全30件 (30件中 1-30件目)
1

小海線の下り列車の終着駅は小諸駅でありますが、小諸に至るその途中駅にこれほどに栄えた町があるとは迂闊にも知りませんでした。実のところ、中込駅で下車するまでここが佐久市ということすら知らなかったのだから無知であることこの上なしなのです。大体において佐久市という地名も精々が佐久長聖高校―漢字はこれで合っているのだろうか―だったかなあ、そんな学校が野球で甲子園かサッカーで国立競技場の出場校の常連だったような朧気な記憶がある程度で、長野県のこんな場所にあるなんてちっとも知らなかったし、そもそも興味すら抱いていなかったのです。旅好きを日頃自称しているけれど好きであるための最低限の教養すら持ち合わせておらぬことを残念に思うのです。そして、今ではそれはそれで良かったと開き直ってもいるのです。だって佐久市にある中込駅のことをしっかり事前に調べていたら、こんなに興奮することもなかっただろうと思うと自分の無知さが愛おしく思えたりもするのです。 そして、中込では今回お邪魔できたお店では最も印象深く心に刻まれたうちの一軒である「コーヒー 三棟」に出会えたのは幸運でした。千曲川と旧市街地中心部と思われる商店街を繋ぐ野沢橋の袂にあるので、中込の観光の中心であるぴんころ地蔵界隈を散策しようとすれば必ず通過することになると思うのですが、そもそも観光というには少なからずの物足りなさがあるので、もしかするとわざわざ足を運ぼうという方は少ないのかもしれません。しかも見た目がレンガ風の壁材でぶっきら棒に覆われた愛嬌のない建物のしかもあえて人目を避けるような外観だから視界に止まらぬ、もしくは見ても見ぬふりをしてしまいそうです。だけれども諸事情により多少の時間調整が必要なので、思い切ってお邪魔することにしたのです。内観は清楚で控えめな印象でありますが、どうもそわそわとしてしまうような空気の希薄さを感じるのでした。世界のありとあらゆる色彩が褪色していくようなもしくは物語の半ばで不躾にフェードアウトしていくような人生の黄昏とか彼岸の場所といった曰く言い難い悲しさのような気配を感じとらずにはおられぬのです。だからといってそれが消して不快なわけじゃなく、むしろ心地よく感じるのは、ぼく自身にもこうした空間を嗜好するような心性が芽生えたということでしょうか。 北中込駅に移動します。駅からしばらく歩いて「COFFEE 軽食 喫茶 雀荘 シャドー」を目指します。地図上では遠く思えますが歩いてみるとそうでもないですね。近頃は歩くのがじわじわと苦になりつつあるので近いのはありがたい。遠目にも目立つ奇抜な建物は実に魅力的だけれど、雀荘とあるのはちょっとばかりいただけないなあ、なんてことを思いつつ近寄ることにするのです。そんな懸念もどこへやら、この喫茶店でこの旅一番の思い出に残る経験ができたのであります。シャボン玉照明がセンスより吊り下げられた魅惑的な内装も素晴らしいけれど、ここでは明るくお喋り好きなママさんとチワワちゃんにすっかり気持ちが奪われてしまったのでした。その幸福な気分は写真を見ていただければ語らずともきっと伝わるだろうと思うので、詳らかにはしません。ぼくがそうであったようにきっとこれから訪れようという皆さんもきっとその多くの方が後ろ髪を引かれつつも幸福な気分で店を後に出来ると思うのです。ぼくはここに来て、再び佐久を訪れることを決めたのですが、ここから歩いて岩村田に向かい再び訪れるのはもちろんのこと、近い、本当に近い将来に来ることを決心したのでした。
2019/06/30
コメント(0)

妙典には、先般お邪魔したばかりでありますが、その後のリサーチで魅力的な酒場を知るに至りましたので、改めて出向くことにしました。リサーチの方法はというと、実に原始的かつ王道なものでありつまりは伝聞に基づいて訪れることにしたのであります。よくお喋りをする職場の同僚が実は妙典在住であるということをつい最近まで知らずにいたのですね。この文章をお読みいただいている方は、すでに店の写真をご覧になっているはずなので、説明するまでもないのですが、つまりはぼくの好む酒場のイメージというのはまさしくこれなのですよ。たまたまこのブログに幸か不幸か辿り着いた方はともかくとして、レギュラーでご覧いただけている方がいるとすれば、ああいかにも好きそうであるなあとあっさりと納得いただけると思うのです。しかし、こういうのが好きではないもしくは興味がないという方にとっては、目をそむけてしまうというよりもそもそもが視界に入り込んでは来ないもののようなのですね。だからぼくが口を酸っぱくして語ってみても、どうもその意図するところが伝わりにくいらしいのです。この妙典在住の方にも何度となく古酒場が好きなのだと昏々と説明したのだけれど、その地道な努力がようやく実ってきたようで、そのお陰でこれから訪れようとする酒場を知るに至ったのでありました。 駅前のささやかな商店や飲食店も途絶えてさらに寺町通りを行った交差点に「やきとり 寺町」はありました。それにしてもこんな物件を毎日のように通過して知らぬままでいたというのはやはりどう考えたっておかしいと思うのですね。ルックスの良さっていうのは時に腹黒さを併せ持っているというのが大体お決まりですが、こちらはどうなんでしょう。店内は、おおこれはちょっと珍しいスタイルだ。カウンター席やテーブル席もなくって全面座敷上となっており、大きなテーブルが置かれているのです。そこでは金曜会という容易にその趣旨が読み取れる凡庸なネーミングの会合が繰り広げられていて、地元の衆が男女入り乱れての大盛り上がりなのです。そんな片隅に潜り込ませていただきました。そんなおっちゃんの独りに絡まれて―必ずしも悪い意味で絡まれてはおらず、かといって御馳走してくれるほどの気を遣ってくれるわけでもない―、鬱陶しいほどの薀蓄とエロに翻弄されるのでした。普段付き合いのいいぼくも辟易とするほどでした。さて、酒はお値段の高めで肴もけして安くない中で唯一、どうしたものかエビフライだけは300円と安価なのです。どういうオチか知りたくなって注文してみると、なんとなんと驚くほどに立派なフライが登場なさったのでした。実に意外性に富んだなかなか愉快な酒場でありました。
2019/06/29
コメント(0)

荒川線沿線については、これまで実地に散策するのはもちろんですが、GoogleMapなどを活用し、かなり綿密な調査を重ねてきたつもりでいました。この「つもり」というのが良くないんですね。大体において「つもり」という単語はネガティブなイメージが付きまとっているものです。やれ、呑まない「つもり」だった、酔わない「つもり」だったなどは、定番の言い訳にもならぬ言い訳で用いる言葉だし、「腹づもり」や「心づもり」というのはそれを発した時にはすでに時遅しという未来予想を内包しているように思えるのです。いずれ行く「つもり」で綿密に調べて準備をしていた「つもり」でいたけれど、と「つもり」には、大概「けれど」という心でも腹でもいいけれどおもっていたこととはまったく逆のことを述べることを強いられる接続詞へと繋がるのです。だから「つもり」などと発する暇があるならば、すぐにでも行動すべきなのですが、なかなかそうできぬのも現実です。だから、事前にリサーチするのは現物を目の当たりにした際の感慨を削ぐという効果に加えて、重い腰を上げて行ってみたはいいもののすでにそこには跡形もなかったりという経験もせずに済むのだから余計なリサーチは不要かな、なんてことを思ったりもするのです。 なんて事をダラダラと書き綴ってみたけれど、それは酒が為させた所業なので勘弁して欲しいのです。この夜は頑張って荒川線の有力スポットである町屋の外れを散策するのです。途中、唐突に「中華飯店 一番」の灯りを見た時には救われた気分になったのですが、それはこの界隈の住宅街に入り込むとそこはまあ当たり前かもしれぬけれど住宅ばかりでほとんど飲食店など目にできぬ事を知っているからです。それはともかくとしてこの店のある辺りはけして人通りも多くないのにそれなりに飲食店が立ち並んでいます。しかし、店の気配を神経を研ぎ澄ませて探ってみてもまるで人の気配を感じぬのだから色んな意味で不安を感じなくもないのですが、そこはやはり入る事にするのです。わざわざここまで来たのだから空手で帰るのはいかにも虚しいのです。それだけでなく、ショーケースの輝きの鮮烈さをを眺めるだけでもこの店の店主の審美眼を信じたくなるのでした。思いがけずこちらのお店には二組の先客がありました。ぼくと同じ独り客は、熱心にスマホで何やらゴチャゴチャしつつも出される料理を次々と頷きながら平らげていくのがどうも食系ブロガー風であります。あと一組は母娘で昔からの馴染みでちょっとしたお祝いなんかの際にコチラを利用しているようです。とすればコチラの料理はかなり期待できるのだろうと、贅沢して点心の三種盛りを注文しました。しばらく待って出されたそれは町の中華飯店とは到底思えぬ繊細な美しさを放つ品でビックリしましたが些かボリュームに欠けるなあなんて事を思いつつ、見掛け倒しではないその素晴らしい出来に感心しているうちに案外お腹も満ち足りたのでした。 店を出て、さすがに呑み足りないなあと思っていたところに「居酒屋 姫」の看板を見つけました。路地の奥に身を潜めるようにあって、その店名に加え隣が雀荘といういかがわしさが気分を萎えさせるし、店の前に立ってみてもその構えの新しさと人気のなさで怯まされるのですが、店先に掲示された貼り紙に釣られて入店することにしました。薄暗く煮しめたような木材で張り巡らされた店内はちょっと薄気味悪い位で、しかも他に客もおらず店主と差向いにならざるを得ず気まずいのであります。でもこの方が大変良い方で、自ら貼紙のサービスを薦めてくれたのです。そのサービスというのが期間限定ではあるけれど、カツオの刺身と煮込み、そしてドリンクのほとんどが200円という破格のものでありました。お言葉に甘えて肴2品とチューハイをオーダーします。カツオは近頃、冷凍物が普及して特別感はないけれど、処理がいいのか大変味も良くて美味しかったのです。そしてちょっと少なめなのがむしろ有り難い煮込みは、これがシロコロ状態のホルモンを煮込んだ品で煮込み特有の臭みがまったく感じられず大層旨い。これならもっと量が有ってもペロリといただけそうです。じきにお客さんもじわじわと数を増し、人懐っこい常連さんもお越しになりつい2杯もお代わりしてしまいました。お勘定はといえば、そうぴったり1,000円で大満足できたのでした。
2019/06/28
コメント(0)

京成中山駅って、確たる根拠がある訳じゃないけれど場末風流を心の拠り所とするぼくのような性癖の持ち主には、実に魅力に富んだ町なのです。それなりに歩いてはいるけれど、まだまだ見知らぬ路地や雑居ビルがありそうなのです。その印象は京成線側よりJR線の南側により顕著かもしれません。この界隈を知り尽くした方にはその何処にぼくが惹かれているかなど分からないだろうと思うのです。ぼくの目にはリアリズムの迷宮に迷い込んだような冒険心が擽られるような愉快さがあるのだけれど、実のところはそれ程に面白くないという地元の方の印象が正解のようにも思えるのです。日頃、せめて都内近郊の町は我が庭のように歩きこなしたいなんて語っているけれど、もしそんなに町を知り尽くしたとしたら楽しいなんて感情が湧き上がることなどないような気がするのです。知れば知るほどに深淵へと潜入して行ける趣味もあるけれど、所詮出来合いのものをただ愛でるだけなんていう行為では、その限界は知れているものなのでしょう。でもそれでもぼくなとのような若輩者の想像力を凌駕するような、そんな酒場と遭遇できるならひたすら受け身でいることの何がいけないのだ、と開き直ることにします。というのが昨夜書いたことらしいのだけれど、何とまあ愚かしい事を自信たっぷりに書いておるのだろうと恥ずかしくなるのだけれど、例によって消しはせぬのです。さて、この夜はJRで下総中山駅にやって来ましたが、帰りは京成線を利用しようと乗り換えでいつも使う道を歩き出したのですが、ふとした思い付きに促されるように一本裏の通りを歩く事にしたのです。 ほらね、たった一筋の裏通りを歩いただけで「喜代の家」のような素敵な酒場と巡り会えるのだから、回り道するのって楽しいし、その期待に応えてくれる中山という町の潜在力に驚かされるのですね。店内は7,8名も入れば目一杯という感じでいかにも昔の駅前酒場風でその風情に触れるためだけにでも訪れる価値はあると思います。おでんなどのお決まりの肴もありますが、ここでは店の風情と女将さんや長年通い詰める常連とのお喋りこそが最高のアテとなるのです。昭和30年だったか、戦後すぐに池袋を離れて中山にやって来た女将さんの思い出話は尽きることが無く、そこには激動とか苛烈とかというような扇情的な形容とは無縁の淡々たる日々があるばかりなのですが、そんなどこまでも続く日常が語られ聞くうちにそんじゃそこらの昭和自分史とは隔絶した歴史として立ち上がってくるのを感じるのです。このちっぽけな酒場と女将の歴史はそのまま中山という町の歴史そのものなのです。なんて綺麗事を語ってみても仕方のないこと。こんないい加減な感想など読むより、女将の口から止めどもなく綴られる虚実入り混じった昔語りに耳を傾ける方がよほど町の記憶を鮮明にします。余所の町から尋ねるのもいいけれど、むしろそれ以上に中山にお住いの若い方たちにせっせと訪れていただきたいのです。写真に写る巨大タワーマンションの住人などその義務があるとすら思えるのです。ここに訪れることでやむなくして中山の住人として暮らしていくか、誇り高く中山に愛着を持って住めるかはこの小さな酒場で呑むか呑まぬかの選択に掛かっているかもしれません。
2019/06/27
コメント(0)

十条には、明らかに酒場の密集した呑み屋街というのが形成されておらず、それが物足りなさの原因である一方で、あてどもなく町を彷徨っていると唐突に見知らぬ酒場に遭遇することがあるのが楽しみなのです。例えば住宅街の暗い路地をくねくねと歩いていて、不意打ちのように出現する酒場というのはその酒場の良し悪しはともかくとして、強烈な印象を植え付けてくれるものです。この夜もO氏と闇雲に十条界隈を歩き回っていて、さすがにもう呑まぬわけにはいくまいけれど、この近隣に呑み屋などなかろうと思い始めた頃になって不意に酒場の明かりを目にして、この店の構えなどを物色することもなく飛び込むことを決めたのでした。 線路にへばりつくように細長い長屋が建っていて、雨ざらしの階段などとても魅力的な物件であります。しかしそれも遠目に見た限りのことでありまして、この暗さだと実際の物件というよりは周囲の暗さというオブラートを通して眺めることになるためか、実物とは別個の怪しさがプラスαされてしまうようです。近くに寄って「とりこ屋」をしかと目前にすると、怪しさとは対極のモダンなカフェバーみたくて、店の方には失礼ながらも失望感に苛まれたことを告白しておくべきでしょう。でも呑むとなれば気を取り直すことにします。ここは鶏の半身揚げがウリの商品のようで、手頃な呑兵衛セットもあるようですが、余りお得に思えなかったので、素直に半身揚げにホッピーを頂くことにしました。半身揚げというのは普通の鶏の唐揚げよりもむしろさっぱりとしていて好きなのですが、ここのも間違いのない旨さです。しかしまあ、この旨いというのは他店との比較に基づく旨さというよりは安定定番の旨さという具合でこの店で食べるだけの特筆すべきところはありません。そういう意味では、揚げ上りに時間を要する点に難があるのでしょうが、きっちり揚げれば食中毒とも無縁であり、しかも手間という点ではさほどのものでもないというメリットがデメリットを上回ると思うからぜひ他店でも取り入れればいいのにと思うのです。梅水晶は近頃何だかとても人気なようだけど、これなどどっかで買ってきたのをそのまま出していると思われるから、やはり少しでも手の入った品がお得だと考えるのはけち臭いだろうか。 お決まりのように「齋藤酒場」に来ると、ぼくだっていっぱしの酒呑みになった気分に浸れるから、やはり十条で呑むと立ち寄ってしまうのであります。O氏もぼくもいつだってどうしようかねえ、なんて行く前にはボヤき気味になるのでありますが、行ってみるとその居心地の良さにすっかり参ってしまうのは分かっているのです。この夜は、久しぶりにとても混み合っていたけれど、閉店時間が近付くにつれ、いい具合に空き始めてきてこのところお決まりになりつつあるけれど、われわれが最後の客ということになります。卓上には、小鉢に白と緑のうどと何か得体のしれぬ肴があるだけですが、コップ酒さえあったなら他に何がいるだろうかと思ってしまうのです。そして近頃は言葉少なになりつつわれわれはしみじみと大人の会話を交わしてしまったりするのでした。
2019/06/26
コメント(0)

東十条という町に熱に浮かされたようになって通い詰めたのも今となっては昔の話。どんなに好きな町だって一通り歩き尽くすとウンザリしてしまいます。ぼくが今住んでいる町は、子供時分から何度も引越して回ったけれど、そのどこよりも気に入っています。気に入ってはいるけれど、それでもやはり飽きるものは飽きるのです。好き嫌いという意味では人に対して抱く感情の方が明らかに鮮明であるようですが、飽きるか飽きぬかといった意味においてはむしろ人というのは飽きないと思うのです。町というものを生んで、育むのは人であるのでしょうが、その町自体は飽きが来るのが案外早かったりするのは、あまりに多くの人の意思が反映してしまうと地域性などを越えて平均化してしまうのかもしれません。通うにつれ、かつてはどことも違って感じられた東十条が徐々に何処とも変わらぬような平板な印象をもたらすというのは何だか残念なことです。 まあ、そんなかつての蜜月時代を過ぎ去ってもじんわりとした良好な関係は継続できるようです。東十条駅北口の駅前というには余りにも貧弱でとても都心の駅前とは思えぬようなしょぼくれた路地には得も言われぬ郷愁を嗅ぎ取れるのです。その駅前酒場群の一軒が「くば」という酒場でした。正直この酒場の連なりでどこに入ったかという明確な記憶など持ち合わせぬのであってどこも入っているようでもあり、見過ごしているようでもあります。ただ、この店舗が外観の魅力では最も劣るというそれだけが立ち寄ることにした理由なのです。魅力がないからこそ立ち寄っていないという理屈なのですが、以前も同じ理屈をもって行動しなかったとは断言できぬから再訪の疑念はやはり付きまとうのです。しかし、その疑念は心地よく裏切られ、まさしく初訪である事をまもなく知るに至るのです。なんて大袈裟に語っているけれど、単純に言えばここのとある肴はぼくは頼まずにいられぬ品だったから、これを食べたことがないということはここに来たことがないということの証しなのです。これとかあれとかそりゃいったいなんなんだという疑問には今お答えします。それは牛スジ大根なのでありました。ぼくは実のところぷるんぷるんした食感というのが結構苦手としているのです。だからやたらとコラーゲンの塊みたいなぷるんぷるんした牛スジ煮込みは大いに嫌悪の対象となり得るのですが、その割によく頼むのは手頃な価格が多いからなのでした。ここのも手頃な価格であるという唯一無二の理由でオーダーしたのですが、これが当たりでした。ぷるんぷるんより筋肉らしいがっしりとした噛み応えのしっかりした繊維肉が存在感があって楽しいのです。しかも味は塩煮込みであるのも大変結構なのです。ぼくは煮込みなら塩派だから歓迎すべき味わいであります。と次の予定があって肴はこれっきりでしたが、大根も食感を残して煮崩れぬ程度に存在感があって大いに結構でした。次又来る機会があればきっと寄っちゃうんだろうなあ。
2019/06/25
コメント(0)

小町屋駅については、語るべきことはほとんどありません。無人駅ホームに降り立っても激烈な田舎という程の寂寥感があるわけでもなし、逆に高く視界をさえぎるような建物もないからぐるりとその場で回ってみると大凡の町の印象がつかめてしまいそれを裏切ることもないのです。まあ1日の乗降客数が700名程度の町というのはこんなものなのかもしれません。調べてみると「プランタン」のある通りは市場大通りという立派な通りの名があるようですが、通りの端まで辿ってみても市場らしきものは見当たりません。面白味もなく住宅が広がるばかりの土地ですが、何軒か気になるお店がかろうじてあります。「みはる食堂」にしても良かったのですが、見た目のインパクトからちょっと歩いたところにある中華飯店に立ち寄ってみることにしました。そしてそれは多分正解だったと思うのです。「中華料理 龍王」は、本来であれば簡易建築材と見做されがちな―ホントに?!―トタン張りの外観で、それが実にカッコよいのです。このカッコよささえ確認できたら店に入らずとも構わぬではないかという考え方もあるのでしょうが、少しは鑑賞料を支払うのが大人の振る舞いとして正解である気がします。なんて質面倒くさい事は述べずとも当然に入ることにする。ぼくは建物の外観は大好きだけれどそれにも増して内観を重視する者であります。店内は、うんいいねえ。この何処がいいか説明するのはなかなかに厄介なのでいつもこの良さの詳述は控えてしまうのだけれど、やはり今回もそうするしかないのです。しかし、ひとつ言えるのが、この日のお客さんは夫婦連れと中年女性独りであったのですが、まずは女性客が優位な店は間違いがないようです。われわれのようなオッサン2名が小上りに、夫婦が広い卓席に独りでも隅のテーブル席でと状況や用途に応じて自在に利用できる店というのは便利なだけではなくて店内の風景も多彩な表情を見せてくれるもののようです。だから同行する人には悪いけれど、ぼくはいつも店の全景を見渡せる席を好んで選ぶのです。その分という事でもないけれど、大体において初めての店の扉を開くという重責はぼくが担うのだからそこは勘弁してもらうこととします。さて、後はもうお隣の駅のホテルに投宿するだけなので、気持ちは大いに緩んでくるのです。という事で海無し県で魚介に対する執着が生半可でないと聞く長野らしくマグロの刺身があるから頼んでみるのです。これが赤身の切身がとても一人では持て余すくらいに盛り付けられていて、噂が事実であることを確信するのですが、これがビックリするくらいに旨いのです。流通が良くなったとはいえここは中華飯店ですよ、それがこんなに良い食材が入手できるとは驚きです。定番の餃子などより余程美味いと言っては語弊があるかもしれません。じきに挙動にややというかかなり不審のある客が来て、この人には店の方も手を焼いているようで、露骨に迷惑そうな表情を浮かべていましたが、その彼のまったく素知らぬ振りで堂々と振る舞う姿に感心しつつも、酒以外の注文もせずひたすら呑んでいるのを見ると、じきにそのお鉢が回って来そうな予感がしたので、席を立つことにしたのでした。
2019/06/24
コメント(0)

小海線にある中込駅には、今回初めて下車することができました。正確を期するとすれば小海線には何度か乗車しているけれど、いつも乗り過ごして途中下車するのは初めての事なのでした。だって列車待ちするにしても本数がけして多くないから下車するのには少なからずの躊躇が生じるからでした。それに車窓から眺める限りにおいては、途中駅で立ち寄りたくなるような駅もそうはなさそうに思えたからです。しかし今回の旅でそれが大いなる過ちであったことを知るのです。というか旅の前の事前調査の段階で、どうしてこれまで来ずに済ませられていたのか不思議に思える程なのでした。昔は喫茶巡りや酒場巡りといった一流の趣味も持たず、せいぜい鉄道の乗り潰し度に精を出していたからそれも仕方のないことだったかもしれません。また、かつては今のようにGoogle MAPで沿線の商店や飲食店の分布を事前に確認は、かなりの困難を伴ったということを思えばやむを得ないことだったのかもしれません, でもそれにしたって、まさか「喫茶 明正堂(COFFEE HOUSE MEISYODO)」のような貴族の邸宅のような喫茶があるなどとは夢にも思わぬではないか。駅前には長屋ビルとでも呼ぶべき低層雑居ビルがまっすぐと伸びていて、ズラリと商店や飲食店が入っています。この流れだけでも数軒の喫茶店があるから立派なものです。駅前という立地が繁華の象徴であった時代が終焉を迎えようとしている現代にとっては、こうした集合商店ビルという生き残り戦略は案外有効なのかもしれぬと思ってみたりもします。ともあれその長屋の先に立派な洋館風の建物があってそこが目指す喫茶です。店内もかなり本格的な力こぶを思わせる気合の入った造りです。ここまで来るともはや純喫茶の粋を脱していて、純喫茶という施設が元来内包するなんちゃって感が希薄で、それが物足りないというと高望みも過ぎるということになるでしょうか。店の奥には純白のグランドピアノも鎮座しており、正装しなくていいのという不安にも駆られそうになります。2階を拝見するには至らなかったのですが、きっと1階以上に瀟洒な内装で楽しませてくれることでしょう。営業時間も9時から10時までと長く土日も営業しているのは、大変に重宝なのです。 一方、長屋ビルの2階にある「coffee & PIZZA ぽえむ」は、正統派喫茶の典型といった構えです。駅前喫茶としてこれ以上はない王道の喫茶店として非常に貴重かつ重宝します。窓からは駅の全景が眺められ、時間調整にもとても便利な存在です。列車の待合せというのを苦痛と感じるようになったのはいつからだろう。こうして窓から駅を眺めやり列車の到着をのんびりと構えて待つという贅沢を存分に味わうことができ、昔の時間を気にせず自由気ままに旅した時代を思い出して少しだけ懐かしい気分に浸れました。「COFFEE SALOON BONY」は閉業、「こまくさ」、「Pocket」はお休み。千曲川に寄り添うように歓楽街が伸びていて、少なからずの呑み屋が軒を連ねていてそのほとんどはスナックとかもっとピンク系のお店で、ぼくの射程範囲を逸脱しているけれど、それでも少なからず魅力的なお店が散見されました。さらに歩いて、川の向こう岸に行けば、ここがかつての本当の中心地であったのだろうか、古びた商店街があって、スナック化した「スナック&喫茶 バンビ」やキュートな外観の「食堂 こまどり」、そのお隣は閉業喫茶であろうか「喫茶 カド」があったり、さらには「花柳食堂」や「芳蘭」なんて渋いお店もあります。せっかくなので「元祖 たいやき 新海」でたいやきと動物やき、それとドーナツをお土産に購入。いずれもけして綺麗とは言えぬ出来栄えでありますが、見た目はともかく素朴でしみじみと美味しくていいお土産でした。あと「おきな堂」という何でもない普通の和洋菓子屋さんであれこれお菓子を買ってみましたがどれも標準以上によくできていてとても感心しました。それもそのはず、その真偽は問わぬけれど帰宅後に見た信州佐久旅の観光ガイドというサイトに「佐久市は、神戸、自由が丘と並び、「日本三大ケーキのまち」と呼ばれます。」と記載されていました。駅前には「清水屋旅館」という素泊まり3,800円の宿があるので、いずれそこに泊まってゆっくりと策の町を散策したいと思うのです。近くにある「頓珍館」は開店前から行列していましたが、いずれ並ばずにのんびり立ち寄れたらいいなあと思うのでした。
2019/06/23
コメント(0)

この夜は、学生時代からの付き合いとなるAクンと呑むことになりました。学生時分から付き合っている友人は片手に余る程度しかいないというぼくにとっては、これは稀有な機会なのであります。ぼくは自らそれを望んだわけではないけれど、結局はその程度の友情しか構築しえなかったのであります。もともとが淡泊な人間関係で満足してしまう方らしいから仕方がないのでありましょう。例えば昔の仲間と数十年ぶりに再会したとして、しみじみと感慨に浸れたかというと己の経験を振り返ってみてもそうはならなかったのであります。人は齢を取るものだから記憶の中の友と現時点のかつての友を比較してしまうのだろうと思うのです。その点、町というのはやはり同じく齢を取ったり若返ったりするけれど、いずれにしてもその移行する速度は緩やかなことが多いからその分感慨深かったりするのだと思うのです。なんて、はじめて訪れる町、妙典には少しの感慨も湧くはずもないからそろそろ本題に。 住宅街に埋もれるようにある「中華料理 かさや」は、典型的な中華飯店の趣きを損なわぬように大事に守られてきた、そんな印象を感じさせるお店です。特に際立った特徴は見た目からは汲み取れません。入れ替わりで客の去った後にはわれわれ二人が取り残されるばかりで、これが独りなら相当に寂しかっただろうと思うのです。特にぼくが腰を下ろしたのは表に向かってであり、人の気配のある厨房には背を向けているから尚の事に孤独感が嵩じたはずだと思われるのです。つい悩みを抱えた旧友の語りも声を潜めがちになるのです。麻婆豆腐―このお店では白麻婆豆腐がオススメされていたので物珍しさに流されてそちらを注文しました―なんかも別にそれと意識したわけではないけれど、音のしない中華料理の典型です。余談であるけれどこちらの料理は定番に進取な味付けを積極的に導入しているようですが、惜しいことにまだその意欲は達成には至っていないように感じられます。料理人の姿は目にすることはなかったけれど、会えたなら激を入れたくなます。でもそんなことをしたら物静かな若い奥さん―かな?―を悲します事になりそうですから、お会いできなくて幸いだったのかも。
2019/06/22
コメント(0)

都電の荒川線沿線は以前はしょっちゅう呑み歩いていたものです。しょっちゅうという割には、しょっちゅう呑み歩く程には酒場はないではないか、と沿線の住民や地縁のある方ならお思いになる事だろう。そうなのですね、まさにそれが理由で近頃はこの沿線での酒場巡りには見切りを付けていたのであります。実のところ、かつて並行して喫茶巡りを行っていたのですが、その道中に気になる酒場を散見していて、その何軒にはお邪魔しているけれど、先般放映された滝野川一丁目電停に程近いこの酒場の存在はすっかり失念していました。きっとそんな取り零した酒場がまだ少なからずあるのだろうなあ、という反省から、最近になってまた荒川線の沿線を再訪していたりするのだけれど、それはまだ先の報告に譲ります。ともかくも今語られるべきは滝野川一丁目電停から程近いおかしな外観の酒場のことなのです。 というか、実際の店の雰囲気は番組の方が臨場感を持って直接的に見て取ることが出来るからここでは、実際にお邪魔したぼくの経験との差異を語るのが良さそうです。番組でも目立っていた寄れった文字がユーモラスでありながら赤味が妙にエロチックな袖看板やもつ焼の文字が鮮明に記される暖簾に目が奪われます。もつ焼をなのってはいますが、今では「季節料理 よだ」を前面に押し出しているようです。カウンター席と奥には座敷もあるようですが、ぼくの見る限りではそこが使われることは稀に行われる常連たちの会合くらいではなかろうか。だって最初から最後までぼく以外には一人の客しかいはしなかったからです。まさにその事を店の女将は語っていました。番組放映後に混み合って常連さんが離れたらどうしようかという杞憂をお持ちのようで、実際この酒場をまだ訪れてもいないのに、次週―この酒場の撮影前に他所の酒場に立ち寄っていたらしいから順番が逆転しているのですね―放映される酒場はどこなのかをしつこく尋ねる女性からの電話が掛かってきたらしく、いくら知らぬと答えてもしつこく問い詰めてくるのだと、放映前に既にして後悔しておられました。すっかりへろへろになって現れた吉田類氏にも思うところがおありのようでしたが、それは伏せることにします。直接お話を伺ってみてください。そうそうこの店の特徴的な丸窓について、ここが元は飲食店ではなくなんかの向上とかクリーニング店だったとか伺ったのですがうっかり失念してしまいました。お聞きになられた方がいらっしゃったら教えてください。まあ自分でまた行けばいいだけの事か。ホッピーを頼むと、おやおやなんとすごい焼酎の量だと少し怯みますが、呑んでみると氷の量も多いのできっちりナカを2回追加してしまいます。自慢のもつ焼は女将さんが担当。これがいやはや抜群に美味しいのだ。タンにはお酢をまぶしてくれてこれが案外さっぱりとして脂を流してくれるのです。うど酢味噌はオヤジさんが調理してくれます。陽気そうに見えるけれど案外寡黙で、お喋り役は専ら奥さんがおつとめのようです。さてそろそろと思って立ち上がろうとすると野草茶割お呑みにならないと誘われて断るようには生まれついていません。しからばとお願いすると冷蔵庫にはサントリー角がズラリと並んでいて、その1本を置かれると、どうしてもなるべくたくさん呑んであげたくなるけれど、焼酎の量がねえ、いくら呑みやすいと言ってもそうガンガン呑んではヘロヘロどころかベロベロになってしまう。ということで、サントリー角の中身はあまり減らずに勿体ないなあと思ったら、帰宅時にドレッシングの容器にびっちりとそのお茶を詰めてお持ち帰りにさせてくれたのでした。しっかりお茶は一本分のお値段を支払うことになるみたいだけどね。当然、自宅で美味しく頂きました。
2019/06/21
コメント(0)

獨協大学前という少しの愛想もなく、将来に亘って愛着のもてそうにはさらさらない駅名について、これ以上とやかく言うことはよすことにします。すでに名付けられたものは、それを一切合切を世の中から消し去ることはもはやどうしても叶わぬことは歴史が語り伝えるところであります。だからこそ迂闊な改名や愚かな命名は周到に避けるべきということは、世の権力者たちには胆に銘じていただきたいところであるけれど、それを今さら語ったところで詮無きことであります。さて、先日来たばかりのこんな憎まれ口ばかり叩いている町にどうして再び訪れたかというと再びではないのでありました。先般の森尾由美の酒場と中華飯店に立ち寄った後に勢いに乗じて、久々に新田駅界隈で呑もうと歩き出したのでありますが、新田駅に近付くどころか獨協大学前駅の支配下に過ぎぬような町外れで珠玉の物件に遭遇したのでありました。 トタン張りの外観が堪らないノルタルジーを喚起する「家庭料理 たてやま」を見てしまった以上はそのまま過ぎ去ることなどできないでしょう。仮にヘロヘロだったり、終電直前だったりで見過ごさざるを得なかったとしても、翌日になれば気掛かりで仕方なくなりやはりその日のうちに出向くことになるはず。そんな時に限って休業だったりして、難儀する羽目に陥るに違いないのだ。違いないという根拠はないけれどその位の悲運に見舞われることを覚悟した方が良いのだ。ということで店内に足を踏み入れるのだけれど、中に入ればなんともアットホームな空間でもっとギスギスと身構えたくなるような空気感を期待していたせいかいささか拍子抜けなのであります。席に着くとまずはおしぼりを出してくれて、早速に酒の注文をせがまれます。酒が届くと同時に矢継ぎ早にポテサラや枝豆などが眼前に並ぶのでありました。完全突出し式のお店のようです。これってぼくのように好き嫌いのない者にとっては悩む余地もなくて気楽ではあるけれど、勘定書きが常に気掛かりなのであります。結論としては、予想通りでホッとするというかがっかりしたというか。まあ、それはそれとして元気な女将さんと愉快にやれるせいか混み合うことはないけれど、途切れることなくお客さんがお越しになるからやはり年季の重みというのは強いもんだと感心しました。 それで変えればよかったのだけれど、久し振りの東武伊勢崎線らしい酒場での呑み歩きに軽く興奮していたらしいぼくはもう一軒、立ち寄ることにしました。先の酒場とは目と鼻の先の位置にある「やま廣」は、いかにもなもつ焼酒場でありまして、特にどうということもなさそうだけれど、寄らぬ手がないとは思える程度に気になるお店ではありました。この沿線には「加賀屋」系列の酒場が多くてほとんど店名からはその痕跡を認めることはできぬけれど、直感的に嗅ぎ取ることが出来たのは、その系列に名を連ねる「加賀廣」を無意識に連想したのかもしれないし、目につく場所にキンミヤのロゴを目にしていたからかもしれません。かなりの繁盛振りで、しばしの待機を余儀なくされますが、待機と言っても大テーブルの片隅で呑ませて貰えます。そしてその間に注文を取りカウンター席に移るとすぐにそれが出されるという、誠に理にかなった合理的な客あしらいが出来るなかなか段取りのしっかりしたお店に思えて少し感心しました。とか書くとすごいエラソーだなあ。そのせいか、店の人に任せておけば大丈夫だろうと常連達はすごくリラックスしておられ、隣席の女性客は少しくはしゃぎ過ぎだったように思えます。あんまり悪ふざけが過ぎると店の方に見捨てられるんじゃないの。まあ、今のところは店長らしき人に構って貰えているようだけれど、落としたお金もぼくより少ないのに散々粘っていたからね。店の方がしっかりとしたルールで応対してくれるのだから、客にもマナーが必要だということを思い出させてくれました。
2019/06/20
コメント(0)

下総中山は、ご存知の方はご存知なように総武本線の駅がある町です。それは余りに不親切な説明なので、ちょっと観光ガイドをすると駅の北口を出て京成中山駅の先には長い参道の向こうに法華経寺があり、ここは中山三法類の縁頭寺であるそうです。中山三法類の縁頭寺も何か知らぬけれど、知っておくべきは日蓮との関わりかと考えるのだけれど、実のところはその関わりについてウィキペディアでお勉強した程度では良く分からんのでした。境内には鬼子母神も祀られ、江戸三大鬼子母神のひとつに数えられるそうです。あとの2つは入谷と雑司が谷であると思うのだけれどこれまた自信がありません。と、全く観光案内の役目を果たしてはおらぬけれど、歴史のある土地ということだけは知れたからまあ多少はこの地のイメージが伝わったかと思うのです。いや、そんなことはなかろうという意見はここでは無視して、この夜、中山にやって来たのは、今年照準を当てている東京メトロ東西線の番外編としてであります。東西線沿線は未踏の地も少なくなく、この報告がアップロードされる頃には数箇所は巡っていると思うのだけれど、お約束はできぬのです。ともあれ、何度か訪れている中山の未訪店を数軒ハシゴできたので、その一軒をまずは報告することにします。 一枚目の写真をご覧になった方は、菊正宗のロゴが刷り込まれた「旬彩酒肴 いわき」にお邪魔したかとお思いになっただろうと思います。しかし、それならそれでよかったのですが、この夜は「味達」により惹かれたのでした。両方入ってしまっても構わないのだけれど、近頃はかつてのような貪欲さは影を潜めつつあります。昔は一晩に五軒とか六軒とかまあ卑しくもハシゴして回ったものですが、そんな忙しない呑み方に嫌気が指してきたのであります。というのは綺麗事というか気取ってみせているだけで、実際にはいくつかの条件さえ折り合いを付けられるのであればそうしたいのはやまやまであると告白しておくことにします。とにかくもう中華飯店の基本形ともいうべき理想的な姿を今に留める外観とその店内の様子にうっとりとするしかないのであります。ぼくは居抜きの店というのは、いくら見栄えが良くてもどうも素直には評価できかねる心の狭い男なのでありますが、ここは何故か好意をもって受け止めることができました。といって主人が飛び切りの好人物とかそういったのではない。むしろ大陸風の大声と傍若無人な態度で曲者と呼ぶべき部類の人であるのだけれど、それもどうしたものかこの店ではしっくり感じられるのです。たかだか餃子なのにやけに時間の掛かるのが気になるけれど、強気な商売を見直す気配すらないこのお店では選択肢は極端に限られるから致し方ないのです。量はいらぬがもう少し値段を抑えてもらいたいのだけれど、そんな人の意見など聞く耳はもたぬのだろうなあ。客も客で、いずれも曲者揃いでありまして、店の主人と毒舌の応酬を交わして楽しむという困ったオヤジとそれを全く平然と無視してしまう息子のコンビなど世の中にはいろんな連中がいるものだと感心するばかりなのでした。グループで行くのが似つかわしいお店ではないけれど、もう少し楽しむには2、3名で行くのが良さそうです。
2019/06/19
コメント(0)

またも松戸で申し訳ないのですが、今回は少しだけ皆さんのお役に立てるかもしれぬ情報を含んでいるかもしれません。ところで駅前という言い方が良く使われるけれど、どうもこれがぼくにはイメージし難い言い回しなのです。一般的には繁華で賑やかな町が広がる側を駅前とよんだりするようですが、それに不快感を表明し東西南北で呼び習わそうという傾向があります。例えば仙台などもそうで、小学生の頃にばくは仙台駅の東口側の寺町の片隅に住んでいたのですが、当時その辺は駅裏と呼ばれていました。ぼくにはそれはもっともな呼び方と思えて一切反感を抱くような事もなかったのですが、その後、地元の方の訴えで東口と呼ばれるようになったらしい。ところが松戸の場合はいささか事情が違っているようです。行政の中核が東口にあり、商業の中心は西口にあるせいか、町の役割が上手く分断されているのです。それには松戸駅周辺が西に江戸川、東に相模台と呼ばれる台地に封じ込められるという狭隘な土地であるという理由もあるのだと考えられます。それはともかく通常は鉄道を中心とした公共交通機関を利用する者にとっては、未だに町の中心は鉄道駅であるという印象がありますが、町などというのは中心がない方が絶対に面白いのだし、駅を起点にすると見落とすものも少なくないのだと、どんどん論点がずれているので、話を無理矢理引き戻して、松戸駅の行政の中核地たる駅東側の激安酒場を標榜するお店へと向かうことにしたいのです。 というか、これから向かおうとしている「激安酒場 福宝苑」は、実は激安立呑み店「ドラム缶」の激安ならざる松戸店にお邪魔した後に立ち寄ったのでありますが、本来は同時に報告する予定がどうした手違いからか失念してしまいましたが、こうして分割してしまう羽目になり誠に申し訳ない次第なのです。誤ったからこの話はここまでにして、店の一番目立つところの看板に激安酒場とあるけれど、その自身はどこから来るのだろうか。どうやら500円でドリンク1杯と料理1品がその所以らしいのです。確かに安いことは安いけれど、激安というには物足りぬ気がします。パッと見にはこれだけでも安い気がするけれど、よくよく考えるとそう安くもないんじゃないか。しかも料理の量はレギュラーサイズよりもかなり控えめなのであります。その割には棒棒鶏は立派なボリュームだったから、まあ肴については文句はないというものです。しかし、ドリンクが何を呑んでもいかにも薄いのだ。こうなると安全な瓶ビールや日本酒も疑ってかかるのは人情です。ならばと紹興酒を奮発したのですが、これが今なら半額というのだ。つまり1本の料金が通常は900円ちょっとだっただろうか、だから500円しないというのはなかなか良いし、しかもこれだけは薄くはなかったからこれはなかなかの激安商品と認めても良いと思うのです。ただし、これは期間限定ということなので、注文の際は確認することをお勧めします。
2019/06/18
コメント(0)

飯田には、安否不明ながらもたとえ閉業していようともその物件を眺めるだけで惚れ惚れしてしまうような、魅惑物件に事欠きません。しかし、今回は中華飯店にて思わぬ長逗留を余儀なくされたので、魅惑物件たる古酒場ウォッチングは、断念せざるを得ませんでしたが、駅前通りを歩くだけでも激しくぼくの気持ちを揺さぶってくるような酒場と巡り合うことができるので、そちらを散策するだけでもそれなりに堪能することが可能なのでした。駅前通りから逸れる路地に「憩の我が家 小舟」があったことは前回把握していたので、当然到着後すぐに通り抜けてみました。その際には、硬く戸を閉ざしていたのに、次の列車まで1時間というところでまたも通り過ぎると、おやおや今度は暖簾が下がっているじゃあないですか。これはもしや早くも営業を開始しているのかと、ガラリと遠慮なく戸を開けたところ女将さんがギクリとした表情でこちらを見遣りました。その瞬間店内を見渡したのですが、存外平凡で小体な駅前酒場風のお店でありました。悪くないけれど、特別感は余りありません。こういう店って案外値も張ったりするんだよなと思いつつ、もうやってますかと問い掛けると、まだ開店前なのよと仰るではないか。実はここに来る前にも何軒かの酒場で同じようなことがありました。暖簾を掛けるという行為は開店の符牒であるというぼくの認識は少なくともここ飯田では通用しそうにないようです。「〆清」は、今でこそ建て替えられてしまい外観からはかつての面影を脳裏に浮かべることは困難ですが、一歩店内に足を踏み入れるやその数多の客たちがその痕跡を染み入らせてきたコの字カウンターなどに目を奪われると同時に一挙に駅前酒場としての確固たる存在感と実力を意識せざるを得ないのでありました。夕暮れ前の午後三時の営業開始にだけ惹かれて訪れたぼくなどは思いがけぬ眼福に有頂天となるのですが、この酒場らしい酒場のもたらす幸福はこれに留まらぬのです。それを語る前にこの営業時間について少し語っておきたいのです。と言ってもそれ程大層な事を語ろうとする意図などは毛頭ないのでそんな戯言に付き合えぬ方は読み飛ばして頂いて一向に構わぬのです。世間では昼呑みとかいって雑誌などで特集記事が掲載される事もあるようですが、そうして紹介されるのは専らに都心とかの大都市のオフィス街界隈がほとんどであります。時折、地方都市の角打ちや夜勤労働者の多かった赤羽などの独自の呑み屋街が成り立つ土壌というか基盤のあった町などでも普通に昼呑みが出来たりして、それが観光化されたりもしています。ところがこの飯田はそんな日頃身近に接しながらも、違和感というか若干の嫌悪すら感じたりもする東京の昼呑み酒場とは少しも似てはいないように感じられるのです。いや、それは言い過ぎかもしれず、それどころか、無理にこの酒場の意義を見出そうと事実を捻じ曲げようとしている気もします。われわれがこの日の一番乗りで開店後のしばしの間は客などおらずともただ開けているだけといった状況だったのでしょう。でも、客がいようがいまいがやっているというその安心感は酒呑みには大いなるギフトなのです。でもここの楽しさはそればかりじゃありません。信州の味覚である馬の腸の煮込みであるおたぐりは当然のことに、馬肉ソーセージまであるんだからぜひとも食べずにはおられるまい。おたぐりの独特の臭気はかなり曲者だけれど臭いものにはチャレンジ精神が刺激されるばかりでなく、すぐさま酒を含みたくなるのです。誤解を招くかもしれぬが、何もこれはおたぐりが臭いから酒で流してしまうということを意味しておらず、臭いから酒が進むということなのであります。そうするうちにわれわれ同様の東京からの観光のお客さんが来られると、続けざまに地元の方も続々と訪れていつしかほぼ満席の盛況ぶり。やはり長く続く店にはそれ相当の魅力があるということです。
2019/06/17
コメント(0)

陽も長くなったGWの夕暮れ時に小町屋駅に到着しました。前回、うつらうつらとしつつもこれからお邪魔しようとしている一軒の喫茶店を目撃していなかったら今回の旅のプランを立てることもなかったはずです。この喫茶店もそうだけれど車窓からひと時のぞめた駒ヶ根の町の光景が視界に焼き付いてなかなか消え去ってくれなかったのです。前回は駅に列車が滑り込んだ時に下車するだけの準備も気力もなかったけれど、今回はお隣りの駒ヶ根駅のそばに宿をとっています。他に降車する人のない小野町駅を下車するとすぐそばに目指す喫茶店がありました。「Coffee プランタン」というなかなかにモダンな店名を持つ駅前喫茶は、しっかりと営業中です。前回はお盆の季節だっただろうか、その際も多くの店が閉まっていたのにここは営業しているのが見て取れたので、喫茶好きに幾分敷居の低めの入店可能性の高いお店だと思われます。しかし、それでもなおこの無人駅に下車してまで喫茶を訪れるのは、相応の覚悟を要求されるのです。写真で見ると白いソファが鮮明な印象でとても良い雰囲気に思えるかもしれませんが、実際に見ると案外淡白な感じがあります。というのが、自分が着いた席がコテージとかに置かれるようにちょいと味気のないシロモノだったからです。でもそれでもここには、厄介な駅で下車してまあ良かったなあと思える程度の魅力があったことは否定しません。というか、これまで飯田線を乗り継いで旅した喫茶マニアもいるはずだけれど、どうしてこれまでここを無視し続けられたか疑問でならぬのです。と、こんな高邁な書き方をするといくらでもアラをつかれそうだからよすことにしましょう。ともかく少しばかり都内からは便が悪いといっても、それでも都内の普通の喫茶より余程に志の高いお店に出会えて満足なのでした。 さて、欲張りなぼくは小野町駅のそばの駒別な店で一杯やることになるのですが、それは酒場篇にて報告したい。夜道を少し不安になりつつ歩いていると廃れかけの呑み屋街が見えてきます。そろそろ駒ヶ根駅も近いのではなかろうか。やはりそれは間違いではありませんでした。でもその道中が余りにも想定よりも寂れていたので投宿後の予定が不安になります。駒ヶ根では事前調査の喫茶は投げ売って、とにかく酒場巡りに集中するつもりだったのです。 しかし、予約したホテルで一段落すると、もうとにかく気になった店ならどこででも立ち寄ろうという気になるのだら愚かしいものです。翌朝は5時過ぎには駒ヶ根駅にて列車を待ち合わせねばならぬのに、気になるとこならどこにでも行ってやろうと開き直るのだから質が悪い。しかし、それを幸と捉える程には落ちぶれてもおらぬから、辿り着いた駅前の商店街の衰退振りにはある程度の覚悟はしていたけれど、それに輪をかけて長い休日という事も影響してかやっている店がかなり少ないのです。そんな中にありながら、「Tea Lounge ムーミンPaPa」という気怠くなりそうなお店は飄然と営業していたのです。普通なら見向きもしないタイプのお店ですが、そのとにかくいつだってやっているという安定感に敬意を表するためにまずはここに立ち寄ってから、呑みに向かう事にしたのです。2階に上がる階段を登りながらきっとここはスナック寄りのお店なんだろうななんて事を確信を持って臨んだのですが、入ってみるとオーソドックスながらキチンとした店である事を確認し嬉しくなるのです。余計な飾りもなくスッキリとしていて、店名のもたらす印象からは程遠いくらいでやや物足りないくらいです。実際にそうだとしたら、無論これほどの好意は抱けなかったはずなのは分かっているけれど、見てみたかつた気もするのは望みすぎでしょうか。明るい日差しの差し込む時間にこの窓辺から通りを往来する人々を眺めるのはきっと気持ちいいだろうなあなどと思うのです。さて、この後、二軒の酒場に立ち寄ってからホテルに戻った時にもここはまだ営業していたのです。
2019/06/16
コメント(0)

上野という町は、良くも悪くもいつだって活気に満ち満ちていて飽きるなんて言っている猶予すら残されていません。いつ行っても変化があるし、うっかり半年近く近寄らずにいると随分と眺めが違って見えたりする。でもそれはぼくのような古くからの酒場に強く反応するようなタイプの者には必ずしも歓迎すべき状況ではないのであります。至極代わり映えのないことを語っているけれど、それだけ変化が激しいということは古くからの酒場も次々と世代交代を余儀なくされているということを示しているのかもしれません。とはいえ上野のすべての酒場を知り尽くしてなどいないのだから、自分にはもはや上野には知らぬ古酒場などありはしないと思ってみても、歴史はあるけれど建物が新しいなんていうお店が有ったりするやもしれぬ。まあ、歴史ばかりあってもその情緒を留めておらぬ限りは興味も湧かぬからそれはそれで構いはせぬけれど、いい加減多くの店に行っているのだから多少なりともウンチクなど語ってみせるようでないと格好が悪いじゃないか、なんてことを思ってみたりもするのです。と話が飛びまくって収拾がつかぬから、今後有望な酒場について報告しておくことにします。 アメ横を歩くながら周囲を見渡すと、食材店では以前見られなかったほどに多くのお店で飲食できるスペースが設けられているのですね。こういうのって表から眺めると楽しそうに思えるけれど実際にそこい身を置くと案外、面倒が多かったり、不快だったりもするのですね。やはりぼくは基本的にはちゃんと店舗を構えているのが好みです。特にこれからの季節はうっかり見掛けの楽しげな様子に誘引されては酷い目に遭うばかりです。だから新しくて趣味とは程遠かろうとも「もつ焼き 煮込み ヤリキ上野支店」の方がきっと納得のいく呑みになると思うのだ。と書くと気に入ったように思われるかもしれぬが、そして確かに将来有望と思われる余地もあるが、結論としてはこのままでは客が離れるのもそう遠くない将来のことと憂慮するのであります。なにが問題か、それは従業員が少ないとは言えぬにも関わらずとにかくやることなすこと対応が遅いように感じられるのです。それが如実に影響するのがもつ焼の注文への対応で、わずかな串を焼いてもらうだけなのに30分以上を要するのだ。まあわれわれは空いているうちに入ったし、注文内容もすぐ出るものは的確にオーダーしたので余りインターバルなくスムーズに呑み食いできたからまあ良かったけれど、酷い人は延々と待たされていたし、果ては注文は受けられぬと断る始末となると事は重大であります。ここはとにかく旨いことは間違いないのです。安くはないけど旨いからその点については文句はないけれど、とにかくいつまでも待たされるのは酒場として決定的に欠陥であります。なんとかしないと将来は危ういと思うのだけれどいかがでしょう。
2019/06/15
コメント(0)

駅名の改称というのはなかなかに厄介な工場や裏取引を要するらしい。そんな面倒で生臭い話には、ぼくは少しの興味もないのでありますが、多少とも馴染みのある駅名がいつの間にか変わっているのを知るとその経緯を知ってみたくなる程度には好奇心が疼くのです。ぼくの知るこの地の駅名は松原団地駅であります。東武伊勢崎線の駅ですね。で、改称された新しい駅名は、「獨協大学前駅」で副駅名は「草加松原」となっています。以前の駅名が好きだっただけに悔しいのです。経緯についてはネットでいくらでも情報が拾えますが、どうやら獨協大学と東武鉄道の結び付きはとても深くて東武鉄道の社長だったか会長が同大の理事でもあったようなのですね。まあなんだかつまらぬお話でありますが、地元の方はすんなり納得したのでしょうか。もとの駅名が好きなのには、そこに団地が含まれているからかもしれません。日本には、他にも宇治団地前停留場,牛渕団地前駅,工業団地駅,志津川中央団地駅,武庫川団地前駅,山口団地駅などがあるようです、思ったよりも少なくはないようですが、工業団地駅は文字通り工業団地だろうから他についてもいずれその成り立ちを調べてみたいと思いますが、とにかく鉄道駅で団地と付くのはちょっと愉快な感じがします。路線バスの停留所であればそれもちっとも珍しいことではなさそうですが、鉄道の駅名になるんだからどれほど巨大な団地群が広がっているのか、想像力が掻き立てられるのです。その想像を掻き立てる要素が新しい駅名には希薄なのです。とまあひとしきり東武鉄道の路線名や駅名のセンスを腐しておくことにします。 さて、前置きが長くなってしまいましたと一応は反省の姿勢を示しておきますが、なんの事はないいつもの事です。駅名の改称などということは「串焼 ひろ」にとっては些かの影響ももたらさなかったのではないか。いや、もしかすると当店を実家とするとかいう森尾由美さんが新駅名のセレモニーなんかに参加するなど間接的な営業はあったかもしれぬけれど、それを詮索するまでの興味などないのです。近隣の住民である知人が語るところによるといつも繁盛しており、入店困難とか言われているのでダメもとの覚悟を持って不退転の決意で出向くのであります。そしてそうした情報は得てしてアテにはならぬ事を改めて認識するのです。カウンター席には数名がもういい加減で呑んでいるけれど、噂にある地元の常連ばかりで一見客にとって敷居が高いというのも少なくともぼくには少しも当たらぬのです。その要因としては娘さんと似ているか似ておらぬかはともかくとして、その御母堂の明るく人懐っこい応対にあることは間違いないのです。そうした人柄は確かにテレビで目にする娘さんに受け継がれているようだし、よくよく見ると、その目元などよく似ているようにも思われるのですが、余りまじまじ見つめるのは無作法と感じる位は弁えています。さて、焼物がウリのようですが、カウンターの目の前に豆アジの唐揚げ見るとそちらに誘惑されてしまいます。近頃カルシウム不足だから身体が求めたのかもしれません。どんなに旨そうに見えても豆アジの唐揚げは豆アジの唐揚げに過ぎぬわけですが、それでもこういうのが酒場では大変な御馳走に思えるのです。森尾由美さんが天真爛漫に育ったのはさもありなんなことです。 もう一軒、しばらく歩くと「中華飯店 山水」がありました。スタンダードないわゆる町中華とはちょっと趣を異にする、でも今時のセンスではあり得ぬタイル張りのお店になります。現代人の感性ではこういう外観って余り飲食店という感じがしないけれど、古いお店では時折こうしたシャープな印象のお店を見掛けることがあります。まあ、店内に入ってみると至ってオーソドックスな町の中華飯店のそれなので、このお店のできた当時のセンスに郷愁を感じれば余計な詮索など不要なのです。さて、席に着くと奥の方にいる店主にシューマイとビールを注文します。先日、どこかの雑誌で平成はギョーザの時代だったが、令和はシューマイの時代になるといった眉唾記事を目にしたけれど、ぼくはもとより餃子より焼売派であることは常々語って来ました。その割には餃子の方が出現率が高いと思われるのには理由があります。焼売は出来合いの品の出没率が高いというのがその理由であって、実際のところ、スーパーの100円の出来合いものであるかどうかなど見分ける舌は持ち合わせぬのだから杞憂するのは傲慢というものかもしれぬのです。だけれど、手製の品であっても出来合いのものと思い込んでしまうとそう思えてしまうのが焼売の良さでもあり、残念なところでもあるのです。こちらでは一人前でもセイロで出してくれるので、お手製であるのかなあなんて思いたくなるのですが、そんな保証などどこにもないのです。だけれどぼくはまんまとお手製だと思い込むことができたので、既製品以上に美味しく頂けたのは結構な事でした。後ろの席ではサラリーマン3人組がやけに深刻ぶった議論を交わしていて、どうもその深刻ぶった様子とテーマがかみ合わず聞いていて消化不良を起こしそうなので、ちょっと物足りぬけれど、席を立つことにしたのでした。
2019/06/14
コメント(0)

この所、北松戸とか松戸で呑むことが多くて、だからと言うのは言い訳めいているけれど、どうも書いていて気分が乗ってきません。それは書く方もそうだけれど、きっとお読みになられている皆さんも同様だと思います。でもご安心下さい。それももう少しです。こんなに何だかんだと毎晩呑んでいて忙しいなどと宣うのはちゃんちゃらおかしいとは思いますが、それでもここしばらくは結構な多忙な日々を過ごしてきたのですが、ようやくそれも目処が付きそうです。できる事ならこのブログの記事も10日分位、書き溜めておければ気分も楽にリラックスしたものを書けるのですが、今は朝の通勤時にその日、もしくは翌日分を必死になって書くものだからどうにもいい加減なものになりがちで、だとすれば内容が退屈なのは松戸とか北松戸のせいとするのは、ズルい逃げ口上でしかないかというとやはりこの地域ではなるべく呑むのを控えたいと思うのでした。なので北松戸でどうしても近寄り難く、ぼくの抱く居酒屋のイメージとは掛け離れたお店に行っておくことにしました。 こういう洋風というよりはアメリカンな外観のお店はなんと呼ぶのが適当なのでしょう。余り行き慣れぬタイプの酒場なので適当な呼び名が浮かんで来ませんけど、カジュアルバーとかで構わないのでしょうか。店には一般に介錯されているとは言い難いのですが酒BARと看板に書かれているから、やがてはこれが普及する可能性はあります。「酒BAR Gino」はそんな雰囲気の酒場なので敬遠していましたが、近頃内装工事を終えて店の前にも値段の記された置き看板も出すやうになり、チューハイが300円など手頃であることを知ったのでお邪魔することにしました。かつてはカウンター席のみだった気もしますが、表から覗いただけなので断言は避けます。二人掛けの止まり木風テーブルも設置されていますが、不安定なそこよりは真っ当なカウンター席が気軽そうです。小学生の娘さんがリビング代わりに店内をチョロチョロしています。そういうのを嫌う酔客も少なくないようですが、その点においてはぼくは寛容な方です。犬とか猫と一緒にしては悪いけれど店のマスコットみたいな存在と思えば可愛いものです。その両親でやっていて、父親が調理、母親がフロアー係です。前者が寡黙で後者が如才なく振る舞うという様も定番です。肴はピザなどが主力らしいけれど刺身なんかも揃っていて、酒もワインからホッピーまで用意されていて、特に酒は手頃で悪くありません。腕がいいとか褒めるような品は頼まなかったのですが、肴もちゃんと美味しいし何だ来てみれば悪くないじゃんか。酒BARとかじゃなくて洋風居酒屋とか名乗ってくれればもう少し早くお邪魔していたかも。なる程、意識してみればここを通る際に見遣るといつだってそこそこにお客さんがいるし、それも納得なのでした。 でもやはりそれだけでは気が済まずお気に入りの「中華料理 天津」に立ち寄ります。ここは何度か書いているのでさして付け加える事はないけれど、酒呑みが好む品をちょいと濃い目の味付けで出してくれてとても酒が進むのです。ホッピーも中身の量が以前ほどではないけれどかなりたっぷりめなのもケチなぼくには嬉しいところです。帰宅客の姿をよく目にしますが、もうすぐ自宅なのだから帰ってからゆっくり呑むなり食事するなりすればいいと思わぬでもないのですが、ついついここの味を求めてやってくる人たちの気持ちは実際良く分かるのです。
2019/06/13
コメント(0)

またも松戸の酒場で呑むことになりました。呑むことになったなどと書くと誰かに付き合わされたとか、意に沿わぬのみであったといったあらぬ誤解を抱かせてしまうかもしれないけれど、そういう意図はないのです。ないと書くとそれもまた何か違うという気もするのだけれど、自分の意思で臨んで新規オープン店に行くことにしたのだから愚痴っぽいと疑念を持たれかねない言い方はよせばいいのだけれど、きっとそうした言葉の端々に松戸への諦念と倦怠が露呈してしまうのであろうと思うのです。ちなみにここでいう松戸というのは松戸駅の周辺部という限定的な松戸のことであって、松戸駅以外の広範な松戸にはまだもう少しは無い物ねだりのぼくをして喜悦に至らせるような酒場があるものと信じているのですが、なかなかそこまで活動領域を拡大できないでいるのです。なので、松戸駅の駅から5分程度の場所に新しく酒場がオープンするとなれば、嬉々として足を運ぶのが気分良く酔うための秘訣に違いないのは分かっているのですが、ぼくの身体の奥底に巣食う淀んだ魂は隠しおおせぬまでに濁り切っているのであります。 てなわけで都心だったら新しい酒場などそこら中に筍のように出没しては消えるを追い切れぬまでの勢いで繰り返しているけれど、松戸はどうもその辺がのんびりしているようです。ところで、今度開店したのは、「立ち飲み居酒屋 ドラム缶 松戸店」だったのでした。ぼくも少しも追っかけではないし、虱潰しにしたいつもりはないけれど、小岩本店を始め、金町店、江古田店、すでに閉店した池袋北口平和通り店などにお邪魔しているのです。この系列は店のコンセプトはある程度までは一致するけれど、比較的に縛りが緩めで案外飽き難いところが好みです。共通するのは、止まり木がドラム缶であること、品書きが基本的に短冊が貼られていること、多様なチューハイ類が150円~であること位のように思われます。逆に肴に大きな差異が生じるようです。池袋のお店ではインド料理なども供されてとても楽しかったので閉店したのは残念です。もう一つ、酒の値段は一緒でも量が全く異なるのです。たっぷりならいいけれど、グラスが小さいとお得感が薄れるのは当たり前のことです。そして、ここ松戸店は品数が他店と比して圧倒的に少ない―せいぜい10種類程度―、盛りが圧倒的に少ない―タクアンはペラペラなのが4切れ―、チューハイが小ジョッキ程度のロンググラスととにかく、これまでの「ドラム缶」経験からは想像外の寂しさなのです。仕方ないとも思わぬでもないけれど、これじゃ「ドラム缶」自体のブランド力が低下しかねないと思うのです。系列ごとに個性があるのは構わぬけれど、ある程度の縛りはあっても良いのではないかと思うのでした。
2019/06/12
コメント(0)

両国は前回も書いたけれど酒呑み、いや酒場巡りを趣味とする者にはけして幸運に恵まれた町とはいえなさそうです。いつになく弱腰な滑り出しですが、近頃自分の説得術の拙さに絶望感すら覚えているのであって、説得力が必ずしも日々の報告であるブログの文章と引き比べる事はないのかもしれぬけれど、ともかく己の言葉に力が無いことに改めて気付かされる事になったのだから自信のなさそうな文章に落ちるのも無理からぬ事だと察して頂きたいのです。しかしまあ今のぼくには両国は呑み歩きに不向きな町である事は紛れもない真実であります。まあ何につけても主観的な語りである以上は、それはあくまでも真実っぽいのであってそれを否定するのはどんなに弁の立つ人にだってなかなか骨の折れるものとなるはずです。とくどくどしく書きながら、ならば何故に両国をとりあげたのかというとそこには極めてちゃんとした理由があるのです。それは前々から気になっていた食堂に行ったことを書きたかったけれど、書けずにいた理由があるのでした。それにもちゃんと理由があります。日曜日を例外としてこのブログは基本的には呑み歩きを語る事をモットーにしているからであり、その食堂では一切の種類の扱いはないのであります。いや、実はその日はこれを書いている今と同様に気持ちが落ち込み気味であった訳で、普段なら躊躇なく確認するのを躊躇ってしまったのであります。 まあ、呑めなかった以上はここ「食堂 うえき」は、ぼくにとっては単なる食堂なのであります。単なる食堂というと語彙があるけれど、そこには何ら悪意などは含意されていない事をまずはお断りしておきたい。ここでは酒の用意がないという程度の意味でそう述べているだけで、むしろぼくは食事のみで真っ当に生業を成立させる正直で実力のあるお店と見なしたのです。見てくれはくたびれていてやはり酒を呑みたくはなるけれど、極めてファーストフード店的なカウンターの構えではあるけれど、そこに収まらぬだけの味わいがあります。それをご存知ない方がおられ、もしこうした店にこよなき愛情を注げる方であるならば是非にもお勧めしたいと思っていたのです。余りにも以前のことなので果たしてここで何を頂いたかといった些事については語る言葉など既に失われて久しいのであるけれど、ひとつ覚えているのはここの食事が他にはないオリジナルな独自のものであったということです。そしてそれがべらぼうになんてことはないけれどそこはかとなく旨いのだからもう酒がないことなど良しとする、いやまあ残念だけれどそれでも訪れるだけの魅力があったと考えるのです。で今、写真を見たらカレーライスと焼きそばなんて無茶な食い合わせをしてますね。ここの名物だったと思います。このお手頃価格でいつでも食べられる地元の方が羨ましいぞ。 国技館の脇にある食事処兼お土産処の寄せ集め施設がいつからか営業を始めていました。もう開業して数年の歳月が過ぎ去っていると思うけれど、どうも気乗りせず敬遠していましたが、先日思いついて立ち寄ったら、ホントにこれで保つのかと不安になる位には閑散とした様子なので噂に聞く「東京商店」という、まあ角打ちのような施設に立ち寄ることにしました。今となっては自販機で生ビールや日本酒を買い求めるのは目新しさに欠けるから、だったらいっそのこと人情ふれあい風に手売した方がまだよいのではなかろうかと思うのです。多少のおつまみもありまして、それなりに気が利いている風の品なので、相撲観戦の前にちょろりと立ち寄ったりするのには重宝しそうです。空いてるのもいいですね。これで混んでたら、ぼくの場合ならあえて来ることはなさそうです。
2019/06/11
コメント(2)

飯田には、枯れたムードのお店が少なくないけれど、とりわけその古びたところと生命感の希薄さで強い印象を受けたお店があります。一方で、こちらもかなりのボロさではあるけれど、ひっきりなしにお客が入っていきそのただ事ではない繁盛振りを見て、これは行かずには済まされぬだろうと思ったお店があります。個人的な好みでいえば前者に圧倒的に惹かれるのでありますが、とある理由から後者も行っておかねばなるまいと胆に銘じたのであります。だから一軒目で食べ過ぎ呑み過ぎは厳禁なのです。 役所の側の商店街、先般お邪魔した「通りゃんせ」でその生存確認はできていたので、遠目にはいかにも営業していないように見えようが「中華そば 酔仙閣」はきっと営業しているものと信じて店の前に立ちます。しかし、一見したところは少しもやってる風はなくて、唯一、営業中のささやかな札が下げられているのが戸を開け放つ気合に繋がるのでした。店に入ると、意外なことに5つの卓席はわれわれが入るとすべて埋まって、相席すればもう少し人も入れそうだけれど、とにかく非常に賑わっているのです。その後も一組が去るとまた次の客と途切れることがないのがうまくできています。次があるので、控えめに中華そばを注文。瓶ビールをもらってのんびり待つことにします。店内は赤紅色の中華飯店の定番カラーで彩られ、擦りガラス戸越しに表を眺めると得も言われぬ情緒で気持ちが大いに満たされるのでした。随分待たされた出てきた瓶ビールをちびりちびりと呑み始めます。それにしても主人は登場したけれど料理はちっとも運ばれてくる気配がないのであります。他の客は当たり前のように平然と待ち続けているけれど、10分経ってもまだ一組目にすら料理が運ばれてきません。20分経った頃にわれわれの前に来ていたらしい若い2人組は我慢の限界へと達しようとしているのがありありと感じ取れます。どうも観察していると各卓ごとに2~4食分をまとめて調理しているのだけれど、その調理時間に各20分程度を要するようです。われわれの下に中華そばが届くのはちょうど1時間も経った頃でありました。これは慌ただしかった前回だとしたらとても待ちきれなかっただろうなあ。もし訪れようという方がおられたら1時間半程度の余裕をもって行っていただきたい。さて、待ちに待ったそれは薄味の柔らか麺で際立った個性はないけれど、ぼくはとてもおいしく頂けました。これは好みがはっきりと分かれるに違いない。柔らか麺と書いたけれど、人によっては伸びきっていると感じられるかもしれません。だけれど、これだけ待たせるのだからきっとあえて柔らかめに作っているのに違いないのであります。ここのオヤジさんにはこの丁寧な調理が基本なのだからいくら待たされても怒ったりしてはならぬのであります。最後にここのルールを書いておきます。食事を終えたらカウンターまで食器を戻してください。特に決まり事として掲示されてはいませんが、どうやらそうするのがマナーらしいので素直に倣うのが正解だと思います。 飯田市は、焼肉日本一の街、つまりは 人口1万人当たりの焼肉店の店舗数が日本一ということを御存じでしょうか。飯田に来たからには、焼肉を食わぬのが正しい振る舞いですし、この町の老舗焼肉店「やきにく 徳山」に訪れるがよかろう。というのは建前でありまして、大体がこの事実知ったのは、高速バスの車窓から見えたとあるお店ののぼりによってなのであります。へえ、そうなのかあと思って、駅前の坂道を下っていたら渋いお店があり、多くのお客さんが吸い込まれていくのですが、そこは焼肉屋でそれなら後で胃腸にゆとりと時間があれば来ることにしようと思ったのでした。そしてここが昭和20年代の創業であることを知ったのは、帰宅後の調査による情報なのです。というわけで、先の中華飯店で思いの外に時間を取られたので、昼食時間を外してしまっていてやっているか不安でしたが、何のことはない元気に営業中でありました。店内はお客さんも大分減っており、いいタイミングだったかもしれません。ビールを頼み、適当に肉を数種類注文しました。ジンギスカンも名物のようです。焼き台に大胆に肉を並べてガツガツと食します。野菜盛りがデフォルトで添えられているのも嬉しいです。名店との呼び声も高いらしいのですが、ぼくには普通に美味しいお店のように思えました。まあ、焼肉なんていうものは普通に美味しければそれでいいのだ。しかもこんな渋い店で昼日中からいただけるのだから有り難いことです。まだまだ移動せねばならぬのにすっかりいい気分になってしまいました。
2019/06/10
コメント(0)

今回の旅を立案したのは、昨年のいつだったかに飯田線をしばらくぶりに乗りつぶして帰宅してすぐのことだから、もう随分と日が経っています。旅というものの妙味の一部であり、かなり大きな割合を占めてもいるものだからその鮮度を失するのはプランそのものの放棄に繋がりかねぬから、なるべく早く実行するに限るのであります。それでもこの時期まで引っ張ってしまったのには、一つは今回の旅のキモでもあるのですが、青春18きっぷなしでも実行できるということも理由のひとつであります。単なるサラリーマンに過ぎぬ身では、旅費に費やせる予算など限られてしまうのです。なので、18きっぷのある時は極力利用したいと考えるのは貧乏性ゆえ仕方のないことです。そうなると必然的に高速バスの利用が念頭に浮かぶのでありますが、GWのような繁忙期には一般に乗車料金も跳ね上がるのが通例となっています。その点、京王バスはシーズンによる価格の変動がさほど大きくなくて、今年のような超大型連休でもお手頃だったのは幸いでした。観光地としてはかなり地味目な土地でありますので、それも幸いしたものと思われます。しかし、宿泊地の確保にはそれなりにてこずって、旅の予定が決まっていたので、3月下旬には予約を取り始めましたが一部屋はなんとか確保できたもののもう一部屋はすれすれになってからキャンセル待ちでようやく決めることができたのでした。 といった訳で当日は、早朝にS氏とバスタ新宿にて合流。京王バスの伊那飯田線に乗車します。増便もあるかと予想していましたが、案外空席も目立ちます。顔触れを眺める限りは観光目的の方は少数で、ほとんどが駒ヶ根方面が地元の方のように見受けられました。その予想は当たっていたようで、事故渋滞により1時間程度の遅れで飯田駅前に到着した際に残った客はわれわれともう一人だけだったのでした。 駅前のなだらかな坂を歩き出しますが、先般感じた興奮が相当に減じられているのは記憶に濃密だっからかどうかは定かではありません。腹も減っているけれど、それ以上にコーヒーを飲みたいと思い、とりあえずは前回「珈琲館 蘭峰屋(らんぷや)」に立ち寄りました。老朽化の目立つ雑居ビルの2階にあるお店で前回もやってはいましたが、どうも気乗りせずに通り過ぎてしまいました。お向かいに、とてもいい雰囲気のお店があって、そこに満足していたことも影響したかもしれません。今回のように一服したいという気分が高まっていなければ、今回も素通りしてしまっていたかもしれません。暗い階段を上る最中には、これはおしゃれとは無縁のタイプのカフェかと尻込みしたくなる気分が抜けませんでしたが、思い切って戸を開くとなんだなんだウッディな内装のシックな佇まいではないか。派手さはないけれど、店主の内装に費やした情熱を感じ取れる立派なお店だったのです。これだから先入観というのはアテにならぬのだよなあ。客席は極力客同士の視線が交錯しないように、これもまた手作り風の木製パーテーションで区切られていて、いつまでだって居座っていたくなるムードでした。空腹感さえかんじなかったなら長々と滞在することになったかもしれません。コーヒーに定評があるようで昼食を終えたらしい勤め人の方たちがぽつぽつ入ってこられます。人通りのない目抜き通りの、さらにうらびれた雑居ビルの2階に、よもやこれ程に人気の絶えないお店があったとは驚きでした。 さて、長い長い昼食を終えた後に「珈琲店 SNACK LARNA(ラーナ)」にお邪魔しました。市役所の近くの駅前通りよりさらに人通りのないアーケードのある商店街にあります。店内は写真でご覧いただいた通りの至って質素なもので、正直少し寒々しい気分になります。店の奥では常連らが麻雀をしているようで、雀荘と喫茶店を兼ねたお店というのは珍しくもありませんが、そちらが賑やかなこともあって喫茶側の静けさが倍増するようです。お手頃な食事メニューも豊富なので、平日であれば役所の方たちで案外賑わうのかもしれず、つくづく旅先の喫茶店というのは裏の姿のみ旅人には晒しているのだなあと思わされるのです。 さて、「喫茶&スナック サイクル」、「Cafeterasse BELL(ベル)」は、廃業なさっているのだろうなあ。前回空振りした「Coffee & Restaurant 道草」には、またも嫌われました。というかここも役所の側にあるお店なので平日に訪れるしか入る機会を得る手段はなさそうです。昭和23年操業という「紅谷洋菓子店」は、営業していましたがさっと眺めてみても生菓子が主体で、焼き菓子等のお土産にできそうな商品は見当たらなかったので何も買い求めずにそっと店を辞したのでした。
2019/06/09
コメント(0)

ぼくにだって子供の頃があったわけで、子供時分の事を振り返るにつけ思い起こされるのが休みの日には決まって連れて行かれた地方都市のデパートのことであります。デパートと書いたけれど、そこが地方都市の悲しさ、実際は大手スーパーの長崎屋であったのだけれどそれはさしあたりはどうでもいいことなのであります。しかも思い出すと書いた長崎屋にそれがあったかどうか判然としないのだけれど、百貨店の上のフロアーにある大食堂に行くのがとても楽しかったことを懐かしく思い返すのであります。これ自体は極めて凡庸で感傷的な記憶でしかないけれど、大食堂の数少なくなった現代の子供たちが大人になった頃に幼い時代を回顧したとして果たして今の屋上レストランの事を脳裏に浮かべることがあるのだろうか。回顧的であることはいつだってみっともないことであるから、己の少年時代を語ることは避けようと思うけれど、大食堂の一体どこが子供の目線から見ても魅力的に感じられたのか検討してみることはけして無駄ではないように思うのです。「サザエさん」のそう多くはない見所がデパートの大食堂シーンであると考えるのはぼくだけではないと思うのです。 さて、では今時のデパートのレストラン街がまったくダメかというとそうでもないということを知りました。出向いたのは池袋西武のレストラン街です。ひと頃のデパートではどこもかしこも似たり寄ったりの店舗ばかりが雁首揃えていて、ちっとも面白くなくなったものですが、近頃のデパートは各地の有名店を取り込んで、店によっては行列もできていたりとお客さんを喜ばす工夫が感じられます。この日お邪魔した「ブラッスリー・ル・リオン(BRASSERIE LE LION)」は、恵比寿の人気ビストロが出店したお店ということで一抹の不安と期待がないまぜの、つまりはワクドキ感を胸に秘めての訪問だったのでした。まず目に入ったのがテラス席でありまして、屋内のテラス席ってのもなんとも間抜けなものだなあとまずは否定的な感想が脳裏を過りました。でも正面のエントランスに回り込むとこれが案外重厚な風情を放っていて悪くない。デパートのレストランらしくケーキのショーケースがあって、おお最近のお気に入りのサバランもあるじゃあないですか。これはぜひともお土産に買い求めたいものです。さて店内は赤が貴重のなかなかムーディーでそれなりの格調すら漂わせています。巨大な書棚に並べられた洋書のセレクションがもう少し良ければ楽しいのだけどな。さて、スタッフは少なからずシロートっぽい気もするけれど、まあ感じは悪くありません。気分を盛り上げるためにビストロコースをオーダー。前菜はオードブル盛合せのみが起こっていました。メインは手頃な豚肉料理を注文。デザートは食後に決めさせてくれるようです。ワインは白と赤をデカンタで注文します。さて、ワインをチビチビやっているとオードブルが到着。基本的にはちまちまとあれこれ乗ってるのって好きなんですが、ビストロ料理で盛合せで良かった試しがないのはどうしてだろうか。実際味も少し首をかしげたくなります。量も少し寂しいかな。併せて出されたパンを少し食べてみるとこちらは少し酸味のある美味しいパンでした。ニース風でもリヨン風とも違うなんとかいうサラダを追加でオーダーしました。こちらはカモ肉が結構贅沢に盛られていてまずまず美味しい。でもさらに美味しかったのがメインの豚肉。家庭ではなかなか真似できない焼き加減でふっくらと柔らかで、ここに来てやはりいいなあと思い始めるのでした。そしてデザートを注文します。当然ババ―サバランの事ね―を注文しますがなんと品切れとのことです。こりゃ残念であります。しかし仕方なく頼んだヌガーグラッセがいいではないですか。作るのはそんな難しいお菓子ではなさそうですが、なかなかここまで美味しいのは出逢っていません。ならば店先の適当なケーキをお土産にと思ったのですが、残念なことにテイクアウトはやっていないそうです。とまあさほど期待していなかったこともあり、そのせいか全般になかなかいいなと満足したのでした。さほど混んでおらず予約もなしにブラリと来ることが出来そうなのもポイントが高い点です。お手頃なビストロに行こうとするととにかく予約なしに入るのは無理なことがほとんどですから。 といった訳で気分が良くなったので、またまた「Bar TOO」にお邪魔しました。近頃流行の国産人でありますが、その中でも変わり種の山椒の風味のジンで作ったジン・トニックが美味しかったなあ。なんて思ったより山椒のピリピリが感じられぬと語って顰蹙を買ったのでありますが。
2019/06/08
コメント(0)

都心というのはどこもかしこも利便性の高そうな印象がありますが、実際に歩いてみると思ったより不便な町も少なくないようです。牛込柳町駅のあるエリアもそうで、1991年に都営地下鉄大江戸線が開業するまでは、所謂ところの陸の孤島のような様相を呈していたのかもしれません。とここで余談ではあるけれど、どうもぼくには陸の孤島という言い方が的を得ていないように思われて仕方がないのです。この言い方の意味するところは鉄道網の網の目から零れ落ちたような土地の事を指すのだろうけれど、もっと適当な表現はないのだろうか。明らかに地続きで歩くことを苦にせぬぼくのようなモノには島というのが余りに稚拙な表現に思えてならぬのです。しかもこの辺もそうだけれど、都心というのは坂ばかりでその起伏の複雑さは島の地形の単純さとは相容れぬように思えるのです。大体が比喩的な表現を用いるにつけ同じ地形同士をぶつけてみたところで、余り気の利いたものになりそうもないのです。代替案を持ち合わせぬのに偉そうな事を述べているがそのうちもう少し適当な呼び方を見つけたいと思うのです。 と愚図愚図と書いてみたけれど運賃も高く、そんなに使い勝手が良いとも思われぬ大江戸線になど揺られてくるはずもなく、この日は飯田橋からブラブラと自宅に向かって歩いた訳です。牛込柳町駅の界隈は自宅まではまだまだ中間地帯と行った場所でありますが、この界隈に来るなら大概が都バスに揺られるのが便利です。かといえ歩くには辛いと思うディナーの後に乗るくらいで後はほぼ迷わず歩く事になります。そしてこの辺でディナーとなるとほぼビストロに行く場合に限られ、居酒屋はほとんど知らぬのです。だから「家庭料理 はなむら」を目にした時には、この界隈にもこんな渋い店もあるのかと嬉しく感じたものです。さて、店内は思ったよりもずっと広くて、だけどカウンター席などもありぼくのような独り客でも気兼ねせずに済みます。そのカウンター席に着いて背後を眺めると、それが相当に広い座敷になっていてしかもかなりのゆとりを持って卓が配置されています。ふうん、これなら座敷でもゆったりすごせそうです。席に着いても店の人はなかなか現れず若干の苛立ち感じます。しばらくすると目つきのあまり宜しくないオヤジが姿を見せ、横柄な態度で注文を受けます。ぼくの頼んだ料理は何やらよく分からぬ商品名が付けられていたのですが、それは何かと尋ねてもブスリとした表情を緩める事もなく不愉快な応対をするのでした。ならず者相手にしぶとく商売し続けてきたオヤジというよりは、脱サラして上手く転身しきれていないそんな対応に感じられとても不快です。でもその自負がどこから来ているかはすぐに明らかになりました。牛バラ肉と玉ねぎを炒め付けてシンプルに味付けしただけのその料理は味は家庭料理の粋を脱していないけれどとにかく利用が凄いのです。ぼくの後に来た学生三人組は定食を頼んでいましたが、その飯の盛りの凄さは遠目にも明瞭に見て取れます。そのサービス精神が歪に偉そうな態度として顕現しているのだとしたらそれはぼくには迷惑でしかないのです。ところで、酎ハイを頼んで呑んだのですが、壁に貼られた樽ハイが出されるものだと思っていたけれど意外な事にちゃんと焼酎を水で割って出してくれます。ただしその値段は予期せぬ値段で、勘定を頼むと明らかに想定を上回っていて思わず確認してもらう羽目になったので、安く済ませるならちゃんと樽ハイを欲しいと頼む必要がありそうです。
2019/06/07
コメント(0)

またもや北松戸の登場です。北松戸に縁もなく、そして報告するぼくにしたところでここは是非とも何を投げ売っても出向くべきだと強くお勧めするだけの酒場などない、いや本当は数軒愛すべき酒場もあるのだけれど、そこはただでさえ訪れるに少しく面倒な北松戸駅からさらに十数分歩く事を余儀なくされるのだから、うっかりお勧めもできぬのです。そちらの事はかつて書いているので、電車の乗り継ぎやらそれなりの歩きを意に介さぬ強者がおられるなら是非とも探し出して頂きたい。それはともかくとして、他所の町と比べるのもどうかと思うけれど、酒場を求めて訪れるには北松戸という町はそれほど恵まれているとは言えぬのは確かなようなのです。 駅前の「キッチン ひより」は、もともとは「山里」というお店だったのですが、いつの間にやら違うお店に変貌していました。というより、外観は「山里」の看板がずっと目立っているので、未だにそう思い込んでいる常連なんかもいるんじゃないかと疑っています。かつてのお店は、渋路線の典型的な場末酒場の様相を呈しており、ぼく以外客のいない寂しいお店で、女将さんとお喋りしたことを覚えていますが、今の方も先頃長期の療養生活を過ごされたので、もしかすると同一人物かもしれという思いが頭から離れることはないのですが、今のところその確認はとれていません。さて、麻婆豆腐好きのぼくは、品書きから早速にそれを見出し注文しました。やがて出てきたそれを見た瞬間に気付きべきだった。香りを吸い込んだ時点で遅くとも気付かねばならなかったのです。というのも女将さんが先手を打って語るところでは、これ陳麻婆豆腐というレトルト商品なのよ、というのです。レトルトだろうがなんだろうが旨くてお手頃であればちっとも構わぬのでありますが、これは止めてほしかった。なぜなら自宅では専らこのレトルト商品を愛用している者だからであります。しかも豆腐の水切りというかニガリをしっかりと出し切って、大量のひき肉(これは豚肉がいいという説もあるけれど、ぼくは断然あいびき派なのであります)と大量のネギ、それに追い豆板醤と甜麺醤を加えたものを食べつけているからそれ以上にはけして美味しくならぬのであります。かつては豆鼓を刻んだりしてイチからソースを拵えていたけれど―豆板醤を仕込んだりはしないけど―、その手間を掛けた品より旨いのだから楽な方を取るだろう。だから家の定番メニューだから外ではなるべく食べたくないのでした。それでもどうしてもこの麻婆豆腐は大好きなのです。女将さんは先日一度訪れただけのぼくのことを覚えていてくれて、そのキツイ感じすらするクールな雰囲気でだからちょいと嬉しくなるのでした。 さて、もう一軒、「あみ焼元祖 しちりん 北松戸店」にお邪魔しました。ここのことはもはや語るべき何事も残されていないけれど、一つだけ特筆すべきは、この日のお勧め商品である筍の肉巻が抜群に旨かったことです。松戸って町は八柱辺りだったと思うけれど、たくさんの筍が取れるらしく、ちょうど時期も筍の季節だったから頼んでみて大正解。また、来年も北松戸に来ることがあるようならここで筍の肉巻を注文することにしようかな。
2019/06/06
コメント(0)

両国という町は、お相撲とちゃんこの町であって呑み屋の町ではなさそうです。呑みには相撲もしくはちゃんこが付き物で、ぼくも相撲観戦も何度か行く機会を得ているし、ちゃんこ鍋屋で飲食したことも指折り数えられる程度だけどあるのであります。けしてここで自慢話をしたいわけではありません。両国で相撲を観戦したとして、それが升席だったりするとまあお土産やおつまみなども付いてきてそれはまあ狭く窮屈で苦しかったりもするけれど、それでもやはり稀有な体験をできていると楽しくなったりするのでありますが、そんな観戦後にちゃんこ鍋を食べる胃袋の余地など残されてはいないのであります。だから軽い肴でしっぽりと呑めるようなお店が記帳に思えるのですが、これが界隈を探してみてもなかなかこれといった店が見つからぬのでありますね。 相撲には、これっぽっちの関心もないし、狭苦しくて敵わぬけれど、けれどそれでも升席で酒を酌み交わしつつ、スモウレスラーたちの奮戦ぶりを観戦するひと時は得も言われぬ愉楽に満たされるのです。狭い席に身を縮こまらせていて、急に立ち上がった時の酒が急激に体内を巡り出すあの感じも堪らない快楽ではありますが、ここで一挙に酔いが回る気がするのは気のせいばかりではないはずです。 さて、この夜は、随分以前にお邪魔した「とん公」に伺う事にしました。初めて立ち寄ってからこれまで、何度も両国には来ているのだけれど、不思議とこの酒場の存在を思い出すことがありませんでした。余り活気もきらびやかさもない総武線の高架の南側を歩いているうちに唐突に思い浮かび行ってみることにしたのでした。同行した一人がでかした、これはいいと喝采を上げたけれど、狭い店だからもとより空いているか知れたものではないのです。でもしかし、幸いにも空いていたんですけどね。以前はほぼ満席で升席のように身を縮こまらせて呑んだ覚えがあるけれど、この夜は空席が目立ちます。よもやこの酒場で小上りの卓席で呑む機会が訪れようとは当時は考えもしませんでした。さて、この両国では貴重なもつ焼の個人営業酒場は、その落ち着いたムード以外には特段秀でた点はないのでありまして、でも良いムードという一点がありさえすればそれで構わぬのです。普通に美味しいもつ焼をどこにでもあるホッピーで流し込む。実のところ肴すら本音を言えばお新香でもあれば十分なのです。なぜなら既に結構な量を呑んでいるのだし、肴は例の国技館サービス特製の焼鳥やら焼売を腹に入れているのだから。われわれが望むことと言えばただただゆっくりと手足を伸ばして、酒をチビリとやれる落ち着いた環境だけなのでした。そして、同行したメンバーで時間を忘れて語り合う事がてきる店をようやく見出だせました。しかし、その夜の話題に相撲が上ることは全くなかったのです。
2019/06/05
コメント(0)

曙橋にはあまり縁がありません。縁がないというのは、都営地下鉄全般に縁が薄いという理由が専らで、実際これまで曙橋駅を利用したことがあるかについてはどうも自信を持って言い切れぬのです。あるようなないような。でもこの町の事を知らぬかといえば満更知らぬ事もないのでありまして、かつては通勤の際にたまに回り道して歩いたこともあるし、今もあるかどうか知らぬけれど、パティシエがやけに持て囃された時代にこの曙橋にもそれなりに知られたパティスリーがあって、そこが評判倒れならざるとても美味しい洋菓子を提供していたからちょくちょく買いに行ったものです。実は今回、ぼんやりと記憶に留めるそのお店を眺められるのではないかと少し期待したけれど結局見つからなかったのは、ぼくのぼんやりのせいか、それとも移転なり閉業なりしたということか。まあ、今では甘いモノの趣味もクラシカルなものの方にシフトしつつあるからそれ程の未練はないのであります。なんて店の名を出さぬのは店名すら記憶に危ういからであって、ラで始まってスで終わるので当たりだと思うけれどこれを深追いするつもりはありません。さて、しかし曙橋では呑んだ記憶がまるでないのでありまして、これは恐らく間違いのないことです。近くの四谷荒木町では何度か呑んでいますが、それも数える程度でしかありません。 さて、「もつ焼 煮込み 福よし」は、そんな曙橋駅を出てすぐの脇道を入り、荒木町方面に緩やかに登る坂の途中にありました。見た目には昔風のそれでもまあごく平凡な居酒屋に映ります。でも中はいいですねえ。まだ開店したてだと分かるのは、はじめに店の前を通り過ぎた時にはまだ暖簾が下がっていなかったからで、この界隈をブラブラして時間を潰していたから間違いないのです。案の定、口開けらしくてこれって実は少し照れ臭いのですね。なんか気合を入れて酒場に行くのってどうなのよという衒いがあるのです。でも少し強面のオヤジさんはそんなコチラの自意識の過剰さの発露などどこ吹く風といった様子で飄々と迎え入れてくれました。卓席の一つで開店前の一服を決め込んでいたらしく少し恐縮です。でも至って気さくな様子で迎え入れてくれるからありがたい。でも必要以上にべたべたと愛想を振りまいたりもしないからご安心を。チューハイに添えられた糠漬けがいいねえ。いやサービスが嬉しいという意味でのいいねえでもあるけれど、これが別途注文したいくらいに旨いのだ。そして、しばらくして焼物が届けられます。これがまあなんと実にしっかりとしているではないですか。近くには堀切菖蒲園の「のんき」の姉妹店もあるけれど、ぼくの好みでいえば、こちらのもつ焼の方が断然好みであります。そろそろ店を移ろうかなんてことを思っていたら、女性客が連れだってお越しになりました。煙の臭いが付かぬよう、戸付の棚に仕舞うようおすすめしているなど細やかなサービスもしっかりしていて、今度四ツ谷とか市ヶ谷に出向く際は少し遠いけどこちらでゆっくりやるのも良さそうです。 さて、こちらは黄緑色のテント地の看板が以前から気になっていた「大衆割烹 よしうら」にお邪魔することにしました。外観は渋くて好みでありますが、この界隈で魚介料理を専門にするお店だとついおっかなびっくりお邪魔することになります。でも先の酒場の好ましさにすっかり気が大きくなったぼくはいつもの臆病風も吹き止んで、颯爽と戸を開け放つのでした。あら、店の中は案外平凡なのね。それでもまあ念願のお店に入れたから良しとしよう。しかし頼むのは手頃なチューハイというのが情けないなあ。ここで刺身でも食わぬのはみっともなかろうとイサキをもらうことにしました。すると接客担当のお姉さんが厨房のオヤジさんにイサキ7切れとか指示をするのですね。客の体格とか年齢とかでこの切れの数が変化するように思われたけれど、この夜のサンプル数では統計にて分析するまでに至りませんでしたが、どうも人によって切り身の数が違っているのは確かな事のようです。このおねえさんというのが、きびきびとしているのであるけれど、ちょっと接客というには怖い気がするのです。もう少しソフトというかマイルドな応接だともっとリラックスできるのにねえ。お通しはゴボウサラダでありますが、ハナマサ辺りの商品とそっくり。これでお金を取るのはやはりよろしくないのです。そしてイサキであります。鮮度も良さそうでまず旨いのであるけれど、さすがに7切れは多いのではないか。ちょっと飽きてしまうし、酒もすぐに足りなくなる。なので、まあカッコつけのために銘酒へと流れることになるのだけれど、まあこれは銘酒居酒屋レベルのお値段でありました。ということで、これで店を出ることにしたのですが、一軒目の倍以上の勘定になりました。ならばもう次にぼくの行くのはどちらであるかは言うまでもないのです。
2019/06/04
コメント(0)

さて、連日の早起きに疲弊した同伴者はお土産選びに避難して、解放されたぼくは早速呑み屋を物色するのでした。前回来た際に狙いの酒場の目星は付けているから、優先順位に従って記憶を頼りに歩き回れば良いのです。と簡単に書いたけれど、何処もやっていないのであります。やってないといくらぼくが勢い込んで記憶を振り絞ってみても如何様にもし難いのです。いや、時間さえしっかり確保できたなら入っておきたかったお店もあるのだけれど駅から少しばかり遠いので、より優先順位の高い方に向かってしまったのでした。方針や原理原則が必要な場合もあるけれど、旅の場合には目先の欲求に従う事も時には大事らしい。 でも、幸いにも前回気になったけれど見過ごしてしまった「お食事処 やきとり 踊子」は、営業しておりました。今しも店を開けたばかりのようだったのでもう少し早くここを通り過ぎていたら、入りそびれるところでした。ぼくの思い描くところの正統派の居酒屋を体現したような佇まいに惚れ惚れします。居酒屋というのはかくあって欲しいという典型のようなお店で、正統派である事のメリットでもデメリットにもなりうる単調さがこの夜は心地良く感じられます。しみじみと心落ち着けて店内を見渡すとその内装に施された丁寧に設計、制作された多様な細部が建築には徹底的にシロウトのぼくにも見えてくるようです。酒の力もそこには幾らか作用しているように思えるのですが、頭の片隅にはチラチラとこれからまた鈍行列車に揺られて帰京せねばならぬなあという思いが過り、そのかったるさに予定を変えて伊東に一泊したくもなるのです。お通しの揚げ出し豆腐、銀杏にイカゲソ、何れも少しも特別でない凡庸の極みのような肴でありますが、これがまた堪らなく旨いのは雰囲気のせいだけではなさそうです。職人肌のオーラを身にまとった店主がしっかりと丁寧に仕事されていると見た。まあこれも贔屓目に過ぎぬかも知らぬけれど、GWも休みなく営業するその心意気や素晴らしいと称賛するに憚らぬのでした。 待合せまでもう少し時間がありそうです。あと少しどこかに立ち寄ることにします。と意気込んでみたはいいけれど、まあやってる店が少ないこと。少ないからか、数少ない営業しているお店はどこも一杯で何軒かに断られた末に、諦めモードで駅方面に向かっていくと「小料理 一葉」という何の変哲もない居酒屋がありました。普段なら見向きもしないと書くと言い過ぎですが、まあ好んで入ることはなさそうなお店です。中途半端に時間があるけれど選択の余地もなくうかうかしていられぬこともあり、切羽詰まって店に飛び込んでしまいました。今思うと無理して立ち寄ることもなかったと思うのですが、人は時には冷静でいられず勢いで行動することもあるものです。ということで勢い込んで転がり込んだはいいけれど、中にはどんよりしたムードが漂っていて、他店の活気を浴びまくっていたぼくには新鮮かつちょっと怪しげに思えてこれはこれでいいなあなんて呑気に思ったのでした。しばらくすると奥さんらしき方も下りてこられて喋りかけてこられたのですが、人柄は良さそうですがどこかしら暗さを伴っていたのでした。暗いムードは好きなので歓迎すべきですが、焼き上がったばかりの豚バラ串焼きを頬張ろうとしたところに同伴者からの連絡が飛び込んできて、すぐに来るように言われたからさあ大変。静かなところに独りバタバタと騒がしく店をお暇したのでした。 前回見て一目惚れした「もつ焼 ひさご」は、改めて見てみるとまあそれなりの雰囲気だったなあ。むしろスルーしてしまった「源来軒」が余程魅力的に思えます。次回はこの2軒をマストで訪れたいと思います。
2019/06/03
コメント(0)

数か月前に伊東を訪れたことをご記憶の方もおられるかもしれませんが、久しぶりに立ち寄った伊藤の印象は非常に良かったのです。前回も昼下がりに立ち寄ったから、喫茶巡りからの酒場巡りへの移行というお決まりのコースを辿っても少しも問題なかったはずなのに、どうした理由からかそうはしなかったのです。伊東という町もまた熱海同様に喫茶店の多い温泉街だなあというのが印象としてあります。温泉街といっても大概が鄙びてしまい、喫茶店どころか居酒屋すらないところも多いのと比べるとずっと気分が高揚します。夜遊びできない町などぼくにとっては少しも魅力が感じられません。多くの温泉のある宿泊施設では、館内だけで満足できるよう様々な施設が予め用意されているためか、食事を終えて、何度目かの入浴を終えて町に繰り出して遊ぶような人も少なくなったみたいです。温泉旅館の施設内に新橋の駅前ビルのような地下が広がっていたならぼくでもまあ満足できたのでしょうが、そんな施設はそうはないはずです。横須賀のホテルの地下がそういう造りで楽しめたことが記憶にある程度です。 さて、前回はなぜか時間が押していて素通りせざるをえなかった「喫茶&食事 コロンビア」に入ってみることにしました。それなりに古いお店のようなのに白い外観はきれいな状態を維持しています。店内はどうなっているのか気になるところですが、やはりというべきか、卓席メインのスナック風でありました。別にそれが悪いとかいうようなつもりは毛頭ないけれど、どうしてもちょっぴり物足りないと言わざるを得ません。カラオケセットも置かれているから夜にはスナックとしての営業になるのかもしれません。店のご夫婦は丁寧にドリンクを用意してくれて誠実さを感じられるのですが、もう少し内装に拘りを持っていただけるともっと良くなると思うのだけどなあ。 向かい合わせで「ヤマモトコーヒー 一番館」と「ヤマモトコーヒー 二番館」があります。後者は中休みなのでしょうか、扉は開け放たれていますが、店内の照明は消されています。まあ、似たり寄ったりだろうとお向かいの「一番館」にお邪魔することにしました。店内に入って久々に呆然となりました。いやまあ、時折あるにはあるけれど、クラシカルな正統派の空間に美術館並みの存在感をもって彫像の数々が飾られて、いや展示されているのです。芸術には造詣の薄いぼくでも見たことのあるようなそれを眺めながら珈琲をいただくというのも贅沢なものだなあとすっかり楽しい気分に浸れるのでした。店の手前はカウンター席や二人掛けの席となっていて、こちらには夕暮れを前に仕事を終えた常連たちがポツリポツリと来店されています。奥は広めのラウンジ風の空間になっていて、これまた豪奢な雰囲気を放っていてその立派なことに感心仕切りとなります。メニューを見ると前回慌ただしく立ち寄った「カフェ・グレコ」も同じ系列店だったのですね。あちらも上流階級気分を味わえる良いお店でしたが、ぼくは圧倒的にこちらを支持します。店を出ると「二番館」も営業を始めていますが、もう表の空は少しばかり暗み始めていて、気分はあっさりと呑みへと移行したのでした。
2019/06/02
コメント(0)

土曜日にちょいと野暮用があり田端にやって来ました。それを済ませるとまっすぐ帰宅しても良いのですが、やはり少し位は呑みたいかもとなるわけでいつもの立呑み屋に向かうのであります。そして到着してみて己の迂闊さに気付かされるのであります。ここは土曜は基本休みだったのです。いや、昔は土曜もやっていたはずと曖昧な記憶を振り絞ってみたところでどうにもならぬ。休みは休みなのだから、いくら引き戸に隙間が空いていようがまてど営業開始となることは期待できなさそうなのであります。さて、困った。ここまで来る過程で気持ちはすっかり一杯やっていくモードに移行しているし、かと言ってあまり愚図愚図して遅くなりたくはないのです。ぼくは案外、家好きなのであります。普段の行動がそれを裏切っているかに思えるかもしれませんが、実際のぼくはひどいぐうたら者でありまして、出掛けない日には徹底して出歩きたくないのです。出掛けるなら出掛けるで朝早くから行動を開始したい方です。なので、この日のように昼下がりに用件があったりするのが本当に嫌で嫌でたまらないので、だからそれを終えた後の愉しみを残しておかないと精神的に参ってしまうのでした。ぼくは本当に弱い人間なのです。 なので、以前もお邪魔しているしさして感心しなかったはずなのに、期間限定で17~19時までドリンクがすごいお得になるサービスがやっていると聞くと、「八天将 東田端店」に立ち寄ることに躊躇はないのでした。すごいお得と書いたのは具体的な金額を失念したからに他ならないわけで、しかしケチなぼくが安いというのだから結構安いということです。大体こういうサービスには裏があるものです。その一番の回収策がお通しでボルというパターンで、こちらもちゃちなお通しでいい値段を取るので覚悟が必要であります。店内は表から丸見えで何の驚きもないのですが、やはり店内に入ると表からの景色とは大分違って見えます。ちょっとムーディーなファミレスという感じでけして褒めているわけではないので悪しからず。でもまあそんなに混んでいないからゆったりとできるのは間違いありません。しかし、店の反対側だったから良かったのですが、ものすごい声のデカい馬鹿な客がいて、まあ喧しいこと、せっかくのリラックスモードがぶち壊しになることしばしでした。しかもその声が馬鹿でかいからそのくそつまらん内容までが筒抜けてしまって、それでも耳に入るから聞かざるを得なくなってますます不愉快になるのでした。さて、ボリ策の2つ目がタイムアップが近付くとなかなかオーダーを取りに来ないというものです。いかにも注文取りのペースが落ちたから、ぼくはそれを察して卓上のボタンに頼らず、大きな声で店の方を呼びつけるのでした。無論一気に2杯は注文をすることになります。ところで、特筆すべきはカレーのルーが100円と近頃ブームとなりつつあるのか。これが丼蜂一杯に盛られて出されるのであります。これはなかなかのボリュームで良いのでありますが、しかし残念なことに余り旨くないのであります。カレーが旨くないというのは稀有な事態でちょっと驚かされたのです。
2019/06/01
コメント(0)
全30件 (30件中 1-30件目)
1