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京の鳥辺野(とりべの)・蓮台野(れんだいの)・化野(あだしの)は平安時代の葬送の地でした。それらの土地に放置されたままの無名の遺骸を、弘法大師(空海)が埋葬し、弔ったことがあだし野念仏寺の始まりです。やがてそこらの墓石や石仏を1カ所に集めて、無縁仏を供養するようになりました。千灯供養では石塔や石仏およそ8,000体の無縁仏に無数のロウソクをともして供養します。日程:2017年8月23日(水)・24日(木)17:30~20:30 料金:行事協力維持料1,000円 場所:あだし野念仏寺
2017.07.31
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第一朗読出エジプト 32・15−24、30−34出エジプト記 モーセが身を翻して山を下るとき、二枚の掟の板が彼の手にあり、板には文字が書かれていた。その両面に、表にも裏にも文字が書かれていた。その板は神御自身が作られ、筆跡も神御自身のものであり、板に彫り刻まれていた。 ヨシュアが民のどよめく声を聞いて、モーセに、「宿営で戦いの声がします」と言うと、モーセは言った。 「これは勝利の叫び声でも 敗戦の叫び声でもない。 わたしが聞くのは歌をうたう声だ。」 宿営に近づくと、彼は若い雄牛の像と踊りを見た。モーセは激しく怒って、手に持っていた板を投げつけ、山のふもとで砕いた。そして、彼らが造った若い雄牛の像を取って火で焼き、それを粉々に砕いて水の上にまき散らし、イスラエルの人々に飲ませた。モーセはアロンに、「この民があなたに一体何をしたというので、あなたはこの民にこんな大きな罪を犯させたのか」と言うと、アロンは言った。「わたしの主よ、どうか怒らないでください。この民が悪いことはあなたもご存じです。彼らはわたしに、『我々に先立って進む神々を造ってください。我々をエジプトの国から導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです』と言いましたので、わたしが彼らに、『だれでも金を持っている者は、それをはずしなさい』と言うと、彼らはわたしに差し出しました。わたしがそれを火に投げ入れると、この若い雄牛ができたのです。」 翌日になって、モーセは民に言った。「お前たちは大きな罪を犯した。今、わたしは主のもとに上って行く。あるいは、お前たちの罪のために贖いができるかもしれない。」モーセは主のもとに戻って言った。「ああ、この民は大きな罪を犯し、金の神を造りました。今、もしもあなたが彼らの罪をお赦しくださるのであれば……。もし、それがかなわなければ、どうかこのわたしをあなたが書き記された書の中から消し去ってください。」主はモーセに言われた。「わたしに罪を犯した者はだれでも、わたしの書から消し去る。しかし今、わたしがあなたに告げた所にこの民を導いて行きなさい。見よ、わたしの使いがあなたに先立って行く。しかし、わたしの裁きの日に、わたしは彼らをその罪のゆえに罰する。」 福音朗読マタイ 13・31−35マタイによる福音 〔そのとき、〕イエスは、別のたとえを持ち出して、〔人々〕に言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」 また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」 イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 「わたしは口を開いてたとえを用い、 天地創造の時から隠されていたことを告げる。」 1491年、スペイン北西部のロヨラに生まれる。宮廷と軍隊での生活を送っていたが、後に神に立ち帰り、パリで神学を学んで最初の同志を集め、やがてローマで正式にイエズス会を創立した。著作と会員の教育によって実り豊かな使徒的活動を行い、その会員たちは教会の刷新のために多くの業績を残した。1556年にローマで死去。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です神父燦燦 カトリック司祭58人に聴く/カトリック新聞社【2500円以上送料無料】
2017.07.31
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7月31日の花言葉はフシグロセンノウで「転機」です。フシグロセンノウ(節黒仙翁、学名:Lychnis miqueliana Rohrb.)は、ナデシコ科センノウ属の多年草。特徴茎は直立し、高さは40-90 cmになる。和名の由来のように茎の節が黒褐色になり[2]、茎の上部は分枝し、まばらな軟毛がある。葉は無柄で茎に対生する。葉身は卵形から長楕円状披針形で、葉先は鋭尖形で基部は細まり、長さ5-14 cm、幅2.5-5 cmになる。花期は7-10月。野草では珍しい色の朱赤色の花を、分枝した茎の先にまばらに数個付ける。萼は2.5-3 cmの長円筒状で5裂し、毛はない。花弁は5個で長さ2.5-3 cmになる。蒴果は先が5裂した長楕円形となる。種小名の「miqueliana」は、ドイツの植物学者のA.W.ミクエル(Friedrich Anton Wilhelm Miquel)に由来する。別名が「ゼニバナ」と「オウサカバナ」(逢坂関に自生していたことに由来する。)。分布と生育環境日本の固有種で、本州・四国・九州の山地の林下などに自生する。田中澄江が『花の百名山』の著書で、雲取山を代表する高山植物の一つとして紹介した。山野草として苗が販売されている。引用:Wikipedia
2017.07.31
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洛外洛中の拉麺屋さんをご紹介するシリーズ、今回は北大路通の「あんびしゃす花」さんをご紹介します。麺が茹で上がるまでの間、煮卵とメンマをお供にアサヒスーパードライを頂きます。しばらくビールを楽しんでいる内に「濃厚醤油つけ麺」が茹で上がりました。麺は小麦の風味がきいた太麺、つけ汁は出汁がきいた濃厚スープが石鍋に入っており、いつまでもあつあつ、冷水でしまった麺をつけて食べると麺のこしとつけ汁の旨味を楽しむことができます。店名:あんびしゃす花 ジャンル:つけ麺、ラーメン 予約・お問い合わせ :075-712-8977 住所:京都府京都市左京区下鴨西本町44 交通手段:京都市バス「洛北高校前」徒歩1分、北山駅から881m営業時間:11:00~14:30 17:30~23:30(L.O.23:00)定休日:水曜・他不定休 送料無料 アサヒ スーパードライジャパンスペシャルJS−3N(01171191014) 御中元 お中元 ギフト 暑中見舞い 残暑見舞い ギフトセット
2017.07.30
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第一朗読列王記上 3・5、7−12列王記 その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。〔ソロモンは答えた。〕「わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」 主はソロモンのこの願いをお喜びになった。神はこう言われた。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。」 第二朗読ローマ 8・28−30使徒パウロのローマの教会への手紙 〔皆さん、〕神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。 福音朗読マタイ 13・44−52、 または 13・44−46マタイによる福音 〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。 また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」 ≪「また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」≫ 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですカトリックとプロテスタント どこが同じで、どこが違うか [ 徳善義和 ]
2017.07.30
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7月30日の花言葉はハマボウで「楽しい思い出」です。ハマボウ(浜朴あるいは黄槿)、学名 Hibiscus hamabo は、アオイ科の落葉低木。西日本から韓国済州島、奄美大島まで分布し、内湾海岸に自生する塩生植物である。夏に黄色の花を咲かせる。方言呼称にはヒシテバナ(鹿児島市喜入)等がある。形態と生育環境樹高は1-5mほどの低木だが、枝はよく分かれ、株の内側はうっそうと茂る。周囲に障害がない所ではしばしば横に広がり、直径5mほどになる。葉は枝に互生する。直径3-8cmほどの円に近いハート形で、やや厚く、縁に細かい鋸歯がある。葉の裏や細い枝には灰白色の細毛が密生する。幹は灰色で多数の皮目がある。根は深くないが、倒れてもすぐ発根する。花期は7-8月で、直径7cm程度の、中心が赤褐色の黄色い花を咲かせる。花の形態は同属のハイビスカス、ムクゲ、フヨウ等に似る。5枚の花弁は付け根から回旋して伸び、中心の赤褐色部は船のスクリューのように見える。花は1日でしぼむが、大きな株は夏季に毎日次々と開花する[1][3]。秋には先端が尖った鶏卵形の実をつけ、中には長さ4-5mmの豆のような黒褐色の種子が十数個ほどできる。種子は海水に浸っても死なずに浮遊し、海を通して分布を広げることができる。秋-初冬には紅葉し、葉が赤や黄色に変色して落ちるが、実は翌春まで残ることも多い。和名は「浜辺に生えるホオノキ」の意にとられ、漢字も「浜朴」と書くが、牧野富太郎は「ホウ」の意味を不明とし、「フヨウ」の転訛ではないかとしている。牧野はまた、もう一つの漢字名「黄槿」(黄色のムクゲ)も誤用であろうとしている。分布域は、太平洋側では千葉県以西、日本海側では韓国済州島-長崎県対馬-島根県隠岐諸島以南、南限は奄美大島である。日本海側の北限は嘗て長崎県対馬市佐護、次いで山口県萩市笠山とされてきたが、隠岐諸島の生息地発見で大きく更新された。群落が多いのは九州西部(長崎県-熊本県)および紀伊半島(和歌山県-三重県)のリアス式海岸の入り江だが、他にも大群落が見られる河口や入り江は多い。河口や内湾など、汽水域の潮間帯上部-潮上帯に根を下ろす。塩分に強く、満潮時には根元が海水に浸る位置に生えるが、海水が届かない位置にも生える。ヨシ、シオクグ、ハマサジ、メヒルギ等、他の塩生植物とも混生する。人為的なものを除けば海岸から離れて生えることはほぼない。また荒波が打ち寄せる海岸にも見られない。マングローブが発達しない九州以北ではハマジンチョウ、ハマナツメなどと並び特徴的な生態を示す木であり、「半マングローブ植物」とも呼ばれる。人間との関係木材はキクラゲ原木栽培のホダ木に使われる。嘗ては木材を水中メガネの枠に、皮の繊維をロープに利用した。園芸用に栽培されることもある。引用:Wikipedia
2017.07.30
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第一朗読一ヨハネ 4・7−16使徒ヨハネの手紙 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。 神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。わたしたちはまた、御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見、またそのことを証ししています。イエスが神の子であることを公に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。 神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。 福音朗読ヨハネ 11・19−27ヨハネによる福音 〔そのとき、〕マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」 福音朗読ルカ 10・38-42ルカによる福音 〔そのとき、〕イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」 マルタはマリアとラザロの姉妹であった。ベタニアではイエスをあたたかくもてなし、また、イエスは彼女の祈りにこたえて、死んだラザロを復活させた。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です日々の祈り 改訂版 第2版 / 日本カトリック司教協議会 【本】
2017.07.29
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六地蔵とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六道に迷い苦しむ衆生を救済する菩薩のことで、“お地蔵さん”といえば身近に感じられるでしょう。保元年間(1156~59)に始まったといわれる地蔵めぐりは、家内安全や無病息災、家運繁栄などを祈願する伝統行事です。京都の六ヵ所の旧街道口に安置された六体の地蔵菩薩を巡って参拝し、各寺で授けられた「お幡」と呼ばれるお守りを束ねて護符とし、家の入り口に吊せば疫病退散、福徳招来などのご利益があるといわれています。日程:2017年8月22日(火)・23日(水)料金:お幡代 各300円 場所:大善寺・浄禅寺・地蔵寺・源光寺・上善寺・徳林庵電話:075-583-0353(徳林庵)
2017.07.29
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7月29日の花言葉はチングルマで「可憐」です。チングルマ(珍車、稚児車、学名:Geum pentapetalum)とはバラ科ダイコンソウ属の落葉小低木の高山植物である。一般にダイコンソウ属に分類されるが、チングルマ属(Sieversia)に分類する説もあり、確定していない。概要東日本(北海道~中部地方以北)、アリューシャン列島、カムチャツカ半島に分布する。高山の雪渓周辺の草地や砂礫地に生える。高さは10cm程度。枝は地面を這い、群落を作る。葉は羽状複葉。花期は6から8月。花茎の先に3cmほどの白い花を1つ咲かせる。花弁は5枚で、多数の黄色い雌しべと雄しべがある。花後、花柱は伸びて放射状に広がる。和名のチングルマは、この実の形が子供の風車(かざぐるま)に見えたことから稚児車(ちごくるま)から転じて付けられた。大雪山旭岳周辺の登山道沿いに数百mも続く大群落が有名である。田中澄江が『花の百名山』の著書で、黒部五郎岳を代表する高山植物のひとつとして紹介した。また『新・花の百名山』で、鹿島槍ヶ岳を代表する高山植物として、シナノキンバイ、オヤマノエンドウ、タカネミミナグサと共に紹介した。富山県には「ちんぐるま」という名の和菓子がある。引用:Wikipedia
2017.07.29
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矢立は携帯用の筆記用具、煙草入は携帯用の喫煙具のことをいいます。いずれも江戸時代に発展し、さまざまな材質や技法でもって意匠を凝らしたものが数多く作られました。明治になると、それまで武家社会をパトロンとして刀装具や印籠などを作っていた金工師や蒔絵師たちが煙草入の金具や煙管筒などを作るようになったため、一層多彩な作品が作られるようになりました。本展では、江戸時代末期から大正時代を中心に、高度な技を駆使して作られた矢立と煙草入の名品約70点を展示します。日程:2017年8月19日(土)~11月12日(日)10:00~17:00(受付終了16:30) 料金:800円 場所:清水三年坂美術館
2017.07.28
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第一朗読出エジプト 20・1−17出エジプト記 〔その日、〕神はこれらすべての言葉を告げられた。 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。 安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。 あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。 殺してはならない。 姦淫してはならない。 盗んではならない。 隣人に関して偽証してはならない。 隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」 福音朗読マタイ 13・18−23マタイによる福音 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史 講談社現代新書 / 永田諒一著 【新書】
2017.07.28
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7月28日の花言葉はコマクサで「高嶺の花」です。コマクサ(駒草、学名:Dicentra peregrina)はケマンソウ亜科コマクサ属の多年草の高山植物。特徴美しい花と、常に砂礫が動き、他の植物が生育できないような厳しい環境に生育することから「高山植物の女王」と呼ばれている。和名はその花の形が馬(駒)の顔に似ていることに由来する。学名の種小名「peregrina」は、「外来の」を意味する。命名者Makinoは、日本の植物学者の牧野富太郎である。別名が「カラフトコマクサ(樺太駒草)」。英名は存在しない。花言葉は、「高嶺の花」・「誇り」・「気高い心」・「貴重品」。高さ5 cmほど。葉は根生葉で細かく裂けパセリのように見え、白く粉を帯びる。花期は7-8月。花茎は10-15 cmで淡紅色の花を咲かせる。花弁は4個で外側と内側に2個ずつつく。外側の花弁は下部が大きくふくらんで、先が反り返り、内側の花弁はやや小さく、中央がくびれ、上端は合着している。萼片は2個で早く落ちる。他の植物が生育できないような砂礫地に生えるため、地上部からは想像できないような50-100 cmほどの長い根を張る。タカネスミレなども同様な場所に生育し混生することもあるが、単独の群落をつくることが多い。双子葉類の植物だが子葉の発達が悪く、子葉は1個しか出ない。花が枯れると長さ約1.2 cmの細長い楕円形となり、光沢のある黒い種子ができる。染色体数が、2n=16の2倍体である。日本では北海道大雪山にのみ生育する天然記念物のウスバキチョウの幼虫は、日本ではコマクサを食草としていて、葉の他に茎や花も食べる。他の国では他の同科キケマン属の植物を食草としている。花の蜜を吸いにきたマルハナバチなどが受粉を行う。毒性日本の薬学者の朝比奈泰彦が、コマクサの成分分析の研究報告を行っている。全株が有毒。微量のアルカロイドのディセントリンやプロトピンなどのモルヒネ様物質を含み、中毒症状としては嘔吐・体温の低下・呼吸麻痺・心臓麻痺がみられる。分布他の植物が生育できないような風衝岩屑斜面の砂礫地に長く根を伸ばし単独の大群落をつくる。千島列島・樺太・カムチャッカ半島・シベリア東部の東北アジアと日本の北海道から中部地方の高山帯の風衝岩屑斜面などの砂礫帯に分布している。大きな岩礫の地にも分布するが、直径0.5-20 cmの礫地または砂礫地に群落をつくる。大雪山の赤岳と宮城県の蔵王連峰には、「駒草平」という地名がある。秋田県田沢湖町(現仙北市)の「町の花」であった。基準標本は、北太平洋のもの。日本にある最も古い標本は、1886年の帝大標本目録にある信州駒ヶ岳産(1880年8月に採取されたもの)のものである。昔は、花の美しさよりも薬草としての価値が高く、古くから腹痛の妙薬として知られていた。御嶽山では登山記念として、コマクサを「オコマグサ」という名で、一株一銭で登山者に売られていたようで、そこからコマクサは「一銭草」とも云われている。「御百草」(おひゃくそう)の原料の一つとして、薬草が修験者に利用され多くが採り尽くされた。現在製造されている長野県製薬の御岳百草丸には、使用されていない。同様に1905年(明治38年)頃に、乗鞍岳や燕岳でも薬草採りにより採り尽くされた。田中澄江が『花の百名山』の著書で、白馬岳を代表する高山植物の一つとして紹介した。また『新・花の百名山』で、蓮華岳を代表する高山植物の一つとして紹介した。観光用のおみやげとして販売されている山のバッジで、岩手山・草津白根山・硫黄岳・七倉岳・燕岳・常念岳・乗鞍岳などのものにコマクサの花が刻まれている。後立山連峰五竜岳山腹の白馬五竜高山植物園では、約2万株のコマクサが栽培されていて、7月中旬には「こまくさ祭り」が開催されている。絶滅寸前だった本白根山では、地元の中学生や有志によって復元され大規模な群落となっている。御嶽山には群生地があり、麓の木曽町立開田中学校の生徒らが、毎年御嶽山の学校登山を行い調査保護活動を行っている。八ヶ岳の硫黄岳山荘では毎年「高山植物保護、山行の安全祈願」の神事として、「駒草祭」が開催されている。白山では本来分布していなかったコマクサの種が持ち込まれ一部が生育して、この外来種を除去するため「白山国立公園コマクサ対策事業」が実施されている。引用:Wikipedia
2017.07.28
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7月27日の花言葉はマツバボタンで「無邪気・可憐」です。マツバボタン(松葉牡丹、学名Portulaca grandiflora)とはスベリヒユ科の植物の一種。ヒメマツバボタン(P. pilosa)の亜種(P. pilosa subsp. grandiflora)とされることもある。学名のポルチュラーカはラテン語で門を意味するポルチュラに由来する。花が昼に開き、夜に閉じる様が門を彷彿とさせることからこの名がついたと解釈されている。日本ではホロビンソウ(不亡草)とも呼ばれ、年々種が零れて新たな花が生えだしてくるのでこう呼ばれている。南アメリカ原産の一年草。アルゼンチン、ブラジル南部、ウルグアイに自然分布する。葉は多肉で、高温と乾燥に対して非常に強い。世話のほとんど不要なくらい丈夫である。種子は非常に細かく、こぼれ種でもよく繁殖する。開花期は6~9月頃。美しい花を観賞するためによく栽培される。花弁の色は白、黄、赤、オレンジ、ピンクなどで、八重咲きの品種も作出されている。マツバギクと名前が似ているが、マツバギクは同目別科のツルナ科の植物である。引用:Wikipedia
2017.07.27
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まだまだ蒸し暑い季節ですが、朝夕、吹く風に秋の気配が感じられ、ゆく夏を惜しむ頃、五山の送り火が京の夜空に浮かびあがります。この送り火には盆に我が家に戻ってきた先祖の精霊が、再び冥府に帰るのを送るという意味があります。送り火で点火する護摩木に、名前と年齢、性別を書いて納めると厄除けに、また盃に送り火を映して飲むと中風にならないとも。また、五山の送り火を「大文字焼き」と呼ぶのは正しくありません。日程:2017年8月16日(水)「大文字」東山如意ヶ嶽20:00点火/「妙」松ヶ崎西山(万灯籠山)・「法」松ヶ崎東山(大黒天山)20:05点火/「船形」西賀茂船山20:10点火/「左大文字」大北山大文字山20:15点火/「鳥居形」嵯峨曼荼羅山20:20点火 料金:無料(護摩木志納料300円) 場所:京都市内各所護摩木受付/銀閣寺門前(京都市左京区)、西方寺門前(京都市北区)、金閣寺門前(京都市北区)、化野念仏寺駐車場(京都市右京区) ※受付日時については下記までお問合わせ下さい。 電話:075-213-1717(京都市観光協会)
2017.07.27
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第一朗読出エジプト 19・1−2、9−11、16−20b出エジプト記 イスラエルの人々は、エジプトの国を出て三月目のその日に、シナイの荒れ野に到着した。彼らはレフィディムを出発して、シナイの荒れ野に着き、荒れ野に天幕を張った。イスラエルは、そこで、山に向かって宿営した。 主はモーセに言われた。「見よ、わたしは濃い雲の中にあってあなたに臨む。わたしがあなたと語るのを民が聞いて、いつまでもあなたを信じるようになるためである。」モーセは民の言葉を主に告げた。 主はモーセに言われた。「民のところに行き、今日と明日、彼らを聖別し、衣服を洗わせ、三日目のために準備させなさい。三日目に、民全員の見ている前で、主はシナイ山に降られるからである。」 三日目の朝になると、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、角笛の音が鋭く鳴り響いたので、宿営にいた民は皆、震えた。しかし、モーセが民を神に会わせるために宿営から連れ出したので、彼らは山のふもとに立った。シナイ山は全山煙に包まれた。主が火の中を山の上に降られたからである。煙は炉の煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた。角笛の音がますます鋭く鳴り響いたとき、モーセが語りかけると、神は雷鳴をもって答えられた。 主はシナイ山の頂に降り、モーセを山の頂に呼び寄せられた。 福音朗読マタイ 13・10−17マタイによる福音 〔そのとき、〕弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。イザヤの預言は、彼らによって実現した。 『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、 見るには見るが、決して認めない。 この民の心は鈍り、 耳は遠くなり、 目は閉じてしまった。 こうして、彼らは目で見ることなく、 耳で聞くことなく、 心で理解せず、悔い改めない。 わたしは彼らをいやさない。』しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】カトリック入門 日本文化からのアプローチ 稲垣良典/著
2017.07.27
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嵐山の渡月橋東詰で行われる「灯籠流し」。戦後すぐの昭和24年から嵯峨一帯の寺院などでつくる嵯峨仏徒連盟が、戦没者の霊を慰めるために始めました。先祖供養の灯籠が炎をゆらめかせながら暗い川面を次々と流れていく幻想的で美しい情景に、あなたなら何を思うでしょう。日程:2017年8月16日(水)19:00~21:00(受付は10:00~20:30頃) 料金:灯籠1基1000円(水塔婆1枚付) 場所:嵐山中ノ島公園(京都市右京区嵯峨中ノ島地区)、渡月橋電話:080-5307-1060(嵯峨仏徒連盟)
2017.07.26
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第一朗読出エジプト 16・1−5、9−15出エジプト記 イスラエルの人々の共同体全体はエリムを出発し、エリムとシナイとの間にあるシンの荒れ野に向かった。それはエジプトの国を出た年の第二の月の十五日であった。荒れ野に入ると、イスラエルの人々の共同体全体はモーセとアロンに向かって不平を述べ立てた。イスラエルの人々は彼らに言った。 「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」 主はモーセに言われた。 「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す。ただし、六日目に家に持ち帰ったものを整えれば、毎日集める分の二倍になっている。」 モーセがアロンに、「あなたはイスラエルの人々の共同体全体に向かって、主があなたたちの不平を聞かれたから、主の前に集まれと命じなさい」と言うと、アロンはイスラエルの人々の共同体全体にそのことを命じた。彼らが荒れ野の方を見ると、見よ、主の栄光が雲の中に現れた。主はモーセに仰せになった。 「わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがよい。『あなたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と。」 夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。彼らはそれが何であるか知らなかったからである。モーセは彼らに言った。 「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。」 福音朗読マタイ 13・1−9マタイによる福音 その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」 2世紀に由来する伝承によれば、聖母マリアの両親の名前は、ヨアキムとアンナであった。アンナに対する崇敬は、すでに6世紀に東方教会において見られ、10世紀に西方教会にも広まった。ヨアキムに対する崇敬が盛んになったのは、近代からである。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】マルコによる福音書 カトリック聖書注解 メアリー・ヒーリー/著 ピーター・ウィリアムソン/編 メアリー・ヒーリー/編 田中昇/訳 湯浅俊治/監修
2017.07.26
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7月26日の花言葉はムクゲで「デリケートな美・柔和」です。ムクゲ(木槿、学名: Hibiscus syriacus)はアオイ科フヨウ属の落葉樹。別名ハチス、もくげ。庭木として広く植栽されるほか、夏の茶花としても欠かせない花である。和名は、「むくげ」。「槿」一字でも「むくげ」と読むが、中国語の木槿(ムーチン)と書いて「むくげ」と読むことが多い。また、『類聚名義抄』には「木波知須(きはちす)」と記載されており、木波知須や、単に波知須(はちす)とも呼ばれる。『万葉集』では、秋の七草のひとつとして登場する朝貌(あさがお)がムクゲのことを指しているという説もあるが、定かではない。白の一重花に中心が赤い底紅種は、千宗旦が好んだことから、「宗丹木槿(そうたんむくげ)」とも呼ばれる。中国語では「木槿/木槿」(ムーチン)、韓国語では「무궁화」(無窮花; ムグンファ)、木槿;モックンという。英語の慣用名称の rose of Sharon はヘブライ語で書かれた旧約聖書の雅歌にある「シャロンのばら」に相当する英語から取られている 。形態・生態樹高3〜4mくらいのものが多く、庭木や街路樹、公園などに広く植えられている。夏から秋にかけて白、紫、赤などの美しい花をつける。花期は7〜10月。花の大きさは径5〜10cm、花芽はその年の春から秋にかけて伸長した枝に次々と形成される。白居易の詩の誤訳から一日花との誤解があるが、朝花が開き、夕方にはしぼんで、また翌朝開くものもあるが、たいていはそのまま翌日も開花し続け、一重のもので2〜3日、八重の長く咲くもので2週間くらい一輪の花を楽しめる。ムクゲはフヨウと近縁であり接木が可能。引用:Wikipedia
2017.07.26
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7月25日の花言葉はヒマワリで「あなたはすばらしい・崇拝」です。ヒマワリ(向日葵、学名:Helianthus annuus)はキク科の一年草である。日回りと表記されることもあり、また、ニチリンソウ(日輪草)、ヒグルマ(日車)、ヒグルマソウ(日車草)、ヒマワリソウ(日回り草)、ヒュウガアオイ(向日葵)、サンフラワー(英:Sunflower)、ソレイユ(仏:Soleil)とも呼ばれる。種実を食用や油糧とするため、あるいは花を花卉として観賞するために広く栽培される。また、ヒマワリは夏の季語でもある。和名の由来は、太陽の動きにつれてその方向を追うように花が回るといわれたことから。ただしこの動きは生長に伴うものであるため、実際に太陽を追って動くのは生長が盛んな若い時期だけである。特徴原産地は北アメリカ。高さ3mくらいまで生長し、夏から秋にかなり大きな黄色の花を咲かせる。花弁は大きな1つの花のように見えるが、実際は頭状花序と呼ばれ、多数の花が集まって1つの花の形を形成している。これは、キク科の植物に見られる特徴である。外輪に黄色い花びらをつけた花を「舌状花」、内側の花びらがない花を「筒状花」と区別して呼ぶ場合がある。和名の由来は、太陽の動きにつれてその方向を追うように花が回るといわれたことから。ただしこの動きは生長に伴うものであるため、実際に太陽を追って動くのは生長が盛んな若い時期だけである。若いヒマワリの茎の上部の葉は太陽に正対になるように動き、朝には東を向いていたのが夕方には西を向く。日没後はまもなく起きあがり、夜明け前にはふたたび東に向く。この運動はつぼみを付ける頃まで続くが、つぼみが大きくなり花が開く頃には生長が止まるため動かなくなる。その過程で日中の西への動きがだんだん小さくなるにもかかわらず夜間に東へ戻る動きは変わらないため、完全に開いた花は基本的に東を向いたままほとんど動かない。なお、これは茎頂に一つだけ花をつける品種が遮るもののない日光を受けた場合のことであり、多数の花をつけるものや日光を遮るものがある場所では必ずしもこうはならない。種は長卵形でやや平たい。種皮色は油料用品種が黒色であり、食用や観賞用品種には長軸方向に黒と白の縞模様がある。歴史ヒマワリの原産地は北アメリカ大陸西部であると考えられている。既に紀元前からインディアンの食用作物として重要な位置を占めていた。1510年、スペイン人がヒマワリの種を持ち帰り、マドリード植物園で栽培を開始した。マドリード植物園はダリアやコスモスが最初に栽培されたことでも有名である。ヒマワリがスペイン国外に持ち出されるまで100年近くを要し、ようやく17世紀に至りフランス、次にロシアに伝わった。ロシアに到達してはじめて、その種子に大きな価値が認められた。正教会は大斎の40日間は食物品目の制限による斎(ものいみ)を行う。19世紀の初期にはほとんど全ての油脂食品が禁止食品のリストに載っていた。しかしヒマワリは教会の法学者に知られていなかったのか、そのリストにはなかったのである。こうした事情から、正教徒の多いロシア人たちは教会法と矛盾なく食用可能なヒマワリ種子を常食としたのであった。そして、19世紀半ばには民衆に普及し、ロシアが食用ヒマワリ生産の世界の先進国となったのであった。日本には17世紀に伝来している。生産OIL WORLD誌の統計によるとヒマワリの種子生産量は2006/07年産、油料用植物として大豆(234.98百万トン)、ナタネ(47.26百万トン)、綿実(44.15百万トン)に次ぐ、生産量(29.84百万トン)を誇る。また、2006年 - 2007年の植物油生産量はパーム油(37,985千トン)、大豆油(36,716千トン)、ナタネ油(18,425千トン)、ヒマワリ油(11,171千トン)である。ヒマワリの生産地域はロシア周辺のヨーロッパに偏っている。5割強がヨーロッパ州に集中しており、アジア州と南アメリカ州がそれぞれ2割弱を生産している。1.ロシア(ヒマワリはロシアの国花でもある) - 6,430千トン2.ウクライナ - 5,230千トン3.アルゼンチン - 3,440千トン4.中国 - 1,820千トン5.フランス - 1,441千トン利用ヒマワリ油種は絞って搾油されヒマワリ油として利用される。ヒマワリ油には不飽和脂肪酸が多く含まれる。1990年代までリノール酸が70 - 80%、オレイン酸が10 - 20%のハイリノールタイプが主流であったがω-6系列の脂肪酸であるリノール酸の発ガンや高脂血症、アレルギー等との因果関係が報告されるにいたり、リノール酸が15 - 20%、オレイン酸が40 - 60%の中オレインタイプのNuSun品種が伝統的な交配育種法により育成され、2000年以降は主流となっている。煎って食用とすることができる。乾燥した種子を用いる生薬名は「向日葵子」(こうじつきし)。また、ペット(ハムスター、小鳥など)の餌に利用される。ディーゼルエンジン用燃料(バイオディーゼル)として利用する研究も進められている。除染効果ヒマワリはカリウムなどと共に性質が類似するセシウムを吸収する性質を持つことから、原発事故などで放射能汚染された土地に植えたら除去できる(ファイトレメディエーション)という説が流布しているが、そのような効果は認められていない。そもそも、一般的に植物にとって必須元素であるカリウムの吸収が放射性セシウムの除染のために価値がある程大きいのであれば、ヒマワリの生えた後の土壌は極端に貧栄養化しているはずである。また農林水産省は「ヒマワリはセシウムの吸収率が低く、除染に極めて長い時間がかかるため実用的ではない」としている。引用:Wikipedia
2017.07.25
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松明(たいまつ)を上げるという意味の「松上げ」は、洛北の旧若狭街道一帯に伝わる火難除けや五穀豊穰祈願と、お盆に迎えた精霊を送る素朴な山里の火祭りです。当日の夜は町内の春日神社から火をもらい、太鼓が打ち鳴らされる中、河川敷に立てられた約1,000本もの地松(松明)に火が灯され「松上げ」が始まります。高さ約20mの丸太の先に取り付けられた「大笠」に向け、火をつけた「上げ松」を振り回して放り投げます。そのたびに観客も一体となって気合のこもった掛け声が響きわたり、「大笠」に火がつくと拍手喝采。そして、丸太は倒されます。壮観かつ幻想的な光景が広がります。※公共交通機関での日帰りが不可能なため観賞バスをご利用ください。京都バス(株)にて「花背松上げ観賞バス」あり(往復2,000円(予定)、要電話予約075-871-7521)日程:2017年8月15日(火)20:50~21:45頃 料金:無料 場所:京都市左京区花背八桝町(京都バス「花背交流の森前」)電話:075-746-0127(花背松上げ保存会・林)
2017.07.25
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第一朗読二コリント 4・7−15使徒パウロのコリントの教会への手紙 〔皆さん、〕わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。こうして、わたしたちの内には死が働き、あなたがたの内には命が働いていることになります。「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです。 福音朗読マタイ 20・20−28マタイによる福音 そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした。イエスが、「何が望みか」と言われると、彼女は言った。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」イエスはお答えになった。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」二人が、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。しかし、わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、わたしの父によって定められた人々に許されるのだ。」ほかの十人の者はこれを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立てた。そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」 ベトサイダに生まれたヤコブは、ゼベダイの子で使徒ヨハネの兄弟である。彼はキリストが大切な奇跡を行う場に居合わせた。42年頃、ヘロデ王によって殺害された。スペインのコンポステラには聖ヤコブにささげられた立派な教会堂があり、有名な巡礼地となっている。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですファティマ第三の秘密 教皇庁発表によるファティマ「第三の秘密」に関する最 / カトリック中央協議会 【本】
2017.07.25
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極楽浄土への祈りを捧げるため、約860年前に建立されたと伝えられる三千院往生極楽院。以来、今日までいにしえの祈りを受け継ぎ、未来永劫に向けて万灯会が行われます。法要では世界平和・諸願成就を願う「千年の祈り」が捧げられ、往生極楽院には献灯されたろうそくの明かりが優しく灯り、まるで祈りに満ちた現代の極楽浄土のようです。日程:2017年8月12日(土)18:00~20:30 料金:万灯会の時間内は無料、ローソク献灯料1本1,000円 場所:三千院
2017.07.24
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第一朗読出エジプト 14・5−18出エジプト記 〔その日、〕民が逃亡したとの報告を受けると、エジプト王ファラオとその家臣は、民に対する考えを一変して言った。「ああ、我々は何ということをしたのだろう。イスラエル人を労役から解放して去らせてしまったとは。」ファラオは戦車に馬をつなぎ、自ら軍勢を率い、えり抜きの戦車六百をはじめ、エジプトの戦車すべてを動員し、それぞれに士官を乗り込ませた。主がエジプト王ファラオの心をかたくなにされたので、王はイスラエルの人々の後を追った。イスラエルの人々は、意気揚々と出て行ったが、エジプト軍は彼らの後を追い、ファラオの馬と戦車、騎兵と歩兵は、ピ・ハヒロトの傍らで、バアル・ツェフォンの前の海辺に宿営している彼らに追いついた。ファラオは既に間近に迫り、イスラエルの人々が目を上げて見ると、エジプト軍は既に背後に襲いかかろうとしていた。イスラエルの人々は非常に恐れて主に向かって叫び、また、モーセに言った。「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。我々はエジプトで、『ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです』と言ったではありませんか。」モーセは民に答えた。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」 主はモーセに言われた。「なぜ、わたしに向かって叫ぶのか。イスラエルの人々に命じて出発させなさい。杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの民は海の中の乾いた所を通ることができる。しかし、わたしはエジプト人の心をかたくなにするから、彼らはお前たちの後を追って来る。そのとき、わたしはファラオとその全軍、戦車と騎兵を破って栄光を現す。わたしがファラオとその戦車、騎兵を破って栄光を現すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」 福音朗読マタイ 12・38−42マタイによる福音 〔そのとき、〕何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、「先生、しるしを見せてください」と言った。イエスはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。また、南の国の女王は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。」 【任意・7月24日 聖シャーベル・マクルーフ司祭】1828年、レバノンのビクァ・カフラに生まれる。レバノンのマロン派修道会に入会し、シャーベルという名を授かった。司祭になった後、アンナヤの修道院で献身的に働き、完徳の道に励んだ。1875年、修道院を離れて隠遁生活に入り、断食と祈りの厳しい生活を送った後、1898年12月24日に死去。(カトリック中央協議会刊『毎日のミサ』2017年7月号 より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】カトリックの信仰生活がわかる本 景山あき子/ほか共著
2017.07.24
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7月24日の花言葉はニッコウキスゲ(ゼンテイカ)で「日々新たに・心安らぐ人」です。ゼンテイカ(禅庭花)はキスゲ亜科の多年草。一般には、「ニッコウキスゲ」の名前で呼ばれることも多い。また、各地で別々に同定されたため、和名、学名ともに混乱が見られる。概要日本の本州などでは高原に普通に見られるが、東北地方や北海道では海岸近くでも見られる。関東では低地型のムサシノキスゲや、奥多摩、埼玉、茨城県でも低地型の自生のニッコウキスゲが見られる。花期は5月上旬から8月上旬。草原・湿原を代表する花で、群生すると山吹色の絨毯のようで美しい。 高さは50cm〜80cm。花茎の先端に数個つぼみをつける。花はラッパ状で、大きさは10cmぐらい。花びらは6枚。朝方に開花すると夕方にはしぼんでしまう一日花。ムサシノキスゲは開花の翌日まで開花する。日光の霧降高原、尾瀬ヶ原、霧ヶ峰などの群落が有名である。 花が黄色で葉がカサスゲ(笠萓)に似ているため、地名を付けてニッコウキスゲと呼ばれだし、全国に広まった。 ただし、栃木県日光地方の固有種というわけではなく、ゼンテイカは日本各地に普通に分布している。日光地方では、霧降高原を中心に「日光キスゲまつり」が毎年開催されている。府中市 (東京都)では、ゴールデンウィークの頃に「キスゲフェスティバル」が開催される。分類本種は、分類の紆余曲折のため和名・学名ともに混乱が見られる。 本種の分類は、1925年に小泉らによりH. esculentaとされた。 1949年、大井により、当時はmiddendorffiiと分類されていたエゾカンゾウの変種middendorffii var. esculentaとされた。次に1964年、北村らによりヒメカンゾウの変種とされ、H. dumortieri var. esculentaとされた。また、ゼンテイカ群の分子系統学的解析を行っている野口は、大井の見解を受けてH. middendorffiiとしている。引用:Wikipedia
2017.07.24
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今回は北大路通の居酒屋「かず」さんをご紹介します。まずはお決まりのビールから、アサヒスパードライとサッポロ黒ラベルがあるとのことでしたので前者を選択70代のお母さんが切り盛りするお店で今年で16年目になるそうです。ビールをお願いすると「お通しを数種お出ししますね」ということで小鉢を用意してくださりました。途中でお酒にチェンジ、今回は「松竹梅」にしてみました。壁のメニューの「あじの開き」が眼に入り、早速オーダーお酒も進み、仕事の疲れを忘れられる一時となりました。【京都府酒】松竹梅 上撰 1.8L【宝酒造】
2017.07.23
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第一朗読知恵 12・13、16−19知恵の書〔主よ、〕すべてに心を配る神はあなた以外におられない。だから、不正な裁きはしなかったと、証言なさる必要はない。あなたの力は正義の源、あなたは万物を支配することによって、すべてをいとおしむ方となられる。あなたの全き権能を信じない者にあなたは御力を示され、知りつつ挑む者の高慢をとがめられる。力を駆使されるあなたは、寛容をもって裁き、大いなる慈悲をもってわたしたちを治められる。力を用いるのはいつでもお望みのまま。神に従う人は人間への愛を持つべきことを、あなたはこれらの業を通して御民に教えられた。こうして御民に希望を抱かせ、罪からの回心をお与えになった。 第二朗読ローマ 8・26−27使徒パウロのローマの教会への手紙 〔皆さん、“霊”は〕弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。 福音朗読マタイ 13・24−43、または 13・24−30マタイによる福音 〔そのとき、〕イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」 ≪イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」 また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」 イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 「わたしは口を開いてたとえを用い、 天地創造の時から 隠されていたことを告げる。」 それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」≫ 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です人生を活性化する25錠 カトリック・サプリ / 竹下節子 【新書】
2017.07.23
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7月23日の花言葉はハスで「清らかな心」です。ハス(蓮、学名:Nelumbo nucifera)は、インド原産のハス科多年性水生植物。名称など古名「はちす」は、花托の形状を蜂の巣に見立てたとするのを通説とする。「はす」はその転訛。水芙蓉(すいふよう、みずふよう)、もしくは単に芙蓉(ふよう)、不語仙(ふごせん)、池見草(いけみぐさ)、水の花などの異称をもつ。漢字では「蓮」のほかに「荷」または「藕」の字をあてる。ハスの花と睡蓮を指して「蓮華」(れんげ)といい[3]、仏教とともに伝来し古くから使われた名である。また地下茎は「蓮根」(れんこん、はすね)といい、野菜名として通用する。属名 Nelumbo はシンハラ語から。種小名 nucifera はラテン語の形容詞で「ナッツの実のなる」の意。英名 lotus はギリシア語由来で、元はエジプトに自生するスイレンの一種「ヨザキスイレン」 Nymphaea lotus を指したものという。7月の誕生花であり、夏の季語。特徴原産地はインド亜大陸とその周辺。地中の地下茎から茎を伸ばし水面に葉を出す。草高は約1m、茎に通気のための穴が通っている。水面よりも高く出る葉もある(スイレンにはない)。葉は円形で葉柄が中央につき、撥水性があって水玉ができる(ロータス効果)。花期は7~8月で白またはピンク色の花を咲かせる[5]。 早朝に咲き昼には閉じる。園芸品種も、小型のチャワンバス(茶碗で育てられるほど小型の意味)のほか、花色の異なるものなど多数ある。なお、果実の皮はとても厚く、土の中で発芽能力を長い間保持することができる。1951年(昭和26年)3月、千葉市にある東京大学検見川厚生農場の落合遺跡で発掘され、理学博士の大賀一郎が発芽させることに成功したハスの実は、放射性炭素年代測定により今から2000年前の弥生時代後期のものであると推定された(大賀ハス)。その他にも中尊寺の金色堂須弥壇から発見され、800年ぶりに発芽に成功した例(中尊寺ハス)や埼玉県行田市のゴミ焼却場建設予定地から出土した、およそ1400年から3000年前のものが発芽した例(行田蓮)もある。近年の被子植物のDNA分岐系統の研究から、スイレン科のグループは被子植物の主グループから早い時期に分岐したことがわかってきた。しかしハス科はそれと違って被子植物の主グループに近いとされ、APG分類体系ではヤマモガシ目に入れられている。利用食用、薬用、観賞用として湿地で栽培される。地下茎地下茎はレンコン(蓮根)として食用になる。日本では茨城県、徳島県で多く栽培されており、中国では湖北省、安徽省、浙江省などが産地として知られている。中国では、すりつぶして取ったでん粉を葛と同様に、砂糖とともに熱湯で溶いて飲みものとする場合もある。実はすの実(en)と呼ばれる果実(種子)にもでん粉が豊富であり、生食される。若い緑色の花托が生食にはよく、花托は堅牢そうな外見に反し、スポンジのようにビリビリと簡単に破れる。柔らかな皮の中に白い蓮の実が入っている。種は緑色のドングリに似た形状で甘味と苦みがあり、生のトウモロコシに似た食感を持つ。また甘納豆や汁粉などとしても食べられる。中国や台湾、香港、マカオでは餡にして、月餅、最中、蓮蓉包などの菓子に加工されることも多い。餡にする場合、苦味のある芯の部分は取り除くことが多いが、取り除いた芯の部分を集め蓮芯茶として飲まれることもある。ベトナムでは砂糖漬けやチェー(Chè)の具として食べられる。また、蓮肉(れんにく)という生薬として、鎮静、滋養強壮作用がある。芽果実の若芽は、果実の中心部から取り出して、茶外茶として飲用に使われる。花ハスを国花としているベトナムでは、雄しべで茶葉に香り付けしたものを花茶の一種である蓮茶として飲用する。資料によれば甘い香りが楽しめると言う。かつては茶葉を花の中に挿入し、香りを茶葉に移していた。茎撥水性の葉と茎がストロー状になっている性質から、葉に酒を注いで茎から飲む象鼻杯(ぞうびはい)という習慣もある。ベトナムでは茹でてサラダのような和え物にして食べる。中国のハスの一大産地である湖北省では、春から夏にかけて、間引かれた若茎(葉の芽)を炒め物・漬け物などにして食べる。日本においては食べやすく切った茎を煮物の材料として用いる。産地である秋田県では、茎を用いた砂糖漬けが作られている。茎の表皮を細かく裂いて作る糸を「茄絲(かし)」、茎の内部から引き出した繊維で作る糸を「藕絲(ぐうし)」と呼び、どちらも布に織り上げる等、利用される。引用:Wikipedia
2017.07.23
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9・10日は、その日に参詣すると千日分の観音様の大功徳に相当するとされる「千日詣り」の日とされていて、平安時代には紫式部や清少納言も参ったそうです。現在はお盆の16日までが大功徳日になっており、「千日詣り」のお札が授与されます。期間中の14~16日には法要が営まれます。9~16日には本堂内々陣の特別拝観も行われ、14~16日は夜間の参詣もできます。清水寺門前から三年坂、二年坂にかけては露地行灯でライトアップがされていて、石畳をやさしく照らしています。日程:2017年8月9日(水)~16日(水)内々陣特別拝観9:00~17:00夜の本堂内々陣特別拝観は8月14日(月)~16日(水)18:30~21:00 料金:400円 場所:清水寺
2017.07.22
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7月22日の花言葉はペチュニア(ツクバネアサガオ)で「あなたとなら心が和らぐ」です。ペチュニア(Petunia)とは南米原産のナス科ペチュニア属に属する草本の総称。また、同属の種のひとつ、学名Petunia x hybrida(和名:ツクバネアサガオ、衝羽根朝顔)のこと。園芸植物として花が観賞される。属名のPetuniaは、ブラジル先住民の言語で「たばこ」の意味。ペチュニア属が同じナス科のタバコ属(Nicotiana)と近縁であることによる。種小名のhybridaは「雑種・交配種」の意味。命名者はアントワーヌ・ローラン・ド・ジュシューである。本記事では、特に断らない限りPetunia x hybridaを説明する。概要原産地は南アメリカである。1767年にフランスのコンメルソンがウルグアイで本種の白花を発見したのがヨーロッパに伝わったはじめである。その後、1831年にはブラジルから赤紫の花がヨーロッパにもたらされた。両者は交配され、それが現在のペチュニアの元となった「ペチュニア・ヴィオラセラ」である。その後、一層に品種改良が加えられ、花の大きさは大輪、中輪、小輪、花の色は赤、赤紫、紫、青紫、白、白黄、白青、桃など多彩で、禹長春によって八重咲きのものが作出されるなど、花容がバラエティに富むものになった。また。当初は草丈が高く、花数が少なかったものも、匍匐性で、花数が多いものになった。日本には「ツクバネアサガオ」の名称で渡来し、寒さに弱いため専ら一年草として扱われた。雨で育成不良や、枯れる事が多々あることから人気は今ひとつだったが、サントリーが日本の気候に適応できるよう、品種改良した「サフィニア」を出してから、人気が高まり、園芸各社で品種改良の競争が進み、一層の多様性を深めている。現在では、特に日本において、品種改良の競争がもっとも激しいと言われる種である。葉は茎の上部で対生、下部で互生し、柄は殆どない。育てかた種まきは4月~5月、開花期は4月10月である。咲いた花が枯れた場合は、同じ株の茎に育っている蕾が開花し、株としては4月~10月まで花が咲き続ける。10月~11月に株は枯れる。タネは非常に細かく、指でつまむと潰れてしまうほどなので、5~6寸の浅鉢に培養土を入れ、上の部分は細かいバーミキュライトか川砂にしておく。タネは古いはがきをV字形に折り、それにあけて、タネをのせたはがきの下の稜を下から人差し指で軽くたたいて落とすと、まきやすい。覆土はせず、鉢の下に受け皿をあてがって吸水させる。本葉が出てきたらポットに移し、後は様子を見て花壇に定植するか、鉢やプランターに植え付ける。なれない人では種まきがやや難しいが、苗にしてしまえば、今の品種は比較的強健な一代交配種が多いので、比較的育てやすい。栽培上での注意事項生育初期はアブラムシがつくことがある。樹勢が衰えるので対策を講じるのがよい。 またペチュニアの花は大変雨に弱い。花片が切れたり、酸性雨の影響で咲いている花に染みが出来たり、変色してしまうことがある。 高温多湿の時期は葉が混みいっていると、下の方の葉が枯れたり、最悪の場合株全体が枯れてしまうことがある。 梅雨前に一度切り戻しを行うことで多少発生を減らすことが可能である。引用:Wikipedia
2017.07.22
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第一朗読雅歌 3・1−4a雅歌〔おとめは歌う。〕夜ごと、ふしどに恋い慕う人を求めても求めても、見つかりません。起き出して町をめぐり通りや広場をめぐって恋い慕う人を求めよう。求めても、あの人は見つかりません。わたしが町をめぐる夜警に見つかりました。「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」彼らに別れるとすぐに恋い慕う人が見つかりました。 第一朗読二コリント 5・14−17使徒パウロのコリントの教会への手紙 〔皆さん、〕キリストの愛がわたしたちを駆り立てて〔います。〕わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。 それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた〔のです〕。 福音朗読ヨハネ 20・1−2、11−18ヨハネによる福音 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」 マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。 キリストに従う人たちの一人で、キリストが十字架上で亡くなられたときにそばに立ち、三日目の朝早く、復活したイエスと最初に出会った(マルコ16・9)。マグダラのマリアへの崇敬は、特に12世紀から西方教会に広まった。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】カトリック入門 日本文化からのアプローチ 稲垣良典/著
2017.07.22
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7月21日の花言葉はヤマユリで「荘厳」です。ヤマユリ(山百合、学名:Lilium auratum)とはユリ科ユリ属の球根植物。日本特産のユリ。北陸地方を除く近畿地方以北の山地の林縁や草地に分布する。学名は「黄金色のユリ」の意。和名は、山中に生えることからつけられた。特徴草丈は1-1.5m。花期は7-8月頃。花は、花弁が外に弧を描きながら広がって、1-10個程度を咲かせる。その大きさは直径20cm以上でユリ科の中でも最大級であり、その重みで全体が傾くほどである。花の色は白色で花弁の内側中心には黄色の筋、紅色の斑点がある。ヤマユリの変わりものには様々な呼び名がつけられていて、花被片の中央に太い赤色があるものを「紅筋」、斑点が少ない純白の花を「白黄」、花被片の斑点が黄色のものを「白星」という。花の香りは日本自生の花の中では例外的ともいえるほど、甘く濃厚でとても強い。発芽から開花までには少なくとも5年以上かかり、また株が古いほど多くの花をつける。風貌が豪華で華麗であることから、『ユリの王様』と呼ばれる。食用鱗茎は扁球形で10cm程の大きさである。多糖類の一種であるグルコマンナン(コンニャクにも多く含まれる)を多量に含み、縄文時代には既に食用にされていた。引用:Wikipedia
2017.07.21
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国の重要無形民俗文化財にも指定されている壬生六斎念仏踊りは、平安時代に空也上人が鉢を叩いて「南無阿弥陀仏」と唱えながら托鉢をした踊念仏(おどりねんぶつ)が始まりとされています。その後、次第に宗教色が薄れる一方で文化的発展を見せ、地唄や長唄などのはやり歌を六斎念仏特有の楽器で演奏できるように編曲し舞台で披露するという、民衆独自の芸能色を帯びるようになりました。(16日には20:30から中堂寺六斎念仏が行われます。)日程:2017年8月9日(水)20:00~ 料金:無料 場所:壬生寺
2017.07.21
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第一朗読出エジプト 11・10〜12・14出エジプト記 〔その日、〕モーセとアロンはファラオの前でこれらの奇跡をすべて行ったが、主がファラオの心をかたくなにされたため、ファラオはイスラエルの人々を国から去らせなかった。 エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。イスラエルの共同体全体に次のように告げなさい。『今月の十日、人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない。もし、家族が少人数で小羊一匹を食べきれない場合には、隣の家族と共に、人数に見合うものを用意し、めいめいの食べる量に見合う小羊を選ばねばならない。その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。用意するのは羊でも山羊でもよい。それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。肉は生で食べたり、煮て食べてはならない。必ず、頭も四肢も内臓も切り離さずに火で焼かねばならない。それを翌朝まで残しておいてはならない。翌朝まで残った場合には、焼却する。それを食べるときは、腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。これが主の過越である。その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。』」 福音朗読マタイ 12・1−8マタイによる福音 そのころ、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。ファリサイ派の人々がこれを見て、イエスに、「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」と言った。そこで、イエスは言われた。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。神の家に入り、ただ祭司のほかには、自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べたではないか。安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にならない、と律法にあるのを読んだことがないのか。言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある。もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。人の子は安息日の主なのである。」 【任意・7月21日 聖ラウレンチオ(ブリンディジ)司祭教会博士】1559年に生まれる。カプチン・フランシスコ修道会に入り、会員に神学を教え、数々の要職に就いた。熱心な説教者としてヨーロッパ中を巡り、また、信仰に関する多くの優れた著作を残した。1619年にリスボンで死去。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史 講談社現代新書 / 永田諒一著 【新書】
2017.07.21
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ご先祖の精霊をお迎えし、16日にお送りするお盆の行事です。期間中、ご本尊の釈迦如来像が御開帳され、迎え鐘を引くひもが本堂の上の白い布につながれており、本堂の釈迦如来像まで伸びています。本堂の迎え鐘をついて、塔婆に戒名を書いてもらい本堂に納め、祖霊を家に導き供養をします。境内には万灯が吊るされ、夏の夜を彩ります。日程:2017年8月8日(火)~16日(水)9:00~20:00 料金:境内無料、塔婆料500円~ 場所:千本釈迦堂[大報恩寺]
2017.07.20
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第一朗読出エジプト 3・13−20出エジプト記 〔その日、柴の間から語りかける神の声を聞いた〕モーセは神に尋ねた。 「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」 神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」神は、更に続けてモーセに命じられた。 「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。 これこそ、とこしえにわたしの名 これこそ、世々にわたしの呼び名。 さあ、行って、イスラエルの長老たちを集め、言うがよい。『あなたたちの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主がわたしに現れて、こう言われた。わたしはあなたたちを顧み、あなたたちがエジプトで受けてきた仕打ちをつぶさに見た。あなたたちを苦しみのエジプトから、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む乳と蜜の流れる土地へ導き上ろうと決心した』と。彼らはあなたの言葉に従うであろう。あなたはイスラエルの長老たちを伴い、エジプト王のもとに行って彼に言いなさい。『ヘブライ人の神、主がわたしたちに出現されました。どうか、今、三日の道のりを荒れ野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。』しかしわたしは、強い手を用いなければ、エジプト王が行かせないことを知っている。わたしは自ら手を下しあらゆる驚くべき業をエジプトの中で行い、これを打つ。その後初めて、王はあなたたちを去らせるであろう。」 福音朗読マタイ 11・28−30マタイによる福音 〔そのとき、イエスは言われた。〕「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」 【任意・7月20日 聖アポリナーリス司教殉教者】2世紀後半、諸民族の間で福音宣教に従事し、イタリア北部、ラヴェンナ近郊のクラッセ教会を司教として導いた。後に殉教の栄誉を受け、崇敬を受けるようになったと伝えられる。本来の死去の日は7月23日。(カトリック中央協議会刊『毎日のミサ』2017年7月号 より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【送料無料】 教会の祈り 新しい聖務日課 / 日本カトリック典礼委員会 【本】
2017.07.20
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7月20日の花言葉はノウゼンカズラで「名誉」です。ノウゼンカズラ(凌霄花、Campsis grandiflora)はノウゼンカズラ科の落葉性のつる性木本。夏から秋にかけ橙色あるいは赤色の大きな美しい花をつけ、気根を出して樹木や壁などの他物に付着してつるを伸ばす。中国原産で平安時代には日本に渡来していたと考えられる。夏の季語。名称古名は「ノウセウ(陵苕)」または「ノセウ」で、それが訛って「ノウゼン」となった。また蔓が他の木に絡み攀じ登るため「カズラ」の名がついた。また古くは「まかやき(陵苕)」とも呼ばれた。「ノウセウ」については凌霄(りょうしょう)の朝鮮読み「ヌンソ」の訛りとする説もある。別名に「ノウゼン」、「ノショウ」がある。「のうぜんかつら」と表記される場合もある。漢名の凌霄花は「霄(そら)を凌ぐ花」の意で、高いところに攀じ登ることによる命名。漢詩では他物に絡むため愛の象徴となる。また、「陵苕」(リョウチョウ)も本種を表す。現代中国語では「紫葳」(拼音 : zǐ wēi)とも呼ばれる。花の形がトランペットに似ていることから英語では「トランペット・ヴァイン」(trumpet vine)、「トランペット・クリーパー」(trumpet creeper[2])あるいは「トランペット・フラワー」と呼ばれる。特徴蔓性落葉低木で、花期は7-8月。蔓は長さ3mから10mほどまで成長し、他のものに吸着する付着根(木質の気根)を出して這い登る。 幹はフジと同じように太くなる。樹勢が非常に強く丈夫な花木であり、地下茎を延ばし蘖を周囲に芽生えさせ、繁殖する。葉は奇数羽状複葉で対生する。小葉は2-6対(5-13枚)、長さは3-7cmで表裏面ともに無毛、幅は2-4cm、縁には粗い鋸歯がある。柄は無柄[1]。側小葉は卵形ないし広卵形または楕円形で、その表面は濃緑色で光沢があり、裏面は帯白緑色[1]。先端は鋭頭または鋭尖頭で基部は広い楔形。側脈は5-7対。枝先に円錐花序を萌出し、直径6-7cmの橙黄色の花を対生する。花房は垂下し、花冠は広い漏斗型で、先端は5裂し平開する。雄蕊は4本のうち2本が長い。日本では結実しにくい。花は暖地では晩夏から秋にかけ大量に形成される。 落花すると、蜜がたれ周りを湿らすほど。その蜜にメジロや蜂が集まってくる。その蜜は毒性があるといわれるが、根拠のない俗説・風評である。利用古くから観賞用に植えられており、庭園、公園などに庭木として利用される。日本での植栽地は本州東北地方以南で日当たりと水捌けがよい肥沃地に生育する。寒さを嫌うため植え付けは3月下旬から4月上旬にかけ行われる。6月から7月上旬にかけ挿し木で殖やされる。また、樹勢が強く、よく成長するため落葉期の2月に前年の枝を全て切り落とし、幹だけにする整姿剪定が行われる[7]。日光不足では花がつかず、蔓は固定していないと冬に枯れてしまう。 また、近年では赤花や黄花も作出されている。長雨で蕾が落ちやすい。花や樹皮は漢方薬では利尿や通経に使われる。園芸品種が複数存在し、ピンクや黄色などの花色もある。新梢に房となって花が枝元から次々に咲き、花は毎日のようにすぐに散る。花が終わった新梢をそのままにしておくと、樹の姿が乱れ、樹勢が衰えるので適切な剪定が必要。鳥媒花であり、ハチドリが空中をホバリングしながら嘴を花の中にさし込んで蜜を吸う。作品正岡子規の俳句に「家毎に凌霄咲ける温泉(いでゆ)かな」がある。引用:Wikipedia
2017.07.20
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7月19日の花言葉はコバイケイソウで「遠くから見守っています」です。コバイケイソウ(小梅蕙草、学名:Veratrum stamineum)はユリ科シュロソウ属の多年草。新しいAPG植物分類体系では、シュロソウ属は、ユリ目メランチウム科に分類される。特徴山地草本の中では大型で、高さは1mほどになる。6月から8月に穂の先に白い花をつける。花茎の先端部は両性花、横に伸びる花は雄花である。群生することが多く、初夏の山を代表する花の一つ。光沢があり、硬く葉脈がはっきりとした長楕円形の葉が互生する。有毒であり、全草にプロトベラトリン等のアルカロイド系の毒成分を持つ。誤食すると嘔吐や痙攣を起こし、血管拡張から血圧降下を経て、重篤な場合死に至る。若芽は山菜のオオバギボウシやノカンゾウの若芽に似ており、誤食による食中毒が毎年のように発生しているため注意が必要。名前の由来は、花が梅に似ており、葉が蕙蘭に似ているため。分布と生育環境日本の本州中部地方以北、北海道に分布し、山地から亜高山の草地や湿地のような、比較的湿気の多いところに生える。引用:Wikipedia
2017.07.19
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第一朗読出エジプト 3・1−6、9−12出エジプト記 〔そのころ、〕モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」 主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。 〔主は言われた。〕「見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」 モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」 神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」 福音朗読マタイ 11・25−27マタイによる福音 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですカトリック教会のカテキズム要約 [ 日本カトリック司教協議会 ]
2017.07.19
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空也上人が天暦5年(951)に開創した寺院。萬燈会は応和3年(963)空也上人によって始められたお盆の行事。紐を引いて地下にある大鐘を撞き鳴らす「お迎え鐘」も撞くことができます。本堂内陣において土器杯の108つの灯明が献灯され先祖の追善供養が行われます。日程:2017年8月8日(火)~10日(木)20:00~21:00 料金:境内無料、宝物館600円 場所:六波羅蜜寺
2017.07.19
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第一朗読出エジプト 2・1−15a出エジプト記 〔そのころ、〕レビの家の出のある男が同じレビ人の娘をめとった。彼女は身ごもり、男の子を産んだが、その子がかわいかったのを見て、三か月の間隠しておいた。しかし、もはや隠しきれなくなったので、パピルスの籠を用意し、アスファルトとピッチで防水し、その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置いた。 その子の姉が遠くに立って、どうなることかと様子を見ていると、そこへ、ファラオの王女が水浴びをしようと川に下りて来た。その間侍女たちは川岸を行き来していた。王女は、葦の茂みの間に籠を見つけたので、仕え女をやって取って来させた。開けてみると赤ん坊がおり、しかも男の子で、泣いていた。王女はふびんに思い、「これは、きっと、ヘブライ人の子です」と言った。そのとき、その子の姉がファラオの王女に申し出た。「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んで参りましょうか。」 「そうしておくれ」と、王女が頼んだので、娘は早速その子の母を連れて来た。王女が、「この子を連れて行って、わたしに代わって乳を飲ませておやり。手当てはわたしが出しますから」と言ったので、母親はその子を引き取って乳を飲ませ、その子が大きくなると、王女のもとへ連れて行った。その子はこうして、王女の子となった。王女は彼をモーセと名付けて言った。「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから。」 モーセが成人したころのこと、彼は同胞のところへ出て行き、彼らが重労働に服しているのを見た。そして一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人の一人を打っているのを見た。モーセは辺りを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺して死体を砂に埋めた。翌日、また出て行くと、今度はヘブライ人どうしが二人でけんかをしていた。モーセが、「どうして自分の仲間を殴るのか」と悪い方をたしなめると、「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。お前はあのエジプト人を殺したように、このわたしを殺すつもりか」と言い返したので、モーセは恐れ、さてはあの事が知れたのかと思った。ファラオはこの事を聞き、モーセを殺そうと尋ね求めたが、モーセはファラオの手を逃れてミディアン地方にたどりつ〔いた。〕 福音朗読マタイ 11・20−24マタイによる福音 〔そのとき、〕イエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンの方が、お前たちよりまだ軽い罰で済む。また、カファルナウム、お前は、 天にまで上げられるとでも思っているのか。 陰府にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】マリア・クロス 現代カトリック系作家の想像力作用のパターン ドナト・オドンネル/著 山形和美/訳
2017.07.18
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空也上人が天暦5年(951)に開創した寺院。萬燈会は応和3年(963)空也上人によって始められたお盆の行事。紐を引いて地下にある大鐘を撞き鳴らす「お迎え鐘」も撞くことができます。本堂内陣において土器杯の108つの灯明が献灯され先祖の追善供養が行われます。日程:2017年8月8日(火)~10日(木)20:00~21:00 料金:境内無料、宝物館600円 場所:六波羅蜜寺
2017.07.18
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7月18日の花言葉はスカシユリで「注目をあびる」です。スカシユリ(透百合、Lilium maculatum Thunb.)は、ユリ科ユリ属に属する植物の一種。海岸の砂礫地や崖などに生える多年草。大きさは20cm - 60cmとなる。本種は古来より栽培・育種の対象となっており、交配の母種として使われることが多い。本種と近縁種をスカシユリ亜属(Lilium pseudolirion Thunb.)として分類することがある。杯状の花を上向きにつけることが特徴。本属には、本種スカシユリの他、近縁種のエゾスカシユリ、ヒメユリを含む。特徴鱗茎は白色で卵型。茎は直立し、高さ20cm - 60cm程度。葉は葉柄のない披針形で互生する。花期は太平洋岸の個体群で7月 - 8月、日本海側の個体群で5月 - 6月。茎の頂に、直径10cm程度の、赤褐色の斑点を持つ橙色の花をつける。花被片の付け根付近がやや細く、隙間が見えることから「透かし」百合の和名がある。近縁種のエゾスカシユリと比較し、花柄やつぼみに綿毛がないこと、全体にやや小型であることで判別される。引用:Wikipedia
2017.07.18
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京都ではご先祖の精霊を「おしょらいさん」と親しみを込めて呼んでいます。ご先祖の精霊がゑんま様のお許しを得て各家庭に帰ってこられます。水塔婆に戒名を記す「水供養」とお迎えの鐘をついて「鐘供養」を行い、一層の功徳を重ねます。14日には千本六斎念仏も行われ、16日はふたたび帰っていただく「お精霊送り」を行います。日程:2017年8月7日(月)~16日(水)9:00~20:00(16日は18:00まで) 料金:境内無料、塔婆料300円 場所:千本ゑんま堂[引接寺]
2017.07.17
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7月17日の花言葉はハマオモト(ハマユウ)で「どこか遠くへ 汚れがない」です。ハマオモト属(ハマオモトぞく、学名: Crinum)は、約180種を含むヒガンバナ科の属である。園芸方面では、学名仮名読みのクリナムで通用している。形態・生態多年生植物である。球根から育ち、葉のない茎に大きく美しい花を付ける。葉は根元から出た長い帯状で、薄緑色から緑色である。分布南アフリカ等、世界中の熱帯または亜熱帯地域の川や湖で見られる。引用:Wikipedia
2017.07.17
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第一朗読出エジプト 1・8−14、22出エジプト記 そのころ、ヨセフのことを知らない新しい王が出てエジプトを支配し、国民に警告した。 「イスラエル人という民は、今や、我々にとってあまりに数多く、強力になりすぎた。抜かりなく取り扱い、これ以上の増加を食い止めよう。一度戦争が起これば、敵側に付いて我々と戦い、この国を取るかもしれない。」 エジプト人はそこで、イスラエルの人々の上に強制労働の監督を置き、重労働を課して虐待した。イスラエルの人々はファラオの物資貯蔵の町、ピトムとラメセスを建設した。しかし、虐待されればされるほど彼らは増え広がったので、エジプト人はますますイスラエルの人々を嫌悪し、イスラエルの人々を酷使し、粘土こね、れんが焼き、あらゆる農作業などの重労働によって彼らの生活を脅かした。彼らが従事した労働はいずれも過酷を極めた。 ファラオは全国民に命じた。「生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子は皆、生かしておけ。」 福音朗読マタイ 10・34〜11・1マタイによる福音 〔そのとき、イエスは使徒たちに言われた。〕「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。 人をその父に、 娘を母に、 嫁をしゅうとめに。 こうして、自分の家族の者が敵となる。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。 あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」 イエスは十二人の弟子に指図を与え終わると、そこを去り、方々の町で教え、宣教された。 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です生き方をインスパイアする25の話/竹下節子【2500円以上送料無料】
2017.07.17
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紫野学区ぶらり独り呑み、今回ご紹介するのは北大路通の「つぼ」さんです。まずはキリンクラシックラガーで仕事で乾いた喉を潤します。夏ですのでかつおのたたきをオーダー、生かつをその場でバーナーで炙ってくださいます。明日も仕事なのにニンニクを入れてもらいました。お酒は白鹿です。メインは鶏もも肉の溶岩焼、好みのタレと香辛料で頂きます。柔らかくジューシーで最高です。すると壁に「自家製すじカレーうどん」の文字を発見、〆に早速オーダー1日の疲れを忘れさせてくれる素朴なお店です。定食メニューも豊富ですのでガッツリご飯派にもお勧めです。店名:つぼ ジャンル:居酒屋、定食・食堂 予約・ お問い合わせ :075-492-7161 住所:京都府京都市北区紫野雲林院町42-2 交通手段:北大路駅から966m【2CS】送料無料 キリン クラッシクラガー350ml24本【2ケース送料無料】
2017.07.16
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第一朗読イザヤ 55・10−11イザヤの預言〔主は言われる。〕雨も雪も、ひとたび天から降ればむなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ種蒔く人には種を与え食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げわたしが与えた使命を必ず果たす。 第二朗読ローマ 8・18−23使徒パウロのローマの教会への手紙 〔皆さん、〕現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。 福音朗読マタイ 13・1−23 または 13・1−9マタイによる福音 その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」 ≪弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。イザヤの預言は、彼らによって実現した。 『あなたたちは聞くには聞くが、 決して理解せず、 見るには見るが、決して認めない。 この民の心は鈍り、 耳は遠くなり、 目は閉じてしまった。 こうして、彼らは目で見ることなく、 耳で聞くことなく、 心で理解せず、悔い改めない。 わたしは彼らをいやさない。』しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。 だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」≫ 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですカトリックの信仰 ちくま学芸文庫 / 岩下壮一 【文庫】
2017.07.16
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7月16日の花言葉はトキソウで「献身」です。トキソウ(朱鷺草、鴇草、学名:Pogonia japonica Rchb.f.) は、ラン科トキソウ属の多年草。特徴地下に横に這う根茎がある。所々から地上に茎を立て、花茎の高さは10-30 cmになる。葉の形は披針形または線状長楕円形で長さ4-10 cm、幅7-12 mmになり、一茎に1枚のみつける。花期は5-7月、茎頂に紅紫色の花を1個つける。和名は花の色がトキの翼の色であるトキ色(#F5C9C6)に似ていることに由来する。萼片の長さは1.5-2.5cmで長楕円状披針形、側花弁は萼片より短く狭長楕円形、唇弁は側花弁より長く先端が3裂する。唇弁の中裂片は大きく、内側に肉質の毛状突起が密生する。花は横を向き、大きく開かない。花下に長さ2-4 cmの葉状の苞をつける。引用:Wikipedia
2017.07.16
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六道珍皇寺は平安の昔、「鳥辺野」と呼ばれた葬送地への道筋の入り口付近にありました。そこで、この辺りがあの世とこの世の分かれ道で、冥界との出入り口「六道の辻」ともいわれ、お盆のご先祖は必ずこの辻を通り家に帰ると信じられ、お迎えに詣でる風習が始まったのが六道まいりの由来です。京都の盂蘭盆行事ではまず珍皇寺へまいり、迎え鐘をついてお精霊(しょうらい・先祖の霊)さんをこの世にお迎えします。この鐘の音はあの世まで響くとされ、ご先祖様はこの音を聞いて一年振りの帰省をされるのだそうです。日程:2017年8月7日(月)~10日(木)6:00~22:00 料金:境内無料 ※期間中は堂内・庭園などの拝観不可 場所:六道珍皇寺
2017.07.15
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第一朗読創世記 49・29−33、50・15−26a創世記 〔その日、〕ヤコブは息子たちに命じた。 「間もなくわたしは、先祖の列に加えられる。わたしをヘト人エフロンの畑にある洞穴に、先祖たちと共に葬ってほしい。それはカナン地方のマムレの前のマクペラの畑にある洞穴で、アブラハムがヘト人エフロンから買い取り、墓地として所有するようになった。そこに、アブラハムと妻サラが葬られている。そこに、イサクと妻リベカも葬られている。そこに、わたしもレアを葬った。あの畑とあそこにある洞穴は、ヘトの人たちから買い取ったものだ。」 ヤコブは、息子たちに命じ終えると、寝床の上に足をそろえ、息を引き取り、先祖の列に加えられた。 ヨセフの兄弟たちは、父が死んでしまったので、ヨセフがことによると自分たちをまだ恨み、昔ヨセフにしたすべての悪に仕返しをするのではないかと思った。そこで、人を介してヨセフに言った。 「お父さんは亡くなる前に、こう言っていました。『お前たちはヨセフにこう言いなさい。確かに、兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの咎と罪を赦してやってほしい。』お願いです。どうか、あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください。」 これを聞いて、ヨセフは涙を流した。やがて、兄たち自身もやって来て、ヨセフの前にひれ伏して、「このとおり、私どもはあなたの僕です」と言うと、ヨセフは兄たちに言った。 「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか恐れないでください。このわたしが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう。」 ヨセフはこのように、兄たちを慰め、優しく語りかけた。 ヨセフは父の家族と共にエジプトに住み、百十歳まで生き、エフライムの三代の子孫を見ることができた。マナセの息子マキルの子供たちも生まれると、ヨセフの膝に抱かれた。 ヨセフは兄弟たちに言った。 「わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。」 それから、ヨセフはイスラエルの息子たちにこう言って誓わせた。 「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください。」 ヨセフはこうして、百十歳で死んだ。 福音朗読マタイ 10・24−33マタイによる福音 〔そのとき、イエスは使徒たちに言われた。〕「弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。 人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。 だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」 1218年頃、中央イタリアのトスカナのバニョレジオに生まれる。パリで哲学と神学を修め、フランシスコ会に入り、教授資格を取得。フランシコ会員たちに哲学と神学を教え、大きな成果を収めた。やがて同会の総会長に選ばれ、分別と英知をもって会を治め、ついにアルバーノの司教枢機卿に任命された。1274年にリヨンで死去。神学と哲学に関する多くの優れた著書を残した。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】カトリック入門 日本文化からのアプローチ 稲垣良典/著
2017.07.15
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