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第一朗読ローマ 10・9−18使徒パウロのローマの教会への手紙 〔皆さん、〕口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われ〔ます。〕実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。 ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」と言っています。実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。それでは、尋ねよう。彼らは聞いたことがなかったのだろうか。もちろん聞いたのです。 「その声は全地に響き渡り、 その言葉は世界の果てにまで及ぶ」のです。 福音朗読マタイ 4・18−22マタイによる福音 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。 ガリラヤのベトサイダの出身。初め洗礼者ヨハネの弟子であったが、後にキリストに従い、ペトロをキリストのもとに連れて行った(ヨハネ 1・40−42)。イエスにお目にかかりたいと申し出たギリシャ人の願いを、フィリポとともにイエスに取り次ぎ(同 12・22)、また、イエスが5千人に食べ物を与えた奇跡の前には、わずかなパンと魚を持っている少年がそこにいることをイエスに告げた(同 6・8−9)。聖霊降臨の後、多くの地方に福音を宣教し、ギリシャ南部のアカイアで十字架につけられたと伝えられている。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です堅信への旅(リーダーの手引き) [ カトリック横浜司教区 ]
2017.11.30
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11月30日の花言葉はハナカタバミで「決してあなたを捨てない」です。カタバミ属(カタバミぞく、学名: Oxalis)はカタバミ科に含まれる植物の一群である。花の美しいものは園芸用に栽培され、多くは学名カナ読みでオキザリスと呼ばれる。特徴カタバミ属は小柄な一年草、あるいは多年草である。地下に鱗茎か根茎を持ち、地上には茎を伸ばす場合もあるが、ほとんど伸ばさないものもある。葉は三出複葉、四出、あるいは奇数羽状複葉のものもあるが、日本産のものはすべて三出複葉で、しかも頂小葉と側小葉の区別がほとんどつかないようになっている。この葉は夜間に閉じる。花は葉腋から一つ出るか、柄の先に集散花序として出る。花弁は5、雄蘂は10。雌蘂は五室で、果実になるとそれぞれの部屋の背面が裂けてそこから種子を飛ばす(蒴果)。分布南アメリカやアフリカ等、熱帯を中心に850種ほどが知られる。日本でカタバミ科はカタバミ属のみ分布する。日本産の種は帰化種が多い。引用:Wikipedia
2017.11.30
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大晦日の夜に鐘の音を聞くことで、一年間の煩悩を払いのけ、清らかな心で新年を迎える除夜の鐘。知恩院では22:40ごろから108回の鐘が撞かれます。寛永13年(1636)に鋳造された銅鐘は、日本三大梵鐘ともいわれ、総勢17人の僧侶が、「えーいひとつ」「そーれ」と声を掛け合って打ち鳴らすと、余韻を引く厳かな音色が辺り一帯を震わせます。一般参拝者は鐘を撞くことは出来ませんのでご注意ください。日程:2017年12月31日(日)料金:無料 場所:知恩院
2017.11.30
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11月29日の花言葉はキチジョウソウで「祝福」です。キチジョウソウ(吉祥草、学名:Reineckea carnea)はスズラン亜科の常緑多年草。日本国内では関東から九州、また中国の林内に自生し、栽培されることもある。地下茎が長くのびて広がり、細長い葉が根元から出る。花は秋に咲く。ヤブランにやや似た穂状花序で茎は紫色、花は白い花被が基部で合生し筒状となっている。果実は赤紫色の液果。家に植えておいて花が咲くと縁起がよいといわれるので、吉祥草の名がある。引用:Wikipedia
2017.11.29
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大晦日に八坂神社に参詣して境内にある“をけら灯籠”から吉兆縄に火を移し、火が消えないように縄を短く持ってくるくる回しながら帰ります。マッチもなかった時代、火はおきびにして使っていました。火も長く使い続けると穢れるといわれ、疫病除けに効験のある八坂神社の新しい火で、雑煮を炊き、一年の無病息災を祈るという意味も込められています。日程:2017年12月31日(日)をけら火授与は19:30~翌5:00頃迄 料金:無料 場所:八坂神社
2017.11.29
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第一朗読ダニエル 5・1−6、13−14、16−17、23−28ダニエルの預言 〔その日、〕ベルシャツァル王は千人の貴族を招いて大宴会を開き、みんなで酒を飲んでいた。宴も進んだころ、ベルシャツァルは、その父ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から奪って来た金銀の祭具を持って来るように命じた。王や貴族、後宮の女たちがそれで酒を飲もうというのである。そこで、エルサレムの神殿から奪って来た金銀の祭具が運び込まれ、王や貴族、後宮の女たちがそれで酒を飲み始めた。こうして酒を飲みながら、彼らは金や銀、青銅、鉄、木や石などで造った神々をほめたたえた。 その時、人の手の指が現れて、ともし火に照らされている王宮の白い壁に文字を書き始めた。王は書き進むその手先を見た。王は恐怖にかられて顔色が変わり、腰が抜け、膝が震えた。 そこで、ダニエルが王の前に召し出された。王は彼に言った。「父王がユダから捕らえ帰ったユダヤ人の捕囚の一人、ダニエルというのはお前か。聞くところによると、お前は神々の霊を宿していて、すばらしい才能と特別な知恵を持っているそうだ。お前はいろいろと解釈をしたり難問を解いたりする力を持つと聞いた。もしこの文字を読み、その意味を説明してくれたなら、お前に紫の衣を着せ、金の鎖を首にかけて、王国を治める者のうち第三の位を与えよう。」 ダニエルは王に答えた。「贈り物など不要でございます。報酬はだれか他の者にお与えください。しかし、王様のためにその文字を読み、解釈をいたしましょう。〔王様、あなたは〕天の主に逆らって、その神殿の祭具を持ち出させ、あなた御自身も、貴族も、後宮の女たちも皆、それで飲みながら、金や銀、青銅、鉄、木や石で造った神々、見ることも聞くこともできず、何も知らないその神々を、ほめたたえておられます。だが、あなたの命と行動の一切を手中に握っておられる神を畏れ敬おうとはなさらない。そのために神は、あの手を遣わして文字を書かせたのです。さて、書かれた文字はこうです。メネ、メネ、テケル、そして、パルシン。意味はこうです。メネは数えるということで、すなわち、神はあなたの治世を数えて、それを終わらせられたのです。テケルは量を計ることで、すなわち、あなたは秤にかけられ、不足と見られました。パルシンは分けるということで、すなわち、あなたの王国は二分されて、メディアとペルシアに与えられるのです。」 福音朗読ルカ 21・12−19ルカによる福音 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証しをする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です毎日の読書 第3巻 「教会の祈り」読書 / カトリック中央協議会 【全集・双書】
2017.11.29
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第一朗読ダニエル 2・31−45ダニエルの預言 〔その日、ダニエルはネブカドネツァル王に言った。〕「王様、あなたは一つの像を御覧になりました。それは巨大で、異常に輝き、あなたの前に立ち、見るも恐ろしいものでした。それは頭が純金、胸と腕が銀、腹と腿が青銅、すねが鉄、足は一部が鉄、一部が陶土でできていました。見ておられると、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と陶土の足を打ち砕きました。鉄も陶土も、青銅も銀も金も共に砕け、夏の打穀場のもみ殻のようになり、風に吹き払われ、跡形もなくなりました。その像を打った石は大きな山となり、全地に広がったのです。これが王様の御覧になった夢です。さて、その解釈をいたしましょう。 王様、あなたはすべての王の王です。天の神はあなたに、国と権威と威力と威光を授け、人間も野の獣も空の鳥も、どこに住んでいようとみなあなたの手にゆだね、このすべてを治めさせられました。すなわち、あなたがその金の頭なのです。あなたのあとに他の国が興りますが、これはあなたに劣るもの。その次に興る第三の国は青銅で、全地を支配します。第四の国は鉄のように強い。鉄はすべてを打ち砕きますが、あらゆるものを破壊する鉄のように、この国は破壊を重ねます。足と足指は一部が陶工の用いる陶土、一部が鉄であるのを御覧になりましたが、そのようにこの国は分裂しています。鉄が柔らかい陶土と混じっているのを御覧になったように、この国には鉄の強さもあります。足指は一部が鉄、一部が陶土です。すなわち、この国には強い部分もあれば、もろい部分もあるのです。また、鉄が柔らかい陶土と混じり合っているのを御覧になったように、人々は婚姻によって混じり合います。しかし、鉄が陶土と溶け合うことがないように、ひとつになることはありません。この王たちの時代に、天の神は一つの国を興されます。この国は永遠に滅びることなく、その主権は他の民の手に渡ることなく、すべての国を打ち滅ぼし、永遠に続きます。山から人手によらず切り出された石が、鉄、青銅、陶土、銀、金を打つのを御覧になりましたが、それによって、偉大な神は引き続き起こることを王様にお知らせになったのです。この夢は確かであり、解釈もまちがいございません。」 福音朗読ルカ 21・5−11ルカによる福音 〔そのとき、〕ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」 そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】福音み〜つけた! 「宗教」「倫理」を考えるために 高校編 日本カトリック教育学会/編
2017.11.28
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元離宮二条城は、慶長8年(1603)、徳川家康が造営した城で、徳川慶喜による大政奉還発表の舞台としても知られています。通常は休城期間ですが、特別に庭園が公開されます(二の丸御殿内は非公開)。城内には、琴の音色が響き、庭園観賞や雅やかな雰囲気が漂う城内を散策できます。また築城400年記念展示・収蔵館では第4期展示事業「湖畔の眺望~<白書院>の水墨山水画~」(100円)が開催されます。日程:2017年12月26日(火)~28日(木)、2018年1月1日(月・祝)~4日(木)(予定)10:00~16:00(受付終了15:00)(予定) 料金:400円(予定) 場所:二条城
2017.11.28
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11月28日の花言葉はキチジョウソウで「祝福」です。キチジョウソウ(吉祥草、学名:Reineckea carnea)はスズラン亜科の常緑多年草。日本国内では関東から九州、また中国の林内に自生し、栽培されることもある。地下茎が長くのびて広がり、細長い葉が根元から出る。花は秋に咲く。ヤブランにやや似た穂状花序で茎は紫色、花は白い花被が基部で合生し筒状となっている。果実は赤紫色の液果。家に植えておいて花が咲くと縁起がよいといわれるので、吉祥草の名がある。引用:Wikipedia
2017.11.28
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11月27日の花言葉はアゼトウナで「変わらぬ愛」です。アゼトウナ(畔唐菜、畔冬菜、学名:Crepidiastrum keiskeanum)は、キク科アゼトウナ属の多年草。種小名は植物学者伊藤圭介への献名。分布伊豆半島から西の太平洋岸に分布する。特徴冬場でも比較的暖かい海岸の岩場に生える。岩の隙間に根を下ろし、太く短い茎はその表面を少し這って株を作る。葉は茎の先端にロゼット状につき、倒卵形でやや肉質であり、ふちが浅くギザギザになっている。側枝を出して立ち上がり、高さは10cmほどになる。花期は8-12月で直径1.5cmほどの黄色い花を枝先に咲かせる。琉球列島の海岸にはよく似たホソバワダン (C. lanceolatum (Hputtuyn) Nakai) が生える。花が一回り小さく、根出葉がよく発達する。引用:Wikipedia
2017.11.27
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浄土宗総本山知恩院で行われる御身拭式(おみぬぐいしき)は、300年余の歴史を持つ伝統行事です。浄土宗の開祖、法然上人の御影像を門跡が香染めの羽二重で拭うことで、知らず知らずのうちにたまった心の中の罪を除き、清らかな心で新年を迎える法要です。日程:2017年12月25日(月)13:00~ 料金:無料 場所:知恩院
2017.11.27
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第一朗読エゼキエル 34・11−12、15−17エゼキエルの預言 まことに、主なる神はこう言われる。見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、と主なる神は言われる。わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは公平をもって彼らを養う。 お前たち、わたしの群れよ。主なる神はこう言われる。わたしは羊と羊、雄羊と雄山羊との間を裁く。 第二朗読一コリント 15・20−26、28使徒パウロのコリントの教会への手紙 〔皆さん、〕キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、次いで、世の終わりが来ます。そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。キリストはすべての敵を御自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっているからです。最後の敵として、死が滅ぼされます。すべてが御子に服従するとき、御子自身も、すべてを御自分に服従させてくださった方に服従されます。神がすべてにおいてすべてとなられるためです。 福音朗読マタイ 25・31−46マタイによる福音 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』 それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】カトリックの信仰生活がわかる本 景山あき子/ほか共著
2017.11.26
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北野天満宮の御祭神である菅原道真が6月25日に生まれ、2月25日に亡くなられた御縁により、毎月25日が御縁日(天神さんの日)となっています。12月25日の終い天神は、京都の冬を締めくくる風物詩として定着し、全国から多くの人が訪れます。露店も通常の縁日以上に並び、迎春準備のための祝箸、注連縄飾り、葉ぼたんなども売られ迎春ムード一色に染まります。日程:2017年12月25日(月)料金:無料 場所:北野天満宮
2017.11.26
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11月26日の花言葉はサフランで「愛への誘い」です。サフラン(Crocus sativus、英: saffron crocus(植物)、英: saffron(香辛料)、仏: safran)は、 西南アジア原産[3][4]で、最初に栽培されたのがギリシアとされる[5]、アヤメ科の多年草およびそのめしべを乾燥させた香辛料をさす。地中海の島で発掘された壁画によると、青銅器時代から栽培されたと考えられる。歴史サフランの語源には諸説ある。12世紀の古フランス語 safran からたどると、ラテン語 safranum、さらにペルシャ語 「ザアファラーン」(zaʻfarān زَعْفَرَان)、あるいはさらに古い言葉 zar-parān (زرپران) へとさかのぼる可能性もあるという。アラビア語 az-za'faran (زعفران) が語源という指摘もあるが確認されていない[15]。 サフラン栽培は3000年以上前から記録に残り[16]、おそらく原種の Crocus cartwrightianus から雄蕊が長いものを選別した変異体 C. sativus が青銅時代に確立して以来、栽培が続いたものと考えられる[6]。調理に関わる記述にサフランの名が初めて現われたのは、いまから数千年前のペルシャ語の資料である。紀元前から世界各地でめしべを香辛料・染料・香料・薬用として利用している。古代ギリシアではサフランの黄色を珍重し、王族だけが使うことを許されるロイヤルカラーとされた時代もある。日本へは江戸時代に薬として伝わった。国内での栽培は、1886年(明治19年)、神奈川県大磯町(旧国府村)の添田辰五郎が病気の母親のため、球根の輸入と栽培を試みたのが始まり。1897年(明治30年)に内務省横浜衛生試験所の認定を受け、商品化・輸出されるようになった[18]。1903年(明治36年)には、辰五郎から球根を譲り受けた吉良文平によって大分県竹田市へ伝わり、同地は名産地になった。現在、日本国内の約8-9割が竹田市で生産されている。他の産地は宮城県塩竈市などである。栽培野生では見られないサフランの原種は、クレタ島に自生する Crocus cartwrightianus と考えられ、あるいは C. thomasii と C. pallasii 他が原種である可能性がある。サフランは三倍体つまり雄性決定要素による「自家不和合性」を示し、減数分裂異常により個別に有性生殖にいたらない。そのため根茎を分割して植えつけるなど品種改良の手法を経て栄養増殖する。C. sativus が C. cartwrightianus の変異型の場合は遺伝的改良によって、長い年月をかけて細長い柱頭のものが選択的に交配され、青銅器時代晩期のクレタ島に現われたと考えられる。サフラン (C. sativus) は8組、合計24組の染色体を持つ。花が種子をつけないことから人工的な繁殖を行い、根茎を掘りあげて分割、植えつける。根茎は1シーズンで枯れるまでに10個前後の小さな根茎に分かれ、次のシーズンに成長する。根茎は茶色の小球体で直径5 cm (2.0 in) ほどに成長し底面は平らで、繊維が平行に並んだ被膜に包まれる。また薄く網状の膜が約 5 cm に伸びて芽を取り巻く。高さ20–30cm (8–12in) に成長すると白い葉を5–11枚つけ、この鱗葉は光合成を行わない。この器官に包まれた芽が伸びて緑色の葉になり、薄く剣状で幅は1–3 mm。葉は開花後あるいは開花と同時に生長する。鱗葉は生長の早い段階によく潅水した場合に顕著であるとする説もある。茎から小包葉という特徴的な器官が発生し、これを小花梗と呼ぶ。春の休眠に続いて生長する葉は40 cm (16 in) まで伸びるものもある。秋には紫色の蕾が現われ、10月にほかの種が種を落とした後に咲かせる花の香りは甘く蜂蜜に似ており、色は薄紫から鮮やかな紫。また、開花時の丈は30 cm (12 in) にとどまる。花柱につく鮮やかな深紅の雄蕊は長さ25–30mm (0.98–1.2in)。サフラン(Crocus sativus)は地中海沿岸に見られる常緑の低木地帯、すなわち北米のカリフォルニア州などで見られる低木林チャパラルの生態系および同様に夏に暑く乾燥した風が吹き抜ける半乾燥地の気候で繁栄する。にもかかわらず、-10°C(14°F)という低温、短い期間の霜や積雪に耐え冬の寒さを乗り切ることができる[16]{{Sfn|Willard|2002|pp=2–3}。湿潤な環境ではなくカシミールなど年間平均降水量1,000-1,500mm(39-59in)の地域では灌漑が必要。年間500mm(20in)のギリシャ、400mm(16in)のスペインではサフランの主な栽培地域イランに比べるとはるかに乾燥している。栽培が可能かどうかは雨季の時期により、春の豊かな雨と夏の乾燥が最適。開花の直前に雨が降るとサフランの収穫が伸び、開花時の雨や寒さ、病気の蔓延は収量の低下に結びつく。作物に害を与える高温多湿に加え[26]、球茎を掘り起こすウサギ、ラットや鳥、あるいは線虫、錆病および球茎の腐敗も脅威である。枯草菌(YetBacillus subtilis)によって根茎の成長が促進すると柱頭のバイオマス収量を増加、栽培者に有益に働く場合がある。この植物の成長には日陰の条件は不利で、さんさんと陽光が降り注ぐと最適である。日光に向かって開けた傾斜地が最もよく(たとえば北半球では南傾斜地)、植栽の時期は北半球では主に6月。根茎を深さ7-15 cm (−3.1 in)に植えつけると10月から2月にかけて根、茎、葉が発育し、植える深さと間隔は気候とあいまって収量を左右する重要な要因である。親となる根茎を深く植えると品質の高いサフランを収穫できるものの、子の根茎と花芽の数は少ない。イタリアの生産者は収量を最大にするため、深さ2-3cmで間隔15 cm (5.9 in)に植栽。深さ8-10cmにすると花と根茎の成長に最適だという。ギリシャ、モロッコ、スペインの生産-者はそれぞれの条件に合わせて深さと間隔を決めている。有機物の含有量が多く水はけの良い粘土石灰質土壌を好み、もろくて保温性が高く粘度が低くてよく灌漑した土地に適しており、伝統的には揚床を採用して排水を促してきた。歴史的な手法では肥料を1ヘクタール当たり20-30 t (−22,000 lb)加えて土壌の有機物含有量を増やし、根茎の植栽後は肥料は与えない。夏の間は休眠、出芽は初秋で細い葉を伸ばすと花期は年に一度だけ秋の半ばに見られる。夜明けに開花した花はすぐに枯れ始めるため、収穫は必ず迅速に行わなければならないうえに、花期は1~2週間に集中する。利用めしべを乾燥させて、香辛料や生薬として用いる。乾燥の際には、風通しのよい室内で陰干しにする。1gのサフランを採るのに160個ほどの花が必要であり、収率が低いために貴重で、1gあたり500-1,000円程度と高価である。香辛料めしべは、独特の香りを持ち、水に溶かすと鮮やかな黄色を呈するため、南ヨーロッパ、南アジア北部、中央アジア、西アジア、北アフリカにかけて料理の色付けや風味付けのための香辛料として使用される。プロヴァンス地方の名物料理ブイヤベースやスペイン料理のパエリア、ミラノ風リゾット、モロッコ料理のクスクス、インド料理のサフランライスには欠かせない。トルコのサフランボルでは湯を注いで「サフラン・ティー」として飲まれている。生薬生薬としては番紅花(ばんこうか、蕃紅花とも書く)と呼ばれ、鎮静、鎮痛、通経作用がある(日本薬局方第二部に「サフラン」の名で収録)。中国では西紅花、藏紅花の名で生薬として流通している。動物実験では、サフランの黄色色素であるカロテノイドの一種「クロシン」の摂取が大腸がん予防に効果があるとする研究もある。安全性着色や風味付けなどの通常の用途で、食事から経口で摂取する量では安全とされている。しかし、以下の場合には注意が必要である。堕胎作用、子宮収縮作用、通経作用に注意が必要である。「授乳中の安全性については充分な情報がないため、避けたほうがよい」、「妊婦には禁忌である」との記述もみられる。大量摂取は危険と言われており、5g以上摂取すると重篤な副作用が出る。致死量は12-20gである。オリーブ属、オカヒジキ属、ドクムギ属の植物に過敏症がある人はアレルギー症状に注意が必要である。引用:Wikipedia
2017.11.26
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平安時代の初期に、奈良県の金剛山寺の別院として建立された矢田寺。秀吉によって寺町に移され、現在は賑やかな商店街に面しています。本尊に安置された地蔵菩薩立像は、地獄で亡者を救うと信仰され、「代受苦地蔵」とも。かぼちゃ供養は中風除けと諸病退散にご利益があるとされる行事で、先着1,000人の参拝者には無料で、甘く炊いたかぼちゃが振るまわれます。日程:2017年12月23日(土・祝)10:00~ 料金:無料 場所:矢田寺
2017.11.25
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11月25日の花言葉はカエデで「遠慮」です。カエデ(槭、槭樹、楓)とはムクロジ科(旧カエデ科)カエデ属 (Acer) の木の総称。モミジ(紅葉、椛)とも呼ばれるが、その場合は様々な樹木の紅葉を総称している場合もある。童謡などで愛でられるものはそれである。赤・黄・緑など様々な色合いを持つ為、童謡では色を錦と表現している。また、英語圏では一般にMaple(メイプル、メープル)と称する。特徴おおよそ128種存在し、その多くはアジアに自生している。他にヨーロッパ、北アフリカ、北アメリカに存在する。1種類(Acer laurinum)のみが南半球に存在する。日本のカエデとして代表されるのは、イロハモミジ (A. palmatum) である。福島県以南の山野に自生しているほか、古くから栽培も行われている。園芸種として複数の栽培品種があり、葉が緑色から赤に紅葉するものや最初から紫色に近い葉を持ったものもある。一般に高木になる。落葉樹が多く落葉広葉樹林の主要構成種であるが、沖縄に自生するクスノハカエデのように常緑樹もある。葉は対生し、葉の形は掌状に切れ込んだものが多く、カエデの和名もこれに由来する(下記#和名参照)。しかし、三出複葉(メグスリノキ)や単葉(ヒトツバカエデ、チドリノキ、クスノハカエデ)のものもある。花は風媒花で、花弁は目立たなく小さい。果実は、片翼の翼果が二つずつ(稀に三つのこともある)種子側で密着した姿でつく。脱落するときは空気の抵抗を受けて回転し、滞空時間を稼いで風に運ばれやすくなっている。引用:Wikipedia
2017.11.25
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第一朗読一マカバイ 6・1−13マカバイ記 アンティオコス王は、高地の国々を通過していたとき、豊富な金と銀で有名なエリマイスという町がペルシアにあることを耳にした。その町の神殿は、驚くほど富んでいて、金の兜、胸当て、武器などがあったが、それはマケドニア人の王、フィリポスの子アレキサンドロスが残していったものである。このアレキサンドロスはギリシア人を統治した最初の人物である。アンティオコスはその町の占領と略奪をもくろんで出陣したが、たくらみが事前に市民に漏れてしまったので、成功しなかった。人々が彼に戦いを挑もうと立ち上がったからである。彼は恐れをなし、心を残しつつも、途中からくびすを返しバビロンへ戻ろうとした。すると、ペルシアにいる彼のところに一人の男がやって来て、報告をもたらした。「ユダの地への派遣軍は敗走しました。リシアスは最強の軍隊を率いて進軍しましたが、撃退されてしまいました。ユダヤ軍は、撃破した部隊から奪い取った多数の武器、装備、戦利品で軍を強化し、王がエルサレムの祭壇にお建てになった『憎むべきもの』を引きずり下ろし、聖所を以前のように高い塀で囲み、王の町であったベトツルも同様に固めました。」 この言葉を聞いて、王は愕然として激しく震えだし、寝台に倒れ、心痛のあまり病気になってしまった。事が思うようにならなかったからである。激痛が繰り返し襲ったので、彼は何日もそこにとどまることを余儀なくされた。彼は死が迫っていることを悟った。彼は友人全員を呼び寄せて言った。「眠りはわたしの目を離れ、心労のため精も根も尽き果てた。わたしは自問した。『なぜこんなにひどい苦痛に遭わされ、大波にもまれなければならないのか。権力の座にあったときには、憐れみ深く、人々には愛されていたのに』と。しかし今、エルサレムで犯した数々の悪行が思い出される。わたしは不当にも、その町の金銀の調度品全部をかすめ、ユダの住民を一掃するため兵を送った。わたしには分かった。こうした不幸がわたしにふりかかったのは、このためなのだ。見よ、わたしは大きな苦痛を負って、異郷にあって死ぬばかりである。」 福音朗読ルカ 20・27−40ルカによる福音 〔そのとき、〕復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。次男、三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。最後にその女も死にました。すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」そこで、律法学者の中には、「先生、立派なお答えです」と言う者もいた。彼らは、もはや何もあえて尋ねようとはしなかった。 【任意・11月25日 聖カタリナ(アレキサンドリア)おとめ殉教者】アレキサンドリアのおとめであり殉教者であったと伝えられる。生来、鋭敏な洞察力と英知に満ち、強い精神を備えていた。遺体は、シナイ山の聖カタリナ修道院で熱心に崇敬されている。(カトリック中央協議会刊『毎日のミサ』2017年11月号 より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史 永田諒一/著
2017.11.25
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11月24日の花言葉はネリネで「幸せな思い出」です。ネリネ属 (Nerine) は、南アフリカ原産のヒガンバナ科(生物分類表に採用のクロンキスト体系ではユリ科)の属のひとつ。ネリネ属にはおよそ30種があり、栽培や交配などがなされており、現在では広く分布している。球根は直径3-5cm。冬の終わりから春にかけて紐の形をした長さ約20cm、太さ約1cmの鋭い葉が2枚現れる。葉は晩春に枯れ、球根も晩夏に休眠状態に入る。秋には長さ約30cmの茎から2-12輪の直径約4cmの漏斗状の花が咲く。全体的にアマリリスと比べ小さいが、特徴が良く似ている。似たような特徴を持つ植物としてリコリスが挙げられる。引用:Wikipedia
2017.11.24
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第一朗読一マカバイ 4・36−37、52−59マカバイ記 〔その日、〕ユダと兄弟たちは言った。「見よ、我らの敵は粉砕された。都に上り、聖所を清め、これを新たに奉献しよう。」そこで全軍が集結し、シオンの山を目指して上って行った。 第百四十八年の第九の月――キスレウの月――の二十五日に、彼らは朝早く起き、焼き尽くす献げ物のための新しい祭壇の上に律法に従っていけにえを供えた。異教徒が祭壇を汚したのと同じ日、同じ時に、歌と琴、竪琴とシンバルに合わせて、その日に祭壇を新たに奉献した。 民は皆、地に顔を伏せて拝み、彼らを正しく導いてくださった方を天に向かってたたえた。こうして祭壇の奉献を八日にわたって祝い、喜びをもって焼き尽くす献げ物をささげ、和解の献げ物と感謝の献げ物のいけにえを屠った。彼らはまた神殿の正面を黄金の冠と小盾で飾り、門と祭司部屋を再建し、戸を取り付けた。民の間には大きな喜びがあふれた。こうして異邦人から受けた恥辱は取り除かれたのである。 ユダとその兄弟たち、およびイスラエルの全会衆はこの祭壇奉献の日を、以後毎年同じ時期、キスレウの月の二十五日から八日間、喜びと楽しみをもって祝うことにした。 福音朗読ルカ 19・45−48ルカによる福音 〔そのとき、〕イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、彼らに言われた。「こう書いてある。 『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』 ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」 毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである。 ベトナムにおけるキリスト教の迫害は、17世紀初めから19世紀末にかけて行われた。1988年に列聖された117人の殉教者の一人であるアンデレ・ジュン・ラクは、1823年に司祭に叙階され、国内各地で牧者として働いたが、1839年に斬首刑に処せられて殉教した。117人には、8人の司教、50人の司祭、59人の信徒が含まれている。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です日々の祈り 改訂版 第2版 / 日本カトリック司教協議会 【本】
2017.11.24
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「弘法さん」の名で親しまれる東寺の弘法市。1,000以上の露店が軒を連ね、多くの人で賑います。8:00ごろにはすべての店開きが完了。毎月21日に開催される市ですが、最終月は「終い弘法」と呼ばれ、師走の恒例行事となっています。味わい深い陶器の皿や古着、レトロな昭和の雑貨など、思わぬ掘り出し物が見つかるかもしれません。日程:2017年12月21日(木)8:00~16:00 料金:無料 場所:東寺[教王護国寺]
2017.11.24
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第一朗読一マカバイ 2・15−30マカバイ記 〔その日、〕背教を強いる王の役人たちが、異教のいけにえを献げさせるためにモデインの町にやって来た。多くのイスラエル人が彼らを迎えに出、マタティアとその息子たちも集められた。そこで王の役人たちは、マタティアに言った。「あなたはこの町では有力な指導者であり、御子息や御兄弟の信望もあつい。率先して王の命令を果たしてもらいたい。これはすべての民族が実行しているもので、ユダの人々も、エルサレムに残留している者たちも行っているのだ。そうすれば、あなたや御子息たちは王の友人と認められ、金銀、その他多くの報奨を受ける栄誉にあずかるであろう。」 マタティアは大声でこれに答えて言った。「たとえ王の領土内に住む全民族が王に従い、各自その先祖の宗教を捨てて王の命令に服したとしても、このわたしと息子たち、同胞たちはわたしたちの先祖の契約を守って歩みます。律法と掟を捨てるなど、論外です。わたしたちの宗教を離れて右や左に行けという王の命令に、従うつもりはありません。」 マタティアが語り終えたとき、一人のユダヤ人が一同の前に進み出て、王の命令に従いモデインの異教の祭壇にいけにえを献げようとした。これを見たマタティアは律法への情熱にかられて立腹し、義憤を覚え、駆け寄りざまその祭壇の前でこの男を切り殺した。またその時、いけにえを強要しに来ていた王の役人の一人をも殺し、この祭壇を引き倒した。それは、あのサルの子ジムリに対してピネハスがしたような、律法への情熱から出た行為であった。マタティアは町の中で大声をあげて言った。「律法に情熱を燃やす者、契約を固く守る者はわたしに続け。」こうしてマタティアと息子たちは、家財一切を町に残したまま、山に逃れた。 一方、これと時を同じくして、義と公正を求める多くの者が、妻子や家畜を伴って、荒れ野に下り、そこに住んだ。災いが迫って来たからである。 福音朗読ルカ 19・41−44ルカによる福音 エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」 【任意・11月23日 聖クレメンス1世教皇殉教者】クレメンスは、ペトロの3代後の教皇として1世紀末のローマ教会を治めた。コリントの教会にあてて、その平和と一致を回復させるための優れた手紙を送った。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)【任意・11月23日 聖コロンバン修道院長】6世紀前半、アイルランドに生まれる。古典文学と神学を学んだ後、修道生活に入り、フランスに移ってからは多くの修道院を設立し、厳しい会則をもってそれを治めた。やがて、フランスから追放されてイタリアに行き、ボッビオに修道院を設立した。一般信徒と修道者たちの信仰を高めるうえで大きな業績をあげ、615年に死去。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですカトリック入門 日本文化からのアプローチ (ちくま新書) [ 稲垣 良典 ]
2017.11.23
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干支にちなんだ作品を紹介する特別展示の第三弾です。2018年の干支は戌(いぬ)。社会性が高い犬は、古くから人間のパートナーとして愛されてきました。柴犬や紀州犬といった日本犬のほかにも、狆(ちん)という小型室内犬も古来より知られています。そのような犬たちが、どのように描かれているのか、犬づくしの展示をお楽しみください。日程:2017年12月19日(火)~2018年1月21日(日)9:30~17:00(受付終了16:30)金曜・土曜日は~20:00(受付終了19:30) 料金:520円 場所:京都国立博物館
2017.11.23
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11月23日の花言葉はピラカンサで「慈悲」です。トキワサンザシ属(トキワサンザシぞく)とはバラ科の属の一つ。学名Pyracantha。ラテン名のままピラカンサ属ともいう。引用:Wikipedia
2017.11.23
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山科は大石内蔵助が主君の恨みを晴らすまで隠棲した場所。この史実にちなみ、討ち入り装束に身を固めた義士が、毘沙門堂から四十七士の木像や遺品が残る岩屋寺を経て、内蔵助を祀るため創建された大石神社まで区内の約6キロを練り歩きます。幼稚園児の愛らしい義士姿、東映の俳優らによる「刃傷松の廊下」や「切腹」などのパフォーマンスも見応えがあります。日程:2017年12月14日(木)行列出発は毘沙門堂10:00~ 料金:無料 場所:毘沙門堂、瑞光院、岩屋寺、大石神社ほか電話:075-592-3088(山科区役所地域力推進室まちづくり推進担当)
2017.11.22
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11月22日の花言葉はリンドウで「正義」です。リンドウ(竜胆)とは、リンドウ科リンドウ属の多年生植物である。1変種 Gentiana scabra var. buergeri をさすことが多いが、近縁の他品種や他種を含む総称名のこともある。古くはえやみぐさ(疫病草、瘧草)とも呼ばれた。特徴本州から四国・九州の湿った野山に自生する。花期は秋。花は晴天の時だけ開き、釣り鐘型のきれいな青紫色で、茎の先に上向きにいくつも咲かせる。高さは50cmほど。葉は細長く、対生につく。かつては水田周辺の草地やため池の堤防などにリンドウやアキノキリンソウなどの草花がたくさん自生していたが、それは農業との関係で定期的に草刈りがなされ、草丈が低い状態に保たれていたためだった。近年、そのような手入れのはいる場所が少なくなったため、リンドウをはじめこれらの植物は見る機会が少なくなってしまい、リンドウを探すことも難しくなってしまっている。利用園芸植物として、または野草としてよく栽培されるが、園芸店でよく売られているのは別種のエゾリンドウの栽培品種のことが多い。生薬のリュウタン(竜胆)の原料の1種である。引用:Wikipedia
2017.11.22
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第一朗読二マカバイ 7・1、20−31マカバイ記 〔その日、〕七人の兄弟が母親と共に捕らえられ、鞭や皮ひもで暴行を受け、律法で禁じられている豚肉を口にするよう、王に強制された。 それにしても、称賛されるべきはこの母親であり、記憶されるべき模範であった。わずか一日のうちに七人の息子が惨殺されるのを直視しながら、主に対する希望のゆえに、喜んでこれに耐えたのである。崇高な思いに満たされて、彼女は、息子たち一人一人に父祖たちの言葉で慰めを与え、女の心情を男の勇気で奮い立たせながら、彼らに言った。「わたしは、お前たちがどのようにしてわたしの胎に宿ったのか知らない。お前たちに霊と命を恵んだのでもなく、わたしがお前たち一人一人の肢体を組み合わせたのでもない。人の出生をつかさどり、あらゆるものに生命を与える世界の造り主は、憐れみをもって、霊と命を再びお前たちに与えてくださる。それは今ここで、お前たちが主の律法のためには、命をも惜しまないからだ。」 アンティオコスは侮辱されたと感じ、その声に非難の響きを聞き取った。彼は、いちばん末の息子がまだ生きていたので、言葉で勧告するだけでなく、誓いをもって、「もし先祖の慣習を捨てるなら、富と最高の幸福を保障し、王の友人として遇し、仕事も与えよう」と約束した。だが、若者が全く耳を貸そうとしないので、王は母親を呼び寄せて、少年を救うために一役買うようにと勧めた。王があまりに強く勧めるので、母親は息子を説得することを承知した。しかし母親は、若者の上に身をかがめ、残酷な暴君をあざけってから、父祖たちの言葉で言った。「わが子よ、わたしを憐れんでおくれ。わたしはお前を九か月も胎に宿し、三年間乳を含ませ、養い、この年になるまで導き育ててきました。子よ、天と地に目を向け、そこにある万物を見て、神がこれらのものを既に在ったものから造られたのではないこと、そして人間も例外ではないということを知っておくれ。この死刑執行人を恐れてはなりません。兄たちに倣って、喜んで死を受け入れなさい。そうすれば、憐れみによってわたしは、お前を兄たちと共に、神様から戻していただけるでしょう。」 彼女が語り終えるとすぐ、若者は王に言った。「何を待っているのだ。わたしは王の命令などに耳は貸さない。わたしが従うのは、モーセを通して我々の先祖に与えられた律法の命令である。しかし、ヘブライ人に対して悪辣非道を重ねてきたあなたは、神の御手を逃れることはできないのだ。」 福音朗読ルカ 19・11−28ルカによる福音 〔そのとき、イエスは〕一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである。イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせた。さて、彼は王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした。最初の者が進み出て、『御主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました』と言った。主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。』二番目の者が来て、『御主人様、あなたの一ムナで五ムナ稼ぎました』と言った。主人は、『お前は五つの町を治めよ』と言った。また、ほかの者が来て言った。『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです。』主人は言った。『悪い僕だ。その言葉のゆえにお前を裁こう。わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れたのに。』そして、そばに立っていた人々に言った。『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ。』僕たちが、『御主人様、あの人は既に十ムナ持っています』と言うと、主人は言った。『言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。ところで、わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ。』」 イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。 聖セシリアはローマの殉教者であり、5世紀にローマで彼女にささげられた聖堂が建てられた。彼女に対する崇敬は、彼女の殉教物語のゆえに大いに広まった。この物語において、彼女は処女であることを選び、キリストへの愛のために殉教した者として描かれ、キリスト者の女性の優れた模範として示されている。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史 講談社現代新書 / 永田諒一著 【新書】
2017.11.22
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法住寺は、かつて後白河法皇の御所である広大な法住寺殿があった場所にあります。元禄時代には大石内蔵助が討ち入り成功を祈願した四十七士ゆかりの寺として、四十七士の木像が安置されています。12月14日には義士会法要が営まれ、舞妓さんのお点前による献茶式や討ち入りそばのお供養があります。境内では太夫(たゆう)道中も行われます。日程:2017年12月14日(木)10:30~15:00 料金:拝観料1,500円(討ち入りそば・茶会・祈願護摩木1本付) 場所:法住寺
2017.11.21
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11月21日の花言葉はリュウノウギクで「無常の美」です。リュウノウギク(竜脳菊)はキク科キク属の多年草。いわゆる野菊の1種。秋遅くに花をつける野菊で、ひょろしとして頼りないが、とてもキクによく似たものである。特徴地下茎は長く伸びて、まばらに複数の茎を立てて株立ちになり、小さな群落を作る。茎は細くてやや立ち上がり、茎の下部は木質化するが、細くて頼りない。高さ30 - 80cmだが、真っ直ぐ立ち上がることは少なく、斜めに伸びるか、斜面から垂れ下がる。葉は長さ4 - 8cm、大まかには楕円形、おおよそは三つに浅く裂けて、さらに粗い鋸歯がある。表面は緑色で毛があってつや消し、裏面は短い毛が密生して白っぽくなっている。ちなみにこの毛はT字型になっている。基部には短い葉柄があって、葉身から少し流れる花期は10 - 11月。ヨメナやノコンギクなどよりは遅い。花は茎の先端に単独か、せいぜい2 - 3個だけ着く。径2.5 - 5cm、外側には白い舌状花が並び、真ん中の管状花は黄色。舌状花は楕円形でヨメナなどよりずっと丸みがある。そう果は長さ1.8mm。この名は、茎や葉の香りが、中国から伝わった竜脳(リュウノウジュから採れる精油)という香料に似ている事に由来する。実際には樟脳に近い香りで、成分としても樟脳が多いとのこと。生育環境低山の森林周辺に多く、特に林縁部の日向に出る。自然な地形では崖地に出現する。道路脇の切り通しなどによく出現するが、開けた草原に出るものではなく、河川の土手などで見ることもない。また石灰岩地によく見られるとも。分布本州(福島県・新潟県以西)・四国・九州(宮崎県)に分布する。関東や近畿では普通種。日本固有種。利害特に実質的なものはない。日本の野生の野菊には栽培されるもの、改良品種を持つものが少なくないが、この種に関しては栽培されることがあまりない旨を牧野が記している。引用:Wikipedia
2017.11.21
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第一朗読二マカバイ 6・18−31マカバイ記 〔その日、〕律法学者として第一人者で、既に高齢に達しており、立派な容貌の持ち主であったエレアザルも、口をこじあけられ、豚肉を食べるように強制された。しかし彼は、不浄な物を口にして生き永らえるよりは、むしろ良き評判を重んじて死を受け入れることをよしとし、それを吐き出し、進んで責め道具に身を任そうとした。これこそ、生命への愛着があるとはいえ、口にしてはならないものは断固として退けねばならない人々の取るべき態度である。ところがそのとき、禁じられたいけにえの内臓を食べさせる係の者たちは、エレアザルと旧知の間柄であったので、ひそかに彼に席を外させて、王が命じたいけにえの肉を口にした振りをして、彼自身が用意し、持参している清い肉を食べることを勧めた。そうすれば、彼は死を免れ、その上、彼らとの昔からの友情のゆえに優遇されることになるからであった。これに対して、彼は筋の通った考えを持っていて、その年齢と老年のゆえの品位、更に新たに加わった立派な白髪、だれにもまさった幼いときからの生き方にふさわしく、とりわけ神が定められた聖なる律法に従って、毅然とした態度でちゅうちょすることなく、「わたしを陰府へ送り込んでくれ」と言った。「我々の年になって、うそをつくのはふさわしいことではない。そんなことをすれば、大勢の若者が、エレアザルは九十歳にもなって異教の風習に転向したのか、と思うだろう。その上彼らは、ほんのわずかの命を惜しんだわたしの欺きの行為によって、迷ってしまうだろう。またわたし自身、わが老年に泥を塗り、汚すことになる。たとえ今ここで、人間の責め苦を免れえたとしても、全能者の御手からは、生きていても、死んでも逃れることはできないのだ。だから今、男らしく生を断念し、年齢にふさわしい者であることを示し、若者たちに高貴な模範を残し、彼らも尊く聖なる律法のためには進んで高貴な死に方ができるようにしよう。」こう言い終わると、直ちに責め道具の方へ歩いて行った。今し方まで、彼に好意を寄せていた人々も、この語られた言葉のゆえに、反感を抱くようになった。彼らはエレアザルの気が違ったのだと思った。鞭の下で、まさに息絶えんとしたとき、彼はうめき声をあげて言った。「聖なる知識を持っておられる主は、すべてのことを見通しておられる。わたしは死を逃れることもできたが、鞭打たれ、耐え難い苦痛を肉体で味わっている。しかし、心では、主を畏れ、むしろそれを喜んで耐えているのだ。」彼はこのようにして世を去った。その死はただ単に若者ばかりか、少なからぬ同胞の心に高潔の模範、勇気の記念として残されたのである。 福音朗読ルカ 19・1−10ルカによる福音 〔そのとき、〕イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」 543年のこの日、エルサレムの神殿があった場所の近くに建てられた新しいマリア聖堂の献堂式が行われた。わたしたちは東方のキリスト者と一緒に、無原罪の御宿りのときから恵みで満たされたマリアが、聖霊の働きによって、子どものときから自分自身を神にささげたことをこの日に祝うのである。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です絵で見るはじめてのキリスト教 子どものためのカトリック入門 [ クリスティン・ペドッティ ]
2017.11.21
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11月20 日の花言葉はイワレンゲで「よき家庭を築く」です。ベンケイソウ科(ベンケイソウか、Crassulaceae)とは、被子植物の科のひとつである。およそ33属1400種を含む。特徴多肉質の葉および茎を持ち、水分を貯蔵できる。分布は世界中に広がっているが、特に北半球と南アフリカに多く、水の乏しい乾燥した地域に産する。 常緑の多年草で、カネノナルキ(金のなる木)のように茎が木質化し小潅木のようになるものもあれば、エケベリア属のようにロゼット状になり茎はごく短く退化するものもある。葉の大きさ、形、色や繊毛の有無など形態はさまざまである。この科の植物は食用としてはグラプトペタルム属の一部が野菜とされる程度で、重要なものではないが、花卉園芸用に多くの種が流通する。それら品種の多くは特異な魅力を持ち、頑健で育てやすいことから人気が高い。カネノナルキやカランコエもこの科に属する。多くは属、種間での交雑が容易で、野生、または人為の交雑があり、しばしば分類は容易でない。旧来の分類ではベンケイソウ科はバラ目に含まれたが、分子系統解析ではユキノシタ目に属する結果が得られる。また、CAM型光合成(Crassulacean Acid Metabolism)という名称は、最初にこの科の植物からこの代謝経路が発見されたことにちなむ。引用:Wikipedia
2017.11.20
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重要無形民俗文化財に登録されている空也踊躍念仏。念仏が弾圧された時期があり、人目につきにくい薄暮れに屏風の影で踊ったことから「かくれ念仏」とも呼ばれます。都に疫病が蔓延した際、開基である空也上人が救済を願って始めました。導師以下の職衆が金鼓を鳴らしながら体を屈伸させ、念仏を唱えながら本堂内陣を回り続けます。日程:2017年12月13日(水)~31日(日)16:00頃~ ※ただし31日は非公開 料金:無料 場所:六波羅蜜寺
2017.11.20
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第一朗読一マカバイ 1・10−15、41−43、54−57、62−64マカバイ記 〔そのころ、〕悪の元凶、アンティオコス・エピファネスが現れた。彼はアンティオコス王の王子でローマに人質として送られていたが、ギリシア人の王朝の第百三十七年に王として即位した。この間、イスラエルには律法に背く者どもが現れ、「周囲の異邦人と手を結ぼう。彼らと関係を断ってから万事につけ悪いことばかりだから」と、多くの者に説いて回っていた。人々の目にはこれは得策だと映ったので、民の中のある者たちは進んで王のもとに出かけて行き、異邦人の慣習を採用する許可を受けた。こうして彼らは異邦人の流儀に従ってエルサレムに錬成場を建て、割礼の跡を消し、聖なる契約を離れ、異邦人と軛を共にし、悪にその身を引き渡した。 王は領内の全域に、すべての人々が一つの民族となるために、おのおの自分の慣習を捨てるよう、勅令を発した。そこで異邦人たちは皆、王の命令に従った。また、イスラエルの多くの者たちが、進んで王の宗教を受け入れ、偶像にいけにえを献げ、安息日を汚した。 第百四十五年、キスレウの月の十五日には、王は祭壇の上に「憎むべき破壊者」を建てた。人々は周囲のユダの町々に異教の祭壇を築き、家々の戸口や大路で香をたき、律法の巻物を見つけてはこれを引き裂いて火にくべた。契約の書を隠していることが発覚した者、律法に適った生活をしている者は、王の裁きにより処刑された。だがイスラエル人の多くはそれにも屈せず、断固として不浄のものを口にしなかった。彼らは、食物によって身を汚して聖なる契約に背くよりは、死を選んで死んでいった。こうしてイスラエルは神の大いなる激しい怒りの下に置かれたのである。 福音朗読ルカ 18・35−43ルカによる福音 イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。群衆が通って行くのを耳にして、「これは、いったい何事ですか」と尋ねた。「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせると、彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です毎日の読書 第8巻 「教会の祈り」読書 / カトリック中央協議会 【全集・双書】
2017.11.20
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ヨーロッパ横断旅行で立ち寄ったセルビアのベオグラードで民族舞踊を鑑賞しました。トルコの影響を強く受けているようです。実物 セルビア軍 ワークジャケット
2017.11.19
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今回は大宮通の「京焼肉いまつ」さんをご紹介します。元々焼肉屋さんがあった店舗が別のお店としてリニューアルオープンしました。まずは「厚切りタン」とプレミアムモルツ京都で一杯!炭火焼ではありませんが、有煙ロースター(?)で焼くタンも捨てがたいです。続きまして「はらみ」で赤ワインを楽しみます。私個人の見解ですが「はらみ」の味でその店のレベルが解ると言って過言ではありません。さらに「ホルモン盛り」をオーダー、このころには店内はモクモク状態、と思いきや大型換気扇2機が始動!徐々に煙が薄くなってきました。住所:京都府京都市北区紫野雲林院町90 電話:075-366-3456 アクセス:京都市営地下鉄烏丸線 北大路駅/京都市営地下鉄烏丸線 鞍馬口駅 定休日:月曜 サントリー ザ・プレミアム・モルツビールセット(01170747094)
2017.11.19
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第一朗読箴言 31・10−13、19−20、30−31箴言有能な妻を見いだすのは誰か。真珠よりはるかに貴い妻を。夫は心から彼女を信頼している。儲けに不足することはない。彼女は生涯の日々夫に幸いはもたらすが、災いはもたらさない。羊毛と亜麻を求め手ずから望みどおりのものに仕立てる。手を糸車に伸べ、手のひらに錘をあやつる。貧しい人には手を開き、乏しい人に手を伸べる。あでやかさは欺き、美しさは空しい。主を畏れる女こそ、たたえられる。彼女にその手の実りを報いよ。その業を町の城門でたたえよ。 第二朗読一テサロニケ 5・1−6使徒パウロのテサロニケの教会への手紙 兄弟たち、その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません。人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。かし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。なたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。 福音朗読マタイ 25・14−30、 または 25・14−15、19−21マタイによる福音 〔そのとき、イエスは弟子たちにこのたとえを語られた。〕「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。《早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。》さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』」《「次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」》 聖書週間(11月16日~11月23日) 11月の第3日曜日から第4日曜日までは聖書週間にあてられています。神の愛を知り、神の心を受け取るために、わたしたちは新約聖書と旧約聖書を神のことばとして読み、大切にします。『聖書週間』は、すべての人、とくに信徒が、この聖書に『より強い関心をもち、親しみ、神の心に生きる』ようになるための週間です。各教区では、聖書への関心を高め、より親しむために、講演会、研修会、展示会などの催しが計画されます。このような催しに進んで参加するとともに、自分でも積極的に聖書に近づきましょう。たとえば、毎日欠かさず聖書を一章ずつ読む方法や、ミサにあずかれなくても、ミサの聖書朗読の当日分を毎日読む方法も勧められています。(カトリック中央協議会刊・カトリック教会情報ハンドブック より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【送料無料】 カトリック シリーズ世界の宗教 / スティーヴン・f.ブラウン 【本】
2017.11.19
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11月19 日の花言葉はムラサキシキブで「聡明」です。ムラサキシキブ(紫式部、Callicarpa japonica)はシソ科の落葉低木である。日本各地の林などに自生し、また果実が紫色で美しいので観賞用に栽培される。特徴高さ3m程度に成長する。小枝はやや水平に伸びる。葉は対生で長楕円形、鋭尖頭(先端が少し突き出すこと)、長さ6-13cm。細かい鋸歯がある。葉は黄緑で洋紙質、薄くて表面につやはない。初めは表側に細かい毛があることもある。花は淡紫色の小花が散房花序をつくり葉腋から対になって出て、6月頃咲く。秋に果実が熟すと紫色になる。果実は直径3mmで球形。栽培品種には白実のものもある。名前の由来は平安時代の女性作家「紫式部」だが、この植物にこの名が付けられたのはもともと「ムラサキシキミ」と呼ばれていたためと思われる。「シキミ」とは重る実=実がたくさんなるという意味。スウェーデンの植物学者のカール・ツンベルクが学名を命名した。分布など北海道から九州、琉球列島まで広く見られ、国外では朝鮮半島と台湾に分布する。低山の森林にごく普通に見られ、特に崩壊地などにはよく育っている。ムラサキシキブ(コムラサキ、シロシキブ)の名所として、京都・嵯峨野の正覚寺が有名である。引用:Wikipedia
2017.11.19
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第一朗読知恵 18・14−16、19・6−9知恵の書沈黙の静けさがすべてを包み、夜が速やかな歩みで半ばに達したとき、あなたの全能の言葉は天の王座から、情け容赦のないつわもののように、この滅びの地に下った。それは、取り消しのきかないあなたの命令を鋭い剣のように手にして、すべてを死で満たし、天に触れながらも、地を踏んで立っていた。全被造物はそれぞれ本性を保ちつつ、新たな姿に変えられ、御命令に服従して、あなたの子らを無事に守った。雲は宿営を覆い、以前水のあったところには乾いた地が現れ、紅海には妨げるもののない道ができ、逆巻く波からは草の生えている平野が出現した。驚くべき奇跡を目の当たりにしながら、そこを民全体が御手に守られて渡って行った。彼らは、牧場の馬のように走り回り、小羊のように跳びはね、主よ、自分たちを救ってくださったあなたをたたえた。 福音朗読ルカ 18・1−8ルカによる福音 〔そのとき、〕イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」 【任意・11月18日 聖ペトロ教会と聖パウロ教会の献堂】すでに12世紀には、バチカンの聖ペトロ大聖堂とオスチア街道沿いの聖パウロ大聖堂では、これらの聖堂の献堂の記念日が祝われていた。二つの聖堂は4世紀に建てられ、前者の献堂式はシルベストロ教皇によって、後者の献堂式はシリチオ教皇によって行われた。この記念日が全世界のローマ典礼の教会で祝われるように定められたのは、近代になってからのことである。ローマの聖マリア大聖堂の献堂の記念日(8月5日)において、神の母聖マリアが祝われるように、きょうはキリストのおもだった使徒である二人をほめたたえる日である。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です求道者とともに歩む信仰の道 求道者養成の手引きとなる『成人のキリスト教入信式』 [ カトリック横浜司教区 ]
2017.11.18
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大福梅は、北野天満宮の境内で調製された梅6粒ほどを裏白を添えて奉書紙で包んだもので、招福息災を願い、元旦の祝膳の初茶として飲むと邪気を払い、その1年を健康で長生きに過ごせると伝わるものです。授与期間としては事始めの12月13日~31日まで社頭で授与されますが、数に限りがあるので、終い天神の25日頃までに終了することもあります。大福とは、梅を入れた茶を服して天皇の病が平癒した故事にちなんだ“王服”より転訛したもので、吉祥の意味が込められたおめでたい縁起物として昔から京都に伝わる慣習の一つです。日程:2017年12月13日(水)~31日(日)8:30~ ※なくなり次第終了 料金:700円 場所:北野天満宮
2017.11.18
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11月18 日の花言葉はウメバチソウで「いじらしい」です。ウメバチソウ(梅鉢草、学名:Parnassia palustris)はウメバチソウ属の多年草。花が梅の花を思わせる。根出葉は柄があってハート形。高さは10-40cmで、花茎には葉が1枚と花を1個つける。葉は、茎を抱いている。花期は8-10月で2cmほどの白色の花を咲かせる。北半球に広く見られ[1]、日本では北海道から九州に分布する。山地帯から亜高山帯下部の日の当たりの良い湿った草地に生え、地域によっては水田のあぜにも見られる。引用:Wikipedia
2017.11.18
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京都料理組合が明治19年(1886)に開催して以来、今年で112回目となるこの大会は、500人以上の京料理の料理人が日頃の研さんの成果を披露する大会です。京料理の展示をはじめ、料理教室や京野菜販売コーナー、有職料理の生間(いかま)流式庖丁の実演、有名料亭のお弁当がお値打ち価格で食べられる飲食コーナーや京料理食事券プレゼント抽選会など、京都の文化・伝統産業としての京料理を理解し、味わい楽しむイベントになっています。日程:2017年12月13日(水)・14日(木)10:00~16:00 料金:入場料:前売り600円、当日800円(いずれも飲食等は別途料金要) 場所:みやこめっせ〈京都市勧業館〉(京都市左京区岡崎成勝寺町9-1) 電話:075-221-5833(京都料理組合事務局)
2017.11.17
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第一朗読知恵 13・1−9知恵の書神を知らない人々は皆、生来むなしい。彼らは目に見えるよいものを通して、存在そのものである方を知ることができず、作品を前にしても作者を知るに至らなかった。かえって火や風や素早く動く空気、星空や激しく流れる水、天において光り輝くものなどを、宇宙の支配者、神々と見なした。その美しさに魅せられてそれらを神々と認めたなら、それらを支配する主がどれほど優れているかを知るべきだった。美の創始者がそれらを造られたからである。もし宇宙の力と働きに心を打たれたなら、天地を造られた方がどれほど力強い方であるか、それらを通して知るべきだったのだ。造られたものの偉大さと美しさから推し量り、それらを造った方を認めるはずなのだから。とはいえ、この人々の責めは軽い。神を探し求めて見いだそうと望みながらも、彼らは迷っているのだ。造られた世界にかかわりつつ探求を続けるとき、目に映るものがあまりにも美しいので、外観に心を奪われてしまうのである。だからといって彼らも弁解できるわけではない。宇宙の働きを知り、それを見極めるほどの力があるなら、なぜそれらを支配する主をもっと早く見いだせなかったのか。 福音朗読ルカ 17・26−37ルカによる福音 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が襲って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。人の子が現れる日にも、同じことが起こる。その日には、屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。同じように、畑にいる者も帰ってはならない。ロトの妻のことを思い出しなさい。自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。言っておくが、その夜一つの寝室に二人の男が寝ていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。二人の女が一緒に臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。」そこで弟子たちが、「主よ、それはどこで起こるのですか」と言った。イエスは言われた。「死体のある所には、はげ鷹も集まるものだ。」 ハンガリー国王アンドレアの娘として、1207年に生まれた。若くしてチューリンゲル公ルードビッヒに嫁ぎ、3人の子どもをもうけた。祈りと黙想に専念し、夫の死後は清貧の生活を送り、病院を建てて病者の世話をした。1231年、マールブルクで死去。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですカトリック教会情報ハンドブック(2018) [ カトリック中央協議会 ]
2017.11.17
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11月17日の花言葉はイソギクで「清楚な美しさ」です。イソギク(磯菊、学名:Chrysanthemum pacificum)とは、キク科キク属の植物の1種。磯の菊ということからイソギク(磯菊)の名がある。多年草で地下茎を出して株立ちになる。葉は楕円形から倒楕円形で、大きく丸い鋸歯が入る。葉は厚く、表は緑色だが、裏側は白い毛が密生する。花期は10 - 11月頃、多数の頭花を散房状につける。花は筒状花のみで舌状花はない。つまり外側に花びら状の花が並ばない。千葉県 - 静岡県、伊豆諸島の海岸に自生するが、各地で栽培されている。引用:Wikipedia
2017.11.17
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11月16日の花言葉はミセバヤで「静穏」です。ミセバヤ(見せばや) Hylotelephium sieboldii はベンケイソウ科ムラサキベンケイソウ属(セダム属に分類されることもある)に分類される多肉性の宿根草。古典園芸植物の一つであり、玉緒(たまのを)とも呼ばれる。和名は「見せたい」という意味の古語が変形したもので、高野山の法師が詠んだ和歌にちなんでいるといわれている。分布古くから園芸用に栽培されているものが日本全国各地に見られ、それらが逸出し群馬県などで野生化している。栽培逸出でないと考えられているのは、香川県小豆島の寒霞渓のみであったが、近年奈良県内で別の自生地が発見された。変種まで含めると、エッチュウミセバヤが富山県の河川上流の山岳地帯に見られる。命名が高野山に由来していることなどから、古くはもっと広い地域に分布していたと考えられる。日本国外では、中国湖北省に変種と考えられる株の自生が確認されている。その他同属の近縁種が東アジアの山岳の岩塊地帯に多く見られる。形態根茎から斜め上、または下垂する茎を有する。茎の長さはふつう20cmだが、栽培下では30cmを越える。茎には間隔をおいて3枚の葉が輪生する。各葉の長さは1-1.5cmで葉柄がなく、葉先は円形だが基部は若干細まり、数個の低い円形鋸歯を有する。色は白みがかった緑だが、葉縁は濃赤色になる。なお晩秋から冬にかけては全体が紅葉し、葉縁と同じ色になる。花期は10月-11月で、花茎の先端に散房花序をなしそこに密生して開花する。色は淡紅色で花径は約1cm、花弁は5枚で長さ4mmほど。裂開前の葯は濃赤紫色でよく目立つ。雌しべは花弁よりも色が濃く目立ち、基部は急に細まり柄状になる。
2017.11.16
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比叡山を正面に望み、大きな仏舎利塔がそびえる妙満寺。お釈迦さまが悟りを開かれたことをお喜びする法要「成道会」と併せて、除厄招福と健康を祈願して大根だきが振る舞われます。境内を彩る名残の紅葉と共にお楽しみください。日程:2017年12月10日(日)11:00~14:00(なくなり次第終了) 料金:境内無料、大根だき1,000円(本坊・展示室拝観料、祈願料込み) 場所:妙満寺
2017.11.16
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第一朗読知恵 7・22b〜8・1知恵の書知恵には、理知に富む聖なる霊がある。この霊は単一で、多様で、軽妙な霊、活発で、明白で、汚れなく、明確で、害を与えず、善を好む、鋭敏な霊、抵抗し難く、善を行い、人間愛に満ち、堅固で、安全で、憂いがなく、すべてを成し遂げ、すべてを見通す霊である。この霊は、ほかの理知的で、純粋で、軽妙なすべての霊に浸透する。知恵はどんな動きよりも軽やかで、純粋さゆえにすべてに染み込み、すべてを貫く。知恵は神の力の息吹、全能者の栄光から発する純粋な輝きであるから、汚れたものは何一つその中に入り込まない。知恵は永遠の光の反映、神の働きを映す曇りのない鏡、神の善の姿である。知恵はひとりであってもすべてができ、自らは変わらずにすべてを新たにし、世々にわたって清い魂に移り住み、神の友と預言者とを育成する。神は、知恵と共に住む者だけを愛される。知恵は太陽よりも美しく、すべての星座にまさり、光よりもはるかに輝かしい。光の後には夜が来る。しかし、知恵が悪に打ち負かされることはない。知恵は地の果てから果てまでその力を及ぼし、慈しみ深くすべてをつかさどる。 福音朗読ルカ 17・20−25ルカによる福音 〔そのとき、〕ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」それから、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたが、人の子の日を一日だけでも見たいと望む時が来る。しかし、見ることはできないだろう。『見よ、あそこだ』『見よ、ここだ』と人々は言うだろうが、出て行ってはならない。また、その人々の後を追いかけてもいけない。稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである。しかし、人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている。」 【任意・11月16日 聖マルガリタ(スコットランド)】1046年頃、父親が追放されていたハンガリーに生まれる。帰国後、スコットランド王マルコム3世と結婚し、8人の子どもに恵まれた。よい母親と女王としての模範を示し、1093年、エジンバラで死去。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)【任意・11月16日 聖ゲルトルードおとめ】1256年、チューリンゲン地方のアイスレーベンに生まれる。幼くしてヘルフタのシトー会修道院に入り、熱心に勉学に励み、特に文学と哲学を学んだ。やがて神に心を向けるようになり、完徳の道を熱心に励み、祈りと黙想に身をささげた。1301年11月17日に死去。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですこころにひかりを よくわかるカトリック入門 / ガエタノ・コンプリ 【本】
2017.11.16
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第一朗読知恵 6・1−11知恵の書王たちよ、聞いて悟るがよい。地の果てまで治める者たちよ、学ぶがよい。多くの人々を支配し、その国々の数を誇る者たちよ、耳を傾けよ、あなたたちの権力は主から、支配権はいと高き方から与えられている。主はあなたたちの業を調べ、計画を探られる。あなたたちは国に仕える身でいながら正しい裁きをせず、掟を守らず、神の御旨にそって歩まなかった。神は恐るべき姿で直ちにあなたたちに臨まれる。上に立つ者は厳しく裁かれるのだ。最も小さな者は憐れみを受けるにふさわしい。しかし、力ある者は力による取り調べを受ける。万物の主はだれの顔色もうかがわず、強大な者をも恐れない。大いなる者も小さな者も、御自分が造り、万物を公平に計らっておられるからだ。しかし、権力者には厳しい吟味が行われる。支配者たちよ、わたしはあなたたちに言う。知恵を学び、職務にもとることがないように。聖なる掟を聖なる手段で守る者は、聖とされ、掟を学んだ者には弁明の道が開かれる。わたしの言葉を熱心に求め、慕うがよい。そうすれば教訓が身につくだろう。 福音朗読ルカ 17・11−19ルカによる福音 イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」 【任意・11月15日 聖アルベルト司教教会博士】1206年頃、ドイツのドナウ川沿いのラウインゲンに生まれ、パドバとパリで学問を修めた。ドミニコ会に入り、多くの土地で教鞭をとり、大きな功績を残した。レーゲンスブルクの司教となり、国々と町々の間に平和が保たれるように絶えず努めた。神学と自然科学に関する多くの優れた書物を著した。1280年、ケルンで死去。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですオーソドックスとカトリック どのように違うのか歴史と多様性を知る [ 及川信 ]
2017.11.15
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毎年12月に行われ、今年で13回目を迎える嵐山花灯路。落柿舎から法輪寺を結ぶ散策路が露地行灯の柔らかい「灯り」といけばな作品の「花」で彩られます。灯りに照らされた渡月橋が静かな川の流れに映る光景は目が覚めるような美しさ。幻想的に浮かび上がる竹林の小径も訪れる多くの人を魅了します。常寂光寺、野宮神社など周辺の寺院・神社、文化施設もライトアップが予定され、嵯峨・嵐山地域が優しい「灯り」で演出されます。日程:2017年12月8日(金)~17日(日)※雨天決行17:00~20:30(予定) 料金:散策無料(寺院・神社・文化施設の拝観料等は別途必要) 場所:嵯峨・嵐山地域(京都市右京区・西京区) 電話:075-212-8173(京都・花灯路推進協議会事務局)平日10:00~18:00
2017.11.15
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11月15日の花言葉はミゾソバで「純情」です。ミゾソバ(溝蕎麦、学名 Polygonum thunbergii または Persicaria thunbergii )は、タデ科タデ属 (Polygonum) またはイヌタデ属 (Persicaria) に分類される一年生草本植物である。分布東アジア(日本、朝鮮半島、中国)に分布する。日本では北海道・本州・四国・九州の小川沿いや沼沢地、湖岸などに分布する。 特に稲作地帯などでコンクリート護岸化されていない用水路脇など、水が豊かで栄養価が高めの場所に群生していることが多い。今でこそ護岸をコンクリートで固められてしまった場合が多いが、かつて日本各地で水田が見られた頃は、土盛りされていた溝や用水路、小川などの縁に普通に生えており、その見た目が蕎麦に似ていることが和名の由来になっている。特徴水辺などで 30〜100cm ほどに生長し、根元で枝分かれして勢力を拡げ群生する。匍匐茎に閉鎖花をつけ種子を稔らせる場合もあるとされる。また茎には下向きに刺があり、他の植物等に絡みついて伸びることがある。葉は互生し、形が牛の額にも見えることからウシノヒタイ(牛の額)と呼ばれることもある。花期は晩夏から秋にかけてで、茎の先端で枝分かれした先に、直径 4〜 7mm ほどで、根元が白く先端が薄紅色の多数の花を咲かせる。 なお、他のタデ科植物と同様に花弁に見えるものは萼である。
2017.11.15
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第一朗読知恵 2・23〜3・9知恵の書神は人間を不滅な者として創造し、御自分の本性の似姿として造られた。悪魔のねたみによって死がこの世に入り、悪魔の仲間に属する者が死を味わうのである。神に従う人の魂は神の手で守られ、もはやいかなる責め苦も受けることはない。愚か者たちの目には彼らは死んだ者と映り、この世からの旅立ちは災い、自分たちからの離別は破滅に見えた。ところが彼らは平和のうちにいる。人間の目には懲らしめを受けたように見えても、不滅への大いなる希望が彼らにはある。わずかな試練を受けた後、豊かな恵みを得る。神が彼らを試し、御自分にふさわしい者と判断されたからである。るつぼの中の金のように神は彼らをえり分け、焼き尽くすいけにえの献げ物として受け入れられた。主の訪れのとき、彼らは輝き渡り、わらを焼く火のように燃え広がる。彼らは国々を裁き、人々を治め、主は永遠に彼らの王となられる。主に依り頼む人は真理を悟り、信じる人は主の愛のうちに主と共に生きる。主に清められた人々には恵みと憐れみがあり、主に選ばれた人は主の訪れを受けるからである。 福音朗読ルカ 17・7−10ルカによる福音 〔そのとき、イエスは言われた。〕「あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】福音み〜つけた! 「宗教」「倫理」を考えるために 高校編 日本カトリック教育学会/編
2017.11.14
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鳴滝の里に佇む了徳寺。「大根焚寺」の名でも知られます。2日間で3,000本にも及ぶ大根が焚き上げられます。これを食べると中風にかからないとされ、約1万人の参詣者が訪れ賑います。親鸞聖人の徳を偲び、供えられる大根は、故事にちなんで塩で焚かれ、振る舞われる分はしょう油で味付けされています。日程:2017年12月9日(土)・10日(日)9:00~16:00 料金:境内無料、大根志納券1,000円、お斎券1,600円 場所:了徳寺
2017.11.14
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