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徐 京植「プリーモ・レーヴィへの旅」(晃洋書房) 1970年代の後半に大学というところでうろうろしていました。普通の人の倍近く、なすこともなく無為に暮らしていた年月があります。モラトリアムといういい方で、何もしない学生を話題にする心理学者がもてはやされていました。本来は金融政策に関する政治学の用語だったはずなのですが、当時の青年たちの心理をそうよんでいました。ぼく自身は、まさにモラトリアムでした。図書館でこの本を見つけて思い出したのは、そのころのことでした。 あの頃、「徐兄弟救援」という、カンパと集会参加を呼び掛ける立て看板があったことを、ボンヤリ覚えています。 徐勝、徐俊植という在日二世の留学生の、兄は無期懲役刑、弟が10年近い禁固刑で韓国の軍事政権にスパイ活動の容疑でとらわれているのを救援するというアピールでした。 この本の著者が、その徐兄弟の弟だということに気付いて、この本を借りました。 あれから50年経ちました。大学生だった著者は大学で教えているようです。その彼がイタリアの作家、プリモ・レーヴィの墓に詣でる旅のエッセイが本書の内容でした。死ぬ日まで天を仰いで一点の恥なきことを、葉うらにそよぐ風にも私の心は苦しんだ。星を歌う心ですべて死にゆくものを愛さなければそして、私に与えられた道を歩んで行かなければ。今夜も星が風に吹かれる イタリアへの旅を語り始める第1章にこんな詩句が掲げられていました。 一九四五年、「治安維持法」違反の容疑で投獄され、福岡の刑務所で獄死した詩人尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩の一節です。 死因には「人体実験」の疑いがあるそうですが、もちろん、事実は解明されていません。なんとか遺体を引き取ることができた家族は、死者と共に半島を縦断し、当時「間島」という地名であった詩人の故郷まで連れ帰り、現在の中国東北地方、朝鮮族自治州の龍井市の郊外の丘の墓所に葬ったそうです。 それから半世紀後、この本の著者、徐京植は異郷で死んだ朝鮮人たちの土饅頭が広がる、その墓所を訪ね、詩人の墓の前に立ちます。 そして、その時の記憶をたどり直すことから、「プリモ・レーヴィへの旅」の記録を書き始めたのでした。 私はいま、真冬のイタリアにいるのだ。 私の父母はいずれも、一九二〇年代に植民地支配下の朝鮮から幼くして日本に流れてきた在日一世である。私は解放後の一九五一年、京都市で生まれた。尹東柱は自らの言葉である朝鮮語を守って命を落としたが、私はあらかじめ自らの言葉を奪われたまま、支配者の言葉である日本語を母語として育ったのだ。 母は一九八〇年に、父はその三年後の一九八三年に、相次いで世を去ったのだが、長く暮らした京都市の郊外に両親を葬った後、私は世界の諸国を歩きまわるようになった。旅の目的は多くの場合、美術館や古い教会で絵を見てまわることだが、いつの頃からか、事情が許す限り墓地に立ち寄り、有名無名、さまざまな死者たちの墓の前に立つことが習いとなった。 さまざまな墓の前で、私は、死者たちの声が聞こえてきはせぬかと耳を傾けてみる。だが、死者たちは何も語らない。墓は無言である。 「墓は無言である。」しかし、いや、だからこそでしょうか。墓前に立つ覚悟を決めるかのように、「凄まじい政治的暴力に」さらされて生き、そして自ら命を絶ったプリーモ・レーヴィが残した作品を丹念に読み返します。そこで想起されるアウシュビッツの悲惨が、そして、帰ってきて「向こう側」の記録を書き続けた作家の苦悩が考察されます。 それらの考察は、二人の息子をを獄中に奪われて、もだえ苦しむように死んでいった父母や、軍事政権によって20年以上も獄中生活を強制された兄たちや、殖民地下の朝鮮人たちへと広がってゆきます。 あたかも、それは、「お前は何をしてきたのだ」と、在日2世の著者自身の半生を問い返すかのような長い思索の旅の記録です。 やがて、何度も、何度もレーヴィの自死の姿が思い浮かべられます。考察は、必然のように「あなたは何故自ら命を絶ったのか」という問いへと収斂し、レーヴィの墓前へと著者を誘うかのようです。PRIMOLEVI1745171919-1987 これが、たどり着いたプリーモ・レーヴィの墓碑銘のすべてだったそうです。ここでも、やはり、墓は無言でした。プリーモ・レーヴィの墓の前に、私は立っている。これは何という死なのか?どんな絶望が、あるいは、どんな倦怠が、彼を襲ったのだろう?死者はもう、何も語らない。墓は無言だ。墓碑に刻まれた174517という数字・・・ 「あなたは何故自ら命を絶ったのか。」 著者が長い考察の末にたどり着いたこの問いを拒むかのように、墓はそこに在りました。 どこで生まれ、どこで死んだのか、レジスタンスの闘士でありアウシュビッツの生き残りであったこと、作家であり化学者であったこと、妻や家族の名、何も記されていない。六桁の数字が何を意味するかは、わかるものにしかわからないのだ。しばらくして、はっと気づいたのだが、それはプリーモ・レーヴィの左腕に入れ墨された囚人番号なのである。 これは「ニヒリズム」への旅の記録だったのでしょうか。20世紀、世界を覆った悲惨を、過去のことだと、「向こう側」のことだとして忘れ去ろうとしている21世紀の現在があります。我々の暮らしている国も、もちろん例外どころではありません。 ここに、「向こう側」から奇跡的に生還しながら、「こちら側」の過酷の中で自ら命を絶った「人間」の墓があります。「向こう側」で入れ墨された「174517」という数字だけを、墓碑として残した「人間」、プリモ・レーヴィの墓です。 彼は「向こう側」から帰ってきたことによって、「こちら側」にある「向こう側」に、より一層苛まれ続けたのではないでしょうか。 いったん「向こう側」の悲惨を経験した人間は、生涯「自由」を奪われる続けるという、考えようによれば、より苛酷な悲惨が「こちら側」に「現在」するということを、墓碑銘に記された「174517」は語っているのではないでしょうか。 他人ごとではありません。「慰安婦」であれ「いじめ」であれ、レーヴィにとっての入れ墨のように、何年たっても「奪い続ける」のです。それを忘れての「明るい」未来や、「わたしの幸福」はあり得るのでしょうか。 蛇足ですが、本書で、著者が入念に読み返すプリーモ・レーヴィの作品群への考察は格好の書評であり、紹介、レビューでもあります。忘れられつつある作家ですが読みごたえがあることは間違いないと思います。 ああ、それから尹東柱は、韓国では国民詩人と呼ばれているようですが、詩集は金時鐘の訳で岩波文庫に収められていて手に取ることができます。是非どうぞ。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.31
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谷川俊太郎・瀬川康夫「ことばあそびうた また」(福音館書店) 谷川俊太郎さんの「ことばあそびうた」を案内しましたが、ヤッパリ、「ことばあそびうた また」(福音館書店)も、もののついでということで、いや、ことのついでが正しいか?少し、ご「案内」しようかと思います。 こっちの表紙は、表も裏も、ご覧の通り「かえるくん」が大集合です。もちろん瀬川康夫さんの絵ですが、残念ながら、瀬川さんは、もう、この世の方ではありません。 松谷みよ子さんの「いない いない ばあ」(童心社)という、チョー有名な絵本の画家さんといえば、「ああ あのくまさんの」とお気づきになるでしょうか。 エエっとあったはずなんですが。ないですねえ。ああ、これです、これです。 はじめておうちに赤ん坊がやってきて、はじめてよんであげて、はじめて笑ってもらった本だったような気もします。 松谷みよ子さんも、5年ほど前に亡くなっていらっしゃるようです。お世話になりましたね。 で、「ことばあそび また」の「かえるくん」ですね。 かえる 谷川俊太郎かえるかえるはみちまちがえるむかえるかえるはひっくりかえるきのぼりかえるはきをとりかえるとのさまがえるはかえるもかえるかあさんがえるはこがえるかかえるとうさんがえるはいつかえる 父さんガエルさんがどのあたりをうろついていいらっしゃるのかといいますと、この辺りのようですね。 このへん 谷川俊太郎このへんどのへんひゃくまんべんたちしょんべんはあきまへんこのへんどのへんミュンヘンぺんぺんぐさもはえまへんこのへんなにへんてんでよめへんわからへん 今夜も、おとうさん、どうも、帰っていらっしゃらないようですね。このあたりは、どのあたりなのでしょね。四丁目の赤ちょうちんのあたりでしょうかね。 いのち 谷川俊太郎いちのいのちはちりまするにいのいのちはにげまするさんのいのちはさんざんでよんのいのちはよっぱらいごうのいのちはごうよくでろくのいのちはろくでなししちのいのちはしちにいれはちのいのちははったりさくうのいのちはくうのくうとうのいのちはとうにしにじゅういちいのちのいちがたつ というわけで、そろそろ退場ですかね。新しいいのちに期待することにいたしましょう。 で、これが裏表紙です。 おしまい。追記2020・05・30「ことばあそびうた」の感想はここをクリックしてみてください。追記2022・05・31 「谷川俊太郎さんがらみの絵本を!」と思いついて2年前に投稿し始めたのですが、頓挫していますね。思いついては、忘れるということが、ここのところ頻繁におこりますが、くよくよしてもしようがありませんね。また思いついたので、また始めればいいじゃないかという毎日です。 というわけで、最近また思いついて「あいうえおつとせい」とか、案内しました。また覗いてくださいね。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.30
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谷川俊太郎・瀬川康夫「ことばあそびうた」(福音館書店) 北海道のお友達の家にアカゲラがやってきて、ログハウスのドアから柱から、コツコツやるので困っているというお話しを聞きました。 経験も実害もないぼくはうれしくなって思いだしました。もちろん、うれしくなったりしてはいけません。お友達のお家が三日月になってしまうなんて想像するのは、もっといけません。 うそつききつつき 谷川俊太郎うそつききつつききはつかないうそをつきつきつきつつくうそつききつつきつつきにつつくみかづきつくろとつきつつく 詩人の谷川俊太郎と画家の瀬川康夫が1973年につくった絵本です。「ことばあそびうた」(福音館書店)、ちょっと信じられないことに定価は500円です。 これもまたチッチキ夫人の棚から拝借しました。むかし、ゆかいな仲間たちに大声で読んでやったような、やらなかっったやうな。 一つだけというのも、もったいないからもう一つ。実に有名な詩だけど、この辺りでは見かけません。北海道にならこいつも、まだいるかもしれないですね。 かっぱ 谷川俊太郎かっぱかっぱらったかっぱらっぱかっぱらったとってちってたかっぱなっぱかったかっぱなっぱいっぱかったかってきてくった で、これが裏表紙です。なんか、とてもシャレてますね。登場人物(?)たちの肖像が、みんな描いてあるようです。瀬川康夫の絵が、妙に懐かしいのですね。「日本昔話」でも出会ったかもしれませんね。 ああ、それから、この絵本には続きがあります。それはまたいつかね。追記2020・05・31 続きはこちらです。「ことばあそびうた また」の感想書きました。題名をクリックしてみてください。追記2022・05・29 2年前の投稿を修繕しました。コロナ騒ぎが始まったころでしたが、騒ぎはまだ続いています。どこまで続くのでしょう。ふと、ネットを見ていると「かっぱ かっぱらった」ってどういう意味かという質問があって驚きました。意味とか効果とかにとらわれる時代なのですね。 何の目的もないのにテクテク歩いて、歩き疲れて、鼻歌も出てこないし、そういえば口笛の吹き方もいつの間にか忘れそうな徘徊老人は、できるだけ意味とか効果から逃げ出したい一心なのですが・・・・。 そういえば、つい最近も、摩耶埠頭の倉庫だらけの広大な敷地をヨタヨタ歩いていて、作業服姿の青年から「道に迷われたのですか?」と親切に声をかけられしました。 「そうか、イヨイヨ、ぼくも、迷って徘徊している老人に見えるんだ!」 まあ、自慢してもしようがないのですが、シマクマ君の徘徊も、ちょっとホンモノになってきたようで、うれしいような、情けないような気がしましたが、実際、歩き疲れてヘロヘロだったことも事実なわけで、トホホな体験でした(笑)。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.29
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「二人の実朝」小林秀雄「実朝」(新潮文庫)・太宰治「右大臣実朝」(新潮文庫) 平家ハ、アカルイ。ともおっしゃって、軍物語の「さる程に六波羅には、五条橋を毀ち寄せ、掻楯(かいだて)に掻いて待つ所に、源氏即ち押し寄せて、鬨(とき)を咄(どっ)と作りければ、清盛、鯢波に驚いて物具(もののぐ)せられけるが、冑(かぶと)をとって逆様に着給えば、侍共『おん冑逆様に候ふ』と申せば、臆してや見ゆらんと思はれければ『主上渡らせ給へば、敵の方へ向かはば、君をうしろなしまいらせんが恐なる間、逆様には着るぞかし、心すべき事にこそ』と宣ふ」という所謂「忠義かぶり」の一節などは、お傍の人に繰返し繰返し音読させ、御自身はそれをお聞きになられてそれは楽しそうに微笑んで居られました。 また平家琵琶をもお好みになられ、しばしば琵琶法師をお召しになり、壇浦合戦など最もお気に入りの御様子で「新中納言知盛卿、小船に乗って、急ぎ御所の御船へ参らせ給ひて『世の中は今はかくと覚え候ふ。見苦しき者どもをば皆海へ入れて、船の掃除召され候へ』とて、掃いたり、拭うたり、塵拾ひ、艫舳に走り廻って手づから掃除し給ひけり。女房達『やや中納言殿、軍のさまは如何にや、如何に』と問ひ給へば『只今珍しき吾妻男をこそ、御覧ぜられ候はんずらめ』とて、からから笑はれければ」などというところでも、やはり白いお歯をちらと覗かせてお笑いになり、アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。と誰にともなくひとりごとをおっしゃって居られた事もございました。 それにしても息の長い文章ですが、太宰治「右大臣実朝」(新潮文庫)の最も有名な一節です。以前「惜別」を紹介しましたが、同じ文庫に収められていた小説がこの作品です。「惜別」と同じく太平洋戦争のさなかに書かれた作品ですが、鎌倉幕府の三代将軍です。 日本史をやっている人は知っていると思いますが、北条氏の陰謀の中を生きて、死んだ。悲劇の将軍源実朝の生涯を、お側に仕えた少年が二十数年後に語るという構成をとっています。 「惜別」に比べてずっと工夫が凝らされていておもしろいと思いますが、今日はその話ではありません。実は、その作品を読みながら思い出した評論があります。 小林秀雄の「実朝」(新潮文庫「モウツァルト・無常ということ」所収)です。 小林秀雄といえば、ぼくたちの世代には入試現代文の鬼門、最後の難関と受験生から怖れられた文芸評論家ですが、今は教科書には掲載されていても、今、使っている筑摩書房の現代文の中にも実際ありますが、授業ではやらない人の代表のようになってしまいました。 諸君に対しては失礼な話ですが、今の高校生の教養ではとても理解できないと教員の方が諦めている様子で、鬼門どころか彼岸ということになってしまいました。授業をする教員も此岸の人かもしれないところが寂しいのですが・・・。まあ、人のことは言えませんね。 はははは。しかし、読みさえすればわかるのが書物というものだと思いますから、是非お読みください。 箱根の山をうち出でて見れば浪の寄る小島あり、供の者に此のうらの名は知るやと尋ねしかば、伊豆の海となむ申すと答へ侍りしを聞きて 箱根路を われ越えくれば 伊豆の海や 沖の小島に 波の寄るみゆ この所謂万葉調と言われる彼の有名な歌を、僕は大変哀しい歌と読む。実朝研究家たちは、この歌が二所詣の途次、読まれたものと推定している。恐らく推定は正しいであろう。彼が箱根権現に何を祈って来た帰りなのか。僕には詞書にさえ彼の孤独が感じられる。悲しい心には、歌は悲しい調べを伝えるのだろうか。―中略― 大きく開けた伊豆の海があり、その中に遥かに小さな島が見え、又その中に更に小さく白い波が寄せ、又その先に自分の心の形が見えてくるという風に歌は動いている。こういう心に一物も貯えぬ秀抜な叙景が、自ら示す物の見え方というものは、この作者の資質の内省と分析との動かし難い傾向を暗示している様に思われてならぬ。 とまあ、こんな調子です。 ところで、同じ、昭和18年に書かれたこの二つの作品は、まるで互いが互いをなぞるように書かれていると感じませんか。これは驚きでした。文学的にかなり遠い位置に立っていたのではないかと、勝手に思い込んでいた二人の近さを実感したぼくの読みかたは、勘違いなのでしょうかしら。 二つとも、さして長い作品ではありません。一度読み比べてみてください。(S)追記2020・05・28 大昔に高校生を相手に書いていた「読書案内」の記事です。読んでくれるのは高校三年生だったと思います。なんだか独り言のようですね。今となっては懐かしいのですが、PCのデータから、時々転がり出てきます。それにしても、古いデータというのは、いつの間にか壊れるのですね。追記2022・10・03 木田元という哲学者の「なにもかも小林秀雄に教わった」(文春新書)を、久しぶりに読み返していて、この案内のことを思い出しました。木田元の新書については、近々、案内しようと思っていますが、新書を読みながら、昭和の批評家の、まあ、小林秀雄のということですが、分厚さに驚嘆しています。いろいろ、あとを追って読んできたつもりでしたが、全く及んでいませんでした(笑)。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.28
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【BookCoverChallenge no7】草森紳一「本が崩れる」(中公文庫)【7日間ブックカバーチャレンジ】(7日目)(2020・05・27)です。 神戸の垂水の本屋さんで買ったレイ・ブラッドベリから始まりました。「焚書」、「印刷」、「装丁」、「図書館」、「批評」、「出版社」と「本」について思い浮かぶ子、あれこれについての「本」を紹介してきました。今日が、とりあえず最終日ですね。 最後はやはり、あれですね。こうなると、この本を紹介せずにはいられませんね。本といえば「蔵書」ですよね。普通の人は図書館に頼ります。でも、図書館では辛抱できない人がいるんです。 で、「本に埋まる」ということが起こります。そして、その本が崩れ、本の下敷きになるという地獄なのか、極楽なのかわからないことが起きるのです。「崩書」なんていう言い方はありませんが、「本」への蘊蓄がうれしかった最終日にふさわしいのは「本に埋まった」はなしです。この本ですね。 草森紳一「本が崩れる」(中公文庫) 写真を見ていただければ、お気づきでしょうが、これはネット上から借用した写真です。たしかに持っているはずの本がないのです。見当たらない理由は、明らかです、読んだのはこの一年以内ですが、何処に置いたのかわからないのです。 で、amazonで注文したのですがまだ届きません。まあ、この買い方にも危険な兆候はありますが草森紳一に比べれば可愛いものです。 フェイスブックに投稿した後、「物」が届きました。写真は手元の本をスキャナーで撮ったものに差し替わっています。まあ、どうでもいいことですが。 で、話を戻します。草森紳一はマンガから映画、中国文学、漢詩からナチスの宣伝手法に至るまで博覧強記の人です。読むと物知りになれますが、深すぎてついていけないこともしばしばあります。要するに、ちょっとめんどくさい人なのです。 懐かしい本ですが、伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」(新潮文庫)という1960年代に出た、懐かしいエッセイ集があります。天才伊丹十三のデビュー作みたいな本ですが、その編集者が草森紳一だったんだそうです。見える人には始めから見えていたんだなあ、って思いませんか? 2008年に亡くなりましたが、東京は江東区、門前仲町の2DKのマンションに3万冊余りの本! と暮らしていらっしゃったそうです。この本は、そのマンションで入浴中に脱衣所の本が崩れ落ち、風呂場での孤独な餓死の危機から、いかにして脱出できたのかという冒険譚がメインの随筆集です。 常識人である我々には、脱衣所にどれだけの本が積んであれば、浴室の外開きのドアが開かないなんてことが、起こりうるのか想像することもできません。 記憶する限り、彼は一時間やそこらで出られたわけではありません。もう必死だったようです。かなり、笑えます。 ちなみに、我が家のドアは内開きです。もちろん脱衣所にはチッチキ夫人が浴室に持ち込む本以外ありません。 松岡正剛の千夜千冊(1486夜「本が崩れる」)にも取り上げられています。詳しく知りたい人はそちらを検索してみてください。 そういえば思い出しましたが、神戸の震災の時に勤務先の高校の図書館の棚は、閲覧室も書庫もすべて倒れていました。一部の図書は回収しましたが、大半は取り壊された校舎と一緒に廃棄されました。 建物の内部のコンクリートの壁に「Z」の文字状の亀裂が入っていたことが印象深いのですが、工事用のバールを担いで書庫を探検し、「朝永振一郎著作集」(みすず書房)を救出したことを覚えています。 電灯もないのに、棚がすべて倒れて明るくなった閲覧室の惨状を眺めながら、「本」というものは棚と一緒に崩れてしまうと手が付けられないということを実感したの覚えています。 「本」を捨てることが平気な人には想像がむずかしいかもしれませんが、草森さんのマンションの3万冊という本の量は、普通の高等学校の閲覧室の冊数より多い数です。だいたい教室というのは四十畳くらいの広さだと思いますが、図書館は普通、教室二つ分くらいの広さです。 草森さんは持っているはずの本を、はたして、自由に読めたかどうか、いや、それ以前に彼自身の生活空間があったのかどうか、想像すると笑い話ではなくなってしまいそうです。 というわけで7日間のチャレンジ終了です。 最終日の今日はキュートなヤングママ、「編集」と「四こまマンガ」のプロ(ちがうか?)の通称「小枝ちゃん」にバトンを渡して、再見! で、皆さん、明日から新しいチャレンジ「100days100 bookcovers」を始めます。メンバーはT・小林 くんとK・袖岡という三人です。港町神戸の丘の上にある学校の文学部文学科、国文学読書室、40年ぶりのおしゃべりトリオのチャレンジです。おもいつき第一回は小林君でーす。そういえば、小枝ちゃんも後輩だったような気がしますね。 というわけで、ゴジラブログ「BookCoverChallenge」のコーナーはしばらく続きます。みなさま、またのお越しををお待ちしています。是非お楽しみください。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.27
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アニエス・ヴァルダ「ラ・ポワント・クールト」元町映画館 緊急事態宣言発令の直前の、元町映画館で、ぼくはアニエス・ヴァルダの3本立て特集を観ました。この映画が1955年に撮られたヴァルダの長編デビュー作だそうです。「ラ・ポワント・クールト」は舞台になっている港町の名前だそうですが、「岬の先」くらいの意味のようです。 チラシの中ほどにある男の横顔と女の正面を向いた顔が直角に交差している写真がありますが、このモノクロ映画の一シーンです。 現実に、二人の人間がこのような重なり方をするシーンは十分あり得ますが、この角度で、この重なりを見ると意識することはよくあることとは言えないでしょう。ここに、若き日のアニエスがいるわけです。 70年代の学生たちは「これがヌーベルバーグだ!」と吹き込まれたことを鵜呑みにして、フランスのヌーベルバーグと呼ばれる監督たち、ゴダールやトリュフォーといった人たちの作品に飛びつき、憧れるために憧れたわけですが、何処がヌーベルバーグなのか解っていたわけではなかったということがよく解りました。 今見ても、映像の作り方が斬新なのです。立ち上がり始めた「物語」に亀裂を入れるかのような、こんなシーンが突然現れます。たとえばこのシーンは先ほどから続いていた、二人の会話のシーンの一部なのです。 ここだけ、ストップモーションで写真が挿入されているような印象とともに、見ている側の意識の中で、ようやく立ち上がりかけていた男と女の心理に、新たな陰影を残します。 映画.com「ラ・ポワン・クールト」フォトギャラリー 映画全体には、さしたるドラマがあったとは思えません。鄙びた港町がドキュメンタリーなタッチで素描されていて、それはそれで飽きないのです。飽きないといえば上の写真のようなシーンです。いいでしょ。しかし、見ているぼくにはこの港町に、主人公(?)の二人がいる理由がわかりません。 どうしても、意識はそこを追うわけです。が、結局よくわかりませんでした。にもかかわらず、ただ事ではなさそうな印象だけは残るのです。 結局、女はパリに帰ります。見ているぼくは、あまりなアンチクライマックスにため息をつくという結果でした。 にも関わらず、この映画は記憶に残りました。ぼくはあまりそういう見方をするわけではないのですが、ストーリーではなく、映像の面白さです。 彼女はヌーベルバーグの祖母と呼ばれているらしいのですが、何故、祖母なのかは知りません。が、確かにここには「新しい」ものがあると思いました。 さあ、意味不明な感想ですが、アニエス・ヴァルダをどこかの映画館で見せてくれる企画があれば、ぼくは必ず駆け付けますね。それは確かです。監督 アニエス・ヴァルダ編集 アラン・レネキャスト フィリップ・ノワレ シルビア・モンフォール1955年80分フランス原題「La Pointe Courte」2020・04・07元町映画館no43ボタン押してね!
2020.05.26
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【BookCoverChallenge no6】 三島邦弘「計画と無計画のあいだ」(河出文庫)【7日間ブックカバーチャレンジ】(6日目)(2020・05・25)です。 今日は「本」を「作って売る」出版社を、たった一人で作ってしまった人のお話しです。ヤッパリ「本」の話をするなら、思い出の文芸路線かな、なんて思いながら棚を見ていて、いやヤッパリこれにしようと路線変更しました。 「本」は書く人、それを出版する人、本屋に運ぶ人。それを売る人で出来ているわけで、出版社抜きには考えられません。普段は気付かない出版社のご苦労を聞いてみようというわけです。 三島邦弘「計画と無計画のあいだ」(河出文庫) 2006年のことですから、今から15年ほど前にたった一人で出版社「ミシマ社」を起業した男の話です 実家の破産、勤めを辞めてヨーロッパを放浪、帰ってきてつとめたNTT出版から逃げだして、起業するという暴挙に出ます。普通は失敗しますよね。しかし、「ミシマ社」は最近では内田樹とかの版元で頑張ってます。どうも、そこそこうまくいっているようです。どうなっているのでしょね。 前書きで三島邦弘はこう言っています。「いろいろな人のいろんな話」がミシマ社に落とされるのも、いま自分たちがいる「こっち」の世界に広がりを感じてくださっているからではないか。 ここで、「こっち」というふうに言っているところはどこなのでしょう。それを考えるには、本の出版・流通・販売のあらすじをたどる必要がありそうです。 一応前置きで断っておきますが、ここから書くことはぼくが知っているつもりのことであって、正確な事実ではありませんのでご注意ください。 ここで書店に並んでいる本の価格を1000円と考えます。その価格の取り分はどうなっているのでしょう。思い当たる費用負担者と負担率はこんな感じです。 出版社原価(紙・印刷・製本・編集・出版・広告・倉庫)40%、作家・著述者(著作料)10%、取次会社費用30%、販売書店費用20%。大雑把に言えば、こんな感じでしょうか。実際は取次費用はもっと多く、小売店費用はもっと少ないと思います。 具体的な数字で言えば、本屋さんは1000円売って多くて200円の商売です。 本は再販商品ですから、普通の商品と違うのは「取次」というシステムが存在することです。むかし東販という取次会社の大阪の倉庫に行ったことがありますが、巨大な倉庫風の建物の内部が新刊本の山だったことに驚いたことがあります。書籍流通の関西方面基地だったのです。 出版社の方から見れば、取次会社の意向が「本」の売れ行きを左右しているらしいことは、駅前書店や大型書店で山積みされている本のライン・アップが全く同じ顔をしていることでわかります。そうなると、よく売れる「良書」は内容と関係が亡くなってしまいます。 村上春樹であろうが百田某とかのインチキ本であろうが、売れると予想された本はそうした書店の平台を山積みで占領し、飛ぶように売れる、みんなの「良書」が演出されます。一方で街角の小さな本屋には、極端に言えば一冊も並んでいません。 流通を握っている会社が儲けだけを指針にした独占販売網を作り上げているとぼくが考えるのはそういう現象からの推理です。 そういう、どこかインチキの匂いがする「文化の商品化」を「あっち」の世界だと考えたのが三島さんのやり方なのではないでしょうか。 おそらく、町の本屋さんが「ミシマ社」の本を棚に並べるには覚悟がいると思います。不良在庫化のリスクを自らが背負わなければならないからです。それでも、直接取引で本を売ろとしたときに出てきた言葉が「こっち」ではないでしょうか。 出来上がった本はどうやって売られているのか、書き手との出会いから本屋さんの店頭まで、実は読者が知らないドラマが山盛です。 でも、多分この本のいのちは、「こっち」を作り出したいと考えた三島さんの文章にあるんじゃないかというのが、ぼくの読みでした。 本屋さんと呼ばれる仕事が、出版社も町の書店も、大変な時代になっているんですね。 さて、今日は、いつも夜勤の医療現場から楽しいメッセージをくれる、大昔からの友達で、いつまでたっても「働く美少女ママ」に三人目のバトンを渡したいと思います。 無理せず、ノンビリやってください。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.25
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【BookCoverChallenge no5】 丸谷才一・和田誠「女の小説」(光文社文庫) 「1週間で7冊」のブックカバーチャレンジの最中です。「本」について「焼く」、「印刷する」、「装丁する」、「図書館で借りる」とやって来ましたが、今日は「紹介する」ですね。3日目の和田誠さんの紹介で、さあ、つぎはと考えたのが装丁家和田誠が好きだった人、この「が」はそのまま主格なのか、和田誠さん「を」という意味の目的格なのか難しいですが、何となく相思相愛的な人たちとして思いうかんだ人が数人います。 最初に浮かんだのが村上春樹ですね。ところが彼は安西水丸という、もう一人のイラストレイターとも長いつきあいです。 次がつかこうへい。文庫版の表紙に描かれていたマンガ風のイラストカバーがとても好きだったのですが、彼の場合は「本」とのつながりがむずかしい。なにせ、演劇の演出家ですから。 それから和田誠が映画を撮った阿佐田 哲也こと色川武大。うーん博打の話になってしまいそうだ。 というわけで、ヤッパリこの人ですかね、という感じで作家の丸谷才一に落ち着きました。それに4日目に紹介した本のキーワードは「女」でしたよね、ピッタリのを見つけちゃいましたよ。題して「女の本を紹介する」話。 丸谷才一・和田誠「女の小説」(光文社文庫) 本がつくられたのが二十年前で、お二人ともが亡くなってしまった今となっては、ただ、懐かしいという思いでページを繰る本になってしまったわけですが、繰ってみるとそうも言っていられない「本」です。 丸谷才一が17人の女流作家を紹介し、和田誠がそれぞれにイラストをつけるというコラボなのですが、例えば第一章「誘拐されて」と題された紫式部「源氏物語」の「若紫」の紹介の表紙には雀の子を追う若紫の、なんともいえない、軽妙なイラストが描かれていて、もうそれだけでため息をついてしまいそうなのですが、ページを繰るとこんな文章で始まっています。「若紫」は、作りが派手で、読みでがある出来のよい巻だ。当時から評判だったらしく、藤原道長の邸の宴会で、酔っぱらった藤原公任が、紫式部に「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ」と言ったという話が「紫式部日記」に書いてある。 ねッ、読み始めるとやめられなくなるのはぼくだけではないと思いますよ。丸谷才一のブック・レビューの特徴は、作品や著者、その周辺事実に対する、おそるべき博覧強記なのです。 たとえばここでは道長と公任です。実はこの二人、同い年でライバル。血筋のポジションとしては公任に分があったはずなのですが、結果は道長の一人勝ちで「一家立三后、未曾有なり」と、もう一人のライバル実資(さねすけ)にあきれられた話は有名です。 公任は「三舟の才」というわけで、文才で名を遺しますが、実は同世代の出世頭だったことは、案外知られていませんね。 藤原公任が「頭の中将」に一番乗りしたころ、道長は公任や兄道隆の息子たちの栄達を遠くから眺めていた身分だったのですが、あっという間に道長の「わが世」が始まってしまいます。その間に、公任は「頭の中将」在位期間歴代一位という、ある意味、不名誉な記録保持者として名をのこしてしまうのです。 紫式部が執筆にあたって「頭の中将」を思い浮かべたとすれば、この人だった可能性だってあるかもしれませんよ。 なんてことを丸谷才一は先刻御承知に違いなくて、ここでは軽く流しましょうとでもいう書きぶりが憎いんですよね。 第二章はフランスの閨秀作家コレットの小説「牝猫」の紹介です。バトンをくれたSさんは大のネコ好きですが、この章の中には「ミャオ」、「ムルクルニャオ!」、「ネウネウ」、「ムゥルーィン」、「「ニヤア」という、古今東西、いろんな作品で描かれているネコの鳴き声が紹介されています。 もちろん「牝猫」ではネコが準主役です。名前はサア。他にJ・ジョイスの「ユリシーズ」のネコは有名かもしれませんね。英語で綴れば「マーキュリー」という鳴き声から、主人公ブルームの「旅」への連想が始まるカギになります。まあ、旅って言ってもダブリンの町をめぐるだけなのですがね。 谷崎潤一郎の「猫と庄造と二人のをんな」に出てくるのはリリーという牝猫、そこから「源氏物語」で女三宮が飼っていたネコのことが思い浮かんで、その唐わたりの牝猫の鳴き声を「寝む寝む」と誘いの声に聴く柏木くんがまで登場します。 中の一つはフランス語のネコの鳴き声ですが、それぞれどの作品の鳴き声かわかりますか? 蛇足ですが、15章で「女弟子であること」で紹介されているのがイザベル・アジェンデ、チリの大統領だった人の姪っ子ですが、ここで「師匠」とされているのが、コロンビアの作家ガルシア・マルケスでした。 この章では、マルケスの「百年の孤独」についても触れているのですね。一筆書きのような短い文章ではあるのですが、マルケスに関しての簡にして要を得た解説の章段になっていますよ。 まあ、このあたりの符合もうれしくて、5日目の本になったわけです。 さて今日は、仔猫のようなというのは失礼でしょうか、二月に一度、「本」を読んで、おしゃべりする会でお出会いする「美少女マコちゃん」にバトンをお渡しして、じゃあこれでバイバイ。六日目をお楽しみに。 ああそうだ、解答ですね。「ミャオ」:フランスでは、一般にこう鳴くそうです。「ムルクルニャオ!」:「ユリシーズ」ではこの鳴き声「Mrkr」から「メリクリウス」英語なら「マーキュリー」という神の名、ギリシア神話なら「ヘルメス」が連想されて主人公ブルームの旅へと、イメージがつながる話が書かれています。「ネウネウ」:女三宮が飼っている唐わたりのネコが三宮に懸想する柏木の膝で「床」を誘うように泣く声です。「ムゥルーィン」:これがコレットのネコ。「ニヤア」:谷崎のネコは「花」はサクラ、「魚」は鯛の紋切り型で「ニャア」ないし「ニヤア」なのだそうです。気付いてました? では、あらためてサヨウナラ。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.24
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ブレディ・みかこ「子どもたちの階級闘争」(みすず書房) 「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(新潮社)を読んで、この人は信用してよさそうだと思いました。イギリスで移民として暮らしながら、子供を育てている日常を書いている「立ち位置」というのでしょうか、事象を見ているポジションの取り方と、反応の感覚の鋭さに感心しました。 そんなことを、ぼんやり考えていた時のことです。 「久しぶりにせいせいしたわよ、これ。」 チッチキ夫人が台所のテーブルに置いたのがこの本でした。 ブレイディみかこ「子どもたちの階級闘争」(みすず書房)です。 ブレイディみかこさんが2008年から2016年にわたって、イギリスの「底辺託児所」・「緊縮託児所」でボランティア保育士として働いていた時に自らの経験を綴り、ブログに載せていた記録のようです。 全体は二部に構成されていて、第一部は「緊縮託児所時代」と題されていて、2015年3月から、2016年の秋までの記録です。保守党政権下で「緊縮託児所」と彼女が呼んでいる施設が閉鎖されるまでを描いています。 第二部は「底辺託児所時代」です。「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」にも少しだけですが、話題として出て来ていますが、無職者・低所得者支援センターにあった「底辺託児所」に初めて通い始めた2008年から2010年までの記録です。 特に第二部は、当時、すでに40歳を過ぎていたアジア系の移民であった著者が、まだ幼児だった息子を連れて、ボランティアに通いながらアニーという「師」と出会い、資格を取って保育士になるという、新たな決意と行動を促したに違いない、印象的な人との出会いが描かれています。 この本は、第一部では、目の前の「社会」における著者の実践を語り、その後、第二部で「かつて」の経験を語るという構成になっています。 この構成には、第一部に現れる、一見、過激に見える著者自身の現在の姿に対する読者のためらいや驚きを第二部を読むことで、自然な納得に変えていく意図があるように思いました。 例えば、ぼくは見過ごしてしまっているのですが、自己責任を謳う新自由主義の嵐は貧しい「子供たち」に対して、より一層苛酷に襲いかかりつつあり、ブレイディみかこの怒りは正当で、かつ無尽蔵だという納得です。 もう、巷では評判の人ですね。これ以上、あれこれ書くのはやめます。第二部にある、あるボランティアの女性ロザリオとの出会いのシーンを略述して掲載します。一度読んでみてください。 ブレイディみかこの、状況に対する揺るがぬ怒りを支えている出会いの一つがここに記されているとぼくは思います。 設立当初から当該センターに出入りしている洗濯場のおばはんの話によれば、ロザリーの母親はヘロイン中毒だったそうで、父親はDVで刑務所から出たり入ったりし、実質的にはロザリーの面倒を見ていた年老いた祖母が、託児所に幼い孫を預けに来たという。「でもそのおばあちゃんがまた、盗品を売りさばいて金儲けしてたストリート。ギャングの影の元締めで、警察がしょっちゅう家に出入りしていたから、ソーシャルワーカーがあの子を撮り上げに来たことがあった。ロザリーは泣きながら託児所に逃げてきたんだよ。自分はどこにも行きたくないって言ってね。だから母親が完全にクリーンになって病院から出てくるまで、アニーがあの子を引き取って面倒見たんだ。昔はね、そういうことを許す、上のあるソーシャルワーカーもいたんだよ。」 「綺麗な子だからね、早くからマセちゃって、あの子も手が付けられななかった。普通はね、そこでガキ生んで、上の学校なんか行かないで生活保護もらうようになって、ここの託児所にガキを預けるようになるのがこの辺の女の常なんだけど、その子の場合は全然違う形で帰ってきた。ここの出世頭だよ。」「アニーやセーラーやジョーや、底辺託児所で働く人たちがみんなであの子と母親を支えてきた。今時の世の中にはなくなってしまった、コミュニティ・スピリットがあるんだよ、ここには。」 ある日、底辺託児所で他の子の首にかみついた野獣児アリスのところへ、ロザリーが走って行くのを見た。「アリス、やめなさい」 そういいながら、かみつかれた子を抱きしめようと手を差し伸べたロザリーに、びくっとしてアリスが身を縮める。 底辺託児所ではよく見られる、被虐待児の特徴である。大人にたたかれ慣れている子供たちは、大人が自分の近くで手を動かすと反射的にびくっと身を縮める「アリス、そうやって怖がるのもやめなさい」 ロザリーは泣いている子を抱き寄せながら、ぴしゃりとアリスに言った。「そうやってびくびくすると、それが気に障ってもっとあなたを叩きたくなる人たちがいるから。叩かれたくなかったら、堂々としてなさい。とても難しいことだけど。ずっとそう思って、そうできるようにしていると、そのうちできるようになる。」 ロザリー。とは、英語でロザリオのことだ。 同じ祈祷の言葉を幾度も幾度も反復するロザリオ。 同じ腐った現実を幾度も幾度も反復する底辺社会。 しかしアンダークラスの腐りきった日常の反復の中にも祈りはある。 とても難しいことだけど、ずっとそう思って、そうできるようにしていると、そのうちできるようになる。 ロザリーはきっとその祈りを全うするためにここに戻ってきたのである。(「ロザリオ」2009・7・10) 資格取得の勉強をしながら働いていた託児所の洗濯場で、洗濯女であるおばさんから、ボランティアとして自分が育った施設に帰ってきて、すでに有能な保育士として活動する大学生ロザリーの子供時代の話を聞き、その後、託児所一の暴れん坊少女アリスの暴力沙汰を彼女が叱るシーンに遭遇した著者の経験を描いたシーンです。 こうして読んでみると、本書が「子どもたちの階級闘争」と名付けられなければならない理由が見えてくると思われませんか。追記2020・05・23ブレイディみかこ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(新潮社)の感想はここをクリックしてみてください。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.23
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【BookCoverChallenge no4】李琴峰「ポラリスが降り注ぐ夜」(筑摩書房) 【7日間ブックカバーチャレンジ】(4日目)(2020・05・22)です。 今日は2020年5月22日、金曜日。緊急事態宣言がなんだかよくわからないまま終わりそうで、「検事総長候補」が賭けマージャンで辞職とかいうバカみたいな話で大騒ぎが始まっています。で、ブックカバーチャレンジ・リニューアルは四日目です。 「三日目」が「装丁家」和田誠さんの紹介でした。「本を焼く」話、「本を印刷する」話、「本を装丁する」話ときて、さあ、お次は、というわけですが、今回は閑話休題、一休みです。あえて言えば「本を借りる」話、いや、「借りた本」の話です。 古い本ばかり並べて、なんだか時代に取り残された古本屋の棚みたいになりそうやんな、という反省に立って、今日は2020年2月の新刊本です。非常事態の前に図書館で借りました。 「本を借りる」といえば「図書館」ですね。「図書館」の話というと有川浩の「図書館戦争」とかになりそうです。面白いエンタメなのですが、あんまり安易なので気がさします。 というわけで、ちょっと、そのあたりの記憶の棚を掘りかえし始めると「ボルヘス」とか「ウンベルト・エーコ」とか、再び「古本屋」になってしまいそうです。そこで、すっぱりと、今、図書館から「借りている本」の話というわけです。 公共図書館はどこも休館です。でも、休館になる前に借りた本は手元にあります。返さなくてもいいわけでは、決して、ありません。閉まっている図書館の扉の横には「時間外返却ボックス」というものがあります。でも、こういうご時世ですから、この「返却ボックス」までが遠いわけです。 昨日も「読み終わった本は返してきなさい。」と同居人に叱られたばかりです。 こんなことをフェイスブックに投稿した時には言いました。昨日から図書館が再開しました。現実はいつも「うれしい!」と「かなしい!」・「つらい!」がセットです。 普段は表紙と目次だけ見て、結局、返却する本がたくさんあります。まじめな読書家から見ると、実に、許しがたい態度ですが、「カバー」を見ると借りたいという衝動を抑えることができません。 結果的に、読めるはずのない量の本を借り出すことになります。二つの図書館を利用しているのですが、今年の4月のはじめには借りた本が30冊を超えていました。 読まない本を読んだ気になることは、さすがにありません。が、その本が話題になったりすると、表紙と目次は見ているのですから「ああ、アノ本ネ」と返事をしてします。 それを「読んだ」と誤解するのは相手の勝手です。大変な読書量の読書家が相手の頭の中には誕生するのですが、単なる誤解です。山のように借りることはできますが、山のように読めるわけがありません。 ひどい話になっていますが、図書館が「再開してしまった」今となっては、元の木阿弥。また普段通りの「誤解される日々」に逆戻りしそうです。 それでも、徘徊老人シマクマ君は思うのです。「誤解してくれる人とでもいい。誰かと出会って、映画や本のおしゃべりをしたい。」 で、四日目の本はこれです。 李琴峰(り ことみ、Li Qinfeng)「ポラリスが降り注ぐ夜」(筑摩書房) 題名が洒落ていますね。著者とも作品とも、初めての出会いです。ちょっと調べてみると、1989年に台湾で生まれて、2013年に来日し早稲田の大学院を出た女性でした。お若いですね。日本で働いているようです。題を見て「ラノベ」系のファンタジーかなと思いましたが違いました。 ポラリスという言葉の意味は知っていました。「北極星」、北斗七星の柄杓の柄の先にある、こぐま座のアルファ星のラテン語の呼び名です。 この小説では新宿二丁目の女性専用の酒場の名前でした。カウンターに並んでいる椅子は七つです。そこに座る一人一人の「来歴」と、「今」が国境を越えて語られています。七つの星が淡淡(あわあわ)と輝いているさまとして、一冊の作品集が出来上がっています。 それぞれの作品は小説として「特上」というわけではありません。ある「型」の中に収めようとしている痕跡を感じます。アジテーションの気分に満ちているといってもいいかもしれません。登場人物が語る言葉が、小説世界を作り出す以前に、読者に訴えてしまうところがあります。 しかし、この作品は少なくとも二つの理由で65歳のインチキ読書家の心を捕えました。 一つは中国語を母語とする人が日本語で書いていることを感じさせる独特な「言葉の響き」が聞こえてくる文章だったことです。 中国出身の楊逸(ヤンイー)が母国の民主化をテーマに書いた「時が滲む朝」(文春文庫)で芥川賞をとって10年以上たちますが、今度は、植民地だった台湾の文学の歴史に新しい「日本語」の小説の書き手の登場です。二人に共通するのは女性であることと不思議な味のする日本語です。 「台湾文学」の日本語との関わりの歴史は作家の黒川創が「国境 完全版」(河出書房新社)という評論集で詳しく書いています。関心のある方はそちらをお読みください。力作評論です。 二つ目は、現代社会において、そして「現代文学」にとって、もっともセンシティブな領域であるLGBT、特にレズビアンについて真っ向から描いた、ぼくが知る限り初めての作品だったことです。 昨秋映画化された沼田真佑の「影裏」(文藝春秋)という作品が、男性でゲイの主人公を描いていましたが、ぼくにはピンときませんでした。読み終えた作品の底のところに、文学以前の謎がそのまま横たわっているような印象を受けました。 主人公はゲイであることをほとんど語りませんが、作品はゲイであることのうえに載っている。そんな感じです。ただ、「影裏」という作品に対するぼくの100%の誤読の可能性もありますから、そのあたりはご容赦ください。 それに対して「ポラリスが降り注ぐ夜」の登場人物たちはレズビアンであることをハッキリと公言する「ふつうの人間」達です。ポイントはここでした。作品が描いているの「ふつうの人間」の哀しみだったことです。 新宿という街のことは大沢在昌の「新宿鮫」を思い出す程度にしか知りません。一度か二度、歩いたことがあるだけです。しかし、この作品集は「新宿二丁目」サーガとでもいうべきなのでしょうね。喧騒の極みのような繁華街の、路地を少し歩いた裏町の薄明るい空で七つの連作が輝いています。 というわけで、ではでは、再見。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.22
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【BookCoverChallenge no3】和田 誠「装丁物語」(中公文庫)【7日間ブックカバーチャレンジ】(3日)(2020・05・21)です。 今日は2020年5月21日、金曜日。三日目です。一日目が「本を焼く話」、二日目が「本の印刷の話」でした。今日も「本を作る話」です。一日目に書きましたが、あの日、垂水の「流泉書房」で購入した二冊の本の、もう一冊がこの本でした。 「本」がお好きなら間違いありません。和田誠ファンも必携です。もともと白水社のUブックシリーズにあった本ですが、中公文庫の2020年2月の新刊の棚に並んでいました。 和田 誠「装丁物語」(中公文庫) 以前、このブログでいせひでこさんの絵本「ルリュールおじさん」(理論社)を紹介したことがあります。訳せば「製本屋のおじさん」でした。 ヨーロッパにはルリユールreliure、英語ならブックバインディングbookbindingという仕事があるそうです。 ペーパー・ナイフという文房具がありますが、封書の封を切るのが用途のようになっていて、気障なインテリが趣味の文房具で揃えて、喜んでいそうな道具ですが、本当は「本」のページを切る道具だったことはご存知でしょうか。 彼の地では新聞や書籍は裁断・表装されずに販売されていて、購入者が自分でページを切り、表紙やカヴァーをつけたものだったらしいのです。そこでプロの装丁家が登場するわけで、それがルリュ-ルです。 映画とかで、ヨーロッパの図書館とかが映し出されると立派な革装の本がずらりと並んでいたりしますが、それぞれの本がオリジナルに製本されていて、お金持ちで教養があることのシンボルだったんですね。 日本では考えられませんが、書庫は独特の匂いがしていたに違いありません。図書館の閲覧棚の本には鎖がついていたという話も、どこかで読んだことがあります。 近代になってペーパーバックという形の本がヨーロッパで流行ります。岩波新書が真似たといわれているペンギン・ブックスなんかがそうですが、製本なんかする余裕のない貧乏な学生とかが増えてきた本の需要の結果らしいですね。新書というのは、つまりは、表紙のない本なわけです。 話しが飛びますが紙の発明は紀元前の中国らしいですが、パピルスとか竹簡とかは紙ではありません。ヨーロッパでは羊皮紙という、羊の皮をなめしたものが紙の代わりだったようです。 東洋の竹簡・木簡では製本なんてありえません。紐で繋いで巻いておくんですね。漢字で一巻、二巻と本を数えるのはそのせいでしょう。中国に大雁塔っていう五重塔のような建造物がありますが、塔のそれぞれの階の部屋は風通しがいいので、そういう仏典の巻物の置き場だったらしいですよ。そう考えれば革装の製本の歴史はヨーロッパの伝統ですね。 話を戻します。現代のぼくたちの国では「装丁」は出版社の仕事です。で、「装丁家」和田誠さんの話です。 本来はデザイナーというべきなんでしょうかね。でも、映画監督だし、エッセイストだし、平野レミさんの亭主だし。去年の秋から、過去形で言わないと失礼な存在になってしまったのが哀しいので、すべて現在形で書きます。 「本」に関していえば洒落たエッセイの書き手だし、稀有な読み手だし、装丁家だし、挿絵画家だし、もちろん、製本だってやったことがありそうだし。「マルチ」というハヤリ言葉がありましたが、その「マルチ」和田誠が「本」の「装丁」について、「そうてい」は「装幀」ではなくて「装丁」が正しいというところから語り始めて、ロットリング、字体、紙、絵の具、写真、えーっとそれからという具合に、原稿がやってきて「本」になるまで、交渉から取材、道具から素材、端から端まで語りつくしているのがこの本です。 ロットリングってわかりますか、1970年代くらいから製図用に使われた筆記具ですが、ぼくらはこれで「ビラ書き」をした最初の世代です。線の太さが一定していて、謄写版で印刷したときに、へたな字がちょっと美しく見えるんです。 ああ、それから、この本ではデザイナー仲間の横尾忠則にはじまって、村上春樹、丸谷才一、つかこうへい、星新一、谷川俊太郎、その上、和田家のかかりつけの小児科医毛利子来まで、それからえーっと、というふうに、本づくりで出合った人の紹介があって、それで、次は、という調子で読んでいけます。 その次には、「単独飛行」、「頼むから静かにしてくれ」、「ハリウッドをカバンにつめて」、「ユリシーズ」、「コスモポリタンズ」とか、「『アフリカの女王』とわたし、またはボギーとバコール、そしてジョンヒューストン。はじめてやってきたアフリカでわたしの頭はどうにかなってしまいそうだった」なんていう長い書名まで、書名と表紙とその本のデザインの工夫が語られています。ところで皆さん、ここに挙げた書名の作者わかりますか?(答えは一番最後) もちろん、和田誠のおしゃべりですから、映画の本の話もタップリ出てきますが、招待してくれた友人と重なるので今回は割愛して、このあたりで話を終えたいと思います。そうそう、解答欄ですね。「単独飛行」ロアルド・ダール:早川文庫、「頼むから静かにしてくれ」レイモンドカーヴァ―:新潮社、「ハリウッドをカバンにつめて」サミー・デイビス・ジュニア:早川文庫、「ユリシーズ」ジェームス・ジョイス:集英社文庫、「コスモポリタンズ」サマセット・モーム:ちくま文庫、「『アフリカの女王』とわたし、またはボギーとバコール、そしてジョンヒューストン。はじめてやってきたアフリカでわたしの頭はどうにかなってしまいそうだった」キャサリン・ヘプバーン:文春文庫 それでは次回は4日目です。どうぞお楽しみに。「お楽しみはこれから」ですよ(笑)。【BookCoverChallenge (no1)・(no2)・(no4)】へは番号をクリックしてみてください。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.21
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四方田犬彦『七人の侍』と現代――黒澤明 再考 (岩波新書) 四方田犬彦の登場は眩しかった。1980年代の初めころ「構造と力」(勁草書房)「チベットのモーツアルト」(せりか書房)の中沢新一、「映像の召還」(青土社)の四方田犬彦というふうに、ニューアカ御三家の一人として登場した。年が一つ上なだけの青年の文章に愕然とした。要するに、繰り返し読んでもわからなかったのだ。 あれから、なんと半世紀近くの時が経ち、久しぶりに彼の映画解説を読んだ。「『七人の侍』と現代」(岩波新書)という、いわば、初心者向けの入門・解説本だった。 50年前に、同世代を蹴散らした記述は鳴りを潜め、懇切で丁寧な語り口に笑いそうになった。四方田犬彦の上にも時は流れただということを実感した。 一章は黒澤の死をめぐっての個人的な感想ではじめている。そこから「映画ジャンルと化した七人の侍」と章立てして二章に入り、1960年にハリウッドのジョン・スタージェスによって、「荒野の七人」(原題Magnificennt Sevenn:気高き七人)としてリメイクされたところから話を始めて、あまたのアジアの映画から果てはアニメ映画「美女戦士セーラームーン」に至るまで、影響関係を解説・紹介したうえで、「七人の侍」という映画が成立した1954年という時代背景にたちもどるという展開だった。 1954年とは、平和国家を標榜する一方で自衛隊がつくられ、第五福竜丸の被爆が「死の灰」という言葉を生み、本多猪四郎が「ゴジラ」を撮った年であることに言及したうえで、黒澤の「構想」と苦難の「制作」過程を解説し、革命的「時代劇」として大ヒットするまで。いわば「七人の侍」成立の「映画製作史」を論じたのが五章「時代劇映画と黒澤明」でした。ここまでが、いわば本書の前半です。 後半では戦後社会の新しい観客を前に超大作として登場した作品の内容が俎上にあげられる。 六章、七章では「侍」、「百姓」、「野伏せ」という階層・階級の戦後映画論的な意味を指摘したうえで、まず、個々の「侍」たちの背景を暗示し、個性を強調した演出の卓抜さが論じられる。 続けて、戦乱の中で「百姓」から、浮浪児となったに違いない、「菊千代」が母親を殺されて泣き叫ぶ幼子を抱きしめて「こ、こいつは…俺だ!俺も‥‥この通りだったのだ!」と叫ぶ姿が、1950年代の観客に呼び起こしたにちがいないリアリティーと親近感のありか、「農民」の敵として登場する「山岳ゲリラ」、すなわち「野伏せ」たちの描き方に宿る日本映画のイデオロギーに対する批判と、それに縛られていた黒澤の孤独について、それぞれ論じられている。 映画の細部についての言及は、筆者の博覧強記そのままに、さまざまな映画や、歴史資料を参照しながら繰り広げられて、興味深い。さすがは四方田犬彦だというのが、ぼくの率直な感想だった。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.20
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アニエス・ヴァルダ「ダゲール街の人々」元町映画館 見終わって、この映画が日本初公開だということにとても驚きました。「世界には、日本人が知らないスゴイ映画がきっと、他にもたくさんあるに違いない。」 そんな気分になりました。 もっとも、ぼくはアニエス・ヴァルダという映画監督を、このシリーズを偶然見る以前は見たことも聞いたこともなかったわけですから、素朴に「世界にはぼくが見たことのない素晴らしい映画がたくさんあるに違いない。」でもよかったわけで、むしろそっちの方が「見られてよかった。」という気分にはぴたりと重なりますね。「日本人」なんて関係ありません。 ドキュメンタリー映画なのですが、昨秋シネ・リーブルで見た「カーマイン・ストリート・ギター」や想田和弘の「港町」に似ていると思いました。 「カーマイン・ストリート」とは、人が暮らしている「通り」のお店のお話しというところで、一軒のお店にカメラが入って、かなりな至近距離のシーンを重ねていくところが似ていました。「邪魔にならないの、カメラ?」っていう感じのところです。 「港町」とは何が起こるかはカメラに任せているところが、これは、「とても」をつけたくなるくらい似ていると思いました。編集で作り上げていることは両者に共通していて、想田和弘の原点の一つがここにあるという感じでした。 映画はアニエスが、、当時、住んでいた「通り」の生活を撮ったようです。顔見知りのパン屋、肉屋、香水の調合士の営む雑貨屋が、どの店も夫婦で働いていて、それぞれの夫婦のニュアンスが、それぞれ異なっていて面白いのです。そこから「通り」や、町の「集会所」へとカメラは巡ります。 肖像写真のように映し出される街の住人達を見ながら、「通り」の名前がダゲレオタイプが発明された町だったことを暗示していることを思い出したり、手品師の登場する街の集まりでの手品のシーンに、「映画の手品」の秘密が隠されているのを感じたり、見どころは満載でした。 何よりも、雑貨屋のおやじとその妻の姿に対する無言の「観察」は、想田和弘の映画を彷彿とさせる人間の物語の記録でした。 ナレーションも何もなし、二人の会話とお店に来た客の声だけです。チラシの左下の夫婦ですね。 約80分、まったく退屈しませんでした。これが50年前に撮られてたんですからねえ。映画というのもは奥の深いものだと思いましたね。監督 アニエス・バルダ 撮影 ウィリアム・ルプチャンスキー ヌーリス・アビブ1975年製作/79分/西ドイツ・フランス合作原題「Daguerreotypes」2020・04・08元町映画館no43追記2020・05・19 非常事態とかで映画館が閉まって40日経ちました。開いていた最後の日あたりに観た映画の感想がまだ書けずに残っています。別に書かなくてもいいのですが。 今日は5月19日で、映画館の再開の知らせも聞こえ始めました。このまま無事に終息するのを祈るばかりですが・・・。ボタン押してね!!
2020.05.19
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大今良時「聲の形」(全7巻)」(KCマガジン) ズーッと春休みが続いている小学生のチビラ1号コユちゃん姫が連休にやって来て、ジージの部屋を覗き込んで言いました。「なんなん、本がいっぱいで歩かれへんやん。」「うん、整理してんねん。あぶないから、崩れるで。こっちにくるのはやめとき。タバコ吸ってるし。」「ああ、ジージ、これ読んでるの?うち、みんな読んだよ。」「コユちゃんとこ、これあるの?」「うん、ある、ある。」「おもしろかった?」「うん、おもしろいよ。わからんけど。」「じゃあ、貸してよ。1巻だけ買うたんやけど。」「わかったあ。お父さんにいうとくわ。」 というわけで、5月のヤサイクン「マンガ便」のメインは「聲の形 こえのかたち」全7巻セットでした。 ヒマに任せて一気読みしました。耳が聞こえない少女とイジメ少年の出会いの物語でした。 作品は発表と同時に評判になり、アニメ化して劇場で公開されたりもしたようですが、ぼくは知りませんでした。ブクログとかのレビュー欄にもたくさんの投稿があります。おおむね好評ですし、まじめな感想にあふれています。今さら付け加えることは、特にはありません。 ただ、皆さんがおっしゃっていないように感じたことを少し書いてみます。大今良時という作者の勇気についてです。「障害者差別」、「いじめ」と、少なくともこの二つだけ取り上げても「マンガ」として描くのには勇気がいったと思いました。 当然のことながら、普遍的な「モラル」に触れざるを得ないテーマですから、マンガ作家自身の生身をさらけ出してしまわざるを得ない可能性が、作品制作の過程で予想されたはずですが、あえて、このテーマに挑んだ勇気ですね。 付け加えていえば、そういうテーマであるからこそステロタイプ化させないで描くとはむずかしいことは、わかりきっていたと思いますが、そこに挑んだことです。 少年と少女の結末は、ある種のステロタイプでしたが、物語の運びにおいて、少年と少女の周辺の人物たちを「群像」化したことでこの難題を切り抜けたと思いました。 「群像」化するというのは、二人以外の登場人物の内面を、かなり丁寧に描いたことです。 登場人物たちは「障害者差別」や「いじめ」の当事者なのですが、それぞれが「生活」と「内面」を抱えた「生きている人間」として描写されてゆきます。 「いじめ」の当事者は一般的には「悪」としてステロタイプ化されがちですが、イジメている子供たちの「生」に対しても「肯定性」の契機を与えているところが、この作者の功績ではないでしょうか。 それは、イジメの集団であった同級生たちだけではなく、新しく出会った友達や家族の描き方にも言えることだと思いました。 結果的に「悪」を一手に引き受けた形で終ってしまった竹内先生の姿が記憶に残りましたが、自分自身も、この程度だったかもしれないと思うと、ちょとションボリでした。 マンガのキャラクターとしての「問題教員」の描写は、こんなものだろうと思いますが、ここにはやはり、現代の教育現場の教員の「問題」がひそんでいるとは思いました。 大今良時さんは1989年生まれで、女性のマンガ家だそうです。やっぱり女性だったと思いましたが、何故そう思ったのかはよくわかりません。 絵とコマ割りには少し引っ掛かりました。ぼくには女の子の顔の見分けがむずかしいのです。 でも、人と人との関係の遠さを、前向きに描こうとしている「態度」のようなものには、とても好感を持ちました。追記2020・05・19 このマンガと前後して「うたのはじまり」という映画を観ました。何と呼んでいいのかよくわからないので、障害者と呼びますが、自分の中にある様々な障害者に対する「差別」の感覚と直面せざるを得ない映画でした。この映画が差別や偏見を告発する意図を持っているわけではありません。ぼくが勝手に直面するだけです。 このマンガにも同じものを感じました。マンガに対してではなく、自分自身に対してです。そして、それぞれの制作者、映画の場合には出演者の人たちに胸を打たれました。 前を向うとしている姿というのでしょうか。堂々としているのです。そのことは、やはり一言付け加えておくべきだと思いました。 「うたのはじまり」の感想はここをクリックしてみてください。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.18
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ハロルド作石「7人のシェイクスピア」(第12巻)」(ヤンマガKC) ヤサイクン、五月のマンガ便です。ハロルド作石「7人のシェイクスピア(12巻)」が届きました。表紙はエリザベス1世の肖像です。 ここのところ続いていた、ロンドン劇場戦争がついに決着しました。 その展開が12巻のメインですが、折角ですから内容は本冊をお読みいただくこととして、今回はキャラクター一覧図を載せておきましょう。 さて、21世紀の現実の世の中は新コロちゃん騒ぎをいいことに、機を得た大衆煽動家たちが跋扈し、陰謀政治の準備を着々と整えているかに見える様子です。 が、奇怪至極な政治といえば「エリザベス1世」統治の16世紀末期のイングランドの政治情勢は、素人世界史では有数のシーンと言えるでしょうね。 要するにわけがわからないことがあっちでもこっちでも起こっているわけです。たとえば、12巻の後半、バージン・クィーンと呼ばれて、生涯未婚だったエリザベス1世が、その生涯で最後に寵愛したといわれるエセックス公についての描写があります。 歴史を少し齧っている目から見れば、このシーンでの、7人のシェイクスピアの一人、詩人で預言者リーの役回りは面白いですね。寵愛したエセックス公をエリザベス女王は、結局、どうしたのか。歴史的には、ここから一波乱も、二波乱もあるわけです。 そういえば、マンガを配達してきたヤサイクンが珍しく質問していました。「エリザベス女王ってプロテスタントなん?」 この質問はむずかしいですね。皆さん、正解をご存知でしょうか。ぼくにはわからないですね。 イングランド国教会の歴史はカトリック教徒弾圧の歴史だったようですが、エリザベス女王は何をしたのか? この後、マンガはエリザベスの宗教政策に纏わるお話しへと展開するようですが、イギリス国教会という、独特のキリスト教信仰の形が出来上がるには、まだまだ時間がかかるようですが、この当時のエリザベス女王の宗教観の真実が、ここから解き明かされていくのでしょうか。 ハロルドさんも、ベンキョウしていますね。歴史は事実は上手に重ね合わせているようですが、ベンキョウしないと書ききれない「歴史マンガ」の一面を窺わせて、ホント、興味津々です。追記2020・05・17「7人のシェイクスピア」(第1部)・(9巻)・(10巻)・(11巻)の感想はそれぞれ、ここをクリックしてくださいね。追記2023・02・15記事を修繕しました。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.17
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「初夏の明石大橋」徘徊日記2020年5月11日 舞子あたり 初夏の夕暮れ時、明石海峡大橋のたもとです。少年たちがサッカーボールで遊んでいました。きっと高校生ですね。写っていませんがバレーボールの女の子たちもいます。 あちらこちらでクラブ活動もどきの集まりをしているようです。他にすることはないですからね。 ドーナツみたいなのは、彫刻なのですが、その隣の白い服装の人はおばあさんでした。 こうしてみているとなんでもないのですが、ぼくが見ている間微動だにしないので、ちょっと近づいてみましたが、やっぱり微動だにしませんでした。ぼくは人形かなにかかと思ったのですが、人でした。 じっと、うなだれて座っていました。 橋の下に来ました。ここから少しづつアングルをかえてみますね。 向うまで写るように撮っていますが、約4キロです。夕陽で海から光が照りかえしています。夕映えっていうのでしょうか。これから夏にかけて美しくなります。 ここで真下です。「2001年宇宙の旅」みたいですね。まあ、トンボのかなにか、昆虫のおなかという感じもしますが。足がないのでムカデとは違いますね。 すぐそこに手すりのついた通路が見えますが、あのあたりに展望台がある筈です。行こう行こうと思っていて、一度も行ったことはありません。 真ん中には歩道が通っていて、淡路の向こう岸まで歩けるらしいですね。よくは知りませんが、一年に何回か歩いて渡るイベントがあるらしいです。まあ、途中トイレはないそうですがね。 西側からのアングルです。西日が当たって輝いていますね。ここからの夕焼けは一年中美しいですが、ぼくのおもちゃのようなデジカメは上手に撮ってくれません。まあ、扱い方を知らないだけなのかもしれませんがね。 橋の少し西の岸壁に「舞子砲台跡地」という遺跡があります。幕末でしょうね、この海峡を通行する「黒船」をターゲットにした明石藩の砲台跡らしいです。 今はこんな大砲が置いてあります。 座って、海を見ながら一服していると面白いショウが始まりました。上の写真に写っている海に面した遊歩道に4人の少年が現れました。 先頭の一人が、やおら服を脱ぎ捨ててトランクスになり始めました。一人は逃げ出して、一人はTシャツを着たままでしたが、ジャンケンをして順番に海に飛び込んでいきました。水から顔を出すと寒いと騒いでいました。 そりゃあ寒いでしょう。それにしても痛快でしたね。 何となく遠慮して写真を撮りそびれてしまいましたが、ホント、残念なことでした。 もう、夏なのですね。なんだ、かんだ、面白いことに巡り合います。じゃあ、もう少し歩いて家に帰ります。ボタン押してね!
2020.05.16
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「五色塚古墳から舞子浜」 徘徊日記 2020年5月11日 舞子あたり 自宅を出て、ずーっと南に向かって歩くと第二神明道路の高丸インターを横目で見て、星陵台到着です。そこから丘の上の街をずーっと南に歩き続けると霞ヶ丘七丁目の坂の上に出ます。 海の手前に見えるのが五色塚古墳です。最近、電柱の住所看板を撮るのが趣味になりつつありますのでのせます。 偶然、船が通りかかりました。海の向こうは淡路島です。少しカメラを右にふれば、すごそこに明石大橋が写りますが、撮りわすれました。 今日はここからまっすぐ南に下ります。 丘の上から降りてきたら「山」だったりします(笑)。誰も疑問に思いません。古墳がある場所は「五色山」という地名ですが、すぐそこが海です。結構、高級住宅地だったりもします。 本日の目標地点「五色塚古墳」到着です。 一応、市営の公園になっているので新コロちゃん騒ぎで、今のところ入園禁止です。柵の高さは50センチくらいですから、いつもは跨いで入りますが、まわりを見廻すと、小学生ぐらいの子供たちが道路で遊んでいるので、ぼくも古墳の周りを廻ってみることにします。 右端に明石大橋の橋脚がちょっとだけ見えますね。橋と重ねて撮るとこうなります。緑は芝生で上はこぶし大の石ころです。何処から出でも登れますが、一応入り口と階段が反対側にあります。 南側から見上げた構図です。結構デカイです。前方後円墳の四角いほうが突き出した南側の先端が、実際は山陽電車の線路ですが、その昔は海だったと思います。 ここから山陽電車の線路に沿って西に行くと「霞ヶ丘」の駅です。名前を聞くと大きな駅に聞こえますが、小さな駅です。向うに橋に向かう高速道路が写っています。 駅の手前の踏切から撮りましたが、目の前の線路沿いに面白い看板がありました。 これって、誰に向かって「止まるな!」 と禁止しているのでしょうね。電車の運転手でしょうか。いったい、どういうシチュエーションでの禁止なのでしょうね。思わず考え込んでしまったぼくは、本日、歩き始めて、始めてタバコをくわえてしまいましたね。 で、もう少し南に歩けば海です。おっと、飛行機ですね。思わず「止まるな!」 と叫んでしまいました。(ウソですけど。) この辺りは神戸空港発着の飛行機が低く飛ぶ地点なので面白いです。これは止まらない方の飛行機です。何処に行くんでしょうね。 着きました。舞子浜の移情閣、六角堂です。八角だけど六角堂なのが面白いですが、八角堂ともいうそうです。 そろそろ夕暮れ時なのですが、日射しは暑いくらいですね。カメラを左にふると、実は大変な人出です。本日は月曜日なのですが、大人も子供も休日の雰囲気です。 垂水警察署のあるあたり、本多聞と言う地域の自宅からは、大きく分けて星陵台経由コースと舞子坂経由コースの二通りがりますが、星陵台経由の方が面白いですね。 もう少しうろうろしますがとりあえずこれで終ります。じゃあね。追記2023・94・19 2019年から始めたこのブログの記事もあれこれたくさんになりました。少しずつ整理・整頓しようといじっています。徘徊の記録は、みんな徘徊日記という題にまとめてみようという目論見も、その一つです。ついでに誤字とか、変な文章とかの修繕もやっていると思いで巡りのような時間になります。まあ、暇人の遊びですね(笑)。ボタン押してね!
2020.05.15
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【7days7bookcocers no2】松田哲夫「印刷に恋して」(晶文社)【7日間ブックカバーチャレンジ】(2日目)(2020・05・13)です。 今日は二日目です。一日目が「本を焼く話」だったので、二日目は「本を作る話」です。 「本」が出来上がる工程は、ちょっと考えただけでも「書く人」、「編集する人」、「印刷・製本する人」、「売る人」、そして「読む人」という具合ですが、今日は「印刷する人」についての紹介です。 で、紹介するのは松田哲夫「印刷に恋して」(晶文社)です。 まず、松田哲夫という人ですが、若い人にはなじみのない名前でしょうね。「偏集狂」と自称した「編集する」人で、1978年に一度倒産した筑摩書房の復活を支えた編集者の一人です。 和田誠が似顔絵を描いている「編集狂時代」(新潮文庫)が、自伝的回想なのですが、読めばわかります。小学生の時から面白い人です。 世の中には野球ゲーム盤だけを、一人で操作して、プロ野球のシーズンをセ・パ両リーグに渡って開催し、一チーム140試合の戦いを、全12チームについて実施することを、無上の楽しみとするような人が実際に存在します。ぼくの友人は、大学生の時に、実際に、かなり真剣にやっていましたが、松田哲夫という人はそういうことに熱中できる小学生だったらしいというところから、この回想は始まります。 しかし、まあ、「編集狂時代」については、べつに案内するつもりなので、今日はこれくらいにしておきます。 1978年といえば、ぼくは大学生でした。つぶれてしまった筑摩書房が、再建されて、新たに「ちくま文庫」、「ちくま学芸文庫」を創刊したころで、大学生だったぼくは「文学の森シリーズ」、「哲学の森シリーズ」というベストセラー・シリーズの恩恵に直接与ったのわけですが、企画のアイデアは松田哲夫だったということです。作品・テーマと人とを組み合わせる「アンソロジー」の編集センスが、多分、独特なんだと思います。 専務だった筑摩書房での最後の仕事が、今は亡くなってしまった作家の橋本治をアドヴァイザーに据えて企画した「ちくまプリーマー新書」の創刊ですね。十代をターゲットにした新書の登場は画期的でした。結局のはなしですが、「ちくま」を平仮名にしたのが彼の、ひょっとしたら、一番の功績だったかもしれませんね。 橋本治の「ちゃんと話すための敬語の本」はプリマー新書の創刊第1巻です。 とはいうものの、ぼくにとっての松田哲夫は「性悪ネコ」のやまだ紫とか、「百日紅」の杉浦日向子のマンガの文庫化や「全集」化の編集者であり、赤瀬川原平が唱えて面白がられた「トマソン」とか「路上観察学」の仕掛け人で「路上観察学会」の会長だったりする人で、実に「キッチュ」で「ヘンテコ」な人が松田哲夫ですね。 その松田哲夫が西暦2000年、書籍印刷の大手、大日本印刷の工場に突撃ルポしてできたのがこの本です。で、面白いことにこの本の一番の眼目は印刷機械や工程のイラスト画です。それを描いているのが内澤旬子です。 「世界屠畜紀行」(解放出版社)で度肝を抜く以前、斉藤政喜「東方見便録」(文春文庫)で、アジア諸国のトイレのイラストを描いて、一部の人間から「くさいヤツ」 とうわさされ始めていたころの内澤旬子の仕事です。 これも、トイレのイラストおもしろいです。「東京見便録」というのもあった気がします。 最初に貼った表紙の写真をご覧になれば分かると思いますが、このリアルで、いかにも内澤旬子ふうのメモいっぱいの細密画が100ページ以上あります。ようするに絵本なんですね。 物としての「本」に興味があって、こういうのをチマチマとご覧になるのがお好きな方には応えられない「本」ですね、きっと。 表紙でお気づきの方もあると思いますが、装幀が平野甲賀、企画が晶文社の津野海太郎なのですから、名うての「本づくり」達が、総出で作った本というわけです。 津野海太郎という人は、晶文社の編集者で伝説の植草甚一を始め、小林信彦、片岡義男、リチャード・ブローティガン、ピアニストの高橋悠二の「水牛通信」を世に出した人なのですが、一方で、劇団黒テントの演出家でした。ぼくが黒テントの芝居で名前を知ったのが70年代でしたが、彼が晶文社とどういうかかわりがあるのかわかりませんでした。2000年になって気付いたら社長さんでした。最近では新潮社のウェブマガジン「考える人」に「最後の読書」を連載しています。 最後に「印刷に恋して」に戻ります。こういう本は、やはり図書館がたよりですよね。早く図書館があけばいいですね。じゃあサヨウナラ。次回は3日目ですね。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.14
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「母の日のプレゼントが届きました」 ベランダだより 2020年5月13日 今年の「母の日」は5月10日だったのでしょうか。前日には、神戸市内にいるヤサイクンの一行がやってきて夕食を一緒にいただきました。 おチビたちもご機嫌で「手巻き寿司」をいただきました。久しぶりににぎやかな食事でした。 そうこうしていると信州から「お饅頭」の詰め合わせが届きました。 お菓子の鉢に盛り付けているのは松本のチビラ4号ユナチャン姫とサキチャンママからのプレゼントです。 一緒に写っているのは、ヤサイクンのところのチビラ2号、ホタル姫からのジージ・プレゼントの眼鏡紐です。 そして、今日はサカナクンのカヨちゃん女将から、毎年、届く鉢植えです。今年は「カラー」でした。 ベランダ農園の仲間入りです。そういえばベランダではこんな花も咲き始めました。 なんという花のつぼみかおわかりでしょうか? 「匂蕃茉莉」、こう書いて「ニオイバンマツリ」と読むそうです。本当は毒のある樹木らしいのですが、花は可憐です。 そういえば、ここのところウグイスが頑張っています。「おまえはホトトギスか?!」と言いそうになる程のかん高さで「ほー、ほけきょ、けきょ、けきょ!」と、日がな一日鳴いています。 今、夕方の6時前ですが、今も鳴いていますよ。 聞いていると姿を探したくなるのですが、これが見つかりません。すぐそこにいると思うのですが、不思議ですね。 ベランダで写真を撮ったりして、遊んだ後、陽気につられて明石までシマクマ号で行ってきました。 いつもの柏餅と桜餅です。もうそろそろシーズンが終わりますね。ああ、そうだ、シーズン終了といえばこれですね。 魚の棚の八百屋さんで購入しましたが、そろそろ、孟宗竹は終わりそうですね。今日の夕食は「アラ炊き」と竹の子飯でしょうかね。 それにしても、今年も愉快な仲間の皆さんの心配りがうれしい「母の日」でした。 ボタン押してね!
2020.05.13
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《BOOKCOVERCHALLENGE:no1》レイ・ブラッドベリ「華氏451」(ハヤカワ文庫) 友達から指名されてフェイスブック上で始めた【BookcoverChallenge】をブログに転載します。「新コロちゃん」騒動がきっかけですが、自分のなかに「こんな本」を読んできた「50年」を振り返りたい気持ちがあるように思います。というわけで、さっそく始めます。【7days7bookcocers no1:7日間ブックカバーチャレンジ(初日)】(2020・05・12)です。 先日の御近所徘徊で神戸の垂水という町の小さな書店で、久しぶりに現金購入した「文庫本」のお話しからです。 レイ・ブラッドベリ「華氏451度」(早川文庫) ちょっと、有名過ぎて照れますが、「本」の紹介なのだから、「本を焼く」お話しから始めると、みんな驚くかなという目論見です。折角、紹介するのに、なぜ焼くの?焼いっちゃたら、あとどうするの? 原作は1953年に書かれていて、多分、ブラッドベリの処女作だと思います。 ぼくは晶文社が1970年代に出していた「文学の贈り物」というシリーズの「タンポポのお酒」を先に読みました。この作品を読んだのはそのあとです。現在ではシリーズもリニューアルされて、装丁も変わっています。写真のブックカバーはぼくは読んだ本ではありません。 SF嫌いのフランソワ・トリュフォーが1960年代に映画化していて、映画を見て読んだ友達が興奮して「読め!読め!」とすすめられて読みました。多分映画も見たはずなのですが、その時はよくできた寓話だと思った記憶だけがあります。 で、何故、今、その本なの?ですが、理由は二つです。 一つは作家の高橋源一郎氏が「支配の構造」(SB新書)という本の中で、この作品について「講義」風に語っています。結構、具体的な描写にやストーリーに触れているのですが、ぼく自身は、すっかり内容を忘れていることに気付いたことです。 もう一つの理由は「流泉書房」という垂水の小さな「独立書店」(ホームページにこう書いてあって、この言い方が気に入っています)の棚で手に取って、カヴァーの上に巻かれている帯、腰巻がいたく気に入ったからです。 裏表紙の写真でわかりますか?5行ほど紹介が書かれていますが、これ、手書きなんです。購入するとそのまま渡されて、「イイのかな?」って思いましたがもらってきました。 「流泉書房」 50年以上たって、まあ、初めて読んでからなら40年ですが、訳が新しいということもあるのでしょうね、とても「寓話」や「予言」などというものではありませんでした。 世界を覆う「反知性主義」の破綻が、「新コロちゃん禍」であらわになっていますが、この十年ほどの世相の中で、「SF小説」だったはずの「華氏451度」は「リアリズム」小説に変貌していました。 たとえば、ファイアー・マン=焚書士であるの主人公モンターグの上役、署長のビーティが、モンターグに対して小説世界の「社会」を分析して聞かせるシーンがあるのですが、その分析はピッタリ現代社会に当てはまるといってもいいすぎではないと思いました。 「華氏451度」の世界はすでに現実化していて、「新コロちゃん」騒ぎに乗じて、たとえば教育界に強制導入されつつある「IT化」は、今や、ポスト「華氏451度」の社会を「素晴らしき新世界」であるかのように招いているように見える作品なのです。 ブラッドベリは「テレビジョン」の登場にインスピレーションを得て、この作品を書いたらしいのですが、作品の中には部屋全体の壁がすべてテレビジョンという設定が出てきます。 1970年の読者であったぼくは、そのイメージが荒唐無稽に見えたのです。しかし、テレビの進化型である電子メディアが身体をはじめ生活世界を覆いつくしているといってもいい状態です。メディアの外がイメージできなくらい「リアル」ですよね。 社会全体の漸進的な変化には気づきにくいのですが、50年視点を戻してみれば、現実は驚異的です。 「メディア」が主観を支配している社会が、明らかに始まっているというということに気付いてもらえるでしょうか。 そして、「そこから」が本当の悪夢だとブラッドベリは65年前に描いていたのです。ホント、久しぶりにドキドキしましたよ。 とまあ、長々と書いてしまいましたが。とりあえず、初日のバトンはパスということで。 1950年代のイギリスの田舎町の本屋さんを描いた「マイ・ブックショップ」という映画の中で、何とブラッドベリの「華氏451度」と「タンポポのお酒」がかなり大切な小道具として登場します。同時代の、とても有名な作品としてナボコフの「ロリータ」もでてくるのですが、本好きには必見の映画ですね。映画の感想は「マイブックショップ」をクリックしてください。ボタン押してね!ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.12
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小林まこと・惠本裕子「JJM女子柔道部物語(08)」(講談社・EVEING KC小林まこと「女子柔道部物語」第8巻です。 神楽えもちゃんも、柔道を始めて1年、高校二年生の夏の合同合宿を乗り切り、秋の新人戦です。北海道大会の旭川支部大会が開幕します。「カムイ南高校」の面々も、あいかわらずの大活躍。お調子者のえもちゃん危機一髪をどう乗り切るのか。 今回は登場人物紹介のページですね。 お母さんの神楽由紀さんは美容師さんですが、何故か、妙に色っぽいのです。小林まことさんの好みなんでしょうかね、こういう女性は。 今回は地区大会が始まったばかりなので、キャラクターが少ないで載せてみました。これが、このマンガの基本登場人物です。 おバカ高校生は、鏡相手に熱中していますね。この人がやがて世界チャンピョンとかになるわけですね。オリンピックとかにお行くわけです。 小林まことのこういう感じがぼくは好きなんでしょうね。あほらしくていいでしょ。 女子柔道部物語(1巻~6巻)(1巻~6巻)・(7巻)の感想はここをクリックしてね。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.11
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《2004書物の旅 「ぼくが50歳だった頃、教室で」その18》片山恭一『世界の中心で愛を叫ぶ』(小学館) ぼくが50歳だったころ、教室で十代の生徒たちに語っていました。その頃の「読書案内」復刻版です。2004年ころにワープしてお読みください。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ えーっと、初めて読者の方から反応がありました。片山恭一『世界の中心で愛を叫ぶ』(小学館)ですね。恐ろしいほど流行っていて、読んだ若い人たちの口コミでどんどん広がっているそうです。映画にもなったそうです。マンガにもなっています。主人公の新しい彼女を主人公にしたお話まで本になったんだそうです。おいおいこれは一体何なんだという、この作品について高校生一年生のKさんからこんなオススメのメールが届きました。 今話題の「世界の中心で、愛を叫ぶ」です。福岡在住の作家「片山恭一」さん(45歳)の小説で、206ページあります。主人公は「朔太郎」という名の少年で、同級生の「アキ」と愛をはぐくんでいましたが、突然の病がアキに襲いかかる・・・。恋人を失う悲しみが痛切に迫る物語です。映画や漫画にもなっているのでぜひ一度は読んでほしいと思います。 まず、この案内を読んでくれている人から反響があったことが嬉しいわけです。ははは。ありがとう。 話を戻します。友達のサッカー少年がこの本を貸してくれました。我が家ではまず中学生のお馬鹿娘が、ぼくが借りて帰ったこの本を先に読んでこういいました。「一回は泣くで。」「ウーンそうなのか。オヤジでも泣くかな。」 「そんなコトは知らん。」というわけでぼくも読みました。残念ながら泣けませんでした。だって泣け泣けって書いてあるように感じてしまったんだもの。おじさんはいやですね。素直になれないんです。 おバカ娘は益子昌一「指先の花」(小学館文庫)をさっさと買い込んで読んでいるようすです。片山さんの小説の後日談だそうです。 泣けないおやじは、「愛と死をみつめて」(1964・日活)という映画があったなあ、と思い出にふけっています。実話のドラマ化と小説という違いはあるけれど「よく似ているな。」と思い出しました。 吉永小百合と浜田光男という1960年代を代表する純愛俳優のカップルが、不治の病で死んでしまう少女と残される大学生を演じて一大ブームになりました。主題歌も流行ったんです。現在50代の人たちにマイクを持たせてメロディを流すとたいてい歌えると思います。若いみんなは知らないでしょうね。浜田光男はどうなったか知りませんが、吉永小百合はプールで泳いでいる。 ちょっと、いや、かなりかな、素敵で健康そのもののおばさんになってコマーシャルに出ているけれど、ぼくの中では若くして死んでしまう薄倖の美少女のままですね。しかし、その映画の時もぼくは泣けなませんでした。だって照れくさいじゃないですか。 ところで、この小説について不満というか、残念に思うことのひとつは、『世界の中心で』とあるけれど、それがどこなのかぼくにはよく分からない事ですね。恋愛小説というものは、えてして二人の世界に閉じてしまいがちなのですが、そこで世界の中心といわれても困ってしまうわけです。 ぼく自身のことでいえば、自分自身や、自分と対になる他者を中心と考える考え方は嫌いなんです。 恋人同士、夫婦、家族なんかについて、誰でもそう思いがちだけど、抵抗があります。外側の世界が必ず入り込んできて、まあ、何とか持ちこたえているとか、ここはかなり端の方らしい、くらいの考え方がどっちかというと好きです。 吉本隆明という詩人が『共同幻想論』(角川文庫)という国家を論じた本の中で、人間の世界のあり方について、一人一人の夢や生き方という個人的な認識世界を「個的幻想」、家族や、恋人といった実感で繋がっていると感じる他者に対する認識世界を「対幻想」、社会、国家、法律というような誰にも共通して他人事のようだけど、そこに居ることから逃れようのない認識世界を「共同幻想」と、いかにも詩人らしい言葉で区分けして論じています。「幻想」というところがポイントなんですよね。 その本の中で一番印象に残っている事は「対幻想と共同幻想は逆立ちしている」という言い回しで、ぼくなりに妙に納得したことがあります。対幻想、すなわち恋人達二人の世界は一人ぼっちの寂しさを救うけれど、なぜか社会から孤立していってしまいます。友達大勢でいるより二人でいたほうが楽しいんです。その結果なのか、どうか、自分達は特別だと思いたがるんですね。にもかかわらず社会の側から見ると何の変哲もない家族でありカップルであるに過ぎないわけ。 変な事がいろいろある世の中全体とは違って、自分達はまともな生き方をしていると思い込んでしまいます。そんなまともな人たちが集まってみると変な社会が出来る。これはかなり不思議なことだと思うんですが、きちんと説明できた人を、ぼくは知りません。 この小説は二人の世界の「愛」を描いています。「愛」が育っていく経緯や登場人物のキャラクターも素敵です。そして、その美しい愛のかたちは「死」と引き換えに完結していますね。青年の苦しみ方も、よくわかります。「死」によって世界の中心に一人残されたと感じるのもわかります。 ところで、そこは世界の中心なのでしょうか。吉本さんを思い出しながら、そう感じたわけです。こんな言い方はおじさんでしょうか? まあ、でも小説の最後になって、青年が新しい恋人との生活、つまり新しい世界に生きはじめている事がわかって少しだけほっとしたという次第でした。 この人の作品は『もしもそこに私が、いるなら』(小学館)、『君の知らないところで世界は動く』(新潮社)、『空のレンズ』(ポプラ社)など結構たくさんあります。最近新刊も出ました。いろいろ読んでこの作家の「中心」を捜してみてください。 ああ、ぼくは、結局、みんな読みました。えっ?はまってるんじゃないかって?ふふふ。(S)追記2020・05・10 古い記事を投稿しようとして「事実」確認で調べていて「あー」と思ったことが二つありました。 一つは映画「世界の中心で、愛をさけぶ」(映画.com)についてですね。監督行定勲に始まって、俳優陣は柴咲コウ、長澤まさみ、山崎努、宮藤官九郎 etc.の名前がずらりと並んでいるではありませんか。もう、びっくり仰天。今なら、きっと、見たに違いありませんが、当時のぼくは「映画」そのものに興味を失っていたらしいですね。まったく知りませんでした。 二つ目は、著者の片山恭一さんは今もご活躍の様子ですが、最新の著書が『世界の中心でAIをさけぶ』だそうです。よくわかりませんね。ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.10
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河合宏樹「うたのはじまり」元町映画館 コロナ騒動で臨時休館に至った元町映画館です。2020年4月8日の写真です。あれから一か月たちました。 ぼくはあの日を最後に、垂水より東に移動していません。映画館がなくなると、ぼくには行くところがないということを痛感しています。 この日は二本立ての鑑賞でした。一本目に見たのがこの映画です。 監督河合宏樹が写真家斎藤陽道を撮ったドキュメンタリー「うたのはじまり」です。映画の始まりに、まずギョッとしました。 斉藤陽道との間にできた子供を配偶者の盛山奈美が出産するシーンです。40年ほど前に見た「極私的エロス・恋歌1974」という映画を思い出しました。 新生児が女性の体から出てくるシーンを「映画」として見るのは初めてではありませんが、やはり衝撃でした。母親と赤ん坊の映像は人間がただの動物であることを如実に語っていました。写真家である斉藤陽道がカメラでその様子を撮り続け、シャッターを切り続けます。ついでにいえば「映画」のためのもう一台のカメラが、それらすべてを撮り続けていて、看護師や助産師であろう、その場の人々の振る舞いがあるということに、えもいわれぬ違和感を感じました。 違和感について、少し書きたいと思いますが、最初に断っておきます。ぼくはこの映画を批判したり、貶化することが言いたいのではありません。 で、違和感です。母親と生まれてくる子供の姿をぼくは「自然」だと思いました。それに対して、カメラが構えられているというのはどういうことだろうということです。カメラは自然ではありません。 ドキュメンタリーが、予想不可能な現象を、その場でとらえることを一つの型として持っていることは理解しているつもりです。そして、だからこそ、そこに「物語」を作り出していきます。 この映画でいえば、赤ん坊の出生の無事、二人のあいだの子供の「聴覚」の有無という最小でも二つの要素は「カメラ」を構えて待ち受けることができるほどに予測可能だったのでしょうか。万が一という事態に対して、あらかじめ構えられていたカメラはどう考えていたのでしょうか。それがぼくの違和感の、大雑把な正体だったと思います。 そこからぼくは、何となくノリの悪い鑑賞者でした。ところが、この映画はもう一つの驚くべき出来事の現場を映しだしたのです。 完全な「聾」者である斉藤陽道が、少し成長した幼子を抱えて風呂に入れながら、子供が口にする「だいじょうーぶ」という言葉に合わせて歌い始めたのです。 もう、それは説明不能なシーンでした。その時ぼく自身の中に湧き上がってくるものを何といえばいいのか、一か月たった今でもわかりません。しかし、それが、ぼく人にとっても何か新しいこと、人間に対する新しい信頼のようなものの「はじまり」だったことは間違いないように思います。 カメラが映しとったのは、人間の本来の「自然性」に潜むコミュニケーション、他者とのつながりの喜びとしての「うた」の姿ではなかったでしょうか。 制作者に対する「違和感」は残りましたが、何とも恐るべき映画でした。40年前の出生シーンとは違った意味で記憶に残る映画であることは間違いないと思いました。監督 河合宏樹 撮影 河合宏樹 編集 河合宏樹 整音 葛西敏彦 キャスト齋藤陽道 盛山麻奈美 盛山樹 七尾旅人 飴屋法水 CANTUS ころすけ くるみ 齋藤美津子 北原倫子 藤本孟夫2020年 86分 日本2020・04・08元町映画館no42追記2022・02・11 「コーダ」というアメリカの映画を見ました。で、この映画のことを思い出しました。「コーダ」には耳の聴こえない父親が娘の喉首を触りながら「歌」を聴くシーンがあります。この映画には、お風呂場の湯船の中で、裸の父親が裸の赤ん坊を抱きながら体で直接「歌」を聴き、一緒に歌い出すシーンがありました。「からだ」が出した音を「からだ」で聴くということに人間の本来の自然性があるのではないかということを気づかせてくれたシーンでした。 面白いことに2年前に見たこの映画の、そのシーンだけは今でも浮かんできます。見ていたときのドキドキした、胸の高鳴りも重なって記憶されているようです。 映画を見ていると本当に美しいシーンに巡り合うことがありますが、意識は忘れていても「からだ」が覚えているということがある「シーン」には、そうそう出会えるものではありません。そういう意味で、この作品の凄さを、遅ればせながら(笑)実感しています。 「コーダ」にも、最近見たほかの作品にも、そういう予感を感じさせるシーがあったのですが、その時はうまく説明できないのが、なんとも、もどかしいことです(笑)。ボタン押してね!
2020.05.09
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佐藤正午「鳩の撃退法(上・下)小学館文庫 今年も冬の・芥川賞・直木賞の発表がありました。。芥川賞が古川 真人「背高泡立草」、直木賞が川越 宗一「熱源」でしたね。芥川賞は、今読んでいるところですが、直木賞は人気らしくて図書館で借りられません。 直木賞といえば一昨年の秋に受賞したのが佐藤正午の「月の満ち欠け」(岩波書店)でした。「岩波書店の本が直木賞ですか!?」 ぼくは、内容はともかく、そこに、つまり「あの岩波書店が」に、驚いたのですが、受賞直後に続けて出たのが「鳩の撃退法 (上・下)」(小学館文庫)でした。糸井重里の「こんなの書けたらうれしいだろうなぁ。」というキャッチコピーを腰巻にして10万部売れたそうです。 まあ、ぼくも糸井のコピーにのせられて、amazonで安く買おうとしたらいつまでたっても値が下がりません。しようがないから新刊を買ってしまったというわけで、感想は?となりますね。 糸井重里という人を、ぼくは結構信用しているのですが、彼は、何をそんなに褒めているのかというのが、読後のぼくの最初の感想でした。文庫本の下巻の最後に彼が「むだ話」と称して感想を書いています。 読み進めていくにしたがって、わたしにとって「鳩の撃退法」の「感じいい」は、「かっこいい」になっていった。この作者は、「書くことが面白くてしょうがないのだ」というふうに読めてしまうのだ。 羽生結弦は、思うようなスケーティングができたとに晴れ晴れとした笑顔で両手を大きく広げる。その背景に血のにじむような練習があったにしても、そこのところよりも笑顔のイメージに、人びとは注目して記憶する。私たちが、魅せられるように文章を追いかけている時間は、羽生選手のスケートの軌跡を追っているときと同じものなのだと、わたしは思っている。 それは、ストーリーや構成といった採点しやすい要素よりも、ひとつひとつのことばを選び、文章の中に読者を引き込んでいく「かっこよさ」のほうが大事だということに他ならない。複雑に絡んだ登場人物たちの関係や行動にどれだけ整合性があっても、ストーリーにどれほど必然性や意外性が仕組まれていていたとしても、文章がかっこよくなければ、ただの「伝えるための道具」にすぎない」。佐藤正午「鳩の撃退法」が、わたしの憧れである理由は、とにかくすべてのことばの並びが、「感じがよくてかっこいいから」である。 上手いこと言いますね。まあ、絶賛といっていい「むだ話」なわけです。内容にまったく踏み込まないところが「広告」屋さんの手口ですかね? じゃあ、あなたはどうなの?という訳ですが、読み終わってみて糸井重里がいいたいことの、半分は納得しました。 ぼくは「毎月本を2冊読んで感想をおしゃべりする会」という集まりに参加していて、この年のこの月の課題がこの本でした。 ところが集まった皆さんがおおむね首をかしげていらっしゃるんですね。それが一番面白かったのですが、皆さんの疑問の理由は簡単です。 この小説は、最後まで読んでも「鳩の撃退法」という題名の意味が謎で、それが解けないのです。「鳩」が意味する謎は、半分ほど読めばわかります。でも「鳩の撃退法」の意味が解らない。何故でしょうね。 この小説は「探偵が書き手である」、ないしは「小説家が探偵役で渦中に巻き込まれた事件を書いている小説」であるという、今どき、ありがちといえばありがちな設定なのです。 作中の小説家が現在進行中の事件を小説として書いています。小説として描写されているドラマは必ずしも現実の事件の「そのまんまの描写」ではありません。だって今、書かれつつある小説なのですから。 作家佐藤正午が書く「鳩の撃退法」という小説の中に登場人物である「小説家」が書く「作中小説」である「鳩の撃退法」があるという仕組みです。 「作中小説は」登場人物が遭遇する事件をもとに書かれているのですが、その上で、作家佐藤正午によってつくられた話であるという意味で二重にフィクション化されてしまうわけです。 そう読んでいくと「作中小説」の「鳩」が何を意味しているのかということと、佐藤が書いた小説で「鳩」が何を意味しているのかということの間に、ずれが生まれてしまいますいます。その結果、読者は作中小説を最後まで読んで「鳩」がどう撃退されたのさっぱりわからないし、物語は終わったのに謎は解けないことになります。 ここで注意してほしいのは、糸井の話の中の例で出てきた羽生君はこの場合佐藤正午という作家であることです。 で、全部を作っている佐藤正午が「晴れ晴れとした笑顔で両手を大きく広げ」ている理由はなんなんだ、これが「おしゃべりの会の皆さん」の困惑の理由だったと思います。 糸井はむだ話の最後にこう書いています。 そして、ちょっと想像するのだ。作者本人の考える面白さとは「なんにも言ってなくても、ずっとおもしろく書き続けられて、ずっとおもしろく読めちゃうもの」なのではないかなぁと。 作家は小説から謎を撃退したかったのでしょうね。きっと、書いていて楽しくてしかたなかったにちがいありません。しかし、だからでしょうか、小説は腰砕けのミステリーになってしまいました。ミステリー・ファンが困惑するのもよくわかります。だってこの小説はストリーの謎を解くミステリーじゃないんです、きっと。「じゃあ、何なんだ?」 まあ、そこが問題なんですよね。というわけで、ぼくの感想は、糸井重里に半分だけ賛成かな。まあ、お読みになってください。あんまりおもしろいとも思えないかもしれませんが。(S)ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.08
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《2004書物の旅 その17》 司馬遼太郎「燃えよ剣(上・下)」(新潮文庫) NHKが、所謂「大河ドラマ」で源義経を題材にしたことは二度あります。一度目は1966年、主役が当時の尾上菊之助、女優の寺島しのぶのお父さん、弁慶役は緒形拳、静御前は藤純子ですね。 今はテレビをほとんど見ないのですが、この義経はおぼえています。小学校の6年生か、中1の頃だったと思いますが、家族で見ていました。 二度目が2005年、義経役はジャニーズの滝沢秀明くんだったそうですが、見ていません。下の記事はその2005年当時の高校生に配っていた「読書案内」ですから、15年ほど時間をずらしてお読みいただければよいのではないでしょうか。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ボーと新聞のテレビ欄を見ていて、なにかと話題のNHK、今年の大河ドラマが「義経」だと知りました。そういえば巷の本屋の店先には、やたらと義経物や平家物語が積み上げてありましたね。去年は「新撰組」で、その前は覚えていません。実は去年もテレビでこの番組を見た覚えがありません。何しろ、野球中継以外テレビを見ないのですからね。 しかし、まあ、なぜ、またまた「義経」なのでしょう。そういえば、今よりテレビを見ていた子供のころの記憶にある一番古い大河ドラマは「赤穂浪士」でした。所謂「忠臣蔵」を現代的視点から描いた大仏次郎の時代小説のテレビ映画化で、芥川也寸志という作曲家が作ったテーマ音楽を今でも覚えています。芥川也寸志って?、もちろん芥川龍之介の息子です。 大仏次郎という作家は「鞍馬天狗」(朝日文庫)の作者として戦前から大衆小説作家として有名な人です。戦後、パリコミューンを描いた「パリ燃ゆ」(朝日文庫)、最後には幕末の動乱期を描いた「天皇の世紀」(朝日文庫)という超大作・長編歴史小説(?)をライフワークとしていましたが、「天皇の世紀」の完成間近、ガンで他界した人です。 素人読者にとって、それぞれの作品は、もう小説というより歴史書ですね。今では朝日新聞社が主催する「大仏次郎賞」という文化事業・芸術作品を顕彰する賞にその名を残していますが、この人の名前が読めたら教養のある高校生という訳なのですが、皆さん読めるでしょうか。 ところで、「義経」と「忠臣蔵」には共通点があります。実は江戸時代の人気番組の双璧なのです。もっとも、テレビも映画もない時代の人気番組とはいったいなにか。それはお芝居なんです。今でも残っている歌舞伎の出し物のツートップがこの二つにかかわる演目なのですね。 丸谷才一さんは「忠臣蔵とは何か」という本の中で、江戸の歌舞伎の演目で、この二つが流行った理由の一つに「御霊(ごりょう)信仰」があったとおっしゃっています。歴史上の人物たちで、悔し涙を流して死んだ人たちの「たたりじゃー!」という怨念は、江戸時代に限らず、この国の人々にとっては、決して、笑い事ではなくて、あだやおろそかにしてはいけない重大事だったということなのです。 「死霊」がたたりそうな悲惨な死に方をした歴史上の人物をヒーロー化し、神仏としてお祈りした習俗には、それ相応の理由があったのです。「どうか私たちにはたたらんといてね。」 まあ、本音はこうだったかもしれませんが、結果的に、江戸民衆の代表的な娯楽である歌舞伎の中でも当然「判官びいき」ということのなるです。 宮崎駿のアニメでなじみになった「たたりがみ」が流行るというのは、今に始まったことではないわけです。今ではテレビみたいなマスメディアで流行っているわけですが、人々の「負け組みびいき」の風潮の底には、怨霊畏怖の長い歴史があるという事なんですね。関西人のタイガースびいきも似たような動機かもしれませんね。まあ、あんまり勝ったことがないチームなのに、血も涙もない解雇やトレードで「たたりがみ」信仰を演出して、ファンを引き留めているのかもしれませんよ。 そう考えて振り返ってみると、「赤穂浪士」より一年古い第一回大河ドラマは舟橋聖一の小説「花の生涯」(祥伝社文庫)のテレビドラマ化でした。主人公は「安政の大獄」の仕掛け人、「桜田門外の変」で暗殺されてしまった大老井伊直弼ですが、維新後は典型的負け組みのワルでした。 ぼくが小学生だったころのNHKの大河ドラマはみんなが見ている国民番組のようなものだったのですが、その主人公に抜擢されたのですから、破格の復権ということになります。1960年代前半の出来事です。明治元年が西暦何年であったか、ちょっと年表を調べてみると面白いですよ。 というわけで、去年の「新撰組」も、維新後100年は負け組みの嫌われ者でした。というのは井伊大老にしろ新撰組にしろ、明治新政府からそれぞれ極悪非道の権力者であり、旧体制のテロリスト集団だったというレッテルを貼りつけられ、悪い評判が100年続いた状態だったのです。 尊皇攘夷を標榜した側もテロル勝負みたいな時代だったにもかかわらず、負けたほうが分が悪いのが歴史の常です。坂本竜馬や西郷隆盛、高杉晋作が評判がいいのと好対照です。 歴史上の人物の評判なんてそんなものだといえばそれまでですが、復権するとなれば、やはりそれ相応の時期と卓抜な紹介者が必要になります。 幕府きっての悪役井伊直弼はNHKテレビという、当時の最新マスメディアが復権を助けました。一方「新撰組」は司馬遼太郎という希代の語り手を得てアンチヒーローからヒーローへと見事に復権を果たしたわけです。 文句なしの名作「燃えよ剣(上・下)」(新潮文庫)の主人公土方歳三のかっこよさはちょっと説明に困るほどだし、「新撰組血風録」(中公文庫)で描かれた人物群像は、史実に対する博覧強記を持ち味とするこの作家の特性が一種ロマンチックに昇華された人物伝として描かれて評判をとりました。 明治百年、大衆的「御霊信仰」に支えられて幕末維新の怨霊たちの魂を鎮めるに絶好の時期を迎えて両者が再評価されるにいたったということです。 ところで「燃えよ剣」は数ある司馬遼太郎作品の中の最高傑作だと思う時代小説です。ほかにも幕末・維新ものでは「竜馬がゆく」(文春文庫)・「峠」(新潮文庫)などオススメの人気作品が多数あるのですが、やっぱり「燃えよ剣」が一押しでしょうね。(S)答「おさらぎじろう」ボタン押してね!ボタン押してね!
2020.05.07
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ケネス・ブラナー「シェイクスピアの庭」シネ・リーブル神戸 4月8日からシネ・リーブル神戸が休館するという情報を4月6日にネット上で知りました。これは一大事です。今週のライン・アップに、なんとしても、この映画は見たいと二重丸をつけていた作品があります。それがケネス・ブラナー監督の「シェイクスピアの庭」です。 新コロちゃん蔓延の世相には申し訳ないのですが、不要不急を絵にかいたような歴史物語です。しかし、ジュディ・デンチ、イアン・マッケランという配役の名前を見てかけつけました。 面白いことに不要不急のお仲間が結構いらっしゃいました。さすがシェークスピアというべきなんでしょうか。 火炎が建物を焼きつくし、男が馬に乗って田舎道を旅しています。誰でも知っているシェークスピアの肖像画が映し出され、「All Is True」という題名が現れました。 見たのが一ケ月前なので、はっきりしない記憶を頼りに書いていますが、「すべて本当のこと」というタイトルに、ちょっと驚きました。グローブ座が焼けた1613年以後に限らず、シェークスピアは謎が多い人だと思っていました。 ぼくが愛読しているハロルド作石が描く「7人のシェークスピア」というマンガも、そのあたりをうまく利用していると思います。 映画は頂点を極めたシェークスピアの最後の3年間を描いた家庭劇ともいうべきストーリーでした。ぶっちゃけて、いってしまうなら、49歳で引退を宣言したシェークスピアが、幼くして死んでしまった息子を悼んで、田舎の広大な自宅に「庭」を作るという、全体の段取りが「わからない」のですから、そっから先の家族のやり取りは、やはり分かったとは言えないでしょうね。 にもかかわらず、この映画は面白かったのです。 二十年間、ほったらかしにされた文盲の妻の、突然、帰宅した、有名過ぎるほど有名で、才能と自信にあふれていたはずの夫に対する態度とその変化のプロセス。 詩において、恋の告白と見まがうほどの言葉を費やした詩人シェークスピアに対して、主人と奴隷の間の「愛」の不可能を思い知らせて去るサウサンプトン伯爵との一夜。 大雑把に言ってしまえば、この二つのプロットが演じられるシーンにぼくは酔い痴れたということです。 まず、失意のシェークスピアを演じているのが、監督でもあるケネス・ブラナーです。彼は、実年令が60歳だそうです。シェークスピアはこのとき49歳だったはずですが、余裕で演じているといっていい様子でした。 一方、妻のアン・シェークスピアを演じるジュディ・デンチは007のM16の長官Mを演じ続けて評判をとった人です。ぼくも最後の作品「スカイ・フォール」でその姿を見た記憶がありますが、85歳です。帰宅した夫との寝室をめぐる葛藤を演じるには、いやーちょっと・・・と思いきや、長年仕えてきた、老女中というイメージを完全に払拭するのは無理だったかもしれませんが、ついに同室を許した夜に、この二人は・・・??と思わせるに十分な演技でした。すごいものです。 もうひとりは、言わずと知れたイアン・マッケラン80歳です。彼はシェークスピアの愛人と噂されるサウサンプトン伯爵役です。マッケラン自身もゲイを公表している人なのですが、シェークスピアとの同性の愛を、どう演じるのか興味津々でしたが、さすがですね。 眼差し、手つき、そしてセリフの自在なあやつり方。舞台で鍛えぬいた俳優の「これが演技だ」とでもいうべき存在感は、英語のワカラナイ半可通をさえうならせるに十分でした。 メイン・ストリーには、あまり言うことはないのです。菊池寛の「父帰る」みたいでした。おにーちゃんとかはいないのですが。 監督 ケネス・ブラナー 製作 ケネス・ブラナー テッド・ガリアーノ テイマー・トーマス 製作総指揮 ローラ・バーウィック ベッカ・コバチック ジュディ・ホフランド マシュー・ジェンキンス 脚本 ベン・エルトン 撮影 ザック・ニコルソン 美術 ジェームズ・メリフィールド 衣装 マイケル・オコナー 編集 ウナ・ニ・ドンガイル 音楽 パトリック・ドイル キャストケネス・ブラナー (ウィリアム・シェイクスピア)ジュディ・デンチ Judi Dench(アン・シェイクスピア)イアン・マッケラン(サウサンプトン伯爵) キャスリン・ワイルダー (ジュディス)リディア・ウィルソン(スザンナ)2018年101分イギリス原題「All Is True」2020・04・07シネ・リーブル神戸no53追記2020・05・29いつの間にか2020年の5月が終わろうとしています。三宮の映画館が再開してこの映画も映画館で観ることができるようになりました。 昨日、我が家のチッチキ夫人はシネ・リーブル神戸に出かけてみてきたようです。なんだかとてもうれしそうにして帰ってきました。「よかった。よかった。英語なんてわからないのに、男の人が掛け合いで詩を朗読して、女の人たちも声に出して読んで…。それを聞いているだけで涙がこぼれるほど幸せ。謎を解いたり解釈を考えたり、そういうのはどうでもいいのよ。ジュディ・デンチの存在感。サイコー。」「ほかの客はいたの?」「二十人はいなかったかもしれないけど、十五人はいたよ。」「スゴイ。満員やん。」「満員なわけないやん。でも商店街は人がおおぜい歩いていた。」もう、50日、繁華街を避けているシマクマ君は遠い異国の出来事を聞くような気分ですが、そろそろ、元気を出して出かける時期なのでしょうか。もう6月になってしまいますねえ。 ボタン押してね!no53
2020.05.06
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ラジ・リ「レ・ミゼラブル」シネ・リーブル神戸 この題名を見て、ヴィクトル・ユーゴーの小説を思い浮かべない人はいないでしょう。ぼくはそう思い込んでいました。どんなリメイクなのか、それが興味の焦点でした。ガラすきのシネ・リーブルでした。真ん中に陣取って一息ついてもお客さんは増えません。と、映画が始まりました。 少年が三色旗を首に巻いて、人ごみの中を歩き回っています。歓声が上がって、どんどん人が増えてゆきます。凱旋門に向かって大群衆が進んでゆきます。サッカーのワールドカップでフランスが勝ったんです。このシーンだけでも見る価値があると思いました。 ドローンが飛んでいて、パリの郊外の高層アパートを映し出します。地上では町を巡回するパトカーの警官とバス停の少女たちがやりあっています。警官の仕打ちを写真に撮った少女のスマホが叩き壊されます。この現場を映しとっていた上空のドローンの存在が、警官と子どもたち戦いの前哨戦を写しています。 第一ラウンドはライオンです。ロマの巡回サーカス団のライオンの子供が盗まれます。ジプシーといういい方の方が腑に落ちるかもしれませんが、「ユダヤ」とはまた違う「被差別」の人たちですね。 「ライオン」は百獣の王、「サーカス」の宝、「イスラム」では聖獣、なにより、子どもたちにとっては可愛いいネコ科の赤ちゃん、イノセントの象徴かもしれません。 警官が追いかけ少年たちが逃げます。威嚇のためのゴム弾銃が水平打ちされ、顏に弾を受けた少年は気絶します。警官対少年の第一ラウンドはあっさり警官の圧勝です。 第一ラウンドの展開で、映画は町の仕組みを映し出したかったようです。中近東、アフリカ、あらゆる国からやってきた移民が暮らす貧困の街。街の「平和」を維持しているのは顔役のヤクザ、ムショ帰りの教祖、ジプシーのサーカスの団長、そして、仲を取り持つ警官のシーソーゲームのようです。本来、平等であるはずの警官も、なかなか悪辣です。 第ニラウンドはドローンです。違法な水平打ちのシーンは、覗きの少年のドローンがすべて映しとっていました。警官、町のボス連、ガキ、三つ巴のデータ争奪戦が始まりますが、ヤッパリ警官の勝利です。 痛い目を見るガキもいましたが、すべて世はこともなしです。警察の日常が挿入され、一人一人の警官の生活が映し出されます。 ここまで、フランスの下層社会解説とでもいうドキュメンタリー風の味付けです。 ところが、起こるはずのない第三ラウンドのゴングが鳴ったのです。ライオンの檻にでも放り込んで小便をチビラせて置けばとたかをくくっていた、ガキどもの反乱です。結末やいかに、というわけですが、見る人によって、ここから評価が分かれるようです。 しかし、子供が、ただ子供というだけで「貧困」と「被差別」と「暴力」の最下層に押しやられている現実を映画はいったいどう描けばいいのでしょう。こう描くしかないでしょう。 ブレイディみかこがイギリスの「ワーキング・クラス」の中学生生活を報告して話題の著書「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(新潮社)の中に、眉毛のない、最下層の少年、中学生の「ジェイソン・ステイサム」君が歌うこんなラップの歌詞が載っています。父ちゃん、団地の前で倒れてる母ちゃん、泥酔でがなってる姉ちゃん、インスタにアクセスできずに暴れてる婆ちゃん、流しに差し歯落として棒立ち七面鳥がオーブンの中で焦げてるおれは野菜を刻み続ける父ちゃん、金を使い果たして母ちゃん、2・99ポンドのワインで漬れて姉ちゃん、リベンジポルノを流出されて、婆ちゃん、差し歯なしのクリスマスを迎えてどうやって七面鳥を食べればいいんだいってさめざめ泣いてる俺は黙って野菜を刻み続ける姉ちゃん、新しい男を連れて来て母ちゃん、七面鳥が小さすぎるって婆ちゃん、あたしゃ歯がないから食べれないって父ちゃん、ついに死んだんじゃねえかって、団地の下まで見に行ったら犬糞を枕代わりにラリって寝てただが違う。来年はきっと違う。姉ちゃん、母ちゃん、婆ちゃん、父ちゃん、俺、友よ、すべての友よ。来年は違う。別の年になる。バンコクの万引きたちよ、団結せよ。 燃え盛る火炎瓶を手にした「ライオン泥棒」君の、怒りに満ちた眼差しで映画は終わります。そのシーンは監督に社会批判はありますが、映画の意思表示としてあやふやだと取られたようですが、そうでしょうか。 ぼくは、ぼく自身が「わかったふう」な「大人」の都合の眼差しで映画を見ていたことを痛烈に批判されたと感じました。彼らの将来はとか、彼らを追い詰めたものは、とかいう以前に、ここには少年や少女たちの、彼らには何の責任もない「抑圧」があり、怒りがあります。いつの間にか、それこそが、例えば15歳の少年にとって、最も切実な現実であることを見落として、聞いた風なことをいい始めていたのではないでしょうか。 若ぶっていうわけではありません。しかし、もう、世界中のどこの国にも、こう叫ぶべき時がやってきているのです。 万国の「ライオン泥棒たち」よ、決起せよ!監督 ラジ・リ 脚本 ラジ・リ ジョルダーノ・ジェデルリーニ アレクシス・マネンティ 撮影 ジュリアン・プパール 編集 フローラ・ボルピエール 音楽 ピンク・ノイズ キャストダミアン・ボナール (ステファン:警官)アレクシス・マネンティ (クリス:警官)ジェブリル・ゾンガ(グワダ:警官) イッサ・ペリカ (イッサ:少年)アル=ハサン・リ(バズ:少年)2019年 104分 フランス 原題「Les miserables」2020・03・13シネ・リーブル神戸no52追記2020・05・05「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(新潮社)の感想は題名をクリックしてみてください。ボタン押してね!
2020.05.05
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「山電 西舞子駅」 徘徊日記 2020年4月28日 舞子あたり 「大歳山」遺跡から南に歩きました。西舞子という町名ですが、もともとの舞子の町だと思います。 そのまま南に突き当たるとJRと山陽電車の線路に突き当たります。ここに駅があるのは山陽電車だけで、駅名は西舞子駅です。今日は、ここから山陽明石駅まで電車で移動します。山陽電車に乗りたかっただけなのですが、歩いて20分くらいの距離の間に大蔵谷駅、人丸前駅と二つも駅があります。 プラットホームに上がりましたが、次の下りの普通迄時間はタップリあります。あたりを見廻すと、派手に目立っていたのはどこの駅にもありますが、ホームの非常通報ボタンです。 実はこの駅は、多分ですが、「無人駅」です。ぼくが、今、このボタンを押すと誰が何処からやってくるのでしょうね。考えているとドキドキして、つい写真を撮ってしまいました。もちろんボタンは押していません。 おっと電車が来ました。JRの上り京都行の普通電車です。駅の、向こうはJRの線路なんです。今度は山陽電車ですが下りの特急姫路行ですね。 止まっているように見えていますが、もちろんこの駅は通過です。おお、今度は上りの普通到着です。 これが、山陽電車の普通新開地行ですが、行く先が逆ですね。おっと、今度はJRの快速です。向うのホームからだと手が届きそうですが、別の会社です。 もう、20分近く、こうやって遊んでいますが、乗れる電車はなかなか来ませんね。こんなところで、ラメラを振り回して、こんなことをしているのを知ってる人が見たらどう思うのでしょうね。まあ、ブログとやらで公開するわけですから、結局、見られるわけですが。 ああ、やっときました。山陽電車の下り普通姫路行です。 乗り込みました。お客さんは一両に二人でした。マスクをつける不安も必要もない様子です。 長閑なものです。いつ乗っても空いてはいるのですが、まあ、これほどに空いているのはやはり珍しい。とりあえず5分ほどで明石駅に到着ですが、車窓からはこんな風景です。 明石大橋が目の前に見えます。(へへへ、この写真、山陽電車の車窓ではないと見破れた人はいますか?答えは追記に書いています。) さっき座っていた人もここで下車しましたから、少なくとも、先ほどの車両は、ただ今乗客ゼロです。うーん、山陽電車、大丈夫なのでしょうか? さて、ここから少し海辺を歩きますね。じゃあ、サヨナラ。追記2020・05・03「大歳山徘徊」はここをクリックしてみてください。 実は、山陽電車での徘徊の二日後にJRで同じところを通りました。写真で撮った電車に乗ったわけです。JRから撮る舞子の海の写真には山陽電車の高架線が写ります。お分かりですね、電車のパンタグラフが電気を撮るあれです。写っているでしょ。 ちなみにJRからの山陽電車の「西舞子駅」はこう見えます。 もう一つ、ついで、この日のJRの車内の様子です。 お客さんがいないのは山陽電車の営業努力不足のせいではなそうです。JRの車内もこの通りです。だいたい、シマクマ君が、いかに傍若無人の恥知らずだとしても、電車の車内のような場所でパチリ、パチリと写真が撮れるということがそうあるわけではありませんよね。 そういえば、もう一ケ月、垂水から東に行ったことがありません。うーん、えらいことですね。ボタン押してね!
2020.05.04
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「四月の団地の花壇」徘徊日記 2020年4月29日(水) 団地あたり 2020年の4月も終わろうとしています。サクラも箒桃も散りました。今はバラが咲き始めています。 今年は寒い3月でしたが、月の末に、ウロウロし始めた頃うれしかったのはひっそり咲いていたこの花です。 アネモネですね。去年と同じところにありました。この時一緒に群をなして咲き始めていたのがフリージアでした。 自宅の前でも桜の花の満開の下で咲いていました。 そういえば、管理事務所の前で桜草を見つけたのはうれしかったですね。 マーガレットは手を替え、品を替え、という雰囲気で咲き続けていますね。 これもマーガレットの一種でしょうか。ぼくはこの色が好きですね。 パンジーもあちらこちらに咲き続けています。 蔓日日草っていうんですよね。月のはじめには、生垣の足もとに「ひっそりと」 だったのですが、最近では「やたらに」 咲いています(笑)。でも、キライじゃありませんね。 カタバミですね。これはベランダで咲いた写真ですが、花壇では群棲繁茂しています。ぺんぺん草というのはこの花なんでしょうかね。 前の芝生では風に揺れるタンポポです。 そろそろ、今日の「ひまわり花壇」に戻ってみますね。これは釣鐘草でしょうか。 今、満開なのはこれ、杜若(カキツバタ)ですね、そして背景にはパンジーです。 そしてバラですね。近所の生垣でも、今、ちょうど満開を迎えています。モッコウバラ(木香茨・Rosa banksiae)、中国原産のバラらしいですが、この辺りではよく見かけます。 ちょっとズームアップ。なるほど、確かにバラですね。 こっちのバラも好きです。サルタンの 妃の墓に 薔薇もあり 横光利一猫走る 界隈の垣 薔薇咲いて 森澄雄ほら見てよ 薔薇が奇麗よ あんた達 高澤良一自転車の 立てかけてあり 薔薇の門 寺田寅彦 横光利一の句のサルタンはアラビアの王を一般にスルターンといいますが、それのことでしょうね。彼らしいエキゾチックな風景ですね。 さて、皐月です。爽やかな風と共に「時疫」もおさまりを見せてくれるのでしょうか。 2020・04・30記ボタン押してね!
2020.05.03
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「明石城の藤の花」徘徊日記2020年4月30日 いよいよ4月も終わる日です。一ケ月、まるまるエイプリル・フールのような日々が続きましたが、今日は明石城にやって来ました。 JRの明石駅を北に出ます。そこがお城のお濠です。お濠にそって西に歩けば大手門ですが、東に歩いて文化博物館の隣のエレベーターに乗りました。乗って見たかったんですね。多分、自転車でも乗れるはずです。昔、高校生の友達に聞いたことがあったんです。そこから西に歩いて城の内に入ります。 お城で石垣です。ここから迷路のように県立図書館目指して進みます。 おや、ノラ君です。中々な目つきですね。ちょっと、逃げだそうと構えたようですが、こっちを見ています。 写真を撮ってもビビりません。よしよし、ノラ君の前を通って右に行くと図書館です。 もちろん閉館中です。県立の図書館ですが、ぼくは県立の建物にいいイメージを持ったことがありません。ここも何となく避けてきた図書館です。まあ、不便なんですよね、少し。 ロビーの前の回廊で床に座った老人が本を読んでいます。日ざかりのベンチでは老婆がスマホを覗いていました。置物ではありませんよ。 建物の正面ではハナミズキが満開です。 少しズーム・アップしてみますね。 隣りに、もう一本、色違いですね。 桜とは違う、すずしさのようなものがありますね。ボクはサクラが散るとこの花を探してしまいます。初夏の花なんでしょうか。 それにしても、人気のない図書館に二人の老人、いや、三人の老人です。読書とスマホとカメラです。 図書館の前の木立にこんな石碑がありました。 明石の空襲の慰霊碑です。1945年のことです。 ぼくの母親は、この当時、生野の女学校の生徒だったそうです。17歳だったはずです。明石の西の土山というところに学徒動員で来て働いていたそうですが、神戸や明石が空襲で燃えて、空が真っ赤になるのを夜中に何度も見たという話と、新開地の聚楽館という映画館で映画を見たことがあるという話を、亡くなる前の夜、病室に付き添うと繰り返ししていました。 この石碑にある7月7日の夜も同級生と互いの手を握り合いながら赤く焼ける東の空を見ていたのでしょうか。 しばらく、立ち止まってお茶を飲んで振り返ると、図書館の壁一面の藤でした。 桜が終わると探し始める、もう一つの花が藤ですね。ボンヤリ佇んでしまう光景です。死者たちの 時間藤房 揺るるのみ 奥坂まや藤房の 揺れる長さの 違ふ風 稲畑汀子公卿若し 藤に蹴鞠を そらしける 橋本多佳子 今日は県立図書館の駐車場あたりで、旧友と再会です。人のあまりいないお城のベンチでお茶でもしましょうというわけです。そろそろ約束の時間です。それでは残りの明石城は次回ということで。ボタン押してね!
2020.05.03
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アニエス・ヴァルダ「アニエスによるヴァルダ」元町映画館 2020年4月、映画と映画館がピンチ!でした。「新コロちゃん」と笑っていたシマクマ君もマジ顔になりつつある今日この頃ですが、そんな「空気」が世間に充満するなかで、ぼくがこの二年間お世話になっている「元町映画館」と「パルシネマ」が健闘していました。 休業や新コロちゃん被害に対する責任を放棄したかに見える政権の有様には驚きをこえた憤りを感じます。実際には開けていても、「自粛」という言葉におびえた社会にあって、それぞれの映画館や居酒屋にお客がくるわけではありません。小さな映画館や居酒屋はつぶれてしまえという態度です。 その、小さな映画館の一つである元町映画館が3月の末からの企画もので上映していたのが「アニエス・ヴァルダを知るための3本の映画」でした。 アニエス・ヴァルダという人は、昨年、2019年に90歳で亡くなった、フランスの映画監督ですが、「シェルブールの雨傘」のジャック・ドゥミの配偶者というほうが見当がつきやすかもしれませんね。フランス・ヌーベルバーグの祖母と呼ばれてきたそうです。そのおばーさんが亡くなる直前に撮った映画が「アニエスによるヴァルダ」です。 なにがおもしろいかって問われると答えるのは難しいですね。どこかのセミナーで自作を語るアニエス・ヴァルダの姿と、彼女の実作のシーンをコラージュしたドキュメンタリーなのですが、これがなんともいえず面白かったんです。 無理やり説明するなら、本当は、方法にとらわれない「方法の人」なのでしょうが、そういう解説で理解する以前に、まずアニエス・ヴァルダという人の「たたずまい」が面白いというしかありません。 見てから時間が立ってしまったので、彼女が「海」とか「浜辺」が好きだということ以外ほとんど覚えていないのですが、見るからに強烈な意志の人なのだけれど暑苦しくない。ノンキそうでどっちかというとユーモラスなのだけれど冷静。だいたいフィルムに映っている様子が、ウケでも狙っているのかといいたくなるほどで、笑えますが、何の衒いもない。要するに自由なんです。 この写真の、この頭、帽子じゃないんですよ。もちろん鬘でもなさそうで、東洋的には河童の親玉でしょ。その河童の親玉が猪八戒みたいに小太りで、堂々として、「海」を見て座っているんです。面白がり方は悟空で、眼力は三蔵法師かもしれませんね。で、やりたいことはやり尽くしたんでしょうか、90歳まで映画を撮ったんです。 彼女が自宅で、映画についてのおしゃべりをするテーブルにネコのズググが座っているシーンがあるのですが、ネコ好きの方はこのシーンを目にしただけでも、ちょっと得したとお思いになるに違いありませんよ。えらい存在感のあるネコなんです。 この存在感は何なんだ、というのはアニエス・ヴァルダその人に感じる驚きと同じでしたよ。なにせ、こうなったら、残りの映画を見るしかありませんね。監督 アニエス・ヴァルダ 製作 ロザリー・ヴァルダ キャストアニエス・ヴァルダ 2019年 119分 フランス原題「Varda by Agnes」2020・04・06元町映画館no41ボタン押してね!!
2020.05.02
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「千鳥が丘」から「八幡神社」徘徊日記2020年4月22日 垂水あたり 自宅からJRの駅もある垂水に行く道は学が丘から星陵台に上がり、そこが、今はありませんが県立の神戸商科大学があった丘ですが、そこから垂水駅に通っている商大筋を下っていくというのが普通です。 今日のシマクマ君は別の風景が見たかったんですね。で、「垂水ゴルフ場」沿いに少し東にむかって歩いて潮見が丘までやって来ました。 ここから第二神明道路の陸橋を渡ると千鳥が丘です。 ここも高台の頂上近くですが、すぐ南に小学校があります。 普段なら、まだ子供たちがいる時間ですが、もちろん人の気配はありません。門柱の上で八重のサクラがさみしく満開でした。庭にはパンジーやチューリップも咲いています。 ここを少し南に行くと、15年前には、昔の長屋風で平屋の市営住宅が並んでいたのですが、今は高層の市住と県住、真新しい戸建ての住宅街になっています。 その先に「高丸くが公園」という新しい公園が出来ていて、花壇には花がいっぱい咲いていて、子どもたちもたくさん遊んでいます。 そのうえ、見晴らし抜群です。これを見るために今日は徘徊してきました。最初の写真の海に浮かぶ赤い船。こっちは、須磨の鉢伏山の展望台です。両方ともピンボケなのが、残念ですね。トホホ・・・・ 近くには、取り壊されるらしい、三菱重工の無人社員寮もあります。この辺りは三菱の領土だったのでしょうか。 ここから一気に下りの坂道です。 奥の木立は八幡神社の森です。歩いて降りる途中にすれ違った女性は自転車で登ってゆきました。 ね、すごいでしょ。いやはや、いかに電動自転車とはいえ、この坂はちょっと、と思いましたが登ってゆきました。えらいもんです。 ぼくは、ここから神社の横の坂道も下って、「八幡さん」到着です。誰もいないのがよろしいですね。でも狛犬さんは頑張っていました。 こっちが「あっ」ですね。 こっちが「うん」ですね。 もう一対座っていはりましたが、写真が一枚ピンボケなのでまたの機会にということで。ここから「八幡通り」を下って、垂水の商店街に到着です。 スミマセン。写っている歩いている人は、知らない人です。道端にこんな花が咲いていました。 名前がわかりません。藤のような雰囲気ですが、ツルではないようなのです。 この花壇の四つ辻を垂水の商店街へ右折です。「垂水に流泉書房さんがお店だしてはるよ、商店街の東の入口のところ。」 家を出がけにチッチキ夫人が一声かけてくれました。 ここが本日の最終目的地でした。「流泉書房」さんです。 垂水に最近出来ていた「街の本屋さん」の偵察です。「ほんまに」(くとうてん)というタウン誌に載っていました。「くとうてん」というのは神戸の小さな出版社です。店内はこじんまりとした配架で、そんな日本はありません。が、思いのほか気に入ってしまいました。並んでいる本に、ちょっと気持ちがこもっているんです。 思わず、新刊と旧刊の文庫本を、それぞれ一冊づつ買ってしまいました。 えっ?何を買ったかって? それは、今は秘密です。5月の第1週に「7days7Bookcover」というフェイスブックの企画で投稿するネタですからね。お楽しみに。ボタン押してね!
2020.05.01
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《2004年 書物の旅「ぼくが50歳だった頃、教室で」その22》牧野信也『イスラームとコーラン』(講談社学術文庫) 講談社BOOK倶楽部 一学期に中国の話が出てきて、ふと、思い浮かんだことがあります。ぼくたちの世代にとって「世界史」というのは「西洋史」と「中国史」だったのではないかということです。 モチロン、地球上には南北アメリカ大陸もアフリカもオセアニアも、ある事を知っていましたし、アジアの中にはインドやベトナムがあるコトも地図の上では知っていました。しかし、高校生であった、その昔のぼくたちにとって世界史の教科書は中国とヨーロッパにしか窓を開けていなかった印象が強いのです。 当時の大学入試でインド史やアフリカ現代史が出題されるのは奇問の類として話題になるようなことだったのです。要するに頭でっかちの受験高校生にとって意味があるのはフランス革命であり、ローマ皇帝であり、中国の唐や元の文化や王朝交代でした。 「元」が中央アジアからヨーロッパに至る世界帝国の東アジアでの顔であり、「モンゴル帝国」がキリスト教社会からイスラム社会、現代のインド、アフガニスタンまでをも包含する広大さに関心を寄せることの大切さについて、実に無頓着だったように思います。 「考えてみればこれはへんな話だ。」 そんなふうに、最近になってちょっとこれではあかんのではないかと思い始めました。 たとえば何号か前に鶴見俊輔のコラムを「案内」しましたが、彼が書いていた「イスラム社会に対する我々の無知」についての問題もこのあたりのことと関係すると思うのです。つまり世界に対するぼくたちの無知について、ちょっと真摯にならんとアカンのではということです。 長い前フリになりましたが、この「読書案内」の大人の読者の方が「高校生諸君へ」と送ってくださった、こんな紹介があります。 牧野信也『イスラームとコーラン』(講談社学術文庫1987発行) この本を読んで、何となくすっきりした気分になりました。イスラム教は、日本人にわかりにくいとよく言われます。歴史を振り返っても、キリスト教に比べてなじみがなかったですね。でも、この本の作者は「我々日本人は、イスラム教の伝統を持たない反面、ヨーロッパ人がややもすれば持つイスラム教に対する偏見からは全く自由であり、その意味ではイスラム教を第三者の立場から比較的公平に見ることができる」と言っています。 同感!砂漠に住むアラブ人は、砂に残る足跡を見、耳を澄まして全体の状況を判断し、具体的かつ即物的に考え行動してきたのだとあるくだりを読むと、全く違うところに住んでいる人々の感覚を少しわかったような気持ちになりました。お勧めします(U) Uさんはぼくと同じ世代の人です。だからイスラム教に対するUさんの「なじみの無さ」という気持ちにとても共感して、ぼくもこの本を読よみました。 著者の牧野信也という人は『コーラン』(岩波文庫)を翻訳した井筒俊彦というすごい人のお弟子さんです。といっても、もうお爺さんですがね。 先生の井筒俊彦がなぜすごいかといえば、『コーラン』というのはイスラム教の経典ですが、元々書かれたアラビア語で読まなければ意味が無いんだそうで、学識もさることながらそんな本を翻訳している所がすごいでしょ。日本語に訳すと意味を失う本なのですよ。 学術文庫は高校生には少し難しいかもしれません。でも、とてもわかりやすく書かれた文章だから大丈夫ですよ。 イスラムやアラブの社会に対する関心がようやく広がり始めていて、若い研究者の本にも興味が集まっています。 たとえば、池内恵『現代アラブの社会思想』(講談社現代新書)は特に最近評判の一冊です。文章はイマイチだと思いますが、エジプトのカイロに住んで報告している内容のリアリティは臨場感に溢れています。 この人のお父さんは最近カフカの新訳を全集で白水社から出した池内紀というドイツ文学の人です。お父さんの話はきっとそのうちでてくると思いますよ、この「案内」で。実はファンなんです、お父さんの、だから息子さんの本を読んだというわけですね。 ついでといったらなんですが、死んでしまった思想家でエドワード・サイードというパレスチナの人が書き継いでいた『戦争とプロパガンダ』(みすず書房)というシリーズがあります。これはアメリカの大学で教えていながらパレスチナの現状に対してとてもリアルで真摯な意見を、まさに叫んでいる本です。 彼を一躍有名にした仕事は『オリエンタリズム(上・下)』(平凡社ライブラリー)という本です。その中ではヨーロッパ中心の ─ なぜか日本の教育もこの範疇に入る ─ 近代社会の歴史に対する見方を徹底的に批判しています。 ぼくたちのようなアジアの片隅の社会の人間が、何故ヨーロッパや北アメリカのキリスト教文化や、ものの考え方、歴史観を唯一絶対の正しいこととして受け入れ、学校でも教育するようになってしまったのか。そんなことを考えさせる力がある本です。 でも、そう考えはじめると本当に勉強しなければならない対象は、ぼくたちが生きているこの国の歴史というコトになりますね。読書の秋、もっと遠くまで関心の射程を広げてみてはどうでしょうか。近くに対する興味もそこから生まれてくるかもしれませんなりますねよ。(S)追記2020・04・19 15年という歳月は確実に流れましたね。牧野信也、池内紀、エドワード・サイード、みんなこの世の人ではなくなりました。池内さんの息子さんの池内恵は、今や、多分、偉い学者さんです。最近は読んでいないからわかりません。 この国では、事実無根の歴史修正主義が大手を振って登場し、近隣の国々の悪口を平然と煽っています。教育現場では「歴史」の教員や管理職の中に、名前はあげませんが、ぼく言わせれば偽物の「ナショナリスト」たちの「ネトウヨ」本に依拠した発言を教室や集会で「もっともらしく」語る風潮が広がっているようです。 不気味なことに、彼らは一様に、何の面識もない権力者を「サン」づけで呼ぶのですが、小説「三四郎」の広田先生の言葉を借りれば、この国は「滅び」の坂道を転がり始めているのかもしれませんね。 まあ、ぼくも、池内さんとか書いているわけですが、「アベサン」とかいうよりは少しマシじゃないかと思っています。ボタン押してね!ボタン押してね!人文学と批評の使命 デモクラシーのために (岩波現代文庫 学術 298)[本/雑誌] (文庫) / エドワード・W.サイード/〔著〕 村山敏勝/訳 三宅敦子/訳
2020.05.01
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