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雙峰下哭故人李宥 劉長卿憐君孤壟寄雙峰、埋骨窮泉復幾重。白露空沾九原草、青山猶(一作獨)閉數株松。圖書經亂知何在、妻子移家(一作因貧)失所從。惆悵東皋却歸去、人間無處更相逢。【韻字】峰・重・松・従・逢(平声、冬韻)。【訓読文】 双峰の下にて故人李宥を哭す。憐れぶ君の孤壟の双峰に寄るを、骨を窮泉に埋めて復た幾重。白露空しく沾ほす九原の草、青山猶ほ閉づ数株の松。図書乱を経て何くに在るを知らんや、妻子家を移して従ふ所を失ふ。惆悵す東皋却つて帰り去れば、人間処として更に相逢ふこと無きを。【注】○李宥 大暦年間の人。■(「高」の下に「木」。コウ)城県(河北省藁城)の主簿に官す。○双峰 ▲(草カンムリの左下に「單」、右下に「斤」。キ)州黄梅県の山。○孤壟 ぽつんと一つある墓。○窮泉 九泉の下。墓の中。○九原 春秋時代の晋の国の卿大夫の墓地のあるところ。ひろく、墓地を言う。○東皋 野外の高地。【訳】双峰山のふもとで亡き友人の李宥の死を嘆く。ああ君眠る墓ひとつ双峰山の峰ちかく、その墓の下つち深くいづこ骨をば埋めたるや。涙の露も白露も空しく墓地の草ぬらし、墓地のそばには数本の松が枝をばしげらせる。君の蔵書は戦乱の世をへて今はいずこやら、妻子も家を引っ越して行方もしれずなりにけり。墓地の丘から帰りくりゃ、この世で逢えぬ君恋し。
September 28, 2008
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送裴二十端公使嶺南 劉長卿蒼梧萬里路、空見白雲來。遠國知何在、憐君去未迴。桂林無葉落(一作落葉)、梅嶺自花開。陸賈千年後、誰看朝漢臺。【韻字】来・迴・開・台(平声、灰韻)。【訓読文】裴二十端公の嶺南に使ひするを送る。蒼梧万里の路、空しく見る白雲の来たるを。遠国何くに在るかを知らん、憐れぶ君の去りて未だ迴らざるを。桂林葉の落つる無く(一に「落葉」に作る)、梅嶺自から花開く。陸賈千年の後、誰か看ん朝漢台。【注】○裴二十端公 未詳。○嶺南 湖南・広東の境にある五嶺の南。広東・広西チワン族自治区。○蒼梧 唐の嶺南道の郡の名。乾元元年(七五八)復た蒼梧と為す。治所は蒼梧県に在り。即ち今の広西省梧州市。○白雲来。 『芸文類聚』巻一《雲》「『帰蔵』白雲の蒼梧より出で、大梁に入る有り」。○桂林 秦の郡の名。いまの広西および広東西南部一帯。○陸賈 漢の初めの弁舌家。かつて二度、南越に使者として赴き、尉佗を諭して漢に帰せしめ、太中大夫を授けられた。○朝漢台 故址は広州にあり。『輿地紀勝』《広南東路広州》「朝漢台は城の西五里に在り。……『南越史』に、昔、尉佗みづから南越王と称す。漢、陸賈をして労問し、因つて説きて以つて漢に帰せしむ。佗、賈を留むること数月、台を為りて以つて飲す。後に正朔に遇ひ、此に遇ひて北のかたに向ひて朝す。因つて以つて之に名づく」。【訳】裴二十端公が嶺南に使者として行くのを見送る。蒼梧はここより一万里、白雲のみぞ飛び来たる。遠国いったいどこじゃやら、君は未だにもどりこぬ。桂林の地は秋もなく木の葉も散らぬ土地と聞く、梅嶺までは春来れば自ずと花を開かせる。陸賈没してはや千年、誰が看るやら朝漢台。
September 22, 2008
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自江西歸至舊任官舍贈袁贊府(時經劉展平後) 劉長卿欲見同官喜復悲、此生何幸有歸期。空庭客至逢遙落、舊邑人稀經亂離。湘路來過迴雁處、江城臥聽擣衣時。南方風土勞君問、賈誼長沙豈不知。【韻字】悲・期・離・時・知(平声、支韻)。【訓読文】江西より旧任の官舍に帰り至り袁賛府に贈る。(時に劉展の平らぎたるを経ての後なり)同官を見んと欲して喜び復た悲しぶ、此の生何なる幸あつてか帰る期有る。空庭客至りて遥落に逢ひ、旧邑人稀にして乱離を経たり。湘路来たり過ぐ迴雁の処、江城臥して聴く擣衣の時。南方風土勞君の問ふを労(わづら)はす、賈誼長沙豈知らざらんや。【注】上元二年(七六一)秋、長洲県(江蘇省蘇州市)の官舎に至りての作。○江西 江南西道。治所は江西省南昌市。○袁賛府 未詳。「賛府」は県丞。○劉展 上元元年十一月に、宋州刺史の劉展、赴き揚州を鎮ず。揚州長史の■(「登」にオオザト。トウ)景山、兵をもってこれを拒むも、劉展の敗る所と為り、劉展進みて揚州・潤州・昇州等を陥る。上元二年春正月、平盧兵馬使の田神功、劉展を生けながら擒へ、揚州・潤州平ぐ。○迴雁処 衡州の城南の回雁峰。○江城 川のほとりの町。○擣衣 冬着の準備のために布をしなやなにするために砧にのせて槌で打つ。秋の風物詩。○風土 山川・気候・物産・風俗等の地方の特色。○労 わずらわせる。○賈誼 前漢の政治家・文人。洛陽の人。文帝に仕えて改革を行ったが、保守派に阻まれ長沙に左遷された。詩賦に長じた。(前二〇○頃…前一六八頃)。ここでは袁賛府を指す。【訳】江西から旧任の官舎に帰ってきて、知人の袁賛府に贈った詩。(ちょうど劉展が平定されたあとである)同僚に会ふと思えばうれしくもまた悲しくもあることよ、幸運あってまたここへ帰ることをば得たるとは。はるか遠くに流されて来て見りゃ庭も人けなく、村に人影稀なるは世の乱れたるしるしなり。湘江沿いの路を来て回雁峰を通り過ぎ、川べの町に日は暮れて砧の響き床に聴く。南の風俗習慣をあれこれ君に問いかけりゃ、さすがは長沙の賈誼殿は聴かれて答えぬこともなし。
September 15, 2008
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《恩敕重推使牒追赴蘇州、次前溪館作》漸入雲峰裏、愁看驛路閑。亂鴉投落日、疲馬向空山。且喜憐非罪、何心戀末班。天南一萬里、誰料得生還。【韻】閑・山・班・還(平声、刪韻)。【訓読文】《恩敕にて重ねて使牒を推し追つて蘇州に赴き、前渓館に次(やど)りて作る》漸く入る雲峰の裏、愁ひて看る駅路の閑なるを。乱鴉は落日に投じ、疲馬は空山に向かふ。且らく喜ぶ罪に非ざるを憐れぶを、何なる心もつてか末班を恋ふる。天南一万里、誰か料りき生還するを得んと。【注】○恩敕 天子の命令。○使牒 使者のもたらす文書。○前渓館 湖州武康県の西の宿場の旅館。○末班 低い官位。【訳】《天子のご恩により再び文書を推しいただき蘇州に戻る途中、前渓館に宿泊した折の作》漸く雲の峰にいり、はるかな旅路を愁い見る。カラス夕陽に乱れ飛び、馬はトボトボ山めざす。ひとまずよろこぶ我が身には罪無きことをしらるるを、なぜにいまさら末端の低い地位をば望もうや。都の南一万里離れた土地に流されて、生きて還るを得ようとは誰が想像したろうか。
September 11, 2008
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重送裴郎中貶吉州 劉長卿猿啼客散暮江頭、人自傷心水自流。同作逐臣君更遠、青山萬里一孤舟。【韻字】頭・流・舟(平声、尤韻)。【訓読文】重ねて裴郎中の吉州に貶せらるるを送る。猿啼き客散ず暮江の頭(ほとり)、人は自から心を傷ましめ水は自から流る。同じく逐臣お作(な)るも君更に遠く、青山万里一孤舟。【注】乾元二年(七五九)年の作。○裴郎中 未詳。○貶 官位を落とされ遠方に左遷される。○吉州 江南道吉州。いまの江西省吉安市。【訳】ふたたび裴郎中が吉州に左遷されて行くのを見送る。猿悲しげに啼き叫び客かえりゆく川のへり、人は心を傷ましめ水は無心に流れゆく。君われともに都をば追放されし身となるも、君の任地は遠くして、舟に身まかせ青山の万里もつづくそのかなた。
September 6, 2008
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