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ニコンのCOOLPIX P1000という超望遠を誇るカメラで遠くの鳥を撮ろうといろいろ試してみたが、図体はでかいカメラだがしょせん中身はコンパクトデジカメという結論に落ち着きそうだ。といっても、高望みをしなければ私には十分な遊び道具にはなることもわかった。 私のカメラ趣味は病気療養の散歩を兼ねているので、カメラを三脚に据えてじっと動かないで遠くの鳥を撮るというのは、もともとの趣意にそぐわないのだ。歩きながらときどきシャッターを押すというのが本来の形なのである。P1000はだいぶ重いけれども、散歩で持ち歩くことができないなどと言うことはない。三脚は持たずに手持ち撮影をすればよいのである。 手持ちで、望遠も35㎜換算で500㎜相当以下ならシャッター速度を1/1600秒ほどの速さにすれば(ISO感度も明るさに合わせて)そこそこの写真が撮れるはずである。 そう考えて2月24日と今日(26日)、P1000をぶら下げて青葉山公園周辺を歩いてみた。仙台城跡のすぐ下の広瀬川を覗いたら近くにキンクロハジロがいて、手持ち撮影でも手振れのない写真が撮れた。これまで三脚を使って遠くのキンクロハジロを撮っていたが、それらよりもずっと写りがいい。当たり前のことだが、近ければ近いほどよく写るのである。そこの河川敷にはホオジロがいて、少し遠かったがそこそこの写真がとれた。 広瀬川を離れて林に入ってみたが、なかなか鳥に出合わない。出会っても、先に鳥に気付かれて逃げられてしまう。鳥へのアプローチの技術習得にはまだまだ時間がかかりそうである。 林を出て、人家に近づいたところでジョウビタキのメスが飛んできてすぐ近くに止まった。私の存在に気付いていたようだったが、正面、横、後ろ向きといろいろポーズをとってくれた。キジバトも飛んできて近くの木の枝にとまってくれた。 数はほんとうに少ないけれども、これまでとは比べ物にならないほどいい写真が撮れた。超望遠で遠くの鳥を撮るというのは諦めて、近くの鳥を期待して散歩すればいいだけのことである。写真が1枚も取れなくても散歩ができれば目的は達成できているのだし、1枚でも取れたら幸福な散歩ということになるだろう。 もうすぐ広瀬川の冬鳥はいなくなる。トリトリ散歩は林や森の周辺ということになる。そこではカメラを変えて野山の花たちも写したい。街角の写真も撮っているので、カメラ散歩はバリエーションが増えた。春が待ち遠しいほどである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2025.02.26
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「鳥、撮りにその辺を歩いてくる」と言うと、妻が「えっ、トリトリの散歩?」というので、鳥が対象のカメラ散歩は「トリトリ散歩」ということになった。 先日、高倍率で野鳥や月の撮影がお勧めというニコンのCOOLPIX P1000を持ち出して、自宅裏を流れる広瀬川に出てみたのだが、一脚を使うという試みは完全に失敗して、残せる写真はほんのわずかだった。それが悔しくて、三脚使用でリベンジをはかろうとその翌日も広瀬川に出てみた。 残念ながら、三脚を使っても残せる写真は多くはならないのだった。残せる写真はほとんどカメラの最大倍率を使わないで済む距離の撮影だったのだが、遠くの鳥まで撮れると思うと最大倍率に固執してしまうのだが、それにはもっと多くの撮影技術とそれに習熟した腕が必要だということらしい。 もうひとつとても重要なことは、距離の近い鳥は私でもよく撮れるということだ。もっとも私には鳥に近づいて行く忍者のような能力は身についていないので、近くに鳥がいるという偶然に期待することになる。つまるところ、カメラを持って何度も何度も鳥に会いに行くということが大事なのだ。そんなことにやっと気づいたのである。失敗ばかりだが、失敗するたびになにがしか知恵がついてくるのも確かで、のんびりと何度でも出かければいいのである。私は気短で、ことを急ぎすぎるのでがっかりすることになるのだ(わかっていても生来の気性はなかなか………)。 カメラの最大望遠能力をフルに活用するということにこだわらずに出会った鳥をそれなりに写そうと、かなり気楽な感じで三脚とP1000を抱えて家を出た。近くの木にヒヨドリやカワラヒワがいてそれなりに満足できる写真が撮れた。 1時間半ほどで家に帰り、昼食の準備前にちょっとだけとばかり、一眼レフと18-270mmズームレンズをもって広瀬川堤防に出た。これはこれでコチドリやカワラヒワの群れの写真がとれた。失敗ばかりだったが、少しは良くなってるらしい。 午後からもP1000を持って川に出た。冬羽のハクセキレイ、カイツブリ、カワラヒワの雌などがとれて、最後はどうしても近寄れないカモ類を最大望遠で写した。いい写真にはならなかったが、どんな種類のカモがいるのか記録しておこうと考えたのである。オナガガモとマガモはたくさんいて近くで撮れたのだが、ほかのカモは人が近づけない所を選んでいるようだ。写真で確認できたのは、コガモ、キンクロハジロ、ホウジロガモで、わが家の目の前の川には5種類のカモ(留鳥のカルガモを入れれば6種類)がいることになる。 皮肉なことに、気楽にシャッターを押してるのに残せる写真がけっこう多くなったのである。写真は、上から樹上のカワラヒワの群れ、飛び立つカワラヒワの群れ、カワラヒワの雄、カワラヒワの雌、ヒヨドリ、冬羽のハクセキレイ、マガモ、カイツブリのつがい、写りは悪いがキンクロハジロのつがい、ホウジロガモの雄、コガモの雄の順である。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2025.02.21
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手に入れたばかりの18-270mm望遠ズームレンズの中古品の試し撮りをしたのだが、広瀬川のまん中にいたオナガガモを写した写真は満足できなかった。私の技術では手持ちで撮るのが無理だったのかもしれないが、すこしばかり悔しかったので、ニコンのCOOLPIX P1000を持ち出して広瀬川の水鳥を撮ってみようと思った。 P1000は、焦点距離が4.3-539mmのコンパクトデジカメで、フルサイズ一眼レフカメラの24-3000㎜の焦点距離に相当する。倍率に不足はないのだけれどもコンデジなのに手軽に持ち歩けるほど軽くない。とにかく大きくて重いのである。当然のことだが、望遠の性能を生かすためには三脚とセットで使うことになるので、ますます手軽さから遠のいてしまう。何度か鳥や月を撮るのに使ったものの、しばらくは眠っていたカメラである。 三脚を持ち出すような面倒はしたくないと、当然のように「たれかもの」の私は考える。一脚にカメラを乗せたら、そこそこ手振れを抑えることができるのではないかと甘い希望を持ったのだ。さっさと移動しながらパチパチとシャッターを押す気軽さを期待したのだが、結果はばかばかしいほどはっきりしていた。一脚は上下のブレを防ぐことができるが、前後左右のブレはどうにもならないのである。手持ちの3次元のブレが2次元になっただけで、最大ズームでは被写体(鳥)をフレームに入れておくことさえ難しい。 諦めることが正しい行いだったろうが、自宅から出てきて10分もしないうちに諦めるのは悔しいので、1/500秒のシャッター速度優先のオートフォーカス、1秒間7枚の連射にして、ひたすら偶然を狙うことにした。 連射機能を使ったので写真の枚数はとても多くなったが、ひたすら削除するばかりだった。削除作業を繰り返しながら、幼いころ母親から「かばねやみ」と言われて叱られたことを思い出した。「かばねやみ」の「たれかもの」がいい写真を撮りたいというのは無理があるにちがいない。 それでも何枚か見られる写真が残った。それらは最大ズームを使わなくて済むやや中距離の被写体ばかりだった(まあ、当たり前なのだが)。「たれかもの」:仙台弁で「なまけもの」という意味。怠けることを「たれかをこく」などという。「かばねやみ」:私の生まれ在所(宮城県北部)で使われていた方言で、骨惜しみすること、面倒くさがることを意味する。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2025.02.14
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私の一眼レフカメラは撮像素子が小さいニコンのDXフォーマットなので、単焦点35㎜レンズはフルサイズの一眼レフの50㎜に相当する。このレンズが写し取る画角は、人間の肉眼に近いと言われている。標準ズームレンズを使い慣れた身にはこの単焦点レンズは構図の取り方に苦労するのだが、強制的にこれだけを使い続けていると、もちろん満足できる写真も不満足な写真(こちらが多いのだが)もあるのだが、どれも自然な感じがして意外とそれを眺めるときに心が柔らかい感じになるのがいい。 とはいえ、裏路地の飾られていない雑然とした雰囲気を写し取るには標準ズームの望遠域を使って距離を畳み込むのがいいのではないかと思う機会もあった。そこで使い慣れた標準ズームレンズ(18-140mm)の望遠域を使ってみたのだが、あまり満足できる写真は撮れなかった。ということがあって、18-270mmの望遠ズームレンズの中古品を買うことにした。 そのレンズが今日の午前中に届いた。さっそくそのレンズをカメラに装着してテスト撮影に家の裏の広瀬川に出てみた。 川の風景写真(30㎜で撮影)はまったく問題がない。270㎜の望遠域では手振れを避けるためにすべて1/500秒のシャッター速度優先で写した。距離が一番近いのは隣家の屋根の雀で、私の腕でこの程度なら満足できる。少し距離がひろがって、エサを探して飛び回る鳩、草むらと木に止まっている群雀の写真で、レンズを使い慣れ、多少でも腕が上がれば満足できそうな感じがする。このレンズがカバーできるおおよその距離範囲はこんなものだろう。 一番遠いのが川の中にいるオナガガモのつがいの写真で、逆光という条件にしても満足できる出来ではない。このくらいの距離では、FXフォーマット一眼レフ2000mmに相当するという望遠力を謳うコンデジ(43-539mm)、ニコンのCOOLPIX P1000を使うしかない。このコンデジは、たぶん世界最大の重量の〈コンパクト〉デジカメだろうと思う(特に調べたわけではないが)。何度か鳥や月などを映してみたが、その重量をけっこう持て余している。こちらはカメラに慣れるばかりではなく、体力、筋力がもっと必要なのかもしれない。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2025.02.11
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毎日のように雪が降るがそんなには積もらないし、日が当たる場所は日中には溶けてしまう。近所に雪景色を撮りたいと思える場所も思い当たらない。昨夜遅く窓からのぞくとやはり雪が降っていて、明日の朝は雪景色になるだろう、と思っていたとき六郷濠・七郷堀あたりへ行って雪のある景色を撮ってみようと思いついた。 イオという犬がまだ元気だった10年ほど前、車で出かけて、広瀬川の愛宕堰から分水する六郷堀・七郷堀あたりを散歩したことがある。その堀にかかる小さな橋やそれに続く細い坂道などを思い出したのだ。その時は緑が多い時期だったので、雪のある時期に見てみたいと考えたのである。 仙台市地下鉄東西線の始発電車に乗り、仙台駅で南北線に乗り換え広瀬橋で降りたときはまだ日の出前だったが、少し明るくなっていた。のんびり歩きまわっていればまもなく十分な明るさになるだろうと歩き出したのだが、2回ほど道に迷ってスマホ片手のグーグルマップ頼りなのだった。犬と歩き回る散歩で迷うことはまずない。山中のキノコ狩りや山菜取りでも迷わない。「帰るぞ」と言えば、犬が先に立って案内してくれるし、散歩ではむやみやたらと歩いても、心当たりのある広い道や建物に出合えば帰ってくることができる。けれども、目的地があって犬もいなければ簡単に迷うのである。 カメラには十分の明るさになって陽も上がってきた。広瀬川の対岸の大年寺山や家々が朝日を受けて輝きだした。朝焼けも興味がないわけではないが、今日は水路と細道を撮ろうと決めていたので、広瀬川の堤防からまた七郷堀に戻ってレンズを変えて何枚か撮り直したりした。たまたま最後の写真と決めた構図の中に私が写り込んでいたので、それも記念として撮ってみた。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2025.02.08
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仙台三越の裏路地から一番町を横切って、稲荷小路に入った。稲荷小路は、平行に走る国分町とともに夜の飲食店街として賑わっているところである。 酒ばかり飲んでいた私の学生時代には稲荷小路が中心だった。国分町にもポツポツと飲食店があったが、繁華街から少しはずれた人通りの少ない薄暗いところというイメージがあって、私はなんとなく避けていたという記憶がある。 当時は、一番町と稲荷小路の間には人二人がかろうじてすれ違えるほどの狭い路地が何本もあって、両側には5、6人で満杯になりそうな小さな店がびっしりと並んでいて、私はその一軒に入り浸っていた。今ではその路地はすべてなくなり、ビルに変わっていて、私には通いつめた細い路地がどこだったかも判然としないのだ。 今の国分町には地下から7、8階の上までびっしりとバーやらクラブやらが入っているビルが立ち並んでいる。30年ほど前に教え子の一人に案内されてそんな店の一つに連れて行ってもらったことがあるが、似たようなビルばかりでどのビルの何階だったかも忘れて二度とその店には行けないのだった。昔のように、路地をふらふら歩いていれば記憶がおぼろな店でも見つけることができた時代とは次元が違う(文字通り店の配置が2次元から3次元に変わった)と言えるほどに変わってしまったのである。 写真にその一部が写っているが、稲荷小路にはその名前の由来である豊川稲荷という小さな神社がある。日本の二大稲荷は伏見神社と豊川稲荷ということらしいが、前者は神道系、後者は仏教系ということだそうだ。その豊川稲荷は「豐川吒枳尼眞天」をまつる神社で、その名前が書かれた旗竿が何本も飾られていた。私には「吒枳尼」という字が全く読めなかったのだが、由緒書には親切なことに「とよかわだぎにしんてん」と仮名がふってあった。由緒書にはもう一つ仮名をふった言葉があって、それは「尸羅婆陀尼黎吽娑婆訶(おんしらばったにりうんそわか))という「お稲荷様のご信言」だった。ちょっと勉強になったが、とても覚えられないし、頑張って覚えてもすぐに忘れるだろう、そんな気がする。 夜の飲食店街なのでそれらしい雰囲気を出すためには夜の写真を撮るのがいいだろうとずっと思っていたのだが、老いて病を得て療養中の身としてはそんな時間帯はひたすら眠ることも病人として大事な終活の一つなので、なかなか実現できなかった。 三越裏から稲荷小路に入ったのが16時40分ぐらいで日の入りまでは20分もないのだが(2月1日の仙台の日の入りは16時59分である)、暮れ残りがまだまだ明るいので、薄暗さが増すまで稲荷小路、国分町を歩き回って被写体を探しながら時間をつぶそうとも思ったのだが、なかなか暗さは深くならず、帰宅して夕食を作らねばならない時間が迫るということもあって、10分ほど後には撮影を開始した。この年になっても、気短で忍耐強さに欠けたままなのだった。 薄暗いこともあって、解放絞りが1.8という35㎜の単焦点レンズだけを使ったが、撮影条件はまったくの手探りである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.02.01
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一番町の南端に位置する文化横丁、いろは横丁から、路地を辿りながら青葉通りと広瀬通りを越えて北端に位置する仙台三越の裏路地に入った この辺は、夜の飲食店街の稲荷小路に近いので、学生時代にはちょくちょく来ていた。ちょっとなじみになった居酒屋があったし、訪ねた回数は少ないものの気に入っていた豚カツ屋、おにぎり屋もあった。そのおにぎり屋さんでなめこ汁を頼んだらかなり正確な立方体に切られた豆腐が入っている碗が出てきたのがとても印象的だった。結婚前、妻は横浜に住んでいたので仙台の店に二人で行った記憶はあまりないのだが、豚カツ屋さんには一緒に行ったことは覚えている。 それなりにこの辺のことは知っているつもりだったが、まったく記憶にない細い路地があった。ちょっとした発見の気分である。南北に走る路地に面して飲食店などが並んでいて、その裏にその細い路地はあった。入った路地の左側はすべて飲食店の裏側で、クーラーや湯沸かし器、水道管やガス管ばかりが並んでいるのだった。反対側にだけ飲食店が並んでいるだけなのだが、その路地の入口には「東一市場」という立派な看板が掲げてあった。 ここの前に歩いてきたいろは横丁に似た、建物の中に店が並ぶ細い路地(通路と呼ぶべきか)が、三越の並びにも二つある。いろは横丁よりもだいぶ短いが、この路地もいろは横丁も日本固有の「パサージュ」と言うことができるかもしれない。 ベンヤミンに匹敵するような日本の思想家が、こんな日本のパサージュを論じているかもしれない。そんなことを期待してみるのだが、寡聞にしてそのような著作を私は知らない。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.02.01
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裏路地のカメラ散歩もだいぶ調子が出てきた。今日は午後3時すぎに家を出て、一番町の文化横丁や壱弐参(いろは)横丁近辺に出かけ、そこから一番町の東側の地区を定禅寺通りまで歩き、夕暮れから夜にかかる時間帯に、三越近辺や稲荷小路、国分町通の路地に並ぶ飲食店の「灯ともし頃」を撮れれば、という計画である。 まずは、文化横丁といろは横丁である。ここは東北大学の片平キャンパスに近く、私が学生だった昔には新刊の本屋が3点、古書店は5、6店が並んでいて、勤務先が片平キャンパスだったこともあって、学生時代から40年ほどうろうろ歩き回ったところだ。現在は新刊の本屋はなくなり、古書店も2軒(15年ほど前の記憶)になってしまった。 本屋以外にとくに通った馴染みの店というものがあったわけではないが、見知った店のほとんどはもうないのである。いろは横丁は戦後にできた朝市風の香りがしていた狭い路地だった(今も昔の手押しポンプ井戸が残されている)が、今ではかなりしゃれた雰囲気の小さな店が並んでいる。 文化横丁には学生が作る雑誌に広告を出して応援してくれていた中華料理店があってそこそこ通っていたが、その店もずいぶん前になくなっていた。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.02.01
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