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日暮里には呑み屋さんもそれ程多くなくて、何軒かの敷居が高いお店は例外としてほとんど行き尽くした感があります。いつも同じようなことを言っていますが、日暮里界隈の道は歩き尽くしているはずなのでまあそんなに大言と謗られることはないはずです。この夜は知人の多趣味なおっさんと呑むことになり、場所は互いにとって都合の良い日暮里ということになったのでした。あまりこの辺で呑んだことがないというので、じゃあ雰囲気のある呑み屋街に連れて行くと言うと満更でもなさそうなので、皆さんご存知の初音小路に行くことにしました。このブログでも何度か登場しているこの小路は、今、山手線の吊り広告で見ることができます。東京をPRすることが目的のポスターにこの小路が載せられてしまうのは、さほど通い詰めているわけでもないぼくにとってすら秘密の隠れ家を奪われたような気分になって、苦々しく感じていたのですが、こうして知り合いを連れて行くなんて行為も似たようなセンスなのかもしれません。実際おっさんは痛く感じ入ってしまい、興奮だけならともかく、パシャリパシャリと撮影しまくりで、まあぼくも便乗しちゃうのでした。いつもどの店に入るか悩むのですが、奥の共同便所近くの店が変わっているようです。「やきとり 鳥真」も以前はなかったような気がしますが勘違いだろうか。ここに入ることに決めました。店内はカウンター8席程だけの狭いお店です。もしかするとここって沖縄料理のお店だったんじゃないかな。その記憶が合っているかどうかはともかくとして、前と変わらぬ店内はさほど味がありません。表の風情と中の風情とは別物なのは承知してます。得てして呑み屋が密集している場合は店内にあまり期待してはいけないのは、経験で知っています。焼鳥を適当に見繕って貰うと、適当に三串ほど焼きましょうかとのこと。随分控えめだと思ったら、この串のでかいこと。ハツ、ササミワサビ、手羽が出ましたが、とりわけ手羽の大きさはこれまで知るニワトリのそれとは思われぬ位なのです。アヒル位の大きさはありそうに思えます。焼き加減も絶妙です。いいタイミングでべったら漬やキャベツのサラダー近頃葉をむしっただけのパリパリなのが主流になりつつありますが、ぼくは断然千切りサラダ派ー日本酒も新政の変わり種など取り揃えていて、聞くと懇意だという吉祥寺駅のすぐそばにある酒屋さんから新政と獺祭を仕入れているそうです。あまり新政に縁がなかったのですがいろいろ試してみたくなりました。常連は日本酒と嫌Yシャツの話しで大いに気炎を吐きそれはそれで愉快なのでした。さらに勘定が驚きの値段だったのでまたびっくり。また来ます。
2015/12/31
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京急本線の駅で比較的馴染みのないのが今回お邪魔した梅屋敷駅です。恐らくはこのブログでは初登場なのであれこれうんちくを述べておきたいところでありますが、いずれカンニングした情報に過ぎないのでそれはよしておくことにします。何と言っても今回はそれなりに盛り沢山なのであんまりグズグズ書いているといつまで経っても本題に入れないという事態にもなりかねません。ということで早速駅前の案外賑やかな商店街をしばらく歩いて「琵琶湖」という喫茶店に入りました。内装は派手さはないものの手堅く安心できる店造りが若干の退屈を伴うものの好感は持てます。大変賑わっているのも宜なるかな。 歩いて向かうとかなりの距離がある「福田屋」という甘味処に伺いました。梅屋敷に来た真の狙いは酒場放浪記に出たお店に行くためなのですが、職場の女性に「福田屋」の話をしたら吉田類の番組に出てたわよと思いがけぬことを聞かされる。確かに近くにこれといったスポットのない土地なのでここを取材していても不思議ではないのですが、まるで覚えていない自分が情けない。当然酒場の方も少しも覚えていないので愉しみと同時に番組の低調ぶりに不安を感じないでもないのでした。またも脱線。この甘味処、ぼくにとっての理想的なお店で雰囲気は枯れていて心地良いし、味も素直でなかなかだし、何より驚きのお安さ、思わずあんことたい焼きをお土産用として購入してしまいました。近所にこんな店あったらいいのになあ。って、実はそんなに甘いものは食べないんですけど。 さて、いよいよ夕暮れ時となり開店時間にはまだ大分早いのですが「やきとり 豚八」に向かうことにします。おや、開店までまだしばらく時間があるはずなのに店の中から賑やかな声が聞こえてきます。常連さんに貸し切り営業でもしてるかと、お決まりのネガティブな想像が脳裏を過るのですが、それは間違い、週末には早めに店を開けるようです。それにしてもここもとても良い雰囲気ですね。カウンターに小上がりの造りはありふれていますが、木造の古い建物の質感が下手な化粧をされずに晒されていて、土間のヒンヤリとした質感もたまりません。後から便所を借りると店の奥に通されたのですが、案外奥が深くて昔ながらの町家の気分も味わえます。奥に入っていくと人ひとりがようやく座れるーというより埋もれているーようなスペースがあって、そこに店の元のご主人らしき人が物に埋まれて、テレビを眺めていたのにはギクリとさせれました。カウンターは目一杯に埋まっていたので小上がりにあげてもらいます。焼鳥屋のはずですが、焼鳥の品数はそう多くありません。というか一、二品位しかなかったはずです。その代わりというわけでもないのでしょうがいろんな肴が揃っていて悩むほど。短冊のじゃがいもを焼付けてケチャップを掛けただけのものが大層おいしく感じられます。こういう酒場では簡単な肴があればそれでもう十分満足なのです。先客たちは早くも仕上がっていて、一人などは店を出ては戻りを繰り返し、結局裏から帰っていかれるのでした。親父さんに挨拶でもしているのでしょうか。われわれが席を立つとカウンターの常連が、こっちーカウンターーがもっといいよ、また来なと声を掛けてくれるのでした。 店を出ると「コーヒー&お食事 ドルチェ」が開いていました。先程見た時にはシャッターが固くー多分ー閉ざされ、失礼ながらとうの昔に閉店しているものと思っておりました。店内は案外凡庸でしたが、こんな交通の便が悪い土地で頑張っておられることに敬意すら覚えるのでした。と僻地みたいな言い方をしてしまいましたが実際には頻繁に路線バスが走っていますのでご利用の際はバスをお勧めします。
2015/12/30
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お馴染みの北松戸にまた来ています。仕事さえなければまずは降りる機会もなかったはずの北松戸に来てからどれだけの歳月が流れたことでしょう。でもまあ未だに通わざるを得ない以上、律儀にかつ愚直に通い続け座を得ない小市民かつ無芸な庶民であることを今では唯々諾々と受け入れるのであります。小市民らしくたまには歯痛に見舞われることがあるものでー実際には目と歯は親から受け継いだ数少ない優性遺伝であって、歯は一日一回、目にはなんのメンテナンスもなくとにかく大した苦労したことはないー、突如襲い掛かる強烈な痛みに耐え兼ねて、職場の知人に紹介された日大松戸歯学部にあるという病院ー歯学部のくせして歯科病院ではないらしいーに慌てて向かって診療、治療を受ける羽目になったのであります。 治療を終えて、ぷっくりと膨らんだほっぺたで、折角だからと周辺を歩いてみるとなんとなんとこんな場末でー最寄りの駅である北松戸駅から20分歩く場所である程度で場末というのは誤りかもしれませんがー、「四季の味」という立ち呑み屋を見付けてしまったのですね。って、病院の目の前にあるお弁当屋さんなのでありました。たまたま出ていた立看板以外はとても立ち呑み屋を思わせる素振りもありません。日中はここで食べてもいいシステムになっているようで、味も素っ気もないお店ではあります。でも案外客入っていますが、そのほとんとが土建系の人らしい。それは別にいいのですが彼らは一時的な客のはず、彼らが去るとここは持つのだろうか。でもまあそんなことを一見が考えてみたところでどうにもならん。いかにも弁当の余りの肴を摘みつつ、でもまあそれはそれでけして酒の肴に合わぬわけでもないし、しかも安いのだから文句をつけるつもりもないのです。とにかく駅から遠くなくてこれくらいのレベルであれば正直、週に一回はなくても月に一度は通ってもいいと思うのでした。 まあ、駅まで行くとこれでは物足りない、なので時折通うことになる「た古八」に行っちゃうのですが、ここはもう語るべきことはないので割愛しちゃうのでありました。
2015/12/29
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取り敢えず存じ上げない方のために申し上げておくと、宮原駅はJRの東北本線で大宮駅の次の駅という事になります。このブログでは喫茶巡りでも酒場巡りでも訪れてはいますが、はっきり申し上げると、電車賃を費やしてまで遥々と出向くような町でないことは断言してしまってもさほど暴言とは捉えられることはないはずです。きっとこの町にお住まいの方も怒りを覚えることなくすんなりと首肯して頂けるはずです。では、何でそのように語るお前がわざわざ訪れたのだと追求されそうなものですが、喫茶巡りをした際に行きたいと思った酒場に酒場巡りの際に失念してしまったことを不意に思い出したからです。年末迫って小さな旅をするので記事をストックしなければなりませんのでそこは深入りせずにどんどん書き進めることにします。 前回は駅の東側、アレッ南側だっけ?のいい雰囲気のもつ焼店にお邪魔しましたが、今回は西口側ーという事にしておきますーを目指します。喫茶巡りの電車待ちのほんのわずかな時間を惜しんで歩いた西口で見かけたお店です。歩いたと言ってもその店は駅前ロータリーの隅っこにあって、大変便利なのです。階段を降りてからのアプローチの人ひとり通るのがやっとの細い道を進むと枯れた居酒屋があるのでした。夜の雰囲気はまた何ともいいものです。「三太」と言いますが、これがネットなんかでもほとんど情報がない。店内は古民家風でまだそんなに前のことではないのに記憶が曖昧で恐縮ですが靴を脱いだような記憶があります。案外客席は広いのですがお客さんは少なく、近所のスナックあたりにご同伴前といったムードのアベックだけがおります。カウンターの中も昔ながらに広い造りとなっていて実にいいのです。でも女将さん、いかにもとっつきが良くないのです。肴も少なくやけに時間も掛かるのでそこそこ店の雰囲気を楽しんだら立ち去るのが良さそう、いや2軒目にして、空腹が収まっていたら案外のんびり呑めたかも。 駅前通りをすぐに右手に逸れると「酒処 ながた屋」がありました。いかにも地元のオヤジたちが屯ーたむろと詠みます、一応ーしそうな、飾り気ないぼく好みの酒場です。店内はありきたりで、テーブル2卓にカウンターというもの。食堂もやっていそうな充実の品揃えで、それもあってか客の入りが大変良いのです。テーブルには型位の大きな30代のお兄さんと80歳にはなろうというジイサンとその顔馴染みのジイサン、カウンターにはきっぷの良さそうなチャキチャキした女性がおります。店の夫婦も気さくで愛想が良くて、初めてのぼくもジイサンたちの会話にいつの間にやら巻き込まれ、まるで馴染みのように付き合ってもらえるのが嬉しくなります。先の店では黙りこくってしまったので、ちょうど良い塩梅です。遅くなると帰りが面倒なので席を立とうとすると狙いすましたように差し入れが入る。そんなことを繰り返しながら、結局お銚子が列をなしてしまうのでした。
2015/12/28
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何とか今年の旅を今年中に収めることができそうです。あっ、こう書いているうちに、それが嘘であることに気付いてしまったのですが、とにかくこの夏の旅行の記録だけでも終えることができたことに、って、まだ書いてるとこですが安堵しているのです。嘘というのは少々慌ただしかった秋葉はともかく、12月に日帰りの小旅行など何度か何とか行ったりしたのでその報告は次年に譲らざるを得ませんが、ひとまずは静岡の旅がようやくこれで終えられそうです。 静岡の旅の2日目は、大変な悪天候だったことはすでに書いていますが、浜松で昼を迎えた頃にはかなり雨脚も弱まり、前日行きそびれた喫茶を求めて静岡駅に到着した頃には、かなり小降りとなっていたことにようやく落ち着いて町歩きができるものと喜んだのも束の間、歩き出すとまたもや強い雨が襲い掛かって来たので、目指す店は後回しにして、以前一度入ったことのある繁華街の真っ只中にある雑居ビルの2階にあるお店に慌てて避難したのでした。 そこは「喫茶 ポプラ」です。上品な正統派の喫茶店で使い勝手はけして悪くないです。実際じきに雨が上がってきて、残された時間もそう長くはないので早く町に出て、目当ての店に向かうべきなのですが、どうにも動く気になれぬのです。何とか後押ししてくれたのが店の方のどこか冷ややかな視線だったのであります。 向かったのは駿府城のお堀に寄り添うようにある古い商店街の喫茶店「プラザ」ですが、またしても空振りです。日曜だし致し方ないとはいえ無念なことです。そうなれば静岡に未練はありません。大急ぎで駅に引き返し、清水駅に向かうことにしました。 清水駅に降りたのはもう十年以上前のことで、ボンヤリした印象しかなかったのですが、それにしても南口側がこれ程に再開発され尽くしていたとは。なのでそちらは見ぬことにして未だにくたびれた侘びしささえ感じさせる北側の商店街を歩くことにします。 すぐに「羅比亜」という喫茶店に巡り会えました。外から眺める限りでは悪くないものの格別代わり映えしないお店に思われ、いつもなら一通り町を歩いてから最後に立ち寄るようなタイプのお店ということになります。しかしこの日は空振りの予感が脳裏に付き纏っていたので、さほど迷うこともなく立ち寄りました。確かにまあ正統的でクラシカルで悪くないのですが、物足りなくはあります。加えてお客さんが大勢入っているのが我儘な喫茶観察者にとっては雑味に感じられるのです。喫茶店に限った話ではないのですが、ぼくの愛する空間としてまず想起されるということで、喫茶店、居酒屋、映画館などの空間にあっては混雑している時と閑散としている時とではその空間は全く違った表情を見せてくれるものです。そして幸か不幸かいずれの施設も下火の時代に生まれ落ちた世代にとっては、後者のイメージがより鮮明に心に突き刺さるとともに、その抜け殻のような物悲しさこそ愛でる対象となりがちなのです。いづれの施設にしろその黄金時代をこの目にしてきた世代の人たちを羨んだ頃もありますが、この邪道とも言われかねぬ墓場を見て満足するような行為こそがぼくにとっての喫茶店そのものであるのです。いつか手に取った太田和彦の酒場本に、客のいない東京の名酒場の店内が載っているのを見た時は、嫉妬と同時に恍惚としたものを感じたものです。「羅比亜」も客がぼく一人なら全く異なる表情を見せてくれるのでしょうか。 脇にアーケードの通りがあるのは帰りの楽しみに残しておくことにして、途中分断されつつもズルズルと未練たらしく伸びる商店街を歩いていくと「富士」という大きなビルがありました。以前いつもお世話になっている脇道さんのHPで拝見していたお店ですが、正直余り印象に残っておらずそんな程度の心積もりで出向いたことが反映してしまったのか、あいにくのお休みです。もう少し町歩きをしたいところですが、程なくして商店街も途切れてしまいました。やむなく引き返すことにしますが、まだアーケード商店街もあります。アーケードの商店街も地下街ほどではないにせよ好きな施設です。しかも寂れているとあっては大好物と言っても過言ではありません。 そんなアーケード街のど真ん中に「ボンヌール」の看板が目に留まりました。1階が洋菓子店でその併設する喫茶店が2階にあるようです。この2階から商店街を眺めるのは愉快であろうと迷うことなくお邪魔しました。これが思っていた以上に純喫茶らしい魅力にあふれたお店だったのです。パーラー風のポップな色遣いとどこか愛くるしいインテリアもセンスがあります。2階からの眺望も楽しくて、ここからパーラーには不似合いな、でも素朴で美味しい焼そばを摘みながらぼんやりと時間を過ごしていると席を立つのが面倒でこのまま留まりたくなります。決死の覚悟で身を引き剥がすようにして席を立つのでした。 そしてこれがこの夏の静岡の旅の最後の喫茶店になるのでした。この後に居酒屋で一杯呑むと清水駅に引き返して、一気に神奈川県に突入、そこからは酒場巡りが待っているのですが、この旅はこれでおしまいです。
2015/12/27
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糀谷は京急の空港線のひと駅で、言うまでもなく羽田空港に向かう足として利用されています。でも当然ながら空港への足という側面以外にも、ここら辺で生活を送る住民の方たちの足ともなっています。生活を成り立たせるためにはやはり各種商店が必要なわけで、ここ糀谷にも南北に商店街が広がっています。そんな駅北側の商店街はかなり長く伸びていて、そんな商店街が1kmも歩くでしょうか、途切れてようやく住宅街となるそんな町外れに何とも飾り気のない店名を持つ角打ちがあることを知りました。当然ながら気になる存在となって随分前から意識していましたが、折よく京急沿線で呑むことになったので、日中ついでに寄ってみることにしました。 駅からすぐ、商店街の入口に「パーラー チェリー」があり、ここは何度か来ていますが、来るたびに印象が薄い店ということもあってがっかりすることを繰り返しています。まあ、それは町に喫茶店の一軒もないことが珍しくない現代の東京にあっては贅沢な嘆きなのかもしれません。 商店街を散策しながら進んで行き、やがて町並みが途絶えたところに呑川という何だかとても親近感を懐かせてくれる小さな川があり、これが並々とした水量であり、海抜の低さが実感されます。この川は地図をざっと辿ってみるとJRの蒲田駅北側辺りでひょっこりと姿を見せ、その上流は暗渠化されているようで、恐らくは多摩川に繋がるのでしょうか。この川からほど近いところに「合資会社 渡商店」はありました。潔ぎ良すぎる位にシンプルな店名は角打ちだから当たり前としても堂々とした看板に記されているのを見るとぐっと味わい深いものになります。店舗は相当な古さで、黒ずんだ木造の店内には数カ所の溜まり場があって、好き好きな場所で呑めるようですが、特等席は店の正面ということになるでしょう。でもそこには諸先輩の皆様が女将さんと何やら楽しげなご様子なので邪魔をするわけにはいきません。店の片隅で静かに見どころ盛りだくさんな店内を見渡すだけでもうこれだけで幸せ、酒も呑めるしね。
2015/12/26
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前回、魚だらけのお店に行った際の感想では、そうそう下高井戸に来ることなどなさそうだと言ったばかりなのにまたまた来てしまったんですね。その報告では書きませんでしたが、久々に見掛けたそば屋というか食堂があまりにも素敵だったので、また来てしまったのです。その素晴らしくいい風情のお店は後のお楽しみにとっておくことにして、まずはそのすぐそばにある大衆食堂にお邪魔することにしました。 そのお店「よ志み」って言いいます。がしかし実は以前一度来ていたようです。まあ覚えてないんだからなんの問題もない、いや、いくらなんでもわずかに5年前位のことさえ覚えていないというのはやりちょっとどころかかなりヤバイかもしれない。物忘れのひどいことは置いておくにして、入った店内は飾り気なく味気ないほどでそれはまあ悪くないのですがいしか綺麗すぎるのが難点です。品数はそれ程多くはないものの、食堂らしい体裁は十分整っています。なのにどうしてこんなに空いてるのかなあ。近くにはマンモスな大学もあるって言うのにこの空きようはどうしたものか。今時の学生はチェーン店ばかりで、こうした個人の店には目も向けぬのか、なんて嘆かわしいことかとたまたま時間から外れただけかもしれぬのにムキになって憤ってみせるのでした。 さてお楽しみの「おそば お食事処 さか本(さか本そば店)」です。都内西部でたまさかに目にすることがありますが、寡聞にもここほどに風情のあるお店はついぞ見掛けたことがありません。よく店を見渡すと増築と改装を重ねたのでしょうか、2つの棟がくっついたようなかなり間口の広い店舗になってます。入口が左右に分かれていて、どちらから入るかで当たり外れがあるのではなかろうかと、慌てて入らずしばし観察と検討を重ねた末に左手の入り口を選択しましたが、それは予想通り店内は続きとなっていますが、風景にはそれほどの差異はありませんでした。こちら品数は大変豊富で、ここまでくれば本来が蕎麦屋であることなどどうでもよく思えてくるのですが、とにかくまあ愉快なお店であることに相違ありません。特別旨いとかどうとか言うつもりはありませんが、それでもこの店に感じる今はなき田舎の食堂のような緩やかな時の流れを存分に全身で味わうため、また訪れることになりそうです。
2015/12/25
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なるべく避けるようにしている呑み屋街がぼくにはあります。こう書いただけでいつもケチ臭い呑み方をするぼくの苦手とする町は、いつもご覧いただいている方にとっては容易に察せられる事でしょうが、まあ端的に値段の高いお店は嫌いというだけの事なのであります。で値段の高いお店が寄り集まるというのが典型であって、そうした呑み屋街は、亜流に渋谷の呑兵衛横丁などもありますが、典型としては四谷荒木町などを挙げておいても良いかと思います。で今回訪れたのは後者を代表する神楽坂なのでありました。 暮れも迫って忘年会も佳境となりつつあります。ちょっとお手頃そうで、まあここなら大丈夫なのだろうと思われた酒場に振られ続けること10数件ー若干盛ってるもののそう実態からかけ離れてはいまいー、坂を上がったり下がったりしてようやく辿り着いたのは、雑居ビルの2階にある1軒、「せつ」というおでん屋さんでした。店の雰囲気は悪くないです。ただし女将さんは、う~んとても好意的な発言をする訳にはいかない。愛想の欠片すらないのであって、いくら呑んでる最中に不機嫌そうであっても勘定を済ませて上品に店を立つーなんせ瓶ビール大瓶一本が900円なのですから、酔いようもありませんー時くらいはニコリとしないまでも礼の一言くらいあってしかるべきではなかろうか。おでんだって、そうねえ、自分ちで少量だってこれ位のものは作れるかな。まあ、雰囲気はいいんだし、もうちょっとなんとかしてくれれば何とかなるはずなですけどね。
2015/12/24
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南浦和では、確かにJRの京浜東北線と武蔵野線が交錯するし、その乗り換え客も少なくないようですが、改札を抜けて町に出ていく人々はそれほど見掛けません。見掛けないということは乗り換えの際にちょっと寄り道を、って人たちが少ないということでしょう。でも敢えて断言します。ほんの一駅、二駅ばかり自宅に近いからといって南浦和を無視してしまのは、大いなる損失に違いないということです。特に定期を持っていてなお南浦和を無視するのは愚行であると言い切ってしまうことにします。なぜなら南浦和にはもともと多くの準名酒場があるのに加えて、そこに連なる酒場に名を連ねることになったのですから。 長くなりましたが、「蒼屋」はすごいなあ、実に良く検討していると大袈裟すぎるわけでもなく褒めてしまうことにします。随分と偉そうな物言いなのは分かっていますが、こうでも書かないとその良さは伝わらないと判断したのであります。ホームに面したテレビで紹介された酒場は案外残念なお店でしたが、いくら例の番組のファンであってもここは脇目も振らず一目散に今晩報告するお店を目指すべきでしょう。ここが居抜きされる前のお店はもうすっかり忘れてしまいましたが、ここがある以上はもはや過去を調べてみるなど些細な好奇心を満たすことにしかならないことでしょう。それだけこのお店は、すでにして町を代表するような酒場となっています。それを証すように店内は早い時間だというのに相当な賑わいで、1階のカウンター席はすべて埋まってしまっています。この大きくて年季漂う風格すら湛えた店の造り、きっと来ていると思いますが昔のことを振り返る暇さえ与えられることなく2階の座敷席に通されることになります。ここからはホームで電車を待つ滿人々の様子が目線とそうはかわらぬ位置から眺められるのがそれだけでも楽しい。そして酒と肴の話に移るかと思いきや面倒なので語らないのであります。ひたすら安いのに旨いと語っておけば十分です。唯一の瑕疵は、2階担当のお姉さんが偉そうでおっかない事くらいですが、そんなことはほぼ問題とはならぬのでした。 このお店の前は何度か通っていたはずですが外観が新しいというそんな些細な理由で見過ごしてきたのだと思います。「もつやき ぷくいち」は、駅からちょっとばかし遠距離にありますが、紛れもない上等なお店なのでした。この事実は「中野の名店もつやき石松仕込」という貼り紙からも窺い知ることが可能でしょう。とは言えこの貼り紙はぼくは見ることがなく、翌日調べて知ったことです。そして件の中野の名店「石松」は、その盛名を知らぬ訳でもなく、いやむしろ中野に行くたびに訪れたいと思っていて、実際それを試みながらも未だ果たせずにいるということで、両方の意味でぼくには語る資格すらないのでありますが、きっと伝わる人には伝わるはずだと書きとどめていることでしょうから記録に留めておくことにしました。さり気ない店構えですが、カウンターだけのシンプルなことこの上ない造りには好感を感じます。店のご夫婦の親密な感じやその手際の良さにも大いに感じ入るものがあります。そして出される品の間違いなさはそれはもう「石松」の折り紙つきなのであって、ここも是非にとも訪れるべきお店です。 これらの優良もつ焼店、いや酒場を南浦和の住民だけに独占させておいて果たしていいのでしょうか。いやいや、それは埼玉県人、そうじゃなかった南浦和人に数多くの都内の優良酒場を荒らされているわれわれにとっては許すべからざる事態であります。さあ、東京の人もわれわれの酒場の席を譲っているのだから、遠慮などせず南浦和にちょっと足を伸ばしていつもの仮を返してもらおうではありませんか。きっと電車賃を払うだけの満足を与えてくれるはずです。
2015/12/23
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上大岡は京急電鉄のおっきな駅ですがお恥ずかしいことにー別に恥ずかしくもないかー、今回が初めての下車なのであります。再開発され尽くした退屈な町なんじゃないかという先入観がありましたが、歩き回ってみると案外にごちゃごちゃゴミゴミとしていて、歩いていてそれなりに楽しめます。まあそう何度も来たくなるような町とは思えないですけど。そんな町外れのほぼ住宅街との狭間のような場所に定評のある酒場がありました。 町にしっくり馴染んだ外観は好感が持てます。入口が左右に分かれています。きっと独り客用のカウンター席とグループ向けのテーブル席のエリアに区分されているのだろうなと、ドキドキしながら右の戸を開けると正解でした。カウンターがあります。酒場通には言わずもがなの「鳥佳」ですが、外観から感じた好感は店内の様子を見ると吹き飛びました。何かイメージしていたのと違って少しも落ち着いて呑めないのです。いや、自慢のもつ焼は確かに上等で、お勧めに任せて戴いたそれはどれもこれもなるほどと思わず頷いてしまいそうな位に旨いのですが、とにかくリラックスできないのです。その理由の一端には、もつ焼き店とは思われぬ価格もありますが、それ以上に野心剥き出しの割にはチャラチャラしたお兄さんたちがうようよいるのと、そして何より若い娘さんが余りにも多すぎる。これほどまでの従業員がいるべき理由があるのだろうか。年長の人がきっちり教育しているらしく、浮ついた感じはないのですが、それが逆に客の一挙手一投足を見逃すまいとしているように思われて、やはりどうしてもその視線が気になって今すぐ立ち去りたい心持ちにさせられるのでした。
2015/12/22
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ちょっとご無沙汰してしまいましたが、お馴染みの駒込にやって来ました。山手線を降りてお決まり通りアザレア通りを歩き出します。いつもここを歩くときは、どこかに新しい店は出来ていないかと注意深く歩くのですが、それが功を奏したと考えてもいいんではないでしょうか。と言うのはどういうことかと言えば、それは次の段落で。 駅から出てわずかに10数歩も歩けば「韓」というお店がある事にお気付きになるでしょう。ぼくも開店したてのこの店にちょうど5年ほど前に訪れてています。どうしてそうもはっきりと5年前と言えるかと申しますと、店先の看板に開店5周年と書かれていたからに過ぎぬのでした。サービスの内容は一杯一品がタダというもので、タダほど嬉しいものはないをモットーとするぼくを誘惑するに十分なアピールなのでありました。カウンターだけの狭い店内は以前のまんまというか変えようがないのです。先客は2名、一人は老婆でもう一人は若い娘さん。世代の差はあれ女性が一人で飲めるのは良いお店なのであります。サービスの一品は気の利いたお通しに毛の生えた程度としてもなかなか美味しい。久々に食べたチャプチェも美味しい。長居するにはもっと馴染みになる必要がありそうですが、やはり以前と変わらず交換の持てる良いお店でした。 すぐ脇の路地を入ると「しんのや」という焼鳥店があることは当然知っていました。日頃どこそこの酒場は行き尽くしたなんてことを吹聴しているし、きっと駒込でも同じようなことを言っていたはずですが、実はここに来たのは初めてなのです。だって見るからにお高い感じのお店なんだもんな。ところが店先のボードにツクネの値段が書かれていて、それが案外お手頃なもんだからついつい入っちゃうんですね。安いって訳ではありませんが思っていたほどには高くなく、カウンターの中央の席でほっと一息、結構沢山の客が入っていて、これもまたぼくの小心を鼓舞してくれます。が、まあさして安いわけでもないのでやはり心置きなく呑むことはできません。この位の店でもぼくの気持ちは金銭面ばかりに頓着するというさもしさ、何とかしたいものです。
2015/12/21
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焼津を後にし、浜松に移動しました。簡単に書きましたが、これが実際は大層難儀したのでありまして、豪雨で天竜川だったかの水嵩が増したとかで列車は徐行と停止を繰り返し、昼前になってようやく浜松駅に到着したという次第なのです。それにしてもこの日のうちに帰京せねばならぬというのに、こんな悪天候の中をあえて東京から遠ざかろうとするとは我ながら物好きなことです。浜松を訪れるのはすごい久しぶりです。駅改札を出ても、北と南どちらの出口も大きなビルが立ち並び繁華街がどっちだか分からないくらいの隔世感があります。なので駅前から近い辺りは無機質な愛想の欠片も感じられず、歩いているのが嫌になるほどですが、やがて呑み屋街が現れ始めるとようやく町歩きを楽しもうという気分になるのでした。 さて、大通りの向こう側に喫茶店らしい店舗が見えます。木の扉が店の歴史を物語るようです。店内はほぼカウンターだけで、そのほぼから外れた部分だけが残念なのですが、それは見ぬふりをします。入口付近には恐らくは先代の女店主がおられ、若く上品な後継ぎの様子をチラチラと眺めています。いや、それは気のせいでもう安心して任せているようにも思われます。「喫茶 のあ」というお店で、これといった過剰な何かがないというのがもの足りぬと言えば贅沢にすぎるでしょうか。 続いては、呑み屋街の真っ只中に小さい間口ながらも堂々たる貫禄で店を構える「喫茶 こんどう」にお邪魔しました。古い一軒家の喫茶店とはなかなかに風情があって、貫禄ばかりでなく愛らしさも讃えているのは飲食店の色遣いとしては奇抜とも思える色彩感覚がもたらしているのでしょう。こちらもカウンターだけの喫茶で、内装の控えめなところは先の店に近しいものがあり、浜松の喫茶店主は、大袈裟だったり奇抜だったりしないさり気ないセンスで客をもてなすという矜持でもあるようです。まさに普段使いに好ましいお店です。店舗と兼ねて住居としても用いているようで、カウンターの奥の狭い通路からはからずも生活が覗かれるのもなんだかほのぼのとした気分になります。 最後に「喫茶 軽食 たじま」てすが、実はこちら閉まっていました。外観から眺めた限りにおいては最もぼくの好みでありそうなので、誠に無念であります。でもどうもやっていないようにも思われ、帰宅後にネットで調べてみたのですが有益な情報は得られませんでした。
2015/12/20
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またまた北松戸であります。正直かなりのペースで通っているのでこの町には飽きるという言葉では不十分な位には思っているのですが、ご馳走してもらえるとなればまた訪れるのにもさして不満はありません。あまりケチケチしなくても良さそうですが、図に乗って高目のお店に行こうものならご機嫌を損ねかねないので以前一度訪れて好感をもったお店に伺うことにしました。道を挟んで向かいにある「千歳」というお店も悪くないのですが、若干高く付いてしまうであろうとの気遣いなのであります。 向かったのは「とり新」であります。北松戸駅東口のやがて新京成線の駅に並走する地味な通りのゆるい坂をしばらく歩きます。同行した二人はまだかまだかと喧しい事をボヤキ出すのを間もなくだからと最初に制する程度の距離だから大して歩くほどではありません。到着した店を見て取り敢えずなんの反応もなかったので、さほど古いこともなくまずは普通の人から見ても悪くはなさそうだと判断してもらえるような危なげのないお店です。店に入るとすでに独りで呑んでるお客さんがいます。あまり盛り上がって迷惑にならぬよう気を使わねばないますまい。二人はそこらへんは常識人なので心配いりませんが、普段多くの酒場時間を独りで過ごすぼくは、どうも人と喋りながらだと余計に喋りすぎてつい呑み過ぎてしまう傾向にあります。鳥ワサや鶏の煮込みなどの定番料理が300円台で頂けるのは素直に嬉しいことです。味にうるさいーうるさいだけで違いの分かる男だとは思えませんがー今夜のスポンサー殿もうまい旨いと好評です。こうしたお店に連れてきて喜んでもらえると我が懐が暖かくなるのでもないのに自分のことのように嬉しく思えるのでした。
2015/12/19
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浮間舟渡、実際に暮らしてみたら案外良い町なのかもしれないし、まあ確かに利便性も悪くなさそうで行ってみても良さそうかなって初めて訪れた時には思っていましたが、正直言わせていただくと、住むにはまあ悪くないと言ってみせることはできても、電車賃を支払ってまで行く町でないことは住民の方でも否定しないのではないでしょうか。ぼくもまあ何度も来ているのでその実態を知らぬではないのですが、久々登場のT氏から誘われないでもない限りはまず再訪の可能性はなかったことでしょう。いや確かに浮間舟渡を代表するもつ焼き屋は、銭湯の隣という絶好の立地であり、銭湯好きのT氏には紛れもなく好ましい店であったことでしょう。ぼくも久し振りに行きたかったのですが到着が遅くなって、残念ながら次の機会に譲らざるを得ないようです。それならいっそのこと、T氏には酒場放浪記の酒場を堪能してもらおうということになりました。 「たら福 本店」は、つい先だって放送されたばかりのようで、次の店とは目と鼻の先となっています。もし次の店にハシゴしてるのを目撃されでもしたらあまりにも俗物的な行動に恥じらいを感じずにはおられないでしょう。さて、この界隈は浮間舟渡駅と北赤羽駅の中間位の位置にあり、辺りは住宅街そのものという退屈なエリアと言って支障はないと思うのですが、そんな住宅に混じって酒場放浪記で紹介されるような酒場が2軒もあるというのはそれはそれで何だか愉快なことです。さて、酒場というよりは郊外の和食店といった店の前にはたぬきの置物が鎮座しています。T氏も間もなく到着すると思いますが先に入って待つことにしました。ありゃ、外観が想起させるイメージそのものの小奇麗で店の個性があまり感じられぬ平凡なお店なのでありました。日替わりらしき手書きの短冊がズラリと張り巡らされていて、それを見る限りにおいては魚介を売りにしたお店のようですが、堅実をモットーとするわれわれは常に手頃な価格を重視するのです。確かに料理の味は良くて、初めこそガラガラだった店内もやがて賑わってきます。これら夫婦モンや家族連れは店の味わいでなく料理の味を求めて通われるのでしょう。店の方も親切でありました。 続いては、道路を挟んですぐにある「大衆酒場 いけだ」に向かいます。これまた住宅街にいかにもありそうなお店で、ここには数年前、独りで来ています。当時と同様に元気な母娘でやっていて、われわれのケチ臭い呑み方に嫌な顔ひとつ見せず、いやむしろサービスで手造りの美味しい塩辛を出してくれたりもして、この気持ちの良い対応は以前のまま変わらずいてくれるのが嬉しく感じられます。正直テレビで紹介されるようなこれといった特徴のある店ではないと思うのですが、でもご近所さんがフラリとつっかけ履いて訪れるのに恰好なお店と思うのでした。
2015/12/18
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久し振りに湯島にやって来ました。湯島という町は湯島天神とラブホの町というのはあまりにも大雑把な括りですが、元来、多くの参拝客が訪れるような観光地としての役割を担うような神社の周囲には歓楽街が寄り添うように発達するのは何処も変わらぬことです。そんなわけで当然ながら湯島にも数多の酒場があるのであって、それなりに寄せてもらっているのであります。しこしどうも高いお店が多いようなのです。ようなのではなくて、ハッキリと安くなくてもちろん例外のお店もあるにはありますが、そう始終遊びに行こうという気にはなれないのでした。でも稀には誘われて呑みに行かざるを得ないといった状況に陥ることもあるのであって、しかも時間も早くはないので東京メトロの千代田線の池之端側の出口を出ると、すぐに目にすることになる酒場に入ることにしたのでした。 後で調べてみると「備長炭 焼き鳥 呑ちゃん 湯島店」といういかにも有りそうな凡庸な店名のお店でしたが、外観もまた最近多くなった一見すると味が有りそうに見えても実のところは単に安普請であるに過ぎないつまんない店に思われました。それだけ店の良し悪しを選り好みする時間がもったいなかったのでした。でも店内は思いがけずいい雰囲気の侘びしさが漂っています。この三和土の寒々した感じが好きなんだよなあ。この感じはどうなんでしょ、皆さんお好きなのかなあ。変に洒落た床材で見掛けだけ綺麗なのってのは酒場には不釣り合いに思えてしまうのです。まあ実際のところは、時折、めっきり近頃店舗を減らした「白木屋」のあのソファの腰を下ろす時の不気味さと同様に衛生面にどうしても不安を感じるのです。散々汚い店を渡り歩きながらもそれはどうしても気になるのです。若い中国の方が夫婦でやっていていかにも居抜きでやってるのですが、案外悪くない。幼い娘さんが学校帰りに立ち寄っているのですが、これもよく中国の人の経営の店で見かける風景ですが、この子たちしくださいは大丈夫なのだろうかと思いつつも、いい意味で店のマスコットとして活躍しています。主人は目付きが鋭いけど、奥さんは陽気でまあ悪い店ではありません。職場が近ければたまに寄ってもいいかも。まあ職場が近くないから今度はいつのことになるのやら。
2015/12/17
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先日、ちょっとした弾みでとうとう我孫子にて初上陸してしまったのですが、正直ぼくにとって我孫子という町は心情の悪い町として記憶されています。と言うのも常磐線沿線のどこかしらで呑んだ後に上野駅で折り返して目覚めると多くの常磐線快速電車の終着駅となっている我孫子駅であることが何度かあって、酔った目で眺める駅前は案外に賑やであったことが記憶の片隅に残っています。ぼくと同様に我孫子駅で降ろされて途方に暮れるオッチャン達を狙うタクシーが多く控えているからです。まあまだしも水戸まで行ってしまわなくて良かったなと思うのですがー実際に何度か往復した挙句に水戸まで行ってしまった知人がいますー、それでも我孫子が忌避したい駅になるにはそれなりに十分なのです。でも先般呑んだばかりなのにまた来てしまったのですね。全く懲りないことよ。でも前回よりは時間も早くて少しは町歩きする余裕もあるので入念に酒場探しをするつもりです。 でもまあ町を歩いてみると、それほど歩いて楽しい町でないことは容易に察しが付いてしまうわけで、これといった酒場が見つからぬのもまあ覚悟していたので、まあどうってことはないけれどそれなりに好みのタイプの店である「ごちゃ満開」に入ってみることにしました。やはりどうってことなかったなあ。でもたまたま居合わせたーというけ後から入ってきたーオバちゃんがまあ何とも変わった人だったのです。オバちゃん二人で入ってきたので知り合いかと思いきや、席は離れ離れ。どうやらカウンター奥の若者に目を留めたようだ。しっかり隣席を確保するのでした。店の前でこの店の情報を聴き込んで、入店を決めたようです。酒が呑めないからなんとかジュースある、えっないの、じゃあ何とかはないのかんとかはないと、まあけたたましい。酒を呑まなくてもいいけれどおかげさんで落着いた雰囲気から一転騒がしくなりました。ぼくは不幸にもターゲットとなった若者を冷やかし半分に耳を傾けて観察していたのですが、やがてそのお鉢が回ってきたのでした。散々おしゃべりに付き合った挙句に肴をお裾分けしてもらいましたが、これじゃいくらなんでも安すぎるくらいに付き合ったぞ。くたびれたなあ。 駅に引き返していくと、おお定番屋号の「居酒屋 かっぱ」というなんだかんだ言っても一番落ち着ける王道の大衆居酒屋がありました。もちろん迷わず入ることにします。店内も予想以上にくつろぎ感が満載でやはりここでもカウンター席ーちょっと席数が少ないのが残念ーに着くのですが、先はどと違って互いに干渉しあうなんて面倒などなくてゆったりと自分のペースを守って、気分よく酔うことができるのです。テーブル席もあるので当然グループ客もいますが、馬鹿みたいに乱れる本当のバカなど不在でのんびりゆっくり楽しめるのは何よりです。そう、こうしたごくごく当たり前の酒場が復権すべきなのであります。これはそんなに難しいのでしょうか?チェーン店でもいいから画一化せず、ちょっとした色遣いや肴の違いなどで本部中心の戦略によるものであってもわれわれ愚かな消費者は乗っかることに意義はありません。ホントは絶対に行かないつもりですが。 でもいろいろと店の人や客たちに聞いてみてもここ以上の店はなさそうです。もし仮にたず絶対ないことですが、誘っていただいてもきっと我孫子で呑むことは拒絶することになりそうです。
2015/12/16
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これといった目当てがあるわけでもないのに大塚駅で下車してだらりたらりと歩いているとーとは言っても恐らくは普通の人よりはずっと早歩きなんだろうなあー、どんどん暗くなっていくのは致し方ないのであって、それでもこの夜のぼくはかなり辛抱強く黙々と歩き続けるのでありました。そんな努力の甲斐があったと言うべきかこの辺では希少になりつつあるはっきり言えばかなり小汚そうな酒場であります。小汚い酒場に興奮するなんて我ながらどんなもんかいなと思わないでもないのてすが、好きなものはしようがない。当然一切の躊躇なく入ることにするのでした。 賑やかに思えたのは過ちでありました。別に表にまて響き渡った声が若い娘さんの声だったことがお邪魔することにした理由でないことは違って言えることです。「たこ祥」というたこ焼きが主力商品のお店なのですが、店内に入ってすぐにいくつもの勘違いをしていたことに気付かされます。まず表に聞こえてきた声は店主の孫娘ー多分ーのものであったこと、たこ焼きより中華料理が主力商品であったこと、何より年季ある店と思ったのは全くの間違いではないものの、開店してから22年というこのお店で、今の店主がやったのはここ9年ばかりということです。まあそんなのはどうでもいいんですけどね。日本酒と棒々鶏が果たして適当なセレクトであったのか自信はありませんが、それにしても冷凍庫で数年を熟成させたかのような独特の香味にはさすがに珍味に感じるそれを当てはめるわけにはいかないのでした。それでもそんなちょっとした瑕疵は見なかったことにしよう、親父さんはいい人だしね。
2015/12/15
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先だって長年の懸案だった下北沢での呑みを無事というか、ちっとも無事じゃなくなんとかかんとかクリアできたので、もはや当分来ることは無かろうと思ってたのに、一度来てしまえばぐっと敷居は下がるものらしくて、いやはやまたもや行ってしまったのですね。前回のノルマを消化するような味気のない呑みとは打って変わって、今回は何ものにも束縛されずに気ままにハシゴできるのがなんとも気持ちが楽になるのです。それにしても駅前のマーケットは、ほとんど原型を留めぬほどに跡形もなくなっており、白々した気持ちになるのですが、それはもう経験済みのことなのでだらしなく嘆くこともなく酒場を探して未練のないその場所を背に歩き出すのでした。 すると何とまあ芳ばしい佇まいでぼくの視線を一瞬にして虜にしてしまうお店があったのでした。「宮鍵」というお店のことはどこかで聞いたことがある、どうやら鶯谷の「鍵屋」なんかとイメージがダブってしまって、格調高いお店だと思い込んでそれがために記憶の片隅に追いやられてしまったようです。店内は大盛況ですが、奥の一列だけは空いているのは、団体の予約があるのかと思いきや、さにあらず、訳知り顔の常連風が涼しい顔をして入っていきました。どうやら常連のために確保しているようです。ぼくが隅っこの劣悪席で窮屈げに呑むのを何事もないかのようにチラ見されるのが悔しいが、それが馴染みの特権というところか。別にこういうやり方嫌いじゃないから気にしないけどね。それにしても場所柄ということもあるのでしょうが、やけに若い人が目立つのはなんだか店の雰囲気からするとしっくりこないなあ。何周年記念とかで半額とか書いてるけどこれって本当かなあ、ずっと貼ってるんじゃないの、しかも会計はなんだか腑に落ちないところがあるし。いや全然気になんかなりません、なんてったって雰囲気は抜群だしね。オヤジの無手勝流の仕切りっぷりもーやけに席を移動させられるーホントちっとも気にならないんだからね。 正直すごい好きな酒場だったですけど長居する気にはなれなかったので、次なる酒場選びは慎重にしよう、と思ったところに「とんかつ とん水」というお店が見えてきました。この雰囲気は間違いないないと入ることにします。まあどうってことのないありふれた食堂といえばそれまでですが、酒の肴になりそうな品が充実しています。これでもう少し酒に選択肢があれば言うことないのに。ぼくはカウンター席で呑んでいたのですが、地方から来て友人宅に転がり込んでるらしい若者たちが必要以上に絶賛を放ち捲くるのはちっとうっとおしいのでありました。それにしても近頃の若いモンは必要以上にゴマすりがお好きなようで、ちょっと面倒くさいなと思うのは、オッサンであることの証左なんであろうなあ。
2015/12/14
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静岡の旅の酒場篇は早々に幕を下ろしてしまいましたが、喫茶篇はまだ続いてしまうので今しばらくお付き合い願いたいのであります。と書いていながらも実のところはまだ数ヶ月前の事でしかないにもかかわらず、静岡駅の近辺にあったこの二軒のことは正直あまり印象に残っていません。が、せっかくメモがあることだし、取り敢えずは立ち寄った備忘として残しておきたいと思います。 O氏が独り、おでん横丁で楽しくやっていた頃にぼくは時間調整のために町を散策して次なる酒場を物色していたわけですが、そのついでに二軒の喫茶店に立ち寄りました。静岡駅周辺は以前も喫茶店巡りをしているので落穂拾いのような気分ではあります。一軒だけは行っておきたい喫茶店がありますが、ここからは結構な距離があるので翌日に譲ることにせざるを得ないので、これはたまたま見掛けて立ち寄ったまでです。「珈琲の店 レザン」と「珈琲舎 茜」は、どちらも小奇麗でこれといった特徴はありませんが、使い勝手がよくて賑わっていました。こういう店では、純喫茶という言葉が想起させるような枯れていながらも新しい個性的なものを求める必要はないのであってひたすら精神を弛緩しさせてさえいればまあ悪くないものです。 さて話は、翌朝に飛びます。メールで連絡しても一向に返事のないO氏にいつまでも関わっているのは時間がもったいないので、先にゆで卵とトーストだけというこの上なく質素なホテルのモーニングをなんとも殺風景な部屋で食べてから表に出てみるとものすごい雨が降っています。焼津でも行っておきたい喫茶店がありますが前途は多難なようです。ホテルから5分程度のところに「窓」はありましたが、ここまで来るだけですでにぐしょ濡れとなってしまいました。すぐ後ろにも喫茶店があって競合しているはずです。駅からそれなりに距離があるのにわざわざ店を開くのがよく分からない。どちらかと言えばこちらのほうがオーソドックスで使い勝手が良いためか、こんな天気なのに数名のお客さんが入っていました。 その後、土砂降りにウンザリさせられながらも町中を歩き回ってみたのですが、時折喫茶店らしき店は見掛けるもののいずれもお休みなのでした。
2015/12/13
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新杉田には改めて出直さねばならなくなりましたが、そのお隣、と言っても京急の杉田駅の一駅東京寄りの屏風浦にも良さそうな酒場がある事を知りました。これまた今更感のある実はよく知られた酒場のようですが、同じく知ってしまったからには是非とも立ち寄らずにはおられない、いかにも良さそうな風情のあるお店のようだからです。杉田駅で京急電車に乗り込み、という事はなく住宅街ながら独特の情緒のあるそこーそれは京急沿線の風景を特徴付ける平坦さと無縁な崖と坂の織りなす複雑な地形がもたらすものでしょうーは、歩いていて飽きるということもなくそうこうする内に目指すお店が見えてくるのでした。 そこは、「鰻屋」というこれ以上ないくらいに直接的な店名で、店先からは鰻を焼くことで落ちた脂がもたらす蠱惑的な香りに誘われた持帰りの客たちを惹きつけています。こちらは蒲焼もあるようですが、それ以上に串焼が主力のようです。蒲焼に比べると圧倒的に安価な串焼用の鰻ですが、それが振り撒く香りは少しも蒲焼に劣らずぼくを招くのでした。店の中は2つのブースに分かれていて、基本的に一人客向けのスペースと奥には団体用のスペースがあって、そこには草野球帰りの集団が入ってきました。どちらも掘っ立て小屋のようなぶっきらぼうながらも枯れた雰囲気が酒場好きなら間違いなく興奮できるはずです。無論ぼくも大いに楽しんだわけで、それだけでもう大満足なのです。カブトはかなり骨ばっていて嚥下するにはちょっとばかし気合を必要とさせられますが、値段を考えたら贅沢は言えません。 駅前に着くとそこに喫茶店がありましたのでちょっと立ち寄ることにします。1階はコーヒーショップのようなそっけない店ですが、2階はそれなりに喫茶店らしい体裁は整えていました。それぞれ「カフェ エルム」、「コーヒーショップ えるむ」という店名が付けられていましたがどちらがいずれのフロアーのお店なのか忘れてしまいました。なんでだか2階のお店の中央には布袋さんだか恵比寿さんだか忘れてしまいましたが、わけに大きくて金ピカな置物がデンと据えられていたのがなんたかすごい違和感があってそれはそれなりに愉快なのでした。
2015/12/12
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京浜東北線というか根岸線の都内から言うと横浜駅の少し先に新杉田駅という駅があって、実際の乗降者数を見たわけじゃないので自信を持ってそうだと言い切れないのですが、きっと寂れた駅であるに違いないと思っていました。この駅で降りたことがないわけではありませんが、若い頃に三島と都内を結ぶ東海道線ばかりでなく、京浜東北線や根岸線の各駅を乗車券で途中下車するのが、映画館をハシゴする合間の楽しみでしたし、実際三島と都内の間のJRの駅は全駅で下車しているはずです。なのにお恥ずかいことに新杉田駅のことはまるきり覚えていませんでした。まあこの忘れっぽさは何度も町歩きできる美徳であると思うことにしているので、それはまあ良しとしてそれにしてもこんなに魅力的な町を忘れていたとは情けない話であります。いや、第一京浜でいいのかな、駅を出てすぐの大きな通りに恐れをなして町歩きを楽しむ間もなく退散してしまったというのが本当のところでしょうか。当時はインターネットは存在しこそすれ、まだまだ庶民には高嶺の花であるばかりでなく、まともな情報さえ流通していなかったはずです。 長くなったのでボヤキはここまでにして、「やきとり 浜の家」と「愛知屋 小林商店」の存在を知ったのはつい最近のことでした。調べてみると案外この二軒は古くから知られていたようですが、ぼくのしらべからは漏れていたようです。でもそれを知ってしまった今となっては見過ごすことの出来ぬ二軒であることはネットに流通する写真を見ただけでも間違いないこと。今頃になってさも未知なる酒場に出会ったなどと語ってみせるつもりは微塵もないけれど、それでも行っておく価値があると確信するだけの店に違いないはず。はやる気持ちをなだめすかししつつ、開店までまだ時間があるので向かったのは、これは紛れもなくたまたま出会った大衆食堂なのでした。 「さかえや食堂」は、街道沿いにある大衆食堂でこれはまあ大変良いお店であることがひと目でわかります。昼下がりのむしろ夕方に近い時間帯に客の声が店の外にまで漏れ出すというのは、これは間違いなく呑んでる客がいるはず。この日は一日歩き詰めで何一つ口にしていなかったので呑む前に喰う事にしたのです。これが正解となるかどうかはともかくとして、出されたのは大層ボリュームのあるミックスフライ定食なのでした。これだけ食べがいがあれば正直飯はいらないのですが出されたものはなるべく残したくない性分なので結局は食べ切ってしまったのですが、もう胃袋は目一杯です。さすがに黙々と一人飲むのは虚しくなるのですが、こちらは目つきは厳しいけれど、実は陽気でお喋りな女将さんがいるから大丈夫。とにかく誰彼構わず語り掛けてきて、独り呑むぼくにも初めてと知りながらも常連と変わらぬ調子で語り掛けてくれるのです。過ぎたという土地は変なところでとにかく気候がよそが大雨でもとにかく雨が少ない、過ごしやすいよと別に移り住むことをすすめるでもなく話されるのがいいなあ。 さて、「やきとり 浜の家」と「愛知屋 小林商店」にやって来たのですが、なんで!?、どっちもやってないじゃん、てゆうか後者はやってたけど今日はもうおしまいとのこと。無念極まりないのでありますが、いくら粘ったところで店を開けてくれるはずもなく折角だから適当に店を見つけて呑んでくことにしよう。 あっさりと決めたのが「国民酒場 あさひや じぃえんとるまん 新杉田店」でした。京急の神奈川県を中心に格安チェーン展開するなかぬ魅力的なお店ではあります。たたしこちらはちょっと店に味がなさすぎて物足りない気分になるのですが、それでもこの店ならではの安さと肴の品揃えの良さは間違いないものがあってオトクさは紛れもないのです。 今回はハズレを引いてしまったようですが、次こそは必ずやあの2軒に入ることを願いつつ次なる町に移動するのでした。
2015/12/11
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平和島に来るのは何年振りでしょうか、随分久しい印象があります。駅の印象というのがあまりなくて、それは久し振りと言うのだけが理由ではなく、実は京急線を利用して平和島を訪れたのは初めてのことと思われるのです。これまではJRの大森駅から結構な距離をダラダラ歩いて来ており、呑んだ後なので記憶が定かではないのですが、戻りもわざわざ大森駅に引き返していたはずです。そんな訳で、平和島の駅前風景がこれほどまでに郷愁を誘うようなものであったことにまずは驚かされ、そして嬉しくなるのです。ここには商店街にあって欲しい全てがあると書くといささか大袈裟ですが、こんなにこぢんまりしているのにぼくが望む町を構成するあれやこれやが過不足なく揃っているのです。当然何よりあって欲しい喫茶と酒場が仲良く隣り合ってある事に喝采の声を上げそうにもなるのです。 まずは「喫茶 ハト」にお邪魔することにしました。店名もシンプルで品があって、外観からだけでも長くこの地で愛されてきたことが感じ取れます。その客の多くはギャンブル客たちであるのでしょうが、平和島に限らず彼らの存在こそが数多の町場の喫茶店を支え延命させてきたことは否定できる人はいないでしょう。質素で飾り気のない店内ですが、それでも長い歳月を経ないと出せない空気感が充満しています。一瞥しただけでは他にお客さんもおらず、狭い空間に思われるのてすが、奥にも席があってそこには赤鉛筆を片手に新聞を開いたまま、メキシカンピラフなどを頬張るおぢさん達が数名おります。彼らはこれからもこのさり気ないお店を大事にし続けてくれるのだろうと思うと少し感謝したくもなるのです。 静かだった隣の喫茶店に比べると「信濃路 平和島店」は、大いに活況していて騒々しく感じられますが、実際にはそれほど喧しい客がいるわけでもないようです。大抵は独りで静かに呑んでいて顔見知りが入ってきた時だけ、二言三言挨拶とこの日の戦績を交換する程度なのでそう気にはなりません。視界を頻繁に過ぎって目障りなのが、店をやってるオネエさんらしき人の営業目的の呑みで、席を立って店を出て行ったかと思いきや他の席の客のところに移っただけだったり、今度こそ本当にいなくなったかと思いきや、カモが同伴で入ってきたりと忙しいことで結構なことですが、それぞれでしっかり瓶ビールを呑んでるので昼間なのに相当な酒量をこなしているのがすごい。夜になったらなったでもっと激しく呑んじゃうんでしょうから驚くべきウワバミ振りです。そうそう、この「信濃路」、知られた順で言えば鴬台を筆頭に蒲田、大森にも店舗がありますが、好みで言えばここが一番です。各店舗の良さを集約したのがこの平和島店と言っても過言でないほどです。そのそれぞれの良さは何だか的外れな気もしなくはないのでご想像にお任せします。肴も豊富でお手頃、当然食事のメニューも充実していてこういう店は日本中すべての駅前にあってほしいものです。きっとまだこの平和島にはこうした食堂を兼ねた酒場があるはずです。また来てみたい町です。
2015/12/10
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知り合いに車に同乗させてもらう事って度々あって、こう書いていると運転手の人はぼくに良いように連れ回されて大変だななんて思われる方も多いでしょうが、助手席に座って呑気に車窓を眺めているばかりで、いい気なもんだときっと思われることでしょう。あえて言い切ります。けして単にボケッとなどしていないのだよ、実はものすごく忙しいのだとはっきり言い切らしていただきたい。呑気さを装いつつ運転してくれている方を退屈させぬよう切らさぬリップサービスは当然のこととして、とにかく車窓の風景を僅かなりとも見逃すまいとしてスナイパー並の集中で車窓を通過する目に飛び込んてくるありとあらゆるものを見逃さぬという緊張感を持続するのですが、どこかしらで車を降ろしてもらうともうヘトヘトになっているのです。そんな集中力の賜物として見つけ出したのがこのお店でした。 とにかくここは、馬橋駅からも遠く、北松戸駅からも遠い、かろうじて馬橋駅がわずかに近いかもという辺りにある、宝焼酎の工場の向かいにあるお店なのでした。「食事処 千寿」というお店でこの店の前は何度か歩いたことがあるはずですが、ついぞその存在に気づかぬままでした。この界隈に多い店舗兼住宅の廃れたお店を期待していましたが、店内は意外とあっけらかんと明るい綺麗なお店で拍子抜けなのです。でもまあ雰囲気はけして悪いわけでなく広く大きなカウンターがなかなか気分がいいのでありました。ここら辺は工場街なので、てっきり工場勤務の方たちを当てにしたお店だと思っていましたが、案外来られないようです。むしろ宝焼酎の従業員は、店で何かトラブルがあったようで、ほとんど出入りしなくなったとのこと。そのせいか一応宝焼酎もありますが、むしろキンミヤを売り出してるみたい。食事処と言っても明らかに居酒屋よりのお店で、最初つっけんどんな印象のご夫婦も実はとても気さくでいろいろお話いただけました。店の雰囲気よりずっと年季は新しく5年ほど前に始めたばかりのようです。居抜きかなんかかと尋ねるともとはこちら学習塾だったそうです。塾と酒場のギャップってすごいようだけど、以前も見たような来歴のお店に伺ったことがあります。呑み過ぎるにはやや駅から遠過ぎる。程々にして駅そばでもう一軒ばかり立ち寄ることにします。 迷いに迷ってやって来たのは、東口駅前にある「中華料理 稲毛屋」です。馬橋界隈にはこうした枯れた味のある中華料理屋がチラホラとあって、いずれも入ってみたくなるのですが、ここは駅から至近であることもあって使い勝手の良さはピカイチです。他店は駅からちょっと離れていてもっぱら出前で商売しているように思われます。店内は案外広くて、それほど多くの客がいるわけではないのですが、地元の高齢者に加えて、都心からの帰宅客で寂しくない程度の入りです。定食物がボリュームがあって人気のようですが、酒を呑んで腹を一杯にすると調子に乗って呑み過ぎちゃうのでぼくは控えめにしておきます。こういう中華食堂とか大衆食堂は、本当なら昼時の軽い呑みで使いたいものです。駅前というのに、しかもそれほど呑んだり食べたりしたのでもないのに、やけにくつろいだ気分になれるいいお店でした。
2015/12/09
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またかと言われてしまいそうで恐縮なのですが、またまたの松戸呑みであります。この日は仕事のちょっとした打ち上げということで総勢7,8名が集まることになります。酒場に事欠く松戸の地ではありますが、そうは言ってもまさかそれほどに足りていないことはなくて、チェーン店に限らずその程度の人数が入れる店ならいくらでもあります。が、店選びを頼まれた手前、というかできれば知らぬ店に行きたいという個人的なエゴが先行し、でもこれという店も思い付かずまたもや中華料理店になってしまったのでした。 向かったのは「中国料理 龍鳳」です。西口、ダイエーそばの先日行ったばかりの「大福元」をさらに進んでバス通りを渡った辺りです。ここもまた中国人シェフによる本場風の料理を出すお店で、つくづく中国の人のバイタリティには感心させられます。店でバラバラに今夜の顔触れが揃い始め、時間になったので早速のオーダーです。ぼくは680円だかのほろ酔いセットをみんなで頼むのがいいと言いはったのですが、注文が面倒だからと1,980円のコース料理とされてしまいました。これが実にとんでもないボリュームで焼豚に棒々鶏の前菜から始まり、スープに餃子、エビチリ、酢豚に他も出たかな、それで終わらず炒飯にデザートに杏仁豆腐まで付くのだから確かに激安であることは間違いない。これだけ出ると知らずに飲み放題ーこちらは1,280円?と格別安くはないーを取ったもんだから、ついつい意地汚く呑みまくってしまうことになるのでした。値段はさほどではないものの気に入ったのがココナッツジュース、もちろん焼酎をドボドボ垂らしてもらったのですが、これがなかなかに旨いのです。立て続けにお替わりしたほどです。普段甘い酒はたまのバーでカクテルを呑むくらいしかないのですが、これは良かった。目の前で品切れとなりましたが杏仁ジュースなんてのもありました。そこそこの味でモーレツに食欲があって、体調が良いならかなりのコストパフォーマンスの良さを感じられそうです。食材には不安を感じるのは、こうした店の常なんですけど。 続いては、安く上げようというだけが目的で「鍛冶屋 文蔵 松戸店」に移動です。ここは、まあ来ておいて言うのは非礼の極みではありますが、どうでもいいお店ですね。毎夜のように入り浸る人もいると聞きますがぼくにはどうしてもその気がしれないのでした。
2015/12/08
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喫茶篇は未だ掛川辺りをウロウロしていますが、酒場巡りの度は何とかかんとか焼津まで辿り着くことができました。すでに結構な量を呑んでいるのでO氏ばかりでなくぼくも結構出来上がってきています。呑んでは電車に揺られを繰り返したのが、いい具合に酔いを助長したのかもしれません。次第に瞼が下がってくるのをぐっと堪えつつしている間に今晩の宿泊地である焼津駅に列車は滑り込むのでした。焼津でもそれなりに歩くことを予定しているので、ひとまずホテルにチェックインしてから町に繰り出すのでした。繰り出すと書くと相当威勢が良い響きでありますが、焼津の駅前はけして活気があるわけでなく、むしろ駅前ビルにあるキャバクラだかのポン引きのあんちゃん達が何人か立っているだけで、他は店もあまりやっていないし、人通りも疎らなのです。それにしても駅の正面のビルが風俗店でポン引きまで立っているとはなんとも情けない光景に感じられます。 目指すお店は「蓬莱荘」です。酒場放浪記に出ていたらしいのですが、正直まるで印象になく、O氏にどこに行くんだいと尋ねられ店の名を告げると、ああそこは旅館のやってる呑み屋だねと即答したはずです。それは何だか危ういなあと思ったのですが案の定、店舗部分は暗いばかりなのでした。旅館からも灯りが漏れることはなくもうここに来る機会はないんだろうなとぼんやり思うのでした。 しかし、真の目当ての酒場は次に向かうお店です。人っ子ひとり歩いていない綺麗だけれど侘びしい商店街を結構ウンザリするくらいに歩いていくと「寿屋酒店」はありました。いや、あるにはあるもののそれは店を畳んだ跡でしかありません。出遅れることは幾度となく経験していますが、これには相当参ってしまいました。ネットに流布された写真を見るだけでこここそが酒場の原風景では無かろうかと思わされるほどの知らぬはずなのになんだか溜まらなく懐かしい空間に我が身を沈み込ませる機会を永遠に失してしまった己が不幸に、いや怠慢さに後悔という言葉では足りぬまての絶望を感じたものです。かと言って随分呑んで目も冴えてきたのでこのままふて寝でもしようものならあまりにも締まらない。 そんなわけで再び夜の町を徘徊した末にようやく「居酒屋 のんのん」という店が開いているのを見つけました。ちょっと枯れた雰囲気で悪くなさそうと入ってみたのですが、店内は外観以上に味があります。品書も10種程度に収まる程度の質素なもの。酒場で肴なんぞはこれで十分であるに違いありません。絶望的な気分に陥りかけていたところに、この手抜きといえば面と向かっては反論できそうもないようなさり気ないこのお店の存在があったことがこの小さな旅の最初で最後の宿泊前のひとときを多少なりとも彩ってくれたことは確かです。うるさ方のO氏もこのお店には好ましい印象を持ったようです。きっともう忘れていると思うけど。 話はぐっと飛んで、翌日の昼下がりへと移行します。ホテルで目覚めてからどのような行動をとったかについては喫茶篇に譲ることとして、場所は変わり清水駅へと移動します。日曜の地方都市の昼下りは寂しいことがめっきり多くなりました。かつては多くの買い物客で賑わったに違いない駅北口側の商店街には人通りが少なく、なんとなく心細くなるのでした。軽く一杯呑んで息を上げようと、昼夜ぶっ通しで営業しているらしい大きな食堂風の構えのお店に入ってみることにしました。「久松」というそのお店はカウンターもあるもののどこか雑然としたムードであまり流行っているようには見えません。それでも若い人が二人、この時間なのに上機嫌で呑んでいるのはどこか次郎長の町、漁業の町である清水らしいとホッとした気分になります。格別どうということもなく、むしろ値段はちょっと高めですが、こうした呑み屋がちゃんとやっていてくれたことに救われた気分になるのでした。 こうして、呆気なく静岡の酒場巡りは終わってしまうのですが、まあ実際にこの旅が終わったかといえばそんなはずもなく、神奈川県内を呑み歩くことになるのですがそれはまた別なお話であります。
2015/12/07
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用宗駅を出ると次に向かうのは掛川駅でした。掛川駅というと、夕方にO氏との待ち合わせの地である静岡駅どころか、この夜の宿泊先の焼津駅もずっと通り越した浜松駅にもうすぐという土地で、静岡県内を生きつ戻りつご苦労なことよと我ながら勤勉なことと…もう一度やってみろと言われてもとても乗り気にはなれないのですが、そんな多少の面倒を押してでも、是非にとも行っておかねばなるまい喫茶があるのだから、その時は熱に駆られたようになって全く多少の面倒など苦にならぬのでした。今になって振り返って初めて呆れてみせるというのも旅の醍醐味なのかもしれません。 さて、やって来たのは掛川です。駅を出ると見慣れぬ風景が広がっています。そういえばこの駅で下車するのはこれが初めてかもしれません。田舎びている訳でもなく、むしろ駅前には商店街がT字に伸びていて、それなりに店もやっているのですが、人通りがほとんどなくて閑散として感じられます。人がおらず店だけやっているのも白白とした印象で味気ないものです。第一やってる店を冷やかそうにも他に客がいないのでは、うっかり店の方と目を合わせられません。そんな商店街にひときわ目立つカッコいい構えの喫茶店がありました。こここそ今回の旅で最強最大の目的地です。それにしてもこれほどにカッコよければその存在を知らずとも間違いなく入っていたはずです。知らずに来ていればいかほどに興奮したかと思うと残念な気もしますが、知らなければ恐らくは掛川に下車しなかったかと思えばやむを得ないことと諦めることにします。 前置きが思いがけず長くなってしまいましたが、「喫茶 アカシア(COFFEE SHOP AKASSHIA)」にようやく念願叶って伺うことができました。そして入った瞬間にすでに驚愕するくらいの衝撃を受けました。定番の飾り付けをどんどん積み重ねていつしかそれに歯止めが効かなくなってその過剰さで特異に個性的な店になる場合とこちらのように端から完璧な設計図を用意して、その夢想を完璧に現実にする場合がありそうで、それがここまでの完成度で結実した例をほとんど知りません。熱海の「」がその系譜に当てはまるかもしれませんが、奇想という意味においては遥かに凌駕しています。誰もが店内に佇むと、まさに今船底にいると錯覚してしまいそうになります。座席の背もたれに灯る怪し気に灯るライトなどどんな船の底にもあるわけがないことは分かっていても、いつまでも港に辿り着いてくれるなと願いたくなるのです。 あまりの異空間ぶりにーかと言って座りの悪い椅子に腰掛けていたというような居住まいの不安さとは真逆の最高に居心地の良い環境でしたー朦朧とした意識を大事にして町を後にしたいという気になったのですが、創業大正14年を看板に掲げた「ウオコー」というお店を見てしまったらもうダメ、堪らず入ってみることにしたのてした。外観こそ看板が語るような年季を感じさせませんが、中はとんでもなく味があるかもしれません。そして扉を開けるのですが、これが見た瞬間開けた扉を閉じたくなるような有様なのでした。いや多少散らかってはいますが、別にどこにでもありそうな雰囲気だし、ところどころ歴史を感じせるものもあります。ですが、看板にああもデカデカと喧伝するからにはもう少しくらい歴史を留めてくれていても良さそうなもの、こうなると後味が悪いのでもう一軒という気持ちにもなるってもんです。 踏切を越えて駅の反対側に出ました。しばらく駅を背に線路沿いを歩いていくと「茶房 六軒京」がありました。なんとも言えず得体の知れない不可思議な店です。よもやのことがありそうな雰囲気なので思い切って入ってみることにしました。店名はいかにもな和風喫茶の雰囲気ですが、実際は木造のバンガローのようなお店でした。ちょっと紀伊田辺で入ったやはり和風喫茶と似た雰囲気があって、まあ個性的ではありますが好みとはちょっと違ってるかな。あまり長居するでもなかろうと、ていうか時間も押してきて気分は呑みの方に傾いてきたので、手短に店を後にしたのでした。 ところで、こよ町にはこれら以外に多くの喫茶店があり、特に「コーヒー&スナック バラ」には惹かれたもの、焼酎ボトル1本...とか貼り出してあるので、敬遠してしまいました。で、やはり今となって後悔するのであります。
2015/12/06
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恥ずかしい告白をせねばなりません。いや、別に語らぬとも一向に構わないのですが、敢えて露悪的に告白するのですが、ぼくは呑兵衛の癖にマメなことにも行った酒場ー当然喫茶店もーをきっちりメモしています。それもエクセルなんてソフトを使っていざとなれば検索できるようにしてあるのてす。そこには未訪の酒場なりも当然登録されているわけで、なんかの拍子に勝手の知らぬ町に出向いた際に、それを参照することを目的としていたのです。それはなんとも合理的なことであるよと思っていたのです。が、しかしそうは問屋が降ろさぬ訳で、現代の必携ツールとなりつつあるスマホなんかでは、肥大化し尽くしてハイスペックなPCでも開くことはままならぬのでした。ということで、せっかくのデータも宝の持ち腐れとなっていて、無念であることこの上ない。でもまあ全く使えないわけでもなく、溝の口の酒場リストに今回訪れた酒場のことをメモしたところ、やけに片仮名ばかりであるなということに気付いてしまった次第であります。あまり追求するとボロが出そうなのでここまでにしておきますが、敢えて屋号を平仮名、ここまで漢字で書いてしまいましたが、ひらがなとすべきでした。溝の口の酒場を熟知する方であれば腑に落ちてもらえることと思います。さて、ひらがなで表記した未訪店を訪ねることにします。 まずは「やきとり ひさもと」です。駅からはちょっと歩きますがきっと通っていたのになぜにこれまで入らずにいたのか! そんな位に味のあるお店なのです。店の雰囲気も外観通りのとにかく心地良く、くつろぎたくなるような雰囲気で、それは店を守る女性お二人の柔らかい包容力がなせるものだと思わずにはいられません。人が店をつくると言ったりしますが、まずはお店側が良くなけりゃ、話にならない。こちらはその面で、過不足ないお店です。こんな良い店が当たり前にあるという溝の口という土地柄を羨みながらも、きっと住むことはないだろうなあとおもうのでした。 さっきのお店は酒場放浪記に出ていたらしい。それはまあどうでもいいことですが、そればかりを気にして呑み歩いている方にとっては「やきとり ゆたか」なんていう店はどう映るのでしょうか。ぼくだって俗物の極みなので、そうした店には立ち寄るようにしていますが、そのついでに立ち寄る店のほうがよほど面白い。なんて偉そうなことを言ってますが、このお店、何度も通り過ぎていたはずなのにこれまで素通りにしていたなんて、自分の目がいかに節穴だらけであることかとがっくりさせられるのでした。それにしてもこのお店の店内風景の素敵さ、遅まきながらも辿り着けてしみじみ良かったと感じられるのでした。女将さんのおっかないところなどもこの店らしい味として印象に残っています。この女将さんの焼いてくれるやきとんも悪くなくて、さらに好感度は上がります。ん〜、やっぱり溝の口に越すこと本気で考えてみようかしら。
2015/12/05
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大森町という駅があるなんてよっぽどマメに都内を散策している方か鉄道好きの方でもない限りご存知ないかもしれません。いや、もしかしてそう思ってるのはぼくくらいのもので、当然皆さん存じ上げているのかもしれませんが。ともかくぼくは何度も京急に乗っていますが、この駅のことは全く関心の外にあってあえて認知することがなかったのでした。京急を生活の足にしている方以外は、大抵はJRの大森駅を利用するのだと思います。大森町駅の東側に住んでいない限りわざわざ下津る必要もなさそうです。これまたぼくの知識が貧弱なだけで実は有名な神社仏閣でもあるのかもしれませんが。埒もなく長くなってしまったので急いで今晩の店に向かうことにします。 ぽつりぽつりと商店があるものの基本ひたすら暗いばかりの住宅街を歩き続けて、ようやくJRの線路が見えてきた頃に目指す酒場「鳥まさ」がありました。この立地の悪さは、酒場巡りを趣味とする者にとって鬼門とまでは言わぬものの、ざっと歩いてきた限りにおいては他にこれといった呑み屋も見当たらず、まさにここだけのために訪れたという満足感と達成感が得られることはまあ良しとすることにします。これが仮に休みだったりした時の徒労感たるや想像するだけでもゾッとします。戸を開けるともともとが狭いとはいえこの殆どの席が塞がっています。それでもカウンターに席を見つけて腰を下ろすと直ぐさま目に入るのは品書きの数々です。これがなかなか変わり種というか、オリジナリティあふれる肴が盛り沢山です。迷いに迷って注文したのは、これは特に変わったところのない焼豚とこれは珍しい、百合根のバター炒めです。しかしこれがどちらも素晴らしい。大の男がーってほど立派なもんではないですけどー肴ごときでうだうだ語るのは見苦しいと常々思っているぼくにとってさえここの肴は未知の味わいで驚かされます。焼豚は絶品だけれど、それにしても百合根をバターソテーとは思ってもみなかった。考えてみればお芋のような食感で、ホロリと苦味のあるところにバター醤油が合わない訳がない。百合根は何度も買って食べていますが、見てくれを重視して、処理が面倒なのですが、この食べ方ならおが屑を落として花弁?を剥がせば、多少傷んだところがあってもエイヤッと炒めてしまえばいいんだから手っ取り早いことこの上ない。しかもご主人がかほどにありとあらゆる品を調理するのにその合間合間ユーモラスな言葉をかけてくれるのだから、あゝ近くにあって欲しかった、と毎度のことながら嘆息するのでした。
2015/12/04
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中板橋で呑むのは久し振りのことです。山手線に揺られながら、さて今晩はどうしたものかと思いを巡らせていたら、ふと以前目にした中華料理店が脳裏に浮上してきたのです。以前と言ってもつい先だっての事、大山から中板橋までを直線の川越街道ではなく大きく迂回して歩いた際に見掛けた、これだけの寂れ方は期待できないであろうという位に理想的な年季を帯びたお店を思い出すといても立ってもいられなくなったのでした。中板橋駅からその店に向かう途上にも良さそうなお店が何軒もありますが、居酒屋はそれほどなくてほとんどが食堂などの食事処のようです。そちらも気になりますがまずは、中華料理店に直行します。ところが赤提灯は灯っていますがガラス戸の内側にはカーテンが引かれています。まだ8時前だというのに気が早いことです。やむを得ない、ここは次回の楽しみに取っておき、先程見かけた食堂で呑むことにしました。 まずお邪魔したのは「ごはんとお酒 かどや」てす。典型的な町食堂ですが、いざ探しても目にすることが少なくなりました。こういう店は見つけようと思って見つかるものでもなく、偶然散歩していた時なんかに見つかることが多いようです。人の集まりやすい駅前なんかでは大手チェーンの牛丼屋や中華屋に個人の店は一掃されつつあるようです。ここは駅からはちょっと歩くので、ご多分に漏れず高齢者が多いのだろうと入ってみると案の定お婆さんが食後のお茶を召し上がっています。でもその後入ってくるのは若い男性客なのはちょっと意外です。若者にも愛用されているのです。店主は見た目からは80歳を越えていますが、矍鑠としたもので、お手伝いの女性と近所から引っ越してしまいしばらく顔を出さなかった男性客に、わたしゃそんなに耄碌してないわよ、あんたボケてんじゃないのなんていう乱暴な口を効いても許される長年に恒る交流があるんでしょう。若者の定食は特別多いわけでもなく、ごくありふれた定食でしか無いのですが、引っ越してでも通いたくなるようなアットホームな雰囲気が持ち味です。料理はというと若者が来るくらいだから、よほど旨いかボリュームがあるかと思いきやごくごく普通のものでした。 そして、お馴染みの「ときわ食堂」に向かいます。都内各地に点在する「ときわ食堂」には、もう随分とあちこち伺っていてもう今ではそれぞれのお店の印象も入り混じってきていますが、何軒かの印象深い店は忘れがたい好ましい印象を留めているので、見掛けるとついつい立ち寄ってしまうのです。こちらのお店は飾り気のない素っ気ないほどに簡素なお店で風情なんてものはまるで感じられません。お客さんが少ないのはお値段がやや高めだからか。この夜はひどく冷え込んでいたので一人用の湯豆腐を貰うことにしました。一人用の土鍋で供されるそれは何だかちょっと嬉しいものです。今年初めての鍋をつつきながらお燗したお酒を呑むのは、冬のささやかなお楽しみです。こんな簡単な料理はないくらいなのに何故だかこれ以上ないほどのご馳走に思われるのです。自宅でやってもあんまり美味しくないのにどうしてなんでしようね。
2015/12/03
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新京成線で松戸駅から10分程度揺られると常盤平駅に到着します。この世に酒場と喫茶店しかないということは勿論ありませんが、ここ数年来はこの2つが自分の中で重要ななにものかになっているらしく、町を歩いていても目に留まるものといえばやはりこの2つばかりなのです。かつては古書店だったり、映画館だったりした焦点が変化するのは寂しくもありますが、かつて訪れた町が違った町として認識されるのは小気味よいものでもあります。また、古書店や映画館はどちらかと言えば町の中心に多く存在する傾向にありますが、酒場や喫茶店は駅などとは無縁の地にあったりするから行動範囲もぐっと広がりました。さて、ここ常盤平は始めは団地を見たいがために訪れました。城や神社仏閣も悪くはありませんがあるぼくはもっと身近な時代を好むのです。恐らくは近い時代の建物よりは、城なんかはずっと長く保存されていくはずであるという確信があるのでしょう。そんなミイラのような代物よりは生きているものを見ておいたほうがいい。2度目は酒場、3度目は喫茶店と随分と町を堪能してきました。 喫茶店に取りこぼしがあったのを知ってからずっとモヤモヤとした気分に苛まれていましたが、思い切って出掛けることにしました。素晴らしくかっこいい「珈琲園」、愛らしくて和まされる「フルーツパーラー ポポ」、ちょっと落ちるものの寛げそうな「トッパー」は、夜なのにちゃんと営業していました。目当ては「たんぽぽ」です。喫茶巡りをする際はある程度の下調べはしていきますが、そこまで徹底していないので見落としている店も多いのです。こちらもやっていました。常盤平の特徴の根底には古い団地の存在が深く関わっていることは間違いないことです。ああ、脱線し過ぎ。横着してハシゴのポリシー捨てたのにこれじゃ元も子もない。極めて真面目で、普通の喫茶、取り立てて語るようなことはないけれど、町に一軒はあって欲しいそんなお店でした。 闇の深さがただ事ではない。常盤平ではわずか1m程度の距離さえ見通せぬ闇があるのです。うっかりグラウンドに足を踏み入れ、次の一歩さえ不案内なのに彼らは驚くべきことにそんな真暗なグラウンドの只中で親しげにコミュニケートできているらしいのです。それはともかくとしてその暗闇をなんとか切り抜けてしばし歩くと「ふく味亭」なる日中見ていたら潰れたとか思えぬー実際そうだったんだろうなあ、ここ歩いてるはずだしー、暗い食堂があるのでした。近くの喫茶店には常盤平団地に住んでいるであろう老人たちが集い、両者はある意味で共存関係にあるようですが、この食堂は先客が一人いるだけで何とも寂しい限りです。ここも高齢者で賑わっていると思っていたので、尚更です。食堂らしく定食物に加えて酒の肴も適度に揃っているので、近隣の社交場にならないのが不思議なことです。濃い目のチューハイー水割りですーをちびりちびりしながら悲哀を噛みしめるのも悪くはないのですが、前途に不安を感じて呑むのはやはり切ないのです。レンジでチンした柔らかいシューマイを摘みながら、今度常盤平に来るまでやっていてくれるのだろうかという思いに囚われるのでした。
2015/12/02
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羽田空港のすぐそば、早朝便に搭乗する人や欠航による宿泊難民の方のためのホテル街のような味気ない大きな通りが目に付きますが、京急の羽田線の線路に寄り添うように歩いてみると、案外に庶民的な商店が立ち並び、今回向かう穴守稲荷のような歴史を感じさせてくれる神社などもあって、思いのほか散歩の楽しさを味わえるのですが、今回は日もすっかり落ちた頃にやって来たのでした。ここに来たのは以前入りそびれた酒場放浪記のお店に入りたかったというのが主な理由で、調べをつけておいた喫茶は前回同様見つけられず、しばらくは駅周辺をウロウロしてから開店のタイミングを見計らい、いそいそと呑みに向かうのでした。 お邪魔したのは、「季節料理 なべ料理 淀」です。実はあと一軒、無性に気になる良さそうな焼鳥店もあったのですが、今は目の前の酒場に集中することにしましょう。通常より幾分か狭く感じられる戸を開け入るとすでに呑んでいてもうそれなりに出来上がっている高齢のご夫婦がおられます。二人とそう年の変わらぬような店の主人夫婦は矍鑠としていますが、オヤジさんはほぼ口を開くこともないので案外喋るとお客の夫婦同様、何だか噛み合わない会話となるかもしれませんが、少なくとも料理の手さばきを拝見するにまだまだ老境には達しておられぬようです。大繁盛すると聞いていたので早めに来ましたが、入ってしばらくは手前の6人分程度のカウンターにまだ余裕がありましたし、奥の2卓分の小上がりも空いていました。しかし、次第に分かるのですが、奥の席は両卓とも予約が入っていて、どうやら名物という鍋が目当てのようです。そうそうカウンターの背後にも2名掛けの小上がりがありましたがこれは今は使われていないようで、46周年を祝う花鉢が置かれています。ここで呑むのも良さそうに思えたのでちょっぴり残念ですが、今ではここまでは手が回らないのでしょう。評判通り肴は魚介を中心になかなか新鮮で美味しくいただけました。そうこうするうちにカウンターは埋まり、奥の小上がりの客も三々五々と集まり始めています。とてもわれわれまでは手が回りそうにありません、ちょっと物足りなくはありますが、次の店の目星も付いているわけだし、移動することにしました。 店の前がバス停だったので帰りは蒲田駅行きの京急バスに乗ることにしましょう。駅方面に折り返して、川崎大師の方角に伸びる路地を進むと「やきとり すみちゃん」がありました。殺風景な外観がなんともいい雰囲気です。何でもないといえばそれまでですが、直感的にこちらはかなりの年季がある店だと確信します。ところがあれれれ、細長いカウンターに奥は座敷になっていて子連れ客たちがガヤガヤと楽しんでいるという光景はこの町のものとして相応しく思われます。しかし、想像より明るくて若い人も多いので何だかイメージと違っていてどこか拍子抜けの感があります。肴はボリュームがあってつまみ甲斐がありますが、逆に値段を下げて少なめにしてくれたほうがいろいろ食べられるのにな。ところで概ね悪くない店なのですが、とにかくわれわれー同行者ありーが一見ということもあるのか、女将さんがとにかく強面でおっかないのです。われわれに対しては警戒の表情を崩すこともなく、それは勘定が済んでも変わることなく、寒々とした気分に浸るのでした。ところが奥の座敷は女将さんの家族のようで、子供たちが絡む時だけは笑顔を浮かべーそれでも引きつった表情なのでもともときつい顔立ちの方なのかもー、その百分いや千分の一でも愛想があったら印象はぐっと良くなったはず。 バス停に引き返してみると「季節料理 なべ料理 淀」はまだまだ縁たけなわ、真暗な停留所にて街惚けるのが悲しくなるのでした。
2015/12/01
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