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周囲にある文化史を知らないのは恥ずかしいことだ。それは何故だろうか。過去を恥じたためか。アメリカの占領という過去が封建社会を否定したがそこに住む人間まで否定したのではないし、罪に問われたのでもない。日本が独立を取り戻し、国連に復帰して国際社会で参画している。その構成員でもある国家が、自分の国を恥じる国があるだろうか。しかしそこに人間として何を残そうとしているかの世界観がなければならない。そして、文化史を引き継いでいく精神が必要だ。それは教育でもある。ただ神社や寺社を残せばいいだけではない。それだけではない多様な文化があり、史跡がある。それを正しく歴史として継承すべきだろう。 ・つまり私たちが住んでいるのは、祖先たちが暮らしていた生活の空間でもあるのだから、何かの遺物があるのは当然であり、そしてそれを知らないのは自分たちのルーツを無視していることであり、それでも生きていられると思い込んでいるからではないだろうか。確かに知らないで生きていけるようなシステムにもなっている。だが、それでは、自分たちの郷土史は永遠に消えていくのではないだろうか。 ・へ2・・・ひとつ言えることは郷土史をやっている人が、点で終わるような研究をしている人が多いのではないだろうか。偏見だろうか。郷土史で町づくりをするような話を聴かないが、ドイツではそれをやっている気がする。それが、本来あるべき姿ではないだろうか。国家と個人の責任がある。韓国の慰安婦問題も、徴用工問題も、敢えて言えば国家の責任だ。日本から見れば、韓国は、戦争当事国ではないが、韓国は戦争と思っていたのだろう。慰安婦という言葉は、いささか語弊があるが、当時の日本人にも存在したのだ。そのひとたちは、どうなのだろうか。国に責任がないとは言えない。戦前の韓国政府は、どうだろうか。国家は存在しなかったのだろうか。国民の人権を守れないような政府は政府ではないだろうが。アジアの国家は、多くが人権を軽視しているといわざるを得ない。21世紀になっても愚劣なことをしてはいないだろうか。その犠牲者たちは、この世を恨んで死んでいったのではないだろうか。
2022.02.28
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スリランカ 昔はセイロン。仏教国だ。釈迦は数回来訪したという。中国から、借金して返済ができす、港を99年間の使用権を巻き上げられたという。中国を知らなかったのだろうか。一帯一路も、下心があるのだろう。甘いと付け込まれかねない。「人間は変わらなければ成長しない。成長しなければ本当に生きていることにはならない」というではないか。即ちバイタリティ(生命力)とは、「希望に満ちて」いることが本来の姿だと言える。孤独感とはひとつの精神状態であり、大衆のなかでも孤独を感じるし、たったひとりで山登りをしても満たされていると感じることがある。孤独感は、行き過ぎた自負心や自尊心から来ることが多いだけだ。その先にある無力感こそネガティブで相乗的な下降スパイラルへと繋がるだろう。自分の人生を、無理に他人に理解させようとしても至難だろう。常に変化してもいるからだ。人間は、元来孤独では生きてはいない。人間のうちなる宇宙では、孤独ではないからだ。脳は地球上の人間の数より多くの外部との情報ネットワークで繋がっている。私たちは、メタポジティブ思考で生きていくべきだろう。自分に動機付けを与え、目標から引き離そうとする困難な出来事に立ち向かうポジティブな面をもつことだ。そして懼れず集中することではないだろうか。立春も過ぎ、今朝はもう暖かい。かけがえのない朝になっている。私のドイツ手帳では、 36-329 6.woche Montag Februar 5. 2007毎日が、変革日記であり、自分なりのマインドマップを作成し、自分が世の中とどのように体験しているかを振り返ることだろう。それを見直すことで自分の人生のどの部分のバランスが崩れているか、どこを高めるべきかを考え、自分の優先順位を決めるべきだろう。花は無心に咲いているように見えるが、強かな生きようをしてもいるだろう。それでも綺麗だ。どこの国にも悪人がいるということだ。そしてハイエナにもなる。他国を騙すことで国益を守ろうというのだから、正義もありはしない。油断したら、風邪もひくだろう。ヒトは危ないことをしたがるのかもしれない。それで乗り越えてきたこともあるが、その反対もある。どれだけの民族が滅んだだろうか。前轍を踏まないからだ。目の前から過去は過ぎてしまうが、それに溺れてはいられない。一時の感情でしかないのだ。
2022.02.28
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大雪山黒岩ロープウエイに乗りネイチャーテラスに行き、ホテルに帰り朝食。自分が何者であるかを弁解したがるのは相手を威圧するためだろうか。大した話でもないのに、法螺を吹こうとでもいうのだろうか。そういう人間が多いことは恥ずかしいことだ。そして知らず自分もそういうことをしている。そうでなければならないわけではない。それは世間に迎合するというのだろうか。そして気づくのは、自分が他人の猿真似ばかりしており、オリジナリティを無くしていることだ。楽に生きることは長生きの秘訣かも知れないが。 ・気負いが必要なのかも知れない。ゲーテとベートウベンが一緒に散歩をしていたら向こうから貴族が歩いてきた。ゲーテは道を譲ったが、ベートウベンは譲らなかった。ベートウベンは、相手が譲るべきだと主張したという話がある。ゲーテは処世に長けたひとであった。だけだろうか。そうでもあるまい。ゲーテは文学で自分を表現した。 ・へ2・・・生きる自信のないものが弁解をする。卑屈になる。それを衒うだけでは、足りはしない、強かに生きねばならない。阿呆にだって頭を下がるだろう。しかし自分に耽溺するものは自滅しかない。
2022.02.28
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くだらない、くだらない、と言っていると全部そんな風に思ってしまうらしい。お経ではあるまいし、セピアで世の中を見ているようなものではないか。口に出すくらい軽薄なのだろう。それで勝てる相手ではない。まあ、日本人にはアンシャン・レジュームに勝つ奴がいないとしても、世界ではどうだろうか。一杯いるに違いない。さっさと先を歩いているのではないだろうか。しかし、それほどでもない。ただ自分が小さいだけだろう。 ・嘲笑していればいいというなかれ。独り舞台をしているわけではない。自分とだけ向き合えばいいのではない。いつまでも夢で終わっていいはずはないからだ。語り合える場所もなく寂しく散って行ったのは花だけではない。ハードルを超えることができなかったのは、決してハードルが高かかったわけではない。それを超えるだけの識見がなかかっただけだ。それだけ閉塞していた。新しい風が吹かなかった。西欧の帝国主義にアジアはねじ伏せられたように、その惨めなアジアの一角で、弱小国でしかなかった日本を強権によって庶民をねじ伏せられただけだろう。それに震上がるほど怖気づいてしまった文化人でしかなかっただけだろう。 ・へ2・・・何れにしろ、自分サイズの勇気は必要なのではないだろうか。それは、この社会をセピアにしないことだろう。日本社会でさえ黒か白かではない。善人と悪人だけがいるのでもないし、正義と不正義に区別できるほど単純でもない。内にどれだけエネルギーを蓄積しているかだろう。燃え尽きるようでは見込みはない。生木を山のように積み上げて、それを燃え上がらせるくらいの情熱がなければならないだろう。そのために今があると思う。
2022.02.28
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何時までも人生のプロになれないで、素人であり、素人が日頃感じている疑問は果てしなくある。最前線の脳科学者たちは、どこまで答えてくれるのだろうか。質問が悪ければいつまでも問題は解決しない。問題の所在を提起することも容易ではないが。自分が何ものであろうとなかろうと人間である限り脳とは付き合わねばならない。逃げるか逃げないで学ぶかである。 ・自分が準拠枠のなかにあり、その何かの限界を目指している。努力しなければ誰にもそのフレームワークは破れないだろう。歩きまわることで何かを知るのだ。私たちの住んでいる和白周辺にも色んな遺物がある。それが思いがけないものであることを知る時がある。知らぬが仏で生きているのは私たちの暢気さでもあるのだろう。謂わば歴史の遺物の宝の山の埋もれた中で生きている。どこもかしこも先祖たちの生きていた場所でもある。 ・へ2・・・僅かの時間しか経過していないのに、もう忘却のかなたに追いやっているのだろう。忘れることで新しい世界が生まれて来ることもあるのだろう。やむを得ないこともある。それにしても、遣りたいことは沢山あるが、時間がない。人間の一生も短い。気が付いた時には遅いことばかりだ。やり残したことがどれだけできるだろうか。忘れていいことと忘れてはならないことがある。それが判らなくなる。どうもいけない。生きることさえ忘れてしまうかも知れない。
2022.02.28
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自分の脳内の空地を埋め尽くす程の人間がいるとも思えないから、考え過ぎてゲームオーバーになることはない。いくつかのことが同時進行していたとしても、あまり困らないくらいの能力はあるだろう。困っているとすれば、耽溺しているのではないか。あまり同じことを繰り返していると脳が疲弊してくる。新たな空気を入れて遣らないからだ。ひとは遣り方を間違いがちだ。壁を造っているのは自分であることが多いと思う。それは怠慢という厄介な相手でもある。 ・「無為」に生きてはいないだろうか。そうしているのは脳ではない。強い意志力がないからだ。期限を設定しないからだろう。そして僅かな道具しかなのに過剰な望みたがるからでもある。余計なことをしたがる傲慢が人間を堕落させるのではないだろうか。いつまでも卒業しないクールはない。病院に居続けるものに何ができるだろうか。棺桶を飾り付けても何になろうか。もうガイコツになる間もなく灰になり、大地に還るだろう。 ・自分の脳内の空地を意識しないのは、自分の目の前のあるべき人生を始めない臆病者でしかない。歩きもしない街のことを考えるなかれ。そこに行くために努力しただろうか。コストを払わない人生などありはしない。何かを始める脳内空地はまだみつければいくつもある。
2022.02.28
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メジロ。脳のある部分が壊れて何かができなくなると、その「何か」が欠かせない重要なパーツになるという概念の研究の積み重ねで少しづつ脳科学の基本になっている。謂わば、私たちが社会に対するイメージも同じ機序をもっている。事故や病気で損なわれて初めて分かるようなこともある。自分の世界観が、非科学的なものを根拠にしているかも知れないだろう。 ・社会を見る目を持たなければ、客観的に認識をもつことはできない。解っているが、それは本当に解っているかというと怪しくなる。そんなことばかりだ、寄せ集めの知識で何も創造的なものは生み出せない。自分の非力を悔やんでも仕方がない。こうして書きながら、嫌気がさすところもあるが、基本を知らなければできないことは多いのだ。 ・へ2・・・運動ー感覚―記憶―学習―認知―思考ー感情など、人間らしい機能たらしえているものと自分の脳とのかかわりが形成されているのだろうか。その機序はどうなっているのだろうか。手さぐりしながら生きているのだ。脳のネットワークの基本を知らねばならない。科学的に脳を鍛えねば
2022.02.28
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大雪山黒岩ロープウエイ。「知らぬが仏」で生きているけれど、明日のことは何も知らずにいる。後ろの死神がいるかも知れない。それでも勝手に、能天気ではないだろうか。クールに見えても、少し・・・らしい生活をしていようと、中身はお粗末なのではないか。文化は低いのではないだろうか。自己満足ばかりしているアホな日本人ではないだろうか。何もできない証明ばかりしている、日本政府ではないだろうか?世界から軽蔑されるようなことばかりしているではないか。まあ批判するだけなら、誰にもできるだろう。それから先が問題だ。「先進国で、日本は貧困層が多く、一番貧しいのではないか」、と小沢氏が言っていたが、その認識がないくらい日本人は、無自覚なのだろうか。それを目を剥いて反論していた塩崎氏の見識が寧ろ空虚だろう。それをちゃんと批判できる識見があるだろうか。ひとを評価するのは、自分ではない。如何に客観的に自分を評価できるかでもあるだろう。それは、国家も同じだ。自国をどれだけ自画自賛しようと、世界がどう評価しているかだ。国民の代表たる日本政府が、なにものであるかだろう。
2022.02.28
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大雪山黒岩ロープウエイ。「知らぬが仏」で生きているけれど、明日のことは何も知らずにいる。後ろの死神がいるかも知れない。それでも勝手に、能天気ではないだろうか。クールに見えても、少し・・・らしい生活をしていようと、中身はお粗末なのではないか。文化は低いのではないだろうか。自己満足ばかりしているアホな日本人ではないだろうか。何もできない証明ばかりしている、日本政府ではないだろうか?世界から軽蔑されるようなことばかりしているではないか。まあ批判するだけなら、誰にもできるだろう。それから先が問題だ。「先進国で、日本は貧困層が多く、一番貧しいのではないか」、と小沢氏が言っていたが、その認識がないくらい日本人は、無自覚なのだろうか。それを目を剥いて反論していた塩崎氏の見識が寧ろ空虚だろう。それをちゃんと批判できる識見があるだろうか。ひとを評価するのは、自分ではない。如何に客観的に自分を評価できるかでもあるだろう。それは、国家も同じだ。自国をどれだけ自画自賛しようと、世界がどう評価しているかだ。国民の代表たる日本政府が、なにものであるかだろう。
2022.02.28
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アンテロープキャニオン。冬になると薄日になる。部屋の中もそんな風でいつもライト点けたりしている。それでも太陽の明るさには敵わない。つい被写体が明るい色に目が行ってもしまう。何か知らずに明るい、生き生きしたものをキョロキョロ探している。余り目立たないようにしているつもりでいるが、段々年を取るとそれが遠慮がなくなっても来るかも知れない。つい見てしまうのではなかろうか。朝の散歩で通学や通勤途中の人たちとも擦れ違うことがあるが、実は、それも愉しい。 ・人の表情というのは心理学者ではないが、興味がある。男と女ではどこか違っている。これも脳の所以だろう。見ているが見ていない目、見て一瞬で分かる目、考えている目、冷めた目、生きるのが楽しい目があったり、無かったりもする。そして相手の目の中に私もいる。余り明るい目をした子どもたちがいないのではないだろうか。昔のように、・・・ではない感じもする。それは私がそう感じているだけかも知れないが。 ・へ2・・・大人たちとの付き合いをしていない最近があるかも知れない。筋肉を取り戻そうとしているが、それがまだまだだ。このままではゴールまでプロセスで終わるかも知れない。何のために遣るのだろうか。手段が目的になってしまうだろうか。寒い朝も子どもたちは通学している。楽しいのだろうか?どんな教育を受け、親たちはどういう子育てをしているのだろうか?関心がないわけではない。彼らが将来を担っている。
2022.02.28
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グルーデイング・ロッジ私は、神社や寺社に行くと、ある不思議なものを感じる時がある。それは、宗教心ではない感情であることは確かだ。それが広大な敷地を有していようと、田舎の普通の家屋と変わらない鎮守であろうと、それは祖先がある想いを持って造り上げたものであり、ある時の流れの中で朽ちていくさまを見ている自分の目は、それはまた繰り返される人間の視覚のそれでしかなく、自然へと還る一つの過程を見ているに過ぎない。 ・それは自分たちの墓を見ているのではないだろうか。そして語りかけてくるものを見ることができないだけではないだろうか。異次元の世界があり、すれ違っても分からない人間たちがいるのではないだろうか。それは幻想でしかなく、すぐ忘却の彼方に消えていくに違いない。 ・へ2・・・ひとは錯覚する存在であるらしい。然しその錯覚の中に未来もあるのではなかろうか? だから面白い。生きていてそれだけでそのまま腐るものでもあるまい。
2022.02.28
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「常に投げる」と盲目の選手「パラリンピック・女の戦い」の女性は話していた。どんなときも練習している。休まず続ける。ただ続けるという。そうしたら何かが見えるかも知れない。これまでできないことが何かできるようになるかもしれない。結果ではない。盲目でありボールは見えないのだ。そのボールの中に仕込まれた鈴の音だけで瞬時に反応するというスポーツだ。これまでの利き手の右腕が使えなくなり、これから左腕を鍛えて投げるという。 ・他人の目に盲目の自分を晒すという勇気がある。逃げ隠れしないことこそ自分の存在を示すのだ。私たちは、みんなが同じ美人でも秀才でもない、それこそただの人であってそれ以上でもそれ以下でもないだろう。そういうひとがスポーツをしてどこが悪いだろうか。体を動かすことは、それこそ人間の人間としての本来の姿ではないだろうか。たとえ盲目だろうと足があれば歩きたいはずだ。常に歩けばいいし、投げればいい。それができなければ違うことを考えるだろう。やりたいことをやらすべきだろ思う。 ・へ2・・・私も常に書きたいから、書いている。朝だろうと、真夜中だろうと、おもいついた時書いている。それがだめならやめるだけだ。何があるか分からない。何か見つかるかも知れないし無駄かも知れない。常に投げるという、という言葉に共感を覚えた。
2022.02.28
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ネガティブ・マインドになることは難しいことではない。降っても来るし湧いても来る。じっとしていたら到る所に転がってもいる。自分の人生を肯定することは、この時代では困難であり複雑だ。自分の肉体的な衰えや、精神的意欲の低下で社会的存在が疎外されがちでもある。勿論個人差があるにしても。 ・事実を直視することは時には苦痛をともなってもいる。それを避けてばかりいたら、何れは手痛い打撃を伴うものになるだろう。いつまでも若くはないということだろうか。それを受容するまでには時間がかかるものだ。其れを自分のステージで体験することになる。 ・へ2・・・自分で、自分の人生をどう生きるのか決めるべきだろう。それができるかどうかは、一概には言えない。できない人もいるかも知れないからだ。その理由はいくつもある。只、自分のことを自分で評価することは出来る。それは自分の中にそれだけの知力があるだろう。他人が何と言おうと、自分を見る目を持っている。ハイだけではいられないだけだ。
2022.02.28
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グランドキャニオン。喩え逆境といえども、苦悩を続けているとしても、何かに夢中に打ち込んでいれば苦痛とは思わないのではないか。真剣さとはそういうことではないか。下手に弛んだ時、悲哀を覚えるのだろう。所詮個人としての自分は、何ものでもない。徒の微力、非力の輩に過ぎない。 只一匹のハエのように狭い空間を、与えられた時間をせっせと自分の子孫を残そうとしているだけだろう。こっちから見るか、反対側から見るかによって物事は逆転して見えるだけだ。 宗教は、内に向かう人々ではないか。或いは外に向かって、万里の長城を築こうとしている人々ではないだろうか。もしそうだとすれば、この地球を分割しなければならなくなる。 私たちに何ができて、何ができないか? 不可能が何か、困難とは何なのだろうか? 不可能はいつまで経っても為しえないことであり、困難なことは努力次第で為しえるだろう。人は、困難を克服する為に努力しなければならない。常に、その見極めをすべきだ。 やがて夢は覚めねばならない。ひとはいつかその時がくる。自分が遣ってきたものが何かを知らねばならない。それは、個人のなしえることは、すべて果敢ない一事でしかない。短い夢か、長い夢かの違いでしかないだけだ。 それは、「一炊の夢」に過ぎないだろうか。・・・かも知れないし、そうでないかも知れない。東洋人も西欧人もその他の人びとも同じ遺伝子を持った種としてのヒトであって、遣っている来たことも、遣っていることも同じだろう。ただそれぞれが利己的に見えるだけだろう。 私の中の多忙は、自分を夢中にさせただけに過ぎないし生半可であれば自身の蒙眛に終わる。
2022.02.27
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コーラルピンクサンドデュ―ンズ州立公園。「貧困日ましにせまりて、いまは何方より金かり出すべき道なし」と一葉は日記に書いている。1896年11月、24歳の若さで死去した。その貧しさの質が今とは違うのかも知れない。そうして才能が散って行ったが、一葉の貧困のどん底が、古めかしさや、まずい小説しか書けなかった彼女を追い込み、リアルの世界に目覚めさせたのだろう。一葉と、清張の目の鋭さは日本の作家たちの怠惰を打ち破り、新境地を拓いたのだろう。 ・多寡が知れたもので芸術家気取りに辟易してきたが、それもこれも、発掘の努力さえしないで、「斜陽」に明け暮れている日本の文化人や、その取り巻きの行く先は知れている。自分たちの視野の範囲でしか考えようとはしない知識で、普遍性など生まれる筈もなく、セピアに色褪せたものに郷愁を感じているようで破先はない。胸を食い破って生まれてくるものが新たな時代を形成していくまでは、怠惰な澱みが続くのだろう。水面に映る空しか見ようとはしなかった日本人たちがいたのだ。 ・へ2・・・そして、今も変わらずその小さな池を自分の世界だと信じている連中が、戦艦を浮かべようとでもいうのだろうか。青空は上にある。上さえ見ようとはしない。それだけで一生を終わればいいだろう。それが一生だと思うものは所詮囚われたものでしかないだろう。「近代名作紀行」なんと、愛らしい紀行だろうか。しかも小便の臭いがする。
2022.02.27
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レイクパウエル。誰から聞いたのだろうか。達磨の話だろうか。(壁に向かって9年坐禅を続けたとされているが、これは彼の壁観を誤解してできた伝説である)。それは禅師の話だが、3年と言っても、私の楽天ブログの3年でしかない。来月3月中旬で13年になる。余り振り返って見ているわけではないが、どうも自分が、自分が、多過ぎる気がしている。別に私小説ではない。太宰の作品にも自分が、自分が、多い作品がよく出てくるのは自意識過剰なのだろう。まあブログというのは自分を中心に物事が回りがちなのかも知れない。自己満足だろう。 ・余り無責任になっても恥をかくばかりでもある。いいことはない。得る者は少ないが、失うものが多ければ、逆に得るものもあるかも知れない。威張るよりも反省する方が身のためだろうか。迷うことがあれば、迷えばいいのだろう。それは自覚があるからである。寧ろその自覚のない時の方が、泥沼にいるのかも知れない。消極的になれば、病気もするし、重くもなる。兎角この世は面白いでいい。そして、そうこうするうちに3年経過してしまった。あまり得たものはない。失ったものは多いかも知れない。それでも、続けられたというのは生きていたことでもある。ハワイから、いくつか外国にも行き、学ぶこともあったし、それなりに楽しむことができたと思っている。これも自己満足なのだろう。 ・へ2・・・これまでの3年があったが、未だこれからの時間がある。まだ走れると思っている。無駄かも知れないが、もう少し歩いてみてどこかの高見から未来が見たい。ふと、ミミズの移動を思い出した。眼の見えないがミミズが、太陽の光を感じて移動しているイメージだ。それでもいい。時間は優しい時を刻んでもいるだろう。
2022.02.27
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占領軍は、理想主義的な自由の仮面をかなぐり捨てて、プレスコードと検閲で、新聞を直接支配した。プレスコードは、45年9月21日発令された。占領軍の批判禁止である。日本の過去の戦争を正当化すること、日本を神国だという記事は勿論不許可となった。「マ検」と言う。戦時と平時は、違うが、「仮面」は仮面でしかない。都合の良い使い分けがされるのは、今も変わらない。検閲制度が廃止されたのは、昭和23年(48年)。日本国憲法の草案を占領軍が作成したので、「おしきせ」憲法と、陰口をいうひとがいる。超法規的な権力が日本を支配していた。やがて、冷戦でまたアメリカは「自由の仮面」を何度も捨てている。世界大戦ではないが、局地的な戦争は絶えることがない。国益の衝突は、時に政治的な危機にもなりかねない。複雑な国際情勢にあって、「タフな外交交渉」が要請されている。現在も或る意味どこの国にも「プレスコード」があり、「自由の仮面」にはひとびとは翻弄されている。いくつのバリアーを破るのは、高い識見がいるだろう。強かに生き残るものが真実を知るとは限らないが、やがて、真実は歴史の前に明らかになり、過去の亡霊に惑わされずに学べる時がくるだろう。
2022.02.27
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モニュメントバレー。がん告知をされた人たちがグループ療法で、免疫力を高めている話があった。人が免疫力を高めるというのは重要な要素であろう。好きなものを見るとか、喜びを感じると元気になることでもその価値が判る。心は持ちようである。妻の従姉が、孫の顔が見たいと思う気持ちが医者の予想を覆してその夢を叶えることができたのも、強い意志が免疫力を高めたのではないだろうか。孤立して孤独になり、まだ充分その体力があると思える人も絶望で生きる力を失うこともある。人間の免疫力は疎かにできるものではない。寧ろ免疫こそ私たちの身体を生成する形質であり生命を守っているのだろう。 ・グループ療法が医療行為に見られないということで問題になっているらしい。医師が病気を全部治しているというのだろうか。アメリカの高名な医者が、患者が治るのは殆ど医者の能力による医療行為ではないといった。一番大きいのは人間が本来持っている本人の治癒力だという。それは免疫力ではないだろうか。その力はどこから生まれるのか。それは容ではない。強い精神であり、強い意志ではないだろうか。生きるとことへの執着ではないだろうか。何かをやり抜くことではないだろうか。それが免疫力を高めるのではないだろうか。心と体は一体なのだ。即ち不屈の精神力を高めることだ。 ・へ2・・・健康でなければハードな仕事も難しくなる。むしろ健康でなければエリートにはなれないのが常識でもある。医学部の学生が、しごかれているのを見たが、まるで奴隷小屋だった。世間からは羨ましがられているが実態は違う。大学は、平等に学べると思ったが、これも勘違いだった。むしろ思考停止させられる羊たちの沈黙でしかない。お前はつまらない才能しかないと。強制収容所でしかない。母が若くして死んだが、これも人生の悲哀を知った。
2022.02.27
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インターラーケン散策。人間は考える葦だと学んだ。風にそよぐ葦でもある。ひとは生まれながらに完全ではない。むしろ作られて行くのだろう。イギリス人は、その環境に育って、英国人になるし、紳士もいれば泥棒もいる。下司な人間もいるだけだ。白人も見た目とは大いに違う。中国語では、アメリカは美国と書くらしい。よほど勘違いした人たちがいたのだろう。 ・私たちの世界観も、人生観も、自分で考えているのではなく、他人が考えたものをコピーしているだけでしかない。観念もその時々で変化もする。いつまでも過去にこだわっていると、前に進めなくもなる。反省するのはいいが、そればかりしているとネガティブ・マインドになってしまう。アメリカは日本を占領して、自分のものにしたと思っている。だから既得権益を簡単には手放さないのだ。莫迦な政治家たちがいて、世間を惑わせている。 ・へ2・・・私たちは、生まれてから松の木のように、テンに向かって伸びて行こうとするが、海からの強風で幹ごと曲がってくる。海岸の松の防風林は不思議な形をしている。風雨にさらされると根性も曲がってくる。今の公務員たちも公僕ではない。ただのサラリーマンだ。自衛隊員たちもガードマンでしかないだろう。精神は、どこにもありはしないのだ。歴史は皮肉なものだ。世界はカオスに向かっている。
2022.02.27
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ちゃんとした原因や理屈もあるのが普通であるが、そうでないものもある。なぜ期待は裏切られることが多いのだろうか、大統領が、エゴイストだったりするが、それを隠しているが、盲信する人たちもいるのだ。嘘が本当のように思えるだろう。選挙の時の顔と、そうでないときの顔の違う政権が今もある。それが当然だというのだろうか。 ・堺屋太一さんが亡くなった。見識のある人が少なくなっている。いまだに総理大臣というのもないが、亡霊はまだいくつもある。屁理屈ばかり罷り通ってもいる。外国からの観光客が増えていると喜んでばかりはいられない。外国からの労働者も、果たして政府の言うとおりになるとは限らない。淘汰されるのは日本人ではないだろうか。 ・へ2・・・あまりに多くの情報があり、検証もできないまま現実は先に行ってしまうが、そのつけは何時か国民に回ってくる。国家の破綻もある。後悔して遅い。娘が札幌に行っているが、大雪はどうだったのだろうか。雪まつりに行っているらしい。妻は昨日の宝塚ショー宙組のトップが熊本の出身だったそうで感激していた。くだらないことばかりあるが、まあ、戦争よりましだろう。
2022.02.27
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ノイシュバンシュタイン城。2.26事件は、軍国主義への大きなターニングポイントでもある。青年将校たちに責任を押し付けて軍部の上層部は、国家権力を支配していった。プーチン大統領の今回のウクライナ侵攻も、今後のロシアの未来を占うのだろう。日本政府には、的確な情報網がない。他国の後を追うだけだ。米中の対立は、ロシアの決断を促したのだろう。ウクライナの人民が喪うものがあまりにも重いのではないだろうか。日本人には「普遍性への確信」が欠如しているという或る評論家の話に、常日頃考えていた核心があるかも知れないと思った。確かに欧米人には「普遍性の確信」に近い差別意識がある。それが衣の下から垣間見られることが何度もあった。当たり障りのないことをいっているが、それは外交辞令でしかない。表と裏の使い分けが上手いのは、子供のころから宗教というスキルを受けているからでもある。 ・いざという時の、彼らの「普遍性」はどこにあるか、そしてその「確信」は長い年月によって凝り固まったものになっている。それは彼らの思考に張り付いた強固な潜在意識にもなっているのだ。それによって、原爆のスイッチも押すことができるだろうし、これからの核戦争のスイッチも押すだろう。この厄介な確信は、そう簡単には払拭できそうにないものだ。それは本当に「普遍性」なのだろうか。欧米人の、欧米人による、欧米人のための「普遍性への確信」でしかない。それが世界の「普遍性」ではないことは明らかだ。それをグロバール化しようとしているに過ぎない。インターナショナリゼーションではない。 ・へ2・・・日本人の「普遍性への確信」の無さが、混乱している。それは欠如であり、欠落に近い。日本人のナショナル・コンセンサスとは、アンシャン・レジュームへの回帰ではない筈だ。何によって「普遍性」を手に入れることができるだろうか。そう容易く手にいるものでもあるまい。「普遍性」も「確信」も日本人の最も苦手なエリアでもある。逃げ回っているだけでは、近寄れもしないだろう。それだけは言えそうだ。ドミノ倒しが始まるのだろうか。文明の衝突もある。パンデミックで、国際社会が如何に脆弱な社会構造であるかを露呈したが、核戦争でもあればさらに悲劇は膨大なものになりかねない。安全地帯はない。日本人には「普遍性への確信」が欠如しているという或る評論家の話に、常日頃考えていた核心があるかも知れないと思った。確かに欧米人には「普遍性の確信」に近い差別意識がある。それが衣の下から垣間見られることが何度もあった。当たり障りのないことをいっているが、それは外交辞令でしかない。表と裏の使い分けが上手いのは、子供のころから宗教というスキルを受けているからでもある。 ・いざという時の、彼らの「普遍性」はどこにあるか、そしてその「確信」は長い年月によって凝り固まったものになっている。それは彼らの思考に張り付いた強固な潜在意識にもなっているのだ。それによって、原爆のスイッチも押すことができるだろうし、これからの核戦争のスイッチも押すだろう。この厄介な確信は、そう簡単には払拭できそうにないものだ。それは本当に「普遍性」なのだろうか。欧米人の、欧米人による、欧米人のための「普遍性への確信」でしかない。それが世界の「普遍性」ではないことは明らかだ。それをグロバール化しようとしているに過ぎない。インターナショナリゼーションではない。 ・へ2・・・日本人の「普遍性への確信」の無さが、混乱している。それは欠如であり、欠落に近い。日本人のナショナル・コンセンサスとは、アンシャン・レジュームへの回帰ではない筈だ。何によって「普遍性」を手に入れることができるだろうか。そう容易く手にいるものでもあるまい。「普遍性」も「確信」も日本人の最も苦手なエリアでもある。逃げ回っているだけでは、近寄れもしないだろう。それだけは言えそうだ。
2022.02.27
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ノイシュバンシュタイン城。なにごともそれほど急ぐことはない。まだ終わろうとしているのではない。それでも漱石は「明暗」を書き終わることができなかった。計算間違いだろうか。もっと生きているつもりだったのだろう。最後に最長の小説を書こうとしたらしい。あまりゆっくりしていると自分の計画通りには行かなくなる。然し、それは漱石ばかりではない。人間はみなそうかも知れない。明日自分が死ぬことを知っていた人は中々いないのではないだろうか。それを感じだとしても他人には伝えられないのかも知れないが。慌てるからしくじるし、余計なことをしてしまう。それでもゆっくりしていると時間がなくなってもしまう。コツコツ何かをしている時が愉しいという自覚があるだろうか。それはやりたいことをしているからだろうし、それが目的をかなえるからだろう。 ・ウオーキングをしていて思うのは、子供たちや少年たちが軽々と歩いていることだ。何と素晴らしいだろうかと惚れ惚れする。赤ん坊が<あんよ>をしているのもほのぼのする。種としてのヒトが手に入れた二足歩行は、多くの恵みをヒトに与えた。その恩恵を私たちは日ごろ味わい楽しんでもいる。這い這いから立ち上がり、そして杖に頼るようにもなるだろう。人間の姿は、容にすれば、4-2-3 だとスフィンクスはいう。人は自分たちを偉大な生物だというが、そうだろうか? ・へ2・・・ゆっくりしすぎたり、急ぎ過ぎて間違いばかりしてはいないだろうか。思えば反対のことばかりして時間の無駄遣いばかりしている。地球上だけでなく、宇宙空間までゴミをばら撒いている。自分たちの生きるスペースを汚している。おごりがすべてを台無しにするのではなかろうか。
2022.02.27
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天皇機関説の美濃部達吉は、「一身上の弁明」を貴族議員本会議で、攻撃した菊池武夫男爵に反論した。そういう論争があることさえ一般の人は知らなかった時代であることだ。菊池は「我国で憲法上、統治の主体が国家にあると言ふことを断然攻撃するような学者著者と言ふものが、一体司法上から許されるべきものでございませうか、是は緩慢なる謀叛となり、明らかなる反逆になるのです」と、激しく攻撃したからである。美濃部は国会の場で、二時間に亘り、「一身上の弁明」と称して、憲法学者として堂々と反論した。 現在では、この時代との考えの相違が明白であるが、美濃部教授が貴族院議員であり東大法学部教授という立場にあったということは無視できない。それだけの社会的立場が確立されていたからだ。滝川事件といい、「大学の自治」や「学問の自由」が問われた事件として美濃部を支持する人たちもいたからだ。蓑田胸喜などの右翼の一連の美濃部攻撃のキャンペーンのひとつであった。大学の良識と権威を失墜させるための謀略の一環でもあった。 そして、日本は、次第に軍国主義に支配されていくのだ。これは、美濃部という個人に対して向けられた第一ラウンドであった。大学が、権力にねじ伏せられることを意味している。論理ではなく、政治的争いとなり、美濃部は敗北するのだ。そして大学は暗黒の時代に突入した。 学者たちは、沈黙してゆく。そして、日本は「大学の自治」と「学問の自由」を奪われて良識は破滅的な時代に向かうのだ。 言うまでもなく日本は、第二次世界大戦において「世界の孤児」となった。そして、現在「大学の自治」や「学問の自由」はその役割を充分果しているだろうか。油断はできない。
2022.02.27
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ノイシュバンシュタイン城。テレビで囲碁観戦。偶々チャンネルを廻して見つけた。以前はよく見ていたものだが見なくなったら全く見なくなった。将棋や囲碁は親父の手解きを受けた。詰将棋で多少強くなったが、囲碁は習った父が弱かったので、まあかなり弱い方だ。伯父が田舎初段で、父が伯父とよく対戦しているのを傍で見ていた。三目置いて父は伯父に勝てなかったようだ。その父に私はまた置き石はしなくて済むようになったが、中々勝てなかったくらいだ。それでもちゃんと父の碁盤が残っている筈だ。最近見ていない。 ・将棋は、詰将棋の本を読んで多少強くなった。それでも父と対戦して優勢になったくらいだっただろう。高校の時、将棋で生徒を相手に偉そうにしている教師がいたが、その人に私が、簡単に勝ってしまったので、それ以後教師は将棋をしなくなってしまった。メンツがないと思ったのだろう。余計なことをしたと後悔した。PCでしばらくソフトを買って楽しんでいたが、すぐに飽きた。 ・へ2・・・勝負に凝る方ではないが、戦略を考えるのは嫌いではない。頭の中で、よく城攻めの方法を考えるのが好きだった。簡単に勝負が決まる囲碁も将棋も、一手間違うと取り返しが効かないことを学んだ気がする。それでも、違う手を考える時間が余りないのがゲームとしてのルールだろうが、多少心理的な苦痛にもなって嫌になった。勝ちにこだわったのだろうか。自分ではそう思ってはいなかったが。結果ばかりでも面白くない。プロセスが分かるのが面白いゲームだろう。ゆっくり楽しむ相手がいなくなってしまった。
2022.02.26
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ローテンブルク。太宰と芥川も同じではないが、二人は同じように<人間>に目が向いており、モノや小動物ではない。処が梶井は違う。ひとだけではない。寧ろ人間以外であり、自然や小動物だったりする。それは彼は科学者の目をもっていたからだろうか。人も自然の一部でしかないからだろうか。少なくとも観察者も視点がある。数理的な分析が時代背景はあるとしても梶井にはあったのだろう。ただ昭和も初期のころである。その後科学は急速に進化したのだ。 ・太宰や芥川と、違う視点で梶井がいる。同じではない視点がある。個々人の目指しているものが一様ではない。一人一人の視点は違っている。同じ日本人でも、同じ親子でも全く違う人間だったりもする。堀辰雄に書くことのできないような小動物の「交尾」の話が、梶井は平気で書いている。或る人にはできないようなことが、別の人には意に解されない。<檸檬>にさえ、梶井は連想を逞しくして<檸檬爆弾>に飛躍もするのだ。彼の深い洞察力は病的であるが、鋭い観察でもある。 ・へ2・・・天才を活かすことは難しいことだ。然し天才からもたらされる驚嘆は、人間の進化のエネルギーにもなるのではないだろうか。天才は必要だ。天才がいなければならない。そういう社会環境がなければならない。天才と凡才がともに生きていなければこの社会の進化は停滞してしまうのではなかろうか。この危険な天才の存在は、社会の理解があってこそ芽を出すことができるだろう。
2022.02.26
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ローテンブルク。近代戦争は国家と国家との総力戦と言われる。すべての人・もの・カネ・そして情報が活用される。綺麗ごとで済まない。欧米で目立つのは、その表と裏の使い分けに年季が入っていると言えそうだ。その点日本はどうか?第二次世界大戦の時には政府や軍部は都合の悪いことを国民に隠してさえいた。総力戦どころではない。事実さえ知らないで戦える筈もない。負けるべくして負けたのだろう。インテリジェンスさえなかったのだろう。 ・総力戦とは何だろうか。文化も入る。世界での評判もある。どんな人間がどういう生活をしているか、世界に周知しておく必要もある。そのためのカネを惜しんではならない。それと個人力でもあると思う。個人が総力を出すとはどういうことを指すだろうか。個人が最大限の力を発揮させることができることが、最終的には国家のベースになる。個人としてどこまでの総力を出す準備ができているだろうか。 ・へ2・・・どうも個人としての総力を出すというスキルに欠けているのではないだろうか。自分の限界をどこまで把握しているだろうか。どうも私も自信がない。どこまで歩けるのだろうか。忍耐力がどこまであるか。これ以上は無理だということを、テストしているだろうか。日常的な経験として知っておく必要があるのではないか。学力だけが問題ではない。個人の総力とは何だろうか。他人から好かれるというのも能力であろう。部分的な知識をもってその人の能力と看做すのは間違いだろう。その人の総合力が問題だ。其れを知らなければならない。
2022.02.26
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ユングフラウ登山。セッションの目的は、クランケとしてどのような感情が生じ、生活にどのような影響を及ぼすかを認識しながら、ことばとしてどう表現するかだ。病気とともにあるとは何か。その気持ちをことばとして表現することができるだろうか。個人としての心理的適応と家族とのかかわりや、社会的環境とはそもどこまで個人的支援をしているのか。自己紹介しながら、自分の感情を認め、人生を肯定できるようになるだろうか。最後に「インテグレーション」しうるだろうか。どうやら、抽象的なコンセプトが支配している日本では、患者としての視点は脆弱である。医師たちが、その傲慢さを捨てるだけでは足りない。病人が病因と向き合い、自分の感情と環境を認識して、化学的反応としての機序を理解することでもある。それは、正しいメディカル・ステージを知り且つ生きることを学ぶことであり、自分の人生を肯定することだと思う。そして、自分らしく死ぬことができるだろうか。願わくば、自分の脳がとどく未来への憧れである。21世紀を僅かに過ぎたいま、世界は混迷し、「無知と貧困」が罷り通り、個人の人間の尊厳は守られてはいない。権利は、どこまでも低く、義務だけが先行している中で、環境は悪化の兆しさえ見せている。弱いものがただ切り捨てられるだけでは、社会は偏頗となり、個人としての病人はあらゆる面で疲弊するだろう。そこにあらゆる未来はない。
2022.02.26
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ジュネーブ駅。何でも商品にする時代であり、もうかる商売を企業は探し続けている。スポーツも例外ではない。アマチュアスポーツが次々にプロ化した。そしてアマチュア精神も衰退してしまった。オリンピックへの関心も変化している。マラソンでさえペースメーカーがいるし、賞金も出る。メダルでカネが賞金として付いてさえいる。カネを目当てにして上手くなろうとしている選手さえいるようになった。コーチや監督も商品を作る職人でしかない人さえいる。マスメディアもスポンサーのために働いている。 ・スポーツに憧れるというのはアマチュア精神のためではなくなっている。スポーツはゲームになっており、熱を上げているのは、スポーツ精神とは関わりがない。ただのゲームの勝ち負けの話でしかない。スポーツは商品であり、選手も部品でしかない。鍛練や研鑽によってひとの精神の美ではなくなった。単なる肉体の美でしかない。優秀さは性能でしかない。 ・へ2・・・人間への精神や肉体の鍛練による驚異に対する純粋な感動がなくなってきているのではないか、その延長にあったスポーツが商品化し萎れている。本来人間のもつ優秀な肉体の感動がなくなりつつある。スポーツはそのためにあった筈だが・・・。人間は何でも汚してしまうのが好きなのだろうか?
2022.02.26
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自分を知りたいと思うとき、周辺の環境がどうなっているのか知ろうとする。それは他の動物も常に自分が安全かどうか、確認しようとするのと同じだ。植物も何らかの能力を持っていて、自分の存在を確認しているに違いない。そういう意味で、動物は、広く自分の世界を知ることができるのだろう。ただ自覚するという面で種としてのヒトは、更に広い知識を手に入れている。 ・そしてより正確な視野を持つためには、精度の高い情報を得なければならないが、その情報が歪曲されがちでもある。知らせたくないという権力が働くからでもある。故にシンプルではない社会だというのだろう。そういえば複雑であるのに、「シンプル・ライフ」というのもいかにもアイロニカルなキャッチフレーズであるだろうか。時々、こういうとぼけたものが出てくる。それは、いささか、屈折したものでもあるだろう。 ・へ2・・・どうやら、裏取引のある社会であって、仕組まれた世界の中で暮らしているのが人間社会でもあるようだ。ただシンプルではない。人間の存在自体が複雑系であり、シンプルではありえないのだろう。隣人を愛するだけでは生きていけない環境になってしまった。それは、人間社会が競争原理という世界を形成し、近代文明を発展させてもきたのであり、少なくともそれを止めることができないでいる。何かと闘い続けねばならないらしい。しかし、物事を明らかにするには明解でなければならない。そして「無知と貧困」がベースとなっている世界が存在し、その現実を背にするか、前面に据えるのか常に試されてもいる。私たちは、Aは非Aではない。を問い続けている。
2022.02.26
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自分らしい生き方探しとは、価値観とか、生甲斐とか、要するに個人的なことに過ぎないのだろうか。もっと生き生きしたいとか、自分の能力をどうとか、何のために生きているか考えるとか、生きる充実感とか、これから自分のために生きて行きたいとか、要するに国家にとってどうでもいい個人的な問題でしかない。 人生の終わりに、「ああ、生きていてよかった」と思えたとして、それが何だろうか。自己完結がすべてではないのだ。そんなことを国家は、真面目に庶民を相手に説得しているのだから、ひとを食った話だ。どうやら引導を渡したくて仕方がないらしい。「参りました」といって欲しいのだろう。そうは問屋が卸さない。 御用学者の「内なるコンパス」などあるはずもなく、自分だけの平安が何だろうか。問題を矮小化したがるのは、自分の仕事を楽にしたいだけの役人たちの陰謀でしかない。自分たちは楽して苦労せずに気楽に生きていこうとしている。 何かの始まりは、何かの終わりでしかなく、しかもその先に何があるかだろう。次々にあらたな問題が発生している。新しい手立てのないものは行き詰るだろう。明日に向かうのに昨日と同じ道を行くことはできない。
2022.02.26
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大雪山黒岩ロープウエイ。・バックグランドのない意見は軽視されるか、無視されるだろう。ライスは、自分自身の限界について語っているソビエトについては専門家として広範な洞察を与えられたが、他の地域の政治史についてはほとんどバックグラウンドがなかった、アジアやアフリカ、ラテンアメリカその他のヨーロッパ以外の国々についてははっきり把握していなかった。 ・へ2・・・かってブッシュは諸外国の首脳の名前を知らないとやり玉にあがったときコンディは、こうした攻撃を「空論のもてあそび」に過ぎないと一蹴した。歴代大統領も助言者や専門家チームに頼ってきたと主張した。そして「私はヨーロッパを専門として来ましたので、他の地域について、速習しなければなりません」と語っている。 ・私たちはどれだけ真実を正しく把握しているだろうか。あらゆることは先入観でしかないないのではないかとさえ思えてくる。それとバックグラウンドを持っているかだろうね。それをどれだけ準備できるかでもある。ライスのソビエト以外の地域に対するバックグラウンドも「速習」でしかないとすればどれだけのものだろうか。それも易々と手に入れただろうか。 ・へ2・・・そして助言者や専門家チームのサポートなしには政治的な判断ができないくらいの国家の指導者というのが、どこの国でも同じとすれば、それだけの組織を持っていない政府とは、どれだけの正しい政治を実施できるのだろうか。
2022.02.26
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人間に残された選択は、地球環境を元に戻すか、人間を環境に適合するように変えるか、だろう。少なくとも、蓋然性からいえば、後者しかないだろう。これまでも、そうして来たように、自らを変えていく時代になろうとしているだろう。 人間の部品を入れ替える作業が始まろうとしているだろうか。人類は、ただ身体を巨大化して競争に勝とうとして来た時代が終わろうとしている。余計な消費をする巨大化は必要ないだけでなく邪魔になるだろう。 世の中は、皮肉な展開をするものだ。ゆっくりと生きていられる時間は、ないか、あるかなしかでしかない。恋愛をしたくても相手はいつもいないのだ。若い時の夢を見続けてもいる。そして、それは、報われることがない。ストラットフォード・アポン・エイボンに来週行くことにしているが、シェークスピアは、400年前に生きてひとだが、謎の人でもあるらしい。40近い作品が、よくも生き残ったものだ。漱石は、ロンドン留学して、その準拠枠を広げたが、急死した。そしてシェークスピアも寿命は52歳だったらしい。
2022.02.26
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ローテンブルク。ヘーゲルは、現実の矛盾について、「すべて世界を動かすものは矛盾である」という。論理の諸概念は、カテゴリーや、抽象と具体や、対立と矛盾であり、アリストテレス、カント、ヘーゲルによって理論の展開がされた。「この色はみどりである」は概念の対象になりうる。普遍、特殊、個は、色という謂わば単純なものについて成立するだけでなく、すべての物、構造、事態についても同じ。やがて、ほんらい個人の内部の矛盾であったものが、敵対的矛盾まで転化するのであろうか。或いは、敵対的矛盾が支配的でなかった状態から、顕在化するのであろうか。古典的哲学から、現代哲学への機序は、個人にとって隘路であり、まだ昏迷を続けている。
2022.02.26
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ローテンブルク。プーチン大統領のロシア軍が、ウクライナに侵攻しているが、欧米をはじめ西側には、それを止めさせるだけのパワーがないらしい。前トランプ大統領由来のアメリカの威信の低下があり、バイデン大統領には、プーチンと張り合うだけの気力もない。東西には、バランス・オブ・パワーの変化があるだろうか。NATOの限界もある。ウクライナが、ロシアに戻ることがあれば、今度は、中国が動くだろう。平和の時代は、夢幻になりかねない。・ふつう生物は、主観的昼夜を環境の昼夜に同調させている。 ・人間の場合は、環境とのあいだに社会的時間割りと意志が働く。・研究の趨勢は、根底にある生物時計の実体解明に向かう。 ・生活リズムの基本的性質が、多くの生物のあいだで共通し、比較ができること。・昼夜の時間的枠組みが、物の考え方に大きな影響を与えていること。 ・食事・性・物音・時間的夜と空間的夜の関係。・眠りは、決まった場所で取る習性があり、安全な場所であること。 ・用心棒としての家畜の存在。蚊と野獣への守り。・火の存在の影響。 ・からだの中にも夜と昼の自転があること。 からだの中の夜と昼の整理ができていないと、どこに向かうか分からなくなるのだろう。一番分かっていないのは、自分の意識ではないだろうか。どんなにからだが健康でも、精神が病んでいてはコントロールが効かなくなる。自分の脳幹が寿命を司っていることを忘れてはならない。(引用;千葉「からだの中の夜と昼」より)
2022.02.26
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大雪山黒岩ロープウエイ。それこそ、食べることに関心がないというのは、生きていることも何とも思っていないのだろう。自己否定してるようなものだが、それを自覚していないらしい。食べるものさえなかった祖先たちが私たちの体を創ってきた。それが、どうだ、周囲に食うものが溢れてきたら、生きる意味も忘れている。けちな人間ばかりになっている。そして、自分が飢えなければ、他人のことはどうでもいいと同情のなさが蔓延っている。昔は、自分も餓えていたから、よく助け合った。ひもじい思いをしている子がいると、他人の子でも、自分の食い物を分けてやったものだ。ひもじさを知っていたからだろう。 ・ものが足りて、さらに欲望ばかりが増長し、人間が下品になった。学のある奴が自分のことしか考えなくなっている。学があるほど品がなくなってしまった。物を大切にしない心が、人間さえ大事にしなくなり、親や、子や、周囲の人たちにさえ心を向けなくなり、渇いている。それこそ、絶望へのスパイラルのスイッチが入った人たちであふれている。すべては食への関心が弱まったことから始まっているのではないだろうか。いつも冷蔵庫に仕舞い込んでいるという傲慢な習慣が、自分のこころを怠慢へ誘っている。何という奢りだろうか。 ・へ2・・・「奢れる平家」を自分の心の中に蔵しているのではないか。食べることの意味を忘れている。日本の食の自給率は先進国で最低である。そうしたのは何故だろうか。利益優先で日本人は今の豊かさのために未来を売ったのではないだろうか。日本人の未来に待つものは、絶望と悲惨ではないだろうか。今日の農業の衰退は、日本の未来を閉ざすことになるだろう。エゴイズムの台頭はそれを予感させる。ひとは食って生きるのだ。
2022.02.26
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秩禄処分で収入を絶たれ、廃刀令で刀を取上げられた士族たちが1874年の佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱と各地で暴走した。そして77年(明治10)2月15日西郷は13000人の兵を率いて鹿児島を発ち、鎮台熊本城に迫り包囲した。明治政府は、2月19日暴徒の征討を決定する。岩倉具視は、「今般鹿児島県下暴徒征討被仰出候に付ては右に関したる無根の伝説等妄に新聞紙に掲載不相成候此旨布告候事」と言論弾圧をした。東日は、御用新聞ととなり戦争報道をして圧倒的な評判となる。従軍した福地桜痴が戦場に潜入して取材した。3月29日には明治天皇へ戦況報告している。田原坂の戦いは、3月4日から20日まで続いた激戦地である。政府軍は1日32万発の小銃弾を撃ったと言われる。道路の幅員4~5mに両軍は近づき一斉に発砲したといい、凄惨を極めたという。余りに近いために銃弾と銃弾が空中で衝突した。近代史上最大にして最後の反乱による戦争だ。政府軍は、薩軍の抜刀隊に苦しめられたという。政府軍もやがて抜刀隊を組織して応えた。私は、この古戦場を何度も歩いてみたが、多くの兵士の血を吸った大地であることを想像することは実感できないほど、静で穏やかな風景であったことを思い出している。今は、史跡として残り近くには、公園ができている。
2022.02.25
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ハイデルベルク。イギリス人は、面白い歴史をもっている。落ち着きのない過去を持っている。然も残忍で、とんでもない強かな国民性をつくり上げてきた。封建社会では、騎士たちの下には、昔ながらの農奴がいた。農奴は、地代を払って、作物も差し出し、可愛い娘はいいようにされる、残りの時間はボスの土地で働かされた。抵抗する奴は、配下を送って、生き物ごと、そっくり村を焼かれて、問題解決だ。それで、すっきりとしたらしい。 イギリス史を、イギリス人が、ジョークを交えながら書いている。それだけ文化が高いのだろう。一面だけを豪そうに書いても、タブーがあったりする国家には、偏頗な歴史でしかない。客観的な歴史観を学ばない国民は、真の愛国者をつくりだすことなどできないと思う。
2022.02.25
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時代の変革は水面下で始まっている。安穏と暮らしているものは措いていかれる。あっと驚く社会が顕在化するのはいつかは知らないが、その兆候はいくつもある。これまでマスメディアが一方的に流していた情報もそれではすまなくなっている。本当に知りたいのは大まかなことではなく、その先にある事実だからである。昨日間寛平のことを知りたいと思って、彼の公式ホームページを開いてみたら、ちゃんと現在どこにいて、何をしているか知ることができた。マスメディアでは、ほんの一部しか知らせてくれないが、その先を知ることができるツールができつつある。 ・外から内へ、内から内へ、内から外への方向性が出てきている。「草の根ジャーナリム」が拡がっている。-19℃の極寒の中でも走っていることが分かった。そうではないかと、昨夜の21時過ぎになってウオーキングに出たので歩きながら考えていた。どれだけ走れるのだろうか、50キロくらいだろうか、そう考えたが、当たっていた。そしてちゃんと現在の走破した距離と日本までの距離も書かれていた。誰にも解かる目に見える事実が残されている。内から外への発信がある。 ・へ2・・・これから明日に必要なものが残り、そうでないものが棄てられるだろう。餌を食べにくる野良ネコの親子だって、網戸を登って、家の中を覗こうとする。時には写真のように木に登って、知りたいことを知ろうとしている。猫は小鳥を追っていたのかもしれないが。全国紙が潰れて、地方新聞が生き残るかもしれない。熊本では熊日という新聞があるが、何故だろうと思っていたがサービスの狙いが全国紙と違うのだろう。だから読まれもする。市民のニーズを知っているからだ。いつも会話しているものが要望もわかる。草の根ジャーナリズムが未来のキーワードになるかもしれない。
2022.02.25
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大雪山。「カムイミンタラ」(神々の遊ぶ庭)のアイヌ語の意。まだ先はあるけど、いくつかの節目を過ぎねばならない。儀式のようなものか。誇れるような物もないし、 そこそこ庶民してきたが、これから何が出来るだろうか。挫けそうな気持ちもあるが、まだ終わりではない。寧ろこれまで遣り残して来た宿題がある。時代は高齢化を迎えて、70歳までは仕事をしないと生活を 維持できないだろう。空気を吸うだけでは生きていけない。新しい情報やネットも遣るとしたら、そこそこ 見合う収入も必要だ。やっと親父の責務も卒業かと思っていたら、時代は激変だ。贅沢しようとは思わ ないが、時代の空気も呼吸しながら生きるとすれば拘束もされるらしい。勝手にシンドバットも良いかも 知れないが、家族もいる。太く短くも顰蹙ものだろう。 ・へ2・・・ 政治に関心のある人たちが、どれだけ増えたのだろうか。勿論正義感の強い人はいるから、政治が悪くなれば糺そうとする人はいることだろう。安倍首相は、かなり丁寧な物言いもするが、時々、えっというような発言もある。品格を疑われても仕方がない。どこから来るのだろうか。若いころは青蘭会に参加していた人でもあるから、海外からはかなり右寄りの人だと思われている。靖国神社参拝も話題になったが、これは自粛しいるようだ。日本は、ますます国際社会の厳しい追及を受けている。選択を誤れば、まずいことにもなるのだ。
2022.02.25
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モンサンミッシェル。最早、大きいことは良いこととは限らない。小回りの利かない企業が潰れる時代だ。JALも破たんしたのはそのことを示している。大国も危ないかも知れない。見栄を張って余計なことそしがちだ。大新聞も危ない。寧ろ地方新聞に活路があるかもしれない。きめ細かいサービスが生き残りに寄与するかも知れない。新聞もテレビも消えるかも知れない。企業は拡大だけを考えていては行き場を失うことになりかねない。 ・地域経済と地元のメディアとが運命共同体として細分化された社会システムを構築していくのではないだろうか。もはや大きいから安全な組織とはいえなくなっている。最近のトヨタにしろ、大きなダメージを抱えようとしているのは、規模を拡大しすぎた結果でもあるのではないか。生産台数が世界一になった途端、頭を叩かれ始めている。一寸した間違いで破綻も招きかねない。 ・へ2・・・企業は組織が寄せ集め集団でしかないからでもある。イデオロギーで形成されているわけではない。栄枯盛衰は付き纏うリスクでもある。利益を拡大するために規模を拡大しそのために破綻もする。順調な時ほど傲慢にもなる。細心の注意を忘れもする。80年代の「ジャパン・ディケッド」も夢のまた夢だろう。「空白の10年」は、終わりのないストーリーかも知れないのだ。
2022.02.25
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”RHYTHMS OF LIFE” で、ラッセル・G・フォスターは、時間の意味を説く。「伝道の書」では、捜すに時があり、失うに時がある。守るに時があり、棄てるに時がある。裂くに時があり、縫うに時がある。眠るに時があり、語るに時がある。愛するに時があり、憎むに時がある。戦うに時があり、和するに時がある。体内時計があるお陰で、生物は、時間を瞬間として最適に利用できるのだ。時間を知ることで、私たちの祖先も農耕を始めることができた。農耕には季節を予期できる必要がある。鳥は生まれつき体内に備えた光周期信号によって季節を自動的に知ることができる。だから、ひとは鳥から学んだ。鳥は時間について学習する必要がない。鳥は、聖アウグスティヌスのように「過去が過ぎ去ったものであり、未来はまだ到来しないものであるならば、存在するのものは現在だけである。では現在とはどの程度持続するのか?」という問いに頭を悩ませることはない。現在の私たちは、寸暇を惜しんで過ごしているが、己の内を深く見つめて、時間に対して愚かにならず、賢くなる方向に進んでいるかを見極めなければならないだろう、と指摘している。
2022.02.25
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モンサンミッシェル。<作品>「夢十夜」、「文鳥」・11回目の講座。・鈴木三重吉「鳥」「文鳥」の抜粋のリーフレット。・明治39、40,41年メモ。Dream に構想メモ。・手拭いが蛇になる。「第4夜」。・「漱石先生の暗示」タイトルの本が出版された。・「永日小品」と「夢十夜」、 「夢十夜」が理解できないと「永日小品」は分からない。・蛇はこころのこと。泥棒三態。「こころ」に繋がっている。「カネとこころ」の関係。・猜疑心の強い男。・・・「こころ」の先生。・漱石は、マルクスを知っている。労働価値の考え方が違う。・カネで平等にはならないと漱石は考える。肉体労働と精神労働を色分けしている。漱石には差別観がある。 「文鳥」・鈴木三重吉・・・「鳥」「文鳥」を読んでいる。漱石の教え子。・この作品は、女の話。・「昔し美しい女を知っていた」。・・・「文鳥」のこと。・文鳥の死と女の死、がだぶっている。・明治41.6.2 「日根野れん」が死んでいる。漱石は同居したことがある。・お茶の水高女出身。漱石の好きだった女性だという説がある。・文鳥・・・「れん」のこと。面影がある・・・「永日小品」「こころ」「草枕」・女とのエピソードを文中にいつまでも引っ張っている。・「永日小品」「こころ」にもつながっている。・「文鳥」の死。・・・女の死を予感させる。 青梅や 空しき籠に 雨の糸・6月20日。・「道草」 お縫・・・日根野れんのこと。漱石の想い女性か?・結婚して不幸になっていく女。 自分の世界と文鳥の世界の間にある障子のような存在。障子で隔てられている。仕切りがあることを襖・障子という表現でしている。・漱石の作品大胆に踏み込んで読まないと分からない。・「文鳥」はある女のことを描いた作品である。 「夢十夜」・1夜.2夜,3夜,4夜,5夜・10夜,9夜,8夜,7夜,6夜・2分割して、話が対になって描かれている。・5-6、7-4、8-3、9-2、 10-1 が「遊び」の要素がある。・漱石流のジョーク。・「1夜」疑うから・・・百合が出てきた。 欺かれたから。・百年待てなかった男。疑ったから夢はかなえられない。・星が霊、百合が肉。・「1夜」「10夜」セックス・ドリーム。漱石にも関心があった。夢である必要がある。・違う世界にする必要があった。・「10夜」豚になめられる男。・「9夜」「2夜」・・・対になっている。・お百度・・・裏切られて夫に対する恨みを晴らすためにお百度を踏んでいるという解釈もできる。他力本願。・自分ではどうにもならない。・「3夜」の内の鏡と「8夜」外の鏡。の世界。対になっている。・鏡の中の動くものは卑しい。・水鏡。自分の心を見ようとしない。・金魚売の存在。・「7夜」「4夜」海と川の対。・似たような話を「対」にしている。・「5夜」・シ・ラー「人質」 「走れメロス」・あまのじゃく・男が疑う。・「3夜」「文弥殺し」・ハーン「日本海に沿って」・7月下旬~怪談の季節。・「永日小品」・人間にはどうすることもできないこと。・「夢十夜」違う視点。どうすることもできない相手。人間。運命。魔的なもの。総体的に書いている。
2022.02.25
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大雪山黒岩ネイチャーテラス。フランシス・ベーコンは「随筆集」で「歴史はひとを賢くし、詩人は発想を豊かにし、数学は精妙にし、自然科学は深くし、道徳は重々しくし、論理学と修辞学は議論ができるようにする」。 然し「諸学はそれら自身の使いかたを教えてはくれない。そのしかたは諸学の外にあり、諸学の上にあって、観察によって獲得される知恵である。」この知恵は「古来の哲学者の調和的な知恵」に対して、「相反する極端な動き」を処する行動の知恵でもある。それは、それ以前のスコラ学的「大全」との決別の所以である。「哲学」由来の歴史の流れを知ることは、虚妄と真実の弁別もまた確信の無い不信と疑いの泥海を行くようにさえ思えてくる。哲学と科学は分岐しているのだろうか。その始点はどこにあるだろうか。泥濘の中の迷走が哲学的議論に外ならない。だからこそ、それが不毛の苦役とも見えるし、不屈の決意を自らに課す所業とせねばならない。
2022.02.25
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今年もひな壇が飾られた。時々、家猫4匹が玩具にしている。一般的大病に5つの変化のステップがあると言われる。 否定→怒り→駆け引き→落ち込み→受け入れ 否定、恐怖、ショック、怒り、悲嘆、絶望など。ギアチェンジして、自分自身のコントロールを取り戻せるか。ひどく混乱している自分に気付くことが、できるか。人間のしていることは、ほぼ同じ軌跡を描いている。それは自分で気付いていないだけで、ひとの形質は殆んど変わらないのだ。自分だけが特別だと思っているだけに過ぎない。何と愚かなことだろうか。独り芝居をしているようなものだ、だから科学者はにやにやしてみているだけだろう。俺だけが利口だと自惚れている。それも阿呆だろう。幼稚でしかないのだ。 アホな自分を嘲笑できるか、だろう。 試行→事象→フィードバック→チェック→修正→達成 始点と終点の間は、直線ではない、寧ろ、スパイラルであることだろう。何を感じ何を思うだろうか、自分の感性を大切しているといえるだろうか。それはどうも怪しい。現実に耐えられないからだろうか。アホな自分に気付いてげんなりする人も多かろう。他人の臭いだけを追いかけていても仕方がないではないか。自分の吐く息は臭い。それは、人間が動物であって霞を食べているわけではなく、すぐに腐ってしまうものを食べているからで、隠しようがない。せめて生き方だけは爽やかでいたい。
2022.02.25
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ローテンブルク。今、何回も見ているが、BSで、「空からクルージング特別編 ドイツ。ロマンチック街道をゆく」を観ていた。ローテンブルクは二回目だったが、ロマンチック街道は、初めてで、そのためにデジカメも新調した。写真は、ローテンブルクで、ここから街道を通って、スイスに向かう予定であった。ところが、バス移動をしたが、雪が降りだして視界が悪かったこともあるが、フランクフルトに朝到着して、そのままハイデルベルク~ローテンブルクと来たのでかなり疲労していたこともある。次のシュパンガウまで、約252キロ。4時間30分の行程であった。6年前とは言え高齢者にはハードな日程でもある。写真を撮影したいという願いは脆くもあっさりパスされてしまった。眠り込んでしまい後の祭りだ。況して人の心は移ろい易いものだ。措かれた環境で如何様にも変わっていく。何とかというタレントもいつまでも少女ではない。善くも悪くも社会の悪にも染まるだろう。他人よりも優れていると思いがちなのではないだろうか。そしてそれが薬物に頼るという安易な道を選択する引き金にもなりかねない。大したスキルもなしに手に入れた有名人たちでもある。それだけの研鑽を積んでいるひともいるだろうが、それが主流だとは思えない。多くは、欲の皮だけを膨らませている。もともと世間の狭い世界でもある。「山椒魚」のようなひとがいたとしてもおかしいことではない。いつか、普通の人の常識さえもてないようにもなる。 ・一般人が当選して、先生になった途端に政治家に変貌したとしても驚くことではない。その「社会的地位が意識を換える」からだ。社長も、社長になれば、それらしいことを言い始めるのが普通のことだ。それをするかどうかではあるが。民主党も政権を取れば変貌するだろう。それは善くも悪くも、だ。そのために国民の期待を裏切ることにもなりかねない。その懸念はある。人は変わることによって成長もしてきた。然し期待も裏切ってきた。そうしたいことと、そうなるかは誰にもわからない。殊に日和見主義者はそうだ。 ・へ2・・・自己を厳しく反省できるものはそういるとは思えない。言ったことの半分も実行できる人間は殆どいないと私は思う。自分もそうだからだ。思うように社会はなってくれない。演じるのが上手い役者になろうとしても、それは芝居でしかない。この社会はショーではない。何時までも少女でもない。いつかヌエのような存在になっているかも知れないのだ。それも環境がさせるだろう。自分たちが創っていながら驚いて見せる偽善家が多いことだろうか。世の中にはアイロニカルなことが多すぎるようだ。況して人の心は移ろい易いものだ。措かれた環境で如何様にも変わっていく。何とかというタレントもいつまでも少女ではない。善くも悪くも社会の悪にも染まるだろう。他人よりも優れていると思いがちなのではないだろうか。そしてそれが薬物に頼るという安易な道を選択する引き金にもなりかねない。大したスキルもなしに手に入れた有名人たちでもある。それだけの研鑽を積んでいるひともいるだろうが、それが主流だとは思えない。多くは、欲の皮だけを膨らませている。もともと世間の狭い世界でもある。「山椒魚」のようなひとがいたとしてもおかしいことではない。いつか、普通の人の常識さえもてないようにもなる。 ・一般人が当選して、先生になった途端に政治家に変貌したとしても驚くことではない。その「社会的地位が意識を換える」からだ。社長も、社長になれば、それらしいことを言い始めるのが普通のことだ。それをするかどうかではあるが。民主党も政権を取れば変貌するだろう。それは善くも悪くも、だ。そのために国民の期待を裏切ることにもなりかねない。その懸念はある。人は変わることによって成長もしてきた。然し期待も裏切ってきた。そうしたいことと、そうなるかは誰にもわからない。殊に日和見主義者はそうだ。 ・へ2・・・自己を厳しく反省できるものはそういるとは思えない。言ったことの半分も実行できる人間は殆どいないと私は思う。自分もそうだからだ。思うように社会はなってくれない。演じるのが上手い役者になろうとしても、それは芝居でしかない。この社会はショーではない。何時までも少女でもない。いつかヌエのような存在になっているかも知れないのだ。それも環境がさせるだろう。自分たちが創っていながら驚いて見せる偽善家が多いことだろうか。世の中にはアイロニカルなことが多すぎるようだ。
2022.02.25
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大雪山黒岩ネイチャーテラス。李白は、かって日本人も愛した中国の詩人だ。大陸を渡り歩き酒をこよなく愛した人でもある。「李太白一合ずつに詩をつくり」という川柳もある。月 下 の 独 酌 (李白)花開 一壺の酒独酌 相親しむ無し盃を挙げて明月を迎え影に対して三人と成る月 既に飲を解せず影 徒に我が身に随う暫く月と影とを伴うて行楽 須らく春に及ぶべし我歌えば 月 徘徊し我舞えば 影 繚乱醒時 同じく交歓し酔後 各 分散す永く無情の遊を結び相期して雲漢遥かなりこの詩のこころは、そのまま日本人の心境でもある。「かって・・・」と前述したが、実は、現在も「李白」を愛する日本人は多い。自分たちは「屋根の上のバイオリン弾き」だというユダヤ人の映画を見て感動したが、人間は、世界中皆同じだと思った。環境が違うだけだろう。だが、その環境がすこし違うだけで、ややもすると戦争さえ起こしかねないこころの襞をもつ人間は、理解しあう努力を忘れてはならない。すぐにも、心の闇に取り込まれかねない危うさが人間にはあるだろう。最近なにか齷齪した生き方しかできないひとが多くなり、遠く小さくみえてならない。
2022.02.25
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「20世紀最後の10年 ザ・ラスト・ディケイド」落合信彦著。視点の独自性が問題だ。引き摺られたものかどうか。やがて暴露される。底の浅いものが多い。騙される奴が悪いのかどうか判らないが、選択するのは自分だろう。 どう読み解くのか。何を捨て、何を追いかけるのか。問題の正解には、解答なし、があるかも知れない。他人を当てにしてはいけない。出された課題に答えはないかも知れないのだ。その問題の所在を理解しなければならない。それが出来るまで、自分の土壌を耕さなければならない。 松の木はまっすぐに太陽を目指すだろう。併し太陽はいつも真上にあるのではない。自転しながら公転している。強風も吹く、だからつねに環境に影響され成長していくだろう。枝を剪定しなければ、歪な姿になってしまうだろう。人生の師はどこにもいるだろう。それをどこまで吸収できるかは自分次第だろう。目先の利益だけではなく、直ぐ届いてしまうものだけをえらぶべきではない。 そのうち水は枯れるだろう。そうしたらどうすべきか考えられるものでなければ生き残れない。自分しかない奴の後ろをついて歩いても砂漠にはまるだけだ。どこまで現在の自分を客観的に観察できるかでもある。日々を何かに努力しているだろうか。定年後、デイケイドが自分のテーマでもあった気がする。それを過ぎた。これから何ができるのだろうか。想定外でもある。余禄なのだろうか。その前があるが、2014年から、アメリカ~インド~ペルー~カンボジア~ドイツ・スイス・フランス~オーストラリア~ドバイ・アブダビ~モロッコ~スリランカ~バリと周ってきた。そして。友好、平和優先だといいながら、最後は暴力になる。それが、大国の論理というものであろう。自分たちの欲望を抑えることができない戦争は、歴史の趨勢でもある。なぜ戦争が止められないかといえば、武器を製造するからだ。アメリカもロシアも、そして中国も新兵器を製造し続けている。それも大量破壊兵器である。北朝鮮ばかりではない。世界中が表と違う裏がある。ミサイルを撃ち込んで、言うことを聞けという。男と女の関係も同じとは言わないまでも似たところはある。パワハラは、21世紀でもある。身近に見ている人種差別も、経済格差も、世界中で飢餓に苦しむ人たちがいるのに、豪邸に住んでリッチな暮らしをしている貴族社会もある。社会悪はどこにもある。
2022.02.25
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65歳以下の認知症(若年認知症)が身近な話になった。病気に適切なアドバイスのできない社会が情けない。何ができて何が難しいのか、脳の病状の進行によって仕事の範囲が違いもするだろう。病気の進行を抑えながら個別ケースになる。障害年金が病気の診断から1年半経過しないと受けられないというのもおかしな話だ。症状が継続しないはずはないだろう。しかも、受給を受ければ仕事ができないというのもおかしい。脳の障害もアルツハイマーだけではない。日本の社会システムが脳の知識がないだけであり、これでは国民の苦境は救えない。 ・考えてみれば、「生きる」というのは大変なことだ。そして人は周囲から支えられている。それを受け入れる社会でなければならない。それができなければ患者は窒息していくだろう。チャンスが与えられねば何も得られない。可能性は人間が切り開いてきたではないか。患者が「誇り」を持って行ける社会を創らねばない。もっと専門家が発言すべきではないだろうか。そして患者たちもひるまず勇気をもって発言すべきだろう。 ・へ2・・・寧ろ、引籠れば脳は委縮し、生きるという力を失ってしまうだろう。人間としてのブライドを持つことは、病気と闘う勇気を生み出すに違いない。日本の社会はまだそういう意味では高齢化社会に対して多くの市民は無防備と言わざるを得ない。
2022.02.25
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トロイ遺跡。感情=興奮+感情的思考 どんな感情が生じるときでも興奮するのは同じで、違うのは強さだけらしい。それを適切な思考と合わせるのが脳の役目だ。ところが感情がかかわると、脳はそれほど慎重ではなく、然もいい加減なのだ。適当に合わせることも平気でやる。その結果、興奮した原因を、実際とは違うものと思い込んでしまう。これが恋愛でも惹起する。 それを証明するための実験もあるくらいだ。十分に汗をかくくらい長いエアロバイクを漕いでもらい、運動のあと、ポルノビデオを見て性的な興奮のレベルを報告させた。かなり時間をおいてと、直後と、短い時間をおいてと、の三グループに分けられた。彼らの脳は、ビデオのエロティックさのレベルを誤認したのは、短い時間をおいてビデオをみたものが他のグループよりもはるかに高く評価した。 どうやら普段街で声をかけられても相手にしないが、ジムで運動をした後の出逢いが脳が勘違いを起こしやすいということだろうか。有名な実験として、晴天と雨天で学生を呼んで、自分の生活全般への満足度を質問したものだが、雨の日よりも晴れた日のほうが、学生の機嫌がよかった。天気が満足度に影響したらしい。 その時の気分で変化してしまうことがあるということだろう。機嫌が悪い時には人生には危険が満ち、人と対立するのはすべて自分の責任のように思え、少数民族に好感を持てなくなることもあるらしい。
2022.02.24
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ペルガモ遺跡何とその栄枯盛衰が早まっていることか。あっという間に変化している。実態はどうなのか知らないことが多すぎるのではないか。知らないで済むケースもあるだろうが、知らねばならないことも知ら過ぎる。隠し事が多いだろう。アメリカではトヨタが、坊主憎ければ袈裟まで憎いのような、トヨタ叩きが始まっている。それは当然かも知れないが、加熱気味だろう。ビッグスリーの凋落に対する反動のようにも見える。 ・反日キャンペーンではないだろうか?卑劣な日本人の再来か?歴史的にも反米感情を利用した政策があった。それはどこの国家でもある常套手段でもある。国内問題を外に逸らさせるためにされる。汚い手段がとられがちだ。利益優先が齎すものは卑劣な行為にもなる。ブッシュは9.11をイラク戦争に利用し国民世論の誘導したではないか。トヨタも世界一になって恨まれたし、いつまでも繁栄は続かない。 ・へ2・・・JALの鶴マークを惜しんだが、あれは今日のJALの序曲だったのだろう。見通しの甘さと放漫経営は、中小企業の破綻と同じことだ。長い業歴も何の役にも立たなくなっている。知識もそうだろう。これまでの蓄積はゴミにもなる。新しいカードをもつためには常に新鮮な情報を保有していなければならない。アメリカのマスメディアのいつか姿を消すのではないだろうか。栄枯盛衰は速まっている。
2022.02.24
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