全31件 (31件中 1-31件目)
1

マイケル・エングラー「ダウントン・アビー」パルシネマ 映画.com コロナ騒ぎの渦中、2020年7月のパルシネマの二本立の一本でした。ぼくが知らないだけで、イギリスとかアメリカで放映されている、人気のテレビドラマの映画版で、その方面がお好きな方には有名過ぎる作品だったようです。見たのはマイケル・エングラー監督の「ダウントン・アビー」です。 「ダウントン・アビー」というのは、ヨークシャーという羊とか豚とかで、(犬もいましたか)でしか知らないイングランドの農業地帯にあるカントリー・ハウスの名前なのですね。 「田舎貴族」という言い方がありますが、地方領主ですね。王から爵位をもらって、その土地の領主としてそこに屋敷を構えて暮らしている人たちです。その屋敷のことをカントリー・ハウスと呼ぶようです。 だから、その地域に暮らす人たちには領主であり、領主の屋敷の人たちも偉いわけですが、国全体には王国のヒエラルキーがあるわけですから、カントリー・ハウスに暮らす領主やその一族、使用人たちは、ただの「田舎者」とその家来なわけです。 映画は田園地帯のカントリー・ハウスを俯瞰的に映し出すところから始まります。イギリス映画の特徴なのかどうか、こういうシーンで始まるパターンが多いように感じますが、ぼくは好きです。今回はとくに広壮な建物と緑の芝生の丘が続く自然の風景が印象的です。 王宮から投函された手紙が、郵便自動車で運ばれ、蒸気機関車に引かれた郵便列車で仕分けされ、オートバイに乗った郵便配達員によってダウントン・アビーに届けられます。 実は、この投函された一通の手紙の旅路をカメラが追っていく、その、何の解説もない映像が作り出していく世界に、徐々に浸っていく快感で、ぼくはすっかり満足してしまいました。 おそらく二十世紀初頭の英国です。第一次世界大戦のあとくらいでしょうか。別に、その時代をよく知っているというわけではありません。言葉もファッションもわかりません。 しかし「映画の世界」の「空気」の作り方というのでしょうか、最近の日本の映画やテレビドラマが、杜撰極まりないと感じる「あれ」です。 それに、ナショナルシアター・ライブのような「舞台」では作り出せない、映画ならではの「存在感」、いや、「吸引力」のようなものを見事に映し出しているのです。 物語は、いたってシンプルです。国王夫妻の接待をめぐって「王の家来」と、若い女性当主代理に率いられた「田舎貴族の使用人」との戦いをコメディタッチで描きながら、カントリー・ハウスの相続をめぐって、王妃の随行員である老婦人の口から明かされる若き日の不倫のドラマ、新たな相続権の持ち主である不倫の結果の娘とアイルランド出身の青年とのドライな恋を重ねていきます。 古い時代の空気を堪能させながら、新しい時代の風が「ダウントン・アビー」に吹き込んでいることを鮮やかに描いて幕を閉じる。まあ、見事なものです。 映画.com ぼくにとっては、ここの所、少しづつ顔見知り(?)になりつつある、上の写真のイメルダ・スタウントンやマギー・スミスという贔屓の老女優たちが、このうえなく渋い演技とセリフ回しで映画を引き立てているのも魅力でした。 ゆったりと浸れる、満足できる映画でした。 監督 マイケル・エングラー 製作 ギャレス・ニーム ジュリアン・フェロウズ リズ・トラブリッジ 製作総指揮 ナイジェル・マーチャント ブライアン・パーシバル 原作 ジュリアン・フェロウズ 脚本 ジュリアン・フェロウズ 撮影 ベン・スミサード 美術 ドナル・ウッズ 衣装 アナ・メアリー・スコット・ロビンズ 編集 マーク・デイ 音楽 ジョン・ラン キャスト ヒュー・ボネビル(ロバート・クローリー:グランサム伯爵) ジム・カーター(カーソン) ミシェル・ドッカリー(レディ・メアリー・タルボット) エリザベス・マクガバン(コーラ・クローリー:グランサム伯爵夫人) マギー・スミス(バイオレット・クローリー:先代グランサム伯爵未亡人) イメルダ・スタウントン(モード・バグショー) ペネロープ・ウィルトン(イザベル・マートン)2019年122分・イギリス・アメリカ合作 原題「Downton Abbey」2020・07・24 パルシネマno26ボタン押してね!
2020.07.31
コメント(0)

「100days100bookcovers no17」(17日目) 新田次郎「孤愁 SAUDADEサウダーデ」(文藝春秋) 初めての参加、遅くなりました。他の皆さんと違って本にまつわる引き出しがなく心細いのですが、それを前提にぼちぼちとご一緒させていただきたいと思います。どうぞ、お手柔らかに。 さて、私事ですが昨年の3月で定年退職、ご奉公から解放され「無職」の身になりました。旅をすることと本を読むこと、そしてもう一つの目的についてはおいおい語ることとして…。結局暇なような忙しいような1年の中で、旅の目的のみ達成できたように思います。 ちょうど昨年の今頃に、日本各地と済州島を巡る8日間のクルーズ旅行を楽しみました。2月に話題になった豪華なダイヤモンドプリンセス号と違い、リーズナブルでカジュアルな、私の「身の丈」に合ったクルーズでした。イタリア船籍だったので、在職中からEテレでイタリア語講座を見て、ガイドブックも読んで、さも本国に旅にいくようなつもりで楽しみにしていました。それが最近の私のイタリアとのご縁です。 マレルバという作家、映画「木靴の樹」、イタリアの「ネオリアリズモ」…福井あおいさんの愛するイタリアや須賀敦子の「ミラノ 霧の風景」と比べると、なんと陳腐で軽薄なことかと情けないのですが、ようやく「時間」を手に入れた私にとって、イタリアに浸る楽しい時間でした。 クルーズ船の実際は、グローバルな世界経済を実感させる一面もあり、大変興味深く勉強になりました。そのように昨年は台湾や沖縄、南京や桂林、そして日本のあちこちに旅をし、風景や人との出会い、歴史や文化を五感で感じ、それに関する本を読んだり小文にまとめたりしていくということを繰り返した1年でした。 今回選んだ本は、私が3月に旅したポルトガルの関連本です。1年の旅の最後にその国を選んだのは、港町ポルトにある世界で最も美しい書店「リヴラリア・レロ」に行きたいと思ったから。 そして、「大航海時代の栄華とその後の衰退を経験し、同時にイスラムやキリスト教などの文化の多様性を今に伝え、心豊かに暮らすポルトガル」から学びたいと思ったことも理由のひとつです。 「(経済)成長」第一と邁進する日本が疎ましくて…。新型コロナウイルス感染拡大のさなかの9日に出発し17日にサバイバル帰国を果たしましたが、その後の世界的な国境閉鎖を考えると、迷いながらも敢行できてよかったです。 ポルトガルに関わる本を旅に前後してずいぶん読みましたが、ふとしたことで読もうと思って図書館で予約した新田次郎の「孤愁 SAUDADEサウダーデ」が手元に届いた日に渡されたSIMAKUMAさんのバトン。福井さんの翻訳した童話を、そして悲しい事実を受け止めるのに少しの時間と気持ちの整理が必要でした。 イタリアからポルトガルに、そして「孤愁 」につながるように勝手に感じたのです。新田次郎を今まで読んでいたわけでもありませんし、実はこの本は執筆中に急逝した父の小説の後半を息子である藤原正彦が書き継いで完成させたものですが、今回は父の執筆部分のみについてコメントしたいと思います。 「孤愁(サウダーデ)」とは、「失われたものに対する郷愁、哀しみや懐かしさなどの入り混じった感情」であり、ポルトガルに生まれた民俗歌謡のファド (Fado) に歌われる感情表現といわれます。ポルトガルギターの哀切な響きも前から大好きだったので、ファドをポルトとコインブラで聴きました。リスボンのアルファマでも聴くつもりでしたがコロナ騒動でそれはかないませんでした。ポルトガル語で挨拶程度はできるようになりましたが、ファドの歌詞は到底理解できず、サウダーデも私なりの感覚でしか理解できていないのですが…。 作品の内容は、ポルトガルのリスボンで生まれ、マカオ、神戸で軍人、外交官として生きたモラエス(1854~1929)の生涯を描いたものです。モラエスはマカオで暮らした女性と添い遂げることができず、日本人女性よねと結婚し、最後はよねのふるさと徳島で生涯を終えるのですが、異国に根を張りついに帰ることが叶わなかった故郷ポルトガルへの想いを抱き続けるのです。 数学や語学を得意とし、生物学や文学を愛し、ぶれることなく政情不安な激動の時代を生きていく姿は、気象庁で勤務しながら山岳小説や歴史小説を執筆した新田次郎自身と重なるように感じました。 美しい自然、文学や感性を取り上げるだけでなく、日清戦争や日露戦争に突き進んでいく日本を客観的・批判的に捉えるモラエスを描く新田の執筆部分と異なり、息子が執筆した部分から感じる愛国主義的な匂いに耐えられず、最後まで読み終えることができるか自信はないのですが…。 作品の多くの舞台が神戸です。モラエスが朝いつも散歩にでかける布引の滝、諏訪山公園、ポルトガル領事館のある居留地や後に移転する今の北野界隈、岡本の梅林や須磨の海岸、六甲も…。思いがけず懐かしい場所を巡ることができたのは、福井さんが導いてくれたようにも思いました。 支離滅裂な初回でしたがお許しを。次はSODEOKAさんになるのでしょうか。よろしくお願いいたします。(N・YAMAMOTO2020・06・08) 追記2024・01・20 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) というかたちまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.07.30
コメント(0)

キリル・セレブレニコフ「LETO レト」シネリーブル神戸 チラシがポップで、レッド・ツェッペリンや T・レックスという懐かしい名前が並んではいるものの、1980年代のソビエト、ロック・シーンなんて、何にも知らない世界の映画なのですが、久しぶりにミーハー老人ぶりを発揮してやって来ましたシネ・リーブルという感じで映画は始まったのでした。 フィルムはほぼ白黒ですが、ときどきカラー画像が挿入されたり、フェルトペンでいたずら書きが書き込まれるニュアンスで、ポップ、あるいは「前衛的」なのですが、その前衛そのもが時代錯誤的というか、少々古い前衛だと思いました。 ブレジネフが書記長だったソビエト連邦のレニングラードが舞台ということは、ちょうど少年時代から学生時代に重なるのですが、映像で展開される「物語」そのものが「古い」と感じてしまうのは、単に「古い」時代を映像化しているからではないと思いました。 音楽も古いですが、映画の趣向そのもが「古い」と感じるのは、ソビエトロシアのロック・ミュージック・シーンという、予備知識ゼロ、音楽も、もちろん、ミュージシャンも知らない対象だからという理由とは別のことじゃないかと感じましたが、なにせ、お尻が痛い二時間を久しぶりに実感させられた映画でした。 ソビエトに実在した伝説のバンド「キノ」をめぐる映画だとか、監督は無実の容疑で拘束されロシア政府の監視下にあるひとだとか、カンヌ映画祭でサウンドトラック賞最優秀作曲家賞を受けたというふうに、興味は尽きない作品だったのですが、見事にフラれてしまいました。 ひょっとしたら「20センチュリーボーイ」が聞こえてくるのではないかと最後まで期待していましたが、空振りでした。チラシをいると聞こえてきそうなものなのですが、寝てたのでしょうか。仕方がないの家で聞きながらこれを書いています。 ああ、そうだ「Leto」っていう題の意味も、イマイチよくわからんままで、申しわけないことです。(誰にやねん?) 監督 キリル・セレブレニコフ脚本 ミハイル・イドフ イリー・イドバ キリル・セレブレニコフ撮影 ウラジスラフ・オペリアンツ美術 アンドレイ・ポンクラトフ編集 ユーリ・カリフキャストユ・テオ(ヴィクトル・ツォイ)イリーナ・ストラシェンバウム(ナターシャ=ナタリヤ・ナウメンコ)ローマン・ビールィク(マイク・ナウメン)2018年製・129分 ロシア・フランス合作原題「Leto」2020・07・27シネリーブル神戸no59ボタン押してね!
2020.07.29
コメント(0)

エミリオ・エステベス「パブリック 図書館の奇跡」シネリーブル神戸 昨年見た「ニューヨーク公共図書館」というドキュメンタリーを想起させる題名だったこともあって、やって来たシネリーブルでした。なにせ「パブリック 図書館の奇跡」っていうわけですから。 ニューヨークではなくてシンシナティの公共図書館でした。寒波襲来の夜を迎える閉館時間に、図書館員スチュアート(エミリオ・エステベス)が常連の利用者であるホームレス、ジャクソン(マイケル・ケネス・ウィリアムズ)から思いがけないことを告げられます。「今夜は帰らない。ここを占拠する。」 そこまでにも、微妙な仕込みはあるのですが、まあ、この発言がすべての始まりでした。 100人近いホームレスたちが図書館2階の閲覧フロアを占拠し大騒ぎになります。スチュアートはジャクソンたちを追い出すわけにもいかず、オロオロするところから始まるのですが、やがてホームレスと行動を共にします。 図書館というわけですから、本を介した「公共」という施設であって、そこで暮らすとかいうのはいかがなものか、というのが図書館の「公共性」の原則です。しかし、そうであったとしても、今日、この寒さの中で、図書館にいる家のない市民を、閉館時間だからといって外に追い出せは、彼らの命が失われる可能性がある。 さて、ぼくはこの可能性から目を背けていいのだろうか。目を背けることは「公共」という理念の根幹を揺るがすのではないだろうか? 恐らくそういう問いをこの図書館員が自分に発したに違いないであろうということは、事態の収拾にやって来たデイヴィス検事(クリスチャン・スレイター)に対して、交渉を応じる条件として求めた最初の要求から理解できます。「今、建物の外の路上で5分間横になってください。」 騒ぎの渦中にあって意味不明に聞こえる、この要求にすべてが込められていました。ぼくなりに要約すれば、こうなります。 たとえホームレスであっても、命の危機に直面している市民に対して、同じ市民であるあなたは何をするのか?まして、あなたは市民の代表者になろうとしているのではないか。 さすがは、アメリカ映画ですね。誰か馬鹿な人が口にしていた「嫌な」言葉ですが、「民度」が違うと思いました。気分は、ちょっと拍手!という感じでした。 当然、ここから期待を込めて最後まで見終えました。しかし、ぼくにとってのこの映画のピークはここだったようですね。 見終わってみると、なんだかモヤモヤした疑問が残ってしまいました。「ネタバレ」になりますが書き上げてみます。 どうしてスチュアートの来歴は元ホームレスで、行動を共にしたアンダーソン館長は黒人でなければならないのでしょう。 どうして、最後に、非暴力・無抵抗の意思表示を「裸体」をさらすことで貫いたホームレスの中に、一人も女性がいなかったのでしょう。 まあ、そんなことをアレコレ、クヨクヨ考えていると数日後、この映画を見てきたチッチキ夫人ががこんなことをいうのです。「あのさア、出てくる三人の女性って、男の人が作り上げた女だと思うのよ。ダメなバカ・キャスターも、恋人も、お母さんを気遣う司書さんも。あとの二人はいい人だけど、いかにもちょっとリベラルな男の人が喜びそうじゃない。」「まあ、そういえばそうかな。あなたも、どっちかというと、あのタイプじゃないの?」「そういうことじゃないでしょ。映画に、そういう人しか出てこないっていうことでしょ。」「うん?・・・」「それに、誰もいなくなったフロアに、どうしてピザの箱しかないのよ。」「事件の総括というか、公共ということの見直しじゃないの。」「それなら、汚れた服やはいていたはずのボロ靴とかはどこに行ったのよ。監督は『公共』というお題目に隠れて、ホームレスの姿をちゃんと見てないんじゃないの?それに、戦争帰りとかアル中とか親子喧嘩とか、みんな理由なのはわかるけど、貧困で棲み処を失うのに男も女もないでしょう。初めの方で出てた、早く中に入りたがってたお婆さん以外に女の人いた?」「戦場PTSDやいろんな依存症による生活崩壊からのホームレス化が、ベトナム以後、ずっと社会問題化しているらしいからな。映画を作る時に監督の頭に、まあ、そういう常識が『型』として浮かんだんじゃないの。」「だいたい、あの映画、ちっとも寒くないじゃない。」「うん、そこは、そう感じた。なんでかなあ?」「切羽詰まっている人をちゃんと見ないからよ。去年のワイズマンだったら残された汚い衣類と寒さを撮ると思うのよ。」「うーん、あれか、例えば困っている人に出会って、ポケットに100円あって、50円は出すけど、100円みんなは出す勇気がないという感じか。」「はああ?」「だから、50円しか出さない人は自分の都合を考えて出すんだけど、100円全部出す人は、相手の都合で考えるというか。」「そうそう、そういうことかも。だから、多分、この後仕事失っちゃう館長さんは黒人で、スチュアートは元ホームレスなのよ。」「じゃあ、ある意味、アメリカ社会をよく描けてるともいえるわけやん。」「なんでよお。あかんやろ。そんなん納得いかへんわ。」 なにがなんだかわからない議論でしたが、二人ともこの作品がリベラルな問題意識の表現であることに文句はないのです。その上、スチュアートが検事にいった言葉をめぐって、検事の側の無理解の戯画化もそこそこうまくいっていたと思います。しかし、スチュアートとホームレス諸君に対しての「映画」の視線というのでしょうか、理解でしょうか、それが「底」に届いていないという印象はぬぐえなかったのですね。どうも、この映画では図書館で奇跡は起こらなかったようですね。ちょっと不完全燃焼でした。 監督 エミリオ・エステベス 製作 リサ・ニーデンタール エミリオ・エステベス アレックス・ルボビッチ スティーブ・ポンス 脚本 エミリオ・エステベス 撮影 フアン・ミゲル・アスピロス 美術 デビッド・J・ボンバ 衣装 クリストファー・ローレンス 編集 リチャード・チュウ 音楽 タイラー・ベイツ ジョアン・ハイギンボトム キャスト エミリオ・エステベス(図書館司書:スチュアート・グッドソン) アレック・ボールドウィン(担当刑事:ビル・ラムステッド ) ジェナ・マローン(図書館司書:マイラ) テイラー・シリング(隣人:アンジェラ) クリスチャン・スレイター(検事:ジョシュ・デイヴィス) ガブリエル・ユニオン(テレビキャスター:レベッカ・パークス) ジェフリー・ライト(館長:アンダーソン) マイケル・ケネス・ウィリアムズ(ホームレス:ジャクソン) チェ・“ライムフェスト”・スミス(ホームレス:ビッグ・ジョージ) ジェイコブ・バルガス(図書館職員:エルネスト・ラミレス) 2018年・119分・アメリカ 原題「The Public」 2020・07・20シネ・リーブル神戸no58ボタン押してね!
2020.07.28
コメント(0)

ステファノフ & コテフスカ「ハニーランド 永遠の谷」十三シアター・セブン 毎日の雨模様と開幕以来やたら負け続ける、どこかの球団のせいで、すっかり出不精になっていましたが、この映画「ハニーランド」が神戸には来ないと知って、大慌てで十三のシアター・セブンまで出かけてきました。 早く着き過ぎたので、30分ほど淀川の河川敷を歩きました。薄曇りでしたが、汗だくになりました。劇場のトイレでシャツを着替えて着席です。着替えたのは正解で、汗だくのままだと風邪をひいていたと思います。 30人ほど入れる小さなホールに客は数人でした。北マケドニアという国があるそうです。マケドニアといえばアレクサンダー大王という名前でしか知りませんが、紀元前の話ですね。 断崖の絶壁から眩暈がするような谷を覗き込むようにして、ロングスカートの女性が岩の中に入っていきます。 岩の狭間に手を差し入れ、岩盤を外すようにするとミツバチの巣が出てきました。なにやら群れ飛ぶ蜂に語りかけているようです。半分はわたしに、半分はあなたに。 チラシにもある決め文句を口にしたようですが、自然との共棲に関心のある人ならだれでも知っている言葉でした。 この映画は、監督が撮ろうとした「物語」に対して、信じられないほどのベストマッチな俳優を、偶然でしょうか、キャストとして得て、生活そのままに演技をさせた結果、目指していた以上の「物語」が出来上がったというべき映画だったと思いました。 要するにドキュメンタリーとしては話が出来すぎていて、制作過程において、所謂「やらせ」の要素が「0」であるなら、奇跡としか言いようがない展開なのです。上に書いたセリフも、かなりきわどい境界線上の、むしろ、映画のために用意された「セリフ」というべき言葉ではないかと感じました。 事実はわかりませんが、もう少し、穿ったことを言うと、主人公の女性が住む「廃村」、彼女と年老いた母以外には人の気配のなかった高原の谷底にある「村」に牛の群れを追いながら、トラックでキャンピング・トレイラーを引いて大家族のトルコ人一家がやって来ます。 彼らも、この映画を「物語」として見るには、欠かせない不幸をもたらす「客人・マレビト」の役柄を演じきり、3年ほどの滞在で去って行きます。 「過度の人口増加と貧困」、「最後の辺境を探し求める資本の論理」、「文明による自然破壊」、「同種交配の繰り返しによる疫病の蔓延」、そして「隣人との繋がりの喪失」。 一家が演じて見せるのは、マケドニアの僻地にまで、突如、闖入してくる「現代社会」の「欲望の化身」そのものでした。 もう一つ、勝手なうがちを付け加えるとすれば、招かれざる隣人が嵐のように去ったある日、沈黙が支配する闇の中でラジオのヴォリュームを調節しながら「聞こえる?」と声をかける、母との永遠の別れのシーンの迫力は、ドキュメンタリーであるからこそなのですが、果たしてこんなシーンが実際にドキュメントできるものなのかどうか、疑い始めれば際限のないことになりそうです。 ドキュメンタリーとしてのこの映画を貶めるようなことばかり書きました。しかし、この作品は制作過程の経緯やジャンルの分類に対する疑いを超える映画であったことは事実なのです。 マケドニアという、ヨーロッパの辺境の自然の中で、おそらく親の言いつけにしたがい、60年を越える生涯、自然養蜂を生業とし、独身で過ごした女性が、老いて片目を失っている老母を介護し、その死を看取った夜、悪霊退散の松明をふりかざし、他には誰も住んでいない廃村の辻々を一人で練り歩く姿には、世界宗教以前の「孤独な人間」の自然に対する「信仰」と「畏れ」が息づいていました。 隣人も去り、家族も失った彼女の姿が、高原の夕日の中で愛犬と連れ添うシルエットとして映し出されるシーンには、文明の片隅で生きているぼくの中にも、ひょっとしたら流れているかもしれない「神話的な時間」を想起させる力がたしかにあると感じました。半分はわたしに、半分はあなたに。 やがて来る、彼女の自然な死と共に、この世界から永遠に失われる「あなた」を描いたこの作品は、やはり「すぐれた作品」というべきではないでしょうか。監督 リューボ・ステファノフ & タマラ・コテフスカ製作 アタナス・ゲオルギエフ撮影 フェルミ・ダウト サミル・リュマ編集 アタナス・ゲオルギエフ音楽 Foltin2019年・86分・北マケドニア原題「Honeyland」2020・07・21 シアターセブンno5ボタン押してね!
2020.07.27
コメント(0)

幸村誠「プラネテス全4巻―1」(講談社) 7月の「マンガ便」に入っていました。2004年の新刊マンガなので古イッチャア古いマンガです。「4巻完結やから、一気に読めて、わけがわからんようにならへんで。」「キングダムやゴールデン・カムイに困ってんのはあんたやろ。で、宇宙もんなん?」「ああ、宇宙兄弟とはちょっとちやうけど、オモロイで。一応SF。」「ええー、絵とか、コマコマして、科学的で、めんどくさいんとちゃうの?」「いや、そんなことないで。どっちかというと『愛と平和』やな。ジョンレノ・レノンや。」 というわけで、手を付けてみると、一晩で一気読みでした。( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、アホですね。 このマンガの存在を知らなかったのは、ぼくだけで、世間の皆さんはご存じなのでしょうから、無駄かもしれませんが、ちょっと紹介しますね。 大きな筋としては同じ宇宙デブリ回収船、宇宙のごみ拾いというか、人工衛星の廃品回収業というか、そういう仕事をしている宇宙船に乗り込んでいる、三人のクルーの物語ですね。 デブリ衝突事故、デブリというのは「ごみ」のことですが、それで恋人を亡くしたロシア系のユーリ君。 地球に家族を置いて単身赴任している、瞬間湯沸かしキャラのアフリカ系の女性航宙士フィー。 そして、ハチこと、星野八郎太君の三人ですね。 第1巻から第4巻まで主人公は一応「ハチ」君で、自家用宇宙船を持ちたいという夢をかなえるための「努力と出会いの日々」がお話の流れを作っています。で、彼が出会う人や事件がプロットというわけです。彼は「単細胞系」の人間なので、このマンガの「ギャグ部門」を一手に引き受けているという役柄でもあります。 第1巻は表紙の色合いと絵がとても気に入りました。水中深く潜っているようにみえますが、宇宙空間ですね。背景に地球があるのでこうなるようです。 この巻の主題というか、テーマというかは恋人を失った「ユーリーの孤独」編というニュアンスなのですが、作者の描きたい「宇宙」の定義のような場面がクライマックスでした。 恋人を失った、失意のユーリー君が放浪の旅をしている途上、アメリカ大陸の荒野でネイティヴの老人と出合い、火を囲んだこんな場面があります。「ただ、ぼくは…道しるべが欲しいんです。」「あなたの今いるここがどこかご存知ですかな?」「え?」「ネイティブ・アメリカン自治区、アメリカ合衆国、北米大陸、地球…?」「ふむ、そうでもあるがね」「ここも宇宙だよ」 ついでに引用すると、作者の幸村誠がカヴァーの裏にこんなことを書いています 中国で紀元前2世紀ごろに書かれた淮南子という書物に次の句があります。 往古来今これを宙といい 四方上下これを宇という これが宇宙の語源だそうです。過去も未来も、どこもかしこもひっくるめて「宇宙」。地球も宇宙。人間はみんな筋金入りの宇宙人です。 ね、まあ、宇宙ロケットとか、宇宙空間の描き方も面白いのですが、このマンガは単なる「宇宙冒険SFマンガ」ではなさそうです。ぼくたち読者の現実生活に「宇宙」という「空間」と「時間」の超越を持ち込んでみるとどうなるのか。そういうことを試みているようです。 そういう試みの人が、かつていましたね。そうですね、宮沢賢治です。 このマンガは「銀河鉄道の夜」にインスパイア―された作品で、その世界を引き継ごうとする野心を隠し持っているんじゃないかというのが、第1巻の感想ですね。もちろん当てずっぽうですが。 中々、イイと思うのですが、どうでしょう。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.07.26
コメント(0)

ゼーンケ・ボルトマン「お名前はアドルフ?」シネ・リーブル神戸 朝一番の映画を一本観て、お昼前に町に出てみると行くところが思いつきません。元町商店街を東に歩いて、どこかで食事でもと思うのですが、大丸を通り過ぎて、とりあえず朝日会館にやって来ました。プログラムを見ると、ちょうど30分ほど時間をつぶせばいい映画がありました。「お名前はアドルフ?」です。題名から見てヒトラーを茶化して笑っている映画のようです。「ああ、これでもみるか。」 というわけで、そこからサンチカに回ってパン屋さんを探しました。お目当ては最近ハマっているフィッシュバーガー風サンドイッチなのですが、入ったお店にはありません。仕方がないので、メロンパンを一つ買い込んで朝日会館=シネリーブルに戻りました。 哲学者で大学教授のモジャモジャヒゲの夫シュテファン、小学校で教えている妻ベッチャー、ベッチャーの弟で、投資家のトーマス。口髭の男前です。そして幼馴染の音楽家レネという、気の置けない幼なじみの四人が、シュテファンとベッチャーの家に集まってディナーというのが映画の始まりです。 出産間近の恋人アンナも参加する予定らしいのですが、まだ到着していないのをいいことに、トーマスが調子に乗って、そのお腹にいる子供の名前を「アドルフ」にすると発表したことで「事件」が勃発します。 さすがにドイツ映画ですね、「ナチス」の評価をめぐる議論は徹底しています。「アドルフ」を口にしたトーマスに対するシュテファンの攻撃は執拗を極めます。 ディナーの前に、もはや絶交宣言かという様相です。「どうなることやら、興味津々。」 そんな気分で楽しんでいましたが、おなかの大きなアンナが登場するに及んで、話題はどんどん広がります。「言葉尻」を捉えることで、一人一人がターゲット化されて、全員が「人格否定」されていく展開で、見ているぼくは、一体どういう決着にたどり着くのか、字幕から目が離せません。 典型的な会話劇で「ことば」というか、揚げ足取りから本質論まで論理の応酬が迫力満点で、とても演劇的です。舞台の実況中継を見ているようです。 見終わってチラシを読むと、ここのところドイツあたりで、大当たりをとっている舞台の映画化だということですから、ナショナルシアター・ライヴを見ている感じだったのも当然でした。 結果的にということですが、登場人物の人格設定もよく練られていました。映画ですから、クローズ・アップで映し出される表情の変化がとてもよくわかって、演劇の面白さが「映画化」される感じでした。「最後には笑えるオチが待っているはずやな。で、どんなオチやねん?」 途中からそういう期待で結末を待ち始めました。「なるほど、そう来ますか!」 きっと、笑えるという予想は当たりましたが、なかなかシャレた、関節はずし的な「オチ」で締めくくられていて、よくできたウェルメイド・ドラマだと感心しました。 演劇の舞台では珍しくありません。映画でも見ていそうなものですが、案外、見たことのないタイプのだったで得をした気分でした。こういう発見も楽しいものですね。 監督 ゼーンケ・ボルトマン 製作 トム・シュピース マルク・コンラート 製作総指揮 マーティン・モスコウィック 原作 アレクサンドル・ド・ラ・パトリエール マチュー・デラポルト 脚本 クラオディオス・プレーギング 撮影 ヨー・ハイム 美術 ユッタ・フライヤー 編集 マルティン・ボルフ 音楽 ヘルムート・ツァーレット キャスト クリストフ・マリア・ヘルプスト(シュテファン・ベルガー・ベッチャーの夫) カロリーネ・ペータース(エリザベト・ベルガー=ベッチャー) ロリアン・ダービト・フィッツ(トーマス・ベッチャー・ベッチャーの弟) ユストゥス・フォン・ドーナニー(レネ・ケーニヒ・幼なじみ) ヤニナ・ウーゼ(アンナ・トーマスの妻 妊娠中) イリス・ベルベン(ドロテア・ベッチャーとトーマスの母) 2018年・91分・ドイツ 原題「Der Vorname」 2020・07・17シネリーブル神戸no57ボタン押してね!
2020.07.25
コメント(0)

ダルデンヌ兄弟「その手に触れるまで」シネ・リーブル神戸 映画館を徘徊し始めて2年が過ぎました。相変わらず知らない映画監督の作品と出合い続けています。今回はダルデンヌ兄弟の作品「その手にふれるまで」でした。ベルギーの監督らしいのですが、彼らのフィルモグラフィーには興味をひかれていましたが、実際に作品を見るのは初めてでした。 中学生ぐらいの少年が、どうやら「コーラン」の虜になりつつあるようです。「コーラン」には家族以外の女性と触れることを禁じる戒律があるらしいのですが、学校のイネス先生が差しだす挨拶の握手の手を拒絶するあたりから、少年の現在が語られ始めたようです。 見ているぼくは、ただ、ただ、ハラハラし続け、意外にあっけない結末にも、さほどの驚きも感じないで、ただホッとしただけで見終わりました。 宗教的な原理主義に関して、イスラム教であろうがキリスト教であろうが、あるいは仏教や神道であろうが、信じるには信じるだけの理由が信仰対象にも、信じる主体にもあるに違いないし、そういうことが起こることはさほど珍しいことだとも思いません。 詩人で思想家の吉本隆明が「皇国少年」だったとか、彼が愛した宮沢賢治が「八紘一宇」を唱えた田中智学の国柱会の信者だったとか、他にも実在の人物が沢山いそうです。 この映画で、主人公アメッド君の「盲信」の契機は明らかではありませんが、そこから「テロル」へと突き進んでいく過程を見ながら、ハラハラはするものの、そうなるべくしてなるのかなあ・・・ という詠嘆的な気分でした。少年院に入ろうが、年頃の女の子にキスされようが、部屋に帰ると歯ブラシの柄をとがらせて、チャンスをうかがい続けるのだろうなと思っているとそのとおりでした。 善悪や社会規範、家族関係の齟齬とかの問題ではなく、ある種の少年にとって「少年期」特有の「事件」として遭遇する問題だという感じが、ぼくの中にすでにありました。 「ある種の」とつけたのは、当たり前のことですが、誰もがそういう「事件」に遭遇するわけではないからです。 それが「少年」というものなのだという気分があって、それに合わせて映画を見ている感じです。 こんなふうに書くと、面白くなかったと取られるかもしれないのですが、実は、面白かったのです。まったく偶然なのですが、ぼくはこのタイプの少年と少女に出会ったことがあります。40年前に仕事に就いたばかりの最初の卒業式の日ことでした。式も終わって準備室だったか、他に誰もいない部屋に、その少女はやって来ました。「お世話になりました。先生がお書きになる小説を読みたいと思っています。」 「えっ?ぼく小説なんて書かないよ。」「そうなんですか?どうか、お書きください。」「いや、そんな才能ないし。で、あなた卒業後はどうするの?」「布教です。」「布教って、大学とかは?」「行きません。O先生にはご心配をおかけしていますが、やはり、布教一筋で…」 握手して別れましたが、その後、音信もなく、一度も出会うことなく、40年経ちました。 もう一人は退職する年に出会った少年です。この映画の主人公に顔と体つきがとても似ていて思い出したのです。「あのさ、答案、最後まで書いてくれる。」「ああ、はい。」「はい、じゃないでしょ。配点50点のところでやめているでしょ。」「はあ。」「はあ、じゃないでしょ。他の教科もそうなの?」「はい。」「なに、きっぱり言ってんのよ。高校にきて三年間ずっとなの?中学でも?入試は?」「アッ、入試は書きました。最後まで。」「なんだ、じゃあ、一度書いて見なさいよ。どんなもんか、興味あるし。授業中ボクと雑談ばっかりしてるから、迷惑だと思われてるかもしれないし。まあ、悪いのはボクかもしれないけど。」 この少年が入信していたのは宗教ではなくて、「量子力学」とかでした。興味を持ったぼくに解説しようとするのですが、ぼくの頭がついていかなくて、国語の時間にホワイト・ボードまで使った量子力学の解説会が始まって、他の生徒さんは唖然としているという、そういう少年でした。 大人のふりをしていえば、こういう「盲信」には社会制度や教育は無力ですし、カウンセリングも通用しないと思います。もちろん親には理解できません。自分で壁にぶつかるか、頭を打つかするほかないのではないでしょうか。 映画で壁から落ちたアメッド君を見て、思わず笑ってしまった。「この監督はよくわかっていらっしゃる。」 アメッド君が今後どうなるか、誰にも分らないと思います。吉本隆明は「敗戦」でしたたか頭を打ったようですが、宮沢賢治は信じたまま「銀河鉄道の夜」や「永訣の朝」を残して去りました。ジョバンニの孤独や、「天上のアイスクリーム」という美しいイメージに「盲信」が影を落としていないとはなかなか言えないのではないでしょうか。 そういう意味で、この監督が「少年」の危なっかしさとイスラム原理主義のファナティズムとの「親和」性を描いている点は、鋭いと思いました。 しかし、ヨーロッパ的「寛容」と「不寛容」な異文化の対立の場所でこの少年の危険性を描いている点で、アメッド君がかわいそうだなと思いもしました。実際、危険な存在なんですけどね。そのあたりはよくわかりませんね。監督 ジャン=ピエール・ダルデンヌ リュック・ダルデンヌ製作 ジャン=ピエール・ダルデンヌ リュック・ダルデンヌ ドゥニ・フロイド製作総指揮 デルフィーヌ・トムソン脚本 ジャン=ピエール・ダルデンヌ リュック・ダルデンヌ撮影 ブノワ・デルボー美術 イゴール・ガブリエル衣装 マイラ・ラメダン・レビ編集 マリー=エレーヌ・ドゾエンディング曲演奏 アルフレッド・ブレンデルキャスト イディル・ベン・アディ(主人公アメッド) オリビエ・ボノー(少年院教育官) ミリエム・アケディウ(イネス先生) ビクトリア・ブルック(教育農場の娘ルイーズ) クレール・ボドソン(アメッドの母) オスマン・ムーメン(導師)2019年・84分・ベルギー・フランス合作原題「Le jeune Ahmed」 英題「YOUNG AHMED」2020・07・21シネリーブル神戸no56 ボタン押してね!
2020.07.24
コメント(0)

キム・ヘジン 「中央駅」(彩流社)「打ち捨てられた人間」といういいかたがあります。「アウシュビッツの囚人写真家」という小説を読みながら、その本に掲載された写真や、主人公の淡い恋の物語の中でに、人間であることを回復しようとする登場人物たちの絶望的な姿を見つけ出し、「気分」だけは、考え込んでいる「気分」に浸っているぼくに強烈な「ノー」を突き付けてくる小説を立て続けに二冊出会いました。 一冊がチョ・ナムジュ「82年生まれ、キム・ジョン」(筑摩書房)、もう一冊が本書、キム・ヘジン 「中央駅」(彩流社)でした。 二冊とも韓国の若い女性作家によって書かれているのですが、前者については既に感想を書いたので、きょうは「中央駅」を案内したいと思います。 二つの小説に共通していることがもう一つあります。「82年生まれ」は「名前のない男」が書いた日記でしたが、この作品は「名前のない男」について書かれた物語でした。「82年生まれ」では、語り手は作家から「名前」を剥奪されていた趣でしたが、この作品では「人間」としてふるまうために最後に残った財産である「身分証明書」=「名前」を売り払うことで「人間」であることをやめてしまう話です。 一人の青年が「中央駅」の駅前広場を歩いています。ここが彼の棲家になって、まだそれほどの時間がたっているわけではなさそうです。 作家の「あとがき」によればソウル駅ということらしいですが、韓国もソウルも知らないぼくにとって、中央駅は中央駅にすぎません。駅前広場はホームレスの生活の場ですが、そんなこととはかかわりなく、この駅でも再開発が進んでいます。 男はキャリー・バッグ一つに詰め込んだ財産を引きずりながら一日中この広場をグルグル歩き続けます。日が暮れてたどり着いた場所が今夜の彼の家です。そこで、一番かさの高い家財道具、段ボールの寝具を広げます。 この男の視線によって世界を捉え、世界に対するこの男の意識が一人称「俺」によって語られています。 文章は率直で怒りと自己嫌悪を漂わせていますが、下品ではありません。「現在形の直線的な文章で断崖絶壁に追い詰めては平地に連れ戻すような文体」 訳者の生田美保は「あとがき」で、こんなふうに評していますが、ぼくは、中上健次の「十九歳の地図」を思い浮かべながら、「青春小説」という印象で読み進めました。 男は、ある日、一人の女と出合います。女が男に対して最初にしたことは身体を差しだすことでした。二つめにしたことは寝入った男の全財産であるキャリー・バッグを盗み出し、それを酒に変えることでした。 一夜の逢瀬で姿を消した女を男は探し回ります。再会した二人がしたことは、互いの体を相手に差しだすことでした。 その行為のなかで、女にとっては寒さをしのぐための、男にとっては刹那的な欲望の処理のための、それぞれの肉体が道具として「交換」されていくようにみえます。 社会で生きている人間であることの残滓を捨てきれない男は、行為の果てに、女の来歴と名前を知りたがります。もちろん、彼には、まだ、自らの「身分証明書」を捨てることができません。 「私だってアンタのことは知らない。どうしてここにいるのか、何か犯罪を犯したのか、詐欺にあったのか、何ひとつ知らない。それでも、私はあんたのことが好き。それでいいじゃないの」(P110)「そうよ。私はあんたが期待しているような、そんな人間じゃないわ。いったい、こんなところで私にどう生きてほしいの。」(P111) 家族を捨て、住み慣れた町を捨て、この広場で暮らし続けた女は生活の糧であった体を病気によって失いつつあります。とうとう、女は死に瀕した体の治療に必要な「身分証明書」を手に入れるために、かつて暮らした町を訪ねます。 付き添った男は「町」が女を捨ててしまっていたことを確認しただけでした。「ずいぶん変わっている。あの頃はこんなんじゃなかったのに」 女はどちらに進むことも出来ずにその場に立ち尽くす。すぐに方向感覚を取り戻すだろうと思っていたが、何歩か歩いては立ち止まってを繰り返している。俺は、横断歩道の信号が変わって人々が急いで渡って行く様子を見ながら、ボンヤリと突っ立っている。(P226) 「肉体」を、いや、「生命」を失いつつある女を救うために、男は、最後まで執着していた「名前」を売り「カネ」を工面します。しかし、手に入れた「カネ」もその夜のうちに盗まれ、結果的に「肉体」以外のすべてを失い、女の傍らに座り込みます。 目の前には腹水でスイカのように膨れ上がった体を抱えて眠るように横たわっている女がいるだけです。 広場の花壇の植え込みの陰で女の体をさすり続ける男がいます。いつの間にかというべきでしょうか、つながりを最後まで担保するはずの「言葉」も「肉体」も失いながら、ホームレスの男と女が「人間」の姿を取り始めます。 さすり続ける乳房の手触りと、乳房に当てられている手の感触のほかには何も残されていません。 とうとう、何もかもを亡くしてしまった所に小説はたどり着いたという納得が、読者のぼくの中で広がってゆきます。 それは「愛」と呼ぶには、あまりにも荒涼とした世界ですが、思い浮かんでくる、例えば、ノラ猫の親子の仕草とは一線を画している要素が一つだけあると思いました。それは「Still Human=それでも人間」ということです。「何もかも亡くした状況でも、我々は自分以外の誰かを愛することができるのかを問いたかった。」 作家がインタビューに答えた言葉だそうですが、人間が「何もかも亡くす」という様子を見事に描いた作品だと思いました。結末で「男」は、もう一つ、何かを亡くしてゆくのですが、それは作品を読んでお確かめください。 30代の作家の「才能」と「可能性」、社会と人間に対する視線の鋭さを感じさせる作品でした。 追記2020・08・01チョ・ナムジュ「82年生まれ、キム・ジョン」(筑摩書房)の感想は書名をクリックしてください。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.07.23
コメント(0)

オリバー・チャン「淪落の人」元町映画館七月になって天気が悪い日が続いています。六月には元気に映画館徘徊を再開したのですが、ピタリと外出がとまり、ひたすら家の中でごろごろしていました。 今日は出かけようと目覚めるのですが、午前中の雨模様に気分がそがれてしまう毎日が続いています。 まあ、そういう暮らしなのですが、昨晩、元町映画館のスケジュールを調べていて、予告編で見ることに決めていたこの映画が最終日なのに気付きました。「淪落の人」です。 昨年、チャン・ジーウン監督の「乱世備忘 僕らの雨傘運動」というドキュメンタリーをこの映画館の二階の小部屋で見て以来「香港」が気にかかっています。 つい先日も、この運動の指導者が「香港」を、やむなく離れたというニュースを見て落ち着かない気持ちになったところです。 チラシによれば、この映画の主演アンソーニー・ウォンは、この運動の支持を表明し中国映画界からパージされている人のようです。そのアンソニー・ウォンがノー・ギャラで参加した映画らしいのです。 これは、やっぱり、見ないわけにはいかないなとは思ったのですが、朝起きてみると開映時刻に間に合うかどうかとか、クヨクヨし始めて中々席が立てません。「行くの?行かないの?」 チッチキ夫人から、叱咤の一声をいただいて、ようやく立ち上がりました。というわけで、なんとか元町映画館にたどり着きました。受付で、なじみのオネーさんとオニーさんに「お久しぶりです!」と声をかけてもらって、ちょっとホッとして席に着きました。 偶然の事故で半身不随になり、妻や家族からも、雇っていた家政婦からも捨てられた、もう、老人というべき年齢の男性のもとに、新しい家政婦がやってきます。 フィリピンから「理不尽」なDV男との離婚資金と家族の生活費を稼ぐために「香港」に出稼ぎにやって来た、やせっぽちの若い女性です。 老人男性は電動車椅子に乗らない限り、寝返りを打つこともできません。ベッドから車椅子に移ることも、一人ではできません。この役で、役者にできる演技はベッドに寝ているか、ベッドから落ちて動けないまま天井を見つめて夜を明かすか、車椅子に乗れば乗ったで、同じ姿勢で操作するか以外にはありません。 ホアキン・フェニクスが同じような役柄を元気に演じていた「ドント・ウォーリー」という映画を思い出しましたが、この映画ではアンソニー・ウォンでした。 ありきたりな言い方ですが、素晴らしい「眼の演技」でした。自らの人生の、絶望的な「不如意」に対して、我が儘な「伏し目」、不機嫌な「三白眼」で対処するしか方法を持たなかった老人が「目の輝き」をかえていく映画でした。 チラシでも、予告編でも取り上げられているシーンがあります。充電が切れて止まってしまった車椅子を家政婦エヴリン(クリセル・コンサンジ)が押して坂を上るのですが、「加油!スーパーウーマン!」とリョン・チョンウィン(アンソーニー・ウォン)が笑顔で叫ぶこのシーンにこそ、この映画の「よろこび」が輝いていました。やはりこういうシーンがぼくは好きです。 映画が2018年に大阪のアジアン映画祭に出品された時につけられた邦題は「みじめな人」だったそうです。原題を見れば「淪落人」、英訳は「Still Human」となっています。 「貧困」、「出稼ぎ労働者」、「身体障害」、「DV」、「老人」、「女性」、「棄民」、重層的な「みじめさ」にさらされ、共通の「言葉」も持たない二人の人間が「家政婦」と「雇い主」という関係で出会います。 「見下す人」と「見上げる人」を作り出している二人を取り巻く社会は「みじめな」二人が「人間」として出会うことに無関心です。 そんな「出会い」の二人をどうすれば「出会う」ことができるのか。見終えてみれば、監督のオリバー・チャンが何を語るためにこの映画を撮ったのは明らかだと感じました。 「人間である」ことの崖っぷちに生きることを強いられている「みじめな人」が「Still Human=それでも人間」であり続ける「希望」の可能性はどこにあるのでしょうか。 映画は厳しい目つきの雇い主が手抜きの掃除をする家政婦を見つめることから動き始めます。しかし、重度の身体障害者である雇い主こそが、住み込みで介護するフィリピン人の家政婦に「すべてを見られる」ことから逃れることはできません。 見る・見られるの相互性が、普段は見ることができない「恥辱」や「哀しみ」をさらけ出してしまいます。 しかし、互いが、絶望を深く知るからこそ、相手の「哀しみ」を「見る」ことが、自らの「孤独」の殻を破り始めるのです。そして、そこから「未来」が生まれます。 無口で無表情な家政婦とギョロギョロと相手を探り続ける老人の二人を映し続ける意図はそこにあると思いました。 細腕のDV被害者の女性が半身麻痺の老人の重い車椅子を押し、老人が世界に向かって「よろこび」にみちた叫びをあげます。「加油!スーパーウーマン!」 深い絶望にさらされた弱者の連帯にこそ「未来」は宿っています。「香港」の若い女性映画監督が、「自由」を叫び、その結果、仕事を奪われた俳優を主役に据えて、素朴な話法で「香港」の、そして人間の「希望」を語っている映画だと思いました。 「淪落の人」の手助けによって、若い家政婦が「夢」への旅立ちを果たす結末はありがちですが、別れる二人の表情が、ともに「哀しい」ところに、いたく共感しました。 引っ込み思案を叱咤してやって来た甲斐がありました。拍手! 監督 オリバー・チャン 製作 フルーツ・チャン 脚本 オリバー・チャン 撮影 デレク・シウ 美術 コニー・ラウ 衣装 マン・リンチュン コーラ・ン 編集 オリバー・チャン ウィルソン・ホー キャスト アンソニー・ウォン (リョン・チョンウィン:下半身麻痺の主人公) クリセル・コンサンジ(エヴリン・サントス:家政婦) サム・リー (ファイ:友人) セシリア・イップ(リョン・ジンイン:妹 ) ヒミー・ウォン リョン・チュンイン:息子) 2018年・112分・香港 原題「淪落人」「Still Human」 2020・07・17元町映画館no49ボタン押してね!
2020.07.22
コメント(0)

「100days100bookcovers no16」ルイージ・マレルバ 「スーパーでかぶた」(松籟社) イタリアの、ほとんど無名の作家の童話集です。1985年に出版されたこの本は、今では図書館でも見つけることは難しいかもしれません。 我が家の童話の棚の隅にあった本を取り出して読み返しながら、最近の出来事を思い出して笑ってしまったお話がありました、少し長いですが、ここに載せてみますね。 「よごれた空」 ジェット機がすごいスピードで飛びさり、青い空に、白いジェット雲がのこりました。セラフィーノくんは、ときどきそれを見て泣きだし、あいつらなぜ空をよごすんだと、悲しがるのでした。「もし、ぼくが塀に一本線をひいたら、みんな、ぼくのことをおこるのに、空に線をひくものがいても、だれもなんにもいわないなんて。」 おとうさんは、空にかかれた線は、ちょっとのあいだに、ひとりでに消えてしまうのだからと、セラフィーノくんに説明しました。「でも。はくぼくでかいた線だって、そのうち消えてしまうよ。」 おとうさんは、飛行機は交通のだいじな手段なんだから、がまんしなくちゃいけないのだと説明しました。人びとは。旅行することがひつようだし、また、うんと遠くの国へ手紙を送るときも、航空便がひつようだ。つまり、飛行機で旅行する手紙のことだがな、などともいいました。 でも、セラフィーノくんはなっとくしようとはしませんでした。セラフィーノくんはいいました。空に線をかくのは、おもに戦闘機などの軍用機だし、あんなのは、ガソリンのむだ使いをして、空を飛びまわるより、じっとしてたほうがましだろう、といったのです。おとうさんは、そういわれると、どうやってもこたえを見つけることができなくなりました。息子のいうことはもっともなことなのです。でもセラフィーノくんをなっとくさせるために、軍用機だって、戦争のときにはひつようだろうといいました。セラフィーノくんは、いまは戦争もないし軍用機なんて、いちばんのよごし屋だ、空にいちばん太い線をかき、いちばんうるさい音をだしていると、いいかえしました。 ある日曜日、セラフィーノくんは、いなかに住んでいるおばあちゃんの家へつれていってほしいと、いいました。おとうさんは、ガソリンが高くつくから、だめだといいました、セラフィーノくんは泣きだし、飛行機がガソリンをみんな使っちゃうから、いけないんだと、わあわあいいました。そこで、おとうさんは汽車でおばあちゃんの家へ行くことにしました。 セラフィーノくんは、おばあちゃんと、長いあいだ、おしゃべりをしました。まだ飛行機がはつめいされていなかった、うんとむかしの時代のことも話しました。 帰りの汽車のなかで、セラフィーノくんは、ずうっとむかしには、空を飛んでいたのは、天使だけだったと、おとうさんにいいました。それから、天使たちは、空に線をかいて、空をよごすこともなかったし、いるさい音をださず、ガソリンのむだ使いもしなかったんだから、ジェット機の不行使より。ずっとしつけがよかったんだ、ともいいました。おばあちゃんがそういったのですから、まちがいのないことなのです。 おまえのいっていることは、ほんとうだと、おとうさんはいいました。たしかに、天使たちは空もとごさないし、うるさい音もたてないし、ガソリンのむだつかいもしない。だがな、と、おとうさんはつけくわえていいました。「天使たちのなかには、下を歩いている人間の頭に、おしっこをひっかけたやつもいるんだぞ。うんとしつけの悪いやつは、うんちまで落っことしたんだからな。」 その日から、セラフィーノくんは、もう天使のことも、飛行機のことも話さなくなったということです。 まあ、さほど面白いとも言えないお話しだったかもしれません。こんな風なショート。ショートが30話ほど入っています。 作者のルイージ・マレルバという人は、映画の世界の人だったようです。ビットリオ・デ・シーカの脚本を書いていたチェーザレ・ザヴァッティーニなんかと仲が良かったらしいのですが、自分でも映画を撮っていた人です。童話や小説も書いています。日本では、当時も、今も、さほど知られていません。 そのマレルバという作家を探し出してきたのは翻訳者である「福井あおい」という女性です。 彼女はエルマンノ・オルミ監督の「木靴の樹」をこよなく愛し、デ・シーカからフェリーニに至る、イタリアの「ネオ・リアリズモ」に強い関心を抱く若き研究者でしたが、「マレルバ童話集1」という、たった一冊の本を残してこの世を去りました。35年前のことです。 版元の松籟社はイタリア文学の老舗ともいうべき出版社ですが、その後「マレルバ童話集2」が出版されることはありませんでした。 彼女は神戸の丘の上の学校の読書室で、文学や映画のおしゃべりに夢中だったぼくたちの仲間の一人でした。 みんながおしゃべりをしたり、お弁当を開いたりしていた部屋がありました。その部屋とは本棚で区切られた向うの小部屋で「経哲草稿」や「ドイツイデオロギー」なんていう、国文学とは畑違いの本と格闘しながら、「パヴェーゼがいいよ。」と、のちにERIKOさんの配偶者になったIRRIGATEくんが言ったことばや、「ポリーニの新しいベート―ヴェンのLP聞いた?ハンマー・クラヴィア。ステキなのよ。足は短いけど。」なんてことしゃべっていたあおいちゃんのことばが、ぼくの「イタリア文学」入門でした。 もう40年も昔のことなのですが、そういえば、78歳になったポリーニはまだ現役でピアノを弾いているようです。 ERIKOさんから須賀敦子の「ミラノ 霧の風景」を差しだされて、すぐに思い浮かんだのがこの本でした。どこか、きっぱりとした須賀敦子の文章の爽やかさにはとても惹かれました。夢中になって読んだ記憶があります。しかし、いつも夢の途中で去った福井さんが一乗寺下がり松町の交差点で、買い物袋を下げ、12個入りの卵のパックを抱えて立っている姿を、ふと思い浮かべてしまう読書でもあったように思います。 思い出を語ってしまいました。これもありかなって、お許しください。それでは。YAMAMOTOさん、初登場ですよ。ちょっと引き継ぎにくい展開かもで、申し訳ありませんね。よろしくお願いします。(2020・06・05 SIMAKUMA)追記2023・02・01 つい先日のことです。1月30日の月曜日、人と会う用があって京都まで行きました。JR京都駅の階上、11階だかのレストランで出会いの用を済ませて、フト、思いついて四条河原町まで歩きました。町屋の間の路地のような道をウロウロ北に向かって歩きながら、40数年前に、上で紹介した「福井あおい」さんと四条大橋のたもとにあった音楽喫茶で会ったことを思い出しました。 どんなことを話したのか、それからどうしたのか、全く覚えてはいないのですが、確かに会ったことは事実です。 そんな記憶に促されて、四条大橋の西のたもとまで歩きましたが、件の音楽喫茶は見つけられませんでした。40年たって、記憶の引き金のようなものだけが頭の中にあることが不思議ですが、二十代の半ばで不慮の事故死を遂げた彼女の顔立ちさえ思い出せないまま、ボンヤリ立ち尽くしました。 「行く川の流れはたえずして…」といった人がいましたが、彼が見たのも、この川だったのでしょうか。 追記2024・01・20 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。にほんブログ村にほんブログ村
2020.07.21
コメント(0)

「100days100bookcovers no15」(15日目) 須賀敦子『ミラノ霧の風景』全集第一巻 河出書房新社 2日も空いてしまいました。すみません。どこへ繋がって行くのか、ヒヤヒヤして毎日見ていました。SODEOKAさんが『わたしの小さな古本屋』を挙げられてから、古本屋繋がりならこの小説と心ひそかに決めているものはあったのですが。 あにはからんや。KOBAYASIさんが出した名前は堀江敏幸だった。あら、困った。読んだことないわ。 ただ、ラジオの朗読番組で彼の短編を聞いたことがあるかもしれません。ストーリーに起伏はないのに、妙に忘れられない話があった気がします。遠くからそっと亡き友人の妹を気にかけ続ける主人公。その心情が淡々と語られていました。最後は主人公は彼女とその子と、川か海で石切りをするという終わり方ではなかったかな。ぼんやりとしているのですが、何故か心に残る作品でした。 それなら今仕事がらみの『海辺の~』という作品を紹介できると思いついたのです…。ところが、さきのの水辺に出かける短編の題名はわからないままだし、そもそも堀江敏幸がそのような作品を書いていたのかどうか見つけられませんでした。ひょっとしたら、睡眠用ラジオで私が勝手に夢見たのかもしれません。これも諦めるとなると…。 仕方なく、堀江敏幸をWikipedia検索すると、「影響を受けたもの」のところに、「須賀敦子」の名前がありました。やれやれ、やっと気がついたのと言われそうですね。 須賀敦子を知ったのはテレビでした。もう20年くらい前でしょうか。その奥行きの深い文章の朗読を聴いたとき、忘れられなくなりました。それ以来随筆をときどき読んできましたが、どこの図書館にも必ず置いてあって待たずにすぐ借りられるため、自分の物にしたことがなかったのです。須賀先生すみません。昨日急いで職場の図書館に行くと装丁の美しい個人全集8巻がありました。ちなみに第3巻の解説者はなんと堀江敏幸でした! 彼女は1950年代にイタリアに留学し、ミラノのカトリック左派運動の中心だったコルシア書店で仕事、運動をして仲間として受け容れられていく。そこでペッピーノと出会い結婚。彼に導かれ支えられ翻訳の仕事もますます充実させるが、夫は41歳で病死する。その頃から文革の影響で運動も難しくなり仲間も離散していく。61歳で『ミラノ 霧の風景』を発表。デビューしたときはすでに大家だったと誰かが言っていたと思います。 『ミラノ 霧の風景』を一昨日から読んでいます。「夜、仕事を終えて外に出たときに、霧がかかっていると、あ、この匂いは知ってる、と思う。十年以上暮らしたミラノの風物でなにがいちばんなつかしいかと聞かれたら、私は即座に「霧」と答えるだろう。」(ミラノ霧の風景・冒頭) ひらがなが多い柔らかい文です。「霧の日の静かさが好きだった」「ミラノ育ちの夫」の思い出や、友人の弟が濃い霧で事故死した時のことなど、「あの霧が静かに流れる」ミラノやイタリア時代に触れたさまざまなものことがありありと描写されています。彼女の筆は人物描写をするとき、ひときわ冴えるようです。適格で端正でいて温かさがこもっています。最初の一筆が素早く正確で、そのあとは温かい線を重ねていくといった感じでしょうか。――ガッティは、あの忍耐ぶかい、ゆっくりした語調で、原稿の校正の手順や、レイアウトのこつを教えてくれることもあった。すこしふやけたような、あおじろい、指先の平べったいガッティの手が、編集用の黒い金属のものさしで行間の寸法を測ったり、紙の角を折ったりするのを、私はすいこまれるように眺めていた。全体のじじむさい感じとは対照的に、よく手入れされた神経質な手だった。――(「ガッティの背中」より。愛情あふれたポートレートです。) イタリア文学の深さ、広さを手に入れた人が日本語を活かして書いた文章。私が評するのは荷が重すぎます。勁くて静かで美しい文章です。 KOBAYASIさんが書かれていたように、あらためて読みたい本と出逢える喜びがありました。 SIMAKUMAさん、遅くなってすみません。次をよろしくお願いいたします。(2020・06・04 E・DEGUTI) 追記2024・01・20 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) というかたちまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.07.20
コメント(0)

「100days100bookcovers no14」 堀江敏幸『雪沼とその周辺』(新潮社) 今回は、試しに趣向を若干変えて、敬体で書いてみることにします。 前回、SODEOKAさんが紹介してくれた『わたしの小さな古書店』の記事を読みながら、次はどうしようかとつらつら考えてみました。 古書絡みだと、岡崎武志の文庫を読んだ記憶がありますが、本棚を眺めても見つかりません。かと言って「苔」や「亀」で何か思い浮かぶ本はありませんでした。 そこで「木山捷平」に目をつけました。 いや、木山捷平は、名前は聞いたことがあるだけで読んだことはありません。ただ「木山捷平賞」を受賞した作家の本は読んだことがあります。 『雪沼とその周辺』堀江敏幸 新潮社 この短編集は、2004年第8回木山捷平賞を受賞し、同時に谷崎潤一郎賞も受賞、さらにここに収められた1編『スタンス・ドット』が川端康成文学賞を受賞。 ちなみに「木山捷平賞」はWikiによると、岡山県の笠岡市が主催していた純文学が対象の賞で、「開始時の規定によって」、2005年の第9回で終了したようです。どういう趣旨の規定だったのかちょっと興味が湧かなくもないですが、これ以上は調べていません。また、2006年からは「木山捷平短編小説賞」という公募新人賞が始まったということです。 堀江敏幸は好きな作家です。 最初に読んだのが確か、三島賞を受賞した『おぱらぱん』で、その後既刊のものを読み、さらに「出ると買う」 作家になりました。 それが2011年の『なずな』まで続きましたが、それ以降は本を増やさないために、せめて文庫まで待とうというスタンスになりました。 図書館に行くという手もあるんですが、現時点ではまずはうちにあるいわゆる「積読」を読む方に重心を置いているので、図書館はそれが一段落してからになりそうです。 この作家、読んですぐ気に入ったというわけではなく、気がついたら読んでいたという感じでしょうか。 初期の作品は、たとえば作家や書名などの固有名詞もそこここに登場する、小説か随筆かよくわからない文章で、最初はいくぶん戸惑いながら読んでいた記憶があります。 比較的息の長い、くねくねと続くことの多い文体は、必ずしも読みやすくはなく、ただ使われている言葉自体は特徴的なわけではなく、文章はどちらかというと古風で端正な印象を与えます。そうした文体で物事や人の心理の機微、情緒が妙に丁寧に掬い取られていくのが心地よかったのでしょう。 さて、この本ですが、表題の一部にもなっている「雪沼」という架空の町とその周辺で暮らす市井の人々を描いた、7つの短編を収めた連作短編集です。 「雪沼」は架空の町ですが、何度か「尾名川」という名前が出てきます。検索すると栃木県足利市あたりを流れる川でした。むろんこの名前も架空かもしれませんが、「権現山」(この名前は全国いたるところにあるようですが)やスキー場が出てくる短編もあり、そのあたりの土地を作家はイメージしていたのかもしれません。 例によって話の展開はほとんど忘れていたので、7つのうち3つを再読してみました。案の定、いくらか思い出せたのは設定だけで展開その他はまるで覚えていませんでした。 共通しているのは、ごく普通の、けれどそれぞれに事情や起伏のある登場人物の人生や生活、過去がある断面から描かれるという形式です。 小さなボーリング場の最後の1日を迎えた経営者が、ひょんなことから自ら投げることになった最後の一投、書道教室を営む夫と年の離れた妻との馴れ初めからその後の悲劇とさらにその後、電車の窓から見た青い「生きもの」が突風にあおられて飛んでいく様から、たどり着いたもうひとつの青いもの、等々。 唐突に始まり、唐突に終わる。そして静かな余韻。 そしてこの7編が、場所なり人なりでふとしたところで重なり「干渉」し合うのもこの設定ならではでしょう。 作品中のエピソードや小道具的なあれこれもごく自然で嫌味がないのも実は結構貴重な気がします。 いや、あたらめていいなと思いました。その魅力を短い言葉で表現するのは難しい。 この作家の、まだ未読の本が何冊かある幸運を改めて感じ入った次第です。まぁ、今回読み直して改めて、既読のものでももはや未読みたいなものだとわかったので再読してもいいわけですし。 では、次回、DEGUTIさん、いかがでしょうか。(2020・06・01T・KOBAYASI) 追記2024・01・20 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.07.19
コメント(0)

「100days100bookcovers」(13日目)田中美穂 『わたしの小さな古本屋』(ちくま文庫) 前回の『風の谷のナウシカ』からどう繋ごうか、と考えていたとき、「蟲」の文字で閃きました。そうだ、「蟲文庫」があった。 しかも、そろそろこのへんで女性の著者を、というひそかな希望も叶えることができます。 田中美穂『わたしの小さな古本屋』(ちくま文庫) 倉敷の美観地区の片隅で古書店「蟲文庫」を営む田中美穂さんのエッセイです。古書店は私にとって「好きな空間」のひとつで、古書店をめぐる小説やエッセイも大好き。たまたま出会った1冊ですが、田中さんの、なにも標榜せず、ただ淡々と自分の信じた道を迷わず歩む日常が、気負いのない穏やかな文章で綴られていて、愛読しています。 21歳のときに勤め人を辞めた田中さんは、ほぼ即日、古本屋を始めることを決心します。知識も資金も存分ではない状態で、店を探し、棚を作り、最初は売る本も少なくてスカスカな日々、古書店のあがりだけでは食べていけなくて、店を閉めたあとの時間は郵便局のアルバイトに精を出し、なんとそれが10年も続きます。売る本が足りないときは、お菓子やグッズ、自分で制作したトートバッグなどを店に置き、店内をミュージシャンに弾き語りのスペースとして提供したりしながら、コツコツと店を続けてきました。今では書店や古書店がほかのものを売ったり、講演会をしたり、コンサートをしたりする業態は珍しくなく、しかもオシャレなイメージですらあるのですが、田中さんはもう30年近く前から、「オシャレ」とは無縁に、店を継続するひとつの方法としてそうしてきたのです。 田中さんは知り合いの人から「あなた一日二十七時間ぐらいあるでしょう?」と言われたことがあるそうです。「店番が好き」と本書の中でも何度も書いている田中さんにとって、自分の店の中で本と過ごす時間はよほど豊穣だったのでしょう。彼女は、店番のかたわら、もともと深い興味を持っていた「苔」の観察を始め、ついに『苔とあるく』という本まで出版します。いまでは「苔に詳しい人」という顔も世間に知られるようになり、亀にも詳しいことから「苔や亀の相談所」のように蟲文庫を訪ねてくる人もあるそうです。『胞子文学名作選』というカルトな書物も編んでいます。岡山出身の作家、ことに好んで読む木山捷平を世間に紹介する役も果たしています。本に関わることの楽しさ、本と人との思いもかけない繋がりが、本書にはあふれています。 この本を読んだ翌年、義父の法事で岡山へ行ったときに蟲文庫を訪ねました。美観地区のなかの古民家の一室で営まれている小さな本屋さんです。田中さんは無口で(きっとシャイなのでしょう)、話したのは購入した本のお勘定をしたときだけでしたが、私も世間話が苦手な方なので、放っておいてもらえる雰囲気も含めて、居心地の良い空間でした(ただときどき、古書店だと意識しないで入ってくる観光客のわさわさした空気は苦手でしたが)。 このとき何冊か買いましたが『苔とあるく』を買いそびれたので、必ずいつか、この本を買うために倉敷の蟲文庫を再訪したい。街から古書店がどんどん消えて行く昨今ですが、未来のささやかな楽しみを描ける古書店があることは、古書店好きにとって幸福なことだと思います。 長々と書いてしまいました。KOBAYASIさん、またまた繋ぎにくいかもしれませんが、どうぞよろしく。(2020・05・30 K・SODEOKA) 追記2024・01・20 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.07.18
コメント(0)

「100days100bookcoversno12」宮崎駿「風の谷のナウシカ(全7巻)」(アニメージュコミックス) KOBAYASI君の「夜の蝉」で日高敏隆さんの「ネコはどうしてわがままか」 (新潮文庫)という本を思い浮かべていました。初登場のERIKOさんが困ったらそのあたりかなと思っていました。 この文庫の中に、生涯一度だけ作った高校入試の問題文に使った「セミはなぜ鳴くか?」というエッセイがあって、思い出深かったわけです。ERIKOさんの方がシャレてましたね。「蝉」より「蝶」でした。 さて、日高敏隆です。 日高敏隆という名前を聞いて最初に浮かぶのは、ムツゴロウこと畑正憲ですね。「われら動物みな兄弟」(角川文庫)だったか「生きる」(ちくま文庫)だったかに、アメーバーをいじっていたムツゴロウのそばで蝶の蛹をすり潰している、若き日の日高敏隆が登場します。 東大の動物学教室の先輩・後輩だったんですね。それが、日高敏隆の名を知った最初です。彼は当時、岩波書店の編集者だったはずです。 フフフ、日高つながりならこれで行くかと思っていると、女性の書き手がどうのとか、ユクスキュルに始まってローレンツも、ファーブルも話題になっているじゃないですか。 あわわ、オイオイです。 それでは「虫愛づる姫君」の路線もあるなあ。それにしても「堤中納言物語」はどこにあったかな。と、まあ、あれこれ思案に暮れていて机の横の積み上げた小山の上にありました。(写真を添えたいくらいです) 同居人が20年間押し入れの奥に秘蔵していたこれです。書き手は、いかつい男性ですが、主人公は「蟲」を愛し、「蟲」達と生きる少女です。 女性の著者ではありませんが、「マンガ」は初登場ですよね。ふふふ。 宮崎駿「風の谷のナウシカ(全7巻)」(アニメージュコミックス) ぼくはアニメの「風の谷のナウシカ」を見た方が先でした。1983年に劇場公開された映画ですが、見たのは90年を過ぎてからですねきっと。劇場ではなく、ビデオかテレビです。まだ小さかった「ゆかいな仲間」と一緒に見て感動しました。 やたら感動していると「マンガの方が面白いよ。」 という一言を隣で見ているチッチキ夫人に言われて、カチンときた記憶が今でもありますから。 我が家にある第7巻の発行日は1995年1月15日ですが、日付的には阪神大震災の二日前です。 それから25年、ついに読み終えました。それが昨晩の午前2時過ぎなのです。発売以来1200万部売れているシリーズだそうで、今頃読んで感動しているぼくもぼくですが、映画は「トルメキア戦記」の一つのエピソードに過ぎなかったのですね。「その者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし」 今でも、時折ふと口ずさむことがある、あの映画の、あの「名セリフ」は、マンガ版では第二巻に出てきました。それは「風の谷」の大ババさまの口からではなく、「土鬼ドルク」の異教の僧が唱える「黙示録」というべきか「創世記」というべきか、とにかく、大きな物語の始まりにを予言する言葉でした。 そこから最終巻まで、戦いに次ぐ戦いです。マンガは戦場のナウシカを描き続けます。巨神兵とナウシカの関係も想像を超えていました。トルメキアの王女クシャナ姫と王国の行く末も映画では予想もできない結末でした。 第7巻の最後の最後でした、「蟲使い」たちが「再生の舞」を舞い、読者のぼくの中に、もう一度この言葉が戻ってきます。なんともいえない、揺さぶられるものを感じました。「その者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし」 宮崎駿は渋谷陽一のインタビュー(「風の帰る場所(正・続)」ロッキン・オン)でも、司馬遼太郎、堀田善衛との鼎談(「時代の風音」朝日文庫)でも繰り返し、思い通りではなかったアニメ版について語っていますが、マンガ版を読み終えてみると、なるほどそうかと納得がいきました。 それにしても腐海の剣士ユパのこんな言葉がさりげなく心に残るのです。「すすめ いとしい風よ」 遅まきながらでお恥ずかしいのですが、傑作でした。(2020・05・28 SIMAKUMA) 追記2024・01・20 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.07.17
コメント(0)

「100days 100bookcovers no11」日高敏隆「チョウはなぜ飛ぶか」(朝日出版社) 楽しく格調高く遊んでいらっしゃるブック・リレーに野次馬みたいに参加させていただきありがとうございます。私だけハードルを低くしてもらい申し訳ありませんが、よろしくお願いします。 KOBAYASI君が紹介してくれた『夜の蝉』は読んでいませんが、以前読んだ北村薫の『六の宮の姫君』と同じシリーズなら落語家が出てきますよね。芥川龍之介や菊池寛の実際の作品や手紙を使って彼らの交流や心情をフィクション化している小説でした。それまで菊池寛には、文学報国会やら社長やらの俗物中の俗物という通り一変のイメージしかなかったけれど、純なところもあってけっこう好きになりました。作者が丁寧に描いているおかげです。 やっぱり、KOBAYASIくんは親切です。次を考えるとっかかりがいっぱいですね。落語家つながりで圓朝師匠は?辻原登の「円朝芝居噺 夫婦幽霊」が面白い。家にあったはずですが、残念ながら見つけられませんでした。 実は、本は、あんまり読んでないし持ってない。今は図書館が至近距離にあるので、もっぱら借りてばかり。結構引っ越しをやったので、引っ越しの時に本は一番厄介だったので大助かりです。 話を戻すと、「夜の蝉」から「八日目の蝉」(角田光代・中公文庫)は付けすぎだから、「虫」ではどうでしょうか。少ない在庫から、やっと探し出しました。 あった! 日高敏隆の『新編 チョウはなぜ飛ぶか』です。 これに決めます。海野和男の魅力的な写真がいっぱいのフォトブック版です。ネット検索したら、最初は1975年に岩波書店から出版されてますが、その後も、イラストレーターを変えたり、写真版にしたりして、いくつもの版があるようです。 もう還暦を過ぎても私はまだ、「なんでやろ?」「あ、わかった!」 という簡単なひらめきとか気づきがとても好きです。多くの人にとってどうでもいいようなことが気になってどうでもいいような「なんで?」「どうやって?」 ということが気になって、あんまりちゃんとは考えないで、手持ちの知ってることやわずかな経験で勝手に「あ、わかった。」 と言って家族に垂れ流して顰蹙を買っています。 この本はまさに私の喜びのツボをグイグイ押してくれます。チョウ道は確かにあるが、どうして?地形に関係する?時間帯によって違うのはなぜ?チョウはどれくらい遠くが見えるの?花と色紙の区別がつかないのはなぜ?キャベツ畑で飛んでるのは雄だけ?メスは? などなど。こんな素朴な疑問に仮説を立てて丁寧に観察して、間違ってたら、また別の仮説立ててまた実験観察。ワクワクします。―― どこにでもいる白いチョウだったのに、じつは彼らは、世の中をぼくらとはまったくちがったふうに見ていることが分かった。それ以来、ぼくにとっては、ほかの動物が、周りをどう見ているかということが、とても気になるようになっていった。―― ほかの動物は周りをどうみているんだろう。他の人も私と同じに見えるのかしら。きっと誰もがそんなこと思ってるのではないかしら。 彼は、ユクスキュルの著作を翻訳して『生物から見た世界』(岩波文庫)として日本で出版して「環世界」という概念を紹介している。この概念を観念的なものではなく実感として支えているのは、チョウを観察した経験だと思われる。すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界(イリュージョン)をもって生きており、それなしには世界は見えない。老化もイリュージョンですね。 久しぶりの本をひっぱりだしてくるのも面白いですね。 「文学から遠く離れて」ですが、SIMAKUMAさん、次よろしくお願いします。(E・DEGUTI2020・06・26) 追記2024・01・20 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.07.16
コメント(0)

青谷真未「読書嫌いのための図書室案内」(早川文庫) 久しぶりに若者向けのエンターテインメントを読みました。こういう装丁の本は手に取るだけで照れますね。 ありそうで、なさそうな(笑)お話しでしたが、きちんと引っぱり込まれました。最近読んでいる「北村薫」の「円紫さんシリーズ」に、少し似ていると思いましたが、学校が舞台だからでしょうか。 書名が、いかにも教員が喜びそうなのですが、文章には教員の空気はありません。もっと若い作家の手による印象です。そこは北村の作品との違いですね。 書名から予想したのは、あれこれ作品名が出てくる、何というか、高校生向け「カタログ小説」かなというわけで、ここはひとつ出てくる作品をチェックしようとポスト・イットを用意して読み始めました。紹介されている本で若い人の読書傾向が知りたいし、ついでにその一覧でこの小説の案内がかけそうだというセコイ目論見でした。 小説は高等学校の図書委員会のシーから始まりました。司書の先生が質問して、図書委員の諸君が好きな本の名前を、次々と口にします。よしよし、目論見通りというスタートでしたが、結果的にはポスト・イットは不要でした。 話題になった作品は森鴎外の「舞姫」、ヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」、安部公房の「赤い繭」、それから「源氏物語」が少々というところでした。 読み終えてみると、出てきたのは定番中の定番という作品ばかりで、中学校と高校の教科書採択作品という「誰でも知っている」ダメ押し付きでした。目論見は見事に外れましたね。 鴎外の「舞姫」、「源氏物語」は言うまでもなく、高校の教科書の定番です。ヘッセの作品は中学の教科書に採用されているようですし、「赤い繭」は高校で教科書によっては入っているという、短い作品です。 まあ、そうは言うものの、それぞれの作品に対する「読み」が面白い小説ですね。物語の本筋は「血まみれの女子高校生が生物教室に夜な夜な現れる」という、いわゆる「学校の怪談」ものと言っていいお話しです。 「活字中毒」の少女、藤生蛍さんと、「共感覚」というちょっと変わった能力の持ち主で、そのために「活字嫌い」になっているらしい少年、荒坂浩二君という高校二年生コンビが、安部公房とヘッセの作品の「読み」と格闘しながら「血まみれの少女」の謎を解くというストーリーなのですが、こう書いても、それらの作品と「謎」に何のつながりがあるのかわかりませんね。 作中で話題になる二つの小説に共通しているのは「繭」です。ヘッセの作品は蝶の採集をめぐる話で、「赤い繭」は文字通り「繭」のお話しですが、もう一つ、この作品には「繭」が出てきます。それは生物教室の陳列棚にある標本です。 というわけで、生物の樋崎先生が三人目の人物として登場します。彼が「謎」の発信源の役割を担う役割なのですが、これ以上はネタバレになりますね。 具体的な展開についてはこれ以上は書きません。作品はミステリー仕立てですが、むしろ「ボーイ・ミーツ・ガール」の展開の中で、本嫌いの少年が「本を読む」ことに熱中していくプロセスが、元教員の老人には面白かったということです。 ちょっと話は外れますが、主人公藤生蛍さんの「書痴」ぶりは、高校生ではちょっと考えられないスーパー「活字中毒」患者という印象ですが、お話しの中に「谷崎源氏」の文庫版全5巻を三日で読破したもう一人の女子高校生が登場する件があります。 この本ですね。谷崎潤一郎の「新・新訳源氏物語」(中公文庫版・全5巻)は一巻500ページを超える大冊です。その上、訳文は「舞姫」以上に「古文」なのです。 その文体についてはともかく、どんな時代のどんな読書家であっても、これを三日で読み終えることは99%あり得ないなと、ぼくは感じました。 まあ、浪人の頃に手を付けて一ヶ月かかった元教員のヤッカミかもしれませんが、「ありそうでなさそう」と思わず笑ってしまった所以です。 かつて、数年間高校の図書館長を経験しましたが、この本に手を付けた高校生は一人だけでした。もっとも、彼女も一巻でギブアップしましたがね。 この作品のプロットを貶しているわけではありません。ただ、谷崎源氏は傑作だと思いますが、読み終えるには時間も辞書も、ついでに覚悟も必要だということが言い添えたかっただけです。 ああ、それから「共感覚」については、読めばわかりますが、ある文字を見ると色が浮かぶとか、音が重なるとかいう感覚ですね。よく知りませんでしたが「ロリータ」のナボコフとか、物理学者のリチャード・ファインマンとかがそうだったようですが、調べていて二人の名前に出会って、いたく納得しました。 というわけで「若向き本」体験記でした。ボタン押してね!
2020.07.15
コメント(0)

古川真人「背高泡立草」(集英社) 2020年の冬の第162回芥川賞受賞作、古川真人「背高泡立草」を読みました。作家は31歳だそうです。若い人ですが、この所繰り返しノミネートされていた人だそうです。 九州と朝鮮半島との間、玄界灘というのですね。その長崎県よりの「島」に草刈りに行く話でした。場所が魅力的なのですが、風景の描写があまりされなかったのがザンネンですね。松田正隆という劇作家が「月の岬」という戯曲で読売演劇賞だったかを取ったことがありましたが、あれも長崎の「島」が舞台だったことを思い出しました。 作品は、全部で9章で出来ています。 第1章は「母」が養女として成長した吉川家があり、今では母の実母だけが暮らしている「島」があるのですが、そこに残されている吉川家の納屋の周りの草刈りに駆り出された娘が視点人物として語りはじめます。 娘と母、伯父、伯母、従妹の五人が、順次出会って行き、フェリーに乗り込み、島に到着するシーンです。 出会いの中で過去の吉川家の親類・縁者が話題に出てきます。吉川家以外では伯母の夫婦喧嘩の話はありますが、母の夫、つまり、娘の父の話は出てきません。 そこから奇数の章は「草刈り」の一日が描かれています。最終章ではその日「島」で娘が撮ってきた携帯電話の写真を、母と娘で見るのですが、そこに「背高泡立草」が映っているというわけです。 第二章以下、偶数の章では、集まった、祖母を入れて6人の「会話」に登場した人物や、通りすがりの光景に「島」の「記憶」に発火点があったかのように、「島」をめぐる「過去」のエピソードが描かれます。 「満州への夢に溺れる島の男」、「朝鮮への帰国途上の漂流民」、「蝦夷地を旅する鯨獲り」、「カヌーで家を出る少年」、それぞれ、そこそこ面白い話なのですが、まだ物語になりきらない「種」のような、いうならば「挿話」です。 映像でいえば「カット・イン」というのでしょうね。今ではない、別の時間の出来事の挿入です。現実の「場所」と今ここにいる「人間たち」に、「時間」=「歴史」の厚みを与えようというのが作家のたくらみでしょうか。 「読書案内」しながらいうのもなんですが、物足りませんでしたね。いろんなレビューを覗いてみると酷評されているものが多いですね。挿入されているエピソードの章が意味不明というのが一般評のようです。 しかし、ぼくは、逆だと思いました。主たる登場人物の「顔」が見えてこないところが残念だったのです。 エピソードの人物は短いなりに印象に残るのです。敗戦後の日本から、海峡を越えて祖国に逃げ帰る青年と、船の沈没で親を失った子供のやり取りも、家を出る決意をしてカヌーで海を進む少年の姿も悪くありませんでした。 しかし、今日、「島」にやって来た、今、ここで生きているはずの母と娘の姿がイメージを結ばないのです。 ほんの一行、家で酒を飲んでいる「夫」を思い浮かべる「妻」の「くったく」の表現はあるのですが、そこから今日の雑草の話し移ってしまいました。 結局、今日刈り取られた数多の雑草の中で、何故、「背高泡立草」が作品の「題」として取り上げられたのか、ぼくにはわからないまま終わってしまいました。 刈り取られた「背高泡立草」が放置された「母の実家」の荒廃を象徴するだけでは、小説としては、やはり、「あんまり・・・」なのではないでしょうか?会話もエピソードも悪くないと思うのですが。 ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.07.14
コメント(0)

津野海太郎 「最後の読書」(新潮社) 津野海太郎という名前に最初に気付いたのはいつだったのでしょうかね。いつだったか、劇団「黒テント」のパンフレットで演出家として名前を見た時に「ハッ?!」とした記憶があるからそれ以前で、多分、学生時代です。その頃彼は晶文社という出版社の編集者だったはずで、この本でも装幀している平野甲賀の独特のロゴで、そして、あの犀のマークで、リチャード・ブローティガンとか高橋悠二の「水牛通信」とかを作っていた人ということは知ってた記憶がありますから、まあ、その頃からですね。もう、40年くらい昔のことです。名前は知っていて、作られた本にもお世話になっていて、でも、本人の著書は一冊も読んだことがありませんでした。この本がはじめてです。 この本は新潮社のウェブ・サイト「考える人」に連載されていて、評判になっているエッセイが紙の本になったものです。 第1回は2017年の5月8日の日付ですかが、「読みながら消えてゆく」と題されて、哲学者鶴見俊輔の最晩年の日々の読書について書き始められています。 話しは鶴見俊輔の書き残したメモから始まります。 七十に近くなって、私は、自分のもうろくに気がついた。 これは、深まるばかりで、抜け出るときはない。せめて、自分の今のもうろく度を自分で知るおぼえをつけたいと思った。(鶴見俊輔「もうろく帖」) その後、このメモは「もうろく帖」と題してSUREという出版社から書籍化されますが、津野海太郎はこの本を丁寧に読み解きます。 で、鶴見俊輔が生涯最後に書き残した短い文と、その最後の姿にたどり着きます。倒れる直前の、最後のメモの日付は2011年10月21日。「私の生死の境にたつとき、私の意見をたずねてもいいが、私は、私の生死を妻の決断にまかせたい」(鶴見俊輔「もうろく帖」) そのあと、星じるし(*)をひとつはさんで、編纂者(もしくは家族のどなたか)の手になるこんな記述が付されている。二〇一一年一〇月二七日、脳梗塞。言語の機能を失う。受信は可能、発信は不可能、という状態。発語はできない。読めるが、書けない。以後、長期の入院、リハビリ病院への転院を経て、翌年四月に退院、帰宅を果たす。読書は、かわらず続ける。 二〇一五年五月一四日、転んで骨折。入院、転院を経て、七月二〇日、肺炎のため死去。享年九三。 名うての「話す人」兼「書く人」だった鶴見俊輔が、その力のすべてを一瞬にして失ったということもだが、それ以上に、それから3年半ものあいだ、おなじ状態のまま本を読みつづけた、そのことのほうに、よりつよいショックを受けた。 ここから津野海太郎は「最後の読書」について考え始めます。もちろん、彼の思考のモチーフとしてあるのは「年齢」あるいは「老化」ということです。 そして、もう一つは鶴見俊輔に対する敬意であり、そこにこそ、ぼくにとってこのエッセイが手放せない理由がありました。 彼は、少年時代からの「雑読多読」の天才少年鶴見俊輔についてこんなふうに考えて行きます。 いくばくかの誇張があるかもしれない。でも、たとえそうだったとしても、当時、かれが日本一のモーレツな雑書多読少年だったことはまちがいなかろう。こうした特異な読書習慣は、15歳で渡米したのちは外国語の本も加えて、その後も途切れることなくつづく。そしてその延長として、話す力や書く力を完全に失ったのちも、鶴見は最後まで、ひっきりなしに本を読みつづけることをやめなかった。すなわち発信は不可能。でも受信は可能――。 ――ふうん、もしそういうことが現実に起こりうるのだとすると、老いの底は、いま私が想像しているよりもはるかに深いらしいぞ。 ショックを受けてそう思い、またすぐにこうも考えた。もしこれが鶴見さんでなく私だったらどうだろう。たとえかれほど重くなくとも、遠からず私がおなじような時空に身をおく確率は、けっこう高い気がする。そうなったとき発信の力を欠いた私に、はたして3年半も黙々と本を読みつづける意力があるかどうか。 いまのところ「ある」といいきる準備は私にはないです。でも鶴見俊輔にはあった。どこがちがうのかね。そう思って晩年のかれの文章をいくつか読んでみたら、2002年(脳梗塞で倒れる9年まえ)にでた『読んだ本はどこへいったか』中の「もうろくの翼」という文章で、こんな記述にぶつかった。 ふだんは自分の意志で自分を動かしているように思っていても、その意志を動かす状況は私が作ったものではない。(略)今、私が老人として考えているのは、何にもできない状態になって横になったときに、最後の意志を行使して自分に「喝」と言うことはできるのかという問題です。(鶴見俊輔「もうろくの翼」)おわかりでしょう。 すでにこの時期、鶴見さんは「何にもできない状態になって横になった」じぶんを思い浮かべ、そのステージでのじぶんの行為が「自分の意志」(自力)によるものなのか、それとも老衰をもふくむ「状況」(他力)にもとづくものなのかを、最後の病床で、実地にためしてみようと考えていたらしいのである。 ここまでたどり着いて、津野海太郎は鶴見の晩年の読書の「意志」を称えながら、それを支えたある重要な言葉を思い出します。 それは幸田露伴の娘幸田文が「勲章」という作品に書き残しているこんな言葉でした。書ければうれしかろうし、書けなくても習う手応えは与えられるとおもう。(幸田文「勲章」) この文を、鶴見俊輔が誤読しているのではないかという興味と共に、ここからエッセイは第2回「わたしはもうじき読めなくなる」へと続いて行きます。 エッセイストとしての手練れの技というべきかもしれませんが、鶴見俊輔から幸田文へと話がすすめば、鶴見のより深い地点が探られるに違いないという興味とともに、あの幸田露伴の晩年が語られるに違いないのです。 もう、ページを繰る手を止めることはなかなか難しいのではないでしょうか。 本書にはウェブ版「最後の読書」第17回「貧乏映画からさす光 その2」までがまとめられています。 そこでは映画「鉄道員」と須賀敦子の関係が、彼女の夫ペッピーノや彼の家族の生活、コルシア書店での活動を探りながら語られています。 老化を笑うユーモアを配しながら、「最後の読書」などとうそぶいていますが、選ばれたラインアップは、ぼくにとって「これからの読書」を穏やかに煽る刺激に満ちていました。 まあ、すでに老眼鏡必携の前期高齢者なのですがね(笑)。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.07.13
コメント(0)

「100days100bookcovers no10」北村薫 『夜の蝉』(創元推理文庫) SODEOKAさんが9日目に選んだのが、奥泉光『モーダルな事象』で、名前しか知らない作家だったので、この後をどう「こじつけ」るか、そのヒントを探した。 まず「モーダル」から当たってみる。「モーダル」は「モード」の形容詞形で、「モード」は「様式」「方法」「流行」等の意味をもつ。 というのは置いておいて、そこから連想したのはファッション以外では「モード・ジャズ」。 「モード(モーダル)・ジャズ」といえばマイルス・デイビス。 マイルス・デイビス絡みで唯一思い浮かんだのが、現役ジャズサックス・プレイヤー菊地成孔と大谷能生が、『あまちゃん』の音楽で有名になった大友良英他数人のゲストを迎える、『東京大学のアルバート・アイラー 東大ジャズ講義録・キーワード編』(メディア総合研究所)という本で、確かに結構おもしろかった記憶があるのだが、実際にぱらぱらと見直してみると、楽理的なこともある程度出てくるし(そのへんは私もほとんどわからないので読み飛ばした)、ミュージシャン等の固有名詞もたくさん出てくるので、これを出すのはまだ早いとういことで却下。 次にWikiで奥泉光を見てみると、『「吾輩は猫である」殺人事件』が挙げられていて、本家の漱石の『猫』にするのも考えないではなかったが、これも「まだ早い」なと思い、記事の最後近くに出てくる「准教授と女子大生がドタバタするユーモアミステリ」から、思いついたのが、森博嗣の『すべてがFになる』から始まる犀川と萌絵の活躍するシリーズと、もうひとつが北村薫の「円紫さんと私」シリーズ。 前者は「准教授と女子大生」というところ、後者は「女子大生」というところしか(「ユーモアミステリ」は半分くらいか)合致していないが、まぁいいじゃないか、ということにする。前者は、しかしすでに人に譲ってしまって手許にない。ということで後者を採用。 『夜の蝉』北村薫 東京創元社 噺家・春桜亭円紫と大学の国文科の女子大学生「私」(1年の時、第二外国語はフランス語、だそう)が日常のちょっとした「謎」を解き明かすミステリー・シリーズの二作目。70から80ページくらいの短編?が3つ収められる。 シリーズは、一作目『空飛ぶ馬』が1989年、それから今作、次が『秋の花』(長編)、さらに『六の宮の姫君』(長編)、で、最後の『朝霧』が1998年。 と思っていたら、何と、2015年に『太宰治の辞書』で復活。当時女子大生だった「私」も歳を重ね、結婚し子供がいるという設定。一度だけの復活なのかどうかはわからないけれど。 このシリーズを読み始めたのは、当時の職場の同僚がおもしろいと言っていたからで、読んでみると確かにおもしろかった。 いわゆる推理小説とかミステリーをたくさん読んでいるわけではないが、そういう枠組みを外しても、その端正な文章は読みやすく、時折、ふっと「飛躍」するのも悪くない。 ただ人によっては、そのあたり全般、あるいは、主人公の(および作家自身の)「活字中毒ぶり」からくる「ペダンティズム」が、何と言えばいいか、「鼻につく」と思う場合もあるかもしれない。「鼻につく」ではなく「わざとらしい」のほうがいいのかな。 1人称語りの主人公のキャラクター設定とも関わっているのだろうが、北村薫の他の作品を読んでも、そうは違わない印象だったので(未確認なので当てにはならないが)「地」の文体に近いのかもしれない。 なぜ今作を選んだかというと、主人公の姉がフューチャーされる、3つめの表題作がかなり記憶に残っていたからだ。 とはいえ、当然ながら具体的な話の展開を覚えているはずもなく、その表題作だけ読み直した。清々しいほどまったく覚えていなかった。 ミステリーとしては、日常の謎なのだから、かなり地味だし、場面によってはいくらか不自然でご都合主義的なところも感じないわけではないが、それも補足説明はされているし許容範囲だろう。 それよりこの姉妹の描き方にちょっと感心してしまった。うまいと思った。 ただ描かれているのは20歳くらいの女子大生と5つ年上の姉の心理なのに対して、こちらは還暦過ぎだし、当時の作家も40過ぎの男だから、客観性とか当事者性はまったく担保されないのはそのとおりなのだが。 ただこの心理描写の巧みさについては、この姉妹だけに限ったことではない。人間心理の機微は細部まで考えられている。なおかつその表現に長けている。確かにそういうところはあるなと思わせる。 さらに本筋とは離れたサブキャラクターやエピソード的な挿話もおもしろい。ラストシークエンスではちょっと感動さえしてしまった。 さらに今回も前回担当分を受けて「お化け」が出てくるというおまけ付き。 表紙装画は、かの高野文子。このシリーズはすべて。ちなみにWikiで確認したら彼女が同い年だと判明。そうでしたか。 では、次回、DEGUTIさん、いけますか。(T・KOBAYASI2020・05・24) 追記2024・01・19 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.07.12
コメント(0)

「100days100bookcovers no9」奥泉光『モーダルな事象 桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活』(文春文庫) 前回、SIMAKUMAさんの文章の中に出てきた人物は避けたかったのですが(連句でいうと「付きすぎ」ってやつです)、この機を逃すと、もうここへ繋ぐチャンスはないような気がするので、ひねりなくストレートにいきます。 奥泉光『モーダルな事象 桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活』(文春文庫) 最初に出会った小説がこれだったのでにわかには信じられないのですが、奥泉光は芥川賞作家です。 本書を読んだあとにそれを知って、すぐに受賞作を読んだかというといまだに読んではいなくて、処女作の『滝』というのを読んでみたら、途方もなく純文学でした。 私はもう何十年も「純文学」とは無縁の人生を送っているので、読み終えたあとしばらく放心し、受賞作へたどり着けないまま今に至ります。 9年前に『モーダルな事象』を読んだとき、笑いがこらえられなくて電車の中で読めないのに困りました。今回も「ちょっと読み返してみよう」と読み始めたら、20ページ読む間に10回ぐらい爆笑してしまい、緊急事態宣言が出てから初めて「ステイホーム中で良かった」と思いました。 ミステリーと怪奇幻想とSFとオカルトとファンタジーその他もろもろがすべて投入された分厚い結構、そこに広がる複雑な人間関係と奥の見えない迷路のような世界、そしてそれらを包み込むパロディ精神。さらには、日本近代文学への愛ある茶化し。文中に登場する新聞記事や人物辞典の一項目、雑誌の後記などはもちろんすべて「つくりもの」なのですが、いかにもありそうに誇張され、さりげなくおちゃらけています。こうしたことが饒舌な文体でぎっしりと印字されているのですが、どんどん横道に逸れていくのではなくて、ちゃんと本筋に戻ってくるところがすごいです。そう、奥泉光は案外几帳面なのです。 こんなふうに細部まで造り込まれた小説ではあるのですが、読み終えたとき、スッキリ解決した気分にならず、靄がかかっているようなところがあるのは、どうやら彼の小説の本質かもしれません。 また、はまる人ははまりますが、冒頭50ページほどの「アホらしさ」についてこられなかった人は、そこから先へ進めないかもしれません。もったいないことです。 ところで、タイトルロールの桑潟助教授が遭遇する「事件」を、素人探偵の元夫婦が追って行く構成になっていて、話は2本立てで進行してゆくのですが、この元夫婦の夫の名前が「諸橋倫敦」というのです。もろはしろんどん。オシャレはオシャレでも、「横浜流星」と違って馥郁たる衒学の香りのするこの人物名が、小説を象徴していると思うのは私だけでしょうか(たぶん私だけでしょう)。 その後「桑潟もの」は2冊刊行されていますが、どうやら「ユーモア」の部分を生かして書くことを出版社に用命されたらしく、ただの「准教授と女子大生がドタバタするユーモアミステリ」になってしまいました。いや、そういうことじゃないんだよなあ。 ということで、KOBAYASIさん、お願いします。(2020・05・22 SODEOKA)追記2024・01・19 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.07.11
コメント(0)

北村薫「詩歌の待ち伏せ 上」(文藝春秋社)より 石垣りん「略歴」(詩集『略歴』所収) 作家の北村薫の「詩歌の待ち伏せ」(文藝春秋社)というエッセイ集を読んでいて、面白い記事に出会いました。 北村薫が詩人の石垣りんの講演会を聞きに行った時のエピソードです。 石垣さんに「略歴」という詩があります。幸い、石垣さんの詩集は、今、手に入りやすくなっています。全文引く必要はないと思います。 「略歴」は《私は連隊のある町で生まれた。》と始まり、《私は金庫のある職場で働いた。》と続き、《私は宮城のある町で年をとった。》と閉じられます。まさに日本の現代史がそこにあります。 ところが、石垣さんは、《私はびっくりしてしまいました》とおっしゃいました。伝え聞いたところによると、なんと、《大学を出て社会人になった方》が、「この詩の最後の《宮城》ってなんだろうね」といったそうです。 私も、びっくりしました。《宮城》という言葉がわからないなどとは、考えつかなかったのです。 その講演からさらに十五年が経ってしまいました。 エピソードの概要だけ抜き出して引用しましたが、北村薫は「詩」の中で使われる「ことば」について、もっと丁寧に語っていますが、結論はこうです。 しかし、詩では困ります。《最終的に意味がわかればいい》というものではありません。説明が一つはいるのと、いわずもがなの言葉として、直接、通じるのとでは、胸への響き方が違うでしょう。かといって、これを《皇居》と言い換えたら、もう別のものになってしまいます。難しいものです。 おそらく、北村薫はここで二つのことを問題にしています。一つは「詩」の言葉についてです。しかし、彼が困ったものだという「実感」の喪失は、外国の詩や古典の和歌の中では、しょっちゅう起こっていることで、常識的な言い草ではありますが、いまさらという感じもします。 気にかかるのはもう一つの方でしょう。この詩で言えば「宮城」という言葉が、若い読者には、ニュアンスどころか意味すら通じないという現象についてです。 ここで、石垣りんの「略歴」を載せてみます。どうぞ、お読みください。写真も載せてみました。いい表情ですね。 NHK人物録 略歴 石垣りん 私は連隊のある町で生れた。兵営の門は固くいつも剣付鉄砲を持った歩哨が立ち番所には営兵がずらりと並んではいってゆく者をあらためていた。棟をつらねた兵舎広い営庭。私は金庫のある職場で働いた。受付の女性は愛想よく客を迎え案内することを仕事にしているが戦後三十年このごろは警備会社の制服を着た男たちが兵士のように入口をかためている。兵隊は戦争に行った。東京丸の内を歩いているとガードマンのいる門にぶつかる。それが気がかりである。私は宮城のある町で年をとった。 詩集『略歴』1979年 北村薫の、このエッセイは「オール読物」という雑誌に連載されていたようです。2000年に書かれています。 言葉通りにとれば、この講演会は1980年代の中ごろのものと思われますが、ぼくには、上で引用した文章で少し気にかかったところがありました。 誤解しないでください。北村を責めるためにこんなことを言い始めたのではありません。ぼくが、「えっ?」と思ったのはここでした。《宮城》という言葉がわからないなどとは、考えつかなかったのです。 1949年生まれの北村薫は40代半ば、1990年代の初頭まで、公立高校の教員を続けていた人らしいのですが、彼は現場で、この現象と出合っていたはずではなかったということなのです。 「戦後文学」や「現代詩」の名作が、生徒たちにとっては、まったく理解できない祖父母の世代の「ことば」として響き始めたのはいつごろからだったでしょう。 それは高度経済成長の終盤、80年代の中ごろの教室だったと思います。そして彼は、その教室を経験していたに違いないし、そんな教室で「国語」の教員だった彼は、きっと「誠実」に苦闘していたに違いないというのが、ぼくの感想です。 それは、例えば、前後を読んでいただかなければ何を言っているのかわからない言い草ですが、このエッセイの文章にも現れているように思います。 最近「太宰治の辞書」という彼のミステリーを初めて読みました。この場合は「生徒」役は読者でしょう。楽しく読んだ「読者=生徒」の当てずっぽうですが、あの作品の構成なども、どこかの教室で何の関心も知識もない生徒相手に「考えるべき問題」を「謎」として設定し解き明かしていく展開に、教員の苦労が滲んでいると感じさせらるのですね。 彼はきっと「ことば」の「あったはずの」実相について、「詩」が生まれた時代や社会の真相に迫るべく、実に丁寧に面白く語る教壇の「噺家」だったのではないでしょうか。 もちろん、この詩の「宮城」という言葉の「実相」は、その言葉が口をついて出てくる世代の人々の「人生」であることは言うまでもないでしょう。が、それを、知らないという人に、わかるように語ることは「難しいもの」なのです。 ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.07.10
コメント(0)

チョ・ナムジュ 「82年生まれ、キム・ジョン」(筑摩書房) もう、半年以上前のことですが、チッチキ夫人が一冊の本をテレビの上の、読み終わった本を並べる棚に並べながらいいました。「この本、流行ってるの知ってる?」「ああ、本屋で見たことはあるかも。」「けっこう、面白いと思うのよ。」「そうなん?」 それから、さっきも言いましたが、半年もたったでしょうか。図書館に返すために、テーブルの端に積み上げている本の小山から一冊抜き出していいました。「これはすごいと思うわ。」「ああ、図書館の、でも、もう返すやつね。読めたの?」「うん、最近のベストですね。ちょっとずぬけてると思うねんよ。」 彼女はこのところ韓国の現代文学にハマっているようで、ぼくのカードで勝手に図書館に予約を入れたりしています。 CUONという出版社が10年くらい前から「新しい韓国の文学」というシリーズを地道に出していて、もう、20作を越えていると思います。そのあたりが彼女のターゲットですが、この2作は別の出版社でした。 半年前の作品がチョ・ナムジュという作家の「82年生まれ、キム・ジョン」で、筑摩書房でした。 で、最近の本がキム・ヘジンの「中央駅」で、彩流社です。 図書館の締め切りのプレッシャーで「中央駅」を、まず読みました。作品の力強さ、予想もしなかった展開に、びっくり仰天しました。これはちょっとすごいんじゃないかという気持ちで、「82年生まれ、キム・ジョン」を読みました。こちらも、おおいに納得しました。 二冊読み終えて思わず叫びました。(叫んでませんが。) 「韓国文学はすごい!」 ところで、この二つの作品には、明らかな共通点が二つあると思いました。 一つは、女性の、それも30代後半から40代の、ぼくからみるととても若い作家によって書かれていることです。 二つめは、「社会の中の人間」を真正面から描くことで「社会」を活写していることです。 「中央駅」については別に感想を書きたいと思っているので、ここではチョ・ナムジュ「82年生まれ、キム・ジョン」(筑摩書房)を読みながら、まあ、読み終えてですが、考えたことを書いてみようと思います。 読み始めて不思議に感じたことが二つありました。二つとも登場人物の名前の表記に関することでした。 一つめは、名前を与えられている人物が、個々の会話の中を除いて、例えば、主人公をキム・ジョン氏、その祖母をコ・スンプン女子といったように「敬体」で書かれてことです。 作家は「小説の書き手」が、こういう書き方に「何か意図をこめている」ということを読ませたがっているのかなというのが第一印象でした。 二つめも名前に関することですが、主たる登場人物に限らず、主人公キム・ジョン氏の夫であるチョン・デヒョン氏以外の男性登場人物には名前が与えられていないことです。 登場する男性はすべて、「父」、「弟」、「先生」という社会関係を示す名詞で呼ばれていて、何と会話のなかでも、ほとんど「実名」が出てきません。 これは、家族や学校、職場での人間関係のリアルな描写を描いている小説としては、かなり異様なことだと思います。 ぼくが、読みながら、名前にこだわったには理由があります。韓国や中国の現代小説を読むと、人名表記がカタカナになっていますが、以前は中国文学も朝鮮文学も漢字でした。 ぼく自身もそうですが、翻訳の読者の多くはハングル表記も簡体中国語表記も知らないわけですから、翻訳の出版物が「名前」を「カタカナで表記」するのは当然なのだろうと思います。しかし、読み辛いのです。 最近、韓国の映画を見るようになりました。ネットの「映画情報」や、印刷された「チラシ」に記されている監督や俳優の名前も、たいていカタカナ表記になっています。これが覚えられません。 ぼくの中にある「韓国」や「中国」に対する「視線」の質が問われる問題を含んでいると思いますが、いかんともしがたいというのが本音です。 くわえて、ぼくにとっては、中国や朝鮮の人名が「カタカナ表記」だと、その人物の性別を読み取る手掛かりがありません。カタカナの読み仮名はふってありましたが、李夢龍、成春香、王龍、阿蘭というような表記に出会い、登場人物の性別に見当をつけながら読んできたという経験が通用しないのです。 まあ、そういうイジイジ読みをしているからなんでしょうね、名前が気になるわけです。 文体にも、いかにも事務的な書き方、「記録文」的な特徴がありましたが、それはさほど気にならないまま、最終章に至って謎が解けました。 キム・ジョン氏とチョン・デヒョン氏の話を元にキム・ジョン氏の人生をざっと整理してみると、以上のようになる。 最終章「2016年」の書き出しで謎が解かれていました。精神的な体調を崩した、主人公キム・ジョンが通院することになった病院の、主治医による診療「カルテ」の記録だったのです。小説の書き手は精神科の男性医師でした。 記録は「2015年秋」の発症の様子を描いた第1章に始まり、「1982年~1994年」から「2012年~2015年」まで、幼児期から学齢期、成人して結婚、出産に至る生活暦として記されています。 小説としての、最初の読みどころは、このカルテの記録部分に書かれているさまざなエピソードとキム・ジョン自身の感想を描いている80年代以来の「現代韓国」の社会の描写にあると思います。 韓国で、多くの、おそらく女性読者に支持され、「キム・ジョンは私だ」という言葉まで生まれたらしいのですが、その理由は、普通の女性の、今の社会のなかでの「生活の辛さ」がカミングアウトされているところにあると思います。 読者は、このカミングアウトの「記録」が、偏見に偏ることなく、客観的に記録された事実であるようだという印象を抱き、自己投影できる「安心感」と「同情・シンパシィー」を育てながら読み進む仕組みになっています。「キム・ジョン氏」という、他人行儀な呼び名の使用の一つめの成果と言っていいのではないでしょうか。 しかし、小説はそれでは終わりませんでした。最終章は、先ほども言いましたが精神科医の独白です。この章を最後までお読みになればわかりますが、1章から5章に至る、公平で客観的な「記録」的記述そのものが「男性」の眼差しで書かれていたものであることが明らかにされます。 読者に「シンパシィー」を作り出した「記録」を書いた医師もまた「男性」性の呪縛の中で、呪縛に気付かない「男性」として生きている人物だったのです。 「公平」で「共感的」な文体そのものが、「男性性」の産物であったというわけです。 ここまで読み終えた「男性」読者諸兄は、まあ、ぼくがそうだったということですが、作家の社会に対する「まなざし」の厳しさに打ちのめされるのではないでしょうか。 言語行為、法、社会通念、すべてがミソジニーをその根本に隠し持っているという告発をさらりと書き上げたこの作品は、男尊女卑が社会問題化されている韓国にとどまらず、「嫁」などという呼称が平然とテレビ画面で連呼されている我々の社会に対してこそ有効な批判の書であると思いました。 ところで、ずっと気にかかっていた「男性」の登場人物に「名前」が付けられていない不思議についてです。 この小説全体は、「男性」精神科医の手記です。しかし、文章全体に、ただ一点だけ、作家の「たくらみ」が仕込まれてるポイント、それが女性には名前を与え、男性を社会的記号として描いている点ではないでしょうか。 その描き方に、作家チョ・ナムジュの、主人公キム・ジョンが生きる社会に対する「怒りの表象」があらわれているとぼくは感じていたのですが、そこについて巻末の解説で伊東順子氏が論じていました。解説は本書をお読みいただくほかありませんが、この描き方は「ミラーリング」という批判の手法だそうです。 その点をこだわるなら、この小説全体が、作中人物によって書かれた「手記」ではなく、作家自身による「挿入」と読むこともできます。要するに小説の作法として少し変じゃないかということです。「語り手」と「語られている内容」が矛盾するというわけです。この登場人物が、本来そのように語ることができない「語り」を語っているという意味では、小説として破綻しているといえないわけではないとぼくは思います。しかし、この登場人物に語らせたことが、現実に対する批判の深さも獲得してもいるわけです。 まあ、そこにこだわるよりも、「作品」の主張に素直に耳を傾けるべきだろうとぼくは思いました。 ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.07.09
コメント(0)

岡井隆・馬場あき子・永田和宏・穂村弘「新・百人一首」(文春新書) どうしてこの本を読もうと思ったのか、よくわからないのですが、新コロちゃん騒ぎの間に図書館に予約していました。「新・百人一首」という書名の企画は、多分これまでにもあります。 ぼくが知っているものでは丸谷才一「新・新百人一首(上・下)」(新潮文庫)ですが、丸谷の企図も、それ以外の試みも古典和歌が対象でした。 本書の新しさは、明治から現代までの歌人100人です。近現代の、特に、比率として戦後の歌人の短歌を多く選んでいるところが特徴です。 歌を選んでいるメンバーも、御存命の歌人としては、最もメジャーな方たちで、文句はありません。 選歌の基準について馬場あき子さんは「カルタにして取れる歌」とおっしゃっていて、教養としての現代短歌というのでしょうか、楽しく読めるアンソロジーになっているのかもしれません。 しかし、近現代、特に現代短歌を「カルタ会」の場で読み上げるのは、なんだか自己矛盾を感じさせるのですが誤解でしょうか。少々「かったるい 」、まあ、平和なうたが多いような気がしました。 興味をお持ちの方は、どんな百人のどんな歌が選ばれているのか、手に取ってお読みいただくのがよろしいのではないでしょうか。 「というわけで」、というわけでもありませんが、我が家の同居人チッチキ夫人と二人でこの本の中に引用されている歌から十首づつ選んでみました。二人の十人一首というわけで、二十人一首ですね。 生まれの早い順に並べてみるとこうなりました。 江戸正岡子規(1867年―1902年 34歳) 瓶にさす 藤の花ぶさ みじかければ たたみの上に とどかざりけり 「竹乃里歌」 クマ やはり近代短歌といえばこの人を外すわけにはいきません。ただ一人の「江戸」生まれでした。年齢は歌人が亡くなった時の御年です。下段のカッコは所収歌集、「クマ」は選んだ人です。明治斎藤茂吉(1882年―1953年 70歳) のど赤き 玄鳥ふたつ 屋梁にゐて 足乳根の母は 死にたまふなり 「赤光」 クマ土岐善麿(1885年―1980年 94歳) あなたは勝つものとおもってゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ 「夏草」 チ北原白秋(1885年―1942年 57歳) 君かえす 朝の舗石 さくさくと 雪よ林檎の 香のごとくふれ 「桐の花」 チ・クマ石川啄木(1886年 26歳) やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに 「一握の砂」 チ・クマ土屋文明(1890年―1990年 100歳) にんじんは 明日蒔けばよし 帰らむよ 東一華の花も 閉ざしぬ 「山下水」チ釈迢空(折口信夫)(1887年―1953年 66歳) 葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道 を行きし人あり 「海やまのあひだ」クマ 斎藤茂吉が石川啄木よりも年上だったことに驚きました。白秋と啄木のこの歌は満票(二人の、ですが)でした。 この辺りの歌は仕事でなんども出会っています。何度も読むということは、好きになるということとつながっているのでしょうか。大正山崎方代(1914年―1985年 71歳) こんなにも 湯呑茶碗は あたたかく しどろもどろに 吾はおるなり 「右左口」チ・クマ清水房雄(1915年―2017年 101歳) 三人の子三人それぞれにかなしくて飯終るまで吾は見てゐる 「一去集」チ森岡貞香(1916年―2009年 93歳) けれども、と言ひさしてわがいくばくか空間のごときを得たりき 「百乳文」チ塚本邦雄(1920年―2005年 84歳) 日本脱出したし 皇帝ペンギンもペンギン飼育係も 「日本人霊歌」チ・クマ中条ふみ子(1922年―1954年 31歳) 出奔せし夫が住むといふ四国目とづれば不思議に美しき島よ 「乳房喪失」チ前登志夫(1926年―2008年 82歳) この父が 鬼にかへらむ 峠まで 落暉の坂を 背負はれてゆけ 「霊異記」チ 山崎方代という人は「ほうだい」と読むそうですが、男性歌人です。「口語」というのでしょうか、ことばが「やわらかい」のが印象的です。 塚本邦雄の歌に初めて出会った時の驚きは今も忘れませんが、これを国語の授業で扱うのは至難の業でしたね。昭和(戦前) 尾崎左永子(1927年 93歳 存命) とどろきて 風過ぎしかば 一呼吸 おきてさくらの ゆるやかに散る 「星座空間」チ 寺山修司(1935年―1983年 47歳) 海を知らぬ 少女の前に 麦藁帽の われは両手を ひろげていたり 「空には本」チ・クマ 岸上大作(1939年―1960年 21歳) 装甲車 踏みつけて超す 足裏の 清しき論理に 息をつめている 「意思表示」クマ 寺山修司の「レトリック」と、岸上大作の「清冽」が、二十歳の頃の「短歌」との出会いの記憶です。特に岸上の「意思表示」は単行本を買ったように思います。それにしても、21歳の「青年」だったのですね。 ぼくは「遅れてきた青年」でしたが、そういう時代だったのでしょうか。昭和(戦後) 花山多佳子(1948年 72歳 存命) プリクラの シールになって 落ちてゐる むすめを見たり 風吹く畳に 「空合」チ 島田修三(1950年 69歳 存命) ボケ岡と 呼ばるる少年 壁に向き ボールを投げをり ほとんど捕れず 「晴朗悲歌集」チ永井陽子(1951年―2000年 49歳) ひまはりの アンダルシアは とほけれど とほけれどアンダルシアのひまはり 「モーツァルトの電話帳」クマ水原紫苑(1959年 61歳 存命) われらかつて 魚なりし頃 かたらひし 藻の蔭に似る ゆうぐれ来たる 「びあんか」クマ 穂村弘(1962年 58歳 存命) サバンナの 象のうんこよ 聞いてくれ だるいせつない こわいさみしい 「シンジケート」チ・クマ 同時代の歌人ですね。人気の俵万智さんや加藤治郎さんが入っていませんが、「新・百人一首」には入っています。チッチキ夫人が花山多佳子さんや島田修二の歌を選んでいるのに、何となく納得しました。 水原紫苑さんは、最近のぼくのひいきですが、還暦を越えていらっしゃるのに驚きました。 並べ終わって気づきました。二十一首ありますね。はははは。というわけで、「二十一人一首」、お楽しみください。 ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.07.08
コメント(0)

「100days100bookcovers no8」いとうせいこう「想像ラジオ」(河出書房新社) KOBAYASIくんから」頂いた「お題」はポール・オースター「幽霊」でした。翻訳は柴田元幸ですね。そのあたりが切り口かと考え始めました。 柴田元幸の翻訳と初めて出会ったのは白水Uブックスなのは確かな気がします。30年前くらいのことだから確かじゃないのですが、オースターの「鍵のかかった部屋」だったかもしれません。 そのあとオースターは新潮文庫で読みました。恐ろしいことに何も覚えていませんが、行方不明の男が出てきたような気もします。「吾輩は犬である」みたいな作品「ティンブクトゥ」は単行本で買って、長く枕元にありました。読み始めるとすぐに寝てしまういい本でした。 「幽霊」は青とか赤とか緑とか、ニューヨークの幽霊の話だったような、なかったような記憶しかないのも困ったものです。 そういえば登場人物に色を付けて喜んでたノーベル賞候補もいたなとか思い浮かびましたが、これは、もろに「打越」というわけで、とりとめがありません。ここのところ翻訳続きなので、柴田元幸がらみは避けたいですし。 えーい、幽霊船に乗って海をわたるか、そう思うと浮かんでくるのは「雨月物語」だったりするんですよね。いやー、そりゃあ、いくらなんでも・・・。 素人が「歌仙」の会に引っ張り出されると、こんなふうに悩むって、皆さんご存知ですか?で、思い付きで頑張るわけです。あっ、ありました。幽霊いっぱい出てきまーす。ホッ! いとうせいこう「想像ラジオ」(河出書房新社) 亡くなった文芸批評家加藤典洋が、「戦後文学」に対して「災後文学」という言い方をしたことがあります。ぼくの中で「災後文学」といえば、最初に浮かぶのがこれです。 いとうせいこうは「ノーライフキング」というPCゲーム小説で登場した人です。なんとなく正体不明でした。編集者で家庭菜園だかの雑誌作ったり、作家の奥泉光と組んで文芸漫談をやったりするピン芸人で、ラップを歌う歌唄いで・・・・、で、この小説で小説家確定だったのですが、それからまたどうしているのか、あんまり多彩でついていけません。 作品はラジオ番組のパーソナリティー、「たとえ上手のおしゃべり屋、DJアーク」の一人語りです。アークは本人がいうには「箱舟」の意味だそうですが、それにどんな意味があるのかは読んでのお楽しみです。 電話リクエストの番組なので音楽がかかります。この音楽がシャレてるんです。さすがいとうせいこうという感じです。一曲目がザ・モンキーズ「デイドリーム・ビリーバー」、小説の終わりとともに番組が終わる、最後にかかるのがボブ・マーリーの「リデンプション・ソング」です。作品の中でも解説していますが脳腫瘍で亡くなるボブ・マーリーの最後のアルバムの中の名曲ですね。訳せば「救いのうた」でしょうか。 初めてお読みになる方には、番組でかかる音楽をユーチューブかなにかでお聞きになりながらお読みになることをお勧めします。きっと泣けること間違いなしです。 というわけで、SODEOKAさん、おあとをよろしくね。 (2020・05・19 SIMAKUMA)追記2024・01・18 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.07.07
コメント(0)

野田サトル「ゴールデン・カムイ(22)」(集英社) 「ゴールデン・カムイ」の単行本を一冊づつ紹介してやろうという「野望」に燃えていましたが第4巻であえなくダウンしているうちに話はどんどん進んでしまいました。 登場人物たちが北海道から樺太へ移動するという展開になってしまって、ロシア革命の話から、アリシバちゃんのお父さんの出生の話から、もうてんやわんやなんですよね。 で、6月の末にマンガを届けてくれたヤサイクンがこう言いました。「もうわけわからへんな。新しいのが出たらそこまで読み直さんと付いて行かれへんやんな。」「まあ、そのうち読み直すということで、何となくついていけてるぐらいの感じでええんとちゃうの。」「そういうけど、なんで樺太に行ったか、覚えてるか?」「ええっと?覚えてません。」「ホラ!」というわけで6月の「マンガ便」です。届いたのが最新号、野田サトル「ゴールデン・カムイ22巻」でした。 このマンガの面白さは不死身の男杉元とアイヌの天才少女アリシバちゃんの二人三脚に、アホの白石君が絡み、「北方の文化」、「自然」、そして「食卓」をあれこれ紹介する珍道中だと思うのです。 ところが「樺太」編の間は、とても三人組の珍道中というわけにはいかない「しっちゃかめっちゃか」の状態だったように思いました。 作者には「物語」の着地点は見えているのでしょうが、「どうなるのか」の予想が立たない「おろかな」読者である、まあ、ボクも含めた「ゆかいな仲間」たちには、ほとんど、お手上げの展開が続いてきました。 エピソードが単行本ごとに独立しているわけではないので、その巻だけ読んでも「わけがわからん」ということになってしまっていて、「固め読み」をするとか、「フィードバック読み」をするとかしないと、いや、そうしても話の筋についていけないという感じでした。 で、22巻ですが、この巻の冒頭で、くだんの3人組が帝国陸軍第7師団鶴見中尉の追及から逃れ、ついに北海道に帰還します。 そこからは、以前の「ゴールデン・カムイ」調を取り戻したようで、なかなか楽しく読めました。 最初が流氷の上のシロクマとの対決です。 アシリバちゃんが白い「キムンカムイ」の神聖さと毛皮の価値を講義し、杉元と白石のドタバタです。これを待っていました。 二つ目が「砂金掘り」です。 もともと「アイヌの黄金」がこのマンガのお宝なわけですから、この話がどこかで出てこないはずはなかったのですが、ついに出てきました。 もっとも、「お宝」に目のない白石君の道化話かと思いきや、新たな「入れ墨男」の登場でした。久しぶりの登場です。そのあたりは本冊でどうぞ。 さて、22巻で気付いたことですが、アリシバちゃんの表情が少し変わり始めていますね。 いかがですか。表紙の彼女もそうなのですが、少し「大人っぽく」なってきていませんでしょうか。 樺太での、自らの出生の秘密と使命を自覚する体験の中で成長してきたのでしょうね。子どもっポイあどけなさ魅力の少女だったのですが、「地獄へ落ちる覚悟」を決めたようです。 果たしてアシリバちゃん、「女性」に変貌するときがやってくるのでしょうか。 やっぱり次号が楽しみですね。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.07.06
コメント(0)

「おおーっ!鉄人28号!」徘徊日記 2020年6月26日 新長田あたり 細田町から神楽町をぬけて歩きました。平壌冷麺のお店とか韓遊館とか、お寺も複数あります。 ここから、JR山陽線沿いに新長田駅の北側を西に歩いてJRの高架をくぐると若松町です。左手がJRと市営地下鉄の新長田駅の駅前広場なのですが、今日はそっちには寄りません。 で、横断歩道を西に渡って東急プラザだか何だか、昔はそんな名前じゃなかったと思うのですが、高層ビルの裏手に向かって歩くきます。 いました。本日のお目当て、鉄人28号です。 若松公園の北側から撮った鉄人です。後ろ姿ですが、一緒に写っている人と比べていただくと分かりますが、結構デカイんです。 横に回るとこんな感じですね。 赤ちゃんを抱いているおかーさんが座っていました。もう少し前に廻ってみますね。 まあ、自慢のポーズっていう感じでしょうか。次は正面から撮ってみましょうね。 ガニ股がちょっとダサいですね。でも、まあ、そうでないと鉄人じゃないですし。もう一枚正面から、こんな感じだとどうでしょう。 中々な存在感ですね。ベンチに座って、この姿を見あげながら昼食です。震災の後、この像ができた時には何だかなあ・・・と思いましたが、今となって見上げていると、「観音さん」とかよりいいですね。 時代が変わっても虚空に拳を突き出し続けている鉄人28号の寂しさのようなものを感じます。 でも、こうして座っている間にも、若いグループやカップルが楽しそうにポーズして写真を撮り合っていました。そういえば、さっきのおかーさんと赤ちゃんのところにも、おとーさん風の人が迎えに来たようです。 さあ、そろそろ行きましょうかね。ついでなので反対側からのポーズも撮りましょう。 こっち側からだと、なんか「気合ダー!」のアニマル浜口さんの「カラ元気ポーズ」みたいですね。 そういえば、真下から撮るのを忘れていました。それはまた今度、鉄人の股のぞきシリーズでもやりましょう。 若松公園でした。今日はついでに、もう少し西の鷹取駅まで歩きます。じゃあ、これでバイバイ。(その1)・(その2)はここをクリックしてください。ボタン押してね!
2020.07.05
コメント(0)

「おひさしぶり!鉄人28号!」徘徊日記 2020年6月26日 細田町あたり とりあえず、今日はこの「足」を見るのが目的です。高速長田の交差点から南に下ると御蔵通で、もう少し南に行くと菅原通です。一つ目の交差点を右に曲がれば御菅公園という小さな公園があります。 その向こうに新湊川に架かった桜橋がありますが、その橋の上から北を見ました。 向うに見えるのは高取山でしょうか。右手は長田区役所、左手の公園は新湊川公園です。一応写真を撮っておきますね。 四角いに切り餅のような石に、何というのでしょう、羊羹のような石がもたせかけてあります。 ゴム工業勃興の地だそうです。羊羹ではなくてゴムの塊でした。そういえばこの辺りは「シューズの町」です。小さな工場がたくさんあります。 他にも石碑がいっぱいありました。 これは「戦災復興」の石碑ですね。宮崎市長の名前があるのが懐かしいです。よくもあしくも戦後の神戸っていうイメージの市長でしたね。 1945年に神戸は、とてつもなく焼け野原だったらしいのですが、1995年、本当に半世紀後に、この辺りは再び焼け野原になりました。この公園もそのあとできたのでしょうか?何だか殺風景なんですが、石碑はあるんです。 「明治二十七・八年戦役従軍紀念碑」と彫ってあるのですが、石碑の表面には多分、人名でしょうね、無数(のわけはないのですが)に彫られています。日清戦争の碑なのでしょうね。でも、これは慰霊碑ではないのですね。ちょっと興味を惹かれますね。 こっちも明治二十七年とかの文字が見えますが、上の石碑とかかわるものかもしれませんが、よく見えません。太文字は「祀念碑」だと思いますが、何を祀ったのでしょうね。 なんだか目的地につきませんね。ここはどこかな? 細田町ですね。もう向うの交差点を左に曲がれば新長田駅です。「鉄人」が待ってます。じゃあ、次回は無事「鉄人」と再会しますからね。(その1)・(その3)ボタン押してね!
2020.07.04
コメント(0)

ロラン・バルト「喪の日記」(みすず書房) ロラン・バルトが亡くなって40年経っていた。その40年の間、ぼくは何をしていたのだろう。20歳で初めて読んだが、わからなかった。お経か呪文のように後生大事に、憧れ続けてきたが、ある40年経っても、わからないものはわからないということがあるということがわかったような、気だけする。 先日、二十代の友人がバルトを読むことの「快感」をネットのどこかに書き記しているのを見て、嫉妬して図書館で借りた。全面的な存在 絶対的である重さはまったくない重さのない濃密性(P267) 読み終える寸前に襲い掛かってきた、以前の「わからない」感覚にうろたえた。そこからページを行ったり来たりし始めた。これも、いつかの仕草だ。11月15日 ― 胸がはりさけそうになったり、いたたまれなくなったりして、ときおり、生がこみあげてくる(P53)自殺死んだら、もう苦しまなくなる、なんて、どうしてわかるのか?(P252) 交通事故で突如去ったロラン・バルト。彼が書き溜めていた、いや「書き溜める」なんていうことをバルトがしたとは思えない。しかし、数百枚のカードは整理されてあったらしい。 11月24日 わたしが驚く ― ほとんど心配に(不安に)なる ― のは、じつはこれは喪失ではないということだ(わたしの生活は混乱していないのだから、これは喪失のようにかたることはできない)。そうではなくて、傷なのだ。愛する心に痛い思いをさせるもの。(P67) 母の死を「傷」としてを苦しむ男がいることに突き放されてしまいそうになる。しかし、喪失のように語れないという言葉で引き戻される気がする。1978年7月18日 それぞれの人が、自分なりの悲しみのリズムをもっている。(P166)11月12日 きょう ― 私の誕生日だ ― 、病気なのだが、そのことを彼女に言えない ― いう必要がもうない。(P48) バルトの死から二十年近く経って、一冊の書物として編まれていた。そこには、まさに「エクリチュール」が、何の脈絡もない呟きとしてあるように見える。 脈絡をもとめて彷徨うのが「快感」だと、ぼくには言えない。40年前の記憶でもそうだった。1978年6月9日 けさ、サン=シュルピス教会の奥まで入った。建物のなかにいると、ただ広漠とした建築に陶然となる。―わたしはすこしのあいだ腰をかけ、無意識に「お祈り」のようなものをする。マムの写真の本がうまく書けますように、と。そして気がついた。わたしはいつも子供っぽい「欲求」によって前へ前へと引っぱられ、いつも願いごとをし、なにかを望んでいる、ということに。いつの日か、おなじ場所に腰をかけ、目を閉じ、なにも願いごとをしないようになろう‥‥。ニーチェが言っていた。祈るのではなく感謝するのだ、と。 そのようなことを喪はもたらすはずではないだろうか。(P141) いつの日にか、おなじ場所で。1979年9月15日 とても悲しい朝がある・・・・・。(P248) やはり、バルトは、バルトで、ぼくは、ぼくだった。いつの日にか同じ場所で、ぼくには感謝することができるだろうか?ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.07.03
コメント(0)

「ちょっと、ここ、いいですか?」 徘徊日記 2020年6月26日「アートヴィレッジから上沢あたり」 珍しく朝早くから出かけてきて、映画を見終わったら昼でした。新開地のアート・ヴィレッジの前で休憩して窓ガラスに映る道行く人の人影を撮っておもしろがっていると隣に「おバーちゃん」が座りました。「ここに座っていいですかしら?」「あ、ごめんなさい。タバコ止めますね。」「ありがとうございます。ここにね、デイ・ケアが迎えに来るんです。」「デイケア?」「あのね、体操するんです。お歌うたったり、お話ししたりじゃなくて体操。それで通っているんです。」「ああ、はい。体操ですか?」「あなたは、私の息子くらいでいっらしゃるかしら。私ね、90越えちゃったんです。」 新コロちゃん騒ぎで座るところがどんどん撤去されていて、街灯の礎石のベンチ(?)に二人で座っておしゃべりでした。 お年をうかがって、慌ててマスクを装着しましたが、まあ、大丈夫でしょう。しばらくおしゃべりをしていましたが、デイケアの送迎車はやって来ません。「じゃあ、ぼくは、ちょっとここから西のほうに歩けるだけ歩いて帰ります。お元気でいてくださいね。」「ああ、お元気ですね。じゃあ、さようなら。」というわけで、新開地本通りを北に上がって、上沢通を高速長田の方に向かって歩き始めました。 最近、電柱とかに貼られている住所標識を撮るのがうれしいのです。ここは上沢通四丁目です。もう少し歩くと30年前、職場に通っていた通勤路です。 写真のズーッ向うが房王子町で、遠くに小さく昔の職場が見えます。ここから歩けば5分ほどです。 で、ここは市営地下鉄の上沢駅です。職場の最寄り駅でした。周りの風景はかなり変わりましたが、駅の入り口は変わりませんね。自転車が勝手に留められているのも同じに見えます。 西に向かって、もう一駅歩くと高速長田駅です。ああ、もちろん市営地下鉄の長田駅もあります。 たどり着きました。高速長田の交差点です。ここには長田神社の石柱があります。カメラを少し左に向けていれば大きな鳥居が写ったはずなのですが、気が利きませんね。 神社そのものは、ここから北に歩いて5分ほどのところですが、ぼくは南に歩き続けるつもりです。では(その2)・(その3)に続きます。新長田駅の「鉄人」と出会うつもりです。今回はなんの見せ場もありませんでしたね。追記2022・04・17 新開地本通りにある神戸アートヴィレッジセンター、略称KAVC、カブックが、地下の小さな劇場でやっていた映画部門の活動を2022年の3月で停止しました。偶然でしたが、3月の30日だったかに映画を見に行っていて、顔見知りの職員の方に事情をうかがいましたが、ショックでした。1990年代の後半、ほとんど映画を見なくなっていたのですが、ここだけはちょくちょく通いました。半日がかりで「ショア」とか、想田和弘の「演劇1」・「演劇2」の二本立てを見たり、ナショナルシアターの鑑賞講座に参加したりしたのが思い出です。王子動物園の改修(?)問題が話題になっていますが、神戸市が最近やっている文化行政がお金を目安にして、露骨な節約・お金儲けを目的にしていることに、不愉快な気分を感じ続けていますが、ここも、たぶんその流れなのでしょうね。文化や教育をお金儲けの物差しで測り始めている世相には、つくづくうんざりします。 まあ、そういうことで、KAVCに出かけることもなくなるわけで、新開地のひなびた街角で、偶然出くわした、見ず知らずのおばーちゃんとはなしをすることもなくなると思うと、やはり寂しいですね。ボタン押してね!
2020.07.02
コメント(0)

ビッキー・ジョーンズ「フリーバッグ」神戸アート・ヴィレッジ 一昨年くらいから公開されたプロブラムを欠かさず見ていた「ナショナルシアターライヴ」だったのですが、これまた新コロちゃん騒ぎでストップしていました。神戸では、アート・ヴィレッジが上映してくれていたのですが・・・・。 そのアート・ヴィレッジが再開して、6月のプログラムに入っていたのがこれです。 先日もやって来たのですが、今日は受付にある体温県の仕組みを見せてもらいました。ちょっと小型ですね。裏側に液晶の画面があって肖像がうつります。一緒に温度も測れるそうです。 さて、ナショナルシアターです。今日はフィービー・ウォーラー=ブリッジという女優さんの「一人芝居」、「フリーバッグ」です。イギリスではBBCで、テレビドラマ化していて、人気番組なのだそうです。テレビでも主演はフィービー・ウォーラー=ブリッジらしいですが、一人芝居は舞台の場合だけのようです。 始まりました。舞台の中央に椅子があって、女優さんが座って喋りはじめました。どこかの会社の入社面接のようです。 映画.com こんな感じです。途中、何度か椅子から降りて、床に立つこともありますが、ほぼ、座ったままでしゃべり続けます。場面転換は「セリフ」と「間」で変わりますが、そのあたりの話術はちょっとしたもので、英語がわからないぼくにも理解できます。 ただ、一人芝居ということで、しゃべり続けられる英語に、ことばが理解できないぼくにはやはり「眠気」がやって来ました。性的なスラングが連発され、場面としてもかなり怪しげなシーンが演じられますが「眠気」は去りませんでした。もしも、自宅で横になって観ていたりすれば確実に寝てしまっていたと思います。 ちなみに「Fleabag(フリーバッグ)」の「Flea」は「蚤」のことで、「みすぼらしい人、ボロ宿、ノミのたかった動物」という意味なのだそうです。「フリーマーケットflea market」を「蚤の市」と訳しますが、あれも「蚤」なのですね。知りませんでした。 で、芝居で主人公が「フリーバッグ」なのは何故かという問題の答えは、ちょっと難しいですね。案外、彼女を取り巻く「世界」こそが「フリーバッグ」かもしれません。 所謂「ウェルメイド・プレイ」(well-made play)と総称されるタイプのお芝居で、オチもちゃんとあります。三谷幸喜という人のテレビ番組みたいな感じですね。(あんまり見たことはありませんが。)舞台に充満している嘘くささの中から、奇妙なリアリティを醸し出す女優さんの力量も大したものだと思いました。 大昔の話ですが、ボブ・フォッシーの撮った「レニー・ブルース」という映画を思い出しました。スタンダップ・コメディアンを描いた、あの映画の主人公は悲惨な最後を遂げるわけですが、このドラマの「悲惨」な主人公を演じているフィービー・ウォーラー=ブリッジは、とても「健全な人」だと思いました。演じている人の批評的ポジションは案外「上から目線」な印象でした。ぼくが「ウェルメイド・プレイ」だというのはそういう理由ですね。 というわけで、最後のセリフは、予想通り「Fuck!」でした。イギリスのお客さんは爆笑でしたよ。もちろんボクも笑いました。演出 ビッキー・ジョーンズ 作 フィービー・ウォーラー=ブリッジ キャスト フィービー・ウォーラー=ブリッジ2019年・88分・R15+・イギリス原題「 Fleabag」2020・06・26神戸アート・ヴィレッジ・センター 当日のポスターはこれです。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.07.01
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1
![]()
![]()
![]()