森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2021.11.04
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渡辺利夫さんの話です。
蛇足ですが、渡辺さんは「神経症の時代」という開高健賞を受賞された素晴らしい本を執筆されています。

森田にとって神経症とは、特定の病覚に主観的にとらわれた心の状態のことです。
この心のとらわれから放たれて精神が自然に流露していくことが神経症は治癒だということになります。つまり神経症の治癒とは、症状に対する心のとらわれからの解放であって、症状そのものがなくなることではない、ということです。

心臓発作恐怖症者の人の場合であれば、その発作神経症が治癒した後でも、心臓が鼓動をやめることはありませんし、死の恐怖それ自体が人間の心の底から去ってしまうことはないのですから、恐怖と不安は恒常的なものだといわざるをえません。
心臓発作を一再ならず経験し、これを恐怖した人から、恐怖を完全に拭い去るといったことができるはずもありません。

対人恐怖の症者は、他人の視線が気になるという気分から完全に自由になるわけにはいきません。森田は、これらの症状それ自体は存在してもいいのだ。
症状は存在していてもそれのみにとらわれることなく、生の欲望にのっとって人間としてなすべきをなしていくという態度が形成されること、つまりはこれが神経症の治癒である、と説くわけです。

逆説的な表現を使えば、人間生活を全うする過程で、おこるべき時期と境遇に応じて必ずおこる感情のすべてにとらわれて、一点への執着から離脱すること、これが森田にとっての神経症の治癒なのです。



したがって人間感情のすべてに意識が万遍なく行き渡り、特定の一点への意識集中が相対的にその「水位」を下げていくこと、これが神経症の治癒だということなのです。

症状が消えるのではありません。症状は穿鑿すればまごうことなく存在しているのですが、それへの意識の執着がなくなること、これが神経症の治癒だということになるのです。
森田にとっての神経症の治癒とは、帰するところ意識を無意識化させること、つまりは「意識の無意識化」だということになります。
(現代に生きる森田正馬のことば1 生活の発見会編 白揚社 24ページより引用)

神経症の苦悩、生活上の悪循環からの解放に向かって、何を目指していけばよいのか明確に説明されています。症状は、意識や注意がある一点に局限された状態である。
その状態を改めて、人間感情のすべてに意識が万遍なく行き渡るように仕向けて行けばよい。
そのためには、症状は苦しいけれども、それとかかわりを持つことを徐々に少なくしていく。
そして、目の前の日常茶飯事、仕事、家事、育児に視線を移して、丁寧に取り組んでいく。
生活上の不安や悩みに取り組んでいくということです。
取り組めば成果が期待できるものにエネルギーを投入していくことです。
気がついてみたら、症状のとこは一時的に忘れていたという時間を多く作り出していく。
最終的には、以前は100%近く症状のことばかり考えて悩んでいたが、現在は症状のことは10%ぐらいしか考えていない。大半は当面の生活上の問題や課題のことで忙殺されている。

その方法を集談会の相互学習の中で、確実に自分のものにしていくというのが森田理論の醍醐味であると言えます。





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Last updated  2021.11.04 06:20:05
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