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最近自分を掘り下げてみて、本当に自分って満身創痍だな、って感じる。基本誰しもが傷つきながら生きているんだけど、ちゃんとそれと向き合ったり、直したり、昇華したりしてる人も沢山いる。ただ私の場合はそれをせずに、蓋してきたためにちょっと大変なことになっている、と言う感じ。我ながら、乗り越えたつもりで全然乗り越えてないことが多くて、唖然とする。時には傷ついているのを知ると、「優しくして欲しくて、傷を見せるんでしょ!いやらしい」と言ってくる人もいる。私の裏意識がどうか、と言ったらそれが丸っきりないとは言えないと思う。傷ついたのを知って欲しいとか、分かって欲しい気持ちは何処かにある。優しく甘やかして欲しいか、と言ったらそうでもないかな。こちらの気持ちを分かった上で、おかしなところは指摘して貰って構わないし、言うべきことは行って欲しいと思う。ただの拒否反応としか思えない、感情的に避難するのは勘弁して欲しいと思う。ブログで傷の事を書くのはただ単に、他の人が何かの参考になればと言う気持ちの方が大きい。もちろん自分が冷静に見る為に、一度文章と言う形で出した方が良いってのもあるけれど。似たような状況・境遇を知って、それでどうしているかを知ってもらえれば、だいぶ気持ちの上で違うと思う。例えリアルに近い周りにいなくても、何処かで同じように感じて悩んでいる人がいる、と言うことは、ある意味心が軽くなることでもある。そっからどうするかはその人次第だけど。傷を観ないように生きる、と言うのは誰しもがやっていることなんだけど。でもそれをやり続けていては、結局堂々巡りにしかならないんだと思う。傷を見なくてはダメだ、と言うのとはまた違う。傷を観ないようにしている自分さえも受容する、と言う作業がまずは第一で。その気持ちが何なのかを知るが先なのかもしれない。その次に見ないようにしている傷をみて、直していかないと、何処かおかしくなる。傷の上に更に塩を刷り込む形になるのかもしれない。それでは意味が無い。時々逃げながら、それでも逃げないように、少しづつ進んでいきたい。
2011.02.28
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よく私が良く考えたり口にする言葉です。どうでもいい。それって何だろう、とふと思った時に、それが予防線なのに気が付いた。「どうでもいい」そう言って全てを放り投げたりする。真剣じゃない。本気じゃない。だから何が起きても大丈夫。例えないがしろにされても、軽く扱われても、全然平気。辛くない。いや、辛いんだよ、本当は私。心の傷からがんがん血が流れて、痛くて痛くて死にそうで。でもそれを毎回感じていて、辛すぎて、平気なふりをするために、そう言う様になった。その呪文が自分に暗示をかけて、何事も平気で受け流せる「大人」になるようにした。昔は感受性が強かったのか、物事に敏感だったのか、やたら傷ついて泣いているような子供だった。母親はそれが鬱陶しかったらしい。それくらいで泣いてどうするの。本当に鬱陶しい子だね。真面目に物事を捉えて、傷ついてバカみたいだ。一々泣かないで頂戴、もっと大丈夫になりなさい。泣けば何とかなると思っている訳?真剣になるから駄目なんだよ。もっと適当にやったら?気が向いたらやさしい言葉をくれたけど、そうでないと心ない言葉を投げつけられた。傷つく自分がおかしい。平気じゃないとダメだ。その色々考えた挙句に、そういうようになった。真剣だから傷つく。だから真剣じゃなくどうでも良くなればいい。軽く扱われるのは嫌だ。でもどうでもいい相手なら、何をしようと関係ない。蔑ろにされたくない相手。相手がどうでもいい人なら、ないがしろにされようが関係ない。結果なんて望まないから、どうでもいい。全部全部裏返しにした。だから今余計に本当の気持ちが分からなくなっているのかもしれない。蓋をして感じなくして、平気で笑えるようになって、「大人」になった。でも結局蓋の下は相変わらず傷だらけで、治って無くて、激痛が走り、血が流れ続けている。痛い。泣きたい。本当は諦めたくない。本当は真剣に向き合っていたい。どうでもいいと、投げ出したくない。でも、辛くて痛いのは嫌だ。これをどうしていいか分からない。そこで何時も立ち止まる。じゃあ、まず何をしようか。痛みを感じて、治療しようか?それから痛みがなくなったら、ゆっくりと考えようか、一緒に。そう泣いている自分に語りかける。
2011.02.27
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お正月に行った時に、特別割引券があって、それが2月末までだからってのもあるんだけど。まあ、レディスデーに行けば同じ何だけどwwと、言う訳で観てきました、「ナルニア国物語3 アスラン王と魔法の島」。ここだけの話実は「2」をまだちゃんと見てないんだけどね 笑3Dで見てきたのですが、やっぱり最初の方って視覚が慣れなくて気持ち悪い~~~。観ているうちに平気になってくるんだけど。感想。うーん、これってかなり端折っているよな。と言うのが毎回の感想なんですけど 苦笑2時間だから仕方ないんだけどさ。もう少し起伏にとんだ演出でも良かったんじゃないかと、思うところもあるんだけど。それでもまあ面白かったですね。CGの違和感が本当に無かったです。たしか「1」は結構違和感が 苦笑どんどんよくなっている印象はありますね~。でもなんかすごーく冷静に見ている私がいて、どーも物語の世界に浸りきれなくて、そっちの方が困ったかな~。それまでがあまりにも同調し過ぎていたんだろうけどさ。取りあえず「映画」として面白かったです。さて、次は「マクロスF」と「デザートフラワー」だな。
2011.02.26
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「ごめんなさい」と本当は言いたい事が沢山ある。沢山伝えたい事がある。でも何故か出来ない。行動しようとすると思わずブレーキがかかる。それはプライドだったり、見栄だったり、意地だったり、恥ずかしさだったり、後ろめたさだったりするのだけど。そんなもの蹴散らしちゃえ。そう言って行動出来たらいいのだけど、今はまだそこまで行けない。ためらっている。その奥底には拭いきれない不信感と、恐怖と、哀しさが横たわっている。それらに支配されて、行動を決めるなんてとても頭の悪い、失礼なやり方なのは分かっているのだけど。でも分かっていても出来ないから、「カルマ」として存在する。「ごめんなさい」自分の行動をちゃんと把握できず、訳のわからないままに振舞っていた。今はもうその失礼さが分かる。その時の後始末をしたいのだけど、未だに正当化したがっている自分もいる。自分の行動を謝ると自分が負ける、駄目になる。間違っていて否定して自分がなくなる。そんな思いが何処かに残っている。いや、違うよ。自分の過去の行動を反省して謝っても、自分を否定したり失くすことじゃないよ。その時の行動が自分にとって最良だと思ってやったのは、その時は間違いじゃない。ただそれが今は間違いだと分かるだけ。謝るとは誰かに屈服することじゃないよ。服従を誓うことじゃないよ。もしそれを盾に誰かが支配しようとしたら、それは跳ねのけて当たり前だからね。盾にすることが間違いだからね。自らの行動の過ちを認めることは、相手を無条件に正義だとすることでもないよ。そう言い聞かせながら、自分の傷に気づく。自分が正しいと主張し、屈服させ支配しようとした親の影響が未だに抜けきらない。明らかな誤りさえも強引に正当化し、時には相手を悪者にし、決して過ちを認めない母親。そしてそれらにあがらいながら、生きる為に飲まなければいけなかった屈辱。自分の過ちを一つ認めると、とことん支配をされてしまう恐怖がそこにある。そうして自分が自分でないものにされてしまう、根本的な怖れがある。相手を認めながら自分の主張を譲らないのはここが原因か。そしてそれが結果として過ちを起こした後の謝罪が出来ないことに繋がっている。そんな訳で今は未だ、ちゃんと面と向かって言えないけど、何時か言うために、ここで言っておきたい。「ごめんなさい。貴方の気持ちが分からなくて、踏みにじってしまってごめんなさい」ちゃんと自らの傷を治して、越えた時に。
2011.02.25
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勉強会での話を引っ張ってしまって申し訳ないけど、もう一つ。勉強会に初参加の方が、「ある本に“魂は傷つかない”と書いてあって、そうしたら今、親の言動のことで、傷ついている私っておかしいのかなって思ったりして」と言っていたのですが。いや、確かにそーだけどさ、間違ってないけどさ、でも。過程をぶっ飛ばし過ぎだろっ!って思っちゃいました。でもその時はどう説明していいか分からなくて、それ以上言えなかったんだけど。確かに私たちの本質である魂の根源の部分では「傷つく」何て事は滅多にないです。強いて言うならば、その根源をいじって切り貼りしたりしたら、傷ついたりするんですが、それはまた別次元のお話なので、ここでは省略。一番分かりやすい喩で説明したいと思います。アボカド、と言う果物があります。知っている人は知ってますが、洋ナシ型で、真中にでっかい種がある、甘みの少ない果物です。たまーに、西洋風の巻きずしにトロの代わりに入っていたりするあれですね。あれが人間の心だとします。真中の種が本質の魂の根源部分。種はわりと固めで、傷つきにくかったりします。そのアボカドの表面をナイフで切って傷つけたりします。またどっかの鋭利なものでもいいんだけど。そういう傷ついたものを「種の部分は傷ついてないから、傷モノじゃない」と言って普通の傷のないものと同じ値段で売っていたらどう思いますか?もしくは「傷なんてまやかしだよ。あると思うからあるんだよ」って言われたら?さらにそこから腐ってきているのに、傷ついてない、腐って無いといわれたら?そんな訳ないですよね。傷ついたから、傷があって、中身が見えていたり、そこから果汁が落ちていたり、腐敗していたりする。人の心と魂も同じです。確かに魂の本質まで傷は行かないです。でも実際に痛みを感じていたり、それを放置していたらどんどん悪くなっていく。人間の場合は物理的に見えないだけで、実際に傷になっていたり、それを庇ったり色々している。そしてその痛みの取れないパターンがカルマとしてあったりする。だから心が傷ついて痛い、と感じるのは当たり前だし、別の言い方をしたらちゃんと感じる心が機能しているってことにもなる。だから悲しんだり怒ったり泣いたり辛かったりするのは、当たり前です。痛いんだもん。それを抑圧してはダメだと思う。確かに痛みの陰には被害者意識とか、その他刷り込まれたパターンとかは隠れていることもある。でもだから傷つくのはおかしい、と言うのも変な話なんですよね。心ない言葉に傷ついて痛いのは当たり前。だからそれは全然おかしくはないのです。それはそれでちゃんと認めて、向き合って、その傷を直したり癒したりして行かないとダメなんだと思う。強がって痛くない、といったり、これは幻とかいって、逃避していたら、何時まで経っても同じことの繰り返し。そっちの方が問題なのかなぁと。まあ、人間と果物との違いは傷付いた分、果物は価値が下がるけど、人間は更に優しさとか痛みとかを受け入れて、人としての量が広がって、上がっていくことかな?ま、ダイヤモンドの原石みたいなもんですね、人の心は。ダイヤモンドはカットすることで価値が上がる。傷ついたら、それから目をそらさずに行くのが良いのだと思う。そんな訳で言葉のトリックに騙されず、その真意を探って、ちゃんと自分の落とし込んで欲しいと思ったのでした。
2011.02.24
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ふと、リラのブログでの失態を犯した原因を持った人格の特定が出来てない、ということに気が付いた。原因そのものは「そのもの」で、分かったけど、それをカルマとしてもっているのは誰だろう?ここまでの自己卑下と被害者意識を持っているのは、“ひな”かと一番最初思ったけど。ひなは「怖い」と言うことで相手の同情を引き出していることもあるが、実際に怖くて固まる回数の方が多い。なので一緒にやることによって、「怖くない」と言うのを教えていたのだけど。でもプライド意識が強い感じだから、ひなはそこまでは未だ行ってないので、違うような気がする。そうなるとひなの発展形の大人の人格の律ってことになるな。律は12月頭くらいに見つけた人格で、見つけたあたりってのは一番そのカルマが表出しやすいってことになるので、その辺りから考えると彼女しかいないんだよね。完璧主義みたいな感じだけど、自分を追い詰めて苦しくしていっちゃうのは、やっぱり自己卑下や自己評価の低さの裏返しだし、あがいている感じが似ているかも。プライド人格、と言っている貴夜美はどうか、と言ったら。いや、やっぱりちょっと入っている感じはする。人を見下すの好きだもんな~ ←どちらかと言ったら、理論武装するのは彼女なんだけど。表と裏だと思っていたが、手を組んじゃう辺りどんな関係なんだろう?貴夜美はひなのことは嫌いだけど、律に対しては特に嫌いって感じはしない。見下しているけどね。でもな。何か律が貴夜美とかリリアとかを隠れ蓑にしている感じもするんだよね。すると彼女が「プライド人格」と言われるモノになるのかな?でもプライドはあまり表出してないかも?それは貴夜美の方が強いからなぁ。そしてリリアは辛いことを無かったことにしたがって。そんな感じでなかなか反省&人格全員にシェアして、乗り越えるってのは未だまだ先になりそうな感じです。何か全然進まないな。自体の解明だけしかしてない感じ。
2011.02.23
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最近何かやたらとピンクのモノを買ってます。新年に思い切って?カーテンをピンクストライプに変えたのですが。あ、それまでのが大分色褪せたりしていて、新しいのは元から欲しかったのですけどね。それから枕カバーも思いっきりピンクにして、掛け布団カバーも同じシリーズでそろえ。掛け布団カバーもいい加減悪くなっていたしねwちなみにシーツは5重ガーゼのモノを使用。これが蒸れにくくて暖かくてさらっとしてて、他のが使えんだけだが 笑そーいえば、エアーウォッシャーもピンクだな。そんな訳で気付いたら結構なピンク率になってました。でもその前が緑で統一しようとしてたから、結局ハートチャクラ対応カラーなのに気付いて、なんか昨晩笑ってしまった。どんだけ機能不全起こしてんだよ、自分。元々ピンクはあまり好きでない色でした。「女の子」し過ぎていたのと、母親からの押し付けの色だったから。でも女性はピンクを身につけたり見たりすると良い、と聞いてからかな?出来るだけ取り入れようとし始めたのは。でも数年前に、衝動的に部屋中をピンク系にしたくなって、それからの行動の結果だったりするんです。ちなみにピンクも色の濃いものから薄いもの、グレイッシュのものから、蛍光色まで幅広んで、自分の好きなタイプのピンクを使えばいい訳です。私の場合はローズピンクやパステル系のピンクが服だと似合うのだけど、人によってはショッキングピンクや、パールピンクが似合う人もいるので、色々ですね~。ちなみに自分にとってのベストカラーを身に付けると、元気が出るとか。だから見る方も自分の波動にあったカラーの方がいいという話もあるのだけど。どちらにしても自分が見て、気持ちの上がる色が良いのかな。で、私は今はピンクなだけで 笑今度は何色にあるんだろうか。ちなみに青→緑→オレンジ→白→紫→ピンク、と来てますね、今のところ。まあ、必要なんだろな。
2011.02.22
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と、言う訳で最近読んだ本wま、蝶々さんのハードカバーの文庫版でございますwいやはや、相変わらずぶっ飛んでましたwwと言ってもこれはかれこれ三年前の描き下ろしなので、やっぱり色々と感じるところはありますね。ぶっ飛んでいて楽しいけど、これはやっぱりヒント集と言うか、参考書なんだろうな、と感じます。実際に同じようにぶっとんで切り替えていくには、人間色々な重いものを引きずっていては、ああいうふうにはいけない。あ、だからといって、「こんなこと言って~直ぐに出来る訳ないじゃんっ!慣れる訳ないじゃん」とぶち切れる必要はなくて。うん、人に言われたからと言って、直ぐに同じ様に出来ないのは、分かっている。そして何が同じように出来ないのかを、自分でじっくり見つめて向き合ってみる。大抵何か原因があるはずなのですよ。それが分かったら解消・昇華に向けて動いて行くってことが必要で。本はその過程が思いっきり抜けておりますが 苦笑ま、それ書いたら「蝶々さんの本」や「コンセプト」とは違ったもんになるってのもあるんだけど。ええ~、面倒って人は、自分の趣旨に合わないな~、ってのはテキトーに流して、取り入れられるものだけ、まず取り入れるってのも手なのですが。どちらにしても「自分」ってモノから逃げられはしないので、その内時期が来たら嫌でも向き合うことになるんだと思う。それが出来ずに何時までも世間や周りや親のせいにしている人もいるけど。「何考えてんじゃ、テメーはっ!」って思っていた時期も少なからずあるが、まあ、それはそれでその人の選択であり、あまりとやかく言っても仕方ないかな、とここ1週間で思ったり。裏を返せば、それが影の願望だったりするんだけど。結局すべては自分の潜在意識の表れだから。閑話休題。とにかく、私にとってのある意味元気チャージ本ですので、気になる方はチェックしてみてください。
2011.02.21
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硬いタイトルで申し訳ないが 苦笑逃避パターンとして、一昨日書いたのとは別のパターンがあるようです。リリアが固まって逃げているのは、まあ、分かっているので少しづつ頑張っていくとして。それとは別に「終わったことなのに、何で蒸し返すの?」と言う誰かが居る。いや~、そうやって勝手に独り自己完結していても仕方ないんですけど~。終わったというのは相手が居た場合、同意してないと終わったにならないんじゃ?そう思っているのと別に、自分の中で分かってしまった、反省した、だから終わりと思っていて、そうやって振り返ることをしない私が居る。「何時までも同じ所でダラダラしてても仕方ないでしょ。それはそれでちゃんと反省したら、対策立てて、次からやらないようにして、さっさと切り替えて次に行きましょう」ある意味そーなんだが、でもちゃんとそれはやらかしたことの後始末をした後でしょ?後始末やって無いじゃん、今。「後始末って言ってもね~、ウジウジしてるのに付きあっているだけじゃ意味無いじゃない。建設的な後始末なら幾らでも付き合うけど、結局吹き出しに対するさらなる吹き出しでしょ?ドロドロなめんどくさい感情のやり取りでしょ?そんなもの付きあっていても仕方ないじゃない。時間がもったいないわ」いや、でも、これからの勉強になるかもしれないし。「勉強ねぇ~。ただ単に人のドロドロに嫌気を余計に差すだけじゃない?」そうやってみる前から勝手に判断するのは悪い癖じゃない?それって結局逃げているだけじゃない?「まあ、そうとも言うかな?でも面倒なのごめんだわ」……って、これ誰だ?完璧主義入っている貴夜美とちょっと視点が違うんだが。ヤサグレ入っているから、たかぴーか?でもそれより大人みたいな感じだし???きぃとはまた違うし?律ではない、ハズ。リリアとはまた別。チビ二人はこんな視点ないからなぁ。と、言う訳で尻尾がつかんでも辿りきれないので、こちらも要観察。サバサバしてて切り替え早くて男前なので、確かに痛みを感じまくる必要はないので楽なんだが。でも逃避に使ったらまずいんじゃ??何か訳わからなくなってきたのでした。少し離れてみるかな?
2011.02.20
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そういえば、勉強会で「辛い時とか誰かに吐き出したり、弱音を吐いたりしないの?」と聞かれて、何も答えれなかったのが、ずっと引っかかっていました。で、それって何だろう?と思っていたら、結局それも人間不信なんですよね。軽いちょっとした愚痴とか弱音は結構吐きます。でも本当にショックでどうしようもないことは、自分の中だけでやり過ごしてしまいます。どうしようもなくて、周りに救いを求めても、突き放されるか、逆にそれをネタに更に追い込まれるだけだから。それが友人だけでなく、両親も同じだから。両親は本当によく突き放された。鬱陶しいとか、そんなもん何時までショックを受けているなとか、何時までもウジウジして嫌な子だ、とか。つらいとか、どうしていいか分からないとか、そういうことは全部「知らない」と放り出された。「それくらい自分で考えなさい」と言って放り出されて、挙句の果てに「何でそれくらい分からないの」と言われることは多々あった。それはもう小学校入ったばっかり位の頃、いや、幼稚園の時もあったかな。だからやっぱり自分で少ない知識の中で考えて、耐えて行くしかなかった。その癖がまだ抜けない、と言うか抜けようがない。友人達も同じだった。「重い」「鬱陶しい」そう言って聞いてくれないか、逆に「それくらい当たり前だ、もっと苦しめ」みたいなことを言われたこともある。だから本当に辛いことを行ってはいけない。そんな感じになって行った。それとはちょっと方向性の違う感じで、「これは私がちゃんと向き合って絶えなくちゃいけない。 弱音を吐いていい場面じゃない」と言うのもある。真っ直ぐに捉えて痛みから目を離さない自分が居る。静かに座ってまなざしが真っすぐな感じで。逃げるんじゃなくて、立ち向かって、目を見据えている感じ。頼らないじゃなくて、頼っていい所といけない所をちゃんと弁えている感じがする。自ら踏ん張るところと助けを求めるところが分かっているというか。ただ行きすぎるとやっぱり人間不信みたいな感じになり、自力過多になるので、やっぱりバランスが大事なんだと。頼らない私は傷ついている私と、そうでなく弁えている私の両方が居るんだと思う。そしてその二人が思いっきり前面にコラボして出ると、誰にも頼らない私になるんだな。最期の方はプライド・完璧主義人格として、最初の人間不信なのは誰だろう?ひなか律かどちらかのはずなのだけど。やっぱり律かな?だとしたら、本当に辛い部分を押し付けていたな。で、それが分かったとして。これを何処をどうやって行けばいいんだろう?そうしてまた思わず呆然と立ち尽くすのでした。
2011.02.19
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昨日ブログを書き終わって、ふと気付いたのだが、やたら逃避していて、物事をちゃんと見たがらないのはリリアのようだった。良い子・純真人格、と取りあえず設定していて、実際そういう要素は多いんだけど、同時に辛いもの汚いものから目をそらしたがって、綺麗なものだけ見ていたいっていう、逃避と言うか、夢見る夢子人格と言うか、そう言うのを持っていることに気づいた。ドロドロしたネガティブなものばかり見ていると、やっぱり綺麗なものって見たくなるんですよね。でもそれ以外を受け付けないって感じなのが、ちょっと何かやっぱりおかしいって感じる所。ま、いわゆる光・善信仰人格って言う感じだな。確かに昔ドロドロとしたところに居た時は、そう言う光と言うか夢と言うか、そっちに逃避することによって、なんとか精神を保っていた感じだった。完全に精神が均衡を崩す前のストッパーな感じと言えば、分かるだろうか。彼女は綺麗で純粋でないと価値が無い、と思いこんでいる節があり、ちょっとでも辛いことがあると固まってしまうし、見ないように躍起になる。それでも最初に出て来て、徹底的にコミュニケーションしたためか、ある程度まで必死に踏ん張ることができるようになってはいるのだ。それが勉強会を逃げなかった要因でもあるな。でも、でも、こうやってキレイでないと意味が無い、価値が無い、と思いこんで懸命に見たがらない彼女に対して、私は一体どーすればいいのだ?思わずボー然と立ちつくしてしまう。自分がガラガラと崩れていく感じ、自分の存在が全て無に帰す絶望的感覚。無価値観、誰にも認められないという疎外感。孤独感と圧倒的な寂しさと、誰かに認められたいという切望感と嫌悪感。そういったものが巣食っている。ちなみに書きながら、リリアとは対話しているのだけど、必死に自分を「価値ある存在」として確立しようと必死になっている感じがする。だからこそ価値を否定するものから逃げようとしている。いや、みんなはね、やったことに対してはアレコレ言ってくるよ。でも存在そのものを否定するってことはないはずだよ。言っても聞かない。純真なままじゃ生きられない。キレイ事言っていたら生きていけない。だからそんな存在は居てはダメだ。もっと汚くなりなさい、悪賢くなりなさい。騙されるなんてみっともないモノを曝さないで頂戴。何事も汚くてきれいなモノなんて本当はないんだから。母親から存在そのものを否定されていた。いらだち紛れか、自分のストレス解消か、自分の思い通りにならないからか、自分のプライドのためか、そういう心ない言葉が投げかけられていた。それに傷ついて奥底に閉まってしまった彼女。傷ついて壊れるまでに投げかけられ続けた、刃物のような言葉。そして傷つくこと自体がおかしいと、更に言われ続けてしまった。それでも必死に守って、これ以上否定されてたまるものかと思った自分。その時の辛さが、まだ残っている。それゆえに「責められている」と思える状況から徹底的に逃げ続ける。これ以上辛いことを感じたくないと思っている。そしてようやく、そう言う純真なキラキラしたものもあっていんだと分かったから、余計にそれにしがみついて、再度否定される事をものすごく怖れている。感じがする。逃れのない四面楚歌状態が怖いのは、自分と言う存在を逃げ場もなく、徹底的に否定されたからか。となったら。まずは居ていけないってことが無いってことと、誰に何を言われても、存在否定されているんじゃないよってことを教えないとダメなんだな、これは。そしてそんな否定をする奴がおかしいんだということだな。さて、納得してくれるだろーか……。
2011.02.18
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本や人から聞いて、知識として知っているけど、どうしてもそれを止められない自分と言うのが居る。今日は窓掃除をしながら、色々と思考が流れていくのを見ていたのだけど。やっぱり自己正当化して、自分のやっている事を間違ってない、と思いたがっている自分は居る。いや、それは自己正当化だろう、それはちょっと違うんじゃないか。そう思っているそばから、それでも、って感じで懸命に壁を作るというか、何かを糊塗するというか、そう言う思考が出てきた。懸命にその正当化しているその先に隠されているものは何だろう、とさえその時は思えなくて。とりあえず今の自分がそう言う思考になっている、と捉えるのが精いっぱいだった。結局私の中の誰かが、その知識を自分の中で実感したり、消化できてないのだと思うのだが、誰が、そうやって懸命に抵抗しているのかがイマイチ把握できない。自分で自分の中に目をそらしているモノがある、と言うのは気付けてもそこに辿り着くことができない。何か誰かが懸命にそれがばれたら自分と言うモノはおしまいだと思っている。けど、今の自分、と言うモノ自体が周りからの刷り込みで出来ていて、本当のオリジナルの自分等殆どないのを考えると、例えどんなにみっともなくても惨めでも、それさえも刷り込まれたモノだから、お終いってことはないのではないかとも思うのだけど。それでも嫌だという自分は何だろう。自分は何も持ってない。それは分かり切ったことで、今更プライドとか、見栄とか張るものじゃないが、それを良しとしない私が居るのも確か。いや、それが許せなくて、自分を更に辛い方へと導いているのかもしれない。辛いというか、これと言うモノを確立したくて仕方が無い自分が居る。自分と言うモノを確立したくて仕方無くて、その為にはどんな辛いことを厭わない私もいるけど、同時に辛いと思うとすぐに逃げたがる自分もいる。些細なことに自分を追い詰めて、耐えられずにハートブレイクしてしまい、逃避して中途半端に投げ出す自分。そんな有様を許せずにさらに追い詰める自分。そうして自己卑下と自己嫌悪の下降スパイラルに陥っていく。そこから抜け出すために、そこにハマらないように最初っから逃げる自分もいる。アレコレ理由をつけて、もっともらしく言って、やらずに逃避する自分。そしてそれらをありのままに受け入れることが出来ない。自分の都合のよいものだけ受け入れて、それ以外を切り捨てたがっている。その在り方を何故いけないのか、理解出来ずに自己正当化を繰り返す。他人がそうやって自分を切り捨てるのに、それを逆の立場ではダメだという人たちも許せない。自分に都合の悪いモノを全部押しつけながら、自分が押し付けられると怒る人を許せない。自分を顧みない奴を許せない。そうやって全てを許さず、拒否して怒り続ける自分もいる。そして、それらをどうすればいいか分からずに、落とし所も見つけれずに、放心して固まっている自分もいる。そんな自分が出来るのは、それらにふたをして見ないふりをすることだけだ。見なければ、知らなければ、何もしなくていい。そう言う感じで逃げ続けている。知識では色々としっても、結局それを消化できずに停まっている。しかし、一つ一つ向き合って行くしかない。それと知りながらも、更に辛いことにしり込みをして、逃げたがる。納得しきれない。一体これは何だろう?それが更に深く潜れない原因ならば、まずこれを見ていくしかないのだろうか?これさえも深く潜らせないための、トラップの可能性もあるのだけど。でもそのトラップさえも一つ一つ外していかないと、辿り着けないのなら。ならば見ていくのが早いのかもしれない。本当の理解をするためにも。
2011.02.17
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そう言えば、リラ関係をもう一つ。勉強会の日程を確認する為に、久しぶりにリラのホームページに行ったのだが、認定ヒーラーさんが減っていた。それで確認したら、やっぱり減っていて、理由が辞めたからというか、カルマの吹き出しに耐えられなくて、責任転嫁して去って行ったらしい。それ以上詳しくは聞かなかったが。カルマの吹き出し、と言うかそう言う類をやったばっかりだったので、個人的には結構複雑な気分だった。現在のところ、一旦逃げ出してまた戻ってきた人はいないらしい。そして、リラを去る時はものすごい責任転嫁して、「リラがおかしい!」と言っていなくなるモノだと聞いた。実際に私も吹き出し中は一旦はリラがやっぱり一般スピグループの用に、結局自分の都合の悪いものは排除するところだったか、と思ったりもした。実際は違うのだが。徹底的に自分のあり様の歪み加減を知ることになるので、今までの自分の在り方を否定されているように感じる。スクールに行くのと勉強会でちまちまやるとのでは、その徹底的の度合いが違うので、私としてはちまちまとやっていく方が今の段階では、合っていると思うのでそうするのだけど。今までの在り方がどれだけ歪みを生じているか、と言うのを知るのは、まず大事なのだけど、それからどうしていくか、と言う風になるから。でも、無意識にやっているパターンは、特に自分が正しいと思い込んでいるパターンは、どうしても歪みを指摘されると、存在そのものを否定されているように感じる。存在そのものを否定されることに、人は耐えれないし、また慣れることはないし、本能的に危機感を感じて反撃をしてしまう。その場合はどうしても自己正当化と他者を悪者に仕立て上げる、という必要が出てくる。自分以外が悪ければ、自分は悪くないし、間違ってないし、と言うことになる。自分の存在や在り方を肯定するには、他人がおかしいと思うのが一番手っ取り早いし、そうすることで自分の存在意義を守れると思うんだろう、たしか。それは本来一時的なもの。でもその過ちを認めることさえ難しいと、そのまま責任転嫁して相手を悪く言い続ける、という悪い業を積み続けてしまう。それがその人の選択なら、ある意味仕方ないと思う。そしてそれらは私が日常的にやっていることだと思う。他人がおかしい、他人の言うことが変で、自分がまとも。そうすることで、自分の価値観や見方を正当化して、自分を守っているのだと思う。今の社会が相手を否定する文化を強く持っていることでもあるかもしれない。そうしないと振り回されて、自分がなくなっていく様に感じるからかもしれない。自分を無くさないための傷つかないための本能的行動かもしれない。自己正当化するとは、そう言うことなんだと思う。
2011.02.16
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最近はあまり感じなくなっていたが、私は結構な人間不信で人間恐怖症でした。いや、まだ現在進行形かな?少なくても人間恐怖症は克服できているな。不信は未だ引きずっている。大元を見ていくと大きなきっかけはもちろんいじめだけど、それ以前に親に対する不信感がすごい大きかった。私は要らない子。お母さんは私なんか欲しくなかった。気をつけないと捨てられる。それが幼稚園入る前後からずっとあった。素直でなく、母にしたら思い通りにならない子供だったから、その言う事を聞かせる為に何でもしていた。一番は脅しで、「捨てる」「あんたなんかうちの子じゃない」「かわいくない」「天邪鬼」「産むんじゃなかった」などは結構日常茶飯事で言われていた。だから私は何時か捨てられる、そうしてどこも行くあて無くて死ぬんだ、って漠然と思っていた。よく覚えてないが、父からもすごい怒られたか怒鳴られたかして、「お父さんも私なんて本当は要らないんだ」と深く傷ついた覚えがある。でも子供のころにそんなことはハッキリ言って信じたくなかった。だから懸命に違うよね、みたいな確認をして、それを鬱陶しがられて、「それ以上言ったら本当に捨てる」と脅されて黙ったことがある。もちろんそればかりじゃなくて、べたべたに甘やかされていることもあるのだけど、ふとそういう不安は消せずに持っていた。今思うとその根柢の不安定さが、いじめを呼んだんだと思うのだが。まあ、それはもう、当たり前だな~、と納得はできている。だが、そのいじめの時に散々裏切られ、散々バカにされ、ボロボロになるまで罵倒されたのはすごい嫌な想い出で。下手に本音を行ったり、冗談を言っただけで、悪く言われて仲間外れにされるし、優しい言葉を投げておきながら、「真面目に取るな、ばーか。誰がテメーなんか優しくするもんか。誰もいねーよそんな奴」と言われたこともある。相手が泣くのが面白いというそいつらをすごい恨んで、絶対にこいつらに負けて登校拒否や自殺なんてしてやるものか、という気持ちで生きていた。そこから他人を信じない、と言う選択をし始めた。というか、その時はそれしか方法が無かった。誰を信じていいのか、誰を信じてはダメなのか、それさえもわからなくて、信じられないでいたら、そのことに怒られて裏切られたことも一度や二度じゃなかった。だから余計に信じてないなど言わなくなった。何も言わずに信じてなかった。でもそれじゃハッキリ言って疲れ果てた。誰も信じず手を借りず、全てを一人でなんて出来なかった。その代替えとして、部分的に信頼をし始めた。人として信じられないが、でもここのこういうところは信頼出来る。だからそこは任せる。そんな感じ。だからぱっと見、人間不信バリバリと言う感じではなくなっていた。でも人は信じられなかった。信じる為に幾つか試すことをした。ワザと約束破ってみたり、人を試す言動をしてみたり。それでOK出ない人でないと、信じなかった。「人を信じられない」と伝えて、それでもいいと言ってもらわないと、安心できなかった。また気の合う人が居ても、逆に相手に気を使い過ぎて、何も出来なかったりもした。嫌われるのが怖くて、無くすのが怖くて、どうしていいか分からず何も出来なくて、結局疎遠になった人も結構いる。他人に嫌われて、これ以上いじめられないように沢山の予防線も張っていた。その中で被害妄想に陥って言ったし、それが嫌で周りの声を聞こえないように、暗示をかけていった。そしてわざと大きな声で悪口を言う人たちなどは無視できるようになった。そしてそういう事をする奴は弱くて馬鹿なんだと、言う視点を持ったのもこの辺りからだと思う。負けないために、これ以上自分が傷ついてへこまないように。リラの本を読んで、それが傲慢な恥ずかしい在り方なのは分かった。でも分かってもやっぱりやめられない自分もいる。それでも信じきれず怖くて怯えている私は確実にいる。でも、信じられないという場合、少なくても私の場合は、その裏には信じたくて仕方が無い自分が居る。でも怖くて傷ついて泣いている間は、その「お試し」はどうしてもやりたくなる。今までの中で、これは信じていいんだ、こういう人は大丈夫なんだ、と分かっているタイプの人にはもうやっていない。だが、そうじゃない人はどうしても試したくなる。そして絶対的に駄目な人には最初から試すことさえせずに、最初から信じない。人間と言うのは自分の都合の悪くなると、平然と相手を切り捨てる生きモノだ。それに傷つくのが嫌だったら、最初から信じなければいい。そう言う思考が残っている。信じろ、と言われて、はいそうですね、といってあっさり終わるほど簡単なものは何もない。それで終わるなら、それはカルマじゃない。取りあえず、今吐き出せるのはこれだけだな、人間不信に関して。これはこれで自分では受け入れていたのだけど。でも。これを受け入れるだけじゃなく、ちゃんと解決していくことをし始める時期なのかもしれない。
2011.02.15
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私の場合の最大の課題なんですけど。プライドカルマというと、プライド人格がどうこうって思いがちですが、でもそうでもないらし。もちろんプライド人格が居る人もいれば、逆にプライド人格が居無くて、他の人格すべてがプライドカルマを持っていることもあるそうで。そんな訳でプライド人格、と思っている人格に属さないプライドってのがあるのに、最近まで気付きませんでした。一昨日の勉強会で「何でそんなにそこにあるプライドを見ないの?」とは言われていたけど、これがプライド人格を見る、と勘違いしていたんですね。んで、合間に疑問に思って質問して納得しました。この間からヤサグレていたのは確実にヤサグレ人格のたかぴーの影響なんですけど、同時に彼女のプライドが出ていたみたいで。そりゃ、幾ら言われても、ピンとこない訳だ。プライド人格、と私が呼んでいる貴夜美に属さないんだもん。違うって感じて当たり前だな。プライドカルマって言われても、それがプライド人格とは限らないってのが、勉強になったこと。それとプライドがそこにある、と言うことは隠れている傷ついた自分が居る、と言うことでもあるって言われました。で、私の場合は、プライドが大半を占めるので、下手にそっちを見て行くよりかは、傷ついて隠れている方を探って言った方が、賢明な判断かと。モンスター化はしてないと思いたいが、実際今のところ不明ですので、下手に正面から行くよりかは周りを固めていこうかなぁと 苦笑そんな訳でそもそも今の私になる前は、私は私が大嫌いでした。ま、それは今までもどっかに書いていたかと思うのですが、読み返す気になれん 笑自分を嫌い、世間を嫌い、親を嫌い、周りの人間を嫌い、恨み、呪っていたような感じだった。そして早く死にたい、と言う自殺願望が10代の頃からずーっとつい数年前までもっていたし。自殺願望を持ちながら、自殺を禁じられ、しかも自殺をしたら余計に嫌な場所に行くか、ここに留まるしかないというのを聞いて。今が嫌なのに留められるのもっと嫌、という理由だけで生きていた時期が十数年あった訳です。だから先どうなろうと関係ない、誰が何と言おうとどうでもいい、だから誰かに配慮するとかもなく、傍若無人にふるまっていたし、それによって誰かが怒って刺し殺してくれるんじゃないかっていう希望を持ってもいた。うん、だから道路とかも平気で車の前に飛び出したりしてね。轢かれたら向こうが悪いから、ってことで自殺にならないよね、って思っていたり。車を運転しながら、対向車からトラックとか来たら、ぶつかったら死ねるよね、堤防道路うを走っていて、こっから落ちたら死ねるかな、とか。どっかで死人が出る事故が起きたら、可哀想とか、酷いとか思う前に、そこに居合わせたら、死ねたのにな、って思う人でした。それなのに同時に不健康な自分をいじめるドラッグとか、シンナーとかやるのは馬鹿だと思っていて。変な人だったな。死にたくても死ねない、何時になっても死ねる機会が無い、じゃあどうしようって思って、生きるしかないなら、このままじゃ嫌だな、と言うのがそこから抜け出るきっかけだったんだが。同時にそうやってその場限りで、いい加減に生きてきたため、自分が出来ること、誇れることなんて何もなかった。自分には何もない。自分は何も出来ない、どうしようもない人間だ。役に立たない、何のキャリアも得意分野も手に職も付いてない。それがすごいコンプレックスで、そこから色々と手をつけ始めて現在に至るんだけど。結局途中で自己卑下とか、金銭感覚の問題とかで、極めきれず全てが中途半端なんだよね。それがまたコンプレックスで、自己卑下に入る原因で。まあ、それだけじゃないんだけど、取りあえずプライドに隠れた根っこの一つはこれだろうな。未だあるけど、その辺りはまた明日。
2011.02.14
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逃避していながらも、逃避しなかったぞ。偉いぞ。と取りあえず褒めておく 笑で、勉強会ですが、やっぱりリラブログでの失態が話題になり。もー完全に謝るしかない状態でした……(遠い目そして現在、逃避が出てて、3回目の書き込みした後から読めてない、って話をし。(そっからか~、とびっくりされた…・・)うん完全に逃げ状態に入っちゃったので、それからはずーっと自分との対話なんです。誰がこんなに逃げたがっているか、イマイチよく分かって無い所もあり、それを探っているのも伝え。でもそれさえも逃げたがっていたな、私。そっからまた更に私のプライド人格の話で、どう見えるかを教えてもらい。いや、厳しかったし、未だまだ受け取れる状態で無かったです、はい。でも知りたいって言ったのは自分ですけどねぇ……・。「まあ、ちょっとづつ行けばいいから」と言ってもらい、その言葉に甘えて時間を貰うことにしました。次までに何とかしたいな~(希望)でも私が書き込みをしたことで、その後の反応とか色々同じ勉強会に来ているFさんにもあったらしく。そのお話を聞いて、その色々な反応を知って、流れでやっぱり出る時に出ただけかなぁと思ったり。同時に色々と自分の中の反応とか、見え方とか色々考えることがありました。どちらにしても行動して出さないと、自分の課題は浮き彫りにならないし、課題が分からなければ何の対処も出来ないから、やっぱり良かったんだと思う。色々と居たたまれなかったけど。そして今回初参加の岐阜の高山から来た人が居ました。自己卑下が強くて、アレコレと神経をとがらせて色々と自分を責めてしまう、と言う人で。……反応しました、私。かつて、大体20代位まで、そうやって人のちょっとした事が自分のせいじゃないか、ちょっと何かあると自分が責められているんじゃないかと、そう思っていた時期があり。なんとか克服したと思っていたけど、どーも克服しきれてないようで、話を聞いていて妙に恥ずかしい気持ちになってしまいました。うん、律と呼んでる人格にこういうところは属しているんだけど。でも話を聞いていて、色々とやっぱりその人の親もおかしいんじゃないかって思ったし、親に一定の理解を示して、それで諦めているのも、抑圧しているんじゃないかとも思ったりもした。まずは少しづつ、と言う話をされていたな。最初に私もされていたが、やはりチビ人格を自分で癒すことが大事みたいで、その様にアドバイスされてました。そしてスクール生のYさんが色々とシェアしてくださったんですが。こうやって掘り下げていくのか、と思った所と、何かグルグルしているかな?と思ったところがあり。感じたのは独りで掘り下げようとしても、やっぱり逃げて見たがらない所は誰にでもあって、こうやって勉強会などで色々と言ってもらって、ようやく目を向けることができることはあるな、納得して行くことができるのかなと言うことでした。ついでに色々と知りたいところを質問させていただきました。ありがとうございます。それからOさんの話を少しして、再びFさんの取り組みの話を聞いて、終わりました。Fさんは本当に自分を見つめることをしっかりやっていて、レポを読むたび色々と勉強になります。そんな感じの勉強会でした。まあ、他に色々と感じたことはあるけど、掘り下げ切れてないので、明日にでも書きたいなぁ。
2011.02.13
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半分、仕方ねーなぁ、と思いつつ。でも何かヤサグレてますねぇ。こうなったら何時までヤサグレているか、観察することにして。でも気付いたのだが、このヤサグレ人格は別にまるっきりハートに基づいていない、ってわけでは無いんだよね。めんどくせぇ。うぜぇ。そう思っているけど、そう思うのは大人の勝手な都合(良識)を押し付けてくる人たちにだけで、全てが面倒な訳じゃない。でも面倒だと感じることはやりたくない。斜めに見て距離をとっているけど、拒絶している訳でもない。なんかね、熱血したり、一生懸命になるのが、こっぱずかしいって感じで、冷静を装っている感じなんだよね。道理を分かっていても振りかざすのは格好悪い、でも道理から外れる奴を許さない、でも行為に対して怒るけど、人格を否定はしない。そんな結構なかなか悪くない人格なんですよね。でもこうやって書くと、本当に思春期人格だなって思う 苦笑丁度中学高校のころの反抗期の頃の自分で、ああ、確かにそーだったなぁ、と言うのがドンピシャな感覚かもしれない。そうなると本当にやりたいようにやらせるしかないなぁって感じで。でもちゃんと分かれば、戻ってくるなって感じです。中学の頃はいじめがあったりして、色々と傷も抱えているけど、何か真理を求めてやまない時期でもあったな。本当の意味で頼れる大人が欲しくて、でも現実は自分達の利益だけしか見て無くて、自分達の都合を押し付けられて、私をコントロールしようとしか感じれなくて。それでいい事をしてやっているのに、と恩着せがましく言われて、すごいうんざりとしていた時期。あ、恩着せがましいのが嫌なルーツはここだな。そして人を信用したくて、でも出来ずにいる。求めて、でも見つけれなくて、強がっている。諦めてこんなモノだと思いこもうとして、斜めに世間を見て、でも諦めきれてない。その分自分がやっているのと同じ状況はあっさりと受け入れることができる、という度胸の広さもあるな。好きなモノにはとことん、周りを気にせず集中するって面もある。なんだ、こうやって見ると別に対して悪い訳じゃない。裏目に出ちゃうと、とことん人を馬鹿にしているように見えるけどね。でもそうじゃないってのは自分では分かっている。だから他人にどう評価されようと、それはもう、気にならないような気がする。ともかく。確かに色々と裏目に出ると厄介になるけど、私は私のこの面は嫌いじゃない。愛しいとも思う。ま、困った面が出たら、その時一緒になって悩んで泣いて怒って成長して行けばいいんだな。うん。
2011.02.12
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ちょっと立て続けに起きたことで、気になったこと。親切、っていうのは基本的に人によって違うモノだということ。それはそれまでの経験とか、環境などもあるんだろうけど。私にとっては、全てのモノを提示してもらって、選択の余地がある状態を作ってくれるのが親切と感じます。例えば、昨日のネットワークビジネスの話など、確かに面倒だけど、でもそう決めつけられて、最初っから一つの道しか分からないとか言うのは、ある意味不親切だと思う。どうしてそれを進めるかを説明した方が、親切だと思う。また、親切の押し売りもハッキリ言って鬱陶しいと思う。きっとこういう状態に違いない。きっとこういった方が良いに決まっている。そう言う風に思いこまれてされる行動は、ハッキリ言ってはた迷惑に感じることが多い。迷惑、とハッキリ言うと、人によっては「侮辱された」「感謝しないなんて、血も涙もない奴だ」等と逆恨みされることもある。いや、その感覚がどっかズレているんだが。気にかけることが悪い事じゃないし、心配するのも分かる。でも相手の感覚を無視して押しつけても、仕方ないかな、と最近は思う。もしやったことが迷惑だったら、普通に謝ればいいことだと思うのだけど。でもそうじゃない場合は、やはり何かどっかにトラウマが残っているんだろうな、と思う。人によって親切、と感じるものは色々違う。だからこそ、その人の事を本当にしっかりとどんな人か見ることが必要になってくるんだろうな。そしてやり過ぎて迷惑がられたら、こちらの気持ちを押し付けるんじゃなくて、相手を慮っての謝罪が大事なのかもしれない。
2011.02.11
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と、言う訳で、mixiコミュで紹介されていたので、チケットお願いして融通してもらい、行って参りましたwしかも初めての癖に一人で 苦笑チケットを戴いた方に名古屋の人を紹介されたのに、連絡取り忘れたんですね~、日にち間違えてて。いや、日にちはあっていたが、私の感覚が狂っていたんだな。んで気付いたら前日の夜中で。まあ、良いやって事で一人で行ってきました。でもやっぱり紹介された人と一緒の方が色々聞けて良かったかも。ちょっと反省。んで、セミナーですがよく分からなかったので、午前中から参加してみました。午前中は既に会員さんになっている人向けの、会社としてどうやって行くかの説明でした。それでもヤングリビングと言う会社組織とシステムが良く分からなかったので、聞いていてその理解は深まりましたが。その辺りはどうでもいいって人は、午後からで十分ですね。あ、念のために説明しておくと、「ヤングリビング」と言うのは精油をはじめとするそれに付随した商品を取り扱う会社です。製品の特徴と言うと、精油の純度が極端に高いので、直接肌に付けても問題ない、と言うかその方がよりよく使えるって言う珍しい代物。通常の精油はオイルで希釈しないと、危ないっていうんだけど、どうやらこれは不純物が微量でも混じっているかららしい。いいよ~、とは方々で聞いていたけど、実際にどーなんだろうって感じでした。リアルでどう使っているかって話、あまり聞かないからねぇ。ま、こっちもあまり根掘り葉掘り聞いてないんだが。午後はメインのドクター・ミンキーの講演会。どんな場面でどうやって使って効果があったか、と言う話。ハッキリ言って面白かったし、逆に悪いものも人は吸収してしまうって怖いことも良く分かった。特に脂溶性のモノの場合、悪いものが外に出て行かない場合、人の脂肪に蓄積されるとか。これって怖い。それと研究や文献で証明されている以外で、こんな効果がある、ってのも分かって面白かった。証明されてなくても、実際にそうなるって分かるものはあるってことで。これは何でも同じだね。後になってから、研究でこういう成分が、こう働いてこうなるって分かることってありますからねぇ。んで、休憩後は実際のユーザーがどういう時にどう使って、どう効果があったかって話もきけました。これがまた面白い。こうやって色々聞くと、私の今までの周りのユーザーは、そこまで活用してないんだなって感じました。本当に普通のアロマオイルの使用範囲をちょこっと出た程度、とでも言うのかなぁ。ま、実際に薬事法の関係で、ブログやらに書き難いってのもあるんだろうけどね。そして更にドクターの実体験に即した色々な話を聞いて。沢山納得して。そしてこの会社が何で口コミ会員制の販売方法なのか、納得しましたね。そりゃ、この方法が一番確実で、一番効果的なのが良く分かった。実際にハードユーザーの声って、どんな宣伝文句や記事よりも、伝わるし。逆にその人たちの声を聞いて、使い方ってより理解が深まるし。で、チケットを融通してくれた方が、何故直ぐに申込書をくれたかも、またどうやって登録するといいって助言があったかもすごい納得した。「会員になるの面倒だから、融通してあげるよ」って言う人もいたけど、確かにそれも良いことあるけど、それだけじゃ不親切かも。確かに色々とね、条件があって面倒な分もある。けどハードユーザーになる(可能性がある)なら、よりお得な方法を教えておくのは大事かも。うん、視点が違うんだよね。日本人は組織的な販売方法って言うと、一時的に流行ったねずみ講を思い浮かべて、何が何でも誰かに売らなくちゃいけないって思いがちです。でもここはそうじゃない。逆に買った商品の70%を消費(小売)しないと、次の買い物できませんとか書いてあるし 笑いや、フツー利益重視だったらそんなこと書いてないし。そこも意外だった。ま、実際にどうするかはこれから決めるとして。でも色々と欲しくなっちゃって、さてどーしようかと 笑でもこのセミナー自体はYLの精油と使用方法を理解するのにすごい役に立ちました。興味のある方はお勧めですね。
2011.02.10
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何でもそうだけど、取りあえずとことんやってみる。「**かぶれ」という言葉があるけど、それくらいのめり込まないと分からないことがある。良い子のつもりで、バランスをとっているつもりで、中途半端にしていると、何時まで経っても分からないことがある。バランスなど、とことんやってどっかおかしくなって、総崩れが起きて、ハッと気づいた時に分かるものかもしれない。最初っからバランスなんて、直ぐにとれるものじゃない。あっち行ってこっち行って、色々と試してみて、初めてバランスもとれる。バランスは大事だけど、それだけに終始していたら、本質を忘れる。大事なのはそこじゃない。自分がいかに掴むかだ。時には思いきってバランスを崩してみる。そうしたら、今までとは違う場所で、本当に自分にいいバランスが見つかるかもしれない。時には思いっきり今までのことから外れてみる。そうしたら今まで居たところの意味が見えてくることがある。視点を逆転する。見えるもの、感じるものが丸っきり変って、新しい発見が沢山ある。今まで居たところがいかに心地よくても、それでも違和感を感じたら、思いきって壊すことも大事かもしれない。それも出来ればとことんやる。出来ないなら、出来る範囲でやればいい。でも無理はしない。しなきゃいけないと思ったらおかしくなる。それだと本末転倒になる。例えそれが無駄な努力だったとしても、無駄だと分かるまでやらないと、無駄と言うことさえ分からない。無駄と分かれば、別のやり方に変れるから。分からないと固執するから。勘違いして陶酔しても、その内に嫌でもわかることがある。その時にどの選択をするかでもある。勘違いのさらに上塗りして歪みを増すか、修正するか。でもとことん歪むのもありだと思う。それは本当に個人の選択。他人が口を出しても意味のない話。まずはとことんやって、実感するしかない。
2011.02.09
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図書館で借りてきたのですが、三冊ほどまとめて四国遍路の本を。その中の一冊。最初タイトルを見た時は、なんだろう?って思っていたけど、読んでみて納得でした。一応歩いての遍路の記録?なのですが、時にはタクシーを使ったり、電車やバスを使ったりと、歩きにこだわらずのお遍路なのです。歩きかバスツアー・個人の車しかないと思い込んでいたから、なるほど!って思いました。ずーっと歩きでもいいけど、場所によってはだいぶ距離が空いているので、この方法はまとめて休みが取れず、区切り打ちしかできない時は、良い方法かもしれないって思いました。うん、なんか歩いてみたくて仕方ないんですよね。ツアーの方が多分色々作法とかが分かっていいんだろうけど、なんか歩くことに魅力を感じていて、今色々調べているんですよね。やっぱり一番の問題は宿かなぁ……。ま、最初ツアーで2回目歩きってのもありだな 笑ツアーだと札番号通りに行かないこともあって、まあそれでもいいのかもしれないけどね。この本はかなり年配になってからの、歩き遍路をした教授の手記の様なものでした。結構参考になるけど、同時に結構前の話なので、情報が古いって言うところがちょっと困るかも。でも面白かったです。ちなみにこの方は3泊4日で一国参りの区切り打ち、春と秋だけ歩くって形でした。色々な方法があるもんだなぁ。さて、どうしよう?
2011.02.08
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と、言う訳で失態を犯した話。リラのブログで書き込みをしたのですが。それが自分がすごい被害者意識で、過去の傷を刺激されていたのに気付かずに、殆ど責任転嫁的な書き込みをしたのですね。そしてそれに対して冷静な一般の方の指摘も、ちゃんと受け取れず、逆切れして攻撃して。でもその逆切れ攻撃、という行動をした為に、自分で「ん?おかしい」と気付くことができ、そこからどんどん掘り下げて、中学時代のいじめや親の対応の傷まで行っちゃったんですけど。これは一昨日書いたものですね。そっからがまた大変で。その癒え切らない傷に気づいた途端に、自分の失態に気付きまして、ガツーンと堕ちてしまったんです。そんなさなか先走った(とその時は感じた)メールが来まして、そっからヤサグレ人格が全開になり。こうなると本当に、我ながら手綱をとることは諦めるね。この時にもう、自分で自分のこのパターンにとことん付き合う覚悟を決め、「やるだけやってみろっ!」と言う気分になり。そっからお返事コメントを色々読ませていただきました。ぶっちゃけ反論したい事は結構あったりした。あったけど、でもそれをしたら余計に馬鹿だぞっ!っていう、人格の意地?もあってそれはやらず。でも厳しいけど愛情のある言葉でさらに、気付きも得られたりして。本当にこれ、有難いです。視点がおかしかったのに気付けたし、そこに戻るヒントもあったから。そして沢山ハートが痛くなった。もちろんまだまだ自己弁護と逃避したいのも出て来て、なかなかまっすぐに素直に受け取れず、うだうだとしているところもある。「逃げないし、負けるものか」という変な意地もあって、踏みとどまっています。でもね~、今は逃避が強いです。自分の馬鹿さ加減に気づいてしまって、それでガツーンと落ち込んでいるのが居るんだよね。だからこそ今は余計に更に落ちることは、欲しくないって心理で。もうちょっち時間が経って、耐えれるまで待って欲しい、逃げないから。と思っている部分もあって。あいからず複雑怪奇だ、私の中身(苦笑でもね。私は失態をしたこと自体は何の後悔もないのだ、変な言い方だけど。得られたことの方が大きいと思うし、ここで行動しなかったら、もっとずっと変な思考や癖や考え方になっているのに気付かずに居たんだと思う。そっちの方がもっと恥ずかしいし、嫌だと思う。それらに気づいて、今はもう恥ずかしくて仕方ないんだけど、沢山迷惑をかけたけど。でもそれらを無くして、成長はないのかもしれないなって思う。迷惑かけた分だけ、かけられることを受容するし。失態をして気付いた分だけ、他の人の失態を認めて成長を信じることができる。結局得るモノばっかりだな。失うものって言ったら、未熟でどうしようもないパターンだけかもしれないな。それでもまだ私には、「後始末」という行動が出来ずにいます。これが今&今後の課題です。取りあえず今は今の状況をちゃんと受け取ることが、大事かな、と。現時点での振り返り、でした。
2011.02.07
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と言う訳で、シリーズ6本目の8冊目ですねw今回もちゃんとサクサク話が進んでました、一応。それにしても闇主さんは、一体どれだけ知って、楽しんでいるんでしょうねぇ……。この手の男が身近にいたら、そらもー、面倒で絶対に関わり合いたくないですね! ←力説んで、そんな奴に執着してしまったラスも、やっぱり同類かと、思ってしまいました。ま、それでも色々と仕掛けがあるらしく、その解明がさっぱりされないまま話が進んでいる、って感じで。それはそれで楽しいんですが、それならもっとサクサク進んで欲しいとか、訳の分からん気持ちです。そもそも何でラスが身体がおねむになっちゃったとか、その辺りからよく分かって無いんで、この辺りの伏線はサクッと次の巻で解明されてほしいものです。はい。つーわけで、明日こそ失態(をやらかしました。てへ←)の自己解析が出来たらいいなぁ。なかなか2・3日で振り返るのはやっぱり抵抗勢力が強くてダメだな 苦笑
2011.02.06
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意外と癒されてないものですね。この間も一つ発掘してしましました。疎外感がちょっと異常に感じていたので、あるきっかけを元にずーっと見ていって。そしたら中学の時のいじめの時まで遡ってしまいました。私の場合、クラス全員から無視、と言う形と、その中の代表数名によるいじめがありました。苛められているから、関わり合いたくない、と言う理由で仲間に入れてもらえなかったり、時には親切な顔して甘い言葉を吐きながら、思いっきり裏切って、こちらが傷ついた顔をしたのを馬鹿にして笑ってみている人たちとか。そんな時の悲しみが未だまだ私の中に巣食っていたのに行き当たり。お風呂でダーダー泣いてしまいましたよ。とにかくそれからは些細なことで疎外感を感じたり、孤独を感じたり、結果として過剰防衛に走っていたり。とにかく辛かったんだなって、我ながら今更ながら思い出し泣きして、自分を労わって。そう、その時に旨く仲間に入れなくなって、哀しいとか辛いとか、母親に訴えたら、「あんたが悪いんでしょ。あんたがちゃんとやらないからそんな目に会うんでしょ。 お友達と仲良く出来ないなんて、お母さんは知らないわ。 自分で考えなさい」って言い放たれたんですよね。今思うと飛んでもねー言い草だよね。友人関係悩んでいて、困った挙句に相談したのに、「しらない」と放り出されてますから。「知らない」じゃなくて、一緒に考えて欲しかったんだけどね。そんな時の辛さとか一気に戻って来ちゃって。これはもう上手く泣けなかった当時に代わって泣くしかないんですよね。そんな訳で気の済むまで泣いて。そうしたら疎外感とか感じていたのが、おかしいと思い至って。でもまだまだきっとその時々に顔を出すんだろうな、これは。原因が分かったから、そこん所の傷を癒すんだ、治すんだ、って決意したから、これからは少しマシになるといいなぁ。で、この傷ですが。持っていたのはヤサグレ人格のたかぴー。昨日全開になっていた人格さんですねぇ。真っ直ぐに向かって色々頑張って、それがどうにもならなくなって、斜めに物事を見る癖がついたんだなぁ。でも結局それも自分がこれ以上傷つかないように、守るため、の行動で。なんか本当に、自分は自分なりに頑張って生きてきたんだな、って思った。例えそれが今は、色々と足かせや障害になっていたとしても、です。ありがとう、ですね、本当に。さてこれから一緒に頑張って色々解消していこう。
2011.02.05
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本当は別の事を書きたかったんだが。現在の状況優先、ちゅーことで。まあ、ちょうど色々な反動が出て来ているのか、色々と懐疑的で冷ややかで斜め上から見ている状況は続いてました。「人格統合」についても丁度色々と思うことがあり、突き放した変な見方をし始めている矢先でもあるんですが。そんな中、ある方から先回りメールを戴きまして。それ読んだら、なんかもう完全にヤサグレ人格全開中になってしまいました。プライドに似ているけど、これはどーもそのパターンから、ヤサグレなんだよね。うーん本当に分かり難いな、自分。多分すごい気を使ったつもりなんだろうね、その人にとっては。でもそれが逆に「いきなり何訳のわからない暴走をしているの?この人??」って思っちゃったんだよね。だって本当に先回りし過ぎて、こちらの気持ちや反応を決めつけて、アドバイスまで来るんだもん。こうなると逆に怒るってないもんだねぇ。呆れるって言うのが正しいかもしれない。最初何の事を言いたいのか分からなくて、何でこんなメールをしてたんだろう、とかどういう場合に自分ならこんなの書くかな、と意図を探していて。必死になって何かしようとか、必死になってあそこを庇おうとか、保身とか、頭での反応を頑張ろうとか、そんな感じしか受けなくて。一昨日某ブログに書き込みをしたことが、どうやらかなり色々な反響があるらしく、それを納めたいのかなとか。(昨日はチェックしに行ってないんですよね~、それ)うーん、こちらの事を心配しているようで、でも何も届かないぞ~。なんだろうなぁ、コレ。って感じが近いのかも。強いて言うなら、過保護な保護者が先回りして、余計な気をまわして、何もさせないでいるような感じ、かもしれない。こういうの、私のヤサグレ人格が本当に嫌がることで。ともかくやさぐれ的な見下しというか、「ばっかじゃないの、あんた。 こっちの反応を見てから物事言わんかいっ! 気の回し方、間違ってるぞっ!!」って反応してしまった。そっからもう、完全にナナメ視線になってしまって。もうこうなったらとことんこのままでいるのもありか、と思っている。周りにメーワクかもしれないけど、こうなったら、たかぴーが納得するまでこれをやり通すしかないな。その視点で見てみると。相手を自分と同じように思いやる、ってのは大事だけど、自分と相手を混同してみる、ってのは違うんだけどなぁ。相手には相手の意思や考えがある、ってのをちょっと忘れているいないか?そもそもこちらを想いやるようで、自分の気持ちを隠して何処にあるのかな、ってのは「人格統合」をやって無い人達によく見られるパターンだけど。まさかそれをやっている人にも、同じパターンを見るとは思わなかったな。って感じになってまして。うん、皮肉屋さんで批判屋さんで、斜めに見て人を試しております。ま、これも私が私を守るために作ったパターンであるからなぁ。さてどーしたらいいのかなぁ?ってのが主人格の感覚かな。まったく。一つの滞っていた感情を解放したと思ったら、それに付随してパターンが出るもんなんだなぁあ。それだけ色々溜め込みすぎ何だな、自分。
2011.02.04
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思い立って、椿大神社まで行ってきましたw初詣、ってことで。行きしがてら、ちょっとづつ嫌~~な事がアレコレあって、なんだかな~~~~って思っていたら。駐車場が、いつもは使ってない第3駐車場まで一杯で。いや、探すの苦労した。第一が全然停めれなくて、強引にも無理で、仕方なしに第三まで引き戻ってとめたのですが。とめれて良かったと思おう、うん。そしたらちょうど節分祭の始まる時間で、境内が黒っぽいくてびっくり。とにかく本殿でご挨拶したいな~、と思っても、そこも仕切られてて、近づけなくて。そしたら出るにも出られなくなり 苦笑参加してきましたよ、豆打ち神事。そんな予定はなかったんだが。場所があまり良くなかったのか、私が鈍いのか知らないが、子袋入りの豆しか拾えなかったけど。あ、一つだけ5円玉を拾ったな。豆の他に煎餅とか餅とか、扇子とかも蒔かれてました。いや、すごいね、みんなの貰おうとするパワーが。でも一緒になって豆を拾っていると、なんかすごい楽しくなってきて、面白かったです。あ、琴欧州関も参加してましたwいや、やっぱり圧倒的にパワーが違うね、あの方は。親方の方は全然見なかったけど。終わった後に拝殿前でご挨拶しました。思うところはみんな同じみたいで、やはりご挨拶してましたね。そして椿岸神社でもご挨拶。いや、ここも並んで御挨拶しました。脇の滝でブレスを沐浴させて、それから茶室へ。今日のお菓子は節分にちなんでおたふくをかたどった御饅頭でした。上品に甘くておいしかったです。お皿は緑の四角いお皿でした。またコレクションになるなぁ。そして参道に戻ったんですが、すごい参道の空気が軽くなっていてびっくり。拝殿前にも戻ってみたのですが、人が沢山いた時のあの「重さ」がなく、すがすがしい気で満ちてました。人の出す欲の気もすごいが、それが一時間もしないうちに綺麗になるこの場所もすごいなぁと思いました。そして降りて行ったら、ちょうど新人演歌歌手の人が歌っていて。何かな~ってお思ったら、福引大会があるというので、並んで参加してみました。最期の方だったのでどうかな~って思っていたけど、余裕で引けましたね。一番最期の九等だったので、スポンジを貰って帰ってきたけど。ま、そんなもんだろう。そして下道で帰ろうとしたら、一本道を間違えて迷い(苦笑)結局東名阪で帰ってきた私。そう言えば、名古屋の方って空の色というか、空気が微妙に濁っていて変な感じだった。人が多くてあまりゆっくり、と言う感じでは無かったので、今度はゆっくりと出来る時にまた行きたいと思います。
2011.02.03
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現在、逃避癖が出てます。思いっきり逃げるんじゃなくて、逃げてないふりして逃げ続ける、ってやつ。色々理由をつけたり。怖がってみたり、辛い事なんていや~~~~っ!って叫んでみたり。下手したら、叫ぶこと無しに無意識にそうやって、物事を逃げていたり。私は辛いこと、心が痛くなるだろうことを避けて歩く癖があります。自分でやっておきながら、その結果や反応を見たがらない時もあります。もちろん逆に平然と怒ることも立ち向かうこともあるけど、「面倒」と言う理由で切り捨てたふりして逃げることもある。批判されるのが嫌と、言うのは多分プライド人格だけど。ただ単に反応が怖いというのは、悲観人格なんだろうな。それらに飲まれて右往左往しているのが現在の状況。何かどっか飲まれている。普通な平穏な主人格のふりをして、いや、その陰に巧妙に隠れているのか?逃避をいかに続けるかを画策してる自分が居る。まあ、無理するんじゃなくて、一度1・2日逃げちゃう?と言う私もいれば。そう言ってもう既に2日くらい逃げているからダメ!と留まりたがる私もいる。これは律だな~。寝ていても、やっぱりそのブレーキはかかる辺り、かなりのモノだな。そして中途半端な位置でうろうろしている。振り子幅が大きいとは言われたが、どっちつかずでうろうろするから、やけっぱちに動いて、余計に反動がでかいだけの気もするな、最近。逃避したければしていいんだよ。そう言ってみるが、それじゃダメだという私が行動を阻む。なかなか厄介な人間だな、私。そして気づいてしまう。その裏の打算やプライドや、自己正当化や、見下しや、そのほかの色々などす黒い感情に。自分の底の浅さやドロドロして醜いものが沢山ある。綺麗なふりして、表向き穏やかで、平穏で居たいという、そう言うドロドロは無かったことにしたい私が、表面化していることにも気付く。そしてそんな自分の在り方に、逃げをうとうとする私が居て、留まろうとする私もいる。そんなぐちゃぐちゃな自分を無かったことにしたいという気持ちもある。でもそんなことにならないのにも気づいて。余計に入り乱れてめちゃくちゃだ。でも逃げるってのは。何も知らない、どうしていいか分からない自分が、辛い思いをしたり、傷ついたり、苦しかったりするのを、唯一の自分を守る方法でもあったんだよね。でも今はもう、他の方法があるのが分かるよね。一緒に一つ一つ、それらをほぐして行こうね。そう、誰だかわからない私に語りかける。
2011.02.02
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久しぶりにガッツリ深く寝たせいか、朝起きたら「寝た~~~~~っ!」って感じだった。そのせいか起きた時から、何かエネルギーが変って感じた。何処か軽い感じだった。でも実際は一昨日からの風邪は治って無いし、バイト先は相変わらず厭味な人が機嫌悪くて、奴当り的に言われ放題だったし、何も変わって無いのだけど。でも何かが変っていた。自分の捉え方、見え方がまた一つ違う感じ。強いて言うなら、何処かに潜っていたのをやめて、表面に浮上したというか、何か重いモノをふるい落としたとでも言うような感じ。それまで知らず知らずのうちに、徐々に気付かないほど少しづつ何か重いモノが、付着していたのかもしれない。なんか抜けた、感があるんだよね。上手く表現できないけど。人格統合で言うならば、分裂人格乗っ取られ放題だったのが、いきなり主人格に戻ってしまった感じとでもいうのだろうか。それくらいの何か違う感じがした。そう言えば今は立春前の新月前何だよね。何かエネルギーチェンジがあるのかもしれない。
2011.02.01
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