森田先生には有名なエピソードがある。
森田先生が学生の頃、動悸や頭痛などの症状のため、勉強が手につかない状態になった。
あれこれ治療を受けてみたが、ひどくなる一方だった。
それに追い打ちをかけるように、試験を前にして、親からの仕送りが止まってしまった。
森田先生は、悲嘆と無力感に打ちのめされる。このままでは死ぬしかないとまで思いつめた。
その時森田先生は、もうどうせ死ぬのだから、動悸や頭痛を放置して治すことをやめてしまった。
そのかわりに、今まで手をつけなかった勉強に無我夢中で取り組んだ。
そして試験で好成績を収めることができた。
あとで気がつくと、あれほど自分を苦しめていた症状が消えてなくなっていたのである。
治そうとしている間は悪くなるばかりだったのに、死んだ気になって、試験勉強に注意を集中しているうちに、症状のことなどすっかり忘れてしまったばかりか、症状が治ってしまったのだ。
これと同じような経験を精神医学の世界的大家と言われているカール・ユングも経験している。
ユングは12歳の時、他の生徒につき飛ばされた拍子に、 歩道の縁石で頭打ち意識を失った。
それ以外、意識を失っては倒れるという発作を繰り返すようになった。
特筆すべきことは、発作が起きるときは必ず面倒な課題を課せられた時だった。
ユングの病状を診察した医師たちは、てんかん発作かもしれないといい、もしそうだとすると完治する見込みはないといった。両親は悲観し、息子の行く末を案じた。
学校を休み始めて半年ほど経ったある日、父親が訪問客に心中を打ち明けるのを耳にした。
「もし医者が診断するようなてんかんなら、あの子はもう自活することができないだろう」
ユングは父親のその言葉を聞いたとき、自分の未来はこのままでは閉ざされてしまうかもしれないという危機感を抱いた。
ユングは自伝に次のように書いている。
「私は雷にでも打たれたかのようだった。これこそ現実との衝突であった」
「ああ、そうか。頑張らなくちゃならないんだ」という考えが頭の中を駆けぬけた
それ以後、ラテン語の教科書を取り出し、人が変わったように身を入れて勉強をし始めた。
すると10分後失神発作があった。もう少しで椅子から落ちるところだった。
だが、何分もたたないうちに再び気分がよくなったので勉強を続けた。
およそ15分もすると2度目の失神発作が来た。
そのままにしておくと最初の発作と同じく通り過ぎていった。
そして半時間後3度目の発作が来た。それにも屈服せず、もう半時間勉強した。
そういう経験をしているうちに発作が克服されたということを実感した。
そのうちもう発作が起こらなくなった。
急にこれまでの何ヶ月にも増して気分が良いのを感じた。
事実、発作はもう二度と繰り返されなかった。
数週間後、再び登校するようになった。
それ以降、学校でも発作に襲われる事はなくなった。魔法はすっかり解けた。
(回避性愛着障害 岡田尊司 光文社新書 194ページより引用)
つまり森田先生もユングも症状に過度の意識や注意を向けることによって、病状をますます悪化させていたのだ。これは慢性疼痛で苦しんでいる人たちからもよく聞く話である。
これから回復するためには、症状には手をつけないで、目の前のなすべき課題や目標に真剣に取り組んでいくことである。
神経症が治るということ その3 2025.11.04
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