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ある夕暮れ時、急に呑み会の誘いを受けました。場所はまたしても松戸であります。ただし指定されたお店がついぞ縁のなかった焼肉店とあっては断るべき理由もありません。いや、焼肉がそれほど好きというわけではありませんが、精々ホルモン焼の店で一人倹しく、そして侘びしく肉を摘むのはけして嫌いではありませんが、たまには大勢で盛り上がりながらというのも悪くなかろうし、第一奢りとなればさらに断る理由が見つかりません。付け加えるとするなら、この夜誘われているお店は松戸の焼肉店としてはなかなかの優良店として定評のある店なのでした。 お邪魔したのは「三味園」です。以前も一度伺ったことがあり、確かに美味しかったという記憶があります。ただ店構えには何ら魅力がなくて、その点を踏まえると実のところはこの店のすぐそば、もうちょっと駅寄りにある名は忘れてしまったお店の方がずっと好きですが、あちらは値段も手頃でいざとなれば自分の小遣いでもなんとかなるので、わがままは言わず存分にうまい肉をいただくことにしましょう。気持ちが高ぶっていたということもありませんが、ズボンサーを含む3名が先に到着しました。その後チラチラとお呼ばれの人たちが集まって最終的に8名と有志の呑みとしてはぼくにとっては大人数と言って良い雁首が揃いました。この内確実に6名はスポンサーに対してガツンと一言物申したい連中ばかりであり、例外の1名にぼくが含まれていないのは当然のことなのでした。なので、スポンサーへの思いの丈のぶつけ方は様々で、王道は分かりきったことですが目の玉の飛び出るくらいに呑んで食うという姿勢を一貫して貫く態度であります。もう一方の振る舞いは徹底はできぬもののハンガーストライキの意思を見せつけるというやり方で男気があるようでありながら、ここに来ている以上はあまり効果的ではないし第一つまらないやり方です。ぼくがどちらの態度を示したかは言うまでもないことです。たまたまというべきか矢張りと言っていいのか、ぼくの焼台前にはスポンサーとぼくと同じ態度の持ち主、そして中立的な立場の人物が集まることになるのです。焼き始めてしばらくは隣に座る男が驚くべきペースでしぶちんのスポンサーも財布の中身心配する以上に驚嘆の表情を浮かべたものですが、それ以上に困った立場に追いやられたのはぼくなのでした。折角の旨い肉が焼き頃など無視されて掻っ攫われていくのです。さすがに緊急事態と身構えたスポンサーは豚足で場を繋ぐことにしますが、オレは豚足ダメなんだと食い意地の凄まじさで一同の肝を寒からしめつつある男は言ってのけるのでした。その豚足の収まり先は言わずともお察しでしょう。とまあこんな思惑が交錯する会合はさほど盛り上がることもなく終了に至るのですが、ぼくの胃袋もいつしか旨い肉で満腹となったのでまあ不満はありません。 一人もう少し呑みたいという人がいたのでお付き合いすることにしました。駅からすぐのビルの2階に知らぬ間にできていた「串むら 松戸店」というのにお邪魔することにしました。店内はモダンで洒落た雰囲気なためか女性客が多勢を占めています。なんだか場違いなところに来てしまったと若干の後悔が脳裏を過ぎりますが、まあ、軽く酔っているので気にするまでもないでしょう。隣の人は突っ張ってしまった方なのであまり食わずに呑み過ぎたのか、かなりいい具合になっています。ご苦労さんですが迷惑だけはかけぬでくれよ。野菜が主体の肴を最低限だけ取ると後はもうお代わりを繰り返すだけ。何だか酒も肴も今ひとつでしかも店の雰囲気すら違和感があるのにここで呑んでいる方がずっと愉快に思われるのでした。
2015/04/30
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ちょっと所要があって中野にでかけたのですが、用件が済んでさて軽く一杯ということになるわけですが、いつもなら気にもかけずむしろ気分を沸き立たせてくれたりもする中野の雑踏ー新宿とか渋谷のものではありません、あくまでも中野程度の雑踏ーに、この夕暮れ時は邪魔臭く、不快に感じられて、自然と人混みを避けるように足は新井薬師方面に向かっていたのでした。こちらの商店街は夜が更けてくると人通りも疎らになり、男でも若干の不安を感じる位ですが、そうは言ってもまだ空は赤らんでおり、それなりに買い物を楽しむ人たちが往来しています。より静けさを求めて路地を覗きこみながら歩いていると、ちょうど良い塩梅で、主人らしき人が暖簾を出している路地裏の店に出会えました。というのは真っ赤な嘘というわけではありませんが、出掛けに西武新宿線沿いを散歩して昼間から目をつけていたんですね。 「神女(かなめ)」というお店でした。カウンターに5席程度の狭いお店ですが、奥にはカラオケ付きの宴会用の座敷もありました。しばらくぼくと主人は互いに無言のままで、様子を探り合うように対峙していたのてすが、辛いの大丈夫かと主人から切り出してこられます。お通しにキムチをいただけるようです。そんなどうでもいいような一言がきっかけとなって堰を切ったように語ることになりました。カウンターが斜めっていて、手洗いらしき溝があるので寿司屋だったのかとお尋ねすると、この店は36年目になり、その前は寿司屋さんだったとのこと。内装は古びてはいるものの手が込んでいて良いですねと褒めてみると、こういう場合のお決まりのお返事、いやあ古いだけですよとのご回答。眺めているだけで惚れ惚れしてしまうほどなんですけどね。昨夜も初めてというお客さんが来られて、どうやら息子さんのところに泊めてもらうようですよ、近頃古いお店を好きな方が増えているようですね、とこちらの趣味をまんまと見抜かれてしまいました。それほど肴の品数もなくて手の混んだ品も少なそうですがこの雰囲気があればそれでもう十分です。ところでうっかり失念しておりましたが、帰宅後ネットで調べてみたところこちら酒場放浪記で放映されていたようです。 そうそうそういえば、中井駅を歩いていたらこんな酒場を見掛けました。神田川にへばりつくように建つバラックに赤提灯がぶら下がっていて、ついたまらず橋を越えて向こう河岸に行って確認してきたのですが、営業の有無は不明でした。いずれトライしてみたいなあ。
2015/04/29
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武蔵小山はおっきな商店街も手頃な酒場も何軒かあって好きな東京の町の一つですが、自宅から行くにはやや不便であるためよほど気が向かぬ限りは仕事帰りにー自宅を通り過ぎてまでー立ち寄ることなどありません。と書くとこの夜はよほど武蔵小山が恋しくなって帰宅時に立ち寄ったかのような語りっぷりですが、実際はそんなことはなくてやはり土曜に所要を済ませてからちょっと下車してみただけなのでありました。 駅前の薄汚れたしかし場末っぽさをこよなく愛する者にとっては魅力的としか言いようのない、しかし近々に再開発で失われる風景と聞くこの一角はせっかく武蔵小山を通るからには無視して通過するわけにはいかぬのでした。そんな訳でこの夜はこの界隈ー勿論再開発地区、と知ってるように語りますがそのニュースソースが職場のおっさんのラジオで得ただけの情報なので、これけお邪魔することになる一軒がそれき含まれているかは知らぬことなのでしたーの「江戸一」てした。土曜の夕暮れ時、普通のこうした枯れた酒場であれば空席が目立つーたいうかかなりの確率でガラガラーはずであるのに、ここはカウンター席のみの一席を残してふさがっていたのでした。これだけの混雑で常連主体の客層で一席が空席となるとどちらか1名が要注意人物である可能性が高そうです。それでもそこしか空きがなければ決死の覚悟で虎穴に潜り込むまでです。と語ってはみましたが両隣は至って寡黙な方でその周辺が喧しいくらいだったので気分良くひとときを過ごせました。一方女将さんは江戸っ子風のチャキチャキしたお姉さんで、この女将さんとの語らいというか応酬を楽しみに来られる常連も多そうです。静かに楽しむよし、賑やかにやるも良しの、なるほど常連が足繁く通うわけです。肴は結構なボリュームなので頼みすぎにはご注意を。
2015/04/29
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さて最後の締めはやはり流山線に乗っておかないわけにはいきません。馬橋駅までの200円の切符を購入すると切符を点検するまでもなく改札は通過できてしまいます。到着した電車を見ると駅員が出てきて、とりあえず出札の作業はしておられますが、そんなことでいいのかな。まあ人件費を抑えるためには多少のキセル行為には目を瞑らざるを得ないのかもしれません。先ほど歩いて来た道をガタンゴトンと揺れる列車の車窓から眺めるのに夢中になるのも束の間あっという間に馬橋駅に到着していました。さすがにリタイアした鉄道好きにとってすらいささか物足りなく感じられます。さて、馬橋駅に来たからには寄っておきたい店があります。小さな旅は終わりましたが、A氏は恐らくは馬橋駅で下車したのは初めてなはず。それではその酒場に案内しないわけにはまいりません。 手始めに伺うことにしたのは、何度かお邪魔しているものの店名を確認せぬままで、ずっと痒いところに手が届かぬむずむずした気分を抱き続けていたお店でした。駅の東口のごちゃごちゃしている商店街を水戸街道目指してしばらく歩いていくと、あったはずです。そして確かにそれらしきお店がありました。でもぼくが好んだあのいかにも馬橋らしさの横溢した寂れくたびれながらそこに殺気めいた危険な空気感のある例の背筋がぞわぞわするような興奮は、この改装されてすっかり見違えるようになってしまったこのお店からは感じ取ることができません。しばし店を間違ったかと行ったり来たりしますが恐らくは間違いがなさそうです。ここは変わらず粗末で稚拙な感じの看板には「手作りの店 鶴」とありますが、これが当時のままの店名かどうかなんてどうでもいいように思われます。もうかつてのあの雰囲気が味わえぬことのショックが大きく、しばし呆然とします。いずれはここを訪れる気持ちになれるのでしょうか。 さて気を取り直して目指すは、「ニカカレーショップ」です。以前も何度かこのブログにて書かせてもらっていますが、カレーショップという店名に惑わされることなかれ。確かにカレーショップでもあるのですが、それ以前になによりここは、典型的かつ最良の酒場でもあるのです。しかもこの酒場らしい酒場を切り盛りするのは、日本人以上に日本人らしい心遣いと下世話さとやさしさを持ち合わせるすばらしいバングラデシュ人トニーさんなのであります。以前来た際にはなかったはずですが、東日本大震災後に現地の方たちに支援したとする感謝状が飾られていました。この話伺いたかったのですが、感動して泣いてしまうのはこの酒場にふさわしからぬと思われ我慢しました。焼鳥は60円から、サワーは240円から、自慢のカレーも300円-ルーのみ、スパイスのジャリジャリした触感の残る独特な風味のカレーはそれだけでも十分酒の肴足りうるのですが、ガスコンロの直火で豪快かつ横着に炙られる作り置きのナンもまた旨し-と値段も格安。以前は常連さんも少なかったはずですが、今ではトニーと呼ばれて愛されているようです。ぼくは1年、いや下手をすると2年近くご無沙汰してしまいましたが、トニーさんはぼくのこともしっかり覚えていてくれて、そんなところもご近所の方に愛される所以なのでしょう。こんなに長いこと来なかったことが悔やまれてきます。きっと近いうちにまたお伺いすることを心に近い、小さな旅をこれで本当に終えたのでした。
2015/04/29
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つくばエキスプレスとJR武蔵野線の乗り入れる南流山駅を背後に今度はひたすら北上することにします。流山線の線路に沿うことも考えましたが、地図を眺めると南流山駅からはまっすぐ北上する道が通っているようです。なるべく目的地の流山に辿り着きたいのです。かつて車で通り過ぎた流山駅前のわびしい風景が脳裏に焼きついていてそれをすぐにでも確認したいという気持ちが昂ぶっていたのでした。 途中見かけた喫茶店に寄ったり、平和台駅を眺めたりしながら流山駅に徐々に近づきます。何軒か見掛けた喫茶店ですが、あえて見送ることにしましたが、場所だけは確認しておこうと「茶豆蘭」をチェックしたその引き返し際に驚くべきものを目撃してしまうのでした。それはとうに閉店しているに違いないYamazakiの店舗から高齢の白髪の女性が炭火焼と書かれた置看板を出しているのです。さっと覗き見た店内の様子を眺めると道路に沿って植木がずらりと並んでいてとても酒を呑ませる様な雰囲気ではありません。店内の片付けのために看板を一時的に出されたのでしょうか。気掛かりなのでもうしばらくしてから戻ってくることにしました。 最初にお邪魔したのは「焼鳥 ホッペ」という木造一軒家の枯れた構えのお店です。ホッペという可愛い屋号を目にした瞬間、お邪魔することは必然となりました。店内は案外平凡でしたが、土間となっている店舗の奥の居間のような部屋がもしかすると客も使わせてもらえるのかもしれません。お手洗いをお借りする際に見掛けた写真が目に焼きつきます。どうしても気になってお話を伺うことにしました。お話によるとこちらは昭和21年に初代のおじいちゃんが始めたお店で、店内に飾られた写真には白地の暖簾に「HOPPE」とアルファベットで記されていて、その脇に恐らく「喫茶」と書かれていたであろう「喫」の箇所だけが収まっているので当時の営業形態等もお尋ねしたところ、当時は喫茶と書かれていてもやはり似たように居酒屋をやっていたらしく、店を移転することもなくこれまでずっと続けてこられたそうです。当主となったのは昭和49年からということなので、ご主人お若く見えますが、すでに店を受け継いで40年以上が経っているようです。さて、こちらが長く出してこられたもつ焼(流山でももつ焼でも焼鳥と呼ばれていたのですね)、どれもこれまで食べたものとはちょっと一味違っており、独特の処理がされているようです。とても味がいい。惜しむらくはやや塩辛いことと、焼きあがったばかりだというのにどうしてだか熱くないところ。でもそんなことなど気にすることではないでしょう。とにかく、こちらのご主人はものすごく丁寧で、口調は優しく、表情も柔和さを崩すことがない。また、奥さんはほとんどお喋りすることはありませんでしたが、勘定を済ませて見送ってくださる表情に溢れた笑顔はとても優しげでした。このご夫婦があってこそ閉店相次ぐ流山駅界隈のお店にあって、やってこられた所以だと思ったのでした。ああ、そういえば、このお店の「ホッペ」という屋号のことを伺うことをすっかり忘れてしまっていました。 さて、さきほどのYamazakiに再び戻ってきました。なんと赤提灯に灯がともっているではないですか。やはり営業しているようです。これは入らぬわけには行きますまい。「炭火焼 れも」というお店であることだけは看板からわかります。店に入ると先ほど表から見たとおり植木だらけのカウンターがあって、これでどこで呑むのかと思いつつも奥に進むと、おやおやなんと背面にも立派なカウンターが誂えられていて、V字の片側は植木で覆われていますが、反対側はちゃんと客席が設けられていました。せいぜい10人も入れば目一杯でしょうが、それほど席が埋まることもなさそうです。看板を出すしぐさからおっかない女将さんと思い込んでいましたが、実のところは、とてもお喋り好きの可愛らしい方でした。かつてYamazakiだった店舗を女将さんが受け継いで早くも27年、三角地に建つ得意な形状の造りであるため、それに併せてV字型に近い独特なカウンターをわざわざ誂えたそうです。界隈の酒場事情を伺うと、お隣の「珍楽」さんも3年前に店を閉め、駅前の「えど川」さんも「鳥しげ」さんもその路地にある食堂もこの1年ばかりで店を辞められてしまったと寂しげにお話になっておられました。最近ではテレビでマンガばっかり見てるのよ、マンガだと考えなくていいからね、でもたまには考えさせられる番組もあって、コナンなんかちょっと難しいのよ、お客さんも少ないからこのところはもっぱらテレビばっかり。ところで、流山線の切符の距離単価は日本一なのと仰っていますが、それはないでしょうむしろつくばエキスプレスが高いのでは、でも高いからキセルが横行してるのよなんてことも語ってくださいました。お客さんも減ったので、以前は目の前の焼台で焼鳥も出していたのだけど、品数もめっきり少なくなっちゃってとお出しいただいた筍の煮付けと、里芋の煮付けはとてもおいしかったです。近所にあったら毎晩のように愛にくるんだけどなあ。後ろ髪を引かれつつ店を後にしたのでした。ああ、そういえば、このお店の「れも」という屋号のことを伺うことをすっかり忘れてしまっていました。 いずれも謎の屋号のことを伺うためにも再びお邪魔できる機会をぜひとも作りたいものです。
2015/04/28
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喫茶篇はいまひとつぱっとしなかったわけですが、酒場篇はどうなることでしょう。繰り返しになりますがJRの新松戸駅前でA氏と合流。行きは徒歩で、戻りは流山線に乗るというプランです。本来であれば、馬橋駅から歩くべきなのでしょうが、ぼくはすでに何度も歩いており、この区間は全長5.7Kmの流山線の最長区間で1.7Kmあり、さほどの距離ではありませんが時間も押しているので、ここは省略することにしました。 何度も来ている新松戸駅の界隈ですが、今回の目的は流山線沿線を散策することです。なので、まずは流山線の駅、幸谷駅に移動、じっくりと観察します。同じ松戸を走る新京成線の一部の駅にも見られますが、集合住宅の1階に駅舎が併合されています。後でとある酒場の女将さんに伺った話では、起点の馬橋駅から乗車しても、流山駅での出札の際にはこの幸谷駅から乗車したことにして毎日のようにキセルする乗客が多いとのこと。確かに人件費削減のためなのか入札はかなりいい加減なようです。つくばエクスプレスの開業の影響が相当深刻なようです。しばらく線路に沿って北上、新松戸で一番のお気に入り酒場「まこちゃん」を横目にさらに進むとようやく線路を踏切があったため、ここで新坂川を越えて線路に沿って流れる川岸の道をわれわれも素直にひたすら進むことにしました。やがて線路を跨ぐ歩道橋が見えてきました。どうやらあそこが小金城址駅のようです。こちらもまた集合集宅に併合される駅舎となっておりますが、違いは小金城址駅が2階にあることです。なかなか寂しくてムードがあります。通り抜けて階段を下りると松戸が地元のマツモトキヨシの抜けた店舗後があり、建物を出て振り返ってみるとなんとも不気味な佇まいでしばらく見入ってしまいます。 喫茶店の「りべるて2」や「petit」を眺めつつ、先にさびれ切った商店街を進むと立ち寄り処と冠された居酒屋らしき店などありますが、まだ開店前、われわれは昼食抜き-ぼくは朝食も抜き、これはいつものことですが-で、空腹なのでどこかよさそうなお店に入りたいところです。いざとなれば近隣に中華のお店が数軒ありますが、できれば大衆食堂などを探したいところです。すると「春日野」という飲食ビルに入った渋そうなお店がありました。暖簾も下がっており、勇んで向かい引き戸を開けますが、誰もおらず食べ物らしき匂いも感じられません。お休みなのでしょうか。憮然として引き返すと、ちょっと先に「下町っ子」という居酒屋さんがあって、どうやらランチサービスもあるようです。ランチ時にハイボールが250円というサービスに引かれさほど枯れていないお店ですが、えり好みするのも面倒なのでお邪魔することにしました。店に入ると昼食営業はまもなく終了だったらしく、迷惑そうな表情をされていましたが、それでも断られることはありませんでした。この先もあることだし、軽く摘めればよかったのですが、定食と丼のみのようです。3品から2品を選ぶシステムです。生姜焼きとブリの刺身を注文。まあどうってことはありませんが、昼呑みには十分な肴です。夫婦連れの方もビールを召し上がっているようです。ハイボールをすすりながらのんびりしたいところですが、他の客も帰られたので、せわしなくかき込むとさっさと勘定を済ませたのでした。あれ、なんだか金額が変だなと思い店を出て確認しますが、表に書かれていた張り紙をよく読むとグラスのハイボールのことでした。でも100円位、計算が合わないのはお通しだいだったのでしょうか。 さて、慌しかったので喫茶店でちょっと休憩することにします。駅前すぐに見掛けていた「りべるて2」のことはすでに報告済みです。お腹も落ち着いたので、歩き出すことにしました。しばし歩き、坂川を渡るとやがて鰭ヶ崎駅です。駅周辺にはやってるんだかやっていないんだか、なんとも生気の感じられないこぢんまりした呑み屋街がありますが、これぞというお店もなく、近頃縁のなかった南流山駅も回り道して眺めることにしました。 以前から訪問の機会を狙っている「酒処 レオ」など怪しげな呑み屋のお向かいには店名は忘れましたが夜23時から営業を開始する食堂兼居酒屋もあって気になります。以前お邪魔した「よね本」などがありますが、営業しているお店はありません。駅だけ眺めて流山線に沿線に引き返そうと思ったところ-以前混んでいて入れなかった喫茶店「木の実」もいくらか気になりますがここは我慢-、「串かつ居酒屋 南風」というお店が開いていました。特にどうということもありませんが、昼間から営業しているお店は貴重なので、せっかくなのでお邪魔することにしました。どうやら毎日回転しているわけではなく土日のみ昼間からぶっ通しで営業しているようです。店内の様子に特筆すべき点はありませんが、酒も肴もお手ごろ価格。串揚げは案外ちゃんとしていて、しかも100円からの値段の割には工夫の凝らされた変り種もあって、これなら文句はありません。店の方に呑み歩きですかと訪ねられましたが、まさか南流山界隈で呑み歩きってことはないですよ。と言ってはみたものの実際にすでに2軒目だからすでに呑んでいたことを若いご主人は敏感にも察せられたのかもしれません。
2015/04/27
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流山電鉄は、大正2年に流山軽便鉄道株式会社として営業を開始-軽便鉄道のことを補足しておくと基本的には軌間(レールの幅)が狭い鉄道のことで、流山線は0.762m-、大正5年には営業を開始しました。馬橋駅から流山駅までのわずか5.7Km、全6駅のみの小さな鉄道会社です。振り出しになる馬橋駅-幸谷駅間はJR常磐線の馬橋駅と新松戸間にほぼ並行して運行しており、よく知っているため、知人の車に揺られてとある土曜の昼下がりに新松戸駅にてA氏と待ち合わせをし、行きは歩き、戻りを流山線に乗車するというプランを立てました。このところ事前調査する間もないため、現地ではほぼ行き当たりばったりで喫茶店、酒場を巡るつもりです。 さて、細かなお話を書いている時間がないので、そちらは酒場篇に譲ることにしまして、この旅で遭遇した喫茶店のことを取り急ぎレポートしておくことにします。 小金城址駅では2軒の喫茶店に遭遇しました。しかしその1軒「petit」はシャッターが閉ざされ、生活されているであろう2階の窓にも雨戸が硬く閉められたままです。しかしシャッターには最近の新聞が投函されており、もしかすると今でも現役かもしれません。店先のプランターの上には猫がうっそりと佇んでおり、散策後に引き返してもまだ居座っていました(この点はA氏によるとそっくりの別な猫であるとのこと)。そばに「りべるて2」というなんだかいまひとつ気乗りしない店もありますが、ひとまずお邪魔しておくことにします。店内を覗き込むと思ったよりずっと雰囲気がよさそう。中に入ると平板な印象ではありますが、シックな家具で統一され、店の中央にはピアノが鎮座しています。BGMで流れる音楽はジャズのようで、ここはジャズ喫茶というカテゴリーになるかもしれませんが、通常ジャズ喫茶というと堅苦しくてうっかりおしゃべりもできないという印象ですが、ここは至って気軽な店です。時折ライブも行われるようで、こんな町外れでもジャズ好きが集まると思うとなんだか不思議な気がします。 平和台駅のそばには「珈琲屋 シェスタ」がありました。何の変哲もない町中のお店という感じで格別惹かれるところはありませんが、せっかくなのでお邪魔することにしました。入ってみるとなかなか雰囲気のいい店で天井も高く山小屋風の造りとなっています。こう語ってしまうとそれ以上内装については何も語るところがないのですが、居心地のいい住宅街にあったら便利なお店です。飾り棚にはいくつかパズルがあって、これがなかなかに難しい。真鍮製のパーツを分解するものや数個づつが連結された木製の玉を組み合わせてピラミッドを積み立てるものなどがあって、両方にトライしましたが一向に解決する見込みもありません。切りがないのでほどほどで諦めましたがこれってなかなか楽しいサービスです。 流山駅のそばには、「コーヒー&スナック ほの香」、「珈琲専門店 きゃびん」、「茶豆蘭」がありました。実は「きゃびん」、「茶豆蘭」については、かつてこの流山駅前の混雑する通りを車で通過した際にお見かけしていて知っていたのですが、昼間の短時間のみの営業という「きゃびん」がすでに店を閉めているため、あえて3軒は次回のお楽しみにとって置く事にしました。 そういえば、かつて巨大なドリンクとデザートで知られる「珈琲屋OB 流山店」にお邪魔していますが、手元に写真がないので、いつか整理したらアップロードします(きっと忘れてしまいますけど)。
2015/04/26
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武蔵小山はおっきな商店街も手頃な酒場も何軒かあって好きな東京の町の一つですが、自宅から行くにはやや不便であるためよほど気が向かぬ限りは仕事帰りにー自宅を通り過ぎてまでー立ち寄ることなどありません。と書くとこの夜はよほど武蔵小山が恋しくなって帰宅時に立ち寄ったかのような語りっぷりですが、実際はそんなことはなくてやはり土曜に所要を済ませてからちょっと下車してみただけなのでありました。 駅前の薄汚れたしかし場末っぽさをこよなく愛する者にとっては魅力的としか言いようのない、しかし近々に再開発で失われる風景と聞くこの一角はせっかく武蔵小山を通るからには無視して通過するわけにはいかぬのでした。そんな訳でこの夜はこの界隈ー勿論再開発地区、と知ってるように語りますがそのニュースソースが職場のおっさんのラジオで得ただけの情報なので、これけお邪魔することになる一軒がそれき含まれているかは知らぬことなのでしたーの「江戸一」てした。土曜の夕暮れ時、普通のこうした枯れた酒場であれば空席が目立つーたいうかかなりの確率でガラガラーはずであるのに、ここはカウンター席のみの一席を残してふさがっていたのでした。これだけの混雑で常連主体の客層で一席が空席となるとどちらか1名が要注意人物である可能性が高そうです。それでもそこしか空きがなければ決死の覚悟で虎穴に潜り込むまでです。と語ってはみましたが両隣は至って寡黙な方でその周辺が喧しいくらいだったので気分良くひとときを過ごせました。一方女将さんは江戸っ子風のチャキチャキしたお姉さんで、この女将さんとの語らいというか応酬を楽しみに来られる常連も多そうです。静かに楽しむよし、賑やかにやるも良しの、なるほど常連が足繁く通うわけです。肴は結構なボリュームなので頼みすぎにはご注意を。
2015/04/25
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ニュー新橋ビルって以前はその混沌とした迫力と活気とえげつなさに魅せられて度々足を運んだものですが、一歩足を踏み入れるや飛び交うマッサージ店の東アジアのお姉さんたちの歓迎ならざる出迎えに辟易させられて、近頃はついつい敬遠しがちになっていたのでした。ところが毎度似たようなボヤキで恐縮なのですが、おサイフ事情がこのところとみに具合が悪くて手持ちの商品券などを現金化するといういじましい目的のためにうってつけの場所がここニュー新橋ビルであることは周知のことでありましょう。とは言っても時間は8時にならんとしており、早くも多くの店はシャッターを閉じています。辛うじて閉店準備をする一軒にて買取してもらいひと安心したところで呑みをスタートします。さて、この夜はぼく同様にあまりこのビルに良い印象を持たぬO氏が一緒でしたのでビルを出て酒場探しに向かうはずでしたが、互いに久しぶりなのでせっかくだから念のため散策しておくことにしました。そしてこれまでの互いの目の節穴振りに呆れ返るような渋い良いお店に出会うことになるのでした。 まずは地下一階の中央で暖簾に遮られるだけのカウンターだけの「とり茂 角店」ーこれは天井付近に掲示されていた袖看板で確認したもので正確な店名かどうかは未確認ですーにお邪魔することにしました。後でネットの同ビルのHPなどで調べてみるとかつては本店もあったようですが、今ではこの角店というなんだか愉快な店舗だけが営業を続けているようです。というかもしかするとこの店舗は角店を射抜いたお店なのかもしれません。暖簾をくぐらずとも足元から客の入り具合が確認できるのも便利です。実際には4名ほどの客がおり、2名は我々と入れ替わるようにしてすぐに席を立ちました。こういう造りのビル中飲食店はやはり大阪に多かったという印象がありますが、今では大分様子も変わったことでしょう。店側としては狭小なスペースを効率的に利用するというメリットがありますが、客側としてはノスタルジーの対象として情景の対象として機能しています。実際この客の入りでは後者こそが有効に機能していると言えるかもしれません。ともあれ、席に着いて品書きを見渡すと山形の名物が簡単なものですが揃っています。いも煮とか玉こんにゃくですね。やはりオヤジさんは山形の方らしくて米沢の出身と伺ったはずてす。そうそうこのビルは郷土料理の酒場も何軒かあってハシゴして各地の味覚を楽しむなんてこともできそうですが、あえて決行することもなさそうです。酒も濃くて良いお店でした。 さらに地下をうろついていると「世界の洋酒立飲みの店 三番館」というショットバーというにはアナクロ過ぎるし、内装はバプというよりは純喫茶的なアイテムが配されていて、洋酒酒場と呼ぶのが適当に思われます。立飲みとありますが、なんの立派な椅子があってそれも結構な年季を感じるのでどうした理由で立ち飲みと称するのか不可思議ですが、それを伺う暇はありませんでした。店は高齢と言うには失礼な年頃の女性がお一人でやっていて、マダムと呼んでもさほど照れくささを感じさせぬ上品なお方でした。チャージやチャームなんていう小癪なサービスもなく、大抵の酒がワンショット500円という明瞭さもありがたいところ。これなら待ちあわせや締めの一軒としても利用価値が高そう。これからは精々利用させていただくことにします。
2015/04/24
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巣鴨駅を出て、板橋方面に呑みに行こうと思い立ち、ひたすら白山通りを歩きます。味はあるし、食事メニューが充実して重宝されているようですがなんだか好きになれない喫茶店「プール」を素通りし、青果市場も越えるとやがて荒川線の新庚申塚電停に辿り着きます。特にこの辺りで呑もうなんてことを思っていたわけではなかったものの、荒川線の軌道からちょっと外れた暗い裏通りのずっと先に赤提灯らしき灯りを目にしたぼくは一目散に当のお店を目掛けて突進したのでした。これといった変哲のないお店でしたが、この酒場過疎地にあってはぼくにとってオアシスどころか極楽浄土とも言っていいほどの輝きー赤提灯のことーを放っていたのでした。 「たぬき」というもつ焼のお店でした。屋号のまるで気張らぬ素朴さーっていうかなんでたぬきって屋号は多いのでしょう、突然記憶が曖昧になりますがたぬきって客寄せの定番キャラでしたっけーが個性のなさを際立てることなく、この町のランドマークともなりそうな程の存在感を誇るのでした。店内に入ると、びっしりとお客さんで塞がっておりま、その客は常連ばかりであるのが瞬時に感じら取れるのでした。カウンター席だけの店内の最奥ー便所の前ーに唯一の空席を目敏く見出したぼくはこの機会を逃してなるものかと居切り立つように奥の空きカウンター席に突進するのでした。まあ意気込みは大抵から滑りするもので、確かにこの町にあっては十分人気店となるだけの実力があるように思われましたが、あえて電車を乗り継いでまで出向くようなお店ではないのかもしれません。むしろそれがいいのかもしれません。ぼくのように好き勝手に店の好き嫌いを垂れ流し続ける輩なんぞの思いつきの御託など常連たちの愛の前には一蹴されることでしょうし、これはこれで物見遊山の一見さんを遠ざけるにも妥当なことのようにもおもえます。とまあまた伺うことになるかは未知数ですが、何と言っても酒場を愛する人たちにとってここはとても愛されていることがしみじみ感じられそれが何より嬉しいのでした。
2015/04/23
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これもまた何度となく書き連ねてきたので繰り返したくはないのですが、赤羽って土地は酒場の多いことは間違いないし、個性的な店も少なくないことは確かですが、かと言ってそのすべてがいいはずもなく、というかるしろ外れの方がずっと多いのは経験的に熟知しています。それでも懲りずに通うのは今度こそ良い酒場と巡り会えるであろうという何ら確証のない期待があるからですが、それが何度も過ちを繰り返した原因を知らないはずもありません。つまり過ちを繰り返し重ねるために、赤羽には通っていると言っても過言ではないというのが実情なのですが、それでもこの夜、赤羽を彷徨う人となっていたのでした。 と言ってもこの夜はS氏と一緒、失敗も一人だと不愉快なばかりですが二人になると随分と気持ちに余裕が生まれ、不快なことも愉快に思われることがあるものです。そう考えると赤羽に来るときは誰かと一緒のことが多いような気がします。東口のアーケード街を抜け、横断歩道を渡るとにわかに北区らしい垢抜けないどこか懐かしささえ覚える商店街が出没します。三角地に建つなんだか気になりつつ食べれていない洋菓子屋さんを折れたところに焼鳥店があったはずです。ここまで来ると最寄駅は埼玉高速鉄道の志茂駅が近いかもしれません。ありました「やきとり 鳥星」が目地していた酒場です。記憶通りにあったことにそっと自分の記憶力も捨てたものではないとほくそ笑んだりするのですがその実何度か行っていても未だにすんなり辿り着けぬ酒場も多いのでした。さて、枯れた風情の外観は後からじっくりと眺めさせてもらうことにして、そわそわと店内を覗き込むと驚くことに開店したばかりだというのにお客さんでびっしりです。辛うじて小上がりの1卓が空いていたから良かったものの一人で来ていたらしばらくは待つ羽目になっていたはずです。誰かと一緒のメリットはここですね。などと言ってはみますがカウンター席が1卓しか空いていなかった場合などにその時は思いも至りません。さて窮屈な小上がりに見動きすらままなりませんが、酒が入ればいずれ気にならなくなるはずです。笑顔一つない無愛想なオヤジですがなかなかに気が回るようで、しばらく待たされたもののちゃんとオーダーを通してくれて案外待たされずに肴も運ばれてきます。この酒と肴がかなりアッパレで肴は旨いのは当然としても酒の濃さは東神奈川の「みのかん」のいきには達していませんが、並の酒場の数倍の焼酎が注がれています。なるほどこれで安価なのだから開店して即席が埋まるのもむべなるかな。 大変満足したので赤羽では確実に五本の指に入るであろうお気に入りの酒場にお邪魔することにしました。S氏はどうやら初めてだったようなので、ちょうどいい。いつもぼくの気になる酒場ばかり引き摺り回しているのも気が引けていたのです、ホントに。赤羽駅まで引き返してなお真っ直ぐに進むとやがて数軒の居酒屋が軒を連ねていたはず、でしたがおやっ、何軒かは店を畳みもつ焼屋は改装されたように思われます。まあ、目当てはここではないのですが、もしやあすこもと気が急かされる思いです。無事に営業を続けておられるようです。「大衆酒場 まこと」であります。確かご兄弟でやられていたはずですが、弟さんらしき方の姿が見えません。大きなコの字カウンターの奥は家族のようなー実際子連れの人もいますが総勢10数名すべてが本当の家族ではなさそうー一団で大いに賑わっています。こちらはありとあらゆる酒の肴がいただけますが、気に入っているのは洋食です。気分が乗っていたせいかグラタンにホットサンドなど呑みに来たのに食べるのに夢中となります。これには近頃めっきりと食の落ちたS氏の舌をも楽しませたようで、いつになく楽しげな表情を浮かべています。S氏が笑顔をこぼすなんてことは余程気に入ったか、むしろ逆にあまりにひどくて笑うしかないという時くらいです。当然こちらは前者だったらしくすっかり赤羽を気に入ってしまったようですがー驚いたことにこれまで指折り程度しか赤羽に来たことがなかったようですー、この2店は極め付きなのだと言い添えることは忘れませんでした。
2015/04/22
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高田馬場もうっかり足が遠のくと知らぬうちに店が変わってしまっているということが度々で気を抜けぬ町です。店の入れ替わりが激しいのは競争が激しいという理由ばかりでなく、こうと決めた方針もなく何とかなるであろうという見切りから店を出した場合が殆どであるように思われますが、今回報告する立ち呑み酒場はガンとした意志と覚悟が感じられるなかなか筋の通ったお店でありました。 伺ったのは「立ち飲み 炎天下」です。高田馬場の呑み屋街、栄通りのドンづまりにてきたお店で、実は先般目にしていたのですが、その店名の厳しさ、というか端的に今般目にするラーメン店のような妙に気合のこもった野暮ったさとそれに正対する店舗の陰日向のないあっけらかんとした明るさがどうにも受け入れ難く見ぬふりを決め込んだのでした。実際入ってみると新しくはあるもののコの字のカウンターも折り目正しく硬派な王道の立ち呑み屋に思えてくるのだから思い込みというものでどれだけ損をしてきたかと反省せざるを得ません。それにしてもこちらの肴の充実ぶりはただ事ではなく、この価格でこの量と質を保つのは大変な努力を要することでしょうし、人件費を減らすために一人黙々と仕事をこなす姿勢も大したものです。これはなるほど、店名に気合がこもるはず、でもどうにかなんなかったのかしら。
2015/04/21
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西武池袋線のひばりヶ丘は、かつて所沢で勤務していたこともあって何度となく通過した駅ではありますが、下車するのは極めてまれなことで、数年前に喫茶店巡りで訪れるまてはそれこそあまり歩くこともなかったのでした。どうもひばりヶ丘って所沢まであと数駅ということもあり、えらく遠いという印象を抱いてしまうのですが、実際には池袋駅から急行に乗れば20分程度で着いてしまうのだから、都心からの距離という点ではよく行く松戸なんかともさほど変わらぬ時間で着けてしまうのでした。 ともあれ喫茶店を訪ねて町を歩いているとここだと言い切れるだけの規模の呑み屋街があるわけでもないのですが、ぽつりぽつりと良さそうな酒場が見受けられます。機会を伺っていたのもすっかり忘れていたとある土曜の朝に急に思い立って出向くことにしたのでした。どうして呑みたかったのに日中に来てしまったのか、それにすら思いが至らぬほどに近頃慌ただしくて、A氏を誘って快諾を得たはいいものの、ともかくひばりヶ丘に向かうことだけを約し、池袋で合流したのでした。やがて冷静になってみるといざとなれば昼呑みには店に事欠かぬ秋津に行けばいいと思い当たりました。 まずは幾分か再開発されたものの中途にて放棄されたような半端感のある南口を歩くことにします。前回見逃していた喫茶店を見かけますが残念ながらお休みです。更にしばらく歩くと良さそうな風情の「お食事処 ふる里」といお店が営業しているようです。店内に入ると外観を裏切らぬ良いムードです。数名の客がビールと定食を摘んでいるのが郊外のベッドタウンの定食屋さんっぽくて、日頃の慌ただしさを忘れさせてくれます。昼間とは思われぬ暗さが気分を楽にしてくれます。程よく狭く小ぢんまりした造りが落ち着けます。肴は気張った品などなくありふれたものだけですが、こうした店で変わった品なんか必要ありません。昼酒をやっても暖かく受け入れてくれる雰囲気があれば十分です。ことさらに褒め称えるようなタイプのお店ではありませんが、近所に一軒でもこういう店があれば何もやることのない昼下がりにブラリと寄らせていただくのですが、うちの近所には全くないなあ。 線路をわたって北口に移動します。すると線路沿いに「定食 やき鳥 越路」というこれまた古びて小ぢんまりした、外観からはより酒場寄りに思われるお店がありました。カウンター席10席にも満たぬ程度のいかにも線路に接する狭小な土地を無理くり利用したような窮屈さが楽しく感じられます。かつては似たようなお店が軒を連ねたのでしょうか。カウンターの端っこには40年来通い詰めるというご老体がおられ、朝から呑み始めてすでに2軒目とのこと。と言っても眺めていると小鳥のように啄むようにお茶割か何かを召し上がっているようで、呑むというより人との交流を求めて酒場を巡っているようです。こちらもまた特別な肴などあるわけもなく、毎日毎日この場をこの老人のような方たちのために提供し続けて来たのでしょうか。常連は一人ひとり姿を見せなくなり、やがては訪ねるものもなくなる運命を辿るように思われます。そんな頑丈に囚われながらも老人はひとりカラオケに向かい暗い将来など微塵も感じさせず健常ぶりを誇らしげに見せつけるのでした。
2015/04/20
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高根木戸は新京成電鉄の唯一の路線、新京成線の一駅です。この会社は、戦後まもなくに開業した都心郊外としては歴史が浅く、翌年には新京成線も営業を開始しますが、当初は新津田沼駅と薬園台駅の3キロにも満たぬ短距離路線でした。その後徐々に距離を伸ばし約10年後には京成津田沼駅と松戸駅の現在と同じ区間が開業となったようです。この物資も不足した時代における迅速な対応は、旧日本陸軍鉄道連隊が戦前に演習用として敷設した線路であったことが理由と思われ、第二次世界大戦後京成電鉄へ払い下げられたという経緯を辿ったようです。演習用だったこともあり、やけに迂回する曲がった経路を辿ることになります。そんなことはともかくとして、全長26.5Kmで全24駅ある駅のうち高根木戸駅は松戸駅から18番目の駅であり、隣にはかつて竹中労-反骨のルポライターと呼ばれ芸能界、政界などに戯れ合うことなく渡り合った人でぼくも若い頃、さほど面白いとは思えぬものの『日本映画縦断』などの著作を読んでいます-が自治会長を務めたという日本住宅公団の造成した高根台団地があります。かつては293号棟(+α)まであったという大規模団地だったようですが、今では民間に管理は移りかつての面影は薄らいでいるようです。 そんな引き移しの情報を書いてしまったのは他でもない、この日訪ねた高根木戸駅の周辺は語るべきことなどほとんどないような退屈な町だったからです。近くにはイオンがあるばかりで、商店街と呼ぶべきほどの町並みも広がっていません。しからばどうしてわざわざこの駅で降り立ったかといえばかねてから車窓から見えていた一軒の純喫茶を訪ねたかったからなのでありました。沿線に沿って建つその存在はずっと前からしばしば-と言っておきながら新京成線に乗車する機会など年に1回程度でしかないわけですが-見掛けていて、今回はあえてここだけのために訪れたのでした。「喫茶 純」というお店がそれで、茶系統のシックな本格派の純喫茶という趣で、けして派手さはありませんが、堅実な内装は好感の持てるところです。ゴブラン織りの張り詰められた椅子も重厚で、カウンターには幾分かスナック的な色彩も感じられるものの間号事なき純喫茶であることにわざわざここまで訪れてよかったと一息付くのでした。 近くには「コロール」というこれまた一見したところよさそうなお店もありましたが、カラオケから流れているらしき演歌がもれていたため、断念せざるを得ませんでした。
2015/04/19
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この夜、O氏と呑むことにしていて町屋にて待ち合わせていました。落ち合った後、二人でしばらく町を彷徨ってみたのですが、ここぞというお店に出会えません。それだったらいっそのことちょっと歩いて以前一度お邪魔したことのある溜まらなく魅力的な店構えのもつ焼店を久しぶりに訪れることにしたのでした。うっかり横着してご無沙汰しているうちに閉店なんてことは当たり前ですから。 そのお店は「やきとん おとみ」といいます。以前もここで報告させていただいているのでご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。東尾久三丁目の電停から住宅街に伸びる細くて暗い通りをちょっと歩いたところにあります。ここを初めて見つけたのもO氏と一緒にかなりいい時間に町屋で呑んだあとにもう一軒だけ何処かでやろうということにして、荒川線を王子、早稲田方面に辿って行った際にたまたま出会ったお店でした。その後のんびり走行の荒川線の車窓から何度かまだ営業しているのかと様子をうかがったことがありますが、この店を視線が捉えることはありません。この深夜の散歩がなかったらここには出会えていなかったかもしれません。大きなトタンの看板は以前のままに今でも営業していたことを嬉しく思います。カウンター席が10席ばかりの狭い店内にも変わるところがありません。この店にいることだけで充分満たされた気分になるので、肴などなくても構わないのですが、そうもいかず久しぶりにもつ焼を頂きました。これまた変わらぬ味にやはり頼んで良かったと思うのです。女将さんはかなりおっかない方ですが、50年もこの酒場を守り続けてきたのだからこれくらいの迫力がつくのは当然かも知れません。やけに訳知り顔の一人だけ入っていたご近所さんは矢鱈とガキの頃から通い詰めたと自慢しますがその気持ち分からぬではありません。女将さんが元気だからとゆめゆめ油断することのなきようー三河島のあの名店も店主夫婦が健在なのに突如店を畳んだことを忘れてはいませんー、出来る限り通い続けたいものです。
2015/04/18
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ここんところ大山方面に度々出向いていて、まだ数軒ほど意中の酒場があるのですが、そうそういつも大山まで出向くこともかなわぬ訳で、この夜も当初は目当ての店に脇目も振らず一目散に駆けつけるべきでした。ですがわれながら気紛れなもので、大山駅に到着すると途端に予定していた酒場をなんの迷いもなく選んでしまって何が楽しいかという全く持っていい発作的な理由から、川越街道方面ーハッピーロードの裏手ー とは逆の、中山道方面に足を向けていたのでした。こちら側の商店街は以前はハッピーロードと比べるとずっと地味で退屈だったのですが、ここ数年でぐっとユニークな店舗も増えて人通りも増してきたように思われます。特にドンづまりまで歩くとかつては呑み屋など余りなかったはずなのにー「ときわ食堂」を重宝に使ってましたー近頃随分と様子が変わって面白そうな呑み屋が見受けられるようになりこの夜はここら辺で呑むことに決めました。 まずは町を断絶する悪しき大きな通り中山道に面する「大山飛車角」にお邪魔することにしました。ところでこの中山道がなければ、大山の商店街と旧中山道に沿う商店街がリンクして巨大でより魅力的なエリアになるのになあなんてことを思わぬではありませんが、需給の要請するところからこうして飛び地化したのであろうと想像するとそうも勝手なことばかり言ってられません。ともあれ遠目にもやけに目立つ看板がひっそりと世間から身を潜めているような酒場を好むぼくにとってはちょっと見立ち過ぎに思われ、しかも酒場の宣伝を自動車道路に向けて発したところでいかほどの効果があるものかと疑問を感じぬでもありませんがそれはまあ知ったことではありません。店に入ると窮屈に設けられたカウンターに細長いスペースに小さめのテーブル席が並んでいて、思ったより手狭なことにちょっと意外な感じがしました。客は常連らしいおっちゃんが独りとアベックが一組とやや寂しい。今時のチェーン店でない振りをしたチェーン居酒屋という第一印象だったので、実際店で腰を下ろしじっくりと店内を眺め渡した雰囲気はなかなか悪くありません。悪くないんだけど店の人の応対がなんだかとってもつっけんどんなんですね。悪気があるわけではなくそういう人なだけなんでしょうが、これで店の人がオヤジだったりおばちゃんだったりすればそれはそれで店の個性というか味になったりするもんですが、ここの人たちは皆お若いようですからね。酒や肴は味も値段も全くもって標準的でこれといった特徴もなく、敢えてまた来たいというほどの魅力はありませんでした。 そのすぐそばに「set up」というカウンターだけの狭いバーです。バーと言ってもガラス引戸で覆われた至って気取らない気さくなお店です。トイレを使うにも一旦表に出て別の戸を開けて掻き分け入らねばならぬほどです。トイレから戻りオシボリで一息つくと、先客2名の賑やかなお喋りが否が応でも入ってくるのは避けようもありません。独りは鷹揚とした物腰にお金を持ってそうだと考えるぼくはなんとも嫌らしい。もう一人は白人さんで後で聞くとアメリカの出身らしい。この二人が何やら激論を交わしています。聞いているとどうやらお金持ちがこの店を日中開けておくのがもったいないので都内に数店経営しているというカレー屋の系列の一軒にここも取り込もうということらしいのです。なぜだかぼくもいつの間にやらこの議論の渦中に引き込まれていて、カレーで800円は、高すぎる、いくら全部乗せー相当色んなトッピングが乗るらしいーであってもぼくなら昼飯にそこまで投資しないななんてことを語ると、アメリカ人のお兄さん興に乗って、そうそうそうなのよ、大山っていう土地はそんな値段で食べに来るようなとこじゃないのよーこれはぼくの発言ではありません、念のためー、と我が意を得たりと急速に親密な雰囲気が醸造されてしまったのでした。ついカレーの余ったのをルーだけ肴に出してみてはどうかなどと余計な提案をしてみたりしました。正直、さほど旨くないカクテルはともかくとしても板橋らしい濃密な交流が楽しめます。うっかり呑み過ぎてしまいました。なんだかまた寄ってしまいそうです。
2015/04/17
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いきなり申し訳ない事ですが、言い訳をさせていただくことにします。ごく個人的な理由で敢えて吹聴するまでもありませんが、何たることか現在、ぼくにとっては例外的なことに仕事が繁忙という事態に陥っており、ハシゴして呑むだけの時間が確保できぬという悲惨な状況下に置かれているのでありました。結局何が言いたいかというと、当初の趣旨は呑むならハシゴが楽しいよという姿勢をしばし控えて、暫くはハシゴなし体制で、やっぱり酒場はどこも楽しいよという体制にシフトせざるを得なくなったのでした。多分ーいつも呟いてばかりなので、実際には何度となく語っていたかもしれませんーこれまで語ったことはないと思いますが、ぼくの呑み方の師匠ー別に慕っていた訳ではなく、ぼくに妙にこだわりのある呑み方を植え付けた人たちであるだけーとりわけ印象深かったーってまだ全然健在だってーの方の流儀だったわけです。って、どんどん注釈するうちに文章の階層が全く見えなくなっています。ともあれ今でもとにかくウィークデイは毎晩呑んでるので、ネタは尽きぬはずなので、師匠の意を汲み続けるためにもいずれはもとのペースに戻したいものです。後、喫茶店についてもさすがにここでは書けぬような外れ籤が続いているので、しばらくは日曜の喫茶報告も休憩となることが多くなりそうです。最近、とある喫茶店ブログの方とやり取りさせていただく機会を得て、本当ならもっとリサーチして差し上げたいのですがそれもままならぬのが無念なところ。それはともかくとしてー最近この言い回しばかりー言っておきたいのがハシゴが基本のこのブログの趣旨が一時的でありたいと思いますができなくなるということです。そうは言っても適当にハシゴ呑みを挟みながらお伝えする所存ておりますので、よろしければお付き合いください。 長々と書いてしまいましたが、最初のお店は結構メジャーらしき「ねこ膳」なのでありました。明治通りをぶらついていて出会った一軒です。よくご覧頂いている方ならお察しでしょうがこのブログには渋谷、新宿という東京を代表する大繁華街が滅多に登場しません。理由は端的にこの2つの町がどうしても好きになれないという極めて単純なことなのでこれ以上は特に語るべきこともありません。それでも花園神社を越えて明治通りを歩き出すと急に足取りが軽くなるのです。きっと雑踏が煩わしいだけなのてす。そんな新宿の外れに逃れるように辿り着くと軽く疲労した身体を休めたくなり、目に入った賑々しくてとても居酒屋とは思えぬ店舗でさえもがオアシスのように思われたのでした。まだ陽も高いというのに店内には多くの人たちがそれぞれ読書をしたり、歓談したりと良い雰囲気です。カウンター席に腰を下ろしてひとしきりメニューを眺め倒すと後は特に見るべき箇所もなく、ぼくも読書を決め込みます。煮卵などが盛られた小皿はちょっとしたアテとしてなかなかのスグレモノです。ここにはこうした気の利いた肴が揃っていて、新宿の雑踏に疲れたらまた訪れようと思うのでした。
2015/04/16
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新小岩の酒場の充実ぶりが生半可でないことはこれまでも繰り返し語ってきたところで、それを芸もなく繰り返すのは避けたいと思いながらもどうにも言っておかないと話が始まらないような気がしてしまうのです。こうしていつもと何ら代わり映えもせぬ導入を書いていると、すべて消去して頭から書き直したい気分になりますが書き直したところで似たりよったりにしかならぬのは、容易に察せられます。ただ今回の新小岩でのハシゴがいつもと違っている点があるとすれば、ハナから向かうべき酒場が決まっていたというところ。いつもであれば敢えてこれという目当てを決めていなくても新小岩の町であればそこを彷徨ってさえいれば、店の方からおいでおいでをしてくれるという確信めいたものがあって、実際多少のハズレはあっても某かの満足を感じさせ続けてくれていたのでした。 意味なく長い能書はともかくとして、この夜は新小岩に2店舗あって、そしてこの2店舗ー本店と支店ーの繋がりがどうなっているのかを確認するのも敢えて訪れることにした理由なのでした。今回訪れたのは、「鳥益 本店」です。半年、いやもっと前のことになるかもしれませんが、なこなかの年季があり店にも味もある北口の支店を訪れていました。その後何度か新小岩に来ていますが、幾度か本店を見掛けるたびに、あゝここが本店なのだなと思いながらもどうしてだか入ってみる気になれなかったのでした。腹をくくってというほどのことではありはしないものの、今回尋ねることを決めると、いっそのこと事前に店のことをリサーチしておこうとネットで当たってみると、支店が固定客が多勢を占めていたのに対して、こちらは結構人気のある繁盛店であることがわかりました。混雑を無意識に避けていたのかもしれません。ついでに分かったのがここが昭和34年創業となかなかのしにせであることで、2店の関係性まで探るには至りません。そして店に入った時点でそれを確認することを断念したのは、想像を越えて賑わっていたからでした。こういう場合独りでよかったと思うのが、どうにかこうにかではあるもののカウンター席の唯一の空席を待つこともなく収まれる事です。実際ぼくの後に入った夫婦は、ぼくが出るまで待たされていましたから。さて、店の人との交流は無理と見切った以上は呑みに徹するべきですが、どうにも落ち着かず程々にして切り上げることにしたのですが、さすがに焼鳥は値段も味もそして何よりその大振りなことに驚かされたのでした。 店を出るとすぐに今度は全く逆に客の気配の感じられぬテントの庇は明るい黄色なのにどうしたものかうら寂しさが逆に際立って見えます。「焼鳥 とりやま」という屋号のお店でさしたる店とは思えませんが、こうしたうらびれた店を訪れるのが誰に頼まれたわけではないもののぼくの使命であると思い込んで足を踏み入れることにしました。カウンターの奥にはボックス席があり然るべき時間になるとカラオケが鳴り響くことになりそうな、そんな印象があります。そこには隠居間近っぽいオヤジかその時が来るのを今か今かと待ち構えているようにも見えます。けれども女将さんは至って酒場のおばちゃんといった感じで、酒やお通しを啄むうちに徐々に居心地がよく感じられてくるのでした。最初に頼んだ豆乳ハイは、導入が濃厚かつアルコール濃度もかなりのもので、うっかり呑み続けるとエライことになりそうです。この豆乳は市販のものではなく、町場の豆腐屋さんから仕入れているのだろうななどという思いを巡らせているうちに、お客さんも2人、3人と増え始めました。その常連さんの差入れの殻付きのベビーホタテを別の常連さんがその処理を手伝うという気持ちのいい連携ぶりを演じてくれて、さらに見知らぬぼくにもお裾分けしてくれたのでした。お陰様で帰るに帰れなくなり、またもや痛飲の夜となったのでした。
2015/04/15
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かねてから行こう行こうと思いながらあまりの繁盛ぶりに嫌気が差して避け続けていたもつ焼き店に萎える気分を奮い立たせて思い切って行ってみることにしました。とは言えやはり独りではその意欲も実際前にすると萎えてしまうに違いないと考え、ほぼ同じ意識を共有するT氏と向かうことにしたのでした。 そのお店はご存知「やきとん まこちゃん 本店」てす。新橋に複数の店舗があって、その数は増加の一途をたどっています。実際、新橋をうろつくとそこかしこで「まこちゃん」を見かけることになります。現在何店舗あるのかは調べてみたこともないので分かりかねますが、今回あえて味のない本店を選んだのは、やはりぼくには創業店至上主義的な俗な性癖があるというただそれだけのことなのでした。店の前に立って店内の様子が目に飛び込んだ瞬間にまたしても初訪問という好機をみすみす見逃すという選択に心が揺れることになります。そう、とんでもない混雑ぶりでこんな雑踏のなかで呑むのは気乗りなどしよう筈もありません。ところがこのお店にあってはこの背中を掻くことすら困難であろう窮屈さを好んで訪れる方が主流のようです。我々のようにこんな程度の混雑で怯んでいるようでは、かつて戦後新橋の闇市などでは食いっぱぐれることになること必死でしょう。店には外国人観光客もちらほら見受けられるのですが、彼らの目にこうした酒場はどのように映っているのでしょうか。それにしても外国人観光客の来る店は、多くがこうした大繁盛店や銀座ガード下だったりして、これらの情報はガイドブックやネットから入手したものに違いなく、よく日本人は自分の意志で行動しないという言われ方をしますが外国人も似たりよったりであるように思われます。彼らは合理的で経済的な選択をしているのだという考えがあるかもしれませんが、このお店はけして少しも安いお店ではありません。むしろ新橋のもつ焼き店であればずっと安価な店も多いのです。腐していてもしょうがありません。まずまずもつ焼は旨いものの快適さを捨ててまで再訪する気にはなれないというのが、空いてる酒場を好むわれわれの結論です。 ちょっとくつろげる店がいいと次に入ったのが「呑太りん」です。なんとも品性に欠ける店名ではありますが、店の構えは民芸調のちよつわざとらしさが鼻につくもののそれなりに年季が入っており味わいも醸されてきています。新橋になぜか数多い炉端焼きのお店のような雰囲気がありこれはこれで落ち着けます。客の入りも悪くなく、我々が入ったあとに続々とお客さんが訪れて遅れて訪れた独り客は断られていました。とにかく新橋のお店は大概どこも混雑しているようです。稀に閑散とした居酒屋を見かけることもありますが、そこが他店と比較してどこに問題があるのか判然としないことも多く、新橋とか銀座もそういう一面がありますが、この界隈で呑む人たちというのもガイドブックに頼る外国人たちとさほど違わぬ混んでるお店はいい店だという主体性のまるでない退屈な生き方をしているのではなかろうかと思えてもくるのでした。
2015/04/14
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チェーン店に行きたくないというのは散々語っていることだし、池袋にはここぞという酒場がないことも事あるごとに記しているので今回はなるべく愚痴らぬよう品よく文章を綴ることに致します。さていくら歩いてみたところで収穫など有りはしないことーあっ!これも愚痴だなーなど分かっているのにまたもや明治通りを歩いていたのでした。でも突然歩くのが嫌になってしまい、まあここは入ったことがなかったなーこれは実は正確ではないことは追々説明しますー、と入ったのはチェーン店らしさを顕にした一軒のお店でした。 「一串入魂 串まん」という明治通り沿いのお店で近頃にわかにおしゃれっぽくなってきてるっぽい東通りーそこは池袋、どうしても野暮ったく感じられるのですーを越えてすぐにあります。勿体ぶりましたがここって今店名が思い出せずにいますがやはり串揚げ屋だったはずで、どういう理由からそうしたのかは興味すらありませんがともあれ以前の店には入っていて、実際内実は以前と何一つ変わってはいないように思われるのでした。よくこの店の前は通過しますが、やけに入っているかと思えば、困難で大丈夫かいなというほどに閑散としている場合もあって、わざわざ店名を変えただけの効果は感じられません。まあ特にけなすまでもないし、褒めるべき点もないけど、いや美徳としては曜日ごとにお得なサービスがあることでこの夜はハイボールが安くてそれはまあ積極的にお褒めすることにします。 東口は諦めてビックリガードを渡って西口に向かいます。立教大学手前の呑み屋街を彷徨くもののこれといった店もなし。要町に伸びる名も知らぬバス通りにまで来てしまいました。これがチェーンなのか調べる気にもなりませんが池袋だか、豊島区だか忘れましたが最も安いと豪語する宣伝書きについつい乗せられて「串カツ居酒屋 八五郎 池袋西口店」に吸い込まれたのでした。店内はいかにもどうでもない居酒屋チェーンのそれで、ガッカリするまでもないので適当に串揚げと安さが売りのビールを注文します。正直串揚は気が乗りませんがせっかく串揚の店に来たのだからー実情は安いからという理由ーをオーダー、確かにドリンクは安いのですが、ビールはグラスだし、サワーは薄いので果たしてお得かどうかは疑問の残るところ。しかもオーダー後やけに待たされるのが面倒臭い。酒の追加をついついしてしまいそれがここの狙いなのかと訝るほどです。ても家族連れも多くやすさという点で近隣の方には重宝されているようでした。
2015/04/13
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初期のこのブログは、写真なしテキストだけの恐ろしく地味な記事をせっせこ書き溜めていた頃が今振り返ると当時いろいろと悩み事が多くて、憂さ晴らしは居酒屋で独り呑みながら宮脇俊三の本をぼんやりと繰ることで、氏の信条として記憶に留まらぬことは、書く価値すらないという言葉にコロリと感化してしまったためであります。その後、何名かの方からの激励のお言葉と数え切れぬ程ーというのは大袈裟に過ぎますがーの罵詈雑言を浴びせられ、当初の考えはどこへやら今では義務的にという負担すらちっとも苦にならないで写真を取れるようになったのだから変われば変わるものです。ところが、喫茶店はというとその以前から写真を撮っていたようで、数多くの写真がめったに触らぬ自宅のデスクトップPCに保存されたまま未整理の状態で放置されています。毎週日曜の喫茶店記事が目先の小旅行報告めいたものでお茶を濁すことになっているのもそうした理由からです。そしてこの休日でなんとかしないとイカンと思っていたのですが、目語覚めると家でうだうだとしている気になれずまたもや次週からのネタ探しに腐心しなければならないのでした。 という訳で、先日久しぶりに川口を訪れた際に立ち寄った一軒の喫茶店と空振りに終わった何軒かをお茶を濁すという意図はないこともないのですが記録しておくことにします。 遅くなりましたが、この日の唯一の喫茶店情報は「cafe NEW FOLKLORE(ニュー フォルクローレ)」であります。川口駅からサクサク歩いてもゆうに十数分は歩いたでしょうか。しばらくは商店街を歩いていくので散歩していても目を楽しませる楽しい光景が飛び込んできますが、やがては住宅街になり単調な光景が続くばかりです。そんな退屈な光景の中にここはありました。モダンでクールな印象ですが店内はなかなか凝った装飾が施されていて、調度品の数々も店主の独特の世界観を表現していて思ったよりずっと楽しめます。ただしお客さんが全く入っておらず静まり返っでいるのがなんとも気づまりな印象であるのは気掛かりです。 夜に向けて赤羽方面に舵を切ります。その途中に見かけた「花かんざし」はお休みでした。なんだか良さそなうので残念。 ウロウロ歩いているととある商店を見かけました。真新しい味気ない商店ですがそのお隣の自販機コーナーの様子が なんか奇妙です。親父が一人でこんな場所でワンカップをぐびりと一息に飲み干しています。一気飲みなどという無粋かつ危険な呑み方とは一線を画する見事で美しい呑みっぷりに思わず目を奪われます。その殺風景の極みとも言うべきほどの素っ気ない空間には酒と袋入りのツマミの自販機が設置され、銀座にも似たようなスペースがありますが、ここの徹底した非人間的な殺伐さは一度経験してみても良いのかもしれません。「ラッキーフード」という飛び切りハッピーな店名です。 さらに東に進めば進むほど非日常的な虚しい風景が広がります。よもやこんな場所にという川口元郷駅の近くにもあるんですね、というかかつてはこの辺りにもたくさんの商店があったのかもしれませんが、今ではもうマンションを中心とした住宅地でしかありません。工場街のあった名残などまるで感じられません。それでも古い喫茶店が残っているのです。「喫茶 さかえ」です。置き看板の様子を見るとまだ現役であることが推測されます。ただここだけのために再訪する根性が果たして僕に残されているのでしょうか。
2015/04/12
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このところ王子にすっかり無沙汰してしまったとO氏と連れ立って王子で呑むことにしました。先に到着したのでしからば散策でもして時間を潰そうと駅を周回してみるものの目立った変化もないので、おでんの立ち呑みにでも行ってみるかと歩き始めたところにO氏からの連絡が入りました。改札前で落ち合って、さて久しぶりだから「山田屋」にでも行ってみようか、それとも天気は悪いけど飛鳥山方面に向かおうか、どちらともなく後者の気分となりスタスタと歩き始めます。飛鳥山に登るロープーウェイの前に着いてもどちらも桜を眺めようなんてことを提案することもなく、都電荒川線に沿って飛鳥山を迂回したのは、なんとも無粋なこと、せめてひと目くらい風流を味わっても良さそうなものですが、われわれの感じる風流は花にはないのでした。飛鳥山の電停を超えるとこれぞわれわれの風流とも言うべき良さそうなお店がありました。 風雨に晒され破れてはいるものの白地が眩しいその暖簾には「三千石」とあります。飛鳥山には何度も来ているのにいつもは明治通りに沿って歩くことが多かったので、荒川線を越えるのは初めてだったかもしれません。背後の飛鳥山は花見のライトアップできらびやかですが対面は薄暗く物悲しい雰囲気です。それでもこの季節らしく店先には慎み深く焼鳥と焼きそばのテイクアウトの宣伝がしてあります。店に入るとボックス席のように区切られたテーブル席とカウンターがあります。奥にも広い座敷がありますがそうそう使われることはなさそうです。入ってすぐの席ではオヤジ二人が囲碁を指しています。あとの客もみな知り合いのようで、他愛無いテレビを眺めてはけたたましく笑い声が上がります。少しだけでも花見気分を味わおうと頼んだのは貼り紙にあった焼鳥と焼きそばです。ほこに隣の客が頼んだらしい野菜炒めが届けられますがこれがとんでもない量です。囲碁のオヤジもなんだかよくわからない品を受け取っていましたが皿から溢れそうなほどです。このお店、やきとり以外はどの肴も圧倒的なボリュームなのでゆめゆめ頼み過ぎぬことを老婆心ながら申し添えておきます。途中花見客が買い求めに来る気配もなく時折笑い声が響く程度で静かに酒と肴を嗜むことができました。酒場らしい酒場で思わぬ広いものでした。 すっかり満喫しましたがもう一軒ばかし立ち寄ることにしました。「竹しげ」という飛鳥山電停の真ん前にさり気なく店を構える渋いお店です。カウンターと奥にも客席があるのでしょうか、ここも固定客で持っている酒場のようでオヤジ二人が女将さんとときおり言葉を交わす程度で森閑として妙に胸が締め付けられるような切ない気持ちになってしまいます。お隣が女将さんも客も賑やかだったのに対してこちらは至って静かな方たちが集っています。それでも陰気とかどうとか言う訳ではなくお隣のオヤジさんはじきに我々に声をかけてきてくれたのであれこれお喋りしたはずですがその内容は記憶からすっぽり抜け落ちています。そうそうここのお茶割、かなり濃かったのでした。当然嬉しいことは間違いないのですが、これで勢いがついて後から後悔するのはいつものことです。ぼくは実害はなかったもののO氏は地元に辿り着いてからー辿りつけただけでO氏としてはさほどのダメージではないーラーメンなどを食していたらしくレシートで知ったその事実もまたよく聞かされる話ですが、どうしたものか普通にまっすぐ帰ればそうなるはずのないとんでもない時間が印字されていたそうです。まあこれもよくある事か。ところでこちらもまた肴としてお願いしたぼらの刺身が大変に食べ出があり、オヤジさんたちの頼んだ刺し身もまた大ぶりの切り身でしかも独りでは持て余しそうな数なのでした。
2015/04/11
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世の人々はどれだけ町のことを記憶しているのか、ぼくなどはつい最近行った町であってもそれが地名とうまく結びつかないという傾向があるようで、数字なんかは随分昔に暮らした町の郵便番号や電話番号なんかは不思議と淀みなく口に出来るのに、記憶にも得意不得意があるのかしら。なんてことを考えながら難解な映画作家の固有名詞を自らクイズとして設問したところ、アッバス・キアロスタミやらモフセン・マフマルバフ、ユーセフ・シャヒーンなどなどがなんの苦もなく想起するのだから事はそう単純ではなさそう。その一方でマドレーヌで過去の記憶のあれこれが蘇ることもないし、記憶とは全く持って出鱈目なものだと思うしかなさそうです。 さてかつて清瀬を訪れて2軒だけは記憶に鮮明な喫茶店が清瀬駅のそばにあったことはすっかり記憶の外で、「みゆき食堂」という酒場に感動しつつやむを得ない事情で立ち寄れなかった悔しさは忘れてはいません。でもそれが清瀬だったことはどうも記憶する町の名とは結びつかず実は東久留米駅で下車してしまったりとあの町は幻だったのだろうかなどと、思い込もうとするのでした。こんなことはよくあることなのですぐさま気を取り直して隣駅に向かうのですがこれもなんとも心もとない。しかし駅前の風景を見ると一気に記憶の残滓が噴出し、商店街を進むとすぐに何だか琴線を揺さぶりまくった店があったはずだ位の朦朧とした記憶が蘇ります。そしてすぐにそれが誤りでなかったことを知るのです。 ノスタルジックなまさに大衆食堂という構え。夕焼け空にオレンジ色のテント庇が映えています。向かって左がテイクアウトの焼鳥店、右に「みゆき食堂」があります。この日はS氏と西武池袋線沿線をブラブラと散歩することにしていたのですが、互いに疲労が溜まっていたためかあまり長距離を歩くだけの体力も気迫もなく、S氏が近所に親戚が住んでいるんだけど、ほとんど来たことないんだよねなんて言うことを語りつつ、呑むにはまだ早いかという時間に清瀬に辿り着きすでに営業しているこの店を見てしまっては当然お邪魔するしかありません。店内は思った以上に広く赤っぽい照明が店内を常に夕暮れ時の物悲しい印象にしています。しかし、客たちは夥しい程に張り巡らされた品書から思い思いの品を肴に早目の呑みを楽しんでいます。壁にはあらあら『孤独のグルメ』の作家と出演者の色紙が無造作に飾られています。これを見て訪れたらしい客の姿もあって、ここはそっとしておいてもらいたかったなと身勝手なことを思ったりします。われわれはタイミングが良くて隅っこの絶好のポジションを確保できました。人々のさんざめきの中で、これといった話題もないわれわれはここいいねえ、多すぎて迷うねえなどと埒もない言葉を交わすだけです。運ばれた品をゆったり呑んでいると、うちのおばさんはーこのそばに住んでいる親戚のことらしいー若い頃一人でロシアに渡ったりしたエキセントリックな人だったといったことを日頃は寡黙なS氏が語り始めた時、お隣にお客さんが腰掛けようとしていました。なんとそのお一人がS氏のおばさんであったのでした。あまりの奇遇に驚愕します。このおばさんとそのご友人もここを贔屓にしているようで、お薦めというすごいボリュームの玉ねぎフライをご馳走になったのです。 おばさんたちを残し商店街を進んでいくと脇道に「居酒屋 長男」というのがあります。壁だか扉だかに「もつや」とあります。ひばりヶ丘の「もつ家」で聞いていた清瀬に3軒あったもののうち一軒は独立したらしいと教えてくれたその一軒がまさにここのようです。細長いカウンターがずっと奥まで伸びていて、立ち呑みだと一人で切り盛りするのは大変そうだななんてことを思ったりします。この夜はお客もなく静まり返っていて寂しいくらいです。店主も至って無口で黙々と仕事をするばかりです。肴は思った以上にちゃんとしていて安いのも嬉しい。「もつ家」という系列は空き店舗を見つけては居抜きでほとんど内装に手を入れず極力安価に開店に持ち込むという手法で拡大したように思われ、そのさらに前は一体どんな店だったかを店主に尋ねるきっかけもないまま想像を膨らませて夢想に耽るのでした。
2015/04/10
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押上の外れ、これといった目当てもないままに日の暮れた寂れた商店街を歩きます。しばらく行くとスカイツリーが川面にバッチリ収まるとかいうことでわざわざそれだけのために訪れる物好きな方もいるという小さな橋があります。その先には純喫茶の「シマウマ」なんかもあったりしますがこの夜は橋の北側に赤提灯や暖簾などの居酒屋らしい符牒もささやかで、どういう根拠があるわけでもなくいかにも押上という下町にこれほど似つかわしい酒場はないとすんなりと腑に落ちてしまうようなお店を訪ねてみることにしたのでした。 気取りもないもない引き戸を開けて店内に入ると、思ったよりずっと小奇麗で平凡な造りなのにちょっぴり残念な気持ちになります。テーブルがメインですが、5席ばかりのカウンターもありました。腰掛けたカウンターの棚の上には魚介系が中心にこれだけ一晩で捌けるのだろうかという程に種類も量も豊富です。お手頃なホッピーをお願いするとたっぷりと焼酎の注がれたジョッキが登場です。あっこちらは「海山料理 砧」と箸袋にあります。お通しは車海老の焼いたのにレモンが贅沢に添えられています。軽く絞って残りはホッピージョッキに放り込みます。もう一品のお通しの隠し包丁の入った大根煮も大変味がよくしみて旨い。さらには牡蠣酢を注文するとこれでもかの大量の牡蠣が投入されていて、思わず笑みが溢れます。お隣の塾年のアベックはいささかいかかわしいムードがムンムンとしており、想像したくもないのにさまざまな情景が脳裏に浮かんでは消えます。これはイカンとテーブル席のおっさんたちの他愛もない会話に聞き入るのですがどうにも詰まらない。テレビを見ようにも振り返っておっさんたちと正対して向き合うことになるので、あまりゾッとしない。ここの常連たちは見知らぬ他人には興味が全くなさそうなので、もう少し腰を落ち着けて呑みたいところですが、ひとしきり呑むと席を立つことにしたのでした。 どこか良さそうな店はないかと押上からは若干遠ざかるもののちょっと散策していると、暗い通りに「家庭料理の店 まるわ」という古そうなお店がありました。これは見過ごすわけには行くまいといそいそ店に入ると、こちらはそれこそカウンターだけのなかなか味のある内装でした。各席にはお盆が置かれていて色んなものをーほとんど店の大部分の内装から食器までのーグレードを上げれば、小料理屋とか割烹って言ってもおかしくない雰囲気になりそうですが、グレードアップしたらどこでもそうなるという見方もあるなあ。それはともかく客はお二人だけ、定食を食べ終えて寛ぐ老人というのはこうした枯れた食堂ではよく見る風景です。こちらはのんびりと本を読んでいるようないないようなぼんやりとした時間過ごします。サービスのお通しが嬉しいななんてことを漫然と思ううちに、自分はこういう安らいだひと時が何より好きなのだなあと、日頃は毒舌吐きの下品な男と呼ばれることの多いぼくのこれが本来の姿なのだと、揶揄する連中に見せつけたく思わないでもないのでした。
2015/04/09
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新橋には一体どれほどの立ち呑み店があるものやら、ぼくなんかのような新橋のシロート風情が知る由もなく、実際店の入れ替わりも激しすぎて追っかける気にすらならなりません。新橋はこの町だけでも食ブログーちなみにぼくはこのブログを食ブログとは思っていないし、きっとほとんどなんの役にも立たぬはずですーというジャンルがあるとすれば十分成り立つはずだし、実際見た覚えもあります。同じく立ち呑み屋を題材としたブログも一頃よく見掛けたものですが、それだけでは継続して書き続けるのは、ネタが不足していたのかあまり見かけぬようになったようです。居酒屋ブームなどとっくに過ぎ去った一過性のものに過ぎなかったのでしょうか。一方で立ち呑み店は一向に回復を見せぬ日本経済ー紋切り型の極みーの煽りを受けて、逆に多様なスタイルの店が出没し始めていますが(「俺の・・・」が高級路線の成功例の典型とすると「晩杯屋」は激安路線の伸び筋のひとつ)、その夜その夜の財布事情もそうだし、シチュエーションや食の気分、酒の傾向などさまざまな要素から店選びできますが、結局いつも足を向ける店は固定される傾向にあります。 そんな訳もあっていざ立ち呑み店を開拓するということになるとその夜は決まって立ち呑みにすると心に決める傾向があってそれはそれで楽しいものの忙しない気もして、近頃じっくり呑む楽しさから遠ざかっていたこともあり、座って呑むのに惹かれるのですがそこは初心を貫くことにします。と、なんだかグダグダ述べているのは、目の前にある当の立ち呑み店が高級路線に思われて単に躊躇しているだけなのでした。そのお店は「ぼんそわ」、すっきりと飾りを廃したお店は白木のキレイなコの字カウンターで、端正で鑑賞にも耐えられると思われるほどです。怖ゴワ入ってみると思いかけず気楽な店なのが意外と言えば意外でした。カウンターに立つと嬉しいことにおしぼりのサービスまであります。そして特に肴がハイレベル、立ち呑み店でなくてもこれ位の肴が出てきたら文句はなさそうなくらいの旨さです。徐々に埋まっていくカウンター席は女子率が高く、しばらくすると煙たがられているような気分になったのは気のせいか。でも新橋の懐ぶかさを感じさせてくれるいい酒場でした。 すぐそばにある「立呑処 門」にお邪魔しました。ビニールシートをこじ開けて入ろうと思うと店内から脇から入ってといきなり一見まる出しの失態をやらかしました。まあ引き戸を開けんとしてもどうにも開かないことがあって見兼ねた店主に一方はハメ殺されていることを知って赤面することも少なくないわけですが、こちらはおしぼり、お通しあり、しかも椅子もありと立ち呑み店としてはご法度な現実が連発してぼくを見舞うとこれはこれで新橋の立ち呑みの奥深さだと開き直って楽しもうと思えるのが不思議なところ。ちょっとずるそうな一面を覗かせながらも店主は愉快なおっさんでこれはこれで十分楽しめる愉快な酒場なのでした。
2015/04/08
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木場にはこのところちょくちょく足を向けていて、職場からも自宅からもけして便のいいとは言えぬこの地をあえて目指すのには、それだけこの土地への獏とした期待があるとしか言えないわけですが、ここで正直にみみっちい話を告白しておくと、近隣に住む職場の人が落っことしてくれるという実利的な理由もーいや敢えて正直に言うと理由のかなりの割合を占めているのでありましたーあるのでした。いつも通りを変えてもらったりという工夫も欠かさず、こちらはいつも通り助手席に座する者の勤めとして、リップサービスは絶やさずそれでいて視線だけは三方を微塵とも見逃すまいと集中を切らさぬのでした。 すると東京メトロの木場駅まではまだ500mはあろうかという二車線道路のとあるオンボロ木造家屋からモウモウと煙が立っているのが目に飛び込んできました。「夢乃家」という観光地なんかの冴えない食事処のような屋号ですが、外観はまさしく僕の志向のど真ん中です。遺産で店内に入りますがカウンターは隙間なく埋まっており、4人掛けテーブル2卓と奥の広いテーブルも塞がっています。相当な人気店のようです。他所で時間調整してから改めて出直すつもりでしたが、ちょっときつい感じの女将さんが入口そばのテーブル席に相席するよう指示しました。それは有り難いと地元常連間違いないちょっと風変わりな二人は当たり前のように席を詰めてくれたので、これはこの店では当たり前の流儀のようです。チューハイだったかをもらったのですが、品書には記載のないジョッキサイズもあるようですが、実際出されるのは小振りなグラスだったのでやや割高に感じられます。これならジョッキにすべきだったか。しばらくして届けられたもつ焼は確かに人気のあるはずですがこれまた幾分高いと思われました。でも客たちは気にする風もなく楽しげでその後も客足は絶えず入口付近で待たれていました。これは程々にして席を譲るべきと思っていると!女将さんがてんてこ舞いでしばらく待たされる間に相席のお二人が急にしたしげに語りかけてきます。せっかくなのでこの界隈のお勧めはないか伺ってみたところ、ここも旨いけど、あすこはこの界隈ではピカイチだととあるお店を絶賛します。オヤジは偏屈で気を遣うけどねとちょっと気になることを仰るのが余計だったかも。ただあと1軒のお勧めが以前お邪魔してあまり感心しなかった店名だったのが気がかりなところ。 素直に常連の言葉に従いもつ焼と九州の味を看板とする「もつ蔵」に伺う事にしました。開店してさほど歳月を経ていないことがありありな店構えを見てこれはちょっとハイクラスのお店ではないかと思わず身構えますが来てしまった以上入らぬ訳にもいきませんーそんなこともないんですけどねー。テーブルメインのお店かと思いきやカウンターだけのお店で、こちらも混み合っているものと覚悟していたのですが案外空席が目立ちます。これは先程の店以上に値が張るのであろうと恐ゴワメニューをめくるとさほどの価格ではなくて一安心。味は絶賛するほどのものではないかなと思いますが、主人の仕事ぶりは丁寧だし、聞いていたほどには癖もなさそうです。問題は客の顔ぶれで、この夜がたまたまであったことを願いますが、嫌な客ばかり。いちいち酒や肴に薀蓄を述べずには我慢できないタイプにそれを嬉しげに聴き入ってみせる女性客や横柄さを隠そうともせず仕事の話を大きな声でガなり散らすー話題には多分に機密情報も混じっていたはずーオヤジとそれに追従する太鼓持ちとまさに彼らの毒気に当てられて呑んでいてもちっとも楽しくならないのでした。
2015/04/07
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どうやらぼくには一度訪ねた町は二度ほど賞味しておこうという趣向があるらしく、特にその町がどう良かったとか気になったのかがその傾向を強めているわけでもなさそうで、使用前、使用後というとなんだか下品な話にもなりそうなので、初めての町と少し馴染んだ町ーこう言い換えたところで品のなさはさほど変わらなかったみたいですがーと趣の違ちを感じながら彷徨ってみたいと思う性癖があるみたいです。立て続けに2度位、できれば一定期間を経てからもう一度というのが理想的なパターンです。 この南浦和は、先に言った一定期間を経ての久々の訪問となるわけですがやはり町歩きのコース選択も趣向の変化ばかりでなく季節や町の変化にも呼応してくるようであって、この夜は思いがけぬ収穫がありました。それは南浦和のメインストリートと裏手の商店街に挟まれた一見すると住宅が並び立つばかりの暗い通りの脇道に呑み屋が数軒軒を連ねているのに気付いた事がきっかけでした。スナックがメインの中に一軒目を引く居酒屋がありました。「旬肴 芽だか屋」というお店で小体ながら枯れた構えのお店なので当然お邪魔することにしました。そうそうこの夜はここが地元の年少の数少ない呑み相手であるK君が一緒で仕切りに南浦和に誘われたので重い腰を上げたというのが真相です。K君も異論なしとのことなので早速店に入ることにします。木造の内装はや)照明を落としすぎているきらいはありますが、最小限に抑えられた装飾が心地良い。カウンターに狭いテーブルが置かれた奥には段差のある(やはりもとは小上がりだったようです)テーブル席に通されました。早速飲物ーここの飲物は手が込んでいて、焼酎や日本酒にビールなどでカクテル化した品が充実していて、このバランスが良くてキワモノに留まらぬ味わえる品でしたーを頼むと、出されたお通しが3点、いずれも手が込んでいます。魚介系がメインとなる他の肴も手間を掛けてひと工夫されております。これはお手頃にお忍び風に美味しい肴が頂けるいいお店です。K君もすっかり気に入り次は奥さんと来たいと申しておりました。 南浦和行きを決めたのは酒場放浪記での「三代目 とも」のほうえいが一応の理由です。かつては『居酒屋 ひのまる』とかいう屋号でやっていて代替わりしたことは知っていました。何度か入ろうと思ったこともありましたが、きっかけを逸して入らずじまいとなったところに番組が放映されたのでまあこういう機会でもなければ敬遠したまんまとなるだろうということで、さほど気乗りしないもののやって来たわけなのでした。実は「旬肴 芽だか屋」に向かう前に早いうちにノルマを消化しようという、まあ店側にとっては無礼千番、迷惑至極な態度で馴染み深い線路沿いの呑み屋街を目指したのです。以前とは幾分様子が変わっていて以前訪れた酒場もそれらしき痕跡を留めていませんでした。そんなこともあってさらにテンションを下げて屋台風のオープンな店に、邪魔臭いビニールシートを開けて入ってみると満席御礼で、見事撃沈となったのでした。もはやなんの未練さえなく帰りがけの散策の最中にたまたま二人組が出てくることがなければ二度と訪れることもなかったかもしれません。とまあこうした次第で何とか窮屈なカウンター席に潜り込めたはいいのですが、かつてのお店が匂わせていた闇市めいた危う気な雰囲気は微塵も感じられず、店内に収まってみるとただひたすら現代風の似非ノスタルジーが漂うばかりで虚しさを抑えることはできないのでした。値段はちょっと高めではあるものの酒や肴に研究の跡が感じられるだけに残念に思われます。
2015/04/06
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明治通りをさらにどんどん歩きます。この辺りは新宿を挟んで渋谷ー池袋という副都心のターミナルを結ぶ都営バスが走っていて、ただでさえ時間に追われている(らしい)現代人にとっては贅沢な乗り物となっています。普通ならJRもしくは今なら東京メトロの副都心線まで運行されていて、余程のヒマ人か老人でもなければそれほど利用しないのではないかと思われるのですが、案外伊勢丹辺りで買い物帰りのお客さんの足として重宝されているようです。ヒマ人といえばバスさえ利用せず明治通りを蛇行しながら歩いている自分のほうがよっぽどその言葉に相応しい振る舞いをしているわけで、しかも目的が休憩というわけでもないのに喫茶店をハシゴしているというのだから人には愚かしく思われることも覚悟せねばなりません。確かに喫茶店巡りというものは思った以上に疲れるもので、店探しによる体力面の消耗はもとより、ひたすらコーヒーを飲みまくることからもたらされる臓器疲労に加えて、はるばる訪ね求めた店がお休みだったりひどい場合は閉店していたりした際の精神面の疲労は、すべての疲れの中で最上クラスに位置することでしょう。わざわざくたびれる為にハイエナのように街を彷徨うといえばカッコよくも聞こえなくはありませんが、探訪者は常に疲労しているのです。 さて、歩いているとバス目線からでは気付かぬ喫茶店にも出会えるわけで、「COFFEE GPOUP」、「カフェ ド ムウ」などはその存在すら知らなかったというのだから灯台下暗しとはよく言ったもの。などと気取ってみますが単に知識と努力が足らないだけ、怠惰こそがすべてなのでした。これらはまだまだ新しいお店で活気もありますので、またの機会に訪れることとして、今回は敢えて怠惰故に訪れずにいた老舗の喫茶店を訪れることにします。なので登場するのはよく知られた喫茶店ばかりなので喫茶ファンの方にとっては興醒めかとは思いますが思いの他良かったので備忘を兼ねて記録に留めることにします。とかなんとか書いていますが前置きが長いのは実際の店自体に語るべき言葉があまりないのだということは、日ごろご覧くださっている方であればお見通しでしょう。 新宿三丁目界隈は町がガチャガチャしていてあまり近寄りたくない土地なのですが、それはぼくがなんとなくという怠惰の種を涵養するばかりの軟弱な言葉で避けてきたのは間違いだったかもしれません。以前はきっともっと多くの喫茶店が当たり前のように営業していたのだと思います。「アルル」もその生き残りの一軒で大都会の足元とは思えぬ個人営業の店舗としてはかなりのキャパと落ち着いたケバケバしさが同居するそれでもしっかりくつろげるお店です。コーヒーに添えられるバナナやナッツもくつろぎに一役を担っているように思われ好みのお店です。 本格派の正統喫茶「ポニー」は、キャラバンコーヒーらしさの凝縮されたお店だと言えばそれだけで充分に伝わる方には伝わってしまうかと思われます。幾分狭めの造りでありながらカウンターをうまく配することでこれだけでひとつの喫茶宇宙として十分成り立っています。好みという面ではこの日巡ったうちでナンバーワン。 最後の「キクノヤ(Coffee Shop KI KU NO YA)」は、店名こそクラシカルですがチェーン系のコーヒーショップから装飾をさらに削いでしまったかのような淡白なお店になっています。半地下、中二階という造りこそ好みではありますが、いかに目を細めたり、細部に視線を及ぼそうともこの店の歴史を伺わせる何物かを見出すことはできませんでした。 と最後がちょっと締まらなかったのですが、陽気も良くなったのでちょっとした散歩がてらに明治通りを歩いてみるのもいいものだと思います。興味がある方は是非一度お試しを。
2015/04/05
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手当り次第にーたたし高級(そうな)店でさえなければー幾分意に沿わなくてもカッコつければ果敢に、人は無謀かつ節操ない奴だと口汚く罵るのですがそんな物言いにいちいち腹を立てていては酒も旨くなくなるわけで、今では酔うまでもなく呑みの席では相手が誰であっても聞くと話に聞き答え、意識の大部分は店を堪能しているのでした。あゝ、本当は手当り次第にどこにでもー安そうな店ー飛び込むくせになんとなく敬遠している店があるということを語らせていただくつもりだっただけなのです。 その店があるのは池袋駅の西口を出てすぐロサ会館の呑み屋街に一歩だけ足を踏み入れた辺りにあって、ずっとその存在があることは知っていましたし、一度入っておこうと思いながら、どうしたものだかこの界隈に来るとそんな存在があったことはすっかり忘れてしまって意識に浮上してきさえしないのが常でした。そのお店とは「南国 本店」で、同じビルのお隣には「南国ファミリー」もあります。って知ってるつもりだったけどこの奇妙さについて特段深く思いを至らせたことはありませんでした。さて店内は極めてオーソドックスな昔ながらの居酒屋という雰囲気で悪くないし実際結構な客の入りです。肴は雰囲気同様に定番が一通り揃っていて、案外値段はいいもののまあ文句を言うほどのものではなさそうです。若干気になることがあるとすれば店の方たちの動きのそこここに怠惰な様子が感じられることです。これは良くないです。まあ苦言を呈すほどでもないのでこれならとっくに入っているべきであったと思うわけですが、この後、勘定の際に店のマッチが置かれているのを見て敬遠し続けた理由が判明したのでした。このお店はもとは焼肉店だったようです。黄色の看板と屋号はまさしく焼肉店という雰囲気です。ぼくはこれまでずっとここを焼肉店と誤解し続けてきたに違いありません。 長くわだかまっていた課題と誤解が一気に解消して気分のいいところですが気分は良くても先立つものが変わるわけではありません。すっかり無視して物思いにふけりましたがこの夜は危険な上司T氏と一緒なのでした。ようやくいつもらしさを取り戻したT氏は、ちょっと金欠だったようで、先程の店の勘定額がいたくお気に召さなかったようなのです。この様子ではぼくは落ち着かなくてあまり好きではないものの「大都会 北口店」辺りにしておくのがお財布的には無難でしょう。おつまみ付きのセットを片付けた後、何杯目かのお代わりでトリハイ3杯500円の食券(飲券?)を購入し、とりあえず1杯を追加、しばらくして2杯目を頼んだら店のおっさんが券は3枚出たはずだ、もう無いと思うけどねと憎らしくもニヤリとしてみせるものだから、T氏のご機嫌も悪くなるというもの。ぼくだって気分悪かったから。幸いにも券売機には残り2枚が残っていて、冷静に周囲を見回すと我々くらい卑しく注文を重ねる客がいないみたいです。券が残ったのはそれが幸いしたということなのでしょうが、この特に若者グループを中心としたカフェ使いがどうにも好きになれない理由だったなとはたと気づくのでした。薄い酒はペースを狂わせるもので、トリハイなんかでは埒が明かぬといつしか焼酎ロックに移行、またも痛飲の一夜となるのでした。
2015/04/04
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何度か通り過ぎて迷いに迷った挙句、見過ごし続けてきた板橋区役所前のとある居酒屋があります。職場化の経路的に東武東上線を利用した方が便がいいし、何より馬鹿みたいに高く感じられる都営地下鉄の運賃を思うとどうしても大山駅から板橋区役所方面を目指して歩くことになり自然目に入る見知らぬ酒場と出逢うことの多い大山駅近辺で満足してしまうといったケースが多くなってしまいます。しかし酒場放浪記でも放映されたことだし一度くらいお邪魔しておいても悪くはなかろうということでやはりすでに一度トライしていたのですが、その日は休店です。正直それほど際立った印象のないその酒場はどういうわけか妙に気になるところがあって改めてトライすることにしたのでした。 ところが贅沢して都営三田線で駆けつけてみたところやってるにはやっていたのですが扉を開けると満席御礼でお断わりと無下もない。しばらく待ったらどうにかなるかとお気楽者を決め込んで、せっかくなのでこちらも一度お伺いしたいと思っていた「グリル ふじ」を覗きつつ時間潰しさせてもらうことにしたのでした。いつもはさほどの混雑はしていないように見えたこのお店もこの夜はやはりそこそこの入りです。4卓ほどのテーブルに空きは一卓。贅沢ですがひとりで独占、って他の席も皆一人です。次の客は3席のみの、カウンター席に放り込まれていくのをみると申し訳ない気分にもなりはしますが、それも徐々に埋まるとやはり相席になりかえってホッとするものです。1席、2席と相席になってわが席が塞がらなくなると、逆にぼくはとんでもない面倒な奴と思われているという考えにかられてちょっと焦ったりもしますが、そうこうするまでもなく目の前には実直そうなサラリーマンが腰を据えてくれて思わず握手を求めたくなるほど。次の店もあるのでハム付きのサラダかなんかをもとめますがこれはぼくにとってはよくあること。果たしてレタスごときが栄養になるのか疑問ではありますが、もともとサラダ好きなぼくが酒の肴にサラダを求めて許されるのは洋食屋ぐらいのもの。うれしくサラダを啄んで次へと向かうのでした。 「仲宿酒蔵」はやはり相変わらず混んでいて、ぼくの目の前で入った外国人カップルが済まんねなんていう目配せを放出するわけですが幸いカウンター席に空きがあったので通してもらえました。番組で紹介されたお店をわざわざ腐すつもりはありませんが店の佇まいには何ら感心させられるものは見い出せません。強いて言えばとにかくさほど広くない店にびっしり座席を配置していることもあって、ぼくが常日頃夜な夜な顔を出す場末酒場とは対極の活気というか熱気があるのが別な意味での酒場らしさということもできると思います。これが新橋や新宿であれば別に珍しいことではありませんし、近くの大山なんかでも大いに賑わう酒場は何軒もありますが、板橋区役所前ではついぞ見掛けたことがありません。ところでこれだけ賑わうだけあってカウンターでも一人客などおらず、隅っこにポツンと腰を下ろしてみると、背後では孤独なおっさんのことを他の客たちは寂しい奴だなあなんて思ってるんじゃないかと自意識が否が応でも過敏になります。やがて注文したイワシフライが運ばれてくると一人客のない理由が納得されることになります。何と言っても一言でいえばボリュームがかなりすごくて一人だとウンザリしてしまうほどなのです。これって大いに褒めているわけで、ぼくなんぞが褒めてみたところで他のお客さんたちはとうに承知の事に違いありません。敢えて言い切るとここは一人で来るべき店ではありません。あまりにも落ち着かない。逆にグループで使えば極めて満足度の高いお店と言えるでしょうか。
2015/04/03
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さて、高崎線の酒場ーそれもほくの感性をかなりの程度で見極めていていただけるらしいエディさんの指南による呑み歩きを堪能していますし、これは恐らく、いや間違いなくエディさんはご存知のーとある酒場を見過ごすことができずに見知らぬ地のバスの運行状況さえよく分からぬ土地で飲むことの危険を感じつつもどうしても向かわぬ訳には行かぬのでした。 向かったのは「駒雪」という居酒屋さん。久保田と比企吉見農協という名のつくバス停からもちょうど中間位の位置にあるお店で、隣にはおっきな食堂があってバスの車窓からも見えますがどうしても霞んでしまう存在に思われます。こういう簡易的な建築によるお店っていうのがこの東松山ー鴻巣ラインには非常に多くて、ぼくの知るだけでもまだ何軒かあって、これらに名酒場があるのではと、その捜索の際に思ってはみたものですがなかなかそこまで手を伸ばす余裕も勇気もなく放置されていたのでこのチャンスは逃すわけにはいきません。店に入ると思った以上に広々としており、長いカウンターに使われていないようですが4人向けの小上がりもあります。一人いた客もすぐに去ると残るはわれわれ二人だけ。それまでは我々に見向きもしなかった女将さんですが放っておくわけにもいかぬのか、この界隈の人かというありきたりの話から切り出します。この話題ってどこでもされることで結構ぼくなどは通勤で時折下車するのだと言ってみせるのですがさすがにこの土地にあってはそのようなでたらめな発言はすぐに見抜かれるものと観念し、それでも鴻巣から東松山に向かう途中のバスに乗っていてたまたま見掛けたという一部省略ーカッコつけてレティサンスしてはいるもののーは含みながらも全く嘘をつかずに語るとどうやら信用してくれたらしく至って闊達に店の過去を語ってくれたのでした。30年を超えて営業するこのお店かつては吉見町の役場の方たちがそれこそカウンターの背後で立って並んで呑むほどに繁盛していたとのことですが、いまではすっかり客も入らず寂しいとのこと。ご当地らしくもとはやきとりが多く出たようですが今では客も入らず寂しいとのこと。ぼくなら自宅からこうも遠くなければたまに立ち寄りたいものですが、多くの客が立ち寄りたくなるためには、「赤城」が直球勝負で味を決め球としたようにもう少し工夫してもいいのかなと感じられるのでした。 さて、先の女将さんによるバス停案内はちょっと曖昧ですが、道は間違いようもないし、店には時刻表もないとのことなのであまり遅くなってしまいバスがなくなってもまずいので見切りで店を出ることにしました。しばらく歩くとそう迷うこともなくバス停がありますがしばらく待たねばなりません。日はすっかり落ちて周囲も寂しさを増しています。再びしばらくバスに揺られ、鴻巣駅にたどり着いた時にはすっかりくたびれていましたが、ここまで来た以上は吹上にも行っておかねばなるまいと己を叱咤して向かうことにしました。こういう場合、一人でないのは励みになるものです。 さて、初めて下車した吹上駅ですが最初の反対方面に出てしまったようでしばらく歩き回ったように記憶します。何軒かの居酒屋が見当たりますがこれといったお店もなく改めて住所を確認し、誤りに気付き慌てて取って返しますが逆側はそれこそ店の灯りなどこれっぽっちも見当たらぬ住宅街が広がっているばかりに見受けられます。これはダメかと暗く細い路地を覗き込むとそのかなり先の方に赤提灯が小さくそれでもやけに鮮明に灯っているのが見て取れました。これには驚きとともに感激すら去来するのを感じました。「若松屋」です。赤っぽいデコラ張りの広いコの字カウンターの見事なことに打ちのめされました。カウンターだけなのに数人組の客が多いのもこの手の酒場としてはやや異色の雰囲気です。かつてはこうした本格的な酒場がこの町にたくさんあったのでしょうかもしれません。今では吹上における酒場としては最後の砦としての貴重な存在なのでしょう。吹上中の呑兵衛たちがここに集結しているかのようです。いやむしろ事はそう楽観すべき状況ではなく、あらゆる場所にあってもこうした古い酒場が突如として店を畳み、酒場限界都市が多くの地で出没しつつあるのかもしれません。人類は酒からは逃れられなくても容易に酒場などあったことなどなかったかのように振る舞えるかと想像するとゾッとします。とまあこんなことは今なんとはなしに思ってみただけのことで現場ではちょっとつっけんどんな女将さんに注文を伝え、飄々とした親父の焼き物の上がりを待つのを周囲の客たちのそれはまあ嬉しそうな表情を眺めるだけで紛れもない酒場というものの至福を味わえるのでした。世の中の最後に来る酒場がここだったとしてー仮にもっと好きな酒場があるとしてもー、そのことにぼくはなんら後悔を感じることはなさそうです。エディさんにはしつこいですがお礼をお伝えしたいと思います。
2015/04/02
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さて、今回の小さな旅を決定づけた最大の理由は、桶川駅の喫茶店のことを書いたことがきっかけとなったのですから、どんなにいい加減でも見苦しい文章であっても恥を捨てて書いておいてよかったと思うことになりました。この記事にコメントを下さったエディさんのご親切に心から感謝したいと思います。さて、前回来てからそう日も経っていないので何らの感慨も湧いてきようがあるはずもなく、以前歩いた道をもくもと線路に沿って進みます。前回見逃したかもしれぬ「バンブー」は閉店し1階は駐輪場と化してます、「フォレスト幹」はまたもや休み、これは閉店したものと考えるべきでしょうか。 以前ちょっと気になった「天国」という酒場をさらに進むことをぼくはストリートビューで確認していましたのでもはや違和感はありませんが、A氏はそうとは知らずに来ているのでこんな住宅街にほんとにそんな店があるのかと不信な表情を隠そうともしませんが、そんな表情などお構いなしにさらに先を急ぎます。時間はまだ2時半を回ったばかりなので本当にやっているか期待と不安で嫌がおうにも心拍数の早まるのを抑えることができません。しかし大丈夫、情報で伺ったとおりにすでに開店しておりました。古い木造家屋に真っ赤に灯された赤提灯が二昔前のギャルたちの真っ赤なルージュのようにケバケバしく、しかし初めてなのに懐かしさも湛えておりすぐさま、くたびれた紺暖簾をかき分けて店内に入り込んだのでした。店内はカウンターに小上がりとごく標準的な造りではあるものの贈呈された酒場らしい大きな鏡などが古い枯れた酒場であることを感じさせてくれます。表の明るさに慣れた目にはやや明度が乏しく思われる店内も昼呑みにはありがたい。昼酒の回りがテキメンに出る理由は恐らく光量の度合いに影響していると思われますが、ここでは昼からでも安心して呑むことができるでしょう。この界隈では昼過ぎに仕事が上がりとなる商売でもあるのでしょうか。この日は休日の土曜なので普段とはメンツも違っているのでしょうがいずれも顔見知りなようです。品書の短冊も充実しており、ふきのとうの天ぷらなんて季節の品もちゃんとあるのが嬉しいこと。きっと近所の河原ででも取ってきたのでしょう。お通しは客の顔を見て潤いに欠けるとっちゃんには豚足、いかにもビタミン不足な我々には青菜のお浸しが用意されました。あるお客がイカリングバター焼を頼むとお隣もそれに呼応してしまうのはよく見る光景ですが、一人がやっぱりフライにしてよとねだるのに気軽に応じる辺りなかなかてきないこと。後から来た客はこの日の小遣い千円を席に着くとすぐに差し出しサワーなにやら得体のしれぬ謎のサワー多々ありーとお通し、品書にないお好み焼きを頼むとホッとしたように、入ってきた時の凶暴な表情を潜めて、一転寛いだものに変わったのでした。「スタミナ料理 ことぶき 桶川店」は、まさしく桶川にはなくてはならぬ貴重な酒場であると断言してしまいます。ところで店内に置かれたマッチには桶川店とあと一つの記載がありましたが、それはご自宅の電話番号で他店の存在の確認はまたの機会に譲ることにします。エディさんに最初の感謝です。 さて、当初の予定では吹上のお店に行くつもりでしたが、まだまだ日も高いので、思い切ってどこから向かってもーというか東武東上線の東松山駅かこれから向かう高崎線の駅からしか向かいようがないー、不便極まりない場所にあるのでした。路線バスにそれなりに揺られなけりゃならないーこう言ってはそれこそがこれから向かうような酒場を生む土壌の要因ともなった歴史さえ否定することになりそうですがーのは、不安ですがともかく鴻巣駅で下車することにしました。 駅の西口を出るとすぐにある「鳥福」に目を奪われるのですが、これは後にすれば良い。まずはバスに乗車すべきと、ここに来るとは当初思っていなかったので、まったく調べていなかったので基本的に避けているー連絡していって警戒されるのが嫌なだけー事前連絡をしてみたところこの夜も商売するようですし、バス停も確認できました。 西口のバス停から川越観光バスの東松山駅行きに乗車、荒川を越える巨大な橋を渡りー川はほんの一部ー、退屈な田舎道ーこれはまぎれもなく埼玉の一部ーを過ぎるとJAの直売所のすぐ先にわい店がありますが一先ずは目的の店に向かうことにします。とてもそうは見えませんが案外吉見町における官庁街から至近らしき場所という久米田バス停に下車します。下車する前通り過ぎるまでに、あれはなんだボヤでも出てるのかというモウモウたる煙が目に入ったかと思いきや、青いプレハブ造りの粗末なでもなんとも懐かしい店舗が目に入り思わず右足で有るわけのないブレーキを踏みしめるのでした。やって来たのは「赤城」です。この外観はストリートビューで確認できますが実際目にすると、仮にぼくが一人でこのバスに乗っていたとしたら迷わず飛び降りていたであろうけれど。長ら引っ張りますが店内の様子は外観とは幾分印象を異にして、案外小ざっぱりしています。ここの良さは何よりも東松山の誇るべきやきとりをしっかりと継承しており明らかに現地の方たちをも通わせずにはおられぬ王道ぶりであり、とにかく美味しい。店主は若く汗だくになって基本的にカシラを休むことなく焼き続けては、イレギュラーオーダーをこなすーここではやきとりのカシラ以外は酒すらおまけの品に思われます、実際車で通う客も多いですしーのに必死な姿が見ていて非常に気持ちいい。残念というか辛いのが工事現場に置かれるような移動式便所、これはなんとか改善を求めます。最後に愚痴ってしまいましたがここも最高に楽しい。エディさんに2度目の感謝です。
2015/04/01
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