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人間の生活は常に緊張状態と弛緩状態をくり返しています。つまり波があるということです。リズムがあるとも言います。これは1日、1週間、1ヶ月、1年間の中でも繰り返されています。日常生活のなかに緊張と弛緩の好循環を作り上げることはとても大事なことです。本を読んでいるとき、難しい本や興味のない本の場合は、緊張感がなくなり、その隙間を埋めるようにして、睡魔が忍び込んでくる。そんなときつい昼寝をしてしまうことがあります。昼寝は悪い面ばかりではありません。昼間の30分程度の睡眠は脳のパフォーマンスを30%ほど向上させる効果があるそうです。車を運転している時もパーキングエリアで20分の仮眠をとれば眠気はとれます。しかし1時間以上も昼寝をすると逆にアルツハイマー病の発病率を2.6倍に高めるそうです。その他にも様々な弊害があります。(脳内物質仕事術 樺沢紫苑 マガジンハウス 254ページ)睡魔が襲ってくるときは、精神が弛緩状態にあるときです。そのまま1時間以上寝てしまうと、心身ともに活動を休止してしまいます。かえって体の調子が悪くなり、元の状態に戻すのが大変です。こういうときは「超低空飛行」を心がけていると、そのうち弛緩から緊張状態に切り替わってきます。休みの日に趣味や日頃メモした懸案事項などに取り組んでいると、弛緩状態に陥ることはなくなります。だらだらと休日を過ごしてしまいますと最後には後悔するようになります。凡事徹底を軽視している人や気分本位な傾向がある人は、日常生活全体が弛緩状態に陥り、暇を持て余すようになることがあります。こういう人は意識して緊張状態を作り出すように心がけた方がよいと思います。そのためには、規則正しい生活習慣を作りあげることをお勧めします。毎日同じ時間に同じことを繰り返すというルーティンワークが確立すれば、すっと身体が動いてくれるようになります。たちまち緊張と弛緩の好循環が生まれてきます。次に緊張と弛緩は急激に切り替えると問題が出てきます。森田先生は風邪をひくのは心の緊張と弛緩の急激な変化から起きると言われています。感冒にかかるのは、常に心の緊張と弛緩との急激の変化の際に起こるもので、元気なら元気のように、弱ければ弱いように、常に周囲に自然に適応していくというふうならば、決して風邪をひかぬのであります。(生活の発見誌 6月号 35ページ)緊張と弛緩の切り替えは常に徐々に行うのがコツのようです。精神が弛緩状態に陥ったとはどうすればよいのか。森田理論の「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にあり」を応用することです。昼間横になって1時間以上寝てしまうのはもったいないです。そんなときは心機一転、身体を動かすような別のことに取り組むようにするのです。30分おきに頭を使ったり手足を使ったり切り替えていると、弛緩状態の波を小さくすることができます。緊張状態にあるときは、弾みがついて過度にのめり込んでしまうことは注意したいものです。神経質者の場合は、やりだすまでは時間がかかり、やり始めると歯止めが効かなくなるという傾向があります。欲望の暴走はある一定の限度を超えると制御力を失います。日頃から不安を活用して欲望の暴走を抑えるように心がけたいものです。車でいえばアクセルを踏み込むだけではなく、ブレーキも適宜踏み込んで安全運転を心がける必要があります。ブレーキの壊れた車は大変危険です。
2024.05.31
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元中日ドラゴンズの山本昌氏のお話です。何もやっても長続きがしないという方には必見です。取り立てた才能もない自分が、なぜ50歳まで現役選手としてマウンドに立つことができたのか。その最大の原因は「継続力」にあると思っている。だが、何事も継続するというのは苦しい。「よし、今日からダイエット。毎朝5キロ走るぞ!」と、決心は誰でもできるが、それを継続するのは至難の業です。そして、「オレは、意志が弱いな」と落ち込むことになる。これは意志が弱いのでも何でもない。継続するには目標が高すぎたのだ。つまり「目標値」を先に設定して、それを継続しようとすることに無理がある。「目標値」を成果から逆算するので、どうしても目一杯のものになる。そんなことが長続きするわけがなく、挫折して当然なのである。僕は逆発想する。「目標値」を成果から逆算するのではなく、継続できるかどうか、から考えて決めるのだ。たとえば毎朝走るなら、「何キロだったら毎日続けられるか」を考える。だから思い切って距離を短くする。5キロを目標にしたいと思ったら、1キロにする。これだったら、雨が降ろうがヤリが降ろうが継続できるからだ。たった1キロでも、1ヶ月、2ヶ月、半年、1年と続けていくうちに「俺はやりとげている」という自信が腹の底から湧き上がってくるものだ。5キロの距離をノルマにして挫折すれば、「自己嫌悪」、わずか1キロでも継続すれば「自信」になる。どっちがいいか、言うまでもないだろう。10種類のトレーニングがあったが、僕はそれを3種類だけにした。ノートに10種類のトレーニング内容を書いて、その日に行った3種類のトレーニングに○をつけていった。3種類だけなら、10分もあればできる。本当は10種類全部やるのがいいことは分かっている。しかし、それをやれば苦痛になって続かないということもまた、僕にはわかっていたのだ。校時代から始めた2キロのダンベルトレーニングは30年以上も続いている。(継続する心 山本昌 青志社参照)小さな目標を設定して、継続すると習慣になります。習慣になると無意識的に体がすっと動くようになります。またそれが成功体験になり、自信になると言われている。自信の数が増えてくると、自己肯定感がでてくる。弾みがついて、さらに別の目標にも手を出すようになる。大きな目標への足掛かりにもなる。私の場合を振り返ってみた。生活の発見会に入会して37年である。地元集談会にはほとんど参加している。参加することが待ち遠しい。世話活動もしていて休むということを考えたことがない。仕事に携わって50年を超えた。今でもマンションの管理人の仕事を継続している。仕事を持っていると規則正しい生活の柱ができる。また決められた範囲内で自分の裁量で仕事ができる。仕事の中で身体を鍛えることができる。階段の上り下りを取り入れて毎日6000歩以上は歩く。わずかながら収入にもなり、冷暖房完備の管理人室を自由に使えるのでうれしい限りだ。このブログは11年5か月になる。その間毎日投稿してきた。習慣化しているので、無理なく継続している。毎日日記をつけて18年になる。よかったこと、感謝の気持ちを書いている。特になければ今日の出来事などを書いている。過去の日記は家族のイベント、毎年の予定がよく分かる。一人一芸のドジョウ掬い、しば天踊り、傘踊り、腹話術の口上、皿回し、アルトサックス、カラオケの練習は習慣化している。時々獅子舞と浪曲奇術の練習もしている。朝晩の草花への水やりと手入れ、メダカの世話は欠かさない。田舎での自家用野菜つくりは、シーズンになると1時間30分かけて毎週のように通いで続けている。毎年味噌作り、梅酒、ラッキョウ漬け、マフィン作りは続けている。山本昌氏の先に目標を決めるのではなく、継続できるところから取り組むという考え方に大賛成です。
2024.05.30
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依存症には、アルコール依存症、ギャンブル依存症、ネットゲーム依存症、通販依存症、ニコチン依存症、恋愛依存症など様々ある。私はある時期、パチンコ依存症になりかけたことがある。お金を湯水のように使うことはいけないということは、妻に指摘されなくてもよく分かっていた。しかし足が勝手にパチンコ屋に向いてしまう。自分の身体なのに制御不能になっている。脳が得体の知れないものに乗っ取られてしまったような感じだ。毎日1000円のこづかいしか持たないようにして必死に耐えました。3か月くらい経過して、パチンコ以外にもいろいろ楽しみがあると思えるようになってやっと足が洗えた。以来パチンコ屋には1回も足を踏み入れていない。依存症にはネズミを使った興味深い実験がある。同数のオス・メス合計32匹のネズミをランダムに16匹ずつ環境の異なる2つのグループに分ける。一方は一匹ずつ金網のオリの中にいれる。他方は広々とした場所(ラットパーク)に雄雌いっしょに入れて生活させる。そして両方のネズミに普通の水とモルヒネ入りの水を用意して、その後の様子を57日間観察した。9~13日後、ゲージのネズミたちはどんどん薬物の深みにはまる。一方広々とした場所のネズミたちは、自由にモルヒネが飲めるにも関わらず、ほとんど触れられずに自由な生活を楽しんでいた。19~23日後、ゲージのネズミはますます薬物を口にし、反面ラットパークのネズミは薬物を避け続けた。心地よい環境にあるラットパークのネズミたちは薬物に対する欲求がほとんど見られなかったという。この実験の結果、依存症の発症には、生活環境が大きく影響しているという結論に達した。自由を奪われて生活しているとストレスがたまります。それを解消しないと心身に重大なダメージを与えます。そこで手っ取り早く依存対象に手をつけるようになるのです。ドーパミンというカンフル剤を利用して、ストレスを緩和させようとしているのです。依存症は、誰でも最初は好奇心に突き動かされ、軽い気持ちで手を出します。そのときの快感が脳にしっかりと刻まれる。二度三度と手を出すうちに、しだいに脳がハイジャックされる。気が付いたときは、使用量がどんどん増えている。また中断すると禁断症状に苦しめられる。離脱症状と言われるものです。そのアリ地獄の底に落ちると、自分の意志の力だけでは依存症から抜け出すことは不可能となります。依存症に陥らないようにするにはどうすればよいのか。その予防法として考えられるのは、日常生活の中で過度のストレスをため込まないようにすることです。孤独、退屈、苦痛、不自由、人間関係などのストレスを極力抱え込まないことです。問題を抱えている人は信頼できる人や集談会の先輩会員に相談することです。それでも難しい場合は医療のお世話になるしかありません。依存症に陥る人は生活が不規則になる傾向があります。規則正しい生活習慣を作り上げると抑止力が働きます。無意識のうちにすっと身体が動いていくような習慣を作り上げることが有効です。日常生活の多くを他人任せにしている人は精神的に不安定になります。特に食生活が大切になります。自分で料理を作らない。宅配を頼む。ファーストフードが多くなる。外食中心になる。これらは依存症の予備軍となります。日常生活の中で、小さな目標に挑戦して達成感や感動を味わうという楽しみがない。外から与えられる娯楽的、刺激的、享楽的な楽しみばかりを追い求めている。こうなると、身体は依存対象に引き付けられてしまいます。そうしないと精神的にイライラして苦しくなってくるからです。凡事徹底の生活習慣を身に着けて小さな楽しみや感動をより多く見つけることができるようになると依存症に陥ることを防止できます。
2024.05.29
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私たちは人から指示されてイヤイヤ仕方なくやることは、身が入っていないので出鱈目になりがちだと考えやすい。これに対して奥村幸治さんは疑問を投げかけておられます。私は現在、「宝塚ボーイズ」という中学硬式野球チームの監督をしています。そこで子どもたちに野球を教えていますが、最初によい習慣を身につけさせるには、監督やコーチ、親などから「やらされる」という外部環境も必要だと考えている。たとえばチームに入ったばかりの中学1年生に「自分の目標を持って練習をやりなさい」と教えてもできません。そこで、「キャッチボールのときはこういうことを考えながらやろう」とか「道具を大事にしよう」と具体的な話をしながら習慣づけをしていきます。すると初めは監督やコーチに「やらされる」だったことが、どこかで主体的に自ら「やっている」ことに変わっていきます。イチロー選手も小さい頃はお父さんに毎日バッティングセンターに連れて行かれていました。お父さんとキャッチボールをするのは純粋に楽しめていたかもしれませんが、毎日バッティングセンターに行くのは大変です。今日は行きたくない。つらい時期もあると思うのです。けれど、それを続けているうちに、「自分のなかに目標を作る」という意識づけができるようになったのではないかと私は思います。「やらされる」を「やっている」に変えると、目的意識ができて練習に張りが出てきます。(一流の習慣術 奥村幸治 ソフトバンク新書 40ページより引用)勉強や仕事でも最初から面白くてたまらないという人はいません。むしろ、取り掛かる前は億劫で、やらないで済むことなら、やらない方を選択したいと思いがちです。それが正直な気持ちです。でも、それに流されると、次の展開は望めません。気分本位で逃避的態度を選択することは、人間の本来性に背くことになります。ですからイヤイヤ仕方なしでも行動を起こすことがとても大切になります。そうはいっても、「楽をしたい。エネルギーを消費しないで休みたい。人が見ていなければさぼりたい」という気持ちの誘惑にまけて、堕落の道に真っ逆さまというのが実態です。そういう人を見つけると、首に縄を巻いてでも、オアシスまで連れて行くという人がいるということは、将来的に見るととてもありがたいことです。奥村さんは、とりかかる前は、本人がどんな気持ちだろうが関係がない。とにかく無理やりにでも、行動のきっかけを作っていく。その先はどうなるか分からない。イチロー選手のように、興味や関心を高めて、目標を持って主体的に行動してくれるようになることは理想ですが、そうならないこともある。その方が多いかも知れない。そういう場合は、別の面で刺激を与えるようにする。ここで大切なことは、最初の「やらされている」という気持ちが、イヤイヤ手をつける事で、好奇心が刺激され、疑問や関心や興味が生まれてくる呼び水になることがあるということです。そうなれば、つぎの課題や目標が生まれてきます。このようにしていつの間にか主体的な行動に変化してくるのです。課題や目標、夢や希望に向かって、努力精進するというレールに乗るかどうかは、最初は他人から強制されたことでも構わないということになります。子供を持っている親は、無理やりにでも多くの経験をさせて、きっかけづくりをする必要があります。集談会では、自分の日常生活や趣味などを開示して、他の参加者に刺激を与えることが大切です。集談会に参加する人は好奇心旺盛な人が多い。相手が刺激を受けて自分でも取り組んでみようと思ってくれれば紹介したかいがあったというものです。
2024.05.28
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不安の立場に立って、神経症で苦しんでいる人を観察してみました。そうすることで双方の関係性がよく見えてきます。不安は不安から逃げ回っている人を見つけると嬉しくなります。自分の居場所や活躍の場を見つけることができるからです。アフリカのサバンナで獲物を見つけた肉食獣のようなものです。思わず不敵な笑みがでてしまう。不安から逃げまくり、取り除こうと必死になって努力している人を見ると、俄然力がみなぎってきます。相手を身体的、精神的に二度と立ち直れないほど叩き潰してしまいたいと考えているのです。最後に息の根を止めることが目的なのです。勢いづくとますます戦力を増強して立ち向かってきます。一旦アリ地獄の底に落ちてしまうと脱出することは容易ではありません。太平洋戦争を戦った日本とアメリカのようなものです。日本はうかつにもアメリカが仕掛けた挑発に乗ってしまったのです。戦争を開始する前、日本軍の上層部はアメリカに勝てるのではないかと思っていました。しかしガダルカナルで敗北してしまうと後退を余儀なくされました。最後には原爆まで落とされて惨敗しました。さて、不安にとって挑発に全く乗ってこない人は厄介な人です。不安は欲望があるから湧き上がってくるものだ。不安や症状を持ちこたえたまま、生の欲望にのって「なすべきをなす」方向に舵を切っている人は「のれんに腕押し」状態となります。張り合いがない。居場所がない。活躍の場がない、手持ち無沙汰で時間ばかりが過ぎていく。こういう人は見るだけで嫌気がさしてしまう。こんな人と付き合うのはイヤだ。逃げたほうが得策だ。武力の増強はもってのほかで、むしろ戦力の縮小を考えざるを得なくなるのです。そうだ、不安から逃げ回っている人や取り除こうとしている別の人に乗り移ってしまえばいいのだ。森田理論学習で不安の特徴や役割を理解している人は厄介です。そして不安と欲望の関係をよく分かっている人もどうすることもできない。不安の方は相手を痛めつけようとしているのに、相手は不安を自分の味方に取り込み、欲望が暴走しないための抑止力として活用している。昨日の敵は今日の味方という関係を築いているのです。不安の方も自分の本来の役割を与えられて、別の意味で存在価値を発揮している。居場所や活躍の場を与えられているので反撃するよりも居心地がよい。むしろ相手の役に立っていることがうれしいと思えるようになってきた。不安の特徴や役割を身に着けている人は、不安を大事な仲間として付き合っていることになります。さらに不安を大いに活用しているのです。昨日の敵は今日の味方になっています。取り入れた相手と共存共栄の関係に入ってしまっています。当初の目論見とは全く違う関係が出来上がってしまうのです。この関係は不安と敵対していた時には考えられないことです。不安の方としても、自分の存在価値を認めてもらい、働き場所を提供してもらっているので異存はありません。こういう関係が出来上がれば、双方とも友好的で、安全、安心、平和な幸せの時を享受できるようになるのです。こういう方向性をみんなでめざしていこうとしているのが森田理論学習なのです。素晴らしい世界が広がるように思えませんか。
2024.05.27
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イチローのオリックス時代にバッティングピッチャーをしていた奥村幸治さんの話です。ニューヨーク・メッツのキャンプに参加させてもらった時のことです。メッツの何人かの選手に「メジャーで活躍するために必要なものはなんですか?」と質問しました。すると答えはすべて同じでした。「誰よりも強い体がないと年間160試合は戦えない。そのためには誰よりも練習をしなくてはならないし、身体のケアも必要だ」ここまでは私の予想通りです。しかし次に挙げたメジャーリーガーの条件は、想像もしないものでした。彼らは「運」だと言ったのです。驚いて私が、「運なんてどうやってつかめばいいの?」と尋ねると、「そんなの簡単だよ。当たり前のことを、真面目にやるだけさ」と選手たちは口を揃えました。運は自然とそういう人間に向いてくる。メジャーリーガーは心技体がバランスよく鍛えられていないと、年間160試合は戦えない。一つでも問題があると成績が下降して、3Aに落とされる。心技体のバランスを維持することは、まさに熾烈な生存競争を生き抜くための必要条件となる。ただし、いくら心技体を鍛えていても、運がなければ試合で使ってもらえない。運というのは厄介な代物です。運というのは、監督やコーチからチャンスをもらうことです。チャンスは監督やコーチがそれぞれの選手の特徴を把握していて、この場面ではあの選手が最適であると判断したときに突然訪れます。チャンスが巡ってくるかどうかは常に受け身なのです。自分から「チャンスを下さい」と言ってもプロ集団である以上、自分より適任者がいる場合はその人にチャンスが巡ってきます。そんな中でチャンスをものにするためには、自分の得意技に磨き上げて、他の選手と差別化できるまで高めていくことに尽きる。走攻守どれをとっても人並程度にこなせるが、自分の得意技を持たないという選手は淘汰されていく。球を遠くに飛ばす。正確なスローイング。コントロール。多彩な変化球を投げる。スピードボールを投げる。バントがうまい。足が速い。ピッチャーの癖を見抜く力がある。ケガに強い。守備範囲が広い。守備が上手い。大声が出せる。チームを鼓舞する力がある。つぎに監督やコーチにアピールすることが必要になります。キャンプや練習の時に注目される選手になることが欠かせない。すると、いつか突然降ってわいたように、ツキが回ってくるのです。運の女神が微笑んでくるのです。必ずしも成果が上がるわけではありませんが、運が回ってこなければ次の飛躍はないわけです。神経質者でいえば、心身の健康を心がけて、神経質性格のプラス面を自覚し、とことん活かしきることで、突然チャンスはめぐってくると信じて、努力を怠らないことです。
2024.05.26
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青山学院陸上部原晋監督のお話です。青山学院大学陸上競技部の部員は約50名在籍している。全員が箱根駅伝にエントリーできるわけではない。出場できない選手に居場所を見つけてあげることが、監督の重要な仕事になります。サポート部隊の役割としてどんなものがあるのか。実際のレースでは出場選手への声掛け、応援、給水、手荷物の保管、走り終わった選手へのケアなどがあります。移動や選手の回収などの役割などもあります。沿道においては幟を立てて選手を鼓舞することも行います。それ以外に部活動としては、重要な役割分担があります。陸上競技部というチームの中には、キャプテン、マネージャー、寮長、学年長という役割を持つ人を置いています。これらは基本的に選手に選ばせています。キャプテンはチーム状態が悪い時に、チーム全体を明るく前向きな方向に導く人です。リーダーシップが求められます。部員からの信頼感がある人です。また部員に自分のメッセージを発信できる人です。会社でいえば経営者です。その時の状況を読んで、方針を立案し、みんなを鼓舞して、チームとしてまとめ上げる能力を持っている人が適任です。マネージャーは、選手のサポート役です。裏方になります。選手として箱根駅伝に出場する希望がかなわなかった人の中から選びます。選手たちのコンディションの把握に努め、日々改善していくのが仕事です。アンテナを、幅広く張って、状況により敏感な人が向いています。細かいことに敏感な神経質タイプに向いています。また、監督と選手のパイプ役という側面もあります。時には監督に変わって、厳しい言葉を伝える必要があります。先輩後輩に関係なく物申せる人物でないと務まりません。反面口の軽い人は向きません。伝えていいことと、軽口をたたいてはいけないことが、よく分かり、実行できる人でないと務まりません。マネージャーになるためには一つの条件があります。それは、選手生活をやり切ったという人でないとダメです。とことんまで自分の限界に挑戦してきたが、設定タイムを期限までにクリアできなかったという人の中から選びます。そういう人がマネージャーになったときに力を発揮するのです。マネージャーが務まる人は、卒業後会社に入っても立派な仕事がこなせます。つぎに寮長ですが、部員の生活管理、衛生管理、整理整頓、食生活の管理を通じて寮の運営を担当します。寮母との相性がよいことが条件です。細かいことによく気が付き、凡事徹底に徹することができる人が適任です。率先垂範の人が適任です。これも神経質性格者がぴったりと合います。学年長は学年全体を束ねる人です。明るく前向きな人で、将来のキャプテン候補です。たとえ、箱根駅伝に出場して選手としてスポットライトを浴びなくても、その人の持ち味を見つけて、部活の中で、居場所を与えて、伸ばしていくことがとても大切だということです。それぞれが自分の課題や目標を見つけて、それに向かって努力精進していくことが、なによりも重要だということです。これはすべての人に当てはまることだと思います。(フツーの会社員だった僕が青山学院大学を箱根駅伝優勝に導いた47の言葉 原晋 アスコム 185ページより参照)これは生活の発見会の集談会運営にも活かすことが大切になります。どんな役割があるのか。どんな人がその役に向いているのか。常に無所住心を心がけて適材適所を目指すことです。役割を持っていると、森田から離れそうになったとき、引き留めてくれる役割が期待できます。長く森田に関わっている人のほうが、森田的な生き方を自分のものにされているように思います。
2024.05.25
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森田理論学習の要点の「行動の原則」に「感情と行動は別物」というのがあります。対人感情には、憎しみ、反感、怒り、腹だたしい、嫌悪感、不愉快、憤り、むかつく、うんざりする等があります。こういう感情が湧き上がったとき、すぐに相手に反撃を仕掛ける人がいます。このような対応は一時的にカンフル剤的な効果はありますが、最終的には自分のほうが孤立してしまいます。そのことは誰でもよく分かっているのですが、同じような失敗を繰り返してしまう場合があります。その原因は、子供の頃に苦しみに耐える、欲しいものを我慢するという訓練や経験が不足していることが考えられます。そのつけが大人になって深刻な問題を引き起こしているのです。しかし子供の頃の経験不足を大人になって取り戻すことはできません。どのように対応すればよいのでしょうか。森田の感情の法則①で、「感情はそのまま放任し、またはその自然発動のままに従えば、その経過は山形の曲線をなし、ひと昇りひと降りして、ついに消失するものである」とあります。この法則の活用方法を考えたほうがよいと思われます。腹立ちや怒りの感情は、そのままにしておくと自動的に反撃のスイッチが入ってしまいます。時間をかけてゆっくりと対応することは困難です。そこになんとか風穴をあけることを考える必要があります。2019年10月27日の投稿記事が参考になります。「突発的な怒りの感情は6秒でピークに達し、それをやり過ごせば次第に鎮静化すると言われています。その6秒さえやり過ごせば、怒りに任せて他人を傷つけたり、人間関係を悪化させる行動を控えることができやすくなります」腹が立ったとき、怒りでぶるぶる震えたとき、指折り数えて6秒待つという戦略をとるのは如何でしょうか。突発的な怒りの感情は一山登るのにたった6秒しかかからないということです。一山登れば後は下降していく運命にあります。6秒待つだけなら意識すれば何とかなるような気がします。それを座右の銘として持ち歩き、絶えず意識づけを行う。次に、相手から距離を置くことを考える。例えば「腹が痛くなったのでちょっとトイレに行かせてください」などと言って相手から離れる。そのようなことができるようになれば、「感情と行動は別物」として取り扱うことができるようになります。何度失敗を繰り返しても構いませんので、この能力を身に着けるように努力しませんか。そうなれば敢えて多くの人を敵に回すことはなくなるはずです。
2024.05.24
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斎藤茂太氏のお話です。ストレス学説を打ち立てたカナダの故ハンス・セリエ自身が「適度なストレスがないと人類は滅びる」といっている。世界の長寿村を調べると共通する要素が見つかる。長寿の地域の人々はかなり厳しい労働をしていることと、もうひとつは適度のストレスがあるということである。例えば、暑さ、寒さがはっきりしているところでは長生きする人が多い。有名な旧ソ連のコーカサスの長寿村も寒暖の差が激しいところで、夏は暑く冬は寒い。気候が温暖なところ、花が咲き乱れるようなところではかえってあまり長生きしていないのである。緊張を強いる「ストレス」がないと人間は、ちょっとしたことでも壊れやすい存在になる。人生もこれと同じであって、多少の揺れはむしろ必要だといってもいいのである。(逆境がプラスに変わる考え方 斎藤茂太 PHP文庫 20ページ)ストレス研究の筑波大学の田神助教授は次のような実験を行った。ネズミを2つのグループに分けて3週間実験を行った。1つのグループは、毎日餌を好きなだけ食べさせて、温泉に入れた。もう一つグループは、餌を少ししか与えなかった。さらに毎日水泳をさせた。その後、両方のグループを寒さにさらした。風邪をひいたのは、餌を腹いっぱい食べさせて温泉に入れたグループであった。空腹と水泳をさせたストレスいっぱいのように思えるグループは風邪を引かなかった。しかもキラー細胞(ガンを攻撃する細胞)という免疫機能の働きを調べると、空腹と水泳をさせたグループのほうか強かった。この結果から、適度の運動を実行して、適度のストレスを受ける方が免疫力が高まることがわかった。動物行動学のケーニッヒという人が、青サギを使って次のような実験を行った。食べ物を十分に与えて飼ってみると、最初はどんどん増えていくそうです。ところが、あるところまで増えていくと、そのうちだんだんと減ってきて、そして最後には絶滅したという。卵を産んでも返さないとか、子どもができても餌をやらないなどのことが起きてくる。環境が整いストレスがなくなると、子育ての意欲が骨抜きにされるということです。それよりも自分の生活をより豊かにすることに関心が向いてくる。一般的にストレスや悩みを抱える事はよくないことであると受けとめられている。しかし、実際にはストレスや悩みがまったくない順風満帆な生活を送っていると、心身の健康を損なうケースが多くなる。反対に適度なストレスや悩みを抱えながら、日々の生活に立ち向かっているほうが心身ともに健康体となる。心身の健康を保つためには、仕事や家事に取り組むときに、意識して問題点や課題、改善点や改良点を見つけ出すように心がけることが理にかなっている。それらはすべて宝の山になる。発見したときは忘れないようにすぐメモしておく。課題や目標に意欲的に取り組むと心身の健康に役立つことを発見した。
2024.05.23
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森田先生は平等と差別との両面観は、同一物の同一場合における観方に対する立脚地の相違であって、これを別々に分離して考えることはできない。たんに平等観に偏して、差別を忘れるときに、たとえば仏教の厭世観となり、マルクスの危険思想となる。一方にはまた、差別我観に偏して、平等を忘れる時、暴君となり、テロリストとなり、はい徳者となるのである。われわれは、差別観において、独立独行し、同時に、平等観において、人を愛し、世に貢献するのである。(現代に生きる森田正馬のことば2 白揚社 245ページ)森田先生は平等観と差別観はコインの裏表の関係にあると言われています。両面観で見ていかなければいけないと言われています。平等観でいわれているのは、人間関係が支配・被支配の関係に陥ってはいけないということだと思う。権力のある者、武力のある者、経済力のあるものが、自分の利益を増やすために、その他大勢の人を力で押さえつけるようなことがあってはならない。タテの人間関係ではなく、ヨコの人間関係を目指すと平等な社会が実現します。奴隷制度や女性の選挙権獲得などは改善できたが、まだまだ課題は多い。支配する人と支配される人に分かれるといつか破綻します。それは自分の身体をみてもすぐに分かります。毎日3000個のがん細胞ができていますが、免疫細胞のTキラー細胞などが毎日がんと闘っています。私たちの体内ではガン細胞と生死をかけた壮絶な戦いが毎日繰り広げられていることを忘れてはいけない。平等な社会を目指すのならば、支配しようとする人がどんなことを考えてその他大勢の人を支配しようとしているのかよく観察して、人間関係が支配・被支配の関係に陥らないように緊張感を持って生活することが欠かせないということになります。政治動向、経済政策、金融政策、国防、国体の維持などに関して物申す国民になる必要があります。平等な社会、平和な社会は多くの人と協力して、不断の努力の末に勝ち取るものになります。次に差別観について考えてみましょう。世界には約81億の人間がいますが、一卵性双生児を除いて全く同じ人はいません。確かに誰でも目、耳、手、足は2つずつあります。顔や鼻や口は1ずつです。しかしその中身を観察すると千差万別です。禿げている、歯並びが悪い、シミやシワやほくろがある、太っている、痩せている。神経質性格者、発揚性気質の人。森田先生は7つの気質に分けて説明されています。マネージメント力、統率力のある人、人間関係作りの上手な人、思考力や分析力の優れた人、創造性の豊かな人、演技力のある人、感性の豊かな人、文章作成能力のある人、運動能力抜群な人、楽器演奏の出来る人、学力優秀な人など取り上げればきりがありません。これは人間の創造主は人それぞれ能力に差をつけてこの世に送り出しているということではないでしょうか。これは感情と同じ自然現象で、人間の意志の自由はないと考えるほうがよいと思います。人間には誰でも得手・不得手があるということです。すべての面で万能ということはありえないのが現実です。人間は10の欠点があれば10の長所があるように作られている。これが森田先生の言う差別観に通じるところです。ではどういう心がけで生きていけばよいのでしょうか。自分に与えられた能力を最大限に活かして人の役に立つことを見つけて行動する。自分の不得手の面では他人のお世話になって生活していく。自分に備わっていないものを何処までも追い求めるのは愚策だということです。
2024.05.22
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2月号の生活の発見誌の記事(66ページ)からの引用です。森田療法では、布団上げなど家事の手伝いをすることを推奨しています。私は愚直に発見会に入会した時からこれを続けており、最近は家にいることが多くなったので、部屋掃除、食器洗い、洗濯、片付けなど、気分や症状に関係なく行っています。こういう日常生活の雑事を継続してやることで、日常生活が整い、それが癖になり継続の力となっています。集談会で毎日同じ時間に同じことをするルーティンを作りあげて、実行している人は、神経症に振り回されることが少なくなると聞きました。私の体験でも規則正しい生活は神経症を克服するための大きな力になると思っています。特に朝起床する時間を一定にすることが肝心だと思います。私の場合は6時20分です。それからは次々と流れ作業が続きます。これが習慣化してくると何も考えなくても身体のほうが自然に動いてくれるようになります。結果として前頭前野を休ませることができるのです。前頭前野は必要に応じて適宜活用するようにした方がよい。帚木蓬生氏は、悩みや心配は5分以上頭の中でひねくり回してはいけないと言われています。脳が傷んでくるからです。5分たったら、身体を動かし、脳を休ますようにするのが肝心です。(生きる力 森田正馬の15の提言 朝日新聞出版 45ページ)
2024.05.21
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現在の「森田理論学習の要点」の前に、「森田理論学習の実際」というのがありました。37ページに「行動や気分には波がある」というのがあります。緊張した後には緩みがくる。動いた後には疲労がくる。気分が高揚した後には、気分が沈む時もある。いつも同じような調子は続かないで、緊張・弛緩・好調・不調の波が循環しているということでした。私たちはこうしたリズムがあることを忘れ、常に緊張・好調を望み、弛緩・不調といったものはあってはならないと考えてしまう。体がだるい、物事に集中できないといった身体の不調は、その前の2、3日の生活を振り返ってみると、多くの場合、緊張や好調のあとにやってくる。そのような時は、素直にその時の状況に従い、決して無理をしないように、その時にやるべくことをやっていく。なるべく自然のリズムに合わせていくことが大事になります。自然には強弱がある。リズムがある。波がある。一本調子で緊張、好調が持続することはない。緊張、好調の後には、いつかは弛緩、不調の状態がおとずれる。それを理解していないと、今の好調な状態がいつまでも続いていくような錯覚に陥る。反対にスランプに陥ると、どこまでも奈落の底に落ちてしまうと思ってしまう。これは認識の誤りです。リズムや波がうねっていることを理解することが肝心です。理解しているとどん底に落ちたときに慌てふためくことが少なくなります。波が持ち上がってくるのをじっと待つことができます。波の底にいるときは、墜落しないことだけを注意する。淡々と最低限の生活を続けていけば必ず上昇してきます。投げなりになってすべてを放り出してしまうのは考えものです。仮に波の底にいるときに慌てふためくと、そこは一番底で、その下に二番底、三番底が口を開けて待っていることになります。リズムや波の法則が機能しなくなり、最後はなすすべもなく自滅してしまうことにもなりかねません。リズムや波が理解できたら、次に調整を心がけるようにしたいものです。森田先生は風邪をひくのは寒いときに外から帰宅して、炬燵に潜り込んで転寝をするようなときだと言われています。これは緊張状態にあった心身の状態を、急に弛緩状態に転換するために起きるのです。人間の心身のコントロールは照明器具のスイッチの切り替えのようにはいかないと心得ておくことです。スポーツでも激しい運動をした後は、クールダウンしている。人間の心身の状態もそれに倣いソフトランディングを心がける必要がある。無理をしないように心がけていると、上手くリズムや波に乗れるようになります。
2024.05.20
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森田理論の「物の性を尽くす」という言葉は、拡大していくと「己の性を尽くす」「他人の性を尽くす」「時間の性を尽くす」「お金の性を尽くす」に通じます。今日は「時間の性を尽くす」を取り上げてみたい。現代は心身のメンテナンスを怠らなければ90歳くらいまでは元気に生きることができます。その時の時間は、365日×24時間×人生90年と仮定すると約79万時間になる。その中で睡眠時間1日8時間として、約26万時間。3度の食事、身支度などに使う時間を、一日2時間とすると65700時間。学校で勉強する時間として1年(250日×8時間)×(6歳~20歳)で約3万時間。仕事をする時間として、1年(250日×8時間)×(20歳~65歳)で9万時間。人によって大きく違うが、これは大まかな目安と考えてください。これらを集計すると、残り時間は約34万時間となります。実に40%強が自由時間となります。1、この自由時間を外部から与えられる楽しみを追いかけて過ごすのか。2、自ら身体を動かして楽しみを見つけ出していくのか。1の場合は、線香花火のようなものだと思います。その瞬間は刺激があって楽しいのですが持続性はありません。欲望はどんどんエスカレートしていきます。2の場合は努力することが必要になります。小さな目標でも達成すると充実感があります。弾みがついてより大きな目標に挑戦していくことが可能になります。2を基本にして、1年に数回は1を取り入れて生活するというのは如何でしょうか。ではどんなことに取り組んでいけばよいのか。一例を挙げてみましょう。いくつか趣味を見つけて深めていく。スポーツ、武道、音楽、絵画、観劇、ウォーキングなどに取り組む。子育てや介護など家族との交流を深める。自己の能力や教養の向上を目指す。家庭菜園、自給生活、料理作り、加工食品作りを楽しむ。ペットを飼い、草花を育てる。旅行、ハイキングなどを楽しむ。ボランティアなど社会貢献に取り組む。やりたかった好きな仕事に取り組む。町内会などの地域活動に取り組む。社会参加や市民活動に取り組む。森田理論学習の深耕と日常生活への応用を考える。森田理論学習の普及に努める。その他もろもろ。人それぞれいろいろとあると思います。定年退職してからの時間の使い方は特に留意する必要があります。定年前から取り組みたいことを整理して、すぐに出発できるようにしておきたいものです。集談会で教えてもらったのですが、やりたいことを20個ぐらい持っていないと退屈だなと感じるようになるということでした。また歩かなくなると足の筋力が衰えてきます。足の衰えは即脳の衰えを招きます。毎日のやるべき柱のようなものがあり、それを中心として規則正しい生活になっていることが肝心です。毎日の日常生活のルーティンを淡々とこなしていく。そうした生活の中で、小さな感動や楽しみのかけらをたくさん見つけることができれば最高です。那智の滝
2024.05.19
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キューリはどれもこれもひとつずつ形が異なっている。まっすぐなものもあれば、曲がったりひねくれたのも多い。土と水と太陽の中で、生まれたままの自由な形で自己表現を主張している。われわれ人間にも生来の素質があり、環境によっても性格に違いがあるように、植物にもいろんな差異と変形が生じるのであろうか。言わば遺伝的な性格の違いを、そのまま認めているのである。我々と違うのは、その曲がったまま、ひねたままで精一杯に堂々と成長しているところだ。無理にまっすぐなキューリになろうとはしていない。曲がったままで無心に生きている。私ども人間も生物の一員なのだが、そのかけがえのない資質や性格を排除したり無理に変えようとはしていないか。個性を埋没させ、矯正しようとしてはいないだろうか。生まれながらのありのままの性格を受けいれて、最大限に活かそうとしているだろうか。曲がったまま、ひねくれたままで「自然に服従し、境遇に従順に」生きていきたいものである。(1996年生活の発見誌 11月号より引用)これは平等観と差別観に関係がある話です。人間は誰でも目と耳は2つ、鼻や口は1つずつついています。その点では平等です。ところが一卵性双生児以外は一人として同じ顔の人はいません。人それぞれ固有の身体的特徴を持っています。それは個性というものです。よいも悪いもないはずです。その個性を認めて、個性のままに生きていけばよいはずです。しかし実際には、自分の物差しを使い、美醜の判定をしているのです。それは時代が変われば逆に判定されることもあります。その微妙な違いが時に優越感や劣等感をもたらしています。禿げだ、デブだ、ブスだ、身長が低い、見栄えが悪いなどと判定してしまうと劣等感に振り回されるようになります。神経質性格をよくない性格であると判定してしまうと性格改造を考えるようになります。そんな自分を生んだ親を責めるようになります。このことを森田では劣等感的差別観といいます。元メンタルヘルス岡本記念財団の岡本常男会長は、「人間には10の欠点があれば10の長所がある」と言われていました。自分が元々持っているものや強みで勝負していくことはできないものでしょうか。そのためには、他人と比較して違いをはっきりさせることが大事になります。但しその違いを是非善悪の価値判断に持ち込むことは問題です。そのときは「ちょっと待て」といって思いとどまることが必要です。次にその違いを両面観で見ることが大切になります。弱点や欠点は強みや長所と裏表の関係にあります。弱点や欠点に片寄ることは片手落ちです。神経質性格者はマネージメント力、対人折衝能力などは苦手という人が多いと思います。しかし反面、感受性が強い。好奇心が強い。生の欲望が強い。粘り強い。責任感が強い。物事をより深く考えることができる。分析力に優れている。など優れた性格特徴があります。芸術や創造力の発揮には欠かせないものです。ないものねだりをやめて、自分に元々備わっているものを活かして生きていくしかないと思います。
2024.05.18
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「いい加減」という言葉があります。「いい加減な人」とは、思慮が浅く、信念がない。一貫性がない人のことをいいます。あるいは時間やお金にルーズで、約束を守らない人のことを意味します。何事に対しても、中途半端で、すぐに他人の意見に流される人もそうです。「いい加減なことを言うな」という発言は、事実に基づかないで、先入観、決めつけ、思い込み、早合点の発言は慎みましょうということです。これらは、「いい加減」という言葉がすべて否定的な意味合いで使われています。「いい加減な言動をとる」や「いい加減な人」という場合は、次のような特徴があります。まず事実を自分の目できちんと確かめたうえでの発言ではないということです。つぎに、この傾向のある人は、深い洞察力のあるものの見方・考え方をしていない。これらは単なる思いつきや他人の受け売りで「いいかげんな発言」になっています。しかしこの「いい加減」という言葉は全く違う使い方をされる場合があるのです。お母さんが兄弟げんかをしている子供に対して、「あんたたち、いい加減にしなさいよ」と叱ることがあります。兄弟げんかが激しさを増して、罵りあい、手足をだすようになった時に、程よいところでやめておきなさいよと注意喚起を促す言葉になっています。また、「お風呂のお湯加減はどうですか」という場合は、熱くもなく、冷たくもなく、ちょうどよいお湯加減になっていますかという意味です。この場合は、「ほどよい加減に調整する」という肯定的な意味合いで使われています。この言葉は森田理論の調和、バランスという考え方に近いものがあります。神経症に陥ると生の欲望の発揮が蚊帳の外になり不安と格闘を始めます。森田では欲望と不安はコインの裏と表の関係にあるといいます。欲望と不安は表裏一体です。森田では生の欲望を前面に押し出しながらも、不安を活用して調整する必要があるといいます。バランスや調和を意識する必要があるのです。神経症に陥った場合は、不安はとりあえず横において、欲望の方に焦点を当ててバランスを回復させる必要があります。このことを別の言葉でいうと、偏りを修正して、「ほどよい加減に調整する」ということになります。神経症に苦しんでいる時は、不安過多に偏っています。不安と欲望を調整して、いい加減に戻してバランスの回復を図ることがとても大事になるのです。
2024.05.17
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阿部亨先生は、人間関係には「車間距離」が必要だと言われています。車を運転しているときに、前の車にぴったりとくっついていると、前の車が急ブレーキをかけたときに追突してしまいます。特に高速道路では、仮に前の車が急ブレーキをかけても、衝突を回避できるだけの車間距離をとることが必要です。(森田療法ビデオ全集 第4巻 悩める人への生きるヒント 阿部亨 参照)これを人間関係に応用すると、特定の人に絶えずぴったりと寄り添うというのは考えものだということです。おしどり夫婦、無二の親友という状態は、とても響きの良い言葉ですが、それぞれの人間が意志や欲望を持っている限り、対立することは頻繁に起こりえます。その時相手に追随してピッタリ寄り添っていると、相思相愛の人間関係が、顔も見たくないという犬猿の仲に変わってしまうことがあります。利害が一致するときは共に行動し、対立したときは距離を置くようにすることが大事になります。人間関係のコツは「人間」という字が教えてくれています。人と人の関係は「間」(ま)が必要だということです。これは自動車でいえば、ハンドルが過敏に反応しないように「あそび」があるようなものです。緩衝帯が全くないと事故につながるので危険です。人と人との関係はくっつきすぎても離れすぎてもうまくいかない。くっつきすぎると支配・被支配、過保護、過干渉、共依存の関係になりやすい。離れすぎると孤独になり、一人寂しく生きていくしかなくなります。この人間関係作りは、森田では「不即不離」といいます。桂歌丸師匠曰く。「間」のいい落語家は、つまらない噺をやっても受けるが、「間」の悪い落語家はどんな面白い噺をやっても受けない。厄介なことに、弟子に噺を教えることはできますが、「間」を教えることはできない。私なんか、本当に「間」ができたのは、40歳を過ぎてからでした。北野たけしさんは、人間関係で「間」をはずすと、「魔」がその場をぶち壊しにすると言われています。人間関係の車間距離をとることがとても大事になるということだと思います。人間関係は必要なときに、必要に応じて、必要なだけの人間関係を心がけることが肝心です。親しすぎる人間関係も離れすぎる人間関係もどちらも問題がでてきます。森田でいう「不即不離」を活用すると人間関係の悩みは軽減できます。
2024.05.16
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森田先生はやるかやらないか迷うときは、いったんイエスと引き受けなさいと言われています。本当にそうなのでしょうか。ある人が会社の採用試験を受けた。会社は経理に精通し決算書が作れる人を求めていた。その人は簿記の資格を持っており、やり方を教えてもらえれば、何とかなるだろうと思って、「できます」と答えた。そして運良く採用された。ところが決算時期を迎えて、目的が果たせなかった。結局は会計事務所に依頼することになった。その人は解雇されたという。この方は作成能力がないのに、採用されるために安請け合いをしたのである。入社後死に物狂いで、決算報告書の作成、税務申告書の作成方法を勉強すれば何とかなったのではないかと思う。入社できたことが最終目的地で、その後の努力を怠ったので経歴詐称を働いたと思われたのである。森田先生が今の慈恵医科大学の前身である慈恵医学校で、「精神病学」の講義をするようになったのは、東京帝国大学卒業後9か月目です。その当時、1時間の講義をするのにその準備に8時間も要したのです。この時に、「自分はまだ講義をする実力がないから、1年先に延ばしにしてもらいたい」といったところで、オポチュニティーは頭の後が禿げているから、決して後ろから、つかまるものではありません。(森田全集第5巻 535ページ 要約引用)森田先生はイエスと答えたあと、その期待に応えるために、必死に努力精進することが必要だと言われている。自信のない事、能力不足なことを引き受けるからには、責任を果たすための覚悟と努力が欠かせないということです。もしその覚悟がなかったとすると、軽はずみで、信頼のおけない人だと判断される。大きな行事に参加申し込みだけして、そのうち気が変わってドタキャンする人がいます。主催者は宿泊や食事の手配、交通費の手当てなどの準備をしています。ドタキャンは主催者に迷惑をかけ、無責任な行為になります。あるいは運よく仕事にありついても、与えられた仕事をこなさないでさぼりまくる人もいます。イヤな気分に振り回されて、なすべき事から逃げてしまう人です。こういう人は「迷った時はイエスと答える」を安易に実行すると、信頼をなくして相手にされなくなってしまいますので注意が必要です。
2024.05.15
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困ったときに他人の助けを借りることは悪いことではありません。反対に他人が困っているときは助けてあげる。人間社会は、助けたり助けられたりすることで成り立っています。自分の得意分野では人の役に立つことを実行する。それ以外は他人に頼ることで、豊かな生活を手にすることができます。ここで問題なのは、本来自分たちがしなくてはならないような、食事作り、雑事などから手を抜くようになることです。昔の生活は自給自足が基本でした。自分達が食べるものは自分たちで作っていた。旬のものを工夫して料理していました。加工食品もふんだんに作っていました。牛やニワトリなども飼っていました。生活に余裕が出てくると横着をするようになります。最近は田舎に住んでいる人でも、米、野菜を作らなくなりました。近くの工場で働き、近くの大型スーパーで好きなものを買ってくる。都会生活をしている人とあまり変わりません。年金が出るようになると、わずらわしい雑事からは解放されてきます。これからは趣味や旅行を楽しんで、今まで苦労してきた分を取り返えそうと思うような人が増えてきました。一日中テレビを見なから、食べたいものをスーパーで買ってきて、腹いっぱい食べるという生活習慣が定着してきました。傍から見ると心豊かに生活しているように見えます。果たしてそうでしょうか。私の亡くなった母は遺族厚生年金をもらい、田んぼを小作に出して、趣味三昧・旅行三昧の生活をしていました。年金をもらい米作りをやめて食事まで他人に依存した生活ぶりでした。その母がもう何も思い残すことはない、何時お迎えが来ても後悔はないなどと口走るようになりました。暇を持て余すようになり、その間隙を瞬間的、刹那的、享楽的な刺激で埋め合わせるような生活は精神的にはむなしくなってくるということだろうと思われます。規則正しい生活、凡事徹底、自立した生活、課題や目標を持った生活を放棄してしまうと、決して人間らしくは生きていけないということだと思います。いったん放棄してしまうと、元に戻ることは難しい。それは、やる気や意欲が骨抜きにされてしまうからだと思います。全ての面で依存することは、動物と同じように生きていくことになります。それは、人間らしく生きることを放棄しなさいと言われているようなものです。安楽な生き方のように見えますが、精神的には地獄の苦しみをもたらします。
2024.05.14
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株価は毎日上がったり下がったりしています。株の変動については、上値抵抗線という話を聞きます。これは株価が上昇していくときに、上値抵抗線に到達すると、跳ね返されて下がり始めるというものです。それが何度も繰り返される。ところが、何かをきっかけにして、その上値抵抗線を突破してしまうことが起こる。すると、今までの上値抵抗線は、驚くことに下値支持線に変わってしまう。下値支持線というのは、そこまで下がっても、そこから逆に反発するという抵抗線です。同じ場所にある抵抗線でも意味が全く違います。あるプロ野球の選手が次のように話していました。一旦乗り越えた壁は、今度はそれが自分を守る盾になる。この言葉の意味することを考えてみました。何度チャレンジしても失敗続きで跳ね返される。自分の能力では突破することは無理だ。自分は何をやっても失敗ばかりだ。世の中は自分に対して冷たいことばかりする。そのうち投げやりになって、端からあきらめてしまう。ところが、何回失敗しても、何回跳ね返されても、挑戦することをあきらめない人もいます。逆に益々闘志を燃やして果敢に挑戦する。そしてついには、どうにもならないと思っていた壁を乗り越えてしまう。乗り越えた人は一段階ステップアップした器の大きな人間に変身しています。ノウハウや自信をつかみ、さらに大きな目標に挑戦する人間に変身しています。小さな成功体験を蓄積していくと今度はその乗り越えた地点が出発点に変わるのだと思う。今まで目標でしかなかったところが、乗り越えた途端に自分を強力にアシストしてくれる盾のようなものに変身するということです。これはエベレストの登山をイメージすると分かりやすい。エベレスト登山ではベースキャンプを徐々に頂上に移動していく。ベースキャンプで準備万端態勢を整えて、そこを基点にして果敢に頂上にアタックしていく。神様は自分に乗り越えられないような課題は与えないと聞いたことがあります。神経症で苦しみ、のたうち回っている人は、きっと乗り越えることができる課題を与えられているのだと思います。私たちは幸運にも失意のどん底で森田理論に出会いました。同じ悩みを抱えて苦しんでいる仲間と知り合いになれました。神経質の執着性を活かして、仲間と協力しながら、森田理論学習を継続し、生活に応用するようにすれば、神経症はきっと乗り越えることができるはずです。また人生90年時代を自信を持って生きていくための人生観を確立できます。潮岬灯台
2024.05.13
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私はNPO法人生活の発見会の集談会に参加して37年が経つ。その間多くの仲間からいただいた印象に残っている言葉があった。いくつかを紹介いたします。・あなたは今波のどん底にいるが、波は必ず上昇してくる。それまで仲間で支えていくから安心して参加してほしい。・こんな非常事態なときに、仕事を辞めるとか、離婚するとか、死んでしまおうなどという重大な結論を出してはいけない。それは今の難局を乗り越えるまで待ってほしい。・時間を味方につけよう。時間の経過がきっとあなたを助けてくれるはずだ。時間は薬と同じくらいの効果がある。それを信じて破れかぶれな行動に走らないようにしよう。・「月給鳥」なったつもりで会社勤めをしなさい。自分と家族が生活するエサを獲りに行くという目的は忘れないようにしなさい。良好な人間関係作りは大事だが、それを最大の目標にしてはいけない。神経質者はもともとまじめで責任感が強いので、それでも普通の時の6割ぐらいはできています。それだけできればリストラされることはありません。これらの言葉をマジックで紙に書いて壁に張り付けて毎日唱和していた。結果的に仕事を辞めることも、離婚することも、自殺することもなかった。神経症で蟻地獄の底にいるときに、破れかぶれになって将来を左右する重大な決断をすると後悔するようになると思います。森田先生のところに入院していた人で陸軍大尉の人がいた。読書恐怖という神経症のために、職を辞し、その後根岸病院の看護人をされていたという。森田先生は、一番残念なことは、神経症のために職業を捨てる人だと言われている。神経症の患者で、私のところへ診察を受けに来る人には、私は職業を辞めさせない。これは私の大きな人助けだと思っている。普通の医者は、この同じ患者に対して、必ず休学させたり、職を辞めさせたりするのが常である。(森田全集第5巻 341ページより引用)
2024.05.12
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「雑念」にとらわれて、家事や仕事に集中できないという悩みを持っている人は、勉強や仕事に集中して能率を上げたいという気持ちが強いのだと思います。普通の人は「雑念」に対しては無意識ですが、「雑念」を問題視している人はことさらそこに注意を向けています。もともと「雑念」は台風などと同じ自然現象です。台風などの自然現象は人間の力ではどうすることもできないということがよく分かっています。台風をコントロールしたいと考える人はいません。しかし「雑念」に対してはそのようには考えていないのです。普通は目の前の出来事に対応して、様々な感情が湧き起こるようになっています。とらわれている人は、「雑念」を忌み嫌っていると同時に、「雑念」を意志の力で自由自在にコントロールしようとしています。時間とエネルギーを投入して不可能を可能にしようとしています。仮に「雑念」がなくなって、目の前の家事や仕事に集中するどうなるのか。神経が一つのことに固着されるということになります。人間は心臓が停止して血液が流れなくなると死んでしまいます。また、水の流れを止めてしまうと、水が淀んで藻が生え雑菌が増えて異臭を放つようになります。これと同じように、感情の流れが止まってしまうと、観念と行動の悪循環が始まります。これを精神活動の面から見ると、精神の緊張状態から、弛緩状態に陥ってしまうことを意味しています。精神が弛緩状態になると精神活動が停滞し、覇気がなくなります。ですから、精神衛生上、「雑念」はむしろどんどん発生させたほうがよいのです。そういう状態を森田理論では「無所住心」と言います。集中したいときに「雑念」が湧いてくるのはどんな時でしょうか。まず、目の前のことに興味や関心が持てないときです。例えば読書をしているとき、興味や関心がない部分では、様々な「雑念」が湧き上がってきます。ところがそのまま読み進めていると、急に興味や関心があるところに差し掛かると「雑念」は霧散霧消してしまいます。つぎに、他のことで注意を引くようなものが現れたときです。または気になる問題や課題を抱えているときです。これは昆虫が触覚を使って四方八方に神経を研ぎ澄まして生活しているような状態となります。一時的にきちんと注意を向けて問題確認をおこなう。別段問題がなければ、すぐに次の気になることに注意を移していくことが望ましいのです。車の運転をする人は無意識のうちに、次々と注意を向ける場所を切り替えているはずです。緊張状態の中で、一旦注意を向けて、問題がなければ次の気になることに注意を移していくことを繰り返しています。雑念にとらわれて本来の目標や目的を見失ってしまうことは本末転倒となります。雑念はつきものと考えて上手に付き合うことが大事になります。そして目標や目的から目を離さないようにしたいものです。
2024.05.11
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森田先生のお話です。神経症を克服しても、犠牲心が発動しないで、自分の打ち明け話が恥ずかしい。人に知られては損害だという風では、まだその人は小我に偏執し、自己中心的であって本当に神経症が全治しているのではない。森田先生は神経症を克服した後、その人がどんな対応を見せるのかに注目しておられたことがよく分かります。一般的には森田でよくなったのだから、森田から離れていくのは自然の成り行きのように思われます。森田先生は犠牲心が発動しないのは中途半端な治り方だと言われています。森田理論は理論を学ぶだけではなく、自分の生活の中に応用・活用することが欠かせません。さらにその体験を今現在神経症で苦しんでいる人に役立てたほうがよいのです。これは森田理論の「物の性を尽くす」という実践につながります。ないものねだりではなく、自分が今現在持っている財産を最大限に生かすことが肝心です。そうすることで社会貢献ができます。また自分の生きがいが生まれます。この場合は「己の性を尽くす」ということになります。神経症で苦しんだ体験は貴重なものです。神経症で苦しんだおかげで森田理論に出会うことができました。学習に取り組むことで、森田理論をより深く学ぶことができました。また生活の発見会という自助活動に参画することで多くの貴重な仲間と交流できました。最終的には神経症を克服して、神経質性格者としての人生観も確立できました。これらをいま悩んでいる人たちに、包み隠さずすべてを開示していく。それは一見人のためのようではあるが、自分をとことん活かしていくことにつながります。自分が神経症から解放されればそれで目的は果たしたという考え方は、実は自分の掴んだ貴重な財産を眠らせてしまうことになります。せっかく身につけた森田的な考え方、生き方、活用の仕方が陽の目を見ないのはとても残念なことです。神経症を克服した人は、自分の貴重な体験を赤裸々に開示して自分の生きがいを見つけていきたいものです。
2024.05.10
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森田理論の感情の法則の3の活用について考えてみたい。感情は同一の感覚に慣れるに従ってにぶくなり不感となるものである。具体的な例で説明してみましょう。寒い冬場に風呂の湯船に浸かることを考えてみてもらいたい。最初はちょっと熱いなと思う。外で緩めのお湯で体を慣らす。中には、水で熱さを加減してから入る人もいるかもしれない。よい気持ちでしばらく暖まっていると、今度はちょっと冷たいと感じるようになる。そこで今度は熱湯を入れて、お湯の温度を上げようとする。つまり湯船に浸かっているうちに、体が最初のお湯の熱さに慣れてきたといえる。最初は少し熱いようだと感じても、少し我慢していれば、その環境に慣れてきて、熱さを感じなくなる。これはプールに入る時にも同じことが言えます。プールに入る時は、反対に飛び上がるほど冷たい感じがする。身震いします。何ともいえない不快な感じがします。ところがしばらく泳いでいると、慣れてきてちょうどよい水温と感じる。体が水温に適応して、不快感が跡形もなく消え去ったのである。そのうち、このプールの水温は、やけに暑苦しいと感じることもある。不快感をそのままにしていると、そのうち慣れて不快感はなくなってしまうということである。あるいは反対の感情さえ湧いてくるのである。不快感がなくなるということは、刺激がなくなり、無意識状態に変化するということです。別の言葉でいえば、慣れてくると精神は緊張状態から弛緩状態に変わってくるのです。精神の弛緩状態というのは、日常生活の中では注意しなければならないと森田理論は教えてくれています。次にこれをどのように活用すればよいのかを考えてみましょう。神経質性格の人は、感受性が強く他人が気づかないような小さなこともよく気がつきます。他人も気持ちもよく思いやることができる。この神経質性格をプラスとして認識し、最初の気づきをきちんと掴まえることが大切になります。これこそが宝物と認識することが大切なのです。最初の気づきをきちんとキャッチして風化させないことが大切になる。そうしないと、最初の気づきはしばらく経つと、すぐに忘却の彼方へと飛び去ってしまいます。活用するためには、今すぐにできることや時間のかからないものはすぐに手をつける。億劫だ、気が進まないなどと言っていると、慣れてしまって、せっかくの気づきという宝物が存在したことさえ思いだせなくなってしまう。今すぐにできないことは、忘れないようにすぐにメモして残しておく。時々メモの内容を確認する。とにかくストックをたくさん溜めていくことだ。神経症からいち早く立ち治っていく人は、このメモを大事にしている。真剣に凡事徹底に取り組んでいます。
2024.05.09
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登山家の野口健さんのお話です。ヒマラヤは感覚の世界だ。登山中にいちいち理屈で物事を考えていたら遭難してしまう。1ヵ月間もヒマラヤにいると、雪崩や落石、氷河などの崩壊の危険に絶えずさらされているためか、音に敏感になる。また湿度や温度など、微妙な変化まで全身の毛穴や肺胞で感じとれる。厳しい環境の中で生き延びるために五感が研ぎ澄まされていく。ヒマラヤにいる時の自分の表情を写真で見て、その眼光の鋭さに驚いたことがある。人はなぜ、あえて危険な冒険に魅せられるのか。時に五感をフルに働かせ、生き延びることだけに必死になりたいのかもしれない。人間も動物だって同じことだ。(自然と国家と人間と 野口健 日経プレミアシリーズ 16ページ)野口健氏は、精神が緊張状態から弛緩状態になると、五感の機能はしだいに衰えてくると言われています。その日食いつなぐことに必死に生きている開発途上国の人たちを見ていると、第一目つきが違う。眼光鋭く、うつろで憔悴した目つきをした人はいない。身の危険を感じることがない。食べることに困らない。安心・安全で不安やストレスのない世界に身を置いていると誰でも五感は鈍化してきます。感性や感受性が廃用性萎縮現象を起こしてしまうのである。有り余る時間を、刹那的で刺激的な快楽で穴埋めしようとしている現代人は、緊張感がなくなり、五感は正常に機能しなくなっているのだろう。精神を弛緩状態から緊張状態に切り替えることは可能であると言われています。それは置かれた境遇や環境を変えてみることです。また行動を変えることによっても可能となります。そうかといって、我々はヒマラヤで登山をするわけにはいかない。開発途上国で暮らすことなど考えられない。ではどうするのか。それは森田理論が教えてくれている。それは、今この瞬間に集中して、ものそのものになって生活することである。日常生活に丁寧に取り組むことだ。凡事徹底を心がけることです。まずは食べること。食材を自分で作る。買いだしをする。下ごしらえをする。料理をする。味わう。後片付けをする。加工食品に挑戦してみる。あとは洗濯、清掃、整理整頓などである。そんな生活の中から、興味や関心、工夫や発見が見つかり、ささやかな幸せを感じる。生活のルーティンワークを確立してていねいに取り組むようになれば、緊張感が生まれて、様々なことに気づき工夫ができるようになります。すると精悍な顔つきに変わり、眼光も鋭くなります。
2024.05.08
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アドラー心理学の中に目的論というものがあります。人間は目的を達成するために行動しているのだという考え方です。日々取り組むべき目標や課題を持たないで、惰性で生きていくことは精神的にも身体的にも大きな苦痛をもたらします。絶えず目標や課題を持って生活しているのが普通の人間です。この生き方は、常に努力精進していくことが不可欠となります。森田では雑事や雑仕事に丁寧に取り組むことを目指しています。しかし、日々の生活を丁寧にこなしていくというのは案外しんどいものです。油断しているとすぐに楽な方向に流されてしまうことになります。そうなりますと、目標や目的が蚊帳の外になり、その隙間を埋めるように「かくあるべし」がでてきます。今まで現実に立ち位置を決めて、下から上目線で目標や目的を目指してきたのですが、努力することを放棄した途端に、上から下目線で現実批判を始めてしまうのです。目標や目的の存在が、自己否定のための材料に変わってしまうのです。これでは目標や目的を持っていなかったときの方が、精神的には楽だったということになりかねません。ここで大切なことは、目標や目的から決して目を離してはいけないということです。目標や目的から目を離すと、暇を持て余すようになるとともに、精神的には地獄の苦しみをもたらすようになります。このアドラーの目的論に近いことを森田先生は次のように言われています。川に架かった丸木橋を渡るとき、向こう岸の目的物をしっかりとらえて思い切って渡ることが大切です。足元の安全を確かめたり、川に落ちたらどうしようかなどとネガティブなことを考えていると、挑戦することを躊躇してしまいます。その結果目的が果たせなくなります。また仮に破れかぶれで行動すると川に落ちてしまう。森田先生は、神経症のとらわれから抜け出す方法は2つあると言われています。ひとつめは、自分の心がとらわれから離れない時には、そのとらわれのままにとらわれていることである。これは不安になりきるということです。もうひとつは、決して目的物から目を離さないことであると言われています。苦しいので目をそらして、他のことを考えて気を紛らわせるようなことをしてはいけないと言われています。
2024.05.07
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私たちは過去のミスや失敗、失態や恥ずかしいことを後悔することがあります。歳をとるとそれらが悪夢となって現れて苦しむこともあります。過去の不祥事は取り消すことはできません。では過去の嫌な記憶にどう対処すればよいのでしょうか。今後二度と同じような間違いはしないように反省材料として活用すればよいと思います。神様は、過去の不祥事を反省して次に活かす人を高く評価されるだろうと思います。逆に言うと、後悔して悪夢にうなされるという人は、同じような過ちを何回も繰り返しています。これでは貴重な経験として活かしているのではなく、自己嫌悪、自己否定を深めているだけです。具体的にはどうすればよいのでしょうか。後悔している自分にきちんと向き合うことが大切です。忌まわしい事実を事実としてきちんと認めることです。どうしようもない、ダメだ、取り返しがつかない、救いようがないなどと責めないことです。落ち込んでいる自分に優しく寄り添うことです。自分の味方は自分しかいないわけですから。いつも後悔をして自己嫌悪、自己否定している人は、「今、ここ」の意識が希薄な人です。過去の不祥事に振り回され、将来のことに取り越し苦労ばかりしている人です。もっと「今、ここ」に注意や意識を向けることが大切です。マインドフルネスは「今、ここ」に意識して注意を向け、それを客観的に眺める手法だと聞いております。日常生活では、森田で言うように「ものそのものになりきる」ということが大切だと思います。ぼんやりとして、他のことを考えながらうわの空で行動するのは考えものです。抑うつ状態や後悔はその隙間を狙って心の中に侵入してくるのではないでしょうか。また、悪夢にうなされて苦しいという人は、普段の生活の中で、目標、目的、課題、希望、夢を持っていない人です。つまり生の欲望の発揮が蚊帳の外になっています。日常生活の中で、問題点、課題、改善点、改良点、楽しみ、喜びを見つけようと心がけて生活している人は、意識が前向きで外向きになっている人です。注意や意識が外向き・前向きになっているときは、後悔で苦しむことはありません。
2024.05.06
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日常生活にはコントロールできるものとコントロールできないものがあります。コントロールできないものは次のようなものがあります。・自然に沸き起こってきた様々な感情・神経質性格、容姿、能力、境遇など・他人を自分の意のままに操ること・現実に目の前で起きた事件、自然災害、経済の変動などコントロールできるものはどんなものがあるでしょうか。・コントロールできることとできないことをきちんと区別するということ・目の前の現実に対応して必要なときに必要な行動をとるということ・様々な感情や事実をそのまま受け入れるということ・良い悪い、正しい間違いなどの是非善悪の価値評価をしないということ・他人の話をよく聞くこと。対立点を話し合いで解決するようにすること・どうすることもできない出来事を素直に受け入れるということコントロールできないものはあるがままに受け入れて、コントロールが可能なものには積極的に取り組むことが大切です。ところが現実ではそれがあべこべになっている人がいます。つまりコントロール不可能なものに積極的に取り組み、逆にコントロールできるものにはなかなか手を付けようとしない人です。神経症で苦しんでいるときはまさにこれが当てはまります。どうしてこのようなことが起きてしまうのでしょうか。コントロールできないものは、上から下目線で、よいか悪いとか、正しいとか間違っているとか、正義か悪かなどの価値判断をしています。自分の立ち位置を雲の上のようなところに置いて、現実や現状を自分の物差しを使って厳しく裁いているのです。この場合は積極的に行動していないので努力は必要としません。観念優先で行動がおろそかになり、消極的な生き方になります。コントロールできるものは、積極的に行動することですから、エネルギーを消費します。努力することが必要不可欠です。ある意味苦しいです。しかし、この方向を目指すと、問題や課題に果敢に挑戦する積極的な生き方になります。本来の人間の生き方になります。ただし、敢えてリスクをとって挑戦しても、必ずしも成功するとは限りません。そのために行動することを躊躇して、気分に流されて、静観するほうを選んでしまう。玉野井幹雄氏は、「積極的な生き方をする人」は、善いものをさらに増やそうと努力しますが、「消極的な考え方をする人」は、善いものを積極的に増やそうとしないで、悪いものを減らすことによって、結果的に善い状態になろうとしていると言われています。(いかにして悩みを解決するか 玉野井幹雄 自費出版 252ページ)森田理論は神経症的な不安、恐怖、違和感、不快感はコントロール不可能なものだと言われています。それらは、あるがままに受け入れて、コントロールできるものに積極的に取り組みましょうと教えてくれています。気分がどんなに行動することを拒否しても、必要なときに、必要に応じて、必要な範囲の行動を心がけていくことが極めて大切になります。そのためには、規則正しい生活習慣を確立して、頭であれこれ考えなくても、すっと体が動いていく状態を作り上げることが肝心だと思います。大きな目標を目指す場合も、この基本を無視していると、ザルで水を掬うようなことになってしまいますので注意したいものです。
2024.05.05
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キリンビールの社員でNKK活動と銘打った営業を展開した人がいた。それは1時間で25軒、2時間で40軒、何も(N)考えないで(K)行動する(K)というすさまじい訪問活動でした。「考えたら身体が動かなくなる。まず何も考えずにひたすらお得意様を訪問しよう」というものです。1時間25軒回るためには無駄話はしない。各得意先の訪問時間は約10秒。例えば、新商品のサンプルを置いてくる。リーフレットを置いてくる。情報を伝える。そんなシンプルなことを次々にやっていくのです。「どうもキリンです。新商品のサンプルです。お願いします」この営業マンの担当エリアは静岡だったのですが、「いちばん元気なビールメーカーは?」というアンケートに「キリン」と回答した割合が格段に増えた。活動前には18パーセントだったものが、1年後には40パーセントにも達した。常識的に考えると、得意先を訪問するときは、事前にしっかりと訪問計画を立てる。1軒当たり、ある程度の時間をかけて訪問し、信頼関係作りから始める。おのずと訪問件数は少なくなるが、それは仕方ないと考える。(キリンビール高知支店の軌跡 田村潤 講談社新書 要旨引用)この営業スタイルは、訪問営業のローラー作戦と同じものです。10件訪問すれば1件の成約が獲得できるという「大数の法則」に従って淡々と営業活動をこなしていくのです。断られたら自尊心が傷つくと考えている人にとって、実行は極めてハードルが高いのです。気分本位でイヤなこと、辛いこと、面倒なこと、気がすすまないことからつい逃避してしまう人も難しい。成約になることに確信が持てたときに営業活動をすると考えている人もハードルが高い。そんな無駄な訪問をするのは効率が悪い。時間の無駄だというのは考えものです。そう考えている人は失敗の経験が積みあがっていきません。営業能力の向上は、失敗の経験をいかに数多く積み重ねるかにあります。失敗することで成功のためのノウハウを身に着けることができるのです。ローラー作戦は優秀営業マンになるための登竜門となっているのです。さらに考える前に身体を動かすという営業スタイルが習慣化してくると、仕事をさぼることは居心地が悪くなってきます。周りで見ている人が、「そんなことがよくできますね。よく身体がもちますね」と言われてもピンと来なくなる。自分を鼓舞して、無理やり行動しているという気負いがなくなってくるからです。習慣化するということは、仕事がルーティン化しているということです。これはよい習慣だけでなく、悪い習慣も同様なことが起きますので注意が必要です。何も考えずに、同じ時間に、同じ行動が繰り返されるようになっているのです。気負いはありません。あくまでも毎日やるべきことを何も考えないで、淡々とこなしているだけなのです。平凡を積み重ねていくと、非凡な成果を生み出すということを忘れないようにしたいものです。
2024.05.04
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天は一人の人間にいくつもの才能、美点、強み、長所を与えることはない。一つの才能や能力に秀でている者は、往々にして大きな欠点や弱点を抱えているものだ。この言葉は裏を返すと、誰でも最低一つくらいは他人と差別化できる才能や強みや長所を持っているということではないだろうか。ただし、それをきちんと意識している人としていない人がいる。きちんと意識している人は、欠点、弱点、運命、境遇をそのまま受け入れて、自分に与えられている才能、強み、長所を伸ばそうとしている。意識していない人は、欠点、弱点、運命、境遇を目の敵にして失意の人生を送ることになる。私は幸か不幸か神経質性格者として生まれてきました。神経質者はリーダーや指導者として人の上に立って組織を動かすことは苦手です。行動力が旺盛であるとも言えません。問題解決能力が優れているとも言えません。どちらかというと気分本位で、困難なことからすぐに逃げてしまいます。人間関係の調整能力が優れているとも言えません。容姿が特別よいわけでもありません。運動能力もありません。しかし鋭い感受性を持っています。好奇心が旺盛です。分析力、思考力、創造力、創作力、深耕力、原因究明力、粘り強さ、生の欲望は目を見張るものを持っています。ないものをこれから身につけるよりも、すでに持っているもの、あるものを再評価して、伸ばしていくほうが理にかなっているのではないでしょうか。私は感受性、分析力、思考力、文章作成能力などが備わっていることが分かりました。ただそれに気づくのが少々遅すぎた感があります。もう少し早く森田理論の神経質の性格特徴を学習していたならばと思っております。
2024.05.03
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岡野雅行氏のお話です。仕事を長い時間、根詰めていると、物事のとらえ方に拡がりがなくなったり、融通が利かなくなったりするものだ。そうなると発想のパターンが同じになったりして、ひらめきというものが湧き出てこなくなる。忙しいとき、疲れたときでも、おれは、休憩はあまりしない。そういうときは、休むよりも、人と打ち合わせを入れたりするのだ。そうすることで精神的な勢いというか気持ちの張りが維持できるから、仕事の能率は下がらない。もし、仕事から、まったく離れて頭と精神のリズムを完全に止めてしまったら、再び、元のハイスピードのリズムを取り戻すのには時間がかかるものだからね。(試練は乗り越えろ 岡野雅行 KKロングセラーズ 52ページより引用)これは森田理論でいうと、「休息は仕事の中止ではなく仕事の転換にあり」のことです。私もこれを生活の中に積極的に取り入れています。昼間眠くなったときでも、頭を休めて、掃除や草花の手入れなどをしていると、気分転換になります。そして眠気もどこかに飛んでいき、様々なことが片付きます。逆に1時間以上も昼寝をすると、夜の寝つきが悪くなりますし、あとで後悔しますね。岡野氏は仕事を完全に止めてしまうのは、再びハイスビートのリズムを取り戻すのに多くエネルギーを必要とすると言われています。集談会では、症状でつらいときには、「超低空飛行」を心がけるとよいと聞いたことがあります。症状がつらいからといって、全く行動しなくなると、次に行動を起こすにはかなりのエネルギーが必要になります。ですから、仕方なく、ボツボツと日常茶飯事に手を出すことが大切なのです。行動には波がありますから、どん底はいつまでも続きません。どん底の次には波が次第に持ちあがってくるのが世の常です。ただし、完全に行動を中止してしまうと、どん底の下に次の底が口を開けて待っているということになります。つらいときでも必要最低限ことだけは手を出していくことが大事だと思います。
2024.05.02
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学校の黒板を作っているSAKAWAという会社があります。この会社がここ8年間で急成長しました。従来の黒板を作っている限りここまでの成長は望めなかったと思われます。この急成長の原因は学校用プロジェクター「ワイード」の開発にあります。この製品は黒板との相性がとても良い。すでに5000教室に導入している。これからもどんどん拡大が望めます。日本の黒板を大きく変えていく可能性があります。これは天井にあるプロジェクターから黒板に自由に画像が投影できます。先生はあらかじめ必要なことをパソコンなどで作っておいてすぐに投影できます。最初から黒板に書く必要ありません。図形などもあらかじめ作成します。メリットとしては、時間の使い方が格段に効率的になります。空き時間が無くなるので生徒が授業に集中しやすい。また写真などの映像を取り入れることで生徒の興味を引くこともできます。一番の特徴は、黒板に投影された映像上に自由に手書きができることです。映像と手書きのコラボが簡単にできるようになったのです。取り扱い方も簡単にできる。これを導入している先生の評判がよい。この会社は100年以上続いている会社だそうですが、従来の黒板だけを作っている限り成長は望めませんでした。売り上げが伸びない会社では情熱がなくなり、ますます悲観的な気持ちになっていたと思います。最悪廃業せざるを得ない状況に追い込まれていたと思われます。この会社が成功したのは現状を価値批判しないで素直に受け入れたことにあります。森田でいえば「かくあるべし」を押し付けないで、事実をあるがままに認めることができたということです。事実を認めることができるようになると、今の黒板の問題点が見えてきました。2009年以降教育業界では、電子黒板という製品が出回っていました。SAKAWAでも販売していましたが、たいして普及はしませんでした。学校現場では「使い方が難しい」「機材を置くスペースがない」「黒板との相性が悪い」「画面が小さい」等の問題があり、積極的な導入には至りませんでした。SAKAWAでは使い勝手のよい新たなプロジェクターの開発に取り組んだ。プロジェクターは天井に取り付けるものを開発した。つぎに教室では先生や生徒が自由に動き回ります。そのためスペースをとらない、影が映らない、配線ケーブルが邪魔にならない、1M以内で投影できる超短焦点機材の開発が不可欠であった。さらに縦1200㎜、横3000㎜のウルトラワイド16:6というアスペクト比に対応するプロジェクターを作る必要がありました。試作品を教育現場で見てもらったところ、決まったところにしか投影できないのは不便だという意見があった。自由自在に投影場所を移動できるものが欲しいということだった。例えば国語では右から縦に板書するので、投影は左にしてほしい。英語や算数は左から横に板書するので画像投影は右にしてほしい。これらの問題点を改善して2016年ワイードが完成した。この商品は画期的なもので教育現場で歓迎された。そのおかげで傾けかけていた会社が息を吹き返してきた。従業員の仕事に対するモチュベーションが上がってきた。働くことが楽しくなった。社内の人間関係がよくなってきた。さらに世の中で役立つ商品を開発してゆきたいということでした。この話は欠点や弱点を非難・否定するのではなく、そのまま受け入れて、課題や目標を持って生きることがいかに大切であるかを教えてくれています。
2024.05.01
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