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社交不安障害・対人恐怖症は症状としては百人百様です。赤面恐怖、吃音恐怖、書痙、茶痙、雑談恐怖、他者視線恐怖、視線表情恐怖、体臭恐怖、人前で緊張して話ができない、他人に不快感を与える、人間関係不良、人の思惑が気になるなどです。人によって症状が違うというのは、火山に例えるとよく分かります。地下深くマグマだまりがあります。そのマグマが地表近くに上がってきて、噴火できそうな弱い軟弱地盤を探しているようなものです。軟弱地盤が見つかるとそこから噴火して溶岩が流れ出す。私の場合は、極度に人の思惑を気にするというものです。他人から非難、否定、無視、からかわれることに耐えられないのです。弱点、欠点、ミス、失敗を人前に晒すことを絶えず恐れていました。その裏には、人から一目置かれるような人間になりたい。評価されるような人間になりたいという強い欲求がありました。その目標に向かって努力精進していれば、神経症で苦しむことはなかったと考えています。実際には目標に沿った努力はなにもしていなかったのです。赤面恐怖症の人の話を聞くと、性格的に負けず嫌いな面があるようです。ライバルには負けたくない。絶対に負け犬にはなりたくない。いつも成功しなければならない。決して失敗は許されない。営業成績でトップを獲りたい。ライバルにはなんとしても勝ちたい。しかしこれは「言うは易く行うは難し」です。簡単に目的を達成することは難しい。そんなとき、他人から赤面を指摘されると、つい本来の目的を忘れて赤面を治すことに注力するようになる。森田でいう手段の自己目的化が起きてしまう。気がつくと営業成績が落ち込み、ライバルとの差が開いている。目標を達成するためには努力精進することが欠かせません。症状で苦しむような人は、努力しないで人から称賛されたいなどと虫の良いことを考えてしまうのだと思われます。これでは絵に描いた餅になってしまいます。ではどうすれば目的が叶うのか。まず目標を明確にすることが大事になります。例えば、仕事に一生懸命に取り組み、会社で社長表彰されるような業績を上げたいという目標を明確にする。ライバルを押しのけてトップの成績を上げたいという目標を明確にして壁に貼り付ける。目標が持てたとしても、気分本位に振り回されてしまう場合もあります。イヤだ、面倒だ、辛い、意欲がわかないなどの気分に振り回されてつい楽な道を選んでしまう。集談会で「気分本位は犬も食わない代物だ」と聞きました。逃避すると一時的に楽になりますが、あとで暇を持て余し、自己嫌悪、自己否定で苦しむようになります。そのうち、消極的、逃避的、厭世的な行動が習慣化してきます。そして、自分は何のために生きているのだろうと考えるようになります。気分本位は主観的な感情ですが、これに対して客観的事実というものがあります。いくら気分本位の感情が沸き起こっても、一社会人として仕事や子育てや人間関係の面で最低限の使命や責任をきちんと果たしていく必要があります。最後に、障害物が目の前にあらわれると、なる気をなくしてしまうことがあります。子供の頃小さな成功体験が不足していると、成功のイメージが湧いてこないのです。遅まきながら、成功体験のイメージづくりをすることが大事になります。そのための一つの手段として、町内会や集談会などで世話活動に取り組むことです。ここで小さな成功体験を持てた人は、それが自信になり会社で応用できるようになります。道後温泉のからくり時計
2024.10.31
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森田の勉強会に参加しているとプライドが高い人にお目にかかることがある。議論などをするとき相手をコテンパンに叩きのめさないと気が済まない人である。負けず嫌いの人で、相手に勝つことに無上の喜びを感じる。上下の人間関係でいえば、必ず上に立たないと気が済まない。自分が下の人間でいることは、沽券にかかわると思っている。相手からすれば「あなたそんなに偉いの」という感じである。実は私もプライドが高いのである。そのために対人関係でいろいろと問題を起こしてきた。自分のことを無視する人。からかう人。馬鹿にする人。非難する人。否定する人などは許せないのである。相手が格上の場合はすぐに逃げる。以後相手に近づかなくなる。相手を同等か格下とみると、売られた喧嘩はすぐに買うという態度にでる。反論する。反撃をする。嫌がらせをする。人格攻撃をする。暴力的になる。勝ち負けをかけていがみ合うと、勝っても負けても禍根を残す。自分が仮に勝った場合、相手は周囲の人に罵詈雑言を吹聴する。その結果、相手だけではなく多くの人を敵に回すことになるので人間関係はますます悪くなる。相手と勝ち負けをかけて戦ってよいことは何も起こらない。プライドの高い人は、自分から喧嘩を売らない。売られた喧嘩は買わないという気持ちを持っておくことが大事になります。「孫子の兵法」のなかに、「敵の10倍の戦力であれば敵を包囲する。5倍の戦力であれば敵軍を攻撃せよ」とある。これは逆にいえば、5倍以下の戦力しかないときは、攻撃してはならないというのだ。同等の戦力のとき、破れかぶれで戦うと、双方が大きな痛手をうける。そのスキを縫って、対抗している別の第三国があれば、簡単に征服されてしまう。勝つか負けるかという戦いモードの人で生きている人は心が休まるときがありません。完璧に防御態勢を固めておかないと、いつ攻めてこられるかと疑心暗鬼になりストレスがたまるばかりとなります。合気道では相手と正面からガチでぶつかり合うことはしないそうである。相手が攻撃してきたとき、相手のその力を利用して、相手のバランスを崩し、こちらの有利な態勢に持っていく。呼吸を図り、相手の力に逆らわずそれを活かすので、こちらはそんなに筋骨隆々になるまで鍛える必要はない。相手が喧嘩を売ってきたら「負けるが勝ち」という気持ちをしっかり持っておくことが大事になります。スクランブル発進で、売り言葉に買い言葉でやり返すことは考えものです。怒りの感情は6秒で一山登ると聞きました。その間はひたすら耐えることです。次に「トイレに行ってきます」「ちょっと一服してきます」と言って席を立つ。日記やメールに腹立ちの内容を書いてもよい。風呂で大声で叫んでもよい。相手に勝ちを譲って、気持ちよくさせるという戦術をとり入れている人もいます。相手に言いたいだけ言わせて、反発しないで静観していると、暖簾に腕押し状態になることは容易に想像できます。自分の方から喧嘩を売らない。相手からの売られた喧嘩は買わない。これは人間関係を悪化させないコツの一つになります。松山城
2024.10.30
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顕在意識と潜在意識の関係は氷山にたとえられます。顕在意識は海上に出ている部分です。潜在意識は海中に沈んでいる部分です。海上に出ている部分は2割程度です。残りの8割くらいは海中に隠れています。行動するとき顕在意識でどんなに叱咤激励しても、本音の部分(潜在意識)で拒否、回避、否定してしまうと積極的で継続的な行動にはなりません。なんとか行動しても行く手に壁が立ちはだかっていると、それを乗り越えていく力は湧き上がってきません。潜在意識と顕在意識の力関係は雲泥の差があるからです。山富浩司氏は、こうした現象が起きるのは強力な「心のブレーキ」がかかっているからだと言われています。赤ちゃんや幼い子どもの場合は「心のブレーキ」はかかりません。「これをやりたい」という感情に従って行動しています。物心つく前の子どもは、思考や行動(顕在意識の領域)と感情(潜在意識)の間に、ほとんどずれがない状態です。大人の場合は、成長過程の中で、ミスや失敗の経験により、やってよいこととやってはいけないことを学習しています。また親や社会から多くの行動規制を受けてきました。身心を破壊するような危険な行為や人を傷つける行為などは規制されることで大事に至らなくて済みます。しかし積極的に行動した方がよいにもかかわらず、強力な抑制力が働いて行動することを躊躇してしまうのは残念なことです。自分の意志、気持ち、欲求を軽視・無視してしまうようになります。積極的、生産的、建設的、創造的な行動に向かうことが少なくなります。行動は防衛的になりになりビクビクしながら生きていくようになります。山富浩司氏は、このような傾向が強い人は、潜在意識の中にある「心のブレーキ」を緩めていくことが大事になると言われています。そのための一つの方法として、マインドフルネスタッピングを勧めておられます。これは感情や思考パターンを瞬時に書き換えるというものです。従来のタッピング法とは異なり、過去のトラウマやネガティブな記憶を掘り起こすことなく、今この瞬間にフォーカスすることで、より効率的かつ迅速に変化をもたらすことができます。マインドフルネスタッピングのやり方に興味のある方は次の本をご参照ください。「願望実現脳は1分でつくれる 山富浩司 大和出版」184ページに集中力をアップのマインドフルネスタッピングのやり方。187ページに怒りやイライラを解消するマインドフルネスタッピング。194ページに恐怖・不安を解消するマインドフルネスタッピング。201ページに能力アップのマインドフルネスタッピングが図解付きで紹介されています。
2024.10.29
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俳句の夏井いつき先生のお話です。俳句の世界ではよく「生憎(あいにく)という言葉はない」と言われます。「今日は生憎の雨で桜を見ることができない」これは一般人の感覚ですが、俳人たちは「これで雨の桜の句が詠める」と考えます。雲に隠れて仲秋の名月が見えない時には「無月を楽しむ」、雨が降ったら「雨月を楽しむ」と捉えます。これは日本人ならではの精神であり、俳人の心根にあるものなのかもしれません。その精神で俳句を続けていくと、個人的な不幸や病気、苦しみ、憎しみなどマイナスの要素のものが、すべて句材と思えるようになるのです。私たちの仲間でも、病気や家庭の事情などを抱えながら頑張って生きている人がたくさんいます。引きこもっていた人が俳句に出会って外に出歩けるようになったとか、視覚に障害を得て落ち込んでいた人が元気になったとか、大切な家族を亡くされた人が俳句仲間に支えられて立ち直ることができたとか、そういう例は枚挙にいとまがありません。それまで何をやってもマイナス思考で、螺旋階段をグルグル回りながら果てしなく下っていくように生きていた人が、物の見方が全く変わっていきいきとした人生を生きるようになる。これこそが俳句の力ではないでしょうか。その他、俳句を詠む人間は俳句の題材を求めて外に出かけるようになると言われている。このことを俳句の世界では「吟行」といいます。仲間と一緒のピクニックなどはもちろんですが、例えばタクシーに乗っている時もご飯を作っている時も、その心持さえあればすべてが吟行です。目や耳など五感から入ってくる情報でアンテナに触れるものがあればすぐに掬い取って句帳にメモし、その五感を頭の中で変換し文字に変えていきます。(一日一話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書 藤尾秀昭 致知出版 74ページ)
2024.10.28
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アドラーは「ほめて伸ばす」という教育方針に警鐘を鳴らしています。一般的に子どもは親や先生からほめられればそれが励みになって益々やる気になります。アドラーは積極的、建設的、自立的な子どもを育てる教育をなぜ否定するのでしょう。アドラー曰く。ほめることは、能力のある人間が、能力のない人間に下す評価であり、その目的は操作である。ワンマン経営の会社や独裁国家を観察するとその実態が見えてきます。ワンマン社長や独裁者の一存によって今後の方針や組織内だけに通用するルールが恣意的に作られます。ワンマン会社の社長や独裁者が支配者となって、その他大勢の人を支配しています。タテの人間関係が構築されているのです。普通に考えるとそのような非民主的な組織はすぐに崩壊するように見えますが、容易には崩壊しません。非民主的な組織がなぜ崩壊しないで存続しているのか。それは賞罰を利用した巧妙な組織運営を行っているからです。独裁者がほめることと叱責することを巧みに使い分けて部下をコントロールしているのです。独裁者に追随する人や独裁者が決めた方針やルールを厳守する人はほめられる。温かい言葉をかけてもらい待遇面で大きな褒賞を受け取ることになる。昇進を果たし生活はどんどん裕福になる。しかし独裁者の神経を逆なでするようなことを1回でもすれば即座に転落する。それまで築いた財産や地位や名誉を没収されることになりかねない。そういう組織の中にいると、独裁者の機嫌をうかがいながら慎重に生きていくしかない。独裁者にほめられることを目的とする人たちが集まると、その共同体には競争が生まれます。他者がほめられれば悔しい。自分がほめられれば誇らしい。いかにして周囲よりも先にほめられるか。いかにたくさん褒められるか。さらにリーダーの寵愛を独占するか。こうして共同体は、褒賞をめざした競争原理に支配されていく。他者と競うことに駆り立てられた組織にどんなことが起きるか。競争相手を助け合う仲間ではなく「敵」とみなすようになる。何か不都合なことを見つけると、すぐに密告するようになる。他人は自分を罠に陥れようとする危険な生き物とみなすようになる。つねにアンテナを張って防衛しないと罠にはめられる可能性が高まる。人間同士がいがみ合い、心の安定は得られなくなります。アドラーはほめる、叱責するという人間関係は「タテの人間関係」につながると警鐘を鳴らしています。中身は支配・被支配の人間関係です。主導権争いが絶えなくなります。アドラーは「ヨコの人間関係」作りを目指すべきであると提案しています。相手をリスペクトして、助け合い、思いやり、相手の居場所をつくり安心して暮らせる社会を作り上げることです。これは森田でいうと「物の性を尽くす」「他人の性を尽くす」に通じる考え方となります。
2024.10.27
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アドラー心理学では「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と説明しています。その根底には他人から特別な存在として大切に取り扱ってもらいたいという切なる欲求が隠されているというのです。それが満たされなくなったとき、さまざまな問題行動が起きてきます。問題行動には次の5つがあり、それはしだいにエスカレートしてくると説明しています。この5つの問題行動のパターンを理解しておくことは、人間関係の改善に役立ちます。問題行動の第一段階は「称賛の要求」です。親や教師に対して、またその他の人々に向けて「いい子」を演じる。組織で働く人間であれば、上司や先輩に向けて、やる気や従順さをアピールする。それによってほめられようとする。入り口は、すべてここです。彼らの目的は、あくまでも「ほめてもらうこと」であり、さらに言えば「共同体のなかで特権的な地位を得ること」なのです。ほめてくれる人がいなければ、彼らははやる気を失う。罰を与える人がいなければ、迷惑行為を繰り返すこともある。問題行動の第二段階は「注目喚起」です。せっかく「いいこと」をしたのにほめられないとストレスがたまります。そこで褒められなくてもいいから、とにかく目立ってやろうと考えます。学校や職場のなかで、特権的な地位を得たい。自分の属する共同体のなかに、確固たる「居場所」がほしい、真の目的はそこです。正攻法ではうまくいかないので、ちょっとしたルールを破る。いたずらを仕掛ける。相手を困らせるようなことを仕掛ける。問題行動の第三段階は「権力争い」です。誰にも従わず、挑発を繰り返し、戦いを挑む。その戦いに勝利することによって、自らの「力」を誇示しようとする。特権的な地位を得ようとする。かなり手ごわい段階です。この段階は一言で言えば「反抗」です。周りの人に対して、口汚い言葉で罵って挑発する。癇癪を起こして暴れまくる。平然とルールを破ります。消極的な人は、「不従順」によって権力争いを挑んできます。どんなに厳しい言葉で叱られようと無視して何もしない。拒絶する。この段階の人に対しては、叱りつけても効果はありません。法律に抵触するような問題行動は毅然とした態度で臨むことが必要ですが、それ以外の権力闘争には近寄らないことです。問題行動の第四段階は「復讐」です。第一段階から第三段階で歯が立たないということになると、一旦引き下がった後に復讐の段階に突入します。復讐の段階に入ると、正面きって戦うことを選びません。相手が嫌がることをひたすら繰り返すようになります。ストーカー行為は典型的な復讐です。復讐のかたちは様々です。アドラーは自傷行為や引きこもりも復讐の一環だと考えています。この段階に至ると、第三者に助けを求めるしかない。問題行動の第五段階は「無能の証明」です。人生に絶望し、自分のことを心底嫌いになり、自分には何も解決できないと信じ込むようになる。そしてこれ以上の絶望を経験しないために、あらゆる課題から逃げ回るようになる。周囲に対しては「自分はこれだけ無能なのだから、課題を与えないでくれ。自分にはそれを解決する能力がないのだ」と表明するようになる。「できるかもしれない」と課題に取り組んで失敗するくらいなら、最初から「できるはずがない」とあきらめたほうが楽なのです。そうすればこれ以上の失意に打ちのめされる心配はないのですから。この段階に至ると、自暴自棄、無気力、無関心、投げやり、退廃的になってしまう。他人から見放され、生きることに絶望してしまう。医療の専門家の力を借りる必要があります。(幸せになる勇気 岸見一郎・古賀史健 ダイヤモンド社 90~103ページ参照)
2024.10.26
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62歳で登山を始め、日本300名山を始め、2000以上の山を制覇した田中三郎さんという人がいる。身長は153cm、体重は51kgの小柄な体格の方です。田中さん曰く。登山は絶対安全ということはありません。山は危ないと心得るべきだ。私は臆病者なので、いつも細心の準備をしています。100%どころか、130%の安全対策を行っている。登山は一瞬で命を落とすこともあるのだから、臆病な神経質者に向いている。たとえばキリマンジャロね。それほど難しい山ではないけど、標高は5895m、高山病が心配なんです。案の定、日本から一緒に行った大学山岳部の学生たちは、高山病でやられました。でも私は平気、高さに慣れようと、富士山の山中で2泊したんです。これが、30%の安全対策。人によっては300%の安全対策をというけれど、それなら山をやめたほうがいい。荷物が重くなるばかりで、ぎっくり腰にもなりかねないしねえ。私の体力だと、25kgの荷物を背負うのが限度。だから安全対策といっても、食料や装備を必要以上に多くするのではなく、山に行く前に、30%分の安全を確保するのです。週に1回は5kmを速足で歩く。あとは地図と気象、救護法の基礎知識を学ぶ。ロッククライミングの練習。プロのガイドについて基礎から始めれば誰でもできます。最初は3mくらいの岩から始めました。スキーだって、冬山に行きたくて70歳から始めました。それでもバッジテストで2級が取れた。何かを始めるのに、遅いということはないと思いますね。山に入ってからも、注意することは山ほどあります。たとえば、けがは午後3時以降に多いのですが、これは疲労が原因です。だから疲れる前に休憩を入れ、3時以降は無理をしないこと、私は出発前に必ずビタミン剤を飲みますが、これも疲労による筋肉の硬直を防いでくれます。それから登山は単独行動は絶対に避けること。全国各地に、さまざまな山登りの同好会がありますから、そういう団体に所属することです。そこで経験を積むことです。たとえば、冬山の零下20度というと、水筒の水は凍結するし、カメラのフィルムも凍って切れちゃう。だから、カメラや水筒は抱いて寝る。こんなことも私は知らなかったのです。グループに入って、リーダーの指導を仰がなかったら、登山を続けることはできなかったでしょう。体力以上に、経験とそれがもたらす技術が、登山者の命を支えてくれている。はじめての山に登るときは地図やガイドブックを見るだけではなく、経験者にルートを教えてもらい、どのルートが最も安全かトコトン研究します。それでも不安な時はプロのガイドを案内に頼むのです。実力のあるガイドで5万円くらい。平均3万円くらいです。命の値段と考えたら高いとは思いません。奥さん(77歳)は、最初は「山ほど嫌いなものはない」と言っていた。それがためしに連れて行ったら。たちまち虜になった。もう300名山のうち64山に登っている。(上手な老い方 草緑の巻 小学館 166~171ページ参照)
2024.10.25
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中国に木鶏(もっけい)という故事があります。昔、ある国に闘鶏が好きな君主がいた。君主は強い闘鶏を育てることで有名な紀渻子(きせいし)という人に訓練を依頼した。10日ぐらい経ったとき、せっかちな君主は、「もう強くなったか」と聞いてきた。紀渻子は、「この闘鶏は相手を見るとオドオドしている」と伝えた。しばらくしてまた君主が様子を尋ねると、「まだまだです。相手を見ると羽根を逆立てて威嚇している」と答えた。3回目に行くと、「まだだめ。この闘鶏は相手を見下している。敵を見くびるところある」と答えた。4回目にようやく「もう大丈夫。木で作った鶏のようにどんな相手を見ても微動だにしません。どんな試合に出しても大丈夫でしょう」と太鼓判を押した。この話は人間に当てはめて考えるとどういうことになるでしょうか。相手を見るとオドオドする・・・他人が自分をどう評価しているのかが気になる。自分がどうであれ、他人から非難、否定されることにがまんできない。他人の顔色ばかりを気にしていて気が休まることがない。これは心の中に相手に負けたくない。どんな相手にも勝ちたいという気持ちが強すぎるのではないか。無視される。軽視される。からかわれる。叱責される。非難される。否定される。などというようなことは、相手に負けたような気持になり惨めになる。いつか意地悪をして鬱憤を晴らしたいという気持ちでいっぱいになる。相手を威嚇する・・・森田でいえば「かくあるべし」を相手に押し付ける人である。相手には相手の都合があるのですが、そんなことはお構いなしに自分の気持ちや考えを一方的に相手に押し付けてしまう人である。これでは人間関係はうまくいきません。相手を見下す・・・上から下目線で相手を見てしまう。人間関係は縦の関係になる。支配する人と支配される人に分かれてしまう。相手を協力し合う仲間として見ることができなくなってしまう。横の人間関係については眼中にはない。孤立することが多い対人恐怖症の人が他人を支配しようとすれば、周りは敵ばかりとなり、社会から排除されるようになります。目の前の変化に右往左往しなくなる・・・不快な感情や気分に振り回されなくなる。不快な感情と行動をきちんと切り分けられるようになる。不安を抱えながらも生の欲望に添った行動ができるようになる。不快な気分と行動をきちんと切り分けられるようになる。気分は主観的な感情であるが、一方的に気分に流されなくなり、社会人としての自分に課せられた使命や責任を果たそうとするようになる。不快な感情や気分を「あるがまま」に受け入れて、目的本位に生きていくようになる。
2024.10.24
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小林正観氏のお話です。現在ある言葉の中で、最高の影響力を持った言葉は「ありがとう」の5文字でしょう。「ありがとう」という言葉の力を調べるために、次のような実験を行いました。2つのペットボトルを準備し、1つには「ありがとう」、もう1つには「ばかやろう」と書いて東京都の水道水を入れます。一晩おいた水を凍らせて結晶を撮影すると、「ありがとう」と書いた水道水だけに、宝石のような美しい結晶ができるのです。一方の「ばかやろう」と書かれた方は、かわいそうなくらい無残に変形します。いろんな水を使って実験しましたが、結果は同じでした。人間の体は70%が水でできています。だとすれば「ありがとう」という言葉をたくさん投げかければ、この実験と同じように体内の血液や体液も変わり、健康を維持できるのではないか、私はそのように仮定しました。そして実証してきました。「ありがとう」を唱え続けたがん患者からがん細胞が消えたり、医者から失明を宣告された人からいつのまにか目の病が癒えていたり、手術が必要と言われていた子どもさんの心臓の穴が塞がったり、各地で信じられないような奇蹟が次々に起きたのです。(1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書 藤尾秀昭 致知出版社 404ページ)この話は科学的に実証されているのかと反発したい人もいらっしゃるでしょう。確かににわかには信じられない話です。しかし、「ありがとう」「おかげさま」といつも感謝の気持ちを持ちながら生活している人は身心とも健康体になれるというのはその通りだと思います。相手をリスペクトし、敵対することが少なくなるからです。たとえ、不幸な事件に巻き込まれても、これは神様が自分に対して、一回り大きな人間に成長するために試練や宿題を出されたのだと思える人はやがて立ち直ります。「ありがとう」「おかげさま」の反対は、「ダメだ」「ついていない」「運が悪い」などの非難や否定の言葉だと思います。マイナス面があればプラス面もあるということが分かっていない人は、マイナス面ばかりに焦点を当てて目くじらを立てて相手を攻撃します。反対に大きなマイナス面を持っている人は、その裏に大きなプラス面を持っているはずだと思っている人は、寛大な気持ちで相手を許すことができます。自分や他人、自分に降りかかる不幸を非難・否定していると、心身ともに疲弊してきます。「おかげさまで助かりました。ありがとう」という言葉をキャッチフレーズとして口ずさむ習慣を身に着けたいものです。
2024.10.23
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アドラーは子どもの夜尿症は、子どもの親への甘えの意志表示と考えて次のように言っています。夜尿はいくつかの目的に役立つ。(親の)注目を引くこと、(親を)自分に仕えさせること、昼だけでなく、夜も注目させることである。おねしょをすると布団やパジャマがびしょぬれになり気持ちが悪いことこの上もありません。それでもおねしょがいつまでもやまない子どもがいます。親はおねしょをした子供に対して、「また粗相をしたの。いくつだと思っているの」「お兄ちゃんやお姉ちゃんはおねしょなんかしたことがないよ」「だから寝る前に冷たいものを飲んではダメだといったでしょう」「明日から紙おむつをして寝なさい」「そうだ、明日からビニールを敷いて寝なさい」などと言います。文句を言いながらも、かいがいしく後始末をしてやります。布団を干して、パンツやパジャマを洗ってやります。子どもはどうしておねしょがやまないのでしょうか。それはやむにやまれぬ目的があるからです。それは親に甘えたい。親に自分のことを見ていてほしい。注目してほしいということです。その目的を達成するために、無意識にとった行動がおねしょだったのです。親が自分のそばにいてくれる。生命にかかる危険なことや他人に迷惑をかける行為以外は、口を挟まずに温かく見守っていてくれる。こんな親子関係になってくると、おねしょをして親の注目を引きつける必要はなくなります。おねしょは親に子どもとの人間関係に問題が起きていますよと教えてくれているのです。仕事や趣味や神経症などにとらわれて、子どもと一緒にいる時間が少なくなっていますよ。このまま大人になったら適応障害が起きますよというシグナルなのです。子どものおねしょから子どもと親の人間関係を見直すきっかけにしたいものです。
2024.10.22
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森田理論を学習していると「自覚」という言葉がよく出てくる。「自覚」することが大事だといわれるが、一体どうすればよいのでしょうか。森田先生は次のように説明されている。結局われわれは、静かに自分を見つめるときに、自分は果たして、何を求めつつあるかということを知らなければならない。たとえばわれわれが、不眠を治したいということは、何を意味するのであるか。単に不眠そのものが苦しくて、いたずらに惰眠を貪りたいというならば、酒や阿片を飲んで、酔生夢死すればよい。もし深く自分自身を考えてみれば、決してそんなことはない。不眠を恐れるのは、実は翌日の仕事の能率の上がらないことを恐れ、あるいは通俗医学でおどかされるように、病的になり、身体がしだいに衰弱して、取り返しのつかなくなるのを取り越し苦労するからである。ある患者は、「5昼夜間、不眠が続けば死ぬ」ということを雑誌で読んで、非常な恐怖に襲われたことがある。不眠そのものが苦しいのではなく、ただその結果が恐ろしいのである。このような関係であるから、もし一度不眠が恐れるに足らぬことを知り、さらに一歩を進めて、不眠を逆用して、ますます仕事の能率を上げうるということを体得するならば、そこにはじめて心機一転して、ほとんど奇蹟的に、従来の不眠がなくなるのである。これは言い換えればわれわれが求めようとしたところは、眠りを貪るのではなく、実はより良く生きようとする生の欲望であった、ということを自覚することから起こることである。(現代に生きる森田正馬のことば2 白揚社 182ページ)森田先生は、不眠で苦しいという事実を実感していても、本当の意味で「自覚」しているのではないと言われています。不眠が気になるのは、その裏により良く生きたいという生の欲望があるからだ。勉強や仕事で成果を上げたいという強い欲望があるからこそ、不眠で能率が下がってしまうことを心配しているのである。そのからくりに気づいたとき、「自覚」ができたのだと説明されています。「自覚」ができると努力の方向が違ってきます。赤面恐怖の人が、人前で顔が赤くなることを気にしているだけでは「自覚」は深まらない。吃音恐怖の人が、人前でどもってしまうことを気にしているだけでは「自覚」は深まらない。これらは、人前で堂々として、立派でありたいという強い生の欲望があるために、心配や不安が強まっているのです。恐怖のからくりが分かったとき「自覚」ができたと言うのである。「自覚」ができた人は、過度に不安にとらわれることはなくなります。「自覚」を深めるためには、ことさら不安だけを見つめるのではなく、生の欲望の方面からも見つめる必要があるということになります。森田ではこの考え方を両面観といいます。ことさら不安だけを問題視していると神経症の蟻地獄に落ちてしまいます。一旦アリ地獄に落ちてしまうと、もがけばもがくほど深みにはまってしまいます。そうならないためにはこの両面観の考え方を身に着ける必要があります。例えば、ガンになっているのではないかと心配になることがあります。これは主観的な事実です。主観的な事実は否定してはいけません。しかしこれだけでガンだと決めつけてしまうことはまずいことになります。この場合は、ガン専門医の検査を受ける必要があります。ガン専門医が第3者の視点から診断を下されるのは客観的な事実です。それを受けて私たちは主観的な事実と客観的な事実を統合させる必要があります。両面観で判断して、適切に行動できたとき「自覚」が深まっているのです。
2024.10.21
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渡辺和子さんの話は癒し効果があります。私も一人ひとりは花として生きたらいいと思います。小さい花、大きい花、早咲き、遅咲き、色とりどり、店頭に飾られて高く売られる花、豪華なパーティーに飾られる花があるかと思えば、ひそやかに、つつましく一生を終える花も多くあります。自分が願ったとおりの場所に植えていただいて一生を過ごすことのできる花もあれば、自分が望みもしなかった場所に植えられたり、移し替えられたりして一生を過ごす花もあることでしょう。もっと日当たりのいいところだったら、大きく咲けるのに、風当たりの少ないところだったら、すなおに、真っすぐに育つのに、あの邪魔ものがなければ、すくすくと伸びるのに、広々としたところならと、こんな思いが、私たちの一生の中には心をよぎることが何度もあります。そんな時に思い出してほしいのは、花にとって一番たいせつなのは、どこで咲くかではなく、またはほかの花と自分を比べて見劣りがするか、または見栄えがするか、そんなことではなくて、咲くということです。自分にしか咲かせられない花を、神さまが置いてくださったところで懸命に精一杯咲かせるということです。神さまが植えてくださったところで咲きなさい。仕方がないとあきらめるのではなく咲くのです。ひと見るもよし ひと見ざるもよし われは咲くなり。(あなただけの人生をどう生きるか 渡辺和子 筑摩書房 103ページ)地震や洪水などでどん底に突き落とされる人もいます。戦争で命が危険にさらされている人もいます。食べるものがなくて飢餓と戦っている人もいます。ガンなどの難病と闘っている人もいます。押し込み強盗で財産を奪い取られる人もいます。交通事故で大けがをする人もいます。職場での人間関係で苦しんでいる人もいます。私たちの仲間は神経症で苦しんでいます。どうすることもできない現実を目の前にして、神さまは血も涙もないと腹を立てて怨むこともあります。反対にこのような苦難に対して、神様が自分の成長のために試練を与えてくれているのだと受け取る人もいます。渡辺和子さんは、どうにもならない現実や事実を受け入れて、与えられた場所でとにかく花を咲かせることが人間に生まれた私たちの使命であると言われているように思います。
2024.10.20
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東日本大震災は、日本海溝から沈み込む太平洋プレートと、その上に乗ったオホーツクプレート(または北米プレート)との境界で発生したプレート境界型地震だったと言われています。この分析は、巨大地震は必ずプレートの境界で発生するという前提に立っています。そして今後30年以内に発生するという東南海、南海巨大地震もプレート境界付近で起きるはずだという暗黙の了解があります。果たしてそうでしょうか。確かに過去の巨大地震の多くはプレート境界付近で発生しているのも事実です。しかし2008年5月に起きた四川大地震はプレート境界説では説明できない。2016年熊本地震、2018年北海道胆振東部地震、2024年能登半島地震の発生原因はどう説明するのか。これらの地震は、東南海、南海の想定震源域とは全く関係のないところで発生しています。埼玉大学の角田史雄先生は東日本大震災を「熱移送説」理論を基にして次のように説明されている。日本列島の土台は固い花崗岩層で、その下に熱く一部溶けた岩層があり、それらを熱いマントルが支えています。熱が運ばれてきて地温が高まると、ブヨブヨした岩層(中部地殻とその下の下部地殻)は圧力なべの中のように巨大なエネルギーがたまります。その次に、その上に乗る固い花崗岩でできた岩層(上部地殻)は徐々に盛り上がり、限界を超えるとせんべいを割った時のように一挙に引き裂かれます。気象庁や観測センターを持つ大学などのデータの解析結果によれば、東日本大震災の震源断層面は花崗岩層の底面でした。その底面が次々に割れたのです。その底面の裂け目の広さは、500キロメートル×250キロメートルにも及びます。そして、その面を含む地下10~60キロの範囲が動き続けて、次々と余震を発生させました。震源が分布するエリアはほぼ平らであり、これまで想定されてきた傾いたプレートの沈み込み面とは異なった場所でした。巨大地震はプレート境界で多発していることは事実ですが、マントルの高熱が震源域付近に移送されて初めて巨大地震は起こるという説明は説得力があります。日本にはマリアナ海溝から伊豆を通り関東から東北に抜ける高熱の通り道とインドネシアからフィリピン、台湾、九州から関東に抜ける高熱の通り道があることが確認されています。移動の速度は1年間で約100キロくらいだそうです。熱風が次々に移送されていると角田先生は説明されています。プレートの境界面は強力な接着剤でくっつけられた状態で簡単には剥がれないようです。ところが、その真下に高熱が移送してくると境界面は簡単に剝がされてしまうようです。今までプレート境界説ばかり関心を寄せてきましたが、熱移送説を加味して地震の予知を考えていく必要があるように思われます。そのためには全国各地の火山活動や微弱な地震を監視することが有効です。さらにGPSで土地の移動や隆起を捉えることも有効です。その他、早川正士氏は、地震の直前になると電離層の攪乱が発生しているという現象を指摘されています。現在you tubeで地震予知に役立つ「日本全国緊急地震速報ライブ」がリアルタイムで発信されています。私はこれを毎日見ていますが、ある特定の場所で震度1から3程度の地震が頻繁に発生していることがよく分かります。事実が掴めると心の準備ができます。油断しているときに、突然警報音とともに「地震です!大きな揺れにご注意ください」というアナウンスほど心臓に悪いものはありません。(南海トラフM9地震は起きない 「熱移送説」で地震発生のメカニズムを解き明かす 角田史雄 藤和彦 方丈社)
2024.10.19
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自己否定感で自分を非難しているとうつ状態になります。それは自分の中にいる二人の自分が反目して戦っているからです。絶えず理想の自分が現実の自分を非難、否定している状態です。理想の自分が主導権を持って、現実の自分を痛めつけているのです。自己肯定感の強い人は、二人の自分が対立関係にはありません。自分は自分の最大の理解者、味方であると考えているのです。現実の自分を受け入れています。どんな自分でも許容できる包容力を持っています。ことさら防御態勢を引く必要はありません。安心感と信頼感があります。葛藤や苦悩がありませんので楽な生き方ができます。私は森田理論学習の中で、自己肯定感を高めるために、小さな成功体験を積み重ねて自信をつけることが有効であると学びました。高良武久先生は、対人恐怖症を治したい人は、自分の専門分野を極めていきなさいと言われました。10年くらいひとつのことに愚直に取り組むと誰でもその分野ではエキスパートになれます。自分に自信が持てるようになり、対人恐怖症は気にならなくなると言われました。注意や意識が外向きになり、さらに自己効力感が高まり、積極的、建設的、創造的な生き方に変化してくると症状は気にならなくなるというのはその通りだと思います。横田秀策氏は、自己肯定感を高めるためには、他者とのつながり、所属の安心や他者との協調、他者への貢献が欠かせないと述べられています。自分の周りを見渡したとき、自己肯定感の高いと思われる人は他者とのつながりが豊かなのです。逆に、自己肯定感の低い人は他者とのつながりが希薄となっています。他者への関心が乏しく、自分のことばかりに関心を向けている。自己肯定感を高めたいと考えている人は、可能な限り仲間の輪の中に入り一緒に行動する。(学校が苦手な子どものためのアドラー心理学 横田秀策+山口麻美 アルテ 87ページ参照)ここで大事な考え方は、できるだけ人間関係の幅を広げていくという考え方です。家族、学校、職場の人間関係がすべてというような人は危ないのです。森田理論では不即不離の人間関係をお勧めしています。これは必要なときに、必要に応じて、必要なだけの人間関係を築くという考え方です。コップにいっぱいの人間関係ではなく、コップに少しだけの人間関係をたくさん作り上げていくという考え方です。広く浅い人間関係は近づきすぎず離れすぎない臨機応変な関係を築くことができます。人間関係で苦しんでいる人は、近づいてはいけない時に近づきすぎて、近づいた方がよい時に相手から離れてしまう傾向があります。家族、学校、職場に加えて、生活の発見会、友人、趣味、習い事、同級生、親戚、子どもを通じての関係、町内会、マンション内の人間関係などに広げていくという考え方です。特に趣味や習い事は利害関係で結びついているわけではありませんのでお勧めです。
2024.10.18
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今日は正しい姿勢を保つというお話です。「巻き肩」とは、肩甲骨が前に出てしまい、肩が内側に巻き込まれる姿勢になっている状態のことです。普段道を歩いている時、猫背になっている人は、巻き肩の可能性があります。巻き肩になると、背中や首の痛み、頭痛や神経質、手のしびれなどの症状が出てきます。巻き肩のまま何もしないと、どんどん背中が丸くなってしまいます。筋肉が弱って体を支えられなくなってしまうのです。巻き肩の原因の一つは、長時間同じ姿勢でいることです。スマートフォンや事務仕事など、頭が前に出ている姿勢を長時間続ける人に起きやすい。肩から背中にかけての筋肉を「僧帽筋」(そうぼうきん)と言います。肩甲骨が前に引っ張られると、この僧帽筋が伸びきった状態になり、筋肉が縮むことができなくなる。血流も悪くなり、筋肉が凝り固まってしまいます。椅子に座ったまま僧帽筋の緊張を和らげるストレッチがあります。①椅子に座り、両手を腰に置く。②肘を後ろに引っ張り10秒間キープする。(この時、肩甲骨を寄せるように内側に力を入れる)10秒たったら、ゆっくりと肘を前に戻す。③これを3回繰り返す。You Tube動画「太田病院HPH」で詳しく紹介されています。「巻き肩と猫背の改善のストレッチ」でアクセスしてみて下さい。人間の頭は5キロの重量があるそうです。スマートフォンを操作するため首を前に60度曲げた状態では、首にかかる負荷は27.2キロまで増えます。その重量の悪影響は全身に及びます。(パワーポーズが最高の自分を作る エイミー・カディ 早川書房 268ページ)「巻き肩と猫背の改善のストレッチ」をとり入れて正しい姿勢を保つようにしませんか。簡単ですから今すぐに始められます。
2024.10.17
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桂小金治さんのお話です10歳の頃、僕にとって忘れられない出来事があります。ある日友達の家に行ったらハーモニカがあった。家に帰ってハーモニカを買ってくれと親父にせがんでみた。すると親父は神棚の榊の葉をとって、それで「ふるさと」を吹いたんです。私は親父の真似をして一人で草笛の練習をしました。どんなに頑張ってみても一向に音は出ない。諦めて数日で止めてしまいました。それを知った親父がある日、「おまえ悔しくないのか。俺は吹けるがおまえは吹けない。おまえは俺に負けたんだぞ」と僕を一喝しました。続けて、「一念発起は誰でもする。実行、努力までならみんなする。そこでやめたらドングリの背比べで終わりなんだ。一歩抜きん出るには努力の上の辛抱という棒を立てるんだよ。この棒に花が咲くんだ」その言葉に触発されて来る日も来る日も練習を続けました。そうやって何とかメロディーが奏でられるようになったんです。得意満面で親父の前で披露しました。その僕を見て親父は言いました。「偉そうな顔をするなよ。何か一つできるようになった時、自分一人の手柄と思うな。世間の皆様のお力添えと感謝しなさい。錐(きり)だってそうじゃないか。片手で錐は揉めぬ」翌朝目が覚めると、枕元に新聞紙に包んだハーモニカが置いてあった。喜び勇んで親父のところに駆けつけると、「努力の上の辛抱を立てたんだろう。花が咲くのは当たりまえだよ」子ども心にこんなに嬉しい言葉はありません。あまり嬉しいものだから、お袋にも話したんです。するとお袋は、「ハーモニカは3日も前に買ってあったんだよ。お父ちゃんが言っていた。あの子はきっと草笛が吹けるようになるからってね」僕の目から大粒の涙が流れ落ちました。今でもこの時の心の震えるような感動は、色あせることなく心に鮮明に焼き付いています。(1日1話 読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書 藤尾秀昭 致知出版 56ページ要旨引用)
2024.10.16
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玉野井幹雄氏は「目的本位」を次のように説明されています。この言葉は、生活の発見会では、症状本位とか気分本位という言葉に対して使われるようになったものです。神経症を克服する過程で、症状有無とか、気分の良し悪しを重視するのではなく、目的を達成したかどうかを重視するように指導したところから、「目的本位」という言葉が使われるようになったと記憶しています。神経症で苦しんでいる人は、苦しい境地から抜け出したい一心で集談会にやってくるわけですが、そのような人に対して、私たちはよく「苦しいままにやるべきことをやる」ように言います。実際にそうやっていると、ある程度症状が軽快し、苦しみも軽くなりますが、それ以上には進まないところにぶつかるものです。なぜかと言うと、「症状を治すことを目的にした行動」をしているからであります。なぜ、症状を治すための行動をしてはいけないのかと言いますと、神経症の症状というものは、異常ではないものを異常だと思い込んで、それを取り除こうとして悪戦苦闘しているものですから、もともと治す対象にしてはいけないものだからであります。ですから、それを治そうとすること自体が間違っているのであって、いつまでたっても治らないのが当然です。そこで治すことを一時棚上げして、他のことに精進するようになれば、自然に症状のことを忘れるようになって、結果的に解決するという性質のものであります。ですから、症状治しの行動をしている間は、けっして解決することはないのであります。(いかにして神経症を克服するか 玉野井幹雄 自費出版 32ページ)症状を治すための行動はどんなことになるのか。例えば掃除をする場合、部屋の中を綺麗にするという目的が希薄なために、不十分な掃除になります。後で他の人が掃除のやり直しをするようなことが起きます。その人に掃除を頼まなない方がよかったということになります。また症状を治すためには実践課題を作ってそれに取り組むことが有効だと聞いて、今まで奥さんのやっていた掃除、洗濯、食事作りなど家事一切を自分の実践課題にしてしまった人がいました。奥さんの生活リズムがくずれてしまいました。またやることなすこと手抜きが多くて傍で見ているとイライラして夫婦喧嘩が絶えなくなったということです。治すための行動は注意や意識が行動内容に当たっているのではなく、自分の症状が軽快したかどうかに向いているのです。ですから行動そのものは問題だらけということになります。森田でいう行動とは、日常生活の中で、必要なときに、必要に応じて、必要なだけの行動を心がけるということです。そのためには規則正しい生活習慣を作り上げることが効果的です。何も考えなくても自然に体が動いてくるという状態に持っていくことです。河井寛次郎氏のいう「手考足思」の状態に持っていくことです。そうなれば前頭前野は休息状態となり、頭頂葉や側頭葉が盛んに活動してくれるようになります。
2024.10.15
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メラビアンの法則とは、コミュニケーションの方法によって、相手に与える影響が大きく違ってくるというものです。これによると言葉によるコミュニケーションでは7%しか伝わらない。具体的にはメールでのやり取りでは自分の真意の7%しか伝わらない。言葉プラス音声によるコミュニケーションは45%までは伝わる。具体的にはスマホで話をすると38%プラス7%で45%まで伝わる。言葉プラス音声プラス「ボディランゲージ」で100%伝わる。これは直接会って話をするということです。ボディランゲージには、身振り手振りのほか、表情、目の動き、雰囲気なども含まれる。(なぜ、あなたは他人の目が気になるのか 根本裕幸 フォレスト参照)最近は森田理論の学習会もZOOMを活用して全国規模の学習会が増えてきました。画面オフにする人もいますが、普通は相手の顔が見えます。メラビアンの法則でいうと、100%まではいかないと思いますが、70%~80%くらいまでは達成できているのではないかと感じています。ZOOMを活用した学習会は、今までの学習会とはかなり変化してきたように思います。家に居ながら全国の人と学習・交流会が開催できます。今までリアルの集談会だけ参加していた人にとっては、急に視界が広がりました。交通費がかからない。移動時間がなくなりました。時間の節約につながります。学習時間の制約がなくなりました。1時間から2時間程度の短時間の学習会も可能になりました。平日の昼間や夜の学習会も可能になりました。目的別の学習会が可能となりました。スケールメリットが働いているのです。同じ症状で困っている人達や同じ悩みや問題を抱えている人達だけの学習会が可能となりました。また学習内容を絞り込んで中身の濃い学習会も可能となりました。しかしメリットも多いのですが、デメリットもあるように思います。まずwi-fiに繋いでいないと通信料がかかるということです。パソコンを持っている人は問題ないと思われますが、新たに購入するというのはかなりの出費となります。スマホでの参加もしかりです。そこまでして学習会に参加する必要があるのかという人もいます。またZOOMに参加する方法や利用方法が分からないという人もいます。一からZOOMの取り扱い方を学習するのが面倒だという人もいます。但しこれについては、集談会で詳しい人がいますのですぐに解消できます。次に、ZOOMの学習会に参加することは敷居が高いという人もいます。地元集談会では初心者以外は旧知の仲です。お互いによく知っているので安心感があります。ZOOMは今まで見たこともない人の輪に飛び込んでいくことになりますからかなり勇気がいります。また最初からざっくばらんに自己開示は難しいと思います。どうしても当たり障りのない話に終始してしまいます。この面では対面の集談会に比べると見劣りがします。しかしこれも慣れで、何回も同じ会合に参加しているとすぐに親しくなれます。また、ZOOM学習会では、自分の顔がモニター画面に映し出されますが、受け入れられないという人もいます。そこで画面オフにして、音声のみの参加を認めている場合もあります。私の場合もモニター画面に顔が映し出されるのに抵抗感がありました。何回も参加していると違和感は感じなくなりました。私は禿げているのですが、恰好をつけても仕方ないと思うようになりました。それよりも目的意識が明確な人が参加してきますので、大いに得るところがあるというのが実感です。・現在は地元集談会(1ヶ月に1回4時間の学習会プラス居酒屋での飲み会2時間)・関東第一支部主催の生活の発見誌を読んでの意見交換の学習会(1ヶ月に1回夜2時間)・月1回夜2時間の所属支部の学習会(帚木蓬生氏の「生きる力」を読む会+なんでも語ろう会)以上3本立てでの参加を続けています。とても気に入っています。みなさんも自分に合う学習会をぜひ見つけてみて下さい。
2024.10.14
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他人の気持ちを忖度することは大切です。しかし他人の気持ちを忖度するあまり、自分の気持ちや考えや欲求を軽視ないし無視することは問題があります。自分の気持ちを二の次にすることは、本音を無視して建前で生きているようなものだと思います。すると建前と本音が対立して、生きることが苦しくなります。相手の気持ちと自分の気持ちの調和を図ることが欠かせません。良好な人間関係を築くためには、まず相手の気持ちや考え方をよく聞くことが必要です。その後で、自分の気持ちや考えや欲求を相手に伝える。そのとき最初から二人の気持ちや考え方が一致していることはほとんどありません。その前提で付き合わないと、勝ち負けをかけた主導権争いが展開されます。言い争いに発展させないためには、譲ったり譲られたりの話し合いが必要になります。これが普通の人間関係ですが、「かくあるべし」の強い人は、自分の気持ちや考えを一方的に相手に押し付けてしまいます。そしてお互いに反目し合って人間関係を悪化させている。そうならないための方法を考えてみました。負けず嫌いな性格で、相手を言い負かすことに生きがいを感じているような人は危ないと思います。相手に言い負けてしまうことはプライドが許さないというような人です。神経質者で、理知的で議論では絶対に負けないと思っている人は要注意です。対人恐怖症や社交不安障害の人は仲間と和気あいあいと楽しく付き合っている人は少ないと思います。どちらかというと単独行動をとっています。これが致命傷となります。そういう人が言い争って仮に勝った場合はどうなるか。相手は自分の人格や問題点や悪い噂を周りの人に吹聴します。あることないことを面白おかしく拡散させるのです。そして仲間とともに徒党を組んで自分に向かってきます。気が付けば自分の周りは敵だらけという状況が生まれやすい。何かにつけていじめや嫌がらせを受けて、居場所がなくなってしまうのです。孤立しやすい神経質者は、相手に勝つことを目的として論争を挑むのは得策ではありません。また相手の挑発に売り言葉に買い言葉的な対応は回避しなければなりません。相手に勝ちを譲るという気持ちを持っておくことです。こういう人間関係はアドラーのいうタテの人間関係です。タテの人間関係は支配ー被支配の人間関係です。友好的で信頼感のあふれた人間関係ではありません。一旦支配者として君臨したとしても、いつ被支配者が反撃してくるか疑心暗鬼に陥ります。タテの人間関係に対して、ヨコの人間関係があります。これは森田理論でいうと、「他人の性を尽くす」「己の性を尽くす」人間関係です。お互いをリスペクトして、それぞれの持ち味を存分に活かし尽くすという人間関係を目指します。人間関係を良好的に保つノウハウはいろいろとありますが、その以前に勝ち負けをかけた主導権争いは絶対に避けるという気持ちを持っておくことが肝心です。桃栗3年、柿8年といいます。栗は植えて4年目ですが20個くらい実をつけてくれました。大地の恵みに感謝し早速「栗ご飯」をつくりました。
2024.10.13
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7月号の「生活の発見誌」に次のような記事(43ページ)があります。森田先生の頃は入院療法で、皆で共同生活をして、食事当番、掃除当番、風呂炊き、肥汲み、小動物の世話、植物の世話等々、役割分担をして仕事が割り当てられていたそうです。新しい人から古い人まで適宜に森田先生が決められていたそうです。やはり新しい人はその仕事になかなかなり切れず、自分の症状を治すための仕事しかできなくて、気が利かないことばかりしていたそうです。ベテランになるほどものそのものになり切ることができた。症状から離れて、他人に役立つ仕事ができるようになったそうです。退院後もよく気が付くようになり、尻軽く行動できるようになりました。体重も増えて周囲の人がびっくりしたというエピソードはあまたあります。森田先生は神経症を克服するためには、規則正しい生活と日常茶飯事に丁寧に取り組むことだと考えられていたのだと思われます。神経症に陥るような人は、生活が不規則になっています。不快な感情や気分に振り回された生活をしています。日常茶飯事は手を抜いて親や配偶者や周囲の人に依存している。自分としては意味のある仕事やクリエイティブな活動に専念したいと思っていたのです。入院生にとっては、今までの価値観の大転換を迫るものでした。自分もここまで落ち込んだかと涙を流す人もいたようです。雑巾がけをしている入院生の姿を見て、憤慨した家族が退院させたというケースもあったようです。当時の知識層は、都会で一旗揚げて故郷に錦を飾りたいと考えていたので、森田先生の入院療法には抵抗感が強かったのです。森田先生のところへ入院すると、社会から隔離して臥褥から入ります。これは生の欲望を持った神経質者かどうか、また40日間の入院に耐えられるか見極めておられたのだろうと思います。その後は共同生活の中で、生活に必要な作業に丁寧に取り組ませました。神経症を治すための薬物療法は行われていません。神経症を治すために特別に時間をとって講義をされることもありませんでした。必要な作業も自分自身で気づいてやるべき課題や目標を見つけ出すように指導されていました。現代は、故郷に錦を飾りたいというような欲望を持っている人はいません。ただ神経症を治したい、不安を軽減したい、楽な生き方を見つけたい、人間関係を改善したい、子育てに応用したい人が多いと思います。現在森田理論学習をしている人は、森田理論を理論として学び、内容を理解することで満足する傾向が強いように思われます。理論を学んだあとで、自分の生活の中に取り入れてみることが大事です。森田理論の学習会では、実践・行動と森田理論学習は車の両輪として取り扱うことが大事だと学びました。例えば、規則正しい生活をすることが肝心だということを学びました。そのなかで、一つ一つの日常茶飯事に丁寧に取り組みましょうと学習しました。ものそのものになりきることができると、次々に気づきや発見が見つかり、行動に弾みがついてきます。これは森田理論の活用という面では、基本中の基本だと思います。この基本が確立されている人は、たとえ神経症で苦しんでいても、神経症に振り回されて精神面や生活面で泥沼の状況に陥ることは回避できます。この2つに愚直に取り組んでいる人の話はとても刺激的で参考になります。波及効果が生まれて、まわりの人みんなが幸せな気持ちになります。そういう話が自己紹介や体験交流の場でどんどん出てくることを期待しています。
2024.10.12
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渡辺和子さんのお話です。第2次大戦中ナチスに捉えられ、恐怖を絶えず味わいながら、九死に一生を得て終戦を迎えた人に、ヴィクター・フランクルというオーストリアの精神科医がいます。過酷な状況の中で、最後まで生き延びた人もいれば、力尽きて死んでいった人もいました。その両者を分けたのは、決して体の頑強さではなかったと述べています。では、何だったのでしょうか。それは、「希望」の有る無しでした。「この戦争がいつか必ず終わり、妻子に再び逢える」という希望。「戦争が終わったら、やりかけていた仕事を完成させよう」という希望。それらは、収容所の中にいて、ほとんど夢のようなもの、実現不可能と思えるものでした。にもかかわらず、その希望を持ち続けた人々のみが、生きて終戦を迎えることができたのでした。(目に見えないけれど大切なもの 渡辺和子 PHP文庫)ここで「希望」と言われていることは、課題、目標、目的、夢等のことだと思います。森田でいえば「生の欲望」のことです。生死を分ける過酷な環境に置かれた場合、希望を見失わなかった人が生き延びることができたというのは驚きです。そういえばアルプス登山では、登頂した後に次の目標を持っていないと、たとえ登頂に成功しても不覚にも下山の途中で遭難してしまう場合があるそうです。緊張感がなくなり、急に弛緩状態に陥ることは、我々が考えている以上に危険なことだと思われます。アウシュビッツの収容所で、ある人は次のような希望を持って生き抜いたという。私は、収容所での苦しみを喜んで苦しみますから、その代わりに、私の愛する母親の苦しみを、その分だけ和らげてやってください。もし、ガス部屋へ送られて死なねばならないとしたら、どうぞ、私の生命の短くなった分だけ、どこかの収容所に入れられているだろう母親の命を生き長らえさせてください。自分の苦しみも死も無意味なものとならないようにしたいという希望に支えられて、この人は終戦までの地獄のような日々を生き続けることができたそうです。
2024.10.11
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精神科医の樺沢紫苑先生がソムリエの田崎真也氏の話をされています。田崎真也さんが、世界最優秀ソムリエコンクールで優勝したときの映像を見ました。グラスに入った1杯のワイン。色、味、香りを頼りに、ブドウの種類、地域、畑、ビンテージ(何年ものか)を全て言い当てるのに驚愕しました。味や香りという漠然とした感覚を、どのように記憶するのか。それも何百種類、いや、コンテストに出るような人は、1000種類以上もの違いを記憶するそうです。そんな五感を記憶する方法が「言葉にして伝える技術 ソムリエの表現力」(田崎真也 祥伝社)で紹介されている。この本によると、味や香りといった一瞬で消え去るような繊細な感覚を言葉で表現することによってストーリー化している。結果として、五感を記憶に残すことができるというわけです。「なぜソムリエは、五感で感じたことを言葉に置き換えるのでしょうか。五感で受け止めた感覚は、潜在的な記憶に留まることはあっても、それだけでは、自由自在に引き出せる記憶にはなっていません。いつでも思い出し、より明確に呼び起こすためには、言葉が必要なのです。ワインを一種類ずつ、五感のセンサーで受け止めた感覚を左脳で判断し、言語化し、記憶し、それを整理しデータとして蓄積することにより、容易に検索するための手助けとするのです」「言語化するということは、記憶を整理しやすいツールに変え、意味づけをすることで、より正確なものにして、そして瞬時に呼び起こすことで、自在に応用できるようにするための最適な方法だと僕は思っています」(覚えない記憶術 樺沢紫苑 サンマーク出版 88ページ)この話は森田理論学習のなかにぜひとも取り入れたいものです。生活の発見誌のなかに毎月「体験記」があります。「森田理論の学習の要点」の「まとめのしかた」に添って、自分の場合はどうだったのかを振り返って文章にしています。文章にするということが言語化するということです。それを何度も読み返して加筆訂正を行います。これが自覚を深めるために避けて通れない作業となっています。森田理論学習には、森田理論を自分に引き寄せて検討するという作業が大事になります。次に生活の発見誌で毎月琴線に触れた記事はノートに書きだすようにする。毎月1つか2つを書き出して、自分の考えを付け加える。それをみんなに説明できるように整理して読後感想として発表する。この作業を継続していると、森田理論をより深く学ぶことができるようになります。参加者全員がそのような気持ちを持っていると、森田理論学習の深耕につながります。今年の柿は豊作でした。
2024.10.10
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樺沢紫苑氏のお話です。あなたは、本を買ったら、どこから読み始めますか。私は、本を買ったら、まず目次を見ます。本の構成、そしてこの本にどんな内容が書かれているのか、本の全体像を見通すためです。次に、目次の予備情報を頼りに、本をパラパラとめくっていきます。そして、自分が読みたかったこと、おもしろそうな記述を見つけたら、いきなりその部分を読み始めます。パラパラめくっては、立ち止まってじっくり読む。それを数回繰り返すと、わずか5分くらいではありますが、その本の一番「おいしい部分」、自分が「一番知りたかった部分」は読み終わります。たったの5分ではありますが、腹八分くらいの知的満腹感が得られます。これが、バラバラ読みです。本を最初から順番に読んでいくよりも、まずは全体の構成を把握し、それから細部を読んで、深めていくほうが記憶に残ります。(覚えない記憶術 樺沢紫苑 サンマーク出版 97ページ)この本の読み方は「森田正馬全集 第5巻」を読む時に応用したいものです。この本は形外会(森田先生を中心とした森田の学習会)の速記記録です。森田の考え方が具体的で丁寧に説明されていて大変役に立ちます。基礎的学習が終わった人で、さらに森田を深耕したい人はこの本を読むことをお勧めします。但しこの本は774ページもあります。箱入りで分厚い表紙がついています。この本を読もうと思った人は、少し躊躇すると思いますが、表紙などを取り除いて分解することをお勧めします。宝の持ち腐れにするのでしたら挑戦してみる価値があります。私は3分割にしています。1冊は250ページくらいになります。10分割にしているという人もいます。これは人それぞれです。クリアファイルを加工して表紙にしています。真ん中に2ヶ所穴をあけて閉じています。この作業をするだけでも、とっつきにくかった5巻が身近なものになりました。次に「現代に生きる森田正馬のことば」(生活の発見会編 白揚社)という本があります。この本は森田のキーワード毎に森田先生の話の内容を抜粋してあります。この本には「森田正馬全集第5巻」から抜粋が圧倒的に多い。5巻から引用されている部分は、すべてマーカーで印をつけていくのです。キーワードも一緒に記載しておきます。これをすると重要部分が読む前からある程度分かっているということになります。前後のやり取りと合わせて5巻を読んでいくと、内容がとてもよく分かるようになります。次に森田のキーワード毎に重要部分を書き出して整理する。これを作り上げると自分の宝物となります。さらに集談会や「森田全集第5巻を読む学習会」などに参加して自分の意見を述べてみんなで議論してみる。私は全集5巻は何回も繰り返し読んでいますが、1回通して読むと、次からはとても楽に読めることが分かりました。
2024.10.09
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佐々木常夫氏と坂東眞理子氏の対談です。佐々木氏 怒ってしまう人は、いつも怒ってしまうんです。習慣になってしまっている。そのたびに自分が不愉快になり、他人を不愉快にさせる。それに慣れてしまっていますから、自然にしていたら治りません。ストレスが溜まろうと何だろうと、努力して乗り越えたときに幸せな世界が現れる。だけど自制できず、自分で自分を律することができないと、つい怒ってしまう。怒ってしまうとやはり、幸せな気持ちは遠のいてしまいます。坂東氏 正直な話、私も若いころはわりと怒りっぽく、それ以上に落ち込みやすかった。すぐに悩んでしまいがちでした。「どうしてできないんだろう。どうしてうまくいかないのか」って、いつも悩んでいました。でも、そんなことを考えていてもうまくいくわけがない。でも、ここ10数年で変わってきたのは、「後で悩もう」と考えるようになりました。「後で後悔しよう」と思ったんです。いまは悩んだり怒ったりすることは脇に置いておいて、今やらなきゃならないことをやろう、と。今腹を立てたいけれども、それはやめて、心の押し入れの中にちょっとだけ入れておく。ちょっと後で怒ろう、とね。そうしたら、3時間も経てば、「あれ、あのときなんて思っていたんだっけ」「いや、つまらないことで悩んでいたな」と、アンガーマネージメントではないですが、気にならなくなってきます。※アンガーマネージメントとは、1970年代にアメリカで誕生したとされる怒りや悲しみ、劣等感などの強い感情と上手に付き合うための心理療法のこと。(女の輝き 男の品格 坂東眞理子・佐々木常夫共書 宝島社)生活の発見会でも自分は神経症で苦しいにもかかわらず、集談会の世話活動をされていた方が同じことを言われていました。みんなが喜んでくれる集談会にするために、自分の役割を精一杯果たすことを考えていた。集談会が終わってから自分の神経症のことを考えようと考えていたところ、1年くらい経ってみると症状に振り回されなくなっていた。目の前のやるべき事にはすぐに手を出して、症状のことを考えるのは先送りにするというのは、気がすすまないかもしれませんが、これが神経症から解放される早道となります。
2024.10.08
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今の仕事を辞めて、資格を活かして、独立開業したいという人がいました。今の会社勤めのノルマがきつく、上司はハッパをかけるばかりで仕事に嫌気がさしている。職場の人間関係も最悪でギスギスしている。会社に行くことが怖い。国家資格を持っているので、それを活かして独立開業したいと考えたわけです。親しい友人たちに相談してみましたが、「今から仕事を始めるのは難しいよ」「顧客開拓はどうするの」「軌道に乗るまでの3年は持ち出しばかりになるらしいよ。その間の生活費はどうするの」などと否定的な話ばかりでした。そのアドバイスに影響されて、今一歩踏みだすことができません。今のところ悶々と会社勤めを続けている。この問題は自分の気持ちが一番だと思います。ブラック企業と言われる会社もあるぐらいですから、独立開業が全くダメというわけではないと思います。ノルマがきつく、人間関係が最悪という場合、心身ともに疲弊してしまいます。今の仕事が自分に向いていないという場合もあるかもしれません。これを40年から50年も続けるというのは針の筵に坐らされているようなものです。しかし一方で会社員は、会社勤めを続けている限り生活費が確保できます。また健康保険や労災保険などの社会保険などが完備されています。将来の年金にも影響があります。会社員を辞めた場合のメリットとデメリットと、会社に残った場合のメリットとデメリットを書き出してあらゆる角度から検討してみることが大切になります。この手の話を、親しい友人に相談するというのは間違いだと思います。親しい友人は独立開業しているわけではないのですから、否定的でネガティブな助言をします。それが普通です。「それはいい考えだね。思い切ってやってみたらどう」というようなアドバイスをする友達のほうが無責任で危ないと思います。こういう人に相談すると、その人たちの不安が自分に乗り移って手も足も出なくなります。こういう場合は、実際に独立開業している人やコンサルタントに相談しないといけません。また同じ仕事仲間の連合会などが作られています。ときどき会合を開いて勉強会や交流をしています。そういうところで独立開業希望者の相談に乗っている。また独立開業者のためのセミナーや個人相談も受け付けています。指導料や授業料を払ってでも専門家の意見を聞く必要があります。仕事のやり方、自分の専門分野の決定、顧客開拓、事務所経営のノウハウ、経費と収入のシミュレーション、人脈の拡げ方、連合会への加入、家族の協力などは必須です。これらの問題にめどがついて、軌道に乗るまで頑張ると決意を固めることができれば独立開業の道もあり得ます。
2024.10.07
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水島広子氏のお話です。「寝坊した」「忘れていた」など、ひどい理由でデートをドタキャンする彼。感情的な女だと嫌われたくないから許してきたけど、愛さていないかもしれないと不安になるし、やっぱりムカつく!こういう場合売り言葉に買い言葉的な対応になってしまうと、人間関係はすぐに壊れてしまいます。相手に変わってほしければ、「あなたに対してムカついています」ではなく、「私は今とても困っているので、お願いできますか」という話し方をしないとよい結果は出ないですし、お互い余計なエネルギーを消耗してしまいます。何も難しいことはありません。ムカついた、ということは「自分に何か困ったことがある」という証拠。単にそれを相手に伝えるだけです。つまり、困っているときは、困っていると言おう、ということです。「あなた」を主語にしている限り、相手に対する批判しか表現できません。「あなたは、だらしなさすぎます」「あなたは、横暴すぎます」などと伝えても、相手はあなたから「責められた」感じて、反抗的な態度に出てくるでしょう。「あなたメッセージ」の応酬は、勝ち負けをかけての主導権争いを助長するばかりで、人間関係を悪化させることが多くなります。これに対して「私メッセージ」の発信は、結果的には相手を思いやる気持ちが生まれてきます。「私は、こういう事情で困っています。助けてもらえますか?」という言い方は、自分の状況を相手に伝えているだけです。「かくあるべし」を押し付けて、相手の態度を責めて変えようとしているわけではありません。「私メッセージ」の発信を身に着けた人は、相手のことを非難・否定しても相手を変えることはできないし、人間関係は悪化するばかりだということがよく分かっているのです。それよりも自分の気持ちに優しく寄り添う方がよほど意味がある。自分を癒す効果があるということがよく分かっているのです。自分の正直な気持ちを相手に伝えることで、相手がどう感じ、どういう対応をとるかは相手の自由に任せています。ときには自分が期待しているような対応をしてくれないこと起きるでしょうそれはそれで今後の対応として活かすことができます。(その不安、ニセモノではありませんか 水島広子 大和出版 100ページ参照)
2024.10.06
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NHKラーニングは過去の優れた作品が視聴できます。その中に4回にわたって、本格的な「そば打ち」指南の動画があった。講師は元メガバンクに勤めていた人で、退職後1万人以上の人にそのコツを伝授している長尾喜司男さんという方です。日頃からそば打ちには、是非とも挑戦してみたいと思っていた私にとってとても興味をそそられた。その中でも「そばつゆ」の作り方がとても参考になりました。本格的な二八そば作りの前に、ぜひとも「そばつゆ」作りをマスターしたいと思い挑戦することにした。「そばつゆ」作りは、つきっきりで温度管理をする必要があるということでした。この点は子育てや野菜作りなどと一緒だなと思いました。そのための温度計は必須アイテムとなります。その他計量カップを用意する。本格的な「そばつゆ」は、「返し」と「だし」作りの2つの工程からなっている。「返し」は、薄口しょうゆ100mmℓ、濃い口しょうゆ100mmℓを混ぜ合わせて強火で60度まで加熱する。焦げると使えなくなります。その中に「ざらめ」30g、みりん50mmℓを入れて85度になるまで5分間温めて火を止めて余熱をとる。これを常温で1週間寝かせるとまろやかになる。「だし」は、50gのカツオの粗削り節を使う。水500mmℓに入れて85度の温度を保ち強火で15分煮出す。つきっきりで温度管理をするのがコツです。これを混ぜ合わせて「そばつゆ」を作る。「つけそば」の場合は、「返し」1、「だし」2の割合にする。「かけつゆ」の場合は、「返し」1、「だし」5の割合にする。早速「つけそば」用の「そばつゆ」作りに挑戦してみた。温度管理はとてもむずかしかった。予定の温度をすぐに超えてしまうのです。越えたら冷ます、冷めたら上げるの繰り返しでした。次に「返し」1、「だし」4くらいが丁度よいだしになることが分かった。コクがあって確かにうまかった。薬味としてのネギは、切った後5分間水にさらす。香りと辛みが抑えられる。わさびをすりおろす場合は、サメ肌のおろし器を使う。森田先生は何でも自分で実際に経験してみることが大切だと言われております。こんな体験で無上の感動を味わえるのはうれしいものです。この次は折を見ていよいよ本格的な「そば打ち」に挑戦してみようと思っています。公民館活動で「そば打ち道場」をやっているところがあります。
2024.10.05
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三重野悌次郎氏のお話です。我々は、自分が考えたり話したりすることは、事実そのままだと信じていますが、実際は事実の一部分か、あるいはありもしないことを、あると信じて、考えたり話したりしているのです。その例が神経質の苦しみです。ある人は専門病院の医師が否定するのに、心臓に疾患があると信じて、発作を恐れて電車にも乗れない。ある人は胃癌になったと思って勤務を休む、ある人は人前で緊張するのは自分の精神が弱いからだと考えて、精神強化のために坐禅をしたりする。これらはいずれも自分の考えたこと(観念・思想=言葉)を事実として、対応しているのです。つまり間違った地図によって現地を旅行しているのです。迷ったり生きづまったりするのは当然です。だがこのような誤りは神経質者に限らず、一般の人も同様な誤りを犯します。たとえば「近ごろの若い者はなってない」とか「女だから駄目だ」というのは、いずれも自分の考えを事実と混同しています。このような誤りを犯さないためには、常に事実をあるがままに見ることと、できるだけ具体的に話すことが大切です。(森田理論という人間学 三重野悌次郎 白揚社 126ページ)この話から「不安」を考えてみたいと思います。不安には2通りあります。まず現実的な不安があります。たとえば2024年8月8日日向灘地震が起きました。震源地は南海地震の震源域に含まれており、南海地震を誘発する可能性があると気象庁から注意喚起がなされました。これは事実に基づく現実的な不安です。現実的な不安に対しては危険回避のために積極的な対応が必要です。家具の固定、非常食の用意、水の確保、ヘルメットの用意、避難場所の確認をされた人が多いのではないでしょうか。これに対して、観念的な不安というものがあります。人間は言葉を使い記憶力を働かせて、過去のことを悔やみ、将来のことに取り越し苦労し、人の思惑を忖度します。危険がほとんどないことにも悩みます。例えば危害を加えるとは思えないような犬でも、犬を見るとすぐに逃げてしまう人がいます。あるいは危険かどうかわからないようなことまで悩みます。車のあおり運転のテレビ映像を見て、運転することを躊躇する人がいます。たしかめようがない未来のことに対しても、根拠のないことを想像して思い悩んでしまいます。訪問営業の仕事をしている人が、自尊心が傷付くことを恐れて仕事ができなくなる人もいます。神経症的な不安というものは、事実に基づかない観念的な不安です。非現実的な不安は、現実的な不安と違い曖昧模糊としたものです。したがって解決方法が見つからない。観念の世界で作り出した不安は、すぐにどんどん膨れ上がってしまいます。誰にでも起こりえるような失敗を自分が会社の中で居場所を失ったかのように膨らませてしまう。自分の一生が終わったかのように思い込んでしまう。
2024.10.04
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第14回形外会のことです。神山さんという女性の方が、とても恥ずかしいんですけど、治りたい一心で話しますといって次のような話をされた。彼女は15歳の頃から鼻が悪く、頭が悪くなり蓄膿症の手術をした。17歳のとき大学病院で診察を受けたら腹膜炎だと言わて絶対安静を命じられた。その後慶応病院で診察を受けたら、腹膜炎ではない、神経だと言われ、鎮静薬を処方された。主婦之友で、倉田氏の記事により、森田先生の本を見てからは、肩の凝り・不眠も治り、裁縫も自分のものだけはできるようになりました。しかし脳の疲労感がとれず、ついに入院することになった。今は一生懸命に働いて、この2、3日は、非常に愉快になり、脳の疲労も問題にしなくなりました。この話を聞いて森田先生のお話です。「あるがまま」ということについて、神山さんが、「とても恥ずかしいけれども」といって、自分を投げ出したが、その立たない前には、心がハラハラして、ずいぶん苦しかったであろうが、こう自分をそのままに打ち出した瞬間から、まったく恥ずかしくなくなった。これが「あるがまま」であり、恥ずかしさになりきったときのことであります。今晩の「とても」は神山さんの傑作であります。(森田全集第5巻 129ページ)「あるがまま」というのは、不安や恐怖に対するはからいを中止して、本来の欲望に乗ってなすべきをなすというふうに理解されていると思います。理解はしていても「あるがまま」にはなれないというところがもどかしいところです。森田先生は、自分の隠しておきたい過去の不祥事、ミスや失敗、弱点や欠点などを赤裸々に人前で公開できるようになると、事実そのものになり、心の葛藤がなくなるので苦悩はなくなると言われています。神経質者は隠したいものを持っていると、事実をねじ曲げるようなことに注意や意識を向けてしまいます。注意と感覚の悪循環のことを精神交互作用と言います。これを断ち切らないと、不安はどんどん増悪して、最悪神経症として固着してしまいます。沸き起こった不安のままにしておけば、一生を左右するような不安にはならないはずです。森田理論は精神交互作用を断ち切る方法をいろいろと教えてくれています。これを森田理論から学んでいきたいものです。その中に、「本来の欲望に乗ってなすべきをなすこと」というのがあるのです。でも本来の自分の欲望がよく分からないという人が多いのが現状です。私がお勧めしたいのは規則正しい生活の中でルーティンワークを確立することです。同じ時間に同じことをする習慣を作り上げることです。習慣化すると、頭の中でやりくりをしなくても、身体のほうがすっと動いてくれるようになります。この状態は、「はからい」は続いているでしょうが、周りの人から見ると「あるがまま」を実践しているように見えるのです。
2024.10.03
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私はマンションの管理人の仕事をしています。ときどき居住者から騒音トラブルの問題が持ち込まれます。特に小さい子どもがいるところでは、ほぼ騒音問題が起きます。それは部屋のなかを子どもが走り回るからです。最初は仕方ないと思っていても、一日中騒音に悩まされるようになると、イライラして怒りがふつふつと湧いてくるようになります。管理人に対して上の階の居住者に注意喚起をしてくれと言われますが、居住者間のトラブルに管理人が口を出すことは管理会社から厳禁されています。放っておくわけにもいかず、管理会社の営業担当に相談しますが、管理会社も居住者間のトラブルは基本的に手を出しずらいのです。当事者同士の話し合いで解決してくださいということになっています。マンションの理事会に問題提起しても具体的な対応策をとるのが難しいのが現状です。管理会社で作成してもらった「注意喚起のお知らせ」を掲示しますがほとんど効き目はありません。そこで該当していると思われる居住者周辺に、あたりさわりのない注意喚起の文書を郵便受けに投函します。これは少し効き目があります。心当たりのある人は管理人室に「これは我が家のことでしょうか」と聞きに来られます。しかし聞きに来る人はほとんど問題のない人です。仮に問題がある場合は、すぐに騒音問題はなくなります。騒音問題が解決しない場合、怒りが頂点に達したときに、階下の人が直接上の階の人に苦情を訴え出る場合があります。これはトラブルを拡大します。この場合、騒音問題を起こしている人がどういう人かということが問題になります。騒音問題を起こしているという認識がなく、指摘されて初めて気づいたという人の場合は、平身低頭ですぐに改善してくださいます。騒音問題はすぐに改善されます。ところが中には「うちはそんな騒音を出してはいない。失礼なことを言わないでください」などと敵対心丸出しで応戦してくる場合があります。お互い犬猿の仲になり、上下階に住んでいてもことあるごとに対立するようになります。今までの例ですと、箒の柄のようなものでコツコツと天井を叩くような人がいました。これは上の階の人だけではなく、隣に住んでいる居住者にも悪影響があります。上の階の人は子どもに注意したり、厚手のカーペットを敷いたりしているようなのですが、一旦こじれた人間関係は元には戻りません。嫌がらせにたまりかねて、夜中に階下の玄関ドアを金槌のようなもので破壊するようなこともありました。また買ったばかりのマンションなのに、いたたまれなくなりすぐに引っ越しする人もいました。先日の新聞報道では、騒音問題からアパートに火をつけた人がいました。騒音問題から殺人事件に発展することもあるわけですから看過できないのです。騒音問題が起きたとき、相手がどんな人かを確認しないで、いきなり不平不満をぶっつけてしまうのは問題だと思います。腹だたしい気持ちのままに行動してしまうのは、幼児並の行動パターンです。マンションには理事長さんが必ずいます。まずは理事長さんに相談してみる。また居住者のトラブル担当の理事さんがいるマンションもあります。子どもの関係や町内会活動や理事会活動で話しやすい人もいらっしゃると思います。そういう人からの情報も貴重です。あるいは管理会社の営業マンに相談してみる等の手があります。管理人にどんな人か聞いてみる。管理人は個人情報は決して口外してはならないことになっていますが、こういう場合はある程度役に立つ場合があります。相手が聞く耳を持っている人がどうかは、他の人に聞いてみればほぼ正確な情報が得られると思います。神経質者は周りからの情報を集めるという気持ちが希薄な人が多いように思います。周りの人に聞かないで、自分で勝手に判断してしまう。これはまずいやり方です。それを行動に移して、問題をどんどんこじらせて、犬猿の仲になってしまう。どうすればよいのか迷った時は、自分一人で判断しないでまずは周りの人にアドバイスを仰ぐようにすればいいのです。これは心がければ誰でもできることだと思います。
2024.10.02
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森田先生は神経症の治し方が3つあると言われている。一つは不快な感情や嫌な気分に振り回されないようにすることです。必要なときに必要なことを必要なだけこなしていく。ひと言でいえば「あるがまま」の生活を続けていくことです。不安の裏には欲望が隠れているので、「生の欲望の発揮」を心がけることだと言われています。これが治し方の一つ目です。規則正しい生活、凡事徹底を心がけると比較的早期に身に着けることができます。次に観念中心の理想主義、完全主義、完璧主義、コントロール至上主義に陥らないようにする。神経症で苦しんでいる人は、観念優先で「かくあるべし」を自分や他人に押しつけています。これが神経症発生の大きな原因となっています。観念優先の態度を事実優先の態度に転換するが大事になります。そのためには事実をつかむ努力をする必要があります。先入観、決めつけ、思い込み、早合点でものごとを判断しないように心がける。自己主張する前に相手の話をよく聞く。感謝の気持ちを持つ。世話活動を心がける。あなたメッセージから私メッセージに切り替える。両面観のものの見方を身に着ける。否定語は肯定語に置き換えるようにする。純な心をとり入れる。3つ目は、不都合な出来事に対して是非善悪の価値批判をしないことです。人間は事実に対して価値判定をする生き物です。これが他人と対立して生きづらさを招いています。事実を事実のままに認めて受け入れることが大事です。不都合な感情を否定することなく、素直に受け入れる。もし価値判定をしてしまったら、普遍的で客観的な見方で再考してみる。その具体的内容については、生き生きワークショップでの話が分かりやすい。ある方が朝起きてからよかったこととして、「今朝ゴミ出しをしたときに人に会わなかったからよかった」だと言われたそうです。化粧をしていなかったので「人に会いたくない」と思われていたのでしょう。森田を学習した人は、「人に会うのはイヤだという感情はそのままにして、ゴミを出すという目的を果たしたのでよかった」と言いがちです。これは感情に対して是非善悪の価値判断をしているということです。事実を良くない、見たくないと判定すると、きちんと向き合うことを避けるようになります。事実を忌まわしい異物として扱うようになります。エネルギーのある人はなかったことにしようとする。事実からますます遠ざかっていく。どんなに嫌悪感を催す感情でも、良い悪い、善悪、正しい間違いと価値判断しないで、素直に向き合うことが肝心です。沸き起こってきた感情に対してなにも付け加えない。素材のまま味わうことが森田の目指すところです。「あなたはそう思っているのだね。そういう気持ちなのね」と認めることができるようになると、第三段階に到達したということになります。挿し木したあじさいが1か月経って根がいっぱい出てきましたので鉢上げしました。この写真は鹿沼土に挿し木したときのものです。
2024.10.01
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