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日暮里については、例の如くの町の紹介というか感想から始めるにも万策尽きており、これもお決まりの愚痴や悪口も芸のない繰り返しになりそうです。はてさてどう話しを切り出すべきか迷いに迷い、そしてもうお手上げということで逃げを売ってもあるのだけれど、この先も当分はこのブログを続けようと思っている以上はそれも上策とはとても言えなさそうである。と、こうした戯言でスペースを埋めようという意図も無くはないのでありますか、一応少しは律儀に語ろうという意図はあるので、ここで一度間を置いてキッカケが降りてくるのを待つことにします。しばらく待ってみましたが、何らひらめきが落ちてくる気配もないので行き当たりばったりで進めることにします。そうそう、日暮里駅の北、鶯谷駅駅寄りの一角の猥雑さについて書いておこう。といってもこの界隈の風俗事情に詳しいわけでは少しもないし、愛欲渡世を我が人生と決め込んだ者達ならば迷わず鶯谷界隈を目指すだろうから、日暮里駅前の犬種のような名を持つ、そな需要の目的が図りしれぬけれどとにかくずっとそこにあるホテルを取り巻く環境はけして上品とは言えぬ気がします。そのショボくて人だけはアジア限定だけれどインターナショナルな様子からは犬名ホテルの宿泊客を当て込んだものらしいと推測できるのであります。きっと表と裏のサービスを官吏や指定暴力団なんか網を躱すようにして巧みに生き抜いているように見えるのです。そんな光景が長く続いていたけれど、そんな地にも近頃、巨大資本による容赦ない手入れが始まり出したかのように思えるのです。この日立ち寄った呑み屋さんはそんな昔ながらの怪し気な連中とも無情な資本集団とも違った、ごく平凡な経営者が始めたお店のように思えるのです。 大体において「Foods Bar」っていう店名はいかがなものだろう。いくらなんでも出鱈目すぎやしないかい。だってねえ、例えばですよ、Foods Barってのは、言ってみれば居酒屋を捻って居食屋といった風に看板に屋号の前に書いてみた程度の立ち位置のものであって、普通なら「Foods Bar さかま」とかある程度の業態をお客に対して説明的に明示する役目を担っているものだろうと思うのだ。例えば、呑み始めて奥さんに電話して今、居酒屋で呑んでるのでちょっと遅くなるよ、なんて電話をしたとする。どこで呑んでるのと問われて、だから居酒屋で呑んでるんだってなんて答えたらどうなるか。これはもう収集がつかなくなる事が目に見えている。佐渡の相川にも今はもう閉店してしまったらしいけれど「居酒屋」という居酒屋があったようだけれど、あそこは他に居酒屋がないからこその特別な名付けの許される場所であるのです。仮にそれがFoods Barだとしても事態はさほど変わらぬ筈です。むしろ変に気取ったばかりに事はややこしい事になるかも知れぬのだ。後ろめたくもないのに窮地に追い込まれるとはなかなか困ったことなのです。とまあ、そんなぼく向きならざる店で呑んだからといって好き好んで野菜の肴ばかり頼んでしまうとは、けして珍しくも女性を伴ったからという訳ではないのだ。スリムな彼女ではあったけれど、ぼくも本当は野菜が大好きなのだ。でもだったらいつももつ焼きばかり飽きずに食っているのはどうしてなのだという問いには素直に値段が理由であると告白するに恥じらいはないけれど、それに加えて年に一度の人間ドックが迫っていることも大きかったのであります。ちょいとスカした店ではあったけれど、まず手頃で悪くないし、何より駅から近いのはとても便利です。 でも堪らずもつ焼き店に行ってしまうのですね。何度かお邪魔している「もつや」ですが、まさかまさかの長逗留。しかも女性は既に帰ってしまったというのに、男二人で一体何時間ここで過ごしてしまったのだろうか。アブラの存在を最近になって知ったその男は何と驚くべきことか、さの数時間でアブラ刺しを4皿も頼んでしまったし、もちろん串も頼んでいたので、ぼくがざっと計算したところでは、一軒目の5倍以上のカロリーを摂取したことになるのです。何と恐ろしい。結果、ドックの結果は惨憺たるものになってしまったので、この日を持ってこのブログも休止となるかと思いきや、そうはならぬのであります。でも店の外が明るいような写真は少しは減ることになると思うので、その点はご勘弁頂きたいのです。
2019/09/30
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朝霞は東武東上線の駅のある町で都内からは埼玉県に入って和光市の次、二駅目にあるからけして都内からのアクセスも悪くないし、だからその気にさえなれば暇な週末にブラリと足を伸ばしてみても良かったのであります。ありますけれどそうしなかったのにはまあショボイ理由、いや理由というよりは嫌悪感とハッキリと書いたほうが良いかもしれません。なんて事を書きながら、いやいや、そういえばほんの何年か前にやって来たなあなんて思い起こすのでありますが、でもそれが必ずしも望んでそうしているんじゃない事は覚えています。たまたま偶然に東武東上線を一日乗車券とかで遊び歩いていた締めの一軒の酒場として朝霞の一軒を選んだに過ぎぬのです。とにかく言っておきたいのは朝霞には色々と良からぬ思い出もあるので、たまたま幸運にも素敵な物件と遭遇したとして、それを朝霞という土地と絡めることはせず、それを作った人の功績として還元するだろうと思うのであります。 ならばとうしてわざわざ朝霞を訪れるというのだ、という真っ当な疑問をぶつけられても回答には言葉を窮してしまうのであるけれど、ずっと宿題にしていた喫茶に行こうと思い立ったのです。好きとか嫌いとか子供っぽい事をいつまでも述べている余裕などないのです。都内近郊で残る宿題は底をつきかけているのです。東上線にしばし揺られ朝霞駅にて下車、駅の南側は余り歩いた事はありませんが、余り気分は盛り上がりません。町を隈無く散策したいという欲望が微塵も沸き起こらぬしらじらとした町並みが広がり、それでも気になる中華飯店なども何軒か見掛けますが営業時間はとうに過ぎてしまったようです。やむなく目的地に向かい進路を定めて黙々と細いくせに車通りだけはやけに多い、歩行者に不親切極まりない道を進みます。やがて、ちょっと見どころのある役所が見えてきました。役所のそばならもしやと、暑さでウンザリしてきた身体は早くも休みを求め始めています。しています。すると「珈琲 雅瑠」という存在感の希薄な一軒の喫茶が営業していました。審美的な側面からは余り期待できそうもないことは明らかですが、近頃は即物的な機能重視の何でもない店に不思議と惹かれるのです。パティシエの手掛けた豪奢なケーキより町の職人の拵えた質素な洋菓子に好みが移行したのと似たような心持ちといえば近いかもしれません。そして、ここは実際そうした店であったのです。役所の職員らしい青年が遅いランチわのんびりと楽しんでいます。いや、けして楽しそうでもなく役所の食堂と同じようにごく当たり前の日常のルーティンとして過ごしている。そんな感じがとても良くぼくも思いがけずもダラダラと過ごしてしまいました。 陸軍自衛隊朝霞駐屯地のある川越街道と並走する旧川越街道に面してはかつて米軍基地があって米兵たちが夜な夜な歓楽に耽ったという。朝霞警察署がこんな不便な場所にあるのもそれが所以というから、当時の狂騒振りが察せられようものです。ところが、今ではもうそうした時代のあったことなど忘れたかのように飲食店の大部分は姿を消し、かつて米兵たちの通ったクラブやバーの痕跡を認めることは今や困難であります。それでも「COFFEE & PIZZA ぽっぷ」やそのお隣の「CLUB CHATEAU」は当時の残滓と思われ、わずかにその名残を認めることができそうです。そうそう朝霞ショー劇場というストリップ小屋もこのそばで営業しており、小屋の前ではいつもおっちゃんが椅子に腰を掛けていたのを記憶します。そんな捨て去られたような通りに面して「珈琲専門店 ハニー」は営業を続けています。ここが長年宿題としていたお店です。比較的こぢんまりとした珈琲専門店でもスタンダード中のスタンダードな東亜珈琲のお店の一軒ですが、ここはそんな東亜珈琲のお店の中にあって、ぼくの知る最もスタンダードな一店に思われお手本にすべきお店であると感じました。その良さの所以は店のサイズ感にありそうです。狭くなく、広過ぎもしないというその絶妙さがこちらの居心地の良さを成功付けたと分析してみたりするのです。 折角だから退屈という点では朝霞以上にウンザリさせられる和光市に向かって歩くことにしました。和光市駅に繋がる駅前通りを歩いていくと一軒の80年代風のパーラー風の喫茶店がありましたが、お休みのようです。そのほぼ向かいにうけら庵通りなる路地があり、そこに謎の店舗「富岡商店」がありました。看板には洋菓子の「ヤマザキ」とありますが、やきとりの赤提灯の裏側にはおもちゃの記載もあります。ストリートビューで確認してみると、サッシ扉に貼り紙してある様子が見て取れ、拡大してみると綺麗な字で「本日都合によりお休みさせていただきます 店主」とあるから、少なくともこの店先をおばちゃんが自転車で通り過ぎようとした時期にはこのお店は営業していたようなのです。そのうちまた確認しに行きたいと思います。その先には謎めいた通りの名の由来であるうけら庵跡があり史跡となっています。うけらとはきく科の多年生草木だそうで、武蔵野台地に繁殖していたことからこれを庵名としたとの説明書きがありました。江戸時代の文人墨客が集まって、詩歌の会などを催したりもしたらしく、今でこそ利便のいい町となった和光市ですが、当時はそうとは僻地だったと思っていたのでびっくりです。近くには「てるちゃん」、「たんぽぽ」―ちなみにGoogleMap城では「居酒屋 よっちゃん」と表示されます―もあり、こちらも現役のように思われ、これは再訪必至ですね。後から地元住民の知人に聞くと、あち一軒には昔ぼくも行ったことがあるそうな。他も営業しているようです。近いうちに行かねばなるまいな。
2019/09/29
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高円寺は若い頃に住んでみたかった町のひとつであり、これから先も機会さえあれば住んでみたいと思える町のひとつであります。それだけ愛着がある位だからもうかなり歩きこんでいると思われるかもしれないが、実際に地元在住の方にも負けぬよという程度には散策しているという自負があります。実は例外はあるとしても基本的に地元のことを地元の方は案外知らないということが多いようです。さすがに店をやっておられる方たちは、商店街の組合だったり、慰安旅行なんかで顔見知りだったりするようですが、知ってはいても互いの店を行き来するような関係に至るのはあまり聞かぬ話です。町そのものにひとつしか商店街がなくしかも両手で余る程度の規模の商店街であれば、ただの顔見知りに留まらず互いの店を利用しあう互助的な関係性もありうるのでしょうが、都内ではなかなかそうもいかぬのであります。下町風の濃密な付き合いや近頃は若者たちがものづくりなんてキーワードを通じて交流しあうなんてこともありそうですが、それはそれでうざったい気がしなくもないと思っていたりするのですが。ところで、この日は高円寺あづま通り商店街という耳慣れぬ通りを歩いてみました。高円寺は放射状に商店街が散らばっていて、どうしても興味の誘いに身を任せて歩いてしまうので、いつだって似通った通りを歩くことになり、散々歩いているように思っていても実際には見落としも多いのかもしれません。だって、もしここを歩いていたとしたら、「大衆食堂 福助(福助食堂)」なんてぼく好みのお店を見逃すことなどなかっただろうと思うからです。ここ1、2年を振り返っただけでも佐渡や佐久で「福助食堂」を目撃しましたが、福助さんの愛すべき姿を借用しての他力本願なやり口ではあるけれど、とかく著作権にやかましい諸々のキャラクター達のようなズル賢さが感じられぬのが良いのです。日本にはいくらだって著作権フリーないかした仲間たちがいるのです。そんな気のいい福助を見たらもう溜まらず立ち寄りたくなるものです。さて、高円寺の福助はというと、ぼくの見知った彼らとは一線を画しておられるようです。とにかく雑然とした店内には、嫌悪を感じる人がいても仕方のないところではありますが、ここはそんな些事には目を瞑るくらいの度量が必要なのです。ぼくにしたって福助屋号を掲げるならば質実剛健な飾り気のない内装にただ一体、そっと福助さんが佇むというのが正しいあり方だとは思うけれども、こえしたごちゃごちゃしてるのも大衆食堂の典型なのです。さて、酒はビールにせよチューハイにせよ市販の缶なのね、いやいや、贅沢は言うまいというかむしろ量は多いものだと涼しい顔で受け取り、グラスに注ごうではないか。肴もごちゃごちゃで賑やかでいいじゃないか。いろんなものが皿の上で混じり合い思いがけぬ味覚を産み出すなんて奇跡に立ち会うことが出来るかもしれぬのです。マルシンハンバーグなんて、子供の時以来だけれど、つみれみたいなもので、案外いけるじゃないか。これは味変の工夫の甲斐がありそうです。なんて、ダメな大人の家族には見せられぬ姿を晒してもオヤジは楽しげに見過ごしてくれるそんなヤサシイ空間なのだね、ここは。
2019/09/28
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きっと奥深く踏み入ってみればとんでもないお宝が潜んでいそうな予感が赤羽という町にはあります。でもでもですね、特に休みの日なんかに赤羽に行ったりしたらそれが「まるます家」だったり「いこい」なんかの有名酒場ならいざしらず、わざわざ赤羽に来ておいてそれはないだろうっていうチェーン系居酒屋すらが混み合って、下手をすると空席待ちの列に並ばねばならぬほどだからどうかしてる。だからどうしても赤羽に行くのは敬遠してしまう。少なくとも休みの日には絶対行きたいと思うことなどなかろうと思っていたのでありますが、土曜のある夜に酒場放浪記で登場した一軒に行く事を決心したのでした。 番組では最寄り駅を赤羽岩淵駅としており、実際に地図を見ると確かにまあ少しだけそちらから訪れるのが近いかもしれぬけれど、もとより両駅間はさほどの距離があるという事もないのだから、ここも赤羽の他店と例外なく大いに混み合っているものと覚悟していて、満席で入店を辞されることを覚悟しての訪問でした。まだ放映されたばかりという事もありますし。やって来たのは「料理 太助」です。公園の向こうに見える店舗は、質素で地味過ぎる外観でどうしてここの存在を見逃していたのかとまあいつもの如くに己の不注意に絶望すら感じるのですが、それを嘆いてみたとてどうにかなるものでもない。まだまだ己を変えることは可能だろうけれど、知覚を研ぎ澄ますのは困難に思えます。さて、恐る恐る戸を開けると幸いにも空席が目立ちます。ホリディドリンカー達の射程からはここら辺は外れているのかもしれません。とはいえ席はカウンター席の隅っこです。しばらく観察を続けると判明するのですが、五時前から呑み始めたという常連のオッサンがとにかく絡みたがりの寂しがりのようで、まあとにかくちょこまかと店内をウロウロして誰彼構わずちょっかいを出すのです。店のオヤジやその息子夫婦もウンザリした表情を浮かべるものの根っから嫌ってはいないというより何処か困った親類でも見守るようなヤレヤレという呟きが漏れ聞こえそうなのでした。品書は緊張を余儀なくされる日替りだけらしく、そこにも値段の表記はあったりなかったりという次第であります。瓶ビールで時間を引き伸ばしつつ、小肌とイカの煮付けとしておきます。もとはフグ料理のお店のようですが、それを嗜むような呑み方をする余裕はないのです。いずれも丁寧な仕事をしておられるからきっとフグ料理も旨いのだろうなあ。しかし肴もいいかもしれないけれど、こちらの真価はやはり店の方にあると思います。寡黙なオヤジに飄々とした息子、そして愛想のいいその若女将と彼らはとても良くて、酔っ払ってでも居座りたくなる気持ちが分かります。さて、夫婦で足繁く通うお二人は店を出る際に、ぼくの背後にすり寄ってきました。そして、こちらに向かって拝みだすのです。何事かと思っていたらお亡くなりになられたらしい大将の奥さんの写真がそっと店を見守っていたのです。ああ、愛されてるいい店だとしみじみ感じるのでした。
2019/09/27
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国際興業バスに限らず、都内の多くのバス事業者が一日乗車券を発売しています。実際に使ってみた方ならお分かりいただけると思いますが、バスの乗り継ぎって相当難儀なんですよね。だから有難いけれど何度か試してみるとそのメリットよりも、思いのほか使いにくいことが分かってついに敬遠するに至るということになるのです。路線バスの乗り継ぎの難しさの第1の理由としては、バス路線図が複雑すぎて全容を掴みにくいところにあると思います。だからバス停の名称を確認するのが困難だったりするのです。駅すぱあとのような統合された乗り換えツールのバス版はまだ使い勝手がいいといえるところまでは枯れていないのです。また、かなり正確な列車などと違ってちょっとした渋滞などによる遅延で、乗り継ぎに失敗すると予定していた後のスケジュールが全部パーになってしまう場合があるのも辛い。だからその遅れを取り戻すために色んな予定をオミットしたり、バス旅なのに歩きの方が盛り沢山になってしまうというあのテレビ番組のようなことになってしまうのです。だから必然的に使い勝手の良い鉄道系のお得なきっぷに頼ることになる傾向がぼくにはあります。その方が例え駅から結構離れた場所を目的地とする場合でも路線バスの一日乗車券で旅するよりは歩かずに済むことが多いし、時間のロスも少なくなるように思えるのです。 この日は、なぜか国際興業バスの一日乗車券を購入しました。500円也。都営地下鉄ワンデーパスであれば季節販売となるけれど、次期さえ選べば500円と同じ値段になります。また、都営まるごときっぷであれば都営地下鉄、都バス、都電荒川線、日暮里・舎人ライナーが乗れて700円とちょっと割高になるけれどお得ではあります。ならばどうしてわざわざ国際興業バスを使うことにしたのか。それはこの日訪れようと思っていた場所の組合せに寄っているのです。この日は都営大江戸線の沿線の練馬春日町を振り出しに、都営三田線の西台、そして再び都営大江戸線の光が丘に行くというプランを立てたのです。 ちなみに、ジョルダンで西台駅から光が丘駅に向かう場合、 ■西台|都営三田線◇志村三丁目/志村三丁目駅|[国際興業バス]赤01◇練馬春日町駅/練馬春日町|都営大江戸線■光が丘 が筆頭で表示され、所要時間35分となっています。でも都営のお得なきっぷを買って国際興業バスを利用するのはいかにももったいないから、 ■西台|都営三田線◇春日|都営大江戸線飯田橋経由◇都庁前|都営大江戸線■光が丘 こうすることになります。これだと所要時間1時間9分となってしまいます。これはいかにもかったるい。つまりはそういう時間節約のために国際興業バスを利用することにしたということになるのですが、これが実際にはとても難儀だったのです。どう難儀したかを書き出すこともできるけれど、その面倒臭さを思い返すといやになるので、よすことにします。結論としては、あまり欲張らず、行き先の方向性についてはある程度絞っておくのが効率的なこうしたきっぷの利用方法といえそうです。 ということで、池袋駅を起点に乗り継いで、練馬春日町駅にやって来ました。ここで昼食を兼ねた昼呑みするつもりだったのです。どこで見知ったのかずっと懸案であった「まいこや」であります。しかし、無情な貼り紙がしてあります。なんてことだ。同じ経路をしばし折り返すことになります。 そして、やってきたのが西台駅です。ここに来た目的は、またも梵寿綱の建築物件を見るためであります。「ルボワ平喜(秘羅禧・鎮守の杜)」は駅からすぐにあります。東池袋の立呑み店「喜平」の本店がここにあります。このマンション、テナント個所の屋根から突き出た親指が最大の見どころかと思っていましたが、現場で見ると案外ペラペラで見上げてもその面白さが分かりにくいですね。前を走る高島通りという大通りの向こう側、ちょっと離れて眺めた方がよさそうです。しかし、他にも見どころは少なくありません。わざわざ見に訪れた甲斐がありました。 ここでランチ。「きっちん 西田」にお邪魔しました。洋食店のような屋号ですがれっきとした中華飯店です。明るい通りにちょっと違和感のあるどこか侘しい風情の構えです。孤独な暮らしを余儀なくされる近隣の老人が独りでここで食事する様子を想起するだけでなんだか悲しい気分になってきます。店のご夫婦も物静かで耳鳴りがする位に静かさが店に充満しています。ラーメンと肉じゃがの定食をS氏とシェアすることにしました。互いに食の減退が留まらず、結果、二人で分け合っても満腹になるほどでした。いい大人の注文の仕方としてどうかとも思わぬでもないのですが、無理してみても仕方ないし、残すのは避けたいところ。大体、こちらはお値段が結構お高めに設定されているからこれでも一人当たりの単価としてはそこそこの支払いになります。味はあっさり薄味で成人病予備軍として節制を考えねばならない身としては大変ありがたいのです。ぼくもこの界隈に一人で住んでいたら通うことにしただろうか。 さて、歩いてすぐのところに「カフェ ジョー」がありました。迂闊にもこの喫茶の存在は知りませんでしたね。特に目立ったところのないごく普通のお店でしたが、ゆったりしていて寛ぐことができました。でもやはりこちらもお客さんは少なくて、帰り際にご老人がお一人見えただけでした。 さて、またも都営大江戸線に引き返してきて、練馬春日町駅の先、終点の光が丘駅に向かいました。目指したのは「蜻蛉」です。開店の5時に間に合いました。いそいそと店に向かい、暖簾が下がるのを待ちますが、なかなかお店の明かりが灯りません。待ってられないので、戸を開けると店の人当たりの良い主人が出てきて、今日は貸し切りなんですよ。なんていう無情。仕方がないけれど、やはり事前に確認しなかった己を呪いたくなりますが、後の祭りです。悔しいので、20分近く歩いて、駅とは正反対にある蕎麦屋の「玉や」に向かいますが、シャッターを固く閉ざしたままです。 といったわけで、まだ続きがあるのですが、書いてるだけで疲労が溜まってきたので、この続きはごく平静な振りを装って書きたいと思います。
2019/09/26
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久し振りに月島に足を向けました。お目当ては近頃散歩のお供として親しませてもらっている梵寿綱という建築家の物件巡りのためです。建築見物というのは楽しいだけでなくて現地までの交通費さえ気にしなければ元手がなくたって楽しめるところで、本当ならお楽しみは老後にとって置きたいところですが、大概のお楽しみというものが気を逸すると後の祭りという事になりかねぬ事はもう散々経験して身に沁みて分かっています。この梵寿綱という建築家の存在は、早稲田や池袋などの何軒かをたまたま知っていたからその成果は知っていたし気にもなっていたけれど、だからといって改めてこれらの物件を設計したのは誰なのかというのをリサーチするだけの意欲はなかったのです。今ではネットでこの日本のガウディなんて評される事もある建築家の情報は多く目にすることができるのです。実に有難いことです。有難いけれど、一方で調べる楽しみを削がれたという口惜しさもなくはないのです。酒場とか喫茶店というのは、調べておくのが効率がいいのは確かですが、ある程度までは歩くことを厭わないのであれば偶然に遭遇するなんてこともなくはない。というか事前の調べから零れ落ちていたお店に鉢合わせしてしまい予定を変更してそちらを優先するなんてことも起こりうるのです。一方で、建築というのは見るからにこの人と判然する場合もありはするけれど、ぶらぶら町を歩いていてこれと認知しうるほどには明瞭な痕跡を呈している訳ではないことが多いのです。梵氏なんてのは、むしろそうしてスティグマを声高に表明しているからまだ分かり易いけれど、建築家として活動を始めた初期の物件にそれを認めることは困難だから、やはり何らかのリサーチは必須のことのようです。 月島には、「カーサ相生」という物件があります。都内各地の町を歩いていてカーサ××や××レジデンスなんて漆喰風の壁面や青の瓦屋根にバルコニーという古いマンションをしょっちゅう見かけますが、こちらはオレンジ柄の壁面デザインと琉球チックなエントランスに個性は認められるものの、まだグロテスクとかドギツいとすら受け取れかねぬ氏の個性はまだまだ影を潜めているようです。しかしそれでも他で目にするカーサシリーズとは全く異質な個性に鈍い興奮を覚えるのでした。 ついでに「みなみ屋」でパンを購入。ちょっと散歩した際に古いパン屋を見掛けるとついつい買い求めてしまいます。こちらのことも知っていたはずですが、きっと以前も今回同様にふらりと立ち寄り、買って帰ったんでしょうね。ストリートビューを見ると、かつてはテント看板があったようです。今回買い求めて店名を確認しようと表に出た際にはすでに無くなっていました。だから、別な店と過って認識してしまったのかもしれません。 さて、本題からは離れてしまいましたが、今回は珍しくもんじゃ焼店にお邪魔しました。もんじゃ通りにあるのはいずこも似たり寄ったりで面白くないから、月島らしい細い路地にある「もんじゃ はざま」に伺うことにしました。外観はちょっといい雰囲気ですが、店内は至ってありふれた様子でした。まあ、もんじゃの店って案外画一的で面白味には欠けるきらいがあるから仕方はないでしょうね。ああ、荒川区のもんじゃは駄菓子屋と一緒だったりして、観光気分で行くならそっちのほうがずっと楽しいかもしれません。ともあれ、久々のもんじゃには少し興奮します。豚肉入りのもんじゃを注文しました。サラリーマン2人組と食いしん坊仲間―というのはもんじゃの焼き初めから粘っこくカメラを向け続けていたからすぐ分かるのだけれど、もんじゃを食べるのは初めてのようです―の2人組がいます。この2組がまあ何とも残念な位に大胆で無知なのでありました。なんと、と驚くこともないのだろうけれど、座席に届けられた材料の盛られたボールをいきなり鉄板にぶちまけてしまうのだから何とも乱暴であります。知らぬなら店の方に聞くが正解と思うのです。タネが鉄板の端に流れ落ち、大量の湯気を上げて店の方が慌ててフォローに駆け付けるのを眺めたのですが、ぼくの顔には少し呆れた表情が浮かんでいたはずです。ぼくはまあそれなりにもんじゃを焼いてきているので上手に仕上げることができました。もんじゃにはやはりビールがよく合うなあ。生理的に受け付けぬ人もいるだろうけれど、このジャンクな感じはやはり悪くない。けれど、けれどですねこの程度の料理とも呼べぬような商品に千円も払うというのはどうかとも思うのですね。やはりこの点でも荒川区のもんじゃに軍配を上げたくなるのでした。
2019/09/25
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昨今の日暮里は、日暮里繊維街が大人気で世界各国から高品質で安価な布地を買い求めていくと聞きます。一方で駅の南側はお馴染みの谷根千であります。駅からすぐの場所には夕焼けだんだん―だったかな―と呼ばれる下町らしい風情と情緒が人気のエリアが広がっており、こちらにも外国人の姿をそこら中で見ることができます。外国人が沢山集まるから外国料理店が多い、どうもこの理屈がよく分からぬけれど、やはりお気に入りの暮らしやすい地域で店を出したいと思うのは洋の東西、人種の差異に関わらず共通の傾向のようです。この夕焼けだんだん側にはトルコ料理の有名店がありまして―有名だから必ずしも旨いとは言えぬことはまあよくあることで―、そちらには何度かお邪魔していますが、トルコ料理というのは旨いのが当たり前であることを知ってからはぱったりと出向かなくなったのですが、まあそれだけトルコ料理店が市民権を得たということでしょうか。インドや中国、ネパール、韓国などの料理店は今更という感じで特別感はありませんが、最近、日暮里にチュニジア料理店ができたというのです。これは珍しいと行ってみることにしたのですが、今調べてみたら都内だけでも少なくとも5軒はあるみたいです。そう聞くといささか有難味も減じてしまうけれど、まあせっかく行ったのだから報告だけさしていただくことにします。 お店の名前は、「クスクス(COUSCOUS) 日暮里」といいます。クスクスってのは、セモリナ粉で作ったパスタで世界で一番小さなパスタなんて言われたりもしますね。実際にはパスタというより割れて粉々になったお米みたいなもので、各種トマト煮などをかけて食べたりしますね。我が家でもよく食べる位、日本の家庭にも浸透しつつあるようです。この一文からもおおよそ察せられることと思いますが、チュニジアなど特に北アフリカ地帯の料理はより食べやすいトルコ料理のような感じで珍しい食材や奇抜な調理法とは無縁の日本人の舌にも馴染みやすいマイルドな味わいが持ち味です。まずはチュニジアのビールにて乾杯です。そうそうこういうお店だから一人は嫌なのよ。というか、知人にご馳走になる予定だったので、ホットペッパーだったかで予約をしておいたのでした。予約をしたのは、ホントは10%割引になるクーポン利用には前日までの予約が条件となっていたからなのでした。すると残り3名と表示されました。ヤバいヤバい。と、やってきた劣化の目立つボロビルの4階までエレベーターを昇らせます。開いたらすぐにあった会社がエッチ系ヴィデオ製作を生業としているのでしょうか、ポスターが貼ってあります。それさえなければ、全く退屈なオフィス風の廊下なのです。その奥にある扉を開くと、あれ、まだ一人のお客さんもいないではないか。ボチボチとお客さんが詰めかけるかなと思いましたが、30分経っても、1時間経っても少しもお客さんは増えぬのでした。結局店を出るまでにわれわれのメンバーが1名増員しただけというのはやはりちょっと寂しいんでないかい。さて、写真を珍しく沢山撮っておいたけど出てくるものはやはりというかほとんどトルコ料理のそれと変わらぬのでした。だから旨いんだけれど、未知なる食事を口に含むという緊張と興奮からは徹底して無縁であるのだ少しばかり物足りないのでした。内装も味があるし、店の方も親切だし、意外性はないけれど料理も美味しいのだからもう少し賑わっても良さそうだけどな、というのが感想でありました。
2019/09/24
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犬山の夜をビストロで過ごして結構満足したのですが、食い気はともかく呑み気はまだまだ満たされていません。なので、もう少し呑みたいと思うのですが、ぼく好みの渋い酒場はこの犬山ではほとんど見掛けぬのです。でもですね、ホテルに向かう際に駅東口からすぐのところに駅前の飲み屋街の残滓のような横丁を見つけていたのですね。そこの一軒にお邪魔することにいたしましょう。 そんなせいぜい五軒ばかりの呑み屋が軒を連ねる長屋で、一番居酒屋らしさを漂わせているのが「大衆割烹 せと路」でした。瀬戸というと小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」なんかで知られる瀬戸内海の島々やその沿岸を有する中国・四国地方辺りのことを意味するのが一般的な気もするけれど、愛知県には瀬戸市があるし、この屋号における瀬戸路が果たしてどこを意味するものかは最後まで明かされる事はなかったのでした。無口そうな女将さんが独りでやっておられる店で、大皿には種々の肴が盛られているけれどさすがに食指が動くことはないのであります。他には客もおらぬし、表の目抜き通りなどにも人の歩く姿はほとんど見られぬのに、果たしてこれだけの料理が捌き切れるのか。そんな杞憂はあっさりと覆され、一人の常連が顔を覗かすと矢継ぎ早に次々と客が集まりだすのでした。彼らは皆さん、ここを拠点にしての顔見知りらしく、声高に語られる話題は甲子園やプロ野球、近所の知人たちの事ばかりでなきに賑やかしいのです。やがて一人や女性がこちらにも話題を投げ掛けてくれて、しばし歓談に加えてくれるところ、案外開放的な雰囲気なのは居心地が良いのです。ならばそれをキッカケに店名の事を尋ねれば良さそうなものなのだけれど、実はこの時、店名を失念して伺う以前の状況に陥っていたのでした。とにかくここは犬山の良心のようなお店で、寡黙な女将さんが実はシャイな方であるのも分かり、好もしく感じたのです。 翌日の事は喫茶篇で少し触れたけれど犬山城わ見物後は犬山の町を散策したのです。で、腹も減ったので、それでは犬山名物と「松野屋」を訪れたのです。寂れた繁華街とも呼べぬ程度の中心地を逸れてしばらく行ったところにお店がありました。外観はどうということもないけれど、店内に入ると老舗らしい風格というよりは風情のある造りです。入ってすぐは三和土の卓席が整然と配置されているけれど、奥には座敷席が用意されているみたいです。奥の間は見ることが叶わなかったけれど、これまでの経験からその様子はありありと脳裏に浮かべることができそうです。さて、こちらの名物は豆腐の田楽です。品書きを眺めても豆腐やいも、豚肉など両手に余る程度の種類があるのともう一つの名物である菜っ葉めしがある程度です。それと最低限のドリンクだけか。でもまあ老舗ってのはそれでいい、いやそれが良いのですね。なんて鬱陶しい言い方をしてしまったが、香ばしい香りと期待以上でもそれ以下でもない甘辛い味噌の風味は時折食べるには良いものです。いや、現地の方は毎日でも食べたいのかもしれません。ぼくらなどびっくりするほどの量を当然のような顔をして注文していました。 そうそう犬山には「開進亭」という味わい深い洋食店もありましたね。他にもマークしておいたお好み焼き店などもあったのですが、とても食べられそうにはありません。まあここにも改めて訪れることになるでしょうし、その時まで壮健であられんことを祈願します。 その後、名鉄特急で名古屋駅に移動、当初はもう少し遊ぶつもりでしたが体力切れで結局は、太閤通口ビックカメラ前から王子駅行きの高速バスを駅地下の「コメダ珈琲」で休憩して過ごしたのでした。
2019/09/23
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ご無沙汰ぶりに訪れた犬山城には、とても感銘を受けました。かつての訪れた際にはかったるく感じたものですが、この年になるときっとかつても視界では捉えていたけれど認知されていなかった様々な事象が物件がとても興味深いものとして受け止められたのです。ということで、新たな発見の多かった犬山城の見学についてもいろいろ語りたいところでありますが、ここは旅ブログではないからさっさと下城し、犬山の町に飛び出すことにするのです。 城下町散策をしつつ、喫茶店を物色します。カフェっぽいお店が目立ちます。危うく町並みの素敵な景観を失いそうなところを辛うじて延命したという発展途上の再開発散策路となっていますが、その町並みを外れたところに「サンライズ」がありました。いやはや外観は少しも艶っぽさのない実用一辺倒に見えます。実際、店内も多少は目を楽しませる装飾もあるのだけれど、大型ショッピングモールの片隅のイートインコーナーを経年劣化させて、さらに窮屈にしたような印象であるのです。でもこういうのに忘れ掛けていた幼い頃の記憶を揺るがされるのがおっさんたる所以なのです。当然のことに黙っててもモーニングがついてくるのがさすが。トイレも機会があればお試しを。水銃によるシャワー式の水洗であります。といっても何のことがわからんかな。冷やかしだけではきっとお店に迷惑なので、ちゃんと用を足してからお試しください。 ここは目と鼻の先の犬山名物を食べに寄った際に見掛けて思わず立ち寄ったのでした。店の名は、「喫茶 ローレル」。でも入ってすぐに出てしまったので、店内写真はなし。どうしてすぐに店を出ることになったかは、この外観写真をじっくりご覧いただければお察しいただけるかと。いい意味で家庭的なお店でした。 たまたま目にした犬山の銘菓「もちたけ 本店」に立ち寄りました。ここの菓子は、さすが和菓子大国たる愛知県と納得させるに十分なすごいハイレベルな品ばかりだったのです。驚愕すること請け合いですので、機会があればお勧めです。名古屋市内には数多の和菓子店がありますが―その何軒課は閉店してしまいましたが―、どこも上生菓子であるため土産向きではありませんが、ここのは大概の商品がある程度の日持ちがするので手土産にもお勧めです。名鉄名古屋駅にも出店しているようです。と、それはともかく思いがけぬ収穫で興奮してしまったので、それを鎮めようとすぐそばの「カフェレスト のがみ」に立ち寄りました。白と黄緑で大雑把に満たされた店内は、どういうわけか託児所とか幼稚園の屋内を思わせます。ところで、地元の方には知られたことのようですが、ここはとにかくサービスがすさまじいのです。まるでコース料理のように次から次へと皿の減り具合を店の方が眺めつつ運んできてくれるのです。その内容については、自身でご確認ください。まあ、サーバで出されるドリンク以外は、そんなに大量ではないのでご安心を。
2019/09/22
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駒込って町はどうにも掴み所がない。その掴み所のなさは、誤解を覚悟して言い放ってしまうけれど、この地域に在住する人たちに起因するのではないかと推測している。それは都内23区の中でもハイクラスな文京区が最下層の豊島区に取り込まれたというアイデンティティの崩壊に起因するのかもしれぬ。というのも先日、江戸川橋を歩いていたらたまたま見掛けた文京区のコミュニティバスに乗車した訳なのです。その車内で老夫婦がそうした駒込という地名を巡っての会話を交わしていたのであって、どうもこの夫婦は今は他所に住んでいるらしいのだけれど駒込が豊島区になった当時の事をいかにも憎々しげに語るのである。やれ豊島区のような下品な区に略奪される、云々。ちなみにぼくは文京区よりもずっと豊島区に対してシンパシーを持つものであります。だからしてこの老夫婦にはこう毒づきたい。他所者の知ったこっちゃないのだと。そんなに豊島区が嫌いなら何があろうと近寄ってくれるなと。ぼくにもどうにも好きになれぬ土地というのが確かにあるのです。しかし、町を擬人化するという稚拙な手法でさり気なさを装いつつも余りにもあからさまにその町の住民をこき下ろすというやり方は、受け入れ難いのでした。と熱くなってしまったけれど、駒込の原住民はどうもアイデンティティが様々な局面において乖離しているようなのです。 ともあれ、アザレア通りを歩き出してすぐのところに以前から奇妙な造りの焼鳥店がありました。そこが気付かぬ間にモダンな感じの看板に置き換わっていました。赤地に青字という看板はどうも印象が焼鳥屋のそれとは違って感じられます。そこには「やき鳥 居酒屋 笑楽」とあり、以前はいかにも焼鳥店という屋号を掲げていたはずだから、やはり居抜きで店が変わったということらしい。なんて事を思いながら開け放たれた店内を覗き込んでみると店のご夫婦らしき方とばっちり視線が交錯してしまいました。よく人にはお前は図々しい性格であるといわれますが、けしてそんなことはないのです。こんな状況ですっと身を引けるような厚かましさは持ち合わせていないのです。実は以前は、こちらの戸はもっぱら出口専用のようになっていて、その理由は単純で入ってすぐにカウンター席になっていて客席の狭いスペースを掻き分けるようにせざるを得ないのでした。そんな狭いカウンター席に腰を下ろすと、早速店の方からお得なセットでいかがでしょうと勧められます。こういうのにはすぐ乗っかってしまうのですが、きちんと確認した方がよろしいでしょう。こちらのセットは焼物3本にドリンク2杯で1,400円とかなりの強気なのです。最初、小鉢のポテサラもセットかと思ったのですが、これは別にお通しの料金が掛かっていました。焼鳥は3本いずれも立派なもので味もサイズも文句はないのですが、これは注意するのがよろしいかと。大体において、この前の店―夫婦に尋ねるとぼくの知ってる店は2世代前の店らしいのです―もそのさらに前の店もお値段は似たようなものらしいから伝統的にここはお高めのようです。というかこの界隈のお店はどこも相場の1.5~2倍を想定しておかねばならぬことを改めて思い知らされます。でもですね、ここのお店、ご夫婦の人柄もあるのでしょうが、とても居心地がいいのです。一人孤独に浸りたいならともかくとして、のんびりと会話をしながら過ごしたいという夜には案外いいものかもしれません。高いって言っても部長クラスの立派なおやぢが通うような店ではないしね。ぼくもこんな落ち着ける店に月に1、2度通えるようになれればいいけれどな、まあ当分は無理そうですね。
2019/09/21
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大山の酒場は、スナック寄りに店舗が多いという事実だか偏見だか俄かには断言し辛い指摘をつい先だって書き残してしまったように記憶します。こう書くとぼくがさもスナック嫌いであるかのような誤解を世間に対して及ぼしかねぬけれど、スナックの全部が全部好きじゃないわけではないのであります。スナックにもいいスナックと悪いスナックがあって、いいスナックに分類される店にはかつては足しげく通ったものであります。今でこそさほど足を運ばなくなったのは端的につい長居してしまうスナックよりも、酒場巡りをするほうが楽しいからなのであります。だからこそ酒場巡りの最中にスナック寄りのお店に行き当たると不愉快な気分になるのだ。分かっていたならいいけれど、知らずに居酒屋のつもりが実態はスナックそのものというのは一般的に時間と金銭のロスが大きすぎるのであります。 大山というと何かとハッピーロードばかりが話題に上がるけれど駅の東側には遊座大山なる気の利いた風でどうしても記憶に残らぬ名の商店街があるのだけれど、この通りを無理に持ち上げてみてもいかにも嘘臭い。線路に沿うようにして3本のうらびれた裏通りというか路地があって、戦後のどさくさっぽい呑み屋街の成れの果てみたいな誠に残念な一帯があるのだけれど、ここに「居酒屋 権どら」はありました。店に入る前にそのネオンの下品な過剰な程のキラメキに疑いの目を向けなかったのは、いつもの優柔不断により一向に店を決められず焦っていたというのが理由であるなら、むしろ悩んだりせずに無難な酒場に収まっておけばよかったのであります。しかし、まあ気持ちがブレるなんてことは酒呑みの性癖の典型であるから仕方のない事なのです。さて、戸を開け放った瞬間にシマッたと思うのがこうしたスナック風のお店であります。さっきからスナック風と書いているけれど、つまりはカラオケが必須アイテムであり、ボックス風の低いテーブルとクッション性の高いソファなどの椅子があるのが定番であります。とまあ、それだけがスナックでないことなど分かってはいるがここではそういうことにしておきます。低い座面は腰が重くなるし、店の女の子との距離も近くなった気がする。だったら座敷がいいじゃないかということになろうけれどそれじゃ、足が痺れて仕方がない、なんて言っているのはここがまさしくそういう居酒屋を装ったスナックだからなのだ。だから当然のように警戒警報が脳内に鳴り響くのです。幸いなことに食欲もないからお通しと軽い肴で誤魔化すことにするのです。店の方は、高齢のママさんに外国人らしき女性が2名。まあ、いかにも誘惑的でありますが、この夜のぼくはあくまでも居酒屋使いが目的だから彼女たちのカラオケへの誘いなど振り払えるのです。そして、いよいよのお勘定、ママさんは大山は安くなければ勝負にならぬといったようなことをのたまっておったけれどそんなの鵜呑みにしはいないよと勘定書きを見るとあれあれちゃんと居酒屋価格。ここは中に入るとスナック風の居酒屋ということになろうか。それは良いけれど、なるほどこれが大山のスタイルかなどと思ってならぬのです。表に出ると得体の知れぬ如何わし気で誘惑的な美女の写真が貼り巡らされているし、ポン引き風の兄さんたちも多いのだ。彼らの人件費に財布の紐を緩めるつもりはないぼくはお馴染みの立呑に向かったのです。 まあ、「晩杯屋 大山店」なのですが、いやはや、知らなかった。9時を回るとこんなに客は引いてしまうのか。ぼくの知るこの店はいつだって繁盛していたし、それだけの価値があった気がする。この客の少なさはどうしたことだ。飽きられたのか、ベテラン従業員が他所に回され外固化人ばかりになったからなのか、単に住民が夜が早いのか、いや既に他店にハシゴしたのか、とにかく様々な想像が脳裏を過るくらいにこれまで知るこの酒場とは違っていたのです。厨房に面したカウンター以外はもう客を入れぬらしいし、そもそもそれ以外の止まり木には客の姿などない。予想外の光景に思わず酒を呑むペースは減退し、こちらの将来ばかりが気掛かりとなるのでした。
2019/09/20
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かつて数年間をお茶の水で過ごしたことがあります。当時のぼくは諸々の事情からいつも決まりきったコースを代わる代わるで吞み歩かざるを得なかったのであります。当時も飽きっぽい性格は変わらなかったので、ホントに嫌気がさしていたりもするのだけれど、今でも当時と変わらずふと気が向くと足を向けることがあります。かつてからの店の方の顔ぶれが変わらぬのもうれしいところ。この夜はそんな定番の呑み屋をハシゴすることにしたのでした。 と書いたけれど、ハシゴするつもりはもともとはなくて、この前夜に「大衆酒場 徳兵衛」にお邪魔した際に忘れ物をしてしまい取りに行くことにしたのでした。いつもは馴染みのある半地下の店舗にお邪魔するのですが、生憎の満席で中2階のほうに席の空きがあったのでそちらで呑んだのした。こちらを訪れるのは何年ぶりになるだろうか、というかそもそも片手に余る程度しか入ったことがないかもしれません。上のフロアは、店の主人がいて昼間に煮込みの下ごしらえで大量のもつを茹で溢して油の浮きまくったお湯を側溝に廃棄している姿をよく目にしたものです。ほとんど顔を合わせたことがなかったのですが、忘れ物をしたことを告げると気のいい笑顔を浮かべてくれるので、そのつもりはなかったけれど、つい立ち寄ってしまうのでした。ぼくの通った頃は大概が閑散としていたものですが、今ではこうした古酒場を求める客が押し寄せて大変な混雑となっています。嬉しいことではありますが、自分のお茶の水の居場所を奪われたようで少し複雑な気持ちでもあります。 仕事が遅くなった夜などには、お茶の水を通る多くの路線からもアクセスのいいお茶の水サンクレールをよく利用したものです。特に頻繁に立ち寄ったのが、そば屋が本来の業態である「げんない」でした。そうはいっても夜にお邪魔してちゃんとそばを食べている客は見たことがありません。そばは見なかったけれど、北海道でよく食べられるというラーメンサラダはほとんど毎回のように食べていた、いや食べさせられていたことをよく覚えています。その「げんない」ですが、知らぬうちに「そば酒房 笹陣 お茶の水店」と店名を変えたようです。その割に内装はカウンター席がなくなったり、食品ショーケースが小さくなったりといくらかの変更はありそうですが、テーブルや椅子、おばちゃまたちはそのままに何のための改称かよくわからぬままに引き継がれているようです。しかし、ラーメンサラダに準じてよく食べた、わらじコロッケは品書きには見受けられませんでした。ということで、間違い探しのような微妙な変化を探りながら呑むと話題に事欠かぬのでありました。
2019/09/19
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都内でも高円寺を初めて訪れたのはかなり遅れてのことだったような気がします。ねじめ正一のベストセラー小説なども流行ったりして、かねてからその地名は認知していたし、駅を中心に放射状に商店街が張り巡らされている事も聞いてはいたのです。でも都内に通い、暮らし出した頃のぼくの行動範囲は映画が中心だったのです。そして今考えてみたら不思議な事に思えますが、当時の高円寺は映画とは無縁な町だったように思われるのです。だから高円寺は中央線を利用するにせよ自転車で荻窪なんかに行く場合であっても、単に通過するだけの町でじっくり町並みを眺めたのは、酒場ないしは喫茶巡りを始めてからのことだと思うから案外付き合いの薄い町なのです。しかもこの町は、意外と古い喫茶店も少ないし、酒場らしい酒場よりは定食屋や中華飯店だったりと、どこまでも若者仕様の町に思えて今でも充分に全容を知り尽くしているとは言い難いのです。 この日の目的も高円寺ではなかったのですが、その予定が思ったより早く済んだので高円寺に移動して昼呑みしようということになりました。高円寺であれば夕方前であっても呑める酒場もあるだろう、仮になかったとしても定食屋や中華飯店があるだろうと思い出向いたのですが、いざ探そうと思うとなかなかこれといったお店に行き着かぬのです。もちろん、選り好みさえしなければやっている店もあるし、呑んでる客の姿も目に止まりはしますが、気の向かぬ店で呑むのはどうにも気に入らぬのです。でも横丁風の町並みであれば話は別です。いつもの発言で退屈ですが、横丁というのは傍から眺めるのは愉快な割に実際にそこに身を置くと暑さ寒さもそうだし、衛生面やら快適性などでとかく問題が多いものです。でも一度位は立ち寄りたくなるもので、高円寺駅高架下のストリートの地下にあるチカヨッテ横丁なる初めて目にした横丁風の小さな地下飲食店街には気持ちを持っていかれました。「四代目 鎌倉酒店 高円寺店」は昼から営業しているようで、その点が気に入ってお邪魔することにしたのです。オープンではないけれど、オープンな開かれた感じは悪くはない。何より涼しく快適なのが案外悪くないと思えるのは年のせいだろうなあ。すでに4名が呑んでいます。カップル2組でいずでもシルバー世代というのが羨ましいやら悔しいやら。この世代の人たちってホント恵まれてるなあ。煮込みで一杯です。この煮込みがぼくの好みでよかったなあ。こちらも定番のポテサラもなかなか良いではないか。お手頃で快適で、そりゃまあ近隣のご隠居さんたちも気に入って通うわけだ。でも気候がよくなったら、こういうなんちゃって横丁でなく本物の横町に行ってもらいたいものです。 さて、近所の元マーケットである大一市場にやって来ました。こんな駅近にマーケット跡がほぼ原型をとどめているのが嬉しいなあ。嬉しい割にこれまでここで呑んでいなかったのは、若い人が始めたようなお店が多くてどうも気乗りしなかったのです。何度も通り抜けているうちにもうここで呑んだような気分になって、あえて本当にここで呑む必要はないのかなと。でもこの夜は、ちょっと懐かし系の雰囲気をとどめる「田舎料理 おかめ」と出会えたから、じゃあちょっと寄ってみるかとなったわけです。カウンター席だけの店内は店内とはいえ開放されていて、でもここだけは他店の今風な感じとは一線を画するちょっと渋い感じです。清酒をあっためて貰うことにしました。お通しは小肌かクリームシチューから選んでくれとのこと。ぼくは後者をお願いしたのですが、これが実に具沢山でこれだけあれば2、3合はいけてしまいそうです。でもまあそういうわけにもいかぬから適当に品書きから安い品を選びます。そうこうするうちにも近所のおっちゃんたちが集いだします。こちらは先の店とは異なり現役の勤め人の方が仕事明けに立ち寄ってるみたいです。やはり夕暮れを迎えた酒場には、疲れたおっちゃんの姿が似合うなあ。
2019/09/18
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ぼくは葛西に対してずっと偏見を抱いていたようです。ヤンキーが町を我が物顔に跋扈するおぢさん族には危険なばかりで過ごしにくい嫌な町だと漠然とした印象を抱いていたのです。無論、これまでにも葛西を訪れたことは何度もあったのだけれど、その偏見に毒された印象を覆す事はなかったのです。それがこの数カ月で繰り返し訪問することで、かり気持ちは変化を遂げたのです。イメージしていたヤンキー天国という図式に遭遇することは幸いにもなかった事も印象を新たにすることに大いに寄与したはずです。むしろヤンキー世代からは大いに年上のやさぐれジジイたちがとても多く見受けられるのです。ある意味ではそういうやさぐれた態度が心底まで身に付いたジジイたちというのはまだまだ幼くあどけないところもあるヤンキーなんぞより余程質が悪かったりするものです。そんなやさぐれじじい達の暗躍する町、葛西はぼくにとってほほえましくも愛すべき町なのです。 やさぐれた町、葛西には、だから当然の如くにやさぐれた酒場があります。やさぐれたなどという人に対して用いられる形容詞は用法として過ちではないかなどと言う事なかれ。やさぐれたオヤジ達が屯する酒場というのはその実、そんなオヤジたちを誘い込むよう入念に設計されているはずなのです。でなければこうも分かりやすくオヤジたちばかりが呑んでいたりしないはずだし、我々オヤジ予備軍―往生際の悪いことに自分を蚊帳の外に締め出そうとしている―もまんまと「居酒屋 鯨波」に吸込まれる事になるのだ。さて、この夜も同い年の友人を伴っていたのです。そういえばぼくには同い年の友人ってほとんどいない、いやこの彼位ではなかろうか。学生自分から親しくしたのは例外なく年長者ばかりでした。そう端的には若い頃からぼくはオヤジという種族が好きで好きで仕方がなかったのです。それはともかく、この友人は店を出てからある発言をするから、あえて登場してもらったのです。さて、それにしても勇ましい店名であるから、どんな強面オヤジが待ち構えているかと思いきや、カウンターの中にいたのは取り立てて変わったところのない普通の女将さんなのでした。性格はどうやらちょっとせっかちでおっちょこちょいであるのような風貌に感じられました。カウンター席には独り、こちらは結構な怖顔オヤジがおりまして、ムッツリとしかめ面で呑んでおられる。これよこれ、これが葛西の酒場だよとこんな事で嬉しくなるなんて失礼かつ安っぽい予備軍なのであります。品書は20品もなかったかしら。極めて限られた選択肢には、これといった決め手となるような品がないのです。無難な品ばかりが並ぶけれど、無難なものばかりというのはなかなかに選択が難しいものです。その中でも無難なものとちょっとだけ変わり種を選びます。春巻と豆腐ステーキです。冷凍庫を開く音を聞いたから春巻は安全そうではあるけれど、価格に見合う価値を見出だせるか甚だ疑問です。取り出した鉄板に並々と白身がかった醤油ダレを注ぎ入れ盛大にコンロに着火すると、あっという間に煮立ったタレに豆腐をかなり大雑把に放り込んだのであります。白身は恐らく片栗粉であり、ぼくの作る料理にはこんなに大量の粉を用いることはあり得ないから不安は増すばかりです。しかしですよ、これが何れも思いがけずも美味しいのです。美味しくなるはずのなさそうなものが旨みに結実するとは女将さんはかなりのイリュージョン使いのようです。店を出ると友人はボソリと呟いたのはまさにぼくが感じたのと同じ事だったのです。最初はビクビクだったけど、想定外の驚きがあったねえと総括していました。
2019/09/17
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犬山の事は、事前にそれなりにしっかりと呑み屋探しをしておきました。というのも過去に訪れた朧気な記憶だと夜遊びするには不向きな店という印象が強かったからです。実際にリサーチしても雰囲気の良さそうな店は案外少なくて、たまに古い店があっても日中だけの営業ととても残念な事になっているのです。ならばもう無駄な足掻きはやめて食べたい物を食べることにしよう。犬山の名物は豆腐の田楽とかまあ正直余り食手の動く物じゃないから、いっそのことビストロとかフレンチにしちゃおうと思い立ったわけであります。でも予約は敢えてしませんでした。まあ、何とかなるだろうと高を括ったという事もあるけれど、旅の最中だと突然に食欲不振に見舞われるなんてことが往々にしてあるものです。その日宿泊する事にしていたホテルの近くに国だか県だか市指定の文化財とかいう奥村邸というのがあって、そこに「フレンチ 奥村邸」とそのままの店名のやや格式の高いお店があったのだけれど、そこはマナー教室なんかもやっていて、ドレスコードにも喧しそうだからよす事にしました。翌朝犬山城見物のために歩いてみたらホントにホテルとは目と鼻の先の位置にありました。立派な建物ではあるけれど、周辺がゴミゴミとした場末めいたムードだからちょっと違和感がありました。 結局、駅の反対側―これが無残な程に再開発され歴史ある町としての体裁を一切留めてはいないのです―のショッピングモールを目指したのでした。記憶が曖昧ですがここももうじき閉まるというようなことが記されていたように思うから駅前の空洞化は犬山でも変わらぬようです。さて、こんなショッピングモールの隅っこに40種類のワインとオーガニックフレンチを標榜するビストロ「Sou-Sou」はありました。地方都市の事をバカにするつもりは毛頭ありませんが、こうしたカジュアルな雰囲気の料理屋というのは和食は別かもしれませんが、フレンチに限らず諸外国の料理屋は東京、大阪、名古屋、京都といった大都市圏のものが上質だという印象があります。高級店は、地方都市でもハイレベルな店があったりするようですが、カジュアルな店は家庭料理に毛の生えた程度ということが少なくないように思われるのです。ならば定評のあるお店に行くのが正解という事になるはずですが、そうはできなかった理由は先に述べたとおりです。高級店でもドレスコードのない気軽な店もあるようですが、それはそれで店の雰囲気とはそぐわぬ気もします。そんなこんなと言い訳してますが、単にケチだというのも隠しても隠せぬ答えなのです。さて、こちらのお店、地元の奥さま達で結構な賑わいを呈しています。駅もすぐ間近なのに人通りの少ない駅前通りとは隔世の感があります。コースは選択肢がない―いや、あったかもしれませんが選択肢は極めて少なかったかも―のが少し残念ですが、選ぶ余地があってもにたようなものを選んだからまあ支障はありません。それよりもオードブルが盛合せというのが気掛かりです。往々にして盛合せというのは、楽しげではあるけれど実食すると各々の料理は手抜き感が強かったりする事も多いのです。でもここのは全般にちゃんとしていて楽しめました。スープも付いていました。夏らしくヴィシソワーズでこれがさっぱりしてとても美味しい。メインもいいし、デザートのクリームブリュレも実にちゃんとしているのです。食レポとして、何も語っていないみたいなものですが、結論としてはとても美味しくて満足度の高いコースでした。地方都市にだって美味い料理を出す店もあると思い知らされることになりました。カウンター席には立派なフランス料理本も並べられていて、それらを眺めながらゆっくり食事とお酒を楽しんでみたいなあ。でも今後ショッピングモールがどうなるかで店のあり方も変わってしまいそうで心配です。犬山の町にいながら都内での普段の夜のような気分になりました。
2019/09/16
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郡上八幡からは念願の長良川鉄道に乗車することにしていました。念願ではあったけれど、当初の旅行計画では、乗り潰しすることを念頭に据えていただのでありますから、中途半端な悲願成就ということは認めざるを得ません。まあ、乗り潰しという行動というか目的には今のぼくは何ら価値を見出していないから必ずしも終点まで行って折り返さねばならぬというような気概はそもそもないのであります。だからいいかといえばそんなことはなくて、長良川鉄道の沿線には郡上八幡以外にも気になる駅が数駅あるのでした。あるからにはそれらの駅で下車し損なったことに対しては忸怩たるものがあるのです。しかし、物は考えようであります。世界中を隈なく経巡ることなど到底無理であることは、とっくに分かっているのだから、なんでもかんでも行きたがってみても仕方がありませんが、だけど、行きたいスポットがたくさんストックされている状態というのは、慌ただしい生活を送っている中で突然、旅する機会が巡ってきた場合には非常に重宝するものです。どこに行きたいかから検討を始めている時間など多くの場合なかったりするのだ。だからどこに行きたいかから予算や時間を秤に掛けて現実的に実行可能なプランを捻出するといういう作業に一足飛びで取り掛かれれば随分と充実した旅の予定が構築できると思うのであります。話がどんどん脱線していますが、ともかくとして今度もしまた長良川鉄道に乗車するチャンスが巡ってきた場合は、郡上八幡の滞在時間を減らして他のエリアに照準を当てるだけの余裕が生まれると考えれば、都合がいいのではなかろうかと思うのです。なんてこうしたウダウダ愚痴っていること自体、未練の露呈に相違ないのでありました。 さて、無駄話はこれ位にして、郡上八幡駅は想定外の賑わいで、それはぼくがそうであった以上にいい加減に長良川鉄道をつまみ食いせんとする都内からの観光客が押し寄せていたからなのでした。彼らの行程をたまたま耳にしたのだけれど、早朝に東京から新幹線に乗車してこれははっきりと聞けなかったけれど名古屋辺りで観光バスに乗車、郡上八幡をわずかの間だけ散策した後に郡上八幡駅で列車を待ち受けていたようであります。人のことをとやかく言えぬけれど、なんとまあせっかちな旅だこと。彼らが一斉に湯の洞温泉口駅で下車するとようやく列車は閑静さを取り戻し、一路、美濃太田駅に向かうのでした。美濃太田駅で高山本線に乗り換えることになるのですが、せっかくだから駅前を散策してみることにしました。 ところがここが余り面白い町ではなかったのです。それは駅のホーム上から眺めただけでも見て取れたわけですし、すでにかなり歩いてへばり気味でもあったから、そうそう降りる機会もないので頑張って歩いてみることにしました。しかしまあ駅からはある程度の商店が立ち並んでいるように見えたのだけれど、実際に歩いてみるとほとんどが営業をやめてしまっているかに思えるのばかりだし、やってるとしても少しも興味をそそられぬのだから参ってしまう。喫茶も少しも出現しないから困ったものです。ここで長居をしても時間がもったいないと駅に引き返そうとしたらまあ至って普通っぽい「POMELO(ポメロ)」があったので、せっかくだからお邪魔することにしました。上品な雰囲気のきれいなお店で、コーヒーよりも紅茶を飲ませるお店のように思えました。それでもコーヒーを頼んでみると一緒にフルーツポンチが添えられていました。素敵なサービスだなあ。さすがに岐阜の喫茶だと感心します。店を出る際にお隣をみてみたら、喫茶と繋がっていてそこは果物屋さんなのでした。ティールームというよりもフルーツパーラーだったのね。 高山本線に乗るとあっという間に鵜沼駅に到着、駅舎でつながっている名鉄犬山線の新鵜沼駅から犬山駅まではすぐの距離です。当初、最終日の過ごし方を迷っていたのですが、地図を眺めてみたら犬山がとんでもなく近いのでこの予定を立てたのでした。明治村にも行きたいところですが、今回の旅では未練ばかりを述べているけれど、実際に今回辿ったルートは魅力だらけなのだからそうなるのは織り込み済です。 さて、翌朝犬山城とその城下を眺めに向かいます。古い町並みを乱すかのような古ぼけた建物があって、犬山市福祉会館とのこと。ぼくの好みの物件なので、覗いてみたら「こうらく」なる喫茶兼食堂があります。しかも早くも営業を始めているようです。う~ん、朝からツイてるなあといそいそと入り、モーニングセットをいただきました。やはり食堂色の強い内観は一気に時代が50年近く逆行したようで軽い眩暈を覚えました。まあなんてことはないけれど、朝から寄り道するには格好のお店なので、お出かけの際はぜひにとお勧めしてさっさと筆を置くのでした。
2019/09/15
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巣鴨には、梵寿綱の「<a href~"http://1955nonnon.jugem.jp/?eid=15">ムンディ・アニムス</a>」という物件があったようです。充実した写真が大変立派で資料的な価値がありますが、実物を見損なったという喪失感はより一層増してくるのです。 さて、やって来たのは「酒枡」です。巣鴨でこの店を含めて四店舗を展開する の系列のお店になります。つい先だってに開店したばかりらしく、8月中は、当店のいちおし料理!という牛もつ塩煮込み 580円⇒290円、日本一の焼酎ハイボール!とスタンダードな焼酎ハイボールがそれぞれ480円⇒240円、380円⇒190円となるようです。先般、巣鴨の絶品ネパール料理店で飲食した後に腹ごなしの散歩をした際に通り掛かった際にそれが記されたチラシを入手したという訳です。結局行けたのが月末スレスレとなってしまったので、本来であればこのブログにて8月のサービスを大いに宣伝できれば良かったのですが、面倒くさがりなぼくには対応するだけの気力がなくて誠に申し訳ないことです。さて、店内は見ての通りこざっぱりとしており、カウンター席がキャパの割には幅広く割かれているのが気分が良いです。当然のことにサービス品を注文。バラバラと頼むのが面倒だから一気に3品を注文します。これだけだとカッコ悪いとついでにチーズ入りの磯部揚げを頼みます。これが一番手頃な380円メニューであります。酎ハイは日本一は本格焼酎、いわゆる乙類の焼酎を用いており風味は強いけれど、ぼくにはスタンダードな方が好みでした。煮込みは塩煮込みということで楽しみにしたのですが、思ったより凡庸だったなあ。平常時はこれが580円だとするとまあ頼まないだろうな。それに比べると磯部揚げはちゃんとしていました。ほっくりと柔らかで風味も濃厚なのでチューハイにはばっちり合ってとても良かったです。全般に週一で呑むような方がちょっと気取って使うタイプのお店でぼくにはちょっと敷居が高く思えました。
2019/09/14
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大山には世の町中華好事家たちに殊の外に評判の中華飯店がある事は、随分前から知ってはいたのです。知ってるのならどうして行かずにおられるのだと尋ねられてもいつものように気の利いた言い訳など持ち合わせておらぬのでした。大山という町は、下町めいた商店街のある町として些かに過大評価されているように思うのです。少なくとも酒場好きにとっては必ずしもその酒場への欲求を満たしてくれる町とは言えぬのではないかと思うのです。いや、それは幾らか膠着した考えに基づいているかもしれません。ぼくがここで言う酒場は居酒屋寄りの店を指しているのでありますが、大山にはスナックとかそっち方面の酒場は少なからず存在して、これまでも居酒屋と思って行ってみたら明らかにスナック寄りのお店だったことが何度かあります。そういう意味ではむしろ昔ながらの呑み屋が根を張っている昔風の呑み屋街が残っているという見方もあるかもしれません。実際この後日にそうした酒場に引っ掛かった訳ですがそれはまたいずれ報告します。 しかし、さすがに板橋区には中華飯店は幾らでも残っており、片手間のように巡っていては際限なく思われるくらいです。酒場選びに迷った時には余計な考えは起こさずとりあえずは中華飯店に行くのもあるだろう、そう考えたのです。じゃあ一度は行っておきたかった「丸鶴」を目指すことにします。ここは町中華を語る人なら知らぬ者はなかろうという有名店であるそうです。大山にはまるきり縁がないという訳でもないのに知らずにいたのは、ここがちょっとばかり駅から離れているからだったかもしれません。離れていると言っても普段の歩行距離を思うとどうということもないのです。大山名物の商店街、ハッピーロードを抜けて川越街道を渡ればすぐなのです。外観の楽しさに比して内観は思っていたものと違うなんて事は、このお店の場合にはさしたる問題ではないようです。ここで大事なのはあくまでも名物料理の事なのです。瓶ビールを頼んで品書を改めて見ると大瓶とはいえ700円と一端の高級中華料理店並なのであります。呑み客を蔑ろにしていると思えなくもない。しかし、品書にはおつまみ用のチャーシューもあるし、ご丁寧にハーフまで用意されているのだからよく分からない。しかし、酒はこの瓶ビールしかないようなのだからますます分からぬのだ。そこそこの客の入りだから呑みの需要も少なくはないと思うのだけれど。まあ、ちょっと変わっているがここの営業方針なのだし、長くそうして来た、もしくは長いこと続けてきてビールだけに収斂したのかもしれぬし、何にせよ口出しすることではあるまい。でもぼくはここのチャーシューでじっくり呑んでみたかった。というのがここの名物料理というのが、このチャーシューがゴロゴロと炒め合わされた炒飯なのだ。無論食べてみた。些かにバランスを欠いたそのチャーシューの量には驚愕と満足を貰えた一方で少しく辟易もしたのです。二人で分けて食べても持て余しそうな量でありました。一方でかなりオーソドックスで先の品のインパクトに比すると大人しすぎるかに映る単なるラーメンはぼくにはズバリ的中の品だったのです。炒飯の塩っぱさにラーメンの穏やかなスープが優しく癒やしてくれるようです。ぼくは次に食べるとしたら、きっと麺類から選ぶのだろうなあ。 駅に戻ろうと川越街道を再び渡るとこの大きな通りに面して「末っ子 大山店」という餃子を売りにしたお店がありました。吞みに来て立て続けに中華飯店というのもどうかと思うのですが、近場にちょっと良さそうなお店を見掛けてしまっては捨ておくわけにはいかぬのであります。そうは言ってもだ、仮にどうしても見逃せぬ店を見付けたとて、うっかりと立ち寄ってはならぬことをこの後すぐに思い知ることになるのであります。といっても物々し気に語るまでもなく、餃子―非常に小振り―1枚とからし焼き―東十条界隈で名物の―だけで腹の皮が破けそうなほどに満腹してしまったのです。先の店のことを考えても、ラーメンとからし焼き、炒飯と餃子という組合せだけであればどうということもないような気がする。というか若いころならセット物を頼むのは当たり前だったことを思えばこの程度で満腹するというのは、かなり寂しい事態であります。と書きつつ思うのが、だったら先に呑んでから中華飯店にハシゴしたらいいんじゃないか。酔っ払ってへべれけになれば満腹中枢も麻痺してしまうことは誰しもが経験していることです。しかしですね、ここにアンビバレントな状況が生じるわけです。へべれけになると味のある中華飯店であらねばならぬという気概も薄れてしまって、もう「餃子の王将」でも「日高屋」ですら構わぬという心持になるから、結局意中の中華飯店とは容易には遭遇できぬことになるのだし、そもそもが大山をダシに用いるつもりはないけれど、これといった酒場がないから中華飯店を目指したのであります。とにかくもっと心惹かれる酒場がどこにでもあればこんな苦しい思いをして呑む必要はないのだという結論でお話を終えるのでありました。
2019/09/13
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西武新宿線は、とりあえず乗りつぶしているし、多分すべての駅で下車してもいるはずですが、それでもあまり乗り付けない路線でありまして、実のところは探ればまだまだ面白い物件が潜んでいると格段の根拠もなく確信しているのであります。確信するほどに気になるのであれば遠慮なく行きたい町を巡ったらよかろうと言われてしまえばそれまででありますが、基本どうしても乗り換えが生じることを思うと二の足を踏んでしまうのです。電車の乗り継ぎというのは面倒くさいように思えても実際に行ってみるとどうということもなかったりするもので、くよくようじうじと迷っているくらいなら行動するが勝ちということも分かっているのです。という訳でこれからは思い立ったように西武新宿線沿線の酒場巡りをスタートするつもりなので、近隣にお住まいだったりして気になる酒場があるけれど、入店には二の足を踏むよなド根性物件をご存じの方はぜひ情報をお寄せいただきたいのでありました。 さて、そんなアテにならなさそな宣言をしておいてすぐに、反省から文章を綴ることになるのは不本意なのでありますが、またも己の不注意っぷりに呆れるやら呆然とするやらといった事態に遭遇したのであります。というのも沼袋では喫茶巡りをかつて敢行しており、忘れもせぬ5年前の冬のある日―忘れもしなかったのはその日がぼくの誕生日であったからという個人的な理由によるものです―「猫丸」、「ミカドコーヒー 中野沼袋店」、「カフェ ソレイル」などを巡ったようなのです。ようなのですと書く位だから覚えている店もあればすっかり記憶から抜け落ちてしまった店もあります。しかし、喫茶好きならオヤおかしいなと思われたに違いありませんが、「純喫茶 ザオー」という古い喫茶店があってここのことは明瞭なる記憶を未だに保持しているのでした。それにも関わらずですよ、そのお隣、本当に真横に「宝来軒」というとんでもなくぼく好みの中華飯店があることを見逃していたのはあまりに不注意といえば不注意すぎるのでした。 このお店の存在を知ったのはつい最近の事です。そして店に近付く道程でやっとこさ純喫茶のお隣りであることを認識するのに至ったのでした。ともあれ「宝来軒」に遠回りにせよやってくる事ができたのは僥倖の極みです。まだ開店したばかりなので案の定というまでもなく当然にぼくが一番乗りとなります。ガラス戸で外界と区切られたお店では何処に腰を下ろすべきかいつも迷ってしまいます。すりガラス越しに行き交う人々を背景にした絵はとても様になるものだし、何よりそのシルエットの変化を眺めると少しも飽きないのです。でもこの日は何となく戸を背にしてしまいました。こちらもこちらで奥の住空間も覗き見れて愉快なのです。余り腹は減っておらぬから当初予定していた餃子はパスしてもやしそばを注文します。酒や焼酎とかは無いかと尋ねると、扱ってないそうです。そうか、この風景で一杯やれたら良かったのだけどなあ。まだ厨房には火が入ったばかりのようで、しばらく待つ事になりそうです。まあ昼間から呑むのも程々にしとかにゃならんと自らを律するのであります。そのうち一人、もう一人とお客さんが来られます。その一人がビールに餃子と炒飯を注文したらなんの事なくオーダーが通ってます。何だ何だビールでも構わぬのにと慌ててこちらも追加するのでした。お新香をつまみながらボンヤリともやしそばのスタイルを想像します。トロミが基本的に苦手なぼくですが、もやしそばは餡かけ型が圧倒的に好みです。残念ながらこちらのはトロトロ系ではなかったけれど、ギリギリまで雑味のないあっさりスープと上手く絡んで美味しく頂けました。いやあ、ここは凄い好きだなあ。また寄らせていただきます。そう、頼み控えした餃子は他のお客さんのを盗み見ると口の糊付は緩くてボロリと餡が溢れるけれど、実づまりもびっしりと凄い旨そうでした。大き目なのが6個というのもお得感ありです。
2019/09/12
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巣鴨に都内でもパイオニア的な有名ネパール料理店があるということを知りました。食べログを見ただけですが、まあ知った方法や理由はともかくとして、店舗を転々としていたり、食べログの百名店を2年連続受賞しながらなぜか3年目にはじかれたとか気になる点もあるけれど、なにせ先駆けというのに弱いから一度は行っておきたいし、何より食べログで目にした謎めいた食べ物を食べてみたいという誘惑にあらがえなかったのでした。 巣鴨駅から徒歩7分程度で「プルジャ ダイニング(Purja Dining)」に到着しました。それにしてもネパール料理店の名店として名高いのに外観のこの安っぽさはなんとかならぬものかなあ。まあ、仮に都心部の高級インド料理店のように豪奢な店舗のような見掛けだったりしたら入るのに躊躇していただろうけど、今どきネットを見さえすれば、最低限、相場程度は分かるからもし仮に店舗を入りやすさを重視して安っぽくしたなら改善を期待したいところです。実際のところは店を転々として、見栄えに予算を充てるのを嫌っただけなのかもしれません。さて、同行者は、ディード セット 1,500円(ディード、マス、タルカリ、チャトニ、アチャル)、ぼくはネパール セット 1,250円(ライス、ダール、タルカリ、アチャル、1種のカレー[チキンかマトン])。メニューには左記の記載となっています。数多のネパール料理店でここを選んだのは、ディードなるそばがきのようなメインを頂けるから。バートはごはんだからディードセットはダルバートとは呼ばぬのが正解なのかな。写真のボテッとした灰色の塊がそれです。真ん中にあるのはチキンカレーですが、通常、ディードにはカレーは付けぬそうです。ちなみに一番下の写真がぼくの食べたもの。ライスから左回りにタルカリ(スパイスで味付けした野菜メインの総菜、となんか分かったような分らぬような定義でありますが、基本的には汁気のないカレーみたいなもの、ぼくのはじゃがいもにインゲン、ひよこ豆などの定番でしたが、同行者の方は謎の食材でさや付きの豆みたいなもので肉といえば肉みたいだし、魚介のようなキノコや筍のような得体のしれぬ触感でしたが聞いておけばよかったなあ)。次がサグでこれはグンドゥルック(青菜を発酵させて乾燥させたものをあっさりと味付けした料理)、で赤いのがマトンカレーで次のがダル、豆のスープですね。そしてアチャール(漬物)はオーソドックスに大根、練りごまで風味付けしてあります。ビールのお供の黄色いのは、ゴーヤとひよこ豆のアチャールですね、これは酒のアテに抜群だったなあ。黄金イカみたいなのは不明、甘くてトロりとしてました。そしてチャトニ(チャツネとほぼ同義でいいのかな)、ぼくのは唐辛子に岩塩でこれは辛かったです。と冷静を装っていますが、ここ数週間で訪れたネパール料理店では最も興奮させられました。東新宿のお店も池袋のお店もそれぞれにいいのだけれど、最もとんがって感じられました。つまりは3店ともが見掛けはいかにもダルバートであるけれど、受け止めるぼくとしては全く違ったもののように思われたのです。これはいかにも不思議なことであります。というか自宅でネパール料理を再現するとなるとやはりベースとなる味がピタリと決まった方が調整しやすいのですが、ここまで三者三様となると、自分のスパイスの配分やらが果たして正解なのか分からなくなりそうなのです。ということで、これからしばらくはネパール料理店巡りは終わりそうもないのです。 ちなみに余りに衝撃を受けたので、本当はこの後ちょっと寄り道するつもりがすっかり失念してしまい、後日またも巣鴨を訪れることになるのですが、その報告は明後日のことになりそうです。
2019/09/11
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近頃、どうにもボーッとしてしまってイカンのです。ボーッとしてイカンではなんの事やらさっぱり分からないでしょうし、それでも事情が分からないなりにはそりゃボーッとしていちゃよろしくないという程度には分かるというものです。もともとぼくはいつも半ば夢うつつという具合な生態であるからして、殊更にこんな事を言い出すにはそれなりの蓋然性があるのです。そんなボンヤリ症候群気味なぼくでも、呑みの準備に関しては万端怠らぬつもりでいたのです。行きの乗継、帰りの乗継は当然の事に、駅から目指す酒場までの経路も大概頭に叩き込んで置くものです。まあ、最初の店は手堅く行くけれど大概の場合、2軒目からは無策で通そうとするから殆どの場合は当初念頭に置いていた予定を裏切ってしまうのであるけれど、とにかく呑み出す前からボーッとなっていることはそう多くはないのであります。この夜は近頃ちょくちょく足を伸ばしている葛西に向かったのであります。この場合行き先が必ずしも葛西でなくとも話の妨げになりはしないのであるけれど、ともかくこの夜は葛西に降り立ったのであります。さっきの発言が虚しくなるけれどこの夜は行き先は全く決めていなかったのである。あるのだけれど、折角運賃を支払ってまで葛西に来たのだから、少なくとも2、3軒はハシゴしたいところであります。まあ、初っ端は駅前の宿題となっていた立ち呑み屋から始める事にしたのです。とここで段落を切るつもりだったのですが、諸事情により途切れ途切れに文章を書いたので話しが前後せぬよう調整することにします。この夜の財布が千円札一枚と小銭だけだった事をここで述べて置かぬと次の段落に繋がらなくなってしまうのです。 最初に高架下にある「立ち呑み 島ちゃん」にお邪魔しました。奥行きが浅く幅が広いといういかにも高架下のお店といった造りはちょっと楽しい。細長いカウンタースペースと小部屋風のスペースに分かれます。当然、独りならカウンターがしっくりときます。さあてと酎ハイと目の前に置かれた大皿で残りわずかとなっているナポリタンを頼みました。するとチケットお持ちですかと店の女性に尋ねられます。げげっ、何たることかこちらはチケット制だったのね。最初に千円分のチケットを購入するというシステムのようです。ぼくのように毎夜店を決めずに流離うタイプの酒呑みにとってみるとこういう仕掛けは非常に窮屈な印象を受けてしまうのです。実際、職場の行き帰りの区間内の某立ち呑み店でもチケットを購入したことがあるのだけれど、結局使いきれずにそのままになり結果なくしてしまったことがあります。だからここは使い切るしかないのであります。ってまあ千円分ならあっという間なんですけど。早速チューハイをグビリとやってナポリタンを摘まんでみる。残り全部を持ってくれたせいか量もあって旨いなあ。そもそも茹でて炒めてくったりしたナポリタンであるけれど、追い打ちをかけるようにレンチンしているから得も言われぬ触感となっているのです。しかしナポリタンはどんなコンディションであっても旨いのです。というかまずいナポリタンがあるとすればそれは市販のレトルト食品がそうである位で、適当な分量でちゃんとケチャップで味付けしてあるなら多少というかかなり出鱈目な分量であっても旨くなるのです。だからこれさえあれば酒の肴はいらぬから、サワー類を4杯でちょうど千円となるから良い塩梅であります。残金を考えるとちゃんと呑んでおくに越したことはないのです。でもナポリタンで食の勢いがついたぼくは愚かにももう一品を注文。これが何であったか写真では判断がつかぬけれど、非常にうまかった記憶はあります。しかもこれもラストだったようで、またもたっぷりと盛り付けていただけたのでありました。 きっちり千円を使い切り、財布にはもう小銭しか残ってはいませんでした。東京都メトロの東西線名物の葛西メトログルメ・ショッピングセンターに「づめかん」があることは前々から知っていましたが、なかなか訪れる機会が持てずにいたから一杯だけでも呑んでおきたい。「づめかん」なら安いから2杯はいけるかな。とセンター内に潜入、すると「せんべろ立呑み 酔いどれ」がありました。へえ、こんな店もあったのかと一応値段を確認し、「づめかん」並みに安いことが分かると勢い込んで店に滑り込むのでした。が、のっぺりと広い空間はなんだか所在ない心持になるのでありました。改めて財布を確認するとどうやら2杯1品でいけそうであります。ハシゴして5杯呑めてしまうのだから葛西の立ち呑み環境はなかなかに充実していると言えるのではなかろうか。都心部の立ち呑みはどこか落ち着かない感じがするし、郊外の町だとそもそも立ち呑み屋がなかったりもするのであって、この都心と郊外の中間地帯であるこの立地の絶妙な場所に葛西は位置しているということかもしれません。自宅まではSUICAもあるし、安心なのですが、それでもやはりほぼ空っぽになった財布のみではどうにも心許ないのは致し方ないのであります。
2019/09/10
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高山ではもう一軒呑みに立ち寄りました。先述したように高山の夜は思っていたよりもずっと早く暮れてしまうようです。多くの外国人観光客たちが所在なさそうにふらりふらりと暗い夜道を集団で徘徊しているのは、ちょっと怖い感じもします。ぼくも彼らから見れば、夜道を暗い顔をしてぶらぶらしているからずいぶんと不審な人物に映ったものと想像されます。とまあ実際に呑んでるよりも歩いている時間の方が長かったのではないかと思うほどに歩く羽目になったのは、高山という町の夜の早さが原因であるとは本当ならば言えないのでした。高山も大きな町だから屋台村のでこなる横丁を中心に呑み屋街も広がってはいますが、ここぞという決め手になるような酒場には遭遇せず、行ったり来たりと優柔不断を旅先でも貫いたのがよくなかったのであります。旅先で路頭に迷ったら多少の好みの優劣などは抜きにして手早く意思決定をするのが効率的であることが多いことはわかっているのです。ホテルが駅の向こう側にあるのでしぶしぶと駅方面に引き返すことにしたのですが、ふと思いついて路地裏に入ってみるとちょっと良さそうな渋いお店があるからたまには優柔不断が功を奏することもあるようです。 店の名は、「当り矢」でホルモン焼店のようです。ホルモン焼きはちょっと高山っぽくないかななんてことを思いもしたし、それより何より胃腸への負担も馬鹿にならぬから、旅先で食することには畢竟慎重にならざるを得ません。外観よりはのっぺりと面白みにやや欠ける店内をざっと眺めるとすぐさまメニューを開きます。おや、牛や豚に混じって鶏肉もあるようです。ホントかどうかは分らぬけれど、鶏だとヘルシーっぽいし胃腸への負荷も軽いんじゃないかという気がするのであります。そんなこともあり、鶏肉を注文し酒は焼酎を頼みました。ほどなくして届いた鉄鍋には鶏肉を覆い隠さんばかりのキャベツやら玉ねぎが被せられています。ふうん、変わった流儀だねえなんて思いつつしばらく箸で鍋を弄びそろそろいいかなと小皿にとって口に放り込んでみるとにんにく味噌風味の醤油ダレが絡んでシンプルながらなかなか旨いのでした。とこの文章を書き始めて気付いたのですが、これって所謂ところの鶏ちゃんそのものじゃないか。翌日訪れる予定の郡上八幡の名物料理ですね。現場で食べた際にはそんなことすっかり念頭になく、たぶんメニューにも鶏ちゃんという風には記載されていなかったように思うのです。だからといってこんな有名名物料理にも気付けぬとはいかにも情けのないことです。先日、ケンミンショーで簡単野菜料理といった企画で総集編で見た時にも思い出さなかったし、それを見て、自宅で再現もして食してさえいたのにも関わらず高山のこの店の料理とは結び付かなかったのはいかにも愚かしいことです。ともかくこのブログを書くことをきっかけに思い出せたのだからよしとしておこう。ちなみにぼくの後にやってきた一人客もそれを知らずか、牛肉を数種オーダーしていたのでした。 ちなみに「串焼き 島田」というのを夕暮れ時に見掛けていて、本当はこちらに立ち寄ろうと思っていたのだけれど、真っ暗になった後にはどうにも見つからなかったのは、とっぷりと夜闇に包まれたこの町では店の明かりがないと見つけようがなかったのかもしれません。だとするとこちらはすでに店を畳んでいたということなのでしょうか。
2019/09/09
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高山での喫茶巡りは不完全燃焼に終わることになりましたが、それでも充分に印象深い喫茶に立ち寄れたからしっかりと満足を持って町を出発できました。当初の想定では高山本線で下呂駅を目指すつもりでした。下呂にある「スナック&喫茶 のばら」などを巡るという野心があったからですが、冷静にスケジュールを眺めてみるととてもではないけれどのんびりと下呂の町を散策する余裕はなさそうです。ならば高山の喫茶で少しでも過ごせた方が良かろうと予定を変更したのでした。その考えは前日の白川郷からの路線バスの到着したバスターミナルで思い付きました。そんな事は実際に高山に来る前に調べが付いていても少しもおかしくなかったのですが、予定の変更に次ぐ変更によりすっかり調べるのが面倒に思えたのです。下呂駅に向かう濃飛バスの乗客はわれわれ以外にはほとんどなく、途中の集落から乗っては降りで結局終点まで乗り通したのは我々だけという有様です。まあ、列車が運行されているのにわざわざ路線バスを使うのは普通なら酔狂に過ぎぬけれど、この場合は列車のダイヤの谷間の時間帯だったからまずは賢明な選択肢だったと思うのです。そして実際、その路線バスからの景観は列車から眺めるよりずっと変化に富んでおり、加えて、岐阜が裏の喫茶王国である事を証明するに足るものなのでした。途中、何度バスが無情に素敵な喫茶を通過するのを歯がみして見送ることになったことか。でもどうして下呂の散策を投げ売ってまで先を急ぐのか。 実は今思い出したのですか、今回の旅を当初決めたのは長良川鉄道に乗るという目的があったからなのでした。つまりは長良川鉄道に乗車する事を最大かつ唯一のミッションとしていたはずが、スケジュールをこね繰り返した結果、本来の目的を見失ったということです。旅の計画というのは余りに熟成に時間を掛けるのは得策ではないようです。とかいいながら、喫茶と酒場の影が薄いこの旅で得たものは消して少なくなかっという程度に自負はあります。特に下呂と郡上八幡を思いっ切りショートカットして移動する手段を見付けられたのは、これから似たような行程で旅の予定を立てている方には参考となるかもしません。というのが白鳥交通の郡上八幡行無料連絡バスなる観光振興のためのバスが運行されている事を知ったのであります。かつてはいわゆる酷道をウネウネといつ果てるともない悪路を行かねばならなかったのが、今では山を串刺しにする長延なトンネルを抜ければ1時間20分程度で送り届けてくれるのです。これは実に素敵なサービスで途中、小さいながらも道の駅にまで立ち寄ってくれると致せり尽くせりなのです。ただし出発は10:00発の1便のみで、予約も必要なのでその点は留意が必要です。親切で鶏ちゃん押しの運転手のお兄さんと楽しくお喋りするうちに早くも郡上八幡に到着です。 さて、郡上八幡に到着し、すぐに「門」にて休憩。郡上八幡の中心部は駅から離れているのですが、先のバスはその中心となるバスセンターで降車させてくれるので、その点でもとても至便なのです。本来であれば駅から歩くなりしてのんびりと確信に迫るという過程も良いものですが、この暑さではなるべく楽をしたいところです。こちらの喫茶店はごく平凡な小奇麗なお店です。もう少し何か語るべきところですが、とても普通で語るべき言葉が浮かんできません。 町並みを散策しているとこの先の予定など投げやってひたすら路地に迷い込みたい誘惑にくださいしています次の「珈琲館 チロル」は、全くのノーマークのお店でしたが、とても良かったのです。狭い軒先を通り抜けると思いがけずも立体的で複雑な内装で訪れる度に視線に変化をもたらしてくれそうなのがとても愉快なのです。クラシックでありながら、芸術的な意匠が随所に散りばめられていて、全体としての統一感とかを確認するだけの暇はありませんでしたが、むしろ全てを見届けてしまうのは無粋な振舞いなのではないかと感じました。何度も繰り返し訪れてみて、自分にとっての居場所を見出す楽しみがここにはありそうです。この町で暮らしていたなら、目的や誰と一緒だったかもしくは一人であるとかを状況に応じて使い分けられるようになりたいと思わせてくれるのでした。 郡上八幡でも取り分け古い町並みを今に留める何やら気の利かぬ通りの名を付けられた通りを歩くと「美濃」というこの地方の伝統建築群にすんなり収まった喫茶がありました。こうしたリノベーションされたらしき喫茶というのは外観頼みでがっかりさせられることが少なくありません。少なくないというのは控え目な書き方で実際にはほとんどがそうなんだろうと思うのです。また、和風建築には和のテイストをという期待に応えるためか、外国人観光客や思い描くようなベタなものになりがちなようです。しかし、こちらはそんな憶測を心地良く裏切ってくれます。リノベーションの薄っぺらさは積み重ねた歳月が覆い隠してしまっているし、和のテイストは凛とした女性店主のキッチュさ寸前の趣味性でとてもユニークなものが散りばめられていて、想像を凌駕するのです。選り好みする傲慢さを窘められた気分です。さて、コチラには隠し玉のお楽しみがありまして、それは手洗いに関することなので詳細は省きますが、機会があれば拝借してみてはいかがでしょう。 駅まではタウンバスを利用しました。車窓からはこの町で一番気になっていて当然立ち寄ってみようと思っていた「喫茶 吉野屋」が、中休みを終えたのか先程は消えていた照明が灯っていて、また来るようにとのお告げのようにも思えたのでした。
2019/09/08
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鶯谷駅が最寄りではありますが、ここはお店の屋号に冠している根岸という地名を優先することにしようか。と、根岸という歴史のある町について、何事か語ろうかと思いはしたのですが、そんな悠長なことをしている暇はありません。というのもこの夏の余りの体たらくには折に触れて語ってきましたが、この習慣としていたブログ書きすらままならぬ状況に追い込まれているからです。追い込まれていると書くと一端の小説家みたいでありますが、彼らは書こうとあがいてそれでも書けないのでありましょうが、ぼくはその書くという気力すら少しも湧き上がってこないのだからどうにもならぬのです。そんな訳で根岸の町については触れずに、ただひたすらに根岸で出会った酒場について記憶の断片を書き留めることにします。 そんなことを書いてみたけれど、この夜訪れた「ねぎし はつね」は、もう10年近く前にお邪魔したことのあるお店です。随分以前のことなのに、妙に印象に残る酒場でした。まず、この酒場のある界隈が人通りも少なく、とても都心にあるとは思えぬような侘しい雰囲気だったからです。日中であればシャッターを開いて営業しているはずの店々もまるでもう何年も明かりを灯していないかのように生気を失っていて、不気味なほどであります。これが路地裏に入ると、ケバケバしいネオンの明かりの下をギラギラとした欲望を隠そうともせぬ男女が時折行き来していて、これはこれでドラマティックな場所ではあるのだけれど生憎にもぼくには無縁な場所と感じられるのでした。そんな死の気配と禍々しい腐臭に満たされたかのような空間にぽっかりと取り残されたかのような様子で細々と―これは誇張ではなくあからさまになのであるけれど―営業を続ける古い酒場があるのです。こう言っては元も子もないのでありますが、あえて営業を続けるだけの労力を掛ける理由があるのか甚だ疑問を感じざるを得ないように思えると書くと失礼であるかもしれぬけれど、実際店に入っても老夫婦が二人店番をしているばかりで、お客さんの残り香すら微塵も感じられないのでした。そしてこうした感触を好んでしまう自分の無礼さにも少しばかり嫌悪を感じるのです。席に着くと早速ビールを頼むのですが、お通しは厚揚げの煮付けでありました。ここの肴はこうしたそこらで買ってきた食材にほんのひと手間を掛ける程度らしき品ばかりであります。でもそれの一体何が悪いというのか。旨いものを求めるなら悩むことなくそれ相応の店に出向けばいいだけであります。酒を頼むと控え目な盛りの肴をちょっと追加、それが尽きることなく繰り返されることになるのです。やがて、もはや肴を摘まむのも酒を呑むのもここで酔うという過程においては不要なことに思えてくるのです。酒などなくとも酔えてしまう。ここはそんな異世界のような酒場であり、呑むともなしに酒を含まないと現世から取り残されるような不安に侵されそうになるのでした。
2019/09/07
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先頃、有楽町線の千川駅のそばにある「まちのパーラー」でパンを購入。持ち帰って食べてみたらこれがまあ旨いのなんのって、すっかりその魅力に参ってしまったのです。パン通と高らかに宣言する程にはパンに対する情熱も知識もないけれど、それでも有名どころのパン屋が百貨店の催事とかで販売されていたらつい手を出してしまうし、旅行とか散歩とかの途中でかちっとも有名でないけれど渋いと思うパン屋があればやはり買い求めてしまう程度にはパン好きなのです。といっても基本的に朝食を取らぬから、出勤前にトーストを齧ってなんてことはまずなくて、喫茶巡りでモーニング攻勢を受けた場合に時折食べる程度なのです。で、江古田に「まちのパーラー」を持ち出したのだからまた千川に行くべきだろうというのがまっとうなご意見でありますが、住民の方がお読みになっているといけないので先にフォローしておきますが、これから千川のことを少しだけ悪く書くのでお目こぼし願いたいのです。つまり言いたいのは千川という町は散策しても少しも楽しくないということなのです。じゃあ、江古田が楽しいかと言われると実はそれほど楽しいわけじゃないのです。というかかつてはなかなか味があって面白かったんだけどなあという感想になるのですが、どこがどうダメになったかはあえて語らぬのであります。でもそれでも千川よりは歩いていて面白いから、江古田にある「まちのパーラー」―の本店というのかな―に当たる「パーラー江古田」にずいぶん久しぶりにお邪魔することにしたのでした。って、このブログは酒場巡り(たまに喫茶巡り)のブログだったはずなのに、最近やけにパン屋とかカレー屋が登場するなあとお思いかとも訝られる方もいらっしゃるでしょうが、その辺は緩めに見守ってください。案外、酒場好きはカレー好きであるらしいからたまには目先を変えているのだな程度に理解してください。で、感想はといえばやはりさすがの旨さであったと述べるにとどめるのであります。 さて、駅北側から踏切越しの眺める南側はなかなか風情があります。踏切を渡るとすぐに呑み屋通りが3筋程伸びていて、近寄ると案外チェーンっぽい風貌であるけれど興醒めしてはならぬのであります。個別の酒場と周囲の風景とは別物なのは分かっています。でも普段のぼくであれば「やきとん きん魚」のようなお店は選択肢に加えていないような気がするのです。ではどうしてこの夜に限って普段なら妥協と考えるようなお店を甘んじて受け入れたのでありましょうか。その理由ははきりしていて、一つには重大なミッションを終えたことによる高揚と達成感を可及的速やかに慰労してあげたいという気分に浸ったからであり、二つには美味しいけれど結構な値の張るパンを購入した以上は消費できる金銭が限られている以上はどこかでバランスを取らざるを得ないということなのだ。つまり換言すれば、このお店は手早く呑めて値段も手ごろということを意味するのであります。それだけ書いてしまえばこの居酒屋のコンセプトも何もかもすべてが伝わったであろうと思うのだ。何らの描写もなしに結論に至るのも不甲斐ないけれど近頃なんだか慌ただしくてだらだらと書いている間がないから早々に切り上げることにします。悪くはない。安くて迅速という重要な要素はクリアしているからです。ただし、この界隈が学生街であることを思えば学生たちが喧しいとか、店の連中もそんな学生たちによるバイトが多いのか余り応対ができていないか、その辺を重視する方は注意が必要であります。
2019/09/06
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下赤塚駅は、東武東上線の成増の一つ手前の駅になります。東上線は各駅停車のワンランク早いのが準急であったかと思うけれど、下赤塚駅には準急すら止まらぬのです。というかこの準急、成増駅までは池袋駅から一駅も停車せぬのだから、この区間の利用客にしてみるとかなり乱暴な編成と思うに違いありません。なんと言っても活気ある商店街、ハッピーロードがある大山駅すら涼しい顔してアッサリと通過してしまうのだから、これを愉快に思わぬ人も少なくなかろうと思うのです。まあ考えるまでもなくこの運用が満員電車の環境緩和にも寄与している事は明らかだから、むしろこれを不満に思うのはたまにしか利用しないぼくのような行楽利用者ばかりなのかもしれません。でも終電が準急だったりしたら途中区間の客は溜まったものじゃないと思うのだろうなと調べてみたら、最終電車はさすがに各駅停車の成増駅行きでした。 さて、そんな下赤塚の町並みはというとさすがに板橋区というと叱られそうですが、川越街道が通り、その先には巨大団地群の広がる南側はかなり整備されていますが、線路を挟んで北側の一帯は、ちっとも区画整理が捗っていないようです。捗るというよりも自治体も既に諦めて放置したまんまとなっている気すらします。それがまあたまに訪れる者には楽しくてボンヤリ歩いていると進んだ道が思いがけぬ通りに繋がったりして、時間に余裕があれば散策するのも悪くないのです。ぼくも実際、意中の酒場に再度振られてしまいなんとも口惜しい。がそううとばかりは言ってられぬ。というわけで突然思い付いて、<a href="https://junkissa.jp/blog-entry-1198.html">喫茶好きのこの方をも魅了した</a>という「中国料理 誠華園」にお邪魔することにしたのでした。突然思い付いてというのは大嘘で、ずっと気になっていたので意中の酒場を終えた後に立ち寄るつもりだったのです。だったらどうして前回寄らなかったのかというと、その時はすっかり失念していたのであります。いつもなら覚えていることが現場に来ているその時に限って忘れているというのだから、かなり事態は深刻なのです。つい先達ても似たようなことがあって、明くる日にまた同じ町に出向くことになったのだからもう深刻ぶってみせるだけではすまぬことになりつつあるようです。下手をしたら待ち合わせの約束をしていたことを失念して、一人で酒場巡りを終えてしまうなんてことにもなりかねないのです。メモに頼り過ぎると記憶力が衰える、さらにはメモを取らなきゃいけないような人はメモの存在すら記憶に留めることができないものだという言い訳やら戯言を弄するのもいい加減によすことにしよう。ということで静かな空間を独り占めする贅沢を存分に味わわせてくれました。中華丼は薄味、物足りない位の薄味ですが健康のためにはこの位が丁度いいのかもしれません。こちらのような町外れの比較的広めで照明を抑え気味の中華飯店は相当行っていると思うのですが、大概は表の空間と隔絶された冷え冷えとした感触があるものですが、こちらは不思議と町並みに馴染んで明るい雰囲気に思えたのは、列車の通過に店が一体となって揺れるのが楽しかったからかもしれません。お陰様でコップ酒がよく回った気がします。
2019/09/05
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巣鴨駅の周辺にはこれといった酒場がないように思っていました。ぼくの年長の知人にそのことを話すと、いやいや巣鴨ってのは呑み屋が多いんだぞと反論されてしまいました。でも巣鴨でさんざん呑み歩いた実感としては、やはりこれといった酒場がないというのが正直なところなのです。その人が自信満々に巣鴨の酒場事情を語ってみせるには相応の理由があるのでした。その会話をするまでちっとも知らなかったのですが、その方のご実家は居酒屋をやっていて、その居酒屋は巣鴨にあったというのです。これを語られると信じざるを得ないのです。ぼくは権威、この場合は権威という言い方は適当ではないかもしれませんが、ともかくプロの人の意見には滅法弱いのであります。弱いけれどもまあそれは過去はそうだったのかもしれないねと躱しておけばいいまでのこと。その人の実家が居酒屋をやっていたのは、恐らくは30年以上前のことでしょうし、当時、ぼくはまだ東京に住んですらいなかったのだからそんな昔のことを言われたってピンとは来ないのであります。大体において今の巣鴨で当時から営業しているような酒場などどの位残っているのだろうか。多分ほとんど残っていないのだろうなあなんてことを思っていたのですが、不意に古そうな酒場の存在を思い出すに至ったのであります。しかし、割烹と看板に記されているためぼくとは無縁と記憶の片隅に追い遣っていたのでした。ではどうして突如として思い出したのかといえば、この夜は近頃お付き合いが深くなった流麗な英語を駆使する定年しても研究に踏みとどまることを願うインテリ志向のおっちゃんがご馳走してくれることになったからなのです。 既に年金生活を送る人にご馳走になるのも如何なものか―数年前からテレビの愚劣なコメンテーターがしきりと「如何なものか」という言い回しを用いるけれど、あまりに連発すると見苦しいと思うのです、だって何事かを悟っているかに思わせおきながらその実、何事も語ってはいないのだから―という意見もあるかと思うけれど、「大衆割烹 阿季」はその店先に立ってみると案外枯れた居心地の良さそうなお店に思えたのでした。そして実際、猫ちゃんも大いにくつろぐことのできるゆったりした時間の流れる実に良いお店だったのでした。冷房が効いているからと勧められた小上がりに腰を下ろして、恐る恐るに品書きを眺めてみればなんだ案外お手頃なのですね。これならぼく一人でも来れたなあ、などと声を出さずに思ったのですが、関心を引いたのはお値段ばかりでない。実に多様な食材を用意していることが読み取れるのでした。アナゴの白焼きや鴨ねぎ炒めなどいかにもどこにでもありそうですが、実際にそこらの居酒屋に入ってこんな品を出してくれるところはそうないはずです。それが手頃で、しかも味もいいときているから言うことなしなのです。ぼくのような味オンチが語ったところで信用が置けぬだろうけれど、研究と呑むことと孫の成長を見届けることに幸福を感じる人もそう語るから間違いなかろうと思うのです。にぎやかな女将さんに、ほとんどリタイアしてるんだろうなあ、店の片隅でじっと椅子に腰掛けて店の様子を見守る主人、そしてその娘さんらしき方がこれらの料理を一手に引き受けているのです。いやあ雰囲気のいいお店だなあ。というわけで最初はわれわれだけだったのが、勘定の際にはほとんどカウンター席が埋まってしまっていたのでした。いい店を知ったなあ。 さて、じゃあついでにもう一軒、寄っておくことにします。いつの間にか開店しており、入店の機会を伺っていた「ときわ食堂 駅前店」にここぞとばかりにお邪魔したのです。商店街を抜けるまに以前からの店舗が2店あるというのにこちらもお客さんで賑わっています。ぼくの基準からするとけしてお手頃ではないと思うのですが、皆さんこちらの食堂がホントにお好きなようです。さて、ちょっと待たされ、席に着くと入り口付近では気付かなかった貼り紙が目に入りました。へえ、こちらでは10種位の品が半人前で注文できるのですね。その中からマグロブツ、ポテサラ、アジフライ、串カツ、トマトと欲張って注文してしまい卓上はそれで埋まってしまいました。このハーフサイズというやり方は決定的に正しいと思うのです。アジフライもマグロブツももちろん好きなんですが、一人で一人前を平らげるほど好きではないと思っています。だからちょこっと食べたいぼくのような者には大いに歓迎するところなのです。消費者たるわれわれは声を上げて、巣鴨の人気食堂は半人前で料理を提供しており、そうした気の利いたサービスで大繁盛していると喧伝するべきではないかと思うのです。きっとそう願っているのはぼくだけではないと思うのでぜひこの啓蒙活動にご助力頂けると幸甚だと述べることで本報告を締めくくらせて頂きます。
2019/09/04
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梵寿綱という建築家をご存じでしょうか。ぼくは、その建築そのものは目にするたびにずっと目を奪われていて、代表的な建築のある早稲田や代田橋を歩く度に眺めていたものです。でも、それがどういう人の手になるものか確認する術もなく―正確には術はあっても、それを確認する気合がなかったのです―、妙ちきりんなものを建てる人がいるなあと打ち捨てていたのでした。ところが先般、たまたまネットで調べ物をしていたら、まさにその異端の建築家の情報が数多あることに気付かされたのです。ぼくのような感受性の低い人間でも意識する位だから、強烈な関心を寄せる人が少なからずいても不思議ではないですね。2017年にはとうとう『生命の讃歌 建築家 梵寿綱+羽深隆雄』(美術出版社刊)が出版されたとのことで、近々に読んでみようと思っています。その日本のガウディと称されたりもする建築家の手になる建築が池袋に3棟あるということで、近接する2棟をランチついでに見に行くことにしたのです。 1棟目は、「東商ビル」(作品名は”Royal Vessel”)です。主な見物はファサードに集約されていますが、エントランスホール内のさり気ない装飾にも惹かれます。そして、もう1棟は、酒場好きにもよく知られる―酒場放浪記にも登場した―「たちのみや 喜平」のビルがそれです。酒問屋の「ルボワ平喜 南池袋ビル」(作品名は”斐醴祈:賢者の石”)で、建築にさほど関心のない方でもこちらのビルの奇矯さに驚かれた方は少なくないのではないでしょうか。内部も凄いので、ご興味のある方は不審者に間違われないように覗いていただくか、ネット上にたくさん写真もアップされているのでそちらをご覧ください。そのユニークな建物もすでにいくつかは解体されているようなので、うかうかとはしていられません。ちなみに池袋には、「作品名:PETTI ETANG」というのもあって、実はこの物件はかつて住んでいたアパートから徒歩30秒程度の場所にあって、毎日のように目にしていたのですね。近日中に改めて作家の作品という視点で眺めに行きたいと思います。 さて、店の外観と内観をご覧になった限りにおいては、どう見てもここがネパール料理店とは思えないはずです。和風の空間でネパール料理を食べるという体験を期せずしてできたのは、案外新鮮な経験となりました。お店は「こせり」です。現在鋭意工事中のかつての豊島区役所前を通り過ぎ、五差路の交差点を右折すると雑居ビルの1階にこちらのお店はありました。かつては、「ジュグジャ」という店名でお店をやっていたようです。“ジョグジャ”ってのはネパールの町の名前だから―といかにも知った風に書いているけれど、単にネットで調べて知ったかぶってみただけ―「こせり」もやはり町の名前なのだろうか。とこちらも調べるが分からなかったのです。やはり店の方に聞いておけばよかった。ということはともかくとして、ここでもやはりダルバートを頼むのであります。ライス(バート)の右のくすんだ緑色っぽいのがダール(豆スープ)です。反時計回りにタルカリ(ナスのトマト風味のカレー)、プーリー、チャツネ、アチャール(大根)、サグ(小松菜の炒め)、チャツネでいいかなあ。東新宿のダルバートより種類が豊富で楽しいですね。しかもそれぞれの品の味わいがなんというのだろうとても洗練されているように思われるのです。もとより日本人の口に合うと思われるダルバートですが、より一層の洗練した味付けがされていて、これなら誇張なしに毎日食べても飽きない気がします。そういう意味ではスパイス料理に造詣の深い方にとっては幾分大人しく感じられるかもしれませんが、夏バテ気味の疲弊したぼくの臓器にはとても労わってくれる感があって大いに好みとするところでありました。先般の「サンサール」が標準タイプ、現地の家庭料理に近い味わいとすれば、こちらは極めて上品なタイプ、現地の食堂よりちょっと格上のレストランの料理ということができそうです。まあ、現地で食べたことがないので想像でしかありませんが、そういった印象になります。それはダルの差異に明瞭に感じ取れるのでした。と書いたけれど、この次に行ったネパール料理店ではこの2店とも全く違ったタイプの風味を知ることになり、ぼくを混乱の際に追いやるのでした。
2019/09/03
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白川郷からは、直接に高山に向かう路線バスが運行されていてとても楽チンであります。最初に書きましたが、今回は本当ならば高山と郡上八幡を満喫する旅とするはずでした。しかし、同行者の要望もあり、五箇山と白川郷を追加したために高山をじっくりと散策する機会は次に譲った方が良さそうです。なんて、理由を観光のせいにしてしまいましたが、実は都内からの高速バスの運賃が高山行きが富山へのそれの倍額以上という極めて切実かつみみっちい理由もあったのです。高山行きの運賃が高いとは思ったけれど、まさかここまでの開きがあるとはこんな事がなければ知らずに済ませてしまったかも知れぬ。それはともかくとして、ぼくも思いがけず世界遺産となって以来、初めて合掌造りの景色を眺められたのは収穫でした。もう見そびれてしまったという後悔をしなくて済むのですから。というわけで高山に到着し、宿で荷を解きいくつかのヤボ用を終えてついでに喫茶のチェックと立寄りを済ませた頃には日もどっぷりと暮れてしまいました。 高山ではずっと行ってみたいと思っていたお店があります。居酒屋好きであれば容易に想像できるであろう「樽平」です。太田和彦氏の著作や番組でも何度も取り上げておられるので、ぼくなどがあえて饒舌にならずともこの酒場の粋は記録され語り尽くされていることでしょう。詳細はそちらをご覧いただければよろしいかと、と述べると話は簡単なのでありますが、さすがにこんな投げやりなブログではまずかろう。すぐそこと書かれた引き込み看板に促され、店の前に歩みを進めると端正な文字で店名が記された看板があります。分かる人には分かるでしょうが、その生硬さがどこか大映の映画監督、増村保造のタイトル画面のように思えるのでした。通りのそのまた路地からさらに奥まってたたずむ店舗にすぐさま好感を持ちます。内装もそうそうと口に出しそうな位に典型的なものであり、歴史を滲ませながらも少しも劣化した感じはせずとてもとても大事に店を守ってきたのだろうなというのが見て取れるのでした。店は母娘お二人でやっておられたけれどかつてはご主人もおられたのではないか。そんな映像が記憶の隅に残っています。さて、日本酒の呑み比べセットなどを頼むのはいかにも素人臭いがまあ素人だからよかろう。肴は時価といかにも不安であるけれど、ここは鮎の塩焼きは頼まぬわけにはいかぬと思うのだ。そして、そんな鮎はとんでもなく旨いのだ。かつてどれ程の鮎体験をしたかと問われると非常に心許ないのであるけれど、それでもここの鮎の旨さはしみじみ感じられるのです。明日の郡上八幡はそれこそ鮎の名産地であるから、期待は大いに増すのでありました。まあ、結局のことろこの旅で鮎を食するのはこれが最後となったのですけどね。 さてさすがに一軒で済ますのは詰まらぬからとこの後、散々町を彷徨って少なからずの酒場を通り過ぎたのだけれど、これといって心惹かれる酒場が見当たらなかったのです。歩き疲れて途中、もう面倒だから高山ラーメンでも食べてホテルに戻るかと思い直してみたのだけれど、今度はそれすら行き当らぬのだから今回は一軒目が良かった分、割の悪いことだなあと感じたりもしたのでした。駅前に戻ってきて「八角亭」を見掛けた時にはもう物色する気迫すらなくなっていて、もうここでいいやと投げやりに飛び込むことになるのでした。しかしここには非常に憤慨させられたのです。何に憤慨させられたかは詳述せぬけれど、とにかくぼくはもう行くつもりはない。けれど、結構な賑わいだから気に入って通われる常連も少なくないようです。炉端焼きのお店のようだけれど、それらしいところは希薄で、ならばとさっきも頂いた奴をもらうことにします。この辺の地域の奴にはどうも真ん中に練り辛子が仕込まれているようで、それほどピリッと辛いわけではないけれど、それでも風味が良くてちょっと気に入ったのでした。帰京したら真似してやろうと思うのでしたが、実際やったかというと未だに試していないのでした。買ってきた奴サイズの豆腐に辛子のチューブとぶっ刺してニュルっとすればまあそれらしいものになるはずで、非常に手軽な肴だから近いうちにぜひ試してみることにしよう。ということで、いやな思いをしたのだけれど、実は今では何にそれほど腹を立てたのか判然とせぬ―両隣の客に対して苛立ったことは覚えているけれど―けれど、まあちょっとしたアイデア料理を覚えることができたから良しとするのであります。
2019/09/02
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高山には、数多くの喫茶店があることは調べができていたのです。高山を最後に訪れたのは随分以前のことで、当時は喫茶店巡りなどという贅沢な趣味は持ち合わせていなかったため、喫茶などは見掛けたに違いないけれど少しも記憶には刷り込まれなかったようです。まあ、当人の好むと好まざるとに関わらず脳にはありとあらゆる知覚情報は蓄積されていて、だけれどそれを引き出すための栞が挟まれていないだけということのようなのですね。既知無、いわゆるデジャヴというのは出会い頭に遭遇した何某かが感覚受容器で知覚された際の情報が脳を駆け巡った際に蓄積された既知の情報と無意識のうちに突合されたことにより発現するというらしいのだ。らしい程度の認識をもっともらしく語ってみせるのもなかなか厚顔無恥なことであるけれど、まあ小馬鹿にされたり、嘲笑されるのには不感症となっているから構いはしまい。こんな話はどうだっていいのだ、時間がないからとっとと本題に入ることにします。 夜になったし、大雨でもあったので躍起になっての喫茶巡りはやめておくことにしました。せっかくの高山なのに夜から行動開始で翌朝も早くから移動しなくてはならないから、高山観光はまたにしてのんびりと過ごすのも悪くなかろう。でも「喫茶 ドン」ってのが遅くまで営業しているようだからちょっと行くだけ行ってみるかなと、あまり期待せずに歩いていたら「バグパイプ」というのがとってもいいじゃないですか。でも時はすでに遅し。まあそれこそまた来ればいいことです。で駅方面に引き返しつつ酒場巡りをしようかなと思っていたところに、ちょうどよく「喫茶 ドン」が登場。これを見たら入らざるを得ないだろう。気分はすっかり酒場モードであったけれど、どこか古風なバーのようなムードを放っていてかっこいいじゃないの。これはみすみす見過ごすわけにはいかぬのだ。といそいそ店内に入るといやはや外観以上に素晴らしいではないですか。素晴らしい、といってもぼく好みのという留保は付けるのがよろしかろうけれど、とにかく痺れるばかりにカッコいい。椅子カバーというと長岡の「COFFEE HOME シャルラン(CHARLIN)」、長野の「純喫茶 りんどう」、御殿場の「ベル」などがすぐに脳裏に浮かぶけれど、こちらも同じように忘れがたい喫茶店となりそうです。内装の素晴らしさは文章にするのが煩雑で、苦労してみてもその労が報われることは少ないからあえて放棄することにします。だから文章が上達しないけれどこの際そんなことはお構いなしです。そして特筆すべきは、こちらの女性陣の暖かな応接であります。お三方が入れ代わり立ち代わりで応対してくださってそれがとても可愛らしいし、和やかな気持ちにさせてくれるのです。ギスギスした気持ちになった時には直ちにここに来るのが正解。 翌朝、何とかかんとか時間をやり繰りして―そのやり繰りとは何ぞやということは次回触れることになりそうです、この自信のなさは単なる忘れっぽさを胡麻化すため―「コーヒー 4の65」にお邪魔しました。店名はご想像のとおり。古びた味わいのあるお店です。向かいには清水ミチコの実家とどこかで耳にした「if珈琲店」があるけれど、個人的には早朝から営業しているこの投げやりな店名のお店を強く擁護したいところです。時間がなかったので短い滞在時間となりましたが、ここ高山ではいい喫茶に巡り合えたと、これはまたもや出向くこと必至です。 ちなみに遅くなったのは、駅の反対側をずっと行ったところにある有名ブーランジェリー、「トラン・ブルー(TRAIN BLEU)」に寄りたいという同行者の要望に応えてのことであります。気取ってブーランジェリーと書いたけれど、パン屋と呼ぶにはあまりにもハイレベルな商品ばかりで、喫茶好きと公言することが、語るに落ちたと非難されようが遠回りして立ち寄って大正解の絶品ばかりでありました。
2019/09/01
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