思うと怖くなります。私のような浅はかな人間こそ、時々はこんな風にわざわざ意識して「お蔭様の気持ち」を噛みしめなければいけないなぁと、今夜、帰宅途中の電車の外を流れる夜景を眺めながら思っていたのです。
2006年03月28日
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週末、ムスメが妻の実家にひとりで「お泊り」をしてきた。ムスメは、妻の実家が大好きなのだ。理由のひとつは、犬がいるからである。あいにく、いま住んでいるマンションはペット不可なので、ムスメは妻の実家に泊まりに行くたびに犬と一緒にベッドで寝たりして大喜びなのである。ワタシもむかし実家で犬を飼っていて、こいつは雑種の捨て犬だったせいか、図体がデカくて飯ばかり食うくせに気のきいた芸のひとつをするでもなく、機嫌が悪いと家族に噛み付いたりして、いつも一家の問題児だったのだが、死んでしまうと寂しいものである。ドッグイヤーなどと言われるように、犬の寿命は短く、どんなに長くても20年。昔と違って2世帯、3世帯で家族が暮らすケースがレアになり老人と同居することも少ない昨今、子供たちにとって老いや死に対する実感が薄れてきているのは間違いない。犬を飼うことで得られる大きな経験は、こうしたヒトの「生き死に」の疑似体験ができることである。特に子供にとって、たまごっちなんかと違って二度と「リセット」が効かない、リアルな生死の体験である。犬も元気なうちは良いが、死に際は哀れなものであり、時として壮絶ですらある。このことをテーマに描いた漫画で、ワタシがかつて読んで感動した名作『犬を飼う/谷口ジロー(著)』というのがある。これは、著者の実体験をベースに、郊外に住むある平凡な夫婦が飼っていた愛犬が、やがて年老いて死ぬまでの、最後の1年間の日々に焦点をあてて描いた作品である。この中には、なんら感動的な美談や誇張された演出はない。元気だった飼い犬がやがて衰え、歩くことも、自力で立つことも困難になり、食事を摂ることも、排泄のコントロールさえもできなくなっていく様を、淡々とした静かな語り口で描いていくだけである。なかでも印象的なのは、弱った愛犬と飼い主が空き地で日なたぼっこをしているシーン。ひとりの老婆が話しかけてくるのだが、「早く死んであげなきゃだめじゃないかね。でもね、死ねないんだよ…なかなかね…死ねないもんだよ。」と、まるで自分を重ねるように話すシーンが胸に響く。そして、愛犬がいよいよ死へと向かう数日間の記録が感動ものである。もはやいつ死んでもおかしくない悲惨極まりない状態になりながらも、もはや本人(犬)の意志とは関係なく、息も絶え絶えでなおも生きようとし続けるむきだしの生命力に、思わず涙がこみ上げる。生きるということ、死ぬということは、こういうことなのだ、ということを最も身近に教えてくれるのが「犬を飼う」ということである、と感じずにいられないのがこの物語なのである。10年以上も前に読んだので、単行本はおそらくもう廃刊になっているが、現在、文庫版で復刊しているようである。犬を飼っているヒトもそうでないヒトも、また、普段マンガなど読まないというヒトにも、これはぜひ一度読んで欲しい名作なのである。
2006年03月27日
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やむを得ない事情により、朝から「くまのプーさん」の誕生日パーティーにご招待されていたので、クルマを飛ばして大阪まで行く。本当はゆっくり寝ていたかったのだが、プーさんがどうしてもパーティーに来てくれというので、無理矢理の参加なのである。会場に着き、周囲を見回すと平均年齢約3歳のおともだちが満杯である。39歳のワタシは完全に浮いているが仕方ないのである。というか我に返ると、結構、ピグレットやティガーたちに乗せられて自分も手拍子でノリノリノだったのである。ところでプーさんの年齢だが、噂によると今年で80歳だそうである。いつまでも幼いなぁと思っていたら、知らない間に認知症にすり替わっているのかもしれない。 しかし正午から、今度は帝国ホテルで別のパーティーに招待されており、主催者から直々に「出席してもらわないと困る」と念押しされたもんだから欠席するわけにいかず、大急ぎで会場を移動する。仕事でもないのに、意味無く分刻みのスケジュールである。ギリギリセーフで会場に滑り込むと、指定の円卓に着席させられる。周囲を見渡すと今度は平均年齢70歳のおエラさん方が満杯である。某大企業の会長さんとか某メディアの社長さんとか市長さんとか代議士さんとか、ここでもワシは完全に場違いなのだが仕方ないのである。 主催者の方は、良かれと思ってワタシを各テーブルに引き回して紹介するのだが、ワタシも紹介されたおエラさま方も「はあ・・・」てな感じでお互いどうして良いかわからず、とてもツライのである。したがって、あとはひたすら自分の席でうつむきながら飲んだり食ったりしているしかないのである。○ントリーの元会長夫人より差し入れの白ワインがたいへん美味しかったので、パーティーが終わるまでじっと我慢の子でひたすらおかわりを35杯ほど飲み続けるのであった。
2006年03月26日
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昼めしを食いに、阪神競馬場の近くにあるラーメン屋に行ってみる。万馬券が当たったので、お祝いにタマゴ2個である。なんちゃって、実は本日は開催日ではないのである。というか、そもそも馬券の買い方も知らないのである。ついでに言うと、パチンコの玉の買い方すら知らないのである。しかしカジノでは一度も負けたことがないのである。一度も勝負したことがないからである。で、万馬券ってどこに売ってるの?
2006年03月25日
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心身ともに疲労が鬱積しつつある今日この頃、先日から国外逃亡を図ったろうと思ってスケジュール帳と航空会社の空き便とをニラメッコしながらあれこれ画策していたのだが、どう考えても今週とか来週の日程では無理があることが判明。そうとなったら自宅から30分で行ける思いきり近場の極楽リゾート、有馬温泉に突撃をかけることにしたのである。今日は平日なのであるが、急遽休みを取って朝から快晴の空の下、愛車をぶっ飛ばして六甲山を越えて裏側の有馬に向かったのであった。はっきり言って、年に2~3回来ているような気もするが、そういえば肝心の温泉に入ったことが一度もないことに気づいた。はっきり言ってこれはまずいので、今回は温泉で癒されて極楽気分に浸ることを真剣に追求するのがテーマである。「ここよここよ」と自分の行きたい場所を看板で主張するヨソのおばちゃん、手が邪魔なんだけど。有馬名物「足湯」である。入浴施設「金の湯」の表にある無料足だけ温泉で、いつも満員である。一瞬ワタシも参加しようかと思ったが、イヤイヤ今日は足だけではなくて全身入るのである。こんなことで満足していてはいけないので、とりあえずこの場を離れるのである。有馬の町は炭酸せんべいで溢れている。どの土産物屋も、イチオシは炭酸せんべいである。知らない間にバリエーションが増えていて、「白ごま入り」とか「青のり入り」とか「生姜クリーム」とかいろいろ商品開発は進んでいるのである。原料に炭酸を使っているのだが、残念ながら噛んでもしゅわしゅわ泡はでないのである。風月堂のゴーフルと実はよく似ているが、どっちが真似をしたかは定かではないのである。なんてことを言いつつ、意表をついて今回はちゃんと宿を予約していたりするのである。といっても日帰り夕食露天風呂付きプランなので、温泉に入って晩御飯を食べたらとっとと帰るのである、なんせ片道30分なので泊まる意味はないのである。滞在時間6時間1本勝負である。てなわけで、真昼間からさっそく露天風呂である。平日のせいか、誰もいないので貸切状態である。「金泉」と呼ばれる赤色の湯は有馬の代表的な温泉であり、鉄分や塩分が多く含まれ、空気に触れると酸化して茶褐色になるのである。効能は神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばりなどなどで、最近持病の肩こりが悪化していてよく背中が攣ったりするのだが、そういうのにも良く効くそうである。見上げると頭上は快晴の空である。まだ外気の肌寒いこの季節に、昼間からスッパダカで露天風呂というのはものすごい優越感なのである。しかし誰もいないから良いのだが、よく考えると風呂場にカメラを持ち込んだりするのは犯罪行為だったりしてと思いつつも、日記読者のためにとフリチンでデジカメをパシパシ撮るのである。しかしそのうちノボせて気分悪くなり、フラフラである。風呂をあがって部屋でうたた寝などしながらごろごろしていると、やがて夕食の時間である。本日は京懐石のコースなのである。なかなか噂どおりの上品なお味で申し分ない。冷酒も進むのである。食後に再び温泉に入り、初めての有馬温泉入浴はもう満喫である。そうして夜の9時には有馬を後にし、も一度六甲山を越えて阪神間の夜景を眺めつつ、帰途についたのであった。まったく馬鹿みたいな極楽日記であるが本人は幸せなので仕方ないのである。おわり。
2006年03月24日
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本日は午後から出社だったので、いつも行く最寄駅近くのインド料理屋でランチを食べた。本日の日替わりカレーは「キーマエッグカレー」。ちなみに「キーマ」というのは、ヒンディー語で「細かいもの」という意味で、この場合「挽き肉」のことを意味する。ここのキーマはチキンの挽き肉であった。 いつもは必ずナンを頼むのだが、今日は気まぐれでライスにしてみたところ、出てきてビックリ、あまりのライスの多さにビビる。食えないよこんなに。ルーがかかっているところまでは責任範囲と決めてなんとか食べたが、あとのライスは残したまま放置。すると、店のヒトがこれに気付き、ルーが足りなくなってワタシが途方に暮れているものと勘違いし「ルーを足しましょうか?」とご親切に聞いてくれるが、違う違う、ライスが多すぎて途方に暮れているのですよと丁重にお断りする。日本のカレーライスはもちろんライスがないと成立しないのだが、インド料理にはやはりナンの方が合うよなぁ、と残してしまったライスを見ながら思ったのだが、そこんところどうなんですか。
2006年03月23日
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先日、大阪のミナミを歩いていて、突然ふと心斎橋のエディのことを思い出した。エディに会ったのは、ワタシが初めてのインド旅行から帰国してまもない大学1年の秋頃で、しばらくカルチャーギャップを抱えたまま、気分的にうまく社会復帰ができていない頃だった。それは、学生時代の友人であった鰻坂ヒカルさんの紹介で「アルバイトをしないか」と誘われたのがきっかけだった。アルバイトというのは、当時鰻坂さんの通っていた英会話学校の講師であり友人であった不良外人がやっている「露店のアクセサリー売り」の手伝いで、伸び放題のロン毛に無精ヒゲ姿でどうせまともなバイトの口もなさそうだったワタシは、ちょうどいいやと思って誘いを受けることにした。バイト当日、指定された場所(確かどこかのワンルームマンションだった)に行くと、少し赤く血走ったアブナイ眼をした、ややマッチョな体型のアメリカ人が出てきた。それがエディであった。エディの商売道具は、露店でアクセサリーを売るためのオリジナルの「屋台」で、エディのマンションから、ふたりでゴロゴロと屋台を押しながら心斎橋の繁華街に向かって歩いた。エディの屋台は縦長の仏壇のような形をしていて、最上部に「NEWYORK FASHION GOLD」という看板を掲げていた。胴体の部分には、金メッキを施した極太サイズから極細サイズまで、さまざまな太さのゴールドのチェーンが、ちょうど東急ハンズのDIYのコーナーのように、ドラムに巻きついた状態で、いくつもセットされていた。ワタシの主な役目は、客引き兼通訳のようなものであったが、唯一、警察が来たときだけは通訳しなくて良いとのことであった。はじめは、こんなものが売れるんだろうか?と思っていたが、時代はバブル絶頂期。交差点の一画に陣取り、昼過ぎに商売をはじめると、さっそくカップルなどが寄ってきては、希望の太さのチェーンを指定し、エディが適当な長さのブレスレットやネックレスにその場で加工して渡すと、皆うれしそうに金を払って行った。中でも多かったのが、水商売風のお姉ちゃんとヤクザ屋さん風のおっちゃんのカップルで、ゴツめのチェーンでペアのブレスレットなどを作って次々に買っていった。よくは覚えていないが、客単価で5千円~1万円程度は払っていたように思う。原価はきっと東急ハンズ並みなので、はっきり言ってボロ儲けである。エディは見た目どおりオツムのキレた不良外人で、たまにお客が途絶えると、屋台にくくり付けたラジカセから流れるデビッド・ボウイに合わせて路上で踊っていたかと思うと、急に血走った眼を「カッ」と見開き、ゴールドチェーンの端を持って引っ張りながら通行中の女子大生などをめがけて「Hey GirrRRRRRLLLLLLLLLLLL!!!」と叫んで突進していったりして、お茶目さを振りまいていた。そんなことをして妙に目立つもんだから、時折警察がやってきては「こらこら、道路使用許可取ってないやろ、移動や移動!」などと注意をするのだが、その時は当初の予定どおりワタシはその場からすーっと離れ、エディが「ニホンゴ、ワッカラナーイ!」とトンチンカンな対応で煙に巻く、という戦法を繰り返してやり過ごした。基本的に彼は、商売人としても加工職人としてもあまり向いていないようで、しょっちゅうお釣りを間違えて多く渡しすぎたり、チェーンの長さを間違えて切断したりしては「ミステイク!」を連発して頭を抱えてばかりいた。それでも屋台は、繁華街の人通りとともに夕方頃にピークを迎え、多いときには5組ぐらいが順番待ちをするという盛況ぶりであった。結局、暗くなるまで商売を続け、最終的にこの日だけでも軽く20万円程度の売上げはあったと思う。最後にエディはバイト代として、ジーンズのポケットから無造作にシワシワのお札を手掴みで渡してくれたが、数えると4万円もあった。バブルやなぁ。エディは「またよろしく」みたいなことを言ってワタシと握手をして別れたが、結局そのバイトは一度きりで、その後エディに会うことはなかった。噂によると、ジャンキーだったエディは、その後ドラッグで逝ってしまったという話も聞いたが、どうなったのだろうか。(写真はイメージ)
2006年03月22日
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かつて人生で最高に高額の傘を買った翌日にタクシーの中に置き忘れて無くして以来、「傘は消耗品である」と肝に銘じてもっぱらビニール傘愛用人生をひた走ってきたのであるが、やはりそのポリシーは正解で、買っても買っても置き忘れたり盗られたりして傘はどんどん無くなるのである。しかし先日、多少奮発してMUJIの千円程度の傘にグレードアップしたところ、初めて使った雨の日の帰り際に気が付くと、オフィスの傘立てから速攻で誰かに盗まれていた。MUJIの無地で地味な傘なので世間の扱いはビニール傘と同等と見なされたようで、そういう特徴のない傘は常に「持って行っても構わない」と勝手に判断され、良心の呵責もなく盗まれるようである。くっそー腹立つ。傘返せ。仕方がないので、傘立てに残っていた中で一番地味な傘を無断で持って帰ったのだが、そうか、傘泥棒の悪の連鎖は、このようにして起こったりもするのである。(ワシはちゃんと翌日返しました!)それにしても、日本でドシャ降りの日に傘も持たずに歩いているとかなり目立つが、以前ロンドンに行った時には、結構雨が降っていても、ほとんど誰も傘などささずに皆平気な様子で濡れたまま歩いていた。あれはなんだろう。傘をささないというのは、英国人の美学なのだろうか。というか、そもそも傘持ってない???どちらにしても、なんか潔くて良いな。
2006年03月20日
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ひとりで実家に帰った。もともとは先日久しぶりに電話をしてみたら実家のパソコンの調子が悪いらしく、年寄りではどうにも直しようがなさそうなので一度見に行こうかと言っていたのだが、たまたま行ける日がお彼岸に重なったので、ご先祖様のお寺参りと墓参りに行く両親のために運転手をすることになった。昼過ぎから檀家になっている須磨のお寺に行って法要に参列し、続いて垂水の墓苑に行き墓参りを済ませて、夕方頃実家に戻った。肝心のパソコンの方は、2台あるうちの一台はネットの設定が外れていただけだったので問題なく解決したが、もう一台は電源を入れても起動すらせずお手上げ。理科系バリバリPCおたくの兄が次回帰省したときに見てもらうことにする。夜、両親と地元のおでん屋に行く。酒が入ると父はいつものようにやたら饒舌になり、周囲の見知らぬお客たちに、この前観たジョディ・フォスターの映画が面白かったですわー、わはははは、とか、定年後に留学生相手に日本語講師のボランティアをやってましてなー、わははははー、などと取り留めない話を一方的に大声で喋りまくるものだから、横にいる母の顰蹙を大いに買い、大いにたしなめられていた。しかしまぁ、体調を崩して入院していた頃のことを思えば元気そうだし良いかと思っていると、父は明朝の飛行機でボルネオ島のコタキナバルに出発するという。なんじゃそれは?年寄りがジャングルに入って何をしてくるのか?元気すぎやがな。行動予定を聞いても「いや別にぃ、ぶらぶらと」などと言うだけ。まったく、よくわからん。さらに聞くと母は母で、その数日後に父とは別でカンボジアのアンコールワットへと旅立ち、ベトナム・ホーチミンまで行ってくるという。なんだ?放浪ブームなのか、うちの実家は?しかし、それを聞いてなんだか焦りを隠せないワタシは、急遽、格安航空券サイトで自分の行き先の検討を始めるのであった。 チーン。
2006年03月19日
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近頃、そろそろ大阪のオフィス街では就職活動の学生の姿が目につき始めている。以前の日記にも似たようなことを書いたことがあるが、OB訪問ということでワタシのところに時々やってくる学生の中でも非常に多いのが、この就職活動の段階になってはじめて「とりあえず就職しなきゃいけない時期が迫ってきたけれど、自分はいったい何をやりたいのか、さっぱりわからない」という事態に直面し、悩む人たちである。先日、たまたま『おとなの小論文教室。』(山田ズーニー著)というのを読んでいたら、ちょうどこのテーマに近いくだりがあり、なかなか良いことが書いてあった。自分の進路について壁にぶちあたったとき、つい「自分の好きなことが必ずどこかにあって、自分はそれにふさわしい才能を持っているはず。なのに、それが何だかわからない。」という思考に陥りがちであると。しかし、「誰にも個性があって、誰にも能力が与えられている、なんてことに期待しすぎてはダメ」である、と。では、どう考えるべきかというと「才能は自分の中になく、社会の中にある」「才能は自分の中になく、他者の中にある」つまり、ある種の才能の発見というものは、そのヒト個人の中で完結する話ではなくて、世の中がそれを認めることによって初めて成立するものである、ということ。まぁ言やぁ「個人の才能」以前に、「個人の存在」そのものが他社との相対関係の中でしか成立し得ない、というのと同じなんだけど。ま、いいや、えーと「才能」の話に戻すが、だから、「自分の才能がどこにあって、何に向いているかわからない」と嘆いているヒトたちは、要するに今まで「自己完結の人生」を選んできた。つまり「内に閉じていた」。「外」に向かって自己を確認するためのアウトプットが少なかったので、確認のすべがなかったということ。自分の中に、もともと個性はない。自分の中に、もともと才能はない、としてみる。自分の個性は、人に出会って、関わって、自分の価値を認めた相手の中にあると考えてみる。つまり、嫌でも面倒でも、他者との関係を築く中でしか「自分の個性」「自分の才能」についての発見はないのである。ということで、「自分はいったい何をやりたいのか、さっぱりわからない」と言っているヒトは、まずは「積極的に他者と関わる」というところから始めるしかないのである。ちなみにこの『おとなの小論文教室。』だが、ワタシがかつて受験生だったころちょうど「小論文入試」があちこちで導入され始めたハシリで、ワタシ自身も「小論文一発で楽にどこか入れないかなぁ」なんて甘いことを考えつつ、小論文のノウハウ本を読み漁ったことがあるが、この本はその手の具体的な書き方の技術解説書ではない。当たり前の話ではあるが、「面白い小論文を書こうと思えば、小手先の文章技術ではなくて、人間としての面白みを磨かなきゃ書けないよ」と言っているのである。この本には、そのための生き方のヒントみたいなものが著者の苦悩の経験を引き合いに出しながら、書かれている。「おとなの…」とは言うものの、新社会人になりたてのヒト向きかな。(※peachmamaさん、教えてくれてどうもです。)
2006年03月17日
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時々、自分と周囲のヒトたちとの距離感というか、関係性について考えることがある。いや、もっとハッキリ言うと、現在自分の周囲を取り巻く人間関係の中で、「ある程度親しく付き合うことができるヒト」と「生理的にどうしても受け付けないヒト」との境界線はどこにあるか?ということを考えたりすることがある。そんな判断の指標として、ワタシがよく頭に思い浮かべるのが「ワタシは、このヒトの握ったオニギリを食べられるか?」という問いである。言うまでもないが、オニギリというのは誰かが「素手」で握ったものである。もちろん、おそらくは誰でもオニギリを握る前には石鹸をつけて手ぐらい洗うだろう。いや石鹸なんかつけなくてもパッパと水で洗えば衛生上もたいして問題はないだろう。しかし、問題はそのヒトの「人格」まで含めたイメージなのだ。生理的に受け付けないヒトというのは、たぶん実際のバイ菌がどうとかではなくて、そのヒトの手からも眼には見えないそのヒト特有の嫌な部分の「何か」が粘着質に滲み出ているようなイメージがあるのだ。そのヒトの握ったオニギリには、その眼に見えない「何か」がコネコネとまとわり付いている気がするのだ。それを「口に入れる」というのは、やはりどこか覚悟がいるのだ。なので、この「オニギリ指標」で考えると、自分が許せるヒトとそうでないヒトとの整理が、不思議なほど簡単につくのである。例えば会社の同僚や楽天仲間のことなんかを想像した場合、まぁ、あのヒトとかそのヒトとかのオニギリは喜んで食べると思うが、うーむ、あのヒトのオニギリは微妙やなぁ…。そして、たぶんあのヒトの握ったオニギリだけは、ちょっと無理かもなぁ…。なーんてことを日頃ひそかに考えているワタシは、きっとかなり鬼畜なにんげんである。
2006年03月15日
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前の晩、会社の人事話などいろいろあるのでちょっと、ということで先輩に誘われて街を徘徊しているうちに飲みすぎて、結局朝帰りの5時帰宅であった。しかし数時間後には家族に叩き起こされ、午前中からどこかに出かけるという。何だかわからないが皆でクルマに乗り込み、妻が「西へ行け」と言うので芦屋方面に向かって走り出す。どこに行くのかと尋ねるが、「行けばわかる」と言うだけで行き先を教えてくれない。しばらく行くと、今度は「次の角を南へ」などというのでその通りにする。何度か「次を曲がって」と言われてその通りにしていたが、そのうち妻は「あれ?あれ?」などと言い出し、同じ道をしばらくグルグルと迷走する。こちらも行き先を知らないので、完全に皆であれあれ状態になり、ぼくたちはいったい何処から来て何処へ行くのかというような哲学的なテーマが頭をよぎる。さんざん迷ったところで妻は携帯を取り出し、どうやら目的地の誰かに連絡をしていたのだが説明がよくわからないようで突然電話を渡され、誰だか知らないその相手に、知らないその場所までの行き方を教えてもらう。まったくワケがわからん。ヒントは「国旗が目印です」などと言うので、右翼団体のアジトか大使館ではないかと目星をつけていたのだが当然そんなワケはなく、ようやくたどり着いた先は、ベトナム料理店であった。しかし予想通り店には駐車場などないのであって、妻子だけ店に置いてワタシは再び駐車場を求めてさらに周辺地域を走り回り、店に戻ってきたのはすでに昼過ぎであった。 要するにこれは、2日遅れのワタシのお誕生日会であった。で、会場がこのお店「サイゴン・パリ・ガーデン」なのであった。芦屋の街角に突如たたずむ極彩色のバラック小屋風の外観が、独特の存在感を放っている。遅れて到着した時には、メインゲストぬきで、すでに宴は勝手に始まっているのである。メニューも見せてもらっていないので、自動的に出てくるものを素直に食べるだけである。 なにかのサラダ 白身魚の天ぷらと野菜のトマトソースチリ炒め 手羽先のから揚げ スペアリブと野菜のニンニク炒め エビと野菜の炒め物 牛筋のフォーうまい。全部うまい。感激。いままで食べたベトナム料理店の中でいちばん旨い。どの料理も微妙にソースが違うのだが、基本的にニンニクと唐辛子を使ったものが多くて、ランチというよりも夜、飲みながらのアテにはとても良い感じ。特に夏場に表のテラス席でビール飲みながら、というのがきっと最高である。その後、妻の運転で猛スピードでどこかに連れて行かれるので、今度はどこかと思ったら、着いた先は近所のショッピングセンターの中にある癒し系マッサージの店であった。無理やり店に入れられ、なんだなんだと思っていると「どうぞどうぞ」とお姉さんに奥へ連れて行かれ、あれよあれよという間にオイルマッサージコースが勝手にスタートし、ヌルヌルもみもみされてしまったのである。 ぬるぬるマッサージですっかり癒されて帰宅すると、ムスメがペットボトルと折り紙で作ったという「けいたいでんわいれ」が誕生日プレゼントであった。なんか、ぼろぼろだけど、ありがとう。横にいるのは「うさぎのおよめさん」だそうである。日ごろの行いが良いと、年に一度はこういう日もあるのである。感謝。
2006年03月11日
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自分へのささやかな誕生日プレゼントとして、久しぶりに坂本龍一のアルバムを購入。去年の秋にリリースされたピアノ中心の作品「/05」。往年の名曲を、アレンジを変えてピアノで弾きなおしたものなので、内心「ちょっとマンネリかなあ」と思いつつ聴いてみると、これが意外に新鮮でなかなか良い。中でもお気に入りは「Amore」と「Thousand Knives」。「Amore」のピアノ版はもともと好きな曲だが、従来の激しく叙情的な雰囲気とは違って、かなり抑え気味なアレンジがお洒落な感じ。 一方の「Thousand Knives」は、メトロノームの音にあわせて軽快に跳ねるピアノの音がとても小気味良い。アルバム全体的に、教授が楽しんで弾いてるのが伝わってくるようで、こちらまでついついピアノに触りたくなる。楽譜も出ているようなので、探してみよう。なんだろうこの初々しい感じは。これはいいよ。ピアノ弾こう。
2006年03月10日
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3月9日で39才。メッセージをいただいた皆様ありがとうございます。■3月9日生まれの方々1451年 アメリゴ=ベスプッチくん 【探検家】(イタリアで生まれる)1888年 梅原 龍三郎くん 【洋画家】(京都府で生まれる)1925年 中川 一郎くん 【政治家】(北海道で生まれる)1934年 ユーリ=ガガーリンくん 【宇宙飛行士】(アメリカで生まれる)1948年 来生 えつこさん 【作詞家】(東京都で生まれる)1953年 麒麟児 和春さん 【相撲】(千葉県で生まれる)1954年 カルロス=ゴーンくん 【経営者】(ブラジルで生まれる) 1958年 未唯 (みい)さん 【歌手、タレント】(静岡県で生まれる)※ピンク・レディー1962年 木梨 憲武くん 【タレント】(東京都で生まれる)※とんねるず1964年 ジュリエット=ビノシュさん 【女優】(フランスで生まれる)■39才で逝った方々BC31年 クレオパトラさん 【洋画家】(コブラに身体を噛ませて自殺 )1662年 パスカルくん 【数学者、物理学者、宗教思想家】(腸結核を治すため浣腸で死亡 )1849年 ショパンくん 【作曲家、ピアノ奏者】(肺結核と喉頭結核による呼吸不全で死亡)1948年 太宰治くん 【作家】(愛人・山崎富栄と玉川上水にて入水自殺) 1963年 力道山くん 【プロレスラー】(喧嘩で刺され、一週間後に腸閉塞で死亡)1967年 チェ・ゲバラくん 【革命家】(ボリビア山中でゲリラ活動中、政府軍に射殺)1968年 マーチン・ルーサー・キングくん 【牧師、平和運動家】(メンフィスのホテルで暗殺 )1989年 松田優作くん 【俳優】(1年間の闘病生活の後、膀胱ガンで死亡 )2002年 ナンシー関さん 【消しゴム版画家】(友人と食事後、虚血性心不全で死亡 )逝くヒト、来るヒト。「メメント・モリ」のこころで、今日を生きよう。
2006年03月09日
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明日はどっちだ?このひとたちに聞いてみよう。
2006年03月05日
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そういえば先週出張に行った際、元関西にいた後輩H君と広尾で晩飯を食った。連れて行ってもらったのは、炭火で野菜を延々と焼いて食べさせる店で、これがもうびっくりするぐらい野菜が旨かった。野菜といっても奇をてらった珍しい種類のものではなくて、ピーマンとかカボチャとか玉ねぎとかさつま芋などを、炭火でひたすらじっくり焼いて食べるだけなのだが、なんというか味が濃厚なのだ。野菜本来の持つ「うまみ」が凝縮していてどれもこれも感動的に旨い。素材がむちゃくちゃ良いのであろう。ということは、畑の土も肥料も厳選して相当手間ひまかけて作られた野菜たちなのであろう。しかしながら、この店は焼き方にも厳しいのである。H君が網の上に野菜を適当に乗せて焼いていると、どこからかお兄さんが現れて「下に炭のないところに野菜を置いたって、いつまで待っても焼けませんよ」とか「焼く順番が違うんですよ、それは後で焼いてくださいよ」とか、結構冷たい口調で手厳しく怒られていた。最後にお兄さんが持ってきたのが、バナナである。これまた裏と表を丁寧に焼くのだが、しばらくすると真っ黒けのけになってしまう。バナナの炭火焼。これを皿にとって中を開けると熱々の焼きバナナがでてくるのだが、これがまた感動的に旨いのである。本当に良い素材というのは、味付けなんか必要ないのである。それは人間も同じで、いくらワシら凡人が涙ぐましい努力をしようが、しょせん天然素材の天才にはかなわないのである。そういうものである。
2006年03月04日
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いかん、チョコレートが切れてきた。ぶるぶるぶる。またもや「飛べ」と電波で指令が届く。本日は午後から重要な会議であったが、震える手で急いでスーツに着替え、またしても会社には向かわず伊丹空港へと急ぎ、とりあえずすぐ離陸する飛行機に飛び乗った。上空はあいにくの曇り空で、あっと言う間に雲の上のヒトになる。動悸を落ち着かせつつ、不安定な思考の中で、本日の計画を練る。先日の「ピエール・マルコリーニ」を超えるカカオ含有量のチョコレートでないとカラダが持ちそうにないのである。そうだ、本日行くべきはヒルズである。しかし六本木ではなくて、表参道ヒルズである。本日の行き先は表参道ヒルズに入っている、今話題のショコラティエ「ジャン=ポール・エヴァン」に決定である。羽田に到着するが早いか、ダッシュで京急の乗り場から電車に飛び乗り、途中でタクシーを乗り継いで猛然と表参道ヒルズに直行である。来た、表参道ヒルズ。低層建築なので外観のインパクトはあまりない。とりあえず突入。 中に入ると、うーむさすがに物見遊山の観光客とおぼしき大量の人々が、スロープ状の館内通路をゾロゾロぞろぞろと回遊している。しかし、チェックするとほとんど誰も手に買い物袋を持っていない。今のところ、ファッションモールというよりも、単に入場料の要らない観光名所と化しているようである。これでは六本木ヒルズの二の舞で、観光客はわんさか来るものの物販店舗はなかなか厳しいかもしれんなぁと思いつつ先を急ぐ。あった。本日のお目当て「ジャン=ポール・エヴァン」の店舗発見。だが、店内には一度に5名までという大袈裟に厳しい入場制限が敷かれており、なかなか入店できない。なぜだ。チョコレート店で暴動でも起こるというのか?ワシのようなチョコレートジャンキーの乱入を警戒しているのか?結局、警備員が怖い顔で通せんぼする前で10分程待たされた後、ようやく店内へ。おぉー、チョコチョコチョコチョコの海。種類が多すぎて何をどう選べば良いのかさっぱりワカラナイ。えーと、じゃあその右端からざざっと30個ください、などとオトナ買いでもしたいところだが、話によるとここもチョコ1粒が数百円ということなので、おとなしく素人さん向けに用意された6粒で1,680円というパッケージを購入。それがこれである。早速食べてみると、確かにカカオの含有量は多そうで味わい深いが、他社と何がどう違うのかはよくわからんのである。が、ひとまずチョコレート禁断症状はおさまったのである。気分が落ち着いてよく考えると、本日の会議はクライアント様の新宿営業所だったのである。チョコレート効果で頭も冴え、会議も順調に乗り切ったのである。夕方から銀座の本社に戻り、さらに打ち合わせを2件続けて片付けると、もう夜なのであった。終電間際の新幹線に飛び乗り、帰りは陸路である。本日のディナーは新幹線ホームの駅弁「鶏づくし弁当」であった。おわり。
2006年03月03日
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前日、今年3つめの新規クライアントの競合コンペが終了。大阪ミナミの某野球場跡地にある、六本木ヒルズと同じ設計者がつくった屋上庭園が有名なショッピングセンターの年間販促計画の提案であった。いやーオモシロかった。最後は徹夜で時間ギリギリまで提案内容で結構モメたので体力的にはキツかったが、なかなか楽しくも深みのある提案ができた。最大手代理店を含む5社競合であるが、プレゼン後の先方の担当者たちの反応からすると、うーん、もしかするとこれは取れたかも。ま、結果が出るのは1ヶ月先なので、しばらくは幸せな皮算用である。夜、「少し落ち着いたみたいだし、久しぶりにどう?」と支社のナンバー2であるGさんに誘われて飲みに行く。社内の一部からは日頃「武闘派」で通っているGさんではあるが、ワシと飲みに行くときはいつも、ただただ無邪気で音楽好きな気のいいおじさんである。この日も仕事の話はほとんどナシで、全体的にゆるーい空気の中でたわいもない話をしながら2軒ほど回った。「最後にもう一軒だけ行きたいんだけど、たぶん心斎橋(仮名)も気に入ると思うよ」とGさんがおっしゃるのでついて行くと、そこは梅田の外れにあるややこしい路地裏(通称:曽根崎デッドエンドストリート)の細い階段を上がったところにある不思議なお店であった。なんせ、ノッケから階段の上り口のところに貼ってあるのが、かのクラウス・ノミ先生の映画のビラである。で、むむむと思いながらGさんに続いて扉をくぐり、カウンターに座った瞬間に流れてきたのが、おぉこの声はデビ汁先生!JAPANである。さらにむむむと思っていると、マスターはワタシと同い年であることが判明。「最近、無性にJAPANが聴きたくなってこればっかりなんですよねー」などとニコやかにマスターが話す。それが終わると次に流れてきたのは、うへー!JOY DIVISION!イアンカーティス!サブスタンス!頼んでもないのに、何?この選曲。なんだ。なんなんだ、この店は。これは何かの罠なのか?マスター、あんた誰?初めて来たのにこのリラックス具合はなに?急速に酔いが回り酩酊感が襲ってくる。恐るべし、その名は「ナチュラリー」。きっとワタシはまた行ってしまうだろう、この店に。
2006年03月01日
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