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層雲峡温泉。縄文人やラスコーの人々の感性がなくなり、ひとは自分の利害や快楽のために、人間も自然さえ商品のように利用してゆく近代思想のなれのはてにさえ直面しつつある現代である。縄文人が、日ごろ見ていていたブナの林や、山間の清流、満点の星空が、君には、まだ見えますか?ゲーテの魅力をお供にするにはどうしたら好いかを考え、気に入ったサイトから「ゲーテの魅力」をプリントアウトした。30ページ。ついでに、ハイデルベルク城も。外にも、データがあるが、勿論、W.Sauer "Rothenburg ob der Tauber"も持参する。それほど気負ってはいませんよ。どうせ物見遊山だもの。目の玉の奥にある脳で、何か拾って来ますよ。自分なりのドイツを、もっと中世の修道院の歴史を読んでおくべきだった、けど。まあ本は逃げる訳でもない。少し行くのが遅れたけど、旧友の足跡をたどって見ますよ。私は、国籍は、日本人だけど、ゲーテだってご先祖さまだと思っている。だから、フランクフルトも、ドイツだってこころの故郷のようなものだ。いくつかの meme が脳の中で騒いでいる。「やっと、このぐうたら野郎(私のこと)が、ドイツに行くのだ」と。イスラム教でも、キリスト教でも、聖地巡礼がある。日本にも、以前は伊勢参り、出雲大社へお参りするのが慣わしだった。それは、ひととしてのお勤めでもあっただろう。そこで学ぶものがあったに違いない。現代は、そういうものを省略してしまいがちだ。見なくても行かなくても解るではないか、写真で見ればいいではないかというだろう。写真は、カメラマンが写した物で、空気までは伝わらない。脳は、空気まで知っている。何をみて、ひとは畏怖しただろうか。何をみて歓喜しただろうか。私が見た幼いころのハンセン病患者を世話していた修道女が、いまもドイツで見られるらしい。その彼女らは、私の脳にあるイメージとどう違い、同じなのだろうか。
2022.11.30
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博多湾。個人的にはこれまで色々あったし、これからもあるのだろうが、それは自分だけの問題でしかない。どうしようもない社会環境もあるから、思うようにはいかないが、個人の自由もある。これからどんな社会制度になっていくのだろうか。恐らく私たちの想像を超えたことが起きていくことだろう。そうでなければ生き延びることができないことだってあるに違いない。甘くはない現実があると思う。 ・「チーズはどこへ行った」というにがあったが、いつも生物は食うためにコストを払い続けている。楽に生きているか、どうかの違いがあるだけだ。初心者マークのドライバーは危険な山岳ルートで危ない運転をする。自分が初心者だと他人から思われないために命を落とすことだってあったに相違ない。運転には経験もテクニックも必要だ。自信過剰も事故の原因になる。人生も安全運転するしかない。 ・へ2・・・自分のしていることは、他人の誰とも関係がない。勿論社会的存在である一面もあるが、多くは、自分の世界の問題である。喜怒哀楽もそうして過ぎてしまう。
2022.11.30
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無欲では、生きていけない世の中ではあるが、欲望は争いの原因になることが多い。だから無欲でありたいと願うのだろう。煩悩を棄てろという教えもそこにある。色があるから「空」もある。有無もその反対概念としてある。早寝をしたから今朝は少し早い。原因と結果に過ぎない。そうするからそうなる。 ・欲があるから元気も出るのだろうか。食べるから脳も働き出すという。では、無欲とは何だろうか。観念でしかないだろうか。自分を律することだろうか。遣れるからするのであり、やれなくなればできなくもなる。いつも有意義にはいかない。馬鹿なこともするが、日々思うことはある。 ・へ2・・・無欲で暮らしたいと願っている。その心は嘘ではない。実際どこまでできるだろうか。其処に自分の限界もある。ハリー・ポッターはついにダーズリー一家とは、和解できなかった。自分を苦しめるものはみな悪だろうか。善悪は、イメージの創作でしかない。
2022.11.30
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体が冬にシフトできていない。これから愈々冬仕様で。食後すぐ動くより、30分から1時間くらいして動いた方が運動効率が良い。食べた物をからだのなかに溜めこまない。食べることが生命には必要であり、そしてそれをスムースに処理しなければならない。寝転んで食べていたら、食べた物が胃腸を通過し難くなるし、折角の重力を利用できないかも知れない。 ・これまで私は、進化してきた生命のメカニズムに障害になるようなことばかりしてきた。食べた物を歩いて「早く出なさい」と催促する。「働け」と体の全体に命じる。眠っていた怠惰な気持ちや体を起こして行かなければならない。健康でいられることは何と幸せなことだろうか。「歩ける」ということは、多くの機能が充実していなければならない。 ・へ2・・・四季を感じながら歩くことで、多くを学ぶこともできる。歩こうという気持ちになるまで何と長い時間がかかっただろうか。少し遅すぎたが、まだ私の体はそれを待っていてくれた。感謝だ。昨日のアマチュアの平均65歳の出来たての男性合唱団の「坊がつる讃歌」で懐かしさに感涙した。漸く外は明るくなったようだ。
2022.11.30
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日頃はその寂しさを忘れている。どんな寂しさかはその人でしか分からないが、誰もそのすべてを引き受けることはできない。そして、自分を過信しないことだ。まだ試してもいない現実を侮ってはならない。そのために死ぬかも知れない。それでも死はタブーではない。それを隠そうとして躍起になっているのは悪意があるからだろう。身の回りのものが死んで行き、やがて自分の番がくる。それは諦めることではない。それは「明日」のようなものだろう。誰も明日が来ることを止められない。 ・「時代が変わる」と言い続けてきたが、何も変わらない自分がいる。その時代にすぐ馴染んでしまうからだろう。そして、新しさが、すぐに古くなり、また「時代が変わる」というものが出てくる。新陳代謝のようなもんだろう。それは間違っていない。時には減数分裂もある。いつまでも新鮮ではいられない。そこに価値を求めてはならない。残ろうとするからだろう。「輪廻転生」を断ち切ることが「悟り」だと仏陀はいう。判らないことをいうべきではない。目論見でものを言っているものは必ず破綻するだろう。 ・へ2・・・云っていることとしていることが矛盾しているのは、気分が変わることだろうが、それが変えられない仕事がある。そのコストは決して廉くはない。いつも高い対価を払わされて破滅していく。
2022.11.30
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「屋根上のバイオリン弾き」で「トラディション!」という言葉が耳に残っている。ユダヤ教ではないが、同じルーツをもつキリスト教も教理は、「トラディション」だろう。どう教理を時代に適応させるかで、多くの宗派に分かれているが、これも多様性がさせている生き残りの戦略でもあろう。近・現代とは、1750年から現代までを指している。キリスト教神学は西ヨーロッパの状況から離れて世界規模の現象になる。第一に北アメリカの植民地化だ。ルター派、改革派、アナバパティストなどのプロテスタント神学の流派が、主流となる。しかし、アメリカが神学論争で世界的に重要な役割を果たすようになるのは、20世紀半ばからだ。西欧の歴史の何を学べばいいだろうか。それとも異文化でしかないだろうか。参考にもならないだろうか。西欧が常に正しいのではない。その野望は、神の名に値しないことを何度も繰り返してもいる。そのためには、更に多くを知らねばならないことは確かだろう。そのためには、現状では駄目だろう。更なる大ジャンプが必要だ。それだけは言える。
2022.11.30
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ドイツ クリスマスマーケット。500年前からクリスマスマーケットがあるそうだ。シーボルトがヴュルツブルク生まれだと知ったのはドイツの旅行の前にガイドブックを読んだときだった。ツアーでも訪問先になっているので行く前に、調べようと思ったが、何せゲーテを先に調べだしていたので、時間がなく手が回らなかった。それとツアーも、その日は、午前中バンベルクでその後ヴェルツブルクに移動し、夜にはフランクフルトまで帰ることになっていた。ヴェルツブルクのレジデンツも夢の中のようだった。世界中の富が集められたのではないかという思いがした。 ヴェルナー・シーボルト著「シーボルト、波瀾の生涯」酒井幸子訳。という本を見つけたので、図書館から借りてきて、まだ読んでいなかったが、今手にしてみている。著者は、シーボルトの遠い親戚になるらしい。ドイツの高名な作家で、ドイツにおける自然保護のパイオニア的存在とある。本人は、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796~1866)70歳ミュンヘンで病没している。 シーボルトの略歴をみると、1823年8月27歳出島の商館医として来日し、お滝と結婚し、シーボルト事件などで1829年追放され、1859年再来日している。1862年66歳で日本を退去してオランダに帰国している。1866年10月ミュンヘンで没。 シーボルトはドイツの名家出身で青年医師。オランダ領東インド陸軍に入隊した。後に「日本博物誌」「日本植物誌」「日本」の著作がある。日本研究家としての名声がある。本著はドイツ人によるシーボルトの立場で書かれている。
2022.11.30
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シーボルトがヴュルツブルク生まれだと知ったのはドイツの旅行の前にガイドブックを読んだときだった。ツアーでも訪問先になっているので行く前に、調べようと思ったが、何せゲーテを先に調べだしていたので、時間がなく手が回らなかった。それとツアーも、その日は、午前中バンベルクでその後ヴェルツブルクに移動し、夜にはフランクフルトまで帰ることになっていた。ヴェルツブルクのレジデンツも夢の中のようだった。世界中の富が集められたのではないかという思いがした。 ヴェルナー・シーボルト著「シーボルト、波瀾の生涯」酒井幸子訳。という本を見つけたので、図書館から借りてきて、まだ読んでいなかったが、今手にしてみている。著者は、シーボルトの遠い親戚になるらしい。ドイツの高名な作家で、ドイツにおける自然保護のパイオニア的存在とある。本人は、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796~1866)70歳ミュンヘンで病没している。 シーボルトの略歴をみると、1823年8月27歳出島の商館医として来日し、お滝と結婚し、シーボルト事件などで1829年追放され、1859年再来日している。1862年66歳で日本を退去してオランダに帰国している。1866年10月ミュンヘンで没。 シーボルトはドイツの名家出身で青年医師。オランダ領東インド陸軍に入隊した。後に「日本博物誌」「日本植物誌」「日本」の著作がある。日本研究家としての名声がある。本著はドイツ人によるシーボルトの立場で書かれている。それがだれであれ、人間の人生から学ぶものは多い。教師ばかりではなく、反面教師もある。先生は正しいと教えられたが、そうではないこともある。政府は、正しいことばかりするだろうか。むしろ反対ばかりではないだろうか。物事は疑ってかかれが、現代の知恵でもある。戦争に行って死ねが正しいだろうか。プーチン大統領は、母親たちにそういっていたが、その母親たちが怪しい。反対する人がいないからだ。息子を殺されても愛国者になれば、戦前の日本の母親たちでもある。与謝野晶子は、弟に死ぬなといったが、それが人の心だろう。軍事費に、GDP2%と政府は、さも当然だというが、それは欧米からの圧力でしかない。平和憲法は、泣いている。またぞろ愚か者たちが、軍国主義に走ろうとしている。
2022.11.30
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カワセミ。千歳川で、カワセミに魅せられて写真家の話がテレビで放映されていたが、カワセミ愛好家は多いようだ。私は、数百メートルしか自宅から離れていない調整池に来るカワセミをここ5年くらい追いかけている。たまにしか来ないが、福岡市の郊外でもいるから不思議だ。ひっそりと暮らしているのは人間たちばかりではない。自分に何があるか考えると、それはその人の人生観や世界観で違う。明日がどうなるのか、自分のことばかり考えてきた気がする。コペルニクス的思考の転換はいうほど簡単ではない。それができていないのではないかと疑問に思うことが何度もあった。今日の講座も若い講師の話で、しかも 「eコマース」という新しい概念の話であった。どれだけその知識が役に立つと言えるのだろうか。然し、考えてみると、既にコンピュータやインターネットの時代である。 ・その中で暮らしてもいる。旧いのは私たちだ。それを知らなければ取り残されてしまいかねない。「知らなくてもいいですよ、どうぞ自分の世界で活きていて下さい」といわれても、それは社会の枠組みの外にされてしまうことでもある。人は善人ばかりではない。優れたシステムも悪用されると忽ち社会は大混乱することにもなるだろう。 ・へ2・・・時々、コンピュータの故障が伝えられるが、それを意図的に長期にわたってされたら、どうなるだろうか。原爆の何万倍の威力をもった兵器が出来てそれが、テロの手に落ちないは限らない。そういう事態も起きるかもしれない。新薬の開発だって、どんな殺人兵器ができないとも限らない。遣い方を誤ると大惨事にもなる。そうしてリスクを抱えた時代だということだろう。人が段々とコンピュータに支配されて行く時代が、自らの手で進められているということだ。
2022.11.30
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クーポン券をもらったのでいつもより多目のお土産になった。海産物ばかり。流石に北海道は、美味しいお土産が多いようだ。利尻を周ったときにも、どこも料理がうまかった。今回も良かったが、肝心の摩周湖や、阿寒湖は、雨になったし、いい写真は撮れなかったが、釧路湿原のスケールには感動した。日本にもこういう自然があるのだと。 ・人生のほとんどを九州で暮らしてきたので、北の国はあまり情報がなかったこともある。やはり九州は、南の島なのだろう。何度も北海道に出かけるという人も多い。空や空気や水が違う。海や山も違うし食べるものも天候もかなり違う。南北にも細長い列島である。昆布を沢山買ってきたので、亜細亜うことにしている。11月下旬で、随分寒いだろうと予想をしていたが、意外とそうでもなかった。 ・へ2・・・それでも日本列島は、世界地図から見れば狭いエリアでしかない。ただ見てくるだけの物見遊山でしかないが、それでも目に焼き付けてきたものだあるのだろう。タンチョウにも会えた。360度の展望台からだったが、釧路湿原は、印象的だった。もう明日から12月で、すぐに今年も過ぎてしまうが、ウクライナ戦争は終わりそうにない。
2022.11.30
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北海道。どうも秩序のないカオスが近づいているようだ。様々な矛盾が爆発して、混乱を招いている。岸田政権も、国民の信頼を得られないまま崩壊するのだろうか。責任の転嫁ばかりするようなひとが閣僚になっているからだ。なぜ政治家になるかだろう。国民の負託を担えるような人ではないからだ。日本は、果たしてあと100年生き残れるだろうか。強かな外交ができるかだろう。利己的な遺伝子は、誰もが持っているが、それは単純なことばでは表現できないものだ。他人のことを理解しているように言っていても、それは皮相的なものでしかない。たとえ親子でも夫婦でも限界はある。個としての生命の生物学的な存在は、そのひとだけの遺伝子由来でもある。 ・常に周囲の環境を観察していなければ生命の危機にもなる。厳しい生存競争の中で活きていかなければならないのは、現代も変わりはない。何故人間は不死ではないのか、かなり前の科学雑誌「ニュートン」の特集記事を読んでいた。図書館からバックナンバーを数冊借りている。今度の「大宇宙」編も詠むつもりでいる。「ニュートン」は、昔からの愛読書でもある。 ・へ2・・・孤立し、孤独に為るなといわれるが、それは難しい注文でもある。群れることで癒される生物もいるが、ヒト脳は、個性があり過ぎる。DNAは、一日数千個の細胞が傷付くと言われている。ミトコンドリアは、生命活動に必要なエネルギーを生み出すと同時に活性酸素をつくりだしDNAに傷をつけてしまうのだ。修復酵素が働かなくなるひとは老化が早まるのだという。
2022.11.30
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それは確かに時間の空費だろう。それが迷いからくるのは多い。それだけいつも判断できるだけの準備ができていないだろうし、判断の誤りから何度も修正しなければならないこともある。国会は空転している。誰の責任だろうか。政権与党にリーダーシップの翳りがある。自信を失くした政党がその存在理由をなくそうとしているのではないか。政党は権力闘争の道具でしかないのだろうか。小泉チルドレンは自立心のない大人こどもグループでしかないのではないか。誰か大きな樹の蔭に隠れていたいのではないか。 ・最近見え隠れするのは、日本が大きな世界の潮流にのみ込まれていることだろう。少なくともこれまでの観念では、到底理解できないのではないか。それこそ竹槍では戦えないのではないだろうか。それはデータの収集であり、その精度の高さでもある。つまりネットの確立だろう。ばらばらになった。個人の力を集約することだ。統治能力のないものをリーダーにすべきではないのだ。無能なリーダーを抱えて、腐って落ちるまで待つことはできない。それが守屋事件の本質ではないだろうか。油断した心が国を滅ぼすだろう。それはいつの時代でも言われる教訓でもあったはずだ。奢りがことの始まりだからだ。それはことの大小でしかない。 ・へ2・・・もはや水際で戦うのではない。自分の内なる戦いと、更には国内だけではなく国外での情報の収集である。しかも世界で今何が起きており、これから何が起きるかを知るための情報でもある。それをどこに集めるのか。誰が評価し判断するのか。そのシステムは世界とリンクしていなければならない。生き残りをかけたものはリアルタイムだ。
2022.11.29
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タンチョウ21世紀だというのに、何と人のありようは、こうも遅れているのだろうか。人工衛星がこれだけ宇宙を飛んでいる時代に相応しいとは思えない。3.11をはじめ、福島第一原発事故にしろ、人間のまだ弱さを痛感した。何が足りないのだろうか。知識だろうか。精神だろうか。国家の品格だろうか。無智と貧困の時代はまだ克服されているわけではない。 ・戦国時代のような争いが蔭で繰り返されている。独裁で踏み躙られている国家もいくつもある。国連は名ばかりの存在でしかない。巨大国の横暴がいまだにつづいてもいる。良識などない国社会でもある。暴力や裸踊りの血に飢えた人間たちの酒盛りがされてもいる。絶望した人たちが自殺している。 ・へ2・・・何をすべきか解らないでもいる。恥を知らないひとが、享楽主義になって、汚物を振りまいてもいる。ノアの箱舟でもあるまい。いまは21世紀だ。ひとびとの努力と汗で築き上げた歴史がある。宇宙の汀の木屑になろうとしてはいないだろうか。
2022.11.29
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旭川。独裁者も一夜にして没落もする。表面ばかり見ていては判らない。県議が妻を殺害した容疑をかけられているが、原因がまだよくわからないが、必ず原因はあるのだろう。知らないから、不思議に思うのだろう。あの中国の習近平体制も、2期の党規の制限を破棄して3期目をやるという。政権は、イエスマンばかりになったという。スターリンや、プーチン大統領と変わりはない。粛清だってするだろう。13憶人の国家が、わずかな指導者によって牛耳られる社会体制である。それだけではない。世界を自分たちの思うようなものにしたいらしい。ミツバチのような世界に生きていたくはない。いまどれだけのことをすれば好いのかわからないが、そろそろポイント・オブ・ノーリターンになりつつあるのだろう。だからこそ、今やるしかないことがある。それでも、例えば、この日本にどこまで希望が持てるのだろうか。絶望はすぐ身近にもある。気持ちを滅入らせるものばかりではないだろうか。生きていて楽しい人がどれだけいるだろうか。他人のことは分からないが、生き甲斐を見失っているのではないだろうか。 ・よく若い頃は、特攻隊の操縦士たちは何を考えたのだろうかと思ったことがある。親や兄弟や恋人たちや愛国心から死ねといわれたのだろう。心理的には半強制されたに違いない。生き残るためになにができたのだろうか。彼は裏切られたのだろうか。人は死ななければならないが、それをどこまで生き残れるのだろうか。 ・へ2・・・逃げるのは卑怯だが、何かの役に立つだろうか。最後の決断が、この惰性の暮らしの中にある。一日2萬歩を、続けていたが、どうもいつの間にかできないでいる。ここでやらなければその努力も無駄になりそうだが、余り、生きている意味も見いだせないでいる。それこそ国民から搾り取ろうとばかりする政府だ。情けないのは世界中にある。
2022.11.29
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ものには限界がある。生命にも限界ある。自然にも、社会にも、そして個人にも限界はある。然し、その多様性は言うまでもないのであって、そのひとつひとつが違ってもいる。私の言う限界も、ひとによって見方も違えば、コンセプトも違っている。あとはその措かれた時代の常識や通念がある。それは厖大な存在のほんの一瞬のことでしかなく、私たちの常識や通念は、やがて過去のものになる。 ・人に対する評価も、その時の評価でしかない。社会は常に間違いを冒し易い。あるものを杓子定規で見がちだ。その社会的ステータスで見てしまう。その措かれた社会的評価は誰が決めているかでも違ってくる。より強い存在であろうと国家や個人は腐心する。世界の情勢も、その表象でしかない。 ・へ2・・・棲み分けられた世界の中で生きてもいる。それをどう変えていくか。現在の社会が公正でもなければ、平等でもない。偏頗で歪でもある。その時代の公正さで修正していかなければならない。そうすることで人間は進化もしてきた。人は常に自分の一生かけて取巻く限界に挑んできた。 全国的に荒れ模様のようだ。寒さも一段と厳しくなっている。コタツの中で猫と円くなっているくらいだから、とても厳しい環境に行くのは無理だろう。いつでも行けるのではないので、今のうちに行きたいという気持ちがある。見ても見なくても同じかもしれないが、やはり見たいのだろう。どんな人間にも、世界観があり、そして自分の目がある。潰れてしまう目でしかない。それでも生命誕生から今まで生きてきた複雑系の末裔である。
2022.11.29
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凡人は、愚かだろう。然しめげては生きていけない。恐らく殆ど間違いや誤解しながら失敗を繰り返す実験材料だ。私たちの脳は、生きるべきすべての知識を受け継ぎ、あらゆる状況にも対応できる能力をもつ遺伝子による「先祖脳」をもっているに相違ないが、翻訳できないか、ことばに「置き換え」ができずにいるだろう。ヒトに生きる「目的」がないというのが、現在の生物学の成果である。「天地創造」とか「受胎告知」とか、まじめに信じるひとがいたら何のための科学だろうか。それでも、ヒトにもゴールというものがあるに違いない。其のゴールは、これから天才が創るものではないことだけは確かだ。愚かな大多数の凡人が辿り着く場所だからだ。たった一度きりの本番が生物の運命だ。上手く遣れたかどうかは死ぬ時か、そのあとで分かることだろう。私にしたところが、めげないのではなくめげてはいられないで生きている。思えば滑稽な人生だ。笑えるが、振り返るのは死んでからで良い。時間は、一瞬の輝きでしかなく、いつも道に迷ってばかりいる。それでも、一葉の純真さを忘れてはならない。希望を叶えるのは、めげない少年の飽くなき夢でもある。
2022.11.29
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北海道。同じ民族でも、国家でも、或いは兄弟でさえ人間は違うことをする。それは違う考えを持ち得るからでもある。かっての東西ドイツも分裂して、違う政策の下に人びとは異なった暮らし方をした。彼らはその弊害を自覚して20年前に統合の道を選んだ。朝鮮半島ではまだ分裂したままだ。元々人は一人一人違っている。同じ人間はいない。それは個性でもある。そして与えられた条件で違った人間にもなる。それは環境で形成される人格ができるからでもある。社会的状況がその人の意識を決定するからだでもある。 ・期待されない人間は、期待以上のことをしない。この社会に魅力を感じなければ段々嫌になっていくに違いない。ひとは自分の心に正直にできているのかも知れない。自分の求めるものを達成しようとする。関心のあるものに関心がある。他人と同じことをしようとする。それが人びとの団結にもつながるのだろう。私たちは幼いころから学んだのは、他人をまねることから始まってもいる。 ・へ2・・・私たちは、戦前とは違い、戦後とはまた違う時代の中にいる。確かにその中を通過してきたが、違う大きな潮流を受け始めている。ここにそのままのこるのか、ここからでていくのか?自分の持つカードの種類を自覚しているだろうか?発行。元のないカードだ。未来の社会の匂いを感じているだろうか。これからの蓋然性を描けるだろうか?
2022.11.29
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和白干潟のクロツラヘラサギ。好いことばかりではないのが常だ。どんな人間でも他人に言えない悩みはあるものだ。どれだけ深刻かだろう。自分のことでは、どうにかなるが、他人だったり、国家となるとそうはいかない。習近平体制も3期目で、磐石かといえば、そうでもないらしい。中国の核心であると党の宣伝がされている。それは、果たして真実なのだろうか。一寸先は闇だと、日本の政治は言われている。政権も一夜にして変わる。ドイツに勝ったと熱狂していたフアンが、敗ける筈のないコスタリカに敗けて天国から地獄に落ちた気分になっている。それは、ドイツも同じだろう。だからゲームでもある。昼と夜が逆転したような暮らしも、好きでやっているのではない。どうやら野獣と変わらないのは、生まれつきなのではないだろうか。すこしはまともになる21世紀になると期待していたが、いまだにその気配さえない。科学が哲学を追い越してしまったようだ。追い込まれた人間たちが何をしでかすか分かったものではない。核を安全だという国家や科学者がいるが、本気ではあるまい。日本の科学者も、それこそ核兵器を造れといわれたら作るのではないのだろうか。 ・科学者の良心も充てにはならない。 権力の下僕に見境もなくなるだろう。大量破壊兵器を造りつづけていることでもわかる。情けない連中でしかない。知識があれば遣いたがるのだ。使わない選択があることを知らないでいる。戦争を止めさせるために毒ガスを造りつづけたドイツの科学者がいたが、そのために自分たちの民族を殺す道具にされた。 ・へ2・・・現在の国際社会で行われている争いは、野蛮な行為にほかならない。何のための国連なのか忘れている。法秩序とは何なのだろうか。個人に対するものでしかない。命令があれば何でもするというのであれば。核戦争もあり得ることになる。誰も止められないのだろうか。野獣のままで人類は破滅するしかない。 まだやりきれない政治闘争をつづけるのだろう。そのあいだに人々はどれだけ犠牲になるのだろうか。無知や貧困で満ちている。静かな時間を過ごすことができないでいる。誰がそうさせるのだろうか。
2022.11.29
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一人ひとり違うというのは遺伝子由来であり、それは、種としてのヒトが2倍体生物であるからでもある。性と死は、ヒトの進化の戦略でもある。ヒトは死なねばならないのだ。どんなに優れた宗教で云おうと、生命の神秘は科学の前に沈黙するしかないと現代では思われている。それを言わないようにしている。 ・可笑しなことはいっぱいあるが。公言しない。それがこの世を混乱させてもいる。非科学的なことで暮らしている人たちが多いのも事実だ。理屈に合わないが、しなければならないという。他人とは違う遺伝子で人間は出来ているし、他人とは違う一生を終えるが、社会のルールは、公平ではない。 ・へ2・・・自死する細胞を抱えながら、それを修復して生きている。一日に数千個もある。修復できないとその傷が蓄積して病気になる。それだけではない有害物質や、太陽の紫外線や、放射線や、さまざまの外部からの攻撃もある。定期券タイプの細胞にもその人の寿命がある。ヒトの寿命はあらゆるリスクの中にある。生きることは奇蹟のようだ。
2022.11.28
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旭川~網走。冬季鬱もある。天候に左右される気分もある。高齢者に自殺が多いのは理由がある。3.11の仮設住宅での自殺が増えているが、身寄りのない人が多いという。将来を悲観したお年寄りが、災害が無くても問題なのに、災害というトラウマを抱えればなおさら増えると懸念されている。東北はこれから寒くもなってこの冬は重く厳しいものになりそうだ。 ・3.11のダメージは、数十万人~数百万人とその影響のスケールで拡がっているのだろう。それこそ毎日流されるテレビを見て、日本人は滅入ってしまう。被災者の痛みを共有しなければならないという気持ちがそうさせてもいるが、逆宣伝もされる。日本が世界に与えたイメージは甘いものではない。秋晴れのようには行かない。 ・へ2・・・福島第一原発が、何をしたのか。関係者にはその意味さえわからないでいたようだ。自分の仕出かしたことに気付かない経営者が、テレビの前に顔を晒していた。おそらくそんな無責任な人たちなのだ。戦前の軍人たちや戦争推進した政治家や経済人や文化人たちも、自分たちが何をしたか、自覚が無かったに違いない。歴史は繰り返される。文化レベルは、簡単には上がらない。
2022.11.28
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カワセミ。日本人は自然と人生を重ねて見る傾向があり、人生を旅にたとえることがある。これは、絶対唯一の神を信じてきた宗教をもたない歴史があるからだろうか。「人生の行旅」とか、いう。多くの文学作品は、人生のはかなさ、たよりなさ、あるいは、流転のさまを旅人の姿に投射するのであろう。旅は人生のシンボルとして、旅人の寂しさはそのまま人生の不幸のシンボルともなるのだ。中世の歌を詠む心得として旅人の寂しさがある。「正徹物語」には「定家の申されたるは歌を案ぜん時は、つねに白氏文集の故郷有母秋風涙旅館無人暮雨魂の詩を吟ぜばこころたけたかくなりてよき歌のよまるる也。」旅の哀愁と人生のはかなさを結びつける日本的センチメンタリズムは、それこそ流行り歌の世界であり、大衆にアピールするのであろうか。「旅」「別れ」の要素は、人生を旅と考えることで、不幸、悲哀をあきらめようとする。西條八十は、「・・・ながれながれる 身の果ては どうせ野ざらし 雨ざらし」浪曲の一節では、「ままよ捨て身の浮世の旅は、西か東か吹く風まかせ」織田作之助は、「世相」の中で、この心境を鮮やかに表現している。「思へば私にとって人生とは流転であり、・・・流れ流れて仮寝の宿に転がる姿を書く時だけが、私の文章の生き生きする瞬間」なのだと。日本の文学に旅のモチーフが多いのは、風光明媚の風景の世界だけではなく、ひとつには、日本人のこころには「旅すなわち人生」の考え方があるというのだろう。日本人が、確たる宗教を持たず、草や木や、小動物をさえ「神」として崇めたルーツがあるのかも知れないと思う。
2022.11.28
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博多湾と海の中道・志賀島。民族の起源が騎馬民族の日本征服にあるという江上波夫の説はユニークだ。だがそれには違和感が感じられない。 ・どこの国にもそういうことはあり得るのではないか、異民族支配が容を変えてあるに過ぎないのだろう。特異なことではない。純血などないだろう。混血が実態ではないだろうか。そういう意味では日本も騎馬民族が祖先であろうとなかろうとそれはアカデミックな議論でしかないのだ。要は大らかな包容力なのではないか。 ・どんな歴史であろうとも、私たちの思想が確りしているかだろう。人類の根源は同じであり、どれだけ軋轢を減らして共存できるかではないだろうか。そのためにも近隣諸国との歴史認識の共通項を模索することが必要なのではないか。そのための共同研究があってもいいだろうと思う。国によって世界の歴史が違うようでは困るだろう。 ・へ2・・・どこの国で教育を受けてもあまり変わらないものであって欲しいし、そうであらねばならないのではないか。本音と建前が違うような教育では、公正な評価はできないだろう。どんな歴史があろうと、国民が品格を持ちプライドがあればいいだろう。
2022.11.28
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旭川市のホテルから。安易な防衛議論は、日本を軍国主義に導く危険性があるだろうと懸念される。浅薄な論理でことが進めるべきではない。アメリカは極東の軍事バランスをどう考えているかが問題だ。少なくともアメリカ政府の考えている日本は、極東の一つの国家としての位置付けでしかない。飽くまでも日本は、彼らにとって「普通の国家」ではない。寧ろいつまでも年少者の役割を演じ、いつまでも大人にならない、姑息でずるい国民に見えるのではないか。 少なくとも、アメリカの世界戦略にとって、アジアの平和の第一のテーマは中国の存在だろう。日米軍事同盟とは飽くまでもその全体の一部でしかない。アメリカ政府は朝鮮戦争以後、日本に役割分担と第九条の改正を望んでいる。もし台湾が中国から攻撃されたらどうするだろうか。少なくとも現在であれば、米国が戦争に追い込まれたとき、ともに戦ってくれると信じているのは、英国とそれに連なるオーストラリアくらいだろう。 日本の防衛議論も、アメリカの意向次第。要は、今のうちに日米安保条約をフル活動し、英国並みのバックス・アメリカーナにしたいのだ。それがカール・ジャクソンのいわゆる「普通の国」論だ。
2022.11.28
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ゼミ旅行をしたときの写真。石廊崎。フードファディズムとは、栄養や健康と病気に与える影響を過大に信じることである。それをやっているのがマス・メディアだろう。健康食品はない。それがあるように宣伝しているに過ぎないが、世間では信じられている。病人は、幸福でないとか、からだが健康でなければ人生は楽しくないとか、若くなければならないとか。それはいくつもあるが、間違った情報が流されている。それは許される行為だろうか。報道や言論の自由をはき違えている。 ・だから、病気に対する最大の武器は知識なのだろう。商業主義が利益社会にはあるからだ。文化とは、公平公正である社会を目指しているが、時代の権力者たちの思惑がそれを担う人々によって真実はねじ曲げられてしまう。健康食品は、過大な宣伝でしかないというのが科学者のことばである。 ・へ2・・・医者たちが自分たちのいのちを守ってくれるのではない。悪くなった患部を切除するか、薬剤を遣って叩いているだけだろう。そして薬剤はたいてい化学物質であり、薬は毒でもある。酒を飲めというCMがあり、飲酒運転はするなという。自分の体重が、からだの現実の相であろう。それを如何に守るかだ。 拡大解釈がされている。或いは誇大広告だ。アベノミクスと宣伝しながら、これだけ7-9月期のGDPの結果が悪いのであれば政策の失敗でしかないが、それでも総選挙をしようというのだから、どこかネジ曲がっている社会システムがあるからに他ならない。長期の見通しもないままで政治がおこなわれているのだ。能力のない人に舵を任せているリスクは大きい。
2022.11.28
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どんな科学も、翻訳してくれれば解らないことはないのだろう、それをしようとしないからでしかない。それは他の分野も同じだ。政治だって、公平公正なことをしていれば国民に理解出来ない筈はない。個人のすることもそうであって欲しいが、本当にそうなっているだろうか、そうではあるまい。どうして偏向するのだろうか。健康食品はない。そしていのちの特効薬はない。 ・日本人は、権威や権力に弱い。周囲のひとと仲良くしていかなければ生きていけない社会環境もある。狭い島国の世界で肩を寄せ合って活きている。「他人をみたら泥棒と思え」、では安心して暮らせない。どうやらこのままではグローバル化がすすめば、淘汰されるに違いない。自分の民族を守る気概があるだろうか。強い精神がなければならない。 ・へ2・・・うそを本当と信じることも幸福のコツなのだろうか。そうではあるまい。CMのいうことをまともに真実と思うことが幸福だとは思えない。科学者たちが、できる翻訳をしようとしない。うその社会を放置している。専門職が厚遇されているからだろう。「見ない、聴かない、言わないの三猿」というのがある。
2022.11.28
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北海道。自分の食べるものを自分で準備するのは、結婚する前、一人暮らしをしていたのでいやでもしなければならなかったこともある。そして妻の作ったものを食べていたが、定年前に病気を指摘されたことと単身赴任をしたことがある。教育入院を3回してやっと自己管理とカロリー計算ができるようになった。食事は、外食をしない、自分で作ることを覚えた。 ・中学のとき校長先生から「勉強すること、運動すること、よく食べよく眠ること」。それと牛乳は噛んで食べることと教わったが、栄養・運動・睡眠の法則に近い。生徒たちに人生の真理を伝えようという先生のこころがある。多くの人たちに支えられた現在の私たちの命がある。くねくねとまっすぐには生きてこなかったが、心の奥に残っていることばがある。シンプルライフの精神だ。 ・へ2・・・毎日ウオーキングをしているが、それがどんな意味や価値があるのか、自分で納得しているだけかもしれないが、こうして今の自分があるようにある。自分だけが安穏で暮らしていけるのではない。汚染された海が迫っている。自分の命は自分で守るしかない。正しい知識をもって暮らしているだろうか。どうも怪しい。
2022.11.28
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北海道。これだけ明確な平和憲法があるのに、国際社会の中で、どうやら日本という国家は、風にそよぐ葦でしかないらしい。こじつけもいいところの政府見解が為されてきた。安倍首相は、国民の真意をどこまで理解して、トランプ次期大統領に然も私邸で、それも就任前に会わなければならないのだろうか。個人的な関係などもって欲しくはない。自衛隊は、まさに軍隊で在り、しかも世界でも有数の軍事力でもある。 ・理想と現実は違うというだろうか。学者たちも言うほどの実力はない。抵抗する力を喪っている。安保闘争から、大学の自治もない。労働組織もない。賃上げ要求をするだけになった。そして政党も、怪しいものだ。得体のしれない主張ばかりしている。政権を取っても何もできないだろう。本気で政治をする気がない。 ・へ2・・・世界のどこにも理想とする国家がなくなっている。或いはもともと無理なのかもしれない。戦争はしても、平和を守ることができないでいる。自分たちの命が惜しいからだろう。ヒトの弱みに付け込むようなことばかり考えているのだ。無知と貧困と、富めるものと貧困と、その格差が続いている。白人と有色人種との争いもある。東西も南北問題もいまだに未解決のままだ。
2022.11.28
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博多湾(左)と玄界灘(右)に挟まれた海の中道と、その先の志賀島。始皇帝は、不老不死の薬を求めたという。まだ21世紀の現在も老化のメカニズムは解明されていない。センテネリアンは、その人生の殆どを健康に暮らしている。最も重要なことは、よく機能して生活していることであると言われる。平均92歳まで90%は、機能的に独立していることだ。彼らは、自ら望めば自立して生活できる状態にあることを意味する。センテネリアンは、ある意味で時間をゆるやかに生きることのできる人たちかも知れない。最近の調査で解ることは、センテネリアンたちは、多くが脳が知的活動に衰えが無く、死因につながる疾病に対して強靭な肉体の持ち主であることだろう。「ヘイフリックの限界」によれば、ヒトの寿命の限界は120歳である。人類史上最高の公式長寿記録は、1875年に南フランスのアルルに生まれ、1997年に亡くなったカルマンさんの122歳である。唯一の例外だ。限界は、破られるためにあるかも知れないし、「ヘイフリックの限界」も現在の一説でしかない。或いは、将来覆る可能性はあるだろう。科学は宗教でないから不変ではなし、進化がある。ヒトの突然変異もあるだろう。センテネリアンが、増えるのが果たして人類の終局の目的かは分からないが寿命を全うすることはひとの大きな目標ではあるだろう。
2022.11.28
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いつも穏やかでいるわけではないが、まあ、少しだけでも世界をツアーしただけど、日本は、暮らし好い国家なのだろうか、疑問はあるが、悪くはないのではないか。欧米も、社会主義国家も、イスラム教国家もあるが、日本や中国や韓国や、台湾や北朝鮮もある。いささか複雑な歴史があって、どこがどうというのではないが、あまり好きになれない国はあるのだろう。 ・これまで77年間生きてきて、国際社会も、日本という国家にも、人はさまざまであり、好い人もいれば、風上にも置けない人はいる。自分の運命も、風はどこからでも吹いてくるから、どんな一生になるかわからないけれど、栄枯盛衰、塞翁が馬、一炊の夢でもある。かって少年だったが、大人になり、そして老人になった。あまり言えないこともしてきたのだろう。欠点の多い人間でもある。なぜあんなにあがいていたのだろうか。 ・へ2・・・大袈裟すぎたのかもしれないが、水面から顔を出していたかったのだ。山野を歩けばよかったかもしれないが、独り相撲だった。また日本は、戦争を始めようとしてはいないだろうか。戦争と戦争の間に、かっての日本の庶民たちはいたのだ。扇動されやすいのかもしれない。ロシアの狡猾さは、生来のものではないだろうか。中国もアメリカも、EUも、あるいは国際社会も、欲望の塊でしかない。この時代にあって、身を守ることの難しだがある。
2022.11.28
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石廊崎。石室神社と役行者伝説。また日本は負けたようですが、それはゲームだから。コスタリカは、どんな国かも知らないのに。勝っていけない国はないし、負けて悪い国もない。「伝統の神話」という呪文に縛られたアメリカの政治理念の研究であり、それはプラトンからマルクスに至る政治理論の「偉大な伝統」が現実の歴史的伝統であるというよりも、政治学者や政治理論家や政論家たちが作り上げた分析的で回顧的な解釈であったに過ぎない。アメリカの政治理論も歴史もフィクションに彩られた擬制の系譜に過ぎない。多くの論説は個別の局面の解説でしかない。一群の著作やテキストはピューリタンたち以降の多様なジャンルは、それこそ個別的局面における多様な基準で言及されてきただけに過ぎないのだ。如何にも世界を代表するものとされ、組立てられるべき理由や論拠はあるとしても多くは、政治学の曲解である。過去を抑え込もうとしている理論家たちの陰謀でもある。 ・それこそ現代アメリカの政治が表象しているものは利益社会の貢献する現実主義でしかなく、彼らが掲げるものは後付けの安っぽい政治理論でしかないではないか。何をテキストにしているだろうか。現代はその問題の所在こそ問われるべきであり、その選択を誤ればこの国の未来はない。私たち日本人が舵を切っている先に何があるだろうか、それを為政者たちは見ようともしないのではないだろうか。彼らの学んだテキストには我欲しかないのだろう。政治の何たるかを学ばないものが政治家になっている。政治は営利ではない。その営利を持ちこんでいる政治ははてしなく虚偽である。 ・へ2・・・ここ数日冷え込んでいる。これがそれこそ本当の冬の姿でもある。ふやけた頭には相応しいのかも知れない。堕落というなかれ、後ろから忍び寄るか前から来るのか、それは多分双方からの限界であろう。それでも生きていることには変わりはない。私たちは謙虚でもあるべきだ。喜びも悲しみも受け入れなければならない。そしてどんなことがあろうと乗り越えるだろう。
2022.11.28
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志賀島。21世紀だというのに、何と人のありようは、こうも遅れているのだろうか。人工衛星がこれだけ宇宙を飛んでいる時代に相応しいとは思えない。9.11をはじめ、福島第一原発事故にしろ、人間のまだ弱さを痛感した。何が足りないのだろうか。知識だろうか。精神だろうか。国家の品格だろうか。無智と貧困の時代はまだ克服されているわけではない。 ・戦国時代のような争いが繰り返されている。独裁で踏み躙られている国家もいくつもある。国連は名ばかりの存在でしかない。巨大国の横暴がいまだにつづいてもいる。良識などない国社会でもある。暴力や裸踊りの血に飢えた人間たちの酒盛りがされてもいる。絶望した人たちが自殺している。 ・へ2・・・何をすべきか解らないでもいる。恥を知らないひとが、享楽主義になって、汚物を振りまいてもいる。ノアの箱舟でもあるまい。いまは21世紀だ。ひとびとの努力と汗で築き上げた歴史がある。宇宙の汀の木屑になろうとしてはいないだろうか。
2022.11.27
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人は自分が不幸か幸福であるかに拘りを以って活きている気がする。無頓着のようでそうではないひとはいる。どちらかであってもそれは関係ないと思う人もいるのだろう。分類をしたがっているだけか。自分が思うだけではなく、他人からも認めて貰いたいのだろうか。ふつうの感情として、その時の社会的な評価はあるのだろう。 ・図書館の返却があるので出掛けようとしていたら、妻から近所の伯母さんの様子がおかしいので見舞いに行きたいらしい。ツアーも近いので今日の、宗像参りは、しないことにしていたが、そちらに行きたいらしい。人は老化して、知らないうちに違うステージになってしまうものだ。「あの岸恵子に似た?ハイカラな伯母さんが・・・」、独り暮らしをしている。 ・へ2・・・老人の独り暮らしは、会話も少なくなり、どんなひとにも、ポイント・オブ・ノーリターンがあると思う。自分に相応しい死に方をしたいと望んでいるが、できるのだろうか。高齢になって家族のいない人は哀れだ。
2022.11.27
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日本のどこへ行っても緑や人のいない風景というものは余りない。雨も降るし緑もあるし、勿論水も綺麗なのが当然だと思っているが、外国ツアーをすると、それこそ、水の少ない大地に生きている人々がいることに驚く。緑もない土と砂の町の中でも人々は暮らしている。美しい風土も、機械文明に汚されてもいる。 ・それはモノだけではなく人の心も同じだ。目には美しくてもよく視ると汚れていることはある。私たちは田舎が好きだが本当に大事に思っているだろうか。それに相応しいことをしてきただろうか。大切にしてきたか。口では大事だと言いながら、軽視してはいなかっただろうか。その時ばかりの自然への尊重ではないか。 ・へ2・・・いつも田舎はそこにあるという想いがあるのは、甘えでしかないかもしれない。そうあっていて欲しいと思う心は、ウソではないとしてもそれだけでは足りない。100年前と同じように視える風景も決して同じではない。そこにいて人々がいなくなり、昆虫や植物も変わってしまった。厳しい環境に暮らしている人たちがいる。自然を大切にする心は忘れてはならない。
2022.11.27
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北海道。新千歳空港~旭川。勿論四季があるということは、毎日日の出や日の入りの時間が違っている。明日の福岡市の日の出は、6;50で、日の入りが17;16。体力が落ちているという実感は、毎日歩いているのでよくわかる。たった1キロ体重が増えただけでも解かるようだ。昨夜も夜歩こうかと思ったが、体調を崩しでもしたら、ツアーも楽しくなくなる。 ・折角行くのだから、気分よく出かけたい。今朝はこれから歩くつもりでいる。できれば今月も余り好くないが月度の目標だけは達成したい。いつかできなくなるのだろうが、それまでは続けたいと思っている。ツアーで元気に歩けることが、ツアーに行く最低条件でもある。そうでなければ楽しくはない。 ・へ2・・・韓国の天候を視たが、日本とあまり変わらないようだ。紅葉はどうだろうか。以前ソウルに行った時は、同じ11月下旬だったが、銀杏並木の葉が道路に散っていた。今年はどうだろうか。昨日の日田の銀杏は、今が見ごろになっていたようだ。
2022.11.27
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北海道。人間たちは自分の持っている能力を活かし切れずに自滅しているところがある。或いは無為な戦いのために。事の善悪を理解している者が、何故殺し合うのだろうか。これももって生まれた人間の宿命なのだろうか。地球の存在は宇宙の解明と科学の進化によって、益々小さな存在でしかなく、人間の存在も奇跡ではない。私たちは何をしているのだろうか?失ったものは余りにも大きいのではないか。目先のことに追われて、生きる意味さえ分からずにいる。 ・個人の喜びで満足して死のうとしている。はたしてそれでよいのだろうか。生きる目的を小さくしただけで済むだろうか。枯葉のように黄葉して散るだけで満足しなければならないだろうか。少し角度を変えれば何でもできるかも知れない。ひとりで生きようとしてはいないか。世の中はこんなものか。 ・へ2・・・個人主義や、営利主義が、人間を蓑虫のようにしている。
2022.11.27
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石室神社。同じ民族でも、国家でも、或いは兄弟でさえ人間は違うことをする。それは違う考えを持ち得るからでもある。かっての東西ドイツも分裂して、違う政策の下に人びとは異なった暮らし方をした。彼らはその弊害を自覚して20年前に統合の道を選んだ。朝鮮半島ではまだ分裂したままだ。元々人は一人一人違っている。同じ人間はいない。それは個性でもある。そして与えられた条件で違った人間にもなる。それは環境で形成される人格ができるからでもある。社会的状況がその人の意識を決定するからだでもある。 ・期待されない人間は、期待以上のことをしない。この社会に魅力を感じなければ段々嫌になっていくに違いない。ひとは自分の心に正直にできているのかも知れない。自分の求めるものを達成しようとする。関心のあるものに関心がある。他人と同じことをしようとする。それが人びとの団結にもつながるのだろう。私たちは幼いころから学んだのは、他人をまねることから始まってもいる。 ・へ2・・・私たちは、戦前とは違い、戦後とはまた違う時代の中にいる。確かにその中を通過してきたが、違う大きな潮流を受け始めている。ここにそのままのこるのか、ここからでていくのか?自分の持つカードの種類を自覚しているだろうか?発行元のないカードだ。未来の社会の匂いを感じているだろうか。これからの蓋然性を描けるだろうか?
2022.11.27
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石廊崎。人はそれぞれお互いに、ある意味支えあって生きている動物の一種でもある。この世に無価値なものなどありはしない。人生の意味を見出せるかは、それぞれの努力によってでしかないのだろう。隙れば出かけるべきである。学ぶかどうかだ。ひとは一度に利口に為るのではない。多くのスキルを経て、それでもどうか?そして、本当に恨んでいないかとなると、本音はどうか?忘却してこともある。前頭葉は、都合の悪いものを忘れるらしい。益ならないこともある。こうしていま神社巡りもするのだから、何か畏れるものが無意識の中にあるに違いない。それは、神ではないことは解かっているが、得体の知れない存在であり、否定できない。肯定もしないだけだ。肯定しないのは、自分のこれまでの体験と、識見など自然に掌を合わせる気持ちもある。 ・父から譲り受けた仏壇もある。それは妻が花とお茶とごはん等お供え物を欠かさずしている。それは元々妻がしている。私は偶に手伝いをしているだけだが、慣習のひとつであり、神社参りも同じだ。信仰ではない。自分をここまで活かしてくれた多くの人たちへの自分なりの有形、無形の感謝でもある。これまで圧し付けられたものがなかったのではない。苦役を感じないのでもない。この国社会システムに苦しんでもいる。だがそれは生きる上の対価でもある。 ・へ2・・・いま気温は15℃だが、体感温度はそれより低いようだ。やっと元の気分に戻ったような気持ちがする。何となく浮ついていた。こういう時もある。誰も信じないし、誰の後も付いていくつもりはない。私は私であり、自分の道を往くつもりだ。何度でも修正する。何度でもリセットする。環境とともにあるからだ。酸素がなくなっても生きている事は出来ないだろうが、自然の用意しているものは計り知れないだろう。
2022.11.27
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石廊崎。進化生物学から見ると、だまそうとする性向は太古の昔から継承した特質だとわかる。自然が生み出した多様な創造物の中でも、人の心ほど複雑で風変わりで、しかも理解されないものはないだろう。心は何百万年もかけて進化を遂げてきた。人を人たらしめている特質こそ、情動や言語、道具をつくる能力であり、計画をたてる知力であるが、そしてうそをつく能力でもある。ウイルスでさえ宿主の免疫システムを欺く為に巧妙な戦略をもっているし、自然界はだましがあふれている。だましを使う生物は、生存や生殖をめぐる過酷な競争で有利な立場に立つことができる。そして生存や生殖をめぐる競争は進化を後押しする推進力でもある。生き延びるための能力を磨き上げてきたサバイバル・マシーンである人類がだますことに長けてもいたことは当然の帰結でもあろう。人間の属性の中でもっとも重要なものであるにかかわらず、さんざん利用している本人が、ことあるごとに自分はそんな性質はないと否定している。人間であれば生まれながらに誰でも持っているというのに。それこそ人間の社会は「うそと欺瞞のネットワーク」であり、親がこどもに語るおとぎ話から、政府が国民に振りまくプロパガンダまで、人間は虚偽に囲まれて暮らしている。駆け引きに、手練手管に、はったりに、見て見ぬふりの熟練者たちの環境が、自然選択を促がす淘汰圧として働いている。少なくとも、科学を口にするものは、そうした人間の形成を理解し始めているだろう。言葉の魔術を使い分ける能力と、自分で自分をだます能力は人間の精神を作り変えているのだ。自分の中にある真実を自分自身から隠すために、ひとは無意識の心を発達させねばならなかった。進化生物学は、私たちの心の中には、心の奥底の秘密を意識に上られることなく他人と接するために働くスペースがあるらしい。私たちには、自分自身に悟られることないように進化してきた部分があるのだ。人間の価値観や世界観が揺らぎはじめただろう。
2022.11.27
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北海道。セラピストは、ほとんどずっと黙って聞き役に徹し、ときどき「解釈」(患者の隠された思考を読み解いた内容)を挿入する。精神分析療法を行うセラピストは質問するか意見を述べるだけで社交的なおしゃべりはしない。自分の内面をさらけだすようなことは口にすることは禁じられている。患者をおだてたり、威圧したり、誘ったりして特定の態度や感情や行動を起こさせることがないよう注意を払う。この接触の仕方は矛盾に充ちたものだ。セラピストは患者に、誰にも言えないことをありのままに語るように促がし、仰向けに寝かせられて容赦なく微細な点まで探られるのに、セラピストは守られ、安全無欠の透明人間になるからだ。その関係は一方的で、マキャヴェリ・モジュールでもある。患者は、孤独でしかないからだ。知識だけの精神分析で何ができるだろうか。一時的なものでしかない治療は、やがて患者をして絶望をまねくだけだ。患者の深層心理をどこまで理解できるのだろうか。小さな事実だけを知ろうとしているのではないか。もっと現実は多くの要素で成り立つのではないだろうか。セラピストが高い識見を持ち、人間性をどこまで理解しているかでもある。救われない患者が、何を求めているか。そんな手法で本音が解るはずがない。上からの目線でことを為そうとしても真実を見損なう。
2022.11.26
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北海道。新千歳空港~旭川。ツアーは、東京支店から応援で参加者が増加したために添乗員をされている背の高い美人さんで快活で明るいタイプの女性だったのと、バスのガイドが地元名ガイドさんだったので、北海道の知識をかなり学んできた。釧路湿原の広大さとか、アイヌ阿寒ユーカラ「ロストカムイ」のショーなどにも触れることができたので、癒しの旅ができた。写真も2200枚。中島敦の「弟子」「李陵」を読んだ後、「名人伝」「章魚木の下で」は、短編なので。中島は、人物のデッサンをするように、色々人間を学んでいるように書いている。偉大な人への憧れがあったのだろうか。英雄は英雄を知るだろうか。「章魚木の下で」を読んで、何かほっとした。戦時下で彼がいたからだ。 ・戦時下で、文学者が姿を隠していただけではない。日本人の理性が消えていた。何故なのだろうと思う。今も本当は理性のない時代、そうなのかもしれない。目標を見失いつつある。目先のことに追われて、大事なものを忘れている。気付いた時は、あとの祭りになってしまっている。 ・へ2・・・章魚の木の下で、何か勘違いをしているのではなかろうか。育ててくれた親よりも、わが子可愛さに、本末転倒している。我が身の保身に走り、道理を放り出してもいる。贅沢が当り前だと思い込んでいる。何をすべきかを忘れている。
2022.11.26
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北海道。欠点は多いけれど、ここにいることはまだ好いと言えないこともあるまいと思う。日本は世界一の長寿国であり、それだけまだ少しの価値はあるのだろう。形式だけの数値ではなく、中身の問題でもある。ただ意味もなく長生きしたところで何の意味もない。ひとは自分らしく活きて、寿命を全うしたいと願っている。それが中々できないでいる。自分だけの問題でもない。 ・いつものように起きてきたが、昨日と違う自分を感じる。何がどう違うのか精確に表現することは難しい。気分の問題でもある。今朝の福岡市の気温は、17℃で、昨日より1℃だけ低い。日記をみたら、一年前の今日は、15℃のようだ。因みに、昨年の11月1日14℃、2日12℃、3日10℃、4日7℃、5日11℃、6日8℃だった。 ・へ2・・・自分でも何を残したいのか解らなくなるが、私なりの悦びはある。それは生きているという素朴な感情だ。どこかで躓けば、それまでにもなる。溝の中に堕ちた人間を誰も拾ってはくらない。生命の厳しさは、失敗を許さない側面があることだ。同じ生命でもネコと人間は違う。それは活きている世界が違うからだ。人も一人ひとり違っている。それをどれだけ理解するかだ。
2022.11.26
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・キリスト教は「愛」を重んじるのに対して、仏教では「慈悲」を重んじるといわれる。慈悲とは、自分を犠牲にしてでも他人を救ってあげたいと願う、思いやりの気持ちを指している。よく母親が子に対する愛情を慈愛と表現することがあるが、仏教で言う「慈悲」とは違っている。母の愛情は偉大だが、我が子の幸せのためならすべての愛情を注ぎ込み、自己犠牲をいとわない。しかし、それは愛着という煩悩があるからであり、自分の子にのみ向けられたものである。 ・仏教でいう「慈悲」は、この世に生きるすべてのものに対して平等に慈しみの心を持ち、救済することを求めるものだ。この「慈悲」はさらに他者の幸福を見て喜び満足することである。「慈悲喜捨」という。 ・「生きとし生ける者を平等に思いやる慈しみの心」とは、なんと雄大な精神だろうか。愛を重んじるキリスト教と慈悲を重んじる仏教とは、如何にも教示であり崇高な啓示であろう。 他面イスラム教は唯一神であり、再び拡がりモスクに礼拝する人が増え続けており、今や、世界で最も急速に成長している宗教だといわれている。 ・1980年代に欧米のメディアによって生み出された「イスラム原理主義」は造語に過ぎない。イスラム原理主義者は、コーランの教えをそのまま信じる狂信的な人びととして捉える事が多いが、イスラム教には、そもそも「原理主義」自体が存在しない。 ・また「ジハード」の語源は、「努力する」を意味するアラビア語の「ジャハダ」だ。日本語の「聖戦」の訳でもなく「過激な戦い」を意味しない。どうやら、誤ったイメージが流布されている。イスラム教は元来、平和を愛する宗教であり、自ら先制攻撃をしかけることは禁じられている。 ・思い上がった現代人が、宗教を利用し、悪をなしているのではないだろうか。宗教の原点を見直してみる必要があるのではないだろうか。
2022.11.26
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北海道。人間には意識しなくとも、外界の現象を因果的に理解する傾向が生得的に備わっているという。そして、「心的因果関係」「物的因果関係」について、二つの独立した脳が係わるのだ。自閉症は、物的因果には全く完璧であるのに、心的因果の理解に問題があるという。訓練を受けた臨床医は、目から心的状態を読み取るかも知れない。「共感」という優れた形質をもつ女性は、子供の頃から、相手の気持ちを思いやる訓練をしており、相手の顔の表情で何をしたいかを理解してしまうだろう。個人差はあるにしても、男女の性差は、脳に由来して面白いテーマである。それこそ、巷に溢れている占いブームが、経験豊かな女性が活躍する由縁でもあろう。これから、因果的な理解のメカニズムが解析されて行くだろう。そして、どこにブラックホールがあるかを究明すべきだろう。この世の、どこにでも存在する様々な暗闇を、ひとつひとつ消して行かねばならないだろう。
2022.11.26
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環境ホルモンの話、「沈黙の春」の文章を講師は冒頭朗読された。「複合汚染」「奪われし未来」。ビスフェノールA の研究成果を解説された。成長過程にある脳神経に何らかの影響が関与するのではないかと疑われるものが身の回りに使用されているプラスチックなどの中に含有しているのではないか。ずばりと言わない傾向がある。全部で3コマの講演会を聴いてきた。13時から16時まで。学園祭を一巡りした。 ・ナイジェリア人の博士は、女子大に半年滞在して研究されるらしい。よくまとめられた愛国心溢れる母国の紹介をされていた。センター長も言っていたが、現在の日本人が自分の国をあれだけ熱心に語れるだろうかと。1498年~1894年の400年間、優秀な人材を奴隷にされた損失は計り知れない。アフリカの貧困は、そうした歴史の結果でもある。そのことを彼らの口から訊けることに意義があると思う。 ・へ2・・・スポンサーなしには充分な研究などできない。それが現実でもあろう。研究者の取り巻く環境は厳しいものであろう。それをどこまで排除できるかだろう。学問の自由は、どこまで守れるかでもあるのだろう。それは権力との闘いの厳しいプロセスが必要なのは昔と変わらない。
2022.11.26
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新千歳空港。自分の足で歩いてみて分かることがいくつもある。車の窓からみていたものと随分違う気がしてくる。歩道も昔と変わらない。都市部だけ綺麗にしても、田舎は整備が進んでいない。グローバル化が言える文化ではない。アンバランスなのではないだろうか。歩いて見て回るという政治もない。 ・それとも知らないふりをしている。一部だけが先進国でも仕方がない。地方都市が疲弊し、都市部に吸い取られた人材で難儀している。PCも碌に知らない上司が部下たちに頭を下げて回っている地方の行政で何ができるだろうか。役に立たないマスプロ教育しか受けていない人たちが壮年期になっている。環境問題、食糧問題、高齢化社会と、先送りされてきた問題が噴出してきた。 ・へ2・・・自分の足を使うことを忘れていた。自分の健康を守るためにも一日8マイル(約12.8km)くらい歩きたい。
2022.11.26
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心理学で、狼に育てられたオオカミ少女の逸話さえある。生まれてすぐ刷りこみが行われて、親と間違えるのは人間ばかりではない。人間を親と間違える鳥さえいるのだ。人は、産まれた環境で、猫や犬にでもなるだろうか。オオカミ少女は、長生きできなかった。身体能力は狼たちとは違うだろう。それでも、その人生は産まれた環境による影響は計り知れない。コーランのフリューゲル版の翻訳本を手にしている。 ・何故、そう思ったかというと、私は、日本人として暮らしてきたが、ムスリムに生まれた子供は、幼いころは、その世界しか知らないだろう。ムスリムに為るように育てられるだろうし、それを信じるしかないだろうし、それで世界を見るだろうということだ。間違いとは言えない間違いもあり、正義も、真理も、そうであってそうではないかもしれない。大学でいわれる広い識見と、深い洞察力の所以はそこにある。信じることは勝手だが、それだけではない。 ・へ2・・・迷える羊のままではいられない。人類でさえ、本能のまま活きていくしかなかった歴史は長い。科学を手に入れたといえる過去100年は、短い分子でしかない。次元の違う意識が、カオスへと向かいつつある。これは破滅への道なのではないだろうか。疑うことを忘れたひとびとは、煽動者の笛に従って、はてしない闇の方へ走りだしてはいないだろうか。
2022.11.26
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北海道ラーメン。本場はやはり少し違う気がした。自分を知りたいと思うとき、周辺の環境がどうなっているのか知ろうとする。それは他の動物も常に自分が安全かどうか、確認しようとするのと同じだ。植物も何らかの能力を持っていて、自分の存在を確認しているに違いない。そういう意味で、生物は、広く自分の世界を知ろうとする。ただ自覚するという面で「種としてのヒト」は、格段に更に広い知識を手に入れている。 ・そしてより精確な視野を持つためには、精度の高い情報を得なければならないが、その情報が社会的歪曲をされがちでもある。知らせたくないという意図が働くからでもある。故にシンプルではない社会だろう。そういう複雑な社会であるのに「シンプル・ライフ」というのも如何にもアイロニカルなフレーズであるだろうか。時々、こういうとぼけたものが出てくる。それは、いささか、屈折したものでもあるだろう。 ・へ2・・・どうやら、裏取引のある社会であって、仕組まれた世界の中で暮らしているのが人間社会でもあるようだ。ただシンプルではない。人間の存在自体が複雑系であり、シンプルではありえないのだろう。隣人を愛するだけでは生きていけない環境になってしまった。それは、人間社会が競争原理という世界を形成し、近代文明を発展させてもきたのであり、少なくともそれを止めることができないでいる。何かと闘い続けねばならないらしい。しかし、物事を明らかにするには明解でなければならない。そして「無知と貧困」がベースとなっている世界が存在し、その現実を背にするか、前面に据えるのか常に試されてもいる。私たちは、Aは非Aではない、を問い続けている。
2022.11.25
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・誰も私たちが最良の選択をして、ここにいるとは思ってはいないだろう。しかしいくつかの選択肢の中から選んだ結果であることは間違いではない。少なくとも存在理由なるものはあるに違いない。君主国であるが国民主権でもある。天皇はシンボルである。それにしても内閣総理大臣とは古めかしい言いようであるし、政治体制も古い。古いから悪いのではないが、そこに媚びついている因習は少なくてもあらゆる弊害の元ではある。 ・へ2・・・いつになったら、現代社会にマッチした政府になるのだろうか。効率のよい政治がおこなわれ借金だけを増やすような政治ではなくなるだろうか。子孫にツケを回すだけの政策はやめるべきだろう。建設的な見解が見られないのは歪んだシステムが原因であることは言えるのではないだろうか。どうもウジウジと進まないのは、無責任政治の所以ではないだろうか。若者たちが未来に対する希望を失いつつあるのは、そういう不透明な未来しか描けないからではないだろうか。それこそ、真面目さがない社会の姿勢が人々のあり様をもくるわせ始めている。 ・これまでの日本人は、30年もすれば壊れてしまうようなものを建設してきた。それだけあれば、子供育て、やがて家屋は朽廃しても、時代は変わり新しい家を建てればいいと思ってきた。木造建設で、人の平均寿命は50年だった。しかしいまや長寿国である。ものの考え方を変えなければ人とモノの関係はバランスを失いつつある。困るのは高齢者たちだろう。壊れた家屋に住むわけにはいかない。少なくとも100年間くらい持つ家屋を建てるべきだろう。 ・へ2・・・これから未知の社会になるに違いない。予想もしなかった事態が起きるだろう。もうそれが見え始めてもいる。それに有効な手を打てないような政府はいらない。固定観念しか持たないような政治家が役に立つはずがない。新しい袋を用意しなければならないだろう。それだけは言えるのではないだろうか。
2022.11.25
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人びとは真面目に生きていると思う。それでも何故思うような世の中に為らないのだろうか。自分の理想とするものは自分に都合のいいものでしかないだろうか。普遍的妥当性のあるものを見つけることは出来ないだろうか。尖閣諸島の問題にしろ、50年もすれば、事態は変わっているかも知れない。国境問題は解決しているかも知れない。そうならないとは言えない。国と国との問題も、国家意識が強いからに他ならない。世界はひとつというスローガンを、万里の長城で見たことが在る。 ・世界戦争が、人類の破滅に為ることは誰でも予想することでもある。地球を知るための講座が、繰り返し大学で開催されている。みなそれほど違う思想を持っているわけではない。自然がなければ生物は生きてはいけない。予見することが、人間の優れた能力でもある。このままでは、自然破壊が進み、地球は住めなくなるかもしれないのだ。 ・へ2・・・自滅するだけの力を人類は持ったことが不幸の始まりかも知れない。ヒトは、数千万ある種の一つでしかないが、すべてを破滅させるかもしれない。世の中を変えようとするひとと、変えたくない人たちとの争いがあるのだろう。保守と革新の争いは、いつも存在している。戦争を手段としてはならない。それだけは、避けなければならないが、ロシアや中国の目指しているものは、危険な選択であろう。北朝鮮をなぜただそうとしないのだろうか。解釈の仕方で、その政策も変わってくる。人は、理性を取り戻すことができるのだろうか。エゴイストたちが、世界を狂わせている。2022年も、クリスマスの季節になろうとしている。年末に、5回目のワクチン予約をしている。さて、ツアーを楽しんできます。
2022.11.22
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今朝から、北海道癒しの旅4日間のツアーに出かけてくる。ひと月前には、ふじさん15景のツアーをして、写真は、石廊崎のところをアップしているが、まだ残りの写真もある。年に数回のツアーをしてきたので、次のツアーまでには間があったが、今回は、少し早い。全国旅行支援の期間に間に合わせたからだ。せこいが、これも貧しいから仕方がない。よく金のあるところには人が集まるというが、ひとの根性はそんなものだろう。 ・祖母が、口うるさいように、「往還ばゆけ」といっていた。横道を歩くからケガもする。天知る・地知る・吾知る 悪いことをすれば、だれかがみている。自分も見ているからだ。内弁慶の外なめくじ。臍が茶を沸かす。くだらないことをいうな、だろう。祖母とは喧嘩ばかりしたが、いうことは間違いではなかったのだろう。思い当たる節があったからだ。おとこは三年に三口というのがある。 ・へ2・・・祖母は、80歳になって、からだが不自由になり、母が看病していたが、あるとき気に入らないと便を投げつけられたといっていた。激しい気性は治らないらしい。親戚のお婆さんも浮気をしている亭主の愛人に、上の道から小便をかけたという強者の一族である。
2022.11.22
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