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プラハ。ヨーハン・P・へーベルが、素晴らしい物語を紹介している。「スウェーデンのファルンに住む婚約中の男女。男の方は結婚式の当日の朝早くもう一度ちょっとと言って炭鉱に入って行ったまま、帰って来ない。花嫁は待つ、50年間待つ。「その間に、ポルトガルのリスボンの町は全壊し、七年戦争は終結し、・・・ポーランドが分割され、・・・アメリカが独立し、ナポレオンがプロイセンを征服し・・・イギリスがコペンハーゲンを砲撃し、農民は種を蒔き、刈り取っていた・・・」とへーベルは続ける。こんな出来事が起こっている間、花嫁は待った。そしてついに、50年後に炭鉱が陥没した跡にできたヴィトゥリオール池で花婿の遺体が見つかる。奇跡的に腐敗しないままで。
2022.03.31
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「虎穴に入らずんば虎子を得ず」(後漢書)と聞くけど、やはり読書もそれがあると思う。好きな本ばかり読んでいたら、偏るだろう。中国の古典についてもこれまで余り読む気がしなかったし、日本史にもそれがある。どうも著者に対する先入観がはいるためらしい。そういえば、最近、どうも疑って読んでいることが多い気がする。勿論そういう本が多い所為でもあるが。むしろ自分の方が誤解しているのではなかろうか。そう思い知るようになった。歴史にしてもそうだろう。全くそれまでの評価と違うのだから恐れ入る。まだラジオで聞いただけだが、ユダの人物像が変わるような資料が出てきたらしい。ユダの裏切りはイエスが命じたというのだ。どうも大事なことが事実と違うとすれば、認識を変えることにもなるだろう。左伝、戦国策、史記、三国志、十八史略、孫子、呉子、諸葛亮集、論語、孟子、荀子、近思録、老子、荘子、管子、菜根譚、六韜・三略、等など。それこそ、その教訓は貴重である。併し、日本人に紹介したひとたちが、どれだけ正しく翻訳しているだろうか。どれだけ中国を理解しているだろうか。それは欧米にしても同じだろう。日本人が、どれだけキリスト教やユダヤ教やイスラム教を理解しているであろうか。概括的なことばで理解できるのだろうか。日本国憲法にしろ、条文は観念的なことばで書かれており、解釈によってまったく違う結論にもなるのが現実だ。何れにしろ、「虎穴に入らずんば・・・」なのではないだろうか。
2022.03.31
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和白海域。自由の原則に立ち、政教分離の西欧の文化が「冷たい」ブロジェクトで形成されている。神の名において戦争が行われ途方もない残虐行為がなされた。西欧は、宗教と政治を分離するこことで、何とか宗教の残虐さを克服しようとしている。このことは、宗教を政治的に中立化し、公共の場で、平和的な共存を強要することを意味している。この教訓は、16世紀、17世紀の血腥い宗教的内戦から得られたものだ。人間より神を愛するものは、神を偶像に仕立てて、神の名において人間に対して残虐行為を行うことができると考えている。今、西欧では、ニヒリズムとデカダンスが強まり、敵対感情の強いタイプの宗教が再燃の兆候が見られだしている。ドストエフスキーは、かって「神がやっと死んで、すべてが許されるようになっている。」と書いている。神を引き合いに出せば、それだけですべてが許されるという言葉が未だ生きているのだ。それこそ極悪非道をそそのかす神々もいる。倒錯した宗教とは、人間を個々人であるという厄介な自由から解放して、集団の中に組み込もうとする。集団の中では人間は、集団への帰属感を抱き、そこに帰属しないものは、敵であり、異教徒でしかない。do-it-yourself の処世術との競合が、いまやローマ教皇の回勅である。大きな教会は空になってきている。
2022.03.31
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現実社会に埋没せず、如何にジャンプできるかだ。それだけのパワーを内包しているかでもある。誰も後押しはしない。自分で一から遣らなければできない。誰にもできないからやらなければ死んでもできない。デッドロックを乗り越えてきた。それが今日であるが、それは先人の成果であって私たちのものではない。このチャンスを活かし得るだろうか。あるのはそれだけでしかない。 山のようにチャンスがあってもそれを活かせないでいる。どうしてだろうか。時間はないのにあると信じている人たちがいる。崖まで来ないと分からないようでは、何もできないのに。未来の匂いがわかなくなっている社会である。言っている意味を解するものだけが分かるのだ。新しい形質をもつことだろう。 矢張り毎月あっていた文学講座がないのは寂しい。6年間半続けたので余計その習慣が身についている。職員の卒業生も親切で、インターネットの役に立つサイトをいろいろ教えてくれた。女子大には生涯学習研究センターがあり、そのスタッフでもあったからでもある。図書館利用とか、大学での公開講座の紹介をメールで連絡してくれていた。動きの悪くなった日常を指導してくれたのだろう。定年後の日々を充実したものにしてくれたと感謝している。こういう人たちがいるから、これからも勉強できると思う。
2022.03.31
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青年前期13歳~17歳。・自己の評価に関して敏感である。 ・劣等感と優越感の間。 ・マイナス評価をしがち。 ・周囲への反抗も自己主張の表現だったりする。 ・社会的要因としては、 ・70年代、まじめが「マジ」・・疑念的、に変質。 ・80年代高度消費社会には、ブランド指向が強まった。 ・低年齢化。 ・言葉の差別化。さらに、男女間のボーダーレスが始まった。 ・女性による男の品定め。男の商品化・モノ化。 ・女性のパートが増加し、ファーストフード・コンビニによる食生活の変化がある。女性の家事離れ。 ・携帯電話の増加。電子メール・チャットの急速な発展。 ・おしゃべり文化の拡大。 ・笑いを狙った会話。 ・大袈裟な表現。 ・絵文字の氾濫。 ・ブログブーム。 ・言葉の遊戯化。
2022.03.31
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カレル橋。問題は、極小粒子の人体への影響だ。人の肺の奥まで入り込んでくる。肺胞に極小粒子が付着する。・炎症―肺胞損傷―慢性呼吸器症―喘息。・毛細血管―毒性物質の流入―血液粘度増―血管収縮・人の肺は、酸素を吸い炭酸ガスを出す。・地上のオゾンによる影響。胡瓜の葉が汚染で白くなる。写真添付あり。主要な大気汚染事例 ・1930 Muse事件 ・1946 LA Smog事件 ・1946 横浜喘息事件 ・1948 Dorona事件 ・1970 東京Smog事件 <自然発生源> 火山爆発、大規模山火事、黄砂、植物による炭化水素の発生源、花粉。アレルギー発症。 春に木、秋に草による花粉<人工発生源> 家庭の暖房、製造による汚染、自動車の排気ガス、ゴミ焼却、火力・ガス発電による汚染。 ダイオキシンの問題。 生活の中で発生している極小粒子が人の肺の中に入り込んでいる。 殊に、Road Particles が問題。 ・排ガスだけでなく、道路のアスファルがタイヤによって削り取られ空中にまき散らされる。 ・タイヤの摩耗。 ・排ガスが太陽の熱で変化する。 自然から発生する土地や海などの極小物質は無害だが、人工的なものは有害になる。<室内空気汚染物質> バイオエアゾル 粒子上物質、ガス上物質、微生物、その他騒音、放射線。コピー機や事務用品などによるオゾンが人体にどのような影響を及ぼすか?
2022.03.31
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「長城に到らずんば、好漢にあらず」(ブータオチヤンチヨンフエイハオハン)という言葉がある。内海寛子著「万里長城 6000km世界初踏査記」(上・下)。1992年から2001年まで10年間の記録である。西は玉門関から南流する黄河を渡り、東は渤海湾を臨む山海関で海に至る。(現在は、総延長は8,851.8kmとされている。) 斉、魏、秦、始皇帝と長城を築いている。工事は筆舌に尽し難い辛苦の連続で、昼は敵の来襲に備えて武器をとり、夜陰に工事を続けたという厳しい自然条件と飢えや疲労に倒れたと記録にも残っている。漢代の武帝もまた玉門関から河西回廊へと、黄河の南側オルドスと続く。大規模なものは明代で、現存する長城を約10年で築いている。 過去2千数百年にわたって、中国へ執拗に略奪をくり返した北方騎馬民族の動機について、成吉思汗(チンギスハン)が残した言葉として記録にある。 「人の快楽は裏切りたるものを従え、敵に勝って、これをほろぼし、その所有物を奪い、 これに仕(つか)うるものをして号泣せしめ、その顔と鼻に涙を流さしめ、足踏みも 妙なる彼等の馬に跨り、彼等の妻、妾の腹と臍とを寝台及び布団となし、そのバラ色 せる頬をめでて接吻し、その紅き唇を吸うに有り」 と「蒙古法の基本原理」(リャザノフスキー著、青木富太郎訳)に書かれている。如何に、その匈奴、騎馬軍団の徹底した襲撃と略奪について、中国の人びとが恐怖したかを、窺い知ると同時に、なぜあれだけの長城を築かせたかが理解させられる思いがする。中国にとってすれば、文字さえ持たない遊牧民で野蛮人として夷・荻(い・てき)と呼んだ。 騎馬民族との戦いに明け暮れたことが長城を造らざるを得なかったことは確かだろう。これらのモンゴル高原に繰り広げられた遊牧民との興亡はそのまま中国の歴史であり、そこには無数の犠牲者があって、長城はその抗争の碑ともなっているのだ。
2022.03.31
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ブダペスト。同じようなことを書いている。毎日何をしているかなど、余程関心が無いと他人のことは知りたくもない。実は、やはり関心が湧くこともある。仔猫たちが熱心に、私たちのすることを観察している。それは全く無心に視える。人間はそのことを知っているが、殆ど無視してもいる。猫が何を考えているか知ろうともしないし、実際解らないからでもある。猫の脳とは違うヒト脳だからでもある。 ・ある社会心理学者が、休みの日に街かどの喫茶店から通行人を観察しているという話を聴いたことがある。その時は、ああそういう人もいるのだと。通行人は、誰が自分を観察しているかなど考えてもいないだろう。ぼんやり歩いているが、解かる人には解かることがあるに違いない。服装や、体格、歩き方、動作などから来る特徴は、ある特徴から来るそのひとの気分さえ解かるに違いない。然も心理学の専門家ともなると、本人が気付いていないことまで解かるのかもしれないからだ。 ・へ2・・・CMにしろ、世論調査にしろ、人間の心理の研究は進んでいる。色んな観察者がいて、獲物を探しているに違いない。それは許されることとそうでない人がいる。無関心そうに装った人たちの中にも鋭い観察者がいるということだろう。油断のならない社会だ。今日から、また私に新しい一年が始まる。
2022.03.31
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ブダペスト。”NOSCE TE IPSUM”(汝自身を知れ)私たちは、一番見えないのは自分自身であるかも知れない。身勝手生き方を気づかないで生きているのではないか。そのことにしばしば驚かされるだろう。他人を責めることはあっても、身内に甘く、自分の利益しか考えていないことが多い。他人も遣っているから、これくらいよいだろうと思ってしまう。 法律を守るというが、そんなことは代議士であれば当り前のことで、問われているのは道義的責任である。いつも国民ではなく派閥の反応ばかり見ているのではないか。多数派工作で形振り構わない態度は、選挙で勝てば好いというだけの節度のなさで驚くばかりである。ゲームでもしているつもりなのだろうか? それこそ「汝自身を知れ」、どれだけ経済的に豊かな生活をしようと哲学のない社会は貧困である。社会的にエリートだと言われようと、それに価しない人間が多いのではないだろうか。それが日本の未来を誤らせることにもなる。
2022.03.31
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ブダペスト。ドナウ川ナイトクルーズ。中欧は初めてだったので、もっと厳冬なのかと思っていた。ラットの実験で、豊かな環境・道具や、遊び仲間、学ばねばならないことの多い環境で育ったラットと、そうでない刺激のない空っぽの檻の中で育ったラットの比較研究がされ、前者のラットが後者のラットよりも大きな脳になり利口になったという。つまり樹状突起や、シナプスの数が多く、学習経路も多様で、知能も高かった。人間でテストしたわけではないが共通点はあるだろう。同じ実験で、刺激のない環境で育ったラットでも、年を取ってから豊かな環境に戻すと、脳がより大きくなり利口になった。それだけ脳が柔軟性があるということだ。新しいライフスタイルと環境に劇的に反応できたのだ。 ・成人期の仕事以外の知的、身体的活動の頻度と多様性が、ぼけの予防の効果を持つことが言われている。最近の研究では、知的活動が最も重要な要因であること、殊に外国語の勉強が成果が顕著であるという。アルツハイマー病に効果があるかも知れない。根拠があるだろうか? ・へ2...知的活動が脳細胞の蓄えを殖やし、それを老後に必要に応じて引き出すことができるという。加齢による構造上の低下が起きても、余分のニューロンやニューロンの回路が、その埋め合わせをするのに役立つのだ。多様で刺激的な活動の経験も新しい脳細胞の発達のサポートをするらしい。どうやら「海馬」に関係があるようだ。海馬は学習と記憶の中枢だからだ。面白いと思う。豊かな環境を目指すためには、知的活動もしなければならない。
2022.03.31
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プラハ。もう2年以上も海外ツアーにパンデミックで行けなくなった。たった2年でもあるが、あとがないものには、取り返しようがない時間でもある。何という言葉の恐ろしい響きだろうか、「汚染」という言葉を聴くだけで戦慄が走る。人間の歴史がはじまって以来、かってだれも経験したことはない宿命が、重く圧し掛かっている。生物という生物、人間という人間は、母の胎内に宿ったときから年老いて死ぬまで、恐ろしい化学薬品の呪縛から解放されることはない。まだ化学薬品が使われだして数十年しか経たないというのに化学薬品は生物界、微生物界を問わず、いたるところに進出し、いまでは化学薬品に汚染されていないところなど、殆どないのだ。 人里離れた山奥の湖水の魚でさえ、地中深く潜っているミミズでさえ、あるいは高山の鳥の卵にさえ化学薬品は堆積し、斯く申す私たちの体にさえ。化学薬品の痕跡があるだろう。愛に満ちた母乳のなかにも、そしてまだ生れおちてもいない胎児の細胞のなかにも、化学薬品が入っているのだ。こうした事態は誰の責任だろうか。誰が償い得るのだろうか。 私たちは、ただその罰の為に、転げ落ちる坂を下り続けていくだけの生命の子孫だろうか。文明の発展を自然の摂理の破壊にのみ眼を向けてきた報いを誰が背負い得るのだろうか。 ふと、水俣病のドキュメンタリーでみた白黒のテレビを思い出した。それは水銀に汚染した猫が痛がって飛び跳ねていた。いつまでも、いつまでも、・・・それは永遠に続くようだった。 今の時間のひとときの尊さをこそ、知るべきかも知れない。
2022.03.31
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マタイ伝第10章は、28までよりも、寧ろ34以降に太宰は聖書の理解をしていたとすれば相当な理解力だ。日本人の聖書に対する一般的な理解は浅い、聖書理解はそれこそ掘り下げていけば極めて難解だ。 「トカトントン」・心象風景・・太宰。ある心理状態をさす。危ない心理。理解することが寧ろ怖い。・太宰は作品で、時々自殺に対する危ないサインをおくりつづける。・なかでも「マタイ伝」第十章に触れているのは興味深い。皮相的な理解ではない。太宰の聖書理解の隘路はどこにあるのだろうか。(当時からみれば革命的思想が根底にある) 34 われ地に平和を投ぜんために来たれりと思ふな、平和にあらず、反って剣を投ぜ んために来たれり。 35 それ我が来れるは、人をその父より、娘をその母より、嫁をその姑より分たんた めなり。 36 人の仇は、その家の者なるべし。 37 我よりも父また母を愛する者は、我に相応しからず。我より息子または娘を愛す る者は、我に相応しからず。 38 またおのが十字架をとりて我に従わぬ者は、我に相応しからず。 39 生命を得る者は、これを失ひ、我がために生命を失ふ者は、これを得べし。 ・キリスト教には、逆説的論法がある。 ・日本人には、戦後の虚脱感がある。 ・プーシキン・ゴーゴリを、太宰は愛読した。・どう生きたらいいか迷い続けている。・人は、単なる生きものとしての子ではない。・自殺願望のない作家は信用しない。という見解の作家さえいた。・太宰は地獄を見ていたので、戦争は怖くない。<荒野ただひとり立つ>作品のなかで繰り返しも表現されている。何物を来るのを待っている。・(太宰)時として女になる。・当時の青年層には通じる観念があり、漠然と理解できた世界なのではないか。・明日がない。すぐに、熱が冷める。一時期こういう雰囲気が当時あったのではないか。
2022.03.31
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内宮。争わなくていい場所は、それほどあるわけではない。ヒトには、心を静める時間が必要だ。企みのある社会だ。視覚で多くのことを見て、少しは知っているが、それがどうも真実を見抜くことは難しい。さて堀辰雄とはどういう作家なのだろうか?月二回のペースで来たが1月からは、受験のこともあって、月一回であり、おまけに短編が多いので、それほど読んでいないし、余り残っているものもない気がする。活字が小さいことに悩まされた。文学というのは若い頃か、年寄りにならないと読まない。 ・勿論青年も中年も老人問題も読むのだろうが、仕事か、よほど暇な人なのだろう。文学で飯が食える人は僅かだろうし、その人が文学を愛したとしても片恋なのではないだろうか。文学は人を愛するとは限らない。憧れて焦がれてイカロスのように死んでしまう。どこまでも行くことはできても、帰ってはこない。返事はないのだ。人生には終わりがあるが、文学には終わりがない。 ・へ2・・・比喩的で言えば、堀辰雄とは、深い海の底で人知れず湧き出ているマグマで、そこに辿りつけた深海魚だけが数匹いるのだろう。サンゴ礁までには遠い。現実の女たちに憧れ女には好かれなかった病弱なピーターパン・シンドロームではないだろうか。病気ゆえに老成し、死を見詰めなければならなかった。可哀そうな人でもある。若い人が文学を愛するのは不幸の因だ。然し、憧れとはそんなものだろう。ストイックだから美しいのだ。
2022.03.30
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食べるな、危険! 話題に為っていたが、いつの間にか、それほど聞かれなくなっていったのは、あまりうわさにされたくないからだろう。「日本子孫基金」が著者である。人間にとって「食」は、欠かす事の出来ない重要な生命の要素である。それが危ういのであれば、それこそ健やかに生きることが出来なくなる。何を食べるかで、病気になったり、寿命を全うできなくもなる。因果関係がはっきりしていれば、それこそ社会問題にもなるが、それが解からないままじわりとからだを痛めることは考えられる。 ・水俣病にしても、原因究明がされるまでに長い時間がかかったし、その間患者は公害に苦しまねばならなかった。一つの原因で病気が重篤になるのではなく、色んな有害物質が体内に蓄積して病気も発生させるのが寧ろ普通だろう。まさに現代社会で、安全な食べ物はないに等しい。それが程度の差せあることはいうまでもないが、ちりも積もればやまになるように、毒も積もれば命を落とすことにもなる。 ・へ2・・・本として出版するということは、社会規範の上で妥当性がなければならないが、真実は、簡単ではない。解り難く書いてあるのが普通だ。直接的ではない表現に為っているのは、他人の権利を害するということだろう。この社会の論理は、簡単ではない。それを見極めることが出来るかだ。小麦粉で、ポストハーベスト農薬と有機リン系殺虫剤が使われている。微量で、頭痛、めまい、倦怠感、不安感、違和感、下痢、腹痛、嘔吐、視力減衰などの神経症状を起こすという。これは機序が簡単ではない。何を信じればいいのだろうか。色んな情報があり、耳を澄まして生きていくしかない。
2022.03.30
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博多湾東部。支配権を持たないはずのパートナーが、相手を飛び越えていろいろやろうとすると本能のままに行動してしまう。「そのつもりはなかったのに、ついやってしまった」と困惑しながら思うだろう。充分な情報が入ってこないために、脳の片方しか働かないこともある。脳梁は1000分の1秒の単位で大量の情報を伝達している。左右の脳がどちらかが好む情報だと、反対の脳はぼんやりとしか認識していない。情報の行き来が中途半端な状態は、それとは知らず誰でも経験している。脈絡のないことばや、説明のつかない感情や、つまらないミスをするのは、左右の脳のコミューケーション不全だ。「あの人が気に入らない、どこと聞かれても困るけど」は、右脳は解っているが左脳がはっきり意識できないケース。「何かいやなことが起こった気がするけど、うまく表現できない」は、左脳が感知しても右脳が受けとめられないケースだ。気持ちがはっきりしなくても行動はできる。人間は右脳の直感だけで動いていることが多いのだ。私たちの周囲では、数え切れないことが絶え間なく起きているが、そのうち意識にのぼるのはほんの一部に過ぎず、残りはつかの間のエネルギーとして入って来ては何の印象も残さない。右脳では、一時的感情の変化が現れても左脳で意識されない刺激でしかない。思わぬときに何故いらいらしたり、理由も無く憂鬱な気分になるのは、中途半端な刺激が原因である。だから、好きな本を読んだり、お喋りをしたり、勉強をしているときのように左脳の活動に没頭していると、不安や落ち込みは忘れられる。
2022.03.30
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奈多海岸。一葉「塵中につ記」より、「・・・かひなき女子の、何事を思ひ立ちたりとも及ぶまじきをしれど、われは一日の安きをむさぼりて、百世の憂を念とせざるものならず。かすか也といへども、人の一心を備へたるものが、我身一代の諸欲を残りなくこれになげ入れて、死生いとはず、天地の法にしたがひて働かんとする時、大丈夫も愚人も、男も女も、何のけじめかるべき。笑ふものは笑へ、そしるものはそしれ、わが心はすでに天地とひとつに成ぬ。わがこころざしは、国家の大本にあり。わがかばねは野外にすてられて、やせ犬のえじきに成らんを期す。・・・。」碌に教育を受けていない一葉が、明治の世で、女流小説家になろうと決意したのは、数えで20歳の時である。過酷な環境と貧困と偏見が渦巻く時代にここだけが陽光が射したように輝いている。やがて金子みすずも生まれている。どこかでみた詩を思い出す。・・・ではさやうなら仏さま 地獄は 一定わたしたちのすみかださうでございますから。思えば、わたしたちの目は何ものも見えていない節穴だろうか。見ようとしないだけなのだろう。我ことの悩みや哀しみの涙で溺れようとしているだけなのだろう。どこが痛いとか、苦しいとか、メランコリーだとか、何だとか、いう前にすることをして、ひとりの人間として、立ち上がれ。
2022.03.30
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<作品>「桜の樹の下には」、「雲」、「猫」、「愛撫」 「桜の樹の下には」、・小説?詩か。散文詩である(冬彦)。・着想で成立している作品。・桜のイメージ。爛漫と咲く。雪月花。美観。・坂口安吾 桜の森の満開の下 虚空-風。・陰惨さ。・梶井の独自性がある。・朔太郎「竹」の連想。・ポーの作品。朔太郎。梶井に繋がる。・調和と破壊の二面性を持つ。本能的。「猫まち」と「檸檬」・透視する。・梶井がふっと思いついた。「桜の樹の下には」・・・屍体が埋まっている。感覚的。・知識は何の役にも立たない。理屈ではない。・説明的。比喩的。・繊細さ。精神には病的な感じがしない。・透視術。・「俺には惨劇が必要なのだ。」オリジナルのアイデアであること。普通ではないし当たり前ではない。「雲」、・「蒼穹」を連想。・何を書きたかったのか?よく分からない。・雲 断片 その二・「夕暮れ、雲」 に梶井は関心がある。・大きな落日を見たい。(「冬の日」)・雲への関心が作品にみられる。変化を目で追う。・精神の調和を求める。なるものとならないものがある。願望がある。焦燥感がある。途中で終わっているもの。見る対象に没入して行く傾向。・同じことを書いている。別の表現になっているだけ。・同じを見るか。そう見ないかは、個人差がある。・梶井にある資質。志賀直哉に関心を持った。・・・理由。感覚が違う。・彼の発想は、荒唐無稽ではない。ドッペルゲンゲル。・シュールリアリズムではない。・「今だ!」というその瞬間に拘る。ポーの作品にもある「黒猫」。ぼんやりとみていない。集中している。景色が変わる。安らぎを得られないことを書いている。・「白雲郷」・・・理想郷のこと。・漱石を愛読していた。谷崎ではない。・見えない雲。(その二)・空・海・・・同一化される。空から海を連想する。・ネプチューンの絵・視覚と聴覚・その一、その二が繋がっていない。編集者が勝手に編集した。「猫」、・凡作。「愛撫」・小説。アイデアの連続。・猫愛好ではない。・束の間の平和。束の間の調和。瞬間だからこそ。・思いつきの連鎖。ショート、ショート。幕切れ。・星新一。「おーい出て来い」・梶井は頭で作品を書いていない。・大石修平「殺されたる范の妻」「城の崎にて」・直哉「豊年虫」・「剃刀」・テキスト。吉野弘「I was born」・読者が、好むか好まないかで違ってくる作品。・猫の耳を切符切りでぱちんと切りたい。・積み上げて壊す。・耳が猫か。・・・爪が猫か。猫の手。・「お前は直ぐ爪をたてるのだから」刹那。束の間の休息。休息では終わらない。・あまり取り沙汰されない。先行論文もない。
2022.03.30
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所要時間は。30分間の風呂でしたが、いつもはそんなにかからない。ゆっくり入りました。大抵さっさと洗う。用が済めば上がるだけ。何かに似ていますね。いえませんけど。本当は滑稽なのでして、自分でも嗤える。この前の北海道の温泉はよかった。久しぶりに温泉の感じがした。父と阿蘇の温泉を重いぞんぶん楽しんだ経験があって、あれ以来、まあ感動もなかった。誰もいない真夜中に一人で温泉につかって、空を見たら、オリオンが見えた。月もきれいだった。10月で、ちょっと寒かったが、しみました。 ・ああ、温泉も忘れていたけど。高野山の歴史を読むと、末世思想の時代で、人々は救いを求めて高野山に上ったらしい。並大抵の旅ではない。それでも出かけた。黄泉かえりを願ったのだそうだ。分かりませんけど分かる気もする。私も先祖が呼んでいるのかもしれない。空海は即身仏になったという説もある。 ・へ2・・・鰯の頭も信心から・・・碌なことしか知らないが。なんまいだ、なんまいだと、なにごとにも呟いていた祖母に育てられた。幼児体験は恐ろしい。その人の世界観にも影響するらしい。ツアーをするといつも朝風呂をします。暖かくなれば、家でもシャワー位しますが、風呂まではしないから、旅に行くとしたくなる。いいたびをしたいですね。そろそろ4時。猫たちがそばで寝てますが、いちど話を聴いてみたいですね。私をどう思っているか。
2022.03.30
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和白海域。過剰な願いをするからできないのであり、確り観察していればできるものはできる。社会に責任があることもあるが、そんなことは少ない。人はなぜ殺し合わねばならないのだろうか。そうしなければならない理由は、真実だろうか。問うべき人が問わないままことを起こしている。自分が自殺したいから、他人を殺して死刑にしてもらうという。自分は苦しむのは嫌だが、他人は苦しんでも構わない。幼稚な人間に付き合えないが、そういう人が周囲にうじゃうじゃいる。 ・訳の分からないことを平気で言うのがドラマで、CMでひとのこころさえ操ろうとする。何ですかこれは。これも文化ですか。文化勲章はあれはなんのご褒美ですか。猿回しのサルをしたからといって豪いわけではない。ひとは往生することはできないのだろうか。巡礼もしないで。自分を軽蔑するために生きてきたわけではないが、同じ穴の貉でしかない。 ・へ2・・・同行二人は、相手は妻ではないが、いまも弥次喜夛道中をつづけている。行きたいとツアーに申し込んだ妻が行かなければよかったというのではないだろうか。そんな気がする。知らぬが仏の、人生もある。本当のことを知れば怖くていけないところばかりだろう。
2022.03.30
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<作品> 「斜陽」外・敗戦のあと太宰は死に向かう。マタイ伝に触れる。・アウフェーベン(止揚)すること。・「斜陽」天皇制(とのつながり)。外側から見ていてはわからない。「斜陽」は「桜の園」ではない。太宰は革命(まで手が届いていない)ではなく、解体に向かう。・解釈が安易ではない。MCの解釈。太宰と聖書。・母なる存在。「女神」、・細田の「斜陽」と同じ、人名を使っている。・細君の姿・・・女神。信仰の世界?アナロジー?母なるもの・・存在。・男性がだめになる。病んでいる。・男に欠落したもの・・・女語りの意味。・狂人であろうとなかろうと構わない・・・細君の考え。常識を超えている。・細田は、敗戦後の日本の姿を象徴している。「フォス・フォレッセンス」、・女神から続いている観念がある。母の存在。・現実と夢想。・フロイト。・私・・男。・それが・・・何かを太宰は云わない。全部を言わないで書いている。親友とは?・羽左衛門・・・についての太宰の考え。・芸術家と市民(太宰の生涯のテーマ)トーマス・マン、森鴎外。・「トニオ・クレーゲル」の影響がある。市民になれない・・トラになる。芸術家はトラである。心の中に虎を飼っている。市民にはない。・正気と狂気。・・天才と才能。ある種の異常さ。・漱石・・時々、顔が変わる。・太宰の狂気はこれとは少し違っている。・山の男と芸術家は相似している。街には住めない。・当時の知識人は太宰を信用しない。 そこで市民の存在。・ロマン主義者でありたいという太宰の理想がある。リアリストではない。先鋭的なクールさ。意外に現実家。未だ夢想の側にいる。「朝」、・夜の次の朝の意味。・男の仕事。・「・・・キクちゃんは、じつとしていた。」瀬戸際が去っていく。そして朝になる。・貴婦人が、平気で小便をする。「斜陽」にモチーフがある。・バイブルが出てくる。難事を乗り越える。・「明り」が出てくるのは要注意。「斜陽」、・「弟」・・・世間と交渉できない。交渉が下手だという。太宰と同じ。・敗戦後の日本の姿を描いている。・「象徴」がわからなければ芸術を理解できない。母・・キリスト・・襟巻・・うけつがれること。第三章が冒頭は、母子像に重要性がある。・「水田が素晴らしい。」当時の太宰の意見は正しい。現在の日本を言い当てている。・数子の胎内の子が問題。継承されるものとしての存在。・太宰の「空」は象徴的表現。「青」梶井基次郎もおなじ。・「趣味の悪い家」・「バラが咲いた」、も象徴的。・「国破れて山河あり」は、中国では、敗戦ではなく、離散することの意。・堀辰雄「あら野」・・・数子の心象。夢が破れていく。・太宰の「怪談好み」・・・蛇が出てくる。・冒頭の貴族の書き方がうまくないと批判された。母の姿が貴族ではない。・貴族の没落。「細雪」「桜園」「ともしび」・弟の麻薬中毒。没落の原因。・「私の恋は消えていた」自分の思いが重要である。片恋。相手の恋はどうでもいいこと。・尋常なモラルでは成立しない。女しか革命は起こせない。自分の子によって。MCの意味。マイ・クライスト。肉体としての子ではなく、精神としての子。没落した家の子ではなく、数子の子として継承するため。子供にすべてが託される。・ピエタのマリア。・数子と直治は象徴的存在として書いている。太宰のロマン主義。・蛇の子・・・まともな子ではないことを匂わせている。・西行の「桜」・・「夏の好きな人は、夏に死ぬ」という。・徒然草の引用がある。「おさん」・女語り。・心中。・自己嫌悪。革命家の犠牲になる。・おさん・・妻の比喩。・細君から見た夫。敗戦後の日本の男の姿。・遠いところを見る夫。魂の抜け殻。・「革命は、平和な家庭を破壊する」・招魂祭とパリ祭。・蛇のモチーフがある。・狂気になる夫。(太宰のこと。)「狂ったほうが、気が楽だ」・家庭の幸福を考えていない夫。・テーマ上で「斜陽」に近い作品。レイルモントフ・・・悪魔・・侮辱された故に殺意を持つ。
2022.03.30
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阿弥陀経に、幸あるところ(極楽)という名の世界がある。と説かれる。導き師ブッダが長者シャリープトラに、解説される。そこに住んでいる人たちは身体の苦しみも心の苦しみもすべてなく、ただ幸せをもたらすものばかりがそこにある。多くのものが宝石でできている。ほとけの国土特有のすぐれたしつらいで飾られている。色々の珍しい美しい鳥たちがいるが、それらは罪業の報いのために生まれたのではなく、化作してつくられたものだ。 ・英語の教材の Sidney Sheldon の “The adventure of a quarter.” は、現代のアメリカの生々しい現実がある。一枚のコインが12人の運命をコインの裏と表の違いのように剃刀のようなシャープさで引き起こされるエピソードが描かれている。幸福とは何だろうか? ・へ2・・・幸福とは何だろうか。今度のツアーでは、夫婦できている人たちがほとんどだった。親子や、家族連れもあったが、熊野詣でや伊勢参りを、目的とするツアーでもあるから他のツアーとは違うかもしれない。連れ添うから夫婦でもある。同行二人は、相手は配偶者ではないが、この世では仲の良い夫婦が似合う。
2022.03.30
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「新しい学習は脳を活性化する」。ひとの脳の自然な状態とは、なにかを学ぶ状態である。脳は新しいことを学ぶように仕組まれたメカニズムを持って生まれてくる。新しいことを学んで問題の所在を発見し、解決することが自然なのだ。学ぶのはひとにとって自然なことでしかない。日常生活の一部なのだ。脳は、それが仕事だろうと遊びだろうとその区別をしている訳ではない。詰まり、活動そのものが幸福感を刺激する。 ・社会規範の中で生きているから、社会システムに支配される。この社会が決めたルールに従って、人の価値が問われているに過ぎない。首相が首相の仕事をしている、と国民が認めるかどうかは分からないが、彼が首相でいる間は、首相として遇される。国民も個人的な立場でその国民としての権利義務を与えられている。問題はその中身であるが、少なくともあるべき存在は認知されていると言える。 ・へ2・・・どんな生き方も自由だと言えるだろうか。それは、世界観や価値観で相当違いもする。たとえば、太陽の光が充分な当たっている場所で暮らしている人もいれば、そうとはとても言えない場所で暮らしている人たちも大勢いるのだ。何故そういうことになるのだろうか。それは歴史的な背景があり、新しい学習をしない人たちがいるからでもある。自分はそうなりたいとは思わないだけだ。
2022.03.30
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カレル橋。13世紀のヨーロッパは、ウラルの東方については完璧なまでに無知だった。交易商人はラテンと中国を往復していたが、啓蒙する役割を果たしてはいない。中世ヨーロッパの神学者たちはかってな妄想で、東方の未開地にすむという奇怪な怪物をでっち上げてもいた。当時のキリスト教徒の空想は、グロテスクな生き物が住む根拠のない空想のそれである。 そして700年以上も過ぎた現在でも、ヨーロッパの人びとにとって、モンゴル軍の遠征の壮大な地理的スケールを完全に理解するのは難しい。それこそ、いくつもわかれた軍団が、兵站を補給しながら進撃し、展開しえたのであろうか。城壁をめぐらせ自領を防衛する欧州国家と、長い遠征の果てに、あれほどの勇気と想像力を発揮できたのだろうか。中世における最強軍団と思われたヨーロッパ軍に対して、アジアの軍団は、大いなる謎だった。モンゴル軍は、中国や、ペルシャと戦いながら新しい兵器や戦略を学んでいたのだろう。 それは遊牧民族の狩猟に由来する戦略でもある。狡猾な戦略だ。度々、逃げると見せて罠にかける戦略を成功させている。 モンゴル軍の侵略による殺戮は、ヨーロッパに暗い影を落とした。その野蛮で残忍さがモンゴル・スタイルとされた。数々のデマゴギーが流れ、恐怖を煽る道具にされた。モンゴル軍の侵入はキリスト教徒が漠然と感じていた天罰についての想いを、世界の終末は近いという盲従じみた確信にかえてしまったのだ。北ヨーロッパでは、教会は毎日、恐怖にとりつかれた民衆でうめつくされたという。これだけ科学が進歩しても、種としてヒトの形質が進化しているのではない。寧ろ退化もある。というより動物性が抜けないのだろう。ヒトの形質はどこまでも同じだろうか。独裁者は、長生きしないのが宿命とは限らない。悪い奴ほどよく眠るからだろうか。70歳になればわかるが、生きているだけでも結構辛くなるが、どうも個人差もあるらしい。老兵は、はやく消えるべきだろう。
2022.03.30
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ブダペスト ドナウ川ナイトクルーズ。加齢とともにミトコンドリアのゲノム・DNAに変異が蓄積すること。ことにゲノムの複製に重要な1千塩基対より特定のDNA断片に変異の集中が判った。若い内は惹起せず高齢者に5%~50%の確率で起きる。ミトコンドリアのDNAは、核のDNAと異なりヒストンのようなタンパク質による保護が無いため変異の確率が10~20倍高いと言われる。せっかちマウスは短命でのろまの亀が長生きなのはミトコンドリアの活性酸素の放出と無縁ではない。大食いは大量の活性酸素を作り出し動脈硬化と老化を早めることになる。複製のエラー:ミスマッチが発ガンと結びつく。体のメンテナンスは、常に点検を怠らず傷ついた部分を修理しなければならない。手当てをしないと家屋のメンテと同じで怠ると木造家屋ももたない。パーツも大事にしないと修復できない運命だ。 生殖に到るまで個体差が少ないのは子孫を残す為だ。生殖との係わりが希薄になると多様な個体差を生じてくる。熱力学第二法則のエントロピー増大:生物を含む全ての物質は劣化を免れない。 PALE BLUE DOT ”A vision of the human future in space ” ”pale blue dot ”の地球が何時か太陽に呑み込まれ、或いは、r=10mm なるかも知れないが・・・。 存在理由 「問題の所在」は何か。意義があり。沿革・構成要件の総論があり。そして存在理由がある。企業も生きているのだ。遺伝子からみれば人体は道具である。脳も精密マシーンでしかない。感情も化学作用で喜怒哀楽がある。どれだけの情報を持っているかで未来は決定される。情報能力のない個体は生き残れない運命だ。蚯蚓でさえ移動しなければ同じ環境で生き残れないことを知っている。遺伝子にプログラムされているからだ。シンメトリーな異性を好み優れた子孫を残そうとして、仕組まれたDNAが遠い数十億年の彼方から来ている。 存在理由のないものは、この世界では消去される。
2022.03.30
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シェイクスピアでも、チャーチルでも、ゲーテやカントでもなく、モンテニュでもパスカルでもない。自分の身近な人だけしかその名前は通じないが、その誰かさんがいった言葉が心に強いインパクトになることがある。そんないい言葉が必ずあるだろう。「ああ、誰かさん、いいこというな!」、と感心したら、それは自分だけの「永遠のいいことば」になる。 あるひとの「わたしの動物園」 熊 に ま た が り 熊にまたがり屁をこけば りんどうの花散りゆけり 熊にまたがり空見れば おれはアホかと思わるる マ サ シ ゲ 千早の城でな 正成さんは 真瓜うり かぶりもて ぼちぼち行こか と言やはりましてん 奥さん薙刀せたろうて 紀州ネルの腰巻しめて 連れもて行こら と言やはりましてん 葛城山に雲が出て 寄せ手の兵隊傘さした 正成さんは ぴっちゃりこ 何だか愉快になってきた。口に出して読んでいたら、そうしたら、このはるかな世界は、きっと自分のものになる。いい言葉になる。
2022.03.30
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博多湾東部。福岡市東区。「南無大師遍照金剛」など。どこかで聞き覚えのある言葉の意味も知らないでいたのかもしれない。どこでどのようにつながっているのか、知らないことを知らない。知らないということを無知と言い、無智ともいう。「無知と貧困」は、現代でさえ、根本問題でもある。お遍路さんを、テレビで何度も見ているが、軽視していたわけではないが、個人的な趣味の一つだろうくらいにしか見ていなかったし、夜通し道を歩いたこともない。 ・高野山の奥の院に、寺のひとの案内で見物して歩いているとき、ちょうどどこかの高校生の集団が、100キロを徒歩でたどり着いたところだった。座り込んでしまっている生徒もいたが、山道を登ってきたとなると、結構堪えたのだろう。私たちはバスできただけだが、長く感じた。九州の山しか知らないこともある。 ・へ2・・・今度も、教本を思い一冊子を買ったが、これは大字平仮名付とある。おそらく民衆向けのものらしい。どうやらここにも身分制度のすみわけがある。ひらがなでかいてあるといがいとわからないことばになる。意味が解らくていいのだろう。素直な人間とは、必ずしも聡明な人のことではない。バイデン大統領も少しはましかと思っていたが、根性は変わりはしない。えらそうなことをいう割にはだらしもない。なにが戦争はしないだろうか。武器で儲けてもいる。ロシアも自分たちの間抜けさを思い知るべきだろう。なにが常任理事国だ。国連だけではなく、国際社会を騙してきた。レーニンが泣くだろう。社会主義国も、名前だけの国家しかないらしい。
2022.03.30
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奇跡的な合成物とは、ことばである。そして、その習得が生きる上で必要不可欠な道具でもある。ことばの力を借りないと生きていけない。ただ2年間近く、時間がかかることだろう。そのために可愛く生まれてくる。どんな悪人も赤ん坊には勝てないくらい可愛いと思うように仕組まれている。ことばは日常の道具であり、これを上手く使わないと苦労をしなければならない。日本語に宿命があるかも知れない。それを誰も読み説いてはいないが、何れはその事実が証明されるのだろう。 ・これだけ、多い民族が生きていて、生き残りをかけているが、それぞれに独自の言語をもっているが、それが淘汰もされている。旺盛な関心を持ち、順応できる脳がことばの原理を習得し生き残るのだろうということは言える。「脳」という科学的な視点が人間としてのより豊かな生活を約束するのだろう。 ・へ2・・・先ほど眠くて仕方がなかったが、どうやら通院疲れらしい。少し眠ったら、元気が出てきた。あたまもすっきりした。睡眠が人間に及ぼすものは小さくはない。ことばをどこまで習得しているのだろうか。どうも、その意味がよく理解できていないようだ。国会中継を聴いているが、言葉の習得できていない人たちが、訳の分からない議論をしているように見えてならない山道を歩くのに、手荷物を持って歩くのは辛いものだ。自分の飲む水筒だって重く感じる。手ぶらでいつも歩いているので、よけいそう思うのだろう。買い物をして、牛乳3本とか、重いものをぶら下げて1キロ近く歩くのが、なんとなく重荷でもある。最近それを感じるようになった気がする。腕力が落ちたのだろう。高野山は900mあるので、下から登ってくるのは辛かったに違いない。然も手ぶらではないだろう。水場も少なかった。宿場に泊まって熊野古道を歩くツアーもあるそうだ。
2022.03.29
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<作品>「詩」(習作)、 「小さき良心」(習作) 「不幸」(習作)・「習作」は、本格的な小説が書かれる前の作品。・梶井は何回か転居している。ひとの移動する意味。「人生は移動して死ぬ」こと。・京都にも住んだことがある。・その経歴から「檸檬」に繋がるものがある。・梶井の「日記」が重要。創作メモが含まれている。・梶井は、詩作もしている。作品が詩歌であるの評価もある。・「檸檬」の詩の発想が作品の中にある。詩の原形がある。モチーフがおなじ。・大正の「習作」としてみること。・「鴎外は莫迦だ。漱石が訳語だ。」・・・谷崎が好きだった(梶井の見解)。・実篤に対する関心。賀川豊彦。・身近なものを題材にしている。・先行作家に対する見方。関心が重要。・理性ではなく、「感覚」が大切だ・・・梶井の考え。「感覚的」。横光よりも新感覚派である。(教授の意見)。・梶井に対する評価は、当時は高い。・文章が詩であること。詩的な文章。・レンブラントの「光と影」のモチーフがある。・レモンは、それまでの作品の中に何度も出てくる。そして「檸檬」の作品でまとめた一つの作品になる。「詩」(習作)、 ・「檸檬」の原形がある。・画集の上にレモンをおく。「レモン爆弾ではない」。・ポーの作品。「告白と隠蔽」・相反する考えがある。人間の中に同居する。パーバース。・谷崎的・・梶井に近い。・漱石の心理分析を好まない。然し「草枕」はいい。・企みは、檸檬をのせて帰ってくるだけ、・リフレインになっている。「秋の木の下」・肺病は悩みではないという。それを気分で顕している。・「檸檬」がわかる若い読者は却って怖い存在でもある。レモンが、爆弾にある。・調和の上に破壊がある。自らの手で破壊する。・・・梶井の心理。「小さき良心」(習作)・白樺派の発想がある。・設定が曖昧。結末がない。何事かを明確にするつもりはない。気分を書く。・具体的に書かない。・・・書きたいのは気分のほうにある。・二つの作品?書き直した?前後がつながらない。別稿?・リフレイン。あるいているが繰り返される。・・・怖れている。・中野重治「街あるき」街を歩くのがモチーフ。・興奮や、怖れや、苦悶が出ていない。と梶井は書いている。それが書かれていない。・自分を他人のように見ている。ドッペルゲンゲル。相手の側からみる。・(谷崎「二人の芸術家の話」のちに「金と銀」に改題した、の関連。・佐藤春夫の存在。・志賀「剃刀」が念頭にあった。感覚の鋭敏さ。の影響がある。・巡査を気にする。巡査の目。「交尾」につながる。・外側から自分を見る目。・何のために書いたのかという疑問がある。潜在するもの。・追い込まれた人間の心理を書きたかった。気分を書きたいという願望。・「・・・さえあれば、」・結末の付け方は、他にはない。作品にしていない。分かり難いものがおおい。 「不幸」(習作)・二稿と三稿は、全く違う。描写の違い。同じモチーフを違う書き方をしていない。・母への関心。何故か?母のことばで「夢うつつでやっている」。言い当てており、核心をついている。自分の感性の源は母親であると感じていた。・一稿はもともとない。・人間をどう描くか。というテーマがある。苦悶を書きたかった。・何度も同じところに戻ってくる。敢えて戻る。それは従来の小説では回避されること。
2022.03.29
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姿は違っても同じ小鳥である。小さな世界を生きてもいる。李白は、かって日本人も愛した中国の詩人だ。大陸を渡り歩き酒をこよなく愛した人でもある。「李太白一合ずつに詩をつくり」という川柳もある。月下の独酌 (李白)花開 一壺の酒独酌 相親しむ無し盃を挙げて明月を迎え影に対して三人と成る月 既に飲を解せず影 徒に我が身に随う暫く月と影とを伴うて行楽 須らく春に及ぶべし我歌えば 月 徘徊し我舞えば 影 繚乱醒時 同じく交歓し酔後 各 分散す永く無情の遊を結び相期して雲漢遥かなりこの詩のこころは、そのまま日本人の心境でもある。「かって・・・」と前述したが、実は、現在も「李白」を愛する日本人は多いのかも知れない。自分たちは「屋根の上のバイオリン弾き」だというユダヤ人の映画を見て感動したが、人間は、世界中皆同じだと思った。環境が違うだけだろう。だが、その環境がすこし違うだけで、ややもすると戦争さえ起こしかねないこころの襞をもつ人間は、理解しあう努力を忘れてはならない。すぐにも、心の闇に取り込まれかねない危うさが人間にはあるだろう。李白の気概とともに酒を酌む日本人が増えればいいと思う。最近齷齪した生き方しかできないひとが多くなり、小さくみえてならない。月の下で、ひとり飲む酒を味わう時間も必要ではないか。
2022.03.29
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ハーレム。幕末の異事奇聞「寛政紀聞」の1799年に、11代将軍家斉(いえなり)が、江戸城中に新しく茶屋をつくり風流をつくして興じたとある。これは、遊郭であり、秩序の中枢に無秩序が乗っ取られたのだ。遊郭は、解放とか無秩序などとするのには無理があるが、如何にもこの時代を象徴しているだろう。家斉の側妾は40人で55人の子供がいたが、「北海の鱈のごとし」と揶揄される。もう子供たちの処遇に苦慮している。政治の空白がある。大塩平八郎の「檄文」は、それまで支配の道具として使われてきた儒教思想がある。庶民の世直し願望の意識を刺激することに成功したが、半日で粉砕された。幕府批判の儒教的論理を実践した一揆は、幕府や領主を震撼させた。大塩の乱のあと、江戸湾浦賀沖に、アメリカ船モリソン号が碇を下ろすことになる。 江戸のベストセラーで一位は、四書(大学、中庸、論語、孟子)である。内憂外患の狭間で日本人は、何をしただろうか。その混乱は、或る意味まだ続いているのではないか。大塩平八郎の事件にみられるように一撃でパニックになるような政治が現在も存在しているのではないだろうか。オウム事件、ライブドアショックも、内在する問題は軽視すべきではない。
2022.03.29
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イスタンブール。まだ読んで理解できる部分があるのは嬉しいことだ。少年の頃少し齧ったところを、今たどっている旅だろうか。一葉や龍之介だったり、ゲーテだったりしている。最近は、公立図書館や、大学の図書館から借りて読んでいるが、一時は1万蔵書を目指していたが、もう殆ど散逸した。併し、実は、世界歴史やレーニン全集や、古典世界文学など、まだ大事に残しているものがあり、そのうちじっくり読んでみたいと思っている。 どうやら、傾向としては、だんだん時代と逆らう方向に旅立つのかも知れない。何れどうせ戻っては来れない旅になるだろう。だから、いつスタートを切るかを決めかねている。未だその時を待っているのかも知れない。それでも今自分にも読める本があるのは有難いことだ。あと10年もすれば、どこの図書館でも洋書が溢れていることだろう。日本人が語学で苦労したことがウソのようになっているのではないか。語学などこつこつ遣るものではない。人間の記憶など大した物ではないからだ。道具を使えば好いだけだ。コンピュータを使えばどれだけでもどんな言語の翻訳など簡単にできるだろうし、利用価値も拡がるに違いない。 人間は、自分たちの真価を見失わないことだ。私たち個人の一生など一瞬の生命でしかない。それを個としてどう使いかでもあるだろう。他人の迷惑にならない程度に自由であればいい。唯一緒に旅をする哲学の友(古人)を誰にするかではないか。日本人でも、外国人でも好い。時々逢いに行くことだ。それさえ決めてしまえば好い。あとは、正しかったかそうでなかったか、だけだ。 実は、違うことを書くつもりでいたが、違う話になってしまった。宿題は多い方がいいだろう。その方が長生きできるのではないか、と思う。あまり死に急ぐことはない。人生の味も知らないで終わるには惜しい生命だろう。読んでみて、こいつは看板倒れだったと思うかも知れないから、時間があれば、小さな山から始めよう。
2022.03.29
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偶には本でも救われた。多くを見たのはいいが、どこか行ったというだけのスライドショーだったが、百聞は一見に如かず。確かにグーグルアースでは解らないものはある。誰でも知っている場所の写真をアップしても、商品価値はないが、だから意味がないのでもない。意味を見出すのは、能力でもある。 ・実篤を天窓を開けた人といったのだと聞いたが、それはもちろん比喩でしかないし、天窓があるわけではないが、だから無為だともいえない。中学生の時に夢中で読んでいたことがあった。自分の関心がどこにあったのだろうと考えると、自分でもわからないところがある。奥の院に、なぜあれだけの供養塔を建てたのだろうか。どうやら当時からの末世思想が根底にある。救われない世を嘆いてもいたのだろう。 ・へ2・・・見えないからこそ、その意味が小さいとは言えない。天窓もないから、閉塞がないとはいえない。何かおかしいと感じ始めている現代社会がある。だれかが社会の天窓を見つけて開けなければならないのではないだろうか。対岸は見えてはいないのだ。羅針盤は大丈夫だろうか。
2022.03.29
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世の中は親切な人ばかりではない。理解できないから、できるまで教えない。今度のメインは、熊野古道と遷宮の伊勢神宮だったが、お土産の赤福と、十三佛真言般若心経の小冊子がでしかないが、これからフラッシュバックさせてみるつもりでいる。円覚寺と高徳院と韓国の海印寺と、そして同じ般若心経でも、やはり違いがある。 ・修行をする人としない人がいる。自己の利益ばかりを考える人もいれば、世の中のことを先に考える人もいて、社会は形成されているが、時々住み難くもなってしまう。時間の無駄遣いばかりしている無能な政治がある。ころころ変わる経済のやり方は致命傷にもなる。嘘をついていた大企業が暴露もされる。世の中をだまそうとしても事実はすぐ暴露される。 ・へ2・・・そんなに長生きはできないが、寿命をまっとうするだけの努力は義務でもある。墓穴を掘っているような人に声をかけてやる必要もある。それさえ聞かない人は自業自得だろう。天は自らたすくるものをたすくだ。自己責任でしかない。2時前に一寝入りして起きて風呂に入ったが、娘二人は消えたようだ。
2022.03.28
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右脳でぼんやりわかっているが、左脳でことばに翻訳できないことがよくある。たとえば日本文学だ。日本人が日本的美意識だと云ったところで、それを世界がどこまで認めてくれるかでもある。三島と川端文学とノーベル賞を争ったが川端が勝利したのは何故だろうか。東洋と云っても日本とその他のアジア諸国では随分違う。文学を専門にしている人たちは文学を中心に考え過ぎてしまう。文学は虚構であり、現実とは違うことを知っているが、実は本当は理解していないのだ。 ・人間の行動というのは意外と視え難い。文学論としては成立してもそれは、全体からいえばひとつのフィールドでしかない。自分で狭い空間を宇宙だと想い解かっていると思い込んでいるのではないだろうか、それは小さなスポットでしかなく現実でも宇宙でもない。視ている私たちが現実だと思っている社会も、自分の脳が描いているイメージでしかない。人間の脳は、自分の脳内のニューロンネットワークで人間社会を再生しているにすぎない。 ・へ2・・・右脳と左脳が果たす役割は違うが、常に相反する事を同時に考えてもいる。解かっていることが解かっていないし、解かっていないと思っていることも判っていることがある。専門家が利口なのではない。一部のことしか知らない人たちなのだろう。深い洞察力があっても、広い視野がない。足がなければ歩けないのだ。幽霊のような学問をしているのではないだろうか。右脳がひらめいたものをものにできないのは左脳が翻訳できないでことばにしないでいるからだ。脳をクールにすることだ。
2022.03.28
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ジョウビタキの雄。無事が一番という。ことは、どちらかといえば好いことばかりではない。悪いことが多いのが、常識だった。事は嫌でもやってくる。来なければ困ることもあるだけだ。他人と同じに見えて同じでもなく、そしていつも自分だけがひとりになっている。旅も楽しいが、 おもしろてやがてかなしき鵜飼かな喜びは長続きをしない。快楽がやがて苦痛になってくる。小説は終わらない物語と言われるが、ヒトが夢を見続ける限り続くのだろう。忘れていたが、大阪の友人たちは昔の声をしていた。電話だったので、声だけだったが。今日はもう一人の友人と電話で話をしてみようと思っている。三人で卒業旅行したが、思えば三人とも熊本の女性と結婚したのも奇遇でしかない。運命は、それぞれの道を歩いた。
2022.03.28
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カワセミ。杜甫は、「李白に」という詩を贈っている。 贈李白二年客東都 所歴厭機巧 ・・・・李候金閨彦 脱身事幽討 亦有梁宋遊 方期拾瑤草 李白一斗詩百篇 長安市上 酒家に眠る 天子呼び来るも船に上らず 自ら称す臣は是れ酒中の仙と (「飲中八仙歌」)李白は701年に生れ、762年に死んだ。62歳。詩人自ら、・・・・ (古風 その一 ) 「我が志はさん述に在り 輝を垂れて千春を映さんとす」 李白といえば、「酒」であろう。李白が酔った勢いで即興詩を作りうる天才であったことは紛れもない事実だろう。李白は、広い大陸を一生涯歩きまわって各地に作品を残した。
2022.03.28
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自分では気付かない免疫異常もある。細胞のコピーも加齢による劣化で、掠れても来る。どこにそれが起こるか特定できるだけの能力がまだ人間にはないだけだ。医療技術と言っても、それほど宣伝されるほどのことはない。人工衛星の飛ぶ時代というが、その部分だけの知識の突出でしかない。私は顔だけを整形する人の気持ちがわからない。勿論美容整形の意味は知っているが、高額なカネをかけて整形する為に、それより大切なものを犠牲にするとしたらバカげたことだ。 ・日本人もみな、海岸の「砂」になろうとしているだろうか。然し、「砂」ではできない社会もあるだろう。「個」であることが重視された時代もあったが、時とともに環境は変化しているのであり、進化しなければ乗り越えられない時もあるだろう。知力や体力で世界から取り残されていた日本が、その忍耐力と努力によって教育を、寺子屋から近代化させた国民の意識の高さはどこから来たのであったか。それは、決して江戸幕府の徳川支配層の由来ではない。 ・へ2・・・「黒船」の来航はあったとしても、単なる epoch-making でしかなく、それをバネにした国民のエネルギーが必要だっただろう。それを準備していたものがあったし、下級武士をはじめ大衆が、無知と偏見を突き破ろうとしたのではなかったか、決して綺麗ごとではなかった。現代の日本にはそのエネルギーがあるだろうか。衒いや見栄で造り上げたシステムで造るものは退廃でしかない。外来種だけに目を奪われてはいないか。自分たちの弱点を知っておかねばならない。それは種が生き残る為に重要なポイントでもあるからだ。
2022.03.28
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動物同士を惹きつける脳内の化学作用はいつごろ進化しただろうか。交配相手を見分ける脳の単純なネットワークが存在したであろう。こうした誘引力にドーパミンやノルエピネフリンが関与していただろうか。愛の熱情は、男たちの気を狂わす魔法であるとホメロスは「イーリアス」で歌った。この魔法は、戦争を勃発させ、王朝を誕生させ、王国を覆し、世界でもっともすぐれた文学や芸術をもたらしてもいる。人びとは、この熱情のために歌い、そのために働き、そのために殺し、そのために生きて、そして死ぬだろう。脳内のドーパミン分泌量の増加で、目的志向が生まれ、集中力が高まる。これはすべて、恋愛の主な特徴でもある。一度恋に落ちれば、相手に一心に注目するあまり、周りのことが目に入らなることさえある。じっさいかれらは相手のいい面ばかり目を向けて、欠点を見過ごすだろう。エネルギーに満ちあふれたり、やたらと活動的になったり、眠くなくなったり、食欲がなくなり、震えたり、心臓がどきどきしたり、躁状態になったり、不安になったり、怖くなったりと忙しい。ある意味でこれは、中毒症状である。時として、苦悩と悲しみが訪れ、破滅をともなう渇望状態に嵌りもするだろう。それでも、ひとは、生きている間は恋しい相手を求めるつづける。
2022.03.28
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虚栄を張っても仕方がない。ありのままの自分の顔を見せる人たちもいれば、そうでない人もいる。大災害の後のインタビューは苦痛だろう。何を話せばいいか戸惑いながら話されている。それは誰もそうなればそうだろうと思う。人は傷ついている。無情で無残な現実に耐えて行かなければならない。嗤おうとして顔が引きつってしまう。そのまま、泣いていいのだ。人は悲しい時もあるから。苦しい時ほど、誰かに笑って他人には見せたい顔もある。
2022.03.28
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3日目。プラハのホテルを7;30出発して、ウイーンへ専用バスで約331キロ、約4時間45分。厚い雲がかかり視界が悪かったが、冬は大体こんな感じの一日中つづく天候だとガイドの話だったが、ロシア軍のウクライナ侵攻で、2.24から始まったが、空からの攻撃が、厚い雲に悩まされていると聞いた。 。ドイツ軍や、古くはナポレオンのモスクワ攻略も冬将軍に悩まされたというが、今度は、ロシア軍が、冬の天候に悩まされているというから皮肉なものだ。2020.1月にプラハからウイーンまで、バスで行くので、どんな風景が見られるだろうと期待していたが、靄でよく見えなかったし、快適なハイウエーだったので、当てが外れた。然し、この天候が、戦争という運命を決めようとしているかもしれない。 ・へ2・・・ウクライナの集合住宅が、ロシア軍のミサイルで、廃墟になっている。シベリア抑留された日本人たちの歴史もある。この地がいかに厳しい自然であるか、彼らは知っているはずだ。南国育ちの私など想像もつかない冬将軍なのだろう。核戦争をしないためにというが、核戦争を脅しに使う連中は必ずいるだろう。それに負けたらだめだ。
2022.03.28
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ベーコン「読書は、充実した人間をつくり、会話は、機転のきく人間をつくり、書くことは、正確な人間をつくる」という。渡部昇一氏は、流石にベストセラーを書くくらいの人だから読み易いし、くだらないことを書いて平気でいる。陽気であり、所謂「助け舟」を出したがる。「感謝する心は、すべての人間をハッピーにする」などと得たいの知れないことを言い放つのだ。先人は彼の味方をすることに為っているらしいし、恵まれた留学で、恵まれた先生で、恵まれた国民のなかでぬくぬくと生活できたのは自分は「刎頚の友」を持ったからだという。だから、私の真似をしたら、仕事上の「よい人間関係」が得られるはずだという。「自分の世界」をもち視野をひろげて、人生を豊かにして生きられると説く。心底そう思うのだそうだ。日本のインテリの底の浅さは、まさに幼児的である。自分の観てきたところしか観ようとはしない。多分山の見えない草原に立ったことがないか想像したことのない人たちだ。自分の見解が特殊なのだということが判らないでいる。外国に留学したからその国が分かった気でいるだけだ。何も理解してはいないだろう。他人から思想の「いいところ取り」をして分かった気でいる。それは、「書くことは正確な人間をつくる」ことにはならない。渡部は、最も良き時代の「英国精神」の虜になると書いているが省略し過ぎた世界で、正確ではないだろう。私たちは検証された正確な歴史を学ぶべきだろうと考える。
2022.03.28
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高野山の奥の院の供養塔は数十万あるそうだから、とてもそれを調べることはできそうもないが、それを一つ一つ調べた人がいて、織田信長のものを発見したのだそうだ。時間がなくてそこまでいけなかったが、思想、信条を越えたものがあるというのも、ここのお寺の方針でもあるのだろう。墓を建てたくてもたくわえのない人たちが小石を積み上げた塚ができていた。ここまでくるのに足腰の強かった昔の人たちでさえ苦労したに違いない遠い道程でもある。 ・こうして現在も旅行ができるのも、毎日2万歩を歩いて来たからだと思っている。歩くのも歩けるからである。歩きたくても歩けない人がいる。誘惑の多い社会は、自己管理さえできない人間を作り出している。理性がないのではないが、誘惑に負けてしまうのだ。それを「百千萬劫難遭遇」ということばで「開経げ」にある。真実義を知ることは難しいのだ。 ・へ2・・・なにごとも修行と思えば、修行にすることができると思う。歩くことで、自分の健康を守っていると信じている。これは辛いことではない。むしろ生きることが楽しくなる。おそらく歩くのを止めれば終わる命だろう。肺年齢も血管年齢も、歩くことで老化のスピードを遅くしているのだろう。あるいてつないでいるいのちだろう。
2022.03.28
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日本では「山紫水明」だろう。中国人の美意識というものを見てみたいと思ったが、残念ながら、大雨で増水し、川が濁っていた。「山青水秀」という世界が見られなかったのは、残念であったが、それも時の運でしかないだろう。日本の山紫水明も少なくなってきた。それも段々とそのエリアが狭くなってもいる。今回漓江の川下りをしたが、60キロの間の風景を堪能したが、殆んど自然のままの景観が楽しめた。流石に雄大であり、空気が澄んで美味かった。 ・看板も広告もない。電柱も少ししかない。それこそ、障害物がないというのは気持ちがいいものだ。その爽快さを、私たちは諦めてしまっているような気がする。もう、そういう景観は望めないと思っている。だから、外国に行くと羨ましい風景がいくつもあるのだろう。日本にもいいところはいくつもあるだろうが、景観の保護という意味では遅れている。国土は国民みんなのものだという意識が少ないのではないだろうか。子孫に土地や建物を残そうというのは、そろそろ考え直すべきではないだろうか。子供が自分たち夫婦のものではないように、所有権の絶対も、再考すべきだろう。 ・へ2・・・山紫水明も皆で保護しないと、日本から消えていくのではないだろうか。破壊された自然は元には戻らないものが多いだろう。大自然をいつでも見ることのできる中国人は、その景観の美しさに感動することができる。観なければ分からない感動もあるということでもある。折角出かけても、必ずしも最高の時に出会えるかは時の運でしかない。感動を知るには、その瞬間でなければ分からないものもあるだろう。
2022.03.28
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原因と結果があり、その「ゆえに」成功し、失敗にもなるが、「悲しいかな」その成功「ゆえに」没落もする。視点の違いはあるにしても、それは時代の変化によって、世界観が変わり、価値も変化するからだ。「資本主義はその成功「ゆえに」没落する」というフレーズが脳裡から離れない。成功するから没落するのである。上手く行ったと思ったことが、実はそうではなかった経験はいくらもある。挫折もあったから目覚めることもある。ダメージは、それを乗り越えて価値がある。 ・誰かの論理を遣って自分の人生を肯定しても何にもならない。自分の脳で考えることが最後に決めることだからだ。今回のM9の東北関東大震災は、歴史の転換点に為るだろう。日本には少なくともそうなるに違いないし、それはどう見えるのか個々人でも違うのだろうか、その洞察力が試されてもいる。然し、多くの事実が明らかになって事は言える。視ることがなかったことが視えたからだ。 ・へ2・・・たった大津波の一撃で、壊滅的な打撃を受けた町があり、半数遣い人命が失われた。これまで何度も津波に襲われて、津波の恐ろしさを知っていた人たちであった。行政も大災害に備えていなかったわけではないが、何も出来なかった。2万人ちかい犠牲者の生命を守ることが出来なかった責任は?こうなってしまった原因があり、その結果であることは間違いがない。このことをどう考えるべきなのだろうか。教訓は活かしてはじめて価値もある。
2022.03.27
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マチュピチュ遺跡。これまで環境が、植物や動物の形態や習性をつくりあげてきたが、生物が環境をかえるという逆の力は、ごくちいさなものに過ぎない。だが20世紀というわずかのあいだに、ヒトというひとつの種が、恐るべき力を手に入れ、自然を破壊したのだ。ただ自然をかきみだすのではない。いままでにない新しい力ー質の違う暴力で、自然が破壊された。 ここ数十年間の環境破壊や汚染は、死につながる毒で汚れている。そいて多くは二度ともとには戻らない。食物連鎖で、すでに生物の細胞組織そのものの生命の核まで及び、じりじりと人体の骨まで入りこんで、その人間が死ぬまでついてまわるのだ。 科学的真実は、化学薬品は、生物の体内に蓄積し、中毒や死の連鎖を引き起こし、或いは土壌深くしみこんだ化学薬品は地下水によって遠くへ運ばれ、やがて空気と日光の作用で、新しく姿をかえて、植物を滅ぼし、家畜を病気にして、それを知らない綺麗な水と思って使っていた人間の体をも蝕んでいくのだ。 まだ本気になって世界は環境汚染に取組もうとしてはいない。どれだけ科学を進化させても環境を破壊した生命に何が残るのだろうか。その愚かなツケを子孫に残してはならないと、レイチェル・カーソンは、「沈黙の春」を書いたが、それを人びとは忘れようとしている。
2022.03.27
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一葉の目で作品を読むことは並大抵ではない。一葉の目線は、上を見ていない。唯文学への思いは感じられるだろう。年譜を見ると明治16年高小を首席で卒業する。困窮のため進学できなかった。一葉12歳である。16歳から日記を始める。「塵の中」で、「・・・只利慾にはしれる浮よの人あさましく厭わしく、これ故にかく狂へるかと見れば、金銀はほとんど塵芥の様にぞ覚えし。十二といふとし、学校をやめけるが、そは母君の意見にて、女子にながく学問をさせなんは、行く行くの為よろしからず、針仕事にても学ばせ、家事の見ならひなどさせんとて成き、父君は、しかるべからず、猶今しばしと争ひ給へり、汝が思ふ処は如何にと問ひ給ひしものから、猶生れ得てこころ弱き身には、いづ方にも定かなることいひ難く、死ぬ斗悲しかりしかど学校は止めになけり。・・・」もし、学校を止めず進学していたら、どうだったであろうか。明治中期に生きた時代の女子が、ここまでの仕事をし得ただろうか。一葉の視点は、誰もその身にかえることのできないものであろう。一葉には、明治は、「塵の中」でしかない。しかし自分を、「猶生れ得てこころ弱き身には」と分析しているのだ。そして、平成の現在が、まだ「塵の中」だろうか。時代が変わろうと変わったものも多いが変らないものもある。一葉の視点と決意があればこそあれだけの作品が生まれたのであろう。奇跡は、非常時でなければ生まれないのであろう。だらだらと過すものには到底感じられない境地であろうと思う。一葉の文脈を探す旅に何れ向かいたい。消えないうちに。
2022.03.27
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プレートはアセノスフェアが対流し融解したリソスフェアが地表で新しい地殻となる。反対側のヘリの古い地殻がアセノスフェアに引き込まれ深部で溶解する。2億年後大陸はひとつになる。第二バンケアとなる。ひとつの大陸とひとつの大海となる。それは、3億年前に形成されたバンケアは、2億年前に分裂し始めた世界に回帰する訳だ。人間が絶滅したあと1億年後に大量絶滅で陸生の脊椎動物は死に絶える。そのニッチを埋めるのは、たこ、いかなどの進化した頭足類だという。2億年後には、8トンのいか(メガスクイド)が地上を押し歩くのだ。想像するだけで、愉しくなります。ヒトは、通過点でしかない。
2022.03.27
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全体を見ることはできないのだろう。すべては一部を見て全体を把握しようと努力しているに過ぎない。大抵は誤解してしまうだろう。人との人間関係はそうした難しさの中にある。親友と浜ではいかないのが普通の付き合いでもある。時間の長さが付き合いの深さにはならないところが寂しいこともある。いつもそばにいないと解らなくもなる。近づきすぎると相手との違いが明らかになり、離れすぎると冷たくもなる。 ・おそらく社会的ステータスの違いがある。同じでありまた違う。健康志向も、世界観も違う。近づこうとすれば、細胞の拒絶反応が出るのだろう。ひとのこころのバリアーもある。つかず離れずにいた方がいいのだろう。友人関係や知人関係の悩みはつきものだ。それよりも孤立化しない程度に孤独の方が向いている。生のままでヒトと付き合いはできないようだ。 ・へ2・・・ついツアーの時は、食べ過ぎてしまう。バイキングが多いが、山のように皿一杯にして食べている女性がいたりして、日頃の欲求不満の解消のためだろうかと思ってしまう。これでもこれでもかと作る側の問題もある。摂取カロリーの計算も、ここでは無視してしまう。人の弱さを感じてしまう。
2022.03.27
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過剰なエネルギーにあふれ、特定の相手に一心に注目して、「特別な」パートナーを追いかけ、食欲不振に陥り、辛抱し、やさしく愛撫し、キスし、舐め、寄り添い、いちゃついて、選り好みをする動物たち(人間は?)。これらは、すべて恋する人間に見られる顕著な特徴でもある。時に、じらして、ねばって、手に入れる努力は、人間よりも激しいものがあるだろう。動物には、ライバルたちをけ落として見込みのありそうな相手に求愛して、繁殖するチャンスは、生涯にほんの数回しかないことが多いのだから・・・。たとえば、キリンのオスは、受け入れてもらえるまで何時間でもメスを追いかけまわすのだ。人間の選り好みよりも動物の好みの方が、実はシビアーなのかも知れないという。動物の求愛行動と人間の恋愛との数々の共通点でも、「選り好み」が一番興味が湧くところだ。おそらく、動物よりも人間は、相手の「選り好み」の能力に欠けているのではないか。よく観察もしないで相手を選んでしまい後悔ばかりの人生の人間が多いのでは・・・。それは、感性が鈍ってきている人間の宿命かも知れない。だから、ながながと相手の恋愛感情を確認しなければならなくなるのだろう。
2022.03.27
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<作品> 「過古」(青空 大正14.12稿)、「雪後」(青空 大正15.5.15稿)・前回の「橡の花」補足説明、この作品は問題点を含んでいる。・書簡体「Kの昇天」も不快のひとつ。作家は変なところがある。変でないと作家になれない部分がある。残酷。冷酷。・「檸檬」は、「爆破」により冷静になり落着いていく。・不快の一つのタイプ「型」の例。このパターン「檸檬」。・「ことば」にしていってみる。梶井の想い。頭の中だけでは浮かばないものがある。・何があっても驚かない。「それから」・ひとのこころは、刺激を求めている。・小説は無理なことを強いるもの。ある年齢に達しないと分からないことがある。・「不快」をどう描くか。・「檸檬」も、悪感情を抱き、それを(調和的になる)緩和させていく過程がある。・梶井は理系である。論理的思考がある。・戦うべき相手と戦ひたい。時には、それが「母」・心理的葛藤から調和へ。 不快から調和へのプロセスを描く。・梶井は家族的なものから、それをみていた。母親の存在の重要性。・・・敵として。・フレームワークとして捉えられる。・「ひとり相撲」・・・「泥濘」「路上」との共通点。・突然の飛躍がある。説明がない。「・・・あの海に実感を持たねばならぬと思います」詩的でもある。・無感覚ではなく実感を持ちたいと言っている。こだわりがある。「海」をどう感じるのか、分からなければ分からない。梶井を理解できれば、そのまま三島がわかる。三島の海と空。「蒼穹」との関係。・言ってみると実感が湧く。梶井はいいたい。自然主義とは違う。梶井のそれは、日本のモダニズム。・waste 心の外化。書くことがメタファーである。「サラサラ・・・」等。・繰り返し=方法。・漱石「文鳥」のレトリック・故郷のことをくりかえす。その中から感じたもの。・フローベル「純なこころ」濁りがないこころ。調和に通じている。・「Oを羨ましい」と思う。そして敵でもある。・梶井の行動スタイル。言葉を発してみる。実感が生まれる。意味が変わってくる。・「海」・「船」対応関係。連句的に書く。章立て。・俳句的。・・・飛躍がある。反対に短歌的作家もいる。・梶井は、芭蕉・志賀直哉・ボードレールを愛読していた。・或ものの実感を書こうとする。・「橡の花」は、冗満になっている。説明的になる。「檸檬」と違う。・調和へ、調和へと動く。・「鴉」から「青空」へ。夕焼け雲で終わる。「過古」(青空 大正14.12稿)、・過去とは文字が違う。・「凧」一家の転居のこと。・嗅覚表現と記憶。「霜解け、夕凍み、「その匂ひ」には憶えがあった」・嗅覚と視覚・旅情の出現。・「ひなた」の匂い。新感覚派。・むかしを思い出す。「空間と時間」をテーマにする・・・芭蕉の世界。「月日は百代の過客にして…」旅の俳人。「雪後」(青空 大正15.5.15稿)・行一モノ。・「雪の日」・チェホフ「ねこ」との違い。表現が洗練されている。・雀の使い方ができていないこと。梶井は下手。書きたかったことができていない。・二は、情景描写の連鎖。文体が違う。わざとそうしている。・雪後は季語。・チェホフ「たわむれ」の引用。・子牛の誕生が描かれる。人の死との対比。・生き物の誕生。・四、夢。主人公の思い。・行一の小市民性を暗示する。・比喩として「・・・坂を下りるにつれて星が雑木林の蔭へ隠れてゆく。」が当時の時代背景として書いているかどうか。・「美しい夕焼雲」風景描写のメタファー(隠喩)。・大槻のみた夕焼け雲と行一のみたものとは違う。立場の違い。・牛の誕生に姑と行一。調和で終わっている「美しい夕焼け雲」。「膨らんでくる胸」。以上。 25日にやっと3回目のワクチン接種を済ませた。集合場所に行けば早くできたが、近くのクリニックで予約していたが、1か月以上もかかった。どうやら、みな同じらしい。毎日ネットで、はやくできないか探していたが、無理だった。やっと出来てほっとしているが、熱を測ったら37℃あった。少し動かすと痛いくらいで、他には異常はなさそうだ。まだ感染者の高止まりが続いている。5月に国内ツアーを予約しているが、まだ分からない。
2022.03.27
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