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境内に霊亀ノ滝、亀ノ井の名水がある松尾大社は「酒造の神様」として知られています。境内には川が流れ、その流れに沿って黄金色に咲き誇る約3,000株の山吹の花の群生を見ることができます。期間中、4月23日(日)には神幸祭の神輿出御、5月3日(水・祝)は平成の一夜酒(甘酒の無料授与)が行われます。また4月8日(土)は日本酒の会、9日(日)、5月14日(日)には亀の市(フリーマーケット)も開催されます。日程:2017年4月10日(月)~5月5日(金・祝)5:00~18:00(庭園神像館・甘酒授与は9:00~16:00) 料金:境内無料、庭園神像館500円 場所:松尾大社
2017.03.31
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第一朗読知恵 2・1a、12−22知恵の書〔神を信じない者は〕こう言い合うが、その考えは誤っている。「神に従う人は邪魔だから、だまして陥れよう。我々のすることに反対し、律法に背くといって我々をとがめ教訓に反するといって非難するのだから。神に従う人は、神を知っていると公言し、自らを主の僕と呼んでいる。彼らの存在は我々の考えをとがめだてる。だから、見るだけで気が重くなる。その生き方が他の者とは異なり、その行動も変わっているからだ。我々を偽り者と見なし、汚れを避けるかのように我々の道を遠ざかる。神に従う人の最期は幸せだと言い、神が自分の父であると豪語する。それなら彼の言葉が真実かどうか見てやろう。生涯の終わりに何が起こるかを確かめよう。本当に彼が神の子なら、助けてもらえるはずだ。敵の手から救い出されるはずだ。暴力と責め苦を加えて彼を試してみよう。その寛容ぶりを知るために、悪への忍耐ぶりを試みるために。彼を不名誉な死に追いやろう。彼の言葉どおりなら、神の助けがあるはずだ。」神を信じない者はこのように考える。だが、それは間違っている。悪に目がくらんでいるのだ。彼らは神の奥深い御旨を知らず、清い生活がもたらす報いを期待せず、汚れない魂の受ける誉れをも認めない。 福音朗読ヨハネ 7・1−2、10、25−30ヨハネによる福音 〔そのとき、〕イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうとねらっていたので、ユダヤを巡ろうとは思われなかった。ときに、ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた。 兄弟たちが祭りに上って行ったとき、イエス御自身も、人目を避け、隠れるようにして上って行かれた。 さて、エルサレムの人々の中には次のように言う者たちがいた。「これは、人々が殺そうとねらっている者ではないか。あんなに公然と話しているのに、何も言われない。議員たちは、この人がメシアだということを、本当に認めたのではなかろうか。しかし、わたしたちは、この人がどこの出身かを知っている。メシアが来られるときは、どこから来られるのか、だれも知らないはずだ。」すると、神殿の境内で教えていたイエスは、大声で言われた。「あなたたちはわたしのことを知っており、また、どこの出身かも知っている。わたしは自分勝手に来たのではない。わたしをお遣わしになった方は真実であるが、あなたたちはその方を知らない。わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た者であり、その方がわたしをお遣わしになったのである。」人々はイエスを捕らえようとしたが、手をかける者はいなかった。イエスの時はまだ来ていなかったからである。 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史 講談社現代新書 / 永田諒一著 【新書】
2017.03.31
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3月31日の花言葉はアマナで「運が向いてくる」です。アマナ(甘菜、学名:Amana edulis)は、単子葉植物ユリ科アマナ属の多年草。チューリップによく似ており、かつてはTulipa edulisとしてチューリップ属に入れられていた。名前は球根が甘く食用できるところから。別名ムギクワイと言い、これは球根の形をクワイになぞらえたもの。調理法もクワイと同様である。特徴地下には広卵形の球根をもつ。球根は外側に黒っぽい皮がある。10cm位の深さに埋もれており、しかもそれに繋がる茎が細いので、掘り出そうとしても切ってしまうことが多い。葉はこの茎の中程からつくので、地表では根出葉のように見える。葉は2枚、ほぼ同じ大きさのものが向かい合う。線形で長さ10-25cm、幅は5-10mm、中央がくぼんでUの字になっている。色は緑色で裏面はちょっと紫がかり、全体に白い粉を吹いたような感じに見える。この葉の間から早春に15cm程の花茎を立て、その先端に白い花を一つだけつける。花の少し下には一対の苞があり、小さな葉状で緑色をしている。花被は六個、長さ20-25mm、披針形で先端がやや尖り、白で背面には紫の筋が入る。釣り鐘状に抱えて咲き、上向きかやや斜めに向く。雄蘂は六個で花被より少し短く、葯は黄色い。花の見かけはごく小さなチューリップそのものである。なお、晴れた日には花がよく開くが、曇りの日には閉じてしまう。季節春の花の中でも特に早く咲くもののひとつである。新春に葉を伸ばし、それから花が咲くと、葉は夏頃まで残る。周囲の草丈が高くなると埋もれてしまう。いわゆるスプリング・エフェメラルの型に入る植物である。生育環境など日向の草地に生える。やや湿ったところに多い。背丈の高い草地には生えないため、実際には春先に草刈りや野焼きの行われるような、里山的環境に見られることが多い。水田の畦や河川の堤防などに生育地が多かったが、現在ではそのような環境は大きく変化しており、見られる場所は少なくなっている。本州東北地方南部以南、四国、九州、奄美大島に分布し、国外では朝鮮、中国東北部から知られている。引用:Wikipedia
2017.03.31
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3月30日の花言葉はダイコンで「適応力」です。ダイコン(大根、学名:Raphanus sativus var. longipinnatus)はアブラナ科ダイコン属の越年草で、野菜として広く栽培される。主に肥大した根を食用とするほか種子から油を採ることもあり、緑黄色野菜でもあり淡色野菜でもある。名前の由来は、大きな根を意味する大根(おおね)から。多くの品種があり、根の長さ・太さなどの形状が多様。また皮の色も白以外に赤・緑・紫・黄・黒などがあり、地域によっては白よりも普通である。日本ではほとんどが白い品種で、スズシロ(清白)の別名もこれに基づく。概要原産地は地中海地方や中東である。紀元前2200年の古代エジプトで、今のハツカダイコンに近いものがピラミッド建設労働者の食料とされていたのが最古の栽培記録とされ、その後ユーラシアの各地へ伝わる。日本には弥生時代には伝わっており、平安時代中期の『和名類聚抄』巻17菜蔬部には、園菜類として於保禰(おほね)があげられている。ちなみにハマダイコンまたはノダイコンと見られる古保禰(こほね)も栽培され、現在のカイワレダイコンとして用いられていた。江戸時代には関東の江戸近郊である板橋・練馬・浦和・三浦半島辺りが特産地となり、その中で練馬大根は特に有名であった。ダイコンは日本においては品種・調理法とも豊富である。世界一大きくて重い桜島大根、世界一長い守口ダイコンなどの種類があり、日本人の食卓(鍋料理・おでん等)には欠かすことのできない野菜となっている。葉はビタミンAを多く含み、青汁の原料として使われる。汁はビタミンCやジアスターゼを多く含む。野菜としての位置づけにおいては、春の七草のひとつ「すずしろ」であり薬味や煮込み料理にも使われるなど、利用の幅は広い。薬草であり、消化酵素を持ち、血栓防止作用や解毒作用がある。特徴根出葉は羽状複葉で、頂小葉は大きい。太い主根は主軸が肥大して食用となる。収穫せず春を迎えれば、アブラナ属と似た淡紅色を帯びた白花をややまばらに付ける。果実の種子数はアブラナ属より少ない。茎は、葉の付け根の低い三角錐部分で食用にされない。また、一般的に根と呼ばれる食用部分のうち地上部分は、発生学的には根ではなく胚軸に由来する中間的な性質を持っている。青首ダイコンでは特に目立ち、ジャガイモ同様、光に応じて葉緑体を発達させる茎の性質を示している。茎、胚軸、根の区別は道管の位置で区別できるが、ひげ根(二次根)でも見分けられる。根の部分は両側一列ずつ二次根が発生し、店先のダイコンではその痕跡がくぼんだ点の列として観察できる。アブラナ属のカブでは、丸く肥大する食用部分が胚軸で、根はヒゲ根となって食用にされない。引用:Wikipedia
2017.03.30
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第一朗読出エジプト 32・7−14出エジプト記 〔その日、〕主はモーセに仰せになった。「直ちに下山せよ。あなたがエジプトの国から導き上った民は堕落し、早くもわたしが命じた道からそれて、若い雄牛の鋳像を造り、それにひれ伏し、いけにえをささげて、『イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ』と叫んでいる。」主は更に、モーセに言われた。「わたしはこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。今は、わたしを引き止めるな。わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている。わたしは彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする。」モーセは主なる神をなだめて言った。「主よ、どうして御自分の民に向かって怒りを燃やされるのですか。あなたが大いなる御力と強い御手をもってエジプトの国から導き出された民ではありませんか。どうしてエジプト人に、『あの神は、悪意をもって彼らを山で殺し、地上から滅ぼし尽くすために導き出した』と言わせてよいでしょうか。どうか、燃える怒りをやめ、御自分の民にくだす災いを思い直してください。どうか、あなたの僕であるアブラハム、イサク、イスラエルを思い起こしてください。あなたは彼らに自ら誓って、『わたしはあなたたちの子孫を天の星のように増やし、わたしが与えると約束したこの土地をことごとくあなたたちの子孫に授け、永久にそれを継がせる』と言われたではありませんか。」主は御自身の民にくだす、と告げられた災いを思い直された。 福音朗読ヨハネ 5・31−47ヨハネによる福音 〔そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。〕「もし、わたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない。わたしについて証しをなさる方は別におられる。そして、その方がわたしについてなさる証しは真実であることを、わたしは知っている。あなたたちはヨハネのもとへ人を送ったが、彼は真理について証しをした。わたしは、人間による証しは受けない。しかし、あなたたちが救われるために、これらのことを言っておく。ヨハネは、燃えて輝くともし火であった。あなたたちは、しばらくの間その光のもとで喜び楽しもうとした。しかし、わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。父がわたしに成し遂げるようにお与えになった業、つまり、わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。また、わたしをお遣わしになった父が、わたしについて証しをしてくださる。あなたたちは、まだ父のお声を聞いたこともなければ、お姿を見たこともない。また、あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。 わたしは、人からの誉れは受けない。しかし、あなたたちの内には神への愛がないことを、わたしは知っている。わたしは父の名によって来たのに、あなたたちはわたしを受け入れない。もし、ほかの人が自分の名によって来れば、あなたたちは受け入れる。互いに相手からの誉れは受けるのに、唯一の神からの誉れは求めようとしないあなたたちには、どうして信じることができようか。わたしが父にあなたたちを訴えるなどと、考えてはならない。あなたたちを訴えるのは、あなたたちが頼りにしているモーセなのだ。あなたたちは、モーセを信じたのであれば、わたしをも信じたはずだ。モーセは、わたしについて書いているからである。しかし、モーセの書いたことを信じないのであれば、どうしてわたしが語ることを信じることができようか。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですいのちへのまなざし増補新版 [ 日本カトリック司教団 ]
2017.03.30
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歴代朝廷からもあつく崇敬された平野神社は、桜の名所としても知られています。桜花祭の起源は平安時代にまでさかのぼり、花山天皇の勅命で行われた祭が今日まで伝承されてきました。境内の見事な桜は、公家たちが献桜したのが始まりで、江戸期には夜桜の名所となりました。神幸列は、触れ太鼓を先頭に、花山車や稚児列、糸巻きを手にした織姫列など、総勢約250人が氏子町内を巡ります。日程:2017年4月10日(月)10:00 桜花祭(本殿)12:00 神幸列発興祭13:00 桜花祭神幸列15:00頃 神幸列還幸祭 料金:無料 場所:平野神社
2017.03.30
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精精の分類生殖能力をもつ精と精微物質の精の2つがあります。生殖能力をもつ精腎精(腎に貯蔵される精)の中で、生殖能力をもつ物質を生殖の精といいます。これは生まれつき人に備わり、発育・成長・成熟すると、妊娠・生育・繁殖の役割を果たします。精微物質の精自然界や体内のすべての精微物質も精といいます。精の生成先天の精:生まれつき両親から受け継ぎ、腎に貯蔵される精微物質、人体を構成し、それぞれの臓腑をスムーズにはたらかせる基本的な精、後天の精から絶えず精を補充されながら、全身の精の充実を図る。後天の精:生まれた後に、脾胃のはたらきによって水穀から生成される水穀精微精の生理機能生命の維持と繁殖精から気が作られ、気はそれぞれの臓腑に送られて臓腑を機能させ、生命を維持します。体の滋養体の滋養は、腎精に関係しています。精の滋養作用により臓腑組織は養われ、その機能を発揮できるようになるのです。気血の化生精は気と血を化生(変化させ生成する)します。腎精から元気が生まれ、各臓腑の気のもとになります。精は血を生成する基本的な物質です。精が充実すれば血も豊かになります。精から血を生成することを「精血同源」といいます。気気の分類基本の気元気、宗気、営気、衛気の4つがあります。臓腑の気臓腑のはたらきは、臓腑の気といいます。経絡の気経絡は気や血が運行するときの通り道で、太い経脈と細い絡脈があります。指圧やマッサージ、鍼灸などでは、しばしば、経脈(ツボ)を刺激して経絡の気の通りをよくするといいます。気の生成気の生成は3つの方法で行われます。人は生まれた時から腎の精気から気が生成されています。腎は気を生成する源だと考えられます。生まれた後は、脾胃のはたらきにより、食物から気が生成されています。脾胃も気を生成する源です。肺の呼吸により吸い込まれた新鮮な空気と、脾胃で作られた水穀精微が結合して、常に新鮮な気が作られています。気機気の運動は気機と呼ばれます。昇・降・出・入の4つがあり、全身で生命活動を維持しています。気化気のはたらきによって発生する様々な物質の変化を指します。例えば食物を摂取するとm気と血の基である水穀精微に変化し、腎精によって精・気・血・津液が生じ、臓腑を支える気によって汗・尿・便が排泄されます。このように新陳代謝の過程を気化といいます。気機が順調だと気化もスムーズに行われます。気の生理機能促進作用推動作用ともいいます。気は活力の強い精微物質です。体の発育と成長、それぞれの臓腑や組織のはたらきを円滑にします。それが促進作用です。気によって血は生成され、血流となり、また、津液の生成・分布・排泄をうながします。温喣作用気は太陽のように体を温め、体温を保ちます。これを温喣作用といいます。それぞれの臓腑や組織は、気の温喣作用によって生理機能が正常に保たれます。防衛作用保護作用ともいいます。気が体表を巡って邪気の侵入を防ぐ作用のことです。病気から体を守ります。固摂作用気の力により、内臓の位置を固定させ、津液や血・精をコントロールし、汗・唾・尿などの液体も管理します。それを固摂作用といいます。気化作用食物と吸い込んだ空気を水穀精微に変え、精・気・血・津液を作り、汗・尿・便に変化させることを気化作用といいます。営養作用気の中には、血脈に入り、血と一緒に流れる営気があります。営気は、臓腑や組織を潤しながら、熱を冷まし、体温をコントロールし、臓腑を養う役目を果たしています。この作用を営養作用といいます。血血は、生命活動を維持する血脈に流れる赤色の液体を指します。血の生成血は腎精から生成されます。これを「精血同源」といいます。脾胃のはたらきにより水穀精微が生成され、水穀精微からも血は作られます。津液からも血は生成されます。血の生理機能臓腑の生理機能を支える血の生理作用は、主に2つあります。補養作用水穀精微から生成された血は、営養を豊富に含んでいます。この血が臓腑や組織に営養を供給し、組織を潤します。養神作用血により精神を養い、安定させます。血が満ちあふれると、気も充実するため、精神は充実します。意識は明晰で反応が素早く、肢体の動きもスムーズです。津液津液は人体内の正常な水液の総称です。臓腑や組織の体液と分泌物を指します。津液の「津」は、霧のような希薄な水液で流動性があります。体表・皮膚・筋肉・毛孔に分布し、血脈に浸透します。これに対して「液」は、濃い水液で流動性が少なく、関節・脳・骨髄・臓腑に注がれています。津液の生成津液は臓腑の作用により生成されます。津液は、脾胃・小腸・大腸の消化吸収機能により、食物から生成されます。また、肺気と腎気の気化作用により生成されます。さらに、血が津液に変化することもあり、これを「津血同源」といいます。津液の生理機能滋養作用皮膚・毛髪・臓腑を潤します・湿潤と保護作用関節・目・鼻・耳・咽喉を滑らかに保ちます。補充作用骨髄・脊髄・脳・関節に津液を補充し、血液の一部となります。排泄作用汗・便・尿と一緒に代謝後の不要物を排出します。【中古】 薬膳で楽しむ毒出しごはん /青山有紀【著】 【中古】afb
2017.03.29
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3月29日の花言葉はカタクリで「初恋」です。カタクリ(片栗、学名:Erythronium japonicum Decne.)は、ユリ科カタクリ属に属する多年草。古語では「堅香子(かたかご)」と呼ばれていた。特徴雪解け後に落葉樹林の林床で真っ先にカタクリやニリンソウなどが葉と茎を伸ばし花を咲かせる。その後枯れて地上部の姿が消える。早春に10 cm程の花茎を伸ばし、薄紫から桃色の花を先端に一つ下向きに咲かせる。蕾をもった個体は芽が地上に出てから10日程で開花する。花茎の下部に通常2枚の葉があり、幅2.5-6.5 cm程の長楕円形の葉には暗紫色の模様がある。地域によっては模様がないものもある。開花時期は4-6月で、花被片と雄しべは6個。雄蕊は長短3本ずつあり、葯は暗紫色。長い雄蕊の葯は短いものより外側にあり、先に成熟して裂開する。雌蕊の花柱はわずかに3裂している。地上に葉を展開すると同時に開花する。日中に花に日が当たると、花被片が開き反り返る。日差しがない日は終日花が閉じたままである。開花後は3室からなる果実ができ、各室には数個-20程の胚珠ができる。平均で60%程の胚珠が種子となる[6]。胚珠は長さ2 mmほどの長楕円形である。染色体は大型で2n=24である。早春に地上部に展開し、その後葉や茎は枯れてしまう。地上に姿を現す期間は4-5週間程度で、群落での開花期間は2週間程と短い。このため、ニリンソウなど同様の植物とともに「スプリング・エフェメラル」(春の妖精)と呼ばれている。種子にはアリが好む薄黄色のエライオソームという物質が付いており、アリに拾われることによって生育地を広げている(同様の例はスミレなどにも見られる)。利用かつてはこの鱗茎から抽出したデンプンを片栗粉として調理に用いていた。精製量がごくわずかであるため、近年は片栗粉にはジャガイモやサツマイモから抽出したデンプン粉が用いられている。若葉を茹でて、山菜として食されることがある。鑑賞用の山野草として、カタクリの球根が販売されている。日本各地の群生地では、春の開花時期に合わせて「カタクリ祭り」などが開催されている。引用:Wikipedia
2017.03.29
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第一朗読イザヤ 49・8−15イザヤの預言主はこう言われる。わたしは恵みの時にあなたに答え救いの日にあなたを助けた。わたしはあなたを形づくり、あなたを立てて民の契約とし、国を再興して荒廃した嗣業の地を継がせる。捕らわれ人には、出でよと闇に住む者には身を現せ、と命じる。彼らは家畜を飼いつつ道を行き荒れ地はすべて牧草地となる。彼らは飢えることなく、渇くこともない。太陽も熱風も彼らを打つことはない。憐れみ深い方が彼らを導き湧き出る水のほとりに彼らを伴って行かれる。わたしはすべての山に道をひらき広い道を高く通す。見よ、遠くから来る見よ、人々が北から、西からまた、シニムの地から来る。天よ、喜び歌え、地よ、喜び躍れ。山々よ、歓声をあげよ。主は御自分の民を慰めその貧しい人々を憐れんでくださった。シオンは言う。主はわたしを見捨てられたわたしの主はわたしを忘れられた、と。女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようともわたしがあなたを忘れることは決してない。 福音朗読ヨハネ 5・17−30ヨハネによる福音 〔そのとき、イエスはユダヤ人たちにお答えになった。〕「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。 そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える。また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。父は、御自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである。また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。 わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です日々の祈り 改訂版 第2版 / 日本カトリック司教協議会 【本】
2017.03.29
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今回ご紹介するのは「天下一品佛大前店」さんです。まずは餃子をオーダーしビールを楽しみます。もちろん唐揚げも外すことができません。〆にはこってりラーメンを頂きました。学区内で天一のラーメンが楽しめるなんて素敵でしょ(笑)店名:天下一品 佛大前店 ジャンル:ラーメン TEL・予約:075-495-7299 住所:京都府京都市北区紫野大徳寺町26-21 交通手段:京都市バス 佛教大前か、千本北大路下車。北大路駅から1,830m営業時間:10:48~翌2:00 (OS閉店12分前)ランチ営業、夜10時以降入店可、夜12時以降入店可、日曜営業定休日:木曜・1/1~1/2NARUTO展×天下一品 特製ラーメンハ鉢(コースター付き)【中古】【買取王国】
2017.03.29
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「曲水宴」は古代中国から伝わり、朝廷で催された遊宴です。上賀茂神社では境内の渉渓園で行われます。平安時代の宮廷装束姿の歌人たちが、ならの小川のほとりの席に著(つ)くと、前年の葵祭の斎王代が歌題を読み上げ、盃が流れてくる間に歌人は歌を短冊にしたためます。冷泉家時雨亭文庫による披講や雅楽の演奏も楽しめます。日程:2017年4月9日(日)13:00~ 料金:1,000円(お茶券付、先着500名) 場所:上賀茂神社[賀茂別雷神社]
2017.03.28
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第一朗読エゼキエル 47・1−9、12エゼキエルの預言 〔その日、主の使いは〕わたしを神殿の入り口に連れ戻した。すると見よ、水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた。神殿の正面は東に向いていた。水は祭壇の南側から出て神殿の南壁の下を流れていた。彼はわたしを北の門から外へ回らせ、東に向かう外の門に導いた。見よ、水は南壁から流れていた。その人は、手に測り縄を持って東の方に出て行き、一千アンマを測り、わたしに水の中を渡らせると、水はくるぶしまであった。更に一千アンマを測って、わたしに水を渡らせると、水は膝に達した。更に、一千アンマを測って、わたしに水を渡らせると、水は腰に達した。更に彼が一千アンマを測ると、もはや渡ることのできない川になり、水は増えて、泳がなければ渡ることのできない川になった。彼はわたしに、「人の子よ、見ましたか」と言って、わたしを川岸へ連れ戻した。わたしが戻って来ると、川岸には、こちら側にもあちら側にも、非常に多くの木が生えていた。彼はわたしに言った。「これらの水は東の地域へ流れ、アラバに下り、海、すなわち汚れた海に入って行く。すると、その水はきれいになる。川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。川のほとり、その岸には、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が大きくなり、葉は枯れず、果実は絶えることなく、月ごとに実をつける。水が聖所から流れ出るからである。その果実は食用となり、葉は薬用となる。」 福音朗読ヨハネ 5・1−3a、5−16ヨハネによる福音 〔ユダヤ人の祭りの日に、〕イエスはエルサレムに上られた。エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。 その日は安息日であった。そこで、ユダヤ人たちは病気をいやしていただいた人に言った。「今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない。」しかし、その人は、「わたしをいやしてくださった方が、『床を担いで歩きなさい』と言われたのです」と答えた。彼らは、「お前に『床を担いで歩きなさい』と言ったのはだれだ」と尋ねた。しかし、病気をいやしていただいた人は、それがだれであるか知らなかった。イエスは、群衆がそこにいる間に、立ち去られたからである。その後、イエスは、神殿の境内でこの人に出会って言われた。「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。」この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【送料無料】 二十世紀のカトリック神学 新スコラ主義から婚姻神秘主義へ / ファーガス・カー 【本】
2017.03.28
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3月28日の花言葉はソメイヨシノで「優れた美人」です。ソメイヨシノ(染井吉野、学名: Cerasus × yedoensis (Matsum.) A.V.Vassil. ‘Somei-yoshino’)とはエドヒガン系の桜と日本固有種のオオシマザクラの雑種の交配で生まれた日本産の園芸品種[2]。遺伝子研究の結果、ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラの雑種が交雑してできた単一の樹を始源とするクローンであることが判明している。日本では明治の中頃より、サクラの中で圧倒的に多く植えられた品種であり、今日では、メディアなどで「桜が開花した」というときの「桜」はソメイヨシノ(の中の、気象台が定めるなどした特定の株)を意味するなど、現代の観賞用のサクラの代表種である。名称学名ソメイヨシノに限らず、サクラの属名はPrunus、和名ではサクラ属(「スモモ属」とも)とする分類と、Cerasus(サクラ属)とするものがある。日本では前者、分けてもサクラ亜属 (subg. Cerasus) とするものが多かったが、近年は後者が増えてきている。しかしCerasusとすることで決着した訳ではない。海外では、現在もPrunusに分類するのが主流である。ソメイヨシノの学名がC.(もしくは P.)× yedoensisと、園芸品種名‘Somei-yoshino’無しで表記される事がある。しかしこれは、エドヒガンとオオシマザクラの間の雑種すべてを表す名前であり、ソメイヨシノのみを表すものではない。命名の由来江戸末期から明治初期に、江戸の染井村に集落を作っていた造園師や植木職人達によって育成された。初めサクラの名所として古来名高く西行法師の和歌にもたびたび詠まれた大和の吉野山(奈良県山岳部)にちなんで「吉野」「吉野桜」として売られ、広まったが、藤野寄命による上野公園のサクラの調査によってヤマザクラとは異なる種の桜であることが分かり(1900年)、この名称では吉野山に多いヤマザクラと混同される恐れがあるため、「日本園芸雑誌」において染井村の名を取り「染井吉野」と命名したという。翌年、松村任三が学名をつけた。引用:Wikipedia
2017.03.28
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今回ご紹介するのは小早川秀包、合戦時筑後久留米13万石でした。合戦時関ヶ原の戦いでは西軍に加わり、8月に大坂城玉造口を守備した。9月3日には京極高次の籠る大津城を兄の末次元康や立花宗茂らと共に攻め、6人の部将を失い3人の重臣が重傷を負う痛手を蒙りながらも落城させた。しかし秀秋の内応や吉川広家・毛利秀元の日和見行為により西軍が敗れたため、大津城を撤退して大坂城に帰還する。この時、国許でも戦が起こっており、10月14日に久留米城は黒田如水、鍋島直茂率いる37,000の軍に攻撃を受けていた。城中には宿老・桂広繁、白井景俊以下わずか500の兵しか残っていなかったが、数日城は持ちこたえた後、両人は開城勧告に応じて城を明け渡した。秀包の娘のおさてが黒田家の人質に、桂広繁の四男・黒寿丸が鍋島家の人質とされ、秀包の正室桂姫や嫡男毛利元鎮らは長門国豊浦郡川棚へと移った。合戦後関ヶ原の戦い後は改易され、毛利輝元より長門国内に所領を与えられる。その頃、小早川秀秋の裏切りへの謗りを避けるため、小早川姓を捨てて毛利姓に復し、大徳寺で剃髪して玄済道叱と称した。帰国後は体調が悪化し、長門赤間関の宮元二郎の館で療養したが、翌慶長6年(1601年)に喀血し35歳で病没。遺体は当時の秀包の知行地で、館があったと伝えられる現在の山口県下関市豊北町滝部に安置される。後に久留米には秀包を祀る小早川神社が建てられた。一族のその後長男 元鎮一門家老吉敷毛利家の始祖となった。元就の九男として生まれ叔父隆景からも才能を認められ、合戦時は大津城攻略で活躍するも、他一門の中途半端な行動により憂き目を味わうことになった。その本心はいかようであったのでしょうか?毛利氏本姓:大江氏季光流 家祖:大江季光 種別:武家、華族(公爵) 出身地:相模国愛甲郡毛利莊、森庄(もりのしょう)[注釈 1] 主な根拠地:越後国佐橋庄南条、安芸国高田郡吉田庄(よしだのしょう)、長門国萩、周防国山口 著名な人物:毛利元就、毛利輝元、毛利敬親 支流、分家:越後毛利氏(武家)、徳山毛利家(武家)、長府毛利家(武家)、清末毛利家(武家)、安芸坂氏(武家) など 引用:Wikipediaこんなに面白いとは思わなかった!関ケ原の戦い
2017.03.27
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慶長3年(1598)、豊臣秀吉が息子の秀頼、正室・おね、側室・淀殿をはじめ、1300人余を集めて盛大に行った「醍醐の花見」。豊太閤花見行列はその様子を再現しています。豊太閤や北政所らに扮した約300名にのぼる時代装束を身に着けた人々が、境内を練り歩き、桃山時代を彷彿とさせます。行列は三宝院の唐門を出発し、桜の馬場を通って、金堂へ。金堂前には特設の舞台が設置され、舞楽などが披露されます。日程:2017年4月9日(日)13:00~ 料金:無料(三宝院・霊宝館・伽藍の拝観は共通券1,500円) 場所:醍醐寺
2017.03.27
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第一朗読イザヤ 65・17−21イザヤの預言〔主は言われる。〕見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとしてその民を喜び楽しむものとして、創造する。わたしはエルサレムを喜びとしわたしの民を楽しみとする。泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。そこには、もはや若死にする者も年老いて長寿を満たさない者もなくなる。百歳で死ぬ者は若者とされ百歳に達しない者は呪われた者とされる。彼らは家を建てて住みぶどうを植えてその実を食べる。 福音朗読ヨハネ 4・43−54ヨハネによる福音 〔そのとき、イエスはサマリア〕を出発して、ガリラヤへ行かれた。イエスは自ら、「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」とはっきり言われたことがある。ガリラヤにお着きになると、ガリラヤの人たちはイエスを歓迎した。彼らも祭りに行ったので、そのときエルサレムでイエスがなさったことをすべて、見ていたからである。 イエスは、再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、前にイエスが水をぶどう酒に変えられた所である。さて、カファルナウムに王の役人がいて、その息子が病気であった。この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞き、イエスのもとに行き、カファルナウムまで下って来て息子をいやしてくださるように頼んだ。息子が死にかかっていたからである。イエスは役人に、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言われた。役人は、「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」と言った。イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。ところが、下って行く途中、僕たちが迎えに来て、その子が生きていることを告げた。そこで、息子の病気が良くなった時刻を尋ねると、僕たちは、「きのうの午後一時に熱が下がりました」と言った。それは、イエスが「あなたの息子は生きる」と言われたのと同じ時刻であることを、この父親は知った。そして、彼もその家族もこぞって信じた。これは、イエスがユダヤからガリラヤに来てなされた、二回目のしるしである。 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です教会法で知るカトリック・ライフ [ 菅原裕二 ]
2017.03.27
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3月27日の花言葉はヒヤシンスで「控えめな愛」です。ヒアシンス(風信子、飛信子、学名: Hyacinthus orientalis)は、ツルボ亜科ヒアシンス属の球根性多年草。ヒヤシンスとも表記する。耐寒性秋植え球根として扱われ、鉢植えや水栽培などで観賞される。形態・生態春先に香りのよい花を咲かせる。原種本来の花色は紫青色のみだが、園芸品種には暖色から寒色までさまざまな色彩が濃淡豊かに揃う。 分布地中海東部沿岸からイラン、トルクメニスタン付近の原産。オスマン帝国で栽培され、園芸化された。日本には1863年に渡来。人間との関わりスルタンムラト3世は1583年に山地から5万本のヒアシンスをイスタンブールに集めさせたという。16世紀前半にはヨーロッパにもたらされ、イタリアで栽培されていた。16世紀末にはイギリスに伝来し、フローリスト(園芸愛好家)に注目され、18世紀から19世紀にかけて盛んに育種が行なわれ、数百の品種が作られた。しかし、イギリス系のヒアシンスは20世紀初頭に衰退し、現在は品種もほとんど残っていない。これとは別に、現在普通に栽培されるのは地中海北東部原産のダッチヒアシンスで、18世紀から主にオランダで改良され、2,000以上の栽培品種が作出された。これは、1本の茎に青、紅、白、淡黄色などの花を多数つける。また、ローマンヒアシンス(H. o. var. albulus)と呼ばれる変種があり、耐寒性はあまり強くなく、やや小さい青や白の花をつける。ヒアシンスの名は、ギリシャ神話の美青年ヒュアキントスに由来する。同性愛者であった彼は、愛する医学の神アポロン(彼は両性愛者であった)と一緒に円盤投げに興じていた(古代ギリシャでは同性愛は普通に行われ、むしろ美徳とされていた)。しかし、その楽しそうな様子を見ていた西風の神ゼピュロス(彼もヒュアキントスを愛していた)は、やきもちを焼いて、意地悪な風を起こした。その風によってアポロンが投げた円盤の軌道が変わり、ヒュアキントスの額を直撃してしまった。アポロンは医学の神の力をもって懸命に治療するが、その甲斐なくヒュアキントスは大量の血を流して死んでしまった。ヒアシンスはこの時に流れた大量の血から生まれたとされる。このエピソードから、花言葉は「悲しみを超えた愛」となっている。引用:Wikipedia
2017.03.27
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今回は近鉄京都線 伊勢田の「京宇治食堂」さんをご紹介します。まずはおかずえ選び、味噌さばとおでんは外せません。飲物はエビスビールと白鹿、これも王道です。そして鶏からあげと九条ねぎ入り卵焼きもちろん焼きたてです。店内の「中華そば」、「豆ごはん」の文字が眼に入りついつい食べてしまいました!店名:京宇治食堂 (まいどおおきに食堂) ジャンル:定食・食堂、和食(その他) TEL・予約:0774-28-6161 住所:京都府宇治市伊勢田町大谷57-13 交通手段:伊勢田駅から467m営業時間:11:00~23:00定休日:無休サッポロ ヱビスビール缶セット(01170747051)
2017.03.26
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第一朗読サムエル上 16・1b、6−7、10−13aサムエル記 〔その日、主はサムエルに言われた。〕「角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。わたしはその息子たちの中に、王となるべき者を見いだした。」 彼らがやって来ると、サムエルはエリアブに目を留め、彼こそ主の前に油を注がれる者だ、と思った。しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」 エッサイは七人の息子にサムエルの前を通らせたが、サムエルは彼に言った。「主はこれらの者をお選びにならない。」サムエルはエッサイに尋ねた。「あなたの息子はこれだけですか。」「末の子が残っていますが、今、羊の番をしています」とエッサイが答えると、サムエルは言った。「人をやって、彼を連れて来させてください。その子がここに来ないうちは、食卓には着きません。」エッサイは人をやって、その子を連れて来させた。彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた。「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ。」サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。 第二朗読エフェソ 5・8−14使徒パウロのエフェソの教会への手紙 〔皆さん、〕あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。――光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。――何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。彼らがひそかに行っているのは、口にするのも恥ずかしいことなのです。しかし、すべてのものは光にさらされて、明らかにされます。明らかにされるものはみな、光となるのです。それで、こう言われています。 「眠りについている者、起きよ。 死者の中から立ち上がれ。 そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」 福音朗読ヨハネ 9・1−41 または 9・1、6−9、13−17、34−38ヨハネによる福音 〔そのとき、〕イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。≪弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。わたしは、世にいる間、世の光である。」こう言ってから、≫イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。近所の人々や、彼が物乞いであったのを前に見ていた人々が、「これは、座って物乞いをしていた人ではないか」と言った。「その人だ」と言う者もいれば、「いや違う。似ているだけだ」と言う者もいた。本人は、「わたしがそうなのです」と言った。≪そこで人々が、「では、お前の目はどのようにして開いたのか」と言うと、彼は答えた。「イエスという方が、土をこねてわたしの目に塗り、『シロアムに行って洗いなさい』と言われました。そこで、行って洗ったら、見えるようになったのです。」人々が「その人はどこにいるのか」と言うと、彼は「知りません」と言った。≫ 人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった。そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った。「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そして、わたしが洗うと、見えるようになったのです。」ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた。そこで、人々は盲人であった人に再び言った。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」彼は「あの方は預言者です」と言った。 ≪それでも、ユダヤ人たちはこの人について、盲人であったのに目が見えるようになったということを信じなかった。ついに、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、尋ねた。「この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。それが、どうして今は目が見えるのか。」両親は答えて言った。「これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。しかし、どうして今、目が見えるようになったかは、分かりません。だれが目を開けてくれたのかも、わたしどもは分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう。」両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。両親が、「もう大人ですから、本人にお聞きください」と言ったのは、そのためである。 さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」すると、彼らは言った。「あの者はお前にどんなことをしたのか。お前の目をどうやって開けたのか。」彼は答えた。「もうお話ししたのに、聞いてくださいませんでした。なぜまた、聞こうとなさるのですか。あなたがたもあの方の弟子になりたいのですか。」そこで、彼らはののしって言った。「お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ。我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない。」彼は答えて言った。「あの方がどこから来られたか、あなたがたがご存じないとは、実に不思議です。あの方は、わたしの目を開けてくださったのに。神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、これまで一度も聞いたことがありません。あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」≫彼らは、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い返し、彼を外に追い出した。 イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」彼〔は、〕「主よ、信じます」と言って、ひざまず〔いた。〕≪イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」 イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、「我々も見えないということか」と言った。イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」≫ 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【送料無料】 二十世紀のカトリック神学 新スコラ主義から婚姻神秘主義へ / ファーガス・カー 【本】
2017.03.26
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3月26日の花言葉はチューリップで「愛の宣告・魅惑」です。チューリップ(英語: tulip [ˈt(j)uːlɪp])はユリ科チューリップ属の植物。球根ができ、形態は有皮鱗茎。和名は鬱金香(うこんこう、うっこんこう)、中近東ではラーレ(トルコ語: lale、ペルシア語: لاله など)と呼ばれる。アナトリア、イランからパミール高原、ヒンドゥークシュ山脈、カザフスタンのステップ地帯が原産。本項では日本では一般に栽培されているTulipa gesneriana(植物学者コンラート・ゲスナーにちなむ)及びそれ以外の原種・園芸種(Tulipa 属全般)について触れる。和名について和名の鬱金香は、この花の香りがスパイスまたは食品を黄色く染めるのに使われるウコンのような、ほこり臭いことに由来する。チューリップの花の香りは概してあまり良くないが、最近香りの良い品種も増えている。1970年ころまでは、牧野植物図鑑に「ぼたんゆり」という和名が載っていた。園芸チューリップには後述のチューリップ相場に代表されるように多様な園芸品種が存在する。外観は、花弁の先端が丸いもの・尖ったもの・フリル状のものもある。咲き方は一重から八重で、一つの球根から複数の花がつくもの、すぼまった状態で開花するものや花弁が外側へ反り返り全開して開花するものなど。花色も青以外の赤・黄・オレンジ・白・緑・紫などの単色や複数の色のものなど、数百品種のチューリップが存在する。青バラと同様に多くの育種家によって青いチューリップの開発が進められているが、花弁全体が青い品種は発表されていない。 チューリップの花を上から覗くと、花弁の根元に青い部分が存在する。その部分には青い色素がみられ、その青い部分を増やすことで青いチューリップを作る研究がされている。大きな球根を採取する場合は開花から約2日後に花部を切断する。また、深く植えつけると分球が少なくなるがその分肥大はよくなる(植えつけた年は変化が無く、その次の年に影響する)。繁殖は主に分球で、実生(タネ)からは開花までに5年以上かかる。他のユリ科の植物と同様、両性花であり、雌雄異熟によって自家受粉を防いでいる。実生は品種改良の際に行われる。人気のある花だけに花形・花色・草姿・葉の模様・ブルームの有無・香り・早晩性・耐暑性・耐湿性・多花性・繁殖力、切花では切花寿命・無花粉化・花茎の硬さなど改良されるべき性質が多く、特に日本の高温多湿に強い品種が望まれる。ただし、野生種をはじめ交配に使える素材も多いため、時間は掛かるが品種改良は比較的容易である。開花前に裁縫に用いる針等を用いてチューリップの花の根元部分を貫通させ傷つけるとエチレンが発生し開花期間を長引かせることができ、開花後に同様のことを行なうと開花期間が短縮することがチューリップのみで確認されている。引用:Wikipedia
2017.03.26
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3月25日の花言葉はレンギョウで「達せられた希望・情け深い」です。レンギョウ(連翹、学名: Forsythia suspensa (Thunb.) Vahl[1])は、モクセイ科レンギョウ属の落葉性低木広葉樹。別名、レンギョウウツギ(連翹空木)。古名は、いたちはぜ、いたちぐさ。中国名は黄寿丹。英名はゴールデンベル (golden bells, golden bell flower)。種小名の suspensa は、枝が“垂れる”意味である。和名のレンギョウは、漢名の連翹を音読みしたものであるが、実は誤用されたものであった。そもそも原産地の中国で連翹とは、トモエソウ(学名: Hypericum ascyron、中国名: 連翹(大連翹))もしくはオトギリソウ(学名: Hypericum erectum、中国名: 小連翹)のこと。これらどの実も薬用されていたこともあって、日本では、現在のレンギョウの実が連翹と誤って売られるようになり、ついにはレンギョウが連翹として認識されるに至った。しかし、現在も中国において連翹と書くとトモエソウもしくはオトギリソウのことを指す。特徴繁殖力が旺盛で、よく繁る。樹高は1 - 3mまで育ち、半つる性の枝は湾曲して伸び下に垂れ、地面に接触すると、そこからも根を出し新しい株ができる。枝は竹のような節を持つ。また、枝の髄が早期に消失するため、節の部分を除いて中空になる(このことから“空の木”、レンギョウウツギ(連翹空木)という別名が付いた。この呼称は最初、本来の連翹(トモエソウ)との誤用に気付いた時、区別するために使われた)。まだ葉が芽吹く前の早春(3 - 4月頃)、2 - 3cmの黄色い4弁の花が、細い枝に密に多数開く。その花が咲き終わる頃、入れ違うかのように今度は、緑色の葉(長さ3 - 10cm、幅2 - 5cmの長卵型。葉先は鋭尖で、葉縁にまばらな鋸歯がある)が対生に芽吹き、それが秋になると濃緑色、概憤色(くすんだ黄緑色)、紫色と順に変色し、最後に落葉する。付いた果実は漢方薬(下記参照)として用いられる。分布・生育地中国原産。日本への渡来は古く、『出雲国風土記』や『延喜式』にもレンギョウの名前が見られる(薬用として平安時代初期に渡来したといわれているが、実際に渡来した時期は定かではなく、江戸時代前期に栽培の記録があることから、江戸時代だという説もある)。利用薬用漢方医学では「連翹」と呼ばれ、解熱剤、消炎剤、利尿剤、排膿剤、腫瘍・皮膚病などの鎮痛薬に用いる。成分にトリテルペン、モノテルペングリコシド、リグナンを含み、強い抗菌作用がある。成熟果実を一度蒸気を通したのち、天日で乾燥し用いる。日本薬局方においては、レンギョウまたはシナレンギョウの果実を用いている。連翹が配合された方剤の例響声破笛丸(きょうせいはてきがん)銀翹解毒散(ぎんぎょうげどくさん)荊芥連翹湯(けいがいれんぎょうとう)清上防風湯(せいじょうぼうふうとう)文化季語は春である。連翹忌4月2日は彫刻家・詩人の高村光太郎(1883年 - 1956年)の命日で、これを連翹忌とも呼ぶ。これは、高村が生前好んだ花がレンギョウであり、彼の告別式で棺の上にその一枝が置かれていたことに由来する。引用:Wikipedia
2017.03.25
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やすらい祭は京の三奇祭の一つで「やすらい花」とも呼ばれます。散る花に舞って拡がる疫病を鎮めるために、囃子や歌舞で花の精を追い立て風流傘に宿らせて社へとおさめ、花鎮めの祭儀を行います。緋色あでやかな風流傘を中心に行列をつくり、鉦や太鼓を打ち鳴らして鬼が飛び跳ねるように踊りながら地域を練り歩きます。風流傘に入ると、一年を無病息災で過ごせるといわれています。日程:2017年4月9日(日)12:00頃~(境内での神事は15:00頃~15:30頃) 料金:無料 場所:今宮神社
2017.03.25
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第一朗読イザヤ 7・10−14、8・10cイザヤの預言 〔その日、〕主はアハズに向かって言われた。「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。」 しかし、アハズは言った。 「わたしは求めない。 主を試すようなことはしない。」 イザヤは言った。 「ダビデの家よ聞け。 あなたたちは人間に もどかしい思いをさせるだけでは足りず わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。 それゆえ、わたしの主が御自ら あなたたちにしるしを与えられる。 見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ。 神が我らと共におられるのだから。」 第二朗読ヘブライ 10・4−10ヘブライ人への手紙 〔皆さん、〕雄牛や雄山羊の血は、罪を取り除くことができ〔ません。〕 それで、キリストは世に来られたときに、次のように言われたのです。 「あなたは、いけにえや献げ物を望まず、 むしろ、わたしのために 体を備えてくださいました。 あなたは、焼き尽くす献げ物や 罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。 そこで、わたしは言いました。 『御覧ください。わたしは来ました。 聖書の巻物にわたしについて書いてあるとおり、 神よ、御心を行うために。』」ここで、まず、「あなたはいけにえ、献げ物、焼き尽くす献げ物、罪を贖うためのいけにえ、つまり律法に従って献げられるものを望みもせず、好まれもしなかった」と言われ、次いで、「御覧ください。わたしは来ました。御心を行うために」と言われています。第二のものを立てるために、最初のものを廃止されるのです。この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。 福音朗読ルカ 1・26−38ルカによる福音 〔そのとき、〕天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。 東方教会を起源とするこの祭日は、従来は聖母の祝日とされていたが、ローマ典礼暦の改正の際、キリストが処女マリアの胎内に宿ったという出来事を記念するため、主キリストの祝祭日として祝われるようになった。きょうは、神の御ひとり子の受肉と、それを知らせる天使の言葉を信仰をもって受け入れたマリアの承諾を思い起こす祭日である。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です送料無料/イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔 いつくしみの特別聖年公布の大勅書/教皇フランシスコ/カトリック中央協議会事務局
2017.03.25
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地主神社は謡曲にも謡われた桜の名所。また、縁結びの神様としても有名です。うららかな春の日、桜の美しさを寿ぎ、良縁を授かることを祈願します。白川女による桜の献花、謡曲「田村」「熊野」の奉納、北山季吟の「地主からは木の間の花の都かな」を句碑前で献詠するなど、地主桜の美しさを堪能する一日です。日程:2017年4月9日(日)10:00~ 料金:無料(要清水寺拝観料400円) 場所:地主神社
2017.03.24
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第一朗読ホセア 14・2−10ホセアの預言〔主は言われる。〕イスラエルよ、立ち帰れあなたの神、主のもとへ。あなたは咎につまずき、悪の中にいる。誓いの言葉を携え主に立ち帰って言え。「すべての悪を取り去り恵みをお与えください。この唇をもって誓ったことを果たします。アッシリアはわたしたちの救いではありません。わたしたちはもはや軍馬に乗りません。自分の手が造ったものを再びわたしたちの神とは呼びません。親を失った者はあなたにこそ憐れみを見いだします。」わたしは背く彼らをいやし喜んで彼らを愛する。まことに、わたしの怒りは彼らを離れ去った。露のようにわたしはイスラエルに臨み彼はゆりのように花咲きレバノンの杉のように根を張る。その若枝は広がりオリーブのように美しくレバノンの杉のように香る。その陰に宿る人々は再び麦のように育ちぶどうのように花咲く。彼はレバノンのぶどう酒のようにたたえられる。ああエフライムなおも、わたしを偶像と比べるのか。彼の求めにこたえ彼を見守るのはわたしではないか。わたしは命に満ちた糸杉。あなたは、わたしによって実を結ぶ。知恵ある者はこれらのことをわきまえよ。わきまえある者はそれを悟れ。主の道は正しい。神に従う者はその道に歩み神に背く者はその道につまずく。 福音朗読マルコ 12・28b−34マルコによる福音 〔そのとき、一人の律法学者が進み出て、イエスに尋ねた。〕「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですいのちへのまなざし増補新版 [ 日本カトリック司教団 ]
2017.03.24
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3月24日の花言葉はムスカリで「夢にかける思い」です。ムスカリ(学名: Muscari)はツルボ亜科ムスカリ属の植物の総称。狭義には、学名 Muscari neglectum をムスカリという。名の由来はギリシャ語の moschos(ムスク)であり、麝香のことである。花は一見するとブドウの実のように見えることから、ブドウヒアシンスの別名を持つ。形態・生態一般的には球根植物。開花期は3月初旬から4月末頃。花色は鮮やかな青紫色だが、近年、白色、コバルト色なども見られる。花弁はあまり開かない。分布原産地は南西アジアあるいは地中海沿岸地方で、地中海沿岸が分布の中心。日本には30数年前ごろから市場に出回り、近年[いつ?]人気品種となって、各地の公園などでごく普通に見られる。人間との関わりムスカリ属の一部は園芸植物としてよく栽培される。球根は数年くらい植えたままでも差し障りないが、できれば秋に掘り上げるとよい。病虫害もあまりなく、栽培しやすい植物である。早春を彩る花として絨毯のように多数を植え付けると効果的である。引用:Wikipedia
2017.03.24
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城内北側に位置する清流園の、普段は公開されていない場所で催される観桜茶会。和楽庵では表千家に伝わる茶道具が展観され、薄茶がいただけます。晴れていれば野点の席も設けられ、桜の花びらが舞う中、お薄を喫することができます。日程:2017年4月9日(日)10:00~15:00 料金:茶券3,500円(入城料含む) 場所:二条城
2017.03.23
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第一朗読エレミヤ 7・23−28エレミヤの預言 〔主は言われる。〕わたしは次のことを〔わたしの民〕に命じた。「わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。わたしが命じる道にのみ歩むならば、あなたたちは幸いを得る。」しかし、彼らは聞き従わず、耳を傾けず、彼らのかたくなで悪い心のたくらみに従って歩み、わたしに背を向け、顔を向けなかった。お前たちの先祖がエジプトの地から出たその日から、今日に至るまで、わたしの僕である預言者らを、常に繰り返しお前たちに遣わした。それでも、わたしに聞き従わず、耳を傾けず、かえって、うなじを固くし、先祖よりも悪い者となった。 あなたが彼らにこれらすべての言葉を語っても、彼らはあなたに聞き従わず、呼びかけても答えないであろう。それゆえあなたは彼らに言うがよい。「これは、その神、主の声に聞き従わず、懲らしめを受け入れず、その口から真実が失われ、断たれている民だ。」 福音朗読ルカ 11・14−23ルカによる福音 〔そのとき、〕イエスは悪霊を追い出しておられたが、それは口を利けなくする悪霊であった。悪霊が出て行くと、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆した。しかし、中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者や、イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「内輪で争えば、どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立って行くだろうか。わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。強い人が武装して自分の屋敷を守っているときには、その持ち物は安全である。しかし、もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具をすべて奪い取り、分捕り品を分配する。わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。」 【任意・3月23日 聖トゥリビオ(モングロベホ)司教】1538年頃、スペインに生まれる。サラマンカで法律学を学び、1580年にリマの司教となり南米に赴いた。使徒的な熱意に燃え、しばしば教区会議を開くことによって、教区民の信仰生活の刷新をはかった。教会の権能を擁護し、教区民を頻繁に訪れて人々の世話をし、インディオたちに対しても特別な配慮を示した。1606年に死去。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですオーソドックスとカトリック どのように違うのか歴史と多様性を知る / 及川信 【本】
2017.03.23
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3月23日の花言葉はミツバツツジで「節制」です。ミツバツツジ(三葉躑躅 Rhododendron dilatatum)はツツジ科ツツジ属の落葉低木。また、近縁のミツバツツジ類の総称でもある。 関東地方から近畿地方東部の太平洋側に分布し、主にやせた尾根や岩場、里山の雑木林などに生育する。他のミツバツツジ類の多くは雄しべが10本なのに対し、本種は5本であることが大きな特徴。古くから庭木としても植えられるが、盗掘の影響もあるせいか野生の個体数は決して多くない。ミツバツツジ類は、4-5月頃に咲く紅紫色の花が美しい。花が終わってから葉が出てくる。枝先に三枚の葉がつくことからこの名がついた。ミツバツツジの変種には、トサノミツバツツジ、ハヤトミツバツツジ、ヒダカミツバツツジなどがある。日本に自生するその他のミツバツツジ類には、トウゴクミツバツツジやサイコクミツバツツジ、コバノミツバツツジ、ダイセンミツバツツジ、ユキグニミツバツツジ、キヨスミミツバツツジなどがある。引用:Wikipedia
2017.03.23
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今回ご紹介するのは「変わり寿し処ふなおか」さん、北大路通から今宮神社への参道の鳥居の近くにあるお店です。まずは大将が特別に用意してくださったあて盛でヱビスビールを楽しみます。そして調子に乗って熱燗も頂きました!そして〆には「むし寿司」、もちろん熱燗もおかわりです。お店の床は水槽になっていて、雰囲気を楽しむことができますよ。店名:鮨割烹 変わりすし処 ふなおか ジャンル:寿司、割烹・小料理 TEL・予約:075-491-8866 住所:京都府京都市北区紫野西野町31 交通手段:北大路ターミナルよりバスで7分、(徒歩20分)舟岡公園前下車すぐ。今宮神社の鳥居前。(大徳寺西側今宮神社鳥居前)金閣寺より徒歩10分(バス停2つ目下車すぐ)北大路駅から1,531m営業時間:11:30~14:30 17:00~23:00定休日:月曜日(祝日の場合は営業)12月年末お正月は休まず営業して居りますサッポロ エビスビール 中瓶 1ケース(20本入り)【あす楽対応_関東】【あす楽対応_甲信越】【あす楽対応_北陸】【あす楽対応_東海】【あす楽対応_近畿】【あす楽対応_中国】【あす楽対応_四国】【あす楽対応_九州】
2017.03.22
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第一朗読申命記 4・1、5−9申命記 〔モーセは民に言った。〕イスラエルよ。今、わたしが教える掟と法を忠実に行いなさい。そうすればあなたたちは命を得、あなたたちの先祖の神、主が与えられる土地に入って、それを得ることができるであろう。 見よ、わたしがわたしの神、主から命じられたとおり、あなたたちに掟と法を教えたのは、あなたたちがこれから入って行って得る土地でそれを行うためである。あなたたちはそれを忠実に守りなさい。そうすれば、諸国の民にあなたたちの知恵と良識が示され、彼らがこれらすべての掟を聞くとき、「この大いなる国民は確かに知恵があり、賢明な民である」と言うであろう。いつ呼び求めても、近くにおられる我々の神、主のような神を持つ大いなる国民がどこにあるだろうか。またわたしが今日あなたたちに授けるこのすべての律法のように、正しい掟と法を持つ大いなる国民がどこにいるだろうか。 ただひたすら注意してあなた自身に十分気をつけ、目で見たことを忘れず、生涯心から離すことなく、子や孫たちにも語り伝えなさい。 福音朗読マタイ 5・17−19マタイによる福音 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですカトリックの信仰生活がわかる本/景山あき子【2500円以上送料無料】
2017.03.22
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3月22日の花言葉はバイモで「才能」です。バイモ属(バイモぞく、学名:Fritillaria、和名漢字表記:貝母属)はユリ科の属の一つ。特徴多年草。地下にある鱗茎は多数の鱗片からなるものと2個の鱗片からなるものとがある。葉は互生、対生または輪生し、まれに上方の葉の先が巻きひげ状になる。花は鐘状で茎先に1-数個つき、下向きに咲く。花被片は6個あり、長楕円形から卵形で、内面の基部に腺体がある。雄蕊は6個あり、花被片より短い。子房は上位で3室あり、各室に多数の胚珠があり、花柱は3裂するか裂けない。果実は蒴果で、胞背裂開し、種子には狭い翼がつく。分布北半球の温帯、主に中央アジアと地中海沿岸地方に分布し、約130種知られ[3]、日本には数種分布する。引用:Wikipedia
2017.03.22
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第一朗読ダニエル補遺・アザルヤ 2、11−20ダニエルの預言 〔その日、アザルヤは〕火の中で、口を開いて次のように祈った。 「〔主よ、〕あなたの御名のゆえに 我らを決して見捨てることなく、 あなたの契約を取り消さないでください。 あなたの愛されたアブラハムと あなたの僕イサクと あなたの聖なるイスラエルとに免じて、 あなたの憐れみを 我らから取り去らないでください。 あなたはこの先祖たちに、 子孫を天の星のように、 海辺の砂のように増やす、と言われました。 ところが、主よ、 我らはどの民よりも少なくなり、 我らの罪のゆえに、今日、全地で 卑しめられています。 今や、高官も預言者も指導者もなく、 焼き尽くす献げ物もいけにえも 供え物も香もなく、 憐れみを得るために 献げ物を御前に供える所もありません。 ただ、砕かれた魂とへりくだる心をもつ我らを 受け入れてください。 焼き尽くす献げ物の羊と牛のように、 幾万の肥えた小羊のように、 今日の我らのいけにえが、 御前に受け入れられますように。 あなたに従う我らの歩みを全うさせてください。 あなたに信頼する者は辱められないからです。 今や、我々は心からあなたに従い、 あなたを畏れ、御顔を求めます。 我らを辱めず、 むしろ、寛容と豊かな憐れみをもって 我らに臨んでください。 驚くべき御業をもって、我らを救い、 主よ、御名の栄光を輝かせてください。」 福音朗読マタイ 18・21−35マタイによる福音 そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですマリア・クロス 現代カトリック系作家の想像力作用のパターン
2017.03.21
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諸芸に秀でて気立ても良く美貌であったという江戸初期の名妓・二代目吉野太夫を偲んで行われます。太夫は信仰心も篤く、常照寺には寄進した朱塗りの山門が残ります。鷹峯交差点付近から常照寺までを、現在の島原の太夫がかむろや男衆を従え、豪華な打掛姿で内八文字を踏みながら太夫道中を披露、吉野太夫の墓に詣でます。境内では太夫による野点茶会も催され、舞や胡弓など諸芸能が奉納されます。日程:2017年4月9日(日)9:00~15:00 料金:入門券5,000円(当日5,500円) 場所:常照寺
2017.03.21
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3月21日の花言葉はハナノキで「信仰」です。ハナノキ(花の木、学名 Acer pycnanthum)はカエデ科カエデ属の落葉高木。カエデの仲間である。ハナカエデとも言う。カエデ科は、新しいAPG植物分類体系ではムクロジ科に含められている。特徴樹高は30mに達する。雌雄異株。冬芽は5-7対の鱗片が瓦重ね状に並び、濃紅色になる。花期は4月で、葉が展開する前に赤い花を咲かせる。これが名前の由来となっている。花序は前年枝の葉腋に4-10個束状につく。雄花の花柄は長さ5-6mmになり上向き、花弁は0-5個、萼片は5個、雄蕊は5-6本あり、葯は黒紫色になる。雌花の花柄は長さ1-1.5cmになり垂れ下がり、花弁は4-5個、花柱の長さ4-4.5mm、退化雄蕊が5-6本ある。果期は6月。果柄は6-7cm。<br> 果実は翼果で、分果の長さは2.5cmになり、翼果は直角から鋭角に開く。葉は対生する。葉身は長さ2.5-8cm、幅2-10cmの広卵形で、掌状の3脈があり、ふつう先が浅く3裂するが、ときに無裂のものもある。縁は重鋸歯になり、葉先は鋭くとがり、基部は浅心形から広いくさび形、裏面はふつう粉白色になる。葉柄は葉身の0.5-1.3倍ほどになり、長さ1.5-8cmになる。秋には鮮やかに葉が紅葉または黄葉する。分布と生育環境日本の固有種で、長野県南部・岐阜県南部・愛知県北東部の3県県境のおもに木曽川流域の山間湿地に自生し、長野県大町市の居谷里湿原に隔離分布する[1][3]。自生地は山間の川岸や湿原などの湿地[2]。滋賀県の国の天然記念物に指定されているものは、自生地から移植されたものと考えられている[3]。最近では街路樹や公園などに植栽されていることも多い。自生地などが国の天然記念物に指定されている他、愛知県の県木ともなっている。環境省のレッドリストでは絶滅危惧II類に選定されている。近江国、美濃国、尾張国などではこれを栽培するものもあったが、自生種は飯沼慾斎「草木図説」、伊藤圭介「日本産物志」に、美濃、信濃国の山中にあることが記されているだけであった。久しく知られることなく、明治末年、岐阜県恵那郡坂本村(現・中津川市)に自生していることが発見され、その後県内で自生しているのを発見された。岐阜県中津川市坂下(椛の湖の北岸の湿地帯)や滋賀県愛知郡湖東町(現・東近江市)南花沢のものが有名である。引用:Wikipedia
2017.03.21
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今回ご紹介するのは青木一矩、合戦時は越前北ノ庄21万石でした。合戦時大谷吉継ら北陸の諸将と共に西軍に味方したが、病床にあって出陣は叶わず、東軍の前田利長の抑えとして北国口に留まった。合戦後関ヶ原本戦で西軍が敗戦した後、前田利長の軍勢が越前に侵攻して鳴鹿川(竹田川)を渡って北ノ庄に迫ったが、この時、すでに一矩は死の淵にあり、10月10日(6日とも)に病死した。法名は西江院傑山長英居士。一族のその後前田利長は、隣国のよしみからこれを哀れみ、土方雄久を仲介として嫡男[注釈 3]俊矩(越前金剛院城主2万石)に降伏するように説得し、利長は俊矩を連れて大津の徳川家康の本陣に赴いて、拝謁を取りはからったが、許されず、青木家はすべて改易となった。その一族は関ヶ原の戦いの際に西軍に与したため戦後改易となった。大坂城落城の後には系譜絶え、商家に転じた。秀吉の従兄弟にあたる一矩が西軍に組したのは当然と考える。病床の身上に戦に参加できなかったのは残念であったことでしょう。青木氏本姓:武蔵七党丹党後裔、藤原氏魚名流 種別:武家、華族(子爵) 出身地:武蔵国入間郡青木 主な根拠地:武蔵国入間郡青木、摂津国豊嶋郡 引用:WikipediaCGで大解剖!激突関ケ原の戦い [ 成瀬京司 ]
2017.03.20
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3月20日の花言葉はスミレで「誠実・真実の愛」です。スミレ(菫)は、スミレ科スミレ属の植物の総称であるが、狭義には、Viola mandshurica という種の和名である。特徴種名としてのスミレ(Viola mandshurica)は、道ばたで春に花を咲かせる野草である。深い紫(菫色)の花を咲かせる。地下茎は太くて短く、多数の葉を根出状に出す。葉は根際から出て、少し長めの葉柄があって、少しやじり形っぽい先の丸い葉をつける。花は独特の形で、ラッパのような形の花を横向きかやや斜め下向きにつける。5枚の花びらは大きさが同じでなく、下側の1枚が大きいので、花の形は左右対称になる。ラッパの管に当たるのは大きい花弁の奥が隆起したもので距(きょ)という。花茎は根際から出て、やや立ち上がり、てっぺんで下を向いて花のラッパの管の中程に上側から着く。平地に普通で、山間部の道ばたから都会まで、都会ではコンクリートのひび割れ等からも顔を出す。山菜としても利用されている。葉は天ぷらにしたり、茹でておひたしや和え物になり、花の部分は酢の物や吸い物の椀ダネにする。ただし他のスミレ科植物、例えばパンジーやニオイスミレなど有毒なものがあるため注意が必要である。分布北海道から屋久島までの日本列島に広く見られる。国外では朝鮮、中国からウスリーに及ぶ。毒性毒成分: ビオリン、サポニン、ビオラルチン、グリコサイド毒部位: 種子、根茎毒症状: 嘔吐、神経麻痺、心臓麻痺由来等「スミレ」の名はその花の形状が墨入れ(墨壺)を思わせることによる、という説を牧野富太郎が唱え、牧野の著名さもあって広く一般に流布しているが、定説とは言えない。学名の種小名 mandshurica は「満州の」という意味である。和名である「スミレ」は、このままだと属名や科名、さらには目名と紛らわしいので、スミレ愛好家は特に本種を指す場合、この名に由来するマンジュリカで呼ぶことがある。引用:Wikipedia
2017.03.20
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六角堂の名称で親しまれ、約1400年の歴史を誇るいけばな発祥の地・紫雲山頂法寺は「夜の特別拝観」が開催されます。灯籠の灯りを受けたいけばな作品が、うららかな春の京都に彩りを添えます。今回は2017年6月3日(土)より公開される映画『花戦さ』の世界観を表現する「花の力」をテーマとし、格式あるいけばな作品で六角堂を荘厳な雰囲気で包み込みます。また、隣接する池坊会館では「春のいけばな展」も開催しており、全国より終結した華道家の作品約1,000点をご堪能いただけます。<春のいけばな展>2017年4月7日(金)~10日(月)10:00~18:00(8日は~17:00、10日は~16:00)/ 500円日程:2017年4月7日(金)~10日(月)18:00~21:00 料金:無料 ※4月7日(金)と9日(日)は夜間限定の屋内展示あり(300円要) 場所:六角堂[頂法寺]
2017.03.20
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第一朗読サムエル下 7・4−5a、12−14a、16サムエル記 その夜、ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。 「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。 あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」 第二朗読ローマ 4・13、16−18、22使徒パウロのローマの教会への手紙 〔皆さん、〕神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は、律法に基づいてではなく、信仰による義に基づいてなされたのです。従って、信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです。恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、単に律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。彼はわたしたちすべての父です。「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあるとおりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。だからまた、それが彼の義と認められたわけです。 福音朗読マタイ 1・16、18−21、24aマタイによる福音 ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり〔にした。〕 福音朗読ルカ 2・41-51aルカによる福音 〔イエスの〕両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。 3月19日にヨセフの記念を行う習慣は、10世紀の西方教会の教会暦に見られる。処女マリアの夫ヨセフは、聖家族の長としてイエスを守る務めをゆだねられていた。教会は、ナザレの聖家族の保護者であったヨセフを、キリストのからだである教会の保護者として崇敬している。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です「図説」ローマ・カトリック教会の歴史 [ エドワード・ノーマン ]
2017.03.20
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3月19日の花言葉はシダレザクラで「優美」です。シダレザクラ(枝垂桜、学名:Cerasus spachiana f. spachiana(Synonym:Prunus pendula Maxim., 1884)とは、枝がやわらかく枝垂れる桜の総称。エドヒガンの系統が多く、品種もさまざまである。ヤエベニシダレやベニシダレなどが有名。キヨスミシダレのような品種もある。開花時期は3月下旬~4月にかけてである(ソメイヨシノより1週間程度早い)。枝が長くその名の通りにしだれている。京都府の府花に指定されている。引用:Wikipedia
2017.03.19
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今回ご紹介するのは近鉄京都線大久保の「ほっとけや近鉄大久保駅前店」さんです。最近開店されたお店です。まずはのどぐろの干物で1杯、お酒は北山の郷です。そしてもちろんタン焼きでさらに一杯本格炭火焼きで美味しいですよ!店名:ほっとけや 近鉄大久保駅前店電話番号・FAX:050-3461-1578住所:〒611-0031 京都府宇治市広野町西裏87 アクセス:近鉄京都線 大久保駅 徒歩2分 、JR奈良線 新田駅 徒歩6分 初日の出 純米酒 北山の郷 720ml【京都府】羽田酒造(有)【京都の酒 日本酒 清酒 京都の地酒】
2017.03.19
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第一朗読出エジプト 17・3−7出エジプト記 〔その日、〕民は喉が渇いてしかたないので、モーセに向かって不平を述べた。 「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも渇きで殺すためなのか。」 モーセは主に、「わたしはこの民をどうすればよいのですか。彼らは今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」と叫ぶと、主はモーセに言われた。 「イスラエルの長老数名を伴い、民の前を進め。また、ナイル川を打った杖を持って行くがよい。見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる。」 モーセは、イスラエルの長老たちの目の前でそのとおりにした。彼は、その場所をマサ(試し)とメリバ(争い)と名付けた。イスラエルの人々が、「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」と言って、モーセと争い、主を試したからである。 第二朗読ローマ 5・1−2、5−8使徒パウロのローマの教会への手紙 〔皆さん、〕わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。 福音朗読ヨハネ 4・5−42 または 4・5−15、19b−26、39a、40−42ヨハネによる福音 〔そのとき、イエスは、〕ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。 サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」 ≪イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」女は言った。「主よ、」≫「あなたは預言者だとお見受けします。わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」 ≪ちょうどそのとき、弟子たちが帰って来て、イエスが女の人と話をしておられるのに驚いた。しかし、「何か御用ですか」とか、「何をこの人と話しておられるのですか」と言う者はいなかった。女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」人々は町を出て、イエスのもとへやって来た。 その間に、弟子たちが「ラビ、食事をどうぞ」と勧めると、イエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。弟子たちは、「だれかが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言った。イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。そこで、『一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる』ということわざのとおりになる。あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。」≫ さて、その町の多くのサマリア人は、 ≪「この方が、わたしの行ったことをすべて言い当てました」と証言した女の言葉によって、≫イエスを信じた。そこで、このサマリア人たちはイエスのもとにやって来て、自分たちのところにとどまるようにと頼んだ。イエスは、二日間そこに滞在された。そして、更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。彼らは女に言った。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですユスト高山右近 いま、降りていく人へ/日本カトリック司教協議会列聖列福特別委員会/古巣馨【2500円以上送料無料】
2017.03.19
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1200年の歴史を誇る大覚寺は、真言宗大覚寺派の本山で明治時代初頭まで天皇、皇統が出家されて住職を務めた門跡寺院です。また、いけばな発祥の花の寺として「嵯峨御流」の総司所(家元)でもあります。嵯峨天皇が嵯峨院に造営したときに作った日本最古の庭池「大沢池」の菊ヶ島に咲く野菊を手折り、器にいけ「後世、花を賞づるもの、宜しく之をもって範とすべし」と述べられたのが始まり。年に一度開催される華道祭では、いけばな展示のほか、大沢池「龍頭鷁首舟」、献華式、お茶席、各種法会などが行われます。日程:2017年4月7日(金)~9日(日)10:00~16:00(最終日は15:00終了) 料金:500円(拝観料含む) 場所:旧嵯峨御所 大本山 大覚寺
2017.03.18
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第一朗読ミカ 7・14−15、18−20ミカの預言〔主よ、〕あなたの杖をもって御自分の民を牧してくださいあなたの嗣業である羊の群れを。彼らが豊かな牧場の森にただひとり守られて住み遠い昔のように、バシャンとギレアドで草をはむことができるように。お前がエジプトの地を出たときのように彼らに驚くべき業をわたしは示す。あなたのような神がほかにあろうか咎を除き、罪を赦される神が。神は御自分の嗣業の民の残りの者にいつまでも怒りを保たれることはない神は慈しみを喜ばれるゆえに。主は再び我らを憐れみ我らの咎を抑えすべての罪を海の深みに投げ込まれる。どうか、ヤコブにまことをアブラハムに慈しみを示してくださいその昔、我らの父祖にお誓いになったように。 福音朗読ルカ 15・1−3、11−32ルカによる福音 〔そのとき、〕徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。そこで、イエスは次のたとえを話された。 「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」 【任意・3月18日 聖チリロ(エルサレム)司教教会博士】315年にキリスト者の両親の間に生まれ、348年、マクシモの後任としてエルサレム教会の司教となる。アレイオス派との論争に参加し、アレイオス派を支持する皇帝によって何度か追放された。正しい教義、聖書、そして伝統的な信仰について説くその説教は、司牧者としての熱意を物語っている。386年に死去。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です「図説」ローマ・カトリック教会の歴史 [ エドワード・ノーマン ]
2017.03.18
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3月18日の花言葉はイワウチワで「春の使者」です。イワウチワ(岩団扇、学名:Shortia uniflora)は、イワウメ科イワウチワ属の多年草。特徴葉の長さと幅は2.5-7 cmで、円形で端は小さな鋸形状。葉の基部が深く心形となる。葉腋から花茎が伸び、1輪の薄紅色の花を付ける。花弁は直径3 cm程で、5つに裂け、5個の雄しべがある。花弁はやがて、花茎から分離して落下する。開花時期は4-5月。和名は葉の形状が団扇に似た形状であることに由来する。花言葉は「春の使者・適応力」。分布と生育環境本州の中国地方以北の山地帯の林内や林縁に分布し、雪解け後に広葉樹林帯などで見られる。日本の固有種。基準標本は、岩手県のもの。富山県宇奈月町の町の花のひとつ。田中澄江の著者『花の百名山』で、大岳山を代表する花として紹介された。また『新・花の百名山』で雲取山を代表する花としても紹介された。山野草として苗が販売されている。引用:Wikipedia
2017.03.18
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今年で29回目を迎える京都の春の風物詩。平安神宮の東神苑と南神苑の紅しだれ桜を特別にライトアップし、東神苑の貴賓館をステージにした幻想的でやさしさに満ちたコンサートが行われます。艶やかな夜桜のもと、ライトアップされた神苑を散策しながら、美しい音楽の音色をお楽しみいただけます。※会場に客席はありません。庭園を回遊しながら演奏をお楽しみください。日程:2017年4月6日(木)~9日(日)18:15~21:00(最終入場20:30 雨天決行)お問合せ:075-241-6170(『平安神宮紅しだれコンサート』事務局 平日10:00~17:00) 料金:当日券2,000円、前売券1,700円(前売券は入場日指定)※3月1日(水)より発売予定 場所:平安神宮
2017.03.17
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第一朗読イザヤ 9・1-6イザヤの預言闇の中を歩む民は、大いなる光を見死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように戦利品を分け合って楽しむように。彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭をあなたはミディアンの日のように折ってくださった。地を踏み鳴らした兵士の靴血にまみれた軍服はことごとく火に投げ込まれ、焼き尽くされた。ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神永遠の父、平和の君」と唱えられる。ダビデの王座とその王国に権威は増し平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。 第一朗読エフェソ 1・3-6、11-12使徒パウロのエフェソの教会への手紙 わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。 福音朗読ヨハネ 19・25-27ヨハネによる福音 〔そのとき、〕イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。 キリスト教への迫害が少し緩やかになった1865年のこの日、十数名の男女が、建てられて間もない大浦天主堂を訪れ、プチジャン神父に「わたしたちは皆、あなたと同じ心です」と、キリスト教の信仰をもっていることを告げた。彼らは、200年以上にも及ぶキリスト教への厳しい弾圧を、不屈の信仰をもって耐え忍んできた人々の子孫である。この日の名称は2015年から「日本の信徒発見の聖母」に変わり、日本固有の祝日として祝うことになった。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)【任意・3月17日 聖パトリック司教】385年頃、英国に生まれる。若い頃に奴隷として捕らえられてアイルランドに連れ去られ、羊飼いの仕事をさせられた。自由の身になると聖職者になり、やがてアイルランドの司教に叙階されて人々に熱心に福音を宣べ伝え、多くの者をキリスト教へ導いた。またアイルランド教会の組織を作った。461年にダウン市近郊で死去。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)3月17日の典礼について 過去に任意の記念日として典礼暦に記載されてきた「長崎の信徒発見記念日」は、2015年より日本固有の祝日「日本の信徒発見の聖母」として祝われるようになりました。これは、1865年に長崎で信徒が発見されてから150周年の節目を迎える2015年を機に、日本固有の祝日として祝えるよう認証されたためです。 なお、同じ日に祝う「聖パトリック司教」は、従来どおり任意の記念日として記載されています。聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですカトリックとプロテスタント どこが同じで、どこが違うか / 徳善義和 【本】
2017.03.17
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3月17日の花言葉はクサボケで「一目ぼれ」です。クサボケ(草木瓜、学名: Chaenomeles japonica、英: Japanese quince)は、バラ科ボケ属の一つ。50cmほど。実や枝も小振り。本州や四国の日当たりの良い斜面などに分布。シドミ、ジナシとも呼ばれる。花は朱赤色だが、白い花のものを白花草ボケと呼ぶ場合もある。果実はボケやカリン同様に良い香りを放ち、果実酒の材料として人気がある。減少傾向にある。引用:Wikipedia
2017.03.17
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祭神・和気清麻呂の危機を救った猪の狛犬があることで有名な神社。4月4日は清麻呂の命日。道鏡が偽の神託によって皇位を奪おうとした際、清麻呂が宇佐八幡宮に赴き、真の神託を受け道鏡の企みを阻止したことにちなんでいます。11:00からの本殿の儀では舞楽が奉納され(非公開)、12:00から宇佐神託奏上の儀として京都御所・建礼門まで行列が行われます。日程:2017年4月4日(火)11:00~ 料金:無料 場所:護王神社
2017.03.16
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第一朗読エレミヤ 17・5−10エレミヤの預言主はこう言われる。呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとしその心が主を離れ去っている人は。彼は荒れ地の裸の木。恵みの雨を見ることなく人の住めない不毛の地炎暑の荒れ野を住まいとする。祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。彼は水のほとりに植えられた木。水路のほとりに根を張り暑さが襲うのを見ることなくその葉は青々としている。干ばつの年にも憂いがなく実を結ぶことをやめない。人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。心を探り、そのはらわたを究めるのは主なるわたしである。それぞれの道、業の結ぶ実に従って報いる。 福音朗読ルカ 16・19−31ルカによる福音 〔そのとき、イエスはファリサイ派の人々に言われた。〕「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですカトリックとプロテスタント [ 徳善義和 ]
2017.03.16
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