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今日は新しい。昨日は過ぎ去った過去になった。今日、新しい仕事がある。新しい出会いがある。新しい悟りがある。昨日の悟りは投げ捨てて、今日の教えに耳を傾け、今日の悟りを得よう。「人は一生悩むのや」と知って大安心。今日もがんばるぞ~!!
2008.04.30
人が大きく成長するときがある。さなぎのように、一旦、こころがとろとろに溶けて、再び固まるかのように。過去の自分を溶かせ、分解し、再合成し、新たなエキスを受け入れて、新しい自分を作り出すのだろうと思う。史記にいわく、「男子3日会わざればかつ目して見よ」という。子どもの変態は、ある日、突然やってくる。大人であっても、その日はやってくる。修練を積んだとき、人との出会いで、人は変わるのだ。 人との出会いのときに、鮮やかに脳裏に刻まれる言葉、態度、雰囲気というものがある。くりかえし反芻する。夢でも反芻する。しっかり出来てくる。そうありたいと思うし、そういうことを、しっかり見守りたいと思う。記:とらのこども
2008.04.28
春ゆふべ鈴を鳴らして帰りけり はるゆうべ すずをならしてかえりけり ■ 明隅(あけすみ) 玲子 カラスがねぐらへ帰る夕方、かっては子どもたちも家に戻った。母親も戸口に出て子を呼んだ。昼間の人間の時間が、夜の魑魅魍魎の時間へ移行する時間帯、それが日の落ちる夕方だった。 ・・・坪内 稔典 「季節のたより」2008/4/25毎日この「毎日新聞の季節のたより」に坪内稔典さん紹介で、「眼にあてて海が透くなり桜貝」(松本たかし)が紹介されていた。それをもとに妻とわれわれが住むこの地にも、今は自然の浜はなく、子供の頃に海岸で、桜貝を拾えたが今はもうないという話になった。妻は子供の頃、宝物のように集めたことなで懐かしそうに話した。そうした目でみると次のような綺麗な句があり、ゆめとやさしさと砂浜で遊ぶ子供の姿が伝わってくる。tosifuruさん「さくら貝恋路が浜に拾ひけり」(吉田冬葉)「紀の海の波より生れし桜貝」(田畑美穂女)「引く波の引くたび残し桜貝」(鷹羽狩行) 俳句に切り取られた世界。ちいさなできごと。 それに心寄せる人、やまとことばの世界。感性のせかい。まごころ。 こどもにつたえたい世界だと思う。 記:とらのこども
2008.04.27
近所の岩石公園は、残念ながら補修工事中で立ち入りできないから、歩いて10分ほどの川まで行ってきました。「ミジンコなど動物プランクトンをGETせよ!」というミッションである。by こどもの宿題。川沿いにずっと下って歩く。降りる怪談、違った!手すり階段があるはず。。。「あった!」じゃんけんして、降りる順番を決める。負けたので、お父さんが先。びっくりするほど、水が冷たい。さらに下流へくだり、水のたまっているところでミッションを遂行。にごっていて、動物プランクトンがいるかどうかは不明。遊歩道に戻り、タオルで足を拭く。靴をはいてやっと一息つく。ペットボトルのなかに、ミジンコがちゃんと入ってるといいなと思います。たぶん、ダイジョウV!でしょう。ミッションインぽっ渋る。27/APRIL記:とらのこども
2008.04.27

おまえの心を明るくしようと思えば、ともに暮らす人びとの長所を思え。マルクス・アウレリウス他人の短所を見れば憂うつになり、他人の長所を見れば、人生が明るくなる。デール・カーネギー愛する人の欠点を愛することのできない者は、真に愛しているとは言えない。ゲーテ友人とは、あなたについてすべてのことを知っていて、それにもかかわらず、「あなたを好んでいる人」のことを言うのである。エルバート・ハバード わたしは家族を、またある人を、あるものを、あることも、好んでいます。 これは理屈ではありません。好みたいから好んでいるのです。 そして、そうして好むことも勇気だと思います。 若者よ、勇気持て好め。/人も、道も、仕事も。/好み、励めば、路は拓く。 まるごと愛して、まるごと好きになって、隣人であり、友人であり、 家族であり続けたいものです。だから、ダメなあんたが大好き!! 休日再掲シリーズです。 記:とらのこども
2008.04.27

男にやさしくさせるには、とりあえず、こんなもんでどうでしょう?1 文句を言わないこと、感情的な言葉を口に出さないこと。2 笑顔を絶やさないこと。3 なにかと気を遣う。男性の立場とすれば、2,3より、絶対、1が上位です。男と女の立場が逆でも、おんなじかもしれませんね。 でも、ちょっとさびしくないですか? 真剣に思っているからこそ、文句を言ったり、注文をつけるんだから。 笑顔で、気を遣い続けるのなんでキャバクラみたい。。。 だから、本当にやさしくさせるには、この続きがあるんです。(続く)
2008.04.26

今日はお休みなので、恋愛のお話しを。とりあえず、男の本音というお題を挙げてみましたが、懸命な女性の皆さんは、男の本音など、ホントはわかっているんでしょう。どこかで聞いた話し、格言などから書いてみます。トピックは、櫻井秀勲さんの「男と女のホンネが怖いくらいわかる本」より。どこかで聞いた話し。「地図の読めない女」。ところが、この話しは危険。「それってわたしのこと?!」と怒り出す女性もある。いや、それはそうじゃなくって、、、と言い訳しないといけなくなる。「なぜあなたはそうなの?」これもよく受ける質問ですが、男はとんちんかんで、間抜けなもの。微笑んで許したほうが、お互いに得ではないかなあと思います。 「あなたはどうして私と付き合っているの?」 「エッチだけが目的なの?」そう聞かれて、正直に「YES」と答えられる男性は滅多にいないと思います。それでも女性がそれを聞くのは、何か本能的な理由があるんでしょうね。女性の「愛してる」は、精神的なことを指すような気がしますけど、男性の「愛してる」は「エッチしたい、どっかでしようよ」というのが本音でしょう。行為で言えば、女性の愛してるは、会いたいという意味だし、そう言われたとき、彼氏であれば飛んでいって会わないといけないと思います。それがやさしさ。やさしさの尺度になってる。たぶん。(続く)
2008.04.26
ガソリン税は、目的税である。ガソリンに課税され、その税収で道路を作り、維持管理する費用に充てる。道路建設、橋梁、トンネルの建設には、大きい金額が必要になる。その負担を利用者(つまり車両の使用者)が負担しようというものだ。この理屈は、なるほどと思う。ガソリンを使う=道路を使う人ほど、比例して負担額が大きくなる。使わない人ほど、負担額は限りなくゼロになる。何が問題か?それは入りに対する支出内容だ。支出内容に照らして、必要な負担額の決定だ。支出内容を明らかにして、しっかり批判に耐える使い方であれば問題がない。支出内容に照らして、現状の負担は当然だと国民の合意があれば問題がない。前者は、国土交通省がしっかりやるべきで、後者は、国会がしっかりやればいい。既得権益をすすっている官僚や、政治家は、最低の存在だ。今や、公務員というだけで、非難され、軽蔑される時代が来ている。しかし、悪いのは悪い奴だけなのだから、そこを見極めて、より良くしていきたいものだ。理由なく非難される人を作ってはいけない。大きい問題だと言挙げした民主党・小沢代表は偉かった。国税の約10%弱。年間6兆5千億円に上るガソリン諸税。しっかりと、有意義に使わなければならない。国交省が好きに使って良いはずがない。国民の金なのだ。おそらく、日本という国(官僚組織)は大きく成り過ぎたのだ。小泉的精神よ、帰って来い!思えば、かつて国鉄を再建した、亀井正夫さんは本当に偉かった。同じ事を、各省庁でできないはずはない。頑張れ、日本!!政党もがんばれ、省庁もがんばれ、マスコミもがんばれ!!そして、ひとりひとりの我々もまた、選挙を通じて、しっかり見守り、勉強し、声を上げていかなくてはならない。記:とらのこども(関連ニュース)国交は、道路特定財源を職員のスポーツ用具購入や職員宿舎建設費に充てて非難を浴び、かつて社会保険庁では職員の交通事故賠償金やゴルフボールの購入などへの年金保険料の流用が発覚して、マスコミに叩かれた。
2008.04.26

光源氏と姫君たちの恋物語が占いになりました。男女各14タイプの姫君と源氏たち。いったい誰に近いでしょう? 源氏物語占いをご紹介します。無料版あり。http://www.genji-daigaku.com/uranai/ちなみに私は「墨染の源氏」でした。美女に好かれる不思議な人。だそうです。ハハハ(へへ)/同じタイプの有名人は、井ノ原快彦、河相我聞、伊丹十三、奥田民生、野村萬齋、松井秀喜、柳沢敦など。どうでしょうか?当たってますか?
2008.04.24
自分のできることを、当たり前のことを、まじめにコツコツと。それで生活できるし、お金も貯まる。家族もしあわせに生活できるものを。なぜか、お金がない、時間がない、仕事がおろそかになる。しなくても良い何かに、時間を、労力を、お金を使っているに違いない。それを趣味というのか、サイドワークというのか、生きがいというのか、はたまた浮気というのか。。。言い方はそれぞれ。本質はひとつ。「本当はしなくて良い余計なこと。」愉しみの範囲でやるか、思い切って飛び込むくらいの勢いでやるのか、余計なことの取扱いこそ、人生の要諦かもしれぬ。そのことこそが、活力、幸せの種かもしれないし。例によって、格言を検索してみると、「どうしても手を出さないといけないこと以外に手を出すな。それこそが幸せの条件である。」 というのがあった。ふむふむ、そのとおり。「あっちこっちに旅してみても、自分から逃げることはできない」ヘミングウェー さすがである。達観している。「臆病でいるよりも、勇気を出すことのほうが簡単だ」A.ストッダートなんか、元気、勇気がわいてくる。「勇気とは、自分を信じることであり、相手を信じることである。だから行動できる。そして行動しているうちに恐れはなくなる。」加藤諦三余計なことと、やりたいこととがひとつに溶け合って、自分を信じて相手を信じることで、やっぱり最後は思い切ってやるだけなのだ。さらに余計なことが、入り込む余地のないほどに。記:とらのこども
2008.04.23
「政治と犯罪は、一つのコインの表と裏だ。」「気を付けろ。正直であることは危険だ。」ゴッドファーザーのセリフより。 普通の人は、生活のひとつひとつの行為に気をつけている。 悪いことはしないし、嘘はつかない。 為政者なり、事業者というものは、目的を達成するために活動している。 まれに手段を選ばないことがある。 全体の大きい幸福を求めているから、無理や無法を犯すことがある。 これを善とみるか、悪とみるか。 善人ほど悪人はいないとも言う。 たとえば、あかちゃんが故意にただ飯を食べるため、あのように可愛らしく、 あのように甘え、泣いていれば、恐いことだ。 あかちゃん以外の善人は、世の中にたくさんいる。 善人と善人がけんかをすれば、両方善人だから果てしなくけんかするそうだ。 私は悪人です。というのは究極の善人かもしれない。 今日の結論。男は悪人であれ。 記:とらのこども 今日も手抜きの休日再掲シリーズです。 悪人になって、大きい幸せを追いかけたいものだと思います。男なればこそ。
2008.04.20
ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね そうよ かあさんも ながいのよ誰しも一度は口ずさんだことがあるでしょう、有名な童謡『ぞうさん』。この歌には、こんなエピソードがあるそうです。作詞者まどみちお氏は、戦後復員し、とある食品会社の守衛をしていました。乏しい給料の中から、ある日7歳を迎える長男に、誕生日プレゼントを買ってやろうと思い立ちます。二人連れ立って出かけていった先は、街のおもちゃ屋さん。そこで長男が指差したものは『汽車』のプラモデルでした。しかし、正札を見ると、当時のまどみちお氏の給料では、とても手が届かない高価なものでした。親子はそれを、無言のうちに了解します。父親は、息子にほしいものを買ってやれなかった不甲斐なさを息子は、父親に無理な要求をしてしまった後悔を それぞれに感じ入りながら、動物園に向かったのでした。そうして、生まれた詩が『ぞうさん』です。しかしその当時、動物園には象はいませんでした。にも拘わらず、悲しみを抱えた素朴な親子の目には、確かに象が見えたのです。見えたばかりか、心を通い合わせたのです。 ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね そうよ かあさんも ながいのよこうして見ると、この詩につまった優しさや温かさ、言い知れぬ哀切が感じられます。『見えないものを見る目』とは、こういうことなのかなぁと思います。毎日、辛いこともしんどいことも、踏ん張って、家族のため自分のために社会のために頑張っていらっしゃる、全国のお父さん・お母さん、お疲れ様です・.。*・.。*(〃´∀`)・.。*・.。* なぜか一瞬にして、長文記事が消えてしまった哀切を、ひとり噛みしめるうさより^^; 以上の素敵なお話し。てくてくうささんに教えていただきました。 Honnete Homme 記事原文はこちらで~す!! 皆様もぜひご訪問ください。 http://plaza.rakuten.co.jp/minamoo/diary/200711230000/ というわけで、今日も手抜きの休日再掲シリーズです。 過去ログのなかから、てきとーに再掲載してます。 気に入ってもらえたら幸いです!! では、良いお休みを!! 記:とらのこども
2008.04.19
恋に落ちるのは簡単。でも問題はそれから先です、 ”生活”という現実のなかで生きているから。 恋だけで時間は止まってくれはしません。 知り合ったばかりの新鮮なわくわくする、 そういうフィーリングを持ち続けたいと、誰しも思う。 でも、そうはいかないのが、現実です。 間違いないことは、 どんなカップルでも、心のソコで永遠で色あせない愛を求めている、 これはそのとおりだろうと思います。 そんなことないって人は、建前でしょう。 言い換えれば、人間には心を満たしてくれるもの、 心身ともに元気付け、魂を救ってくれるものが、必ず必要なのです。 それこそが、真実の愛の力であると確信します。 真実の愛とは、単なるうきうきした感情ではありません。 真実の愛とは、 相手に対する行動や態度、正しい認識などによって、 意識的に創り上げ、 そうした行為を持続させるために、 現実的な努力をおこなうことです。 結論 : 愛することは、現実的行為だと思います。以上、ミクシイの過去ログより転載。休日再掲シリーズです。記:とらのこども 出張に行くたびにお土産を買うのも、これだな!とひとりごちた。 食事の後の食器を下げるのも、こちらとしては精一杯の愛の行為。 当たり前だと、流さないで欲しいものだ。
2008.04.19
これは夢か現実か…。朝の2度寝って気持ちがいいですよね。自分もよく2度寝をしちゃうんですが、最近困っているのが、その2度寝に入った際に「起きて会社に行く準備をしている夢」をよく見ること。夢と現実がごっちゃになって、わけがわからなくなることがあります。で、我に返った時には遅刻ギリギリのこともしばしば。これってどうにかならないもんでしょうかね…。さらにこの間なんかは「朝起きて出勤し、午前中の仕事を終えてお昼を買いにいくところまで」が夢という大長編でした。そのうち丸1日ぶんの夢を見ることもあるかもしれないですね…。 二度寝の夢。マグマグより。 ウィークリーまぐまぐ[ビジネス] 二度寝の夢。皆さんはどんな夢を見ますか? わたしの夢。結構、素敵です。内緒ですけどね。。。 明日は待ちに待った楽しい週末。皆さんどんなご予定があるでしょうか? では素敵な週末を! そして素敵な夢を!! 記:とらのこども
2008.04.18
すみません、やってません。ごめんなさい、こうこう、こういう理由でできませんでした。そんな言い訳なんていらない。やろうと思えば、為し得たんじゃないの?と、聞きたくなる。すみません、こんなになっちゃいました。ごめんなさい、大失敗です。いったい全体、どうしましょう。そういう言い訳は、大歓迎。なんとかしようと思う。きっと大丈夫、なんとかしたるから。した後悔と、しなかった後悔。しちゃった言い訳と、しなかった言い訳。この差は大きい。天と地ほど大きい。積み重ねると、この差の大きさに驚くことになる。というわけで、「かまへんから、いてまえっ!!」というのが、わたしは大好きです。記:とらのこどもPS しまった!こんなことになっちゃった!ということが、実はいっぱいです。 でも、いいんです。せやかて、そういうのんが好っきゃねんもん。
2008.04.18
他人様の噂話しは面白い、あーだこーだと自由に批判できる。うらやましくもあり、ばかばかしいこともある。基本的には時間の無駄だろうと思って、芸能人や、社内の噂話しには、参加しないとらのこどもである。(悪口が多いことも理由のひとつだ。)とはいえ、TOPニュースには興味がある。今日は、そんなニュースをご紹介します。ご存知の方が多いかもしれませんが、ご勘弁ください。ネットニュースでは、TOPに近い話題です。どうぞお幸せに!! ◎プーチン31歳差の再婚!? 元新体操カバエワと 現代版ツァーリー(皇帝)とも呼ばれるプーチン大統領が、世界一身体 の柔らかい美女カバエワさんをゲット!? ロシアのプーチン大統領(55)が今年2月にリュドミラ夫人(50)と離 婚し、今年6月15日前後に同国の元新体操世界チャンピオンで下院議員 (与党・統一ロシア)のカバエワさん(24)と再婚するとの報道が流れ、 確認作業のためメディアが大騒ぎしている。 “離婚”を報じたのは11日付のロシアの日刊紙モスコフスキー・コレス ポンデント。プーチン大統領とカバエワさんの婚礼準備のために行われ た入札に参加したとされる関係業者などの話として伝えた。 それによると、プーチン大統領のパスポートにはすでに、大統領の出身 地であるサンクトペテルブルク市登録局の離婚印が押してあるという。 カバエワさんの広報担当者は同報道を否定したが、大統領府は16日現 在、沈黙したまま。真偽のほどは定かでないが、ネット上では最も活発 に議論されるテーマとなっている。 2004年のアテネ五輪個人総合で金メダリストとなり、昨年12月に議員 となったカバエワさんは、ロシアで最も成功した美女の1人として知ら れている。2008/4/17 17:00 夕刊フジ
2008.04.18
最後に、愛が勝つ!!もし、愛のある人と、無い人が争ったとしたら、最後の勝者は愛のある人だろうと思う。だから、最後に愛が勝つ。最後に、恋人を勝ち取る人は素直な人。恋心をちゃあんと持っている素直な人の前に、誰しもなす術(すべ)はない。愛を勝ち取る人は、愛されるべき人。純真無垢な赤ちゃんを、いったい誰が無碍(むげ)にできるだろうか。とはいえ、子どものように感情にまかせて行動することを「素直」だと解釈される人もいるが、それが許され可愛らしいのは、子どもだから。大人の素直さとは何か。愛を勝ち取る人とはどんな人か、大きい仕事をなす人とはどんな人か。よーく、考えてみよう。大きい心になり、何かをしよう。素直な心になり、何かをしよう。歪みのない真っ直ぐな心で、物事の価値を判断できる心は、美しい。春のさくらを見て、そう思った。自然のこころ、いま誰かと同期できるこころ。こころを澄ませて、響きあう。何事やならざらんと、こころの奥底から湧き起こる。最後に愛が勝つのだ。好きな人と、好きなことをして過ごすのが幸せだと思う。好きな人と、好きな仕事をするのが幸せなのだと思う。そしてそれは、あなたである。そしてそれはまた、わたしである。記:とらのこども さくらをじーっと見て、そんなことをふと考えた。 すぐに立ち去ったはずだが、そんなことを考えたことをふと思い出した。 春のさくらの精がささやいたのか、自分がそう思っていたのか、 ご先祖様がそう言ってくださったのかわからないが、 いかにも春らしい、春の贈り物には違いない。 時間は瞬間。止まることがある。
2008.04.16
うちの親父殿は自営の大工。棟梁だ。温泉とお酒が大好きで、家を建てるのが仕事。大をつければ、大棟梁!(大統領と同じだと、子どものころ思ってた。)子どもの頃は、すごいなあと憧れたものだった。うちのお父さんは、どんなお父さんがいいかって?なんてたって、頑張ってるお父さんがいい。おじきは、鳶師。瀬戸大橋の橋脚を、足場の無いところから組み上げたのが自慢。こどもたちを引き連れて、その足場を見に行った。自分らしく、良い仕事をし、こどもに自慢する。それがいいなあと、いまさらながらにそう思う。好奇心があるお父さん、人間の関わる全てのことに大いなる興味を持って、いろいろなところに出掛けていって、寄り合いも、消防団も、運動会でも、世話役を買って出るお父さん。祭りのときの半被(はっぴ)姿がまぶしい思い出だ。いつかああなりたい、そう思われるお父さん。いつだって光っていた。宴会では大酒飲んで、太鼓を叩いて、唄を歌う。それもHな唄ばかり。座布団を折りたたんで手に持って、Hな踊りをする。男衆さんの大騒ぎ、結婚式の夜などはそれはそれは凄かった。車座になって、中に親戚衆が入って酌をする。自然流の姿を見せてくれた。いつも何か課題があって、言い合っている姿もときに見る。1級建築士には負けないからと、新築の家の図面を書いていた。遊びも大好き。芸者も大好き。高級な、おしゃれなお店にも行っていた。乗っている自動車も、小さいときは軽だったけど、セリカGTのときもあった。僕の学校の寄宿舎から、親父が「ブロローッ!」と走り去ったとき、お前の親父は若いなと、友だちに言われたものだった。かと思えば、風呂で死んだまねをしたり、何度も、何度も、驚かされた。あれは幼稚園だったか、小学生のときだったか。すっかり忘れたけれど、めっちゃ怒った親父は恐かった。ブルブル、ガクガクと震えがきたもんだ。何かをして放り出されて、寒い家の外でずっと泣いたことがある。お母ちゃんに入れてもらうまで、鼻水すすって泣いていた。そんな親父も、今はただの好々爺。怒りもしない。「そんなことはしたら、いかんっ!」とたまに、俺に、言う。昔は大嫌いだった。今は、もしかすると、大好きかもしれない。知らぬうちに、同じような親父になった。そんな気がする今日この頃である。記:とらのこどもPS 以上、思い出半分。創作も少々。 いったい、どこが作り話しでしょう? 当ててみてください!!
2008.04.14
子育ての前に、魅力のあるお父さんでありたい。素敵なお父さんってどんなんだろう?ちょっと考えてみました。まずは、大きい人。家族をやさしく見守っていて、いざというときには頼りになる。そんなアドバイス、そんな行動力、そんな財力のある人。でも、押し付けがましくはなってはいけないと思うので、さらり、ふわり、さりげなく手を差し伸べるように。。。 「君思ういつも見守る遠くから気づいてこころキュンと鳴れ」 自作短歌紹介。こんな感じで見守り隊っ。 記:とらのこども
2008.04.14
日本の古代史(縄文から弥生へ・そして世界へ) [ 歴史の話し・休日再掲 ] 日本の縄文時代が始まったのは、今から1万5千年前と見られている。BC130世紀のことになる。そこから縄文土器を使用したことになる。日本でのペトログラフ使用は今から6500前のことであり、BC45世紀である。そのペトロクラフは世界の各地で見つかっている。それと共に、日本の縄文土器も各地から見つかっている。北米、ハワイやペルーからも日本の縄文土器が見つかる。このため、この当時、太平洋を横断して行き来していたことが分かるのである。ペトログラフは、メソポタミアのシュメール文字の古形であり、日本から出た文字がメソポタミアに行ったことになる。メソポタミア文明ができたのはBC30世紀である。このシュメール文字がフェニキア文字になり、ローマ字に変化して欧州のアーリア民族に伝わり、今の英語などになっている。また、インドのサンスクリット文字もこのペトログラフによく似ている。アーリア民族全体にアジアの草原で伝えられたようにも感じる。しかし、この日本ではペトログラフは使用していない。ここに大きな疑問がある。謎の神代文字として、数種類の文字があるが、どうも当時から神との交信に使って、一般的ではなかったようである。そして、当然のごとく、この文字は現在でも使用されていない。しかし、どれもローマ字のような構成になっているのが特徴であり、そのため40年以前には、後世に創作したと思われていたが、そうではないことがペトログラフの発見で分かったのである。この神代文字で書かれた歴史書を見ると、古事記や日本書記とは違う日本の古代史が見える。そして、その記述を民俗学も支援している。古代の日本はバラバラであったことや、そのバラバラな民族がアジア大陸と黒曜石などの交易していたことが判明している。民族の交流もあり、日本はいろいろな異民族がいたことが分かる。今のニューヨークのような様相を示していたように感じる。日本から見ると、新羅や百済から来るように見えるが渡来人の最終経由地であったと見る。前2世紀(中国は秦崩壊後の前漢王朝時代)から弥生時代が始まるが、縄文人と弥生人は住み分けがされていて戦争になっていない。縄文人でも畑があったが、労働をしないでも収穫できたのに、後から来た弥生人は洪水がある低地で、しかも朝から晩まで労働している姿を縄文人はバカにしていたようだ。縄文時代の日本の人口は最大30万人程度であり、1つの集落は500人が最大で、それより小さい。阿蘇山の大爆発などで西日本には1万人以下しか住んでいない。95%以上が東日本に住んでいた。弥生人とは、夏王朝の難民や漢王国の華僑や阿蘇山の大爆発で避難した縄文人が中国や朝鮮で混血となって帰ってきた人たちのことで、彼らは、主に西日本に住んで、砂金などを取って輸出し、田畑で麦や米を耕作していた。この弥生人は基本的に漢字文化圏からの人たちであり、歴史が漢字で書かれることになる。融和政策でアマテラスという太陽神として縄文神を取り入れる。初期の移住者は、道教の古形である鬼道派であり、祈祷、呪い、祝詞、お告げなどを持っている。3世紀の邪馬台国の卑弥呼は、道教の巫女で「鬼道に事え能く衆を惑わした。」との記述がある。この卑弥呼のような信仰形式は縄文人にはなかった。次に4世紀に秦氏が新羅から道教の神道派を持ってくる。老子、荘子、易経や、どうも秦氏は仏教、景教の影響も受け、思想体系を確立したようだ。そして、その前の巫はそのまま継続した道教を神道として導入して、神仏融合の八幡神社を宇佐八幡として創設した。これが縄文人が信仰していたアミニズムの宗教に付加されて、今のような神社になったようだ。秦氏一族・2万人以上が移住してきたと想定されている。鉄の製造技術や法隆寺など建築技術も持っていた。秦氏はその後、その技術力を買われて、今の京都、山城に呼ばれたが、そこでは国家の要請で氏寺・太秦寺を作って、ここでは景教の要素を出している。八幡神社としては石清水八幡宮のほうが宇佐八幡宮より有名になるが、今全国に8万社もある八幡神社に成長している。漢東氏、蘇我氏なども百済、新羅から移住してきたが、倭の大乱の後は平和を取り戻す。これは日本が豊かで全員が暮らしていけるからで、その時の日本の人口は200万人であるが、砂金が取れたことが重要であったようだ。鉄は当初、任那からの輸入であったが、これも秦氏の日本移住でできるようになる。しかし、この縄文と弥生が繋がっていないことに疑問を持ちませんか。大和朝廷に果たした秦氏の存在が大きいが、日本に来た時期が遅かったことで、権力機構に入れなかったように思う。しかし、この秦氏がどこから来たかにより、見方が大きく変わる。ペトロ文字は西日本からしか発見されていない。これはBC40世紀の阿蘇山の大爆発で、西日本が住めなくなり、ここに住んでいた日本人がどこかに移住したことを示している。大部分は朝鮮半島や中国などの日本周辺に住んだのだが、一部の縄文人は集団で行動して、それより遠くに行ったことになる。この人たちがメソポタミアまで行く着くことに成る。BC30世紀にメソポタミア文明を作り、この民族全体がBC25世紀、エジプトにその技術力を買われて、その捕虜となる。許されて、神との契約を誓うことになり、ユダヤ人と認識することになる。ユダヤ人はアシケナージとスファラディに割れている。このうち、アシケナージが典型的なユダヤ人とみなすと、それは違う。周辺イスラム教徒のセム族と同じスファラディこそが、本来のユダヤ人である。ユダヤ人の11部族の内10部族が、イスラエル王国を作るが、BC6世紀、アッシリアに負けてバビロンに捕囚される。しかし、そのアッシリアも負け、捕虜は許されてユダヤの地に戻らずに、日本に向かうことになる。BC3世紀に秦を作り、しかし20年足らずで滅びる。秦氏一族2万人は朝鮮に向かい、そして、日本に4世紀に帰還したのだと見ている。1584.縄文時代の再考http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k6/160403.htm415-2.日本の道教についてhttp://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak3/1301202.htm299-1.古田史観などhttp://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak2/1209251.htm以上、国際戦略コラム「とてつもない日本の歴史」より転載。 日本・ユダヤ同祖説があるが、日本人がユダヤ人となった後、再び日本に戻ったという 説は初めて聞いた。興奮する古代史説である。秦の始皇帝も日本人だったのだから。 記:とらのこども
2008.04.13
日本の古代史・中国の古代史 [ 歴史の話し・休日再掲 ] 日本古代史は中国古代史と繋がっている。中国史は複数民族がいたために民族興亡史でもある。今の中国領土の大きさはEU(欧州連合)と大体同じ大きさであり、そこには複数民族がいたし、今も複数民族で構成されている。中国古代史もこの民族の戦いだった。この民族戦争で負けた方の民族が日本に逃れてきたことが、近年の考古学の調査で分かってきた。1973年・1978年の発掘調査で発見された浙江省余姚市の河姆渡遺跡(かぼといせき)は紀元前6000年~紀元前5000年頃のものと推定され、大量の稲モミなどの稲作の痕跡が発見された。稲作を行っていた事からその住居は高床式であった。またそこの稲はジャポニカ米であり、その原産が長江中流域とほぼ確定され、稲作の発祥もここと見られる。日本の稲作もここが源流と見られる。今までは稲の原産地は雲南地域を思われていた。中流域の屈家嶺文化(くつかれいぶんか、紀元前3000年 - 紀元前2500年)・下流域の良渚文化(りょうしょぶんか、紀元前3300年 - 紀元前2200年)の時代を最盛期として、後は衰退し、中流域では黄河流域の二里頭文化が移植されている。黄河流域の人々により征服された結果と考えられる。ここに住んでいた民族は苗族で、台湾の先住民であり、弥生時代に海を渡って日本に来ることになる。その証拠に、長江の民・苗族の一方は、雲南省などの奥地に追いつめられ、その子孫は今では中国の少数民族となっているが、その村を訪れると高床式の倉庫が立ち並び、まるで日本の弥生時代にタイムスリップしたようだ。苗族が住む雲南省と日本の間では、従来から多くの文化的共通点が指摘されている。味噌、醤油、なれ寿司などの発酵食品を食べ、漆や絹を利用する。主なタンパク源は魚であり、日本の長良川の鵜飼いとそっくりの漁が行われている。日本の縄文の民は森と海から食物を得て、自然との共生する文明を持っていたし、そこにやってきた長江の民も、稲を栽培し魚を捕る稲作漁撈民であったことで、両者ともに自然との共生し、戦いを望まない人たちであった。このため、生活環境が違うのと戦いを嫌い民族であったことで、共生と平和が確保されたのでしょうね。河姆渡遺跡が滅亡した時期に日本へ苗族が最初に渡り、日本の岡山県・朝寝鼻貝塚(紀元前4000年)に水田を作り、そこから米の化石が出たことに通じ、長江中流領の馬橋文化は約4千年前から2千7百年前であり、その後、苗族が日本に渡ってきた二陣目が、日本の菜畑遺跡、紀元前700年の水田跡に繋がる。その間の文化も侵略を受けて、徐々に日本に移民したように感じる。ここまでの文明は文字を持たないために、記録がない。そして、その後に呉(紀元前585年頃 - 紀元前473年)が、この地域にあったが、越に負けて滅亡し、この民族も日本に来た事が分かる。日本の漢字の読みは呉音である。逃げるなら海しかない。そして、中国では日本人を「呉の太伯の子孫」とする説がある。このように、中国で負けた民族や王朝は、次々に日本へ来ることになる。古代の船に数家族で来るので、少数であるが重層的な帰化人が日本文明を形作ることになるが、どちらにしても、中国史を見ていないと、日本の古代史は語れない。現代日本人の遺伝子構成は、弥生時代の始まりを契機に流入した遺伝子がほぼ65%を占めていることから、この苗族など帰化人の影響が大きいことは確かだ。しかし一方で、縄文の文化は後世に継承されている、つまり縄文人を駆逐するまでには至らなかった。例えば、帰化人によって営まれた水田をもつ環濠集落においても、水田稲作用の新しい農具や工具が持ち込まれている一方で、土器などその他多くの道具は縄文時代と基本的に変わらないのが実状で、何よりも縄文の婚姻制は戦後に至るまで継承されている。少数の弥生人と縄文人の婚姻もあったように思う。 このことから、帰化人が大挙して押し寄せたのではなく、少数の帰化人がバラバラに各地で水稲耕作という安定した食糧供給を背景に、高い人口増加率(≒寿命の長期化)を保持し、人口増および人口比の逆転をもたらした、とする方が妥当性が高いと思われる。そして、このようなことから日本の古事記や日本書紀を読んでも、日本の古代史は分からないと言うことである。しかし、古代の全体を知ると、なぜそう記述したかが分かるのである。古い神社にある書物には、ある真実が隠されている。これを調べたのが、原田常治である。(参考)大量渡来か少数渡来か(1)http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=24724国際派日本人養成講座 日本のルーツ? 長江文明http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog304.html==============================ミャオ族出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ミャオ族(-ぞく、苗族, 英語: Miao)は中国などに住む少数民族である。モン族(英語: Hmong)ともいう。中国では貴州省に最も多く、他に湖南省、雲南省、四川省、広西チワン族自治区、湖北省、海南省などに住むほか、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどにも住む。歴史上移住を繰り返した流浪の民である。伝 説中国の伝説によれば、紀元前26世紀ごろ華夏の民族(いわゆる「漢族」の原型)の君主・黄帝が蚩尤(しゆう)の民族の討伐作戦を行い、タク鹿(たくろく、河北省と遼寧省の省境付近)で破ったことがあったという。戦いは黄河の台地で行われた。華夏はその討伐地域の悪条件にも関わらずコンパスを用い正確に蚩尤の民族を破る事ができた。一方で敗れた蚩尤の民族はミャオ族と黎族(リー族)に分裂した。ミャオ族はこの後南東方向にむかって移動を続けたという。ミャオ族は漢民族からは「蛮」と見なされ差別を受けたが、一部は周王朝時代に華夏民族と同化したという。揚子江定住漢人がこの流浪の民を苗(ミャオ)と呼び始めたのはの先秦時代(戦国時代)であった。そのころ苗(ミャオ)族は、苗民(ミャオミン)、尤苗(ヨウミャオ)、三苗(サンミャオ)と呼ばれ、揚子江流域に住んでいたが、またもや中国の攻撃を受け南方へ移住を始めた。六朝時代に揚子江南部を支配していた南朝は北方民族の侵入に苦しめられており、あまりミャオ族を歓迎しなかったが、五胡による揚子江北部の破壊により、ミャオ族が大量に南朝の領域に入ってきた。中には漢民族と同化することもあったという。 今日も手抜きの休日再掲シリーズです。 こういう歴史テーマは、とらのこどもの大好きなテーマです。 日本は日本だけで日本として有り得たのではなく、 中国との関係で、日本になってきた。これは真実だろうと思えます。 苗(ミャオ):古来本家本元の南蛮人、とうことになるのでしょう。 記:とらのこども
2008.04.13
あなたは「幸せ」を求めていますか。求めていれば、あなたは健康な証拠です。きっと幸せになれるでしょう。それでは「幸せの花」をご存知でしょうか。この花を手にするとあなたは本物の幸せを掴むことが出来るでしょう。もしご希望でしたら、そっとあなたにだけ、ご披露いたしましょう。『簡単エッセイ教室』の皆さんにだけです。まだ誰にも言ってない、ここだけの話です。きっとお役に立ちます。なにしろ本物ですから。『し』は身体・心の健康。 病気や怪我をした時気がつきますよね。実は身体的に不便や造作の多少の不都合があっても、心が健康ならば幸せです。その人は偉い人です。『あ』は愛の予感。 愛している人、物、花があれば心ワクワク。愛されている予感があれば心ウキウキ、ゾクゾク。愛の余感というのもありますね。『わ』は輪。 幸せって輪になっているんですよね。繋がっていて回りまわってまた自分に戻って来るんですよね。輪になって、みんなが調和して、平和なのが幸せですよね。『せ』は成長の発見。 昨日よりは今日、今日よりは明日、日々成長して行くのを発見したり確認すると楽しいですよね。幸せですよね。『の』は伸び伸びとして自由、随意。 何にも束縛がなく、自由、随意に自分の好きなことが出来る。こんな愉快なことはないでしょうね。その人は幸せですよね。『は』は反作用がない。 自分の幸せが誰かの犠牲の上にあるのではなく、自分が幸せになれば、他の人も幸せになり、他の人が幸せになればなるだけ私も幸せというWIN=WINの世界です。『な』は長続きする。 過ぎるということがない。例え好物でも食べ過ぎると苦しいですよね。実は本物の幸せの特徴はそういうことがなく、幸せ感が長続きするんです。エッセイ教室の皆さん、『幸せの花』いかがでしたか。もらっていただけますか。そしてあなたの心の花瓶に飾っていただけますか。 以上、とらのこどもの友だちの友だち。嶋 伸春の「詩の旅」よりご紹介します。http://members.aol.com/toushinshun/
2008.04.10
今日、私の心に響き考えさせられた言葉 How can I do the best? 私はどう最善を尽くすべきか? マイミクのえんまさんに教えてもらいました。今日も「do my best.」やり方はよく考えてみよう。とりあえず、おおきい心を自分が持つことかなあ。
2008.04.09
◎200円乗車券でおつり9万800円? 名古屋地下鉄、25万円過払い名古屋市営地下鉄の久屋大通駅(名古屋市中区)南改札口で、駅の男性助役(57)が自動券売機に、高額紙幣用のおつりとして本来入れるはずの1000円札のほか、1万円札や5000円札を交ぜて装てんし、切符などを購入した乗客に余分に25万2000円を払っていたことが分かった。市交通局が7日、中署に届け出たあと、発表した。市によると、4日午前10時ごろ、売上金を回収するため助役が券売機を止め、紙幣は袋に、硬貨はプラスチック容器に入れた。助役は、釣り銭補てん用に1000円札200枚が入った袋を2袋持参。売り上げ回収後すぐに釣り銭補てん作業に入ったが、誤って売上金を入れた方の紙袋から紙幣を取り出して装てんしてしまった。午後1時すぎに売上金を集計しようとして判明した。釣り銭に使う1000円札は輪ゴムで4つに束ねられている一方、売上金は無造作に袋に入れてあったが、助役は「なぜ違いに気付かなかったか、自分でも分からない」と話しているという。助役は今月1日に異動したばかりで、1人での集金作業は初めてだった。ミスが分かった時、券売機には1000円札30枚に交じって1万円札18枚、5000円札7枚が残っていた。釣り銭を納める空間はどの紙幣でも入る大きさだといい、紙幣を判別するセンサーはついていない。駅員からの聞き取り調査などを経て中署に届けた。どのような容疑の被害届になるか、検討している。久屋大通駅は桜通線と名城線が接続している。これまでに「財布の中身が増えていた。余分に釣り銭を受け取ったかもしれない」との電話が1件あったが、券売機の記録から利用者数は分からないという。中日新聞 2008年4月8日 07時30分 多くの釣銭を受け取っていながら、未だひとりも届出無し。 同じ名古屋人として、こんなに情けないことはない。 こういう行為を、世間では泥棒というのだ。 是非とも、届け出て欲しいと願うばかりだ。 記:とらのこども
2008.04.09
会社が近いので、結構、遅くまで寝ていられる私である。こどもらの起床が私より早く、出掛けるのも先だ。ところがそれも、中学生になるともっと早くなる。朝早くからごそごそと準備をしている。いつMONDAYも寝てはいられぬ月曜日ならぬ、いつまでも寝てはいられぬ雰囲気。一念発起して、家族全員で早起きすることにした。(わたしが早起きすれば、全員になる。。。)いつもと同じみんなでの食卓。いつもと同じ順番待ちのトイレ、歯磨き。にしても、眠い~。朝の1時間は貴重だと、改めて思う今朝である。記:とらのこどもPS かげの声で「三文の得ってブログ?」という声が聞こえるが、 これは余禄。ほんとの得は何かなあ?家族の気持ち? 中学生の娘はうれしそうに見えた。
2008.04.08
「君も僕も美しい」 君も美しい、僕も美しい 僕も美しい、君も美しい うつくしいものだらけの世界 山と山とが讃嘆しあうように 星と星とが讃嘆しあうように 人間と人間とが讃嘆しあいたいものだ。 武者小路実篤 認め合う美しさ。それは外観ではない。肯定の美しさである。学生のとき、あまりに暇で、飲んでいても話題なし。。。そんなとき、「今日、俺はお前を褒め称え続けるから、お前もそうしろ!!」それで、ほめ続けながら飲む。最初はバカバカしくてやってられるか、と思いつつやっていたが、途中から、がぜん面白くなってくる。考えられる限り、力いっぱい褒め合うのだから、気分が悪いはずはない。気持ちよく、ぐてんぐてんになる。帰り道、1時間ほどかかる学寮まで、肩を組み、歌を歌いつつ帰った。その後、それほど暇をもてあそぶこともないので試したことはないが、またやってみたい遊びではある。記:とらのこども
2008.04.07
鳥は卵の中から抜け出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、1つの世界を破壊しなければならない。H.Hesse Demian 生まれるヒナが内から殻を叩く。親鳥は外から叩く。そつたく同期という。内から叩く気配がないのに、外から叩き続ける親がいる。内から叩いているのに、ふさぐ親もいる。殻を破り、親から巣立ち、初めて異性を口説けるのだ。全ての力を振り絞って壊せ! 飛び出せ!!toranokodomo
2008.04.06
知と情。知能と感情。そうした人間の感情を考えたときに、どうしても感情のほうが、理知よりは本質的、根源的、創造的、クリエーティブなものだ。また本能的に、情というものは男性よりも女性が豊かに具えている。理知よりもずっと、、、。末梢的な情。これは男が非常に鋭敏ともいえるけれども、優情というような、床しい情というものになると、これは女性が本具している。本能的に持って生まれておる。知というものにおいてもそうであって、男は理知に長け、論理的な知識に長けるが、女性は直感に富んでいる。だから、女性の女らしさというものは、直感、優しい情、無欲、そういうところにあるわけだ。老子に「玄牝(げんぴん)、嬰児(えいじ)の徳」とあり、玄妙なる女性という存在、「常に静を以って、牡に勝る」と大いに称えている。たとえば最も感覚的、肉体的な点でいえば、痛覚。これは女性が恵まれていて、痛覚は男性よりもずっとずっと少なくなっている由。男だけの痛覚があったなら女は子どもは産めないことになる。だから多少たたかれても「痛い!」っていうのは大仰なことで、本当は男ほどではないらしい。これはみな、陰の徳だ。それだけに女の教育というものは、このせっかくの美しい本質を損なわないように育てなくてはならない。それを誤ると、女性は男よりも自然に近い、本源的存在だから、容易に動物的になる。動物的になると他の動物よりも悪い。だから欲望でも女のほうが多欲になる。理屈でも女のほうが屁理屈が上手になる。感情は激情的になる。だから、一旦、女性が動物的になると残忍、それから理屈っぽくなり、エキセントリックになる。生半可なことでは手に負えなくなる。ところが、武士道というものは武士の妻子を最も道徳的に教育したシステムでもあった。厳しい道徳教育と、歌舞音曲といったものを通じて、女性の床しさを教えた。武士が、男が堕落していっても、だらしなくなっても、武士の娘、妻たちがしっかり支えて、徳川300年をもたせたという。今なお道徳的な女性は、日本の主流であろうと思う。精神的な内面生活、統一原理、これは静を以ってあらわす。「常に静を以って、牡に勝る」これは女性の存在すべてを指している。人間の知と言う面において、人を知るものは智なり。自ら知る者は明なり。人に勝つ者は力なり。そして、自ら勝つ者は強なり。これが大事だ。人を知り、自分を知る。つまり智、明。そうして自分の煩瑣・煩悩に、欲望に打ち克つ。これが本当の強。この智、明、強が大事。それにはいろいろの問題についての形式的、表面的、作為的なことより、「無為のこと、不言の教え、不争、争わざるの徳」こうした根源的な道徳の根本が大事。そういうものの象徴が、「女性・玄牝(げんぴん)」「嬰児」であると説く。だから、「嬰児」をどのように育てるのか、教えるのか。これが最重要であるという。これが老子の説く徳義の一である。以上、安岡正篤先生の十八史略より。老子の項を抜粋。 女性はすごい。勝てないと思う。 それは、こういった本源的な部分だったろうと、改めて思ったことである。 逆に本能的且つ動物的女性。その理由が自己の自我の求めるものというだけなら 滅びの道だろう。人類に未来などは無いと思う。 記:とらのこども 以上、休日リサイクルシリーズでした。
2008.04.06
北野武さんがこう言っていた。友情というのは、こっちから向こうへ一方的に与えるもので、向こうから得られる何かではない。友情とは、自分の相手への気持ちだ。それで、格言、金言ではどんなのがあるか調べてみると、たくさんあった。そのなかで、ああいいなあと思ったのは、あなたが他人に対して尊敬と、思いやり、そして暖かい空気を抱いていれば、それは気温のように、空気のなかの香りのように、まざまざと相手に伝わります。そしてあなたの人間関係は肯定的なものとなります。R.コンクリン ぜひ、かくありたいものだと思った。 あたたかい空気。抱いてますか? ピリピリしてませんか? よき「気」を持て、放て!! 休日再掲リサイクルでした。 記:とらのこども
2008.04.06
[ 今日のことば ] 人生の種(原文は英語:作者不詳)休日再掲リサイクルシリーズです!正直さの種を蒔くと、信用をもたらす。やさしさの種を蒔くと、友人をもたらす。謙虚さの種を蒔くと、高貴さをもたらす。忍耐の種を蒔くと、勝利をもたらす。思いやりの種を蒔くと、調和をもたらす。熱心さの種を蒔くと、成功をもたらす。寛容さの種を蒔くと、和解をもたらす。率直さの種を蒔くと、深い関係をもたらす。根気の種を蒔くと、進歩をもたらす。信念の種を蒔くと、奇跡をもたらす。一方、不正直さの種を蒔くと、疑惑をもたらす。わがままの種を蒔くと、孤独をもたらす。高慢さの種を蒔くと、破滅をもたらす。嫉妬の種を蒔くと、災難をもたらす。怠惰の種を蒔くと、沈滞をもたらす。怨恨の種を蒔くと、孤立をもたらす。貪欲さの種を蒔くと、損失をもたらす。陰口の種を蒔くと、敵対者をもたらす。心配の種を蒔くと、皺をもたらす。罪業の種を蒔くと、罪悪感をもたらす。以上、Tweetyさんという方のブログよりとっても素敵な記事がいっぱいありました。皆さんもどうぞ訪問ください。これぞ巡る因果でしょう。こころに、国境はありませんね。記:とらのこども
2008.04.05
人生は あの山越えて また越えて七転び八起き 笑って泣いてふと気が付きゃあ おみゃあさんがいた。せやから 越えてこられた 人生坂。おかげさまの人生坂。坂ばかりが多かった。あの坂 どの坂 まさかの坂か転がるおむすび 追いかけてどこに行くのかって? そんなこたあ、むすびに聞いてくれ!!おいらは、転がるように走っているだけさあ。走り続けたんだけが、おいらの偉いとこさあ。お粗末。以上、北の俳人さんの日記コメントより転載しました。
2008.04.03
卒業写真&卒業文集を学校からもらって帰って来た我が子。表紙、裏表紙から、いろいろな行事の写真、クラブの写真などいっぱい。お習字や絵画も掲載されていて、子どもの作文もなかなか力作揃い。自分のこどもの写真、作文をゆっくり読む。も一度読む。なかなかだ。そう思って、家内にそれを言うと、、、「先生がね、ほんと大変だったのよ。」と。担任の先生がヒアリングしてくれたのだった。 「あのときはどうだった? こんなときはどう思った?」 「うれしかった? 苦労した?」 「momoちゃんと一緒に苦労したんだね。そう良かったね。」 「じゃあ、それを書いてみようかっ?」それをやっと書き上げて、つないで、つないで、それをまた書き直して。。。こどもは、途中でわけわからなくなって、出しては先生がいっぱい添削。また出しては、いっぱい添削。それを何度も繰り返して、ようやく立派な作文になったとか。やれやれ、、、だ。誰に似たのやらと思うが、わたしたち両親に似たのであろう。救いはなにより、こどもの写真を見て、「いい顔しているなあ!」と思ったこと。決して成績はよくなかったけど、育て方は間違ってないと思ったことだった。 momo先生、本当にありがとうございました。 素晴らしい作文も、素敵な顔の写真も、先生のおかげです!!記:とらのこどもps そんな彼女の習字のお題は、「元気百倍」だった。 おいおい、君はアンパンマンか? もしや、育て方を間違ったか? 彼女も明日から花の中学生である。 どんなことをしてくれるのか、すっごく楽しみだ。
2008.04.03
荒川さんという人と会った。いい人だと思った。また、会いたい。どちらかというと素敵な女性が好きだけれども、素敵な男性も悪くはない。とらのこども
2008.04.02
「四当五落」という言葉が昔にあった。大学受験で睡眠時間が4時間なら合格。5時間なら受からないという意味。いまどきは、お受験が盛んであるので、「四当五落」という言葉は、小学4年生からなら合格。5年生からでは遅い。何が?というと、学習塾のことである。首都圏でのお受験人口は、今年初めて6万人を突破したらしい。5人にひとりが、中学受験に挑む。大学受験なら自分の意思だったろうが、中学受験であれば、親の意思決定の影響が大きいだろう。5年後、10年後に「俺の人生返せ!!」と言われないようアフターケアこそが大事。そんな気がする。昔々、子どもが泣く泣く親を捨てた姨捨山。近々、親が子どもを、子どもが親を殺す、地獄のような記事。これからは、遠慮容赦なく、親は切り捨てられることだろう。そんな悪い予感がしてならない。杞憂であって欲しい。記:とらのこども
2008.04.01
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