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モニュメントバレー。グランドキャニオンの数億年後の世界だという。人の運命もそのひとの閃きの果てにあるのかもしれない。目覚めた時が起きた時だ。今日何があろうと、それは誰にもわからない。あるのは自分に対する感情であり、行動でしかない。止めるか続けるか決める歯止めは自分の意志だろう。人は無駄なことをしたがる。他人を理解することなどできはしない。何故なら自分自身でさえ、理解できないからだ。人と社会とすれ違いの中で生きてもいる。自分の中の生体リズムは、この環境に適応しようとしてストレスを起こしている。 ・他人が信用ならないのではなく、自分さえ信用ならないのだ。馬に乗った騎士が人間の姿でもある。1400gの腸の気妙な容貌の末裔が、胡桃の中の宇宙を操作している。皮膚に包まれた泡の中で何が起きているのだろうか。美しいと思う幻想は、仕組まれた脳の演出でしかない。いつか朽ちてしまう枯葉のように炭素化するだろう。残り湯とシャワーを浴びて今日が始まる。得体の知れない暗闇が待ち構えている一日の。そして一瞬の・・・。 ・へ2・・・突然より大きな存在に踏み潰された昆虫のように生命は終わりを告げるだろう。人間が昆虫を観察するように、人間もより膨大な誰かに観察されているのではないだろうか。そして、突然消される。小さい存在は、ただ消される運命でしかない。潰される。それだけだ。大きな理由を探しても、所詮は理解できはしない。より大きな世界の存在を視ることはないからだ。
2022.06.30
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カワセミ。繰り返す日常につい自分を見失いがちだ。何だと思っている。また同じことが繰り返される。それは稍もすると当然のことのように思われても来る。庭の手入れをしていて、害虫を握り潰し一瞬にして虫はこの世から去った。何の音もしない。何も変わらない時間が流れた。人の死も何の痕跡もなく消えて逝く。厖大な宇宙の中で、種としてのヒトも小さな存在でしかない。 ・ひとも一瞬で死ぬこともある。アクシデントは普段に起きている。人のいのちは脆くもある。誰にも明日の生命の保障はない。「また一週間が来る」と思うのは、傲慢と不遜なのだろうか。今日は梅雨入りの一日になりそうだ。 ・へ2・・・日々は繰り返しの一週間でもある。けじめのないものにするかどうかは、本人の決意次第。よく動いて疲れて眠る。これができた日の翌朝は、清々しい気分になる。人は百年も生きたら草臥れてしまうが、屋久スギは、1000年経たないとその名を冠せられない。忘れていた京都の町を歩いてきたが、妻と二人だと、50年前とはずいぶん違った風景だ、まるで違う世界にいる感じがしたが、流石は古都の風情はある。歩きたいと思っていたが行けなかった嵯峨野の散策をした。雰囲気のある竹林だった。もう二度と見ることもないのだろう。
2022.06.30
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まじめのコンセプトも個人差がある。なにが普遍性があるか難しい。あのアメリカが国連の人権擁護国の加盟を脱退して、あの中国が、人権尊重するといっている。大統領は、メディア批判を続けており、なにかというと魔女狩りとか、フェイクニュースだといっているが、自由の国アメリカらしくもない。やたら反省しない中国もある。日本の存在も影が薄い。 ・まじめさは尊重されている国家だろうか。市場経済がなにかと優先して、誠実さが喪失しつつあるのではないだろうか。大企業が、不正を続けている。従業員を奴隷のように扱っている経営者たち。口では民主主義を唱えながら、卑劣なことを辞めようとしない政治家もいる。NHK的な妥協もある。いつまで我慢しなければいいのか駆らないでいる被災者たち。どこにも救済はない。 ・へ2・・・試験に落第しても誰にも文句が言えない苛立ちを感じてはいないだろうか。これは果たして自業自得なのだろうかと。今は、明治・大正・昭和の時代ではない。そしてやがて平成も終わる。どれだけの人たちが、自分のまじめさに泣かされたのだろうか。そのために金も、女も失ったかもしれない。
2022.06.30
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心身はダメージによって影響を受ける。その痛みを直ぐ感じればいいが、それが中々そう甘くはない。加齢によって自分を誤魔化しているものが出てくるようだ。痛みは鈍化もする。自分のダメージの大きさに気付かない人もいる。選択が間違っても来る。何を優先して行動すべきだろうか。それはいつも頭を悩ませる。MJが50歳で急死した。意外とどれだけ有名人だろうと、個人の死は軽視されている。 ・ひとはよく死ぬからだろうか?その軌跡は、まるで死を急いでいるようにさえ見える。有名人とは、商品でしかないだろうか。色褪せれば消えて行くしかない。輝き続ければならない宿命だろうか。いつかあのMJの「スリラー」になるだろうと。墓場から蘇ることができるのは映像でしかできない。突き詰めれば、生命の容も1クールでしかない。 ・へ2・・・無茶をすればその報いを受ける。自分の莫迦はいのちに係わってもいる。静かに顧みることのできる人間だけが、その痛みに気付くことができる。アクションがあればリアクションが必ずある。
2022.06.30
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ブッダはスッタニパータで「道の人」とある。高い所にいる人というだけではない。いつも歩いていると、道が綺麗なだけではないと感じて嫌にもなる。随分最近は、煙草の吸殻は減っているが、それは道を清掃する人が毎朝歩いて拾っている。ごみ袋を片手に早朝、雨の日も歩いて拾っている。制服をしているので仕事なのだろう。食べたものを道路に捨てる連中がいるのは文化の低さでもあろう。 ・道路で煙草を吸っている連中がいると蹴飛ばしたくなる。自分の町だから何をしてもいいと思っているのだろうか。それは自分に何をされてもいいということの裏返しでもある。守るものの何もない人がすることだ。自分の家の中だけで、他所はどんなになっていようと構わないという人間もいる。道の人に出逢うことは一生ないだろう。道は、心に通じている。 ・へ2・・・何時も平和で幸福ではない。辛い時も悲しい時もある。狭い路地も、広い道路もある。人の歩く道は、車道や様ざまな危険物や障害物や、汚物が溢れてもいる。道を汚している人もいれば、それを清掃している人たちがいる。もう誰も裸足で歩いている人はおるまい。コンクリートの硬い道しか知らない。
2022.06.30
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内宮。樹木が豊かで森林浴ができる。「捨て去れ」という教えもある。何をのこしていくか、問われる。不可逆に進んでいる時空の流れを止めるものはない。泣いても叫んでも元には戻らないものばかりだ。環境や父母たちがサポートして呉れたから私たちも生きていられるが、普段そんなことを忘れている。今月下旬に屋久島に行く予定だが、日本の秘境であり、世界自然遺産でもある。また写真が増えそう。 ・自分の目で見る世界はカメラとは違う。自分の脳でイメージしているものは物理であってそれだけではない。感動という添加物が付いている。ほんとうの森をみたい。現在の日本の社会は、「森のように」生きているだろうか。森林浴を感じながら人生の年月を過ごしているだろうか。 ・へ2・・・図書館から取り寄せた「屋久島ブック」別冊山と渓谷社の表紙に「一生に一度は行きたい」。とある。成程、そうかもしれない。屋久島も、何時もあちこちツアーをしている人は近過ぎるくらいの島だろうが、行楽地というのではない。自然遺産でもある。屋久島はある意味、日本の縮図のような島でもあるようだ。
2022.06.30
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内宮。人は小さい存在だと思う。些細なことで死んでしまう。前を向いてさえいれば転んでけがをしなくて済むのに、つい転ぶ。これまでなら何でもないことがそれが因で死ぬこともある。運の悪いことが重なるとこの世からかの世に逝ってしまう。医療ミスもある。70億人になろうとしている世界人口は、必ずしも明るい未来を予想させはしない。 ・少し遅くなった夜の日曜日のスーパーにいってみたが、未だ買物客でそれほど多くはなかったが、どうやら殆ど外国人だった。福岡市の郊外に近いふつうの町だ。初めて気付いたというのではないが、明らかにここ数年の間に、その傾向は高くなっている。10年近く前の横浜でも、それを思ったことがあるが、ボーダーレス時代が近付きつつあることは事実だろう。 ・へ2・・・ハードは同じに視えても、社会環境は、ソフトが変わりつつある。それもその中に恐らく違う言語を持つ人たちが含まれている。小動物や植物の種が外来種に脅かされている話を聴いて久しい。今更純血のどうのというつもりはないが、背中に冷たいものを感じる。これからの日本人は、ますます安穏と生きられないだろう。
2022.06.30
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巨大さや鋭敏さが有利な形質であった時代も永くはないかもしれない。文語体が口語体に為って行ったように、男から女へ、強者から弱者へ。次代のシフトの変化はありうるだろう。ピラミッドの体制であるヒエラルヒーもいつかその価値を失うだろう。いつまでも権力者が統治のために必要な社会ではないかもしれない。産業革命や印刷技術や、情報の集中が覇権を可能にした時代もいつまでも続かない。新しい普遍的価値を見出しうるかだろう。 ・その創造力は突然変異のように起きるのではないだろうか。つまりその要件は、緊急性と非常時にある。想定外の登場になるのではないか。それがなければならない気がする。次代のリーダーになるものは、豊かな社会から生まれないのではなかろうか。虐げられてきたものがもつ優しさや、忍耐強さや、柔らかな感性が力になるのではないだろうか。弱者が自分たちの力に気付くのだ。 ・へ2・・・未来にできるだけ選択肢をのこさねばならない。暴走をすれば、必ず歪も来る。ロシアも中国も、これから国際社会から、冷たい目で見られるだろう。試練は誰にでもあるが、しなくてよいものもある。指導者は、はたして本当に「核心」といえるのだろうか。ただの保身に走るだけの野心家ではないのか。独裁者ではないか。それは、ローマ帝国の時代からある裸の王様でしかない。自分たちで作り上げただけの幻影ではないのだろうか。毛沢東でさえ多くの過ちをしたと、のちの歴史家は、論説している。
2022.06.30
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1590年、秀吉の命令で、家康は江戸に転封させられた。関が原の戦いの10年前だ。当時江戸は、寒村だった。城内からは、見渡す限りの葦の原がつづく湿地帯で雨が降れば一面水浸しになるような荒涼とした荒地だった。家康の武将たちは、その有様に未来への希望を見出すことができず絶望した。併し、家康は違う。城の修繕も新築もしない。そして、荒れた城の本格的な築城も、江戸の町づくりも、着手したのは関が原の戦いのあとである。家康はこの時期、関東一帯を歩き回ったという。その調査は、後年の検地・知行割・町割などの政策に活かされた。そして、家康は、「関東平野」という希望を見出したのだ。肥沃、温暖、豊かな水だ。そして、利根川との闘いが始まる。何が、財宝かは、隠されている。「真実は隠されている。」それを探さねばならない。家康が遣ったことは、特別のことではない。データをとり検証したのだ。当たり前のことをしただけだろう。
2022.06.30
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安易に手にはいるものは、すぐ消滅してしまうだろう。形のあるものはいつかは壊れてしまう。大火を経験した江戸幕府が、森林保護の管理を遣ったことが、日本の緑を、他国の都市に比較して残存させたという。未だ、隠された真実に学ぶべきことは多いのではないか。あれもこれもと、欲望の趣くまま、煽られて唆され、教育されて。時には脅され強迫されて今の暮らしを続けているのではないだろうか。そんな気がしてならない。見慣れた風景もその異常さに気付かなくなってしまった。他人の真似ばかりしている事が安全に活きることだと教えこまれている。ひととしての本来の感性を信じないで社会から仕組まれたテレビのホームドラマのような人生を活きろと言われている。 ・活きるのが当たり前だと言われ、そして老人になれば死ぬのが当然だと言われる。バスの窓から眺めていた様ざまな現実は、脳の中に浮かんでは消えていくに過ぎない人生だ。ニューロン・ネットワークはついにその人の一生を完了し、その1クールを終り無限の彼方へ消えてしまうだろう。 ・へ2・・・考えてみればするよりしない方が難しい。何もしないで活きて行くことは恐らくないだろうし、できないだろう。車があるのに、便利なものがあるのに使わない手はないと。それで、どんどん自分たちの住んでいる環境が狭められてしまった。田圃には昆虫もいない。トンボもメダカもいない。自分の周囲をコンクリートで固めている。心も閉ざされてしまうだろう。
2022.06.30
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病棟で老人が騒いでいる。時間構わずナースを呼んでいる。触ると「痛い。痛い。」と、悲鳴を上げる。病棟中に聞こえている。何十人も患者がいるが黙って聴いている。ナースを責めているのではない。本人も苦しいのであろう。夜も眠れないようで、もう数日続いている。呼吸器系の患者が、苦しそうに呼吸をしているのを観るのも辛い。病院は、そんな人たちで溢れている。医療は進化していると言いながら、目の前の苦しむクランケを救えないのも事実だろう。妻の従姉が同じ病院にいて重篤が続いている。彼女は、咳で肋骨が3本折れたそうだ。見舞いに行った伯母が泣いていたそうだ。妻も泣いていた。まだ50歳代だ。介護は、誰にでもできる仕事ではない。難しく、辛い仕事だ。泣くに泣けない現実が圧し掛かるだろう。見習いナースたちが挨拶に病室を廻っている。彼女たちにも、老人の悲鳴が聞こえているに違いない。試練の道がどこにでもある。今の日本の社会では、自宅で死亡するよりも病院で亡くなることが多いのだろう。最期は、他人のお世話になることを覚悟しなければならない。親の死に目に会える人も少ないのだろう。終活というのがあるらしい。高齢者になれば、心の準備も必要だ。横浜に単身赴任していたころ、福岡に帰省すれば、もう来ることもないだろうと、いろいろ名所を見て歩いたが、その通りになった。友人たちとも特に永の別れをしているわけではないが、これまでも会う度にこれが最後かもしれないと。お互い未練を残したくはない。ヒトは予見する動物でもある。
2022.06.30
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内宮。流石に長い歴史がある森である。森のように生きよ、が伝統の教えでもある。森は一つの水系の集合でもあるという。必ず水脈もある。神仏が、政治に利用されてきた。あのトランプしだって神の御加護というっている。それほど熱心な信者ではない。それでも、その言葉に弱い人たちが多いのだろう。熱心に教育に力を入れてこなかったのは、知識は、障害にもなるからだ。菅前首相は、日本学術会議の会員の推薦を拒否したが、政治が介入しようというのだろう。そうさせないために作られた学術会議でもある。それに対して露骨な態度を示したが、すぐ長くはないと思ったが、その通りになった。学者をなめてもいる。 ・へ2・・・文豪たちが、戦前の軍国主義に利用された話は有名であるが、それが伝統では困る。ただ議席を得るためのタレントの起用もある。そういう多数決ではたして国民のための政治ができるだろうか。金をばらまいて政治家になろうとした夫婦さえいた。能力もないのに政治家になろうとさえする。それを許している国民では、他国にいつか侵略もされるだろう。ロシアや中国が何を考えているか、その袈裟の裏の鎧が見え始めている。現実を知ることは恐ろしいことでもあるが、乗り越えねばならない課題なのだろう。
2022.06.30
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このブログを始めたのは、17年前だが、リタイアする前、4年くらい横浜に単身赴任をさせられた。もうやめろということだったのかもしれないが、住宅ローンや教育資金などで、我慢して勤めていたが、PCを購入して慰めにした。その時からブログもやっていた。直前本社に1年くらいいたとき、楽天ブログを始めた。もともと持病もあったので、体調も良くなかったこともある。 ・以前、自分史を書いていたことがあるが、振り返ってみると殆ど忘れているが、M&Aやバブルなど、様々なことがあった。時代の潮流に流されたり、取り残されたりしたのだろう。NSが、乗り込んできたとき運命も変わったが、提携が終わったら、投げ出されたのだろう。下っ端だってとばっちりは受ける。入社したころは、銀行も華やかだったが、バブルとともに変わってしまった。それからの25年のながい日本経済の不況があるが、それだけ、政治も経済界も成熟していないからだ。情けないのは国民である。 ・へ2・・・ロシアによるウクライナ侵略を見ていると、政治の暴走を止められない社会システムの脆弱さであろう。政府のプロパガンダを鵜呑みにさせられている。文化レベルが低いからだ。デモクラシーが確立されていないためだ。国民の正義の情熱がエネルギーに燃焼しないためだ。そして悪名が運命を変えてしまう。今日は誕生日であるが、何を祝う気にもなれない。ヘイフリックの限界ということばを横浜にいたころ横浜市大病院に入院して、そのとき医学書を読んで知ったが、人は時間との競争でもある。
2022.06.30
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五十鈴川。「古池や・・・」、井底の蛙では、いつまでも狭い世界で終わってしまう。人びとが海外を目指して旅をしようとするツーリズムは世界の現象でもある。より広い世界を自分の眼で確認したいと思うからだ。百聞は一見に如かずでもある。他人の話は何度聞いても、オーバーもあれば、その逆もある。ガイドブックも、書いた人の思惑や感想でしかない。議論を好まない性格が本当に自分の意志なのかどうか分からない処がある。一方通行ばかり多い社会にいるからだろうか? ・自分は他人とは違う。好みも違う。違うのが当然なのであって、それをどうしようもない。個性を大切にする環境があるかどうか、の問題でもある。釈迦レベルの低い国家では、個人の権利が無視されがちだ。階級社会や、身分社会も未だに続いている。貧富の差は、格差を拡大している。現代も官僚機構のヒエラルヒーの投影された世界でもある。内に籠っていては、蓑虫になるしかない。 ・へ2・・・環境に優しい観光をしようとしている世界の潮流があるようだ。人と車が違う道を造るべきだろう。交通事故で人生を徒にする人も多い。鳥渡した不注意で一生をだいなしにもする。大地の遺産を知ることは、人間の存在の意味を教えてもくれる。平和の尊さも理解できるようになる。自分だけのことではなくより多くの世界を知ることで、広い視野と深い洞察力を得るのだ。
2022.06.29
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アドレナリンとインスリンが拮抗して血糖量の調節する。ホルモンは、バランスを崩し続けている。そろそろ、癒しが必要だ。軌道は、想定外を走っているようだ。別に目先に拘り固まっていない心算だが、嵌るリスクはある。頑迷と無知が人間のすべてをじわりと破壊する。 そろそろ癒しが必要だ。降りそそぐ一生に一度の美しい思い出「会議は踊る」の主題歌は、多くの人々の心揺さぶったことだろう。1930年代と云えば、ヒトラーの時代でもある。ことばの力を感じる。人生は二度とは帰らない。そのひとの世に降り注ぐ、すべては一生に一度の恋もある。何度もする恋はあっても、その最初の恋は特別のものだ。最初の恋で結婚を成就させる人は幸福なのだろう。娯楽ばかりの映画ではない。低俗にしているのは誰でもない。
2022.06.29
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以前、ハワイの公園を早朝散歩してウオーキングをしている人が多く、そして気持ちの良い挨拶を交わした思い出がある。あのときは公園も綺麗だったが、爽やかな空気と一緒に人との挨拶が気持ちを明るくした。みんな前を向いて、出会う人に皆挨拶をしていた。相手がだれであろうと、外国人だろうと、皮膚の色が違おうと構わない。気持ちよく一日を始めようという強い意志が働いていたのではないだろうか。 自分の住んでいる環境がひとびとを生かしも殺しもする。自分の住まいを自由に選ぶことのできない人ばかりではないだろうか。自分の気に入ったところで過ごしたいと思う。それが一番大切なのではないだろうか。こうして毎日歩けるのもそういう環境がなければできない。歩きたくもないところでは歩けない。先ほど、和白干潟の周辺を歩いてきたが、自分の住む宅のすぐ近くにこういう広い空間があるのは恵まれている。三年近くウオーキングを続けられたのも、色んなところで体験したことがベースになって自分の潜在的な意識を形成しているに違いない。どこでもウオーキングはできる。だが続けられるにはそれだけの環境がなければ難しい。環境と行動という意識が合致しなければならない。活かしてくれるものがなければできない。住環境と歩く自由がなければできない。
2022.06.29
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ヒトには生物学的には目的はない。それこそ自分の人生に、目標は創れるが目的などある筈もない。目的があると思い込もうとしている。この社会は完璧であってほしい。いつも誰かに護っていてほしいという人間の願望があるのだろう。それをどう思いながら暮らして行くか。同じようなことをみんな考えてはいるが、自分の目で見ているのは、目の裏の自分の脳が感じるているイメージでもある。その自覚は、数百万年かけてやっと獲得した科学だ。 ・善いも悪いもない。その時の気分でどうにでもなる。社会的ステータスで思いも違う。上流社会のあるひとがアルコール依存症だったそうだ、飲まなければ居れないときもあったという。それが分かる人もいれば解からない人もいる。カネの心配もしないで活きる人もいる。それが何だったのか知る由もないが同情をする気にはならない。 ・へ2・・・最近通り魔殺人の若い男は、自殺しようと思ったができないから通行人を殺したら死刑になるから殺したという。「勝手に思うな」、と言いたい。テレビでは、何でお笑い芸人ばかり出ているのだろうか。それは恐らくそうなるべき原因もあるのだろう。社会が斜陽化していく姿を見るようだ。知ることが楽しいばかりではない。流行歌を聴いて生きていく人間もいるのだろうが、それでは人生は軽すぎる。
2022.06.29
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過ぎたことで何も言うことない。然るべき評価は他人がするもので自分がどうのと弁解してもそれだけのことでしかないだろう。どんな家に住もうと肩書きがいくつあろうと明日に持って行くものがあるだろうか。素手で闘う勇気と生き抜く気概と智慧を持たねばならない。これまでのことで、何を悩むことがあろうか。肉体にどんなに病が襲おうと諦めるべきではない。誰もまだ『ヘイフリックの限界」を超えられないのだ。世の中は、すべて絶望が覆い尽くす時ではないのだから、自分のスペースに進もう。平坦な道など願うべきではない。あるはずなどないのだから。もう昨日はないのだ。潔く生きよう。いよいよ、「自由からの逃走」から、エスケープするにことだ。明日は、年に一度の誕生日で、その時のことを母からも聞いてはいない。チンタオ特別市というところだったらしい。戦争は、多くの人を不幸にするが、ある意味で、私たちも被害者だ。だからといって国が保障してくれるわけではない。殺されても誰も償ってはもらえない。やられ損だ。どうしてそんなことをするのだろうか。なんのつもりで原爆投下したのだろうか。戦争に勝つために、ほかに手段がなかったのではない。
2022.06.29
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五十鈴川。この社会に寄生して生きているようなもので、視点を変えればあるいはぬれ落葉シンドロームの端くれかもしれないが、勝手なことをさせてもらっている。問題はいつまで続けられるかだが、何の保証もない。物的担保もない。お国も愈々雲行きが怪しくなりつつある。目先の効く人は、そろそろ外国へ逃げ出すのだろう。最後まで残る人がどんな目に遭うだろうか。 ・逃げた人が助かり、逃げなかった人が大津波の犠牲になった。それと同じかどうかは分からないが、ここで死のうと健気に思っている人もいるに違いない。それが故郷でもあるからだ。海外ツアーを楽しめるのも帰る家があるからでもある。流浪民の悲しみは解る。消えていった民族の人々も寂しい思いをしたことだろう。そして多くの民族はその一つになるのだろう。絶滅危惧種になる日も来る。 ・へ2・・・ぼんやりしておれるのは幸福な時間なのではないだろうか。いつか決断をしなければならない時が来るとしても、それまでの僅かな時間があれば安らぐことはできる。1963年に153人だった100歳以上の高齢者が、2012年では、51376人。男は、6534人もいる。取敢えず、平均寿命の男80歳を目指そう。
2022.06.29
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女子大で「達者で長生き」という講座の最終日で、修了書を貰って来たが、これで何十枚目かだろう。それこそ体育館での実習でもあり、九大の講師からの直接指導であり、受講者が少ないのは勿体無い。健康に対して、皆は関心が無いわけではないが、どうも自分のこととして考えることが少ないのではないだろうか。 ・それこそ、基礎的な知識が大切だし、どのようなストレッチがあり、自分の歩幅はどれくらいあるのか、それはどうして調べるのか。5分間歩いてみて、自分の歩数を数えて、測ってみたりする。遣り方を色々教えてもらった。今更ウオーキングの効果でもないが、やはり参加してみるものだと思った。 ・へ2・・・貯筋というのば、カネではなく、筋肉を蓄えること。足だけではなく全身の柔軟性もある。これからストレッチングもしたい。 脳の中は空地ばかりでいくらでもあり知識を積み込めるからミステリーゾーンでもある。 すぐに忘れることもある。同じことばかりしているのだろう。それでも飽きないのは意味がないわけではないのだろう。価値を見出すことは困難なことでもある。大抵一日経てば白紙になる。百万遍というマントラがあるが、それを数えることさえ難しい。そろそろこの辺だろうと思うときは、100分の1も行っていないに違ない。人間は気が短すぎるのだ。光速は1秒間 30万キロであるが、人間の歩くスピードは、略1メートルでしかない。数百万年かけて種としてのヒトは、まだ加速膨張宇宙を知ったばかりだ。
2022.06.29
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内宮。最近は、というよりも去年からであるが。MLBのテレビ中継が多くなったので、毎日のように大谷翔平の活躍を見ているが、期待が大きくなるとそれだけ落胆も大きくなる。まあ、アメリカのショービジネスは強かでもある。ある人種に属するからといって、その人が必ずしもその民族のステレオタイプ(固定観念)化された文化を受け入れているとは限らない。それは、文化は学習によって身に付く行動でもあるからで、人種はそうではない。生物学的・身体的な特徴は、甚だ不明確である。人種は寧ろ社会的な構成概念で成立する存在であるというのが、最近の心理学や他の社会学者の意見だ。遺伝子や環境によってひとの特質を取得するとすれば、社会的背景によって変化する。更に、人間は自分たちがそれぞれの社会や文化の構成概念だと思い込んでいるため、各自が、異なる人種の定義を持っている。人種とは、分類や名ばかりの存在ではなく、次元的な規模を伴った連続体であると信じている文化もある。また、ブラジル人の多くは、人種とは遺伝するものではなく、経済的または地理的な移動によって変化するものだと信じている。社会経済的な影響による人の移動は、肌の色や髪の毛の質といった身体的な特質に変化を及ぼすものだと信じる国さえある。機能的で心理的な現象が文化を形成し、その意味が人種に意義を与えるのであろう。それは、つねに変動しており、ステレオタイプは、いつでもリセットされる運命にある。その時がいつくるかは判らないが、それを用心深く観ることだろう。 普遍的認識を見失えば、政府の行為によってふたたび戦争の惨禍が起きないとは限らない。ある人種に属するからといって、その人が必ずしもその民族のステレオタイプ(固定観念)化された文化を受け入れているとは限らない。それは、文化は学習によって身に付く行動でもあるからで、人種はそうではない。生物学的・身体的な特徴は、甚だ不明確である。人種は寧ろ社会的な構成概念で成立する存在であるというのが、最近の心理学や他の社会学者の意見だ。遺伝子や環境によってひとの特質を取得するとすれば、社会的背景によって変化する。更に、人間は自分たちがそれぞれの社会や文化の構成概念だと思い込んでいるため、各自が、異なる人種の定義を持っている。人種とは、分類や名ばかりの存在ではなく、次元的な規模を伴った連続体であると信じている文化もある。また、ブラジル人の多くは、人種とは遺伝するものではなく、経済的または地理的な移動によって変化するものだと信じている。社会経済的な影響による人の移動は、肌の色や髪の毛の質といった身体的な特質に変化を及ぼすものだと信じる国さえある。機能的で心理的な現象が文化を形成し、その意味が人種に意義を与えるのであろう。それは、つねに変動しており、ステレオタイプは、いつでもリセットされる運命にある。その時がいつくるかは判らないが、それを用心深く観ることだろう。 普遍的認識を見失えば、政府の行為によってふたたび戦争の惨禍が起きないとは限らない。
2022.06.29
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海を渡る蝶 アサギマダラ春、アサギマダラは、喜界島を飛び立ち、2000キロをもろともしないで飛来する。その生態は、一般市民も参加して調査されている。そのエネルギーは凄い。海面で休むのだろうか。気流をどこまで利用するのだろうか。どこまで飛べるのだろうか。これまでの最高距離は2,140キロだ。モットかも知れない。花を求めているのだという。その生態に学ぶものはないだろうか。小さな蝶でさえ、2000キロを移動しているのだ。日本だけではない。アサギマダラだけでもない。もっと凄い昆虫がいるだろうし、もっと凄い生命がいるだろう。人間が、知らないだけだろう。やっと人類は、この世界のミラクルを知り始めたのだろう。何故、恋人でなければならないのだろう。それは何が決めるのだろう。この不思議は、いくつもあるだろう。生物は、その生命を最大限に拡げようとしており、無知の人間の想定を軽々と超えているだろう。人類は、生命の王者でない。海を渡る蝶は、それを語るだろう。素人が研究に参加することは希少価値があるが、アサキマダラの生態について素人が、マーキングなどや、蝶の発見で貢献している。判りやすい研究だからだろう。それでも、蝶がどうして数千キロも飛べるのだろうか。そのメカニズムはどうなっているだろうか。向かう拠点はどうして決めるのか。人間は、自由のようでも、この地球の一生物に過ぎないし、重力に閉じ込められた存在で、数千万種に及ぶ種としてヒトでしかない。他のすべての動物や、植物や、昆虫の生きる智慧を学んでいるのでもない。人間の脳は、厖大な名宇宙に相当する拡がりをもつという。アサギマダラの海を行く距離に比べれば、まだ人間のこれからやらなければならない仕事は多くあるに違いない。少し、元気の出る話である。
2022.06.29
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内宮。どうやら、世間も狭くなりつつある。お気の毒ですが、…などといわれる日もあるかもしれない。最悪のケースを覚悟しておくべきであろう。パニックにならないで居れるか知らないが、まあ、出たとこ勝負だろう。私と同じ生まれの人は少ない。ベビーブーマーの前に生まれた。引揚船で、死んだ子供たちが大勢海に投げ込まれたそうだ。それは海葬でもあるが、何も知らないまま、この世と別れたのだ。運よく生き延びた一人でもある。少年のころは、自分は20歳まで生きていないだろうと思い込んでいた。何でそう思ったのだろうか。よく自分でもわからないが、一人で生きているのが怖かったのだろう。兄弟もいなかったこともある。空想ばかりしていたが、突然その時代は、終わった。そしてじたばたした人生が始まったのだ。目が覚めて、まだ生きていると思う。そして一日が過ぎていく。可もなく不可もなし。戦争が正しいと思っている人たちが、していることの現実はあまりにも残酷である。すでにウクライナ戦争では、侵略しているロシア兵の側にも、数万人の死傷者がいるだろうし、勿論ウクライナ側の犠牲者は、膨大な人数になるに違いない。ロシア政府は、勝つまではやめないというし、やめるくらいなら世界を破滅させてもいいといっている。これは北朝鮮の言い分と同じだ。何と傲慢な言葉だろうか。死にたくなければ俺の言うことを聴けといっているのだ。それがイデオロギーでも、政治でもないことは明らかだ。トレイドオフでもある。軍隊の命令でもある。これまで多くの犠牲をはらいながら積み上げてきた社会秩序を根底から覆してしまう。誰が正しいか、これまで歴史が教えてくれたが、地球の最後にはそれができない。狂った指導者が、核のボタンの保有者かもしれない。それを許している国家が少なくない。核廃絶ができなければ、常にそのリスクもあるのだ。
2022.06.29
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混在した社会の特徴は、人の軽さと重さが複雑化する。高度化した社会では、その社会に適応できるための教育は不可欠でもある。経済が優先して、庶民は置いて行かれがちになる。必要な人間だけが優遇され、一般の大衆は差別されてしまう。それが愚かな大衆かどうかはわからない。先鋭化して行く国際社会では、情報の遅延が致命傷にもなるからだ。学者は、時に高慢であり、気紛れであり、無恥でもある。優しさは一時のことでしかない。 ・知識を共有化できない社会は衰退する。先生がいつまでも学生を見下している間は、相互理解に進歩は望めないだろう。生徒が理解するように努力しない教師は先生ではない。何が足りないかを指摘できないようでは視えていないのと同じだろう。先日、高速道を行くバスに乗った時、長い高い壁の横を通ったが、高いビルの上部だけしか見えなかった。それを観ながら、自分も段々歳をとり高い長い壁が周囲を取り囲こまれるようになっているのではないかと云う思いに捉われた。 ・へ2・・・正しく物事を把握できるためには、多くの要件がいる。原因が自分にあるものと自分以外にあるものがある。他人がいつも優しく親切な人ばかりではない。差別することが当然だという高慢な人間もいるし、無恥なひともいるだろう。大学が市民から尊敬され支持されなければその国家の将来はない。開かれた大学が必要なのは国際社会がそれを必要としているからに外ならない。その努力をしない大学は消されるだろう。志の高い人間を育てる社会こそこれから望まれると思う。
2022.06.29
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いつまでも生きてこの社会を見ていたいけれど、個人の命ははかないもので、いつか太陽は過ぎてしまいそろそろ命の灯も長くはない黄昏時でもある。中学生の多感な頃、毎日のように夕方になると金峰山の峰に沈んでいく夕陽を眺めていたのを思い出す。山のかなたにある幸い住むという世界を夢見ていた。それだけ心は惨めだったからだ。世界中で、飢餓に苦しんでいる人や子供たちがいるのだろうか。 ・自分にチャンスはあったのだろうか。宝くじに当たった人や、サクセスストーリーはいくらでも聞いてきたが、それが自分にもあったのだろうか。確率は高くはない。学力も体力もそれほどあったわけではない。192センチの大谷翔平が、日本にあとどれだけいるだろうか。まだ通訳がついている。それだけ差別のある社会でリスペクトされるまでの道のりは至難だろう。 ・へ2・・・僻んでいるのではなく、あのイチローでさえ到達できなかったものがある。連邦最高裁の中絶拒否の判決といい、銃規制といい、まだ西部劇の時代の人たちがいる。彼らが今日のアメリカを作り上げてきた人たちでもある。果たして本当に誇り高いアメリカ合衆国なのだろうか。表と裏とは違い過ぎる。今回のウクライナ支援にしても、軍事産業を喜ばせるものであろう。それが正義だろうか。
2022.06.29
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内宮。ハクセキレイがいた。二見興玉神社にもいたので、結構多いのかもしれない。喩え血塗られた歴史があるとしても合理精神のある社会は、常に誤りに気付いて間違いを修正して立ち上がってきた。自分よりも他人を犠牲するやり方は、結局近道のようで遠回りでしかなく、20世紀では1億人以上の戦争犠牲者を出し、思い知ったことは、争いはいつか自分たちの身の上に起きてしまう不幸でしかない。自分のことを知るように、他者のことも考えるべきだと学んだ。 ・民族は、自分のことばを持ち、さまざまの問題を抱えている。言語の数だけ民族もある。まだ世界語を構築できない。然し、あるいは不可能かもしれない。過去を棄てられない人間たちばかりである。種を入れ替わりできないように、あるいは種としてのヒトも突然変異はないかも知れない。地球で終わる運命なのではないだろうか。 ・へ2・・・余りにも多くの課題を抱え過ぎている。そしてその方向性さえ理解しようとはしていない。国家のエゴが未だに横行している。何とも浅ましいことだろうか。数さえ解らないほどいる餓死者さえ救えないでいる。裕福者たちはエゴイストたちでしかない。何が合理性かさえ疑いうるのだろう。
2022.06.29
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・心の目を啓くことは、それだけの時間がかかるに違いない。見ていても見ていない。この世に穢れたものがあるということを否定してきた人間たちには理解できないものがある。自分の左手が穢れていると思わないからだ。毎日両手を使っている。合掌するとき、右手と左手を差別することはできないが、それを違う視点で見ている人たちがいるということだ。穢れたものがあるという思想は、昔の日本にもあった考えである。それは今の日本にもないとは言えないかもしれない。 ・へ2・・・この気温40℃の時期にツアーする人は、余程の物好きと思われたのだろう。それでも私は、体に幾許かのダメージを受けたが、まだよく解らないが、自分の血の中にもインドの世界があると漠然と感じた。差別することは差別されることでもある。それを認められるか、認められないか簡単ではない。未だに苦しんでいる国は正直なのかもしれないのだ。
2022.06.28
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カワセミ。飽食の時代でないと美食も出来ない。その美食が健康も損なう。贅沢したいという気持ちが、他人を軽蔑したり、社会的地位を絶対なものと考え勝ちにもなる、高慢や不遜も生まれる。自分のためにこの社会があると思うことは悪いことではないが、他人の権利も同様に認められるかだ。自惚れ屋が他人を蔑視することに繋がる。確り民主主義の精神を理解できているか?どうも狭い視野しかない人間には難しい。人は不完全な存在でしかない。 ・恵まれた環境で育った人間が、社会の底辺に目が向かなくなるのは、利己的な生活から来る。自分にとって利益にならないものを視ようとしなくなるからだ。人間の健やかな暮らしにとって何が必要なものであるか見分けることができなければ、健やかな人生を生きることはできない。それは多過ぎても少な過ぎても得られない。美しいものに触れたいという努力がなければ何も視ることはできない。自分の内面にあるものと向き合わねば、心の癒しにはならない。 ・へ2・・・セレブな生活がもてはやされているようだが、そんな暮らしに皆ができるわけではない。贅沢に憧れるこころにこそ、堕落の罠がある。蜘蛛の糸などない。青い鳥も飛んではいない。人間には自分の身体に相応しい食べ物があり、必要な量も、それを噛み砕き、消化し、それを重力や運動によって速やかに排泄し、清潔な生活をする責任がある。自分を活かしてくれるからだを顧みないことは破滅への道でしかない。
2022.06.28
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これまで、いくつかの出発や、再出発や、そしてUターンもある。今月は一年の丁度半分で、そして誕生月だし。色々思い浮かべることはある。あまり考えもしないで、窓から飛び出して、田舎から大都会に出た。そんな感想文を書いたら会社から人が跳んできた。素直に書いたつもりだったが他人は驚くのだと知った。一人暮らしを始めて、それまでの食べ物の好き嫌いがなくなった。 ・貧しかったが、優しい親たちがいて、食べるのだけは腹一杯食べていたし、体の弱かった子どものために、ヤギを飼って乳を飲ませてくれるような両親だった。一人っ子で甘やかされて育ったが、環境は今のような豊かな社会ではなかった。戦後の混乱期だった。碌な教育もない時代だった。親たちが自信を無くしていた。 ・へ2・・・何か、これまでとは違う月日が始まるのではなかろうか。勿論個人的な乾燥に過ぎない。これまでも、見違えて引き返したことはあるし、これではダメだと思いもした。ポイント・オブ・ノーリターンというフレーズをこれまでもなんだも書いている。そこから奈落になる。其処まで行かないまでに手を打たなければどうしようもなくなる。石橋を叩いて通るだけでは足りないのだ。止める選択肢もある。答えのない設問もある。私の人生は、Uターンもある。
2022.06.28
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内宮。シルクロードを旅した人びとに去来したのは、胸中に鬱勃したなにものかが、駆り立てるものがあっただろう。私たちもその遺伝子を持つものかも知れない。ひとは、他人から与えられるもので満足できないものを本来もっているのではないか。わたしのことは「わたしが決めてこそ」自分の人生なのだろう。シルクロードは中国からイランを経てローマにいたる道であった。十世紀までは、この二つの文化圏は境を接していたに過ぎない。生命を賭してまで旅を続けたものは、或いはこの鬱勃たる想いではないだろうか。黙って死ねないものたちが世界に溢れている。悲劇があり、喜劇があらねばならないか。神をさえ創造してさえおさまらない世界であるとしたら私たちは、未だ、現代にあってもシルクロードの夜の闇を歩いているだろうか。ウクライナ戦争が世界に何をもたらそうとするのだろうか。陳舜臣の「西域余聞」読んでいた。
2022.06.28
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よほどの鈍感かアマちゃんでない限り、自分の目の視ている世界は次元の違う世界ではない。ふつうのことが普通に視えている。それをどう解釈するかで意味も違う。社会の矛盾や疎外に付いて考えないとしたら、現実を知らないのと同じだろう。親たちが何をしているか、それこそ仔猫がそうするようにじっと眺めている事から人間の子どももスタートする。 ・頭ではわかっていても行動が伴わないで泣きだしてしまう赤ん坊だ。意外と子どもは知っている。大人たちがまさかということも知っている。それを表現できないだけだ。矛盾や疎外も大き過ぎると視えなくなる。空気や雰囲気は、澱んでしまう。自分は愛されていると勘違いして人生を出発してしまう愚か者は多いのだ。 ・へ2・・・家族を愛しなさいと教えられるが、本当はそんなことはどこにも書いていない。親たちがそう思うだけだろう。聖書にも隣人を愛せと書いているだけだが、神との誓約だろう。親子の情愛に石を投じるために神はいる。なぜこうなるかといえば、この社会システムを否定しないからだ。矛盾があっても、疎外だらけでも否定をしない。こういう社会で活きていくのは難しい。
2022.06.28
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アクロポリスとアスクレピオンがあり、アスクレピオンは医療センターとして紀元前4世紀には、当時最大の保養所であり、死はタブーとされ、治療による回復の身が目的とされたという。重病人は追いだされた、出産も禁止されていた。あるとき、入場を断られて男が悲観して自殺を図ったが、二匹の毒蛇の毒を飲みほしたところ死ぬはずが、たちまち病が快方に向かったという。名医ガレメスはこれを聴いて「毒は遣い方次第で治療に役立つかもしれない」と語ったという。 ・治癒の見込みのないものは入所させない。現代では考えられないことがされていた。このルールは非情なものであるが、古代ローマ人たちのしたたかな合理精神がある。蛇は脱皮しながら永遠の生命をもつと思われたいた。2匹のヘビが椀から水をのむ姿がアスクレピオンのシンボルでもある。 ・へ2・・・仏典にもヘビが脱皮をするように、とある。押し寄せる患者をどのような診断で可否を決めていたのだろうか。科学者としての冷徹な目はどこをみていたのだろうか。
2022.06.28
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もう世の中のことはわかっていると思い込んでいる人も多いのではないだろうか。60歳を超えても、世の中のことを知らないのでは恥ずかしい。知らないのに知ったような顔をしている。10年もしたら、それこそどこまで変化しているか解らないくらいだ。そう知っているが、知らないふりをしている。それで済まない。 ・いつ、医者から「お気の毒です。」と言われてしまうか解らない。医者か神様ではない。只の人間であり、しかも職業でしかない。いざとなったら自分を援けてくれる人がいると、思い込もうとするがそうはいかない。自己責任の原則が、この社会のルールである。 ・へ2・・・何故、講座のテーマが今更「人と人のつながり」なのだろうか。それは理由がないのではあるまい。中世の研究者から一般の市民が、それを聴いた何を学ぶのだろうか。ぼんやり聴いていただけではその趣旨を理解し損なうこともあるだろう。知るチャンスはあるが、価値あることを見出すのは容易ではない。
2022.06.28
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「盾はヰリアムでありヰリアムは盾である」。これは「一心不乱」の極致であり、絶対の境地である。(石井和夫「漱石と次代の青年」より)漱石の「幻影の盾」解説の中にある。拘りは拘りを生む原因になる。一片の小説も内奥に至れば、二度とこの世には、帰って来れないかも知れない。文豪の小説と云うものはそんな原生林の世界でもあるのだろうか。謂わば一端踏み込めば蟻地獄にもなる。作家の仕掛けた罠に嵌まるからだろう。ミイラ取りがミイラになる運命でもある。・何時も現世に帰る準備をしておかないと偉大な作品ほど、迷わされるだろう。好きな場所でミイラになるのだから本望だと云う研究者もいるだろうが、如何に自分の精神を燃焼できるかでもあるだろう。ことばに溺れることが、人生を台無しにもしかねない。AはAであり、非Aではない。「盾」はヰリアムではない。あり得ないからだ。然し、小説の中ではそれが通用する。あり得ないことが起きるから小説でもある。ひとは想像力の威力を持つ存在でもある。 ・へ2・・・詭弁を弄して平気でいるひとがいる。それを許す社会もある。何が言われているのか、本当のことは中々証明できない。すべてを知る目を持たないからだ。聖職者が500人も幼児虐待をしたと海外ニュースで報じられている。ローマ法王は知っていたのではないかと疑いを持たれているが、そのことさえ真実は解からない。宗教さえ誠実さが欠けているのだろうか。
2022.06.28
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和白干潟。訳の分からない赤ん坊でも生きておれるのは、「生体リズム」があるからだろう。そして脳がある。どうやら、こうして毎朝起きて昨日と同じことを続けられるのも脳があるからで、こうして書いてもいる。前進するものあれば、後退するものもある。消滅もある。私は自分が何ものなのか知らなくても生きていられる。便利だが厄介ものでもある。どこか少しの障害があるだけで、それに囚われもする。それは生きるために必要であれば、所謂自己防衛になる。 ・九州は温暖で、こうして夏が来ると裸でも夜寝ておれる。とても寒冷地では生きていけない体質になっている。それは冬に雪もあまり降らないから。然し一方で温暖化が進み、地球の平均気温が上昇し、莫大な種の絶滅が危惧されている。「食物連鎖」による人間への影響が懸念されてもいる。「種としてのヒト」は、墓穴を掘りつづけてはいないだろうか。経済的な豊かさの社会を目指しながら、その行きつく先が「地球崩壊」ではないか。 ・へ2・・・生物は、住む場所を失えば生きることができなくなる。何も残せなくなる。累々と続いてきた人間の歴史も終わることになる。ひとは、いま何を信じて生きているのだろうか。それは一つではない。人の生命の数だけ違う。「減数分裂」によって、引き起こされる犠牲はつきものだとされているが、慣れることはない。私たちは謂わば、遺物の上に立っているのであり、それをどう受け止めるべきだろうか、悩み続けねばならない。未来に続いている「松林の中」にあるものは何なのだろうか?
2022.06.28
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カワセミ。 同じ場所で、4月上旬にメスを見かけた。どうやら近所に巣があるのだろう。といっても探すには相当時間がかかるのだろう。もうその元気もない。いつも同じ池で、待つしかないが、これも楽しみでないことはない。どうやら、睡眠障害が深刻になりつつあるようだ。ことの重大さは、あまり認識できていない。勝手に眠くなれば眠っているが、それが、からだに悪影響がないはずはあるまい。これも加齢から来ているのだろう。まさにこれが老い耄れたからでもある。ネットニュースで、仁川空港に150日もアンゴラ一家6人が入国できないで暮らしているという。それを熊本の6歳の少女がSNSやチラシで情報発信しているというニュースであった。メディアでは、あまりにも小さなニュースだからだろうか。話題にもならないというのだろうか。 ・メディアが問題化するから、重要なのではない。寧ろ、そのことは利用されてもいる。権力に都合のいいことだけが報じられている。日本と韓国も、関係悪化を助長させることばかりだろう。煽っているとしか見えないものばかりだ。日本人は韓国を軽蔑し、韓国は日本人を軽蔑するだけだろうか。それでは、関係はいつまでも改善できない。それは他国にも言える。 ・へ2・・・なにが、基本的人権であるか。生存権であるか。幼い少女の疑問は、純粋であるだけに、本質をついてもいる。自分たちが安全で、安心であることを優先しようとするあまり、他人の痛みを見ようとはしないのだ。いつか、自分たちも同じ運命にもなる。絶滅危惧種も、野鳥や植物ばかりではない。何れは種としてのヒトにも、到るのだ。ホモサピエンスとは、予見することができるからでもある。
2022.06.28
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カワセミ(オス) 福岡市東区。 2022.6.28.5;32ひとが痛みを持つことは、生命の保持のために必要な特質であるに違いない。だが時として、激しい憎悪が、敵をつくり、過酷な罰を加えるのだろう。誰もその恐怖をもつ。iron virgin それは中世だけではない。形を変えて現在でもあるだろう。私たちは、彼ら野人の子孫だからだろう。昔は、故郷を離れることは死を隣り合わせにしたが、現在では、海外でさえ観光でしかない。安全でリスクのない観光は、勉強でも研究でもない。見るのは、演出された風景でしかない。ワンシーンを観に出かける意味があるだろうか。併し、それをしないからといってそれ以上のことができる訳でない。日本人観光客が世界の嘲笑の的になっていると聞いて、久しいが今も同じなのだろう。そして、ちんけで姑息なだけの日本の留学生たちに何ができるだろうか。敵たちを鉄で囲んでしまうのではない、自分の精魂が徐々に「鉄の固まり」になるのだ。ベトナムのメコンを見たとき、日本の青い澄んだ川を美しいと思っていた自分を打ちのめしたガイドの説明だった。メコンはこの濁った豊かな栄養で育った魚が、人びとを潤おしているのだ、と。澄んだ川では、魚は棲めないだろう、そして、人間も生きて行くことができない。メコンは、だから「みんなの母なる河」なのだ。と。日本人は、身に着けた自分の「心の鎧」を捨てるために違う世界の旅をしなければならないのだ。
2022.06.28
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大英博物館。肥大化した欲望で虚像を追ってばかりいたのではないだろうか。歪められ続けた中で、誠実さや、素直さがなくなってしまっている。周囲にあるものを見ようともしないで生きてもきた気がする。できないこととできることをごっちゃにして、空騒ぎをしていた。もう戻れないと諦めていたが、案外それは、手の届くところにあって、そういう自分を私の内心では待ち続き得ていたのではないだろうか。成人までに造り上げた骨格が一番その人の免疫力に適合し、最も病気になり難いのだそうだ。その身体に戻ることはできるのではないか。 ・元々生まれてすぐから、酒やタバコを飲んでいた訳ではない。過食でもなかったはずだし、座ったままでもなかっただろう。無煙、無飲酒、少食、多動が健康の三原則だそうだ。これは、自分の子供時代のことではないだろうか。子供や、少年のころに戻って、生身の自分に戻ることができれば、そのひとの最も健康的な身体を手にいれ、快適な生活ができるかも知れない。すべてが、うまくいくということではない。それは、ただひとつのことでしかない。 ・へ2・・・何もできないということは、この世には少ないのではないだろうか。遣ろうとしないだけかも知れない。必要なものしか食べないくらいのことはやろうとすればできる。空腹になれば食べたくなるが、だが工夫すれば、適量で済むようにできているのだ。それをしないだけだろう。どんな運動もできる。やる気があるかだろう。自分の身体のコントロールもできないくらいで何ができるのか。
2022.06.28
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谷村志穂「イギリス、湖水地方を歩く」に「フットパス」という言葉があった。私有地の中も歩く権利があるというのは、流石イギリス。日本でもできるかだろうか。できないだろうね。一番いいところが私有地になっているところがいくつもあり、そこに他人が入っては困るというものばかりだろう。元々狭い国土で自分のものだと主張して恥じないところは、公徳心もあったものではない。イギリスも島国であり、それほど広い国土でもないが、フットパスのそう距離が24万キロだというから驚きだ。 ・「歩く」という人間の最も健康的な行動を国家がサポートしているからに外ならないのではないだろうか。それは、日本の歩道が車道の隅に追いやられているのとは違うだろう。それこそ日本人の人権が隅に追いやられているのと同じかも知れない。それこそ、他人の敷地を堂々と歩けるようにすべきだろう。少なくともイギリスの真似をする必要がないが、「歩く」ということにもっと配慮したものであるべきではないだろうか。 ・へ2・・・何も金持ちでなければ快適な生活ができるというのではない。カネがなくても人生は楽しめるだろう。フリーで歩ける道を多く造り、薬の要らない身体にしていけばいいのだ。好い空気を吸っていれば、いい気分にもなり、食欲もわくだろう。健康管理を諦めないで、人生を放り出さないことではないだろうか。そうすれば、日本ももっと愛すべき国になるだろう。
2022.06.28
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ハイデルベルク大学の学生牢のあったところ。それこそ、若いころからどちらかというと病弱で学力も体力も弱いほうだったのだろう。目立たないおとなしい少年だった。一人っ子で、両親には大事にされた。敗戦後中国のチンタオから引き揚げてきた。乳飲み子のころだ。食糧難もあって痩せていたが、小学生のころ肺炎になりかけた。母が、ヤギや鶏を、狭い庭で飼って、私にヤギの乳や新鮮な鶏卵を食べさせたのもそのためだったのだろう。おかげで少し元気になったのかもしれない。 ・何をすればいいかわからず20歳ころまで暗中模索をした。あまり長生きできないだろうという強迫観念があったのだろう。弁解しても仕方がないが、学力や体力があったとしても、この日本社会で、自分の存在価値を見つけられるとは限らないだろう。徴兵制度のある国家もいまだにたくさんあるが、青春時代が暗転してしまうものも多いのではないだろうか。それこそ人生被害だろう。鬱々とした思いで暮らしているのではないだろうか。それが愛国主義の落とし穴でもある。 ・へ2・・・特攻隊の歴史は、彼らの怨念のそれではないのだろうか。ロシアの徴兵たちの士気が低いというのも当然だと思われるが、それでもなお彼らは逆らえないのだろう。アメリカや韓国だってそうだ。いやだといえないからだ。日本国憲法で、9条があることが、これまで日本の若者のそうした思いを守ってきたのだといえなくもない。ウクライナの戦争被害は、現実の問題なのだ。政府が、戦争を始めるのであり、国民ではない。
2022.06.28
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ローテンブルク観光。歩くのもただ歩くだけなら、修行でも何でもないが、人生をだれと一緒に歩くかで意味も変わるのだろう。それほど殊勝な人間でもない。自分を甘やかせてしまった失敗だらけの人生である。それでもこどものころから一人っ子で、自分の心に問いかけていた。相手を間違えたかも知れないが、それも運命だろう。ユーチューブを楽しんでいるが、仏教とか日本史もある。グーグルアースも見れるようになり、ついそちらの利用で、時間が過ぎてしまう。 生き生き人生にするための知恵や努力も確かにある。いつも効率よく無駄のない過去かといえばそうではない。躓きや挫折の連続でしかない。それを忘れている。都合のいいことばかり記憶しているためだろう。自分を客観的に観察できるのは容易なことでない。自分がしていることが意味があると思いたいだけかもしれない。生命に目的はない。問題の所在を見つけて生きて行くだけだ。 ・へ2・・・1クールの人生も終わる時が来る。自分の描いた小さな一枚の絵でしかない。私は誰と生きてきただろうか。この時代の事象をガイダンスにしていたに過ぎない。花の咲かない野草の一つにすぎないだろう。毎日太陽と出会い。そして眺めていた風景は、儚いイメージでしかない。
2022.06.28
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ハイデルベルク。異性を激しく求め合う脳内の化学作用はいつごろ進化しただろうか。交配相手を見分ける脳の単純なネットワークが存在したであろう。こうした誘引力にドーパミンやノルエピネフリンが関与していただろうか。愛の熱情は、男たちの理性を狂わす魔法であるとホメロスは「イーリアス」で歌った。この魔法は、戦争を勃発させ、王朝を誕生させ、王国を覆し、世界でもっともすぐれた文学や芸術をもたらしてもいる。人びとは、この熱情のために歌い、そのために働き、そのために殺し、そのために生きて、そして死ぬだろう。脳内のドーパミン分泌量の増加で、目的志向が生まれ、集中力が高まる。これはすべて、恋愛の主な特徴でもある。一度恋に落ちれば、相手に一心に注目するあまり、周りのことが目に入らなることさえある。じっさいかれらは相手のいい面ばかり目を向けて、欠点を見過ごすだろう。エネルギーに満ちあふれたり、やたらと活動的になったり、眠くなくなったり、食欲がなくなり、震えたり、心臓がどきどきしたり、躁状態になったり、不安になったり、怖くなったりと忙しい。ある意味でこれは、中毒症状である。時として、苦悩と悲しみが訪れ、破滅をともなう渇望状態に嵌りもする。
2022.06.27
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自然と人間との共存の道は険しいものがある。歩道と車道が一つとしてしか考えられない社会に生きているのは、悲しい現実でもある。産業革命以来、科学文明を手に入れた西欧が世界の覇権を握ってから、自然破壊も進んできた。凍てつく大地と寒気に耐えた者たちが、その知恵と工夫によって創造した文明は、自然に苦しめられてきた復讐でもあったのだろう。累々として築かれた跡には遺物の地層が横たわっている。そのうえで暮らしている現代の私たちがいるのだ。ジオツーリズムや、ジオパーク、エコツーリズムとか、ジオサイト、ジオトープなど、環境への関心が高まっている。西欧でも、自然破壊を繰り返した科学文明が齎してきた反省から、環境に優しい観光が進められている。自分たちの環境を守るためになにをしなければならないだろうか。 ・へ2・・・インドに行ったことが、人類のルーツの様な偉大な国家だと思うが、いまだにその膨大な世界故に、固定観念から逃れられない面もあるのだろう。身軽に動けない歴史観もある。街の中で、クラクションが鳴り響いていた。カオスが続いている。ひとはいつまでもチャンスがあるわけではない。
2022.06.27
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史書とは、大事なところは寡黙である。それは史書だけではない。一番気にしているところは書かないからだ。孫子の兵法も分かりやすいのだろう。だから誰にでも熟知できた。孫子を知っていたからと言って実戦でどう使うかなのだろう。そこは寡黙である。誰にでもわかるような秘密を明かすはずがない。みな真似をしてしまえば兵法にはならない。要か解釈にある。英雄は黙っていても理屈は後でならどうのようでも作ってくれただろう。勝ち残ったからそれだけの理由があったはずだと思えば何にでも化けてしまう。白でも黒でもどっちにでもなる。敵か味方かの違いだけだ。毛沢東だって今の中国では評価が以前とまったく違っている。冷静に考えれば正しいことばかりしていない。金正日も同じだろう。それは昨日までも酷暑と違い、今朝は福岡も気温は摂氏23℃になった。うそのようだ。気分も一変した。そして、昨日までの暑さも忘れてしまう。ブナの最北限は北海道らしい。なじみの深いブナの林が、北海道まで広がっている。日本はブナの林が拡がる場所でもあるのだろう。落葉広葉樹の森が、一人の人間のゼネレーションに匹敵している気がする。
2022.06.27
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宇治橋。人さまと平等に生きていきたいとこどものころから希望し、願っていた。いつの間に嗾けられて競争社会の悲哀も味わされたが、もう貴方の勝手になさって結構ですと言われるようになってしまった。思えば「遠くまで来た」まで来たしまったわけでもない。まだ体の中や脳味噌には温かい血が流れてもいる。ブレーキのない車を走らされていたが、急に「バスから降りて歩け」と言われているようなものだ。他人事としてこれまで無視していたことが自分の問題になった。これから何でも普通の人生になる。 ・普通が厭だと思っても、普通でしかないし、特別扱いされることもない。もうバスの定期券もない。並みの人生でしかなかったが、こころばかりは焦っていたようだ。弁護士になりたいとか。今更愚痴を言っても仕方がない。為るべくしてなった半生である。この社会には、普通電車もあれば、急行や特急電車もある。鈍行コースもあればエリートコースもある。所詮世知辛いものだ。それでも社会的地位もあれば家庭もある。社会で恵まれていても、個人の暮らしが恵まれているとは限らないのが、世の常でもある。 ・へ2・・・どんなに恵まれた人でも、健康でなければ長生きも、QOLもない。社会人で心身を使い放たして、定年と同時に倒れる人もいる。社会的殉死や過労死もある。他力本願で終わる人もいるだろう。「何のために生きて来たか解からない」と自分のことを最期に思うひとだっているにちがいない。ゆっくり歩けと言われても、それだけの生き方になれるまでにはスキルだって必要だ。普通の人生は素晴らしいが、それを知る人がどれだけいるだろうか。特別の人生を華やかに演じている見せかけの社会だ。
2022.06.27
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伊勢神宮。内宮。 京都のホテル出発して、二見興玉神社~外宮^内宮。確かに、思いがけないことはあるが、訳のわからないことをしていることが多いのだろう。まさか大芝居だとは思うまい。あれだけのコストをかけて、人も使っている。小さなことも大きく言うのだ。大統領が、若造をほめていた。大した奴だ、俺と話をしたのだからというのだろう。そんなに偉い人なのだろうか。ハレムを作っているからだろうか。 ・確かに似ているところがある。他人の意見を聞かないことだろう。多くの人間をだめにしている。思い付きでしているのだろう。そういえば相似形の体つきでもある。破廉恥なところだろうか。果たして両国の国民は、体制を支持しているだろうか。抑圧されているだけかもしれない。少なくとも国家のリーダーたちが優れているとは限らないのだ。 ・へ2・・・権力者たちが、してきたことはいいことばかりではなく、悪行も多い。それが目立ちもする。もしクリントン女史が勝っていたとしても、どれだけ違うことをしただろうか。アメリカはアメリカでしかなく、それ以上でも以下でもあるまい。整理のできないあたまは何れは雑草が蔓延るだろう。これも自然淘汰だろうか。私たちは、眠れない夜を過ぎしている。
2022.06.27
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伊勢神宮。BSを見ていると、米国の民主党と共和党の対立が、国論を二分させていることがわかる。そんな単純なものばかりではあるまい。前大統領のトランプ氏が指名した3人の裁判官が入ることによって保守が6人になり、民主寄りが3人になったので、保守的な裁判がされるだろうと推測されていた。これもなかなか私たちには理解しがたい。そんな裁量権があるのだろうか。じゆうではないきがする。自由ではない気がするからだ。 ・人工中絶の権利が否定された。9人のうち共和党推薦の6人と民主党推薦の3人で採決されたが、6人のうちの1人が反対に回り、5対4になった。裁判官の自由裁量権がある程度はあるからだろう。バイデン大統領も最近1人の指名をしているが、裁判官は終身制でもある。そんなことがあるのもどうも違和感がある。これだけ女性の中絶に対する権利が広く国際社会では認諾されているのに、わずかの差で憲法の解釈だけではなく、人権が無視されてしまう。これだけ女性の弱い立場が現実にあるというのに、わずかの裁判官の裁量だけで決めていいのだろうか。 ・へ2・・・裁判官の独立がどこまであるのだろうか。裁判官は、果たして保身でないといえるだろうか。指名された裁判官が、指名者への忖度がないといえるだろうか。神ではない人間の判断が常に正しいとは限らない。脅迫もないとは言えない。トランプ氏は、神の名を口にするが、日ごろを見ていると利用しているだけではないだろうか。それが政治だというかもしれない。だからこそ国民の分断もあるのだろう。っそれにしても酷い判決だ。
2022.06.27
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世界人口は、80億人に近いというのに、いまだ世界は一つのテーマさえ解決できないでいる。米国。ロシア、中国、EUが、大国であるが、どこも内政問題を抱えており、世界をリードするにふさわしいとは言えない。中国などは、軍事を拡大させて世界を支配しようとしてはいないだろうか。「債務の罠」で、他国を支配しようとしているがまさに植民地主義の手法だ。汚い手段で大国になろうとしていないだろうか。どこの国も、香港や、チベットや、新疆ウイグル自治区になりたくはない。 ・資本主義の欠点をついて社会主義が生まれたが、その社会主義が、まともに成長していないようだ。いつかは国境のない世界になるのだろうが、それまで世界が存在しているかだろう。情けないのは、これら大国の指導者たちのレベルの低さだ。暴力で国内を抑え込もうとさえしている。その手法は白色テロである。反対するものの口を塞ごうとさえしている。日本も、明治以後、その時代の強国にすり寄ろうとしてきた。その核の傘の下で生き残ろうとしてきた。 ・へ2・・・日本には、国民的なコンセンサスがないといわれる。戦争になれば、愛国主義だ滅私奉公だというのだろうか。特攻隊の若者が殉国者だと宣伝された。愛国の母もある。平和憲法を捨てて、再軍備を拡大させようとする軍事産業の存在もある。青年将校と右翼と財界が一丸となって戦前の日本を狂わせた歴史がある。まだ日本の民主主義は確立しているとは言えない。目先の利益に走り、教育もお座成りにされてきた。外堀から内堀と埋められようとしている。今のウクライナの惨状が明日の日本かもしれない。近く参院選もあるが、政府の罠に嵌ってはならない。
2022.06.27
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写真ばかりでは、つまらないと思い文章も載せているが、前の日記の繰り返しが多くなった。ごみ箱文学というのがあるが、日記もあるのだろう。個人と社会との関係は、見識の問題でもある。老人は過去のことを自慢したがるというが、それしかなくなることもある。現実は辛らつでもある。ソーシャルステータスがなければ権限もないし、商品価値がなければ無視もされる。 ・価値のある事ばかりが、起きているのではない。それこそガラクタの細胞の中にこそ、新しい価値も生まれる。これだけ地震があるのに、ハラハラドキドキばかりして暮らしているわけにはいかないのだ。そのうち大地震もあるだろうし、大津波も押し寄せてくるのだろう。その時までが、平穏に生きていられる時間でもあるかもしれない。考えるということは、しなくなれば神経細胞は消えてしまう。 ・へ2・・・今月は、誕生日が来るが、昨日娘からラジオを誕生祝に貰った。携帯ラジオが壊れたので、欲しいといっていたら、買ってくれたらしい。ウオーキングには、ラジオがないと寂しいものだ。然し、ないでもないで、慣れてもしまう。ブログも同じだろう。そろそろブログブームも下火になってきた。日記の代わりに書いてきたが、好いこともあるが反面も、手間をかけないと、喪失してしまうものもある。どうやら、新潟下越の地震も大きな災害だけはないようである。
2022.06.27
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僅かな個人の幸運はあるとしても他に楽しむことと言えば、それほどあるわけでもない。だから楽しめることは大切にしたいと思う。ネガテッブ・マインドに負けないために、生きる知恵が必要だ。自分なりの真の楽しみのためには、マイロードがなければならない。個人の受容体には、自分しか開けられないカギがあるのだろう。そのメカニズムを知らねばならない。それが現代という時代に生きるものが知った得難い知識でもあるのだろうと思う。 ・過去の人は、現代を見ることができずに散っていったのであり、私たちは大いなる恩恵の中で生きているというべきだろう。そして、未来に憧れてもいる。限られた時間の中で、この光を楽しむかけがえのない瞬間を喜ばずして、何をかいわんやであろう。どれだけ苦しみながら他人は生きているのだろうか。それは想像することしか知りえない。その人も喜怒哀楽はそのひとのものだからだ。苦しみや怒りの中から、ひとはより深く、喜びや楽しみを得るのだろう。易々と生きる者にはその感動を知ることはない。世の中をして軽佻浮薄であるものはそれだけの世の中である。 ・へ2・・・自然を深く愛する者は、より深く喜びを味わうのではないだろうか。苦労したものには、深い眠りがあり、深い水底を蹴って、水面高く、飛び上がることができるに違いない。深い悩みは、人間をより思慮深くする。
2022.06.26
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