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単館上映ながらそこそこ話題になった、ヘルシンキを舞台にした邦画『かもめ食堂』をDVDで観た。飛び抜けた名作ということでもないが、決して期待を裏切らない、味わい深い佳作という印象。小林聡美、片桐はいり、もたいまさこ、という個性的ではあるが地味なキャストに、特にドラマチックな展開があるわけでもない淡々としたストーリーなのだが、ひとことで言えば、とても「センスが良い」。退屈でつまらんという声もあるようだが、ワタシは断固支持します。フィンランドの映画といえば、“普通のヒトの冴えない日常”をテーマとするアキ・カウリスマキの作品のどこか居心地の悪い空気感がすぐに頭に浮かぶのだが、この『かもめ食堂』から伝わってくるフィンランドの空気は、なんだかすごく穏やかで柔らかくて気持ち良さそうなのだ。ヘルシンキの街角で、小林聡美扮する主人公“サチエさん”が営む小さな食堂の設定は、その空気に実に違和感なくいい感じで溶け込んでいる。この映画に花を添えるのが、なんといってもこの食堂で出される料理のラインナップである。焼き鮭定食、豚の生姜焼き定食、鶏の唐揚定食、そしてオニギリ、といった、なんてことのない日本の食卓の日常メニューが、フィンランドの食堂で出てくると、なんと魅惑的に映ることか。夜中に見ていたら急に腹が減ってきて、画面に出てくるジューシーな鶏の唐揚を無性に食べたくなった。そして、この映画で最も印象に残ったセリフは、サチエさんが、店に来たお客の男にコーヒーを出し、次に、反対にお客の男がいれてくれたコーヒーを一口飲み、その美味しさに驚くシーンで、男が言うひと言。「コーヒーは、人にいれてもらって飲むと旨いんだ」。なるほどなぁ。そうだよね。そういうもんだよなぁ、と妙に納得。登場人物たちの、何かしら悩みを抱えながらもどこか肩の力が抜けた感じもいいし、「このシンプルな形の食器はいいなぁ」とか、「あの照明はどこのデザインかなぁ」とか、「この服の柄はマリメッコだな」といった楽しみも随所にあって、とにかくなかなかキュートな映画なのだ。
2006年10月23日
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郡山ハルジさんへ。ホラ、こんなのもありましたよ。ロバオちゃん、やはり顔は気持ち悪いですね(笑)。でも名曲のアコースティック版の演奏は、超カッコイイ。<画像リンク参照>
2006年10月14日
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郡山ハルジさんへ。ホラ、こんなのもありましたよ。見よ、在りし日の大先生の勇姿(笑)。オーケストラをバックに、鬼畜の師匠ノミ先生の本領発揮ってカンジですね。<画像リンク参照>
2006年10月13日
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郡山ハルジさんへ。ホラ、こんなのもありましたよ。画質が悪くて見にくいったらありゃしない(笑)。でもこれ、相当貴重ですよね。<画像リンク参照>
2006年10月12日
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郡山ハルジさんへ。ホラ、こんなのもありましたよ。モーマスのプロモビデオですよ、懐かしいですよね(笑)。<画像リンク参照>
2006年10月11日
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郡山ハルジさんへ。ホラ、こんなのもありましたよ。冒頭のチューが情熱的ですごいですね(笑)。<画像リンク参照>
2006年10月10日
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郡山ハルジさんへ。ホラ、こんなのありましたよ。後半の「楽器紹介」が単調で、少し興醒めですけどね(笑)。<画像リンク参照>
2006年10月09日
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先日、某ネット系ベンチャーの代表から裏話的に聞いた話。その会社は、各種企業のHP内にユーザー向けのコミュニティサイト構築をASPサービスとして提供していて、そのコミュニティ内でやりとりされるユーザ同士の情報を、企業のマーケティング活動にフィードバックするということをやっていて、名だたる大手企業を中心に急速にクライアント数を伸ばしているようである。代表の話によると、これまでのコミュニティ構築実績での経験から、発見したことが2つあるという。ひとつは、「うまくいっているコミュニティというのは、メンバー数20名が最適均衡の状態である」ということ。つまり、あるテーマを共有するコミュニティができたとして、日頃意見を言い合うメンバーが数名では注目度も上がらず活性化もしない。逆に20名を越えて増えすぎた人達が好き勝手に意見を言い出すと、管理者の制御がきかなくなり、コミュニティとして機能しなくなる。適度に参加者の「顔」が見渡せて、フラットにものが言いいやすく、最もアクティブなコミュニティになるのが、この20名均衡状態で、こういうコミュニティの中で議論されている内容というのは、マーケティング的にも非常に価値が高いという。※この会社は、そういうコミュニティを対象に、モニター調査やグループインタビューをかける仕組みも持っている。もうひとつは、「あるテーマを既に共有しているコミュニティの中に、全然別の新しい情報を入れると、それが他のメンバー間に伝播する可能性が極めて高い」ということ。例えば自転車の趣味を共有しているコミュニティの中で、メンバーの誰かが、元々のテーマとは全然違う話題、「最近、自分はハゼ釣りが面白くてハマっている」というようなことを書くと、いままで釣りにもハゼにも何の興味もなかったはずの他のメンバーが「今度、自分もやってみます」などと次々に言い出し、翌週には釣竿選びの談義が始まったりするのだという。※この会社は、こうしたコミュニティのリーダー的メンバーに、クライアント企業の新製品情報などを流したりして、販促につながる話題の提供を裏で行なっている。この2つの法則、自分の経験からもなかなか頷ける話であるが、それにしても裏側のマーケティングの仕組みは、ネット上のコミュニティ心理をうまく利用した巧妙なビジネスモデルだなぁと感心。
2006年10月05日
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その店のお姉さん達は、ほぼ全員が体のどこかに刺青を入れていた。しかし、他のヒトの場合はどちらかといえばファッションとしての“タトゥー”であるのに対し、ミキさんの刺青は、筋金入りの“入れ墨”であった。薄暗い店内ではっきりとは覚えていないが、吉祥天だか弁財天だかの伝統的な彫り柄は、明らかに他のお姉さんとは一線を画す凄みを帯びていた。ミキさんが凄みを帯びていたのは、刺青の迫力に加え、手際よくお客を縛りローソクに火をつけながら半分微笑んだ眼だけが「マジ」なのである。しかも、あまり余計なことは喋らない。寡黙で仕事熱心なSM嬢ほどコワイものはないのである。なんだか知らないが、このヒトはホンマモンなのだと思った。そんなミキさんとは、たまたま音楽やアートの話が通じたので、よく話すようになった。特に、この店でかけるゲーンズブールとか、ベルベット・アンダーグラウンドの曲や、アンディ・ウォーホルやロバート・メイプルソープの作品の話などを、他の客をほったらかして、よくしていた。ところがある日、ミキさんが「もうすぐ店をやめる」と言った。やめて何をするのかと聞くと、少し思うところがあると言いつつ、具体的には教えてくれなかった。が、また近況を知らせるからメールアドレスを教えてほしい、などと可愛らしいことを言った。そんなタイプではないと思っていたので少し意外ではあったが、当時まだインターネット黎明期時代のメールアドレスを伝えた。それから半年ほど経って、彼女からメールが届いた。なんでも、かなりの過酷な手術をして、背中の刺青を消したのだという。そんなことができるとは知らなかったのだが、手術自体も術後も体への負担は相当なものらしかった。そうまでして刺青を消した理由は、実は「芸者」になるためなのだという。しかもすでに、しかるべき手続き(さっぱりわからないが)を経て、有馬温泉で温泉芸者としてデビューする手はずを整えており、現在本格的に有馬温泉に赴任するまでの準備期間なのだと。そもそも有馬温泉に芸者がいることすら知らなかったし、まったく驚くことばかりであった。ミキさんとの会話やメールを通じて感じたのは、当時彼女を支配していたのは、圧倒的な身体感覚の希薄さと、それが故の「リアル」さの渇望である。背中一面に刺青を入れ、SM嬢として客を痛めつけ、痛みに絶えて再び刺青をとり、次は芸者への道という、ある種痛々しい生き方。おそらくそういう生き方を選択することで、かろうじて生きる実感を確認していたのではないかと思う。しかしその後、芸者の準備期間中に何度かメールのやりとりはあったものの、そのうち、こちらが忙しくて返事を返さなかったせいか、それとも彼女の方から連絡がこなくなったのかは忘れたが、いずれなんとなく音信は途絶えてしまった。おそらく温泉芸者になるという彼女の話は嘘ではなかっただろう。しかし、正直なところ、今現在も彼女が有馬で順調に芸者生活を送っているかどうかは、疑わしい気がする。最悪の場合、この世にいなくても全然不思議ではない、とも思っている。ただ、願わくば、ミキさんも今頃は有馬の生活にもすっかり馴染み、異色の暴力温泉芸者として座敷の客をヒイヒイ痛めつけたりしながら、日常を満喫していることを祈るばかりである。そんなことをふと思い出した秋の夜。Robert Mapplethorpe: 1946~1989
2006年10月03日
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今から十数年前、神戸のSM倶楽部のような店に通っていたことがある。店の業態は“ボンデージ・バー”ということで、ゴシックな内装の薄暗い店内には黒いヌメヌメした素材のボンデージ・ファッションに身を包んだお姉さんたちが何人もいた。店内には、貞操帯や折檻の小道具などがあちこちに配置されている他、長いバーカウンターの隅の一角には鉄製の鳥篭のような折檻コーナーがあり、天井からは吊り下げられたチェーン、壁にはあらゆる太さの鞭がかかっていた。通っていたといっても、ワタシは特にSMの趣味があったわけではない。むしろ痛いのは本気でイヤだし、ヒトが痛がっている姿を見ても嬉しくもなんともない。そもそものきっかけは、得意先の担当者がこの店の常連で、時々「ノリ」で連れてこられているうちに、なんとなくワタシも店の空気に馴染んでしまい、得意先の担当者と同様、単なる飲み屋の常連のような関係になっていったのであった。店のスタンスとしては、あくまで“ボンデージ・バー”なので、店の内装や小道具やお姉さんたちのコスチュームも含めて、基本的には演出的要素が強く、客も、必ずしも毎晩本気のプレイを求めて来るわけではない。ただ、本人が望めば、もちろんいつでも「調教」してもらえる体制は万全である。特に、そういう店と知らずに初めて連れてこられた初心者君の中には、常連客についそそのかされてプレイに興じているうちに、純粋にその世界にハマってしまうヒトもいた。連れてこられた初心者君(主に中年男子)は、たいていの場合、事態がよく飲み込めないまま、あっという間に身ぐるみ剥がされて手足を固定され、ボンデージのお姉さんたちから真っ赤な低温ローソクを内腿あたりにボタボタと垂らされる。熱さで「ひっ」とのけぞる初心者君は、お姉さんに「ご褒美をもらってるのに、もっと嬉しそうな顔しなさいよ!」などと罵倒されつつ、さらに鋭利な三角木馬に跨らされて重石つきの足かせを嵌められ、仕上げはすごく恥ずかしいエビ反りポーズのまま宙吊りになる。ムチでしばかれるうちに、最後は半目のまま「ううう」とか言いながらも、まんざらでもなさそうな表情を浮かべるのであった。そんな店の中で、ひときわ暴力的なキャラクターで異彩を放っていたのが、露出度の高いコスチュームの下に、周囲を圧倒する迫力で背中一面に彫られた刺青がチャームポイントのミキさん(仮名)であった。(つづく)
2006年10月02日
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かつてインド行きの渡航資金を必死で稼ぐために働いていた日雇いのアルバイト先で、たまたま知り合った2つほど年上の他大学の学生と休憩中に話をしていたら、お互いの音楽的興味(世間的にはマイナーな、ニューウェーブ系ロック)領域の共通点に意気投合。後日、そのヒトがワタシのために編集して送ってくれたカセットテープの1曲目に入っていたのが、このアモン・デュール2という今まで聞いたこともないジャーマン・ロックグループの曲、「DEUTSCH NEPAL」であった。(画像リンク参照)目一杯ボリュームを上げたスピーカーから曲が流れ出した瞬間、あまりにも大仰なコケおどし的怪しさ漂うイントロに、脳天をかち割られたような衝撃を受けた。また同時にこれは、自由で狂った学生生活の幕開けにふさわしい「ワシの人生第二章の、オープニング・テーマソング」のような感じでとても気に入っていて、近所迷惑も顧みず、下宿先の窓を開け放ったまま繰り返し大音量で流していたものである。隣近所の住民は、さぞかし気味悪がっていたに違いない。すまぬすまぬ。そのテープには他に、AKSAK MABOUL、ARTBEARS、GURUGURU、HENRY COWなどなど、普通に生きているとまず出会うことのなさそうな、ただごとではないアーティストのオンパレードで、どれもその後のワタシの音楽生活に多大な影響を与えたものばかりであった。人の縁こそ、音楽の縁である。(それにしてもハルジさん、YouTubeはお宝映像の宝庫だねえ。)
2006年10月01日
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