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千石本町通り商店街を少し進んで、住宅街に逸れたなんでもない住宅街にポツリと酒場らしき店があることはなんとなく意識していたのです。見逃しそうなさりげない佇まいをさらに植栽によって身を潜めようとしているように思えるのです。酒場の在り様として区別する方法は幾通りもある。立ちか座りか、酒重視か肴重視か、見分け方は曖昧だけれど、男性向けか女性向けか、はたまた地元密着型か一見重視か。最もつまらぬ区分は安いか高いかという種別であると思っているけれど、それは好みの問題というよりは大概の場合あくまでも財政的な問題にすぎぬ気がする。ともあれそうしたタイプに類別してみたとして、ぼくにとって重要な意味を持つのが目立つタイプの店か密かに商売している店かというのが非常に大きな意味を持つのであります。ぼくの趣味は言うまでもなく後者に向けられることが多いのであって、こちら側にはボロいお店が多いのも確かだけれど、目立たぬとも続けてこられたその実力に好奇心をそそられるのであります。 そういう分類からすれば「互縁」は、まぎれもなく後者に属するお店でしょう。実際に現地を歩いてみていただければお分かりになると思いますが、確かに呑み屋らしい風情はあるのですが、ちょっと一杯やっていこうかという気持ちにはまずさせられることのない類のお店なのです。それというのも入り口がまず客の行く手を阻んでいるように思えるのだ。そしてちょっとだけ料亭っぽいか前なのも緊張感を強いられるのです。店先にメニューが飾られているからこそなんとか入るきっかけを掴めたけれど、それがなければまずもって立ち入ることはなかっただろと思うのです。でもですよ、入ってみてびっくりなのです。コンパクトに造りこまれたコの字カウンターは少人数がじっくりと腰を据えて呑むのにこれ以上はないというほどの計算で組み立てられているかと思いたくなるのです。桟敷席のような奥の座敷もまた広すぎず狭すぎずでここでの宴席はかなり気が利いて、上司から一目置かれたりしてしまうんじゃないか。料理もこれでもかと定番に加えて珍味やら旬の幸も揃っていて、迷いに迷ってしまう。お通しのコーンなど種々の食材の煮物なんて、出鱈目なようでいながら複雑な味わいあ楽しくてこれだけお替りして食べ続けたくなるのです。なので、賑やかな野菜の炊き合わせを注文します。色んな野菜が食べられる機会は逃さないと思える年頃になりました。これが店側の事情もあるのでしょうが、煮しまった具材とこの日に仕込んだばかりであろう具材が一緒くたに味わえて、同じ筍でも全く違って感じられるというのは、かなりの荒業ではあるけれど、ぼくにとってはナイスなアイデアに思えました。独りすごいエバリンボの客がいて、目障りではありましたが、店のご夫婦も他の客も物静かでしっぽりと味わえるいい酒場でした。巣鴨にもまだまだ掘り出し物の酒場がありそうに思えますね。
2019/11/30
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神田の町は、路地の裏に入り込めばまだまだ掘り出し物が潜んでいることを確信しています。確信はしているけれど、近頃駅を中心に大きく変貌を遂げつつある神田駅を見るにつけ、あまりの速度にそれを見届ける気分にもなれず、このところめっきり寄り付かなくなった町のひとつです。町だってほとんど生き物のように変化し続ける宿命なのだから、発展といった方向で変わることは本来であれば喜ばしい事態であるはずなのであります。駅前が駐車場やマンション、下手をすると更地にされてしまうようなむごたらしい事態に比するまでもなく、発展的な変化はそれを受容する側の心構えひとつで大いに祝福しうる出来事に違いないのであります。その変化の過程を楽しむという受容の仕方もあるはずなのですが、どうもぼくにはそれに対する適性が決定的に欠如しているようです。 お邪魔したのは、見るからに風格があり構えの立派さに怖じけをなさしめる「尾張家」であります。普段なら見向きもしなかった―というか実際ここが放映されるまでこの居酒屋が視界に入り込むことはなかった―、そういう類のお店です。大抵の場合、番組を見てから現場に出向くという事は少ないのですが、今回はたまたま暇だったのか番組を見て、安くはなさそうだけれど案外リラックス出来そうで、悪くないじゃないかという事で、放映されてすぐの金曜というリスク―視聴者が大挙して押し寄せるというリスクですね―も省みず、ヒョコヒョコと出向いたのであります。現地についてもその敷居の高さは明らかですが、何、勝手は知っているから恐るるには至らぬのです。店内に果敢に足を踏み入れるとコの字のカウンター席はほぼ埋まっているけれど、うまい具合に2席空いています。2席というのはT氏を伴っていたからですが、これで予約が入ってますなんてことにならねば良いのだがという杞憂もすんなりと通過しました。お隣りは老女お二人と、世代を超えて好まれているのは安心感を助長してくれます。席に着いて早速ビールを注文。その間に肴を見繕おうという寸法ですが、ここはおでん屋だからそれを中心に頼めばいいから気も楽です。そのおでんが思った以上に大振りで値段は予習済みだからまあこれならいいかと思えるコストパフォーマンスだななんてT氏とひそひそ感想を述べ合います。その後も次々とお客さんが訪れて,これはテレビ効果ではなくもともとが繁盛店なのだろうなあなんて思うのでした。こういう居酒屋に普通の素振りで呑みに行けるようなそんな大人に早くなりたいものです。
2019/11/29
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バッティングセンターのお膝元にある大塚三業地は、芸者さんこそ姿を消したものの、ぼくには縁もゆかりもないけれど料亭なども細々と営業を続けていたような風雅なお土地柄なのだそうであります。これまでにも遠からず消えゆく定めとなるべく近隣の酒場を訪ね歩いていたのですが、いろんな意味で敷居の高い店も少なくなく忘れたつもりで胡麻化していた酒場も多いのです。こう書いてしまうといかにも間もなく消え去らんとする大塚三業地を最後を見届けんがために、この町を訪れたかに思えるだろうけれど、そんなことはないのです。たまたま巣鴨で呑んだ帰りに気が向いて大塚まで歩いてみただけなのです。大塚も近くなりじゃあ、一軒だけ思い切って未訪の酒場に入ってみようかと訪ねねてみるとかつて存在したはずの酒場が消え失せて、まっさらの更地になっていたのであります。これはいかなることか、まだしも狭い土地が空き地になっているだけのようなので、ここはどうなったかだけでも近所の酒場で聞き込みしようと、ふぐとかすっぽんとか思い切りを要する割烹に勢いで飛び込んだのでした。 極めてオーソドックスな店内には、それなりのお客さんがおられます。通されたカウンター席にはカップルとオヤジさんが独り。「さか源」は、典型的な常連のためのお店でした。彼らの会話の断片を繋ぐとどうやらこの界隈は再開発の只中にあるらしく、店のオヤジさんは店を開けることもあるけれど大概は休んでいるようです。それもディベロッパーとの交渉が未だ合意に至らず、不安定な日々を過ごしているかららしくて、お隣のカップルもダメ元でやって来たみたい。このお二人、実際にはご夫婦でこちらのオヤジさんの料理をいたくお気に召しておられるようです。お通しは厚焼き玉子などの盛合せでこれだけでも嬉しくなるけれど、せっかくなので味噌漬けの豚肉を頂きました。これも実にいい味だなあ。皆さんからいい品を頼んだとお褒めに預かりました。聞くとこちらは朝の五時まで営業しているそうで、オヤジさんは下戸のため、翌日営業の休みの時などは呑めもしないのに朝方までご近所のスナックなどにお付き合いなさったりするそうな。寝起きのリズムを狂わせぬ知恵ということですね。そんな生活を長く続けてこられたのにそれも間もなく終わりを告げるのです。常連の皆さんの嘆きと悲しみ、そして憤りには感じるところがあります。ご夫婦の頼まれたすっぽん釜飯をおすそ分け頂きました。すっぽん酒も絶品だそう。絶対に悪酔いはしないとのお墨付きでありました。釜めしの地味深く奥深い味はしみじみと美味い。これを食べれるのも残り僅かなのだろうか。サービスのお澄ましもじわりと弱った胃腸に染み渡ります。今もまだ思いついたように営業なさっているのでしょうか。そして、水槽で元気に揺蕩っていたすっぽんはどうなったのだろう。今晩にでも確認に行ってみようかな。
2019/11/28
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検見川駅のそばの神社はそのまま検見川神社というのですね。辺りは真っ暗で京成の線路沿いに続く道の名があるかと調べて知りました。検見川の印象深い酒場の前の道をまっすぐ進み花見川を越えてしばらく歩きます。しばらくは自動車とはすれ違ったりするけれど、人の影すら見なかったのが、川を渡ったあたりから徐々に人の気配が感じられるようになり、少しだけ気持ちが穏やかになります。やがてJRの幕張駅前の十字路まで来ると多少は町らしい景色になり心安らかに町並みを眺めることができました。するとオンボロってわけではないけれど、それなりに古い雰囲気の居酒屋がありました。「千扇」は、格段どうということのないお店のように思われましたが、どんよりした気分をまとって振り払えそうもない状態のぼくには実際以上に光り輝いて映ったのでした。しかし必要以上の興奮は無残な結果を招くもととなるから厳に控えねばならぬのです。といったことなど思う余地もなく店へと突き進むのでありますが、そう狭くもない店内はお客さんでほぼびっしり埋まっていたのでした。カウンターの入ってすぐには独り女性が呑んでおられましたが、その向こうに空きがある。普段は遠慮など全くしないぼくですが、妙齢の女性のお隣とあっては気を遣わざるを得ないのであります。待ち人ありかもしれませんしね、ずうずうしく腰掛けてから、この席、彼氏待ちなんですけどなんて言われたらなんだか癪に触るかと思うのですよ。だから、どうぞと勧められるまでちょいと様子を見ようと瞬時に判断したのですが、判断に至るか至らぬかで席をお勧めいただけました。それをきっかけにお喋りさせていただいたのですが、彼女は前夜初めてこちらにお邪魔してすっかりお気に召したらしく連夜の来訪となったようです。ふうん、どこがそんなに気に入ったのか見極めてやろうじゃないか、なんて野心などは抱かなかったけれど、すぐにその理由が明らかになるのでした。さっきのどんよりした酒場も酒場の醍醐味の一面だけれど、こちらは明朗で親し気な雰囲気がそれだけで素晴らしく誘惑的なのであります。ぶっきら棒だけれど実は気のいい主人や彼の人柄を好きになって通っておられる多くの常連さんたちは、ぼくのような孤独な通りすがりの者にも平等に付き合ってくださるのだ。肴はお通しで目一杯でしたが、魚介豊富な酢の物はうまいし、彼女もおすすめ料理をいろいろ教えてくれました。羨ましいことであります。
2019/11/27
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この先、本宮を訪れる機会などそうはなかろうと思うと一軒だけで引き上げるはずもないのである。いやまあ、満足したのだからそれで納得しとけよという真っ当至極な考えもあるけれど、そうはしないのであります。無茶な呑み方はできぬ年になったけれど、不思議と郡山―しつこいがここは郡山ではなくて本宮なのであります―では体調も良くて、ハシゴしてもちっとも酔わぬし、道北の空気や風土はぼくに合っているんじゃないかなんて思いそうになります。いや、生まれもそうだし、小学生から中学生に掛けての何年かを東北で過ごしたから本当にこや地方ての生活がぼくの体質とは相性がバッチリなのかもしれないぞ。だからといってなかなか移り住むだけの踏ん切りは付けられそうもないのてますが。ならばここにいる間だけでも存分に東北の時間を満喫することにしようか。 続いてお邪魔したのは「ひょうたん」です。もともと路地のような通りのさらに裏通りのような細道にひっそりとあるお店で、どうやら餃子自慢のお店のようです。入ってみるとこれがもう現代日本に残されているのが不思議な位の物件なのです。とにかく注目すべきはこの暗さにこそ感動するのです。ぼくは常々思っているけれど、酒場という環境は暗くないといけないのです。暗さは自然と思考を内省に向かわせる気がします。酒をそっと口に含みつつその日一日を振り返ってみる。ひと仕切りの回想と反省を終えたら朧な店内が徐々に輪郭を描き出すのです。その造作には、長年変わりのないであろうことが想像できるのです。果たしてこの店がどのような風雪を耐え忍んで来たのかさらなる想像を積み重ねるのです。そして、店を守るご夫婦のなり染めやご苦労などを伺いたくもなるのですが、一見の身でそれを伺うのはおこがましい気がして口を噤むのです。もはや餃子がどうだったとかについて語る事は不謹慎な気がする。というかほとんどそうしたことは些事にしか思えぬのであるし、実際に覚えてもおらぬのです。こうした記憶の曖昧さを経験するにつれ酒場の第一は雰囲気にあると思わざるを得ないのです。 それに比すると「本宮駅前 串焼 うまや」は、次の列車の時間調整にはうってつけです。先の酒場では時を忘れて留まってしまいそうになりますが、ここでは列車の時刻を念頭に置きながら呑むことができます。駅からもすぐで精算を済ませたら3分も前に席を立てば充分というのは非常に頼もしいものです。夜になると一時間に一、二本となるであろう、運転間隔ではできるだけギリギリまで店で過ごしたいものです。とりわけ、冬場の寒い時期には駅前酒場としての機能を残す店は是非頑張っていただきたいのです。何て書いてみたけれど、温奴に蓮根のはさみ揚げで燗酒の写真を見ると、いやはやこれじゃ列車の時間を忘れて呑み耽ってしまいそうです。都内の呑みは習慣に近い情緒とは程遠いものがありますが、やはり地方都市での呑みは全く違った時間の経過に酔わしてもらえそうです。ああ、どこか地方を感じられる町に呑みに出掛けたいなあ。
2019/11/26
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郡山への旅と標題にはありますが、郡山でホテルにチェックインし、少し散歩した後に、呑みの振り出しで最初に訪れたのは郡山駅の3駅先にある本宮駅なのでした。ぼくはこの駅の読みを最初は、「もとみやえき」と解していたのですが、もしかすると「ほんみや」と読むのが正解なのかもしれないと思い始めるともう駄目です。確固たる思い込みが揺らいだ場合は、もともと曖昧だった場合よりもよりその正しさの証左が不安定になり、そのどちらも間違っていて「ほんぐう」なんじゃないかとか記憶が混乱の極みに陥るのでした。正解は「もとみや」でありまして、これも一応ネットで確認してようやく安心してお披露目する始末なのです。それはともかく住所も福島県本宮市なのだから町の復興を祈念するなら正確を期するべきなのだろうな。というわけだから、急いで標題に本宮を追加することにします。てなことを書いたけれどこの記事の公開は後日となるので閲覧いただく皆さんには何のことやら分からないし、知ったことではないのかもしれません。 本宮駅周辺の通りには、いちいち全てにもとみや文化通りだったり平和通りなどと名が付いていて楽しいのですが、駅東側のロータリーを出たすぐに南北を貫くまゆみ通りの南側を少し行けば駅前横丁なんてのがあります。駅前の小規模スナック横丁なのですが、うち「大天狗」というのがなかなかの威容を放っていました。営業は、していないのかなあ。 また、いぼいしこみち(いぼいしとは、こりゃなんぞやと思い調べてみると、雲母によってできた丸いつぶつぶが張り付いた石のことを指すようで、さするといぼが取れるということで信仰の対象にもなっているらしいのですが)なる通りもあって、その突き当りには「だるま」というちょっとよさそうな焼肉店もあり、こちらは営業していますがいきなり焼肉だと後が続かないと判断しスルーします。 で、背景の様子から明らかなように時間は前後してしまいますが、まずは「やきとり 喜城」にお邪魔しました。この土地は台風19号により大きな被害をもたらした阿武隈川と安達太良川に囲まれた地形となっておりますが、そのいずれも川からも近い場所にこの焼鳥店はありました。店の裏側から近寄ったのですが、細い路地には店が吐き出す白煙でもうもうたる状態となっていて、それが実に風雅な印象で、さあこれからじっくり呑むぞという気分を高じてくれるのでした。正面に向かうとプレハブ風の安普請でありまして、少しく新しい気もしますが、なかなかこれはいい感じではないですか。店内もまたとても渋くて、カウンター席がやはりいい感じなんですがここは余程の常連でないと使わせないのか、すぐに小上がりに通されました。小上りもオーソドックスないい造りだったからいいんですけどね。というか東北で呑むならもしかすると小上がりとか座敷がしっくりくるかもしれません。さて、こんな環境なら何を食べたって旨いに違いないなんて書くと失礼だからフォローしておくと、味もいいし、値段も手ごろだし、言うことなしなのであります。地方都市らしく酒の値段はそこそこだけれど、こんな本宮であることを忘れさせてくれるような酒場の正道を行く店と出会えて大満足なのでした。
2019/11/25
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度重なる台風の被害で郡山の町もそこで暮らす方々も大変な心痛と御苦労を背負わされる事になったと心が苦しくなる思いですが、ならばこそ郡山を始めとした北関東や南東北の皆さんを不快にせずむしろほんの僅かでも励みになれたらと思い、郡山への一泊二日の旅について、書き残したいと思うのです。もしこれをご覧になって郡山に訪れたいとお考えいただければぼくも幸甚です。 さて、おや、こいつ、つい先だっても郡山に行っていたではないかと思われたかもしれません。そうなのです、久し振りに行ってみてやはり郡山は汲めど尽きぬ酒場の宝庫であると確信するに至ったのです。なので、またしてもと思われるなかれ、まだまだこれまで報告してきた少なくない酒場にも負けず劣らずの素敵な酒場に遭遇できたので期待していただいて良いと郡山の方になり代わり自負するものなのです。でも逸る事なかれ、まずは喫茶巡りでこの旅はスタートします。 まず降り立ったのは旅の大体中間地点である小山駅です。これまでも何度かこのブログにも登場しておりますが、正直余り面白みがあるとは言い難い町だとこの日までは思っていました。にも関わらず立ち寄ったのは、これまでスケジュールの都合で見合わせていた「コーヒー・軽食 フルル」にお邪魔するためだったのです。駅の西側のバイバスを延々と歩いた先にあるその立地の難儀さがそのまま見合わせた理由となるのですが、そのバイパスに至るまでの町の様子が他の町に見られぬ独特な景観だった事が到着を遅らせ、ひいてはスケジュールの変更を余儀なくされる事になるのですが、今ではその事を少しも後悔はしていません。ぼくにはユニークに思えたそな所以を上手く表現する準備がないので敢えてそれを語らぬ事にしますがもしこれから向かおうとしている喫茶に未訪でこれから訪れる事を予定しようという方がいたならば、ぜひ多目に時間を割いてくねくねと出来るだけ回り道しながら向かって頂きたいと思います。さて、ようやく到着したそこは多少の苦労をして訪れただけの価値はあるとてもチャーミングな内装のお店でした。多少古びているのも愛嬌のうちです。ママや常連のオバサマ達にお若いわねえなどとガッチリと絡んでもらって有意義ではあるけれど先のスケジュールが気になりますが、結局お喋りにお付き合いして予定の列車は乗り遅れたのでした。 駅に引き返す際に「アイドル」、「コーヒー&ランチ まーめいど」などを見掛けましたが、前者は現役っぽい雰囲気ですが,後者は明らかに閉業なさっているようでした。 お馴染みの黒磯で列車の待合せです。ずっと黒磯での時間を潰すのが憂鬱だったのですが、近頃は楽しみに思えるようになりました。それは「明治屋」の牧歌というシンプルなブッセを一度食べてから大好きになってそれを買い求めるのが常となったからです。だから今では黒磯で仮に乗り継ぎが良かったとしても敢えて一列車遅らせてもいいくらいです。もう一軒、「kanel bread」というパン屋が評判が良いので何種か買い求めてこちらも土産にしました。これがなかなか悪くないのです。というか都内の有名ベーカリーにも引けは取らぬと思いました。残念なのは少々値が張ること。 いつ頃からかは忘れてしまったけれど、東北本線で旅すると大概の場合、新白河で乗り継ぎが必要となります。時間によっては白河ラーメンなど頂くのも悪くないけれど、ぼくは「ティールーム 高山」に寄る事が多いかな。過去の写真を探ってみたけれどないので外観のみ。「ボルドー」なるレストランもずっと気になっているけれどこちらも立ち寄る機会を作れていません。長居する魅力が感じられぬのです。せめて隣の白河駅だといいのになあ。
2019/11/24
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検見川には、去年だったか一昨年だったか忘れてしまったけど訪れています。その時には喫茶巡りが目的だったので昼間に立ち寄り、でもどうにも気になったので夜になって改めて呑み直したのです。でもその時に立ち寄って呑んだのは、JR総武本線の新検見川駅の周辺でありまして、軽く酔った後に回り込んだ、いや昼間の喫茶巡りの後にだっただろうか、近そうで案外遠い京成千葉線の検見川駅を通ってみようと思い立ったのです。しかしまあ、そこには見事な程に何もないのですね。何もないって事はありえぬけれど、店らしい店もほとんど見当たらずどうやら線路の向こうにはなんとかいう神社があるらしいのだけれど、目ぼしいのはそこばかりで人通りもさっぱりなのでした。ただそれでもたった一軒だけれど酒場があって、その枯れた佇まいはずっと記憶を浮き沈みしていたのでした。今となってはどうしてその夜のうちに行っておかなかったのか。 そんな気掛かりで夢見を悪くすらしていた「むさし」にようやく訪れる機会を得ました。なんたら神社に真っ直ぐ伸びる通りは途中、こぢんまりした駅から出てすぐのか細い路地を抜けてすぐの踏切を越える事になるのですが、それは無視して左に逸れると間もなく目当ての酒場が見えてくるのです。ひっそりと静まり返って人の気配のない酒場は、日頃行っている都内近郊のどんなうらびれた酒場にも比べられなぬ深い闇を携えているかのように感じられたのです。ようやくここに来れたという興奮と予めの印象がなければ、その孤独さに恐れをなしてしばしの躊躇いを禁じ得なかったかもしれぬと今にして思うのです。店内はやはり沈黙に包まれており、女将と独り客がいたけれど、どちらも言葉を交わしたりすることもなく、客は一人の世界に閉じこもり、女将はテレビに見入るのでした。いかにも耐え難い様子に思えるかもしれませんが、この寂寥が心地良く感じられるのです。カウンターを埋め尽くすように置かれた雑貨やらが孤独な気持ちを慰めてくれるみたいです。肴は少なからず揃っているけれど、調理の面倒臭そうな品を頼むのも気が引けたので、ここはどんな時だって安心して美味しく頂ける冷奴があれば充分です。女将は初めてのぼくに対しても何も尋ねず、客は視線をこちらに向ける事もなく身じろぎすらしないのです。ぼくはまるで本当はここに存在していないんじゃないかという鈍い不安に背筋を冷たい何かが滴り流れたような気がします。店を出てもどこか現実感のない気分ー引き摺っていたので、現実に自らを引き戻すため隣の駅まで歩くことにしたのです。
2019/11/23
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千石にずっと気になる中華飯店があります。気になっているので当然ながら何度も通るようにしているけれど、一度として入れずにいるのであります。通過する時間は決まって夜だから昼間だけの営業なのかななんて思ってみたりする。それとももう営業していないのか。でもネットの情報ではまだやっているようです。なので懲りずにまた足を運んでみることになります。その夜は早めの時間に駆けつけたので暖簾が仕舞われたばかりのようです。この時点でようやく夜の7時にはもう営業を終えてしまうことを知るに至るのでした。これでは夜の部の営業に間に合わぬではないか。あっ、だったら昼に来ればいいじゃん。なんていう頓馬な結論に至るまでに何年掛かり、何度足を運んだことか。そのお店はそれに気付いたすぐの頃、ネット情報で日曜日も営業をしているということを知り、悲願叶って行けることになったのですが、それはまたいずれ報告することにして、ここではそんな虚しい空振りを続けた夜にふと立ち寄った老舗蕎麦店について、報告しておくことにしたいのでした。 同じ通り沿いに「駕籠町 藪そば」を見出したのは実は最近のことです。蕎麦屋で呑むという行為にまだ己の年齢が達していないのではないかという迷いがあったせいか、視界に入ってこなかったのかもしれません。質素な建物ながらそこはかとない古風で格式がある構えがカッコいいのでした。狙っていた中華飯店がダメだった時にでもお邪魔しようと思っていたのですが、あっさりとその機会が到来したというわけです。ハシゴする元気があれば同時に済ますこともあり得ますが、すぐに満腹となる近頃はもはや適わぬ考えとなりました。さて、店内には一組だけお客さんがおられて、蕎麦前を存分過ぎる位に堪能しています。品書を眺めると焼鳥やそばがきなどの酒の肴も案外充実していますが、藪の系列らしくそこそこのお値段でありますので、雰囲気さえ楽しめればいいぼくはたぬきそばで満足することにします。瓶ビールも700円と強気でエビスビールといえどやはり呑みの利用にはいささか厳しいものがあります。でもこのお店の内装が広々としていて実に気分がいいのです。厨房には女性が3名いらして男性の気配が感じられません。で、店内から見通せる場所にはなぜか炬燵が置かれているようで、そこで若い女性が暖まっているのが微笑ましいのでした。ぼくには少しばかり上品過ぎる蕎麦をすすり、ビールを呑む。清酒なんかが似合うのだけれど、ここでお銚子を調子に乗って2本、3本と空けると今月の小遣いが吹っ飛んでしまうのでそこは自制心を要求されるのです。といったわけでお値段はお高めではありましたが、落ち着いた静かな店内でしっとりとした気分に浸れたのは何よりでありました。ここでしっぽりと時間を掛けて呑めるような大人に早くなりたいものであります。
2019/11/22
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巣鴨新田は都電荒川線の電停でありますが、ここに限らず荒川線沿線の住民の方たちは、休みの日の夜に不意に思い立って呑みに行こうと思うとどこに行くのだろうかと時折思うのであります。だってこの沿線の周囲には大塚駅や王子駅などの乗換駅は別にすると周辺には住宅ばかりが密集していて、呑み屋に事欠きそうなのです。ぼくだってまあ、休みの日位は自宅でのんびり呑むのを好むわけだからそんな心配は無用だと言われたらそれまでだけれど、やはり近所に何軒かは気が向いたら呑みに行ける店をキープしておきたいものなのです。勤めている間であれば自宅の最寄では呑みたくないという人も多いけれど、いざ退職してからのことを考えるとやはり近所にお気に入りの酒場があるようなところに住みたいと思うのだ。なんてずいぶん先のことですけどね。 ともかく巣鴨新田というエリアは呑み屋どころか飲食店も点在しているばかりの基本的に住宅とそれを繋ぐ網の目のような道路で構成された町だから、昔懐かしい時代遅れのロールプレイングゲームのように迷宮のような町に迷い込むと不意に遭遇する食堂のような出逢いがまあ楽しいといえば楽しいのです。しかしまあそんな幸運は稀なのでこの夜のぼくのように事前のリサーチをお勧めします。調べてすらぼくは余所見していたこともあり迷ってしまったのでした。「栄楽」の店先に立つと戸が開いていて店の女将さんと視線が交わったので、到着の興奮とか店の構えの渋さなどの余韻を確かめる間もなく店内に足を踏み入れようとするのですが、何物かがそれを阻むのでした。ふと足下を見ると本物の扉に加えてスイングドアとかウエスタン扉なんて呼ばれるあの西部劇の酒場のあのパタンと開くのあれの足下用が手作りされていたのでした。丁度そのタイミングでお客さんというよりは近所の顔見知りが散歩の途中で立ち寄ったその帰りらしく手にはリードが握られているのでした。これはお犬様用の扉ということのようですね。ついでに入口付近の細工を眺めてみると、おやおや、本物の扉は店先に置かれた自販機の脇腹を壁代わりにして設置しているようです。自販機の放つ熱気はこれからの季節は良さそうだけど夏場は暑そうだなあ。さて、カウンター席に腰を下ろすと、取り急ぎサワーを注文します。それを待つ間、店内を眺めす。いやいや適度なごちゃごちゃ感がとても良いですねえ。品書もユニークで、全てが平仮名表記なのです。穏当にラーメンを注文します。特に変わったところのない普通のラーメンですがそれで一向に構わぬのです。こんな店でゆっくり呑みたいと思うけれど、きっと夜は早く店を閉めてしまうのだろうなあ。やはり早く引退して、夕方頃から呑んで相撲中継が終わる頃に引き上げるのが真っ当なこの店の使い方なのかもしれません。
2019/11/21
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格別嫌いという訳でもないのですが、ぼくはギャンブル事とはとんと無縁です。一応、将棋や囲碁、麻雀、ブリッジといったゲームは嗜みとして覚えたものですが、それも若かりし頃の社交術が不要となるとすっかり忘れてしまったし、競馬、競輪、競艇などなどはギャンブル好きの知人との付き合いで冷やかしてみたし、その場の雰囲気は嫌いじゃないがそこに時間を割く余裕はなかったのです。時間の無駄遣いといえば、パチンコやスロット等もありますが、これについてはロラン・バルトが残酷な言葉を投げ掛けておりますが、ぼくも貧弱極まりない経験値を根拠にするのも乱暴な気がするけれど、賛意を表明するに心に痛みはないのです。宝くじすらここしばらくは無縁だから、まあいわゆる賭け事全般には加担しないギャンブル狂から見ると極めて退屈な男なのです。といったような事をギャンブル好きの知人に語ったところ、お前はその代わりに毎晩のように見知らぬ酒場に飛び込んでいるのだから、それだって賭け事みたいなものではないかと言われて虚を突かれたのでありました。 そんな訳ではありますが、申し上げた通り、京成千葉線の船橋競馬場駅で下車しても、向かったのは北口なのです。ここから少し行った辺りに「菜来軒」なる中華飯店があるようです。改札を通り抜ける客は少なく、ましてや北側に歩き出す人も他にはなかったのでした。駅前とも呼べぬ様なうらびれた様子はそんなに意外ではなかったけれど、数駅を移動しただけで千葉県を代表する大きな町がいくつもある事を思うと、こうも容易に田舎びた光景に向き合えるのはある意味で羨ましい事であるかもしれぬのです。まだ先般の台風の余波が収束を見せぬうちにこうした発言は不用意かもしれませんが、微力ながら千葉県の振興に尽くしたいとは思うのです。さて、駅から歩く事、5分程するとますます地方の住宅街っぽい煤けたような風景を抜けていくとポツネンと結構な大きな構えではあるけれど古色蒼然たるプレハブ風の店舗が見えてきました。これを見ただけでも来た甲斐があると思わせてくれます。話が少し脱線しますが、こうしたタイプの居酒屋は都内近郊で近頃滅多に遭遇できなくなりました。まだしも中華飯店や大衆食堂には開店時そのままの姿を留めている事がありますがそれに比すると居酒屋は余りにも少ないと思うのです。こうした枯れた町では周辺の住民が高齢化に伴い健康面や財政面などを理由に外で呑む事が少なくなるのではなかろうか。呑むならセット料金の多いスナックに週に一回といった頻度で出向いて、後は自宅で呑むのかなあなんて思うのです。それはともかく内観は外観が抱かせるイメージをそのまま反映させていて素晴らしい。夫婦でやられているようで、昼過ぎだったせいかお客さんもなく店内は静かです。知人も一緒でしたが、そうお腹も減っていなかったので餃子と酢豚の定食を分けることにしました。餃子は見た目はイマイチだけれど味は良く、何より驚いたのが酢豚のボリュームです。これだけあればもとより盛りの良い丼飯をお代わりしなくてはならぬ程とも思えるのです。実際にはライス半分でも満腹になるのが残念でならない。この辺の高齢者は大食らいなのかしら。思わずのんびりしてしまいましたが、日も短くなったしうかうかしていると日が傾いてしまいます。名残惜しく席を立つのでした。
2019/11/20
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北池袋には余り良い思い出はありません。というのはかつて池袋駅北口の少し奇妙な造り―ともったいぶるが語るほどには変わっていない―の小さなアパートで暮らしていた頃、生活の足はもっぱら自転車でありました。今では自転車は放棄して電車やバスなどの公共交通機関と自らの足を頼りとしていますが、交通マナーや道交法も緩やかだった当時は、そう遠くへ行くわけじゃなくても自転車を足としていたのです。映画を見に行く時も駅の付近に自転車を放置して近隣の皆様には大変ご迷惑をお掛けしていたかもしれません。申し訳ございませんでした。今ではすっかり更生したので平にご容赦ください。さて、それがどうしたかというと池袋駅西口周辺の放置自転車が撤去されると運ばれたのが北池袋駅そばの保管所だったのです。まあ酷い時には月に2回とか自宅からトボトボ歩いて受け取りに行くのですが、面倒で面倒で仕方なかったものです。とまあ北池袋とはそんな付き合い程度なので、後年になって軒先だけで営業しているハイレベルなパン屋さんがオープンしてからは時折買いに行って関係を修復しかけていたのですが、いつの間にやらそこも店を閉めてしまいまたも縁の薄い町になってしまったのでした。 そんな縁薄い町に「バシコヤ!!」なる新たな酒場がオープンしていたのですね。その存在に気付いたのは最寄りに鉄道の通らぬ少々不便な土地に酒を呑みに行った時のこと。池袋駅行きの都営バスが明治通りを走っていて、ぼくはにうつらうつらと船を漕いでいたのでありますが、視界の片隅に「湯」の文字が過ったことを覚えている。あれ、こんなところに銭湯などあっただろうかと帰宅後にGoogle Mapで調べてみるがそれらしき施設は確認できぬのである。やむなくストリートビューで明治通りを辿っていくと、なんだ「湯」は「湯」でも「般若湯」であったのか。では、そうした店があるかと食べログなど見てもどうにも見当たらぬのです。結局、「般若湯」を掲げた「バシコヤ!!」なる居酒屋であることを知るのでありますが、このリサーチは結果、無駄ではなかったのです。周辺には見落としていた中華飯店やら蕎麦屋が案外存在することを知ったのですね。今後は北松戸界隈が時折登場することになりますが、それはまたの機会に。さて、店に入るとやはり真新しくて味わいは少しもない。でもカウンター席は常連で占められており奥の卓席にも地元の方が寄り合っているのでした。そのおっちゃんたちがまあ揃いも揃って癖のある連中ぞろいで賑わしいことこの上ないのであります。池袋界隈のオヤジたちには、あまり活気とか下町臭さを感じることはないのですが、ここの連中は千住の外れのオヤジにも劣らぬ曲者感が漲っていたのでした。これは別に文句を言ってるわけじゃなくてありのままを語っておるのです。二人掛け卓席でションボリ気味の様子で独り酒を呷るぼくには格好の暇潰しになるので感謝こそせぬがまあ少しは楽しませていただきました。さて、こちらの主人、若いけれどなかなかの実力の持ち主と見た。「般若湯」などと気取った看板を掲げるだけのことはあります。珍しく氷結酒も置いていて、余り人気がないのかな、元の値段にバッテンして350円で頂けました。スプーンでシャクシャクと頂くのも悪くないものです。余所者には不便な土地柄ですが、ここは当分安泰とお見受けしました。
2019/11/19
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今回、亀戸を訪れたのは昨日の建築物件をじっくり眺め倒すのもありましたが、もう一つ、何度かトライしているけれど振られ続けている蕎麦屋さんに行くという目当てもありました。この蕎麦屋さんのあるのは、亀戸天神社の裏手、横十間川の川辺りにも近い位置、つまりは梵氏の物件とは真逆の場所にあるから、それなりの運動量を要するのでした。途中、前日報告した場所も含めて亀戸天神社やら升本などなどちょこちょこと立ち寄っているので、案外じっくりと散策し、存分に堪能した気分になりました。そういう意味では亀戸って、多少地味なことはあるけれど、行楽気分で一日遊べる町なのかもしれません。 といった次第もあって、すでに空腹はピークに達しています。これを過ぎると空腹感が風船が萎むように失せることが多くなっているので、可及的速やかに蕎麦屋を目指さなければなりません。途中、やはり前々から通り掛かって気になっていた「喜楽」がやっているのを目撃し、激しく心が揺れたのですが、今回はまだやってることが分かっただけで良しとして、当初のお目当ての蕎麦屋さんに向かうのでした。 念願の「中の茶屋」は、お向かいの味わいのある焼鳥屋「ことぶき」にお邪魔した際に営業していることは聞き及んではいましたが、実際にそれを目にするまでは鵜呑みにはできぬのであります。人間不信にも程があると独り言ちたくもなりますが、これまでも何度となく痛い目にあってきたから、そんな言葉は信じないといった体を装ってみせるのです。すでに廃業なさっていることも念頭に刻んでみたりして失望を極力薄味とするためのイメージトレーニングなどしてみたりもするのだけれど、逸る気持ちを抑えるのは容易なことではないのでした。しかし、実際にはあっけない位に当たり前の表情を呈して店は営業をしていたのでした。店内は思ったよりも狭く思えたのは、柱や目隠し壁などの余計なでっぱりが多いからのようです。でもこういうでっぱりが取り除かれてこざっぱりしたら余り面白くないだろうと思うのです。早速ビールを注文、キンキンに冷えたビールが腹に落ちると一挙に吸収され体中を駆け巡るように感じられるのでした。尿酸値を下げようということでもないけれど、頼んだのはわかめラーメンでした。これが麺がもっちもっちしていて、手打ちではなさそうですがとても満足できました。
2019/11/18
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亀戸を訪れた目的は、またもや梵寿綱の建築物件を眺めることにあるのでした。都心圏内に存在を確認できている梵寿綱物件は、ここを含めても他に2物件が残されるのみとなりました。他県にも1物件があることは確認できていますが、そこはひと頃通い過ぎてしばらくはもういいかなという気分なので当分チャンスは到来しないかもしれません。こうして訪ね歩くのは楽しくて、当初は美術館巡りをするようゆったりペースで巡るつもりだったのが、熱が冷めぬうちにとつい次から次へと経巡ってしまったのでした。最後が迫った今となってはじっくりと鑑賞させていただくことにしましょうか。 梵氏の手掛けた「カーサ第一亀戸」の4つ目で確認できている最後のカーサマンションになります。実はこちらの物件は、「大衆酒場 伊勢元(有限会社伊勢元牧商店)」の斜め向かいに建っていて、間違いなく以前通り過ぎているのですが、恥ずかしながら少しも記憶にございませんでした。花柄の赤と橙を大胆かつ盛大に貼り巡らせた通常のマンションではあるまじき外観は氏らしさいかと言われるとぼくにはちょっと違うかなと答えざるを得ません。仮にこの物件の建築家をあてっこしたとしたら正解を出す自信はありません。しかし愛らしい物件であることは間違いなく一見の価値はありました。 亀戸は結構隈なく歩いていると自負していたけれど、「リベルテ」のある奥深くまでは来ていない気がします。だってこんなに気になる外観のお店ならば入らずに通り過ぎるなんてしないと思うのです。いや、レストラン色が前面に押し出されているから敬遠したのだろうか。今ではレストラン色が濃厚でも喫茶とかコーヒーの文字があればドリンクのみの利用が可能な店も少なくない事を知っているから、一応店の方に尋ねてみることにしています。そりゃ、ランチ時で混んでいたりしたら遠慮するけれど、オンタイムながらお客さんの姿もなかったから問題なさそうです。入ってみると抑えめの照明が心地良くて、内観は喫茶と洋食店という店のスタイルに徹底して準じた造りになっていて悪くないのです。ぼくはどちらの業態の雰囲気も大好きだから、問題となるのは酒も出していそうだからここを広義の酒場に含めるか迷う辺りだけです。 総武線の高架を渡り、駅の北側に移動します。「カフェテリア 三喜」という飾り気のないけれど、妙に気になるお店があります。かつては良く見掛けた図書館なんかの公共施設の片隅とか地下に設けられた喫茶や食堂―この手の店舗を積極的に巡る方もおられるようで、ぼくもかつてはたまに利用していたのでその良さも知ってはいるつもりですが、こうした店は概してオープン過ぎて剥き出しのプレゼントのような興のないという側面があると思うのです―のような雰囲気を少し匂わせつつも独立した建物のせいかやはりそれとは違っているようにも感じられるのです。そもそもここは今でも営業しているのか、改めて足を運ぶしかないのだろうか。 と、喫茶巡りという事ではちょっと物足りない結果となったけれど、最後に「さとうパン」というやってるんだか外見ではよく分からぬパン屋に遭遇できたのは幸運でした。でもそんな杞憂などどこ吹く風と飄々と営業しているのが古いパン屋さんの凄いところです。全く逆に週に2、3度しか店を開けぬツンデレ系なのもあって、本気でパン屋巡りをするなら事前のチェックは大事になりそうです。まあ、ぼくにはそこまでの余力はないけれど。さて、コッペパン2個とハムカツパンを買って何と価格は驚きの250円だったろうか。後者はカツがちょっと駄菓子っぽくて微妙ではあったけれど、コッペは表はカリッと中はふっくらで満足のお味でした。
2019/11/17
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田端の坂を上るのは憂鬱です。いつもは坂を下って呑みに行くのですが、必ず駅に引き返してくるから結局帰りには坂を上ることになるわけです。だから先か後かというだけの問題なのでありますが、ぼくの場合は先に坂を上りきっておきたいと思うのです。ぼくは、先に面倒を済ませておくことを性格的に好むからであります。でもこの田端においては、先に坂を上るのが面倒でならぬのです。それは退屈な坂が結構長く続くからで、動坂下の交差点まで来るとかなりうんざりとしてくるのです。そして、そうなることを予め想定できるからこの坂道を歩くのはとても憂鬱なのでした。 とても普通でありながらここ「ペントハウス」には何度もお邪魔しています。夜になると殊の外、店内の様子が透けて見えるわけで覚えていてもおかしくないはずなのに余りにも普通なので、すでに来ているかが判然とせず、またこの坂を繰るのが億劫に思えて一応入るということを繰り返しています。それも今回でお終いになると思います。次来る時にはノルマといった思い足枷を取り去って、軽い気分にお邪魔することもあるかと思うのです。 そんなすぐそばに「長寿庵」はありました。非常に薄暗い照明が灯っているだけなので見逃してしまうところでした。というかこれまで「ときわ食堂」やら「動坂食堂」なんかにお邪魔した際に限らず何度も通っているはずなのに存在を認識しかねていたのだからもしかするととんでもない失礼を犯していたかもしれません。ともあれいそいそと入店。やはりとまたも失礼なことを思いつつやはりお客さんはおりません。品書をぐるっと見渡しても酒の記載はなくてやっちまったかと軽い後悔を感じつつも一応女将さんにお酒はないかと確認します。おっ、やった冷たいのと普通のとどっちになさいますとのこと。冷酒と常温の清酒があるのだな。当然安かろう後者をお願いすると1合瓶で提供されるのでありました。お新香が添えられているのがうれしいですね。テレビを眺めつつのんびり何を食べるかを物色します。酒の肴はこれといってないけれど、不思議なことに野菜炒めがあるのですね。板わさとか蕎麦みそなんかもないのにこれは珍しい。でも腹いっぱいになるのは避けたいので、大人しく中華そばを頼むことにしました。お酒の追加も忘れないでね。で、登場した中華そばが写真からも見て取れるかと思いますが、蕎麦屋のそれとは一線を画するような濃厚そうな少し白濁したスープなのです。でも口に運ぶと案外すっきり呑みやすく、血圧のことも気になる年頃ですが呑み干してしまうのでした。麺もなんていうかむっちりと食感に厚みがあって旨かったなあ。勘定してみたら気になる酒のお値段は350円でありました。こりゃいいや。今度は野菜炒めで一杯やってからまた中華そば系を試してみたいです。 でもやはり最後にはせっかく登り切った道を辿り、駅を通り越しさらに下っていつもの立呑みに立ち寄ることになるのでした。
2019/11/16
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単にぼくが知らないだけかもしれないけれど、こんなに素敵な酒場なのにどうして世間では余り知られていないのだろうと思うことがしばしばあります。好意的に考えると、その酒場を愛してやまぬ人々が愛しすぎるが故に秘密にしておきたいという心理が働いているのではなかろうかという推測が成り立ちそうですが、そんな自制が働く人ばかりとは思えぬのである。次なる推測としては、世の人々がその酒場の存在に気付いていないという可能性であります。実際にそうした酒場では、ネットに情報を拡散しようとする人は少ないように思えるのであるけれど、それはぼくにしたところで他のお客さんからはインターネットの仕組みなど知っているはずもないだろうと思われていそうな気もするから蓋然性は低いように思えるのだ。だとすればよもやと思うのであるけれど、ぼく以外の大部分の居酒屋を取り上げるブロガーなどにとってその酒場が魅力的ではないという想像であります。いやいやそんなことがあろうはずもない、そう信じたいのであります。 なんてことを書いたその翌日に、「大衆酒場 伊勢元(有限会社伊勢元牧商店)」について、ばっちりと写真も豊富に紹介されたサイトを目撃してしまったのだから、本当であれば前段の下りはすべて放棄すべきところなのであります。が、しかし横着なぼくはそうはしないのでありました。たまたま亀戸をとある目的で京葉道路を散策中にこの大きな通りの車線の向こう側に古びてはいるけれど、非常に目立つ佇まいが目に飛び込んできたのでした。駅北口の明治通り沿いにある「伊勢元」はこぢんまりとしてどこにだってありそうなお店でしたが、こちらは全くといっていいくらいに趣を異にしたオオバコなのであります。実際に店内に入ってみると、思ったよりは広くはないけれど、ぐるりと外壁に沿うように誂えられたカウンター席がとても愉快なのです。世間で矢鱈とコの字カウンターが持て囃されているけれど、ぼくには単純なコの字カウンターはもはや余り面白みはなくて、むしろこちらのような変形カウンターが店内風景に変化をもたらしてくれるので楽しく思えるのです。さて、間もなくランチタイムの終了時間である2時が迫っているので、急いで注文しなくてはなりません。なんて、肴でお願いしたピーマンの肉詰めフライやナスピーマン味噌炒めなんてのが届いてもまだ、いいかいと声を掛けて常連のおやじたちが訪れ、店の方はあらあらってな表情を浮かべながらも受け入れてくれるのがうれしいではないですか。女将さんと娘さんは優しい表情の方たちだけれど、一転して強面のオヤジさんは仕事の手を休めて昼食タイムに突入です。こういう店の方のリラックスした様子を眺めながら呑むのもなかなかない機会で嬉しくなります。近所なら週一は通うのだけれどね。
2019/11/15
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亀有に限ったことではないかもしれないけれど、町を歩いていて酒場を求めていてもどうしても見落としてしまう店というのはあるものです。こう言っては失礼かもしれぬけれど、そうした見落としがちな酒場の存在に気付くのは程々に酔っ払って、後もう少し、そう2杯とか3杯も呑んで切り上げようかななんて思うタイミングだったりする訳です。つまりは、後はもう何処でもいいし、肴なども形だけ頼んでおけば良かろうなんて思ったりする時なのです。特に独りだともう少し粘ったりもするのだけれど、誰かと一緒だったりするとさらにその傾向は高まるのです。亀有ではまさしくそうした状況下で何軒ものそういうお店にお邪魔しており、その中には良かったお店もあれば当然それを上回る駄目なお店も多かったのです。でもこの夜にたまたま立ち寄ることになったお店は凄くいいわけではないかもしれないけれど、〆の店には適当なちょっといい感じのお店だったのです。「居酒屋 古里屋」という長屋風の建物はかつて通り掛かったこともあるだろうし、もしかするとこの店は案外新しい感じだからここが開店する前のお店にお邪魔していたかもしれません。カウンターが主体で卓席は2人掛けの止まり木風のがあっただけだった気がします(写真を見たら大体記憶と一致していました)。すでにいい具合に酔っていたわれわれには不安定なテーブルより寄っかかってもへたり込んでも安全なカウンター席が望ましいのでした。近頃のこじゃれた風の居酒屋なんかにこういうぐらぐらのテーブルが見られるけれど、あれはぜひともやめていただきたい。酷く酔っ払っていなかったとしても興奮して卓脚を蹴飛ばしてえらい目に遭うことがあるのだ。さて、他にお客さんは一人だけで主人は暇そうにしているけれど、注文を促すような素振りがないのはありがたい。注文した砂肝揚げやホタテと青菜炒めらしき品をチャチャっと手早く調理すると、すっと引っ込んでくれるのです。駅からちょっと遠いのが難点となっているのかもしれぬけれど、店の雰囲気としては駅前で帰宅前にちらりと立ち寄るといったタイプの酒場に思われ、こうした軽く立ち寄れる店が増えることを期待したいのでした。
2019/11/14
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世間では上野で呑むとなればといえばもっぱら上野駅と御徒町駅間のガード下の周辺部ということになるようで、確かにごちゃごちゃしてヤミ市的な気分を味わおうというなら楽しくなくもないけれど、人混みに酔ってしまう。それに比べると東上野の方は、日中でも人通りが疎らで歩きやすくて、ぼくのような田舎者でも気楽に足を向けることができるのです。そんな気楽さだけではなくて、この界隈にはまだ見過ごした何か素敵な場所がありそうな予感に満ちているのですね。その予感がどこからもたらされるのかは定かならぬところがあるけれど、そこらの雑居ビルの地下に思いがけぬ飲食街があったりするなどの不意打ちを食らいそうな気がするのです。お気に入りで暇つぶしにもよく遊ばしてもらっているGoogle Mapですが、これだってまだまだ不備が多いことは実地にて幾度となく経験しているのだから。と、いったことを書くと、Google Mapの取りこぼしのお店を見つけたのかと期待させてしまうかもしれませんが、これからお邪魔するのはそうした見えないお店などではなくて、地図上でも容易に見つけられるし、何度となく通過していながら無視してきたお店なのでした。 サッポロビールにやき鳥の看板、「やすくて旨い」のいくつになっても魅惑的な惹句の誘惑に抗えず、既に程よく酔っていてもつい誘いに乗ってしまうのでした。「虎の子」はそんなどこまでも有り触れたごく普通の居酒屋だったのです。ですけど、いつもの発言の繰り返しになりますが、こういう普通の居酒屋って今では少しも普通じゃないのですよね。外観からも長く愛されてきた事がしみじみと伝わってきます。店に入ると思ったよりずっと奥に深くて、手前のカウンター席に腰を下ろそうとしたら卓席を勧めて下さるので遠慮なくテレビ前の特等席を独占させて貰いました。小上がりではサラリーマン客が大いに盛り上がり間もなく終宴を迎えんとしていたのです。そうそう、こういう店こそがサラリーマンの呑みには相応しいのだよ。と、書いたそばから何ですが、何とこのお店は女性客のグループが実に多いのでした。看護師さんの集まりは愚痴や噂話が大概だけれど、キツい仕事の後の開放感に満ち満ちていて陽気であっけらかんとしていたから聞いていても不快には感じられぬのでした。肴もド定番は当然ひと通り揃っているけれど、今時の立呑屋のアレンジメニューにインスパイアされたのか、それともそのずっと前からの隠れた定番なのかは知らぬけれど、コロッケのカレーがけなんてのを頼んでしまうのです。別にそれぞれは普通の味なのだけれど、一緒に食べると実に良い酒のお供になるのでした。実はこうした懐かしいムードを残しつつ進取の気性を併せ持った店が今でもあちこちに残っているのかもしれません。これから呑み屋を物色する際には見落とさぬよう注意したいと思うのでした。
2019/11/13
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亀戸の立ち呑み屋の充実振りには目を見張るものがありますねえ。日替わりでローテーションして通ってもはみ出してしまう酒場もあるから2週間掛かりでローテーションするのが丁度いい位かもしれません。実態として何軒の立ち呑みがあるかカウントしてみたこともないからはっきりとしたことは言えぬけれど、多分それ位はあるんだと思うのです。だから何だと言われても適当な答えを持ち合わせてなどおらぬことはいつも通りでありますが、まあ、これだけあればよその町にわざわざ遠征などしなくても良いのかもしれません。ぼくが呑み歩きを始めたのは、以前も書いたけれど毎晩同じ酒場に立ち寄るのでは飽き飽きするから途中下車してその下車駅の近くに1、2軒のお気に入り酒場を押さえて置きたいという意図から始めたものでした。でも始めたらそれでは済ませられなくなって、日夜未訪の酒場を訪れるようになったという次第なのです。 この日は未訪であった2軒にお邪魔したのですが、どちらも駅近でとても便利です。ぼくが普段よく行く何軒かの立呑屋は、どこも駅からちょっと歩かねばならず今でこそ慣れてしまったけれも最初に通い出した頃には遠く感じられて、少なからずの気合を入れる必要に迫られたのです。でもこの2軒ならそんな意気込みすら不要です。いや、本当なそうなのか。きっと面倒と思う人は改札を抜けるだけでも面倒と思えるはずだから要は慣れこそが唯一の面倒を厭わぬようになるための解決策なのだろうか。「立ち呑み とーど」は、推測するにお隣りの錦糸町のJRAで馬券を買い込んだオヤジたちで賑わっていました。嫌もう実に混み合っている。ぼくならばそのまま錦糸町で呑むだろうけど、彼らは地元に戻ると安心なのだろうか。それにしたって的中を出して換金する事を思えば錦糸町に留まるのが良いと思うのだけれど。いやいやすっかり忘れていたけれど、この立ち呑み屋は錦糸町で最終レースまで呑み続けるより、電車賃の事を計算に入れても安いということなのではなかろうか。確かに500円で550円のチケット制というのは気が利いています。千円分のチケットって良くあるけれど、ここの手頃な価格だと一人で一時に使い果たすのは難しそうです。無論、ここに集う彼らは毎週のように来ているから取っておけば良いのだけれど半端なチケットは大概どっかにいってしまうものです。肴が低価格で少な目というのもいいなあ。鯖の水煮とかチキンスモークとか簡単な品が多いけれど、普通の居酒屋にはありそうでない品が多くて飽きません。なるほどオヤジたちが通いたくなるのも分かるというものです。 続いては、もういいよと言われそうな「晩杯屋」であります。実のところぼくもさすがに飽き気味でありますが、店舗ごとに多少の差異があるので、それを確認する位が楽しみと言えるかもしれません。こちら亀戸の店舗は駅東口を出てすぐのビルの二階にあります。入るとすぐにこの店舗の差異が目に飛び込んできます。というのが、ここだけの特徴というわけではないけれど、椅子席が半分以上を占めているのです。立呑みフリークの方からしてみるとそれはちょっといただけないことなのかもしれませんが、ぼくは座れるのはまあ嬉しいかも。立ったままでも構わぬのだけれど、まあ座れるに越したことはないという程度ではありますが。時間に余裕があってのんびり昼酒というシチュエーションであればゆっくりとS氏とお喋りに花を咲かすには好都合なのです。なんてまあさほどお喋りが盛り上がるほどに話題はないのですけどね。この店の限定メニューなんてのもあって、目立ったのが魚介の漬けなのでいただいてみたらホンのちょっぴりだったのが、残念ではありますが、まあこれはこれで変化があって楽しめます。とまあこの系列店にはいささか食傷気味ではあるけれど、身近に一軒あると便利なのは間違いないです。
2019/11/12
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さて、遅い昼時を西川口で迎えました。用件はすでに済ましてしまったので、どこかで遅めのランチと軽く一杯をすることにしました。西川口では、以前から「キッチン いさつ」と「キッチン ニュー 南海」の両店にはお邪魔したいと常々思っていたのでありますが、惜しむらくはこの2店はどうやら酒類の提供はしていないらしいのです。なんとも残念至極であります。ぼくだって稀には酒抜きの外食もあるけれど、遊び惚けている時に一滴の酒も接種できぬのは非常にもったいない気がするのです。戸田公園駅寄りの入りそびれた喫茶店のそばに「やきとり 松山 戸田店」というのを見掛けていて、こちらも非常に気になるのでしたが、開店は4時とのことだからそれまで時間を潰すのは厳しいのであります。といったような悶々とした気持ちを引きずりつつ歩いていたら、なんだかとってもいい風情の蕎麦屋さんに遭遇したのでした。矢も楯もたまらず店に飛び込んだのですが、そういや酒の有無については、確認する暇もなく店の客となりおおせていたのでした。 お邪魔したのは「福乃家」さんですが、こうして改めて写真を眺めると,天ぷらそばとカレーうどんが押しの店だったのですね。だったら素直にそうしておけば良かった気もするけれど、今更後悔しても時すでに遅しなのです。反り返った看板というのはなかなか珍しい気がするけれどいかがでしょう。店内は狭小なスペースをきっちり活かして5卓ほど置かれています。すでに他にお客さんもいなかったので、テレビの正面の席を陣取りました。取り急ぎビールと冷奴でもいただこうかな。ちょっと摘まめる肴もあって、軽く呑むには十分なラインナップです。当然のことにすぐに届けられるのですが、サービスで玉と角のこんにゃくの煮付が添えられていますね。これはちょっとうれしいサービスですね。さて、メインはどうしようか、なんて実はすでに心は決まっていてカレーライスにする気まんまんなのでした。頃合いを図って追加の注文をしたところに、近所のオヤジが入店です。サワーにお新香を注文しました。それもいいなあ。というかぼくも腹の張るビールよりサワーが良かったし、お新香は品書きにはないけれど、そりゃ頼めばあるよね。とまあしばらくして届けられたカレーライスは思い描いたものと違ってはいたけれど、穏やかな日本の家庭のカレーライスといった感じでホッとするのでありました。満腹して勘定を済ませようというぼくを尻目に、オヤジさんはせかせかする様子など微塵も見せずに新聞片手にのんびりとサワーをすするように呑んでいます。ああ、この余裕のある振舞い、とてもいいなあと羨ましく思うのですが、ぼくのこのせっかち癖は生涯抜けることはないのだろうなあ。
2019/11/11
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西川口にやって来ました。地元の方には申し訳ない物言いではあるけれど、どうもこの西川口という町には馴染めません。猥雑な町は嫌いじゃないし、多少は物騒な位の方が町は生き生きと感じられるものです。それは分かっているし、そうした町に住みたいかどうかはともかく散策するのは楽しいものです。特にこの日は日中に時間を確保したから、まだ町も朝方まで続いたであろう喧騒から抜け出したばかりの抜け殻の様な状況であろうから多少図々しく不躾な視線を向けても許されるものと妄信することにします。 でも、どうも気乗りしないのは冴えない天気のせいばかりでなかったはずです。それでも梵寿綱の手になる「白井美瑠(Pozzo Bianca)」に到着すると曇りがちな気分はさっと吹き飛ぶのでした。でもこのビルに来たのは初めてではありません。以前もこのビルの異形な風貌に仰天した記憶がありますし、何より店子の「BAR 魔の巣」は鮮明に記憶しています。きっと興奮して写真を撮ったと思ったので、念のため過去の西川口の報告を探ってみたのですが、なんと10件もありました。気乗りしないとか書いたけれどなんだかんだお邪魔していたようです。で、このビルの写真を探してざっとチェックしたのですが、見つからなかったですねえ。まあ、前回はきっと夜間に目撃したのでいずれ今回のようにははっきりと細部まで確認できなかっただろうと思うのです。ともあれ、梵氏ご本人も以下のようにお書きになっています。 https://www.facebook.com/vonjourcaux/posts/1095922330540754--コンクリート打放し彫刻の技術を高めてゆくために、誰にでも出来不出来が判る具象的な女性像を、「樹下美人図考」と題して小規模な商業的建築で挑戦してきました。西麻布のケーキ工場 Est Esperanza ・赤坂の丹波屋美瑠・西川口の Pozzo Bianca ・池袋のPetti Etang 等で、この技術の成果は後の建築に反映されました。今日の一枚は、1980年に西川口のイトーヨーカドー・ザ・プライス西川口店至近に建てた、 Pozzo Bianca (白井美瑠)の見上げ彫刻です。厚さ1m以上のスタイロフォームの塊を、直接ネガ彫りし、孔雀や羽を浮かして立体的に表現したもので、コンクリート彫刻技術の頂点に達した仕事だと自負していますが、全くの未発表作です。グーグル地図で記載されていますので、生き残っているようで、おついでの折にでも訪ねてみて頂ければと思います。-- 「コンクリート彫刻技術の頂点に達した仕事」であるとの自負を述べられている通り、非常に見応えがあります。エントランスやその内部にも氏らしい細部が確認できわざわざ足を運ぶだけの価値がありました。 ちなみに文中の赤坂の丹波屋美瑠は、残念なことにすでに解体されたようです。西麻布のケーキ工場と池袋の物件は現存しているので、お時間と興味のある方はぜひお訪ねください。 さて、肝心の喫茶巡りですが、これが少しも振るわなかったのでありました。まずは以前もお訪れている「カフェ エトルア」にお邪魔しました。やっぱりここはいいですね。ごく普通のシックな喫茶店ですが、普段使いには最適です。西川口で数少ない寛げるスポットではなかろうか。でも、まだ回りたい店があるので長居はしません。 ここを西川口というのも無理があります。地図で見ると明らかに戸田公園駅からが最寄ですし、何より住所も戸田市だからね。「カフェテラス 伊達」のことですが、西川口陸橋通りから喜沢通りを進み、中央通りに至ったのですがしばらく歩けど、それらしきお店が見当たらぬと思ったら表通りから一本奥まった通りにあるみたいで、少し引き返すことになりました。そしてら先般、戸田公園駅を振り出しに呑み歩いた際に立ち寄った「珍来」という中華飯店がありまして、なんだこんなに近いなら前回立ち寄っておけばよかったと思うのでした。まあ、そうやってニアミスを繰り返しながら徐々に点でしかなかった町が線となって接続され、やがては面に拡大していくのが楽しいのですけどね。さて、一般の立派なお宅みたいなあまりそそられない外観ですが、いずれにせよ営業はしておりません。また、ここに来るのはだいぶん先のことになりそうです。 あと、もう一軒、ここは以前も通り過ぎて振られてしまったのだけれど、もしかして廃業なさっているのかしら。「喫茶 カド」ですが、店内に照明が灯っていたので、少なくともお店の方は健在のようです。そっと覗いてみると不鮮明ながらも店内が透けて見えました。奥の壁面には大きな食器棚があり、かなり大掛かりなお店のようです。もしまだやってるなら行ってみたいものです。
2019/11/10
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鶯谷と書いたけれど場所としては鶯谷駅と日暮里駅との大体中間位の場所にあって、正岡子規が晩年を過ごした庵がこの辺りにあったはずだけれど、それはまあ然程関係の異話です。とにかく鶯谷駅からでも日暮里駅からでもどちらでも構わぬけれどなるべく最短のルートを辿ればこの夜にお邪魔した中国料理屋に行き着くはずであります。ぼくも当然ながら何度となくここを歩いているけれど、実はずっとここの存在を見過ごしていました。それだけ中国料理屋は日本の町に馴染んでしまったようです。巷間で町中華などと呼ばれたりもする和式中華料理の店がむしろ現代の日本では町からは浮き気味に思えるのです。それはともかく何故今になってこの店に気付いたのか、それが今語るべきことであります。答えは実に下らなくて日暮里駅から鶯谷駅方面に歩いていたら急に雨が降り出し、軽く舌打ちしたところにこの店があったのでした。それだけなら通過していたのだろうけれど、モヤさまの面子が来店したとの掲示と8時迄ドリンクがお手頃との貼り紙が背中を押したのです。 誤解のないうちに断っておきますが、ぼくは消してモヤさまの良い視聴者ではないのです。たまたまテレビのスイッチをオンにしたらちょっと眺める程度でありまして、昔はそれなりによく見た事はありますが、どうにももの足りぬ思いがこの番組にはあったのです。それは滅多に酒を呑まぬ事が原因です。誤解かもしれぬけれどぼくが知る限りでは精々が一度か二度呑んでいるのを見た程度なのだ。まあモヤさまの話はこの位にして、店に入る事にしました。店の名は「味香房」とありますが、明日になれば忘れ去りそうな極めて薄い印象の没個性なお店です。などとどうでもいい事を考えている暇はありません。何しろ酒の安く呑める時間は限られています。時間が限られているはずだったけれど、抜け道があったのでしたがそれはまた後で書くことにします。まずは低価格帯の料理と190円のサワーを注文。届くとすぐに呑み干して2杯目に突入です。なんとかぎりぎりで時間に間に合いました。でもこうした中国料理店ではよく見掛ける何種類もあるメニューを精査していくと料理とドリンクの組合せによる3種のセットが時間制限なく頼めるのでした。この後、Bセットを際限なく注文する羽目になったのです。確かAセットは前菜風の料理とドリンクの組合せで、Bセットは定食メニューにもなるようなホイコーローや酢豚などのメインの料理を組み合わせるセット、Cせっとは前菜、メインにドリンクのセットになり、このCセットでも良さそうなものだけれど、Cセットは値段の設定がいかにも損な感じでいかにもおかしいから頼むはずはないと思うのであります。料理はけして不味からず特別旨からずでありましたが、確かBセットが590円であることを考えるとなかなかお得に思えるのですが、いかがでしょう。また、雨の日に通りがかった寄るかもしれません。
2019/11/09
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選り好みさえしなければ亀有って、際限なく呑ませてくれる店があるんですね。ああ、たまたまこの文章を読み返すといくらでも酒を呑ませてくれる店があるとも読めますが、意図しているのは酒が呑める店が多いということを意味しているのです。それはともかくとして、前も書いたような気がしますがこの亀有は他の町とちょっと毛色の異なる特色があります。というのはこの町ではいかにも居酒屋らしい居酒屋というのは案外多くなくて、むしろ他の業態の飲食店がほとんど居酒屋化している場合が多いように思われるのです。特に中華料理店や大衆食堂なんかにその傾向が見られます。無論、他の町でも大概こうした店で呑むことは可能ですが、それでも食事だけというお客さんも少なくないのに比すると亀有の同様のお店では大部分の客が腰を据えて長々と呑んでいるという気がするのです。数多くのそうした現場に遭遇したからまず間違いないはずなのです。それはメニューに居酒屋的な肴が豊富に用意されていることからも伺い知れるわけです。「ごはん処 港や」もそうした例に漏れぬ、ほとんどの客が酒を呑み、当然ながら酒の肴も充実したお店だったのでした。たまたま見掛けたから入ってしまったけれど、全く垢抜けぬ残念なファミレス風のお店であります。たまたまというよりは環七通りの反対側から見つけてわざわざ信号待ちして来たから引き返すのが面倒になったのであります。でもいざ店内に入ってみるとレストランチックなモダンさと奥の座敷のアンバランスなまんまの和洋折衷が、面白いと言えるほどではないけれど、ちょっと懐かしく感じられたのです。時代遅れの人やら物には得も言われぬおかしみと哀しさが伴っているものです。この夜はたまたまA氏が一緒だったから良かったけれど、これが一人だったとしたら、かなり物悲しかっただろうと思うのです。他のお客さんはこぞって独りであり、それを見るとやはり気分が沈みそうになるのです。でもまあ店のオバちゃんはちっともファミレスの店員ぽくなく、如何にもな町の食堂のオバちゃんであったから、やはり店の雰囲気の何割かは店の人次第ということもあるのでしょう。ポテマカ―想像通りのポテトサラダとマカロニサラダの両方盛りです―やら鶏の唐揚げなどなど、控え目な一人用の盛り付けになっているのも有り難い。この辺り居酒屋にも見習ってもらいたいものです。居酒屋の肴は一人前とは感じられぬのだ。サワーの値段も手頃だし、人と接するのが嫌な夜で無性に呑みたい夜は、こういう気張らない店が楽チンなんだろうなあ。近頃ちっとも行かなくなったけれど、見かけこそ明朗で賑やかしいけれど、それでもファミレスなんてのは、ファミリーのレストランとは名ばかりのどこまでいっても孤独な独身者の食事の場であるのでしょう。
2019/11/08
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御存知の方も多いだろうけれど御徒町にも韓国人街があります。東上野キムチ横丁というもう韓国人街以外の何物でもあり得なさそうな名を持っているのでありますが、実はこの名は今しがた知ったばかりなのだ。戦後間もなくにこの横丁は誕生したらしいが、詳細は容易に調べが付くのでここではそれは割愛させて頂いて、とにかく当時の面影を都内で最も留めているのがここだと思うのですが、それが都心に近いここ東上野というのが台東区の得体のしれない奥深いところであります。この横丁、このブログにこれまで一度きりしか登場していないのには訳があります。その一度きり訪れた時には立呑風のお店に入った事をぼんやり記憶しています。が、基本的にこの横丁の中核をなす要塞めいたオンボロビルのほとんどが焼肉店に占拠されているのであります。だから何が言いたいかと問われれば、焼肉店で呑むのは極力回避したい思いがあるということです。何も堂々とした様子で恥じらいもなくテレビに出てくる様な居酒屋評論家といった肩書の方たちの注文傾向を踏襲して刺身が居酒屋の基本であると思っている訳ではないのです。それに量こそいけなくなったけれど、焼肉だってむしろ大好きなのです。情けない事であるし、既に察しもお付きだろうけれど、経済的な側面からぼくは焼肉屋に極端に臆病になっておるわけです。それにしても世の中には何故にこれ程に焼肉屋とか寿司屋が蔓延ってられるのだろうか。無論、それだけ需要があるからなのだろうけれど、世の人々は如何ほどのエンゲル係数をもって生活しているのだろう。 と、つい声にならぬ雄叫びを漏らしてしまったけれど、こんな焼肉屋ばかりの焼肉要塞のにもその片隅に正統な居酒屋があったのですね。ついでにビルのど真ん中にはお好み焼き屋もあったりして、先入観を廃してもっと注意深くあらねばならぬと思うのでした。がそれはともかくとして、大事なのは「串焼 酒処 のんべい」であります。外観はまさしくぼくの好みのど真ん中で、これをこれまで何度となくここを通り過ぎて気付けずにいたのだから、もう不注意なんて生易しい言葉で誤魔化す訳にはいかぬのであるが、何より店内がよりツボにはまるのだから、一度きりで知れる事などたかが知れているということでしょうか。それにしても嬉しい誤算だったのがここが思ったよりずっと広いお店であった事です。手前のカウンター席程度のキャパだと思っていたけれど、奥には卓席と小上がりがあって、その凡庸な造りの安定感が素晴らしいのです。しかもこの鼈甲色の安定的な空間を独占できるのだからそれはもう堪らんのです。そんな客の入りなのでカウンターに腰を下ろそうとしたら奥にどうぞと促されるのです。こんなに空いていながらも店のご夫婦は至ってのんびりとしておられ、二人仲良くテレビなんぞ眺めつつ楽しそうにお喋りしていたりするのでした。黙々と呑んでいるぼくなんかも混ざりたい気分になるのだけれど、こういう所在のない時間ってのは案外貴重だったりするかもしれない。さっきまであんなに焼肉がどうのとか言っていたけれど、カルビ串なるメニューを見つけるとつい頼んでしまいます。貧弱に見えるけれどこの程度のサイズで十分なのです。もちろんお値段も大丈夫だったのです。それにしても改めて写真を眺めてみるとここの小上がり、すごい雰囲気良いですね。今度は誰かを伴って小上がりで呑んでみたいです。
2019/11/07
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松戸の西口のホントに小さな呑み屋横丁には、名前があったりするのだろうか。ここはぶち抜きの路地らしい路地のほうは店の入れ替わりも激しくて、見るたびに見知らぬ酒場があったりして、いずれも造りは似たり寄ったりだったりするけれど、いくら居抜きで店が変わろうとも大概が賑わっているのです。皆さん、こうした古い呑み屋街の呑み屋で呑むことにノスタルジーとか通っぽいだろうとかそれぞれの理由で訪れるのだろうけれど、もう嫌になるくらいに混み合っているのです。一度経験したら十分て気もしなくはないけれど、案外ハマったら抜けられなくなるような中毒性があるのかもしれません。とはいえ、さっぱりお客の入らぬ店もあるから混むなら混む、空くなら空くなりの理由がありそうです。表通りの方は老舗でやはりこちらも埋まっていますが、それこそが老舗としてやっていける所以でしょう。 なので、久々に通りを挟んだ向こうにある「かやがす」にお邪魔することにしたのでした。おや、なんか以前と見た目が違ってますね。以前はビニールシートで覆われていたのが、少々つまらなくなってしまっています。あらあら、店内も一新されています。以前は思いつくままに乱雑に卓席が配置されていたという印象でしたが、これまた整然として配置されています。カウンター席が増えたっぽいのはいいけれど、デッドスペースも増えたような気がします。何より違っているのが客層です。かつてはブルーカラー系のお客さんが多かったように思うけど、この夜はホワイトカラーというよりはむしろ端的にOLなどの女性客が目立っていた感じがします。こうした酒場でも女性客が男性客を圧倒するように台頭するとはなんともおっかない時代になったものです。さて、それ以外に感想があるかといえばこれ以上は書くことは何もないのです。以前も書きましたが「加賀屋」の系列は良いか悪いかのどちらかに偏るようで、こちらは良い方であったわけですが、改装前と比べるとちょっと落ちたように思うのは誤解ではないと思うのですが、いかがでしょう。 一応呑み屋横丁を通り抜けつつ、混雑具合を覗き込みながら通り抜けますが、まだ入り込む余地はなさそうです。表通りに出て「カレー専門店 印度」に回り込んでみると、おお、こちらはちょうどお客さんが引いたようです。まあもともとがカウンターに8席程度の狭いお店だから混み合っても仕方ないですね。ここにはかつて一度だけですがランチでまじめにカレーを食べにお邪魔したことがあります。そして美味しかったという記憶はあるけれど再訪する機会に恵まれなかったのでした。夜になると呑み屋と化すことは知っていたけれど、〆にはやはりカレーを食わねばなるまいなと思うとつい尻込みしてしまうのでした。でも、聞くところによると―実は席に着いた途端にその情報源である当人がおられました―ちょっとした肴はあるとのことです。この日は春雨サラダを出してくれました。ちょっとしたというよりはこれ一つだけですね。酎ハイを2杯呑んでカレーで〆かななんて思っていると、常連のオヤジが頼んだのはカシミールカレーのルーのみなのでした。これはいいじゃんと春雨を食べ終えると早速注文です。ちなみにここのメニューは、一般向けカレーとしてポークカレー(甘口):600円、ビーフカレー(中辛):650円、ドライカレー(カレー炒飯):700円)があり、インド風カレー(チキンカレー(中辛):600円、インドカレー(大辛):650円)、カシミールカレー(極辛)):700円、パキスタン風カレー(コルマカレー(中辛)):750円、おまかせカレー:800円なんてのがあります。やはりかなり柏の「ボンベイ」のに近いお味ですね。松戸の駅東口にも系列があって、そこは意表をついて「ムンバイ」として再出発を図ったらしい。それはともかくとしてたまにこのあっさりとしていてキリリと辛いカレーが食べたくなった、ここにやってくることにしよう、なんてことを思うのです。
2019/11/06
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銘酒居酒屋と聞くとつい尻込みしてしまいます。でも近頃になってこういうのが少しだけ悪くないものだと感じ始めました。利き酒師になりたいとかいう野心などそもそもなく、基本的にはいかにリーズナブルであるかを基準に銘柄を選ぶようなぼくのような味覚オンチの酒呑みにしてみると、銘酒居酒屋は勿体ないのであります。例えば「清瀧」などの自社製造、いや自蔵醸造の格安宣伝居酒屋などなら身構える事なく足を運べるけれど、日本各地の数多くの酒蔵から厳選した銘酒を提供するお店となると話は別なのです。店主が客に向けて心底から旨い酒を呑ませたいという想いを疑うつもりは毛頭ないのです。店主自らが各地を足繁く巡り勉強に励む、そして適正な温度管理が可能な設備投資も怠らぬとなるとなかなか立派に思えるのです。しかしですよ、ぼくのようなゲスな者には彼らは元の価格に上乗せした提供価格をもって諸国漫遊していると思ってしまうのです。そうでなくても口開けした一升瓶から品質を確かめるためと一口二口とテイスティングと称して自らが最も楽しんでいるとしか思えないのであります。それはちょっとずるくなかろうか、などと妄想ばかり膨らみ、ご指摘なくとも自らが銘酒居酒屋の主になりさえすれば済むだけのことだろうということ位の自覚はあるけれど、怠惰なぼくはそうはせぬのであります。 そんなぼくでも宣伝酒場のように気安く利用できるのが上野の「全国銘酒 たる松 本店」であります。実際には「清龍」のようには格安ではないかもしれないけれど、それに近しい気楽さがあるのでした。何が素晴らしいかって朝から遅くまでぶっ通しで営業している使い勝手の良さも素晴らしく魅力的なのであります。ここに来たらカウンター席で樽から酒を移す店の方の姿を眺めながら呑むのがなんとなく気分のいいものです。ガード下よりの店舗の方が風情という点では上回るかもしれぬけれど、こちら本店の方が若い女の子がてきぱきと仕事をしているのが眺められ、目には楽しいのであります。肴も銘酒居酒屋のように気取っていたり、変にストイックだったりせず、大衆居酒屋のそれをそのまま持ってきたみたいで、あれもこれを頂きたくなるのです。まあ、独りなら肴は一品頼めば十分で、あとは樽酒でも頼んで塩を小皿に盛ってもらえば、それを升の角にちょっぴり盛ってグイッと空ければ、いかにも日本酒が好きで仕方ないという風に思い違いしてくれる人がいそうでした。カッコつけたいだけなんですけどね。でもこちらはカウンター席に一人というおぢさんが文庫本を捲ったり、スマホをいじったりするのをやめない客なんかもいて、皆さん思い思いに時間を過ごしている。こういう堅苦しくないお店が好きなのです。
2019/11/05
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さて、タイトルこそ「梵寿綱建築の見学散歩」と書いたけれど、そちらはすでに喫茶篇にて終えているので、お決まりの呟きもあまり洩らしようがないのです。それでも少し位は前書めいたものがないとどうも報告としては締まりのないものになりそうなので、無理矢理話題を捻くり出そうと思ったのですが、どうもうまくいかぬようです。なのでさっさと本題に入ってしまいます。 方南町でも何度か呑んだ事がありまして、でもいかんせん町の規模も小さいから再び訪れようという気にはなかなかなりませんでした。実は以前すっごい気になる大衆食堂を目撃していて、我慢し切れずにネットで調べたらやはりとんでもなく好みな感じはするのです。でもネットでチェックしてしまうと何となくもう満足というかお腹いっぱいになってしまい、実際に訪れる機会を逸するということがあるようです。でも今回の散歩ルートを検討中にたまたま目撃した一軒の焼鳥店らしきお店を見てしまった時点でここと先の大衆食堂をルートに組み入れることに迷いなどなかったのです。そのお店というのが「とり幸」でありまして、実際に目にした時もやはりいいなあ、夕方に引き返してこようと思ったものです。しかし、しかしなのです。たまたまこのタイミングで店の女将さん―店構えが連想させるよりはずっとお若い感じ―が出てこられて、店内がバッチリ丸見えとなってしまったのであります。だからどうだというのか。ウ~ン、まあいい具合にゴチャ付いて悪くないんだけどね、ちょっと外観に比すると淡白だったかなあ。なんて書きつつ今にしてやはり行っておくべきだったと後悔するのです。 で、お目当てはここ「中華・洋食 宝楽」です。環七通りに面しているからここを使って通勤する方なら間違いなく見ているはずです。イイ具合の三角地に店舗を埋め込んでいるから必然的に狭小な敷地を有効利用すべく店舗は半地下、中二階と微妙に縦に拡張することになります。これが何故だかいいんですね。どこがどういいか、別に見晴らしがいいとか俯瞰して店の方たちの挙動が確認できるなんてことはないのです。とにかく高い位置からの視線で世を眺めるのはどうしようもなく楽しいようです。さて、昼時を迎えるにはまだ早い頃合いだったので幸いでしたが、とにかくここの調理のペースはのんびりしています。ぼくらは平日をこうしてだらしなく過ごせているからいいけれど、勤めのある方にはソワソワ物なんじゃないかというくらいゆっくりと運ばれてきた肴たちは特別旨いとかそんなことはないけれど、とにかくゆっくり呑みたくなるそゆな肴だったのです。まだまだ暑い日が続くようですが、ここは見掛けによらず快適なので、またここに涼みに来たいと思いました。
2019/11/04
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梵寿綱の建築物件巡りも佳境となって来ました。もうすぐ持ち玉は打ち尽くしとなりますので、この一連の報告が目障りだと思っていた方はあと少しの辛抱ですので、懲りずにお付き合い下さると幸いです。てな訳で、実際に訪れたのとは順番も違っているのですが、そうした些細な事は脇に放っておくとして、この日、訪れたのは代田橋でありました。 代田橋には氏の建築物件として早稲田のものに準じて著名な「ラポルタ和泉(作品名;La Porta IZUMI:和泉の門)」と「マインド和亜(作品名;舞都和亜)」があります。代田橋では何度か呑んでいますし、喫茶巡りもしているから巡り合っていても少しも不思議ではなさそうなのにどうしたものかそうした機会には恵まれませんでした。無論、ネットの珍スポット関係のサイトで目にはしていましたが、それだけで早稲田とか池袋の物件と結び付けるだけの想像力と記憶力に恵まれていなかったのです。それにしてもこの2棟の奇天烈な事といったらこれまで見てきた氏の物件の中でも派手さとアピール度では最強かもしれません。これで通常のマンションなんかと変わりなく賃貸しているというのだから驚きです。まあ、ネット情報を読む限りでは各室内は極めて穏当な造りとの事なので、実際に住んでみると異世界生活をしているという気分もそうは長続きしないものなのかもしれません。 そばには「とんかつ クラウン」なんてお店があったのですね。こちらも見逃していました。ここもちょっと良さそうです。機会があればお邪魔したいですね。 続いては、方南町に向かいます。梵氏が寿舞と呼ぶ個人宅については、ネット上にその写真が掲載されていますし、ストリートビューでもより鮮明な画像を確認することができますが、とりあえずここに掲載するのは遠慮することにします。というかまあ氏の魅力をお伝えするにはいささか物足りないからなのでありますが、ピンク色のファンシーな外観に氏がお気に召しておられるタイルなどもちばめられていたり、何より装飾の施されたブロック塀がいかにも氏らしいななんてことを思ったのでした。ここは探すのがちょっと厄介かとも思われますが、ぼくは難なく辿り着けました。どうやって探したんだっけなあ。その次は、「カーサ和泉」です。こちらはまだまだ余り氏の個性の感じられぬ仕上がりとなっています。クラシカルなマンションでそれでもどこかしらリゾート風のムードが漂っています。 ちょっと「ボルボ」にて休憩。特に目立ったところはないけれど、こういうお店好きだなあ。マスターもどことなく投げやりでいい加減な感じが不思議とこちらをリラックスさせてくれます。そして値段の安さにも驚かされます。身近にあったらいいなあと思うお店です。 せっかくなので「立正佼成会本部」のモスク風の建物を改めて近くから眺めたらやはり巨大ですごいなあと思う一方で、改装中の筒状の建物、世界宗教者平和会議日本委員会がより興味深く思えました。そんな宗教施設の裏手に「喫茶 砂時計」がありました。これはもう営業していないのだろうなあ。 峰南町を後にしてさらに北上を続けます。かねてより行きたいと思っていた「堀之内妙法寺」を見学しに向かいます。こちらは厄除けで知られているそうですが、ぼくの目当てはこの境内にある和洋折衷の鉄門です。国指定重要文化財となっているそうですが、格調よりもユニークさが目立ちます。鹿鳴館、旧岩崎邸、ニコライ堂などを手掛けたジョサイア・コンドルの設計であります。そばには「COFFEE ROOM 白十字」があったようです。 新高円寺駅を過ぎ、行きそびれていた「ニッタラタン(Nitta Rattan)」にお邪魔します。外観はとても喫茶とは思わせぬ不愛想な雰囲気でふと立ち寄ろうとはなかなか思えぬのです。内観もやはりあっさりとしすぎかとも思うのですが、広々としてリラックスできたのは良かったかも。
2019/11/03
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田端に映画館じゃないけれど、映画が見れるスペースができたと聞いたのはもうずいぶん前のことだと思います。へえ、田端のどこにそんな施設ができたのだろうと気になってはいたけれど、あえて調べたり、出向いて様子を見たりするかといえばそんなことはしないのでありました。田端の施設は「CINEMA Chupki TABATA」というらしく、実際に目撃してから調べるというのも愚かしい行動でありますが、これを見ると映画館といえどプロジェクターによる上映らしくて、フィルムのプリントを掛ける設備はもっていないようなのです。南千住にも同様の施設があるし、両国には泊まれる映画館があるとテレビのニュースショーで見たことがある―泊まれることを標榜はしていなかったけれど、かつての早稲田のACTミニシアターは座椅子スタイルでオールナイト時はほとんど宿泊施設と化していました、しかもここは喫煙室が座席の後方にあってそこがガラス張りなので、煙草をしつつの映画鑑賞が堂々とできたのであります―けれど、間違いなくいずれもいわゆる映写機は持っていないと思うのだ。大体、シネコンという施設はDLPだったかな、デジタル上映なのだろうからちっとも食指が動かぬのであります。つまりはぼくはあくまでもアナクロな映画マニアでしかなかったわけで、その癖、お気に入りの映画監督の手によるビデオ作品だけは好意的に評価するという一貫性のなさも持ち合わせていたわけである。と、まあどうでもいいことを長々書いたけれど、この劇場の向かいにこの夜の一軒目があるのでした。 こういう紹介の仕方は語弊があるかもしれぬけれど、これまで「大衆割烹 新川」には、3度お邪魔させていただいています。その3度が3度、ことごとく客は我々だけだったのである。というのはちょっと盛ってる感じがするけれど、少なくともほとんど他にお客さんがいなかったことは間違いありません。駅からは少しばかり距離があるけれど、この通りは賑わってはいないけれど一応は商店街となっていて、ここを通って通勤しているらしい人たちの姿はよく見かけるのです。実際、この酒場の近くの路地には数軒の盛況している酒場もあったりするのだから、お客が少ないのは何らかの理由があるはずなのです。近所には東日本旅客鉄道東京支社もあるからここに勤めている人たちが通うのに決して不便ではないはずだ。それでは、一体こちらの何に問題があるのか。結論から申し上げるとそれがちっとも思い浮かばぬのです。大体において、ぼくやこの夜ご一緒したT氏というケチなくせに注文の多い面倒な客が同じ二人で3度も来ているのだから、仮に問題があるとすれば揃って再訪、再々訪することなどありえないのです。値段はすっごい安いわけではないけれど、料理の味も量もちゃんとしているし、店の夫婦もちょっとだけ横柄なところがあるが、けして応対も悪くないのだから、こんな正統派でゆったり過ごせる酒場が混まぬはずがないのです。JRの連中が焼酎をボトルキープして、入れ替わり立ち替わり訪れて当たり前なはずなのです。ともあれぼくらの3度きりの経験が普段のものかわからぬけれど、じっくり腰を据えて呑みたければ、ここは選択肢に入れてもいい酒場です。 でも、最後には結局いつもの酒場に立ち寄ってしまうのです。当初はもう一軒で帰ろうと強く決意していたにも関わらず、田端に来て素通りはできぬということは分かっているから、くれぐれも一軒目での呑み過ぎは禁物なのでした。
2019/11/02
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浮間舟渡の駅前に降り立つといつだって、陰鬱な気分になります。かつては工場と公団住宅で埋め尽くされていたであろう頃の沈鬱な雰囲気を引き摺ったまま、今では廃工場と建て替えられることのない古い公団住宅に混じってマンションや時折新しい民家なども建ってはいるけれど基本的には無彩色に塗り込められた見渡す限り薄暗い雰囲気なのであります。荒川と新河岸川に挟まれ、砂時計の絞りのように出入に難儀なようでありながら、実際には大きな橋も数橋渡されて案外風通しがいいのもつまらない。先日の台風のこともあって迂闊な発言で被災者を傷つけるようなことがあってはならぬと思うけれど、こうした中州になりそこねたような土地はミステリアスであってもらいたいと願うのでありました。 とまあ、調べて頂くと分かるのだけれど、多分、公共交通機関でいうなら都営三田線の西台駅が最寄りになるはずです。で、写真は場所の雰囲気を味わってもらえるように敢えて西台から来た風に振舞っていますが、実際にはより工場街の気分を盛り上げる浮間舟渡駅から歩いたのでした。それにしてもここまでに至る過程の何とうらびれていることか。店がせいぜいチンチンな中華屋さんがあったり、とんかつ屋さんがあったりする程度で後は閉鎖しているような活気のまるで感じられぬ工場が立ち並ぶのでした。かつてはたくさんの食堂が点在していたのか、それとも工場毎に食堂が設けられていたのか。ともあれ、目指す食堂への階段を上がるのです。しかし、どう見たって営業はしていない。いや、潰れたとかそんなことはなくて奥を覗き見ると厨房で仕込みだかをやっている男性が確かにいるのです。それにしたって今でこそ食べログなんかにもここの情報が載っているけれど、オープン当初は都営住宅の住民とか近隣の工場勤務の労働者が知る程度だったんじゃなかろうか。ここで商売するにつけ勝算はあったのか甚だ疑問に思うのだけれど今に至るまで続いたからには相応の支持を得ていたものと思われるのです。と長々と書き連ねてみたけど、「レストラン・エッセン」はやってなかったのであります、この口惜しさたるや筆舌に尽くせぬほどであるのです。でも押さえにもう一軒見繕っているのです。いや、そこが駄目なら以前お邪魔した「食堂 しん」もあるなあ。 今は板橋産業技術支援センターとなっているようですが、かつては舟渡三丁目アパートという都営のアパートだったそうな。見た目はかなり古臭いか前ですが、1991年の建設とか。 でも幸いにも「まつや食堂」はやっているようです。遠目に暖簾がはためいているのが目に入ってきました。軒上の看板は新しくなっていますが、基本的には見た目など気にしない殺風景なくらいな飾り気のなさ。そこがまた工場街の食堂っぽくていいなあ。またも偏見をむき出しの誤解を覚悟して言わせていただくといかにも荒川区のお店だなあという感慨に浸るのでありました。こうした需要の明瞭なお店というのは余計な装飾など無用なのでしょう。ただやってることをアピールするための暖簾さえあればいいというところでしょうか。店内は整然とした配置ながらもどこかごちゃついているのが見どころになります。時間帯が中途半端であったので他にお客さんはおらず、独りぼっちでいただくことになります。でも心苦しいとかいったネガティヴな感情はあまり湧かず、それはやはり一人で調理から配膳までこなす店主が視界から身を引いてくれるのがその理由かと思われ、これはちょっと気が利いています。たくさんの短冊からこれという品を選び出すのはなかなかに指南ですが、食堂だけあって飯物が多いので、あまり腹に溜めたくなかったぼくはその辺は見過ごすつもりでした。しかし、カレーチャーハンの文字を見るとつい頼みたくなってしまったのでした。つなぎとして目玉焼きも注文。タイミング次第では、カレーチャーハンに乗せることも想定したわけであります。しかし案に反して両方が一緒に運ばれてきたのはそれを見透かした店主の心配りか。チャーハンの盛り付けは波型の筒状でユーモラス。シナチクやナルトも混ぜ込まれていて楽しいのです。工場が休みの物静かな町の食堂はそれでもぼくのようなもの好きのためだけに店を空けていてくれるようで、とてもありがたいことに思えたのです。
2019/11/01
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