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米長邦雄さんの話である。将棋の対局はほとんどの棋士が羽織袴である。通常の手合は背広にネクタイ姿で対局している。これは誰かが見ているとか見ていないとか言う問題ではなく、自分が職業としている将棋というものへの敬意である。ところがある時ジャンバー姿で対局している若者がいた。対局後、私は彼を別室に呼んで注意した。「競輪場へ行くような格好で対局してはいかん。みんな背広とネクタイできている」努めて高圧的にならないように言ったつもりだったが、たちまち反論されてしまった。とにかく、こう言えばああ言う、ああ言えばこう言うのである。全ての出来事は、自分の頭で判断でき、それが必ず正しいと思い込んでいる。自分の頭では判断不能なことがあり、判断できたことでも誤っている場合があるということは、プロとして将棋を指していればすぐにわかるはずだ。であるなら、先輩に注意されたら、 「もしかしたら自分が間違っているのかもしれない」という気持ちを持っていることは棋士の昇段に関わる重要なことになる。米長さんは、熾烈な勝負を繰り広げている棋士にとって、素直に忠告を聞かない人に勝利の女神は、決して微笑まないと言われている。なぜなら勝負を決するような重要な山場で舞い上がってしまい局面が読めなくなる。客観的な立場から全体を見渡すことができなくなり、無理やり自分の考え方を押し通そうとするのである。将棋の世界は、自分のやりたい放題のことを仕掛けて勝てるというような甘い世界ではない。百戦錬磨の棋士がしのぎを削っているからである。棋士を職業とするからには、攻撃にかける時間以上に、客観的な立場から戦況について検討を加えていく能力が欠かせないのだ。よく将棋の対局で長考しているのはその作業を繰り返しているのである。(運を育てる 米長邦雄 クレスト 96頁より引用)将棋の世界は攻撃以上に防御が必要になると言われています。それは5対5ではなく、4対6くらいの割合になるのかもしれない。勝負に勝つためにはこのバランスが非常に大事になってきます。防御は、イケイケドンドンの攻撃一辺倒の時は軽視しがちになります。バランスが崩れるとサーカスの綱渡りでは地上に落下してしまいます。森田理論では神経質性格の人は自己内省力が強いと学びました。これが強すぎると、考えることが内向き一辺倒になる可能性があります。行動は消極的になり、考えることは観念的になります。そして自己嫌悪、自己否定で苦しむようになる。しかし米長邦雄氏は自己内省力のない人は大成しないと言われています。自己内省力は、反省力、分析力、客観化できる能力のことです。素晴らしい能力です。この能力はお金を出して買えるようなものではありません。また、この能力がないと、双極性障害の躁状態になります。ここで肝心なことは、自己内省性は生の欲望に向かって努力しているときに、初めて効果を発揮する能力であるということです。生の欲望の発揮が6、自己内省力が4くらいの気持ちを持って目の前のことに取り組むことが必要です。米長邦雄氏は、アマ三段とプロ棋士四段の差は紙一重だといわれる。しかし、待遇面では将棋で生活できるか、あるいは引退を余儀なくされるかという大きな差がついているのです。自己内省力の強い神経質者は、自己内省力を大いに評価したいものです。
2024.02.29
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仕事、日常生活、人間関係、子育ての中で、ミス、失敗、問題点、課題、改善点、改良点は次々に発生します。そのとき問題が発生するとパニックになって頭が真っ白になる人がいます。不平や不満があるとすぐに感情を爆発させてしまう。たちまち不機嫌になって態度に出してしまう。すぐに自分の一生を左右するような大きな問題に増幅させてしまう。イヤ、ダメ、どうすることもできない、これで自分は終わったなどと短絡的思考に陥ってしまう。他人が問題を起こすと、しつこく叱責・非難・否定を繰り返す。許容や包容力がある対応がとれない。完全主義、完璧主義、理想主義、コントロール至上主義で現実を否定してしまう。一刻も早く不安や不快感を取り除いて、安心・安全な状況を作り出そうとする。どうにもならないとすぐに逃避してしまう。反対に、それらを大いに喜び宝物として取り扱う人がいます。自分の取り組むべき課題、目標、居場所、活躍の場が与えられたと考えることができる人です。こういう対応ができる人は2つの特徴があります。一つは人間は絶えず課題や目標、夢や希望を持って生活することが欠かせないと考えています。そのために、例えば仕事をしている時に、なにか問題はないか、課題はないか、改善点や改良点はないか、楽しみや感動することはないかという意識を持って取り組んでいます。見つかると宝物を見つけたように喜ぶことができる。次に、上から下目線で現状、現実、事実を非難・否定をすることはエネルギーの無駄使いにつながると考えている。そのようなエネルギーの使い方は極力避けた方がよいと考えている。意に沿わない事実はいくらでもあります。不快な感情もいくらでも湧いてきます。それらをあるがままに受け入れるとエネルギーの無駄遣いはなくなります。目標や課題が明確になると、温存されたエネルギーの有効活用ができます。森田でいう「生の欲望の発揮」に向かって舵を切ることができるようになります。
2024.02.28
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森田先生は強情も盲従も問題ありと指摘されています。「強情」な人は、森田先生が指導すれば、すぐにそれに取り組んでみると言うのではなく、家に帰って考えてみると言う。そういう人は森田先生が神経症の治療の分野ではすぐれた医師であるということを忘れている。このように頭の中で納得して決心するとか、自信がついてから取り組もうと考えている人のことを言う。「こんなに頭が悪くてはできるはずがない」と短絡的に考えて手をつけない人のことを強情というのである。強情な人は「かくあるべし」が強い人である。「○○しなければならない」「○○してはならない」と自分の考えを周りに押し付けることが多くなります。指示、命令、強制、脅迫、非難、批判、否定することが多くなります。人間関係は当然悪くなります。それはアドラーの言う横の人間関係ではなく縦の人間関係になっているからです。「盲従」と言うのは、森田先生の言われたことを万能の神様のように信じて、馬車馬のように突進する態度のことです。森田先生は当時入院されていた水谷啓二氏に、皆がいる前で、そこで三回ぐるぐる回ってお辞儀をしなさいと言われた。水谷氏は恥ずかしいことだと思いながらも森田先生の言われる通りに行動した。まわりにいるひとたちがクスクスと笑った。それを見て森田先生は、だから君はダメなのだと言われた。普通の人は「みんながいるのでそんな犬のようなマネはちょっと出来かねます」と言ってモジモジするはずだと言われている。(森田全集第5巻 266から268ページより要旨引用)盲従というのは自分の意志というものは何もない。相手の言いなりになっている。相手の無理難題の押しつけに対して、不平不満をいだきながらも受け入れてしまう。こういう人は相手からの「かくあるべし」の押しつけに対していつも服従している人です。相手からすれば自分の周りにこういうイエスマンばかりになるととても気持ちがよい。やりたい放題になります。盲従する人は、心の底では反発しているのに、相手の無理難題を受け入れてしまいます。ストレスだらけになります。不平不満でいっぱいになり、被害者意識でいっぱいになります。そのうち相手の足を引っ張ることばかりを考えるようになります。盲従は支配ー被支配の縦の人間関係になります。いずれ対立して最後には破綻します。強情も盲従も「かくあるべし」の押しつけという視点から見ると、どちらも同じようなものです。「かくあるべし」を減らして、事実本位の生活態度を身に着けた方が得策です。
2024.02.27
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気分本位の行動はあとから後悔することが多くなります。それを防止するために、事前にこのマトリックスを使って自己分析することをお勧めします。①行動することによるメリット ②行動することによるデメリット③行動しないことによるメリット ④行動しないことによるデメリット例 月曜日の朝会社に行く気がしないので仮病を使って休みを取ることにしたい。①休んだことによるメリット 憂うつな気持ちがなくなり、一瞬気が楽になる。②休んだことによるデメリット今日やる仕事が明日に持ち越される。火曜日がしんどくなる。本来自分のやるべきことを同僚が手分けをしてやることになる。他人にしわ寄せがくる。明日同僚から非難されることが予想される。休んでいても特に何もすることがないので、暇を持て余すことになる。③出勤したことによるメリット気が乗らないまま仕方なく家を出た。昼過ぎまでは体がだるく仕事モードにならなかった。ボツボツ仕事をしていたら、昼過ぎからいつも通り仕事モードになれた。④出勤したことによるデメリット家を出るときは憂うつな気分だったが、出勤すると少しずつ憂うつな気分がとれてきた。仕事に行くと益々落ち込むと思っていたが現実はそうではなかった。デメリットと思っていたことは、間違いだった。この分析をすると、不快な感情が湧いてきても、感情は行動によって変化してくるので、我慢して出勤した方がよほど得策であるということが分かります。つまり気分本位の行動に一定の歯止めがかかります。この分析方法はやる気が起きないときや尻ごみしたくなったときとても役に立ちます。いつも気分に振り回されている方は、それを抑止してくれる人の助けを借りることも有効ですが、それと合わせてこの分析方法を取り入れてみませんか。
2024.02.26
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人間関係には、20%、60%、20%の法則があると言われます。これは自分と馬の合わない人が20%程度いる。反対に和気あいあいで、気が合う人が20%くらいいる。後の60%の人は好きでも嫌いでもない人達がいるというものです。馬の合わない人は森田理論の不即不離を活用して、必要最低限の付き合いをするだけで十分だと思います。敢えてあまり近づきすぎないようにした方がよい。馬の合う人はこれからも大事にしたいものです。馬の合う人は誰にもいます。私にはそんな人は一人もいないという人は身近な人を思い出してみることです。さて人間関係で注意したいことは、好きでも嫌いでもない人たちとどう付き合うかです。その人たちを敵に回してしまうと、馬の合わない人が80%になってしまいます。これは何としても避けたいところです。ではどうすればよいのでしょうか。人間関係には「やってはいけないこと」があります。その一方「やらなければいけないこと」もあります。それを意識して実行するだけで、人間関係で多くの敵を作り出すことを未然に防ぐことができます。これには多少の努力が必要です。努力すれば60%の人を敢えて敵に回すことがなくなります。人間関係のバランスが取れてきますのでぜひとも実行していきましょう。絶対にやってはいけないこと・挨拶をしない。・怒り、不平不満の感情をそのまま態度に出す。・約束を守らない。ドタキャンをする。・相手の欠点、弱み、ミス、失敗を非難する。否定する。・相手のことをからかう、無視する、仲間外れにする。・葬式や法事に行かない。・相手の話を聞かないで自分のことばかり話す。・お金をごまかす。酒癖、女癖が悪い。ギャンブルに手を出す。・言い訳、ごまかし、責任転嫁をする。事実を隠そうとする。ぜひともやった方がよいこと・きちんと笑顔で挨拶をする。・怒りや不平不満やグチを言わない。・言いたいことがあっても、まずは相手の気持ちを聞く。・考え方の違いがあった時は、冷静になって対応する。・自分の気持は「私メッセージ」の手法で伝える。・事実を指摘すると相手が気分を悪くすることは決して口にしない。・相手の優れているところ、努力しているところを評価する。ほめる。
2024.02.25
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子供の頃にミス、失敗、敗北、挫折、ケガ、大病の経験を持っている人は、貴重な経験をしたことになります。そういう経験が全くないというのは考えただけでも恐ろしいことです。神経質性格の人は、困難が予想されることから逃げ回ってきたことが多いのではないでしょうか。集談会で人間は3000回の失敗を重ねて大人になっていくのだという話を聞きました。私たちはたった1回の失敗も嫌なのでいつも逃げ回ってきました。その結果、ミス、失敗、敗北、挫折、ケガの経験の数が大幅に不足している。その時は嫌な思いをしないで済んだのですが、大人になって経験不足が暗い影を落としています。ノウハウが分からないので、右往左往してしまいます。何をしてはいけないのか、何をしなければいけないのかがよく分からないのです。仕事でミスをしたとき、それを自分の一生を左右するような大問題に膨らませてしまう。もう自分の人生は終わったも同然だ。もうこの会社には自分の居場所はなくなった。退職しておわびするしかないなどと考えるのです。そして自分のミスや失敗が周囲の人に知れ渡り、軽蔑されることを恐れるようになります。予期不安で苦しみ、積極的に仕事に取り組むことができなくなります。失敗しないように逃げ腰の仕事ぶりになります。周囲からやる気のないお荷物社員とみなされるようになります。さらに叱責されることを恐れて、ミスや失敗を隠蔽するようになります。経験不足のまま大人になってしまった人はどうすればよいのでしょうか。生活の発見会の集談会で雑多な体験を積み重ねることをお勧めします。生活の発見誌の1月号(68ページ)に会社の経営者の人の話がありました。この方は集談会の先輩から幹事をやるように勧められたそうです。レクリエーション係を担当し、バーベキューやハイキング、懇親会などの企画と実行をしました。この役が、内向的かつ経験不足の私にとって、大きな勉強になりました。不思議なことに、集談会活動を一生懸命やったら、会社の業績もよくなりました。集談会の活動で、人間に対する誤った認識が是正され、それが社員にたいしても、同じことが言えると、気づいたからかもしれません。また、神経質者が本質的にもっている心配性が、大きな失敗や事故を防ぐことにプラスに働いたようです。神経症のお陰で、35年間、会社を潰さないで、続けられました。集談会の運営にはいろんな仕事があります。会の運営は代表幹事、幹事、世話人が担っています。役割としては、会場設営係、司会進行係、会場予約、受付係、図書係、会計係、集談会報告作成、お茶やお菓子係、初心者対応係、電話対応係、はがきやメール案内係、ZOOM会議の設定、個人相談係、懇親会の幹事など様々です。仲間と助け合いながら成功体験を積み重ねることができます。
2024.02.24
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森田理論に「迷いの内の是非は、是非ともに非なり」という言葉があります。この言葉は、どう行動すればよいのか判断に迷うときに、拙速に態度を決めて行動してしまうと益々問題を大きくして収拾がつかなくなるということかと思います。例をあげて説明してみます。神経症のために会社に出社できなくなっている人がいるとします。そういう方が、藁にもすがるような気持ちで集談会に参加されました。そして出社できない状況と葛藤や苦悩について話されました。この方に対して、普通は「それは大変な状況ですね」などと同情されると思います。あるいは、「そんなに苦しいのならリタイヤした方がいいかもしれませんね。過労死でもすればもともこうもありませんからね」などと助言する場合があるかもしれません。またよくありがちなのは、「でも、現在の会社を辞めて、どこの会社に転職しても同じようなものですよ。会社に出社していれば給料や賞与がもらえる。社会保険も完備しているじゃないですか。辞めてはダメだと思う。第一生活ができなくなるじゃないですか。この先家族はどうやって養うつもりなの」などと忠告する人もいます。この相談者は、自分の苦しい胸の内を聞いてもらいたい、吐き出したいという気持ちなのではないでしょうか。この方はご自分でも「今の状況がとても過酷なので出社することは困難だ」「でも、会社を辞めると生活できなってしまう」ことはよく分かっています。この2つの相反する気持ちの中でどうすればよいのか葛藤しているのだと思います。そしてその苦しみを受けとめてほしいという気持ちがあるのだと思います。私たちはこのようなときに、この森田の言葉を活用・応用したらよいと思います。この方の2つの気持ちを理解して、相反する2つの揺れ動く気持ちを言葉にして提示してあげるとよいのではないでしょうか。相手が感じている気持ちを整理して言葉にして返してあげるのです。気の効いた助言やアドバイスは一害あって一利なしです。アドバイスしたい人にとっては、どちらかに態度を決めることができないというのは、実に居心地が悪いものです。モヤモヤして、すっきりしないからです。どちらかに自分の立ち位置をとって持論を展開する方がよほど楽なのです。このように相反する気持ちの中で、解決策が見つからないで右往左往することはよく発生します。こういう場合、拙速に態度を決めて行動に移すと問題が益々大きくなり大変なことになります。心がけたいことは、どうしたものだろうかと2つの揺れ動く気持ちの狭間に身を置いて、時間の経過を待つようにすることです。時間の経過とともに状況が刻々と変化して、自然に収まりがついていたということはよくあります。またそのときは解決策が思いつかなかったが、後から明確で正しい解決策が見えてくることもあります。「迷いの内の是非は、是非ともに非なり」という考え方は、どちらを選択したよいのか分からないとき、時間の経過にまかせて様子を見るということだと思います。拙速に態度をきめて思いつきで行動しないということになります。この言葉は是非とも生活の中で活用させてもらおうではありませんか。
2024.02.23
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元巨人の桑田真澄氏の話はとても参考になります。打者というのは、このコースに投げると必ずと言っていいほど振ってくるポイントがあります。桑田氏は敢えてその近辺で勝負をしているという。そのほうが勝負が早い。桑田氏の得意球は大きく曲がるカーブです。ところが打者はなかなか振ってくれない。またギリギリのところを狙って投げても、審判はそういう球になれていなくて、ボールと判定されることがある。ストライクともボールとも取れる球をすべてボールと判定されると、審判に腹が立つし、自分の投球にも狂いが生じてくる。フォアボールを連発して自滅することほど情けないことはない。桑田氏は以前にホームランされた球種、コースは自分でもよく覚えているという。普通のピッチャーはその球種、コースは避けて勝負しようとするが、桑田氏は敢えてそこを意識する。その根拠として、長所の隣には短所があると信じているからだ。桑田氏はコントロールにかなり自信があったのでこれができたという。勝負するときはスピードに変化をつけてタイミングを外すことを意識する。1キロ速いか、遅いかによってタイミングはずらせる。また、数センチ球がホップするか沈むかという変化をつける。あるいは球一個分ずらす。微妙な変化をつけるのです。打者はヒットゾーンの球は高い確率で打ちに来る。そうすれば球数を少なくして打ち取れる確率が高まるのです。桑田氏は絶えずそういう勝負を仕掛けていたという。私たち神経質性格は短所を意識しやすい。心配性である。小さな問題を自分の一生を左右するような大きな問題に膨らませてしまう。いつまでもクヨクヨ悩む。自己嫌悪、自己否定してしまう。他人から非難されるとむきになって反発する。桑田氏の説によれば、短所と長所はコインの裏表の関係にあるということになります。神経質性格の長所は、高性能のレーダーやソナーを標準装備しているようなもので感受性、感性が鋭い。問題や課題の発見能力が高い。それを細かく分析して原因追及ができる。ライバルを意識して粘り強さを発揮する。目標や夢に向かって努力することができる。しかし神経質者は短所は意識するが、長所を意識することが少ない。順序が逆になっているのです。短所や弱点はそのままにして、長所や強みを意識してさらに鍛えて伸ばしていくことが大事になります。ないものねだりをやめて、今の自分に備わっている性格、資質、能力を活かすことに注力した方がよほど意味のある生き方ができると思う。
2024.02.22
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森田理論はよく分かったのに、応用や活用法の糸口がつかめないという話を聞きます。今日はその方法について考えてみました。応用や活用のポイントがいくつかあると思います。思いつくままにあげてみましょう。1、あるがまま2、物の性を尽くす3、純な心4、見つめる、感じる5、生の欲望の発揮6、ものそのものになりきる。一心不乱に取り組む。7、不安常住、(不安に)なりきる、無所住心8、観念よりも事実を第一優先にする9、内相を整えるよりも外相を整える10、両面観、バランス、調和を目指す11、運動観12、神経質性格の活用13、感情の法則の応用14、認識の誤りの是正15、治るとはどういうことか16、人間関係の改善方法17、仕事を面白くする方法18、子育てへの応用19、心身の健康の維持増進20、生活のルーティンを作る。凡事徹底まずそれぞれの項目について、その言葉の意味するところを確認・整理してみましょう。森田理論学習の要点、現代に生きる森田正馬のことば、その他森田関係図書から整理する。さらに学習仲間と一緒になって、さまざまな応用・活用方法を出してみる。すでに応用や活用されている方からは、具体的な活用事例の説明をしてもらう。これは結論を出す勉強会ではありません。参加者がそれぞれ自分なりの応用・活用方法を見つけ出すことが狙いです。19項目の中から、1つでも応用・活用方法が明確になればこの学習会は成功と捉えるようにした方がよいと思われます。森田理論学習ばかりというのは、片肺飛行しているようなものです。理論学習と行動実践のバランスがとれてくると、前進することが可能になります。
2024.02.21
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私は街中のマンションに住んでいます。60キロ離れた処に実家があります。時々実家に帰って野菜の手入れや草刈りをしています。野菜作りは趣味と実益を兼ねてとてもやりがいがあります。家のメンテナンスや庭木や果樹の手入れも楽しい。近所の人がいろいろ教えてくれます。田舎では豊かで穏やかな時間がゆっくりと流れています。森林組合の人が里山の恵みを大いに楽しみましょうという話をしてくださいました。田舎にはとてもたくさんの楽しみがあるということでした。それによると、食べることでは、春には山菜。タケノコ、フキ、ワラビ、タラ芽、フキノトウ、ウドなどが獲れます。シイタケの原木や種、キノコ、植木の苗、盆栽を販売しています。その他アケビ、山栗、木イチゴ、柿、梅、イチジクなどがあります。猟友会の方がイノシシやシカを駆除しているのでジビエ料理が楽しめます。養蜂やワイナリーがありますので、ハチミツやワインを楽しんでください。ピザ窯もあちこちにありますから、本格的なピザ作りの体験をしてみませんか。杵の餅つき、そば作り、ソーメン流し、燻製作りの実演もしています。イチゴを作っている人がイチゴ狩りをやっています。オートキャンプ場、大きな湖もありますのでサイクリングやキャンプをお楽しみください。ジョギング、凧揚げ、渓流釣り、ボート、テニス、ゴルフもできます。また温泉の好きな人は露天風呂、岩風呂もあります。竹炭、かご、リース、草木染、竹細工の好きな方はぜひチャレンジしてみて下さい。家具作り、ログハウス、チェーンソーアート、表札作りも楽しめます。薪ストーブの作り方を指導してくれる人もいます。本格的なログハウスを立てている人もいます。近くに空港があります。空港に隣接して三景園という見事な日本庭園があります。フルーツロードにつながる空港大橋は必見です。世羅台地に行くと、春にはチュウリップ、アジサイ、芝桜、藤、夏にはひまわり、秋にはユリ、ダリア、コスモスなどが楽しめます。世羅台地は花と果樹で売り出しています。特に梨が有名です。規格外の梨が格安で買えます。そのほか桃、葡萄などもあります。農家から30キロ入りの米が格安で手に入ります。夢公園にはワイナリーがあり、バーベキューができます。ミニSLが走っています。道の駅では地元でとれた野菜や加工食品の販売をしているとのことでした。田舎は刺激がなくて、暗くて寂しいという人がいます。それは表面的な見方だと思います。田舎には田舎の良さがあるというのが私の実感です。故郷があって本当に良かった。自家用野菜、花つくり、果樹の手入れ、庭木の管理、草刈りなどをこれからも末永く楽しみたいと思っております。
2024.02.20
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今日は森田の神髄「事実唯真」を取り上げてみました。人間は大脳新皮質が発達しています。考えることができる動物です。過去、未来、抽象的なことも自由自在に思考します。また考えたことを言葉を使って記憶することもできます。いつの間にか観念が優先されるようになり、事実を見下すようになりました。意にそわない事実は、観念の世界に引き揚げてコントロールしようとします。しかし事実の世界は簡単に観念でコントロールすることができません。感情は自然現象だからです。無視していると葛藤や苦悩が生まれてきます。森田では観念の世界に事実を合わせるのではなく、事実をもっと大切に取り扱うことが大事であるといわれています。森田では感じが第一優先順位でその後で理知で調整するといいます。どうすれば事実優先の態度が身につくのでしょうか。そのために心掛けることは10項目以上あります。過去にこのブログで取り上げたことを紹介します。・「かくあるべし」の弊害と、「事実優先」の利点を森田で学習する。・傾聴、共感、受容、許容の態度で接する。・毎日感謝の気持ちを最低一つは日記に書くようにする。・人に役立つことを探し出してていねいに取り組んでいく。・マイナス面ばかりではなくプラス面も見ていく。両面観。・あなたメッセージを私メッセージに変える。・物の性、己の性、他人の性、時間の性、お金の性を尽くす実践。・ペット、観葉植物などを飼育する。世話活動をする。・純な心、初一念から出発する。・否定語はすぐに取り消して、肯定語に置き換える。・勝負なし法への取り組み。「みかんていいな」への取り組み。2014年10月12日に投稿したシャロン伴野さんの「どっちにする」をご紹介します。例えば、大切なお客さんが来ているのに、子供がぐずって泣き出したとします。私は子どもにこう言います。「お母さんは今、お客様と大事なお話をしているの。もし、泣きたいのなら、玄関のところにいって泣きなさい。もし、お母さんたちと一緒にいたいのだったら、泣き止みなさい。どっちがいいですか?」子どもはしばらく考えて、どちらかを選びます。泣きたいと思えば玄関のところに行きます。玄関のところにいって泣いても誰も相手にしてくれませんから、つまらなくてすぐに泣き止みます。この場合自分で選んだことですので、小さな子供でも誇りを持って、再度泣き出すようなことはありません。子供は自分でどちらがいいかを判断して選び、そして自分が下した決定を守る能力と自尊心が育ちます。選択肢は2つにすることです。何でもかんでも自由にしなさいというと、子どもたちは右往左往します。また3つや4つでは多すぎます。集中できないのでダメです。これは両面観の応用ですが、子どもに「かくあるべし」を押し付けることをやめて、子どもが自分で考え、自主的に行動できるようになります。
2024.02.19
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1月号の生活の発見誌に次のような記事があります。代表幹事をやって症状が良くなったのは、主体的に集談会の運営に関わることで、視点が症状から自分以外の外側に向いたからのようです。世話人活動を通して回復していくという発見会の仕組みは、50年以上前に当時の長谷川洋三会長が中心となって周到に作り上げられました。世話人活動という実践の中で、自然に神経質者の自己中心性が克服されていくようになっているのです。それは第一に、与えられる一方の立場から与え合う立場に変わったということである。そのために、自分の悩みや症状だけにかまけていられなくなり、仲間のこと、後輩のことを考えざるを得なくなったのである。こうなれば、自分中心のカラから出ざるを得ない。症状に向いていた注意は、おのずから世話役の仕事に向かい、やがて症状のことを忘れるときが多くなる。私は対人恐怖症ですが、強迫神経症が治るということについて次のように考えています。強迫神経症真っただ中のときは、症状にどっぶりと浸かっています。治るというのは症状100%の状態が少しずつ減ってくることだと思います。減ってきた部分は症状以外のことを考えている。たとえば仕事のこと、趣味のこと、目標達成のこと、集談会の運営のこと、介護のこと、配偶者のこと、子供のこと、ペットの世話のこと、花の手入れのこと、病気のことなどです。長谷川先生は、集談会に参加するときは世話活動をしてみなさいと言われています。私の経験では、図書係、司会、幹事、代表幹事、忘年会、新年会などの企画実施。野外学習会、一日学習会、一泊学習会、1泊2日の支部研修会、集談会発足20年、30年、40年、50年の記念事業、心の健康セミナーの企画実施をさせてもらいました。予想される問題を解決してより良いものにすることは私の得意とするところです。どうすればみんなに喜んでもらえる行事になるかを必死に考えていました。そのようにして注意や意識が外に向くようになってきたと思います。なんとか無事に終わった時はやればなんとかなるという自信につながりました。はずみがついて、会社の仕事にも応用できるようになりました。最近実行しているのは、ベランダで花を育てる、メダカを飼う、自家用野菜の手入れをする。庭木や果樹の世話をするということです。神経症で苦しんでいる人は世話をするものを持っておくことは、神経症の予防に欠かせないものだと思っております。
2024.02.18
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明治安田生命が2019年10月に行った調査によると、今度生まれ変わった時今の配偶者と結婚したいと思われますかという質問に対して、男性の53.7%が「そうだ」と答えたそうです。女性の場合は39.4%と低下している。興味深いことは、夫婦仲が円満でない場合その割合は7%に下がっているという。配偶者の容姿、能力、気配り、貢献度が物足りない、不足していると考えている場合、今度生まれ変わって結婚する時は、自分にふさわしい人を見つけたいと思っているようです。こういう人は、自分の持っているもの、容姿、性格、能力、境遇、運命などに対しても不平不満を抱きやすい傾向があるように思います。完全主義、完璧主義の気持ちが強すぎて、減点主義の考え方になっています。反対に今の自分に満足している人は、また生まれ変わっても今の配偶者とどこかでめぐり合いたいと考えているのではなかろうか。現実や現状を受け入れて、自分の出来る事、興味や関心のあることを手掛けている人は加点主義の考え方を持っている人です。こういう人は上から下目線で自分や他人を否定することがありません。そこに投入するエネルギーを生の欲望の発揮に振り向けることができる人です。森田に物の性を尽くすという言葉があります。これは、物の性を尽くすだけではなく、己の性を尽くす、他人の性を尽くす、時間の性を尽くす、お金の性を尽くすことにつながります。物や人の持っている存在価値や能力を評価して、居場所を与えて最大限に活用し尽くすという考え方です。こういう考え方になれば、配偶者に対しても、居場所や活躍の場を与えて、不足する部分は協力し合う関係が生まれるのではなかろうか。夫婦の絆はますます強固になり、子供にもよい影響を与えます。この物の性を尽くすというのは、一つものにすれば、他のことも芋づる式に身に着けることが可能となります。
2024.02.17
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森田理論で人間には精神拮抗作用が備わっているということを学びました。これは人間にはある欲望が湧き上がった時、それを抑制する考えや感情が同時に湧き上がってくるというものです。もともとすべての人間に備わっている機能です。例えば、飲み放題の懇親会などで、浴びるほどいろんな酒を飲みたいと思っても、二日酔いで苦しんだ時のことを思い出して今日は少しセーブして飲もうと自分に言い聞かせる。一気飲みを我慢して、食べることを優先する。酒を飲むたびに同量のお冷を飲むようにする。精神拮抗作用がきちんと機能すると、二日酔いで苦しむことはありません。しかし悲しいかな時としてこの機能が正常に働かなくなることがあります。不安に取りつかれたり、欲望の暴走などがあります。不安と欲望のバランスがとれないと目も当てられないことが起きます。神経症に陥っている人は、不安にとりつかれて生の欲望の発揮が蚊帳の外になります。抑制力ばかりが働いている状態です。自動車でいえば、動き出してもいなのに、ブレーキを思い切り踏み込んでいるようなものです。ブレーキから足を離して、アクセルを踏み込まないと目的地に向かって車が動き出すことはありません。あたりまえのことですが、自分の心の中のことになるとそういう気持ちになれないのです。不安と欲望のバランスをとるためには、不安のことは一時棚上げにして、100%欲望の方に目を向けることが大切です。簡単なようですが、神経症で苦しんでいるときはこれが難しい。ではどうすればいいのか。そういう人にお勧めしたいのは、日常茶飯事に丁寧に取り組むことです。これなら誰でも取り組みやすいのではないでしょうか。食事の準備、掃除、洗濯、整理整頓、身支度などです、ものそのものになって一心不乱に取り組んでみることです。すると興味や関心が湧いてきます。気づきや発見が生まれてきます。それをきっかけにして毎日の生活のルーティンを確立するのは如何でしょうか。規則正しい生活の習慣を作り上げることです。3か月くらいで形になります。まず朝決まった時間に起床することが肝心です。ウイークディの昼間は毎日同じ時間に同じことをする習慣を作るのです。規則正しい生活が習慣化してくると、頭でこの次に何をしようかと考える前に、体がすっと動くようになります。人間は考えることと行動は同時にできないといいます。すっと体が動くようになると神経症的な不安に振り回されることが少なくなります。
2024.02.16
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森田先生の言葉です。遊び事と仕事とは、事柄そのものではない。その人の心の置きどころによって、どっちともなるものである。人がもしその職業に対して、いつも興味がなく、不快と苦労を感じて、大工は左官、鍛冶屋は氷屋、学者は芸術家、医者は弁護士とかいうように、互いに他の職業を羨むようならば、その日常の仕事に対する苦痛は、誠に気の毒なものであるが、人がもしおのおのその職業に興味をもち、それを工夫し、研究し、発展させて、楽しんでゆくならば、その仕事はいつも遊び事である。われわれも職業は職業のために、活動は活動のために、人生は人生のためにやってゆくというふうであれば、遊び事はすなわち仕事、仕事はすなわち遊び事である。だから人が職業や人生を、勤めとか仕事とか思えば苦労であるが、これを遊び事と思えば道楽であり、幸福である。(生活の発見誌 2024年1月号 50ページ)仕事を給料を稼ぐための手段に過ぎないと考える人はつらい人生を歩んでいることになります。それはやりたくないことをやらされているという気持ちが出てくるからです。森田先生が言われているように、仕事が遊び事、遊び事が仕事と考えられるようになると、生きていることが楽しくなります。そのためには、仕事に取り組む中で、問題や課題、改善点や改良点を見つけだすことが欠かせないと思います。問題点を見つけて、何とか解決したいと思ったとき、意欲が生まれてきます。行動に移すと積極的、生産的、建設的、創造的な生き方ができるようになります。遊んでいるときは工夫や発見、アイデアが次々に生まれている状態です。遊びに取り組んでいるとはずみがついてきます。森田理論の行動の原則のなかに「見つめる、感じる」というのがあります。これに取り組むことで、仕事と遊び事は区別がつかなくなります。
2024.02.15
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森田理論のなかに「休息は仕事の中止ではなく仕事の転換にある」というのがあります。集談会でこの考え方はおかしいという話が出ました。過剰に行動すると、身体に疲れがたまり悪影響が出るということでした。自己内省的な人が行動すれば、意識が外向的になり、症状が軽快することは分かっているが、ハツカネズミが一日中糸車を回すようなやり方は考えものだ。自分を叱咤激励して行動力をつけようとするのは如何なものか。疲れたら休むようにした方がよいと言われました。ごもっともな話だと思いました。精神科の先生からは、うつ病の人はエネルギーが切れている状態だから、行動力をつけるよりも安静にして休ませないといけないと聞きました。そして薬物療法を第一選択肢とする。つまりうつ病の人に性急に森田療法を適応してはならないということでした。それでは「休息は仕事の中止ではなく仕事の転換にある」という指針は意味がないものなのか。私は森田先生が訴えたいことは別なことだと思う。森田理論に「物の性を尽くす」というのがあります。これはそのものが持っている価値、潜在能力を見つけ出して、居場所や活躍の場を与えて、命ある限りとことん活かし尽くすということです。森田先生のところでは、風呂の残り水をすぐに捨てないで、雑巾がけに使う。打ち水に使う。植木や花や野菜にやるというエピソードが有名です。これは物だけではなく、己、他人、時間、お金の性を尽くすことにもつながります。時間については限られた時間を有意義に活用した方がよいということになります。神経質性格者は頭でいつまでも考えてばかりで、なかなか取り掛からない。しかし一旦とりかかると弾みがついて、今度は坂道を転がる雪だるまのように止めることができなくなります。このような時間の使い方は弊害が出てきます。一つのことにいつまでも関わっているとそのうち飽きてしまう。次にやるべきことが用意されていないと暇を持て余すようになります。神経質性格者の場合は自己内省をするようになります。また特定の部位を使いつづけるとその部分に疲労がたまり苦痛になってくるという側面もあります。これらを解消するためには、「休息は仕事の中止ではなく仕事の転換にある」という考え方は理にかなっています。これを活用して30分おきに手掛ける仕事を変えているという人がいました。頭を使う仕事をしたら、今度は身体を動かす仕事に変える。すばらしい心がけだと思います。大学の授業は90分ですが、それは人間の脳はそれ以上集中できないようになっているからだという話を聞きました。
2024.02.14
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浄土真宗大谷派の学者で安田理深氏がいらっしゃいます。その安田理深氏邸が、1973年4月隣家からのもらい火で全焼した。ご自分の蔵書、研究論文、ノートなどがすべて燃えてしまった。安田氏は隣人を激しく恨みました。自分の大事なものを「焼かれた」と考えて、仕返しをしてやりたいと思ったそうです。 だが彼は仏教徒です。仏教徒が復讐を考えるなんてよくない。隣家の人を赦そうと思いました。そこで彼は蔵書、研究論文、ノートは、自分で「焼いた」のだと思おうとしました。しかし、どんなにしても、そういうふうには思えません。あれは「焼かれた」のではなく、自分で「焼いた」のだ、といくら自分に言い聞かせても、それは事実とは違いますから無理があります。彼は悶々とした日々を送っていました。ところが、ある日、安田氏はふと思いました。あれは、ただ、「焼けた」のだ。「焼かれた」のでもなく「焼いた」のでもない。ただ「焼けた」のだ。そう思うことで彼の心は鎮まってきたという。(諸行無常を生きる ひろ・さちや 角川書店 176ページより引用)このエピソードを森田理論で考えてみましょう。「焼かれた」というのは、相手を追い詰めるやり方です。被害者意識でいっぱいになっています。被害者意識になると、相手を否定して相手と戦うことになります。裁判に持ち込み、損害賠償を求めることになります。次に「焼いた」というのは、自分の本当の気持ちを偽ってごまかそうとしています。事実を無視して観念で心の安定を得ようとしています。このことを心理学では、「合理化」といいます。森田理論では、感情の事実をごまかそうとしています。これは「純な心」ではないと思います。観念の世界で処理しようとしています。これは神経症に陥るパターンです。「焼けた」というのは事実そのものを見て、それが悪いとかよいとかの価値判断をしていません。事実にはよいも悪いも、正解も間違いもありません。それなのにすぐに是非善悪の価値判断をするのが人間の特徴です。このように考えると、心の葛藤がなくなりますので一番安楽な道を歩んでいることになります。森田理論では、不快な感情、理不尽な出来事を安易に価値判断しないで、事実のままに受け入れるような人間になることを目指しています。新しくできたピースウィング広島
2024.02.13
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森田先生のお話です。親鸞上人が、偉くなったのは、自分が愚鈍であり悪人であると、悟ってからのことです。赤面恐怖の人でも、自分は、身勝手・わがままであり、人に思いやりがないとかいうことを自覚するようになったら、心機一転して、たちまちに治るのである。それまでは、恐らくは、道徳恐怖、読書恐怖、悟道恐怖等の強迫観念に悩んだものと思われる。それが「自分は悪人である」と自覚し、一切を弥陀にまかせると往生して、初めて強迫観念が治ったものに違いないのである。なお皆さんの内で、自分は素直・従順であり・人に対して、思いやりがあるという人は、みなその反対であるから、よくよく自省して下さい。また自分は礼儀正しい、人に親切を尽くしている・とか言う人は、常に人の嫌う事や・迷惑を顧みず、無理に自分の礼儀を押し通し、親切の押売りをする人であるから、よくよく気をつけて下さい。(森田全集 第5巻 433ページ)これは頭で考えたことは必ずしもその通りにならない。事実はむしろ逆になる場合が多いということだと思います。人間以外の動物は自分の欲望を成就するために精一杯の努力をします。努力の甲斐もなく目的が成就できない場合、やむなく事実に従います。人間は素直に事実に従おうとしない。むしろ事実に反抗することが多い。不快な事実や現実を自由自在にコントロールしようと考える。その結果、葛藤や苦悩を抱えてしまう。そして神経症に陥る。森田先生は観念優先の態度を事実優先の態度に切り替えることが大切だと言われています。これは大変難しい問題です。一生かかっても解決できないかもしれません。それは人間が言葉を使い高度に発達した大脳を持っているからです。森田理論を学習した私たちは「かくあるべし」の弊害は身に染みて分かりました。それを乗り越えるために、事実優先の態度を身に着けることだというも分かっています。このブログでは「かくあるべし」を減らす方法をいろいろと紹介してきました。例えば、傾聴、受容、共感、許容の実践。感謝の気持ちを持って生活する。物事は両面観で見ていく。あなたメッセージから私メッセージへの転換。物、己、他人、時間、お金の性を尽くす。人の役に立つ行動をとる。純な心(初一念)から出発する。否定語を抑制して肯定語に切り替える。勝負なし法。相手に指示命令するよりも選択肢を2~3つ考えて提案する。みかんていいなの人間関係などです。さらに事実本位を身に着ける方法も紹介しました。例えば、気分本位から目的本位に切り替える。どんなに面倒でも、先入観、決めつけ、早合点、思い込みをやめて、現地に出向き、自分の目で事実確認をきちんと行う。感情にきちんと向き合い、是非善悪の価値判断をしないように心がける。「あるがまま」の生活態度を身に着けるなどです。事実本位の態度を身に着けると、無駄な努力をしなくなり、生の欲望の発揮の出発点に立つことが可能になります。これらは自助組織に属して、仲間と切磋琢磨しながら取り組むことが肝心です。
2024.02.12
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「かくあるべし」を減らして、事実本位に近づく方法を考えてみました。「かくあるべし」というのは、「○○しなければならない」「○○は絶対に許せない」などと考えます。この状態は本人が無意識のうちに視野狭窄症に陥っている可能性が高いと思います。例えば交際相手を拙速に一人に決めて突き進むことは危ない。猪突猛進はうまくいくときもありますが、周りが見えなくなります。相手が同じ気持ちだった場合は、上手くいくかもしれません。そういうことは確率的には極めてまれなのではないでしょうか。その証拠に初恋の人と結婚したという人は極めて少ない。大学受験でも志望校を1本に絞って努力している人がいます。それはそれで立派なことだと思いますが、もし運悪く不合格になったときはショックを受けます。その時、第2志望を用意していればそのショックは軽減できます。営業活動でもこの受注はぜひ弊社が獲得しなければならないと考えると苦しくなります。切羽詰まった心境に追い込まれて、心の余裕はなくなってしまいます。無理やり受注を獲得するために、談合を画策するようなことにもなります。リベートや賄賂を渡して、法律違反もいとわないという気持ちになります。受注金額を極端に下げて利益ができないような見積もりを出すことになりかねません。マンションの大規模修繕工事では、想定外の安価な見積もりは手抜き工事を恐れて最初から除外されるのが普通です。下手に出ているにもかかわらず、戦う前から負け戦をしていることになります。「かくあるべし」を押し付ける人は一途に思い詰めて心のゆとりがなくなります。考え方が硬直しています。それは表情や態度に現れます。相手はその姿を見て警戒心を持つようになるのです。選択肢を敢えて一つに絞らずに、柔軟性を持たせることは、「かくあるべし」を遠ざけて、心のゆとりをもたらします。
2024.02.11
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2014年6月24日投稿の再録です。宮大工の菊池恭二さんという人がいる。菊池さんは、木はそれぞれ強烈な個性をもっているという。「檜」は丈夫で癖がなく木肌はつやがあり美しい。香りもいい。何より耐久性に優れ、腐りにくく長持ちする。害虫にも強い。このため柱や梁や桁、土台など構造材には最適です。ただ成長が遅く、用材しては高価になります。「欅(けやき)」は、固くて強い木です。檜よりも堅い。それだけに加工するのがとても難しい木です。狂いも少なく、耐久性、耐水性、耐汚性に優れている。植林できないのでとても高価です。「樫」も非常に硬い木ですが、建築用材としてはあまり使いません。加工がしにくく、乾燥しにくいためです。カンナの台にするにはもってこいの木です。「檜葉(ひば)」は、殺菌効果の高いヒノキチオールを多く含むため、木を腐らせる腐朽菌に強い。ヒバ普請の家は蚊が寄り付かない。白アリに強いなどの特徴があります。強度も檜なみ、耐水性は檜以上です。「杉」は檜ほどの強度はないが、それなりに水にも強く、木目がまっすぐにとおっていて加工しやすい。大量に植林されているため安く手に入ります。「松」は、固くて曲げる力に対して強く、耐久性もあるので梁などに使われてきた。マツヤニをだし、腐りにくい。耐久性、耐汚性に優れ、線路の枕木などに利用されてきた。このように木は、それぞれ強烈な特徴を持ち合わせています。その上で、同じ木でも育った場所によってそれぞれ違う個性を発揮する。山の南側、北側、谷、峰などどの場所に育ったのか。成育環境の違いによって、右にねじれたり左にねじれたり、節が多かったり少なかったり、柔らかかったり硬かったりする。宮大工の大切な仕事の一つに、その癖を見極め、建物のどの部分にどう使うか決めていくことがあります。温度や湿度の変化によって木は曲がったり割れたりします。木は暴れるのです。これを木癖と言います。木癖を無視して、たとえば、右にねじれる木ばかりを組み合わせたりすれば、建物は右にねじれてしまいます。これを防ぐには右にねじれる木と左にねじれる木をうまい具合に組み合わせて、ねじれの力を相殺してやる必要があります。木癖を読み切り、適材適所にあてがうことで、建物の歪みを防ぐとともに、長年の風雪に耐ええる堅牢社寺建築を実現するわけです。それが宮大工の技です。これは人間にも同じようなことが言えると思います。同じ親から生まれ、同じ親に育てられても、兄弟姉妹それぞれに顔かたちも違うし、独特な個性を持っています。ましてや違う親から生まれた他人は、気質など大きく違うのが当然です。森田先生は全集5巻で人間の気質を7つに分類されていました。神経質性格の人とそれ以外の人とは水と油のようなもので、決して混ざり合うことはありません。我々は、自分の持って生まれた独特の特徴や個性を早く自覚する。森田理論の神経質の性格特徴を学習すればそのことはよく認識できます。そしてその特徴や個性を磨いていく。最終的には自分自身を活かし尽くす。高め尽くす。またそれぞれに違う他者の特徴や個性を認める。互いに受け入れて互いに活かしあう。そういう人間関係を目指していく。宮大工の菊池さんは、ないものを求めるのではない。あるものを見つけ出して、活かしつくすことの大切さを教えてくれています。これは森田でいう唯我独尊の考え方と同じです。(宮大工の人育て 菊池恭二 祥伝社文庫参照)
2024.02.10
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三重野悌次郎氏のお話です。初心者の方がよく、「昔はこんな事はなかった。神経質症になってから、こんなになった」と愚痴をこぼします。だが人は善かれ悪しかれ、今の事実にしたがって生きるより外に道はないのです。「神経質症」なら「神経質症」のまま、片目が見えなければ片目がみえないまま、今の事実にしたがって生きるだけです。われわれが行動し、活動できるのは「今」しかありません。どんなに都合がわるくても、嫌でも「今」だけが事実であり、自分の人生です。(生活の発見誌 1998年4月号)三重野さんは1996年の3月と4月に脳内出血して右目が完全に見えなくなりました。それと同時に歩行の足取りがあやしくなり、記憶力が悪くなってきました。よく知っている漢字がかけない。顔見知りの人の名前が思い出せない、ついさっきまで持っていた物が、どこにいったのかわからない。そんなことがたびたび起きるようになりました。いたずらに過去の自分、あるいはこうありたい自分、つまり観念の中の自分と、現実の自分を比較するのは愚かなことです。今の自分のあるがままに、自分の今の事実に服従するしかないのです。「右目の見えない自分」これが私の今の事実です。「右目が見えたらいいな」と思うのは観念的欲望です。実際に行動できるのは、今のこの自分、つまり事実しかないのです。歳をとると髪の毛がなくなってくる。歯が抜けてくる。しわやシミが出てくる。歩くのがおぼつかなくなってくる。記憶力が衰えてくる。身体のあちこちに痛みや不具合が出てくる。ある程度努力することで老化を遅らせることはできますが、完全に食い止めることは不可能です。老化の進行は、神経症的な不安や不快感と同じようなものです。神経症的な不安はあるがままに受け入れて、今できることに精一杯取り組んでいくしかないと学びました。老化の現実を過去と比較して嘆き苦しんでいるばかりでは、益々自分がみじめになるばかりです。それよりも、まだできること、やってみたいことに焦点を当てて、精一杯楽しんで生きていくことが大事です。そのために規則正しい生活を習慣化することをお勧めします。毎日決まった時間に決まったルーティンワークを確立することです。無意識に身体が動いてくるようにすることです。そうなると、失われたものをネガティブに考える時間は少なくなっていきます。そして、ものそのものになって、「今、ここ」に集中していくのです。小さな楽しみをたくさん見つけ出すようにしましょう。感謝の気持ちが湧いてきて、生きていることを楽しむことができるようになります。
2024.02.09
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森田先生のお話です。「今日、患者が、鋸で木を切っているところを見たが、ここの患者は、鋸の種類を選ばないうえに、いくら鋸が切れなくても、平気でひいている。鋸の切れ味などは全く無頓着である。職人は、道具を大事にして、常にこれを研いでいる。素人は、その研ぐ時間で、少しでも、木をひいた方が、その時間に、余計に能率があがると思っている」(森田全集 第5巻 251ページ)この患者は思ったように木がきれないので、この作業をすることがイヤになる可能性が高い。この作業は自分には向いていないと投げ出してしまう。目的を達成できないで他人に肩代わりしてしまうことを考えるようになる。さらに自分は何もしてもうまくできないと自己否定感をますます強めてしまうかもしれません。この患者は多分神経症を治すことでいっぱいなのだと思われます。森田先生から指示された仕事や自分でみつけた作業に、ただ機械的に手を出している状態だと思われます。こういうのをお使い根性といいます。身体を動かしていれば神経症が治ると思っているのですが、ますます悪くなるパターンです。普通の人はどうして思ったように切れないのかと考える。鋸が悪いのか自分のひきかたに問題があるのか。その両方に問題があるのか。しかし自分ではどこに問題があるのか判断できないと思います。すると作業を中断して、この件について詳しい人に聞くはずです。詳しい人は縦引き、横引きの鋸の種類から教えてくれるはずです。また刃を見てなまっていれば、すぐにヤスリやクラインダーで研ぎ始めると思います。そして研ぎ方にもコツがありますので詳しく教えてくれるはずです。刃がとがってくれば切れ味がよくなります。実際に木をきってみると実によくきれる。作業が格段に速くなり、面白くなります。このほか大きな木はある程度きり進んだところで、斜めの切り込みを入れると作業効率が格段に良くなります。他の木も切ってみたくなります。弾みがついてくるのです。このコツを人にも教えてあげたくなるはずです。このパターンに持っていくためには、今とりかかっている作業について、何か問題はないか、不具合はないか、課題、改善点、改良点などがあるはずだという意識を持つことが大事になります。ものそのものになるというのはこういうことです。その時点でやり方が分からなければ人の助けを借りて解決するのです。コツがわかれば目の前の作業に集中することができるようになります。一心不乱に取り組んでいるときは、神経症の苦しみのことは一時的に忘れています。そういう時間が増えてくるということが、神経症から解放されるということになります。
2024.02.08
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西洋のものの見方は心身二元論と言われています。たとえば他人が自分のことを非難、否定、無視することにとらわれて仕事になりませんというクライアントに対して、精神科医はそれでは抗不安薬を出しておきますので様子を見てください。不眠の症状もあれば、睡眠導入剤も一緒に処方しておきましょう。一週間後にまた来てください。そのときに経過を教えてください。改善できていなければ別の薬を処方しましょうということになります。またストレスが蓄積して胃潰瘍や十二指腸潰瘍の症状がある場合、別途内科医の診療を受けてくださいということになります。心と体は別物という考え方です。これはそれぞれの医者が症状だけを見ているということになります。その人の考え方や生き方に問題があって心身の病気になっているのですが、そこには踏み込んでいない。対症療法では根本的な問題解決にはつながらないと思われます。これに対して森田理論は心身一元論の立場です。心と身体の病気はコインの裏表の関係にある。原因は一つでそれが心と身体の両方に病気を引き起こしている。心と身体の両方をいっしょに治療をしないと根本的な治療にはならないという立場です。心身一元論は物事を両面観で見ていかないと物を見たことにはならないという考え方です。良いか悪いか。正しいか間違いか、快か不快か、0か100か、白か黒かというような二分法的なものの見方はものを正確に見たことにならないという意味です。私たちは先入観、早合点、決めつけ、思い込みで一方的、短絡的に自分勝手に間違った判断しやすいという特徴があります。そして性急に対策を立てて行動に移してしまう。後から「我慢して耐えた方がよかった」と思うことがあります。この両面観の考え方は私たちの生活のなかに大いに取り入れる必要があります。両面観というのは、ある考えが浮かんだ場合、それとは正反対の考え方も検討対象につけ加えましょうという考え方です。たとえば神経質性格です。心配性で細かいことにとらわれて、すべてをマイナスに捉える損な性格というのは一面的なとらえ方になります。さらにマイナス面を鍛え直そうとすると多大なエネルギーを消費することにもなります。森田理論を学習すると、神経質性格は、感受性が強く、真面目で責任感があり、粘り強く、生の欲望が強い素晴らしい性格であることが分かります。性格にプラス面とマイナス面があるということが分かると、プラス面に光を当てて伸ばしていこうと考えることもできます。「人間万事塞翁が馬」という中国の故事がありますが、両面観を身に着けている人は、積極的、生産的、建設的、創造的な生き方ができるようになります。
2024.02.07
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感情は自然現象であるといわれています。自然現象の特徴の一つは、絶えず流動変化しているということです。太陽系の惑星は太陽の周りを高速で動いています。その太陽は天の川銀河の3分の2くらいのところにあって、2億年かけて高速で一周しているということです。天の川銀河の隣にはアンドロメダ銀河があり、お互いの重力で高速で近づいているそうです。将来的にはこの2つの銀河は合体することが分かっているそうです。2つの銀河の衝突によってまた新たな元素が生み出される可能性があります。宇宙の動きを見ていると、高速で動いていることが安定をもたらしていることが分かります。これはコマを回すと、高速回転しているときが一番安定しているのと同じことです。高速回転して、引力と遠心力のつり合いがとれたときが安定しているのです。つり合いといえばサーカスの綱渡りも、長い物干し竿のようなものでバランスをとって前進しています。バランスをとらないと存在することすら許されないということになります。次の特徴は、動いて変化していると歪が発生してくる場合があります。時にバランスが崩れて問題や課題、改善点や改良点が出てくるのです。たとえば地球の内部ではマントルが対流しています。その影響は地球の表面のプレートに歪となって現れます。歪が限界に達すると、自然はその歪を修正して元に戻そうとします。それが地震となって地表を大きく揺らすことになります。人間にとっては災難ですが、自然に悪意はありません。自然は歪を修正して調和を取り戻そうとしているのです。感情も自然現象の一つですから、この自然の法則から逸脱することはできません。森田先生の感情の法則は、宇宙や自然の法則から生まれたものだと思われます。感情の法則はとても役立つものとなっています。1、感情は行動に伴い次々に新しい感情が生まれてきます。必要な時に必要な行動をとることによって、どんなに不快な感情も流れていくようになっています。感情の法則1では、不快な感情はそのまま放任していれば、その経過は山形の曲線をなし、ひと昇りひと降りして、ついに消失していく運命にあると説明されています。2、感情は好ましいものばかりではありません。不安、恐怖、違和感、不快感などイヤな感情もあります。これらをつつきまわしていると、注意と感覚の悪循環が始まります。このことを精神交互作用といいます。精神交互作用でアリ地獄に落ち、神経症として固着してしまいます。3、逆にそれらを素直に受け入れて、雑事や雑仕事などに丁寧に取り組んでいると、自然に収まりがつくようになっています。森田では「生の欲望」に向かって努力精進して行くことをお勧めしています。
2024.02.06
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岩田真理氏のお話です。森田にとって「自然は自然」であり、世界の主体は人間ではなく、自然なのです。人間は自然をコントロールできない。だから柔順に調和して生きるというのが、彼の視点です。地球上の自然は、ただその必要があって、それなりの調和を保つために動くので、その中に暮らしている人間のことを考慮してくれているわけではありません。自然は敵でも味方でもありません。中立なのです。この地球の「主人公」になってしまった人間は、自然界のあらゆることをコントロールできるように錯覚しているところがあるのかもしれません。そしてこのコントロール幻想は、外的な自然のみでなく、人間自らの内的な自然性に対しても発揮されてきたのだろうと思います。森田療法は、自然をコントロールするというより、人間の内なる自然性を重んじます。重んじるというより、むしろそれにまかせる、信頼を置くと言っていいかもしれません。森田正馬は、自身の編み出した治療法を「自然療法」と呼んでいました。(流れと動きの森田療法 白揚社 28ページから30ページ要旨引用)森田先生が言われている「自然に服従」というのは、どんな意味があるのでしょうか。まず自然という言葉は広範囲にわたっているように思います。自然現象、他人の気持ちや考え、湧き上がってくる感情、持って生まれた素質や才能、神経質性格、容姿、体型、老化、病気、遺伝情報なども自然現象に含めておられるように思います。これらは人間が意のままにコントロールしてはならないといわれています。しようとしても実際にはコントロールすることはできません。我々にできることは何か。自然は絶えず流動変化しています。人間は変化の動きを察知して、その流動変化の波に合わせることだと思います。変化の波の中で活用できるものを最大限に活かして生きていくしかありません。不安、恐怖、違和感、不快感が湧き上がった時、解決できるものは積極的に手を出して処理する。解決できないものはそのまま抱えていくしかないのです。時が解決してくれるものも多少はあります。でも解決できないでそのままの状態が続くものが多い。神経症は解決できない不安に手を出しているということになります。森田先生は解決できないことはあるがままに受け入れて、自分の出来ること、課題や目標に向かって努力していきましょうと言われています。生の欲望の発揮のことです。「自然に服従」という言葉は、観念中心になって何でもかんでも自分の思うままにコントロールしようとする考えは間違っているということを言いたいのだと思います。
2024.02.05
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1、生活の中で積極的に行動した方がよいものがあります。2、反対に行動は控えて我慢した方がよいものがあります。3、その区分けをして、実行すれば問題行動は起きないはずです。これが逆になっているとすれば改善の余地があります。1ですが、東海、東南海地震が近いうちにやって来ると言われています。地震の備えは今のうちからする必要があります。家具の転倒防止、家の耐震化工事、災害時の備蓄、避難場所の確保、避難訓練への参加、ハザードマップの確認、地震保険への加入、津波への備え、家族との話し合いなど。次に、病気、交通事故、火事、雷、漏水、盗難などに備えて医療保険や損害保険に入っておく。また、年金暮らしの人は、何とか最低限の生活はできても、多額の出費に備える必要があります。たぶん今までの貯えを取り崩していらっしゃるのではないかと思います。財産がどんどん減ってくるのを眺めているだけでは不安になります。私の体験では月に3万円の収入(時間にすれば1.5時間)の仕事をするだけで、精神的にはずいぶん楽になれます。つぎに2について心がけることを挙げてみます。毎日テレビの守りをしている。アルコールは毎日飲んでいる。趣味は何もありません。異性に興味はありません。起床してから今日は何をしようか考えている人は脳の廃用性萎縮が進行します。神経質性格者は一般的に好奇心旺盛です。これを活かすことが大切です。興味や関心のあることはできるだけ手を出すようにしたいものです。身体の健康は、毎年1回は生活習慣病検診に行くことです。その時胃のバリューム検査、ガンの腫瘍マーカーの検査を行う。健康で心掛けたいことはウォーキングです。犬を連れて散歩をするもよし。足の筋肉は第2の心臓といわれています。さらにセロトニンを増やすことを心がけることです。興味のある方は、2022年2月13日、14日 2022年3月8日投稿記事をご参照してください。3ですが、エンディングノートを作成しておくことが大切だと思います。カード関係、所属団体、財産管理、保険関係、交友関係、所有物などを整理しておくことが必要です。財産や不動産は遺産相続でもめないように手を打っておく。それ以外のことも分かりやすくまとめておく。残された子供達に迷惑をかけないようにしておきたいものです。
2024.02.04
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年老いた親の介護、配偶者の介護について考えてみました。集談会で認知症になり徘徊する親や配偶者の世話をしている人がいます。また寝たきりになって、食事、洗濯、入浴、排せつなどの世話をしている人もいます。特に下の世話は耐えがたい苦痛をもたらすようです。ある程度デイケア、ヘルパーさんに頼ることもできますがそれも限度があります。森田先生は、親に対して不満や腹立たしいことがあっても、その感情はそのままでよい。これをため直して、愛の心や感謝の気持ちを引き起こす骨折りと面倒を要しない。ただ自分のなすべき事を、止むを得ずになし、なしてはならないことを、しかたなしになさなければよい。この事を私は「自然に服従し、境遇に柔順なれ」と称して、その自然に発動する自分の感情をそのまま受忍する事を「自然に服従」といいます。ただお母さんが、急に病気にでも起こった時には、これを捨てておく訳には行かないから、しかたなしに世話をする。これが「境遇に柔順」であって、素直に我慢して、なすべき事をするのである。そうすると、心が自然の流れに随うようになり、例えばお母さんに湯タンポを入れて上げるとすれば、いつとはなしに自分の仕事その事になりきり、湯タンポの加減も適当にできて、火傷をさせることもないようになる。理屈で考えると、いやいやながらする事には間違いが多く、いやな心を取り直しておいて、朗らかにやればよくできると思うけれども、実際においては、今まで述べたように孝行をしようとして、孝行にならぬように、「思想の矛盾」になり、不自然の事は不可能の努力のために非常の抵抗となって、その結果は必ず間違いだらけになるのであります。(森田全集 第5巻 554ページ)森田先生はイヤな感情が湧き上がってくるのは仕方がないことだ。イヤな気分のまま、なすべきことをし、なしてはならないことを控えることが大事になる。不快な感情はそのまま持ちこたえて、介護をする相手が少しでも喜んでくれることを見つけて行動していると介護を通じて絆が深まると言われています。
2024.02.03
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帚木蓬生氏は自然には癒し効果があるといわれています。満開の桜を見上げるだけで、人は一瞬、生きている幸せを感じます。砂浜に立ち、潮風に吹かれながら、寄せては退く波を見つめていると、ささくれだっていた気持ちが、どこか穏やかになります。満天の自然の中で天の川や星々を見上げていると、自然に抱かれて生きている安心感を覚えます。自然が人の心を癒し、元気を与えてくれる事実については、いくつもの研究成果が示しています。手術後の患者を、窓の外に樹木が見える病室と、四方を壁で囲まれた病室に分けて入れると、緑の見える部屋にいる患者のほうが回復が早いのです。マンションの住民に関する調査では、棟内に樹木や緑の多いマンションのほうが、子供への虐待が少なく、パートナーへのDVも少ないという。緑がほとんどない都会のど真ん中のホテルに宿泊したとき、居心地の悪さを感じるのはそのせいかもしれませんね。帚木蓬生氏は自然の役割として次の3点を挙げておられます。1、人の注意力を、内面から外界に向け直してくれます。人の悩みの大部分は、注意力を自分の内側に向けているために生じます。ああでもない、こうでもないと考えあぐね、解決策を見出せないまま悶々とするのです。そんなとき、身も心も自然のなかに置いてみると、注意が否応なく外界に向けられます。双眼鏡や虫眼鏡、それに昆虫図鑑や植物図鑑、鳥の図鑑を持参していれば、もはや注意力は自分の内面から一気に解放されます。忌まわしい内なる注意力は、より広い自然の営みに向けられ、興味や好奇心、想像力が喚起されます。2、時の流れや巡る季節を人に気づかせてくれる点です。若葉が少しずつ緑を濃くし、やがて色づき、落葉し、雪が降り、冬が去ると、また野に花が咲き乱れます。雲ひとつない晴天かと思えば、白い雲がぽっかり浮かぶ空になったり、三日後には黒雲に覆われ、大雨になります。そうした自然の変化を目のあたりにすれば、人は時の移ろいと、物事の変転を実感させられます。人の感情も自然と同じように、移ろいます。怨みや憎しみとて、大地の岩みたいに、いつまでも人の心に居すわっていません。悲しみや辛さも同様に永続しません。その事実が自然の中で直観できるのです。3、癒しそのものです。きのう、今日、明日と、かかえている自分の難題など、自然の営みのなかでは、些細事に過ぎません。そう考えると、熱していた頭が冷え、展望が開けてきます。四方を壁に囲まれた部屋にいては、決して見えなかった出口と光明が見えてくるはずです。自然の中で没我の境地に至り、気づかなかった新しい自分を発見するのです。(生きる力 森田正馬の15の提言 帚木蓬生 朝日新聞出版 129ページから132ページ要旨引用)
2024.02.02
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気分本位についての帚木蓬生氏のお話です。ある行為をしていて嫌な感情が出たら、もうその行為はやめる。嫌な相手は避け、疎ましく思う。逆に楽しい行為だけをありがたがり、追及する。腹が立てば、八つ当たりして、うさを晴らす。気分が悪い日には、外出もせず、家で寝ておく。気分が良くなるまで、顔をしかめてじっとしておく。このように、感情や気分を基にした行為、行動を「気分本位」といいます。感情や気分を基準にして行動する生き方です。これを森田正馬は徹頭徹尾嫌いました。(生きる力 森田正馬の15の提言 帚木蓬生 朝日新聞出版 79ページ)嫌な感情や気分に振り回されていると「怠惰」になります。怠惰な仕事や生活ぶりは、傍から見ているととても見苦しい。食事の後の皿洗いや洗濯物をそのまま放置していると、嫌な感情や気分はますます悪化してきます。嫌な感情や気分には自己増殖するという特徴があるのです。仕事や生活がいったん退廃してしまうと、加速度がつくので元の状態に立て直すことは至難の業になってしまいます。「気分本位」の反対の極みにあるのが「目的本位」です。今日一日悲観し、ため息をつきながら働いたとき、悲惨な一日だったと考えるのは「気分本位」です。よく働いた、目的は達成したと安堵するのが「目的本位」です。この二つは全く違った受け取り方であり、その後の行動に大きな影響を与えます。寒いのでやる気がしない。暑いので体が持たない。エネルギーの無駄使いは押さえたい。意欲が湧き上がらないので何もしない。これが「気分本位」の態度です。いかに気分が悪くても、必要な時に必要に応じて必要なことに敢えて手を出していく態度が「目的本位」です。どうすれば、「目的本位」の生活態度が身につくのか。一番簡単な方法は、同じ時間に同じ行動を繰り返して行う習慣を作り上げることです。規則正しい生活習慣が出来上がると、次に何をしようかと考える必要はなくなります。考えなくてもすっと体が動いてくれるようになります。しだいに気分に振り回されなくなります。
2024.02.01
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