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今一番欲しいもの、それは譜面台。 持ち運びできる折りたたみ式のじゃなく、自宅用にちゃんとしたのを。 楽器屋やインターネット上でナニゲに探してるのだけど、気に入るものが意外に見つからない。高価すぎて手が出なかったり。 以下、勝手ながら自分の要望を羅列してみると、一、ぶ厚い楽譜も載せられる頑丈なやつ。一、高さが変えられるだけじゃなく、角度も柔軟に変えられるやつ。一、鉛筆や弓などの置ける棚が下のほうについてるやつ。一、薄っぺらい楽譜にも書き込めるよう、板が張りめぐらされてるやつ(中空でなく)。一、高級木材、またはそれっぽく見えるやつ(できたらマホガニー)。一、余計な装飾は要らないけど、意匠性に優れ、存在感のあるやつ。 上記の条件を同時に満たす逸品って、なかなかない。***** 前によく練習につきあってもらってたバイオリン弾きの友人マックス氏は、なんと木工おたく。器用にもご自分で譜面台を作りあげてしまった。しかも四台。だから、彼の家でカルテットするときは、それらの譜面台を使うことになる。 ただ、あまりにデカすぎて、壁に向かって弾いてる感じ。視界が遮られ、互いの様子も見られない。アンサンブルをするときは重厚な譜面台はかえって不向き。←すまん、マックス。 演奏会場に足を運ぶと、凝った譜面台を見かけることがたまにある。ホール全体との調和も大切。 旧くて新しいアールデコ?だったり 壁や椅子の色と合ってたり そう言えば昔、トラで行ったオケでニューヨーク・ラジオシティホール(!)で弾く機会に恵まれたことがあって、そのときも譜面台が強烈に印象に残った。 弦楽器の形を模してる! 富裕層にいたっては、譜面台をオブジェのひとつとしてご購入遊ばすらしい。高級家具職人が何十万円もするようなのを作っているそうで。 いかにも非実用的、使い勝手が悪そうだなんて言っては、庶民のひがみ根性丸出し。***** とにもかくにも、我が家にも立派な譜面台が欲しい。 立派な譜面台があったら絶対に猛練習する自信があるのに。やっぱり、何ごともカタチからだと思う。←断言。
Jul 31, 2008
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ニューヨークのみならず、全米あるいは世界じゅうの音楽愛好家のあいだで語り継がれている冗談のひとつ、 How do I get to Carnegie Hall? カーネギーホールにはどうやって行けばいいの? Practice, practice, practice! 練習、練習。 今はどうかわからないけど、実際、カーネギーホールの公式ウェブサイト上「ホールへの行きかた」の項には、「人によっては一生かかっても行けるかどうか……」みたいなことが書かれてたこともありました。 このホール、独特の風格がある優れた建築物であることは誰もが認めるところ。演奏中に外の自動車や地下鉄の騒音が聞こえてしまうのはちょっとナンですが。 あと、この時期は夏休みと称して激しく閉館してしまうのも王者の貫禄ってとこでしょうか。NY市内のほかのホールはやってるのに。***** さて、こちらアメリカでは、これまでラジオ放送だけだった「フロム・ザ・トップ at Carnegie Hall」という公開収録番組が、ついにテレビで放映されるようになりました。僕もときどき観ては楽しませてもらってます。 アメリカ各地からプロの演奏家を目指す少年少女がカーネギーホールにやってきて演奏するのであります。ピアノ伴奏兼司会のクリストファー・オライリーとの絶妙なトークも、なんか漫才みたいで笑えるし。 この番組を見ると、「おぉっ、オレもさらわなきゃ」と奮い立たされます。自ずと練習する意欲が湧いてくる。 そりゃ、いずれ世界に羽ばたいていくであろう才能あふれる彼らには到底及ばないワタクシですが、瑞々しい活力をちゃっかりおすそ分けしてもらうわけです。←いい歳こいて情けない? 今どきの番組だけあって、ピアニストが、譜めくりいらずの液晶デジタル譜を見ながら伴奏してるとこも気に入ってます。
Jul 28, 2008
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「眺めのない部屋 A Room without a View」 暑い日が続いてます。 真夏の夜は納涼ホラー映画に限るわけですけど、自分にとっての定番は「悪魔の棲む家」でしょうか。←し、渋すぎ……? かつて惨殺事件があったと言われる屋敷を舞台に、そこに移り住んだ家族が体験する恐怖の数々。たぶん実話。 この家、人の顔にも見えます…… 僕はゴ幼少の頃に「水曜ロードショー」だかで観て以来しばらく忘れてたのですが、アメリカに住むようになって急に思い出しました。こういう館、うちの近所にもよくあるんです……。 我が家もそうですが、古い家に住んでると、一体この家には昔どんな人が住んでたんだろ、と気になるわけです。住人はその都度ペンキを塗り替えたりするし、壁に掛ける絵とか家具が変わると雰囲気も違くなるのだけど、問題なのは地下室。手つかずのままだったりして、時代を感じます。不気味でもあるし。 この映画でも、主人公が深夜に地下室に下りていく場面が何度かあって、それだけで妙に怖い。 ま、僕ってば、いい歳こいて、地下室は不気味だの怖いだの言ってる場合じゃないのですが、実際、似たようなお屋敷を合宿で使わせてもらうときとか、古い大邸宅に住んでる知人のとこに泊めていただくときは、なぜかたいてい地下の寝室が割り当てられてしまうのです。で、勝手にこの映画のことを思い出しては青ざめるわけで(笑)。***** 「悪魔の棲む……」という邦題もお見事。木へんに妻って、いい感じの漢字だし。 一方、原題の「アミティビル」はこの家のある町の名前です(ニューヨーク州ロングアイランド)。 現存するこの家は、映画化された惨事の後も別の家族が移り住み、しばらくは問題なかったらしいのですが、うち一人がNY同時多発テロで亡くなったことで、「やはり呪われてるのでは」と話題が再燃、近年リメーク版の映画まで作られました。 今も誰かが住んでるようです。いつかあのへんに行く用があったら立ち寄ってみたいような、みたくないような。追記:題材となったこの家族ったら、せっせと恐怖の体験談をまとめた本が売れまくり、映画も大ヒット、ちゃっかり大金を手にして大喜びなんだとか。うーむ……。
Jul 26, 2008
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「He Said, She Said」 今日はニューヨーク市内で芝居を観た。「ゴドーを待ちながら」などで知られるサミュエル・ベケットの短編 First Love。 切なくも甘酸っぱい「初恋」物語ではない。村下孝蔵的な。 父を亡くしたホームレスの男が、偶然出会った謎の女との体験を赤裸々に語るひとり芝居。舞台も簡素。 演じたのはレイフ・ファインズ。映画「イングリッシュ・ペイシェント」に主演していた英国人の役者さん。 劇団ひとり。 この人、良くも悪くも気品がありすぎて、浮浪者役なんて似合わないような気がしてたけど、杞憂だった。ボロボロの背広を身にまとい、ややコックニー寄りの訛りで怪演。 基本的には一人称で語るものの、生前の父の言葉とか、惚れた女性との会話の場面で、He said だの She said だのと挿みながらまくし立てるのが特徴。 緊張して注意深く聞いてないと、誰が言った言葉なのかがわかりにくい。声色を変えて派手に演じ分けるわけでもなく、あくまでも「浮浪者」という役の範囲内でのキャラを貫き通すファインズ。 起承転結のわかりにくい内容だったこともあって、観ててどっと疲れてしまったわけで。 それにしても、演じてるときのファインズの集中力は凄かった。人生に疲れた浮浪者の役なのに、目つきが鋭い。 上演中、次から次へと観客席で誰かの携帯が大音量で鳴ってたけど、舞台上の彼は全く動揺せずそのまま演じきってた。(ニューヨーク市立ジョンジェイ大学構内ジェラルドWリンチ劇場)
Jul 20, 2008
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「人生いろいろ」 先月、初見で弾くはめになって赤っ恥をかいた因縁の曲。今回は一応はさらって臨んだら、曲の印象が全然違った。メンデルスゾーンのカルテットを代表する曲と言っても過言ではない。ベートーベンで言うところのラズモフスキー的な位置づけ? 技術的にも精神的にも鍛えられる難曲。 Vn1 自分、Vn2 ピーター、Va ジム、Vc ボブ。 なんてったって、1楽章と4楽章がド派手。華やかで前向き。すごく交響的。ニ長調だし、レとかラとかの音、さらにはその倍音を共鳴させまくって、十人ぐらいで弾いてるような嬉しい錯覚に陥る。 コ難しいアルペジオにもたついてしまうものの、チェロのボブに心地よくあおってもらいながら、強引に速めのテンポで練習した。 両楽章に共通した音型が出てきて、冷静に分析しながら弾くと面白そう。ただ、そんな余裕などないほど忙しい。臨時記号も手ごわい。 一般にこのテの派手な曲って、そのうち飽きられてしまうもの。でも、盛り上がったかと思うと、ふいにもの哀しい風が吹いたりして、浮き沈みの激しい世の中、人生楽ありゃ苦もあるさとほのめかしてるようでもあり、実は奥深い曲であり。 中間の楽章もスゴい。2楽章メヌエットは、全体に幸福感に溢れているのに、トリオ部で一瞬だけ内面的な憂いを漂わせるとこが萌え場。 3楽章は哀愁のロ短調アンダンテ。人生の岐路でふと我が半生を振り返ってみるような。 ちなみにこの楽章、僕が考えてたテンポで弾こうとしたら、すかさず「そんなの遅すぎるよ」とみんなから苦情が出た。 いつも思う。こういう曲を弾くとき、僕は遅く弾きたがる傾向があるみたい。今日も、ほかの三人(こてこてのアメリカ人さん)は淡白派。前向きに弾こうとのたまう。 考えすぎかもしれないけど、これって文化の壁? 昭和歌謡で育ったワタクシといたしましては、こういう曲には阿久悠さんあたりにしっとりとした詞を乗せていただきたくなるわけで。 ま、ma con moto とはあるけれど。
Jul 20, 2008
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「ど根性ガエル con spirito」 今日はカルテットの練習、まずはハイドン。Vn1 ピーター、Vn2 僕、Va ジム、Vc ボブ。 僕は初見で臨んでしまったものの、一目瞭然の典型的ニ長調音楽。名曲っぽい予感。 ファーストの一部分を除いては、初見でも(むしろ初見のほうが)楽しめそうな曲だなー、などと偉そうなことを考えながら弾いてたら、2楽章ポコ・アダージョ8分の6拍子のテンポをめぐり、ビオラのジムとチェロのボブとの間で論争が勃発してしまった。 大きく二つに数えてサクッと弾いてしまいたいボブに対し、しっとりとアダルトなアダージョを追求したいジム……。 二人をなだめつつ、気を取り直して3楽章。やはり正統派、「キュートな」メヌエット。***** さて、この曲はやっぱり4楽章アレグロ・コン・スピリットが楽しい。「蛙」というあだ名の通り、ゲロゲロだのケロケロだのという鳴き声が出てくる。開放弦と隣の弦をうねうねと移弦させながら弾く奏法(バリオラージュ bariolage)。 ここでも問題発生。このバリオラージュ奏法、セカンドとチェロは特に難なく弾けるものの、ファーストとビオラは、開放弦以外の音でうねうねしなきゃないとこが何度かある。バイオリンは楽器も小さいし、根性で頑張れば弾けなくもないけど、でもビオラはそうもいかない。 ジムったら、最後のピアニッシモのとこ、ヒィヒィ言いながら1の指と4の指を伸ばして大奮闘。顔を真っ赤にして意地になって弾く彼の努力と根性には感動してしまった。 それにしても、ここってほんとに1と4の指で弾かなきゃいけないんだろか。絶対無理だと思うのだけれど。見てるだけで指がつる。
Jul 20, 2008
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ついひと昔前まで、音楽を鑑賞するには「ラジオやレコード/CDを聴く」か「演奏会場でナマで聴く」のふた通りぐらいしか手段がなかったはずです。 それが今は、テレビ放映やDVD、あるいはインターネットの動画などのおかげで、実際に会場に足を運ばなくても「動く芸術家」を目と耳の両方で楽しめる時代。オペラだけじゃなく管弦楽や室内楽も。 演奏者の顔の表情までも見られるし、由緒あるコンサートホールの臨場感も疑似体験できます。 楽器をやる人にとっては、指づかいなどの奏法を目で確認できるし、僕もそうやって動画の世話になることはよくあります。感謝感謝。 でも最近、「映像の力を借りながら聴く」ということに多少ためらいを感じ始めてます。っていうか、カメラワークが気に入らないことがある。 協奏曲のように主従がわかりやすい曲や、ピアノ独奏や小規模な室内楽だったらまだしも、特に大編成オケものが厄介なのです。 どの瞬間にどの奏者/パートが画面に映っているかによって、聴く印象がガラリと変わってきます。視聴者は画面に映ってる楽器の音に自然と耳を傾けてしまうわけだから、その親切な誘導が裏目に出ることがある。「このパートを聴け」と強要することにもなりかねず。 自分が思い入れのある曲だとなおさら。「ここはホルンを映してほしい」とか「せっかくビオラが裏メロ弾いてるのに」とかいう箇所で、全然違うパートが映ったり指揮者のアップ映像だったりするとイライラしたりもし。 固定カメラ一台だけによる映像ってのも意味がないけれど、あまりに凝りすぎるのもどうかと。 カメラを何台も駆使し、主旋律をやってる楽器を執拗に追い回す、ってのも観ててだんだん疲れてくるのです。ラヴェルのボレロみたいな曲。 下の「よつコン」のカメラ割りはかなり奮闘してるほうだと思います。 ビバルディ「4つのvnとvcのための協奏曲Op3-10」 撮影する側は事前にスコアを見ながら周到に準備なさったのでしょう。ただ、どうせそこまでやるならあと一歩、って感じで実に惜しい!(←って、お前なにサマ?) そういえば昔、東京で「ジュネス」という寄せ集めオケで弾いたことがありました。練習はNHK内のスタジオで、本番はNHKホールで行なわれ、しかもその模様が全国放送されるというおいしい催し(「青少年音楽祭」)。 あのときも、本番直前までNHKの裏方さんが指揮者や金管と打ち合わせしてましたっけ。1番奏者と2番を入れ替えたんだったか、アシをつけたんだったか、スコアと微妙に異なることを吹くことになったらしく、誰にカメラを向けるべきか話し合ってました。 裏方さんの努力には敬意を払うべきだし、お見事!と唸るような画割りが大半なわけだから、視聴者は素直にその恩恵を享受し、「見せられる」べきでしょうか。 わざわざ高いカネ払って演奏会行っても、運悪く変な席に座るはめになることだってあるし、上記のような悩みは贅沢きわまりないのかもしれません。 時代の変遷とともに音楽の聴きかたも変わってきて当然。 結論づけると、クラシックの世界でも、ビジュアル系の奏者が求められる時代が到来したということなのです。(←ご、強引な結論……)
Jul 17, 2008
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「健康で文化的な最低限度の。」 今日合わせた「ケーゲルシュタット」クラリネットトリオ、これは名曲。一切の無駄がない。 全三楽章。ラルゴやアダージョなど遅い楽章がないのは寂しいものの、飽きのこない、必要最低限で筋肉質な楽曲。 クラリネットパートをバイオリンで代用した版で練習した前回とは異なり、今日は原曲どおりの編成で。 1楽章は、僕がピアノを弾き、クラリネットはダグ、ビオラはセス。2楽章と3楽章は、セスがピアノを弾き、僕はビオラ。 楽章が進むにつれて難しくなっていく。音の粒を揃えることに気を遣う。 それにしてもビミョーな編成。クラリネットもビオラも音域が地味め。高すぎず低すぎず、中庸。大人な音楽っていうか、地球に優しい音楽。 特に1楽章はまったりしてる。劇的な「展開部」が欲しくなったりもし。 一方、3楽章のほうはモーツァルトの室内楽の総決算。コロコロと曲調が変わるのはご愛嬌、どれもがおなじみの音型。あの曲に似てる、この曲に似てる、と勝手に思いを馳せるのも一興。 そう言えば以前、この編成(ピアノ、クラ、ビオラ)でライネッケのイ長調作品264とかいう曲で遊んだことがあったけど、あれはクラが高音でビオラが低音というように役割が明確に決まっていたように記憶している。このケーゲルシュタットは両者のキャラがかなりダブってる。 こんなにいい曲なのに、編成的な都合だけが理由でなかなか演奏会で取り上げられないなんて残念な話。もっと知られてもいい。追記: ちなみに「ケーゲルシュタット」とは、人名でもなければ地名でもなく、どうやら球技/競技(場)の一種らしい。
Jul 13, 2008
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「けんかをやめて」 今日のピアノ合わせ(ブラームス3番)では、前回(四月)の練習で手こずった箇所を復習しつつ、後半の楽章にも挑戦。結果的に、ピアノ弾き(セス氏)と激しく闘ってしまった。 ブラームスって、協奏曲のほうは絶対に手の出ない難曲だから諦めもつくけど、ソナタもこんなに技巧的だったなんて誤算。特に重音奏法。 個人練習でゆっくりさらって弾けたとしても、いざ人と合わせるとなると話は別。勝手に焦ってしまい、自爆してばかり。 自分が崩壊してもピアニスト氏が助けてくれるってわけでもない。彼もご自分のパートで忙しく、激しくテンパってしまってたのも想定の範囲外だった。モーツァルトやベートーベンのソナタのようにあーだこーだ言いながら共同制作を楽しんでいく余裕が全くない。 特に4楽章。何度も止まってしまう。何がいけないのかを探るのだけれど、互いに「オレが正しい、お前が悪い」と喧嘩腰。なかなか先に進まない。 何通りかに形を変えて出没するシンコペ変奏。ウラ拍専門、強拍専門というように明確に役割分担がされてるわけでもないし。 バイオリン、ピアノともに1拍めのない状態で、丁々発止、相反することをやり合うとこも難儀。次の瞬間には、いつのまにかスッとユニゾンにならなきゃいけないのに、わずかにずれてしまう。 うーん、合わない。もう投げやり。挫折したくなるのをグッとこらえ、もう一度、もう一度、と何度も練習してみる。そして、そのうちピタッと合った時の感動はひとしお! でも、「念のため」もう一度弾いてみると、やっぱり合わない。再び「オレが正しい、お前が悪い」大合戦……。
Jul 12, 2008
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夏といえばバカ~ンス。 欧州人ほどではないにせよ、休暇の準備には余念のない人は周りに多いです。何ヶ月も前から計画して、家族や友人と各地に旅立って行きます。 意外に人気なのは豪華客船での旅。カリブとか地中海を廻ってくるというもの。 船上にはカジノやプールもあってとても賑やか。さすがに、「さすらいの船旅」ってわけにはいかないでしょうが、非日常の世界にどっぷり浸かれます。 交通費と宿泊費を兼ねる旅というのは、考えようによっては経済的。必ずしも富裕層だけの娯楽ではないらしい。 さて、そんな彼らにとっては縁起でもないけど、客船の沈没を描いた二大映画について語ってみましょう、そうしましょう。(ご、強引な前振り……)■ポセイドン・アドベンチャー(1972年アメリカ) やっぱり、沈没ものといえばポセイドンでしょう(英語読みポサイドン)。次項で触れるタイタニックよりもはるかに名作かと思います。 老若男女が力を合わせて脱出を試みるという設定。ちょっとおデブな初老のご婦人が必死で泳ぐとこなど、数多くの名場面が出てきます。 この映画を、「組織で働く社会人にとってのバイブル」と絶賛するアメリカ人も多いようです。 つまり、集団のなかに複数の統率者がいる場合の長所/短所とか、各人の意見が異なる場合の対処のしかたとか、あるいは各人の能力を最大限に発揮させる導きかたとか。 終盤、蒸気の出るバルブを必死に締めようとするジーン・ハックマンが、神に対し叫びます。「これ以上、人の命が欲しいなら、俺のをくれてやる!」 しかし、彼の本当の最期の言葉は、「ロゴ、あとは頼んだぞ、みんなを無事に脱出させてやれ」。犬猿の仲だった宿敵ロゴ氏に潔く全てを委ねるのでありました。 ■タイタニック(1997年アメリカ) 一方のタイタニックももちろん負けていません。特撮のスゴさには素直に腰を抜かしてしまいます。劇場公開からもう十年……。 パニクってる乗客らの描きかたも、船長を始めとする乗組員ら脇役の演技も、さすがに秀逸。主演男女の会話部分を全て削除し、1時間ぐらいに再編集したとしても、名作と言い切れると思います。どうせ、もともと一歩間違えば陳腐な恋愛モノに転びかねない脚色ですし。 でも、ここではやはり本ブログの趣旨に基づき(?)、この映画に出てくる船上音楽師さんたちの描写に限定して話を進めましょう。 まず、彼らのちょっとした台詞が粋なのであります。「どうせ俺たちの演奏なんて誰も聞いちゃいないさ」とか。 それに、ホンモノの奏者を使って撮影されてるので安心して観られます。指パク、弓パクもないし。 この映画はビオラジョークのネタにもなり得ます。楽団員のなかにビオラがいないのです。これ、「最初はいたけど途中から消えた(真っ先に逃げた)」という説と、「もともと乗船していなかった(楽器/パスポートを忘れた)」説があるらしく。 あとは、なんてったって彼らの最後の演奏場面。 動画 実はチェロバスは弾いてなくて、単なるバイオリン二重奏?という余計な突っ込みはおいといて。 このコンマスの最期の台詞は、「Gentlemen, it has been a previlege playing with you tonight 君たちと一緒に弾けたことを、光栄に思う」。 これ、今も巷の音楽家たちのあいだで流行ってます。リハや本番を終えて解散するときとかに、賛美歌を弾きながら大げさに言うのがお約束(笑)。
Jul 9, 2008
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「私の名はミミミミ Si, mi chiamano Mimimimi」 今日のカルテット合わせ、後半はラズモ2番。 全楽章を練習する時間はなかったので、みんなであーだこーだ言いながら要所要所を合わせてみました。(vn1自分、vn2ピーター、vaジム、vcマシュー) 当然のように終楽章プレストを中心に取り組むつもりではいたものの、今日の収穫はなんてったって2楽章モルトアダージョ。これは名曲であります! 遅すぎるし長ったらしいのも事実で、僕はあんまり細かくはさらってこなかったのですが、いざ四人で合わせてみたら鳥肌が立ちました。四声それぞれがまったく違ったことをやっているのに、なぜかツジツマが合っちゃうという不思議。 まったり流れていくようでいて、きちんと躍動感もあるし、ひねり&うねりも効いています。 個人的に一番気に入ってるのは、終わりのほう、チェロが低音のミ(E)を鳴らし始めるとこ。ほかのパートと音がぶつかろうがお構いなしに、ひたすら悠久の時を刻みます。
Jul 6, 2008
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「セロ弾きと機関銃」 今日はピーター(vn)宅でカルテットの練習。ジム(va)とマシュー(vc)とは初顔合わせ。僕はファースト。 ボロディンは二ヶ月前に別の団体で合わせてみた曲だけど、今日は目からウロコ。面子が違うとここまで曲の印象が変わるものかと驚いた。 チェロのマシュー君、ただのお坊っちゃんかと思いきや、なかなかのツワモノ。百年以上も前に作られたオールドのチェロをごうごうと鳴らしながら、音楽の輪郭をかっちりと抑えてしまう。「上層部」の我々は、あくまでその枠の範囲内でルバートをかけるなり強弱を表現することを強いられる。正直言って強引かつ無表情な音楽というのが第一印象だった。 例えば1楽章アタマ。いきなりチェロそしてファーストに継がれる旋律。ビブラートかけまくって情感豊かに歌うべきかと思ってたけど、マシューはかなりあっさり弾きたがる。フラジオ使っちゃったりして飄々と。 彼にそう弾かれてしまうと当方は出鼻をくじかれた感じ。「こぶし」の利かせどころかと思ってたのに。 しかし、弾き進めていくうちに彼の真意がつかめてきた。 そもそも二拍子のアレグロなんだし、しかも冒頭はp(ピアノ)。この楽章はカンタービレと明記された第2主題がちゃんとメゾフォルテで出てくるので、歌うならそっちのほう。あと、3楽章アンダンテとの差別化も図るべき。 きちんと計算して弾き分けてる彼には脱帽。 2楽章スケルツォもやはりマシューが陰の主役となった。バイオリン二人が三度でハモりながら優雅に円舞するとこ、氏は容赦なく八分音符で機関銃のようにドドドドッと突進する。 なるほど、この2楽章はあまり優雅さを前面に出さないほうがいい。 やはり、続く3楽章ノクターン(ノットゥルノ)を意識して、対照的に快活に。 低弦の提言にはハッとさせられることが多い。***** 十何年も前にCDは買ってあるのに、僕は今までこの曲をほとんど聴いてなかった。いい曲だとは思うけど、どうも好きになれないでいた。 でも今日チェロ主導で合わせてみて、その奥深さにやっと気づいた。 あと、「楽章間のバランス」ということも学んだ。1楽章と3楽章でねっとり押しつけるんじゃなくて、2楽章と4楽章を軸とし、ややあっさりめの、しかしメリハリのある音づくりをすると冗長にならずに済む。 要所要所でファーストが締めるのは当然ながらも、特に1、2楽章はビオラとチェロに主導させ、バイオリンらはそれに乗っかる感じがちょうどいいかも。 今までこの曲を避けていた自分を反省。実はすんごい名曲かつ難曲!
Jul 6, 2008
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「箱入りムスメ」 暑い夏が来ると、背筋が寒くなるような映画を観たくなるわけで、例えば自分の場合、「キューブ」三部作とか。 カナダの映画って、フランス語作品の名作は多いのに、英語ものはあんまりパッとしないような印象があったけど、この「キューブ」はカナダの英語映画を代表する作品と言っていいかと。 目が覚めると、そこは謎の立方体(キューブ)の中。数人の男女がワナの仕掛けられた迷宮(ダンジョン)からの脱出を試みる。そして脱出の過程で次々と仲間が死んでいく。ワナに引っ掛かってしまったり、お互い殺しあったり。 不可解で理不尽な舞台設定でありながら、数学用語の飛び交う謎解きの過程といい、極限に追い詰められた登場人物一人ひとりの心理変化の描写といい、なかなか知的に作られている。血まみれ恐怖映画というより、理系/SF系心理サスペンス、カルト風味。 基本的に「そして誰もいなくなった」系の密室劇なので、誰が生き残るのかを推測しながら鑑賞するのもひとつの見方かと。僕が予想してたのは、第1作では女子大生、第2作では盲目少女。第3作はちょっとハズして、キューブを外部から監視してる青年か。 多少「閉所恐怖症」の傾向のある自分としては、こういう映画を観るとマジで息が詰まってしまうのだけれど、完全なる立方体のフォルムの美しさには妙に感動する。(そんなとこに萌えてるのってオレだけ?) 日本でも一応はウけた映画のはず。こちら北米では、数学好きを中心に異常な盛り上がりを見せた。思いっきりR指定だし、「マトリックス」ほど大衆的ではないとこもまたヲタク心をくすぐったらしく。***** 夏はまだ始まったばかり。ほかの納涼映画の開拓も逐次進めてまいりたく。
Jul 4, 2008
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「ふたりの春物語」 ピアノで弾いてみたい曲は山ほどありますが、ここ一年ぐらい、モーツァルトの「二台ピアノ」をヤミ練しております。 文字通りピアノが二台ないと弾けない曲なので、場所と相手を探すのもタイヘン。現実的にはなかなか弾く機会のない幻の名曲。 複数のピアニストに懇願しているうちに、今年に入ってから何度か合わせていただく幸運に恵まれました。 それにしても、この曲にハマるとは我ながら意外。二台ピアノってホントに楽しい。連弾ほどには「相手と肌を密着」させる必要もないので緊張しないし、こっちが弾けてなくても相手にあんまりバレずに済む。どうせ敵も忙しいことやってるわけだし。 特に1楽章なんて、ニ長調だからでしょうか、独特の明るさ、輝きがあります。思わず最初から最後までフォルテでガン弾きしたくなるわけで。さしずめ、弦楽器奏者にとっての「アイネク」やディベルティメント136あたりの位置づけと言えましょう。 構成もカッチリしてるし、春の爽やかな感じ。万人を納得させる「ウキウキ感」。 今は1楽章と2楽章のみに取り組んでおりまして、来年までには3楽章もと目論んでます。 でも、正直言ってモー限界かも。やっぱり難曲です……。***** で、挫折しかけてた矢先、面白い版を発見しました。ペータース社から出ている編曲譜「二つのバイオリンとピアノのためのコンチェルタンテ」。フェルディナント・ダービット Ferdinand David 編。 見事な編曲だと思います。「出たり引っ込んだり」の部分が原曲よりもスッキリわかりやすい。 こんな感じの曲 こないだ友だち二人(ピーターvn とパムpf)に協力してもらって、1楽章をバイオリンで挑戦してみました。原曲に慣れ親しんでるパムさんはかなり退屈のようでしたが、バイオリンパートは実にアクロバティック。 もしかして、モーツァルトのバイオリン協奏曲よりも難しいかも。 最近、「クロイツェル」バイオリン教則本を弾くようなノリでこの曲を練習してます。 ピアノは……、えーと、挫折?
Jul 1, 2008
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