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先週、献血をした。 献血って、健康だったら誰でもできるわけぢゃなく、いろんな条件に見合う人でないといけない。で、必ず問題になるのが海外渡航歴。特に今のニッポンの制度だと、僕の身体に流れてる血はたぶん一生受け入れていただけない。例の、イギリスに90年代前半に住んだことのある人はダメ、とかいうやつ。ヤコブ病? こちらアメリカでも似たような規定はあって、でも条件がかなり緩く、イギリス居住経験者でもだいたいは献血できる。おかげでこのたびめでたく血を納めさせていただいた次第。「あなたの人種は?」みたいに軽く詰問はされたけれど。 規制が緩いのって喜ぶべきなんだろか、それとも危惧すべき? インフルエンザの予防注射なんかにもアメリカらしいお国柄を見てとれる。ってゆーか、かなりお気軽、お手軽。全ては自己責任。悪く言えば、チョーいーかげん。 注射の前に医者から根掘り葉掘り今の体調とか訊かれたりすることもない。 「注射後に何らかの異常反応があったり、予防注射を受けたのにインフルエンザに感染しても、ぜぇったいに文句は言いましぇん」みたいな誓約書に署名させられるだけ。 ときどき役場とかが手配した出張注射車が町にやってくる。無愛想な看護士のおばさんが独りで自ら運転してご登場。閑散期の遊園地のだだっ広い駐車場などが注射場と化す。人は車に乗ってやってきて、そのまま車に乗ったまま窓から腕を出して注射していただく。そんだけ。所要時間たったの30秒。 アメリカの医療水準は世界的に見てもかなり高いらしいけれども、手を抜くところは徹底的に手を抜きまくる……。うーむ。
Mar 30, 2010
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ときどき、「あ、この曲の題名なんだっけ?」と気になることがある。飲食店や小売店で流れてる音楽だったり、テレビやラヂオで一瞬流れた旋律だったり。どっかで聞いたことがある音楽なのに、曲名が出てこず、独りで勝手にイライラ。 ってゆーか、人は普段あんまり背景音楽にいちいち耳を傾けてないみたい。 みんなで一緒に呑み喰いしながら楽しく会話してるときに、背景にナニゲに流れてる音楽に関して僕が一言「あ、この曲なんだっけ?」とか申し上げると、「ちょっとちょっと、人の話聞いてんのぉ?」とお咎めを受ける。確かに気をつけないと。 歌詞つきの曲の場合は、頑張って歌詞の一節を聞き取って、それをネットで検索するというのを僕はよくやる。 そうゆう意味でありがたいなーといつも思うのはビートルズ。彼らの曲は、題名が必ず歌詞として現れてくる。Yesterday、Hey Jude、Let It Be、The Long And Winding Road、たぶん彼らの曲ぜーんぶ。題名がわかればすぐに口ずさめるし、曲を聞けばすぐに題名が認識できる。チョー便利。ビートルズに限らず、昔の曲はどれもがそうだった。 が、クラシックだとそうはいかない。 ま、楽譜屋やCD屋にて、店員さんに向かって「この曲の楽譜(CD)が欲しいんすけど。♪タラーラーラ~♪」と一節歌って聞かせたことがある人も多いはず。←オレだけ? 今どきの携帯だかパソコンだかだと、旋律を聞かせると、曲を認識して題名をはじきだしてくれる機能があるらしい。<付録> 次の曲名を答えなさい(8点)。←進研ゼミ/Z会の出題、傾向と対策
Mar 27, 2010
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今日は二年ぶりにフィラデルフィア管を聴いた。指揮は英国人アンドリュー・デイビス。 それにしても、せっかく大好きな曲を聴けるというのに、前から二列めの席、あまりに近すぎて何が何だかわからなかった。もったいない。 ま、奏者の息遣いや奏法を間近に見られるのは参考になって良かったものの。コンマスはデイビッド・キム。 モーツァルト 「皇帝ティートの慈悲」序曲 モーツァルト バイオリン協奏曲4番(シュテファン・ジャッキウ独奏) エルガー 交響曲1番 独奏のStefan Jackiwは、韓流イケメンバイオリニストとか強引に宣伝しちゃえば日本で手っ取りばやく売れると思われ。 とにかく華奢な少年で、バイオリンより重いものは持ったことがない人。←筆者の推測 演奏自体は、現代的で合理的で堅い音。コンクールとかで評価されそうな均衡感で、僕個人としては気に入ったけど、好き嫌いは分かれるかもしれない。 ちなみに、彼は右足にやたらと重心を置いたまま弾く姿勢があんまり好ましくなく感じたのと、前髪が長すぎて邪魔そうだったのが気になった。←余計なお世話 アンコールはバッハのハ長調無伴奏ソナタ(3番)からラルゴ。 休憩後はエルガー1番。いやー名演。ってゆーか、これは名曲! 好きな交響曲を三曲選びなさい、と問われたら、僕はおそらく(その日の気分にもよるけど)、運命、新世界、そしてエルガー1番を挙げると思う。←この三曲、共通点全くなし!(笑) ナマで聴けるなんてそれだけで充分満足なわけで、長い曲のはずなのにあっというまに終わってしまった。 マエストロ、デイビス氏は、指揮棒を使わずに素手で勝負なさる。同胞イングランド人としての意地なのか、あんまり情に流されることなく、理性や知性を頑なに保持したまま演奏しきった。<追記> エルガーの1番を語る場合に絶対に外せないネタといえば、この曲では弦の一番後ろのプルトにソロを担当させてる点。 実は以前に所属してたオケでこの曲を弾く機会があって、そのときも誰が一番後ろに座るかでもめにもめたっけ。トラの方に弾いていただく、ってのもナンだし(笑)。
Mar 25, 2010
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「D-Day」 今日は室内楽ワークショップを受講した。 レッスン曲は無謀にもドボルザークのピアノ五重奏2楽章「ドゥムカ」。Vn1 僕、Vn 2 ロビン、Va アレン、Vc ジェニファー、Pf デイビッド、という超クセモノ五人衆。 準備期間ひと月、事前の打ち合わせからして難航。まず選曲でかなりもめたし、ロビンと僕のどっちがファーストを弾くかでももめた。 今日の練習でも何かと意見が衝突。特にアレン(ビオラ)と僕(ファースト)とで意見が全く合わず、焦った。 ふたりの講師(ケネス先生とブライアン先生)が交替で診てくださったのだけれども、彼らも我々の意見の相違には苦笑なさってた。 ってゆーか、実際この曲は解釈が幾通りにもなるのももっとも。いろんな演奏を動画で見るかぎり、皆さん、奏法がバラバラ。裏を返せば、無限の可能性を秘めた名曲ということでもあり。 そもそも「ドゥムカ」の定義が不明。何を読んでも誰に聞いてもイマイチよくわかんない。講師のケネス先生にいたっては、「ドゥムカとはボヘミア地方によくいるやたら元気な老人の日常を民謡で表現したもの」とかいう大胆な解釈、持論を紹介してくださって、我々をますます混乱させるのであった。 さらには僕らの前に立ちはだかるシャープ軍団。もともと嬰ヘ短調という世にも稀な調で書かれてるうえ、途中シャープが六つに増殖したりもする。もう笑うっきゃない。 全てのコマのレッスンが終わり、一日の締めくくりに「成果発表会」にも出させていただいた。 本番ではアレンがまたもや暴走。どうなるかと思いながら無我夢中で弾き通した。 この曲にはファーストとビオラの旋律が絡み合う美しい二重奏の箇所が後半にある。練習では口論になってばかりのアレンと僕だったけれども、本番ではなんとか調和のとれた演奏に仕上がり、ホッと胸を撫で下ろした。 僕らの和解(?)二重奏を最も評価してくれたのはチェロのジェニファー。目に涙をためて喜んでくだすった! いやー、でも激しく疲れた。当分ドボルザークは封印させていただきたく。<追記> 成果発表会では、ほかの組の受講生たちがすんごい人たちばかりであることを知って仰天。プロを目指してる音大生とか音楽教師とかが、ベートーベンの後期作品132だのヤナーチェク「クロイツェルソナタ」だのをバシバシお弾きになる。すごすぎ。 グノーの「9管楽器のための小交響曲」!
Mar 21, 2010
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映画: まごころを君に Charly(1968年アメリカ)「二十日鼠と人間と」 過去にDVDで観た映画の感想。 ダニエル・キイスの小説「アルジャーノンに花束を」を原作とした二つの作品。以前に無理して英語の原文のまま読もうとして挫折したという、自分にとっての因縁の小説でもあり。 しかも、キイス氏って、なんとなくJ.D.サリンジャー(←ライ麦畑でつかまえての作者)とごっちゃになってて、最近亡くなったんだっけ?と混乱してるワタクシ。不謹慎。 というわけで、アメリカ文学のことは全然詳しくないし、小説の内容もイマイチ細部まで理解できてないくせして、例によって映像のチカラを拝借して知ったかぶりさせていただきたく。 知能障害を持つ男性チャーリーが、手術によって天才になる話。動物実験により既に天才化に成功したネズミのアルジャーノン君とともに、しばらくはチヤホヤされて世間の注目を集めるものの、その後急速に脳が衰えてしまう。 映画化にあたって、特に1968年版では映像的にかなり大胆な試みがなされていた。映画がカラー化して業界が盛り上がってた時代ということもあってか、画面を分割したりして不気味な映像も満載。 チャーリー役の主演役者に関しては、68年版(クリフ・ロバートソン)、2000年版(マシュー・モディーン)両氏ともに名演。 ちなみに、この映画はむしろ担当教師役のおねーさんのほうが難役かとも思う。 「アルジャーノンに花束を」っていう日本語もお見事。七五調ゆえ、昭和のかほりも漂ふ。 映画を観てて気づいたこと。ネズミの名前Algernonは、最初の音に強拍が来て、一瞬で発音されてしまう(アゥジャナン!)。ちょっと誤算。 あと、どうやら日本では「まごころを君に」という甘ったるい邦題で公開されたらしい。68年版のSFっぽい手法での映像づくりと相反してしまうものの。
Mar 20, 2010
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今日は弦楽四重奏の演奏会を聴いた。ドイツからお越しのアルテミス四重奏団ご一行さま。彼らを聴くのは二年ぶり。 なんとベートーベン大特集。前期、中期、後期から一曲ずつという強引なご選曲。 作品132の第3楽章が特に素晴らしかった。ビブラートなしでひたすら和声美を追求。ベト氏の後期作品はかくあるべしと見せつけられた感じ。パチパチィ。 優れた四重奏団とはこうゆうお四方のことをいうのであらう。つまり、音色や音量の幅が広く、自在に操れることが大前提。さらには、楽譜に書かれてないことをどんどん仕掛けつつ、それをイヤミに響かせないように知的に処理。 敢えて難を言えば、どれもがあまりに完ペキすぎる演奏で、さすがにお腹いっぱい。ガンガン頭痛がしてきた(笑)。 この四重奏団、確かファーストとセカンドが曲によって入れ替わるというかたちをとってたように記憶しているけれども、今回は全曲とも肝っ玉おねーさんのほうがファーストをご担当なさっていた。 ご起立系のカルテットでもあり。チェロ氏だけはもちろん着席で、特設ヤマ台の上に乗っかって弾く。 演奏会の感想からは外れるものの、ひとこと。 以前より感じてること。アルテミス四重奏団は、世界ぢゅうのカルテットのなかで、たぶん最も広報が上手い。営業感覚の優れたヤリ手の何者かが背後で牛耳っていらっしゃるのだろか。 公式サイトも洗練されてるうえ、販売促進用の動画や画像も、ほかのクラシック演奏家のそれらより一歩先を進んでる。録音する曲の選択もひとひねりしてあるし(リゲティとかピアソラとか)、ここぞというときに旬のプチ大物と共演する(アンスネスとかトゥルルス・モルクとか)。 CDのジャケット写真もどれもお見事。ぶっちゃけ、四人とも容貌としては決してナウくてヤングなハイカラ伊達男&べっぴんさんってゆうキャラではない(死語)。でも、蛍光灯持たせてあげたり白黒/セピアにしてあげると大変身。 新譜にいたってはさらに開き直って、各人の存在がわかんないぐらいに小さくしちゃってる。 今や「田舎大国ドイツにある大都会」ベルリンが生んだ世界的音楽家って呼んでよろしいかと。
Mar 14, 2010
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「怪物くん」 以前たまたまテレビつけたら、ピアノづくりの現場を取材したドキュメンタリーがちらっと放映されてて、きちんと全編観てみたいと思ってたのでDVDを借りた。 公式サイト(副題は The Making of Steinway L1037) ニューヨーク郊外のスタインウェイ工場にカメラが潜入、一年に渡るその製造過程が紹介される。 実によくできたドキュメンタリーだと思った。なにげない「つなぎ」の映像とかもお見事。 ピアノ製造業って一時は世界に1600社だかもあって、でも結局は激しく淘汰されてしまったらしい。ほかの楽器と異なり、決して一個人の職人気質だけでできることではない。ずばり共同作業、各部署の円滑な連携が求められる。 工場で働いてる従業員たちがみんないいキャラしてた。もちろん人種も言語もバラバラ。 入れ墨だらけの野球帽おじさんが、ピアノへの愛情を淡々と語る場面とか、コワモテの黒人さんが、マンハッタンのカーネギーホールに出向いて自分の作ったピアノが弾かれるのを見て感動する場面とか。 工場の人だけでなく、ピアノを売る人、そして弾く人にもきちんと取材されている。 ユダヤ人の少年がグランドピアノを買ってもらい、自宅に搬入される場面は泣かせどころ。届けられたばかりのピアノを早速嬉々として弾き始める孫の姿を見て、祖父母が静かに涙を流す。搬入業者のお兄ちゃんも目を細めて居残っており。 さらに、いろんなピアニストがインタビューに応える。ラン・ラン、ハリー・コニックJr、ピエールロラン・エマール、なんと狼少女エレーヌ・グリモーお姉さままでもが熱くお語りになられる。 誰だったかが「モンスター」という言葉でピアノを形容していた。自分の手のうちで思う存分鳴らしまくる快感も味わえるけれども、この黒い怪物は暴走癖もあり、作り手や弾き手が自分で管理しきれなくなることも多い。 だからこそ愛おしいものなんだとか。
Mar 13, 2010
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朝から晩まで英語環境で暮らしていると、どうしても日本語が恋しくなります。無性に望郷の念に駆られ、遠い我が母国に思いを馳せ、寝床で枕を涙で濡らすことも多々あります。←たぶんヨダレ ということもあってか、ときどきインターネットを通じて日本のラジオ番組を聞いたりもします。海外在住の日本人の強い味方。 ネットのおかげで(日本のみならず)各国のラジオ番組が聞けるのは便利。僕はクラシック音楽をラジオで聴きたいときは、欧州の局のを好んで流してます。どーせ音楽を垂れ流したいだけのときなんかは、曲目解説とかの言葉がわからなくても気にならないし、むしろ、あくまで背景音楽として聞きたいときなんかは余計なウンチクは不要だし(笑)。 ときには、ロンドンの時計塔ビッグベンの鐘を中継で聞けたり、ウィーンの音楽会の様子とかも臨場感とともに堪能できます。 この冬は雪が多くて滅入ってしまう日々が多かったので、意図的に南半球オーストラリアのラジオ番組をつけてました。「Good day(グッダイ)! 今日も暑い一日になりそうだね」なんてオーストラリア訛りでしゃべってたりするのを聞きながら、妬ましく思ったり心の支えとなったり。 そーいえば僕は昔はラジオっ子でした。FMラジオで「エアチェック」(←死語?)しまくったものでした。お気に入りの曲を「カセットテープ」(死語)に録音して、「テープが擦り切れるまで」(死語)聴きまくったものでした。
Mar 10, 2010
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日が長くなってきました。あと数日で早くも夏時間。 朝もやっと氷点上になってきたことだし、そろそろ毎朝のジョギングなぞ再開したいとこです。 ま、走るのもよいのだけれど、やっぱ日本人たるもの、朝はラジオ体操でしょ、ってゆうネタはいつだったかここに書きました。ラジオ体操って実はいろんな筋肉を動かすわけで、真面目にやるとすごく身体によろしいらしく。 そしたら、この日記を読んでくださってる方からご連絡をいただき、なんとラジオ体操の伴奏ピアノ譜を入手することができたのであります。 早速練習してみました。第1と第2それぞれ。何度か気合いを入れて練習すれば、僕でも弾けそうな感じ。 パブロフの犬みたいなもので、この曲を聴いたり弾いたりすると、身体をきちんと動かして体操したような錯覚に陥って、清々しい気持ちになれます。 これからは毎朝早起きし、清らかな気持ちでこの曲を一回通してピアノで演奏することを日課とし、健康な身体づくりを目指したいと存じます。←なんか違う
Mar 8, 2010
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「続・メンデルの法則」 メンデルスゾーンのカルテットを練習したのは実に久しぶり。ジョアン(Vn1)、自分(Vn2)、エレン(Va)、マーディ(Vc)。 ジョアンお気に入りの作品12。 今日の練習でもいろんなことを学んだけれども、メンデルスゾーンがますますわからなくなってきた。この人、たぶんとんでもない大物作曲家かと思う。裕福で要領の良いただのお坊ちゃん、とひと言で片付けてしまうのは我々庶民のひがみ(笑)。彼はもっと評価されるべき。 ポリフォニーとかモノフォニーとかホモフォニーとかの長所をうまく取り混ぜて楽曲を織り上げているとゆうか。←用語の意味わかってないくせに使うな(笑) 要するに、バロックみたいに清潔で、古典派みたいに誠実で、ロマン派らしく情熱的。ひと粒で三度おいしい。 中間の楽章にメヌエットだのスケルツォなどが来ないことも多い。この曲や翌Op13のように、可愛らしい小品を鎮座させて何喰わぬ顔をしてるとこが心憎い。 本日の大発見、メンデル氏のカルテットは、セカンドバイオリンのほうがおいしいということ。 もちろん基本的にファーストが旋律を受け持つことが多いものの、セカンドの立ち回りかたにクセがある。ファーストの補佐役でもなければ、伴奏隊の隊長というわけでもなく、独りで勝手に違うことをやってる場面も多い。ビオラと一緒かというとそうでもなく。 ファーストのジョアナに言わせると、メンデルスゾーンは、いきなり高音をバイオリンに要求する傾向があるんだそうで。階段状に昇りつめていくよりかは。予断を許さないという意味で手ごわい作曲家。 一方、ビオラは、ブラームスやドボルザークほど顕著な目立ちかたはしないけれど、むしろ「合いの手」的な動きかたが随所に現れる。
Mar 4, 2010
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「下方は寝て待て」 今日はカルテットの練習日。先月に引き続き、ジョアナと僕(Vn)、エレン(Va)、マーディ(Vc)という面子。 練習前半は僕がファースト。 個人的にハイドンのファーストを弾いた経験が少なかったし、思い切って「皇帝」をご提案申し上げたのがひと月前。でも、直前になるまで練習をサボってて、こないだ慌てて譜面を取り出してさらってみたら仰天。こんなに難しい曲だったとわ。 この曲は2楽章の変奏曲が有名。アメリカ人さんたちのあいだでは、ドイツ国歌というより、むしろ賛美歌のひとつとして知られてるらしい。よって、オルガンのように透明で深い響きを作ろうだの、ビブラートの乱用は控えようだの、いろんな意見が出されて練習も盛り上がった。基本的にピアニッシモまたはピアノだけから成る曲だし、あくまで禁欲的に。 この楽章の最もスゴいところはやっぱり第1変奏。なんとバイオリン二重奏が延々と続く。 ハイドンという人は、弦楽四重奏を「発明」したお方のはず。そんな偉業を誇るくせして、このように高音の二声だけでちまちまと弾かせるなんて、茶目っ気のおつもりか。 こんな大胆な書法は、のちの19世紀の弦楽四重奏曲にも皆無かもしれない。フーガの一部とかならともかく。 2楽章だけぢゃなくほかの楽章も楽しい。ってゆーか、2楽章が有名すぎてほかの楽章が霞んでしまうのは絶対にヤバい。全体的に見てもすんごい名曲なのに。 今回初めて知ったこと。この曲の1楽章は、ソッ、ミーファッレッドー(GEFDC)という音で始まるのだけど、これは、Gott erhalte Franz den Kaiser(神よ、皇帝フランツを守り給え)の頭文字なんだそーで。だから「皇帝」。 終楽章にいたっては、なんと短調っ! 三連符で懸命に駆け回るさまが超かっこよく、まるで「死と乙女」(1楽章)的な緊迫感。 1楽章の音型の一部が再現されてることも発見した。 長調に転んだ終盤の最後の数小節の和声も萌え。最後の最後で和音を一瞬だけ曇らせるのって、たぶんハイドンの得意ワザ。「以上、ハイドンの提供でお送りしましたっ」という署名/捺印みたいなもんかと思う。バッハでいうところのピカルディーの三度終止みたいな。
Mar 4, 2010
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