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今、リラのスクール生の間では、自分の感じた事をジャッジせずにブログに書く、と言うのがワークとして盛んに行われているようです。それを知って改めて自分のブログを鑑みると、もちろん自分の思ったまま、分裂人格の素のままの事を書くこともあるけど、大半は他人に読ませる事を前提にしているから、ある程度フィルターを掛けている(これでも(苦笑))な、と気付いた。同時に本当に素の感情をそのまま書いても、受け入れてもらえないだろうな、とどっかで諦めているのにも気が付いた。表現方法の問題、と言われても、出た感情のままであろうとするなら、表現方法などいちいち考えてられないし。それなのに表現の仕方が悪い、って言われてもじゃあ、どうすればいいのさ、どうして欲しいのさ、って思ってしまう。結局自分が気に入るかどうかの問題じゃないの?気に入らないから、何処か引っかかるから悪いって言っているだけじゃないの?ってムカついてしまう。じゃあ、最初っから伝えないし言わない、そしたら機嫌そこねなくて良いでしょ。こっちの本音なんて本当には求めていないんだから。と心を閉ざしてしまう。うん、人って本当に求めていることは自分にとって気持ちのいい言葉や、都合のいい事だけなんだなっていう諦めがあるな。こちらの本音とか本当の事なんて欲しくないんだなって思っている。そしてその相手の求めているモノを察知して、その通りに表現することが愛だと思っている人も沢山いる。思いやりで基本だと思っている人もいる。違うだろ、って思う。それは結局自分を装って相手をだましている、詐欺でしかないだろ。嘘偽りばかり並べて、それを相手への思いやりだと言い募り、自分の良い子意識やプライドの優越感を満足させているだけじゃないか。そう言う怒りも出てくる。諦めている自分と、諦めずに怒り続けている自分。例えば、今日仕事をしていて。研修期間中とはいえ、一応目標数値と言うのはあるのだけど。今日は自分の中での目標数値も大分下回ってしまっていた。単純に悔しくて悔しくて、泣きたい自分も居る。何が駄目なんだろう、どうしたらいいんだろうと泣きながら考える自分も居る。下手したら自己卑下にまで、堕ち込んで責めそうな雰囲気で。でも同時にそんなこと表現したら、ヤバいとか、人としてやばく思われるから、抑えなきゃ、って動く自分も居る。そしてこんなことで悔しいとか思う事がおかしいよ、って否定する声もする。けれど悔しい気持ちは本当。というか、未だそう言う風に感じられるんだ、ってことにびっくりもした。イメージとしてちっちゃい私が悔しいって泣き喚いている感じ。チャイルド人格かな。ついでに暴れまくっていて。なんか可愛いって思ってしまった。ああ、そうか。こういうのを受け入れれば良いんだ。みっともないとかおかしいとか、全部母親や外からの強制刷り込みなんだ。じゃあ、押さえなきゃとか言うのは、プライドの考えだな。弱さを受け入れきれないのも、そこだな。勘違いしていた。受け入れられないと諦めているのも、プライドの考え方だ。受け入れてもらえない自分が、認められないだけだ。だから理由をつける。それじゃ進歩無いじゃん。感情は何処かで絶対に出していこう。抑えるから余計に表現に歪みが出るって教えてもらっていたじゃん。よし、自分もプライドに負けずに表現していこう。怒りだけじゃ無く悲しいとかみっともないと思われる事でも。
2011.11.30
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今日は仕事で一日、PCの画面とにらめっこでした。疲れた~。眉間の辺りは重いし、もやもやするし。目もあまり開けてられない感じ。液晶モニター2個とにらめっこするって、こんなに疲れたっけ。こんなに大変だったっけ。今までPC画面を見ても、一日中じゃなかった仕事が、1年以上続いた。そのせいかとても疲れる。前が疲れていても自覚ないほどまでに、麻痺していただけなのかなぁ。それともまだ慣れないためかな。そんな訳でちょいと頭が回りません。でも頑張った。偉いぞ私。と褒めてみた。
2011.11.29
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つい、誰かと比べて駄目探しをしてしまう。比べて、自分は駄目なんだと、自己卑下をしたがる。自分の事も簡単に認められない。何か一つクリアしても、それ以外の駄目な事がアレコレ目に付いて、出来ない事をクローズアップしてしまう。他人の賞賛や慰めや認めてもらっても、否定をして受け取らない。そしてまた、自分が完ぺきに出来たと思っても、それに対して誰かの賞賛を貰わないと自分を認められない。自分で自分が認められない。ある意味、傲慢だな、って改めて思う自分の作った枠組みの通りにして、さらに他人に認められないと自分の価値が無いと思っている。自分が中途半端な時に認められても、価値が無いと思っている。素直じゃない。喜んでいる自分が居ても、冷や水をぶっかけ気を引き締める。ある意味ストイックである意味傲慢だ。自虐完璧主義、って名前をつけたけどそのまんまが新しい職場で出ている。良い時は完璧主義でどんどん自分を高めていくが、悪い方に向かうとどんどん自虐的に駄目だしをしまくる。努力するのは当然のこと、平均以上は当たり前のこと、他人よりも優れるために努力を惜しまない。そうで無い時はとことん自分を責めて、自滅する。昨日書いた、弱い自分を認められないところに、この律の思考も入っているな。この自虐完璧主義が全部悪い、って訳じゃないな。本当に主人格のプロデュース力の問題だな。裏目が出た時に、如何に表目にひっくり返すか、の問題かも。美意識と向上心を持っている。これは私にとっても、大事なものだ。でも同時に弱いモノ、情けないモノ、惨めなものは認められない。認められないからこそ、自虐して余計に堕ちて、情けない状態になりながらもあがこうとする。矛盾。それを認めずにいた。だからよけいに苦しくなっていった。そしてプライドの介入。余計にぐちゃぐちゃになる。ここをちゃんと分けて、弱い所を認めることができれば良いな。切り捨てるんじゃなくて、それを持っていければいいな。それが本当の完璧なこと、じゃないかな。駄目だしが悪い訳じゃないな、自分の出来た所を認められないのが問題だな。思考の転換が、苦手だから余計にハマる。ブログを書いている最中に律とお話をして、名前変更。メロディ、が良いそうだ。律より柔らかな印象で、柔軟性がありそう。そうなるように。
2011.11.28
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再度抵抗が出てます。ええ、課題に対して。なんか全然そこんところは変わらん。本当に何でこんなことしなくちゃいけないんだ。わざわざ苦しいことや悲しい事なんて、思いだしたくないし、身につまされる話なんて大嫌いだ。何でまたあんな思いをしなくちゃいけないんだ。もう終わった事でしょ。思い出したくもない。そう言う気持ちが湧きあがる。セッションで。谷田さんが自分のそう言う時に悲しい自分や惨めな自分をちゃんと認めなくちゃいけない、そうしないと本当に先に進めない。って言っていたけど。理屈はわかる。分かるけど認められない。そんな自分を許すことはできない。あれは汚点だ。駄目なんだ。見っとも無くて情けない自分なんて、認めちゃいけない。そこにいちゃいけない、そのままじゃいけない。そんな感じで目を逸らしたい。観たくない。忘れたい。目を逸らして封じることで生きてきた。観ないように頑張ってきた。観てしまうとそこに落ちて巻き込まれて、上がって来れなくなるから。どんどん情けなくなって、堕ちてしまう。泣くしかなくなってしまう。そんなのはやっちゃけいけない。認められない、許されない。留まっていてはいけない。歩かなくちゃ。ともかく何処へどこでも良いから、行かなくちゃ。こんなところに居たくない。抜け出すためにともかく行かなくちゃ。あの時のことはもう誰も触らないで。放っておいて。触らずに見ずにおいてくれたら、私は笑っているから。無かった事のように笑うし、強く居るから。だから放っておいて。プライドと良い子が抵抗している。弱い自分を認めたら、今までが崩れ落ちてしまう。今の自分の価値が無くなってしまう。弱い自分でOKだったなら。がんばって築き上げてきたものは、一体何だったんだろう。私のやってきたことは無駄だったの。意味のないことだったの。やらなきゃよかったの。じゃあ、私は一体どうしたら良かったの。いや、間違いじゃなかったんだよ。やってきたことは、頑張ってきたことは普通の事だよ。それで良かったんだよ。何一つ間違いじゃなかったんだよ。でも切り捨ててきたよね、辛い自分を。観ないように、忘れるように。それを拾いに行くだけだよ。今までの否定じゃないよ。分かっているよ、そうしないと負けちゃいそうだったんだよね。だからその時はそうしないとダメだった。でも今は違うから。そう言っても、抵抗は収まらない。嫌な気分が蔓延している。書いている最中に、ちょっと疑惑が湧きあがった。良い子がわざと抵抗して、そこに良い子がさらに良い人をやって陶酔しているんじゃないか、主人格じゃないんじゃないか。念のためメモ。ともかく抵抗中。一通りやって、再度課題に行きたい。
2011.11.27
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愛知県美術館まで行ってきました。久しぶりの美術館~~♪もちろん着物、付け下げを着ていきましたwま、袋帯に四苦八苦したが。なーんか偶に上手くいかない時があるんですよねぇ。で、ポロック展ですが思ったより人は多くなかったな。未だ始まったばかりだからかな?(2011.11.11に始まって、2012.1.22に終わるのだ)おかげでゆっくり見れましたが。個人的な好みを言うと初期の作品はあまり好きじゃなかったなぁ。ポーリング技法が始まった前後位からの方が、面白くて好きだな。「インディアンレッドの地の壁画」は観ただけで鳥肌が立った。抽象画だけど、なんと言うか、すごいエネルギーなんだよね。大きさもあるのだろうけど。丁度その展示室の前に、ポロックのアトリエを再現した所があって、それも面白かった。床は写真をプリントしたものが貼ってあったのだけど、そこだけ中に入れてじっくり見れたし、壁はちゃんと木材で作ってあって、どんな感じだったのか想像できて楽しかった。晩年は方向転換したため、色々言われたらしいけど、こうやって並べてみると、全然違和感無いのね。なんか夜明け前、って感じがして、私は面白かった。事故死しなかったら、どんな感じの絵が生まれていたんだろうって思う。その後一応常設展を見に行って。クリムトが展示されていた~♪映像作家の水野勝規さんの作品はちょっと不思議だった。ただ自然を撮っている感じなんだけど、でも違うって感じで。うーん、不思議だ。その後はいつもの「僕らのゆめ」さんで、行われてる着物展示会へ。新進気鋭の着物作家さんです。見せてもらったんですが、なんていうか、これ、フツーの着物の織り機で織って無いでしょ??っていうくらい不思議な感じの生地でが多かったです。ジャガード織りみたいな感じ。帯も結構キラキラ系が多かったんだが、これがまた何故か紬とか小紋に合うっていう、不思議な感じでした。シルバーがあっても不思議と落ち着くって言うか。グレーの落ち着いた和風モダンの名古屋帯が魅力的だったが。買ってません (笑)ローンのこっているもん。いや、でも素敵だったなぁ。ついでにぜんざいも御馳走になって、帰ってきました。目の保養をした一日でした。
2011.11.26
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伊勢に行くことになって、再度、斎宮に関して気になり始めた。なんか、この間から引っかかるんだよねぇ。なのでWEBで調べてみたり。以前は倭姫命だけだったんだがな。今回はそもそも斎宮制度とかその他諸々が気になる。図書館で良い資料あるかなぁ。そんな訳で斎宮歴史博物館へ行きたくなっています。離宮もね。車で行くかな 苦笑悲しい物語を読んだり観たりして泣く、という課題が滞ってます 苦笑やっぱり、何でわざわざ悲しい想いをしなくちゃいけないのか、って気持ちが出てくるんだよねぇ。同時にさ、やれるはずなのにやって無いと、ミョーに罪悪感と言うか焦燥感が出てくる。やらなくちゃ、と言う気持ちと、やれない事に対する自己卑下で、こんな自分は駄目な人間なんだ、ってなる。あ、これは律の思考回路だ。自分に何もないのだから、言われた事くらいやらなくちゃ人としておかしいとか、そーゆーのがある。出来ないなら出来ないでもいい、ってのが無い。だからやらなくちゃ出来なきゃ、ってなる。裏を返せば謙虚な向上心に繋がるのだろうな。本当にどうやって裏っ返せばいいんだろうな。ま、目の前の事一つ一つやって行くか。そう言う事をやっていたら、いつの間にかスピな事にあまり興味が湧かなくなった。気になることはやっぱり突っ込むけど、それ以外はどっちでも良いかなぁって感じ。特に高次存在からメッセージなどを見かけると、ばからしくなっている。あ、これは貴夜ちゃんの見え方かな。それよりも先に自分のメンテだろ、って思う。過去世も同様。過去世を知ることが、有難い事じゃないなって思う。美化や陶酔することもおかしなことだったな、って感じる。現在の在り方の由来を知ることはできるが、それをどうにかするのは現在の自分だしね。過去は過去だし、現在は現在。意味が無いとは思わないが、思いだす事だけに執着するのは違うよな、って思う。ちゃんと現在に還元でき中や意味が無い、って思っている人格も居るけどねぇ。それも変な思考だよな。無駄や余裕はあっていいもんだしね。多すぎたら大変だけどさ。ここら辺の考えは、人格によってまちまちで、どれが誰だか区別をつけてないな。付けてみるかな。
2011.11.25
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うちでとっている某A新聞ですが、夕刊の1面の下の方に連載記事があるのですね。ここの記事が結構面白くて、ほぼ毎日チェックしているのです。先日までは「親になる子になる」というタイトルで、養子縁組、里親、里子の話が連載されました。色々な人が、色々な理由で里親になり、養子縁組を紹介したり、色々していて、同時に色々な問題があるのだな、と知りました。これがすべてだとは思わないけど、これも確かに現実の一つなんだろうな。もちろん新聞には載せられないダークな話もあるのだろうけど。そう言えば特別養子縁組、と言うのがあって、これだと実子扱いになるってのを、この記事によって知りました。戸籍にも養子、という記載じゃないらしい。日本だとまだまだ養子縁組とか、里子里親が特別な目で見られるので、それがなんとかなると良いな、と思う。後印象に残っているのが、養子に出された子は、養い親に性格が似る、ということ。親から子へと受け継がれるDNAカルマは、血によって伝わるのではなく、育てた人によって伝わるんだなぁと、しみじみした。もちろん遺伝は多少の影響もあるのだろうけど、それになんかすごいびっくりした。そう言えばここの記事が、今日から新しく在宅医療をテーマに連載が始まった。世の中にはこういう医者も居るんだなって認識を改めた。今日の記事を読んで泣きそうになった。けどあまり泣けなかった。家族がいる場所だったから。そんな場所で泣くと、必要以上にアレコレ言われて、根掘り葉掘りされて、挙句の果て「心配しているんでしょ」と言われるから嫌だ。本とかで泣いても、それくらいで泣くなんて、と言われるし。だから特に親の前ではあまり弱いところは見せたくない、と言う事もあるのに気付いた。結局最初は自分を守るため、なんだよな、何でも。それが外から守るはずのものが、自分の内側を傷つけるものに変っている。うーん、頑張って生きてきたな、私は私なりに。そんな事を思ってみた。
2011.11.24
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今日は白鳥庭園というところまで行ってみました。熱田神宮からちょっと行ったところにある、日本庭園です。「観楓会」という名目でイベントやっていたみたいだったので、小紋を着ていってきました。地下鉄神宮西駅から歩いて10分くらいかなぁ。ちょっと遠かったかな。入ると結構中は広いです。市民茶会をやっていたが、これはちょっと遠慮して。だって着物着てても、茶道の作法知らないもんww表千家の方がきてやっている、本格的なのは、ちょっとねぇ。入り口で園内図を貰い忘れていたので、テキトーに歩いてみたら。結局ぐるっと逆時計回りで一周するコースだった。最初に出た池で、鯉が30匹ほど集まって、餌をねだっているところに出くわして。(鯉のえさが売っているんだよ)すごかったなぁ。人は結構いっぱい居たけど、そんなに込み合っているって雰囲気もなく。ゆっくり散歩するにはいい感じかも。ところどころにベンチとか東屋があったりして。結構実のなる木も多くて、ヒヨドリとか来ていたなぁ。なーんか、気持ちいい感じだった。人工の滝もあったりして、丁度そこにベンチがあったりして、ボーっとしやすい感じだった。道も結構錯綜してて、あっちこっち行ってみたくなってグルグルしたり。紅葉は場所によって色づいている、って感じかなぁ。未だちょっと早めって感じだった。ちょこっと屋台みたいな場所があったので、焼き芋食べたりして。ちょっと曇り空で寒かったが、ほのぼのしてきました。1時間くらいいたけど、もっとボーっとできる感じだなぁ。今度から気分転換に行くと良いかもしれない。そーいえば、無農薬のコメが2キロで500円で売っていて、気になったのだが。歩きで着物で2キロを持っていく気力が無かったので、買いませんでした。そしてそこから熱田神宮南門へ。距離としては駅くらいかな。境内は着物を着たちびっ子が。そーいえば、11月って七五三でしたねぇ。午前中から出てお腹空いたので、先に清め茶屋で、おにぎり食べたのですが、雨が降って来てびっくりした。まあ、念のため傘は持って出ていたが。なので熱田神宮はサクッと手早くご挨拶をしました。何時もの龍神社とかも行って来たが、着物だったので池の方は省略。後はいつもの上知我麻神社と八剣宮はご挨拶して。それで帰ってきました。それにしても今日は寒い日でした。羽織りが必要だなぁ。
2011.11.23
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昨日ちょっと良い事があったので、思わず気に入ったバレッタを買って帰った。そして家に帰って開けたら、ひとつが不良品で飾りが落ちかけていた。縫いつけが甘かったのかな。それを見たら、やっぱり嫌―な気持ちになったので、取り替えてもらおうと思ったのだけど、ここからちょっと私の心理の動きがおかしかった。一応そこのお店は「お客様都合の返品交換は受け付けません」になっていた。でも不良品だったし、レシートもあったし、別にこちらの都合じゃないし、ってことで大丈夫のハズで。でも私の自己卑下いっぱいの意識は、「でも、交換してくれなかったらどうしよう。 きちんと見ずに買ったから、店の責任じゃない、って言われたらどうしよう」等々、どーしても変な方に思考が行くんです。いや、でも、それはちょっとCSの観点からも、おかしいでしょ。って言い聞かせてもどうしようどうしようから抜け出せない。挙句の果ては、それはムカつくから、交換してくれなかったら店長と話をして、喧嘩してやる、位まで考えて。どんどん最悪パターンでのシュミレーションをしていくんですよね。なのにでもそう言う嫌な思いをするのは嫌だから、交換お願いするなんて恥ずかしいし、辞めちゃおう、なーんて、思いだすし。いや、それらも絶対変だから。そこまで考える必要ないし!!何故かそのグルグる思考がおかしいと気付きながら、何故か抜け出せず。仕方ないから無理やりそこから思考を、引っぺがして元に戻ったのですが。今日お店に行く途中でも、何度かその悲観思考は顔を出し、足を止めさせようとした。もちろんとめなかったけど。これも一種の課題だ!って思って突破したけど。もちろん変な懸念なく、お店の人にお願いしたらあっさり交換できましたけどね。それにしても何でこんな変な思考パターンが出来あがっているかな、ってこうやって書いている最中に気が付いた。小さい頃、不良品などの交換をお願いする時に、その前にこっぴどく母に八つ当たりされていた。小さい頃なので、もちろん金額的にそんなに大きくないものだった。「そんなものをいちいち文句言って交換をお願いするなんてみっともないっ! そんなことしないで頂戴、恥ずかしい」そう言ってヒステリーを起こされた事がある。それでもお店に行って交換してもらって、喜んで帰ってきたらさらに母に厭味を言われたんだよね。「それくらいで交換するなんて、貴方が居なくなってからお店の人は馬鹿にしているわよ。 こんなくらいで交換だなんてって、何てケチなお家の子なんだろうって。 本当になんて嫌らしい子なの。」ってこちらが意気消沈して泣くまで延々言われた覚えがある。そして最終的に、買ったものが壊れてても交換しないと約束させられた気もする。それ以来交換などが又母に厭味を言われると思うと、怖くて嫌で出来なくなった気がするな。でもさ、冷静に考えて、これってそんなに厭味を延々言うような事なのかな。お店の人に子供に聞えないように厭味を言われたなら、それはお店の人の性格の問題であって、子供に八つ当たりする事じゃないと思うんだけど。それってただの逆恨みとか、体面とかだけじゃないかな。もし子供の言い方とかがおかしかったら、それだけちゃんと注意すれば良いと思うのだけどな。結局一種のコントロールだったのかもしれない。でもそれが未だに心の奥底に残っていて、言動を左右しているのなら、これはかなりまずい状態だな。今回の事に悲観・卑屈人格のひなが出てなかったから、繰り返すかもしれない。振り返って大丈夫だと伝えないと。じゃないとあっていう間に密かに持っていかれてしまう。結果逃避になる。それはやだ。今回ちゃんとひなを前面に出して出来なかったけど、次回は気づいてちゃんとひながやって行くようにしたいな。
2011.11.22
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課題を少しこなしてみて、気付いたことがある。どうも、感情の出方がダイレクトじゃないんですよね。割とタイムラグがある。「ハッピーバースデー」の方の怒りも、読み終わってしばらくしてからわき上がってきたし、「星守る犬」の話も、読んでしばらくしないと泣けなかった。その場ですぐに、読みながらは泣けない。これが頑張っている系の話や、ハッピーエンド系の泣ける話なら、その時々で泣くんだが、どうもこういう悲しい系は、そうじゃないみたいだ。これくらいで泣いてたまるか。そんな感じが少しする。実際は感情が動かず、淡々としている感じがするのだけど。これはやっぱり、抑えているみたいだな、と言うのが3冊読んでの振り返りの感想。普段は避けまくっているので(あらすじ読んだだけで、いやーな気持ちになってしまうから)、気付かなかったのですけど。怒りとか悲しみとか、直接体験したことは結構直ぐに感情が出て、しかも顔に出る(らしい)ので、抑えたつもりでも抑えきれて無くて、苦慮していたので意外と言うかなんというか。あ、でも傷ついても、出来るだけ感じないように自己暗示はかけていたので、それも原因かもしれない。ともかくそれを外すために、何度もいくつもやらないとダメかもしれないな。そうそう麻痺は取れそうにないと思うので。放っておけばまた蓋をする方にデフォルトしてしますようで。でもそーやって頑張って生きてきたんだよな。辛くても悲しくても、そうして麻痺させることで生きてきたんだよな。色々と乗り越えてきたんだよな。頑張ったよな。そこは認めていこうと思う。
2011.11.21
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まあ、「続・星守る犬」なんですけど。寝る前に読んでみた。前のお話のその後どうなったとか、その他諸々の話、なんですが。全然私としては面白くなかったというかなんと言うか。感情移入が全然できなくて、ミョーな気分でした。ただ胸の辺りに圧迫感を感じて、でもそれが何なのか良く分からなくて。しばらくしてから泣けてきたけど、でも話に触発されてというより、なんか怒りの様な変な泣き方しか出来なかった。わ―って泣けないのね。中途半端な感じ。何だろうこれ、って思っていたら、なんか妙な怖さが湧きあがってきた。幼い時に未来の事を思って色々考えたら、なんか妙に怖くなって、慌ててその怖さから目をそむけたんだけど、丁度そんな感じの怖さ。先行きの怖さと言うか未知のものへの怖さと言うか、これからどうなるんだろうとか、どうしたらいいか分からない怖さもあって、身をすくめたことがありました。そんなのが甦って来て、一人でベソベソと泣いていました。同時に出てきたのが自己卑下。こんな私は価値が無い、居ても仕方ないんだ、っていう気持ち。泣いている時は乗っ取られてて、良く分かって無かったが、その自己卑下は刷り込みでしないな。結構ウジウジとしたところがあったから、それを鬱陶しいと母親から嫌われていたな。酷い時は嫌がらせで酷い事を言われたりして。訳の分からない恐怖におびえていたのを受け止めれ貰ってないな。下手にあれが怖いこれが怖いと言ったら、母親から怒られたり怒鳴られたりしていた。些細なことにおびえて怖がっている私が、鬱陶しかったみたいだ。だから怖くて仕方ない事を、母親に言っても受け止めてもらえない心細さで、どうしていいか分からなくなっていた事もある。父親から「怖いと思うから怖いんじゃない?怖くないと思えば怖くなくなるよ」と言ってもらって、気がかるくなった覚えがある。ちなみこれは幼稚園のころか、小学校1年くらいの頃の話、だったと思う。あまりハッキリ覚えてないけど、すごく安堵した事だけ覚えている。それからはあまりアレコレがやたら滅多ら怖いって思うことは少なくなったのだけど。出てきたのはその前の妙な怖さ。まるで底なしの沼にでもハマったように、怖れに取り囲まれて身動きできなくなっている自分を感じて、逆にやっぱり頭の中が「?????」ってなったんですよね。いやはや、本当にこのミョーな怖れって一体何だろう。正常な範囲の怖れなのか、それから外れるか、一度聞いてみたいものです。そんな感じで、しばらくベソベソ泣いてから、寝たんですが。ただその時に必死にそれを横にどけてみないようにしようとする、意識の動きがあった。無かった事にしようと自動的に、そこから目を逸らすんだよね。今まで気づかなかったけど、今回は気づいた。確かにあんな身動きの取れない恐怖にずーっと掴まっていたら、生きていけないんだが。一種の生存本能のなせる技かもしれん。その分厄介だな。朝起きて、拒否反応は起きてない分、やっぱりなんかミョーな気分。こんな物語を読んだら、あまりのせつなさや身の置き所の無さがあって、落ちつかないんハズなんだけど(かつてはそうだった)、それが無いってどうなんだろう。感じないようにしているのなら大問題で、乗り越えているなら別に構わないんだけど。取りあえず要観察、って感じで。ただ、悲しい泣ける物語を読むと、どーしても辛かった事や悲しかった事が思い出して来て、やっぱり嫌だなぁって思う。それだけ自分のそう言うのを見ないように、蓋して生きてきたんだなって思う。読むとそれと嫌でも向き合う羽目になる。そうしないと、先に進めないってのも、実感として分かる。ホントーに、ピンポイントの課題を貰ったもんです、マジで。トーヒしながらも、やっていこうと思う。次は韓国映画かな~。
2011.11.20
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結構雨が降っていたので、着物でお出かけは中止。雨ゴートがあってもやっぱり心配だもん。で、まずはちょっとだけお片付け。要らん書類を捨てた。3年前のクレジット明細とか 苦笑と、いうかたまっていたのを見て何となくうーん、って思った。丁度この頃は色々グダグダしていたな~とか、思ってミョーだった。その後ふらっとおでかけ。某SCへ。なーんか行きたくなって。そしたら駐車場がちょうどいいとめたい場所が空いた。店内に入ったら、丁度ライブをやっていたので聞いてきた。2曲だけだけどw生声って良いな~~。ヤローどものファンの反応が面白かった~。んで店内を久しぶりにぶらぶらして。特に何も買わんかったのだが。なーんか久しぶりにゆっくりしたな~~、って感じがした。人はそれなりに多かったんだけどね。それなりにゆっくりしていたつもりだけど、そーじゃなかったのかもしれない。そんな事をちょっとだけ思った。課題に対して、なんかミョーに怖がっている自分がいる。何に対しても、最初に怖がっちゃうんだけどね。なんだろな、って毎回思う。ここんところは未だに原因が不明のままだ。幾ら中和しても、何度でも繰り返す。立ち止まって怯えているのを感じる。立ち止まればやらなくて良い、ってことはないんだけどな。毎度立ち止まろうとする、ここん所の原因が分かればいいんだけど。
2011.11.19
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今日は同期の人達と、鉄板焼きを食べに行きました~。おいしかった~♪それと、同期の人達面白過ぎww何でそー突っ込みとボケが面白い位にあるんだろう。すげー。そんなわけで、人格統合のワークはちょいとおやすみ。でもチャイルドとは遊ぶ、かな。課題も続けるけどね。
2011.11.18
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昨日の寝る前に、ちょっとだけ頑張って「星守る犬」を読んだ。いや、思った以上に泣けた。なんか堰を切ってしまったというかなんというか。ついでに色々な思いがあふれ出して来て、びっくりした。思った以上に未消化なものってあったんだな。小さい頃は男の子のからかいの対象になることが、結構あった。それでベソベソ泣いていると、「そうやってベソベソ泣くからいじめられるんでしょ。泣くな」と母に言われた事とか、中学のいじめの時も「何時までも泣いてないでちょうだい、鬱陶しい。だからいじめられるんでしょ」と言われてた事まで思い出した。うん、最初のうちだけだよ、泣いても受け止めてくれたのは。なかなか止まらないいじめにうんざりし始めた頃に言われた気がする。苛められたかどうかは毎日聞かれてたけど、心まで受け止めてくれてなかったのかもしれない。ただ私もそれ以上やってもらったら、それをタテにむちゃな要求されて、後で困る、支配されて私が無くなるって気持ちが働いたので、あまり言ってないけどね。それは置いておいて、ともかくがんがんに泣いた。こんな死に方が幸せだった訳が無い。本当に幸せなら、こんなことろで一人と一匹で死ぬわけがない。勝手に人を幸せだったとか簡単にいうな!とか、そんな感情も出てきて大変だった。それから死にたいって気持ちも噴き出した。もう疲れた、何時まで生きなくてはいけないんですか?まだ死んでは駄目なんですか?未だ投げ出しては駄目なんですか?もう疲れました。死なせて下さい。一時期ずーっと思っていたことが、噴き出した。そうか、昇華されていた訳じゃないんだ。しっかり覚えてないが、頑張ることも疲れ、何もかも疲れ、もうどうでも良い時期があった。自殺じゃなくて、どうやったら死ねるかをずーっと考えていた。ともかくそんな感じの悲しい気持ちや考えが、たくさん噴き出した。さすがに全部は思い出せない。次から次へと出てきたし、メモる事なんて考えれなかった。ともかく泣いた。でもまだ泣きたりない気もする。ただ泣き始めると止まらないんだよね。朝起きると、顔がむくんでいるし。休み前にもう一度やっていこうと思います。
2011.11.17
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昨日ちょっと書いた「ハッピーバースデー」と言う本についてですが。今日になったら拒否反応になっていた。拒否反応っていうか、怒り反応と言うか。まあ、元が児童文学だったので、基本ハッピーエンドになってます。そりゃそーだろーけどさ。でもなんか、「こんなの全部嘘。こんな大人がちょっとやそっとで気持ちを入れ替える訳ないし、こういう風に向き合ってくれる大人なんて、そうそういる訳じゃない。大抵の場合は一人で抱え込んで、誰にも理解されずに、誰にも受け止められずに、悪者にされて、一人で一生懸命生きていくしかない。それなのにさらに追い打ちをかけるヤツしかいない。結局独りで孤独に闘うしかないんだ」って気持ちが出てきてしまって。表に出ないがそれだけで泣き喚きたい気持ちになる。失語症とか何か表に症状が出ない限り、子供が悪く思われる。下手したらそれでも子供を責めて、虐待して、それを正当化してのうのうと生きている大人の方が多い、って思ってしまう。いじめだって、大人の前ではしおらしく反省したふりをして、大円満を迎えたように見えても、それを信じれば裏切られてまた隠れていじめに走るに決まっている。だからこんなのは絶対に嘘だ。うそつき、うそつき、うそつき、こんなことありえるもんか。人間なんて、表と裏を使いこなして、平然と裏切る薄汚いモノだ。こんなことある訳が無い。そうやって怒る私がいる。同時にそのハッピーエンドを欲して仕方ない私も居る。いつかは。そう思って信じて我慢してなんとかしようとあがいていく。二つの意識が同時に起こる。今書いていて思い出したが、物語のハッピーエンドに感動していたら、母が「こんなの物語の中だけなんだからね。 現実はこんなハッピーな事なんて起こる訳ないんだからね。 不幸になったらどんどん不幸になって、堕ちていくだけなんだから。 こんな白々しい物語に感動できるなんて、あんたはおめでたい子だね」っていうような事を言われた覚えがあるな。つーかさ、今思うと本当に、子供に一体何つー毒を吐くんだよ、って思う。そんなことないって反論したら、更に色々と貶めて私が泣くまで酷い事を言われたこともあるな。自分がなにイライラしていたか知らないが、子供に八つ当たりするんじゃねぇっ!!って今更ながら思う。母の思う通りになる子じゃなかったから、何が嫌なことや悲しい事があって泣くと、機嫌が悪いと「ざまぁ見ろ!」って言われたこともある。マジで「ハッピーバースデー」の母親と同じことをされてんだよね。もっともうちの兄は偶に八つ当たりされいたりもしたが。泣くって課題だけど、私の場合先に怒りを出さないと、しっかり泣けんのかもしれんなぁ。
2011.11.16
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人格統合での課題で、悲しくて泣ける物語を読む・観る、つーのがあるのですが。まあ、土曜のセッションの帰りに本屋さんのポスターで「星守る犬」をみて、これはドンピシャかも~、といったらマイミクさんがゆうパックで送ってくれました。ありがとう。で、他にないかな~、って思って今の職場の同期に聞いたら、韓ドラをプッシュしてくれました。ただ連ドラが多くて、ちょっと~、って感じで。その中で一押しされたのが「私の頭の中の消しゴム」と言う映画。内容を聞いて思わず、う~わ~~、って思ったので、多分ちょうど良い課題だと思う。メッチャ気が重いけど。「火垂るの墓」もお勧めされたが、これはもう小学校の時から拒否反応が酷いので、本当に勘弁、って代物で。戦争ものの可哀想なのは、本当に小さい頃からダメで、とにかく避けまくっていたのでこれはまた別のカルマがありそうな雰囲気。何せ目と耳をふさいで小さくなってやり過ごしたい気持ちですもん。幼稚園の頃とか、親がテレビで戦争の話を見出すと、別の部屋に怖くて逃げていたもん。それくらい駄目。はだしのゲンも駄目だったので、まともに見た覚えが無い。それは今は置いておいて。昨日は未だ頑張ってみる気になっていたが、今日になってはなんかまた避けたい気持ちでいっぱいです。いや、マジで、何でわざわざ本や映画見て辛い思いしなきゃいけないんだ、信じられねっ!って言いたい気分。そうやって言う私が一番訳分からんが。とーもーかーくー、あがいている最中です。バカみたいだけど、取りあえずあがく 苦笑そうそう、本をおくってくれたマイミクさんが、一緒に「ハッピーバースデー」と言う本を送ってくれたのですが。知らずに読んだんだけどさ、うん、読んで思い出したよ。これも一時期話題になっていて、あらすじが嫌で避けた本だ……。だってあまりにも身につまされるもん。それにこんなに良い事ばかりなんて起こらないし、って気持ちもあって、泣くにはビミョーだった。何箇所か泣いたけど。でも最初の方であまりにも自分の中身が動かなくて、そっちを異常に感じた。これ、まずいかも。そんな感じの固まり方だった。拒否反応出ている方が、たぶんまだ健全なんじゃないかって思う。とにかく何度か読み直してみるか……。なんか嫌だけど。ともかく嫌なところに突っ込んでみるしかないかもしれん。避けて通り過ぎて、既に何が何だかわかっちゃいないけど。ともかく、そんな感じの取り組み方をしています。はい。
2011.11.15
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名古屋の人格統合交流会&勉強会に行ってきました。今回スクール生の方が一人欠席、一般3名の合計8名の交流会スタートでした。行ったら、一般が最初私しか居無くてびっくりしたけど、後から2名合流しました。今回はチャクラテーマが一通り終わってなので、新テーマでした。「チャイルド劇場~小さい時の思いを叶えよう~」小さい頃に本当はこうして欲しかった、ああして欲しかったという事を寸劇仕立てにしてやりましょう、ってのが趣旨です。まず二グループに分かれて、どう言うシナリオでやるかのネタ出しをしたのですが。私の場合はアレされて悲しかったけど、でも別の場面ではやってもらっても居たしなぁってことでなかなか定まらなかったです。そん流れで、母親の落差が激しくて、怒っていると穏やかな時の、穏やかな時は怒って前に言った事を覚えてないと、よく言われた話をしたりして。もしかしたら、精神疾患まで行かなくても、一種の分裂症みたいなものなのではないかって話になりました。私の母を直接知らないので、ハッキリとはしないけど~、と言われのですが自分の中の母に対する妙な違和感の原因の知った気がしました。取りあえずその話は置いておいて。順番にそのネタをサクッと打ち合わせてやってもらったのですが。私と同じ一般参加ののNさんが、とてもお母さん役がハマっていて、すごい良かったです。一つ一つ、どういう状況下を考えて、自分で落とし込んで演技してくれたので、みなさん結構ガッツリ幼いころの状況にハマっていました。ネガティブ系の話もやってもらったりして、思わず心当たりがあったので泣いてしまったり。私の場合は結構いきなり理由も言わず有無を言わさず怒られることが多かったので、ちゃんと後で説明等をして欲しいって感じでお願いして。始まる前はもうプライド前回で、すげー恥ずかしかったのですが、実際にやり始めると自分の反応にびっくりしました。本当に当時の恐ろしさや悲しさやどうしていいか分からない状態が、身体で出て震えるんですよね。頭も思考停止状態になるし、本当のところを言うと、何も言えずに固まりそうだった。でも何度も「どうして?」を繰り返して。そうしたらNさんは「お母さんがイライラして、当たっちゃったんだよ、ごめんね。貴方は何も悪くない」と言ってくださって、ギュッと手を握ってくれて。なんかちょっと嬉しかったです。そして私もそんな母親の助けになりたいって気持ちが出てきたりして、それもびっくりで。なんかちょっと不思議な気持ちだった。最期にアドリブで「貴方を生んで良かった」と言ってくれたのが、不思議と印象に残りました。不思議じゃないか。私は母に産まなきゃよかったとか、産みたかったわけじゃない、と何度か言われていたし、その撤回をされた事が殆どないんですよね。1・2回はあった気がするけど、産みたくなかった、と言うようなことの方が回数が多い。なので自己肯定された安心感がありました。そのNさんですが、どうしても子供のころの事が出てこなくて、母親役に徹する、って形をして下さったのですが、NさんはNさんで、何かと気づくことがあったようです。でも本当に5人の母親役ありがとうございました。そして昼休みで恒例みんなでコンビニへ。お昼を食べてから、チャクラを刺激する運動。これは7期生の方がそもそも整体師なので、とてもいい運動をさせていただきました。次に切り絵ワーク。白い画用紙に、色とりどりの紙を切りぬいて、貼って行くというモノ。これまた色々と個性が表れて面白かったです。私のはチャイルドっぽくない、と言われましたが何かあまり気にならなかったなぁ。少し休んで勉強会へ。ここで長年細々と勧めている男性のOさんが合流。再び二班に分かれて、ディスカッション。私は前日のセッションの続きの様な形で、弱さを認めるとか情けなさを認める為の吐き出しをさせていただきました。結構これがくるんですよね。導入と言うか、導き出すのがうまいので、こちらもどんどんしまい込んでいたモノが出てくる感じ。前日のセッションがあってのコレなので、前日出なかった所が出てくる感じもある。悲しい話を見てなく、って課題への抵抗がこれで大分なくなった感じ。それから良い子がなかなか改善しない、と言うスクール生の話を聞いたり、でも結局子供のころの生死に関わる辺りに原因があるから、難しいのかも、と言う話もしました。もう一人の一般参加の人の、おばあちゃんの過保護ぶりなどを聞いて、それも一種の虐待に近いって話を聞いたり。生きていく術を教えずにいることは、最大の育児放棄だと私も思うんですよね。自分もそれなりに苦労したから余計に実感を込めて言うが。働かなくても何となく生きていける、と思い込んでいるといざという時路頭に迷って、ホームレスにしかなれないよ、と言う話をして。でもなかなか、人間不信を盾に、働いてみるとは言わないんですよねぇ。これもその人の課題だろうなぁ。そんな感じで勉強会は終わりました。で、帰りの地下鉄で、ボーっと座りながらテキトーに頭に浮かぶ事流していたら、なんか視点がちょっとだけ変わっている気がした。少しだけど、抵抗が減っている感じ。まだこれからどうなって行くかは、良く分からないけど。
2011.11.14
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人格統合勉強会に行ってきました。が、詳しいことは明日。今日はもう書く気があまりない。書きたいネタは沢山あるけど、すごいエネルギーを使って、疲れた、ってのもあるので。明日ちゃんと思い出して書きます。リラの皆さんありがとうございました。&おかーさんやくのNさん、本当にありがとうございました。今言えるのはこれだけ。帰りに考え方が大分変った、ってふと思ったこともまた明日。必ず。
2011.11.13
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毎月恒例になりつつありますが。谷田さんのセッションを受けて来ました。着物で行って来たが、まあ、それは余分な話として。まず現時点で無気力は抜けたって話を。理由が新しい職場になったため、無気力をやっていられないという状況もある。なので、本当に無気力をやりつくしたかは不明。もしかしたら後日また出てくるかもしれない、と言う話をしました。それから家の状況を話して、やっぱり凄い嫌な気分になりたくないから、言うのを避けるという話もしました。やっぱりなかなかこの課題は、行動できないです。後定期的にブログチェックをしていただいた居るので、最近の傾向としての問題点の指摘をしていただきました。何かを避けて頭の中だけでごちゃごちゃ分かったつもりになっているように見えるそうです。なので何を避けているのかな、と言う話になりました。いや、私も何か蓋しているものがあるのは気づていたんですが、やっぱりそれは避けていて。それが何かって追求をされました。わたしはそれをみるのをすごーく嫌がってしまって、まあ、リラの方針として尚更突っ込まれるって感じなんですが。谷田さんが言うには、私はともかく弱い部分を認められてないそうです。そのことは前回も示唆はされてましたが、その時は無気力が上回っていたのでそっちの対応がメインだったから、見てなかったんですよね。そこから中学の時のいじめの話をして。被害者意識に浸ったり、辛さを垂れ流したりする時期をぶっ飛ばして、頭でわかったつもりになっている、結局辛い気持を放置しているって指摘されました。もう一度その時の気持ちを感じることに、すごい抵抗があって、嫌で嫌で仕方が無い自分が居て、とにかく怖いんですよね。二度とあんな目にあってたまるかってのもあって。プライドの原点はその辺りにあるんじゃないかって言われました。でもその話をさせてもらうと、やっぱり泣けて来て。そうまでして反応するってことは、まだ全然自分で受け入れてないし表現してないんだよ。って教えてもらい。そこの辛さを表現する為に、その時期の何か浸れる音楽とかがあれば、それを聞いて思いだして泣くことが大事だと言われました。けど、その時期は同時に逃避もしていたので、その時聞いていた音楽とかは逃避にしか使ってないから、辛さが出てこない話をして。本当なら同じようないじめの話とかの、映画とか本とかを読むのが良いらしいのだけど、その話を聞いただけで完全に拒否反応が出てしまいました。うん、冗談抜きで体が震えるの、まだ。それがエネルギー的に分かったらしく、まずは可愛そう系で泣ける話、本でも映画でも音楽でもいいから、ってことになりました。でもそう言うのを避けてきたから、言われても何があるか分からないんですよね。思わず何かありますか?って聞いたのですが、谷田さんもそれはよく分からないらしく、今までで何かあったはずだから、それを探して見る、という課題を戴くことにとりあえず収まりました。がんばる系で泣ける話は結構好きで見るから、幾つか分かるけど、そうじゃないもの。動物ものなどもあるけど、なんか作為が見えてしまって泣けるまで行かないっていったら、どんだけ抵抗しているんだ、と言う話になり。うん、そう言うのに浸れないのも結局抵抗らしいのね。とにかく私はそれが気が重くて仕方が無い。でもそのまま辛い気持を放置して感じないようにしているのは、自分をネグレストしているのと同じだよ、って言われてショックで、それは嫌だって気持ちがある。だからワークとしてやらなきゃ、ってのはあるのだけど。分かるけど、辛い系、悲しい系のモノを見るのが嫌で嫌で仕方が無い。そんな辛い想いなんてしたくない、って思う。ともかくそう言うのも全部表現すれば良いって言われて。少しずつ私の無理のない範囲で、やってみますって話で終わりました。それにしても毎度なんか「失敗しても良いですか」、みたいな事を聞いてしまいます。やって失敗したら、駄目なんじゃないか、拒否されてしまうんじゃないかっていう気持ちが消せないですね。大丈夫だよ、って何度聞いても確認したくなる。いんだよ、って言ってもらわないと、踏み出す気になれない。でもそれもありなんだって、言ってもらって安心できるんですよね。そう言う弱さがあっていいんだって、認めれるようになりたいです。今はまだ駄目だけど。で、課題ですが、帰り本屋さんの横を通ったら、ポスターがあって「あ、これ、ぴったりだ」っていうのを見つけました。まだ買ってないけど。「星守る犬」って本。映画にもなって、話の紹介の最初の導入の部分を読んだだけで、嫌で拒否してしまったものです。悲しい系の話。買うにも抵抗があるけど。
2011.11.12
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本当は最近読んだ、「破妖の剣シリーズ」の感想を書こうと思ったのだが。せっかくの1並びの日に、それもちょっと難だろう、ってことで、スピに対する私の姿勢とかに関して。じぇいど♪さんのブログも再開されたことだしね。現時点で、スピ系か、と問われたらやっぱりスピ系の人間なんだろうな、って思う。ふつーにハイヤーと喋ったり、分裂人格のケアを押し付けたり(笑)してますから。そもそもリラの「人格統合」って、霊的探求なんだから、スピ系じゃないって言ったら大笑いなんだけどね。でもいわゆる上とか、チャネリングとか、天使や神様の言葉とか、過去世の思い出しとか、そういう一般的にスピだと思われている関係の事は、ハッキリ言って興味が大分失せてます。失せてる、と言うより特別視しなくなったってのはあると思う。だって日常の一部だもん。「人格統合」を始めてしばらくしてから、不便さを感じて一時的に遮断していた。それは「上」にばかり繋がっていると、やっぱり内側の「下」には潜り難いと感じたから。それに「上」ばかりに繋がりたがるのは、分裂人格の影響があると思ったのもある。結局それらを受け入れないってことは、自己内分離を促していることになるな、って気付いてから、なんでもOKだと思って、拒否しなくなったってのもある。でもそれらも含めて、全部受け入れていけばいいや、と思ったのがここ1~2か月の事で、かなり楽になったと思う。反動で無気力になっていたけどね。自分がこうだと思って行動していたのが、全部違ったと分かったら、誰もがあまりの事にやけになって、脱力するものだとも思うし。(と言うことに、今気付いた 苦笑)過去世に関しては本当に執着やらが無くなったな。一時期、思いだすことと、その当時の繋がりを再確認することが、すごいスピとして大事だと思って、それに終始していたが、ハッキリ言ってもう意味が無いって気付いたから。自分のルーツを知るには、大事なことだと思うけど、それが全てじゃないしね。それに自分、もしくは誰かの必要な時に、必要な過去世ってのはダウンロードされる、と気づいてからは、本当に思いだそうとかしなくなった。でもそう思うと一時期執着してたのは、それなり自分や周りに取って必要だったんだぁ、とシミジミ思うし。同時にそれにしがみついて、必死になって自分のコンプレックスを覆い隠そうと必死だったのにも気づいた。でもさ、過去世を思い出すより、自分の精神構造やどうしてそうなったかを解き明かした方が、精神的には落ち着きを得ることができたな。「上」と呼ばれる世界に関しては、まあ、ハッキリ言ってどっちでもいいと思います。私は興味が向いたら、意識を向ける、くらいの感覚だな。でもそれはそれで分けている。分離させている、と言うのではなく、個として尊重している感覚に近い。そこの世界を感知することで、何が変わったか、と言ったらハッキリ言って、「多次元をちょっとは感知することができるようになった」以外に大きな現実世界での影響はないんだよね。もちろんそれに関しての友人や知人や、その他諸々のゲートではあったと思うけど、日常生活では、そんなに大きな変動は起きてなかった。それどころか、私の場合だけど、弊害の方が大きかったと思う。スピに関して語る友人ができたのは嬉しかったけどね。逆に変なプライドが大きくなって、日常生活を変に蝕んだって感じだな、今は。それによって学ぶことは沢山あった。何よりもカルマ清算がなされないと、どういう弊害が起きるかを身に染みて知ったしね。うん、これは本当に怖いよ。自分を盲信するほど、恐ろしいことはないし、危険なことはない。気付かずにどんどん道をそれていき、それなのに光に向かって上昇している、と勘違いしてどんどん転げ落ちていくから。真のニュートラルとは何なのか、真の自己信頼とはどういうものか。これを知らずにいるのは、目隠ししたままガイドもなく、山道を歩くようなものだと思う。良く光を語る人がいるけど、その中に宿る闇を知らずに、もしくは変に排除して語っている人の、気持ち悪さと恐ろしさを最近良く感じる。多分歪みを感じるんだろう。もちろんそれを上手に隠している人もいる。でもそう言う人の言葉は、入って来ないし、何処か残らないんだよねぇ。そんな感じで、スピ系と言いながら、一般的にいうところのスピ系とは一線を引いているところはあります。何より現実重視だし。ともかく、今は私の中の精神構造の解明と、深く抑え込んで沈めた闇の洗い出しをしている真っ最中なので、余計にそうなのかもしれない。ちなみにこの洗い出し作業、一回じゃ終わらないことはたくさんある。何度も何度も汲みだしていく必要がある。それだけ押さえ込んで沈めていたってことで、仕方ないなぁと。そんな感じで、まだまだ引っ張り出して洗い出す作業を続けていくので、いわゆるスピ系とは離れていきます。ま、光だ闇だ、と言っている最中は分離しまくっているので、ワンネスは起きないのだろうなって思う。全てはあるまま、あるがまま、を受け入れれるのは何時だろうなぁ。
2011.11.11
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え?昨日のブログ記事に対して、です。ブログアップしてから冷静になってみたら。人のこと言えた義理ないじゃん。って、ふと気付いてしまいました。もうちょっと、こう、やっている最中に気付こうよ、って思うこともあります。いや、毎回だな、そう思うの。昨日はプライド半分怒り半分、って感じかな?いや、プライドが半分以上かなぁ。ムカってくると、なかなか多元的な見方は出来ないです。一つの考えに突っ走っちゃって、他が見えなくなる。もしくは自分が正しいって考えから離れられなくなる。両親の事嗤えないな。まあ、一種のDNAカルマってやつでもあるのだけど。同時に本心でもある。嫌なものは嫌。でも自分もその嫌な事をしていたりする。それに気付いてちょっとショックだったが、それが繋がらないところが、自己内分離が起きているってことだよなぁ。矛盾を矛盾だと思ってないからこそ、やるのだけど。そうやって自分の中身の分離状態なのを自覚すればするほど、本当に「人格統合」が出来るんだろうか、って毎度頭を抱えたくなる。出来なくてもやるけどさ。やらなきゃ全然分離したままなのだから、ちょっとでも可能性があるならやった方が良い。と、言う訳で頑張っているのだけど。とにかく気付き続けるしかないなぁと、思う訳です。その気付くまでの期間はだんだん短くなっているから、ちょっとは進歩しているよな。多角的に見ることも、まだまだだけど、以前よりはちょっとだけできるようになっている。やらないように、とびくびくして警戒していては、そこんところは進歩が無い訳で、本当に行動して、失敗を身に染みないと改善ないので、やるしかないな、と腹はくくって。毎度気付いたら反省しての繰り返し。でもそれで良いだな、ってシミジミ思う。ただし分裂人格は、そこまで理解を落としてないので、引き籠りや無気力をやらかすのだけど。それも良いんだな、と改めて思う。本当にこれは地道な匍匐前進が大事だな。なかなか進まなくて、我ながらイラつくこともあるけどね。
2011.11.10
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最近改めて嫌いだな~、と思ったこと。善人面、良い人ぶって、または常識人の顔して、アレコレ忠告してくる人。いや、冗談抜きで嫌いです。特に私の場合、ブログで時々垂れ流しをしてます 苦笑お付き合いいただいてて、読んでいただいている方々には大変申し訳ないのですが。それを読んで、時々「親に対してそんなこと言っては駄目」とか、「ネガティブな事を言ったりしたら、他人が不愉快になるから止めましょう」等と言ってくる人がいます。人格統合でお世話になっている方に、それはどの人格の噴き出しだ、とか指摘されるのは全然構いませんが、そうでなくやたら世間の常識とかを押し付けてくる人がいます。ハッキリ言いますが、余計なお世話です!そもそも本来のこうしたらいい、と言うのは分かっています。親を悪く言わない方が良いとか、あまり怒鳴ったり嫌ったりしない方が良いとか、そう言うことは。だからと言って、はいそうですか、と言って自分の中に生じた感情や想いを無かったことにしたり、抑えつけてしまっていては、どんどん自分が歪んでいきます。それにそういう感情を持っちゃいけない、と言うこと自体がやっぱりおかしいと思うのです。じゃあどうすればいいか、と言ったら、何で自分がそう思ってそういう感情が湧きこるのかを、ちゃんと冷静に見ていくことが必要なんだと思うのです。だた単に、知識や経験や洞察が足らないこともあるし、本当に相手が未熟で腹が立つこともある。(親が子供より未熟な面を持っていることは、多々あります)いわゆる良識などが、真理を語っていたとして、自分がそこに本当に辿り着く段階でないことも沢山あります。そう言う場合、納得できない時に無理やり従う必要はないと思うのです。たくさん反抗して沢山失敗して、ああ、やっぱりそれは真理なのだなぁと分かって、ちゃんと腹に落ちたら自然とそう言うふるまいになって行くものです。なので余程のこと(人道的に外れているとか)じゃなければ、無理やり従わせる必要などないと思うのです。丁度それが、今私の居る段階です。なので垂れ流しもするし、それが終わってから改めて向き合って反省している、のがこのブログだったりします。でもいわゆる良い顔して忠告してくる人の殆どが、この段階をすっ飛ばしていると感じます。自分が納得してないのに、それが正しいと思い込み、反発する自分の気持ちなどを綺麗に抑え込み、それに従ってます。ですから、自分がしたがっていることに反することをする人を見ると、「私が頑張って我慢してやっているのに、何でそれに反するの?」と言うような嫉妬心とも恨みともつかない念を持って、やたら忠告したがるようなのです。さらに忠告に従わないと、他人にアレコレ悪口を流布したりします。それこそせっかく私が忠告してあげたのにぃぃぃぃ、と言ったりします。後、人に忠告することで、自分のプライドを満たしたい人も同じことをするかな。いや、それはただの迷惑ですから。本来ちゃんと段階を踏んで、真理に辿り着いた人は、やたら偉そうに忠告などしません。一応言う時は言うが、基本その内分かるから、というスタンスです。それに拒否されても、その気持ちもわかるから、悪口を流布する事などしません。あとやたら滅多ら聞かれても居ないのに、忠告をしたり口出ししたりもしないな。偉そうにも言って来ない。人を見下すこともなければ、ただ単に今この人はそう言う段階なのね、で終わる。なので、時々偉そうに「そんな事をするなんて」と言ってくる人に言いたいです。それはいい迷惑ですから!ご遠慮申し上げます。
2011.11.09
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昨日書いた怒りの分析に人格の抵抗の話をしました。その辺りの分析の続き。怒りワークをしたくない、と言う気持ちの裏側に、「どうせやったって何も変わらない」という、気持ちも張り付いてます。私がいくらワークして準備したって、どんなに色々な手を使ったって、うちの親が変わるとは思えない。やるだけ無駄。そんな気持ちが何処かにある。だからワークなんてやりたくない。無駄なことが分かっているのに、やるだけバカなことはない。そんなことより他の事に向き合った方が、もっともっと良いんじゃないか。そう言う気持ちが何処かにある。で、書いている最中に気づいた。これはプライド人格の思考だ。勝手に最悪な結末を予想して、それを見たくないから回避しようとする。その為にもっともらしい分析を持ちだして、やらなくて良い言い訳を見つけようとする。そうして自己保身を固めて、しおらしく見せている。それじゃあ、駄目なんだよ。現状打開できないんだよ。見っとも無くても、結果が出なくても良いんだよ。とにかくあの手この手で、とにかくやることが大事なんだよ。そもそも何十年もかけ違えた事が、そうそう1・2回のチャレンジで変わる訳が無い。色々な手を使ってやることに、意味があるんだよ。相手が変わらなかったら自分のやったことが無意味なんじゃない。やっただけ自分の中のデータの蓄積が出来るんだよ。だからそもそもの思考の出発点や最終地点が違うんだよ。ゴールは理解してもらって、受け入れてもらって、物語の様な結末を迎える事じゃない。どれだけ自分が努力して、どれだけの事が出来るか、チャレンジすること自体なんだよ。結果と言うのは努力した末のものだから、自分の思い描いていたモノと違う事なんて、当たり前なんだよ。でもそれで良いじゃない。自分の描いた通りの結果しか駄目なんて、そんなのめちゃくちゃ格好悪い。どんな結果も受け居られる方が、どんなに人として格好良いと思う?貴方は格好いい事を求めている割に、格好悪いことばかりしているんだよ。本当に格好いい事って、そう言う事じゃないでしょ。一見格好悪く見えることでも、実は格好いい事があるじゃない。それが本当にすごいことだと、貴方は分かっているでしょう?だったらそれをやった方が、すごいと思うよ。同じ失敗をするにしても、努力もせずに失敗して言い訳するのと、メッチャ努力して失敗するのと、どっちが格好悪いと思う?どっちがみっともないと思う?貴方がアレコレ言って何もしないのは、努力する前にうだうだしているってことだから、もっとみっともない事じゃない?それでいいのかな。意外なところで、別の顔になり済ましてプライドが顔の出しているものだなぁ。プライド人格は頭悪いけど、格好いい事が大好きなので、そっちを示されると結構そちらに食いつく傾向がある。暴走する前段階なら、結構この手は使えるかも。何で一つの取り組みするまでに、ここまで分析しなくちゃいけないのか、と言う人もいると思う。でも今の段階の私は、本当に一つ一つ虱潰しにやって行くしかない。そうしないとハードルをとべないくらいの、段階に居るのだ。この分析自体が逃避だ、と言う風に見えるかもしれない。でも私には大事なことだな。自分の中の反抗勢力を一人一人説得して回らなくちゃ、出来るものも出来なくなる。下手したらいざという段階で、足を引っ張られる。その前にやれるだけの事をやっておきたい。そんな気持ちで分析中です。
2011.11.08
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昨日書いたブログは、完全に怒り人格が表面に出てました。読んで不愉快だ~、と言う方はいられると思います。すみません。垂れ流しました orzなかなかハートに基づいた怒りに転換はできないものだなぁと、しみじみ感じました。まだまだ修行が足らない。抑えきれない怒りは。というより、元からあまり抑えちゃいけないんだけど、「人格統合」的に。どっかで吐き出さないと、エネルギー的に残留して、人のハートを歪める為。ただ、吐き出したり垂れ流した後で気付かないと意味が無い。と言う訳で振り返り。そうは言うモノの昨日文をみていたら、やっぱり怒りに引きずられるので、冷静になんてなかなか見れないのですが。やっぱりまだまだ「何で私が」と言う気持ちは捨てきれない。被害者意識だろうと、何であろうと、凝り固まった気持ちでしか見れないものが、やっぱりある。これはもう、本当に怒りワークで解消して行くしかない。分かっていながら抵抗しているのが、怒り人格(仮)だよね。両親に対する怒りつらみを持ち続けて、怨念の如く呪いたがっている。だからそんなワークか何かで、この気持ちを誤魔化したり手放したりしてたまるか、みたいな気持ちがある。あ、そーか。やりたくない理由の一つに「誤魔化される」と言うのがあるのだ。それが一番嫌いなんだよね。ずーっと色々とごまされていたから、それに対して怒りがある。誤魔化す訳じゃないんだよ。ただ持っているエネルギーを発散しないと、ちゃんと怒りの真意が伝わらないだけなんだよ。ちゃんと伝えるために、まずワークをして、発散するんだよ。怒りそのものは手放しちゃいけないし、誤魔化しちゃいけない。誰かを傷つけたり、殺したり、を本当にしたいのかな。違うんじゃないかな。本当は気持ちを分かって欲しいだけじゃないのかな。受け止めて欲しいだけじゃないのかな。本当に望むことは何だろう。望むことは。普通に喋って欲しい。穏やかに話して欲しい、分かって欲しい、一方的に悪者にして欲しくない。話を聞いて欲しい、お互い分かり合いたい。何を本当に望んでいるか教えて欲しい。怒鳴って欲しくない、怒って欲しくない。何も言わずに分かる訳が無い。ちゃんと分かって欲しければ普通に話して欲しい。何故それが出来ないのか。何故それが屈辱なのか、何故それが軽蔑なのか、何故それが受け入れられないのか。いきないり一方的に怒りだし、意見を言うだけで怒鳴り返し、罵られなきゃいけないのか。そんなこと許せない、許せない、許せない。許せる訳が無い。うん、怒り人格(仮)の言葉に左右されず枝葉に囚われずに見るなら、やっぱり自分を認めて欲しい、ってのがある。怒鳴ること=否定されること。そう言う図式がある。実際否定されることしか言われてないことが多いから、だと思うのだが。あとそやって怒鳴れば、自分の思い通りになると思われるのも嫌だ、というのもあるな。コントロールされるのが嫌いな私は、怒鳴られることと叩かれることで、コントロールを受け入れるように強要されていたから、余計に嫌悪があると思う。納得できないものを納得出来ん、と言っただけでヒスられた分、反発と恐怖を育てていたな。いわゆる「良い子」を育てようと必死だったんだと思う。良い子に育つ=自分の親としての評価、だったのかな。もしかしたら大人になって困らないように、ってのも入っていたかもしれないが、残念ながら大人になって、母の教育の結果は大変困って苦労したので、やっぱりそれは何処か掛け違えていたと思う。それは置いておいて。そんな訳で怒鳴られると必要以上に反発心と怒りを貯め込んでいるところもある。だけどそれの繰り返しだと、どんどん自分が苦しくなるだけなんだ。だから怒りや許せない気持ちを持ちながらも、他の方法で何とか打開して行かなきゃいけないんだよ。同じことの繰り返しから、出ていきたくはない?嫌な事が何度も起きるのを、止めたくはない?他の人格に押さえ込まれたり、抑えられたり、見ないふりされるのを止めたくはない?だから協力して欲しい。怒りを抱いたままでもいい、恨みや憎しみを抱いたままでもいい。それでも今の状況をなんとかする為の力を貸してほしい。まずは片方の親から。もう一人はもっと性悪なので、力をつけてから。今回の事で、やっぱり怒り人格は居るんだな、って思う。このエネルギーはヤサグレともやっぱり違うし、BPの様などす黒さもない。プライドの怒りと似ているところもあるが、ちょっと違うような気もする。この点は我ながらあやふやで、心もとない。元から怒りに二種類在るのは分かっていたので、分析して行くと色々となるほどな、って思うけど。未だまだ道のりは遠いなぁ。
2011.11.07
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先に断ります。人のもつ怒りと憎しみを知りたくない人は、この先読まないように、お願いします。幾ら大変だったとしても、幾ら私から見えないアレコレがあったとしても、積もり積もったものがあったとしても。自分だけが正しい顔して、誰の何も配慮もせずに大声で罵られたら、やっぱり殺したくなる。何を言っても自分が正しいとすり替えて、人の話を聞きはしない。些細な事さえ全部他人のせいにして、怒鳴り散らし。八つ当たりの如く怒鳴り続けるのが1時間近く続いたら。その癖まるきり努力もせず、打開する為のアレコレもせず、自分だけが正しくて周りが全部間違っているという態度。挙句の果て些細な事一つもすべて「馬鹿な事をしている」「腹が立つ」と言いだして、怒鳴り散らす。幾らうっぷんがたまっているとはいえ、そこまできたら許せるもんじゃない。やはり首を絞めたくなって当然だと思う。もう一人は何を言われても、勝手な事を言っていると無視をし、自分のやりたい事をやり、それがどんなに人の神経を逆なでているかも気付かない。人が何かを言えば「私を悪者にして」と被害者意識に浸り、相手が悪いと思い、自分を憐れんでいる。他人が何を注意しても何を話しても、勝手な言いがかりをして来ていると思い込み、絶対聞かないし、相手の事を考えようともしない。それなのに自分の事を考えてくれないと言って、自己憐憫に走る。叱られて当然の事をしても、謝るどころか「私は悪くない、しらない」と言って、逆キレする。覚えてない、知らないと言えば、謝らなくて良いと思い込んでそうやって通そうとする。もしくは不貞腐れて知らん顔をする。あんたのその態度が余計に相手の怒りを買っているんだよ。自分が誰よりもかわいそうで、周りがもっと自分を大切にするべきだ、と言う態度がどんなにみっともないのか、いい加減気付け。常に自分が一番可哀想でいたいのか。そんなにお姫様の如く扱われたいのか。お前にそんな対応がふさわしいだけの度量など、丸っきりないくせに何様のつもりだ。常に同情を寄せてもらうことや、可哀想がってもらう事を求めた結果、周りに誰もいないのにいい加減気付けばいい。周りが悪いんじゃない。自分の態度や対応が、周りの人を遠ざけているんだ。それに気づかず自己憐憫に走ることの醜さを、いい加減気付け。目を逸らすな。あんたの醜さを見ていると、本当にどこかに捨ててやりたくなる。何処かの施設に閉じ込めて、二度と会わないでいい状態にしたくなる。早くしね。そう言いたくなる。以上、両親への不満と愚痴。てんでバラバラな家族。これをどうにかできるのは自分しかいない、のは分かっている。分かっているけど、何で私だけ「大人」になって、そんなことしなくちゃいけないのだ。と言う気持ちもある。何で私が面倒見なくちゃいけないのだ。ロクに愛情もくれなくて、私を思い通りに蹂躙しようとした奴らを。てめえらのカルマだ、てめえらだけでどうにかして、勝手に自滅しろ。子供を巻き込むな。そう言ってさっさと両親を捨てて、捨て去って行きたい衝動にもかられる。そうだ、未だそう言う憎しみの方が強い。赦さない、許さない。こいつらを地獄に送ってやる。死ぬほど後悔させてやりたい。生きながら滅多刺しにしてやりたい。死んだ方がましだという目にあわせてやりたい。現在向き合わなくちゃいけない課題。だけどまだ行動するより、怒りを発散させないと、壊す方にしか行かない。でも怒りワークがろくに出来ない。やりたくない。逃げたい。現在の正直な気持ち。
2011.11.06
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前日飲み会があって、久しぶりに飲んだせいか、体調がイマイチだったので、岡崎まで行くのは諦めました。なーんか、朝起きたら行こうって気にならなかったのですね。そういう時は、無理に行かないのがポリシーなので。んでも着物で出かけたら、雨がパラパラしてて。でもそんなに降りそうにないかな?と思って雨コートを持って行かなかったら、結構降って来て失敗した。ので、大須はちょいと辞めて。久しぶりに愛知県芸術センターの方へ。ジャクソン・ポロック展の前売りを買いに行きました。HP調べてみたら、なんかすごかったので、本物を見たくなったのもある。本当はあまり現代美術は好きではないのだけど。ついでに地下2階の芸術系のチラシが沢山置いてあるところで物色。気になったのが、ダンス向けの体の使い方のワークショップ。初心者向けのもあって、これが参加できそうな感じなので、出てみよーかなーと思いました。あとはインド古典舞踊の公演。東インド古典舞踊とジャワ舞踊と能なんですけどね。どーゆープログラムになるのだろう?ってとこで興味がある。うーん、チケット未だあるかなぁ?半えりや帯上げも探しに行った。けど栄だとやっぱりバリエーションに欠けるなぁ。なんかちょっとピンとこない。気になるものは在ったけどね。なんかちょっとうーん、って感じで。ここん所ずっとこんな感じでピンと来るものが少ない。まあ、無理に買う必要はないんだけど。仕事変わってから、体力的には大丈夫だが、変に疲れる。やっぱりPCを使うと変なところで疲労があるな。体が動かしたくなる。ジョギングでも始めようか。
2011.11.05
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って、なんじゃらほい?と言う人が多いと思いますが、私も知ったのは一月くらい前。「ぼくらの夢」さんで『千年工房』さんの展示会をやると、伺った時ですね。その時店長さんが赤と黒というか、臙脂と言うか、ちょっと不思議な色合いの着物を着てて、それが博多紬でした。カッコいいんですよ、それが。何せ博多の織元が今は既に十数件しかないらしく、そもそもそんなに商業ベースで出回って無いものらしいです。今日聞いた話だと京友禅は千何件も織元があるらしいですけど。博多と言えば基本は博多帯が有名ですが、そのおり方で紬糸で織ったのが、博多紬らしーです。もともとは博多織といって、着尺が先でそのおり方で作った帯が博多帯、なんだそーです。博多帯がメジャーになって、着物の方がすたれたしまったらしく、作っているところが数件しかないらしい。すまん、そこん所の知識はテキトーだwんで見て来ました~w基本着物の織り柄は横糸で出す場合が多いんです。帯何かそーですよね。でも紬は基本、縦糸で柄を出すのです。ちなみに「千年工房」さんは、毎年陰陽五行の7つのうちのひとつをテーマにして、デザインを作っているそーです。今年は「木」でした。来年は「火」で、今年の夏に福岡で展示会を行っていたよーです。帯とか見てきたんですが、すごいです。う~~わ~~~~、って感じで。佐賀錦の帯なんて、ホントーにクラクラしました。うん、本当にこれ、着る芸術品だ。しかも上手に来て伝えていけば何百年ともつんだから、すごいよねぇ。んでもって、お遊びで滝の柄の訪問着を着つけてもらったりして。これは背中に一条の落ちる滝が描かれていて、裾は滝壺の波やしぶきが描かれた逸品。カッコいいですよんwwと、いうか。私がそーゆー柄が結構好きなのかもしれん。ま、そんな手の届かないものはさておきw博多紬。これまた大島同様に軽くてでも大島より経糸びっちりで、すごい丈夫なんですよね。しかも軽い。私が着つけてもらったのは抹茶色と言うか、カーキ色と言うか、深みのあるグリーン系。柄は織りの献上のみ。反物で見たら、結構色が暗いのでどーかと思ったんですが。いや、似合いましたよ。しかもきるとそんなに暗い印象じゃないんですよねぇ。そこの色々な博多帯を合わせて、遊びました~♪博多帯の柄も結構色々ありまして、なかなか面白かったです。で、気付いたんですけど、やっぱりオーソドックスな献上柄が、一番映えるものなのは結構びっくりで。あ、佐賀錦は置いておいてください。あれはまた別もの。花柄とかが織られているより、それもとっても素敵だったけど、オーソドックスなものが一番良いんですよねぇ。ちなみに博多帯は手織りと機械織りがあります。色々な柄や手間暇がかかるのが手織りの方で、こっちはどーしてもお値段高め。逆に機械織りはオーソドックスな献上柄が多く、お手頃価格で手に入ります(つっても新品は十数万するけどね)。さらに絹糸のランクで色々差が出るので、かなりお手頃なのは、絹糸のランクが低いのだと思えばOKです。まあ、ぶっちゃけ証紙が無ければ、あっても色が違っているのがそーゆーことで。詳しくはウィキの「博多織」を読んでもらえれば。でもそれが悪い訳じゃないので、後は好み、かな。個人的にはやっぱり本絹のが好きですが。で、やっぱりそーゆー代物なので、帯とか着物とかお高いです。一番ベストな組み合わせだとしたて含めて百万行きますからww帯で五十万弱、反物で四十万弱、プラス小物でそれくらい。なので、手織りの帯は諦めて。ま、結果を行ったら、ローン組みました orz本当に何やってんだろう、わし。新しい職場に移って、ちょこっとアップした分、全部支払いにまわした勘定になるんだよねぇ。仕事、頑張ろう、うん。でも本当に素敵な博多紬なのだ。えへ~。しかも機械織りだけど博多帯と帯締めと帯上げをおまけして戴きやした。なんか、いつもすまないって思う。そんな感じで「買ってどーすんだ?」っていう私と、「わーいw博多紬だ~~~♪」って私がおります~~。そうそう、博多織も結構後継者不足に悩んでいるらしい。お給料もそんなに良くないらいしいが、やっぱり好きな人やりたい人は継いで欲しいと思う。千年工房さんの言うことには、お給料上げると、やっぱり商品にそれを反映するしかないらしく、そうなると手が出なくなって売れなくなる。そうなるとお給料が払えなくなるってことらしい。そこんところはなかなか難しい問題だし、経営者も頭を抱える話だよねぇ。あっちこっちどーにからなんだろうか、とつくづく思う。
2011.11.03
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着物の小物を探している。帯上げと帯締め。帯や着物を持って行った方が良いんだろうなぁと思いつつ、でも荷物になるのでちょっとそれは止めて 苦笑会社帰りに行ける場所が限られているので、結構選択肢が無くて悩む。やっぱり通販の方が良いのかなぁとか。なかなか着物小物関係のお店が無くて、困るんですよねぇ。やっぱり大須まで行こうかなぁ。ひいきにしていた着物リサイクルショップが、改装のため閉店していて、ちょっとさみしい。かれこれ一月。そろそろ再開して欲しいものである。前とは違うコンセプトのお店になるそうだが、やっぱり見に行ける場所が多い方が良いからなぁ。通常の呉服屋さんはなんとなく、入り難くて気軽に見に入り難いので、リサイクルショップが有難いんですけどね。とはいっても、結構何処も小物は新品が置いてあったりもする。あ、あそこは違うか。ガイドブックで某商店街に下駄屋さんがあるのを知る。ここ、何かと通っていたが在ったっけ?とおもってみたら、前のバイトの休みの日が定休日だった。そりゃ~、分かる訳が無い 苦笑今度行ってみようと思う。可愛いのがあると良いなぁ。あ、下駄のお直し行ってない 苦笑そろそろ行こうかな。そんな訳で明日は着物関係三昧の予定。さて何で行動しようかなぁ。やっぱり自転車かな。
2011.11.02
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何となく気分が落ち込み気味です。その事自体は特に構わないのですが、それじゃ駄目だ、と言う自己批判もついでに出てきてます。そして自己批判してさらに落ち込む悪循環に、ハマりかかりました。危ない。自虐完璧主義の律のパターンですね。律のパターンは、どれだけ行っても、何をしても「まだそれを言うか、まだそれをやるか」と言うくらい、しつこく繰り返し出て来ます。うーん、ここまで来ると、もっともっと深く潜ってみる必要があるのかも。以前に潜った程度では、まだまだ解決する為の鍵が足らないのかもしれないな。もしくは依存があるのかな。自分を律しているようで、依存できる物や人を探しているのだとしたら、幾ら言ってもカルマの解消は出来ない。最初は恐怖心によるものだった。生きている価値が無いのが怖かったし、認められないと生きていけないと思った。良い子になれば、許されると思った。そうでなければ価値が無い。どれだけやっても認められない。認められないのは努力してないからだ。もっともっと努力しなくちゃ。もっともっと基準をクリアしなくちゃ。そんな思いがあるのだけど。他人からの評価を、自分の価値基準にしていたら、何時まで経っても虚しいままなんだよ。そう言っても、律は頭では分かっている。でも律のハートに落ちてこない。律の中の愛されたい、認められたいという思いが強すぎて、努力依存症というか、無努力恐怖症みたいな感じになっている。本当は甘えたいのかもしれない。でも甘えちゃいけないとも思っている。うーん、前の勉強会で律の吐き出しはさせてもらったんだが、それって未だまだ一部だったんだなぁ。本当は律は甘えたいし、ダラダラしたいし、無条件に愛されたいし、もっともっと子供で居たいし。チビ律のままでも居たい。いや、居ていーんだよ。無理して大人にならんでいいよ。まずは遊び放題すればいい。なんか一つ一つのケアが、私はいい加減だなぁ。いい加減なのはともかく、直ぐにこれでいいのだろうか、あれでいいのだろうか、これじゃダメなんじゃないかと思い悩むのも、律のパターンだよな。いや、良いんだよ。本当に駄目なら、勉強会で教えてもらえばいいんだよ。とことんやらないと、絶対先には進めないんだから。とことんそれを感じることも大事だよ。谷田さんにも他のスクール生にも言われたでしょ。ここん所をずーっと言い続ける必要があるなぁ。なかなか納得しない。でもそれだけ恐怖にさらされ続けてきたってことだよな。それだけ自分を放置してきたってことだよね。なので、何年かかろうとも、言い続けましょ。私のやったことだ。律が納得するまで。
2011.11.01
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