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反省法案成立 トラドキスタン議会は、日本国で柳沢厚生労働大臣の「女は子どもを産む機械」発言を受けて、反省法案を可決した。 「深く反省し、今後このようなことが起きないように」という言い回しは、暗に「私は反省などしておりません」と言っているようなもの。 こんな無意味な反省の弁を公共の電波で流すとは何事か。 反省法には、反省の弁に「反省」の文字を盛り込んではならないことを明記している。 根底にどのような問題があり、それがどのような原因で失言となったかを明らかにしていないものを反省の弁と呼ぶことはできない。 トラドキスタン政府は日本政府に対して、早急にこのような法律を制定するよう、外交圧力をかける。 まさに、政治家とは国際感覚のない発言をして国の顔に泥を塗る機械である。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.01.31
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もうひとつの抗議 手長は同時に、いくぶん趣の異なるもうひとつの抗議に悩まされていた。 エレマーではもともと、医学分野の講師にアミスクの翻訳を担った会社の社長を抜擢していたが、日本語に重大な欠陥があるとの指摘を受けて、この講師を首にし、新たに新興医薬翻訳会社ガンダーラコーポレーションの社員を講師に据えていた。 ところが、この講師の日本語にも大きな問題点を指摘する声が相次いだ。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.01.31
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トラドキスタンで折衷形態法案が成立して以来、手長のもとには日本国でももっとそういう考え方を徹底させろという電話が頻繁にかかってきた。 翻訳というものが、生身の人間が作業するものである以上、どうしても避けられない宿命がある。 翻訳者にとっては、どれだけ時間がかかろうとも、一定以上の料金を要求することができない。たとえば、1枚(わざわざ断る必要もないが、近頃1枚の意味もわからない翻訳者が増えているから、敢えて断っておく。1枚とは原稿用紙1枚のこと。何字になるかは自分で調べるべし)に30時間かかったからといって、30時間分の時間給を請求することはできない。 逆に、支払う側からすれば、できの悪いものでも、翻訳者が生活の糧にしているかぎりは、べらぼうに安い料金で買い叩くわけにはいかない。 トラドキスタンの折衷形態法案では、翻訳作業の請負形態が雇用契約と業務契約の中間に位置することを明記し、報酬として支払うべき料金は時間報酬と成果物報酬の二本立て表示にすることを義務づけている。 時間報酬はあくまでも600円。1枚を翻訳するのに要する時間の上限を2時間とし、それよりも作業の遅い翻訳者のことは一応考えないことにする。成果物対価の下限を200円とすると、翻訳者側からみた時間給は700円となり、かろうじて「最低賃金」が確保されることになる。 二本立ての単価設定は、これまで見えなかったものをはっきりと目に見えるようにしてくれる。 単価にすれば、1400円、1500円、1600円の違いにすぎないのに、翻訳会社が成果物に支払う対価はそれぞれ200円、800円、1400円となり、翻訳者からみた時間給については、700円、2000円、4800円という大きな差が生じる。 これが実態である。 単価だけをみると、かなり均質に近い世界に見えるが、あとの数字を見ると実にいびつな世界であることがわかる。 エレマーはまず、そういうことを踏まえたうえで行動せよ。 手長は、どこかに途轍もなく大きなうねりが生じているのを感じていた。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.01.31
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【日本内乱】のつづきです。 では、子どもがいなかった食料品店はどうなったかというと、「英語を学べばバカになる」(光文社新書)をあまりにもおおっぴらに読みすぎた。 それがいけなかったらしい。 食料品店の親父とつきあって、万一、自分も同じ部類に属すると思われては大変だ。そう思って、みんな敬遠するようになった。 この町ではだれもみな、英語を広めることに関して、賛成か反対か、絶対に他人に知られてはならない。だれもがそのことに全神経を使って生きている。
2007.01.30
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× ある集まりで初対面の女性と話してて「よかった~」と彼女が言うのです。 トラドキスタンでは「彼」、「彼女」は日本語になったようで同化しきれていないと考えています。これなんかその好例です。この「彼女」が「初対面の女性」のことをさすのかどうか、決定的なところはわかりません。 代名詞というものを、そういう中途半端なかたちで導入してはいけないのです。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.01.30
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【日本内乱】のつづきです。 小学生の話では、米屋の息子が学校の英語の成績がよいことはみな知っていたが、受験に必要なだけでなく、将来も英語の勉強を続け、日本人の英語教育に貢献したいというようなことを口にしてしまったらしい。 息子はもちろん、親も同じ考えであることはっきりと知れ渡ってしまった。 仮に推進派を黒、反対派を白とすれば、琴羽町ではだれもが灰色でいる道を選択していた。米屋が黒であることがはっきりした以上、米屋に近づかないから白だと思われることは絶対にない。逆に、米屋に出入りしたり、米屋の家族と仲良くしていると、黒ではないかと疑われる可能性が一気に高くなる。 こうして、得意先が一人減り二人減りして、ついにだれもこの店から米を買わなくなった。 逆に雑貨屋の娘は白であることをはっきりさせてしまった。 親からきつく言われていたのに、「私、英語なんかしゃべるの、絶対いややわ。お父さんもお母さんも、日本人に英語なんかいらんと言ってる」とはっきり口にしてしまった。 雑貨屋も米屋と同じ運命をたどったことは想像に難くない。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.01.30
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【専門病院】のつづきです。 トラドキスタンには底知れぬ奥行きがある。専門病院の裏手もはるかかなたまで砂漠が続いていて、その先に「フローベール館」がある。 この国の建物はどれもけっして高くはない。高さは知れているが、いったん中に入ると、どこまで続いているか見当もつかない。 遠くから、ロボットでも人形でも動物でもないものがいくつも動いているのが見えた。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.01.30
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△ 有病率および死亡率は黒人とヒスパニック系に最も高く、(某トライアル講評) この手のものでは初めての△です。「で」ではなく「に」を使っているところは評価できます。 ○ 有病率および死亡率は黒人とヒスパニックが最も高く、 日本語では「が」で十分なんです。英語を見ると「に」の方が論理的整合性に優れているように思えますが、この「が」こそ日本語本来の使い方であり、誤解の余地はこれっぽちもありません。 講評者が講評のなかで英語と日本語との構造的な違いを指摘していることは評価できますが、こういうところはもう一歩踏み込んでほしいものです。 ←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.29
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【専門病院】のつづきです。 丸徳医師は最後に次のようにまとめた。 加野恵が入院してきたことによって、いわゆる本物の英語に対するアレルギーから、カタカナアレルギー、西ハワイ語アレルギーまで、本来異質なものではないかと考えられていた病態が私のなかでひとつにつながったんです。 次に私が「フローベール館」と呼んでいる施設にご案内いたしましょう。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.01.29
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新しいウインドウズビスタでは、地名など本来の漢字が変換できないという不都合が生じる。葛城市など、「ヒ」の部分が「人」になってしまう。また、鯖の月の部分が円になってしまう。 日本国のテレビではこれを「困ったこと」としている。困ったことなのであれば、回収させ手、作り直させるべし。人間が生活がコンピュータの都合で変えられてはたまったものではない。 トラドキスタン政府は回収を命じた。←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.29
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【専門病院】のつづきです。 丸徳医師は「最後に極めつけは」と断って、次の話に入った。 最後は加野恵が「数十年かけて日本語というシステムを破壊し、日本民族の知的荒廃を招く」と予言した西ハワイ語ウイルスです。 私は加野恵に西ハワイ語ウイルスを聞かせながら、筋電図も取り、神経電位のデータも取りました。 西ハワイ語ウイルスの理論は加野恵がまとめたものですから、随意筋やそれに付随する神経に影響が出るのは当然考えられることです。しかし、不随意筋にまでその影響が現われ、しかも、これも専門外の方に説明するのは非常にむずかしいことなのですが、加野恵が予言した日本語のシステム破壊、その機序を思わせるようなかたちで、電気生理に異常が出るのです。「先生のおっしゃっているのは、どうもへたくそなSF小説のようなにおいがするのですが」 もっともです。私も初めはそう思いました。 しかし、これはまぎれもない事実なのです。←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.29
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× ~にもいくつもの事務所が掲載されているため、それらのホームページを~ 日本語の「それ」、「その」は単複同形であり、庶民が脈々と受け継いできた日本語の感覚では「そのホームページ」となるはず。英語の真似をしてこういうところに「それらの」を使うのは売国奴にほかならない。←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.28
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【専門病院】のつづきです。「安泊さん、すごいでしょ。われわれはすでにそういうデータもつかんでいるのです」 私にはそのことばが妙に耳に残った。 何かもっとすごいデータがあることを思わせるものだった。 すると、丸徳医師は再び表情を締め直して語った。「では、加野恵にカタカナを聞かせたときの心拍数増大はどうだったかというと、加野恵自身が算出しているそれぞれの情報子の情報量に反比例するものでした」「おっしゃっていることが専門的すぎてよくわからないんですが」「ああ、失礼。つまりですね。アクセスというカタカナがありますよね。トラドキスタンでは認めていませんが。これは英語の access から来たもので、情報量が小さいわけです。アイスクリームとかバナナのようなものですと、何のことかはっきりしますが、アクセスはよくわかりません。そのことばが意味する的がしぼりきれないわけですね。的が絞りきれないということは情報量がちいさいわけですね」「なるほど、その情報量と心拍数の増大分とが反比例するというわけですか」「それだけではありません。情報量の撹乱を招くようなカタカナの場合には、不整脈が出て、やや専門的になりますが、心電図上QT延長のような現象が起きます。その心電図上のさまざまな現象、異常がですね、加野恵が分析した情報量の撹乱と見事に呼応するんです」「加野恵がそんな医学的知識をもっていたということですか」「もちろん、心電図はその辺の医師よりよくわかっていたはずです。ただ、カタカナを聞きながら自身の心電図を取ってた形跡はありませんし、仮にそういうことがあったとしても、自身の心電図所見から逆にカタカナを分類して、数式にあうようにするなんてことは不可能です。ですから、やはりこれは、加野恵自身がごく自然の状態にあるときに、カタカナを聞かせ、それによって生じた心電図上の変化が、それぞれのカタカナの言語学的な分析結果と見事に一致しているということです」「どういうことですか。もっと素人にもわかりやすく説明してください」「これを素人にもわかるように説明するのは不可能です。要するに、カナカナはやはり、日本人の神経生理に大きな影響を及ぼすということです。しかも、そこに実によくできた法則が見出されるということです」←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.28
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× メダルを取りたいんだと言う目標 庶民の口から出たことばなら何にも言いません。 でも、アナウンサーはこんなことを言ってはいけない。 ○ メダルを取るという目標 庶民はある意味、いい加減にことば遣いをしいたんです。だって、きっちり使うってしんどうですから。自分たちがいい加減に使っていても、上がしっかりしていれば安心していい加減な言い方ができるんです。 上がしっかりしないと全体がめちゃくちゃになってしまいます。 ←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.28
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【日本内乱】琴羽町のつづきです。 3つの商店に共通のもの、共通のものと何度も念じながら、考えあぐねていると、子どもの話し声が耳に入った。「で、お前、英語どうする。賛成か反対か。やる気あんのかないのか」「ふふふ、内緒」「用心深いやつやな」「そら、お母ちゃんから言われてるからな。親友にも絶対言ったらいかんて」「お前とこもか。オレとこもや」「わかってもうたら最後、米屋や雑貨屋みたいになる」 長沼が二人に声をかけようとすると、二人はいちもくさんに走り出した。「おい、待ってくれ。あやしいもんじゃない」 ようやく立ち止まってくれた二人に長沼が警察手帳を見せると、二人は「おじさん、ウソつきやな。あやしいもんやないって、あやしいもんやないの」「警察やないか」「ほら、やっぱりあやしい人や。警察ちゅうのはあやしい人や、お母ちゃんがいつも言ってる」「わかった、わかった。ちょっと教えてくれないかな」「それけど、警察でも個人情報は教えられないからね」「こ、個人情報だと、ませたガキやな」 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.01.28
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× 自殺を理由とする死亡 (東洋大教授) こんな書き方をしなければならない理由がわからない。しかも、まだ前がある。 × 野宿者における自殺を理由とする死亡 ○ 野宿者の自殺 ここに「における」を使わなければならない理由がわからない。こんなことがいつまでも続けば、トラドキスタンは「における」に死語判決を下さざるをえない。 それにしても、学者というものは、やっかいな言い回しに縛られていて、不自由なものだとつくづく思う。 このあとに、「全国男性の6倍の頻度になる」とある。 ○ 野宿者の自殺は全国男性の6倍の頻度になる。 これで十分ではないかと思う。全国男性というのも本当なら男性の全国平均とすべきところだが、それには目をつむるとしよう。←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.28
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さらに驚くべきことに、イギリス英語を聞かせても心拍数の増大がみられることはわかっていたが、その現象が、フランス語由来の単語を聞いた時にだけ起こり、しかもフランス語からの変化が大きいほど心拍数の増大も大きいことがわかった。「安泊さん、すごいでしょ。われわれはすでにそういうデータもつかんでいるのです」←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.27
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先に進む前に、ここで少し確認しておきたいことがあります。 □ 患者が臨床検査を受けた。 こういう文がありうるでしょうか。 もちろん、日本語としてまったく問題はありません。 次のように書き換えて考えてもかまいません。 □ 60例が臨床検査を受けた。 この文を見て何も思うところがない人、ポカンと口をあけているだけの人は、医学の翻訳をやるのはあきらめてください。 ←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.27
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前回の課題から見ていきましょう。 □ 60%しかなかった。 □ よくなったのは5人だけだった。「しか」は基本的に日常体で、医学では避けたいものです。構文を維持したまま「しか」を何かに置き換えようとしてもうまくいきません。 ○ わずか60%であった。 ○ 60%にとどまった。 次に「よくなった」は医学では「改善した」、「改善がみられた」、「改善が認められた」です。好転、向上などはふさわしくないことがほとんどです。「だけ」もどちらかと言えば日常体で、これに相当する業務体は「のみ」になりますが、気をつけなければいけないのは、必ずしも機械的に置き換えられるわけではない点です。ここでも「わずか」を使うのがいいでしょう。「だった」も基本的には「であった」がふさわしいと言えます。患者の数え方は3通りあり、5人、5名、5例が使われていますが、特に指定のないかぎり5例を使うことをお勧めします。 ○ 改善がみられたのはわずか5例であった。 なお「みられる」が「認められる」の日常体に相当するとみる向きもありますが、内容によっては「認められる」がえんえんと続く文もありえますので、「みられる」を適度に使うのがよいと思います。その意味でも、「みられる」はやはり業務体としてりっぱに通用すると考えるのがよいでしょう。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.01.27
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加野恵がくれたヒント(3) 安泊さん、実はこれから申し上げること、私の大発見なのですが、よく聞いてください。いいですか。 何度も申し上げているように、この病院は英語アレルギー、英語アレルギーと言いながら、実はheterogenicじゃないかという思いをぬぐいされませんでした。 安泊さんにお会いして、英語そのものにも、カタカナにも、それから西ハワイ語にもアレルギーを示し、不整脈が現れる現象が加野恵だけのものではないことがわかりました。 加野恵もこの病院に入院してきたとき、英語を聴かせても、カタカナを聞かせても、西ハワイ語を口にしても、同じように不整脈を示しました。心拍数の増大もみられました。 まずアメリカ英語を聴かせ、心拍数のデータを取り、解析を試みました。 すると、どうでしょう。 イギリス英語との発音の差が大きいほど、もっと正確に言うと、発音の差に正比例して心拍数が増大したのです。 残念ながら、今の医学界でこんなことを発表しても、だれも本気にしてはくれません。 「先生、それは非常に残念なことですね。もしかしたら、○ー○ル賞級の発見ではないのですか」「・・・」「それも、医学生理学賞というより、英語帝国主義から地球を救うことができるかもしれないという点で平和賞ものですよ」「私の目的は賞をもらうことではない。患者を救うことです」←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.27
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医学日本語講座(4) では、前回の課題を見てみましょう。 □ いちばん大切な □ とても大きい これを業務体にすると、それぞれ次のようになります。 □ 最も重要な □ きわめて大きい「非常に」を思いついた人がいるかもしれませんが、「非常に」は微妙です。どちらかと言えば中間に位置するような感じです。「最も」はカナで書く向きもありますが、私は「ただし」という意味のもっとも(尤も)と区別するため、こちらの「最も」は漢字がいいと思っています。また、「きわめて」は逆に漢字で書く人が多いのですが、元の意味がある程度失われているものはカナで書き、「極める」のように元の意味がそのまま残っているものは漢字で書くという原則を採用しています。 では、今回の課題です。 □ 60%しかなかった。 □ よくなったのは5人だけだった。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.01.27
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× より実戦的な練習 何との比較かわからない。要するに「実戦に重きを置いた練習」というだけのことではないのか。 ←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.26
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× その男が本当に犯人かどうか確約できない。「確約」というのは、これからすることについて言うことばではないのか。たとえば、「犯人の引渡しは確約できない」というような場合。 庶民なら「その男が本当に犯人かどうかはまだわからない」と書くくらいのもの。それ十分だし、言いたいこともよくわかる。知識人はムリにむずかしいことばを使いたがって、平気でまちがえる。知識人は本当に困ったものだ。
2007.01.26
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× 60%のみの患者にCRPの上昇が認められた。 これが日本語の母語話者の書く文だというのであるから、驚きである。英語ではよくネイティブチェックなどとやかましく言うが、母語話者というだけでは不十分であることが、この文からよくわかる。 近頃の翻訳者は「~だけ」、英語のonlyの意味を日本語で書くことができないらしい。 この文の言いたいのはCRPが上昇したのは全患者の60%ですよということである。 いずれ、医学日本語講座でも取り上げるが、日常体の「だけ」を「業務体」の「のみ」に置き換えただけでは日本語にならない。 × 全患者の60%のみにCRPの上昇が認められた。 本来、こんな日本語はない。 ○ CRPの上昇が認められたのは全患者のわずか60%であった。 文の構成を変えるのが不満なら、次のようにすればよい。 ○ 全患者の60%にCRPの上昇を認めるにとどまった。 ただし、この文にすると若干ニュアンスがちがってくるので注意が必要である。←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.26
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飲食店内タバコ規制法案成立 ヤポニア議会は、飲食店内タバコ規制法案を可決した。これにより、ヤポニアではタバコについても、酒類と同じく客が店内にもちこむことはできず、店内で販売するものしか吸えないことになる。 たたでさえ重い税金をかけられているうえに、さらに店の料金で買わなければならないのかという苦情もあろうが、それはアルコールも同じである。もともと酒税がかかっているうえに、店で飲めばさらにそれに上乗せした額になる。 店内での販売は箱単位ではなく1本単位となり、店やその時々の状況により、一人最大4本までなどの制約を課し、10歳未満の子どもが入ってきた時点で、販売は中止となる。 ヤポニアはトラドキスタンとも連携を取り、日本国でも早急にこのような法整備をするよう外交圧力をかける意向である。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.01.26
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× 潰瘍性大腸炎患者では60%でCRPの上昇を認めた。 近頃の翻訳者は「で」と「に」の使い分けがめちゃくちゃである。「では」は条件、場合、枠組みを示し、「に(は)」は空間的時間的な範囲を示すなどと、ちょっと思いついたことを並べただけでは、その使い分けを説明することはできない。 ただひとつ言えることは、ほぼどのようなものでも「で」をつければ、何となく言わんとすることが伝わるという背景がある。だから、安易に使われる。 銀行のATMに「50枚以内でお願いします」と書いてある。これはけっしてまちがっているわけではない。要するに「50枚以内で」だと条件を示していることになる。硬貨を投入するのであれば、そういう条件でお願いしますということだ。「50枚以内に」になると、投入する硬貨の枚数の範囲を指定していることになる。どちらでもまちがいがないのであれば、「で」の方がやや横着な言い方であり、「に」の方が自分の言わんとすることをきっちり考えた結果であるという気がする。「潰瘍性大腸炎患者では」の「では」は「そういう条件の場合」ということだから、ここは「では」でよいが、「60%で」はほとんど意味不明と言ってもいい。 よく「60例では」と書く人がいる。書くだけでなくて、「には」を「では」に訂正する人さえいる。前に、「この」がついて「この60例」となれば、前後関係によって「この60例では」と言える可能性が生まれる。しかし、限定されていない「60例」に「で」がつくことはありえない。 日本語の問題であるとともに、英語からの翻訳であれば、冠詞の理解ができているかどうかという問題にも通じるものである。←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.26
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× 基準が10倍緩い。 もちろん、ほかならぬ不二家の微生物に関する基準である。 日本語の×倍という言い方は否定的な意味合いのあるものにはつかないはずではないか。×倍低いというのもこれと同じ部類に属するもので、明らかにおかしい。 庶民の間から自然発生的に出てきたものでは、もちろんない。実力がないくせに金銭欲と自尊心だけは一人前という翻訳者から出てきたものではないかと思う。 × ○○山は富士山より10倍低い。 さすがに、こういう文を見ると「お前はアホか」と言いたくなる。言っても怒られはしまい。 ○ ○○山の高さは富士山の10分の1である。 基準が出てくると、「不二家の基準は厚生労働省の厳格さの10分の1である」とは言えない。 □ 不二家の基準は厚生労働省よりゼロひとつ分緩い。 □ 不二家の基準は厚生労働省より一桁分緩い。 □ 不二家の基準は厚生労働省より緩く、数値にして10倍の差がある。 こんなもんですかね。要は横着はいかんということです。
2007.01.26
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× コンプライアンス制度 シャッターを下ろした不二家の前に張り紙がしてあった。何やらコンプライアンス制度なるものを充実させて、今後はこのような事件を二度と起こさないようにすると書いてある。 こんなカタカナ、通りががりの人にわかると思っているのか。 長年、外国語に親しんできたわれわれにもよくわからない。 コンプライアンスというカタカナは医学でよく使われており、服薬遵守という意味である。つまり、医師から指示されたクスリをきちんと飲むかどうかということだ。 ということは、一度床に落ちたケーキでもきちんと食べてもらう。賞味期限の切れた牛乳でもきちんと使いきる。これぞコンプライアンスの極意。なるほど、そういうことか。 そういうことを堂々と書けるなんて、日本国でカタカナが重宝されるわけがよくわかった。 ←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.25
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前回、同じことを言うのに、いわゆる普段着とよそ行きとがあることがわかっていただけたと思います。 どのような表現がいいか迷うところですが、日常体と業務体とでも呼ぶことにしましょう。 ふだん私たちが使っている言い回しのなかには、そのまま業務体としても使えるものもありますが、接客業での応対と同じで、ふだんの言葉遣いをそのまま流用するとまずいものがたくさんあります。 これから医学の文章を学ぼうとするときに、何も苦労しないで適切な言い回しが浮かんでくるようにするのはちょっとむずかしい相談ですが、大切なことはほぼどのようなものにも、日常体と業務体の2通りがあると考えてもらえばいいでしょう。 たとえば、「病人全員に」(~検査を実施した)という言い回しが浮かんだのであれば、まず「病人」、「全員」と同じ意味のことばがあるか考えましょう。「病人」はこの前やりましたように、「患者」が業務体に相当します。「全員」というのはどうも、「員」の響きが学校、兵隊か、さもなくばスタッフに言及しているようなところがあります。医学では「全例」という言い方があります。 この場合、「患者全例に」と言えなくはありませんが、患者を取って「全例に」とした方がすっきりします。 この日常体であるか、業務体であるかは何も厳密に区別する必要はありません。全体のバランスが大切です。接客業でも押さえるところをきちんと押さえておけば、多少俗な言い方を混ぜた方が親しみを覚えてもらうことにもなるわけです。 ですから、あくまで相対的なものとして、同じ意味を表すことばを2通り思い浮かべ、どちらの方がよそ行きにふさわしいかを考えていけばいいいのです。 では、次回までにふたつほど考えてみましょう。 □ いちばん大切な □ とても大きい←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.01.25
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× カルシウムをたくさん摂取する人は大腸癌に46%なりにくい。(テレビ) これは正確にはいったいどういう意味なんだろうと思った。 庶民がふつうにしゃべっていたら、「カルシウムようけとったら、半分くらい大腸癌になりにくなる」で別に問題はないだろう。「それじゃあ、わからん」と言う方が野暮である。これで言いたいことはほぼわかるし、もともと厳密な話をしているわけではない。 要するにカルシウムを摂らないといけないということがわかれば十分である。 しかし、テレビの放送でこれはないだろう。よくよく考えるにというか、想像するに、ふつうの人が大腸癌になるリスクを100とすれば、一定以上のカルシウムを摂取する人のリスクはその54%ということだろうか。だから、大腸癌になるリスクが46%低くなるということなのか。それなら、わかる。 データ捏造が問題になっているが、せっかくデータがあっても、これでは用をなさない。 テレビではよく庶民の言葉遣いのまちがいをとりあげるくせに、こんなずさんな表現はないだろう。「とんでもない」の「ない」が形容詞だから、とんでもございません」が文法的にはまちがいで、正しくは「とんでもないことです」が正しいと、よくもそんなことをぬけぬけと言えたものだ。「とんでもございません」と「とんでもないことです」では意味がちがうだろ。 文法、文法という暇があったら、もっとそれによって伝達される情報のことを考えろ。 「46%なりにくい」なんて京大医学部レベルですぞ。←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.25
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米尾刑事には、同じ13件の事件のうちの1件が起きた琴羽町に長沼という知り合いの刑事がいた。 長沼は、琴羽町でも同じように英会話学校が相次いで倒産し、何か妙なものを感じていた。琴羽町ではおまけに商店が相次いで店を閉じていた。 これには絶対何かある。長沼はそう睨んでいた。 なにしろ、つぶれた店にはどれひとつとして、商売が立ちゆかなくなる理由がいっさい見あたらなかった。 取り扱っている商品にも共通点はまったくなかった。一軒は米屋、あとは雑貨屋と食料品店だった。 米屋の息子は英語が得意そうだったが、雑貨屋の子どもたちはさっぱりだった。食料品店には子どもがいない。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.01.25
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家族的な雰囲気のある居酒屋に小さい子どもを連れてくる人がいる。それはいいのだが、小さな子どものそばで大人がスパスパタバコを吸っている。子どもが苦しそうに咳をしているのに、タバコとの因果関係にはまるで無頓着である。 関市長をはじめ、日本国の市長、知事に告ぐ。できるだけ早く条例、法律を整備し、このような小さな子どもを巻き込まないようにするべし。 これも、ゆるやかな児童虐待にほかならない。←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.25
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局長の記事を載せたあと、まさにモデルとなった局長直々に電話がありました。 ドキッ まさか、「ブログのあの記事、言いすぎではないでしょうか」と抗議の電話と思いきや、「先ほど、実は1000円余計にもらいすぎていました」 おいおい、作業が遅いだけじゃないのか。「今からご自宅にお伺いしてお返しに上がってもよろしいでしょうか」 それだけはやめてくれ。1000円ぽっちで家まで来られたらはっきり言って迷惑。 結局、口座に振り込んでもらうということで決着しました。 これもみな、トラドキスタンが日本国の領土内に飛び地で存在するからだ。早くもっと広い領土をひとつにまとめて独立したい。←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.24
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× 野宿者の文化も社会の多数派のそれと全く異質ではない。(東洋大教授) こんな「それ」は日本語にはない。明らかに英語のthatがまぎれこんでいる。 こういうところだけ、構造上の論理性に執着しているが、肝心の「全く異質ではない」の意味がはっきりしない。何ら異なるところはないと言いたいのか。それとも丸っきり違うものだというわけではないと言いたいのか。 全く異質のものであるとは言えないという意味であろうと思われるが、それなら多少長くなっても次のようにするべきである。 ○ 野宿者の文化も社会の多数派と隔絶したものであるわけではない。 それがいやなら、文化をもう一度使えばよい。 ○ 野宿者の文化も社会の多数派の文化と全く異質のものであるわけではない。 ○ 野宿者の文化も社会の多数派の文化と全く異質であるとは言えない。 まさに、日本語の敵は学者である。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.01.24
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日本国在住のトラドキスタン人から次のような苦情が届いた。 日本国の郵便局ではとかく局長が業務に疎く、作業が遅い。運悪く局長が座っている窓口に当たってしまうと、思わぬ時間を食ってしまう。どうにかなりませんか。 そこで、トラドキスタンは秘策を授けた 番号カードを取ったら、だれかが次の番号を取るのを待って、もう一枚番号カードを取るとよい。もし、自分の番に局長の窓口が回ってきたら、知らぬふりして次の人に譲ればよい。 しばらくして、やってみたけどダメでしたという返事が返ってきた。 私は67番を取ったあと、次の人が68番を取るのを待って69番を取ったんです。67番のとき、局長の窓口が空いたので、次の人に譲ろうとしたら、その人はどうも70番のカードも取っていたようで、結局私がその窓口に行かざるをえなくなりました。 日本国の人たちは、やはり郵便局の手際の悪さに悩まされているだけに、私たちよりずっとしたたかです。日本人には勝てません。←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.24
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× 恵方寿司 ○ 恵方巻 Googleでは恵方巻は19万6000件ヒットするが、恵方寿司はサークルK、サンクスのただ1件。JESコーポレーションの丸山社長が言うように、大衆(トラドキスタンでは一般人)の間から自然発生的に出てきた表現にまちがい云々は無意味であるが、サークルK、サンクスのような「日本語の使い方がひどい」コンビニが勝手に作り出したものを受け入れるわけにはいかない。 しきりに「二番目にお待ちのお客様」というのも、サークルK、サンクス。 まちがっているとかいう問題ではなく、「次お待ちのお客さま」でないと、客が混乱する。「よろしかったですか」、「すべてごいっしょでいいですか」も、サンクス系がいちばん多い。 トラドキスタンでは、営業許可を取り消すことも考えている。
2007.01.24
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× 10万円は稼げると保障します。 保障ではなく保証だなどと、そんなくだらない漢字のまちがいを言ってるんじゃない。トラドキスタンでは、一般人、庶民のまちがいをとやかく言うことはしません。庶民なら「10万円稼げること請け合いです」となるはずです。こういう言い方をするのは、むしろ知識人です。トラドキスタンの分類では、大卒者、学者、マスコミ関係者などです。 × ~と保証する 本来、「保証する」は名詞につくもの。この文もふつうは庶民の言い方に倣い、「10万円稼げること請け合いです」程度に収まるべきものですが、どうしても保証するを使うのであれば「10万円は稼げることを保証します」でしょうが。 ←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.24
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業界の慣行に通じるも、その弊に染まらず←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.24
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日本語標準 O標準欠格(11) × 名子+そして+名子 「そして神戸」の例を出すまでもなく、名詞を繰り出したあとに、「そして」+名詞をもってくることはありえます。ただし、それはあくまで、あとに何か言おうとして言えなかったり、ことばを省略して余韻を残そうとする場合です。 単に「犬と猫」とだけ言いたいときに、「と」を「そして」で代用できると考えてもらっては困るわけです。 ところが、このごろは英語のandに相当するものなら何でも「そして」を使えると思っている不埒な輩がいる。 偽ウイルスともとれそうですが、それなら「そして」の前に「、」が来るはず。名子+そして+名子はやはり真性ウイルスです。 これまでの一部整理× これら× それら× あれら× これらの× それらの× あれらの× ~のそれ 偽ウイルス(「あそこのそれ取って」はありうる)←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.01.23
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老人の不安 米尾は老人の話が単なる個人の不安であるとは思えなかった。 何かこう得体の知れない集団の不安であるように思えた。「おじいちゃん、お茶でも飲むか」 そう言って、米尾はひたすら老人の話を聞くことに徹した。 この国は今にえらいことになるんじゃ。昔はな、生まれで人生が決まってしもた。百姓の家に生まれたら、一生百姓じゃ。 家柄というか、いい家に生まれなんだら、もうそれでおしまいじゃ。今度はその家柄に英語が取って代わるんじゃ。 日本中がみ~んな英語になってしもて、英語のできるできないで、身分が決まってしまう時代が来るんじゃ。 米尾は時々ふきだしそうになりながらも、老人の声に耳を傾けた。 み~んな英語になってしもたら、それでな~んにも問題がないと思うじゃろ。それがちがうんじゃ。日本語だってそうじゃった。やっぱりきれいにすらすらしゃべれるやつと、この前、「新婚さん、いらっしゃい」にロシア人のお嫁さん連れてきた人の前に出てきた青森の人のように、ちゃんとしゃべれん人がいる。 日本語ですらそんなありさまじゃ。 英語になったら、もっともっと差が出る。いっぺんに格差が拡がる。まちげえねえ。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.01.23
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カタカナに人格をそぎ取られた人たち ですから、安泊さん、この問題はすごくむずかしいんです。 高校の時に、自分が探していたことばが見つからず、同級生から飛んできた「エンジョイする」ということばで、それ以来時間が止まっている患者の話をしましたでしょう。 カタカナでは自分の感情を表現できないのに、社会的にそれを強制される。 当然、精神に異常を来たします。 しかし、日本国はこの問題の存在を認知していない。 そういう問題はいっさい存在しないものとして葬り去ろうとしています。 政府も、民衆もよってたかってです。 カタカナでは生きていけない人口は少なくとも300万人はいるんです。 しかし、日本国はそれを認めようとしない。 使いたがる人たちの側に立ってしか物を見ようとしない。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.01.23
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米重が育てていた翻訳者 トラドキスタンの専門病院に入院している加野恵らしき人物は、丸徳医師に何もかも話していた。 トラドキスタンにたどりつく少し前に、加野恵は米重に受講生を託していた。 米重は加野恵の弟子20人を預かり、自社の資料を材料に徹底的な訓練に入ったらしい。一応研修という名目になっていたが、米重が他の名目から流用した金と自身自腹を切った金が翻訳者に渡っていたらしい。 このときに利用した資料がりっぱな翻訳資料として山陰特殊医療に残っていたというわけだ。 安泊記者からその情報を受け取った川村恵は、これでセマダタのナゾが解けるにちがいないと確信した。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.01.23
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× よりコシのあるおいしい麺に仕上がります。(株式会社キンレイ) いやあ、すごい。冷凍麺でこれだけコシのある麺にはそう簡単にはお目にかかれない。キンレイの冷凍麺「旨味濃厚味噌スープ 味噌ラーメン」です。だから、もっと自信をもって絶対的な「うまさ」を前面に押し出せばいいんです。いやあ、おいしかった。唯一、この「より」で少し味が落ちた。 ○ 凍ったままのラーメンを、透明の袋ごと電子レンジで下記の通り加熱してください。コシのあるおいしい麺に仕上がります。 どうです。「より」がない方が圧倒的にいいでしょう。 下手に比較や程度をつけると、かえって値打ちが下がるのです。 Je t’aime. だって、beaucoupをつけて、本人は「愛している」度合いを強めたつもりでも、手の中に入る程度の「たくさん」になってしまい、「私への気持ちって、それだけのもの」ということになってしまうのです。←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.23
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通時性と共時性 ねえ、安泊さん、丸徳社長の書いていることは、通時性の問題と共時性の問題をごっちゃにしてることがわかりますか。 新しいことばという言い方も、単にことばだけを問題にしているのか、用法を問題にしているのか、活用語尾を問題にしているのか、はっきりしないところがありますが、それはまずさておくとしましょう。 何らかの「変化」という言い方をしましょう。新たに外来語として何かが取り入れられても、「変化」です。 変化というものは、何も常に新しい世代に起きるとはかぎらない。世代が下り、時代が下るに従って、変化が蓄積して、言語全体が変化するというわけではない。地域なり、特別な階層、集団のなかで変化が起こっている。 同じ若者の間にも、集団によってまったくちがった変化が起きている。 そのとき、仮に75%と25%とに分かれてたら、75%の方が正しい日本語で、25%の方がまちがっているということになりますか。そんなバカなことはないでしょう。 この現象がもっと進めば、ふたつは別々の言語にならなければならない。今のヨーロッパがそれですよ。モザイクの様相を呈している。本当は日本だってそうなるべきはずなのに、多数派が少数派を飲み込んでします。いや、その言い方は正しくない。少数派でも何らかの力を獲得したものは、それで主導権を握ってしまう。 日本国では変化の担い手はみな傲慢、横暴です。自分たちが新しいことばを使いたいのであれば、それを使いたくない人の気持ちを尊重しなければならない。しかし、やつらはそんなことはおかまいなしです。 だからこそ、ここトラドキスタンの英語アレルギー専門病院には、これだけ多くの患者が流れ込んでくるんです。今でも日本国からまるで難民のように流れこんでくる人たちが後を絶たない。 それでも、日本国政府はそういう人たちの存在を認めようとしない。 いちばん困るのは、カタカナアレルギーという病態の存在を認めようとしないことです。カタカナでは自分の感情を表現できないのに、周りはみんなカタカナを使っている。まさに民衆の暴力によって、自分の感情を表現する手段を封じられてしまうんです。 しかも、追い討ちをかけるように「そんなことじゃ、社会に乗り遅れますよ」ということばを浴びせられる。そうなると、ある感情の部分がぽっかりと空いてしまうんです。一見、病気には見えない。何となく無気力で、感情の起伏が少ないようにしか見えない。しかし、これこそ、われわれが今取り組んでいる「アレルギー」の基礎疾患とも言えるものなんです。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.01.23
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支援ソフト オレの頭と ほぼ同じ
2007.01.23
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トラドキスタン政府は、日本国の納豆ダイエット捏造事件を受けて、「納豆そのものは栄養もあり、優れた食品である。こんなことで、納豆を製造販売している企業が営業不振に陥っては日本国の社会全体の大きな損失である。わが国も日本国からどんどん納豆を輸入して、納豆を食べよう」との声明を発表した。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.01.22
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無責任な発言 ですからね、安泊さん、丸徳社長の言うことは、まずその点で大衆の捉え方が問題なんです。 もうひとつは、「若者がわけのわからんことばを使っている」ので、「ことばが乱れている」などと言い出したら、間違いなくその人はお年寄りの仲間入りをしたと言えるでしょうという無責任な発言です。 大衆の定義ともかかわるんですが、お年寄りこそ、大衆中の大衆、いちばんの大衆、大衆としていちばん大切にしなければならない人たちなんではないでしょうか。大衆大衆と言いながら、新しいことばの担い手が若者であるなどと何の断りもなく出してきて、それに抵抗を覚えたらお年寄りですなんて、乱暴も甚だしい。 大衆というものはもっと心優しい存在です。お年寄りはごくごくふつうに時代が変わっても、ことばが変わっても、それだけで失われたものに対して悲しい思いを抱くものなんです。 それを、自分たちは新しい文化の担い手であるとか、旗手であるとか、そういう気分で、悲しい思いをする人のことなどおかまいなしに振舞う。 本当に新しい文化を創っていくのであれば、新しいことばを創っていくのであれば、それで悲しい思いをしたり、傷ついたりする人のことも考えて、どうしても必要なものにかぎるとか、選択肢がふたつあれば被害の少ないものを選ぶとか、そういう配慮があってもいいと思うのです。 丸徳社長の発言は実に無責任で、明らかに高齢者差別です。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします
2007.01.22
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納豆ダイエットと同じ 私はですから、「ことばは大衆の間から生まれるものだ」という丸徳社長の考えに全面的に賛成です。 ただ、問題がふたつあります。 ひとつは、大衆、大衆と言いながら、本当に大衆なのかどうか。 たとえば、今トラドキスタンで最も忌み嫌われていることば「ゲットする」にしても、大衆が好んで使っているように見えて、実はマスコミが裏で操作しているだけなんではないかということです。 要するに、納豆ダイエットと同じなんです。 自分たちのなかから自然発生的に出てきたものではなく、マスコミが操作して作り出したものに乗せられているだけなんです。 捏造が発覚すれば、いっぺんにしぼんでしまいます。 何度も言うように、トラドキスタンでは、お上、企業、医師、マスコミ関係者、翻訳者、英語サービス業者、大卒者、一般人というように8つのカテゴリーに分けて日本語の問題を考えています。 トラドキスタンでは、大学を出ただけで大卒者の範疇に分類するわけではなく、そのことに必要以上のプライドを感じ、そこで学んだことではなくて学歴そのものを人生の成功につなげようとする人を大卒者に分類しています。そういう人を一般人とは厳格に区別しています。ですから、丸徳社長の言う大衆には入らないわけです。 この大卒者のなかに非代償性母語同一性障害患者が多いんです。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.01.22
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丸徳医師はさらに続けた。 言語学者のやるべき仕事は、それぞれのことばがどの程度、丸徳さんは大衆ということばを使っていますが、要するに一般人の間に定着しているのかを調べることであり、主導権はあくまで大衆にあると言っています。 学者の仕事は統計を取ることにあるということです。 もちろん、私も同感です。 たとえば、あることばについて、全人口の75%が使っている用法が歴史的にまちがっていると主張する言語学者がいるとしましょう。どちらが正しいか。 丸徳さんは全人口の4分の3が現在使っている用法と、ごく少数の言語学者が主張する用法とどちらが正しいかというと明らかに、人口の4分の3が使っている用法の方が正しいと言っています。 そうすると、たとえば「役不足」なんかは、「お前なんかは役不足だ」という用法の方が正しいことになります。 これには私も同感です。 ただ、丸徳さんがそう主張するのであれば、堂々と対決してほしいというのが、私の思いです。 いくら丸徳さんだって、公の場でそういう役不足の使い方はしにくいだろうと思うんですね。 いいですか、安泊さん、トラドキスタン人はみな、歴史的正統性を主張する言語学者とは真正面から戦う意志のある者たちばかりです。 一般人がまず、易しいことばから順に覚えていったときにですね。役ということば、不足ということばを覚えたときに、じゃあ、役不足はどういう意味になるかを考えれば、何らかの職務なり、任務を遂行するうえで、ある人の力が不足しているという意味になるのは当たり前なんです。←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.22
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母親が前夫の暴力のため離婚できず、戸籍のない高校生が旅券の発給を申請し、滋賀県が保留していた問題で、県は戸籍抄本が提出されていないことを理由に申請を受理しないことを決めた。 トラドキスタンはこれに激怒し、滋賀県への軍隊派遣も辞さない構えだ。 そもそも、法律の規定によりパスポートを発行できないのであれば、それはそれで仕方ないとして、そこから先は事務手続きの問題ではなく、人間の問題になるのではないか。 特別な事情があって戸籍をとることができなかった人間をどうやって救済するか。それには超法規的な何か、人間としての判断が必要なのではないか。 封建制がよくないだの、軍隊がどうだの、平和がどうだのと言う以前に、自分たちに人間らしい心のひとかけらもあるのか。←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.01.21
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