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彼岸が過ぎた21日の早朝にわが家の墓参りに行った。誰もいない墓地で、妻と二人だけのとても静謐な気持ちになっての墓参である。墓参りが終わって、「今日の空」を1枚と思って空を見上げると、雲が少しだけ出ていた。とくに感動的な空というわけではなかったが、墓地には電線も電柱もビルもなくて空が精いっぱい広がっているのである。まあ、空を撮りたければ墓地が行けばいいのだということに気付いたというわけである。ただし、空以外の夾雑物のある方が写真に物語性が加味されてそちらもいいのかもしれないのだが………。 今日は、仙台を出発して岩手県境に近い在所の墓に参り、引き返して仙台を通り越して県南(姉の嫁ぎ先)にある姉夫婦の墓まで行くのである。生まれ在所では2か所の墓地に墓があるので、宮城県を縦断して3か所の墓地で空の写真を撮ることができると張り切って出発したのだが、春霞か黄砂のせいで青いはずの空も白いはずの雲もどんよりしているのだった。 せっかくなので空の写真を撮ることは撮った。どんよりとした空も空には違いない。最初の2枚は21日のわが家の墓参の時に、次に生まれ在所の2か所の墓地で2枚ずつ、昼食を取った高速のSAで2枚、最後は姉夫婦の眠る墓地で撮った2枚の空の写真である。雲の景色を入れようと無理をして太陽光線からのフレアが入った写真もあったのだが、墓参りが本分と思ってわが身を慰めている。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2025.03.25
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ネットでは、カメラや山野草に趣味を持つ人たちの春の花の投稿が溢れている。仙台でも住宅の庭では花が咲きだしているが、山でもいろんな花が咲きだしているのではないかと考えて、仙台城址の西方に続く丘陵の散策路を3時間ほど歩いた。 昨日の早朝、いつものように彼岸を避けてわが家の墓参りに行ったのだが、妻にプレゼントされたミラーレスカメラが届いたばかりで、その時が使い始めになった。今日も新しいカメラ持参だが、あわよくば鳥も花もカメラに収めようと2種類の交換レンズを準備した。 残念ながら、咲いている花は小さなセリバオウレンだけだった。冬山には登らなかった私の年の初めの登山で見る花はいつもセリバオウレンだった。同じ時期にカタクリの花も見ることがあったが、今日は葉だけのカタクリだった。仙台の春は、いかにも遅いのである。鳥も二度ほど鳴き声を聞いただけで姿を見ることはできなかった。 それでも緩やかなアップダウン、ときどき急坂と続く山道は楽しくて快調に歩いていたのだが、首から提げた新しいカメラに仕事をしてもらおうと山道の写真を何枚か撮った。レンズをマクロレンズに交換してセリバオウレンの小さな花も撮った。せっかくなので、葉だけのカタクリも写した。カタクリの葉の近くで枯葉のなかをカサカサと音を立てて歩いているニホンカナヘビがいて、それも写真に収めた。 体力的には1時間半ほど歩ければいいと思っていたのだけれど、3時間も快適に歩いたことになる。これでもう少し奥の山に入る自信が(ほんのわずかだが)できたような気がする。 駐車場まで戻って空を見上げたら晴天に散らばる白い雲が見えて、最後に「今日の空」を撮ろうと構えたら電池切れだった。想像以上に電池の消耗が大きいようだ。まあ、やたらといろんな機能があって便利なのだが、それだけエネルギーが必要ということだろう。交換用電池も2個注文しているのだが、まだ届いていない。4日後に宮城県を北から南まで縦断して私の一族の墓参りに回る予定だが、それまでに電池が届いてくれればいいのだが………。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2025.03.22
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筋トレ散歩には筋トレに専念するためにカメラは持たない方がよいなどと言いながら今朝もカメラ持参で家を出た。やはり心のどこかで、良い被写体を見つけたときカメラがないのは惜しい、と思っているのである。それに注文している新しいカメラがまだ届かない。待っている間に、これまで使っていたカメラが何か愛おしいものに思えてきた。はっきりと愛着があることが分かった。新しいカメラが来ても手放すつもりはないが、やはりしまい込んでしまうだろう。とすれば、今日、明日しか使う機会はないだろう。そんな気持ちでカメラを手にしたのである。 とはいえ、筋トレ散歩はまったく同じコースを歩くので、とくに何を撮りたいというものがない。いつものようにきっと朝焼けの写真になって代わり映えしないに違いない。それならいっそ、空の写真だけを撮ってみようと思った。最近、街の写真を撮って歩くとき、最後に「今日の空」を数枚撮っているので、空が主題という日があってもいいと考えたのだ。 朝5時に出て、散歩の途中でシャッターが押せるくらいに明るくなるまでは一生懸命歩いて、日の出(仙台は5時43分)ころから写真を撮り始めた。東の空は朝焼けでこれはいつものパターンだが、残した写真は4枚と一番枚数が多かった。 西の空に沈む前の月が残っていたので月を入れた西の空を2枚、仙台城跡に上る途中の大石垣のところで南の空を1枚、最後に天守台から北の空を1枚撮った。 これまで、朝焼けを撮るときにはカメラのホワイト・バランスの設定を「曇天」にして温かみのある色あいを強くして撮っていたが、今日はできるだけ肉眼で見た色あいに近いものにしたくて「オート」に設定して、露出補正を数段変えながら撮ってみた。そうやって、私が見た色あいに近い写真を残した。捨てられたのは、色合いが濃い朝焼け空の写真である。 最近、多くのカメラ愛好家の写真をネットで見て(勉強して)いる。これまで、多彩な色あいの朝焼けや夕焼けの写真を感心しながら見ていたのだが、このごろ「派手だなぁ」と思いうことが多くなった。目を奪われるほど美しいと言えば言えるのだが、その派手な美しさにお腹いっぱいになってもたれる感じがするのである。 はてさて、私の美意識はどこへどんなふうに向かっているのやら………。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2025.03.18
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仙台地下鉄東西線「一番町」駅を降りたのは10時30分くらいで、そこから南町通りを渡って北目町、五橋あたりを歩いてみた。この辺はよく見知っていて、とくに写真に撮りたいところを思い出したわけではない。写真散歩の終わりに青葉通りまで戻って銀行に寄りたいことがあったための場所選びである。見知ったところでも、その気になって歩けばいい景色に出合えるのではないかと期待したのである。 期待は期待に終わって、印象に残るような景色を撮ることはできなかった。一か所だけ、被写体としての景色ということではなく印象に残った路地があった。袋小路になった路地の一番奥のアパートの1階に電光掲示板が掲げられていて、そこがネパールやインドの食料品の店らしいことを意味する表示が流れていた。その表示以外に店らしい雰囲気はなく、おそらくそのアパートの一室に在仙のインド人やネパール人が食料品(ばかりではないかもしれないが)を求めて集まるのではないかと想像する。とはいえ、私の想像は写真にはならない。電光掲示板の文字も、写真には乱雑な点でしか写っていなかった。 終活としてカメラ修行を始めたときから、「いい写真」のための被写体を見つけることが私の最大の課題(能力的において)だったのだが、今日のように収穫感が薄い散歩を繰り返すしかないのだろう。 私のカメラは撮像素子がハーフサイズの一眼レフなのだが、妻がもう少し良いカメラをプレゼントすると言い出した。ミラーレスの最新型(私にとってはだが)のカメラで、値段のことを考えて躊躇したのだが妻に押し切られてしまった。それで、押し切ってくれた妻に感謝しつつネットで最安を探して注文しているのだがまだ届いていない。 私の技術次第だが、カメラでできることが少しだけ広がるだろう。とはいえ、カメラはいい被写体を見つけてはくれないので、そのカメラを持って今日の散歩道を歩いたからといって何も変わるわけではない。私の能力とカメラの能力は完全に独立していて、何の関係もないのである。こんなことが少しプレッシャーになっていると言って妻に笑われた。 その新しいカメラだが、最低限の必要な付属品もいくつか一緒に注文したら、妻に提供された金額を越えてしまった。それで今日の散歩の終わりに、青葉通りの銀行で私の預金口座から妻の口座にオーバー分の金額を移したのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2025.03.15
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最近の街を歩くカメラ散歩は、裏路地の風景にテーマを絞って歩いている。それはそれで楽しく歩いてシャッターを切っていたのだが、このごろはどこの景色も同じように見えてきて新鮮味が薄れてきている。それは、私にいい被写体(景色)を見つけ出す力がないということなのだろう(継続していれば少しずつそんな力が身に着くのではないかと期待はしているが)。とはいえ、どこを歩こうかという段になるとほとほと困惑するばかりである。 仙台市内のかなりの場所は犬と一緒に歩いていていろんな場所を思い出すのだが、カメラを持ってもう一度という場所は少ない(ただ一度、七郷堀沿いの細道を除けば)。一週間ほど前のJR長町駅近辺は、地図を眺めて曲がりくねった細道を見つけたことが出かけるきっかけになったものの、その細道ではほとんど収穫がなかった。ただ、長町は古くからの交通の要所らしい名残のような飲み屋街を見つけることができた。 旧仙台藩時代から、長町は仙台城下への南の入り口で近郊への交通の要所となっている。今は廃止されたが、旧仙台市電は中央部の環状線とそこから分岐する4本の路線があった。その4本はそれぞれ東西南北の交通の要所を終点としていて、その南の終点が長町だった。北は北仙台、東は原ノ町、西は八幡町が終点だった。 北仙台駅近辺は地形の影響で、道が入り組んでいるところがある。地下鉄の駅を降りた道には変則五差路からの坂道を曲がって降りてくる市バスが通っていて、その五差路から20mほどの近くにJR仙山線の踏切がある。それに、JR北仙台駅の近くの一角に飲み屋街があることも思い出した。ということで、北仙台を歩いてみることにした。 薄暗いうちに家を出て、東西線、南北線と地下鉄を乗り継いで北仙台駅に向かった。駅の近くの飲食店街は「仙台浅草」という看板が掲げられていた。昭和の飲み屋街などという雰囲気ではなく、いくぶん今風である。 「仙台浅草」のところから西に向かって何本かの車通りを越えて細い道が続いていて、かつて犬と一緒に歩いたことがある。カメラを持って歩くと昔と違う景色が見えるのではないかと期待したが、期待した通りにはならなかった。北仙台は西から続く北山丘陵の東端にあたる。細道は北山丘陵と平行していて、北山丘陵の一角にある青葉神社前の通りを北仙台駅の方に引き返した。 JR仙山線の踏切まで来ると三方からの道にたくさんの車が並んでいて(通勤時間帯が始まっていた)、仙台駅に向かう上り電車が通り過ぎ、続いて北仙台駅に停車していた下り電車がゆっくりと出発してきた。その写真を撮って今日の散歩は終わりと思ったが、前回から始めた「今日の空」の写真を撮っていないことに気付いて、少しばかり歩いて場所を探した。マンションが立ち並ぶような細い道ではなかなか空を写すのは難しい。雲一つない青空だったので、雲の配置を気にすることがなかったのがせめてもの気休めである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2025.03.07
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2週間ほど前の筋トレ散歩は前夜来の雪の中だった。亀岡神社の石段や仙台城跡の急坂は滑りやすくて危険かもしれない、どちらもダメだったら雪景色を撮ることに切り替えようとカメラを持って家を出た。慎重に歩けば神社の石段は何とか登れるのだったが、下りは危ないだろうと考えて遠回りの車道を下ってきた。仙台城跡は何とか上り下りできた。その途中、雪景色を撮ろうとカメラを構えたが、電池残量が少なすぎてシャッターが下りないのだった。そんなこともあろうかと予備の電池をポケットに入れてきたのだが、充電忘れの空っぽ電池だった。 筋トレ散歩にカメラを持って出かけると、写真を撮る時間が(肉体的には休憩時間が)長くなってトレーニングにならないので、カメラを持って出かけることはほとんどない。でも今朝は、尾を引いている先日の悔しさを何とかしようと、筋トレ散歩なのにカメラを持って家を出た。今回は充電を確認した予備電池をポケットに入れている。ずっと晴天が続いていて雪景色は無理だが、朝焼けを期待したのである。 家を出るころは玄関の鍵を閉めるのに苦労するほど暗かったが、亀岡神社を登り始めるころには明るくなってきた。石段を下りながら、1枚目と2枚目の写真を撮った。 東北大学川内キャンパスの中では葉を落としたメタセコイア越しの市街地の空を1枚、大手門脇櫓から仙台城跡に上り本丸北壁の大石垣の下から1枚。天守台に上がったところで伊達政宗騎馬像の向こうの朝焼けを一枚、仙台市街の向こう、仙台湾の上に上がった太陽を1枚と、写りはどうであれ朝焼けの写真はそれなりに撮ることができた。 北の方向には船形連山が見えたのでそれも1枚撮った。泉ヶ岳、三峰山、後白髭山が並んでいて、船形山本山は三峰山と後白髭山の間にその頂上部分がかろうじて見えている。どの山も犬と一緒に何度も登った山である。もう少しで山の雪も消えるだろう。以前なら、山の雪が消えるのを犬ともどもワクワクしながら待ちわびていたのだが、今は一人で麓を少し歩けるくらいだろう。 天守台からの下り足では、三の丸跡脇(大手門脇櫓下)の五色沼のカルガモ、地下鉄国際センター駅を過ぎたあたりの「桜の小道」ではツグミの写真も撮れた。 朝焼けを撮るには時間が大事だが美しい朝焼けになる天候の偶然がもっと決定的だし、鳥の写真にはその鳥に出合えるという偶然が必要、わかり切ったことなのにそんなことを考えながら散歩は終わった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2025.03.04
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2月の初めに仙台市地下鉄東西線、南北線を乗り継いで六郷堀・七郷堀沿いの細道の散歩に出かけ、雪景色を撮ってきた。今日は、さらにその先の長町駅で降りて周辺の早朝散歩をしようと地下鉄に乗った。 日の出ごろに長町に着く予定だったが、大幅に(1時間ほど)遅れてしまった。充電中のスマホを忘れてきてしまい、仙台駅から戻る羽目になったのである。七郷堀に行った時、地下鉄駅を降りてすぐ道に迷ってしまった。今日の散歩は、地図で見つけた曲がりくねった細道を歩いてみる予定なので、なおさらスマホのグーグルマップは欠かせないのである。 地図で見つけていた細道は、本当に細くて曲がりくねっていたけれども、アパートや新出来の規格住宅が並ぶ道だった。まっすぐに直されていない道には、昔からの住宅が並んでいるだろうという期待は完全に外れてしまった。 地下鉄駅の近くから旧笹谷街道が始まり、その狭く曲がりくねった街道も残されていたが、旧市街風の雰囲気を見つけられなかった。その道を辿って西に進むと中学校や高校のグランドがあり、その間から青空に伸びる大年寺山の3本のテレビ塔が見える。フェイスブックで「今日の空」と題した写真を広角で撮って投稿している写真マニアがいて、それを真似して、折々の散歩で1枚は空の写真を撮ってみようと思っていた。今日がその試みの最初とばかり、中学校のグランドからテレビ塔を含めた空の広角写真を撮ってみた。 地下鉄駅の近くで「2番街」という看板が掲げられた飲み屋街を見つけた。今日の裏路地写真はこの飲み屋街ということになった。早朝の飲み屋街には人影はまったく見えずに静まりかえっていた。夜に賑わう路地を早朝に写す意味を考えてみるが、よくわからない。住宅地よりはずっと面白いとは思っているのだが………。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2025.03.01
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