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巣鴨新田とは書いたけれど、知らぬ人にとってどこのことかピンとは来ないかもしれません。実のところは大塚駅から荒川線の沿線をを歩いて一つ目の停留所が巣鴨新田なのだから、大概の人は大塚駅から歩くのだろうと思います。大塚駅北口を出て呑み屋や中国料理店の立ち並ぶ見飽きた通りを歩いて行くと、やがて立体交差の道路にぶつかるから、そこで呑み屋街は途切れるかに思われるけれど、その先にもチラホラと呑み屋が路地裏に潜んでいます。そんな繁華街の外れに新たに酒場が誕生したと聞き付け早速出向くことにしたのでした。 最初にお邪魔したのは、「揚鶏 かしわ」なるお店です。見ると老舗っぽい構えの店舗だからきっと居抜きなのだろうなと瞬時に判断するけれど、それがどうという事ではないのだ。内装はすっかりと造り変えられたようで、スッキリとモダンなイメージです。好きか嫌いかと聞かれたらまあちょっと残念な印象かな。もとの内観を眺めてみたかった。さて、店はほとんどの席が埋まっていて結構な人気です。一人なのに卓席を与えられて恐縮です。若いカップルで店をやっていてこのお二人はとても感じが良いのです。カウンター席にはキープしたボトルを何度も傾けるオヤジ二人がいて、自分の店のように図々しく振る舞っているけれど、それを爽やかな笑顔で受け流す彼らは若いというのに大したものです。ぼくなどより余程人間ができているようです。それだけではない。肴が凄く良く出来ているのです。特に店名にも掲げられている揚鶏、つまりは鶏天ぷらがサクサクで余分な油が残っていないから、油酔いの酷いぼくでもサラリと食べれてしまうのです。これはなかなかのものです。開店してまだ日も経っていないようだけれど、すでにヴァリエーションもあっていずれ他の品も頂いてみたいと思いました。最近、田端の立呑みでも鶏天が出てくることがあるけれど、これは近々もっと世間に浸透してくるんじゃなかろうか。勘定の際にまたぼくを喜ばせてくれる出来事があったけれど、これを語るとお店の迷惑になりかねぬのでここでは控えることにします。 もう一軒は、「ニュー秘宝館」であります。秘宝館をコンセプトにしたカジュアルなバーという体裁のお店で、先の店だったかで話題に上っていたんだっけ、非常に混み合っていて、何度めかでようやく入れたといった言葉を聞いたような気がするけれどどうだろう。外観は、少しも淫靡なムードはなくむしろ周辺に何軒か気になるスナックなどがありました。店内に入ると外界の無彩色に覆われた静けさとは無縁な紫の照明に染め上げられていました。しかし、不思議とそこにはエロティックであるとか淫靡であるという印象は希薄で、むしろサイケデリックとかキッチュなイメージが満ちていました。お客さんは一人で安心します。混んでる中に一人で迷い込んだという状況よりは余程対応しやすい。まず目に付くのは秘宝館のネオン看板です。これはママによると佐賀の秘宝館と教えてくださったが、それは5年前に閉館された嬉野観光秘宝館のことだろうか。ここに行けなかったのは生涯の後悔となりそうというとちょっと言い過ぎか。書籍の販売もしていてそれは数千円もするのでちょっと手が出せませんでしたが、各地で開館したりしなかったりした秘宝館の設計企画書で大変興味深いのでした。ドリンクは650円程度、お通しは300円だったかなと、下手なバーで呑むよりはずっと手頃だし面白いから興味がある方は一度は行かれてみては。店の女性たちも気さくで明るくて、それでいて際どい単語を口にしたりもして聞いてるだけで楽しめます。
2019/07/31
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本蓮沼駅は、都営三田線の駅であることをご存知の方は少なくはないでしょうが、敢えて足を伸ばそうと考える方はそう多くないと思います。実際にこの夜に落ち合ったT氏は、ぼくなど遠く足元にも及ばぬ程に各地を放浪する、つまりは遊び人であるのだけれども、ここ本蓮沼には一度たりとて足を踏み入れたことがなかったそうな。ぼくですら今までに4、5回は訪れているから案外彼も大した行動力はないのかもしれないと呆気なく前言を撤回してみせるのであります。まあ、横着な彼の事、このブログを読むことなど考えられぬからそれで一向に構わぬのであります。さて、察しが言い方でなくてもタイトルでお分かりでありましょうが、この夜向かうのは先般酒場放浪記で放映された一軒の酒場なのであります。初めにお断りしておくと、近頃低調気味なこの番組で取り上げた酒場としては、極めて酒場らしい酒場で楽しめたと申し上げておくことにします。近頃、この番組のことを悪く言い過ぎたと少しく反省しているので、やはりこの番組は酒呑みの慰みには必需なのだと言っておきます。 やって来たのは、「大衆酒場 淀川」です。駅からは分かり易い道は中山道を池袋方面に引き返して、首都高の池袋線の高架下をだらだらと歩くということになりますが、それが詰まらぬといって路地裏に迷い込んでみても住宅街が続くばかりでさほど事情は変わらぬから、板橋らしい風景として素直に最初のコースを行くのがよろしかろうと思うのです。来てみて分かったことでありますが、目指す酒場の向かいに「お食事処 みやじま」があって、ここには3年前に来ていたようです。この界隈は飲食店なども少なく「淀川」が赤味の目立つ風貌をしているから見誤ろうはずもないのでありますが、それでも気付かずに見過ごしてしまったのだから情けのない話です。それはまあ置いておくとして、早速お店に入ってみることにします。近頃、酒場放浪記の次週予告がHPにて告知されるとできるだけ放映前にノルマを片付けてしまおうという下心見え見えの行動を取ってしまうのですが、煮たようなことを考える人も少なくないようで、店に入る前は嫌な予感で息苦しくなりそうです。嘘ですけど。さてお客さんはご夫婦連れと常連みたく振る舞う男性一人客がいました。店のオヤジや若い従業員とも馴れ馴れしい様子で喋っているからてっきり常連かと思ったらたまたま偶然通りがかって立ち寄ったそうな。ウッソだー。ここに偶然通りがかるなんてないだろ、と突っ込みたくなるが、T氏を顔を見合わせてニヤリとするに留めました。しかもサインだかに気付いた風を装って、へえ類さん来たんだ、すごいねえなんて事を語るのには声を出して笑いそうになったのです。さて、肝心の店の造りというとまあ格別に変わったところもなく、酒も肴も極めて標準的です。近くにあったら月に1度位のペースで立ち寄るようなそんな普通で、だからこそちょっと嬉しくなるような酒場でありました。世の中がこのレベルのお店ばかりだといいのにな。
2019/07/30
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前橋ではこれまでも何度か呑んでいて、いつも感じるのがガラガラだろうが逆に混雑していようが、言いようのない虚しさというか孤独感に苛まれるという事です。その孤独さは何によってもたらされるのか。どうもその孤独感の発生源が捕まえきれていません。一つの仮説として時折考えるのが旅の締め括りに、時間を埋めるようにして立ち寄った町での記憶はいつだって悲しみの色に彩られて思い出されるような気がします。ってまあこれは稚拙極まりない文学っぽくて品性下劣な言い方ではありますが、ともかく少なくともそれを想起することで陽気な気分になるということはあり得ぬといった程度に受け止めていただきたいのです。だから今回は、最低限、夜汽車に揺られて帰京するという重苦しい経験は伴わずに過ごせるから、これまでとの差異を確認する良い機会となるはずです。 日頃、JRというか青春18きっぷを主なる移動手段というか移動チケットとして利用しているから旅の締め括りには、出来る限りJR駅の付近で時間を遣り過ごしたいと考える習性があります。今夜はJR駅からも翌朝乗車する予定の上毛電気鉄道の上毛線の始発駅である中央前橋駅からも遠くはないけれど近くもないホテルに投宿することになっています。なので、ここはやはり中央前橋駅の付近にて呑むのが正解と判断したのです。「やきとり さくま」はその存在はかつてから知ってはいたのですが、先述の弱気心が首をもたげてなかなか訪れるまでには至らなかったのであります。というか、以前ここを眺めた時にもその姿に興奮したはずなのですが、その興奮も記憶の減衰とともに劣化していたのでした。改めてその外観を眺めるとなんとも素晴らしいではないですか。どうしてここを素通りできていたのか、そのことを悔やむよりも不可解でならぬのです。ともかく入店。とても混み合っていて、最初焼台で奮闘中の主人は思案していましたが、結局通していただけました。客を値踏みするのかと一瞬不快な気分になりましたが、どうやら厨房の奥の座敷を開放するかどうかの分岐点であったようです。戸の開け放たれたカウンター席も実に開放的で気持ちいいのだけれど、奥の座敷もある程度見通せて楽しいのです。さて、こちらの素敵さは雰囲気ばかりではありません。もつ焼もかなり旨いのです。湯豆腐なんてシンプルな品もなかなか良いのだから不思議だなあ。ちょっと惜しいと思うのはお値段が少々お高めな点でありますが、まあその程度は旅先では気にしないのであります。少しも前橋、つまりはご当地らしさはありませんし、いかにも酒場らしい酒場でもあるのだけれど、他とはまったく違っている。大概の名酒場っていうのはそんなものかもしれないです。 前橋に来ているのにどうして「土佐」を訪れる気になどなったのか。寂れてはいるけれどアーケード街の真っただ中にあるからここは一等地であるに違いないのです。だけれども他にめぼしい酒場が見当たらぬからここを選んだのですが、それにしたってもうちょい歩けば前橋から遥か遠い土地である土佐をそのまま店名にした酒場には行かなかったかもしれない。この旅はスケジュールがそうであることも影響してだろうか、ほとんど気張らずに気の向くままに行動しています。それが功を奏したようです。店内の枯れ切った佇まいはまさにぼく好みのものであるし、相当なご高齢の女将さんが不自由そうな身体を駆使して〆によそってくださった山菜などの豊富な味噌汁は見掛けに寄らずとんでもなく美味しく、いささか呑み過ぎた清酒に草臥れた胃腸を癒してくれるのです。そのうちに顔馴染みの方たちがぽつりぽつりと姿を見せ始めます。もう10時に近いというのにこんな時間から始める方たちもいるのだなあ、などと感心することができるのも近場で宿泊したことの恩恵かと思うと、こうした旅のスタイルにハマってしまいそうです。 さて、もう1、2軒寄りたいところですが、ホテルまでの道中にこれといった酒場がなかったので、大人しく引き上げます。ホテルの冷蔵庫には「上州御用 鳥めし本舗 登利平」の鳥めし松弁当820円也が冷やしてあるから、これで軽くやってゆっくり休むことにしようかな。
2019/07/29
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たかだか前橋なんていう都内からもそう遠くない町に宿泊することにしました。ケチ臭いぼくとしては日帰りできるような町に敢えて宿泊しようなんて普通は思わないはずだったのだけれど、いつの間にかこういうのもちょっと良いかなと思ったりするのは、必ずしも年を食って日和ったからというだけが理由ではないのです。前橋には数年前、ちょっと無理のあるスケジュールで旅したことがあって、その駅までの帰路に何軒かの優良オンボロ物件を目撃していたのだけれど、スケジュールが足枷になってしまいみすみす素通りするを余儀なくされたのです。あの時、急遽帰宅の予定を拭い去っておきさえすれば、前橋に対する好意は飛躍的に増していたはずだと思うと自らの計画志向が恨めしく感じられるのです。スケジュールというのは、行動力の源泉となりえるけれど、一方でその度が過ぎると自らを縛る手綱とも成り果てるようです。そんな分かり切った事をクドクドと述べてみても実りなどなさそうですが、都内から近郊の町を敢えて宿泊しながら旅する事には相応の楽しみもあるようです。一つには、最低限の緩い行程さえ設定しておけば多少の時刻の変更や天候による列車の遅延などの事態にも慌てふためく必要がないこと。途中気になる物件に遭遇しても臨機応変に対応できるのも大きなメリットです。逆に近場だから狙いが外れてもそう大きく落胆せずに済むのもいいです。何より、時間の制約から比較的自由でいられるから、忙しない行動から幾らかは解放されるような気持ちのゆとりが生まれるのが大きいのだろうと思うのです。 その反面でまた来ればいいという心の緩みが生じがちなのはデメリットともなり得ます。普段ならまずは何度となく寄り損ねている「アオキ」に回るのでしょうが、雨が降り出したから手近で済ませてしまい、その後に訪れた時には既に遅し、またも空振りしてしまったのです。暗い店の奥では女主人が店内を覗うようにするぼくを見返していたのです。 時間潰しに寄ったのが、古いホテルの経営するらしい「喫茶 こまち」です。人気のない前橋の市街地にはもう慣れっこになってしまいました。暗い階段を登った2階にあるその店の中はガラス張りで見通せますが、一人の客もおらず間もなく閉めてしまわれそうに思えましたが、すんなりと通してもらえました。窓外に町並みの見える広いガラス窓に面した席からはやはり人通りは眺められません。装飾性の希薄な店内は淡白といえばその通りなのですが、それでもどうしてだかかつて来た事のあるような感慨を与えてくれるのです。その感慨の事を懐かしさと語るのは何故か抵抗があるのですが、きっとこの先まだ少なからずの喫茶店を訪ねる程度の時間は残されているのだろうと思うけれど、そこで懐かしいという気分に囚われるのはきっとこういう何の衒いもないのっぺらぼうのようなお店なのだろうと思うのです。 それに引き換えて「パーラーレストラン モモヤ」は、例えお客さんが皆無でも感慨とは縁遠い賑わいの余韻を留めています。内装やインテリアにはリニューアルの痕跡を認める事ができるのだけれど、店の雰囲気というかその放つ空気感というのが、先の店の忘れられた何処か諦念のような切ない感情のようなものとは隔絶しているのは、必ずしも路面に接した構えだという事だけが理由とは思えぬのです。やがて地元の若いカップルと中年夫婦が姿を見せます。カップルはじっくりと品書きを吟味してからオムライスなどを注文します。旦那さんはポテトフライにビール、奥さんはプリンアラモードだったか甘味を頼んでいます。ぼくも珍しくコーヒーの掛かったソフトクリームなど頂いてしまいました。そう、こちらのお店は世界とか未来というと大袈裟だけれど開かれているように感じられるのです。先の店はきっとその逆でそのどちらが正解だとか決められやしないけれど、今のぼくには先の店の方がしっくりとするのです。
2019/07/28
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さて、恨み言で始まった戸田公園の呑み歩きですが、まだまだ愚痴を述べたい。そうそうこの夜はA氏も一緒だったのですが、ぼくよりも少し年長の彼はつい先達て人生の大きな節目を迎えたのでした。だからといってこれからの彼とぼくとの関係性にさほどの変化が生じることもなさそうではありますが、まあそちらの話題を肴にまだまだ呑みたい気分だったのです。呑んで酔わないと元来寡黙なA氏から今後の展望なりの好奇心露わな興味津々ネタを引き出すことは困難なのです。ともあれ、戸田公園で呑むことの本来の目的は失われたけれど、A氏と呑むという理由は相変わらず継続しているので、もうちょっと戸田公園で呑むことにしたのであります。 先の中華飯店の側にも数軒の呑み屋さんが軒を連ねています。何処も価格の分かる品書きが衆目に晒されているので安心です。一番お手頃な感じの「いろは」というお店に入ることにします。店に入ろうと扉に手を伸ばしたところに店を出てくるお客さんが二人。入れ替わりに入ったら、あらまあ店内には店のご夫婦がいるばかりです。やたらと広い小上りには巨大なホワイトボードが掲げられ、そこ一面に品書きが板書されています。近頃のバル風の演出はこの店に向いているかというと疑問の残る所ではありますが、そこで食いつくつもりなど微塵もありません。カウンター席に腰を下ろしここで最も手頃な価格だった清酒に移行します。冷えてきたので少し燗をして貰うことにします。肴はそうねえ、そんなに腹は空いていないけれど塩肉じゃがに炙り〆サバを頂きます。どちらも悪くない、というかちゃんと旨いのです。ここが一軒目ならがっついて摘んだかもしれませんが、この程度の量がちょうどちょっと多いくらいで塩梅が良いのです。肴をあまり頼まなくなり、勘定は安くなってきたけれど、長っ尻なのは相変わらずどころか酷くなっている気もするから、店の方には恐縮な気もするのです。そろそろ帰宅の途の事に思いが至るのですが、まあもう少しとなかなかに埒が明かぬのでした。 やっとこさ席を立ち、これで終いにするはずだったのだけれど、通りがかりに「田舎料理 たんぽぽ」を見て考えを変えたのであります。さっきまでの帰路を急ごうという気持ちはあっさりと振り切れるだけのそんな興奮を感じたのです。でもそれは酔のなさせる業でしかなかったのかもしれぬ。今こうして写真を見てみると―見てやしないけれどね―、あんなに興奮してA氏を説得する必要があったのか疑問に思わぬのではないのです。これは今からすると酔いが回っての至極フィルターを通した過剰な反応だったのだろうと思うのです。でも店内は居酒屋というよりはくたびれた洋食店とかに近い感じがあって、その狭くカウンター席のみの造りがここの女将さんの雰囲気に似つかわしく思えるのです。ここは、秋田ご出身のその女将さんが20年程前に始めたという。その前にすでに30年もの長きに亘り居酒屋を遣っていたというからすでに半世紀もの歳月を経ているということになります。シャケのアラ―というには身もたっぷりで贅沢なのですが―に大根と人参を炊いただけの味付けは味噌なのか酒粕なのか酔いせいばかりでなくして判然とはしなかったけれど、とても美味しいのです。これを仮に自宅で拵えても持て余すのだろうなと思うのです。各地で色んな名で呼ばれもするこの料理は秋田ではなんて呼ばれているのだろう。そもそも名などない程に各家庭に浸透しているのかもしれません。女将さんの愛情だとか言いはしないけれど彼女の故郷の味が反映してたりするのだろうか。ただ一人いたお客さんは世代の近い我々の来た事をとても歓迎してくれて、女将さんを交えての談笑が途切れることもなく危うく帰れなくなるところでした。戸田公園にも良い酒場があって胸を撫で下ろすのでした。
2019/07/27
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目白と書いたけれど距離的には池袋駅からとそうは変わらぬのであります。しかし、場所は圧倒的に目白駅から向かうのが分かり易いのです。目白駅からであればJRの山手線やら埼京線やらが並行して走る線路沿いをただ黙々と進めばよいのだ。ところが、池袋駅から向かうとそのJRの線路をまたぐようにして西武池袋線の高架が通っているのだから、列車も通り過ぎるばかりだし当然ながら歩道に毛が生えた程度の細い道路が通るだけなのです。そんな辺境のような場所にビストロがあったりするんですね。2階にはいつしかスペインバルも開業しています。行ったみたらそう不便でないことは分かるのですが、それでもやはりなかなか足を運ぶ気にはならぬだろうこんな場所のビストロに10年ぶり位に訪れることになったのでした。「リュー・ド・ヴァレンヌ」は、随分昔から家庭的な雰囲気のビストロとしてこの地で営業しています。いつからやっているかは知らぬけれど、十年前にはとっくに地元にしっくりと馴染んでいたからもう営業を始めてから随分と時を得ているはずです。ちなみに店名ともなっている Rue de Varenne つまりは、ヴァレンヌ通りは、パリのロダン美術館の北側にある実在する通りの名だそうな。まあこうしてアンチョコをこっそり引用したところで覚えられそうもないからこの話題はこれまでにします。さて、懐かしの店内に入ってみると、おやおやこんなに広かったかしら。詰めれば30名ほどは収容できそうで、実に広々としています。しかも他にお客さんの姿は見えなくて、それは結局食事を終えるまで同じ状況だったからとても流行ってるとは言えないだろうと思うのです。2階のスペインバルにしたところで、せいぜい5名のお客さんがいるやなしやというのがやはり場所柄なのか。でも、こちらのお店、もうちょっと軽めの料理が並んだ印象があったのですが、前菜、主菜、デゼールのいずれもしっかりちゃんとビストロの料理になりおおせているから、やはりここまで閑散としていていいとは思えぬのです。だって、大概の人にとってはビストロのメッカである牛込神楽坂なんかより山手線で目白駅から歩く方が楽ちんなはずです。プレフィックスメニューの選択肢の幅もそこらのビストロより数もヴァラエティも豊富だから、もっと人気があってもおかしくないのだけどなあ。それともたまに混雑すると無茶苦茶待たされたり、ガクンと味が落ちたりするんだろうか。でもいずれにせよ、予約もなしにひょいと行けるビストロというのは有りがたいからまたお邪魔するかもしれません。
2019/07/26
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戸田公園駅で下車するのは一体何年振りのことだろう。ってな発言は始終しているから、ぐうたら者にしては案外ちょこまかとマメに都内各地を巡っているつもりでいて、実はむしろ夜の人より行動範囲は限られているのかも知れない。大体において都内各地を巡っているなんて、戸田公園の何処が都内というのだ。戸田はもう立派な埼玉そのものであるし、その町並みや風景は何処がどうとハッキリとは言い当てられぬけれど、やはり埼玉は埼玉なのです。これは必ずしも埼玉を馬鹿にしてはいないからその辺はご承知置きいただきたいのです。ともあれ、ちょうど東京都内で生活を始めた頃にちょっとトキメキ系の出来事に遭遇してしまったのでありますよ。その娘―むすめと読んでもらうつもり―との最初のおデートが戸田だったというのはやはりぼくの限界を示すのではないかと思って語らぬつもりでいたのだけれど、あゝ何ということか書くことがないからつい語ってしまったのでした。 そんな私的な話はどうでもよろしい、というわけで今回、わざわざ戸田公園に足を運んだのは、すでに放映された酒場放浪記で戸田公園の酒屋さんがその裏手のスペースを使って始めたというお店を訪ねたのであります。ところがですよ。ネットで調べた限りでは日曜日と月曜日が休みのようなのですが、その日は金曜の夜であったにも関わらず一向に営業を開始する様子がないのであります。それが臨時の休業なら仕方がないけれど、貼紙ひとつないからどうもそうではないらしい。もしかするとぼくのようにHPの放映告知を見て事前に駆け付けておこうと考える連中がいるのではないかと想像した。で、自分の事はさておくこととするけれど、彼らがとても不快な振る舞いをしたりして店主がそれに嫌気が指しての臨時休業となったのではなかろうかと邪推するのです。そう思うと、その程度のリスクは覚悟して番組出演を決めるべきだと、必ずしもそうと決まった訳でもないのにめらめらと恨み言を述べたくなるのでした。もしかするとしばらくしたらひょっこり営業を始めるかもしれぬと道路を挟んだ先に「焼とん ごさろ」があったので、立ち寄ることにしたのでした。ごさろは五叉路の意味ね。いやもっと深遠な意味などあったりするのかもしれぬけれど、そこまで知りたくはない。せっかくの五叉路に面しているのだけれど、入口は2つだけ。これが五か所の入口が有ったりしたらなかなか意表をついているのだけれど、もし仮にこの道路状況で五か所の出入口を設けたらものすごい広いお店になったことでしょう。さて、長くなったので、感想は短めにするけれど、カウンター席も15人は座れるし、卓席、座敷を併せると50名は入るだろうから、個人営業店としてはかなりの規模です。そしてそれがほぼいっぱいになっているから大したものです。肴は定番がずらりと揃って自分でオーダーしたものや他所の客がオーダーしたものを眺めて、そして積まぬ姿を見ているとなかなかちゃんとしているようです。気取った店よりこういう店がいいんだよななんてうそぶいて見せるのであります。 戸田公園の周辺はどうも方向感覚を保ちにくいようで、しばらく散策しているうちに自分の立ち位置がまったく見当がつかなくなったので、地図アプリで調べると駅に背を向けてどんどん遠ざかっていることが判明しました。この界隈はお隣の戸田駅以外は最寄といえる駅はないからこれ以上は遠ざかりたくない、なんて引き返し始めると「中華料理 珍来」があったので立ち寄ることにしました。典型的なオーソドックス中華飯店であります。どうということもないけれど、見逃すと後々まで後悔するという類のお店です。赤が基調の正調な内装でケバケバしいはずなのに落ち着くよう幼少時から刷り込みを受けているようです。野菜炒めと餃子という定番メニューを注文。どちらもしっかりとした強めの味付けでビールが進むこと。男性2名と女性1名という店の方たちも調理の手を休めることなくでもテレビ放映にも耳をそばだてていて時折、大いに若いこけていて楽しいムードが漂い実にいい感じです。近くならちょこちょこお邪魔してしまいそうないいお店でした。
2019/07/25
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南千住には近頃、稀にしか行かなくなったから色々と記憶が混乱しているようです。というのが、南千住駅のJR改札を出て徒歩1分という絶好の立地だから見間違うはずはないのだけれど、その酒場に行ったことがあるのかそれともないのかがさっぱり思い出せないのです。メモがあるから確認すれば済むだけの話なのですが、横着さ故に確認せぬままにしてしまっていました。今となってみればその混乱の原因は明白です。 まずは「ごっつり」という店名に聞き覚えがあったのです。これは随分前に北千住のお店にお邪魔していたのでした。もう5年以上昔の事らしくて店の雰囲気とかはすっかり忘れてしまっているけれど、店名にだけは覚えがありました。また、ここは以前は「駅前市場」というお店だったようです。見た目のムードというか装飾の方向性がほぼ同じようなものであったから、かつて訪れているものと思い込んでしまったんでしょうね。しかし「ごっつり 南千住店」は、未訪のお店だったのです。それは入ってすぐに判明したのです。まず席に着くやお通しを三択から選ばされるのでした。ぼくは明太子乗せ冷奴と悩んで冷しゃぶを注文。ついでに手頃なホッピーを頼みました。品書きを眺めてまたも未知のサービスに遭遇。100円のお刺身であります。この日はサーモンで一人前3切れと丁度良い量です。何人前にしますかと尋ねられたがぼくには3切れで十分です。そして11種から3種を選ぶ式のお手軽三種盛りは、ポテサラと何やら松前漬風の肴2種を頼むことにしました。ホヤの塩辛など呑兵衛好みのいいメニューです。もっとはっきりとした個性というと店名だけで分かる人には分かるのかもしれぬけれど、こちらは青森の山海の幸を提供する少しも田舎っぽくないご当地酒場なのですね。大体においてこうした酒場は結構なお値段を取ることが多いけれど、こちらは非常にお手頃で好感が持てますねえ。店の方に北千住にもありますよねと尋ねたら、ちょっと違ってますけどねと仰るので、ぼくは大いにこちらを気に入ったので、いやいや随分違いますよとお返ししました。
2019/07/24
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すでに書いたことですが、今年の都内の酒場巡りのテーマは、これまで愉しみとして大事に大事にキープしておいた板橋区を探訪することにあります。こんな風にもっともらしくテーマなんて言っちゃうとそんなスカシタ気構えにうんざりして嫌気が指すのは目に見えているのですが、まあ浮気がちなぼくだから多少なりとも目的めいたものを想定しておかないと毎晩毎晩どこに行くべきか朝から悩んだりして、まあとにかく一日中、酒場について考えを巡らせるということになりかねぬのです。さすがにそれでは日常生活に支障を生じることになるだろうと考えた挙句の末にテーマを設定することにしたのです。 本蓮沼には、ずっと前に目撃したっきりになっていてストリートビューを見てももはや現役なのかそれともとっくの昔に閉業となっているのか判然としない酒場を思い出しては眺めていたのでした。駅からも最寄りのその酒場のことはとっておきとしてキープしておきたかったのだけれど、もう我慢がならぬということで満を持して行ってみることにしたのです。昔日の面影など微塵も感じられぬ中山道の路地を入ってすぐに「やきとり みよし」はあります。いざ訪れてみるといかにも当然のような呆気なくも営業しているのでした。いやあ、嬉しいなあ、そして期待が高まるなあといそいそと店内に足を踏み入れます。カウンター席には寡黙なオヤジたちが適度に距離を保ちつつ並んでいて、言葉を交わし合う様子は見られません。皆それぞれの事情とか気分でここで呑んでいるのでしょう。新参者のO氏とぼくは奥の座敷に通されます。カウンター席もいいけど、その殺風景な奥の席もとてもいいなあ。ここでなら週末を友人たちと過ごすのも愉快そうだけれど、そうはしないだろうなあ。あんましここで我が物顔で騒いだりしたら、常連たちに怒鳴りつけられそうです。さて、こちらは焼鳥屋でありますので焼鳥を頼むと言いたいけれど、実は焼鳥は100円、玉子焼きは300円とお手頃だけれど、あとの肴はちょっといいお値段という明確な品書きとなっています。こちらとて焼鳥に玉子焼きがあれば豪勢だと思っているから文句などありはしないのです。さて、店を出てお隣の「居酒屋 久太郎」を眺めますが、実物に向かい合ってもやはりたまたま休みなのか、この先もずっと休みなのかの判断はつかぬのでありました。 さて、路地に沿ってまっすぐ行くとちょいといい感じの中華飯店があります。ぼくは渋い中華飯店は大好物だけれど、O氏は余り好みません。どうしてだかは知らぬけれどともかく余り好きではないらしい。しかしまあ「中華料理 水蓮」を見てまあいいとは思ったらしい。それも店に入るとなんだ普通じゃんとなるわけですが、入ってみなければ分からぬだろうという理屈が通らぬ男ではないのです。さて、ビールでももらって麻婆豆腐と焼ビーフンでも頂こうかな。酒の肴ようにハーフサイズのメニューも用意されているのは嬉しいことだし、何処も見習って欲しいサービスです。しばらく待った後に出てきた品を見てギクリ。マーボーはまあ普通なのですが、ビーフンの量が半端でないのだ。これは独りだと持て余しただろうななんて語り合ったものだけれど、やはりというべきかネットで見るとデカ盛りでそれなりに知られたお店だったようです。これはビールが足りぬと追加で頼むと、オヤジがもう終いだなんてすごむからやむなく酒なしでビーフンを搔き込むことになったのが残念だったけど、オヤジのキャラクターが濃くて愉快だったから笑って済ますことにしたのでした。
2019/07/23
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さて、高崎でもランチ時の過ごし方には、悩まされました。ここ数年に関しては毎年のように高崎には来ているはずだからとっくに足を運んでいても良さそうなものですが、「自家焙煎珈琲 いし田」のそばに甲乙つけがたい魅力ある食事処が2軒あるのです。一軒はあからさまに外観が渋いのに加えて、内装はシャボン玉ランプの下がるモダンでありながらも懐かしさも含んだ雰囲気重視のとんかつ店であります。大正8年創業という地元では有名らしいとんかつの「栄寿亭」がそれであります。店内のモダンさをガラス越しに伺ってしまうと、簡素で余計な装飾を排した外観にも開店時としてはとんでもなくモダンだったのではないかと思えてきて、ますます入りたくなるのであります。しかし、あえてここは次回送りとすることにしました。その理由はと言えば、まあ結構混雑していたからで、この状況でゆっくりとビールをいただくなんてことはちょっとやり辛いなあなんて弱気心を抱いてしまったからでした。 ならばどうしたかと言えば、「松島軒」に行ったと申し上げるとすぐに首肯していただく方も少なくなかろうかと思うのは、こちらもやはり良く知られたお店だったからであります。こちらが何故に有名となったのかは、画面直上にアップロードされた写真を見て一目瞭然でありましょう。実はこのブログを始めた当初から気付いてはいたのです。文章の後に写真を持ってくるのが正解であることにはすぐに分かったのです。写真を見ちゃえばこうして苦心惨憺と文章を書いてきたのが水泡と帰するなんてことも弁えてはいるのだ。けれど、習慣的にそうしてきたものを変更するのはどうも気が引けてしまいそのままとなっているだけなのです。といった私的な言い訳は置いておくとして、見てのとおり実にカラフルなお皿を見たいがためにあっさりとして何の変哲もない内装などどこ吹く風とやって来たのでありました。本来ならこのカラフルな一杯を徹底して堪能すべきなのかもしれませんが、さすがにここまでの色合いを出そうとするといささかのっぺりとした風味となることは否めません。でも全く尖がったところのないかと言ってマイルドな訳でもない独特の味わいはわざわざ食べにくるに値するものと言って良かろうとぼくの鈍感舌は反応しているのでした。
2019/07/22
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若い頃は家にじっと閉じ籠っているのが不安でした。不安というよりは家にいる事が悪のように思って、せっせと出歩いたし旅行にも出掛けたのです。当時のぼくは余りにも若く常に自意識が過剰に分泌されていたようで、自宅に明かりが灯るのすら恥ずかしい事ではないのかとすら感じていたようです。でも今なら恥じらいなく断言できるけれど、ぼくは紛れもなく出不精だし、同時に家派でもあるのだから外出は本来であれば大の不得手なのです。ならば何故に出歩くのか。かつてのように自意識が理由であれば分かり易いのでありますが、事態はもっと単純で家で過ごしていると退屈になるのです。退屈が嫌いだから外出するというのは案外一般的な事だと思うのですが、いかがなものでしょう。退屈しのぎに酒場や喫茶を巡るというのはまあありそうな話で、とにかくぼくはそんな世間の多くの人達と同じようなメンタリティに縛られて歳を重ねてきたのです。旅に出るのも同じ事です。旅に出たところで不便で辛いことのほうがずっと多くて、何でそんなに苦労をしてまで出掛けていくのか。お金だって掛かるしね。旅に出たって、酒場や喫茶巡りをしたって、実はそれ程の強い刺激が得られるわけじゃなし、こうなるとむしろお金を払ってあえて退屈を買っているようなものです。否応なしに到来する退屈に対して自ら求めて奪い取った退屈の差、この倒錯的な行為であるが故に、それに惹かれるのかもしれない。 我ながら無理の多い理屈であるけれど、人は多かれ少なかれ無駄な事に心血を注いでいくものです。それを確認するにうってつけの物件があります。それを求めて高崎に向かう事にしました。この旅は終始そうした一般人の理解を超えたレベルで、得意な物件に対して情熱を注入した人達がいたということを確認する旅になります。そのような強い情念によって生み出された物件は何物につけ狂気の気配を背後だとか内側に漲らせているものだけれど、ようやく訪れる事のできた高崎白衣観音は至って憩える表情を浮かべていたし、胎内巡りも有難い気持ちになったものです。洞窟観音などはより有り難みが増して、隣接する庭園に腰を掛けて満面の笑みを浮かべる閻魔大王にはコチラも幸福な気分にさせられたものです。 それに引き換え、高崎観音の参道入口そばの「ケインズ」には、少しも心安らかにしては貰えなかったので、外観のみ晒すに留めたいのです。決定的なのは店主には、熱情が決定的に欠如しているのだ。その理由は例のごとく詳らかにせぬのです。 というだけでは、喫茶巡りの報告としてはいかにも貧弱なので、「自家焙煎珈琲 いし田」にもお邪魔することにしたのです。本当のところはすぐそばの別なお店を訪れるのが目的だったのですが、路線バスの時刻が合わず洞窟観音からは歩いて高崎市街を目指したため、ちょっとくたびれたのでまずは喫茶店で一服したかったのでした。ところが最初こちらを訪れた際には満席で断られ、食事を終えた後にもほぼ満席で待たされるほどの人気店なのでした。いやいや人気もありそうですが、それ以上に店の方がのんびりしていてそれが主な原因となって混雑していたのかもしれません。といったわけで、豆屋的なのんびりとした応対で、かといって内装が目を見張るようなところがあるわけでもないので、純喫茶風なるものを求める方には余りお勧めしませんが、観光の後に時間に余裕のある方であればお寄りになってもいいのでは。店の方は、高齢女性でありましたが人柄は大変よろしくていらっしゃったので。
2019/07/21
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都電荒川線、近頃はなんとかトラムとか呼ばれるらしいけど、トラムって単語も良く分からんがネーミングによってでは、ある対象の印象を変えようなんて安直発想は非常に不愉快なのです。この名を考えた人は、人々の事をなめきっているか余程に素朴な人だと思うのだ。何てチンチン電車だろうがトラムだろうがまあどっちだって良いのだけれど、梶原のような場末の停留所を抱えているのだから気取ってみてもしかたないとおもうのです。今、梶原は、場末のようだと書いたけれど、もうちょっと品よく辺境ないしはフロンティアに例えた方が適当だっただろうか。いやいや、いずれも町の末端である事は違いがないからこれはもう表現の微妙な差異でしかないかもしれません。ぼくは梶原という土地を揶揄しているつもりはなくてむしろその特殊な土地の成り立ちの不可思議に魅せられる者なのです。この町を歩いていると道はどこまでも通じているなんて耳障りのいい台詞が全くのデタラメである事を思い知らされるのです。何処にも通じる事のない道だって幾らもあるのです。人工的な迷路であれば不出来としか言いようのない行き止まりだらけの路地に実地に体験すると最初は苛立ちを隠せなくもなるのです。でもそんな行き止まりに何度も行く手を阻まれるうちに段々それが愉快に思えてくるのです。だから、迂闊に見知らぬ道に立ち入れて、それを楽しめるような方であれば是非ともこの界隈には足を伸ばしてほしいのです。 この夜に立ち寄った「もつ焼き かづのや」は、そんな迷宮の入口、退屈な明治通りに面しています。店の造りが新三河島駅のそばにある「こたつ屋」って言ったっけなあ、良質なもつ焼を提供する店に似通っている。というかまるでその店舗をまんま移築したように似ているからもしかするとやはりその想像は間違っていないのかもしれませんが、あえて確かめるような事でもないと思うのは、系譜学が現代酒場の理解の一助となるらしい昨今の流行に背を向ける蛮行なのかも知れぬけれど、そこはまあマメな方に調べて頂ければ良い事です。店主の雰囲気もマイルドなとこなんかそっくりだなあ。女のコは陽気だけどちょっとガサツなところが見られます。さて、店の方は良いのだけれど、どうも苦手なのが客層です。特に卓席の面子は店が狭い事も災いするのだろうけれど、まるで自分ちのような、それもケンミンショーなどで見る家長制度が現在進行中であるかの様な無闇にエラソーなオヤジとそれを持ち上げる三下連中という図式が見られたのです。これはこの夜の偶然の不幸だったかもしれぬけれど、双子のようなお店でも似たような経験をしたと記憶するから悪いイメージが増幅されるようです。お通しは客の様子を見て店側が勝手に決めるスタイルだけれどこれはどんなものかなあ。もつ焼は部位によりタイミングを図って出してくれるのだろうし、確かに食べ頃というのがある事は分かるけれど、ぼくは一気に出してくれて、カシラやらレバーやらをチマチマと行ったり来たりしながら摘むのが好みだから、ここのスタイルとは相容れぬのです。無論旨いのだけれど、その辺は客の自由にさせて欲しいのだ、というのが、食べ時だから熱いうちにどうぞと言われたからでそらを親切と受け取れぬほどに頑固ではないがやはりいらぬお世話なのです。という訳で、悪くないんですよ、実際、でもぼくにはどうも馴染めなさそうです。 もし幸か不幸か「ヘイジ家」に辿り着いてしまったなら、きっとこの先、決定的な選択を迫られる事になるでしょう。コチラかアチラの二択を迫られる興奮を楽しめるかどうかでこの町を好むかどうかを分かつことになると思うのです。ぼくはワクワクしました。しかし、荒川線に乗るはずが、結局は、上中里駅を通り過ぎて駒込駅に至ったのでした。
2019/07/20
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上野という町は、時代の新旧はもちろんのこと、洋の東西を問わずグッチャグチャに入り混じることで混沌たる定義困難な町並みを晒しているのです。それは御徒町に続くガード下を主軸としたアメ横なんかが典型である訳ですが、浅草通り方面に向かうと厨房用品と仏具店の立ち並ぶ合羽橋があったりと幾分か様相を異にするように思えます。しかしまあ、そこは上野であります。老舗の蕎麦屋があると思えば、バブル期の残滓を今に留める高級中華料理店があったりと文化や歴史の混淆都市の面目躍如を保っているのが懐の深さと評してよいのかもしれません。この2軒はかねてよりぼくの焦がれていたお店でありまして、それ程ならばとっとと行けば良いだけのことだという指摘はいつもながらに正鵠を得ています。得ているけれどのっぴきならぬ事情がある事もマンネリ答弁させて頂く事にしたいのです。 さて、夜の早い「翁庵」には、先にお邪魔しておくことにしたい。浅草通りに面する絶好の場所にありながら、いざ正面から眺めるのはいつ以来な事か。そもそも浅草通りのような大きな道路というのはどうも単調で町歩きの愉楽には裏通りなどと比べて格段に劣る気がします。浅草方面に向かう時は出来る限り未踏の裏通りを通るか、あるいはまだ人通りの多いこの辺りは足速に立ち去る事になるのです。だからこの老舗の蕎麦店も気になりつつ素早く通過することになる。この夜は太っ腹の少し年長の色男と食道楽姉さんが一緒という、ぼくとしては珍しいメンツが揃ったのです。先に到着した男性陣はまずは板わさと油揚げの甘辛煮を肴にビールで始める事にします。いやはや、噂には聞いていたけれど、この油揚げは旨いなあ。わさびの効きは然程ではないけれどいいアクセントになっています。丁寧に飾り包丁の施された板わさに添えられたわさびは別物というのが気が利いています。そして、飾りの溝が食感と風味にこれ程に影響するとは知らなかったなあ。油揚げはすぐ様に追加、350円と手頃なのも嬉しいですね。これまた絶品の親子煮を摘みだした頃に食道楽も到着。彼女は以前からここを贔屓にしていたそうな。早速席について乾杯を済ますと、すぐ様に断りを入れてコチラの最大の名物でありまするねぎそばを注文したのでした。これは所謂ところのつけ蕎麦の汁にかき揚げとネギが沈められているというもので、余力があればぼくも是非いきたかったのだけれど清酒に流れるとサッパリともりにしたくなるのは歳のせいか。そうそう、内装は思っていたほどに枯れてなかったのは、多くのお客さんが通うこともあって何度も改装を重ねたからでしょうか。この夜も常にお客さんが途切れることもなく、席はとにかく埋まりっぱなしなのでした。 さて、その程近くに「中国料亭 翠鳳」はあります。看板は随分前から目にしていたからその存在を認知したのはやはり随分以前ということになるのですが、ちょっと高級な中華料理店とは思っていたのですが、特に気にも留めずに通り過ぎてきたのでした。その後、上野で宴席を設けることになりその幹事を押し付けられたときに、たまたまこのお店のことをネットで調べてみたら、なんとなんとこちらはバブル期の真っただ中におっ建てられたどキッチュ物件らしいのです。これはなんとしても行きたいと切望したのですが、予算面であっさりとアウトとなりそれ以来、虎視眈々と時機の到来を待ち続けていたという訳です。さて、前置きはこの位にしておいて、地下へ下る階段だけでもワクワクさせられますが、思ったよりものっぺりして感じられます。店内は中国式庭園風に電飾がふんだんに使用されたギラギラ系でなかなか愉快なのですが、ちょっと平板な気がします。バブル崩壊後からも随分の歳月が経過してテンションが下がっているのでしょうか。客席に向かうエントランスすぐにある丸橋はこればかりは中国式というよりは日本庭園のそれに近いような。三途の川の太鼓橋が念頭に浮かぶけれどそれにしてはちょっとチャチな気がします。さて、こういう店だから、思ったほどに尖がってはいなかったけれど、内装ばかりに気を取られうっかり酒と肴を撮り損ねてしまいましたが、セコい注文だったからまあよかろう。カニ焼売や小龍包(ちっちゃいのが4つづつで、味はハナマサの冷凍物と同程度)に瓶ビールで誤魔化してしまったけれど、まあそれでいいのです。なんといってもこの店内に足を踏み入れるという悲願が叶ったのだから。それにしてもさすがだと思ったのは従業員の女性たちがスラリとした美人さん揃いだったことです。客層はどことなく品性のない人たちが多かったような。まあどうでもいいんですけど。
2019/07/19
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赤土小学校前は日暮里・舎人ライナーの停車駅で、近頃せっせと運んでいる都電荒川線―そうそうちっとも知らなかったけれど、いつからか東京さくらトラムなんていうセンスの欠片もない呼び方をするようになったらしいですね―の沿線巡りの延長線上でついでに立ち寄ったというだけのことなのです。でも実はこの沿線も気になってるんですね。一時期、マメに通っていた時期もありますが、近隣に酒場というのがほとんど見当たらなくて、あったとしても結構な距離を歩く羽目になり敬遠するようになったのでした。敬遠を続けてるうちに段々と本当に遠い町のように思えてきてしまうのでありました。普段使う駅で乗り換えできる位だから少しも面倒じゃないし、自宅から遠ざかることなんて常態化しているのに、苦手意識が植え付いてしまうと心理的な距離は格段に伸びてしまうようです。 ここまでお読み頂いた方なら既に見抜かれているだろうけれど、この文章はいかにも乗りが悪い。悪いどころか少しでも考えて書こうという意志が徹底的に欠如しているのです。その理解は極めて正しいと思うのです。一つにはこの界隈はそれなりに馴染みがあって―いや、馴染みと書くと好意的に接しているかのような印象を与えてしまいそうだ、ここらの風景にはとっくに飽き飽きしているのだ―、旅しているという気分が希薄にすぎるのです。町歩きも旅の一種と考えるぼくにはこの界隈は未知なる景色を体験する余地もないのです。だからこれから向かおうとしている「満留賀そば」の存在も知って久しいのです。幸いな事にまだ店内を見ていないから、それだけが今回の訪問の理由なのです。という訳で到着するや戸を開け放ち店内を覗い見るとまあ悪くないじゃないか。これなら、しばしの時間をここが赤土小学校前駅のそば、つまりは赤土小学校の前であることを忘れる事が叶うかもしれぬ。品書には当たり前だけれど蕎麦を中心にした食事系が並ぶけれど、正面のには酒の肴が主体です。こういう繁華街から外れた場所ではこういったのが普通です。あれこれ迷ったけれどタンつくねを注文。実はこの前に数品を頼んでみたけれど全て断られたのです。これは危険だと無難なところを注文したのだけれど、これがなかなか出てこない。どうも階段を登った気配があったから自宅の冷凍庫にでも保存していたのか。冷凍なのは予想していたけれどこれはいかにもねえ。カチカチな部分なんかもあって冷凍ヤケしてるんだろうか。これで出るまで随分時間が掛かるからお替りしてしまったじゃないか。これでも頑張ってるんだろうから余りキツい事は言いたくないけれど、あまりにも酷い。酷い店のことは書きたくないのだ、コチラだって身を張ってるんだから。だからこそちゃんとやってもらいたいと思うのです。しかししかしですよ、それでも孤独に呑みたい時にはここはうってつけだから一応最後にお断りすることにします。
2019/07/18
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近頃、松戸での呑みを苦にすることはやめました。せっかく呑みに行こうというのに、つまらぬ気分で行くのはもったいないのはもちろんでありますが、考え方を切り替えることにしたのです。まあ、以前からその傾向はあったのですが、やむを得ず松戸に呑みに行くことになったらもう腹をくくって、これまで呑んだことのないチェーン系居酒屋に入ってみることにしたのです。チェーン系居酒屋には微塵程度の興味しか抱いてはいないけれど、松戸の酒場にもちょっと辟易としているからこれは丁度いい機会と思うことにしたのです。ダメならすぐに出ればいいだけのこと。そんな軽い気持ちでいたのだけれど、このヒットアンドアウェイの戦略があっさりとダメ出しを食らうことになるとは思ってもいなかったのは、余りにも想像力が欠如していることを思い知らされたのでした。 松戸駅西口のペデストリアンデッキから町を見上げるとこれまで見過ごしていた居酒屋が目に入ることがあります。それは分かってはいたのだけれど、ビルの上階にあるようなお店は大概がチェーン店であろうことは容易に想像ができるので、わざわざそうすることもなかったのです。この日は気持ちを切り替えて臨んだから早速見知らぬ「個室居酒屋 殻YABURI ~からやぶり~ 松戸店」というお店を視界に収めることができたのです。看板を見るとハイボール99円とあるから、もうそれだけの理由でお邪魔することに決めてしまうに十分なのです。さて、店内は近頃流行の個室居酒屋系であります。若い男女が乳繰り合うには便利かもしれませんが、おっさん二人で使うのはちっとも楽しくないのでありますが、この際、気にするまでもなかろう。さて、早速にハイボール99円を注文します。あんだけデカデカと宣伝しているのに、7時までの時間限定サービスなのだな。これはちょっといただけないなあ。なんて思っていたけれど、従業員の行ったり来たりする手に、99円ハイボールが握られていることはなかったので、われわれ以外はこれが目当てではないということらしい。しょぼいお通しはまあ置いておくこととして、こちらは玉子料理押しのお店らしいのです。ポテサラにはスライスしたゆで卵が乗っているけれどこれで玉子料理はちょっと無理があるなあ。豚ぺい焼は大振りでボリュームがあるけれど、中のキャベツは千切じゃなくてざく切りをレンジでチンで蒸したものらしい、こりゃあ手抜きだなあ。というわけで、99円を3杯呑んだらまあもういいかという気分になったので、お勘定したら思ったより高いのだ。よく見るとなんとしょぼいお通しが400円だって。いくらなんでもこれは酷いなあ。まあ、早めに店に入れて、肴を控えめにして10杯呑む気でいれば元は取れるかもしれませんが、まあそんな気にはなりそうもありません。 東口に移動しました。うっかりしていましたが、松戸駅東口の「備長炭火ホルモン焼 しちりん 松戸東口駅前店」にお邪魔するのはこれが初めてだったようです。このチェーン店はそれなりに呑み歩いたと思っていましたが、灯台下暗しであります。しかも店の寂れ加減は他の店舗よりも好みに近いからうっかりもいいところです。カウンター席のゆとりある造りがなかなかいいんですね。こちらのお馴染みの100円メニューもちゃんとありますね。この夜はネギの煮付けと非常に微妙でお二つですかと聞かれ、一つで良いですと答えられなかったのは情けない話であります。こちらのチェーンの日替わりは店舗ごとにきっと違っているんでしょうけど、この店舗は焼魚がそれなりに充実しているのが嬉しいのです。特にメヌケがお勧めらしく、その面構えが思い浮かべることができなかったので、急いでスマホでチェックします。その顔だちを見て即注文を決定。七輪を使ってじっくり焼いてくれるスタイルなのですね。うんうん、これはなかなか良いアイデアであります。が時間が掛かるのとちょっと煙いのが難点でした。脂が乗ってると書いてあったけれど、タラみたいなスカスカの味でちょっとがっかりでしたが、これで250円はやはりお手頃です。といったわけで、チェーン店だけれど店舗ごとにしっかり個性があって、しかもけち臭い罠を仕掛けたりしないようない詐欺の良さがこの店の良いところであります。
2019/07/17
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北千住ではいつだって呑み屋探しに悩まされます。それは必ずしもぼくの身勝手な拘りが原因という訳でもなさそうです。とにかく北千住の酒場というのは、(1)どうこもかしこもやたらと混んでいる、(2)その癖、収容力の低い店が多い、(3)どれもこれもが似たり寄ったりで選択の基準が混雑具合に頼らざるを得ない、といったぼくも日頃の選択基準とは相容れぬようなポイントに悩まされることになるのだから面白くもなんともないのであります。だから北千住で呑むのは気乗りせぬのだと言いたいところだけれど、交通の利便性の良さは界隈随一であるし、だからこそ皆さんこぞってこの町で呑むのは非常によく理解できるところだから仕方がない。 それにしてもこの「もつ焼 つみき」でありますが、お気付きの方もおられるであろうけれど、ぼくは迂闊にも程があるということになるけれど、全く気付けなかったのです。先般、この系列というか恐らく創業店で呑んだばっかりだったんですけどね。こちらは「もつ焼 つみき やぐら」なんて店名であるらしい。どうして“やぐら”なんてのをぶら下げたかは分からぬけれど、もとの店が手狭になったので、広い店舗にグレードアップしたということでしょうか。わざわざ店名に付けたししたのだから、きっと元のお店も今までどおりに営業を続けているのでしょうね。それにしてもつい先達て訪れたばかりにも関わらず、もつ焼でアブラを出す店はまだまだ希少なのだよなんてエラソーに語っていたのに、ここにもアブラがあるのに同じ店と気付けないのはやはりうっかりし過ぎだろうな。しかも、それが同じようにこれは旨いなあ、そういえばこの間も旨いアブラを食わせる店に行ったんだよなあなんて語ったりしたのだから、これが知れたらみっともないの極地なので知らんぷりするのです。5名ほどいたのですが、あっさりと入れてしまったので最初はこりゃ、ダメなお店を選んでしまったかと舌打ちしたものですが、同行者も皆好意的な評価を下してくれたし、当然と言うべきかものの30分も経たぬうちにほぼ満席の大盛況となったのです。これは次の店舗探しも始めているのかもしれませんね。商売繁盛は結構ですが、余りに拡大路線を突き進んで残念なことにならぬよう期待します。
2019/07/16
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小諸の町には喫茶店よりも酒場の方が似合っています。他にも見掛けた喫茶店はとことなく呑み屋のようなムードを放っていたし、実際に当初は喫茶店だったのがそれだけじゃやっていけなくなって、呑み屋へと舵を切ったといったところなのだと思われます。そんな推測などさほと意味はなくて、さっさと「味の横綱」のような老舗酒場で事情を伺えばいいのです。ぼくの印象では、小諸駅前には幾らでも老舗酒場があるものだと思い込んでいたのです。しかし、実際に現在の駅前に立つと、そしてしばらく散策してみるのだけれどこれという酒場がないのが現状なのです。無論、いつものように町歩きの巧者を振る舞ってはみたのですが、捏造された記憶に鮮明な愉快な路地はあれど。やはりこれという酒場がないのが現実なのです。ぼくなどより嗅覚に優れた人であればもしかするととんでもない酒場に遭遇し得るのかも知れぬけれど、そうウロウロしているだけの暇は残されていません。帰りの高速バスまでは二時間を切っています。 案外、この狭い町では視線を上下に向けるのが正解ではないかと気付くのに時間を要しました。記憶の中の小諸は空を封じる程だったから、すぐにでも気付くべきだったのです。こちらはビルの二階に店舗があるらしく細く長い階段は、賑々しくて怪し気なところはありません。普段なら物足りぬと思うところですが、どこか油断ならぬ気配を振り撒くところがこの町の持ち味です。だから明朗安心なこういう店は歓迎です。店内もいいねえ、これが最上かどうかはしれぬけれど、旅先で出逢う酒場ましてはこれ以上望むところなどありません。たらの芽の天ぷらやバクダンなどどれも普通の居酒屋料理に過ぎぬけれど、これ以上は不要です。旅の締め括りとしては、最上の居酒屋に遭遇できた幸運を噛み締めるのでした。そうこうするうちにお客さんも大分増えてきたから、欲を出してもう一軒お邪魔することにします。 ここ「お食事 花むら」に来たのはまたも既知夢のもたらすものかどうかは、判然とせぬけれど、S氏も同じような感想を述べていたから確かにここに来ているかどうかはともかくとしても、とにかく小諸という町の持つ空気感とこのお店が通じる所があるから、いかにも自然にこの店の存在を受け入れてしまったのでしょう。S氏と相談して、やりここに入ってみることになりました。ところがここでは、トンデモない恐怖に晒されることになるのです。というのが、凄い客がいたのでありますが、これはまあ詳細を書くのは控えることにしますが、他人に直接的な被害を及ぼすわけでもないのだけれど、とにかくトンデモなくキツい負のオーラを放っていたのであります。それはともかくとして、こちらは地元の名物とかこの店の名物を主張する品があれこれあって一応試してみたけれどあまり感心できぬのでした。鯉コクは旨かったけどね。他にお客さんも少ないし、店を遊び場にする小さいお子さんもいる事だしもう少し店の事を見直してもいいかと思うけれど、この今のお店の雰囲気こそが小諸らしいとすればそれはいらぬお節介に過ぎぬでしょう。それと書き残しておきたいのは、たまたま『燃える秋』の話題で語っていたら視線の上の方に武満徹の色紙を見つけた偶然にはちょっと驚いたなあ。 お隣に素敵なルックスの「中国飯店 夜来香」があったのだけれど、こちらは時間切れで次回送りになりました。この後、大変な渋滞でやっとこ練馬駅まで到達。なんとか最寄駅まで辿り着けたのでした。
2019/07/15
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さて、今回の小さい旅もここ小諸で締め括りです。わざわざ断るまでもなく、近頃は小さな旅ばかりしているのですが、今のぼくにはこの程度、分かりやすく具体的に言うと1泊2日程度の旅が気楽で良いのです。しかしまあ、東京を起点に据えている以上、1泊2日で行ける場所は限定されざるを得ないのです。だからどうしても喫茶巡りないしは酒場巡りにのみかまけるような旅のプランは立て難くなるので、このブログで定番化している定期的な喫茶と旅の記録も先細りが予想されますが、その点はご容赦頂きたいのです。さて、それはともかくとして、小諸であります。青春18きっぷとの親和性を著しく削がれてしまったこの土地を訪れるのは、もう何年振りになるか、ハッキリとした記憶はありません。しかし、どうしたものか、この町の記憶は案外鮮明で、駅前に広がることを予め封じられたような窮屈な町並みとゴチャゴチャと込み入った路地が時に鮮明に脳裏に浮かび上がるのです。これが懐かしいという情感なのかもしれません。ぼくは時々、感傷的な性格だと言われてきました。それがぼくにはとても嫌な評価に思われました。だから、今ではおめおめと感傷を喚起するような何事かに遭遇しても冷めた視線と感想を述べる事で己をクールに見せかけようと努めるようになったのです。このブログはそのガス抜きのための場でもあるのです。なんて、これは今しがた取ってつけたように理屈付けただけの事なのですけどね。とにかく小諸に対しては指折り程度しか訪れていないはずなのに郷愁すら感じるのだから、必然的に気持ちは高揚と同時に感傷へと向かうのでした。 ところが、ぼくの記憶にある小諸駅前の眺めとはどこか違っているようなのです。いや、その窮屈な感じや古臭い店舗の立ち並ぶ様子は変わっていないのだけれど、随分と歯抜けになってしまっているように感じられ、以前のぎっりととみ詰まり良くて、空が見えない位にびっしりと建物に空間が閉ざされたような印象とは少しも似通ってはいないのでした。それが無論感傷的なる精神が育んだ幻想のようなものであるとは分かっているけれど、それでもその妄想を信じたくもなるような怪しい雰囲気がかつては確かに存在したと思うのです。「純喫茶 マモー」と聞いてでっかい脳味噌を連想する人ならこの店名を見て、思わずほくそ笑むと同時にこの町に案外お似合いであるなあなんて思われるかもしれません。その如何わしい店名にも関わらず上品なマダムで独りでやっているオーソドックスなお店でありました。かなりの経年劣化が店のあちこちを侵食しつつありこの先はそう長くなかろうなという感慨は同時に町そのものの未来をも暗示するように思えました。 すぐそばの「ケーキ&コーヒー 花川堂」などはさらなる出鱈目なムードに満たされていて、人によってはこの混沌たる様がむしろ居心地良く思えたりするのではないでしょうか。ぼくには散らかり過ぎていて、どうも窮屈に思えて早々に席を立ち、残りわずかな時間を酒場に充てることとしたのでした。
2019/07/14
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築地で呑むのは贅沢なことだとずっと思っていました。銀座で呑むとか麻布で呑むとか、贅沢な盛り場というのは少なくありませんが、その何処とも違った贅沢感がぼくの足を遠ざけるのでした。自らが自らに対して印象操作を講じているという具を犯していることは分かっているのですが、どうにもこれらの町で呑むことには抵抗があるのです。その抵抗感の源泉に値段の高さがあることを否定するつもりはありませんし、実際に食べログなどの情報を見てみるとぼくが普段呑みに行く町とは格段に値段に開きがあることが分かります。無論、すべてがすべてにおいて高級店であるということもなく、中には庶民的な価格で有名店や老舗店と対抗する気概のある店があることも情報では知っているのですが、ぼくがそれらの町に寄りつけぬのは、必ずしも各店舗への抵抗感だけではないのです。それは上手く表現できないのですが、町そのものだったりその町を往来する人々というのが予めぼくという人間を排除しているような疎外感を放っているのが堪らなく嫌なのです。日頃、酒場での孤独を語ってみせているけれど、その孤独というのは自ら望んでの孤独であり、そもそもそこにある孤独を望んでいるわけじゃないのです。などと出鱈目を語ってしまいましたが、そんなぼくにも築地へと行く機会がとうとう巡って来たのです。ってまあ築地で呑むのが初めてという訳でもないのにもったいぶって見せましたが、やはり築地で独りは嫌なので、知人を連れだって訪れることにしたのです。 まずは築地の酒場の入門編かつ決定版としてよく知られる「季節料理 魚竹」にお邪魔することにしました。どうやら口開けのようです。カウンター席だけの狭いお店ですが、不思議と窮屈な印象はなくてこの店はこの広さこそがベストな空間と感じさせる落ち着いた雰囲気です。太田和彦氏の番組などでも目にした実直そうな親子は控えめな応対ながらそのプロ意識の高さでとても素晴らしい。青菜の煮浸しにジャコを散らしたお通しで初めから清酒を頂くことにしました。肴は名物でもある焼魚の盛合せと肉豆腐にしました。いや、これがびっくりなのです。焼魚などと馬鹿にしては失礼なほどに旨みが乗った肴をいただくと、刺身が魚介の最高の食べ方だと語ってみせるもっともらしい意見など吹き飛ばされてしかるべきと心底思ってしまうのです。もとより魚介は火を通した方が好みのぼくにはその意見を盤石とするに足る心強い味方を手に入れたように思えました。さて、そうこうするうちに客席が埋まってゆくのです。独り客は、いかにも誰かの酒場本で仕入れたに違いない情報をもとに、手早く注文を済ませると電車の時間があるので6時過ぎには勘定を済まさねばならぬなどと、妙な予防線は張って忙しないことこの上ないのです。酒もカールスバーグの瓶を一本切りとは酒呑みとしていかがかと思うのです。次に来た客はグルメ系の編集者だか作家だか知らぬけれど、やけに尊大な振る舞いで不愉快極まりないのだけれど、そんな輩には慣れっこらしき店主らはそんな相手に対しても平静さを保っていて、ああプロというのはこういうものだなあと教えられた気分です。そうしょっちゅうは来れそうもないけれど、誰か好きな知人と築地で呑む機会があればまたぜひお邪魔したいと思いました。 さて、もう一軒行っておこう。あれこれ思い当たる酒場はあるのですが、すぐそばの「鳥芳」の風情についつい引き寄せられてお邪魔することにしました。三和土に木製のカウンター席と卓席が合理的な配置で据えられていて赤い合皮張りの椅子がもうこれぞ焼鳥店という景色を構成しています。これだけでもう堪らない満足感を得ることができています。肴はあらら、5本か7本のセットで注文しなくてはならないのね。知人もまた食の細い方だから持て余しそうだけれど仕方がない。大根おろしにウズラの卵という定番に焼鳥5本、お新香、そして〆のスープというまあ焼鳥店のお馴染みのセットをオーダーすることにしました。肴についてとやかく言うのは面倒ですが、確かに実にちゃんとした焼鳥で美味しくいただきました。そして、最後には食べきれなくて残しそうなのを店のおばちゃんがすぐさま察してくれて、お持ち帰りになりますかと、ラップにホイル、ポリ袋を用意してくれたのは嬉しかった。持帰ったそれは温め直しても旨さの強度は余り衰えることもなく美味しく頂くことができました。さて、ここでも作家系グルメオヤジの集団に遭遇。此奴らはどうしてああも尊大そうなのだろう。まあこちらも酔いが回ってきたのでじきに気にならなくはなったけれど、この現代日本には一体どれだけの作家系グルメオヤジたちが跋扈して、駄文を書き散らしているのだろうか。そしてそれを嬉々として消費してしまう自分にも嫌気が指すのでありました。
2019/07/13
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西武線や東武線の沿線の町が好きです。好きなのに余り行かぬのには一応の理由はあるのです。好きなものにどっぷりと浸かってしまうと好きなものも好きでなくなってしまうような気がするからです。実際、西武線や東武線沿線の町には足繁く通ったこともあります。足繁くなんて風にして余りに入り浸ると嫌なことだってあったと思うのです。そうすると嫌な思い出のある町には寄り付かなくなったりします。実際に以前、嫌な思いをして西武線を毛嫌いした時期もありました。ここ数年でようやくその呪縛からも解き放たれたようで、今は憑き物が落ちたかのような気持ちの良い付き合い方が出来ていると思うのです。つまりは何が言いたいかというと一度嫌いになると再びよりを戻すのは並大抵の事ではないという至極当然の事なのです。でも誰しも経験がある事だと思うけれど好きなものにはとかく執着してしまうものであります。その執着というのはとかく御し難いもののようです。頭で考えるのはもとより、感情とか理性といったものより遥かに意識の底の方ら湧き出すようなその強い欲望は、実のところそれを凌駕する強烈な嫌悪とか憎悪を持ってしか解消し得ないのかもしれません。その残滓がわだかまりとなりそれを忘却するにあります長い時間を要することになるのだと思うのです。といった事を軽い酔いの中で書いたようですが、これはそのままに関係の修復をなし得た西武池袋線の椎名町駅にやって来たのです。 今回、お目当てといえば「珈琲 あるむ」だったと思うのですが、閉店ギリギリにお邪魔してしまったので感想を述べるだけの関係を築き得なかったし、それを誤魔化すための写真も外観だけなので軽く触れるに留めます。言いたいのはこの喫茶のある通りは何度も通っているし、大体向かいの酒場にもお邪魔しているのです。その入店時に既にして閉店していたとしたら見逃す可能性もあると己の不注意を自己弁護することにします。ともかくもごくごくオーソドックスな、でも居心地の良い普通の町の喫茶でした。こういう店ならここで長く読書でもして過ごしたくなりそうです。それにしてもどうしてこんなに目立つ店を見逃していたかなあ。 さて、この後にちょっと野暮用があるので軽めに駅前で立ち呑める店はないものか。と探すまでもなく「おぐろのまぐろ」というお店を見つけました。ガラス張りの見通しのいい店内にはくねった造りのカウンターがあって、それがいい具合に店の方や客同士の距離感を生みそうに思えて、これはセンスがいいと感じたものです。店舗の形状にも依存するのだから仕方ないとはいえ、カウンターの形状には工夫があった方が格段に居心地も良くなるものです。ここはその点でよく考えられているように思えました。この店のベストポジションは2箇所、常連さんは店の方のそばがいいのだろうけど、一見客には店内全体が見渡せるポジションを確保するのが良いと思うのです。孤独に浸りたいなら奥の隅っこがお勧めだけれど、ぼくは出入りの楽な入口付近を確保しました。早速チューハイを注文、酒のお値段はちょっとお高いようですね。でもマグロの升盛りが200円―程度だったと思います―とお手頃で気になりましたが、先があるので軽めにツナみたいなのをクラッカーに乗せたカナッペみたいなのを注文します。これが地味に印象とは裏腹になかなか良くできたおつまみで一枚につき、一杯という効率の良い肴でありました。ぼくの予想は外れることで定評がありますが、ここは店の方さえ飽きずに続けられればそのうちお客さんも馴染んで人気のお店となりそうに思えました。
2019/07/12
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都電荒川線の沿線巡りはまだまだ継続中です。Google Mapで調べたり、実地で歩いてみてよく分かるのですが、この沿線沿いには純粋な酒場というのは案外少ないようで、それはむしろそもそもにおいて飲食店自体がそう数多くある訳ではない事に起因するようです。この界隈で商売として成立させるには、所謂ところの二毛作、つまりは食事処と呑み屋を共存させるというまあ至って穏当な営業方針に行き着いたのだろうと考えられるのです。自体はかほどに単純ではないかもしれませんが、まあ当たらずとも遠からずといったところでしょうし、そうした事情にはさほどの興味もないから、まあこの話はここまでとします。とにかく酒場らしい酒場以外にも酒場の適用範囲を拡大している近頃のぼくには、この界隈はまだまだ未開の地としてこれまでとは別に表情を見せてくれるのでした。 まずは、東尾久三丁目停留所からが最寄りの「美華飯店」にお邪魔することにしました。実はこの夜に来る前に平日の夜と土曜日の日中の2度、足を運んでいたのですが、間が悪いだけなのかそれとももっと根深い巡り合わせの悪さであるのかは定かではないけれど、いずれにせよ今回は入れたのだから、まったく縁がないということではなさそうです。外観の寂れ具合はなかなかのもので、2度に亘ってフラれた際に、貼紙がなければすでに店仕舞いしているとしても不思議ではなかったはずです。すでに2名のお客さんがいて、どちらもかなりご高齢のようです。独りはカウンターで肴も頼まずにウーロンハイなんぞを召し上がっている。もう一方は女性でここを独りで切り盛りする女将さんとお決まりの話題に興じています。こちらも肴なしにお酒を召し上がっているようです。ぼくもそれでも構わないけれど、そうもいくまいと焼売なんぞを注文。できあがるとソースをお使いになるかしらと出してくれるのが嬉しいですね。焼売はソースで食べてもとても旨いのです。実際に入ってみたら別に特別ではないのだけれど、近くにあるととても頼りになるお店だと思うのです。我が家のそばにもわずかながらこうした中華飯店は残存していますが、とても心強く感じるものです。この近所の方たちもきっと普段は遣り過ごしていても頼りにしているはずだから、頑張って続けてもらいたいものです。 またまたとある日の夕暮時に荒川線というよりは、尾久駅からが近いかもしれない「珍来」にお邪魔しました。実はその前に荒川遊園地前停留所からが最寄となる「康楽」を眺めてきたのですが、店の入口の前にプランターが置かれ、どうやらこれはもう営業してはいないようです。ペプシコーラの看板が目立つ「中華料理 金龍」のすぐ目と鼻の先になります。こちらはまだ現役であることは先般も確認していますが、ちょうどお休みだったので、さて困ったと思い悩んだところかつてお邪魔した「大雅」のすぐそばに中華飯店があったことを思い出しまたも歩き出す決心をしたのでした。見た目にはそこらにある中華飯店そのものなのですが、店内に入るとその広さに少しく驚かされます。奥行きが想像を遥かに上回っているのです。奥の卓席では若い夫婦が間もなく食事を終えようとしておりますが、彼らは何を食べていたかは分からぬけれど、とても満足そうな表情に思えたので期待が高まります。ビールを注文し、突出しのひじきを摘みながら汗を拭っているとひと昔前の映画の一コマに入り込んだような気分に陥るのです。寡黙なご夫婦の息遣い以外にはテレビの音だけの静かな店内で、もやしそばの麺を啜る音をなるべく響かせまいとする健気なぼくがおり、それもまたこうしたお店の愉しみなのでした。これでもやしそばがトロトロ系ならすごい好きになれそうなのになあ。
2019/07/11
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都電荒川線の停留所である町屋二丁目には、かねてより大のお気に入りの酒場があることは、このブログの古い記事を検索していただければすぐにお分かりかと思います。その酒場は電停の北側にあるからここで下車した際には、迷うことすら念頭に浮かばぬうちに足は北を目指して歩き始めるのでした。でも今回はその紋切り型の行動を断ち切るべくあえて南を目指すのでした。と、書くとこの界隈を歩くのが初めてであるかのようですが、それは正しくはありません。何度かは歩いてはいるのです。しかし、これまでは結局立ち寄りたくなるような酒場とは遭遇できなかっただけなのです。今回は、とにかくどこだっていいという不退転の覚悟にて臨んだのです。どうしてそこまで意気込んだのか、それは単にちょこまかとマメにあちこち行っているような印象操作の為であり、実のところは、日頃の行動範囲の範疇でしかないのでありました。「むさし家」は、そんな酒場不毛地帯に唐突にありました。この辺りは本当に食事のできる店が少ない気がします。知人に尋ねると、外食など滅多にしないという答えをされて困惑することがありますが、案外と外で食事するのを常態化しているのは稀なことなのかもしれません。という風に思いたくもなりますが、むしろ事情はその逆なのではないかと思ってみたりもするのです。こうした飲食店の不毛状態に自身を置かねばならぬが故に嫌も応もなく外食を控えることに繋がるんじゃないか。自宅からわざわざ手掛けまでして食事しに行くくらいなら、自炊した方が楽だしお金も掛からぬと考えるのだろうか。ぼくは両方を楽しむのが得策と考える方だけれど、圧倒的に外食、いや呑みに行く事が多いと思われているようだし、その自負もあります。近頃は町の蕎麦屋で呑んだりするのだよと語って得意げに振る舞ってみせるけれど、蕎麦屋でそばを注文せぬままとなる事も少なくないから実のところは余り自慢できるような事ではないのであります。この夜は何とか見つかった飾り気のない蕎麦屋に立ち寄りました。店内は漫画なども置かれて、町の食堂風で感じは悪くないけど好きというにはちょっと物足りないかな。さて、品書きを眺めるとなるほど酒の肴があれこれと揃っていて悪くないねえ。ぼくのように蕎麦屋という本来の姿を見ぬ振りをして酒場使いする人も多いのだろうなあ。そんな品書きから茗荷の卵とじを見つけました。これはいいなあ。藤沢のリニューアルしてしまったかつての名酒場で茗荷のチャンプルーを食べた時の衝撃は今も記憶に新しいのです。茗荷に火を通すという考えが当時ぼくの念頭には全くなかったからです。という訳で食べてみるとまあ悪くないけれど初めて食べた時の感動には遠く及ばなかったのは残念です。でもまあそんなかつての感動を呼び起こしてくれたという意味でうれしい出会いでした。
2019/07/10
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先達ても書いたばかりでありますが、下総中山は世の酒場マニアたちも未踏のフロンティアではないかと思っています。これもまたいつも言ってることですが、酒場でも喫茶店でも何だっていいけれど、連綿と営業を続けてきたようなお店について、発見といった言葉でさもお手柄のように語ることの不毛さと虚栄心の高さには辟易とさせられたりもするのですが、仮に発見という言葉を用いるとするなら常連たちが当たり前のように享受していて見失ってしまったその店の真価を適切で判明な言葉で語って見せることにあると思うのです。その言葉の中に他店とは差別化し得るだけの説得的な差異を提示できたとしたら、それこそが発見であると告げるべき時なのだと思うのです。それでなければ世の中には既知の発見ばかりが蔓延ることになって甚だ目障りなのです。ということで、せいぜいが再発見であると言うに留めることにしますが、これから下総中山の地元の方に愛される素敵な女系酒場にお邪魔することにします。 目指す酒場は、酒場放浪記で紹介された「酒と食事処 かよちゃん」のさらに先にありました。そこに行く際も随分遠いところにあるなあと思ったものですが、そのさらに先というか奥にあるのだから、畢竟お客さんは近所の方ばかりということになります。そんな場所にある酒場をいかに知り得たかというと自らの足で稼いだと言えば聞こえはいいのですが、それはウソ。たまたま車でこちらの方を通った際に見掛けてから虎視眈々と再訪する機会を待ち受けていたのであります。というのが、たまたま車に乗せてくれた人というのが車で仕事に来るのがごく稀にしかないというのがひとつめの理由、また見掛けた際に店名を確認し損ねたので道のりをいくらトレースしてみてもその酒場を発見するに至らなかったというのが二つ目です。ということで、その車に乗せてくれる彼氏には日々親切に付き合うことで、車で来るタイミングを見計らっていたのでした。かつてと同じ道を通ってもらうことには、親切さがモノをいって成功したのですが、肝心の酒場が見当たらぬ。いつまでも引っ張り回すわけにはいかぬから朧げに記憶に残る風景を目にした時点で車を下ろしてもらったのは少し無謀だったか。でもそううろつき回るまでもなく記憶に微かに残るそれと近しい「もつ焼 磯むら」になんおか辿り着けたのでした。発見という言葉を安売りするのは嫌いだと語ったばかりだけれど、これは小さな発見と言ってみたい衝動に駆られます。さて、店内は程よく抑えめの照明であり、めっきり熱くなった今日この頃には夏の夜の情緒として大いに愛するところです。カウンター席に着こうとするとそこはご近所の方がずらりと肩を並べており、店の方からはよろしければ卓席へと促されます。うん、こちらの方が店内前面を一挙に眺められて気持ちがいい。透き通った酎ハイをすすりながら、普通だけどなんだかやけに美味しいソーセージを摘みます。隣の卓には店の方のご家族らしき母子が第二の我が家のようにしてこの空間を愉しんでいます。子供の時分からこうした店を自宅のようにするときっと将来も呑み屋の空間にこそ安らぎを感じるようになるのだろうな。店の方、3名は皆さん女性ばかり、そのせいもあってかおっちゃんばかりだった店内には徐々に女性の独り客が増えだしました。中でも最も顔馴染みらしい方はミニカレーだったかなを注文しています。ああ、これぼくも気になっていたんだよな。でもご飯が重いかなと考えて見合わせたんですよ。でもこのお客さんはご飯抜きにしてもらっています。ああ、ぼくもそうしておけばよかったなあ。今度はきっとカレーを頼むことにしよう。なんてもう次に来ることを考えています。とにかく実に気分のいい酒場でいつものように近所の方が羨ましくなるのでした。さて、今更ですが、かつて目にした酒場は本当にここなんだろうか。もしかするとこちらに負けず劣らずに素晴らしい酒場がこの住宅街に潜んでいたりしないだろうかと思うと、さらなる探訪に赴きたい欲求を抑えるのに難儀するのでした。
2019/07/09
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喫茶篇の昨日分にて書いたように、岩村田にやっとこ辿り着いた時には余りの空腹に立っているのもやっとというコンディションに追い込まれていたのでした。この町では何軒かの食事処に目を付けていましたが、手近で済ませてもやむなしと外観はさほどそそるところのないお店に立ち寄ることにしたのでした。そのお店は割烹食堂という余り他に見たことのない飲食業態を標榜していますが、こんなのはさほどアテにならぬからもう深く考えずに飛び込むことにしたのでした。そして、想像を遥かに上回る感動を与えてもらうことになるのです。「割烹食堂 双葉」は、外観の凡庸さに比して内観のユニークさが良いのですね。和洋の入り混じったどっち付かずの曖昧さが愉しくて、陶然とさせられるのです。昼食時をとうに過ぎたこの時間帯にいたのは年老いた母とその息子さんでした。彼らの濃密な関係性は言葉を一切交わすことがなくともしっかりと感知できるのはどうしてなのだろう。それを培ってきた永遠とも思われる歳月の重みがぼくをも絡め取り、店外の時間の速度とは別個の時間軸に絡め取られそうな気持ちになるのです。さて、ゲソ揚げなどの酒の肴を注文し、後から軽く食事系を注文しようという方針がなんとはなしに決まりました。方針も決まったから安心して焼酎でも貰うことにしようか、いくつかの選択肢の中にはいいちこの20度もしくは25度という選択肢もあり、やけに懇切丁寧で嬉しいのだけれど、無論度数の高いのを貰うことにするのです。するとこちらはグラスに並々の量り売りスタイルなのですね。水と氷はサービスなのが実に素晴らしい。やはりサービスの冷奴の小鉢も何気に嬉しいものです。そこらの酒場にも是非とも採用を検討してもらいたい。また、こちらのお店、値段の付け方にちょっと癖があってそれは現地にてご確認頂ければよろしいかと思うのですが、ご飯物が全般にお高めなのですが、なぜだかアジフライ定食は650円と手頃なのです。そしてこのフライにはタルタルが添えてあってこれと絡めて食べるともう何枚でもいきたくなるような旨さなのです。これまで食べてきた少なくないアジフライでも図抜けて旨いのです。だとすると、他のもう少しお高めのメニューをいっていたら卒倒すること疑いなしとまで断言したくなるのです。店の入口付近には大量の一升瓶がキープされていて、もしぼくが近隣の住民もしくは勤め人なら間違いなくぼくの名のプレートの下がった瓶も並ぶことだろうにと口惜しい思いがするのです。 さて、店を後にして喫茶店で休息、駅に向かって歩いていくと「お食事 王将」、「焼鳥 春さん」、「福助食堂」などなど素敵な物件が目白押しではないですか。この時点で再訪を決意するになんの障害も無いのでした。 オマケになりますが、乙女駅にて下車しました。駅名に惹かれたのではなくて、気になる酒場が2軒あったからです。さすがに営業開始には早いと思いつつも年の為に「やきとり 正ちゃん」に行ってみますが、やはりまだ営業前、もう一軒の「あいちゃん」は道を間違ってタイムアップ。かの2軒も今後の宿題となりました。
2019/07/08
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中込駅から北中込駅までは、小海線を利用。たった一駅なので、歩いても良かったのですが、中込駅が思っていたよりずっと大きな駅だったので、駅間が結構な距離があると推測したのです。その推測が正しかったかどうかは確認していないので分からないけれど、到着した北中込駅は小さな無人駅でしたがそこから見える風景は余り田舎びてはいなかったのでした。長野県を縦横に走る列車の沿線風景というのはのどかな田園風景というのが案外少ないように思われ、民家が連なっていたかと思うと、突如として町が現れというのの繰り返しに感じられます。これは誤解に過ぎぬかもしれませんが、まあ感じ方は人それぞれというから勘違いならご勘弁を。 そんな余り味気のない駅前からすぐに「画廊喫茶 ルオー」がありましたが、こちらはお休みでした。見た目はどうってこともないけれど、案外辺りだったりするような予感もあるので、覚えておくことにします。しばらく線路に沿って退屈な道を歩くことになります。しばらく行ってから左に折れると今度は、「喫茶&スナック ルピナス」というちょっと立派な一軒家の喫茶がありますが、やはりこちらもお休みのようです。その向かいに「珈琲 木馬」の看板がありました。でもその未舗装の敷地の奥にそれらしき物件は見えません。というかまず目に飛び込んでくるのは、焼肉屋さんです。これもなんかちょっと良さそうですが、そこまで敷地内に足を踏み入れるとその先に秘密めかしたちょっと怪しい喫茶店があります。ちょっと躊躇いつつも店内に入ると、案外素っ気ない印象のお店ですが、地下や中2階など高低差のある造りとなっていてどことなく大人の秘密基地みたいなのです。店の主人がご自身の趣味に殉ずるようにして精魂込めて作り上げた感じがあってとても好もしいと同時に羨ましくもあるのでした。帰り際に無口な主人に素敵なお店ですねと褒めて見せると、実に嬉しそうな表情を浮かべられたのでした。 地図アプリを見た限りでは、さらに一駅先の岩村田駅まではさほどの距離はなさそうです。しかも事前のリサーチによると岩村田で目指すべきお店は駅からは結構離れているので、わざわざ駅を往復するのも面倒です。ところが、歩いてみるとこれがそれなりにキツイ上り坂が続いて、しかも車道すれすれを歩かざるを得なかったりして、思いがけず草臥れてしまったのでした。草臥れたのもそうだけれど、それ以上に激しい位の空腹に見舞われて、もはや吐き気すら感じる程なのでした。だから岩村田に着くとすぐに向かったのは食事処なのでした。そこが第一印象はどうということもなかったのですが、入ってみたらなんともすばらしかったのです。それはまた明日の報告に譲ります。 お腹もいっぱいになったし、食事処そばの「コーヒーショップ 花星」にお邪魔することにしました。岩村田では他にも寄りたい喫茶が何軒かあるのですが、近場だったので立ち寄ることにしたのです。と書くともともとはさほど気乗りしていないかのようですが、実はそうだったのです。外観からは平凡に思えたのです。空腹から満腹に移行していなかったらここはスルーしてしまっていたかもしれません。と考えるとこちらとの出会いは偶然と幸運がもたらしたものであり実にツイていると思うのです。店内も平凡であります。しかし、この平凡というのは、少しもこちらのお店の素晴らしさを損なうことはないはずです。どこをどう切りとってみてもどこもかしこもオーソドックスな内装なのです。どこにも尖がったところはないし、遊び心すらまったく存在しないかのような律義さに、これはぼくの求めるような風景ではないはずだけれど、どうにもあらがいようがなく心地良いことに心底惚れ惚れとしてしまったのでした。「喫茶 ノンノ」、「喫茶 ピアノ」は閉業しているようでうs。「喫茶スナック 茶王」は迷った挙句にスルー、次回の愉しみに取っておこうと思ったけれど、後日こちらを訪れた方から絶賛の声を聞かされ深く後悔したのです。「tealounge Pietoro(ピエトロ)」も寄っておけばよかったかなあ。
2019/07/07
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北千住で呑もうという事になりました。総勢6名と少しもこぢんまりしておらず、しかし団体というにはもの足りぬ半端な人数でありまして、さて店選びを任されたぼくはハタと困ってしまいました。ご存知のとおり日頃、独りで呑むことが多いぼくは宴席が大の不得手なのです。というか普通の居酒屋で普通にセッティングするのなら少しも悩んだりしないで済むのだけれど、妙な責任感が普通であることを自ら拒否して仕舞うのであります。さすが毎晩呑み歩いているだけの事はあるなあ、とか期待通りの渋いセレクションだったよとか、人によってはどうだっていいような賛辞に晒されるのが嬉しくてならぬのだから困ったものです。仕事でファインプレーして褒められたって、褒める位なら報奨金でも出してほしいよ程度にしか思えぬのに、趣味は仕事を優先するにも程があるというものです。それに加えて、できることならこれまで行っていない居酒屋に行きたいなどと思ったりするのだから混迷の度合いは否も応もなく深まるのです。挙句の果てには、初訪の店であることはすっぱりと諦めることにするのですが、かと言って私的な好奇心を封じ込めたからといって首尾よく目的が達せられるかというとそうはいかぬのでありました。 そこで思い至ったのは「きそば 柏屋」でありました。ココは先般お邪魔して非常に好感度の高かったお店なのです。蕎麦屋呑みってなんてなかなかに大人っぽくてカッコよくないですか。粋を装ったセレクトしやがって、しゃらくせえな、コノヤローとか言われつつもその言葉とは裏腹にそんな選択肢を隠し持っているぼくへの嫉妬心を敏感に嗅ぎ取るなんて情景が脳裏に浮かんでくるのです。そうしたぼくのこだわりの店選びは、すぐさまに宙吊りにされることになるのです。前回の訪問で二階席があってそこが座敷になっており、それなりの大人数でも対応できると検討をつけていたのです。さらにはホームページをチェックして予約ができぬ事を確認していたから6時前に入れば席の確保に難儀はなかろうという当たりをつけての訪問だったのですが、これが大ハズレ。一階の卓席に一つ空きがあって、後は二階も含めて全部埋まっているとのことなのです。椅子を2つ用意してもらえぬか頼んだけれどそれはできぬというのです。何とご無体な。などと嘆いてみても仕方がないので取り敢えず先着した3名でビールなど頂いてみる。その間にどこか席に空きが出るかもしれぬと考えたのです。しかし一向に客たちの引き上げる気配はないのだ。蕎麦屋呑みで長っ尻はみっともないなと毒づいてみせるけれど、彼らにしたって席に着いたばかりかもしれぬのだ。という訳で、蕎麦屋で蕎麦も食さず、蕎麦前すら注文せぬという暴挙にて退散することになったのでありまして、さらには笑顔の素敵なフロアー担当のお姉さんには大変に恐縮されたりもして、むしろこちらが恐縮することになるのでした。 で、結局、「じんざえ門」にお邪魔したのです。闇雲に当たりをつけては飛び込んで人数を告げてみたけれど6名だとなかなかに収容てきる店などないのです。だから呑みは独りが良いのだと思いながらも今宵の店選びを引き受けた以上は何としても手早く店を決めねばならぬと、キツイ重圧を背に受けながら駆け回って見つけたのがココだったのです。酒場好きなどと言ってあちこち行っていても、所詮はこの程度なのです。ぼくの知識などたかだか独り呑みのできる安い酒場ばかりでちっとも実用に供せぬのです。それでもどうにかこうにか辿り着いた何年ぶりかのこの酒場、席に着くとなかなかに居心地が良いではないですか。店名の締まりのない―どうして全てを漢字にて表記せぬのだ―のがネックになり、長い事放置してきたけれどこれは案外悪くないようだ。だから見てください。顔はまるで見えぬだろうけれどみんな何だか無茶苦茶楽しそうじゃないですか。いつもの繰り返しになるけれど呑みの場なんてのは酒さえあれば、それが旨いとか不味いなんてことや独りとかグループであるかとは関係なしに愉快な時は大いに愉快になるものだし、しんみりしたい時はどっとしんみりできるものなのです。そんな場を提供するのが居酒屋なのであって、個室居酒屋ではこうは盛り上がれないだろうなと今宵の失態を自己弁護するのでした。
2019/07/06
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テレビで見る限りの吉田類氏は、とても愉快なおぢさんです。知ったかぶりに知識人ぶってみたりもするけれど、いかんせんお勉強が足りなかったのか教養のなさが透けて見えるけれどそれはどうだっていいのであります。大体の男はモテたいからカッコつける訳で、インテリぶることでカッコつけたつもりでいる人がいてもいいとは思っています。ぼくだって若い頃は、物知りであることを自慢げに演じて見せては、悦に入ったものであります。そんな大人気ない振る舞いを未だにひけらかすことができるなんてそれはそれで愉快だなあなんて思わせるだけの剽軽キャラなのであります。と、吉田類氏のことをディスりまくっていると酷い目に遭いそうにも思うのだけれど、何度も言うとおりぼくは彼の出演する番組は好んで視聴しているのです。しかし、端的に語っておくべきは、ぼくと吉田氏はどうやら根本的に嗜好する酒場に対しては、全然違っている、というか対極にあるようなのです。それはぼくの勘違いに過ぎなければいいなと思うのだけれど、吉田氏の呑み方を眺めていると、どうもセコいところばかりが目に付くようなのです。それは恐らくは二本撮りの番組の最初にちょっと気の利いた風のそれなりに値が張る酒場にいくとそこでヘロヘロになって、次の酒場はもうヘベレケでとうにもならないという近頃度々目にする情景を思い浮かべても明らかのです。 十条では「小料理 ほり」という上品ないかにもちゃんとした酒と肴を味あわせてくれるような酒場を訪れたようです。その後を追ってぼくもお邪魔したのだから吉田氏のことをとやかく言う資格などないのだろと思わぬでもないのでありますが、次に訪れた酒場での醜態を聞かされると、やはり少しは己の行動が店に与える影響について肝に銘じてもらいたいと思うのです。でもはからずもこの夜のハシゴを改めて並べてみる事で吉田氏の本質というかもっと単純には酒場の好みというのが白日の元に晒されたような気がするのです。端的に言うとこの人は庶民的な酒場よりはずっと銘酒居酒屋なんかのような洒落たお店が好きなんだなあという事です。こう書いているとぼくまで吉田氏が嫌いになりそうだから苦言はここまでにします。つまりは、吉田氏の好みはこの小料理屋を冠するようなちょいといい酒やいい肴を出す店なのです。それは無論好みだから否定するつもりなど少しもないし、ぼくも仮に彼の立場に置かれたら小遣い銭で呑むには少し厳しいなあと思うような酒場につい浮気してしまうかもしれません。ここはそうだなあ、中間管理職の上席の人が部下の若い女性社員などを引き連れて来るのに適当なお店に思えるのですね。実際に奥の卓席にはそうした面子が揃っているのです。吉田氏はそうした意味では随分とご出世なさってしまったということかもしれません。出世したら、ねえ、そりゃまあ少しはいい酒や肴を頼みたくなるのも無理のないことなのです。だから出世とは縁のないぼくと吉田氏とは志向する対象に大きな開きが生じているようだから、不満を感じても仕方ないことなのかもしれません。ところで、このお店、先程から書いているようにちょっとお値段はお高めであります。でもまあこうした店で刺身でも摘まぬというのもちょっとカッコ悪いと頼んでみるけれど、これはまあ普通に美味しいのです。むしろ、こちらでは煮物なんかを頼むのが良さそうです。盛りもいいし、味付けも上品というよりは家庭の味のようです。次にここにお邪魔するようなことがあれば、店のプレッシャーや自意識を撥ね退けて煮付を存分に味わいたいと思うのです。
2019/07/05
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椎名町に昼間に来ることはあっても、夜呑みに来るのは久しぶりの事です。その理由は明白で、大概の酒場を経巡っているつもりでもはやあえて立ち寄る店などなかろうといういつもの根拠薄弱な自信が砕かれたのは田端の立呑み屋の常連の話によってでありました。その方が語るには、椎名町駅から徒歩5分ほどの商店街の外れにある居酒屋が大変気に入っていてつい昨日も美味しい肴をたんまり頂いてきたと自慢げに語っておられたのです。そこでぼくはマメに呑み歩いていることを語ってみせたりしていたから、さすがに足を伸ばさぬわけにはいくまいとようやく重い腰を上げてそのお店に向かうことにしたのでした。それが突然の思い付きだったので、なんと愚かにも店名すら失念したままでなんとかなるさで向かったけれど、結局なんともならずに本来の目的を失ってしまったのでした。 見慣れた道筋を辿って行くと、やはり見慣れた酒場があるだけのはずなのに「酒房 野茶坊(やちゃぼ)」のようなぼく好みな酒場がまだ残されているのだから、人の視線は節穴だらけだと改めて思うのです。いや、今これを書きながら思い起こしてみると確かにこんな店があったような気もする。だけれどその時にはきっと少しの興味も抱けなかったのです。今回、改めて目当ての酒場を探し求めて何度かこの通りを行き来したことで、店内の様子が換気の窓から覗えたことで、俄然このお店への興味をもたらし得たのだから、当初の目的は達せられずとも想定外の収穫を得られたのだから問題などないのです。さて、外観だけではぼくの気を引けなかったこの酒場の店内はどんな様子かというと、永遠に暮れる事のない夕暮れ過ぎと闇夜のトバ口との狭間のような時間に置き去りにされたような切なさに満たされているのでした。明るく明朗な酒場は逆に客のぼくには後ろめたいのです。さて、そうした胸をつかれるような店内ではありますが、ご夫婦は極めて淡々としているし、常連のオヤジ二人組は近頃の若者のケチ臭い呑み方について文句を語り合っていたりと他所の酒場と何ら違うところはないのです。焼鳥は普通だし、値段だって近頃の酒場と比べると幾分お高めと当たり前に日常使いはしないだろうけれど、でもしんみりと呑みたい時にこういう酒場があると安心だろうと思うのです。 一方で、先の店よりも一見客を寄せ付けぬ頑な印象を放つのが「季節料理 三好」です。季節利用とか小料理とか、曖昧で掴み所のない店に入るのは今でも若干の戸惑いがあります。酒場という広義なカテゴリーがあるとしてそのサブカテゴリーにうちは料理を売りにしていますよという自己主張を掲げるのが、どうもそんなに肴に拘らなくなったぼくには重荷に感じられるのです。しかし、そうした安直な印象を実は裏切るようなお店が多いということも知っているのです。かつて開店当初は肴自慢の酒場をやるつもりがやがて店主の高齢に応じるように品書きの記載を減らしていき、小さな冷蔵庫に貼るような小さなマグネット式のホワイトボードに精々十品程度が記されるだけになったりするのです。その品も日持ちのする季節感など無視したような料理名が並んでいる場合が多かったりするのです。店内も今では散らかり放題になっていて客席というよりは主人の生活空間が侵食してきていたりする。このお店もまさにそんなタイプのお店で、もはや意気揚々と規約を獲得しようという意欲など微塵もなく惰性で開いているように思えるのです。しかし、そんな酒場があったって一向に構わぬと思うのです。そこには長年通い詰めて、店やオヤジと共に歳を重ねてきた馴染みがいて、彼らは互いの安否を確かめるようにして店に集うのであって、そこには肴など不要なのであります。それどころか会話すら無用である人達を見る事も少なくありません。客は店に入り軽く会釈し、オヤジはそれをチラリと見遣る。お通しの刺身こんにゃくを摘みながら、酒をお通しの刺身こんにゃくを摘みながら、酒を二杯ほど瞬く間に呑み干すとすくっと席を立ち、つむじ風のように立ち去る。そういう呑み方ができればカッコいいんだけれど、まさしくそんなお客さんがお越しになっていたのです。そんな彼らの間に会話らしい会話などないのだけれど、それでも十分に気持ちは伝わっているんでしょう。酒呑みは斯くありたいと思うけれど、ぼくにはまだ30年は修業が必要そうです。
2019/07/04
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ぼくなどが子供だった時分には、インド料理店など見たこともありませんでした。それは特段ぼくの転々と移り住んできた町が地方都市だったからというのが理由ではなく、そもそもが日本では東京などのごく限られた場所にしかもごく少ない数の店があるだけだったようだから目にすることがなかったのは当然の事なのです。ところがですよ、近頃旅行をしているととにかくどこにだってインド料理店を目にするようになりました。それも地方都市どころか駅前離れが進み町としての体裁を失いつつあるような寂れ切った土地にすらインド料理店は存在していたりするのだから、インド人達の土地への順能力の高さに驚かざるを得ないのです。人気のない駅前通りにケバケバしい外観の料理店を見てももはや驚くこともなくなり、けれどこんな田舎町にインド料理がそれ程の需要があるものだろうか、そしてこの店を営むインド人はじめの周縁国の人達は、この町でどんな生活を送っているのだろうか、などなど止めどもなく疑問が噴出するのですが、日本人はカレーと呼ばれるものであれば選り好みなく好きであり、店を出すインド人らはとりあえずの出稼ぎ気分で田舎暮らしを長い人生のわずかひと時の退屈な暮らしと割り切っていると考えておくことにしよう。問題なのは、何度も語っているけれどインド料理店が居酒屋化を加速させているように思われるという事です。本場中華料理店もそうですが、これらの店で日本の町が席巻されることを思うとゾッとした思いに囚われるのです。インド料理も中華料理も大好きで、実のところ昔ながらの町の居酒屋で出される日本の肴は大概旨くない事を思うとむしろそちらの方がいいかも知れんと思ったりもするのです。しかも日本の居酒屋で出されるインド風だったり中華料理風だったりする料理がそれに輪をかけて不味かったりするものだから居酒屋の価値を主に肴の良し悪しで判断するような方はもしかするとそちらにシフトしていくことになるのかもしれない。いや、現在の活況を鑑みるにすでにそうなり始めているということなのだろう。 馴染みたいと思っているわけじゃないけれどすっかりお馴染みになりました北松戸にもレッドとブルーの2軒のインド料理店があります。先に出来たブルー、つまりは「アジアンダイニング ブルースカイ」はなかなか宴会に使い勝手が良いと教えられていて利用の機会を窺っていたのだけれど、知らぬ間にレッド、つまりは「インド料理 レッドローズ」がオープンしており、お手頃さではこちらが勝ったというその一点に惹かれてここを訪れることを決めたのでした。値段は評判をも凌駕するのです。さて、店の構えは薄っぺらでゴテゴテしたインド料理店のそれでしかなく、まあその安っぽさがインド料理店である証しともなっているから戦略としてはありかもしれぬけれど、ぼくにはどうも面白くない。むしろブルーは田舎町のキャバクラみたいな内実のえげつなさと裏腹のさわやかな青を基調とした見栄えで全く趣味とは違っているけれし、品のないこと甚だしいけれど工夫した痕跡は感じられます。店内も全く凡庸の極みであるけれど仕方ないですね。さて、こちらは料理が11品(といっても〆のカレーとナンとライスが別記載なので実質は9品と数えるべきだろう)に90分の呑み放題が付いて3,000円のBコースを注文しました。パパド、サラダ、枝豆、チキンティッカ、ポテトフライ、モモ、アルジラに好みのカレー1種が付いてだから確かにお得なのだ。さらに下の2,500円コースもあるから立派なものです。パパド、サラダ、枝豆、ポテトフライと何とも味気ない品が続きますが、サラダに掛かったアイランドドレッシング風のが妙に旨かったのです。ハナマサなんかの市販の業務用になにかを混ぜ込んだ程度に違いないのですが、あの味になるならぜひレシピを知りたいものです。チキンティッカ、アルジラはまあねえこんなものかな。モモは案外うまかったけれど、これもハナマサの冷凍ショーロンポーではないかと推察したがどうだろう。ここですでに満腹であります。カレーのルーすら胃に収まりそうにありません。とここでさらなるサービス。お持ち帰り対応してくれるのですね。現場で食べるよりナンはかなりボリュームダウンしていたけれど、味は悪くなかった。ラムカレーを持ち帰り、食べたけれどこちらはう~ん、自分で作った方が旨いかなあ。ただ、現地でホウレン草カレーを食べていたのに一口分けてもらったらこれはなかなか良かったですね。次の機会があればそちらにしようと思いつつも、キラ星の如く乱立するインド料理店をみたらあえてここを選ぶ理由はなさそうにも思えるのです。
2019/07/03
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御徒町では、酒場より諸外国の料理店を巡る方が面白いのかもしれません。てなことを言いながら、かつてほどは食に対しての旺盛な欲望も失せてきて、というか大概の料理はよほど特殊な食材を使ったものでなければ、家庭で作ってもそこらの店とは遜色なかったりもするから、外で高いお金を払って馬鹿らしくなるのであります。前も書いたけれど、インド料理店は大概の店舗は面白くもなんともないから時々定評のあるお店に行って、家で作ったのと比較検討するために行っているようなものであります。ただ中華飯店に関しては、純然たる店の情緒を愉しむために立ち寄っているので、どうしても行く頻度は多くなるのでありました。「ヴェジハーブサーガ(VEGE HERB SAGA)」は、実は随分以前にお邪魔したっきりで、しかも本場風に一切の酒類を提供しないという事で、持て余していたのでした。ならばもっと前に御徒町の酒場を報告した時に絡めておけば良かったのではないかという指摘は至極ごもっともであるが、失念していたのだからどうにもならぬのです。ならば投げ捨ててしまえば良かろうという指摘には一理あるが聞く耳は持たぬのです。なぜならこちらのお店は前述したような酒類を置かぬということもそうだけれど、店名からも知れる通りのヴェジタリアン仕様のメニューに特化しているのです。いや、ノンヴェジの品もあったかもしれぬけれど基本的にはヴェジタリアン仕様のお店なのです。だからそうした本場志向もあって南インド料理に魅せられたぼくなどにとっては一度は行っておきたい有名店の一つなのでした。さて、店内はかつてはどのように使われていたのか、一般的なインド料理店とはどこか様子が違って感じられます。ライトな風俗店の気配を留めているように感じられましたが気のせいでしょうか。厳格を志向する割には妙にだらしないムードもあり、何となくちょっと想像していたのと違います。さて、届いたミールスは悪くないのだけれどおかずの種類が少ない気がします。あと二種類位、ポリヤルでも何でもいいけれど付けてくれればライスとのバランスもいいのになあ。あと、定番のラッサムとサンバルもなかったような、味だめししたいぼくには残念でした。ライスはお代りできるのでもったいないから少なめでお願いしたらコレばかりは凄いサービスがいいから食の細い方はお気を付けて。 さて、御徒町駅改札を出てすぐの「中華 珍萬」にようやくお邪魔する事ができました。表から見ると狭く感じていたのですが奥は案外深いのですね。それでも5分程待たされての入店です。席に着いてとりあえずビールと餃子を頼んだら、これがビールよりも先に餃子が届くのですね。これは一体どういうシステムなのだ、驚愕のスピードです。うん、きっと餃子は名物だからのべつ幕なしに焼き続けているのだろうなあと想像する。普通に美味しい餃子であります。さらに驚かされる事になろうとは思っていませんでした。というのは餃子以外の品、叉焼は分かる気もするけれど炒飯までが待つという間もなく出てくるのです。これは凄い。凄いけれど酒呑みのペースにはこれはいかにも速過ぎる。せっかちなぼくでもここまでせずとも良いのではと思うほどであるけれどこれがこちらのスタイルなのでしょう。多忙を極めるサラリーマンがさっと立ち寄り一杯やる、今時のサラリーマンには見られなくなりましたが、そうしたかつてのモーレツ社員たちの需要を確かに満たしていたと思えるような貴重なお店と感じました。
2019/07/02
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実のところ、夜の駒ヶ根には相当な期待を抱いていたのです。ストリートビューで軽めの散策をしてみただけですら今すぐにでも出向きたいと思わせるような光景が点在しており、こんな町こそストリートビューに被写体として相応しいのではないかと思わせるのでありました。どうもこの媒体は路地裏的な場所については、映像をコマ送りで見るような欠落感が拭えません。まあ、それも仕方ないと思えぬほどに分別がないわけじゃありませんが、矢鱈と店内に引きずり込まれるような仕掛けがある位なら、場末っぽさの漂う近い将来消滅すると思しき町こそ記録として留めて欲しいと願うのはぼくだけではないはずです。膨大な映像の集積を老後になって振り返り彷徨うことで心の慰めとする人は少なくなかろうと思うのです。そんな町だから当然、映像で魅惑的に見えた店舗の少なからずが閉業に追いやられるどころか、跡形もないなんて事態も予期はしていたし、GWという時期でもあるから無為に町を彷徨うなんてことも想定していたのです。想定しているからといっても現実に現場に立ってみて、放心せざるを得ぬとは思えぬ程度の楽観を持ち合わせておりますので、その無残に閉ざされた店の扉を憂鬱に眺め歩くしかないのでした。 それでも諦めるにはまだ早すぎる。というわけでやってたらどこだって構わぬというと失礼でありますが、「お食事処 やまだ」にまずはお邪魔することにしたのでした。観光地の食事処といった風情の町場の大衆食堂とは少し趣を異にしたお店でありましたが、お客さんはめっきり地元の方たちばかりのようです。雰囲気はまあ悪くない、あえて悪かったとすればぼくの体調が絶不調であったということにしておくべきかもしれません。カウンター席では一つ飛ばしで顔見知り達が適当な距離感をもって呑んでいます。見ていると特に随分長居しているらしいのに肴は一皿程度です。これはもしかするとと思って、無難なししゃもと季節ものの山菜、コシアブラの天ぷらを頼んだのですが、これがまあ残念な品なのだ。ししゃもは口に入れるのも躊躇われるように消し炭と化していたし、天ぷらは山菜の香りも消し飛ぶほどに揚がり過ぎていて、香りはともかく脂臭くて敵わぬのです。もうそれなりに食べているから肴は何だっていいのだけれど、それでも頼んだものは極力残したくないのです。でも二人で押し付け合いつつ何とか咀嚼したものの体調はぐっと悪化したのでした。でもここは長年の営業活動が評価されているのか、われわれが帰る頃にはGW中というのにご苦労様なことですが、勤め帰りの方たちが10名ほどで来店していました。ここでは実は頼むべき肴が別にあったのではないかと思うのです。 調子は良くないけれど、せめてあと一軒は行っておきたいと彷徨った挙句に立ち寄ったのは、「居酒屋 串わ次郎長」です。まあ、感じは悪くないけれどオーソドックスな居酒屋という印象です。店内に入ると、ふうんカウンター席がメインなんですね。ご主人が警戒心の強そうな視線でこちらを見るのですぐに嫌になってしまったけれど、相棒の女のコは非常に感じが良くてちょっと嬉しくなり、注文がセコいと見るとまた冷ややかな応対になってこちらもムカッとしてみたりとなかなか忙しいのです。でも出されたお通しが立派な刺し盛なので、最終的にはニコニコと気分良くなったのでした。癖のあるところもあるけれど、それは古い酒場なら当たり前のことと思ってみればまあ悪くはありません。遅くまでやっていてこの界隈では使い勝手が良さそうです。でもわれわれは翌朝5時過ぎの列車に乗車しなくてはならぬから日を跨がぬうちに引き上げることにしました。
2019/07/01
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