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知識を捨ててこそ、道が開ける 070125の課題から 私は以前から「英語力」なんてものは幻想にすぎないと主張してきた。必要なのは、母語での思考力と、言語の本質の理解で、それにしっかりとした基礎知識があれば、専門知識すらもそんなに必要ではない。でも、「最低限の語学力、英語力は必要でしょう」と切り返されて、なかなかこれという答えを出すことができなかったが、つい最近になって、やはり英語力は不要と、はっきり断言できるようになった。□ In embryos, NGF spurs neurodevelopment. But in adults, NGF’s only role is to drive acute and chronic pain in at least three different ways. NGF = nerve growth factor、神経成長因子□ NGFは胎児の段階では神経の発達を刺激する。 × それが成体になると、その役割が少なくとも3通りの経路で急性慢性の疼痛を誘発するにすぎないものとなる。 × しかし、成体ではその唯一の役割が少なくとも3通りの経路で急性慢性の疼痛を誘発するものとなる。 まったく意味がとれていないものを除くと、ほぼ上のどちらかになった。onlyを「~にすぎない」とする選択肢をもっているのはいいことなのだが、ここはonlyの位置がちがうだろ。それに、話の流れからして否定的な意味になるはずがない。 その意味では「唯一の」とする方がまだしも罪は軽いのだが、これではどうも意味がよくわからない。鮮明なイメージが浮かんでこない。鮮明なイメージが浮かんでこないものは、よくて誤訳、悪くすれば非文でしかない。 こんな文を文と認めるのは、英語にonlyがあるというだけの理由で、自分のなかの疑問を打ち消してしまう偽善者であるか、科学知識だけが異常に肥大した者であるかのどちらかである。 そもそも、前に何か文があって、「NGFにはたったひとつしか役割がありません」と書いてあるのでなければ、「その唯一の役割は」、「その唯一の役割が」なる文は絶対に生まれない。それが母語というものである。 母語はいい加減な結論に警鐘を鳴らしてくれる。母語がしっかりしているかぎり、「降参」はあっても、「妥協」はありえない。 辞書を引くと、onlyには「最良の」、「最善の」という訳が書いてある。この意味ならなるほどわかる。NGFの「まさにこれしかないという」役割ということになれば、onlyでもあり、bestでもあることになる。 こういうところで、onlyには「最良の」という意味があることを、知識として出してくる輩がいるが、まったく無意味なことである。仮にそういうことを知識として知っていたとしても、この文を「NGFの最良の役割は~である」とすることしかできない。それでは、残念ながら鮮明なイメージは浮かんでこない。 原文の言いたいことがよくわかるようにしようとすれば、ほぼ次のような文に落ち着くことになる。「ようになるなんて書いてないんですが」と言う人が必ずいる。「~に行った」と言うとき、go よりむしろ be動詞を使う方がよい。これを逆に考えれば、英語でその瞬間瞬間を表現しているものを、日本語では多少動きや流れとして表現した方がよく、またそうしないかぎり、どこかにしっくりしないものが残って、原文が伝えたかったものが伝わないことになる。 □ それが成体になると、その役割の中心が少なくとも3通りの経路で急性慢性の疼痛を誘発する方向に移る。 □ それが成体になると、その役割が少なくとも3通りの経路で急性慢性の疼痛を誘発することに絞られるようになる。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.28
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【日本内乱】東明町のつづき 三寺ほど白であることがはっきりしている者もいなかった。その意味では、三寺はいわゆる黒と呼ばれる連中からほとんど警戒されていなかった。 これほどはっきりしておれば、逆に運動の起こしようがなかった。白であることがはっきりしているから、だれも警戒してそう簡単には近づかない。だから、三寺は白であることがあまりにもはっきりしているがゆえに、かえってだれからも攻撃を受ける心配がなかった。 その三寺が「透明」な白草といっしょにいると、周りにいる人たちは安心していられた。白であることがはっきりしている人間の横に透明な人間がいるのだから、そのそばに近寄ってもはっきり黒だと思われる心配も、白だと決めつけられる心配もなかった。 不思議なことに、と言うよりはむしろ必然の帰結なのだが、二人がいっしょに飲みに行く店は、だれもが安心して集まることができる場所になった。 マスターは言う。「いやあ、ありがたいことやね。みんなが疑心暗鬼になるこの時代に、三寺くんと白草くんが来てくれるおかげで、うちの店が何というか、安全地帯になっている」←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.27
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「自由への道」復元 私は本棚に並べられた断片から、「自由への道」の復元を試みた。 さいわい、1日数回の検査を除いては、何もかもが自分の自由になった。こうして、私は2週間もしないうちに、「自由への道」の大筋をほぼ復元することに成功した。 それも、私の性格からいくつも寄り道をしてのことである。 もうひとつ、面白そうな発禁小説も見つかった。 まあ、それはこれからのお楽しみにとっておこう。 そこには自閉症に関する世界中の資料がほぼ完璧なかたちで保存されていた。作者はそれほどまでに自閉症にこだわり、自閉症の子をもつ親の生活を書き続けた。 あちこちに美佐子、美奈子、美那子、美菜子などの名が出てくるのは、作者が主人公の名を決めかねたためだと思われる。筋を再現していくと、どれも同じ人物であると考えた方が自然であることがわかってくる。 ここではとりあえず美那子としておこう。美那子は自閉症の子をかかえ、家でもできる仕事を志し、医学の翻訳をするようになる。 そうして生活の糧を得ながら、いつか自閉症の問題に取り組もうと機が熟するのを待つ。まずは日本語の文献を集めにかかるが、翻訳書の場合には訳文があまりにもひどい。 これはと思う原書をみつけ、本当に苦しんでいる人が読むに堪えるような日本語に訳そうと考える。版権獲得に奔走しながら、出版社との交渉にも入るが、「日本語なんてどうでもいいじゃないですか」と言われて大きなショックを受ける。 生活の糧を得る医薬の仕事でも、次々に新興の翻訳会社が現れ、ありえないような日本語を自然な日本語だと主張する者たちとのやりとりに疲れ果て、精神的な危機に晒される。 この小説の本領は、母親の苦しみをみた自閉症の息子が逆に母親を救うに至る経緯にある。日本社会から疎外された者の再生の物語であるとも言える。 残念ながら、この最も感動的な部分がほとんど失われてしまっている。 ここに残された資料から、それを復元する能力が果たして私にあるだろうか。 それにしても、日本国はなんと残酷なことする国であろうか。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.26
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医学日本語講座(11)「だけ」と「のみ」の複雑な問題(2) 前回、次のような文を見てみました。 × 白血病阻止因子は生後、集合管に弱く発現するのみである。 □ 白血病阻止因子は生後、集合管に微弱に発現する程度にまで減弱する。 □ 白血病阻止因子は生後、集合管にかすかに発現する程度にとどまる。 そもそも、こういう問題はどこから起きてきたのでしょうか。「だけ」が日常体で、「のみ」が業務体であるとは単純に言えないところに、まず問題があります。それがひとつ。 こういう問題は「つまり」と「すなわち」にもあります。 一見、「つまり」が日常体で、「すなわち」が業務体という感じがします。ところが、何か不都合なことをしでかして、「なんで、こんなことをしたんだ」と叱られたとしましょう。言い訳をするのに「つまり、、、」で始めることはできますが、「すなわち、、、」とは言えません。「のみ」には「あとは、前進あるのみ」という言い方があります。「あとは、前進あるだけ」では意味がちがってきます。 一方で、そのような問題をかかえながら、他方で日常の言い回しに安易に「のみ」を使う人が増えています。 そのうえ、このごろはonlyをまともに訳せない翻訳者が増えて、それがわけのわからない日本語の乱造に拍車をかけています。onlyというものは、単純に「のみ」に置き換えればすむものではないのです。 ×× 三年以下のみしかかからなかった。 × わずか三年以下しかかからなかった。 ○ 三年とはかからなかった。 × アポトーシスを抑制して細胞生存を強化することのみで、白血病は発症しうる可能性を示している。 ○ アポトーシスを抑制して細胞生存を強化するだけで ○ アポトーシスを抑制して細胞生存を強化しさえすれば このように、業務体のなかにも「だけ」を使わなければならない事態も生じます。それを避けたいのであれば、「~しさえすれば」するほかありません。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.25
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患者の心を蝕んだカタカナ3傑 第1位 ハッピー 第2位 ゲットする 第3位 シビアな 第4位 エンジョイする (順位は暫定順位です) ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.24
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【専門病院】のつづきです。 どうやらそれは、自閉症の娘をもった女性の物語らしかった。 家庭の主婦になり、自閉症の子をもつことは、まさに自分自身が社会から閉ざされることを意味する。 そのような環境に置かれた者が、自分自身を生かそうともがくとき、真っ先に頭に浮かぶのが、翻訳をはじめとする在宅の仕事だった。 「自由への道」という題目はサルトルの小説を思わせる。 どうやら、女性はそれぞれが孤立して社会から隔てられている在宅翻訳者の現状を象徴するものとしてその表題を選んだようであった。 登場人物はみな、だれもが一人称で語られ、それぞれの間に何ら連絡がない。ある者は自閉症の子をかかえ、ある者は知的障害のある子を抱え、それぞれが社会をまったく知ることができない状態で、それでもなお大きな荷物をかかえて生きていかなければならない状況が描かれる。 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.24
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発禁小説の発見 フローベール館から部屋に戻って一息ついた私は、本棚に目をやった。この部屋が病室などではなく、私に特別にあてがわれた研究室にように思えてきた。 なかに「創作ノート 自閉症」と書かれた冊子があった。 小説そのものは完成したらしいのだが、日本国で発禁になり、ここトラドキスタンでも完全なかたちで残っているものはないらしい。破り捨てられたものを拾い集め、その断片を編集したものと、創作ノートが残されている。 私もそれで、小説の輪郭をかろうじて知ることができた。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.24
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「集合」名詞が「生存権」の確認を求めて提訴 × すべての手術をビデオ画面監視下で終了する完全胸膜手術 こうなると、もはや英語のallとwholeの区別もあったもんじゃない。この文は明らかに「手術の全過程を」という意味。 昨日の朝日テレビでは「すべての真相を知っている」なんてたわけたことを言っていた。トラドキスタンなら懲戒免職になるところ。真相がいくつもあって、その全部を知っているというのではなく、真相はあくまで全体でひとつとして捉えるもの。「それらの指示」もそうで、指示はあくまで全体でひとつ。 本来、集合的に扱われた名詞の生存権が脅かされている。 トラドキスタンでは世界で初めて、人間ではなく、名詞の一団が生存権の確認を求めて翻訳裁判所に提訴した。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.23
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医学日本語講座 「だけ」と「のみ」の複雑な問題 ほとんどの場合、ほぼ同じ意味を表すものが少なくともふたつはあって、どちらかが日常体になり、もう一方が業務体になります。 そういう意味では、「だけ」には「のみ」が対応し、それぞれ日常隊体と業務体ということになりそうです。 ところが、なかなかそう単純にはいかないところがあります。□ 画像診断だけでは不十分と考えている。□ 画像診断のみでは不十分と考えている。 これなら、大きな問題はないかと思います。ところが、次に挙げる文をみてください。 □ 腎実質の一穿刺点から注入するだけで、腎間質全体に遍く投与液を分布させることができた。 × 腎実質の一穿刺点から注入するのみで、腎間質全体に遍く投与液を分布させることができた。 このふたつをすんなりと同じ意味にとってもらえるかどうか、いささか疑問です。 今度は「のみ」を使った文を先に挙げます。この文は果たして日本語として正しいかすら疑問になるような文です。 × アポトーシスを抑制して細胞生存を強化することのみで、白血病は発症しうる可能性を示している。 また、次のような文も考えられます。この文はあとのふたつの文のうちどちらかにする方がいいでしょう。 × 白血病阻止因子は生後、集合管に弱く発現するのみである。 □ 白血病阻止因子は生後、集合管に微弱に発現する程度にまで減弱する。 □ 白血病阻止因子は生後、集合管にかすかに発現する程度にとどまる。 次回、このつづきをもう少し考えてみたいと思います。←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.02.22
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【日本内乱】東明町のつづき 一方、三寺の中学時代からのつきあいになる白草の素性は、三寺自身にもわからなかった。 二人はともに、第二外国語にフランス語を選択していた。フランス語をやる連中はただでさえ、英語に対する姿勢を量りがたい。両方できるようになって、英語しかできない人間に差をつけようとするのか。フランス語だけで勝負しようとするのか。いや、そればかりか、フランス語に征服されたアングロサクソン語の末裔など、ハナからバカにしているのか。白草はそれに輪をかけたように、いつも周囲を煙に巻くようなやつだった。 しかも、白草からは自分の周りで起きていることがよく見えた。 町では、積極的に英語を取り入れようとしている者を黒、英語の導入に反対する者を白と呼んでいた。白草は自分自身はさしずめ透明と言えるのではないかと思っていた。 四人連れの学生がすぐそばを歩いている。白草にはだれもが黒であることがわかるのに、だれもが腹の探りあいをしている。つい数ヵ月前までは、脳と口とが直接つながっているかのように、ことばが一人歩きしていた者たちも、出てきそうになることばを飲み込み、どもりそうになりながら、ことばを接いでいる。緻密な人間が、厳密な議論をするためにことばを選んでいるのとはちがって、不器用そのものだった。 それまで友だちとしか話したことがない学生が急に、接客係になったとしても、これほど不慣れな様子はみせないだろうと思えるほど、学生たちは何かに過敏になり、何かを避けていた。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.22
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××× すべての世代で受信料は「高い」と感じているのには驚いた。(立教大学教授) 大学でこういう言語が日常的に使われているのだとしたら、子どもを大学にやるということは、自分の子どもを自らの母語に止めを刺す刺客に育てあげるということだ。 ×× すべての世代が受信料は「高い」と感じているのには驚いた。 ○ どの世代も受信料は「高い」と感じているのには驚いた。 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.21
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2007.02.20
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トラフグという名の言語侵略 【暴動】のつづきです。 翻訳支援ソフト「トラフグ」を使えば、翻訳の質は確実に落ちる。 ひとたび「トラフグ」を購入すれば、なぜかその事実が知れ渡ってしまい、思いもよらぬ翻訳会社から仕事の打診が来る。 その意味では、できの悪い翻訳者にとっては、「トラフグ」を持っていることがそのまま仕事獲得につながり、仕事先を増やす有力な武器となる。 ところが、できる翻訳者にとっては、これほど迷惑なものはない。 できる翻訳者ははじめから自分の頭のなかに「トラフグ」程度のソフトを持っている。トラフグなんか使わされた日にはやたらに時間がかかるだけ。原文をみた瞬間に自分のなかではもう訳文ができあがっているのに、ソフトに入っているものと対照してみなくてはならない。 ゲー、ゲオー、ゲボー。 ガオー。 誤訳、悪訳、無知、勘違い、杜撰、横着、短絡、無節操、悪弊、猿真似、、、。 とても日本語とは思えない。蛮行の限りを尽くした訳文が入っている。気になって仕方がない。 そんなものを使わされて、単価を安くする口実にされたのではたまったものではない。 翻訳者も コーディネータも 翻訳会社の社長も 一部のクライアントも みな一様にそう思っている。 それなのになぜ、「トラフグ」がこうも幅を利かせるのか。答えは簡単である。トラフグはすでにヨーロッパ言語間ではかなり普及している。それができたものだから、外資系の企業を中心に、日本語との間にも強引にトラフグを使わせようとする動きがある。 しかし、それはもともと構造が似ているヨーロッパ言語間であればこそ可能になったものであって、日本語との間には、少なくとも現時点ではムリがある。 一方ではハゲタカと呼ばれる者たちが日本経済を征服せんと狙っている。ことばの面でもトラフグなる獰猛な魚類が、日本語に大きなことばの罠をしかけてきている。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.20
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【暴動】のつづきです。 手長は結局、自身思ってもみなかった事実に行き着いた。 翻訳支援ソフトの使いかたを教えている講師も、ムリヤリ使わされている翻訳者も、翻訳会社のコーディネータも、翻訳会社の社長も、支援ソフトを使うと質が低下すると公言している。 翻訳ソフトを使うよう要求してくるクライアントまでがそう思っている。 翻訳の質は必ず落ちる。 ただ、ひとついいことがあるとすれば、ある一定の線だけは保つことができる。ただ、それだけのことである。 けっして使いやすいものではない。時間が短縮できるものでもない。できる翻訳者ほど、煩雑に感じる。 それではなぜ、いったいこんなものが未だに使われているのか。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.19
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【専門病院】のつづきです。 フローベール館から帰っても体の震えが止まらなかった。まぎれもなく人間の姿をしているのに、人の感情がことごとぐそぎ取られ、ロボットでもなく、人形でもなく、まさに像と呼ばれるにふさわしい存在。 しかも、それが日本国で節操もなく使われているカタカナによるものであるとは。 私は改めて、自分にあてがわれた部屋の本棚に目をやった。 日本国では目にしたことのない小説や、創作ノートが何冊も並んでいた。どれもこれも発禁になったものだろうか。 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.18
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× 初代王座に君臨する (関西テレビ) まあ、吉本のギャグだと思って、、、 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.18
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患者の心を蝕んだカタカナ2傑 第1位 ハッピー 第2位 ゲットする (順位は暫定順位です) ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.18
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【専門病院】のつづきです。 可奈と呼ばれている像が、平らな床をまったくの等速度で、上下動ひとつなく私たちに近寄ってきて、お茶を入れてくれた。私に出された茶碗は寸分の違いなくお皿の真ん中に置かれ、皿は私が右手を伸ばして紅茶をすするのに、これ以上ないと思える位置に置かれていた。しかも、コーヒー茶碗の縁から水面までの距離は、丸徳医師が手にした茶碗とナノ単位の狂いもないと思えるほどだった。 それでも、可奈にだけはかすかに表情があった。「ハッピーが第一位って、変だと思うでしょう」と可奈は唐突に切り出した。「でも、私はハッピーになるくらいだったら、ずっと悲しみのなかにいた方がいいと思っていたんです」「ありがとう。少し休んでいていいよ」 丸徳医師は可奈にそう言って、私の方に向き直った。「可奈だけがほんの少しですが、感情らしきものを表に出してくれるんです。ハッピーだけじゃなくて、患者たちを蝕んだカタカナをひとつ残らず白日の下に晒すのが私に残された仕事です。もちろん、治療もですが。まずは可奈だけが希望です。手がかりです。ただ、カタカナに触れることは傷口に触れることにもなるので、慎重に作業を進めています」 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.17
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【日本内乱】のつづきです。 連続殺人事件が起きた町のひとつに東明町がある。 三寺はある強迫観念に捉われていた。 ぼくの素性はみなに知られてしまっている。こうして街を歩いていて、ぼくの方に向かってくる者たち、店の入り口で立ち話している主婦の群れ、だれひとりとしてぼくの素性を知らない者はない。 大学に行っても同じことが起こっている。だれもが等しくぼくとの距離を取る。だれひとりあからさまに無視する者はなく、かと言って今までのようにぼくとでなければできないような話をする者もいなくなった。 飲みに行くときも必ず声がかかる。測ったように均等にぼくのことが話題にのぼって消える。必ず何か意見を求められ、それに答えて少し盛り上がったところで、いつの間にか、ぼくは話題の外に消えている。 こんなふうに扱われるのは、考えようによってはだれからも無視されるよりも辛い。いや、それよりも何よりも、いったい何が起こっているのか、何が起ころうとしているのか、その不安があまりにも大きすぎて、孤独などという想念が脳裡をよぎる余地はまるでない。 街を行く人はみな、ぼくとすれ違うときに視線をそらしはしない。かといって、表情ひとつ変えるわけでもなく、たまたま視界に入った看板や、商店の陳列、電柱などと同じ、ただの風景の一部として受け入れている。 それ自体、見事な芸当ではないかと思う。ぼくの素性が知れていることが、ある意味でこの街の人たちにそれほどの安堵をもたらすものなのだ。ぼくが視界に入っているときには瞬きひとつしない人たちも、ひとたびぼく以外のだれかを視野の中心に捉えるや、たちまち表情をこわばらせ、瞳のずっと奥の方から猜疑をのぞかせる。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.17
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【日本内乱】のつづきです。 長沼はそのうちに妙なことに気がついた。この町にはやたらとゲームセンターが多い。出入りが多いわりには、なかは案外閑散としている。 こんな小さな町にこれだけのゲームセンターがあって、立ち行くはずがない。 どのゲームセンターにも、奥にまだ何かありそうだった。 栄養学講座 医学講座 囲碁講座 どこにもこの3つが書いてある。確かにそれなりの人が出入りしているようにも見えるが、子どももけっこう多い。 長沼が扉を開けると、受付があった。「会員証のご提示を願います」「いや、あの、申し込みたいのですが」「どの講座でしょうか」「別に、栄養学でも、囲碁でもどちらでもいいのですが」「わかりました。きちんとしたご紹介者がいらっしゃるということですね」 長年刑事をしている長沼には受付嬢の言う意味がわかった。 その次に入ってきた男も「栄養学でも、囲碁でもどちらでもいいんですが」と言った。 それが暗号なのだ。 その次に入ってきた女性は「医学講座を受講したい」と言って、「うちは会員様のご紹介のある方に限っております」と断られていた。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.16
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× あれらの荷物 (関西テレビ) みると波止場にコンテナが4つほどありました。でも、日本人の感覚では、「あそこにある荷物」です。 アナウンサーというのは母語なのに頭でしかモノを考えない人種なのでしょうか。 もともと「これらの本」なんて言いだしたやつがいたからいけないのですが、ここにある本と言って、視覚的に複数であることがわかれば、別に何の問題はないはずです。 現物が目の前になくても、「これまで紹介してきた本」と書いて、何冊かに言及しておればそれで複数であることはわかるはず。 それにしても、西ハワイ語は英語を超えてさらに遠くへ行きますね。 もともと「これらの」、「それらの」はあっても「あれらの」がなかったのは、きわけて単純な理由によるものです。英語にはtheseとthoseしかないからです。「あれらの」を英語にするときは、thase にでもするんでしょうか。 やれよ。英語から日本語にするときには、もともとなかったものを勝手に作りだすんだから、逆がいけないはずはない。 これから、the big dog の複数は thes bigs dogs にしてやろうと思っている。 これをめちゃくちゃだと思う人、日本語もそういうめちゃくちゃなことをやられているんです。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.15
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× 関西電力が管理する148の発電所すべてでデータ改竄 (NHK)「すべて」に「で」はつかないのが日本語。 美意識があれば、そんなことを思いつくはずがない。「すべてで」は日本語改竄。 ○ 関西電力が管理する発電所、全148箇所でデータ改竄 NHKがこういう日本語改竄に反対の姿勢を取るようになれば、受信料は2倍払ってもいい。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.15
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トラドキスタンの頭脳流出 トラドキスタンの翻訳者が一人、日本国に戻った。 そのさい、理由そのものは定かでないが、トラドキスタンの政策を暗に批判し、このままでは優秀な人材が海外に流れていくと発言した。 トラドキスタン国長は、ここに根本的な誤解、誤謬があるので、その誤謬を明らかにするべく声明を発表した。 優秀な人材が外を出ていくことは何ら問題にならない。その人材が本当に優秀であって、日本国に戻って、西ハワイ語による環境汚染に抵抗する力となってくれるのであれば、むしろ大歓迎である。 問題は、未だ一人前でない翻訳者が日本国でいい加減な翻訳をして、日本語環境を悪化させることにある。日本国にはトラドキスタンのように西ハワイ語を取り締まる法律もなければ、わが国のようにひっきりなしに警報を発令して注意を呼びかけるなどの措置も取られていない。 できの悪い翻訳者をそんな国に放出したりすれば、国際問題になる。なかでも、翻訳の精度にはうるさいノルウェーとの関係を悪化させるだけである。 だから、トラドキスタンでは優秀でない翻訳者を国外追放することは絶対にしない。いかなる手段を講じても引きとめ、日本語環境を汚染するおそれがなくなってから送還する。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.14
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流子の機能を最大限に生かすために(4) 061228の課題から Half of the patients with Crohn’s disease had a raised CRP level, which correlated positively with clinical disease activity. Half of the patients with Crohn’s disease had a raised CRP level and this correlated positively with clinical disease activity. このふたつの文は実は細かいことを言えばまったく同じであるとは言えませんが、とりあえず上の文を見ていきましょう。 関係代名詞というものは、そのあとの文を含めて基本的に大きな形容子であるわけです。もうひとつ、そこには構子が組み込まれており、形容子として名子の前にかけるやり方では、負担が大きくなりすぎて文が耐えられなくなると思えば、文の構造を変えればいいという合図を送ってくれています。 先行詞のCPR levelにraised という形容詞がついて冠詞aがついていることによって、「くずれやすい」ものになっています。くずれやすいということは、「高いCRP値」と言う形で存在しにくいということです。くずれやすいものに、関係代名詞以下をかけることはまず不可能ですから、この時点でうしろから訳す選択肢は消えます。 □ クローン病患者の半数はCRPが高値を示し、まず、ここまで来たあと、 □ 臨床的活動度と正の相関をなしている。 で意味の理解に問題がなければ、主語などない方がよく、これを以って最終訳としてもいいわけですが、やはりこの文はそれではちとわかりにくい。 □ これが臨床的活動度と正の相関をなしている。 □ これは臨床的活動度と正の相関をなしている。 これでも何か足りないので「その値」としましょう。 □ その値が臨床的活動度と正の相関をなしている。 ここで、「その値が」でよければ、これが最終訳です。 □ その値は臨床的活動度と正の相関をなしている。 このように、どう考えても「この値は」とする方がよいのであれば、二文にします。一文にするか二文にするかは専ら日本語の都合です。 ○ クローン病患者の半数はCRPが高値を示し、その値が臨床的活動度と正の相関をなしている。 □(参考) クローン病患者の半数はCRPが高値を示す。その値は臨床的活動度と正の相関をなしている。 当然、下の文はありえないことになります。 × クローン病患者の半数はCRPが高値を示し、これは臨床的活動度と正の相関をなしている。 初めに、この文はどうもしっくりしないところがあると書きましたが、しっくりしないのにはそれなりの理由があるわけで、きちんと手続きを踏んでいけば、文章の感覚が鈍い人でも、どこか間の抜けた文になるのを防ぐことができます。 (つづく)←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.14
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× 道路上において、露店を行うことは法律で禁止されています。(警察) ○ 道路で露点を営むことは法律で禁止されています。 □ 日本国の警察に告ぐ。日本語を玩ぶことは法律で禁止されています。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.13
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流子の機能を最大限に生かすために(3) 061228の課題から では、これまで書いてきたことを踏まえて、次の文を見てみましょう。 Half of the patients with Crohn’s disease had a raised CRP level and this correlated positively with clinical disease activity. × クローン病患者の半数はCRPが高値を示し、これは臨床的活動度と正の相関をなしている。 一見、別に何の問題もないようですが、実はこれには重要な問題が含まれています。連用形のあとには基本的に「、」が来ます。「、」は「止まれ」の合図です。「は」も止まれの合図です。 ここが逆説であれば、「高値を示すが、」のあと、「これは」とつながり、何の問題もありません。いったん逆説という「警告」を受け取っているので、かなり慎重に動き出していますので、再び「は」で止められても生理に反するようなことはありません。ところが、「示し、」といったん止まって、さあ行こうと思ったとたん、また「は」で止められるのは生理的にいささか不快なのです。 言語というものは須らく、意識下でこういう快不快の原理で成り立っています。 連用形+「、」のあと、前の文の名詞またはそれを代名詞で受けたものに「は」をつけない。この原則を守ると、文の印象がぐんとよくなります。もちろん、誤訳も防げます。原文の感触を正しく伝えることができるようになります。 上の訳もよく読むと、「これは」が微妙におかしいのです。 この文をちょっと関係代名詞を使って書き直してみましょう。 Half of the patients with Crohn’s disease had a raised CRP level, which correlated positively with clinical disease activity. もともと、こういう「これは」の使い方は日本語になかったはずで(少なくとも「これが」であったはず)、関係代名詞を訳す必要性から、お経みたいに「(そして)これは」、「(そして)これは」と唱えてきたために、その微妙なおかしさ、不快さに鈍感になってしまったのです。 たかが「は」ひとつというなかれ、そのたったひとつのものが日本語に実におおきな取り返しのつかない影響を及ぼしているのです。人類だって、あんなちっぽけなヒト免疫不全ウイルスにかきまわされているではありませんか。 こんなちっぽけな「は」の方が、「怒り心頭に達す」などの「誤り」よりもはるかに大きな被害をもたらすものなのです。 この「は」ひとつで、翻訳者の思考が麻痺し、日本人の思考にも大きな影響が出ています。(つづく)←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.13
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× 男性に対しては、猿は襲わない。(テレビ) 話ことばでうっかり言ってしまったものをどうこう言うつもりはありませんが、字幕にこういうものを出すと、翻訳者がつけあがる。甘える。見限る。日本語なんてこんなものでいいと思って、本当に困るんです。 こういういい加減な書き方をする翻訳者が増えた日には、あとの手直しが大変なんです。 某翻訳会社の社長さんは、いつもヒーヒー言いながら徹夜で手直ししてるんですよ。 一方の翻訳者は「いい仕事」をしたと、いい気なもんです。 テレビさん、いい加減なことは捏造だけにしてくれ。翻訳者を甘やかすだけなら、営業妨害で損害賠償すればすむけれど、手直しのために過労死する人が出たら、タダではすまないですよ。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.12
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流子の機能を最大限に生かすために(2) 0612.28の課題から 水は高いところから低いところに流れます。 だれもが知っている事実です。 ところが、コップの水を何か別のところに注ぐとき、水の分子ひとつひとつの動きを観察することができれば、それぞれの分子が実に勝手な方向に動いていることがわかるはずです。風圧を受けて横へそれるくらいは生易しいもので、上方に上っていく分子もあります。 そうすると、上に上っていく分子があるという観察結果からは、「水は高いところから低いところに流れる」という法則が導けないことになります。 観察結果を残らず「立てる」というやり方では、どこかで行き詰ってしまいます。さいわい、水の場合にはひとつひとつの分子が目に見えないものですから、人間の目から見た観察結果から容易に法則が導けます。 では、言語はどうでしょう。現在確立されている文法も、文献や日常生活から収集した用例を全部ひっくるめてしまっては、成り立たなくなるはずです。 そこで、学者たちは「正しい」ものや一定の頻度で使われているものだけを対象にする方法を考えます。 もちろん、それもひとつの方法ですが、私は自然体と効果体ということを考えています。「は」と「が」の使い分けや、語順の問題を考えるとき、まずは自然体だけを対象にすると、かなりすっきりとした法則が現れてきます。「は/が」と語順の問題、換言すれば流子の問題を複雑にしているのは、この自然体と効果体をいっしょに考えているからにほかなりません。 その全体像については別の機会に書かせていただくことにして、次の文を見てください。□ 向かい側に座っている人が広げていた新聞に、その記事は載っていたのである。 私の大学時代の恩師は作家、柴田練三郎の戦友でした。その柴田さんが亡くなったとき、私はその恩師といっしょに電車に乗っていました。先生の表情が蒼ざめたと思うと、向かい側の席にいた人が新聞を広げていて、柴田さんの訃報が大きな写真入りで載っていたのです。 そのときのことですから、この文は明らかに効果体です。(ここで誤解のないように付け加えておきます。効果を狙って目的を果たせず、失敗に終わっているものも効果体です。) これを□ その記事は、向かい側に座っている人が広げていた新聞に載っていた。 としては、いささか拍子抜けになります。 ただし、あとの文が自然体で、語順、主語+「は」の位置など、これがごくごくふつうの日本語の形式であることになります。 日本語の主語の位置や「は」、「が」の使い方は一見でたらめに見えますが、実はこの自然体を基本としながら、語順を変えたり、「は/が」を入れ替えたりして、自分が伝えたいことを強調したり、自然体では出せない意味合いを含ませたりしているのです。 では、このことを踏まえて、次回は連用形のあとの「主語+は」について考えてみましょう。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.12
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× どうやったら、よりエロティックになるか。 博士論文にラブホのことを書こうが何しようが勝手だが、こんな「より」の使い方をして日本語を汚すな。 意味がわかんないんだよ。「より」がついている意味が。 でも、「~になる」にようにもともと動きのあるものにつく「より」って、もしかして最上級ではないか。 □ どうやったら、いちばんエロティックになるか。 だって、そうでしょう。今よりちょっとエロティックになるくらいいくらでもやり方があるわけで、別に「どうやったら」なんて考える必要もない。 × よりがんばれば、より上達する。 これなんかは「がんばればがんばるほど上達する」 × より深く理解する。 ○ 理解を深める。 つまり、「より」ってのは、これまでの日本語が実にさまざまな意味合いを区別してきたものを全部一律、同じものですませてしまうための手段であるわけだ。 徹底抗戦あるのみ。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.11
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流子の機能を最大限に生かすために(1) 061228の課題から これまで私たちは、文の意味や構造、表面的な文法にばかり捉われて、文の流れなるものにはあまり注目してきませんでした。 それでいて、翻訳者をはじめ文章を書くことを仕事にする人の命運を決めるのは、この目に見えない文の流れであったわけです。 どちらも意味はよくとっているんだけど、こっちの方が「なぜか」読みやすい。 もちろん、評価する人が単に「自分にとってわかりやすい」というだけで判断しているのであれば、翻訳者にとっては災難ですが、判断する人にそれなりの感覚があるかぎりは、この「なぜか」で決まってしまいます。「なぜか」ですから、感覚的にしか把握できません。感覚的にしか把握できないから他人に伝えることができません。 従来、この感覚的にしか捉えることができなかったものを目に見えるようにしたのが、情報量理論の「流子」という概念です。 よく思考の順ということが言われます。どの言語もその言語を母語とする人の思考の順に単語が並んでいると考えられがちですが、この考え方は簡単に論駁することができます。 英語のように文の構造や語順がそれほど自由にならない言語では、だれがどのような順に思考しても、単語を並べる順序はその言語の形式から自由になることはできません。 逆に日本語のように動子(動詞)で終わる言語でも、何かことばを口にした時点で、どの動子で文をしめくくるかはあらかじめ考えています。 基本的には(文法的に)語順が自由にならない言語には冠詞があり、比較的語順が自由になる言語には冠詞がないという傾向があります。理由は簡単です。語順が自由にならないと、語順によって文の流れを作ることができないので、冠詞(基本的には定冠詞であるかそれ以外のものであるか)や指示代名詞によって流れを調節するしかないからです。その意味で英語では定冠詞や指示代名詞が流子に相当するものであると考えることができます。 日本語では、語順によってある程度文の流れを調節することができますが、もうひとつ重要なものがあります。「は」と「が」の存在です。「は」は主語を表すように思っている人がいますが、とんでもない誤解です。試しに、主語のあとの「は」を全部省いてみるとよくわかります。少なくとも意味の理解には何ら差支えがないことを確認してみてください。「は」の用法や、「が」の用法を文法的に説明しょうとすると、非常に細かい分類が必要になり煩雑になりますが、情報という観点、文の流れという観点からみると、「は」が「止まれ」、「が」が「進め」です。 この考え方で、日本語の「は」と「が」の区別はほぼ完全に説明することができます。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.11
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患者の心を蝕んだカタカナ(1) 第一位 ハッピー←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.10
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日本国の留学生が足を掬われる 061221の課題から Relapse occurs in a random way. 何のことはない文です。要するに、法則の何もなく、「でたらめに」再燃が起こるということで、「再燃には法則性がない(みられない)」とするくらいのものです。 ところが、こういう文を見ると、平気で次のような訳をする留学生がいます。 × 再燃が無作為に起こる。 ちょっと待て。無作為というのは人為的なことに使うものではないでしょうか。自然の現象に無作為も何もあったものではありません。 翻訳作業をしていると、そういうところに注意が行き届かなくなる人がいます。 最初からそういう感覚のない人は別ですが、ふつうは治療すればremissionにまではこぎつけることができます。しばらくは「なるほど、確かに無作為は」ということで本人も気をつけます。ところが、そのあとが、 Relapse occurs in a random way. なのです。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.10
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× アドレスには全て改行を入れない。 最近の日本人は意味もなく「全て」を使う。 こんな「全て」の使い方はない。 ○ アドレスには改行を入れない。 これで十分。どうしても何かことばを入れたいのであれば、 ○ アドレスにはどこにも改行を入れない。 ○ アドレスにはいっさい改行を入れない。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.09
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× より和菓子を身近なものにする これに対して、文法的には「より」は「身近なものにする」の直前が正しいとする書き込みを受けて、シンハラ語自治州が激怒した。 そもそも、「より+形容詞」ですら、「よりよい」が慣用的にかろうじて許される程度であり、「より+動詞」、「より+文」など言語道断である。 シンハラ語には日本語との共通点が多く、「これ よりも いい」はそのままの語順で、 みーた わだー ほんだい と言う。この「わだー」というのが日本語の「より」に相当するもので、これを使えば形容詞はそのままで、比較の意味を出すことができる。 ただし、西ハワイ語のようにいきなり「わだー」で文を始めることができるのは、「わだー ほんだい」(そっちの方がよい)に限られる。 数百年にわたって、ポルトガル、オランダ、イギリスの統治下にあり、現在も英語が公用語として通用しているスリランカですら、その点はしっかりと本来の用法を守っている。 日本語にこの無法とも言える「より」の用法が現われたのは、ここ20年のことで、庶民の間に自然発生的に現われたものではない。パソコンの都合、非常に安易なマニュアル翻訳の都合、日本語の本質を理解していない劣悪な翻訳者の都合によって立ち現われてきたものである。 ウイルス速報というものはもともと、トラドキスタンの日本語を西ハワイ語の侵食からまもるためのものであるのに、日本国からこのような横槍が入ったことに対して、シンハラ語自治州は「きわめて遺憾」との見解を表明した。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.09
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× 和菓子をより身近なものにする「文法的には「より」の位置は「身近」の直前がよい」という書き込みがあったが、そもそも「より」をつけて比較級にする文法など日本語には存在しない。それは英語の文法であって、日本語の文法ではない。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.09
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トラドキスタン政府は、中東新聞の記事を日本語に翻訳して提供するという東京外大の事業に対して、「まず学部生が下訳をする」という作業のあり方に懸念を表明した。 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.08
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× より和菓子を身近なものにする (東京の10円饅頭) こんなバカな日本語があるか。 ○ 和菓子を身近なものにする「身近なものにする」と言うだけで比較の意味が入っている。 東京にはなんのために石原がおるのか。 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.08
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日本人留学生が思考を停止するとき 061214の課題から 日本人留学生のなかには、Various authors have investigated ~なんて書いてあると、「さまざまな著者らが」、「さまざまな研究者が」とする者がいます。 ちょっと待て。「さまざま人たち」っていうのはわかるのですが、「さまざまな研究者」ってのはよくわからないんです。現実との対応を考えると、「おっちょこちょいの研究者」とか「酒のみの研究者」とかいうのではなくて、さまざまな分野の研究者ということだとは思うのですが、それにしても、「さまざまな」と「研究者」は結びつきにくい。 どうも日本人留学生はそういうことをあまり考えない。Variousが「さまざまな」で、authorsが「著者ら」、「研究者」であることがわかれば、そこで思考が停止してしまうようです。あとはもう猪突猛進。せめて、今年いっぱいにしてほしい。そうしてもられれば、あと11年間は安心できる。 こういう無冠詞複数というのは、scientists や researchersがよく使われますが、要するに特定の研究所の科学者や研究者ではないということで、広く一般に「科学の世界では」、「研究者の間では」くらいの感覚で書かれているわけです。 このvarious authorsも同じようなもので、「さまざまな方面では(から)」くらいの感覚なんです。 そうであれば、「さまざまな方面から~が検討されてきた」とすればいいわけです。 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.07
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× 翻訳者にとって有益となる商品 ○ 翻訳者に(とって)有益な商品 × お勧めなサイト ○ お勧めのサイト なるほど、品質管理の重要性とはそういうことか。←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.02.07
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日本国の留学生は量子が苦手 061214の課題から 量子の説明はもう何度もしているはずなのに、日本国からの留学生は量子が苦手である。英語を読むとき、どの単語にも同じ比重を置いていてはまともな翻訳はおろか、解釈すらできるはずがない。a panel of inflammatory markers や a wide spectrum of CPR valuesのa panel of や a wide spectrum of は量子であり、うしろのinflammatory markers や CPR valuesの感触を示すためのもの。 これをパネルやスペクトルなどを使って訳した者がいるが、まったく不要。 せいぜい、「一連の炎症マーカー」とするくらいのものである。あとの分についても、CPRが上下大きな範囲に振れることを言っているだけで、スペクトルの話が出てくるわけではない。 基本的にa + 名子 + of はみな量子と考えてよいことをもう一度胸に刻もう。←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.02.06
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× 主人に秘密で ○ 主人に内緒で 庶民の言葉遣いは問題にしないのが原則ですが、せっせと迷惑メールを送ってくる連中はマスコミと同じ扱いをしないと、こちらも自分の身を守れません。 近頃、いわゆる意味さえ同じなら、「どんな使い方もあり」というやり方が横行しています。 迷惑メールの文章も、マスコミに負けないくらい悪質になってきました。←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.02.06
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× 全ての求人情報を検索したい場合は (アメリア) こんな西ハワイ語しか書けない団体が翻訳者と翻訳会社との間をとりもってはならない。 ○ 求人情報を残らず検索したい場合は←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.02.06
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× ロンドン大学では、学校の方から以下の科目を受講するよう提唱された。 翻訳の指導をしていていちばん困るのは、辞書に書いてある訳語をそのまま使う輩が後を絶たないことである。 学習中の者なら、そのような欠陥をかかえていることも顧みず、ひたすら金稼ぎに走る連中をなんとか「改心させる」とか、いろいろ手の打ちようもあるが、数十年も翻訳をやってきた者が平気でこんな「提唱する」の使い方をする現実を前にしては、 Me quede' con la boca abierta. である。 Vete a la mierda. ←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.02.05
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×× 舞台を含む13物件すべてを撤去した。 「名子+すべて」も、外人の書いた日本語としか思えないが、「含む」のようななぜ連体形寄りになるのか。日本語の特質に背を向けた行為としか言いようがない。 ○ 舞台を含め13物件を残らず撤去した。←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.02.05
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留学生村の医薬翻訳講座から 061214の課題から(1) 留学生村の医薬翻訳講座ではいつも、英語に魂まで奪われた日本人の固定観念が大きな壁となって立ちはだかる。 日本人にはたとえば、(They)suggested using lower cut-off valuesとあると、このlower cut-off values を「低いカットオフ値」とする。 こういうことが、トラドキスタン人には理解できない。 さすがに、試験を経て留学に来ているだけに、「より低い」とするようなバカはいない。ところが、なぜ「より~」がいけないかを体でわかっていないものだから、それより前に進めない。 英語の名子が日本語の名子よりはるかに不安定であることを理解していない。不安定であるということは、そこに動きがあるということである。比較級がつくとその不安定さがますます大きくなる。そういうことができない日本語の形容子に「より」を持ち込むことがいかに言語の摂理に反したことであるか、いい加減に日本人は悟るべきである。「低いカットオフ値」なんていうけれども、この段階では低いカットオフ値なんて存在しない。いわば虚なのである。高い山、低い山はあるけれども、カットオフ値は人為的に設定するものである。 もしここにtheあって、(They)suggested using the lower cut-off values.となっておれば、「低い方のカットオフ値を採用するよう提案した」でよい。しかし、定冠詞もついていないものを、そうすることはできない。未知、未定、未発のものについては、動的エネルギーをそれぞれの言語の文法機能を駆使して表現しなければならない。 コラ、そこでそんなむずかしいことをと言っているのはだれだ。日本国ではゲーム機ひとつ開発するのに、どれだけむずかしいこと、複雑なことを考えているか。それに比べれば今やっていることははるかにやさしい。しかも、自分たちの母語ではないか。日本人はふざけている。いやなら、とっとと留学をやめて日本国へ帰れ。 ええと、どこまで行ったかな。その動的エネルギーを、英語では形容子の比較級で表現できる。日本語では動子の方に若干細工をする必要がある。「カットオフ値を低めに設定するよう提案した」 なるほどと思ったら、クリックをお願いします。←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.02.05
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トラドキスタンには日本国からの留学生に医学薬学翻訳を教える留学生村があります。←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.02.05
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× 今まで経験してきたことのすべてを出せたら ○ 今まで経験してきたことを残らず出せたら←ランキングに登録しています。クリック,よろしくお願いいたします。
2007.02.04
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× 名子+あるいは+名子 やはり、「そして」と「あるいは」は名子と名子をつなぐのに使うのではなく、文と文をつなぐためにだけ使いたいものです。 もちろん、名子のあとに「、」があって「あるいは」が来ることはありうるわけです。何か言いたくてことばが出てこなかった場合には、文にならない文がそこにあることになります。しかし、ハナから「あるいは」で名子と名子をつなごうとするのはいけません。 そんなことをしていたら、何もかも英語の and や or といっしょになってしまいます。 これまでの一部整理× これら× それら× あれら× これらの× それらの× あれらの× ~のそれ 偽ウイルス(「あそこのそれ取って」はありうる)× 名子+そして+名子× 名子+あるいは+名子←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.04
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【暴動】のつづきです。 エレマーにはさらにもうひとつ、別のところからも抗議の電話がかかってきた。 そもそも、こういう組織はありえない。 翻訳者と翻訳会社、場合によっては直のクライアントまでいっしょになっている。 これじゃまるでPTAじゃないですか。 そもそも利害関係の異なる者同士をひとつの組織のなかでまとめるなんてムリなんですよ。 手長にはこればかりはいいがかりに思えた。「じゃあ、派遣会社はどうなるんだ」←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.04
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【専門病院】のつづきです。「この像たちはね、罵声を浴びせても、まったく無反応なんです。ところが、お茶を入れてほしいとか、何かをやってほしいとか言うと、ちゃんと理解するんです。いやな顔ひとつしません」「先生、それは当たり前じゃないですか。怒りもしないんですから、」「そうでしたね。もちろん、喜びも表情に表しません」 あたりには何体もの像が動き回っているのに、気配というものがまるでなかった。 すると、丸徳医師は静かにこう言った。「でもね、希望はあるんですよ。誕生日にプレゼントをするでしょ。まったく嬉しい顔なんてしません、もちろん。でも、もらったものをとても大切に自分の部屋にしまっているんです。本当はいけないことなんですが、看護士のひとりが実験したことがあるんです。わざとそのプレゼントを床に捨てておいたんです。すると、いつもあの調子ですから、怒りを表さないんですが、探し回るんです。でも、あわてている様子はまるでありません。見つかって、よかったねと言っても、うんとも言いません。でも、また自分の部屋に大事にしまっているんです」 涙が流れてきた。 なんという像たちなのだろう。いとおしくなって、もう一度その姿を目に焼きつけようとしたけれども、またもや私は感情のない世界に連れ戻された。 どうみても、そこに動いているのはただの像だった。「一体だけ、名前のついている像がいます。可奈です」「女性の像ですか」「そうです」 そう言われてはじめて気がついた。像はみな可奈を除いて、男とも女ともつかないものだった。「それすらも、そういう男女の特徴すらも、みんなそぎとられてしまったわけです」「日本国では、こんな像の存在をまったく知りませんでした」「それは、日本国がその存在をひたすら隠し続けているからです」←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.02.04
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