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と、言う訳で茅田先生の新刊~♪と、言う訳でいつもの面々の話。でもやっぱりあの三人が、あの世界で活躍するとなると、やっぱりどーやっても普通じゃない色々な事が起きるんだなぁと、思ったり。これだったら、ヴァンツァーとレティシアの二人の方が、未だ常識範囲内の様な……。話としては面白かったです♪ハラハラワクワクしながら読めました。新しい登場人物も面白いと言えば、面白いけど、お約束と言えばお約束のよ―な気がするのはなぜでしょうねぇ。それでも楽しめました。で、これ一応新シリーズ、だそうで。今度こそ学園ものになると良いですねぇ、って感じかな 苦笑前回はあっちもこっちもだったから、学園モノじゃなかったですからね。今回の展開から見ると、学園ものになりそうな雰囲気ですが。あ、あくまで舞台が学園都市である、ってものにもなりそーですがw茅田先生だからな、どーなるのかな。結構イレギュラーを入れるかもしれないなぁ。まあ、それも含めて、今後のお楽しみ、って所でしょうか。次いつ出るか分かりませんけどね。
2011.07.31
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昨晩mixiの方で、住んでみたい地方のマンスリーマンションのお値段とか、家賃&間取りを調べえてメモ的に記事を書きました。まあ、大体の目安でいくらくらい必要か、というのは、今すぐじゃなくても把握しておいて、損はないよね、ってことで。そして大体どれくらいの予算があれば、自分が行動出来るかってのの、目安がついたところで終了。そしてPCを落として、寝る準備をしていたら。「お家から出たくない、何処にも行きたくない」と泣いている女の子が出て来ました。大体5~6歳くらいかな。しゃがんでぐずって泣いてました。何でお家から出たくないのかな?と聞いたら、「お家から出たら、もう戻れなくなる。おかあさんとおとうさんはもう会ってくれなくなる」と言いだしました。「一人ぼっちになって、何処も行き先が無くなる。そんなの怖いし嫌だ」そう言ってグスグスと泣き続けて居ました。今すぐじゃないよ、お家で出ても大丈夫だよ。と言っても全然聞いてくれない。そもそもこの子って、誰だろう、って思って照合していったら。自虐完璧主義の律でした。その事に私自身びっくりして、改めて律にチャネルを合わせると、相変わらずこんもりした盛り土の墓から、10センチほどの草が生えている様子しか浮かばない。でもこの女の子も律なんですよね。どうやら墓の下で見ている夢の実現化というか、欠片というか、断片というか、そう言うモノの様です。言葉にしづらいな。家を出たがらない人格が居るのは、薄々気づいていたけど、律だとは思わなかったし、そんな思いを抱えているのも気付かなかった。きれいさっぱり隠して、とにかく「こうじゃなきゃ」って自分を追い詰めて、成長しようとして居たのは、こういう不安を抱えていたからかもしれない。全然分かって無いじゃん、私。そりゃ、律に信頼されず自殺される訳だ……。それから丸一日、機会があるごとに意識を向けてみても、一人しゃがんだまま、泣いている。抱きかかえて、ああ、わかった、貴方はお家にいれば良いよ。誰も出ていけとは言わないからね。好きなだけお家にいようね。と言って慰めていたら。そこに何故かちぃが出てきて。「ねえ。一人じゃないよ。私たちも一緒だよ。それでもお家でるの駄目?」といきなり聞いたのです。するとそのちっちゃい律はその声にびっくりして、ちぃをみて、泣きやんだのです。ちぃは手を伸ばして、ちっちゃい律をナデナデしたりして、一生懸命慰めようとしているようで。チビ律はチビ律で、そんなちぃをじーーーーーーっと見ている。そして今二人は一緒にいる。居るだけで何かしてるとか言う訳じゃない。ちぃはちぃで一人遊びをしていて、チビ律が居るの見ると、にこって笑って、また遊びに戻る。チビ律はそんなちぃのそばで一緒にしゃがんで、何も言わずにじーーーーっとその様子を見ている。そしてチビ律が思い出し泣き?をしそうになると、ちぃが気付いて、ナデナデするって感じ。そう言えば、律の自殺の時に一番に動いて側に来たの、ちぃだったんですよね。花を一番に手向けたのも、芽が出てその植物の世話をしているのも、ちぃ。どうも何かあるし、何かが動いているな。ただ今の状況では、私は未だ読み解けない。しばらくまた様子見しながら、ですね。
2011.07.30
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昨日、PCを落としてから、改めて大島の着物を眺めていたら、不覚にもあまりの嬉しさに泣きそうになった。本当に傍から見たら馬鹿みたいかもしれないが、嬉しくてうれしくて仕方ない。早く秋になって、着て出かけたいって思った。そしてそれを分割で買ってしまったのだが、これのためだと思うと、仕事でも何でも頑張れるな、どんな状況もへこたれないな、って思った。強いて言うなら待望の子供ができた親の気持ちに近いかもしれない。大事なもののために、何でもできる、と言えるような感じ。多分だから子供のいる大人って、色々な意味で芯が強いんだなって思う。数年前に船井幸雄さんの著書で、好きなもの・得意なものに関わって長所を伸ばしていくと、自然と短所は改善される、って言うのを読んで、ちょっと不思議な感じを受けたが、でも確かにそうかもしれない。好きなもののためなら大変なことは大変だけど、苦労というか無理とかそういうのもあるだろうけど、そう簡単にリタイヤはしにくいだろうなって思う。好きなもの・大事なものってのは、人が踏ん張るための力になるな。そして知らず知らずに成長していくのだろう。だから何でもそうだけど、好きなものや大事なものが多い人は、芯が強いと思う。逆にちょっとした壁や躓きで、それらを簡単に放棄できるなら、それは本当に大事なもの・好きなものじゃないのかもしれない。もし簡単に放棄しても、やっぱり放棄しきれずに取り戻そうとするのが、多分本当に好きだという気持ちなのだと思う。そう言えばリラの交流会で、好きでワクワクするということは、主人格に近い気持ちだと教えてもらった。だから好きな事をする事を推奨されたのを思い出した。そしてそれは逃避じゃなくて、自分を大事にする事でもあり、パワーになるのだと。なので好きなもの大事なものを、それをする時間を自分に与えることは、大切なのだと。そうやって考えると、着物にハマる前、しばらくの間特にそうやって馬鹿みたいに好きだと思う事って無かったかもしれないな、って思う。ただこの好きでうれしくてうれしくて、という気持ちが湧きあがるのに、すごい時差があってそっちの方が困りものだと思った。あまりに嬉しすぎて、逆にストッパーがかかったかなぁ。なんでもかんでも抑圧しないように、気をつけないと。ストレートに気持ちを感じるのが、意外に難しくて、びっくりする。抑圧が癖になっていて、自分の気持ちが直ぐに分からない。少しづつ外していけたらいいと思う。
2011.07.29
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今日はあっちこっち着物屋さんを散策しましたwなので、Tシャツジーパン姿wやっぱり機動力大事なので。まず大須骨董市。色々あって、あちこち見ました。500円均一で帯や着物を打っているところがあって、そこの大島風羽織と銘仙が気になったのだが。そしたらおばさんが、横から「それいいわねぇ」と言って、サクッと持って買って行ってしまった 笑人が掘り出したモノをwwま、御縁がなかったのね。その後にバイト先の新人さんがお勧めしてくれた着物屋さん「僕らのゆめ」へ。こっちは新作作家もの(と言っても若手)がメイン。モダン系、かな。そこで帯締めで、なんか良い感じの色合いのものがあったので、買ってしまいました。紫の袷の小紋に合いそうだったのだ。その次に「くるり」という着物屋さんへ。リサイクルとかある、とHPにあったので、どんなかんじかなぁと。エレベーター降りたら店内でちょっとびっくり。小さいビルだからね。そこでいろいろ見せてもらって、竹麻の着物がちょいと気になったかな。羽織らせてもらって、これがまたいい感じなのだ。そこでは綿絽の浴衣が気になったかな。一見浴衣に見えないところが、とっても良い感じ。ただL寸が無かったから、取りあえず考えますって感じで辞去してきました。次に名鉄百貨店でやっている、大呉座の市へ。リサイクル着物があるって言うから、見に行った、ら。何故かフツーに売っているお店に引っ掛かった私。店員のおねーさん(大阪人)がとっても気さくで、入りやすかったのだ。それに大島があったんだもん。見てみたいじゃん、目の保養に 笑本当は単衣があるか見に行ったのだけど、結局そーじゃないものを勧められた。すごい有名(らしい)な作家さんの小紋が結構いい感じだった。でもその作家ものも素敵だったが、やっぱり大島がすごい良くて、袷だけど。リサイクルじゃなくて、このお値段はかなりお買い得、ってかんじで。んで、買ってしまった……。いや、分割ですけどね。さすがに一括じゃ変えないwその分お値段引いてもらった。時期が来たら着倒すぞ~♪バイト頑張るぞ~~♪って気持ちになったから、すごい私にとってはOKなのでした。んで、そこの帯とか帯上げ&帯締めをコーディネイトしてくれた会社顧問をやっている方が実は役者さんなのだとか。うーん、すげー。機会があったら見に行きたいかな。そんな感じで帰ってきましたw…………………………当面着物見に行くの止めよう。せめて分割半分終わってから、だな。良いものがあると買いたくなるから。
2011.07.28
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昨晩、マイミクさんとのやり取りのお返事をよんで、自分の反応のおかしさに気付きました。おかしい、というよりもあまりにも反応がなさ過ぎて、我ながら不思議というか、大丈夫か??変な自分で気づいていないカルマの噴き出しにハマって無いか?って疑問が湧いたのです。一週間ほど前に、プライド人格の貴夜ちゃんの根っ子の主張を受け入れてから、なんかプライド人格が不活性気味なんですよね。それこそ大半を占めているカルマなので、100%無くなるってことはない。残念ながら。そんな中メインで出てきているのが、アネゴのねねとヤサグレのゆい。アネゴのねねが出てくると、人の世話焼きたがるカルマがある。貴夜美が裏で糸を引いていると、上から目線だけど、居ないとまたおせっかいの質が違う。心配で心配で心配で、「大丈夫?大丈夫?」って感じでつい口が出るので、鬱陶しがられるタイプですね。そーゆー時に「プライドカルマでっ!」と怒られても、なんか訳分からんこと言ってるな~、大丈夫かな~、としか思わない。うん、反発が起きないので、スルーするね。ヤサグレのゆいもプライドカルマあるけど、こっちは物事が斜めに見る視点。ふーん、だから何?それでどーした?分かっている風に言うけど本当はどうなの?馬鹿じゃん?っていう、十代特有の視点そのもの。悉くこれが出ると、結構我ながら、呆れかえるんだけど。で、昨晩の反応はこの二つとはまた違っていて、もちろん今までのプライドの反応とも違っていて。プライドカルマ噴き出し後の、主人格の意識に近い感じで、でもちょっとそれとは違う感覚で。それが分からんくてずーっとなんだろう~、と探っていた。思わず人格一人ひとりの特徴を感じながら、その反応エネルギーをすり合わせていって。一つが夢見良い子の現実拒否の麻痺した感覚だと判明。ヤサグレの感性で、良い子等のの感性を嫌いだって伝えたら、こちらのプライドが嫌いだと言われ。まあ、別にそれは良いんですけど。何でプライドへの嫌悪を夢見良い子がショック受けるかなぁ~~~、ってそれがまた疑問で。そこをずーっと掘り下げて行ったら、ふつふつと怒りがあって。プライドへの嫌悪に対してではなく、平然と私の好きな事を逃避だと侮辱した事に対しての、怒りがずーっとハートの当たりでもやもやしていた。どうやら怒りを抑圧させるために、良い子が感覚をマヒさせたみたいです。怒りをマヒで抑圧させてどーするよ?って見て言ったら、貴夜美が「こんな分かって無い奴に怒るなんて、私のプライドが許さないっ!」という静かな深~~~~い怒り(抑圧)を抱いていて。ここまで来るとプライドなのか誇りなのか分からんくて、ついスクール生に聞いて見たくなる。ただ貴夜ちゃんが裏で糸引いて、ショック麻痺状態を作り出していたってことに気づいたのだけど。ただちゃんと怒りを現わせない辺り、やっぱり歪みなのは歴然で。おかしい、私は怒りはちゃんと表現していたつもりなんだが、全然表現できていなかったのか。では今まで表現できてると思っていた「怒り」って何だっただろう。って疑問が湧いた。ただこうやって見ていけるようになると、本当に自分の精神システムの歪みっぷりに、びっくりする。よくこれでまともだと思って、生きてきたな、自分。
2011.07.27
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人格統合をやっていると、抑圧していた気持ちを相手に伝える、というワークを勧める(勧められる)事がある。これって実は「絶対」じゃないんですよね。でも結構ワークを進められると、それは絶対にやって失敗しちゃいけない、って思う人が多いみたいです。違うんですが。しかも失敗の定義が絶対的に違うので、とにかく行動出来たら成功だったりします。結果はどうあれ。怖いとか色々と感情が上って来て、どうしても身動きが取れなくなっちゃうような人には、まず伝えなくて良いから、紙やPCなどで、書いて自分の中から出すことを勧めます。そうしたら自分の中の混乱(している事が結構多い)が納まるし、エネルギー的にも冷静に伝える事が出来るようになる。(私が結構良くやっている方法だったり)ただ、人格統合の準備ができてない人は、このワークを聞いた途端「何でそんなことしなくちゃいけないんですか~~~~っ」って怒ってくる事がある。結構、抑圧良い子人格を大きく持っている人は、そう言う拒否反応が起きる見たいです。表面的に穏やかにして自分は全てのドロドロを受け入れて、学びが終わったつもりみたいで、何かやることによって、波風が立つのを嫌っているだけな人は、結局何の課題も越えてないし、クリアもしてない事が多いみたいです。内面恨みつらみが渦巻いたままで居たい人は、別にそう言うことはやらなくても良いし、それはそれでずーっと怨念を抱けばいいので、私はそう言う人は放置しちゃうんですけど。「そんな嫌われる事や悲しませることしたくないから、やらない」って言う人もいる。でもそれって結局相手の都合の良い自分を演じ続けているだけで、本当の自分は受け入れられてないのだけど、それでいいのだろうか。もちろんそれでいい人はそのまま生きていけばいい。ただそうなると相手のために作った自分と、本来の自分が分裂したまま、なんですよね。統合されることは、まずない。別の見方をすると、信頼していた人の姿が、嘘偽りで、自分に対してのみそうしていると分かったら、どう感じるか、なんですよね。私は嫌だな。どんなに嫌な人でも真っ直ぐに本心を言ってくれる人を信頼する。自分に都合のいい人であれば、相手がどんな人でもいいなら自分もそうして生きればいい。それが嫌で本当の意味で誠実で曝け出して欲しければ、自分も本来の自分を曝け出した方が良い。結局自分がどうありたいか、なんですよね。でも意外と人は、他人の本心などどうでもよくて知ら無いまま、自分に都合の良い役割を演じる事だけを要求してる人が多い気がします。それが一昔前に流行った「KY」という言葉に現れているのかなって思います。KYの何がいけないのだろうか。抑圧しあって、自分が本音を抑圧しているから他人も本音を抑圧するべきだ、というならば、それこそ傲慢以外の何物でもないような気がします。自分がやりたいなら、他人の強要する必要などないし、自分がやりたくないなら、やらなければいい。それが出来ないからと言って、他人を巻き込む事だけはやめて欲しいかな。本心を抑圧するってのは、ある意味自分を大事にしてない、蔑ろにしている事に繋がる。それで本当に良いのかな。私は嫌だぞ。だから自分を貫こうと真っ直ぐに向き合おうと、頑張っている。時々ヘタれるけどね。
2011.07.26
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午前中に、ブログに書こうと思っていた人格統合に関する事があった。けど今思い出せない。こーゆーのは意外にタイミングがあるので、書く時期じゃないだけかなぁと思ってみた。帰りに呉服屋さんを覗いてみた。ここは無地系が殆どで、帯で遊ぶスタイルを提案しているとか。…………………、いや、あまりそーゆーのを好まないので、テキトーに反物だけ見せてもらって、帰ってきたが。やっぱり着物に関しては趣味に合うか合わないかはすごい影響あるなぁ。無地系のものより、柄モノの方が私は好きだなぁ。それに合わせて帯もアレコレ選ぶのが楽しいのだ。そう言えばバーゲンシーズンもそろそろ終わりだが、何も買ってないのに気付いた。で、何か欲しいか、と自分に問いかけても特に欲しいものが浮かんでこない。我慢している、という訳じゃなくて、バーゲン見ても欲しいと思うモノがない。それにバーゲンで服買うお金があったら、良い着物を探して買う方が良いなぁ、小物を色々合わせてみるのが良いなぁって思う。しいて言うなら着物にあるかばんが欲しいくらいか。この間安い所で買ったら、数回の仕様で取っ手が壊れて外れてしまったからね。それに買い物するより、着物を着てあちこち散策した方が楽しいと思う。結局また違うステージに来ちゃったんだなぁと、つくづく。最近スピ系のブログを読むと、「ふーん」で終わる事が多い。なんかね、あまり実感できないのだ、そこに書かれている事が。何処か絵空事っぽくて、「そう、良かったね」としか思えない。多分書いている人達のチューニングしている現実と、私のチューニングしている現実の波動数が違うんだと思う。良いとか悪いとか、優れているとか劣っているとか、正しいとか間違っているとか、そう言う話じゃなく、ただ違うんだなと思う。どんどんこのずれは大きくなる一方だ。逆に同じスピ系の話でも、かなりしっくりくるものもそれなりにある。まあ、いわゆる狼系の人なんですけど。やっぱり根元がゴン太の人の話がとても染み入りやすいかなぁ。他の人がこういっているから、こういう流れがあるみたいだから、というよりご自分で動かれて実感している人達の話が、とてもよく分かる。浮遊している系の方のは、やっぱりなんか弱いなって感じがする。現実に根付く力が弱いと、届かない。と思う。以上徒然でした。
2011.07.25
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一昨日の休みの日に、ついうっかり(笑)着物屋さんによって、反物を観てしまった。結構色々と着物小物がお安いお店なんですが、反物も結構お安いんですねぇ。改めてみてびっくりした。大島紬もあったのですが、それよりもすごいな~~って思ったのが、塩沢紬と牛首紬。なーんかいいなあってみていたのですが、お値段が塩沢は大体バイト代の1.3か月のお値段。いや、きれ―でしたよwただし白地ってのがちょっと……。粗忽者の私は、せっかくのきものをあっちゅうまに汚すに違いない 苦笑。広げてみて思わず鳥肌が立ったのが牛首紬。こちらはバイト代2カ月分……。ちなみに参考上代ってのもあったのですが、まあそれだったら絶対に手が出ないですね 笑それに御仕立て代がどれくらいになるか、聞いてくれば良かったかも。出来るだけ現金払いの方が、歓迎されるお店なので、やっぱりちょっと色々と聞けなかったし、思い切って買う気にもならんかった 苦笑大島紬の良いモノがほしい、と思っていたが、こーゆーものを観ると、大島以外の良い紬も欲しいなあって思ってしまう。牛首紬はホントーにすごい良いなぁって感じです。是非一つ欲しいなぁ、リサイクルでもいいから(それでも高いけど)こうやって目を肥やしていくと、だんだん買うモノが高くなるんだな 笑元から割と高めのものを買いやすいんだけど。今度の大須骨董市とデパートの着物の催事にかけてみるかな 苦笑まあ、牛首は無理だろうけど、何かあると良いなぁ。
2011.07.24
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人格統合に関する誤解は沢山ある。自分で本を読んで勝手に解釈していて、後で勉強会などで違うんだと分かったことは、山ほどある。本当に今までの知識経験から、言葉を勝手に都合の良いように、もしくは勝手にすごい難解な、修業的ものにしてしまうモノだな、って感じる。その解釈の仕方自体が、それぞれの思考カルマだったりする。人格統合で、よくカルマの垂れ流しは駄目だ、と言われる。なので自分で理想像を作って、勝手に自分を縛って、人格の主張を聞きながら受け入れず却下して、結果として余計な抑圧をしている人が偶にいる。正確には垂れ流しに気づかないのが駄目だ、ってことなのですが。でもこれはもう癖で自分では「垂れ流し」だと気付かない事が多い。その為最初は他人の指摘や視点が必要になってくる。これが受け入れられないと、そこで頭打ちになってしまうのですが。垂れ流しや、やっている事に毎度気付き続けて、そして人格と話しあって、だんだんとそれから抜け出すってのが殆どの場合の過程です。なので一回気付いたら終わり、じゃないのです。何度でも気づいて、何度でもやり直す。どうしてもそこから抜け出せない場合は長期戦になる事もあるし、噴き出しが起きて急に抜け出すこともある。そして抜け出したと思ったら、結局何もわかって無いようなカルマの行動をして、引きずり戻される事もある。あと、最近聞いたのは、「カルマの垂れ流しをすることも大切なプロセスの一つ」という事。なんじゃそれ、前と言っている事も違うじゃん、と思う人もいるかもしれない。でもカルマを垂れ流して、それを他人に受け入れてもらう、というのが大事になってくるのは、その分裂人格の正直な気持ちを他人に肯定してもらうことによって、人格自身の気が済んで、自ら気付いて変ろうと思う事があるからです。いや、殆どその過程を通るのだけど。何でもかんでも自分で自分にOKを出して、肯定していけば大丈夫、というのはある意味正しいが、同時に危ない幻想でもあるのです。自分の根っこが、幼少期の親の否定によってぐらついている場合、自己肯定してもどこか不安定で、とんでもない崩壊をする場合もあるし、時には妄想世界へ現実逃避にしかならない事もある。バランスが取れない危険性があります。カルマを垂れ流す → 仲間に受け入れてもらいつつ、指摘を受ける → 自らも受け入れる → 自ら気付くようになる → 行動するようになる → カルマ改善という過程があるのかな。大抵の場合、無意識のカルマの垂れ流し → 指摘される → 自己弁護および責任転嫁、またはそのカルマを受け入れない という過程で頭打ちになることは、お約束的な落とし穴かもしれない。この場合頭打ちになっている事すら気付かず、順調に進んでいると思っている事も結構ある。それこそ歪んだ幻想妄想の世界に入っている、と言って構わないと思う。その場合、荒治療を受けて大いに反省して改善するか、もしくはリタイヤするかのどっちかしか道がない、様です。それでもあきらめなければ、それに気づいて抜け出せる事もある。結局やり続けることが大切なのかな。そして自分の愚かさや醜さを心底嫌気がさすほど、実感する必要もあるのかもしれない。取りあえず最近思う事。
2011.07.23
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ここ2・3日プライド人格の貴夜美に乗っ取られ気味で、主人格になかなか戻れなかった。昨日もちょっとあって、mixiのコメントお返事がかけずにいた。貴夜美が表面化しているのは、分かっていたのだが、どうにもできないでいた。昨晩お風呂に入る時、ふと勉強会で「リラでは分裂人格の本当の気持ちを出すと、褒められるんだよ」って言う話を思い出した。なのでふと貴夜美に心の中で話しかけた。貴夜美は偉いよね、ちゃんと自分の気持ちを表現できるんだよね。隠そうとせずちゃんと態度で表せるんだからすごいよね。貴方がムカついて当然だよね。何もわかって無いくせに分かったふりして書かれたら。自分で何も掴んでないくせに、掴んでいると勘違いしてるしね。後から人格統合始めたくせに分かっているふりされたら、ムカ付くのも当然だし、先を越されたら余計に悔しくて、足を引きずり降ろしたくなるよね。そう言ったら、いきなり涙腺が壊れた。どうしようもなく泣けて来て、風呂の中で泣いて泣いて泣きまくった。そんな最中でも心の中は冷静に、貴夜美の気持ちを全面肯定した。そして気付いた。ああ、そうか、ちゃんと自分の気持ちを認めて欲しかったんだ。悔しいとか悲しいとかムカツクとか、そう言うをまず認めて欲しかったんだ。まずは認めてくれて、そしてどうしたらいいか教えて欲しかったんだ。行動だけでなく自分の気持ちや感じた事さえも否定されて、人として扱ってもらえなくて、ずっと悔しくて悲しかったんだ。プライド人格の貴夜美はプライドカルマってだけで否定されて、駄目出しして欲しくなかったんだ。ずっとずっとその奥底の気持ちを認めて欲しかったんだ。プライドカルマな行動をしてしまう、その前のモノを否定して欲しくなかったんだ。幼い頃は、母親の思い描く「よい子」の枠からはみ出る行動をしただけで、全て否定された。気持はもちろん人格も人としても否定された。それが嫌で仕方なかった。まずは気持ちを聞いて欲しい、認めて欲しい。そしてどうして行けばいいのか、何が良くて何が悪かったのか、教えて欲しかった。ああ、そう思っていたのは、貴夜美だったんだなぁ。ずっと誰がそう感じているのか、分からずでもその想いに長い事縛られていた。貴夜美にチャネルを合わせると、私(主人格?)に抱きついて、わんわんと泣いていた。私も彼女をぎゅっと抱きしめていた。ここまできてようやく気付いたのだが、主人格は分裂人格の気持ちを否定しちゃいけないんだ。「味方になって肯定し続ける」必要があるんだな、と当たり前の事がようやく腑に落ちた。そして気持ちや心や主張を肯定しつつも、人として誤った行動は消して許しちゃいけないんだな。受け入れながら許さない、ってこういうことなんだな。でもそれらをされた事が殆どないから、どうして良いのか分からなかった。自分が求めていた事と、貴夜美が求めていた事が一致せず、親の様にまず否定してしまった。そして次に全てを許してしまい過ぎて、人としてまずい事となった。そしてまた貴夜美の行動に神経をとがらせ、気持がわかると口だけ言いながら、否定しまくった。そら、貴夜ちゃんと信頼なんて築けないな。私がやったことは全部、嫌な親にされたことと同じなんだもの。信頼なんてしてない人と同じ事したら、信頼されないのは当然だよな。貴夜美の悔しい気持や劣等感から中身のない虚栄心を振りかざしていて、それを虚栄心じゃない本物にしようと頑張っていたのは、律だった。そして頑張り過ぎて自殺した。その事に気づいたので、泣きやみ始めた頃に貴夜美に伝えた。貴方の虚栄心を支えていたのは律なんだよ、と。そしたら貴夜美はうろたえていた。その律が自殺していない以上、自分でどうしたらいいか分からない、と。中身のないものが嫌ならば、貴夜美本人が頑張るしかないでしょ。今まで甘えて頑張ってもらった分、自分で頑張るしかないよ。大丈夫だよ、一人じゃないから、一緒に頑張ってみよう。そう聞いたら、泣きながら頷いた。しばらくして貴夜美は泣き疲れて主人格の膝の上で寝てしまった。なんか不思議な感じだった。ふと気になって律のお墓にチャネルを合わせたら、何故かそこから植物の芽が出てきて、二葉になっていた。それが何を現すのかまだ解明できないけど、少しづつ何かが起きてるのは分かった。この芽が一体どうなるのか、やっぱり見守っていきたい、と思う。
2011.07.22
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着物着て 笑本当は朝11時20分の回を観たかったのだが、着付けに時間がかかり結局着いたのが11時半。なので次の13時40分の回を観て来ました。着付けというか、その前準備に時間がかかったんだな。着付け自体は20分くらい、だと思う。映画館はチケット売り場は結構な人数でした。レディースディなのもあったからかな?まあ、でもあっさりチケットは買えたので、まずはお昼を食べに行き、それから時間つぶしてぷらぷら。久しぶりにウィンドウショッピングしたなぁ。入場時間になって、入ったら小冊子(ハガレン11.5巻)を戴きました。って、小冊子つきだったのね。知らんかった 笑これの漫画部分は先に読む事をお勧めしますw設定の方は、後からでも問題ないなぁ。で、映画の感想は。ネタばれはしないように言うならば、面白かったです~♪まあ、ハガレンの世界+α全開って感じかねぇ。色々と突っ込みどころはあるんだけど。部族独立の色々な辺りとか、もうちょっと駐在の部隊についてとか、いろいろ。もうちょっと硬派な映画になるかと思っていたら、全然だったなぁ。アニメだから、そんなもんか??ちなみに私はOPの曲が結構好きかなぁ。それが終わってから、某デパートでやっている日本職人展に行ってみたら。思わず柘植の帯止めが欲しくなった。下駄も欲しくなった。麻の着物もww危ないなぁ。その後はふらふらと着物売り場を見たりして。時期的に浴衣が多くてつまらんかった ←そしてクリスビードーナツによってw限定ドーナツを食べて帰ったのでした。今日はわりと涼しめだったのか、あまり汗は書かなかったです。それとも紗の着物だからか?また着てお出かけしたいですwちなみに映画はあとは「デンデラ」が気になっている。「コクリコ坂から」は見ないかもしれないな。
2011.07.21
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出来て当然、と思っている意識がある。多分プライドの貴夜美の思考なのだが。基本的に自分が出来ない事を自覚してる人、出来ないと私が分かっている時には、その意識はあまり働かない。アネゴのねねが出てきて、アレコレと世話をしたがって過干渉気味になる。ただ、相手が当然出来るものだと思いこんでいる時は、この意識が出てくる。そして出来ないと冷ややかに、冷たくキツい言葉でアレコレと指示を出す。でもアネゴの意識の時にも冷たくキツイ感情の無い言葉を発することがある。つい構ってしまうが、その言葉は感情が抜けおちる分、冷たいと思われるようだ。その実、目的を見据えると周りへの気遣いが無くなるらしく、人を人として扱ってないようで、冷たい言い方になる。そしてやって当然、出来て当然、という感じの接し方になる。これ、やっぱり上から目線というか周りにそれを押し付ける辺り、プライド人格だと思う。ただ人の面倒をみたい、気になるという点はアネゴだと思うので、コラボしている模様。もちろんやるのが当然でない、出来るのが当然でない、と思っている意識もあって、周りに感謝して行う人格もいる。ただこれはどうせ周りの人は出来ないものだ、やってくれないものだ、という意識が底にあるので、やはり主人格じゃないみたいな感じ。そうなるとこれはヤサグレ人格になるようだ。出来て当然の意識は、やっぱりそれだけ努力している、という自負もある。出来るように頑張るのが当然、とも思っている。そうじゃないということは、理解できない。甘えている、努力が足らない、そう感じてしまう。確かにそう言う人もいるよね、でもそうじゃない人もいるんだよ、と伝え続けないとダメなんだろうな。それが主人格の役割だよね、本来は。今書いていて気付いたのだが、そうやって貴夜美が理想論をぶちまけると、必死になってそれの下支えをした居たのが律なんだな、って思う。貴夜美と律がその関係をちゃんと分かって、そしてお互いの認識をしないとダメなんだな。それがうまくいかなかったから、律が自殺したんだな、って思う。
2011.07.20
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なんかごっちゃになって来たので、人格の整理。リリ子<夢見良い子人格> 全てが上手くいっているという陶酔の中で生きている。 自分が一番いい子だと思い込んで、何も不満や不平など無いと考えている。 そしていい子の規範通りの行動を好むため、それ以外の事に動揺し逃避しやすい。 その分軽薄で、逃避が強い。貴夜美<プライド人格> 文字通りプライドが強い。 ただしそれは自分の自己卑下や劣等感を隠すために行っている。 だが、そのみっともない事実を見つめたがらず、アレコレ柵を巡らしている、が、結構ぼろが出やすい。ちぃ<さみしんぼ人格> 3歳くらいで、親の虐待に泣いていた。 だが母親に愛されてくて仕方無いのだが、何をしていいのか分からない。 最近は少しづつ明るくなってきている、が、親に嫌われているという寂しさを抱えているため、つい誰かを求めてしまう。ひな<悲観人格> 7歳くらいで、親からの否定に傷ついて、自分なんてと思い込んでいる。 自分の欲求を表現することが苦手で、誰にも受け入れられないと思っている。 現在、浮島に逃避中。律<自虐完璧主義人格> 全てにおいて「良い子」や自分の「理想」に対して強迫観念的に“やらなきゃ”と思いこんでしまう人格。 自己卑下や劣等感が強く、それを解消する為になんとかしたがって、理想を追い求めていた。 そして頑張り過ぎて疲れていても、怖くて休めなくなっていた。 現在自殺して墓の下にいる。 貴夜美の対の人格。ゆい<ヤサグレ人格> 律のがんばりやリリ子の良い子をやることに反発して出てきた。 大抵の真面目な事や、良い子の行動を「下らない」と馬鹿にしている。 投げやりで、自分の趣味の事以外に関心がない。 楽観的でありながら無責任な一面もある。 チャイルド人格達の部屋の片隅に居る。きぃ<怒り人格> 筋を通したり自分の正義のために怒る人格。 一時期チャイルド人格達の部屋の片隅にいたが、現在は不明。ねね<アネゴ人格> 誰かれ構わず面倒を見たがる人格。 大半が自分が役に立っている、という自己満足のために動く。 困っている人や間違っている人を放っておけない。 ありがとうと言われることで、すごい幸せ感を感じる。 また「すごいでしょ~」と何かを見せびらかすのも好きで、人の上に立つ事を好む。 ただし重荷を背負う事を嫌うので、子分たちなど要らず、孤立している事が多い。 といった感じで8人か……。現在ヤサグレのゆいとプライドの貴夜美が何となく似ているような気がしてきた。なので、ここのあたりを掘り下げていく必要があるように感じる。ふと思ったのだが。分からない事を分からないまま、取りあえず観察というかたちにしている事が多いが、それは自分が見たくないと思っている、分かりたくないと思っているのかもしれない、と思った。ハッキリさせると見たくないものが見えてくる、のかもしれない。そうして人格が邪魔をしている可能性もある。主人格はそこをもうちょっと知りたがって、追求する必要があるのだと思う。まあ、醜い私も堕ちた私も私なんだから、出来るだけ受け入れるつもりでいるのだけど。でも自分の醜さを見たくないってのは、確実にある。特にリリ子とねねと貴夜美が出てると、特にその自分のみっともなさを受け入れ難く感じる。指摘されたくない、隠したい、っていう気持ちが出てくる。んなこと言ってもそれが自分なんだから、仕方ないじゃん、っていう私ももちろんいる。どうせなら曝け出して、指摘されて自分というモノをもっと知った方が良いんじゃないかって思う。そもそも自分の底なんてたかが知れているしねぇ、っても思う。たぶんここは主人格な思考に近い、ように感じる。未だまだちゃんと区別がつかない辺り、色々と甘いんだろうな、って思う。そうやってあやふやにしておけば、逃げれるという甘えもある。何時までも逃げていられないと思うんだけど、ね。
2011.07.19
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先週の勉強会で、親との関係などで色々な話を聞いてもらっていた。「~~~~~~って、復讐したいでしょ。そう言ってやれば」と元6期生の方に指摘された。それは私の中で上手く形にならなくて、でも切望していたモノだった。それが分かって、すごいなんか安心というか、納得したものがあった。でも同時にビビって固まった子がいた。一人がリリ子で、「親にそんな事を言うなんてっ!」と卒倒しそうだった。彼女には親に酷い事をしてはいけない、という思い込みがあった。ねねもそんな事をやるのはありえない、と思っていた。自分を愛することに反する事をするなんて、と。そしてプライドの貴夜美は、「自分をそんなみっともない状態に置くなんて、許せないっ!」と怒った。ヤサグレのゆいはその提案に大喜びし、律もやれるならやりたいって思っていた。出てけという割には、出ていこうとすると人非人扱いする親に対して、「そんなに家にいて欲しければ、いてやる。 その代り私のやりたい事をやらせて、何も邪魔はしないでよ。 その為の資金も出してよ。 貴方達が私に家にいて欲しいんでしょ?それくらいして当然でしょ。 そもそもこんなふうに育てたのはあなたたちでしょ。 その責任を取って、そこまで面倒見たらどう?」て、言う復讐を。でもさ、本当に家から出るな、でも自立しろ。家にいるからには居候だから親に意見をいうな、って方が非常識だと思うんだよね。家から出るなって言っておきながら、何でそこまで服従を強いられなきゃいけない訳なんだろうね。ただ単に自分の不安と自己満足の材料にしか、子供の事を思ってないよね。だからそれを聞いて、喜んだけど、同時に不安にかられた。さみしんぼはそもそも親から離れることに、すごい不安を抱いていて、念が切れてもう二度と会えなくなる、って勢いでいる。プライドは見下す相手が居なくなるのを、自分が甘えているのを付きつけられるのが怖くて、足を踏み出せない。よい子やアネゴは、そもそも親を「捨てる」事に異常な罪悪感をかられている。そんな感じで結局表にも行動にも出せずに、不発で終わっている。でもいつかやってやりたい、と思う自分もいる。人としてどうこう、という以前に、ちゃんともっと自分で自分の欲求を抑圧せずに、行動出来ていればよかったのかもしれないと思う。今からでも遅くないのかもしれない。誰かのせいにするのでなく、いい訳をして良い子に思われる必要もない。自分が本当に望通りの行動を。それを最近強く感じる。
2011.07.18
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昨日ようやく気付いたのだが、何故かアネゴ人格のねねのことをさっぱりと忘れていた。自覚したばかりで忘れる、となるとべったり張り付いているか、そもそもアネゴ人格などいないというか、どちらかの気もするけど。ただ昨日書いたリリ子の行動は実は結構疑問点だらけなのだったりする。何も問題なく日々過ごしているんだ、と思いたがってるのに、わざわざ自殺現場にくるかなぁとか、彼女のために涙流すかなぁとか。その後近寄らないってのも変だなぁとか。もしあれがアネゴ人格ねねだとしたら、つじつま合うんだよねぇ。そうなると夢見良い子のリリ子だと思っていた行動を、一から見直す必要があるのかもしれないな。もっともっと冷静に自分を見なくちゃいけないのかもしれないな。律は完全に今は眠りに入った感じがちょっとする。本当に疲れていたんだなぁ。その代わりをするのがアネゴかプライドかヤサグレなのか、よく分からないけど、やっぱりどこか責任感とか、物事の一貫性の欠如を感じる。ここを育てていく必要があるなあと、しみじみと思う。それはさておき。アネゴと夢見良い子はやっぱり表裏一体な感じもする。でも違うのは夢見良い子のリリ子は、自己完結をしていて、他人をあまり必要としない。アネゴのねねは、他人と関わることで自分の価値観を補強する。他人の助けになる事、他人が成長することを喜ぶけど、同時に依存されるのは嫌いで仕方がない。重荷を負うのは嫌いだしね。自己顕示力はあるな。なので人の上に立つ位置や責任のある事は結構好きかな。やっぱりそうなると、アネゴ人格は居るか~。ただ子分が要らない辺り、孤立アネゴだねぇ。似ている、と思っていたけど、こうやって一個一個見ていくと、やっぱり似てないのかも。どちらにしても、こっちもコミュニケーションとりつつ、様子見、かな。
2011.07.17
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昨日の続き。律の自殺、ですが、しばらく私自身もなんか気分的に堕ちた。何せ頭と胸がつぶれる感触がありましたから。どーん、として気持ちになりました。実際チャネルを合わせると胸から上がつぶれた死体がありまして。その手を握って思わずポロポロとなく私も感じていて。これで楽になったのなら良かったよね、って思ってもいて。その後これが本当に良かった事なのかどうなのか、分からなくなってしまったんですね。あの時は「生きていて」というのが本当に空しい絵空事にしか、思えなかった。律の苦しさは自分が感じてきた生き苦しさだったし。もし本当に死ぬことで解放されるなら、それも選択肢の一つとしてありだと思ったのも確か。どんなに言い聞かせても、生きている限り自分を責める事を止めたいのに辞められない苦しさは、なんともし難かった。私(主人格?)は逃避したが、律は逃避出来ずに苦しんだ。ならばあとは全部主人格が何とかするから、大丈夫だよ、と言ったら、安心して律は飛びおりて死んだ。しばらくして、私の選択が正しかったかどうか、不安になって呆然とした。「人格統合」の本の一節が思い浮かんだからだ。思わずしばらく自分の状態を検討してみた。律が居なくなる事で生じる問題があったなら、それは全部私(主人格)がなんとかする問題だし、もうそれを受け入れてなんとかする気でいた。だから大丈夫だ、といった私は、やっぱり主人格だっと思う。その後しばらくして、自殺させてしまった事に対する動揺や泣いたことは、主人格じゃないみたいだった。一番心当たりのあるのは夢見良い子のリリ子。彼女が乗っ取って、これで良かったのか、周りから責められないかとか、そんな事を気にしていた。うん、律の事より自己保身に走っちゃったな。でも泣く事自体は悪い事じゃない、と思ってしばらくぽろぽろ泣いていた。思わず縁の深い天使やセミハイヤーを呼び出して、愚痴を聞かせてしまった。彼らは私の頭を優しくぽんぽんと叩いて、何も言わなかった。そうして落ち着いてから、上半身つぶれた律に意識を合わせたら、律は解放感で晴れ晴れとしていた。どちらかと言ったら、嬉しくて仕方がないって感じで。こんな状態にならないと、自ら縛る鎖から解放出来ない状態だった律に対して、そこまで追いつめていた事に、ショックを受けて落ち込んだ。ただ、この半壊の遺体のまま、道路の上に置いておくのもどーかと思ったので、そのまま全部まとめて、分裂人格達の居るロッジの居間に運んで、長椅子に置いた。その姿を見て「うえ、みっともない」とほざいたのは貴夜美。思わず条件反射的に、頭をはたいてしまった。「てめー、んなこと言える人間かっ!!恥を知れっ!! そもそも律は貴方の片割れでしょっ!そんな見離した言い方ないでしょっ!」って怒鳴りつけてしまった。暫く貴夜っちは反省していたみたいだった。そのやり取りの間に居間に入ってきた子がいた。ちぃだった。屋根裏の子供部屋から外はともかく、他の部屋に行こうとしない彼女がやって来て、半壊の律のそばに来て、不思議そうに彼女を見ていた。私はここで何でちぃが動くのかが良く分からなかった。ただ側に来て寄り添っていた。他の人格たちは、と言ったらやっぱりリリ子は近寄ろうとせず、ゆいはどこ吹く風、きぃは分からず、ひなは相変わらず逃避中。他に動く子がいないのが分かり、尚更分からなくなった。そして意識を戻すと、いつの間にか律は貴夜美の手によって、庭に埋められていた。シャベルを持っているのが貴夜美だったから、多分そうなのだろう。こんもりとした土の山の上に、幅10センチ長さ40センチの木の切れ端を挿しただけの簡易なお墓。そこにちぃが御花を供えていた。リリ子も来て、御花を置いて行った。「これで良いでしょ」と貴夜美がちょっと不満げな苛ただしいような顔して言った。一々手間をかけさせるな、とでも言いたげな様子だった。思わずため息が出た。なんか違うと思ったが、上手く説明できなかった。庭に葬られた律は、それこそ嬉しそうだった。こんな状態で何をしろと言われる事がないし、自分でしなきゃいけないって思って動かずに済む、と思っているが分かった。取りあえずこんな状態で、しばらく様子見になってしまった。現実の影響として、妙に責任感を持って自分を責め立てる気持ちは半減したな。ただやらなきゃいけない事を、気持優先でやりたがらないって辺りに生活に支障がありそうな感じ。ま、仕方ない。それは自分でなんとかしないとね。
2011.07.16
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休みの日なので、一通りの掃除洗濯が終わった後、だらだらとしてみた。先週の勉強会で疲れている人格がいるよね、という指摘を受けたので、まあその子のために夕飯などの買い物に行くまでの間だけでも、何もせずに寝てるか~、って思ったのです。が。1時間位はダラっと寝てられるけど、ぼーっとしてるとなんかしたくなってしまう。なので、思いついたことはやってみたりして。うん、でもこれも「やらなきゃ」って思った事じゃなくて「やりたい」だから、まあ良いかなと。本当はやらなきゃいけないことはあったのだが、なんか「やだ」という気持ちもあったので、そちらの方を優先してみた。でも意外と落ち着かない感じもあって、何もせずに休むの苦手だなぁ~~~って思いました。何が苦手かっていうと、やっぱり叱られるとか嫌な思いをするとか、厭味を言われるとか、そーゆー意識が何処かに残っていて、落ちつかないんですよね。「はいはい、それは幻想だから」と言い聞かせても、やっぱり落ち着かない。何かしてなきゃ、みたいな感じが残っている。この意見をそのままさせるとやっぱりまた死にたくなるから、言い聞かせるしかないかなと思う。どんだけ精神的に追い詰められていたんだろうね、自分。自分を守ることに必死になって、疲れている事さえ認められなくなっていた。そうして自分で自分に休む許可はもとより、誰かに許可されないと、労わる事さえできなくなっていた。でもそんな事をしていたら、アレコレ批判される(母親に)。アレコレうるさく言われる(母親に)。型にハマっていないと、怒られて八つ当たりで、下手したら生きていけなくなるかも。その気持ちがよりよい子をやらなきゃ、世間での基準通りにやらなきゃ、それに達しなければ意味がない、という価値観へ変化し。そしてその通りにやろうとして、でも自分の本質や生き様からかけ離れているから、どんどん苦しくなって、自分を守るための良い訳を見つけて放り投げ、そして出来なかった事に後悔して自分を責め、死にたくなる。でもやらなきゃ、と自分に鞭を打つ。という悪循環を生みだした。自分が自分らしく独自の生き方をしていい、という許可が出せない。そう思い込もうとして、でもやっぱりそれまで刷り込まれた価値観から、離れられず、離れて捨てることに恐怖を抱いて、立ちすくむ。本当に外的要因がなければ、休んで良い理由がなければ。それらがあるとほっと自分で自分に安心して休む許可が出せる。誰に何を言われようとも、公正明大な理由があるから、堂々として居られる。それがなきゃ、堂々と休んだら駄目だ。恥さらしだ、みっともない、世間様に顔向けができない。あ、これは確実に刷り込みだな。母親の、自分の価値観を子供の出来だと思い込んで、自分が価値があるように見せるために子供をコントロールしようとした、あの女の。死の恐怖を植え込まれた私は、必死になって生きるためにそれをやろうとした。本質や望みとは逆方向の、それはやっぱり無理なのに、出来ない事を責められた。それが辛すぎてなんとかその課題をクリアしようともした。でも出来ない。同時に怒りと反発が生まれた。でもそれさえも確実に逃げれなかった。そして、ヤサグレと怒りが分離した。反発と怒りと。それでも、言われた事を、世間の一般常識を、辿ろうとした。無理だと認められず。無理だと認めた私は、出来ない事で世間に復讐しようとした。どんなにみっともない事でも、平気でやってみせようとうもした。でもここでストップをかけたのはプライドだった。だから中途半端に終わった。そしてまた苦しいサイクルに入って行き……。「やらなきゃいけないのが苦しい、死にたい」本当にそれで貴方が楽になれるなら、死んでも良いよ。その後は私が何とかするから。……先ほど律が、自殺、した。
2011.07.15
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岐南のたこやきやさんにいってきましたw2回目。今回はマイミクさんと一緒に行きました。んで、もうひと方とも現地集合ww今回は迷わずにちゃんと行けましたよん。場所が分かれば、早いんですよねぇ。ただやっぱり道中、車のクーラーの効きが悪くて、暑かったです。ごめんなさい。んで、行ったらやっぱり前回より全然早く 苦笑まだまだ準備中でした。マイミクさんのマイミクさんもまだ来て無かったので、そのまま座らせてもらって、エレスチャルもさわさわさせていただいてwなんかネコっぽいよねぇというお話に。やっぱり膝の上に乗せて、ネコのよーに可愛がる人が多いそうです。私はべたって触って「うにゅ~~~~~~~~~」って感じなんですけどね。そんなこんな詩ているうちにマイミクさんのマイミクさんが到着~♪初めてなんですけど、全然初めてじゃない感じのいい方でしたwたこ焼き注文、で、私はネギ醤油。相変わらずおいしかったですw何話したんだっけ? 苦笑一緒に行ったマイミクさんのエネルギーの流れが腰のあたりで滞っているとか、そーゆー話もしたな。あと病院関係者の話とか、その他諸々かな。殆どマイミクさんのマイミクさんが、話をしていた感じ、とでも言うのかな??なんか話やすかったっす。そして念願のかき氷「モモ」も戴きましたwやっぱりかき氷は暑い所(と言っても日陰だから全然涼しい)で食べるに限りますねぇwそうそう、DNAナンチャラ、つーヒーリーングは一体何だ?とか、無理やり意識を変えると変になるとか、そーゆー話もしたな。んで、もうひと方の娘さんが学校から早めに帰ってくる、というので帰られて、私たちも御暇しましたwいや、面白かったです。また行きたいけど、夏は暑いからなぁ……。どーしよーかなぁ。 ←んで、マイミクさんと別れた後、着物屋さんによって、夏帯を買っていたりしてwなかなか充実した1日でしたw
2011.07.14
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昨日書いた律の話ですが。実は少し前からその頭に思い描く「型」を崩すというか、壊すための働きかけ、というのが半年くらい前から行われています。例えば、高野山に行った時に、掃除と化しているおじさんとお話しをしたのですが。この方の半生がハッキリ言って、全然型どおりじゃなかった。思い描いている「きちんとした人生」というのは、幻想かもしれないという感じだった。でも相手は男性だからできるよね、って思っていた。次に着物の着付け。着物の着付けに関しては色々とルールがあって、きちんと決められた通りにやらないといけないって思っていたのです。が。私が紹介で行ったところは全然そんなんじゃなかった。必要最低限のTPOは必要だけど、普段着るには好きに着て良いんだよ、っていうところだった。でも巷には着物の「常識」というのが、流布されている。それに沿ってみたくなるのだけど、やっぱりそれは普段着るには全然入らないものでもあったりする。そして一昨日の勉強会では、本当に全て捨ててやり直した人がいた。その人の話を聞くと、やっぱり自分の中の制限というか、枠組みが外れていくのを感じる。枠組みや制限を何故作ったのだろうね。もちろん誰かの都合の良いようにするためもあるんだろうな、というのは分かるのだけど。でもそれを自分の中に取り込んで、自分で自分を縛ることにしたのは、何故なんだろうね。こうやって考えるとやっぱり、スピ的な「自分で制限があるというのを体験したかったため、そう選んできた」としか言いようがないんですよね。そしてその制限や枠も、人によって何に対しての制限を体験するか、によって色々違うプログラミングをされている気もする。自分で自分を苦しめてみる、ってMじゃん、って思うけど。でもそうしたら今生きている人達、殆ど全員Mってことになるな 苦笑そしてそのプログラミングは自分で簡単に外せるはずが、こんがらがって、外せなくなって余計に苦しめている気もする。それに気づいたらやっぱり一個ずつ外していかないとな。こんがらがってしまったアレコレを、丁寧にほぐしんながら、やっていくしかないんだろうな。でもやっぱり囚われる。だからこそそこから放たれた人がいて、「大丈夫だよ」と言ってもらうために、出会っている感じもするね。言われてもそう簡単に、私の中の彼女は納得しないんだけど。少しづつ言い聞かせながら、外していきたい、と思う。そしてその制限や枠組みで囲った中に、一体何を後生大事に守っているんだろうな。
2011.07.13
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今日になって気付いたけど、「~~~じゃないといけない」って思うのは自虐完璧主義の律の思考なんですよね。その決まり事ってのは、他の人から言われたことだったり、自分で決めた事だったり、色々なんですけど。ある意味素直なんですが、融通がきかないというか、そう言う感じなのです。本当に強迫観念として、ずっと持っていて、その通りにしないといけない、生きていけない、みたいな感じ。良い風に捉えると、きちんと筋を通して、約束や契約を守れるってことになるんだけど、悪い面としては融通がきかない、柔軟じゃないのです。変更なんてもってのほかで、ありえないって感じになってます。納得する理由があるなら、まだ何とかなるのですが、そうじゃない場合は完全に拒絶&フリーズと、責任逃れに終始するという。で、何でそんな風になってしまったのか、ですが。親からの刷り込みやいじめというか、虐待もあるんだけど、でもそれだけじゃない感じはします。探ろうとすると眠くなる~~~~ orzともかく、「こうじゃないといけない」となると、基本律が出ているんだな~、って思って間違いないようです。あとやたら進みたがるのも。向上心の塊みたいな感じもあるんですよね。でもそれの努力の方向性を、基本間違えていたりするのが、問題かな。同時に決まった「型」がないと動揺するのも彼女。規律規範があれば、その通りにするのが得意。自分で考えて行動する、となるのが苦手。まあ、これは責任逃れの意識が強く働いているな。失敗すると、めちゃくちゃ罵られて野次られて、泣きだす(母の気が収まる)まで、言葉の刃を投げつけられ続けて、それを嫌悪しているところもある。だから責任のある立場なんて大嫌い。周りはもちろん信頼も信用もしていない。んで、さっきから何度も意識が飛びそうになっている。そんなに探られるの嫌か。とにかく恐怖に支配されている彼女は、その恐怖から逃げるために、アレコレやっていたのだなってすごい分かる。なんか当初描きたい事と、ちょっと違ってきているな。律の抵抗があるようです。ちょっとづつ探っていくか。
2011.07.12
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昨日勉強会に行って、律の噴き出し(垂れ流し、とも言う)をさせていただきました。律が疲れているのを認めず、アレコレ縛るから、余計に疲れて死にたくなっている子がいるんでしょ?それを認めて、無気力のままにさせてあげなよ、ってことで、そのまま律もお休みさせることにしました。ちなみに無気力で死にたがっているのが誰なのか、実はよく分かってません。怒り人格が死にたがるってことはないと思うのだけど。全てを投げ出したいのは律のもう一つの顔だと思っていたが、実は違うのかもしれない。なので、今その死にたがっている人格と律、そして汚い所を見たくない夢見良い子のリリ子、CBに逃避しているひな、と半数の4人も「人格統合」から離脱してしまったのです。プライド人格の貴夜美がやったら、またコントロールしたがるので、却下。ちぃは小さいので取りあえず除外。怒り人格のきぃは行方不明、ヤサグレのゆいはどうしたいのかさえ分からず。思わず八方ふさがりな状況に、思わず呆然としてしまったのでした。「うわ~~~、人格統合どうしようかなぁ、一端お休みというか停滞時期に入っちゃったなぁ」と思っていたら、「はいはいはい~~~、私がやるっ!人格統合をやってみたかったんだ~♪」と言い出した子が居ました。思わず私は「え?誰???」状態。キョトンとしていたら、彼女は思わず楽しそーに昨日のブログを書き出したのです。なので所々が抜けているのは、彼女が興味無くて観ていなかった、という事みたい。今日になると全部思い出せるからねぇ。どうも感覚的には貴夜ちゃんと律とリリ子の影になって、表になかなか出れなかった子みたいな感じ。感じとしてはリリ子に似てなくもないんだけど、でもなんか違うんですよねぇ……。どちらかと言ったら、主人格のハートに近い存在みたいな感じ(現時点では)。前向きで何でも面白がってしまう感じかな。このまま趣味やイベントやエンターテイメントにされてしまわなければいいのだけど。最初はやさぐれのゆいかな?と思ったのだけど、でもこんなに素直じゃない感じもするし。ひょっとしてちぃかな?って思ったけど、それにしては年齢がもうちょっと上っぽい。感じとしては10歳くらいかな?リーダーになって音頭を取って、周りを引っ張っちゃう感じ。うん、実はそう言う感じで、小学校の1年くらいまで居たよ。2度の引っ越しや、環境の変化で何時のまにかで無くなったけど。そう言えば昨日、私に姉御人格がいてもおかしくないって話をしていたんですよね。ついつい面倒を見てしまいたくなるから。そんな感じもあるんですよね。新種発見か 苦笑取りあえずアネゴ人格として、名前を「ねね」と名付けてみた。そーなると暫定9人になるなぁ……。誰かと誰かがまたダブっているんだろうなぁ……。
2011.07.11
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と、言う訳で定期的に行っている、交流会と勉強会です。今セッション受けてないから、これが大事なセンタリングでもあったりします。今回は仙台(!)からスクール生が来ました。びっくしです。その方もまたまたすごーい遍歴を持っている人で、そーか、人間変わろうと思えば変るんだ、というモノが見れたなぁ。10年引き籠っていて、更に夜逃げ同然に静岡から仙台に移って、宗教団体も脱会して(もちろんご友人の御助力もある)ってすごい人でした。今回はハートチャクラがテーマつーことで。まずはハートチャクラのお話し。なんかあんまし印象がないぞ?何でだ??何を司るかって話をしてもらったと思うんだけどな。そしてお絵描きワーク。どのように描いても良い、ってことで、何故か私は画用紙を半分に折って、半分こにしてチャイルド人格二人に仲良くお絵かきをしました。右ッ側にひながまず海の絵を描いたんですよね。今逃避しているからそこの絵みたいで、水平線があって、海があって、砂浜があって、空があって、雲が浮かんでて、という絵。それを描いてから、こんどはちぃに意識をむけてお絵描き。いや、全く性質の違う絵になりました。右ッ側は大人っぽいような絵で、でもひなはそれが書きたい。逆に左側は本当にちっちゃい子が書いたような絵。真中に自分がいて、太陽があって、地面があって、という。描いている自分もびっくりだった。こんなに違うものか~~~って。リーディングは右は淋しいんじゃないかって言われました。本当は受け入れて欲しいって気持ちが大きいかも、と言われてそうかもしれないって思いました。右は本当に全身で自分を表している、と言われたかな。そう言えばこのワークで、ある人が御絵描き嫌だってチャイルド人格が言っている、と言いだして描けなかったんですよね、絵を。「描きたくなければ描かなくていいんだよ、何なら画用紙を破いても構わないよ」って言ってくれて、彼女はビリビリに画用紙を破いてました。「あ~、すっきりした。せいせいした気分です」と晴れ晴れと言ってました。それを見て他のスクール生は「良くやった」って褒めていて。でも描きたくなったら未だ画用紙あるよ~と、その人格に声をかけたのですが、全然書きたい気にならないってことで、そのままでした。話によると子供のころから大人の求める絵を察知して、それを描いていたとか。じゃあ、その子はもう大人の求めるモノを描くのが嫌だったんだねって話でした。他の方のも結構内面を現していて、面白かったです。そしてお昼ごはんを買いに行き、ご飯を食べて、ハートチャクラの瞑想。私自身は結構これがまた何故か眠くて、半分寝てた感じ。あまりビジョンとか浮かばなかったな。次にハートチャクラに関する体験談を仙台から来た人にお話ししてもらいました。なんかすごいなぁってのと同時に、どっか動かない私もいたな。ふーん、それで、みたいなどこか冷めてる子。そのせいかあまり思い出せない。最期にカードリーディングでした。今回はセルフ・セラピー・カードを引かせてもらいました。これ、実はカードの裏も色分けされていて、このままじゃあまり意味無いよねぇってことで、眼を閉じて引いたのですが。何故か全部裏がオレンジのものばかり。しかも「コントロール」「依存心」後何か引っ張り合っている絵が出て来ました。本当は何が私を堰き止めているか、って感じで引いたのですが。なんか全部似たよ―な感じでびっくりしました。で、あれもこれも心当たりがあって。リーディング(フリースタイル)してもらっても、ああ、なるほどねって感じばかりでした。他のお二方も引いたのですが、やっぱり全然違うカードが出てきてて、結構読みやすい感じでした。そして休憩タイム。何故か殆どの人がねっ転がって、寝ていたというwwんで勉強会。ハートチャクラ関係の話から、褒め褒めワークをやったのですが。なんかね、すごい言いたいのに、口に出すといたたまれないとか、それくらい自慢できる事じゃないとか、そう言う抵抗心が出て来ました。話によると男性は自慢が得意で、女性は自慢が不得意だそうです。仙台から来た方が人前で褒められたくないっていう気持ちが出てきて、そっから上から褒められると、周りから切り離される感じが嫌だってとこまで出てきたのはすごかったです。そして3グループに分かれて、勉強会。私は一昨日くらいから出てきた無気力を見てもらいました。そしてその無気力を許してない律がすごい抵抗して、認めたくなくて、罪悪感を抱いていて、って辺りを突っ込んでもらい。出てきた抵抗をほぼ全部吐き出させていただきました。認めたくないのを続けるともっと辛いし、もっと大変だと言って戴き、それでも自分が全てを投げ出したいのを認めら得ずに、誰かに許可を求めていたのにも気付き。甘えてるって思いながらも、投げ出していいんだって言ってもらって、ひと安心した感じです。自分で自分に許可を出せばいいって分かっていながら、どうしても許可が出せなかった。怖くて怖くて仕方なかった。それを認める事さえ嫌だった。そしてすべて投げ出したい気持ちも聞いてもらい、色々とアドバイスも貰って、じゃあ、やってみるって感じで終わりました。そして他の人の話も聞いて。その中でナチスの話があって、虐待され側・加害した側がいてって話もしたな。私は多分被害者側って話をして、もう一人は加害者か被害者か良く分からないって話をしてました。結構この時期に居た人多いかも~、って話もして。時間が来たのでお終いになりました。私は帰る途中、ふと気付いたんだけど、よく良い子人格がその人の人生を駄目にしてるってのは聞くのですが、私の場合、この自虐完璧主義の律が人生を駄目なものにしているなって。全ての可能性を奪って、「こうじゃなきゃ」って思いこんで縛って。こっから自由になりたいって思ったし、誰かがこいつらには負けないってすごい誓っている子がいて。うん、多分その子が原動力なんだと思う。まだ誰か分からないけど。ちょっとずつ探っていきたいと思う。
2011.07.10
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昨晩、何故か感情が噴き出した。「死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい。 何で生きているんだろう、私。 死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、死にたい、……」何があったという訳ではないと思う。強いて言うならアンダーグラフの「2111」をYOUTUBEで聞いた位かな。だからと言ってそれが死にたい気持ちを増長する曲でも何でもなくて、前向きに今できることは何だろうって曲なんですが。でも何故かそんな気持ちになってしまって。前まではそれが出て来たら飲み込まれて、そのままずどーーーーーん、と落ちていたのだけど、今回はそうではなかった。「ああ、なんか懐かしいなぁ、ようやくこれが出てきたか~」というなんかのほほんとしたような、感覚があったんですね。そしてまあ、このまま無理に押さえ込まずに、そのまま流してみるか~、と思ってしまうあたり、やっぱりちょっと違うかもしれないです、今までと。そもそも「死にたい」というのは十代半ば過ぎから、30になる位まで、ずーっと何処か常に思っていたモノで、事あるごとにその感情に掴まってました。だからこそ結構投げやりに生きていたところもあって、でも同時に投げたくなくてもがいてもいた。でもどうしても死ねないなら、生きるしかないなって感じで、方向転換したのですが、やっぱり昇華している訳じゃなかったんだな。でもこのままずーっとこの内部吹き出しをしてても、おさまりようがないなって思った時に、ふと気付いたんですね。あ、そーか。私は生きるのが辛かったんだ。全てがどうしていいか分からなくて、もがいてもがいて、でもこの暗闇から出る術が何処にもないように見えて、だからこそ全てを投げ出して終わらせたかったんだ。すごい大変だったね、辛かったね、良くそれでもがんばって生きてきたね。と「死にたい」を繰り返している私に向って行ってみた。ら、やっぱり号泣した。辛かった。嫌だった。誰か助けて欲しかった。側にいて欲しかった。そんな気持ちが噴き出してきた。だから言ってそこで終わった訳でなく、そのまま全て逃げ出したい気持ちを引きずってしまった。下手したら人格統合さえも、そのまま投げ出したいような感じで。いや、だからね。貴方がやりたくないのなら、やらなくていいんだよ。他にやりたい子がいてその子がやるから。何ならどっかべつの場所に行っても良いんだよ。何処にでも行かせてあげるよ。と言ったらなんか黙り込んだ。でも全てがもうどうでもいい、という気持ちはやっぱりなかなか抜けず、今日一日おかしな感じでした。本当に独りよがりで、閉じこもって全てから遮断されて居たいような。うーん、誰だろう、コレ。律に似てるけど、律とちょっと違う様な感じが今はする。ひなよりは大人な感じがする。プライド人格の根っこに近い感じかな。ヤサグレの極まったのかなぁとか、怒り人格かなぁとか、色々照合してみたけど、ちょっとずつ何か違うような感じが、今はする。暫くしたらもうちょっとハッキリするかもしれない。取りあえず、多分、プライドの貴夜ちゃんとヤサグレのゆいのコラボという事で。どっちだろう?ちなみに現在進行形で、やっぱり全て放棄したい感じはある。ま、好転反応だろう、多分。
2011.07.09
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今、ちまちまと本を少しづつ手放しています。本棚の奥の方の今は読んでない本とか、こんなのあったのか~って本はもう基本的に要らないだろうと思って、ブクオフにもって行こうと思ったのです。一応本をチェックしている最中に、いわゆるティーンズ文庫って言われる本があったのですが。それをちょっと読んだ時、なんかまるでメッセージの様に入ってきた言葉がありました。要約してしまえば、恨みだろうとなんだろうと、必要だからあるのであって、中途半端にするから苦しくなる。だから飽きるまで恨み尽くせばいい、ってことなんですが。ああ、そうだな~、と妙な納得をしてしまいました。良く恨みやつらみや良くない感情は手放せ、と聞きますが、やっぱり無理して手放す必要はないと思う訳です。とことんその感情を味わいつくして、そうして気がすんだら、もう良いと思えば手放せばいい。出来ないうちに無理をすることはない、と思うので。頭では分かっているけど、納得できない時は無理して納得する必要もないかな。そしてそんな自分を責める必要も。それはそれで自分で受け入れる事であって、他人のせいにしたり何かしたりする事も違うかなぁと。そんな事を思ったりもした。ちなみに本もだけど、今部屋の中の色々なものをちょっと減らそうと再度奮闘中。目標半分!だけど、どうもそう簡単にはならないようで、まあこれが今の私の現状なんだろうなぁと思うのです。無理して手放す必要はないし、やっぱり手放したくないと思うモノは、何かまだ必要なんだろうね。無理やり半分にするとなると苦しくなる。でも目標を達成しなくても、大分すっきりするハズだから、それだけでも十分じゃないのかな。何処まで出来るか分からんけど、少なくても入らないものがかなり減ると良いなぁ。ただし、ちょっとずつしか出来ないので、劇的に変わることはないだろーけど。それでもやっぱりやるしかないね。
2011.07.08
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場所は名古屋市美術館wです。もちろん先週着た絽の着物を着ていきました。雨のためちょっと蒸し暑かったけど、先週よりは全然ましでした 笑平日のためか人は少なめ、かな?結構ゆったり見れました、が。最初入ったところで「絵画保護のため室温を21度に調整してあります」という但し書きが……。いや、これ、本当に寒かった。雨コートを入る間に脱いだのですが、着てても問題なかったかも。(でも本来は雨コートは、建物内では脱ぐものですw)半袖で行くと、クーラー弱い人にとってはとても寒いと思います。上着が必要かと。内容は版画が殆どです。でも色々と版を重ねていって、修正してたり、紙を変えたりとして、かなり印象が違うモノなんですねぇ。あまりにも暗いんで逆にじっくり見ちゃったり。ところどころ、有名所の絵を拡大プリントして、解説と共の飾ってあって、それを見て初めて細かい所に気がつく事もありました。油絵もありましたよ~wチケットにもポスターにもなっているミネルヴァですが、やっぱり実物も大きく、圧倒的でしたねぇ。何と言うか、存在感が違っていた。版画は「初回限定豪華版」があったって所に驚きというか、現代にも通じるものがあって、なんか面白かったです。昔の人もやっぱり「特別」なものを持っているという、優越感とかを満たしたかったんですね。あと版画は回を追うごとの変更したりしてあったのがあって、思わず間違い探しのように見比べて、どう違うか観賞出来たりしました。それにしても版画は結構面白かったです。油彩画も好きですが、版画も面白いですねぇ。常設展の方も行ってみたのですが、「おさげ髪の少女」が珍しく展示されていた。それよりもシベリアの絵の方が迫力がすごすぎて、呆然としたのだけど……、正確なタイトルを忘れた 苦笑こちらの常設展は、あまり印象にない、というか豊田市美術館の特別常設展が凄かったんだなぁと思ったり。その後は久しぶりにジュンク堂でまったりして、マイミクさんと待ち合わせして、お茶して帰ってきましたw晴れていたら大須まで足を伸ばしたんだが、まあ、それはまた今度ってことで。そう言えば音声ガイドを聞いた事無いのですが、今回のは聞いた方が良かったかなぁとちょっとだけ思いました。どう違うか良く分からんけど。
2011.07.07
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最近つくづく思うのだが、本当に真っ当な事というのが、分かりにくい世の中だなぁってこと。一見真っ当に見えて、実際は誰かの私利私欲・嫉妬羨望故の泥船差し出し、ってことはたくさんある。口の上手な人に丸め込まれて、一回は頭で納得するけど、でもどこかおかしな感じがして納得しきれないってこともかなりある。またそうやってその場で洗脳されて、あとで考えるとおかしいってこともある。大人数がまたは権威が言う事が正しく感じることも沢山ある。例えば大戦中のナチスとか日本軍とか。最近だと原発かな。この世の中は本当に真っ当な事が、誰かの都合で隠されていて、誰かの都合の良い事で埋め尽くされて、それで迷いやすくなっている感じもする。だからこそ自分の判断力とか、直観力とかを磨くことが大事になってくるのかもしれない。本当に「誰が」とか「何が」とか「世間が」とか言うモノは、あまり関係ないのかもしれない。結局自分がどうしたくてどうするのかってことが大事で。自分力強化が、一番なのかなぁと思う。人格統合も最終的には、全て主人格の問題なんだよね。分裂人格が、とか、親兄弟や環境が、とかが丸っきり関係ないとは言わないが、メインの自分自身がどれだけ弱かったかってことなんだと思う。何かを人(モノ)質にして、言論を封じようとする人達もいるが、ハッキリ言ってそうしないと弱いのだと思う。刃物を喉に付き付けないと自分の都合のいい返事がもらえないってことは、やっぱり自分が間違っているってこと。間違って無ければ、嫌でもそれが現れるから、わざわざ刃物を喉笛に付き付ける必要はない。本当に真っ当な事は、保障とか、誰かの言質とか、推薦なんて要らないんですよね。やがてどれくらい掛かろうとも、それが証明されるだけだから。そうじゃないってことは、やっぱり何が違っているのだろう。そう言えば、本当に正しい道なら、周りがどんなに(怖がって)反対しても、何処からかひょっこりと応援者が出てくるものらしい。もちろん真っ当じゃない事にもそれが都合の良い人が支援者として現れるけどね。ただ本当の支援者じゃないから、その人にとって都合が悪くなると手のひらが返されるけど。本当に真っ当な事が分かって入れが、普通は迷う事がないし、それから外れないように気をつけるだけらしい。真っ当な事から外れて痛い目を見るのも、勉強ですけどね。この世の中は真っ当でない事や、真っ当の振りした変な事がはびこっている。その中で真っ当な事を通すには、大変な労力がいたりもするのだけど。でもおかしなことをし続けるより、そっちの方が良いかもしれない。だから「本当に真っ当な事」をちゃんと一つ一つ知っていくことが大事なのだろうな、と思う。
2011.07.06
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何故かムカムカ・イライラすることがあります。でもそれを良く考えたら、別に「ムカムカ・イライラ」する事じゃ、ないのでちょっとおかしいなぁと一昨日から思っているのです。何度かそのイライラムカムカに潜ってみようと思ったけど、どうやら一人では潜れない感じ。なんかちょっと手ごたえがないし、根っこに行きつけない。どうも見たくないものがあるような。でもこのムカムカ・イライラに焦点を当てると、すごいなじみがある感じがするなって思った。うん、何をどうしていいのか分からなくて、さまよっていた時に、世間や他人に対してのいらだちや恨みを抱いていた時の感覚に近い。全てに対してイラついて、全てに対して恨むつらみを抱いていて、どうしていいのか分からず八方ふさがりに感じていた頃の感覚。やわキャリ等で、社会や経済や世間の成り立ちや仕組みを知ってから、感じなくなっていた事だ。結局これもちゃんと昇華していたのでなくて、臭いものに蓋していただけなのかもしれない。蓋して、切り捨てられて、知らないふりをしていたモノが、再度表面に現れているのかもしれない。そうだとしたら、下手に潜るより何より、誰が言っているのかも良く分からないが、ちゃんと受け止めて同意して、そうして手放してしまえばいいのかもしれない。そうやって昇華して行けば、その根っこに辿りつけるかもしれない。今思うのは、良くこんな感情を毎日抱いて過ごしてきたな、すごいな、ってこと。こんな気持ちや感情を抱いていたら、そりゃ上手くいかなし、大変だし、余計に負のスパイラルにどんどんハマっていくのが、今だから分かる。良く頑張って感情を手放さず、無理やり封じ込めず、そんな中、生きてきたな。いや、だからこそ生きてきたのかな。負けるもんか、という負けず嫌いは、いつでも私が逃げる事を許さない。このリベンジ精神があるからこそ、中学の時の酷いイジメの時も、学校を休まずに行った事に繋がる。これはすごい事だと思う。今は逃げる事だけ考えるから、昔の方がまっすぐですごかったんだな、自分って。いや、これが主人格の一端なのかもしれないな。置いておいて。ムカムカ・イライラの根っこが見れないなら、誰がそう反応しているか、ということになるのだけど。……その辺りをどうやら追求されるのが嫌な子がいるな、さっきから。気を逸らしたり眠くなったり。怒る事だから、きぃかもしれない。でも同時にヤサグレのゆいかもしれない。ん~~~~~、でも微妙にヤサグレとは違う感じだなぁ。ヤサグレはビミョーにプライド入っているけど。あ、でもこの怒りは一種プライドかな。でもビミョーにエネルギーの感じが違う気がする。じゃあ、やっぱり怒り人格のきぃかな。冷ややかに人を人とは思わない感覚もあるし~。あ、そうそうこの間からなんかミョーに人に対して、人とは思わない扱いをする自分が出てきててこれもちょっと見ていかないとな、と思っていたんだ。半分は親からのDNAカルマだけどさ(どんだけ多いorz)人を人と思わずどっか見下している、となるとやっぱり貴夜ちゃん、だな。ミョーに冷たいのは、彼女だとして。ん?じゃあ、貴夜ちゃんがきぃを裏で操っているのか、これ。正当じゃない怒りもあるから、そうかもしれない。二人のコラボもあるかもねぇ。いや、それよりどんなに自己卑下強いんだろう、自分。見た目や今までの価値観じゃ意味無いって言うのにねぇ。まあ、向上心の裏返しでもあるのだから、上手く導いていけばいいのだろうけど。出来るかなぁ……。というか、やるしかないよね。頑張ろう。ムカムカ・イライラは、誰かに当たり散らさない限り、取りあえず認めていこうと思います。
2011.07.05
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気になって、本屋さんでちょっと立ち読みをしてみた。ま、この手のアドバイス本は色々書いてありますが、蝶々さんの場合、色々実体験での上での言葉が多いので、何か来るんですよね。あ、他の方も多分実体験の上で色々書かれているとは思うんですが、なーんか時には「は?」って思う事が多かった気がする、のは私の熟成度の問題かもしれん。でもこれらの本で、その通りまんまやろうとすると、基本ドツボにハマる事が多いです。理由は自分のバックヤードと合わなかったり、自分がちゃんと納得しているつもりで、してないから。なので自分のできるところから、自分の出来る範囲からやればいいのだけど。でも100%じゃないと、駄目なんじゃないか、良くないんじゃないか、って心配になって無理やりやろうとしてしまう人もいる。(かつての私だが)その場合は本に書いてある事をやる前に、ざわざわする自分の胸の内をしっかり見つめていくことが必要になってくる。それをぶっ飛ばすと、どんどん自分が苦しくなって、結局「こんなもの嘘だ~~~っ!」って言ってドッカーンと放り投げてしまう。何でもそうなんだけど、「やれる事をやれる範囲から」始める事が大事。例えそれがささやかでも、何でも良いし、それで自分で自分にOKを出せればいい。他人の承認なんて、本当は何にも要らない。そうはいっても自分に自信がなければ、誰でも誰かの承認が欲しくなる。最初はそれでもいいけど、それがなくちゃ何も出来ないとなったら、やっぱりその根っこ(大抵の場合が親や教師からの刷り込み)を掘り返して、ちゃんと修正というか手放すというか、刷り込み直す、という作業が必要だと思う。本やセミナーとか、そう言うモノにはその過程が省略されているけど。それをせずに何をやっても、結局上手くいかないんですよね。一見遠回りに見えるけど、それが一番の近道だったりするのは、何でも同じです。地道なコツコツという作業に勝るものってない。派手で大きく動かないとダメだと思うのも結局周りからの刷り込みだったりする。他の人で劇的に何か動く場合、絶対的に地道な作業がその前にあるんですよね。って語ってますが。ま、結局本は立ち読みだけして買わなかったのだけど。それでも「これ!」と思ったことは地道~にやってみようと思いました。「持ちモノを半分にする」とか「朝早く起きる」とかね 笑PC触る時間も減らそうと、極力奮闘中。ブロガーなので、なかなか難しいですが。ちょっとづつ変えていきたいと思うのでした。
2011.07.04
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昨日買った、紬の紗の着物ですが。新潟の方の、ってくらいしか覚えて無かったので、思わずググってみた。どうやら新潟の小地谷か塩沢のよーです。どーしてこうちゃんと覚えておかないんだろう、私……。新潟の代表的な紬は三つあって、その内の一つは全然特徴が違うので、却下 ←もう一度聞いてみるかなぁ。合う帯もないしねぇ。まあ、リサイクルなので証紙がないので、なんとも言い難いなぁってのはあります。着物歴1年未満のペーペーの私にしたら、何が本物で何が違うのか、全然分からんし。本来は本物を見続ければ、だんだんわかってくるのかもしれないなぁ。でもなかなか本物を新品では買えないしね。そう言えば、証紙というか、商標がなくても、一件で分かるものも結構あるようです。泥大島などは、やっぱり見た目の特徴が全然違うのでわかるものらしい。大島で作られている、大島紬っぽい生地は結構あるそうで、色目で結構分かるものらしい(某リサイクル着物屋さんの店主さん曰く)。ま、気に入れば何でも良いって思うんですけどね~。期に行って着るのが一番だと思うし。で、紬を買っちゃったのですが。本当は木綿かサマーウールの着物が欲しかったんハズなんですが。家で洗えるし~、御手入れ楽だし~。と言ってもなかなかリサイクルショップには無いですが。殆ど正絹。まあ、紬買っちゃったから、当面買えないのだけど。そんな事を色々思うのでした。
2011.07.03
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本日リサイクル着物屋で、夏物の紗の紬の着物を買いました~♪と言っても、やっぱり対丈でしか着れないんだけどww一見地味目で、でもモノが良いものだったので、ちょっとお高めだったのですが、店長さんの御計らいにより、かなり勉強していただきました。あ、そのお店は「たんす屋」さん名古屋店という所。よく寄るので、顔見知りになっちゃったから、余計にって感じだったんですが。最初予算オーバーだったから、諦めるつもりだったのだけどね。予算内に納めて戴きました。で、その御厚意に甘えたのですが、同時にめちゃくちゃ罪悪感を感じる私がいまして。どーしようっ!これじゃ泥棒だっ!!ぐらいの勢いで、なんか本当のオロオロしているんです。んで思わずあまりの事に辞退しようかと思ったくらい。そー言えば、これ、某呉服チェーン店で大島の見積もりを出してもらった時も出てきたよね。確かに色々心配だけどさ。大丈夫だ、買って満足していただけるのが一番、と言って戴いているんだから、その御厚意は素直に受け取ろうよ、っていったのですが。呉服屋さんみたいにウン十万の値引きって言っている訳じゃないんだしさ~。それでもオロオロしております。何かお返ししなきゃ~、って感じで。前回の大島は金額が飛んでもなかったので、まあ、良しとして。でも今回のこれって一体何だろう、ちょっとおかしくないかな?って思ったのです。確かに商売だけどさ、でも同時に本当に儲からない商売はしないような気もする訳です。経済・ビジネスの勉強をしたからこそ、余計にその儲けの仕組みとか分かって無いと怖いってのはあるのかもしれない。でもそれだけじゃないな、これ。何かいい事があったら、絶対悪い事があるなって刷り込まれているみたいで。その反動が怖くて、逆に良い事が受け取れない、みたいな感じで。それはちょっと違うだろう、って思うのです。よい事があったから反動が来る訳じゃない。何か悪い事があってもそれはそれだし、別にいい事と相殺される訳じゃない。よい事をしたらよい事が帰ってくる。悪い事をしたら、悪い事が帰ってくる。そう考えると無意識によい事と悪い事を人はしているからこそ、それがたまたま前後してくるだけで、相殺されている訳じゃない。だから一々どうしようって思う必要はない。と言っても心配で心配で仕方ない感じがする。うーん、これ、誰だろう?なんか罪悪感を感じているのは、ひなっぽい感じもするけど、でも自分を責める感じが律みたいで。ちょっと判断に困るな。コラボっぽいけど、前回違ったし。とりあえず律がそう感じているみたいです(仮定)。という訳でこれは母親からの刷り込みだな。DNAカルマみたいな感じ。これは手放していいもの、だな、多分。ちょっとづつやっていこう。
2011.07.02
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昨日表出していた、自己完結癖は一体誰に属するのだろうか。自分のやることに満足して、世界が終わっちゃうあたり、完璧主義的な感じがするので、律の様な気もする。でもその世界に浸る辺りは、夢見良い子のリリ子の感じもする。もしかして二人のコラボなのかもしれない。どちらにしても、自分だけで世界を閉じてしまって、外との交渉やコミュニケートを絶ってしまうのは、ハートに基づいたとは言い難い、と思う。自分の好きな服を着て、好きな事をやって、そしてハートを開いているのが一番いい状態なんだろうね。ハートを開いている、と言っても不愉快な事さえも受け入れる、って訳じゃなくて。その不愉快なものは拒否ししつつ、でも基本オープンでいるってことは、私にとってなかなか難しい感じがする。どうしても今迄の経験からの防衛本能が働くから。それまでは全てに対して、開いていたから変なものにまで、付け込まれていた。そして傷ついた。時には変なものはこちらが傷ついてショックを見せるまで、とことん酷い事をすることもあった。その辺りの選別と対処がまだできてなかった頃、ハートを閉ざしてしまったんだよね。相談した母親自体が、人を傷つける事を密かに楽しんでいた節があったから。だからこそ自分が満足したり嬉しかったりする事を、誰かと共有しようという思考が抜け落ちてしまっている。誰かが幸せなのが許せない人が多い為、その幸せ気分を壊されてしまうから。それくらいなら、共有しようとせずに自分一人で満足していればいい、ってなっていった。だから今、自分で自分が満足な時に、それ以上周りにその嬉しさを言わないようにしているのだな。そして誰かがそれを共有して良いんだよ、話していいんだよ、と態度で示さない限り、閉じているのが当たり前になってしまった。こう、書いてみるとビミョーにリリ子や律とは違う感じがするな。本当は幸せを共有したり、誰かに一緒に嬉しくなって欲しい感じもするから、ヤサグレ人格なのかな?諦めていながら、諦めきれてない、何処か求めている感じがすごいやさぐれっぽいんですよね。ヤサグレ人格と言えば、「たかぴー」がしっくりこないので、他の名前~と事あるごとに考えるのだが、なかなか決まらない。ヤイ子は?と聞いたら却下され 苦笑今ふと「結衣」は?と聞いたら、結構いい感じというか、表向き素直に「はい」とは言わないんだよね。感じとしては「ゆー」が今しっくり来るかな。当面ゆーと呼びことにする。
2011.07.01
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