全77件 (77件中 1-50件目)
![]()
第一朗読一ヨハネ 2・18−21使徒ヨハネの手紙 子供たちよ、終わりの時が来ています。反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。これによって、終わりの時が来ていると分かります。彼らはわたしたちから去って行きましたが、もともと仲間ではなかったのです。仲間なら、わたしたちのもとにとどまっていたでしょう。しかし去って行き、だれもわたしたちの仲間ではないことが明らかになりました。しかし、あなたがたは聖なる方から油を注がれているので、皆、真理を知っています。わたしがあなたがたに書いているのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、真理を知り、また、すべて偽りは真理から生じないことを知っているからです。 福音朗読ヨハネ 1・1−18ヨハネによる福音 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。 【任意・12月31日 聖シルベストロ1世教皇】314年にローマ司教に叙階され、コンスタンチヌス帝の時代に教会を治めた。また、ドナトゥス派の離教やアレイオス派の異端が引き起こした問題に悩まされた。335年に死去し、サラリア街道沿いのプリスキラの墓地に埋葬された。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】新・カトリックと日本人 世界最大の宗教を理解するための本 坂本尭/著
2018.12.31
コメント(0)

12月31日の花言葉はアオキで「若く美しく」です。アオキ(青木、学名: Aucuba japonica)は、ガリア科またはアオキ科(Aucubaceae)[4]アオキ属の常緑低木。和名の由来は、常緑で枝も青いため。形態・生態常緑の高さは2mほどの低木で、枝は太く緑色。葉は対生し、厚く光沢があり、乾くと黒くなる特性を持つ。花は3〜5月に咲き、褐色または緑色で枝先に穂のようにつける[5]。花弁を4枚有し、子房下位、単性花で雌雄異株。果実は卵形の液果で、種子を1個含み、秋頃から赤く(種類によっては白色、黄色に)熟す。楕円形で、大きさは2cmほど。11月〜翌年5月頃まで付いている。分布日本原産。東北地方南部、関東以西〜沖縄までの森林に自生する[5]。日陰にもよく育つ。北海道、本州北部の日本海側の多雪地には、積雪に適応した変種ヒメアオキが自生する。人間との関わり庭園や公園の植え込みに植栽され、日本国外でも栽培される。半日陰を好み、耐寒性があり作りやすく、熟した果実から取り出した種子をまくか、挿し木をして育成する。葉は苦味健胃作用があり、民間薬の陀羅尼助に配合されている。また、腫れもの、やけど、切り傷などの保護、消炎作用があり、生葉を火であぶったものを患部に貼るなどして用いられる。引用:Wikipedia
2018.12.31
コメント(0)

12月30日の花言葉はベニベンケイで「幸福を告げる」です。ベニベンケイ (Kalanchoe blossfeldiana)は、ベンケイソウ科カランコエ属に属する多年草。マダガスカル原産。種小名 blossfeldiana は、ドイツの育種家Robert Blossfeld に由来する[1]。矮性種、高性種、斑入り種、などさまざまな変種があり、花色も白、黄色、ピンク、オレンジなどさまざまである。引用:Wikipedia
2018.12.30
コメント(0)
![]()
第一朗読サムエル上 1・20-22、24-28サムエル記 〔エルカナの妻〕ハンナは身ごもり、月が満ちて男の子を産んだ。主に願って得た子供なので、その名をサムエル(その名は神)と名付けた。 さて、夫エルカナが家族と共に年ごとのいけにえと自分の満願の献げ物を主にささげるために上って行こうとしたとき、ハンナは行こうとせず、夫に言った。「この子が乳離れしてから、一緒に主の御顔を仰ぎに行きます。そこにこの子をいつまでもとどまらせましょう。」 乳離れした後、ハンナは三歳の雄牛一頭、麦粉を一エファ、ぶどう酒の革袋を一つ携え、その子を連れてシロの主の家に上って行った。この子は幼子にすぎなかったが、人々は雄牛を屠り、その子を〔祭司〕エリのもとに連れて行った。ハンナは言った。「祭司様、あなたは生きておられます。わたしは、ここであなたのそばに立って主に祈っていたあの女です。わたしはこの子を授かるようにと祈り、主はわたしが願ったことをかなえてくださいました。わたしは、この子を主にゆだねます。この子は生涯、主にゆだねられた者です。」 彼らはそこで主を礼拝した。 第二朗読一ヨハネ 3・1-2、21-24使徒ヨハネの手紙 〔愛する皆さん、〕御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。 愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ、神に願うことは何でもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです。その掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、この方がわたしたちに命じられたように、互いに愛し合うことです。神の掟を守る人は、神の内にいつもとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。神がわたしたちの内にとどまってくださることは、神が与えてくださった“霊”によって分かります。 福音朗読ルカ 2・41-52ルカによる福音 〔イエスの〕両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですカトリックの信仰
2018.12.30
コメント(0)

12月29日の花言葉はカトレアで「優雅な人」です。カトレヤ(カトレアとも。Cattleya)とは中南米原産のラン科植物の1つの属、あるいはその近縁属との交配品種を含む1群の植物である。美しい花を咲かせることからよく栽培され、最も有名な洋ランである。洋ランの女王とも言われる。概要非常に大輪で派手な花であり、言わば洋ランの代名詞として扱われ、現在では多くの交配種があり、栽培されている。切り花としては華麗さと高級感を演出する。名前はこの属の最初の収集者で最初に栽培で花を咲かせたWilliam Cattleyにちなみ、属の名前として献名されたものである。もともと彼が南米から送ってもらった植物の梱包材として使われていたこの着生植物に興味を持ち、栽培してみたところ予想もしなかった見事な花をつけたため、イギリスの著名な植物学者、ジョン・リンドリーが記載して献名したという逸話が伝わっている。和名としては C. labiata に対してヒノデランというのが牧野富太郎によって与えられている。花の美しさを日の出に見立てたとのこと。これ以降、カトレヤ属は洋ランの代表として注目され、四大洋ランのトップに必ず挙げられる。カトレヤの名はカトレヤ属の植物の総称として使われる。これは当然であるが、この属および近縁属との属間交配も多く行われ、それらはカトレヤの花をより美しいものにするために行われた傾向がある。そのため、それらの属間雑種にはそれ相応の名が与えられてはいるが、一般にはそれらすべてをまとめてカトレアと呼んでいる。なお、近年の分類体系の変更により、その属の境界も変遷をたどっており、カトレヤの名を冠する植物の幅も広くなった面がある。カトレアを国花としている国はコスタリカである。形態的特徴カトレヤは着生植物であり、匍匐茎の節から出る白くて太いうどん状の根で樹皮に張り付くようにして生活する。根の表面は白いスポンジ状の死細胞からなる組織で覆われ、雨水や着生した樹木の樹皮を伝って落ちてきた水をすばやく吸収し、その後でゆっくりと内側の生きた組織で吸収する。根の生きた組織は葉緑体を持ち、光合成の能力を持つ。そのため、表面のスポンジ状の組織が水を吸って光の乱反射が起こらなくなると生きた組織が透けて見え、根全体が緑色に見える。植物体は全体に肉厚で固い。匍匐茎はあまり伸びず数節だけ成長した後にすぐに立ち上がり、多肉質の偽球茎(バルブ)となる。偽球茎はこん棒状でやや偏平・数節からなるが、そのうちの1節だけが長く発達し、先端には1枚だけ或いは2枚の葉をつけ、これは同じ個体でも個々の偽球茎で変異があることがある。そのため、偽球茎の先端の葉が1枚だけの場合、一見するとやたらごつい葉柄を持つ1枚の葉のようにも見える。しかし茎である証拠に、花は偽球茎の先端の葉の根元の内側(腋芽)から出る。偽球茎には多量の水分や栄養分が蓄えられ、間欠的にしか水が得られない樹上の環境に耐えられるようになっている。偽球茎と葉は何年間もの寿命を持ち、株全体で常に数本の偽球茎を持っており、古い偽球茎では葉が枯れて落ちてもなお余命を保ち、水分と栄養分の貯蔵器官として機能している。成長期になると匍匐茎と偽球茎の境界部の節の腋芽が成長を開始し、新しい偽球茎が立ち上がり葉が伸び始める頃に新しい匍匐茎から新しい根が伸張して樹皮に固着する。この成長期の根の先端部はまだスポンジ状の死んだ組織が分化していないため、みずみずしい緑色をしている。花は偽球茎の先端から出て1~数輪つく。ただしワルケリアナ(Cattleya walkeriana)は葉を生じない特別な偽球形を生じてその先端で開花する。外花被はやや細い楕円形、側弁は幅広い楕円形、唇弁の基部は蘂柱を包むように両端が上に曲がって筒状になり、先の方では卵形に広がり、周囲はひだになってうねり、中央は濃く色づくものが多い。花びらは大きく開き、正面を向く。色は白からピンク系のものが多く、非常に華やかで美しい。分布と生育環境中南米のコロンビア、ベネズエラ、ブラジル、エクアドルなどに分布し、特にアンデス山脈などの標高100m~1500m程度の森林地帯に産する。着生植物であり、木の樹皮に付着して生活する。引用:Wikipedia
2018.12.29
コメント(1)
![]()
第一朗読一ヨハネ 2・3−11使徒ヨハネの手紙 〔愛する皆さん、〕わたしたちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません。しかし、神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。これによって、わたしたちが神の内にいることが分かります。神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません。 愛する者たち、わたしがあなたがたに書いているのは、新しい掟ではなく、あなたがたが初めから受けていた古い掟です。この古い掟とは、あなたがたが既に聞いたことのある言葉です。しかし、わたしは新しい掟として書いています。そのことは、イエスにとってもあなたがたにとっても真実です。闇が去って、既にまことの光が輝いているからです。「光の中にいる」と言いながら、兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいます。兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。しかし、兄弟を憎む者は闇の中におり、闇の中を歩み、自分がどこへ行くかを知りません。闇がこの人の目を見えなくしたからです。 福音朗読ルカ 2・22−35ルカによる福音 モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親は〔イエス〕を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます。 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。 これは万民のために整えてくださった救いで、 異邦人を照らす啓示の光、 あなたの民イスラエルの誉れです。」父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」 【任意・12月29日 聖トマス・ベケット司教殉教者】1118年、ロンドンに生まれる。カンタベリー教会の聖職者となり、さらに国王の大法官となる。1162年にカンタベリー司教に選ばれ、国王ヘンリー2世に対して教会の権利を懸命に擁護した。そのため、国から追放され、6年間フランスに滞在せざるをえなかった。帰国を許された後も数々の試練を耐え忍び、ついに1170年、国王が遣わした騎士たちの手で殺害された。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですカトリック信徒の移動とコミュニティの形成 潜伏キリシタンの二百年
2018.12.29
コメント(0)

12月28日の花言葉はロウバイで「慈愛心 思いやり」です。ロウバイ(蝋梅、蠟梅、臘梅、唐梅〔カラウメ〕、Chimonanthus praecox)は、クスノキ目・ロウバイ科・ロウバイ属に属する広葉の落葉低木の一つである。早生種では12月頃に、晩生種でも2月にかけて半透明でにぶいツヤのある黄色く香り高い花がやや下を向いて咲く。名前に梅がついているためバラ科サクラ属と誤解されやすいが、別属である。唐の国から来たこともあり唐梅(カラウメ)とも呼ばれ、中国名も蝋梅であったことにちなむ。本草綱目によれば、半透明でにぶいツヤのある花びらがまるで蝋細工のようであり、且つ臘月(ろうげつ、旧暦12月)に咲くからこの名がついた。日本においてはロウバイは晩冬(小寒〔1月6日頃〕から立春の前日〔2月3日頃〕までの間)の季語とされている。花やつぼみから抽出した蝋梅油(ろうばいゆ)を薬として使用する。品種ソシンロウバイ(素心蝋梅)、マンゲツロウバイ(満月蝋梅)、トウロウバイ(唐蝋梅)などの栽培品種がある。よく栽培されているのはソシンロウバイで花全体が黄色である。ロウバイの基本種は、花の中心部は暗紫色で、その周囲が黄色である。栽培土壌をあまり選ばず、かなり日陰のところでもよく育ち開花する丈夫な花木である。繁殖は、品種ものの一部を除き挿し木が一般的だが実生からの育成も容易。種まきから最も簡単に育てられる樹種である。晩秋になると、焦げ茶色の実(蒴果)がなっているので、もらってきて播くといい。タネはアズキくらいの大きさである。寒さに遭わせたほうがよく発芽するので、庭に播き、5mmほど覆土しておくと、春分を過ぎてから生えてくる。本葉が開いたら上広げてやるといい。毒性種子などにアルカロイドであるカリカンチンを含み有毒。中毒すればストリキニーネ様の中毒症状を示す。カリカンチンの致死量はマウス44mg/kg(静脈注射)、ラット17mg/kg(静脈注射)である。引用:Wikipedia
2018.12.28
コメント(0)
![]()
第一朗読一ヨハネ 1・5〜2・2使徒ヨハネの手紙 〔愛する皆さん、〕わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。わたしたちが、神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、それはうそをついているのであり、真理を行ってはいません。しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。 わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。 福音朗読マタイ 2・13−18マタイによる福音 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。 「ラマで声が聞こえた。 激しく嘆き悲しむ声だ。 ラケルは子供たちのことで泣き、 慰めてもらおうともしない、 子供たちがもういないから。」 6世紀頃から、教会は主の降誕の季節に、聖なる幼子たちの殉教を祝ってきた。ヘロデによって殺害されたこれらの幼子たちは、贖われた人の初穂である。イエスのために命をささげた彼らは、言葉は話せなかったが、その死によって信仰を証ししたのである。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【ポイント 10倍】【中古】宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史 /講談社/永田諒一 (新書)
2018.12.28
コメント(0)
![]()
第一朗読一ヨハネ 1・1−4使徒ヨハネの手紙 〔愛する皆さん、〕初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。――この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。――わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。 福音朗読ヨハネ 20・2−8ヨハネによる福音 〔週の初めの日、マグダラのマリアは、〕シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。 ゼベダイの子ヤコブの兄弟の使徒ヨハネは、ペトロとヤコブと共に主の変容を証しし(マルコ 9・2−3)、ゲツセマネにおけるイエスの祈りに立ち会うなど(同 14・33)、イエスと特に親しい弟子の一人であった。また、聖霊降臨の後はペトロと共にエルサレム教会の指導者としても活躍した。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】「山の教会」・「海の教会」の誕生 長崎カトリック信徒の移住とコミュニティ形成 叶堂隆三/著
2018.12.27
コメント(0)

12月27日の花言葉はナンテンで「福をなす よき家庭」です。ナンテン(南天、学名:Nandina domestica)は、メギ科ナンテン属の常緑低木。和名の由来は、漢名の「南天燭」の略。南天の花は、仲夏の季語。実は三冬の季語。特徴高さは2m位、高いもので4~5mほど。幹の先端にだけ葉が集まって付く独特の姿をしている。葉は互生し、三回羽状複葉で、小葉は広披針形で先端が少し突きだし、革質で深い緑色、ややつやがある。先端の葉の間から、花序を上に伸ばし、初夏に白い花が咲き、晩秋から初冬にかけて赤色(まれに白色)の小球形の果実をつける。分布・生育地中国原産。日本では西日本、四国、九州に自生しているが、古くに渡来した栽培種が野生化したものだとされている。山口県萩市川上の「川上のユズおよびナンテン自生地」は、国の天然記念物(1941年指定)。利用栽培庭木としてや玄関前などに植えられることが多い。江戸時代に様々な葉変わり品種が選び出され、盛んに栽培された。古典園芸植物として現在もその一部が保存栽培されている。錦糸南天等とよばれる。園芸種のオタフクナンテンは葉が紅葉しやすく真夏でも赤い葉を付ける。実がつかないのが特徴で、高さも50cm程度しか伸びないので、下草などと一緒に庭園によく使用される。葉がやや円形なので別名オカメナンテンとも呼ばれる。稀に太く育ったものは、幹を床柱として使うことがあり、鹿苑寺(金閣寺)の茶室、柴又帝釈天の大客殿などで見られる。縁起物として音が「難転」即ち「難を転ずる」に通ずることから、縁起の良い木とされ、鬼門または裏鬼門に植えると良いなどという俗信がある。福寿草とセットで、「災い転じて福となす」ともいわれる。また、江戸の百科事典「和漢三才図会」には「南天を庭に植えれば火災を避けられる」とあり、江戸時代はどの家も「火災除け」として玄関前に植えられた[3]。赤い色にも縁起が良く厄除けの力があると信じられ、江戸後期から慶事に用いるようになった。トイレの前にも「南天手水」と称し、葉で手を清めるためなどの目的で植えられた。薬用・実用葉は、南天葉(なんてんよう)という生薬で、健胃、解熱、鎮咳などの作用がある。葉に含まれるシアン化水素は猛毒であるが、含有量はわずかであるために危険性は殆どなく、食品の防腐に役立つ。このため、彩りも兼ねて弁当などに入れる。熊本県旧飽田町(現熊本市)では、すり潰したナンテンの葉の汁を濾したものを小麦粉の生地に加えた麺料理「しるかえ」を作る。[4][5]もっとも、これは薬用でなく、食あたりの「難を転ずる」というまじないの意味との説もあり[6]、当初から、殺菌効果があると分かって赤飯に添えられたり、厠(手洗い)の近くに植えられたのかは定かではない。南天実に含まれる成分としては、アルカロイドであるヒゲナミン、イソコリジン、ドメスチン(domesticine)、プロトピン(英語版)、ナンテニン(nantenine:o- methyldomesticine)、ナンジニン(nandinine)、メチルドメスチン、配糖体のナンジノシド(nandinoside)などの他、リノリン酸、オレイン酸が知られている。鎮咳作用をもつドメスチンは、多量に摂取すると知覚や運動神経の麻痺を引き起こすため、素人が安易に試すのは危険である。また、近年の研究でナンテニンに気管平滑筋を弛緩させる作用があることが分かった。また、ナンジノシドは抗アレルギー作用を持ち、これを元にして人工的に合成されたトラニラストが抗アレルギー薬及びケロイドの治療薬として実用化されている。毒成分 ナンテニン、ナンジニン、メチルドメスチシン、プロトピン、イソコリジン、ドメスチシン、リノリン酸、オレイン酸毒部位 全株、葉、樹皮、実、新芽毒症状 痙攣、神経麻痺、呼吸麻痺文化花言葉は「私の愛は増すばかり」、「良い家庭」。活け花などでは、ナンテンの実は長持ちし最後まで枝に残っている。このことから一部地方では、酒席に最後まで残って飲み続け、なかなか席を立とうとしない人々のことを「ナンテン組」という。1962年(昭和37年)2月20日発売の6円普通切手の意匠になった。引用:Wikipedia
2018.12.27
コメント(0)

12月26日の花言葉はフユベゴニアで「愛の告白」です。フユベゴニア(英名:lorraine begonia、学名:Begonia × cheimantha)はベゴニア属に属する非耐寒性の多年草である。冬に赤・白・桃色などの一重咲きの花を咲かせるベゴニアであり、日本においては いわゆる「クリスマス」から正月くらいまでの短い間に鉢花として世に出回る。「クリスマスベゴニア」の別称を持つのはそのためとみられ、日本の公共放送局である日本放送協会(NHK)のラジオ番組・「ラジオ深夜便」ではこのフユベゴニアの花を12月26日の「誕生日の花」とした上で、その花言葉を「愛の告白」としている。引用:Wikipedia
2018.12.26
コメント(0)
![]()
第一朗読イザヤ 52・7−10イザヤの預言いかに美しいことか山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え救いを告げあなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる。その声に、あなたの見張りは声をあげ皆共に、喜び歌う。彼らは目の当たりに見る主がシオンに帰られるのを。歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。主は聖なる御腕の力を国々の民の目にあらわにされた。地の果てまで、すべての人がわたしたちの神の救いを仰ぐ。 第二朗読ヘブライ 1・1−6ヘブライ人への手紙 神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。 いったい神は、かつて天使のだれに、 「あなたはわたしの子、 わたしは今日、あなたを産んだ」と言われ、更にまた、 「わたしは彼の父となり、 彼はわたしの子となる」と言われたでしょうか。〔むしろ、〕神はその長子をこの世界に送るとき、 「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」と言われました。 福音朗読ヨハネ 1・1−18、 または 1・1−5、9−14ヨハネによる福音 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。 ≪神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。≫その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。≪ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。≫ 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史 講談社現代新書 / 永田諒一著 【新書】
2018.12.25
コメント(0)

12月25日の花言葉はクリスマスローズで「追憶」です。引用:Wikipedia
2018.12.25
コメント(0)
![]()
第一朗読サムエル下 7・1−5、8b−12、14a、16サムエル記 〔ダビデ〕王は王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった。王は預言者ナタンに言った。「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ。」ナタンは王に言った。「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。主はあなたと共におられます。」しかし、その夜、ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。 「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。 わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って、わたしの民イスラエルの指導者にした。あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。わたしの民イスラエルには一つの所を定め、彼らをそこに植え付ける。民はそこに住み着いて、もはや、おののくことはなく、昔のように不正を行う者に圧迫されることもない。わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしがすべて退けて、あなたに安らぎを与える。主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」 福音朗読ルカ 1・67−79ルカによる福音 〔そのとき、ヨハネの〕父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。 「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。 主はその民を訪れて解放し、 我らのために救いの角を、 僕ダビデの家から起こされた。 昔から聖なる預言者たちの口を通して 語られたとおりに。 それは、我らの敵、 すべて我らを憎む者の手からの救い。 主は我らの先祖を憐れみ、 その聖なる契約を覚えていてくださる。 これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。 こうして我らは、 敵の手から救われ、 恐れなく主に仕える、 生涯、主の御前に清く正しく。 幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。 主に先立って行き、その道を整え、 主の民に罪の赦しによる救いを 知らせるからである。 これは我らの神の憐れみの心による。 この憐れみによって、 高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、 暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、 我らの歩みを平和の道に導く。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】人生の歩み カトリックの教えQアンドA 草野 純英 著
2018.12.24
コメント(0)

12月24日の花言葉はシャコサボテンで「美しい眺め」です。シャコバサボテン(蝦蛄葉仙人掌)学名(Schlumbergera truncata (Haw.) Moran, 1953)とは、サボテン科スクルンベルゲラ属(シュルンベルゲラ属とも呼ぶ)に属する森林性樹上着生生活をするサボテンの一種である。ブラジルリオデジャネイロ州のオルガン山脈などの高山を原産とするサボテンで、冬場(北半球ではクリスマスの時期)に開花することから「クリスマス・カクタス」と海外では呼ばれる。短日性植物で一日の日照時間が短くなってくると蕾を形成することが知られている。シャコバサボテンの種内交配園芸品種も昭和期には日本に多数存在していたが、現在はほとんどが失われてしまった。茎の節ごとに一対の突起が隆起しており、これがシャコの身体を彷彿とさせることからこの名が付いた。現在は、この原種を基にした雑種群に慣用的に「シャコバサボテン」と呼ぶことが多い。また、本種を使用して発展した現在主流の雑種群は、商品名として「デンマーク・カクタス」として普及している。形態・生態多肉質で縁にぎざぎざがある小判型の形状をした葉茎節がいくつも連なった形状をしており、幾又にも枝分かれする。その枝先に花をつける。現在の様々な園芸品種群の花色は赤色、ピンク、桃色、朱色、黄色(低温下で開花させると濁った橙色に花色が変わる性質を持つ)、白色(低温下で開花させると薄い桃色に花色が変わる性質を持ち、白く咲いても雌蕊は赤紫色をしている)、アルビノ性の純白色品種(温度に関係なく純白の花を咲かせ、雌蕊が黄色いところで前述の白花品種とは区別できる)など多彩である。開花期は10月頃から1月頃にかけてが中心であり、花は7cmほどの大きさ。商業鉢物として広く普及してきたが、落蕾と言い、蕾がポロポロと取れてしまう欠点がある。蕾が未成熟の時に移動させると落蕾しやすいので、ある程度蕾が大きくなってから株を移動させないとならない。引用:Wikipedia
2018.12.24
コメント(0)
![]()
第一朗読ミカ 5・1−4aミカの預言〔主は言われる。〕エフラタのベツレヘムよお前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。まことに、主は彼らを捨ておかれる産婦が子を産むときまで。そのとき、彼の兄弟の残りの者はイスラエルの子らのもとに帰って来る。彼は立って、群れを養う主の力、神である主の御名の威厳をもって。彼らは安らかに住まう。今や、彼は大いなる者となりその力が地の果てに及ぶからだ。彼こそ、まさしく平和である。 第二朗読ヘブライ 10・5−10ヘブライ人への手紙 〔皆さん、〕キリストは世に来られたときに、次のように言われ〔ました。〕 「あなたは、いけにえや献げ物を望まず、 むしろ、わたしのために 体を備えてくださいました。 あなたは、焼き尽くす献げ物や 罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。 そこで、わたしは言いました。 『御覧ください。わたしは来ました。 聖書の巻物にわたしについて書いてあるとおり、 神よ、御心を行うために。』」ここで、まず、「あなたはいけにえ、献げ物、焼き尽くす献げ物、罪を贖うためのいけにえ、つまり律法に従って献げられるものを望みもせず、好まれもしなかった」と言われ、次いで、「御覧ください。わたしは来ました。御心を行うために」と言われています。第二のものを立てるために、最初のものを廃止されるのです。この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。 福音朗読ルカ 1・39−45ルカによる福音 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史 講談社現代新書 / 永田諒一著 【新書】
2018.12.23
コメント(0)

12月23日の花言葉はユズで「健康美」です。ユズ(柚子、学名:Citrus junos)はミカン属の常緑小高木。柑橘類の1つ。ホンユズとも呼ばれる。消費・生産ともに日本が最大である。果実が小形で早熟性のハナユ(ハナユズ、一才ユズ、Citrus hanayu)とは別種である。日本では両方をユズと言い、混同している場合が多い。また、獅子柚子(鬼柚子)は果実の形状からユズの仲間として扱われることがあるが、分類上はザボンやブンタンの仲間であり、別種である。形態・生態果実は比較的大きく、果皮の表面はでこぼこしている。種子の多いものが多い。酸味は強く、香りもある。柑橘類の中では耐寒性が強く、極東でも自生できる数少ない種である。また、柑橘類に多いそうか病、かいよう病への耐久があるため、ほとんど消毒の必要がなく、他の柑橘類より手が掛からないこと、無農薬栽培が比較的簡単にできることも特徴のひとつである。成長が遅いことでも知られ、「桃栗3年柿8年、ユズの大馬鹿18年」などと呼ばれることがある。このため、栽培に当たっては、種子から育てる実生栽培では、結実まで10数年掛かってしまうため、結実までの期間を短縮するため、カラタチへの接ぎ木により、数年で収穫可能にすることが多い。分布・栽培本ユズは、中華人民共和国中央および西域、揚子江上流の原産であると言われる。日本の歴史書に飛鳥時代・奈良時代に栽培していたという記載があるのみである。花ユズは日本原産とも言われるが、詳しいことは判っていない。日本では、東北地方以南で広く栽培されている。産地としては、徳島県木頭村(現:那賀町)や高知県馬路村、京都市右京区嵯峨水尾や北川村など高知県東部地方の山間部が有名である他、山梨県富士川町や栃木県茂木町、最も古い産地の埼玉県毛呂山町等、全国各地に産地がある。海外では、韓国最南部の済州島や全羅南道高興郡など、中華人民共和国の一部地域で栽培されている。現在の日本で栽培されるユズには主に3系統あり、本ユズとして「木頭系」・早期結実品種として「山根系」・無核(種無し)ユズとして「多田錦」がある。「多田錦」は本ユズと比較して果実がやや小さく、香りが僅かに劣るとされているが、トゲが少なくて種もほとんどなく、果汁が多いので、本ユズよりも多田錦の方が栽培しやすい面がある(長いトゲは強風で果実を傷つけ、商品価値を下げてしまうため)。なお、収穫時にその実をすべて収穫しないカキノキの「木守柿」の風習と同様に、ユズにも「木守柚」という風習がある地方もある。人間との関わり食材ユズの果汁は、日本料理等において調味料として、香味・酸味を加えるために用いられる。また、果肉部分だけでなく皮も七味唐辛子に加えられるなど、香辛料・薬味として使用される。いずれも、青い状態・熟れた状態の両方とも用いられる。九州地方では、柚子胡椒と呼ばれる調味料としても使用される。これは柚子の皮に、皮が青い時は青唐辛子、黄色く熟している時は赤唐辛子と塩を混ぜて作るもので、緑色または赤色をしている。幽庵焼きにも用いられる。熟したユズでも酸味が非常に強いため、普通は直接食用とすることはない。薬味としてではなくユズ自体を味わう調理例としては、保存食としてのゆべしの他、韓国の柚子茶のように果皮ごと薄く輪切りにして砂糖や蜂蜜に漬け込む方法などがある。ユズの果汁を砂糖と無発泡水で割ったレモネードのような飲み物もある。果汁はチューハイ等にも用いられ、ユズから作られたワインもある。柚子の果実のうち果肉の部分をくりぬいて器状にしたものは「柚子釜」と呼ばれ、料理の盛りつけなどに用いられる。近年ではスペインの著名なレストランであったエル・ブジが柚子を大々的に喧伝したのが発端となり、フランス料理を始めとした西洋料理にも柚子の使用が広まりつつある。利用独特の爽やかな香りのため、様々な香水に使用されている。最近、日本の植物から精油を精製する日本国内メーカーが増えており、果皮を圧搾することにより精油を採油している。その他、多彩な方法で利用されている。果汁搾汁後の残滓に含まれる精油が残滓を堆肥にする時の生物活性を低下させる要因になっていることから、精油を商品価値のある状態で取り除く方法として、超音波減圧水蒸気蒸留法が開発されている。柚子湯収穫時期の冬場に、果実全体または果皮を布袋にいれて湯船に浮かべる。薬効の成分は特定されていないが、血行を促進させることにより体温を上昇させ、風邪を引きにくくさせる効果があるとされている。京都市右京区嵯峨水尾では、柚子の栽培農家9軒が、柚子風呂付きで鶏料理を提供している。種子ユズの種子油には、メラニンの生成抑制やアレルギー性皮膚炎の症状緩和の効果があるとする研究報告もなされてる。季語俳句においては秋の季語。これは実を指し、その花は夏の季語になる。また、柚子湯は冬の季語となる。引用:Wikipedia
2018.12.23
コメント(0)

12月22日の花言葉はポインセチアで「博愛 祝福」です。ポインセチア(英名poinsettia、学名 Euphorbia pulcherrima)はトウダイグサ科トウダイグサ属の植物。常緑性低木。学術上の標準和名はショウジョウボクであり、ポインセチアは通名である。日本では11月から12月ごろに茎の上にある葉が赤や桃色や乳白色に美しく色付く。クリスマスが近くなると花屋に鉢物が出回ることから「クリスマスフラワー」とも呼ばれる。そのため日本では仲冬(大雪〔12月8日頃〕から小寒の前日〔1月7日頃〕まで)の季語とされている。特徴葉は薄く、楕円形。花はいわゆる杯状花序である。その下に着く葉の形の苞葉が赤く染まるのが鑑賞の対象となる。その赤さはキリストの血の色に例えられる。原産はメキシコと中央アメリカ。原産国とされるメキシコ合衆国では、「ノーチェ・ブエナ(聖夜)」と呼ばれる。メキシコの伝説がアメリカ合衆国の初代メキシコ公使であったJ・R・ポインセットの知れるところになり、また真冬に花を咲かせることから、アメリカに伝わり、彼の名前がつけられた。日本には明治時代に来た。和名はショウジョウボク(猩々木)。大酒飲みの赤い顔が特徴の、伝説上の動物である猩々に似ていることから名付けられたという。観葉植物として、クリスマスの時期にあわせて短日処理をして、紅葉させて緑色の葉色とのコントラストを楽しむ。ただし0℃を下回るような場所に放置すると葉が落ちてしまうので、クリスマスの時期の管理には注意が必要である。増やし方は、水を張った容器や、土に挿し木をすれば発根する(水に挿す場合は、水に挿す前に切り口から出る乳液状の樹液を拭き取っておく。時期により植物の活性が違うので活発な暖かい時期に行う)。園芸品種が近年多様化しており、従来の紅色に加えて、乳白色、淡い黄緑、ピンク、斑入りなどのバリエーションが楽しめる。強剪定にも耐える。一般に鉢植えの植物というイメージが強いが、宮崎県宮崎市堀切峠の沿道には5万本以上植えられており、12月の開花時期には日南海岸の展望と合わせて名所となっている。小さな花が数個固まって咲いているため、1つの花のように見える。類似種よく似たものにショウジョウソウがある。全体によく似ているが草であり、幹は木質化しない。また、包葉も全部は色づかないのが普通である。日本では時に帰化植物としても見られる。毒性全草に有毒成分ホルボールエステル類が含まれ、皮膚炎・水疱などを引き起こす。致死的な毒ではないが、1919年にハワイで子供がポインセチアを食べて死亡した例が報告されている。ホルボールエステルには発がんプロモーション作用がある。引用:Wikipedia
2018.12.22
コメント(1)
![]()
第一朗読サムエル上 1・24−28サムエル記 〔サムエルが〕乳離れした後、ハンナは三歳の雄牛一頭、麦粉を一エファ、ぶどう酒の革袋を一つ携え、その子を連れてシロの主の家に上って行った。この子は幼子にすぎなかったが、人々は雄牛を屠り、その子をエリのもとに連れて行った。ハンナは言った。「祭司様、あなたは生きておられます。わたしは、ここであなたのそばに立って主に祈っていたあの女です。わたしはこの子を授かるようにと祈り、主はわたしが願ったことをかなえてくださいました。わたしは、この子を主にゆだねます。この子は生涯、主にゆだねられた者です。」 彼らはそこで主を礼拝した。 福音朗読ルカ 1・46−56ルカによる福音 〔そのとき、〕マリアは言った。 「わたしの魂は主をあがめ、 わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。 身分の低い、この主のはしためにも 目を留めてくださったからです。 今から後、いつの世の人も わたしを幸いな者と言うでしょう、 力ある方が、 わたしに偉大なことをなさいましたから。 その御名は尊く、 その憐れみは代々に限りなく、 主を畏れる者に及びます。 主はその腕で力を振るい、 思い上がる者を打ち散らし、 権力ある者をその座から引き降ろし、 身分の低い者を高く上げ、 飢えた人を良い物で満たし、 富める者を空腹のまま追い返されます。 その僕イスラエルを受け入れて、 憐れみをお忘れになりません、 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、 アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」 マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です人生の歩み カトリックの教えQアンドA
2018.12.22
コメント(0)
![]()
第一朗読雅歌 2・8−14雅歌恋しい人の声が聞こえます。山を越え、丘を跳んでやって来ます。恋しい人はかもしかのよう若い雄鹿のようです。ごらんなさい、もう家の外に立って窓からうかがい格子の外からのぞいています。恋しい人は言います。「恋人よ、美しいひとよさあ、立って出ておいで。ごらん、冬は去り、雨の季節は終った。花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。この里にも山鳩の声が聞こえる。いちじくの実は熟し、ぶどうの花は香る。恋人よ、美しいひとよさあ、立って出ておいで。岩の裂け目、崖の穴にひそむわたしの鳩よ姿を見せ、声を聞かせておくれ。お前の声は快く、お前の姿は愛らしい。」 第一朗読ゼファニヤ 3・14−17ゼファニヤの預言娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。主はお前に対する裁きを退けお前の敵を追い払われた。イスラエルの王なる主はお前の中におられる。お前はもはや、災いを恐れることはない。その日、人々はエルサレムに向かって言う。「シオンよ、恐れるな力なく手を垂れるな。お前の主なる神はお前のただ中におられ勇士であって勝利を与えられる。主はお前のゆえに喜び楽しみ愛によってお前を新たにしお前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」 福音朗読ルカ 1・39−45ルカによる福音 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」 【任意・12月21日 聖ペトロ・カニジオ司祭教会博士】1521年、オランダのナイメーヘンに生まれる。ケルンで学問を修め、イエズス会に入会、1546年に司祭に叙階される。ドイツへ派遣され、カトリックの信仰を保護し確立するために、著作や説教を通して長い間熱心に働いた。多くの著作の中でも、『小教理問答』は特に有名。1597年、スイスのフリブールで死去。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】極みなく美しき声の告げ 復刻版 『カトリックグラフ』特別取材班/編
2018.12.21
コメント(0)

12月21日の花言葉はケヤキで「重厚」です。ケヤキ(欅、学名: Zelkova serrata)は、ニレ科ケヤキ属の落葉高木。ツキ(槻)ともいう。形態・生態高さ20 - 25mの大木になり40mを超す個体もある。葉の鋸歯は曲線的に葉先に向かう特徴的な形であり、鋸歯の先端は尖る。雌雄同株で雌雄異花である。花は4 - 5月頃、葉が出る前に開花する。秋の紅葉が美しい樹木でもある。個体によって色が異なり、赤や黄色に紅葉する。葉の裏と柄に短毛の密生する変種をメゲヤキという。分布東アジアの一部と日本に分布。日本では本州、四国、九州に分布し、暖地では丘陵部から山地、寒冷地では平地まで自生する。人間との関わり箒を逆さにしたような樹形が美しく、街路樹や庭木などとしてよく植えられる。巨木が国や地方自治体の天然記念物になっていることがある。木材木目が美しく、磨くと著しい光沢を生じる。堅くて摩耗に強いので、家具・建具等の指物に使われる。日本家屋の建築用材としても古くから多用され、神社仏閣などにも用いられた。現在は高価となり、なかなか庶民の住宅には使えなくなっている。伐採してから、乾燥し枯れるまでの間、右に左にと、大きく反っていくので、何年も寝かせないと使えない。特に大黒柱に大木を使った場合、家を動かすほど反ることがあるので大工泣かせの木材である。また、中心部の赤身といわれる部分が主に使われ、周囲の白太は捨てられるので、よほど太い原木でないと立派な柱は取れない。引用:Wikipedia
2018.12.21
コメント(0)

12月20日の花言葉はアロエで「復活」です。アロエ(蘭: Aloë)はツルボラン亜科アロエ属の多肉植物の総称。現在までに500種以上が知られている。南アフリカ共和国からアラビア半島まで広く分布するが、とりわけアフリカ大陸南部、およびマダガスカル島に集中し分布する。 古くはアロエの「ロエ」を漢字で音訳(当て字)した「蘆薈」の読みを変えた、「ろかい」と称した。琉球方言ではこの漢字の中国風の発音「るふぇー」と称する。日本には鎌倉時代に伝来したとされ、現在はキダチアロエ (Aloe arborescens) が九州、瀬戸内海、伊豆半島、房総半島などの海岸に逸出し帰化している。流通しているものとしてはキダチアロエの他にアロエベラが多く、その他アロエ・サポナリア、アロエ・不夜城など多くの品種が食用のほか観賞用として栽培される。アロエ属の科は分類体系によって変遷しており、APG体系の第3版ではススキノキ科とされている。過去にはユリ科、アロエ科、ツルボラン科とされたことがあった。アロエ属の最大品種はアロエ・バーベラエ(Aloe barberae)で 高さ18mにもなり、花茎は三叉に分岐、ピンクの花をつける。逆に、最小のものはアロエ・ディスコイングシー(Aloe descoingsii)で最大でも数cmにしかならない。形態葉はふつう肉厚でロゼット状であるがしばしば扇状であったり肉厚が薄いものも存在し、CAM型光合成を行う。花被は6弁が合着し管状で朱色ないし黄色。雌蕊1つに対して雄蕊は6つある。花序は総状花序で花茎は数cm~1mに伸びる。花粉は主にタイヨウチョウ科の鳥が媒介する。 茎は目だった茎を持たないものから高く伸びるもの、めったに分枝しないものから多数に分枝するものまで多様である。 高木状に成長する種では幹の皮層の内側に維管束形成層が生じ肥大成長を行う。生薬アロエはアラビア語のAllochに由来し、古代オリエント・古代ギリシア・古代ローマでは既に薬用として栽培されていた。東アジアには宋代にアロエの乾燥した塊が伝えられて『開宝本草』に「奴薈」「蘆薈」の名で現れ、明代の『本草綱目』にも皮膚病の薬として載せられているが、植物自体は伝えられていなかったようで、アロエそのものは広葉樹であると誤解されていたらしい。日本への輸入時期は不明だが、遅くとも江戸時代には薬草として知られていた。日本薬局方に基原植物として収載されているアロエは、アロエ・フェロックス (A. ferox、ケープアロエともいう)及び、これとアロエ・アフリカーナ (A. africana)、 またはアロエ・スピカータ (A. spicata) との雑種と定められている。これらの葉の汁を濃縮乾燥させたものが、日本薬局方でいう「アロエ」である。なお、キダチアロエ・ケープアロエ以外の観葉植物として出回っているほとんどのアロエには、薬効となる成分は含まれていないので、誤った使用をすべきではない。キダチアロエは、昔から俗に「医者いらず」といわれてきたものであり、葉肉の内服で健胃効果があるとされ、また含有するバルバロインの下剤効果により便秘に効果がある。ただし、体質によっては胃炎を起こす場合があることや、継続摂取による大腸の色素沈着を起こすことがあることなども報告されている。また外用として傷や火傷に用いられる場合もあるが、逆に悪化させた例も報告されており、使用には一定の注意が必要である。なお、ドイツの薬用植物の評価委員会コミッションEによれば、ゲル状物質(葉の中央にある柔組織に存在する粘性の物質)の外用は、痛みや火傷の回復に対して有効性が示唆されている。注意点:専門機関の研究によれば、子宮収縮作用が有るため、妊娠中の使用は避けるべきである。また、長期間の多量摂取や12歳以下の小児の摂取、妊娠中・授乳中や月経時及び腸の病気の場合、摂取には注意が必要である。利用多肉植物として栽培されることがあり,その葉が主に鑑賞され,楽しまれている。引用:Wikipedia
2018.12.20
コメント(0)
![]()
第一朗読イザヤ 7・10−14イザヤの預言 〔その日、〕主は更にアハズに向かって言われた。「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。」 しかし、アハズは言った。 「わたしは求めない。 主を試すようなことはしない。」 イザヤは言った。 「ダビデの家よ聞け。 あなたたちは人間に もどかしい思いをさせるだけでは足りず わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。 それゆえ、わたしの主が御自ら あなたたちにしるしを与えられる。 見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ。」 福音朗読ルカ 1・26−38ルカによる福音 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です今に生きる教会 カトリックの教会論
2018.12.20
コメント(0)

12月19日の花言葉はシクラメンで「内気なはにかみ 理解」です。シクラメン(カガリビバナ、ブタノマンジュウ、学名:Cyclamen persicum)はサクラソウ科シクラメン属に属する地中海地方が原産の多年草の球根植物の総称である。この記事においては特に明記しない限りはC. persicumとその品種、変種のみを指して用いる。なお、属名の Cyclamen を発音に忠実にして表記すると「キクラメン」となり、文献によっては、「キクラメン・〜」と表記する場合もある。生態シクラメンは元々地中海沿岸、ギリシャからチュニジアにかけて原種が自生している。学名は受粉後に花茎が螺旋状に変化する性質からギリシア語のキクロス(kiklos:螺旋・円)から命名された。ただしC. persicumやC. somalense は、花茎は巻かずに垂れる[7]。シクラメンは双子葉植物として分類されているが、実際に土から芽を出す時は一枚しか出てこない。また、子葉から数えて7、8枚目の葉が出た頃から花芽の形成が始まる。ハート形をした柄の長い葉には白斑があり、花茎を伸ばし花をつける。また、葉芽と花芽は一対一で発生して行く。日本においては秋から春にかけて花が咲く。一重や八重、花の色は白や赤・黄・桃色などと多様性に富んでいる。花を放って置くとすぐ結実するが、結実させたままにすると株が弱り、最悪枯れてしまうので、採種が目的でも数輪残すだけ、採種が目的でなければ全て取り除くのが好ましい。球根は茎が肥大したもので、分球しない。この種の球根は表皮がコルク状で、乾燥に よく耐えることが出来る。球根が地上に露出した状態を好む。歴史西洋現在のシクラメンの元になったC. persicum古来は花ではなく、塊茎の澱粉を注目され、サポニン配糖体シクラミン(Cyclamin)を含む有毒にもかかわらず「アルプスのスミレ」などの美称があり、食用とされていた。しかし、大航海時代以後ジャガイモがもたらされると、シクラメンを食用にする習慣はなくなった。また、かつてギリシャでは塊茎が亀に似ることから「ケロニオン(亀)」と呼ばれていた[5]。アプレイウスは著書「本草書」の中で、シクラメンを鼻に詰めると脱毛に効果があると指摘している[10]。ウィリアム・ターナーは、シクラメンはお産の時の強力な薬なので、妊婦はまたがないほうが良いと言っている。また、同氏は1551年に「sows bread」(雌豚のパン=放し飼いの豚がシクラメンの球根を食べてしまうことから命名したが、1895年キャノン・H・N・エラコムは庭に入って来た豚は掘り返したが、食べようとしなかったと述べている[5])として紹介している。1650年代、現在のシクラメンの元になったC. persicumがイギリスに入ってきた。シクラメンに関する伝説で、草花好きだったソロモン王が王冠に何か花のデザインを取り入れようと思い様々な花と交渉するが断られ、唯一承諾してくれたシクラメンに感謝すると、シクラメンはそれまで上を向いていたのを、恥ずかしさと嬉しさのあまりにうつむいてしまった、というものがある。これは、シクラメン(カガリビバナ)が やや下向きに花をつけることが多いことに基づいた伝説であり、この花の花言葉が「内気なはにかみ」とされているのはそのことによると考えられる。日本鉢植えのシクラメン。日本ではシクラメンは最も生産されている鉢植え植物である。日本には明治時代に伝わった。日本での本格的な栽培は、岐阜県恵那市の伊藤孝重の手により始まったとされる[11]。戦後、急速に普及し、日本での品種改良も進められ、花色も黄色や二色、フリンジ咲き、八重咲きなどが登場。日本における鉢植え植物では生産量はトップクラスで、冬の鉢植えの代表格として定着している。カガリビバナという名の由来は、この花を見たある日本の貴婦人(九条武子だといわれている)が、「これはかがり火の様な花ですね」と言ったのを聞いた植物学者・牧野富太郎が名付けた。「ブタノマンジュウ(豚の饅頭)」は、植物学者・大久保三郎[14]が英名を日本語にそのまま直した名前である。「死」「苦」との語呂合わせ、花の赤色は血をイメージするなど、病院への見舞いにこの花や鉢植えを持っていく事は縁起が悪い組み合わせとされている。品種ガーデンシクラメン従来、鉢で育てる室内観賞用のシクラメンが一般的であったが、原種との交雑により、1996年(平成8年)に埼玉県児玉郡児玉町(現本庄市)の田島嶽が屋外に植栽可能な耐寒性のあるミニシクラメンの系統を選抜し、「ガーデンシクラメン」として売り出したのがこの種類のシクラメンの始まりである(ただし最初にガーデンシクラメンとして選ばれたのは、古くからミニシクラメンとして流通していた「F1ミニメイト」という品種)。この「ガーデンシクラメン」はガーデニングブームの波に乗り流行し、全国で生産が始まり、瞬く間に普及した。芳香性シクラメン通常、栽培種のシクラメンは全く香りがしないか、香りが薄いのが一般的である。前述のとおり栽培種のシクラメンはドイツにおいてC.persicumという種から花が大きくて綺麗なものを長年に渡り選抜していった結果、香りは注目されずに徐々に失われていったためである。これは、この種のシクラメンの香気は埃・乾燥した木材様のセスキテルペンという成分が主体であり、一般に臭いと感じる事に起因する。なお、日本では布施明の歌『シクラメンのかほり』(小椋佳作詞・作曲)が1975年(昭和50年)にヒットしたことによってシクラメンの香気に対する期待感や要望が表れるようになった。このため、一般の栽培種のシクラメン生産者や育種家らの手によって香りのシクラメンの育成がされてきた。これは、C. persicum種の中に僅かに含まれる香気であるシトロネロールというバラ様の香気成分が突然変異などにより比較的に多く含まれるものを選抜したものであるが、親の遺伝によって香りが良くないとされるセスキテルペンの香気成分も無くならない事が多いため、基本的な香り成分の種類には差が少なく芳香なシクラメンの作成は困難であった。このようななか、1996年(平成8年)に埼玉県農林総合研究センター園芸支所(現園芸研究所)がバイオテクノロジーを用いて、栽培種であるC.persicum種と芳香を有する野生種であるC.purpurascens種との種間交雑[(2n=2x=48)×(2n=2x=34)=(n=41)]を行い(交配後21日の未熟胚を培養[注釈 1])、種子で増殖可能な交雑種(2n=82)の2系統の育成(胚培養で得られた個体は不稔のため、組織培養による増殖とコルヒチン処理で染色体数を増やす)に世界で初めて成功した。なお、ペルシカム種を用いた種間交雑種はこれが初めてであるが、異種間交配種は自然交雑種も含めていくつか存在する。C.purpurascensの原種は、花は小さく質素であるが、バラ様の香気成分であるシトロネロールやシナミルアルコールというヒアシンス様の香気成分、スズラン様の香気成分を発する種である。この種間交雑により、花や株は一般の園芸種のように大きく、香りはこの野生種の芳香が大きな花から多く発せられる、いわゆる「芳香シクラメン」が誕生することとなり、従来の園芸種とは全く違うバラとヒアシンスを合わせたような香気を持つ栽培用シクラメンが一般に流通するに至った。現在、埼玉県がこの芳香シクラメンについて花色の違う3品種の育成を行い、「孤高の香り」(紫) 「麗しの香り」(ピンク)の2品種を種苗登録するとともに「香りの舞い」(濃紫)の1品種を出願している。その後これら第一世代の品種を組織培養し、イオンビーム照射でDNAに変異を起こさせることで、親品種と花色の異なる「天女の舞」(サーモンピンク・麗しの香りの変異) 「絹の舞」(白・孤高の香りの変異)「みやびの舞」(赤紫・香りの舞いの変異)が生み出された。このことにより、これまで花の“色”と“形”しか品種の違いがなかったシクラメンに“香り”という新たなアイテムが加えられ、消費者の選択肢が広がった。原種シクラメンこれまでの園芸用のシクラメンはC.persicumという一種から改良された品種であった。しかし、ガーデンニング人気の高まりとともに、野趣の富む「原種シクラメン」にも注目が集まり、園芸種の原種のほか、別の種に属する野生種が一部の収集家によって栽培されている。特に、C.hederifoliumやC.coumなどの種は流通量が多く購入しやすい。野生のシクラメン属全種は、ワシントン条約により輸入には許可が必要である(C.persicum の栽培変種の人工的に繁殖させた標本は、休眠中の塊茎として取引される標本を除くほか、この条約の適用を受けない)。引用:Wikipedia
2018.12.19
コメント(2)
![]()
第一朗読士師記 13・2−7、24−25士師記 〔そのころ、〕その名をマノアという一人の男がいた。彼はダンの氏族に属し、ツォルアの出身であった。彼の妻は不妊の女で、子を産んだことがなかった。主の御使いが彼女に現れて言った。「あなたは不妊の女で、子を産んだことがない。だが、身ごもって男の子を産むであろう。今後、ぶどう酒や強い飲み物を飲まず、汚れた物も一切食べないように気をつけよ。あなたは身ごもって男の子を産む。その子は胎内にいるときから、ナジル人として神にささげられているので、その子の頭にかみそりを当ててはならない。彼は、ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう。」女は夫のもとに来て言った。「神の人がわたしのところにおいでになりました。姿は神の御使いのようで、非常に恐ろしく、どこからおいでになったのかと尋ねることもできず、その方も名前を明かされませんでした。ただその方は、わたしが身ごもって男の子を産むことになっており、その子は胎内にいるときから死ぬ日までナジル人として神にささげられているので、わたしにぶどう酒や強い飲み物を飲まず、汚れた物も一切食べないようにとおっしゃいました。」 この女は男の子を産み、その名をサムソンと名付けた。子は成長し、主はその子を祝福された。主の霊が彼を奮い立たせ始めたのは、彼がツォルアとエシュタオルの間にあるマハネ・ダンにいたときのことであった。 福音朗読ルカ 1・5−25ルカによる福音 ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」 民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを、不思議に思っていた。ザカリアはやっと出て来たけれども、話すことができなかった。そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った。ザカリアは身振りで示すだけで、口が利けないままだった。やがて、務めの期間が終わって自分の家に帰った。その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた。そして、こう言った。「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですカトリックの信仰生活がわかる本
2018.12.19
コメント(0)

12月18 日の花言葉はフタバアオイで「細やかな愛情」です。フタバアオイ Asarum caulescens Maxim. は、ウマノスズクサ科の植物で、小型の草本。葉はハート形をしており、いわゆる『葵の御紋』のモデルであることで知られる。概説フタバアオイは名の通りハート形の葉を普通は二つつける特徴がある。花は小さくて、地際に俯いて咲く。花の構造などの特徴からカンアオイ類と区別して別属としたこともある。京都賀茂神社の葵祭で用いられることからカモアオイ(賀茂葵)の異名もある。標準和名は葉が二枚ずつ出ることに依る[1][2]。他に別名としてヒカゲグサ、フタバグサ、カザシグサ(挿頭草)、モロハグサ(両葉草)も知られる。特徴背の低い多年生草本。茎は地上を横に這い、多肉質で紫を帯びた褐色、節の間が長く伸び、枝分かれしてその先端には鱗片葉を互生する。葉は茎の先端に生じ、対生状に2つ(時に1つだけ)つく。葉は1年生で、長い柄がある。葉身は薄くて卵心形で、先端は尖り、基部は深い心形で半円形の側片がある。葉の面には、初めは両面、特に葉脈の上に白く短い毛があり、同様の毛は葉の縁に沿っても並ぶ。花は対をなす葉柄の基部から出て一つだけ生じ、花柄には毛がある。花弁はなく、花弁状に発達した萼片は淡紫色で、下半分は融合して椀形となり、その外面には毛が多い。萼片の先端の三角状の列片は反り返って萼片基部に接する。花の構造上記のように花弁に見えるのは萼片であるが、ウスバサイシン類やカンアオイ類ではそれが先端の裂片を残して互いに癒合して壺状になり、カンアオイ類ではさらにその口が環状の構造によって狭まっているのに対して、この種では基部近くまで癒合せず、分かれている。めしべの花柱は6個あり、互いに合着して柱状になっている。雄しべはその周囲に12本あり、長い花糸を持つ。この花糸は、開花当初は反り返っているが、次第に立ち上がり、先端の葯が柱頭に近づくようになる。これは自家受粉をしやすくするものと考えられる。分布と生育環境日本固有種で、本州の福島県以南から九州まで分布する。環境省のレッドデータでは指定がないが、幾つかの県では取り上げられており、特に宮城県・香川県・福岡県では絶滅危惧I類に指定されている。温帯域の広葉樹林、あるいは針葉樹の混じった森林に生育し、暗い林床に生える。小型なので目立たないことも多いが、時に広範囲にまとまった大きな集団を作る。集団を作る場合、周辺に大きな葉を持つものが多く、花着きもいいが、中央では葉が小さく花を着けるものも少ない。カンアオイ類にはより小さな密集した塊を作るものはあるが、このような規模の大きな集団を作るものは少ない。これは、カンアオイ類が短く詰まった地下茎を持ってあまり広がらないのに対して、この種の地下茎が良く伸びてよく分枝するが、その代わりに寿命が5年以内と短く、古い部分が枯死するためである。このような集団は林内を次第に移動しているものと考えられる。生活史以下に和歌山県高野山の、標高850mの地域での例を中心に記す。その年の新しい葉は4月上旬に展開を始める。この時期、上に広がる落葉樹はまだ葉が伸び始めない。常緑の針葉樹は混じるものの、この時期には林床にまで光が届く。だが、4月中旬以降は低木にも葉が着き始め、その下は急激に暗くなる。いわゆるスプリング・エフェメラルは光の当たる林床で生育するものだが、この種はかなり暗くても生育が可能である。花芽と葉芽は前年の秋の内に形成を終えており、4月上旬に新葉が展開を始めると同時に開花も始まる。開花は丸一日かかり、午前中に口を開いた萼片は次第に反り返り、日暮れ頃にようやく釣り鐘形になる。六月中旬には結実、7月上旬には種子が散布される。果実は花の形ほぼそのままに、子房がやや膨らんだ形で成熟し、裂開して種子を散布する。この頃から地下茎も横に伸び、それと同時に古い地下茎は貯蔵した栄養を使い果たして朽ちる。これを繰り返すことで、この植物は地下茎を伸ばしては古い部分を枯死させ、水平的に広がりながら分断を繰り返す。地下茎は最大5年分が連結している例もあるが、大抵は3年目で枯死する。有性生殖この花は匂いも出さず、蜜腺もない。上記のようにこの種は自家受粉を頻繁に行っていると考えられ、実験的にも自家受粉の存在は確かめられている。ただしその稔性は高くない。カンアオイ類は地上歩行性の小動物によって花粉媒介されると言われるが、それらの花は地表で開花する。それに対して、この種では地面より上に伸びた花茎がやや俯いて開花する。従って地表を飛行する昆虫によって花粉媒介を受ける可能性は考えられるが、確認された例はない。種子には扁平なエライオソームがあり、アリ散布種子と考えられている。ただし確認はされていない。分類現在はカンアオイ属に含めるが、かつてはこの属は細分されたこともある。その際にはフタバアオイ属とされた。同物異名に Japonasarum caulescens (Maxim.) F. Maekawa がある。細分属を認めた場合、同属には国内ではオナガサイシン A. leptophyllum が沖縄本島に分布する。かつては萼片の癒合の程度が低いなどを原始的な特徴と見て、この類では祖先的な群と考えられていたが、現在ではむしろ、子房が完全に下位になっており、花柱が融合してずい柱のようになる点など、むしろ進化した特徴を持つ群とされ、フタバアオイ亜属としてまとめる。これにはヒマラヤから中国南部を経て日本までに10種、北アメリカに8種、ヨーロッパに1種を含め、これには上記のオナガサイシンも含まれる。利用・文化希に山野草として栽培される。 他に実利的な利用はない。ウスバサイシンなどの根は細辛と称して薬効があるとされ、本種も同様に利用されることもあるようだが、この種では辛みもなく、成分もかなり異なり、薬効は期待されない。京都の賀茂神社では葵祭にこれを用いることで知られる。この祭りの際は冠帽に葵桂を飾る。葵はあふひ(日向)=太陽・別雷(わけいかづち)に通じるとされる[18]。また牛車や桟敷、社前にも飾る。和歌においては、『あふひ』と標記されるが、その対象はこの植物とは限らない。万葉集には一首だけこの語が出現するが、それは「フユアオイ」を指すものとされる。平安期以降に本種を指すようになった。近代短歌ではタチアオイのことである場合が多い[20]。古今和歌集には「かくばかり逢ふ日(アフヒ)の希になる人をいかがつらしと思はざるべき」がある。また、この植物は徳川家のいわゆる『葵の御紋』のモデルになったことでも知られる。ミツバアオイと言う植物は存在しない。より実物に沿った二葉葵や立葵の紋もある。なお、いわゆる葵の紋にはこの種をモデルとしないらしいものもある。引用:Wikipedia
2018.12.18
コメント(0)
![]()
第一朗読エレミヤ 23・5−8エレミヤの預言 見よ、このような日が来る、と主は言われる。 わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。 王は治め、栄え この国に正義と恵みの業を行う。 彼の代にユダは救われ イスラエルは安らかに住む。 彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる。 それゆえ、見よ、このような日が来る、と主は言われる。人々はもはや、「イスラエルの人々をエジプトの国から導き上った主は生きておられる」と言って誓わず、「イスラエルの家の子孫を、北の国や、彼が追いやられた国々から導き上り、帰らせて自分の国に住まわせた主は生きておられる」と言って誓うようになる。 福音朗読マタイ 1・18−24マタイによる福音 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。 その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ〔た。〕 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史
2018.12.18
コメント(0)
![]()
第一朗読創世記 49・1-2、8-10創世記 〔その日、〕ヤコブは息子たちを呼び寄せて言った。 「集まりなさい。わたしは後の日にお前たちに起こることを語っておきたい。 ヤコブの息子たちよ、集まって耳を傾けよ。 お前たちの父イスラエルに耳を傾けよ。 ユダよ、あなたは兄弟たちにたたえられる。 あなたの手は敵の首を押さえ 父の子たちはあなたを伏し拝む。 ユダは獅子の子。 わたしの子よ、あなたは獲物を取って上って来る。 彼は雄獅子のようにうずくまり 雌獅子のように身を伏せる。 誰がこれを起こすことができようか。 王笏はユダから離れず 統治の杖は足の間から離れない。 ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う。」 福音朗読マタイ 1・1-17マタイによる福音 アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。 アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。 ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。 バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、ゼルバベルはアビウドを、アビウドはエリアキムを、エリアキムはアゾルを、アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。 こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロンへの移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】新・カトリックと日本人 世界最大の宗教を理解するための本 坂本尭/著
2018.12.17
コメント(0)

いけばな発祥の地、京都。名流各派の花の匠が、心をこめて生けこんだ作品が京の冬を華やかに演出し、ご入洛の方々をお出迎えいたします。※日程により出瓶流派が異なります。【出瓶流派】池坊・いけばな京花傳・いけばな京楓流・小原流・華道本能寺・京都未生流・清水流・桑原専慶流・香風流・小松流・嵯峨御流・専慶流・草月流・東山未生流・未生流・未生流中山文甫会(以上16流派)日程:2019年1月22日(火)~3月3日(日)6:00~23:00 ※毎週月曜日・木曜日は生け替えのためご覧いただけない時間帯があります 料金:無料(新幹線以外でお越しの方は駅入場券が必要) 場所:JR京都駅 新幹線コンコース(改札内)電話:075-213-1717(京都市観光協会)
2018.12.17
コメント(0)

12月17日の花言葉はビワで「ひそかな告白 温和」です。ビワ(枇杷、学名: Eriobotrya japonica)は、バラ科の常緑高木。原産は中国南西部であり、多くは果樹として栽培され、高さはおよそ10メートルほどになる。葉は濃い緑色で大きく、長い楕円形をしており、表面にはつやがあり、裏には産毛がある。そして、その大きな葉陰に楽器の琵琶に似た形をした一口大の多くの甘い実がなり、黄橙色に熟す。実の中に大きな種を一つ持つ。中国語でも「枇杷」(ピン音: pípá; 粤拼: pei4 paa4)と表記する他、「蘆橘」(ピン音: lú jú; 粤拼: lou4 gwat1)とも呼ばれ、英語の「loquat」は後者の広東語発音に由来する。日本には古代に持ち込まれたと考えられており、主に本州南部や四国や九州に分布する。またインドなどにも広がり、ビワを用いた様々な療法が生まれた。中国系移民がハワイに持ち込んだ他、日本からイスラエルやブラジルに広まった。トルコやレバノン・ギリシャ・イタリア南部・スペイン・フランス南・アフリカ北部などでも栽培される。日本においては梅雨のころに実がなるため、「枇杷」及び「枇杷の実」は仲夏(芒種〔6月6日頃〕から小暑の前日〔7月6日頃〕まで)の季語とされている[1]。また冬には、枝先にやや黄色味を帯びた白い五弁の小花を咲かせる。目立たない花ではあるけれどもかぐわしい香りを持ち、「枇杷の花」や「花枇杷」あるいは「枇杷咲く」などは初冬(はつふゆ:立冬〔11月8ごろ〕から大雪の前日〔12月7日ごろ〕まで)の季語となっている。栽培栽培種を蒔くと簡単に発芽するので、観葉植物として楽しむことが出来る。生長が速いので剪定で小型に育てると良い。実生苗の結実には7~8年の歳月を要する。自家結実性のため、他品種を混植する必要はない。殖やし方は実生、接木であるが挿し木も可能。剪定は9月。露地栽培の場合、摘房・摘蕾を10月、開花は11月〜2月、摘果を3月下旬〜4月上旬、袋かけを摘果と同時に行う。果実が大きくなるとモモチョッキリの食害を受ける。品種江戸時代末期に日本に導入され、明治時代から、茂木(もぎ)や田中などの果樹としての品種がいくつかある。現在ではその他に大房、瑞穂、クイーン長崎(福原)、白茂木、麗月、陽玉、涼風、長生早生、室戸早生、森尾早生、長崎早生、楠、なつたよりなど多くの品種がある。中国びわとして冠玉や大五星などがある。2006年、種なしびわである希房が品種登録された。古代に渡来し野生化した物と考えられる自生木もあるが、種が大きく果肉が薄いため果樹としての価値はほとんど無い。産地日本では全国でビワの実が3,240トン(2012年産、農林水産省統計)収穫され、長崎県、千葉県(南房総市)、愛媛県、鹿児島県など温暖な気候の土地で栽培されている。特に長崎県は、全国の3分の1近くを産する日本一の産地となっている[3]。近年は食の多様化や種子を取り出すなど食べにくさに加え、農家の高齢化等もあり、収穫量は2003年は9,240t、2008年は7,110t、そして2012年は3,240tと減り気味である。近年ではビニールハウスによる促成栽培も行われている。利用食用果肉は甘く、生食されるほかに缶詰などに加工されるが、種子が大きく廃棄率が30%以上である。生食する場合の可食率は65〜70%でバナナとほぼ同等である。ゼリーなどの菓子、ジャム等にも加工される。果実は咳、嘔吐、喉の渇きなどに対して効能を発揮する。薬用「大薬王樹」と呼ばれ、民間療薬として親しまれてもいる。なお、以下の利用方法・治療方法は特記しない場合、過去の歴史的な治療法であり、科学的に効果が証明されたものであることを示すものではない。葉はアミグダリンやクエン酸などを多く含み、乾燥させてビワ茶とされる他、直接患部に貼るなど生薬(枇杷葉(びわよう))として用いられる。葉の上にお灸を乗せる(温圧療法)とアミグダリンの鎮痛作用により神経痛に効果があるとされる。ただし、アミグダリンは胃腸で分解されると猛毒である青酸を発生する。そのため、葉などアミグダリンが多く含まれる部位を経口摂取する際は、取り扱いを間違えると健康を害し、最悪の場合は命を落とす危険性がある。果実酒氷砂糖とホワイトリカーだけでも作れるが、ビワは酸味が非常に少ないので、皮むきレモンの輪切りを加えて漬け込むとよい。また、果肉を用いずにビワの種子のみを使ったビワ種酒は、杏仁に共通する芳香を持ち、通の間で好まれる。木材乾燥させると非常に硬い上に粘りが強く、昔から杖の材料として利用されていた。現在でも上記の薬用効果にあやかり、乾燥させて磨いた物を縁起物の『長寿杖』と称して利用されている。激しく打ち合わせても折れることがないことから、剣道・剣術用の高級な木刀として利用されている。ビワにまつわる言葉等桃栗三年柿八年枇杷(は早くて)十三年引用:Wikipedia
2018.12.17
コメント(0)
![]()
第一朗読ゼファニヤ 3・14−17ゼファニヤの預言娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。主はお前に対する裁きを退けお前の敵を追い払われた。イスラエルの王なる主はお前の中におられる。お前はもはや、災いを恐れることはない。その日、人々はエルサレムに向かって言う。「シオンよ、恐れるな力なく手を垂れるな。お前の主なる神はお前のただ中におられ勇士であって勝利を与えられる。主はお前のゆえに喜び楽しみ愛によってお前を新たにしお前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」 第二朗読フィリピ 4・4−7使徒パウロのフィリピの教会への手紙 〔皆さん、〕主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。 福音朗読ルカ 3・10−18ルカによる福音 〔そのとき、群集はヨハネに、〕「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。 民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。 この日の祭服などの色は、習慣のあるところでは、ばら色を用いることもできます。(カトリック典礼委員会編『ローマ・ミサ典礼書の総則(暫定版)』 346-f )聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】使徒言行録を読む 聖霊に導かれて カトリック京都司教区聖書委員会/企画・編集
2018.12.16
コメント(0)

4人の巫女が、めでたい扇の舞と祓(はらい)神楽を舞います。そして襷がけの巫女が湯気の立ち上る大釜の前に進み出て、沸き立つ湯を笹の葉で勢いよく散らして邪気を祓い、無病息災、願望成就を祈ります。神楽の後、福笹が特別授与されます。日程:2019年1月20日(日)14:00~ 料金:無料、福笹1,000円 場所:城南宮
2018.12.16
コメント(0)

12月16日の花言葉はカンギクで「繊細」です。
2018.12.16
コメント(0)

上賀茂神社では、元旦の「歳旦祭」をはじめ、新年にさまざまな祭事が催されます。その一つである武射神事は、一年の除災を祈る行事。馬に乗って矢を射る流鏑馬に対し、「武射」は「歩射」から転じた言葉だといわれ、徒歩で矢を射ます。烏帽子と狩衣を身にまとった神官や小笠原流一門が古式にのっとり、裏に「鬼」と書いた的を射て邪気を祓います。日程:2019年1月16日(水)10:30頃~ 料金:無料 場所:上賀茂神社[賀茂別雷神社]
2018.12.15
コメント(0)
![]()
第一朗読シラ 48・1−4、9−11シラ書〔そのころ、〕火のような預言者エリヤが登場した。彼の言葉は松明のように燃えていた。彼は人々に飢饉をもたらし、その熱意をもって人々の数を減らした。彼は主の言葉によって天を閉ざし、三度、火を降らせた。エリヤよ、あなたはその驚くべき業のゆえに、どれほどほめたたえられたことだろうか。あなたと等しく誇りうる者があろうか。あなたは火の旋風に包まれ、火の馬の引く車に乗せられ天に上げられた。あなたは、書き記されているとおり、定められた時に備える者。神の怒りが激しくなる前に、これを静め、父の心を子に向けさせ、ヤコブの諸部族を立て直す者。あなたを見る者、また、愛のうちに眠りについた者は幸いである。確かに、わたしたちも生きるであろう。 福音朗読マタイ 17・10−13マタイによる福音 〔山を下りるとき、弟子たちは〕イエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。イエスはお答えになった。「確かにエリヤが来て、すべてを元どおりにする。言っておくが、エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史
2018.12.15
コメント(0)
![]()
第一朗読イザヤ 48・17−19イザヤの預言イスラエルの聖なる神あなたを贖う主はこう言われる。わたしは主、あなたの神わたしはあなたを教えて力をもたせあなたを導いて道を行かせる。わたしの戒めに耳を傾けるならあなたの平和は大河のように恵みは海の波のようになる。あなたの子孫は砂のようにあなたから出る子らは砂の粒のように増えその名はわたしの前から断たれることも、滅ぼされることもない。 福音朗読マタイ 11・16−19マタイによる福音〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。 『笛を吹いたのに、 踊ってくれなかった。 葬式の歌をうたったのに、 悲しんでくれなかった。』ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」 1542年頃、スペインのフォンティベロスで生まれる。カルメル会に入会後、アビラの聖テレジアに刺激され、1568年、男子カルメル会の改革に着手、たいへん苦労しながらも、改革の仕事を最後まで続行した。1591年、ウベダで死去。彼の傑出した聖性と英知を示す優れた霊的著作を残した。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です極みなく美しき声の告げ復刻版 [ カトリックグラフ特別取材班 ]
2018.12.14
コメント(0)

平安時代のころから、新春に小豆粥を食べると邪気を払い、一年を無病息災で過ごせると伝えられてきました。東林院では風情ある庭と、水琴窟の音色を愛でながら、小豆粥がいただけます。禅寺の精進料理として、お膳が調えられます。日程:2019年1月15日(火)~31日(木)11:00~15:00 料金:3,800円(梅湯茶礼、小豆粥の精進料理ほか) 場所:妙心寺 東林院
2018.12.14
コメント(0)

12月15日の花言葉はセンリョウで「富 可憐」です。センリョウ(仙蓼/千両、Sarcandra glabra(Thunb.) Nakai)はセンリョウ科の常緑小低木。冬に赤い果実をつけ美しいので栽培され、特に名前がめでたいのでマンリョウ(万両)などとともに正月の縁起物とされる。特徴高さは50~100cm。葉は対生。花は黄緑色で7~8月頃に咲き、茎の先に穂状花序をつくる。花には花被がなく、花軸に緑色の雌しべが付き、その側面に薄緑色の雄しべが直接出る変わった姿でをしている。果実は液果で10月頃から赤く熟し、翌年2月頃まで見られる。被子植物であるにもかかわらず、維管束の木部は導管でなく、裸子植物同様の仮導管から構成されている。花の構造の特殊性と共に、この植物の原始性を表す特徴と考えられる。分布と生育環境東アジア~インドに分布する。日本では南関東・東海地方~九州・沖縄までの比較的暖かい常緑樹林下に自生している。
2018.12.14
コメント(0)

12月13日の花言葉はヤツデで「分別」です。ヤツデ(八つ手、学名: Fatsia japonica)は、ウコギ科ヤツデ属の常緑低木。葉が大型で独特の形をしているのでよく目立ち、見分けやすい。学名の Fatsia は日本語の「八」(古い発音で「ふぁち」、「ふぁつ」)または「八手(はっしゅ)」に由来するという。形態・生態20cm以上もある大きな葉をつける。葉はつやがあり、やや厚手。形は文字通り掌状だが、7つまたは9つ(奇数)に裂けており、8つに裂けることは稀。花は晩秋に咲き、球状の散形花序がさらに集まって大きな円錐花序をつくる。花びらは小さいが、花茎を含めて黄白色でよく目立つ。他の花が少ない時期に咲くため、気温が高い日はミツバチやハナアブ、ハエなどが多く訪れる。果実は翌春に黒く熟す。分布関東以西の、おもに海岸近くの森林周辺に自生する。日当たりの悪い森林のなかにもよく自生しているのが見られる。人間との関わり庭木としても利用される丈夫なので庭木としてもよく植えられる。葉を乾燥させたものは「八角金盤」と呼ばれる生薬になり、去痰などの薬として用いられる。しかし、葉などにはヤツデサポニンという物質が含まれ、過剰摂取すると下痢や嘔吐、溶血を起こす。このため、昔は蛆用の殺虫剤として用いていたこともある。古い鉄道駅の一角に栽培されていることが多いが、これはかつて汲み取り便所の蛆殺しにその葉を使っていたためである。引用:Wikipedia
2018.12.13
コメント(0)

商売繁盛、学業成就などさまざまな福徳をもたらす神として信仰を集める七福神。中国では「九」は最大の吉数とされ、また「久しく」福が続くようにと「久福神巡り」ともいわれることがあるように、泉涌寺の「泉山七福神巡り」では山内の各塔頭に祀られた七福神のほか、新善光寺・愛染明王と泉涌寺本坊楊貴妃観音堂・楊貴妃観音を加えた9ヶ所を参拝します。まずは即成院で福笹(無料)を受け取ります。常緑で垂直に伸びた竹から取った福笹は「商売も運勢も上向きに」との意味が込められており、その福笹に福神それぞれの吉兆(300円~)をつけながらめぐります。日程:2019年1月14日(月・祝)8:00~16:00 料金:福笹無料、吉兆の授与品は300円~ 場所:泉涌寺 ほか各塔頭電話:075-561-1551(泉涌寺)
2018.12.13
コメント(0)
![]()
第一朗読イザヤ 41・13−20イザヤの預言わたしは主、あなたの神。あなたの右の手を固く取って言う恐れるな、わたしはあなたを助ける、と。あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神主は言われる。恐れるな、虫けらのようなヤコブよイスラエルの人々よ、わたしはあなたを助ける。見よ、わたしはあなたを打穀機とする新しく、鋭く、多くの刃をつけた打穀機と。あなたは山々を踏み砕き、丘をもみ殻とする。あなたがそれをあおると、風が巻き上げ嵐がそれを散らす。あなたは主によって喜び躍りイスラエルの聖なる神によって誇る。苦しむ人、貧しい人は水を求めても得ず渇きに舌は干上がる。主であるわたしが彼らに答えよう。イスラエルの神であるわたしは彼らを見捨てない。わたしは不毛の高原に大河を開き谷あいの野に泉を湧き出させる。荒れ野を湖とし乾いた地を水の源とする。荒れ野に杉やアカシヤをミルトスやオリーブの木を植え荒れ地に糸杉、樅、つげの木を共に茂らせる。彼らはこれを見て、悟り互いに気づかせ、目覚めさせる主の御手がこれを成し遂げイスラエルの聖なる神がこれを創造されたことを。 福音朗読マタイ 11・11−15マタイによる福音 〔そのとき、イエスは人々に言われた。〕「はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである。耳のある者は聞きなさい。」 ディオクレチアヌス帝によるキリスト教迫害の間に、おそらくシチリア島のシラクサで亡くなった。ルチアに対する崇敬は、古代からほとんど全教会に広まり、ローマ典文(第1奉献文)にその名前が入れられた。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですこころにひかりを よくわかるカトリック入門 / ガエタノ・コンプリ 【本】
2018.12.13
コメント(0)

12月12日の花言葉はマンリョウで「寿ぎ」です。マンリョウ(万両、学名: Ardisia crenata)は、サクラソウ科(またはヤブコウジ科)ヤブコウジ属の常緑小低木。林内に生育し、冬に熟す果実が美しいので栽培され、特に名前がめでたいのでセンリョウ(千両)などとともに正月の縁起物とされる。形態・生態高さは1mほど。同属のヤブコウジと似ているが、ヤブコウジは高さ10cmほどなので区別ができる。根元から新しい幹を出して株立ちとなる。葉は縁が波打ち、互生する。葉の波状に膨れた部分には、共生細菌が詰まった部屋が内部に形成されている。また、葉は光に透かすと黒点が見える。花は白色で、7月頃に咲き、小枝の先に散形花序をなす。果実は液果で、10月頃に赤く熟し、翌年2月頃まで枝に見られる。栽培品種には白や黄色の果実もある。分布東アジア〜インドの温暖な場所に広く分布する。日本では、関東地方以西~四国・九州・沖縄に自生するほか、庭木などとしても植えられている。なお、アメリカ合衆国フロリダ州では外来有害植物[3]として問題になっている。人間との関わりいわゆる古典園芸植物のひとつで、江戸時代には葉が縮れたりした変異個体が選抜されて、多様な品種群が栽培された。引用:Wikipedia
2018.12.12
コメント(0)

楊柳(やなぎ)のお加持はインド伝来で、平安時代からの伝統を持つ法要。儀式では聖樹とされる「楊柳」で観音様に祈願した法水を参拝者に注いで無病息災を願うもので、特に頭痛に効くと伝えられます。同日に開催される大的全国大会は、江戸時代の「通し矢」にちなむ大会で全国から約2000人が参加します。特に新成人の晴れ姿での競技は、正月ならではの華やかさで、京都の冬の風物詩のひとつです。日程:2019年1月13日(日)9:00~15:30 料金:無料 場所:三十三間堂[蓮華王院]
2018.12.12
コメント(0)
![]()
第一朗読イザヤ 40・25−31イザヤの預言お前たちはわたしを誰に似せ誰に比べようとするのか、と聖なる神は言われる。目を高く上げ、誰が天の万象を創造したかを見よ。それらを数えて、引き出された方それぞれの名を呼ばれる方の力の強さ、激しい勢いから逃れうるものはない。ヤコブよ、なぜ言うのかイスラエルよ、なぜ断言するのかわたしの道は主に隠されている、とわたしの裁きは神に忘れられた、と。あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなくその英知は究めがたい。疲れた者に力を与え勢いを失っている者に大きな力を与えられる。若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが主に望みをおく人は新たな力を得鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。 福音朗読マタイ 11・28−30マタイによる福音 〔そのとき、イエスは言われた。〕「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」 【任意・12月12日 グアダルペの聖母】1531年、現在のメキシコの首都メキシコシティー近郊のテペヤクの丘で、聖アリアがインディオ(先住民)の家に生まれたホァン・ディエゴに現れた。彼の外套にはマリアの姿が現れ、当地では現在の崇敬されている。純粋な信仰を保ったホァン・ディエゴをとおして、グアダルペの聖母にささげられた大聖堂はすべての人を招いている。この記念日は2002年に一般ローマ暦に加えられた。(カトリック中央協議会刊『毎日のミサ』2012年12月号 より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用ですオーソドックスとカトリック どのように違うのか歴史と多様性を知る [ 及川信 ]
2018.12.12
コメント(0)
![]()
第一朗読イザヤ 40・1−11イザヤの預言慰めよ、わたしの民を慰めよとあなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ彼女に呼びかけよ苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを主の御手から受けた、と。呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備えわたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむがわたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。高い山に登れ良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるなユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い主の働きの実りは御前を進む。主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。 福音朗読マタイ 18・12−14マタイによる福音 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」 【任意・12月11日 聖ダマソ1世教皇】305年頃、スペインで生まれる。ローマで聖職者となり、366年、困難な時代にローマ教皇となる。離教者や異端者に対抗するために多くの教会会議を開き、殉教者に対する崇敬を広め、彼らの墓に碑文をささげた。384年に死去。(カトリック中央協議会刊/日本カトリック典礼委員会編・監修『毎日の読書』より)聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【店内全品5倍】カトリック入信以前 小さな回心の記録/池田義彦【3000円以上送料無料】
2018.12.11
コメント(0)

年頭にあたり、邪気や陰気を祓い、陽気を迎える神事。本殿での祭典後、神苑祭場で副斎主が神矢で四方天地を射てから、神職2名がそれぞれ2本の矢でオロチに見立てた約15mの注連縄の中央に取り付けられた大的を射ます。かつてはこのときの矢の当たり方で今年の豊凶を占ったとされています。日程:2019年1月12日(土)14:00~ 料金:無料 場所:伏見稲荷大社
2018.12.11
コメント(0)

12月11日の花言葉はヤドリギで「困難に打ち勝つ」です。ヤドリギ(宿り木)は広義にはヤドリギ類 (Mistletoe) の総称的通称だが、狭義には特にそのうちの一種、日本に自生する Viscum album subsp. coloratum の標準和名である。狭義のヤドリギ Viscum album subsp. coloratum は、セイヨウヤドリギ Viscum album (英語: European mistletoe, common mistletoe)の亜種である。この項目ではViscum albumとその亜種について解説する。なお、学名はラテン語により、「白い(album)宿り木(viscum)」の意。従来はヤドリギ科に属すとされていたが、現在(APG植物分類体系)はビャクダン科に含められている。特徴ヨーロッパおよび西部・南部アジア原産。半寄生の灌木で、他の樹木の枝の上に生育する。30-100cmほどの長さの叉状に分枝した枝を持つ。黄色みを帯びた緑色の葉は1組ずつ対をなし、革のような質感で、長さ2–8センチメートル、幅0.8–2.5cmほどの大きさのものが全体にわたってついている。花はあまり目立たない黄緑色で、直径2–3cm程度である。果実は白または黄色の液果であり、数個の種子が非常に粘着質なにかわ状の繊維に包まれている。全体としては、半ば宿主の枝から垂れ下がって、団塊状の株を形成する。宿主が落葉すると、この形が遠くからでも見て取れるようになる。日本のヤドリギ日本のヤドリギは上記のようにセイヨウヤドリギの亜種とされる。基亜種の果実が白く熟すのに対し、淡黄色になる。まれに橙黄色になるものがあり、アカミヤドリギ f. rubro-aurantiacum と呼ばれる。宿主樹木はエノキ・クリ・アカシデ・ヤナギ類・ブナ・ミズナラ・クワ・サクラなど幅広いが、基亜種よりは多くない。果実は冬季に鳥に食われる。キレンジャク・ヒレンジャクなどがよく集まることで知られる。果実の内部は粘りがあり、種子はそれに包まれているため、鳥の腸を容易く通り抜け、長く粘液質の糸を引いて樹上に落ちる。その状態でぶら下がっているのが見られることも多い。粘液によって樹皮上に張り付くと、そこで発芽して樹皮に向けて根を下ろし、寄生がはじまる。文化人類学 者のジェームズ・フレイザーの著作『金枝篇』の金枝とは宿り木のことで、この書を書いた発端が、イタリアのネミにおける宿り木信仰、「祭司殺し」の謎に発していることから採られたものである。古代ケルト族の神官ドルイドによれば、宿り木は神聖な植物で、もっとも神聖視されているオーク に宿るものは何より珍重された。クリスマスには宿り木を飾ったり、宿り木の下でキスをすることが許される。引用:Wikipedia
2018.12.11
コメント(0)
![]()
第一朗読イザヤ 35・1−10イザヤの預言荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ砂漠よ、喜び、花を咲かせよ野ばらの花を一面に咲かせよ。花を咲かせ大いに喜んで、声をあげよ。砂漠はレバノンの栄光を与えられカルメルとシャロンの輝きに飾られる。人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。弱った手に力を込めよろめく膝を強くせよ。心おののく人々に言え。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる。」そのとき、見えない人の目が開き聞こえない人の耳が開く。そのとき歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。荒れ野に水が湧きいで荒れ地に川が流れる。熱した砂地は湖となり乾いた地は水の湧くところとなる。山犬がうずくまるところは葦やパピルスの茂るところとなる。そこに大路が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれ汚れた者がその道を通ることはない。主御自身がその民に先立って歩まれ愚か者がそこに迷い入ることはない。そこに、獅子はおらず獣が上って来て襲いかかることもない。解き放たれた人々がそこを進み主に贖われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え嘆きと悲しみは逃げ去る。 福音朗読ルカ 5・17−26ルカによる福音 ある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていた。この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのである。主の力が働いて、イエスは病気をいやしておられた。すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた。「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。「何を心の中で考えているのか。『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われた。その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。人々は皆大変驚き、神を賛美し始めた。そして、恐れに打たれて、「今日、驚くべきことを見た」と言った。 聖書本文は 日本聖書協会刊「新共同訳聖書」からの引用です【新品】【本】新・カトリックと日本人 世界最大の宗教を理解するための本 坂本尭/著
2018.12.10
コメント(0)

商売繁盛・家内安全の神で「京のえべっさん」の名で親しまれる恵美須神社。初ゑびすはゑびす神の誕生日(1/10)をはさんだ5日間行われ、期間中は「商売繁盛でササ持って来い」との掛け声とともに吉兆笹が授与されます。11日には舞妓さんによる授与が行われます。境内をはじめ付近には多くの露店が並び、賑わいます。日程:2019年1月8日(火)~12日(土)8日 招福祭 9:00~23:00 9日 宵ゑびす祭 9:00~夜通し開門 10日 十日ゑびす大祭 夜通し開門 11日 残り福祭 ~24:0012日 撤福祭 9:00~22:00 料金:福笹3,000円、福俵・福箕・福鯛・福熊手各1,000円 場所:恵美須神社
2018.12.10
コメント(0)

12月10日の花言葉はフユサンゴで「神秘的」です。タマサンゴ(玉珊瑚、学名:Solanum pseudocapsicum)はナス科ナス属の非耐寒性常緑低木。別名、リュウノタマ、フユサンゴ。特徴ブラジル原産の常緑低木。花期は5-9月頃であるが、花よりも果実を鑑賞するために栽培される。結実は8-12月頃で、球形の果実が赤く熟していくところを鑑賞する。引用:Wikipedia
2018.12.10
コメント(0)
全77件 (77件中 1-50件目)


