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午前中に姪が片付けの手伝いに来てくれたが、私が「SUNおのがみ」売店へ棚卸しに行かなければならず30分ほどしかできなかった。それでも6袋ばかりゴミ袋が一杯になり、二階の部屋も少しずつスペースができてきた。ところで「SUNおのがみ」、ここではこの一ヶ月竹炭がたった一袋売れただけ… バカらしくなってくるがまだスタートしたばかりなので我慢、がまん・・・。昼食にうどんを作って食べ、早々に炭焼きの窯だし準備作業に入る。13:00時になると仲間が集まってくる。溜まった竹炭を選別・ブラシかけ、裁断、袋詰めするまであと一ヶ月以上はかかるだろう。
2006年05月31日
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午前中は病院への支払いへ。15万4千円ほど。またこれからの医療保険請求などの書類もお願いしてくる。これを最後に妻の4年間の乳がん治療費は終わる。いったいサプリを含めて何百万になったのだろう?午後は住民の健康診断の日で公民館へ。
2006年05月30日
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今日の天候のように私の一日もめまぐるしく動く。5:00時過ぎからの草刈り、朝食を済ませて、昨夕仕上げた「里山再生活動ニュース」を印刷し、配布してから葬儀屋さんへの支払いへ。 額は180万円を割ったがこれからの諸費用はどれくらいになるのだろう。仏壇、墓地の過去碑への記入、開眼など・・・。そして、妻の少しばかりの郵便口座から引き落としている新聞購読料とガス代のこれからの手続きを聞きに行き、昼食後は里山作業。夕方はキャベツ、サラダ菜を摘み夕食の支度。一人で一杯飲み始める前に前橋地方に大雨注意報が出るにわか雨の来襲。ほっとするとたった一人の世界に気がつく。
2006年05月29日
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午前中は4人ほどお線香をあげに来てくれた。合間に「里山活動」今年度名簿を整理して午後は作業に出るものの、出動してきたのは狩野さんだけ。やはり午前の強い雨に身を引いてしまったのだろう。作業は少し早めに切り上げて今度は「活動ニュース34号」を作成する。明日は配布したい。今晩の料理「ヤマクラゲ」の煮付けを作っていたら地域の仲間「小久保さん」がお刺身の差し入れ、昨日の料理も残っているし、いただいたものも沢山ある。ありがとう でも食べきれない・・・。夕方、直売場の炭を引き取りに行ってから晩酌。今宵の食卓はお刺身セット(4種)、卵と玉ねぎの煮付け、たけのこ、山クラゲの煮付け、サラダ菜、エシャレット、イチゴetc…。一人では食べきれないしもったいないし、つまらない。でもほんとうにありがとう。
2006年05月28日
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また寒いような小雨の日に戻った。今日で妻の「ふた七日」になる。二週間続けて仲間に頼んだ直売場への納品を朝食前に済ませる。今日も姪が片付けに来てくれた。私は午前中たまった洗濯を済ます。午後になって雨も小止みになったので剪定した庭木を濡れたいたのに無理やりに土手で焼却する。本当はいけないのだが家を片付けて出てきたダンボールなども一緒に…。一旦火がつくと濡れていても良く燃える。こんな日は周囲への延焼の心配もない。夕方になって娘家族四人が夕食まで用意して訪ねてくる。22:00時過ぎまでにぎやかだったが、孫たちが眠くなって去ると今度はたった一人の静寂の世界。お風呂、布団敷き、歯磨きをクリアーしておやすみ。
2006年05月27日
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新たな尾瀬高校自然環境科一年生とのお付き合いがスタートする。十一期生になるそうだ。講師の堤さんが連絡の不一致で見えかったが、先輩の大学三年生荒井君と教員スタップで一斑を持ち、六班に分かれての野外学習。今年のクラスは男子19名、女子21名と私がお付き合いを始めてから初めて女子が多くなった。残雪の影響でいつもの林道は交通止め、牧場のリフト終点までマイクロで行く。ゲレンデにも雪が少し残っていた。一部道路の都合でピストン輸送などしたために歩き出した時間が10:00時を過ぎてしまい後の行程が心配になる。サンショウウオの池、三角点を経て自然観察路に入ると残雪が現れる。昨秋のブナの大豊作を物語るように地面にはネズミの通り道がいたるところに見られた。大繁殖したネズミたちは今年はブナの実がならないのでまた自然淘汰されるだろう。私の班は男女3名ずつだが女子の方がよく声が出るとともに傍について話もよくメモを取る。随行の先生はその態度をチェックし成績をつけていく。日当たりには「ブナの双葉」が芽吹き座って観察する生徒たち。(写真上)木本、草本類の名称。特徴、標高による植生の変化などが今回のテーマだが、私としては生徒達がこれを機に、自然に対しての驚きと感動を覚えて興味をもち、これからの向上心を育んで欲しいと願っている。ここの森は白樺から岳樺へそしてオオシラビソへの垂直変化、そしてブナ林、人工林、二次林と自然林の違いなど目の当たりにできる。やがて武尊山登山道への道と自然探勝路との分岐点に着くと、そこからはすべて残雪の中(下の写真)。今回は時間の都合でオオシラビソが現れる地点で引き返した。今年の一年生は女子が多いせいか質問も多く声が出て活気がありそうだ。これからの一年でどんな成長が見られるか楽しみである。
2006年05月26日
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遅れてしまった家の前の草刈り。早起きして5:00時から始める。土手にはヤグルマギクとオオマツヨイ草の花がまだ盛りで全体の二分の一ほどを埋め尽くしている。朝陽に当たってとても綺麗なので刈り取るのもかわいそうなので残そうとすると能率が悪く作業は進まない。これも花好きの妻が蒔いたもので今年は大事にしよう。
2006年05月25日
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季節といえばそれまでだが、妻の具合が急降下を始めた四月中旬から朝夕は勿論、昼間も今妻の祭壇が一番近い南東の屋敷の木立で私を慰めるかのように声色を変えて鳴いてくれている。ありがとうウグイスさん! あなたがこれから涼しい山に向かいながら棲家を変えて秋まで鳴き続けているけれど、僕もこれから尾瀬などに毎週お邪魔するからまたよろしくネ。
2006年05月24日
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妻が逝ってから10日目。床屋さんのスケジュールも遅れてやっとさっぱりしてくる。そして妻が利用していた金融機関にこれからどういう手続きをすればよいのか相談に出かける。死亡証明、印鑑証明、戸籍謄本、etc…。初めての体験でめんどうくさそうだけれどクリアーしなければならない。妻が使っていたものや衣類は娘に整理をお願いしているがなかなか進まないので姪にも頼んでいたが、今日も手伝ってくれた。少しずつでもいい、一日ダンボール一箱のつもりでお願いしたい。朝夕、庭の隅でウグイスが私を慰めてくれている。
2006年05月23日
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私が出られない間も、妻が逝ってから作業現場は覗いていたが出動者が少ないのが寂しかった。自分でも身体がもう一つあれば顔を出したいのだが、いつ・誰が訪れ、電話があるか知れないので家を空けられなかった。でも、もう妻が昇天して9日にもなる。ただ家で来訪者を待っていたのでは私らしくないし、若しも勤めをしていたら留守番などしていられない。そう思って昼食を早めにとって作業現場で仲間を待っていると、12人も出てきてくれた。作業は遅れているし、やることはいっぱい!今晩の夕食のおかずは「三つ葉」の卵煮つけと、昨日作った「山フキ」、そして野菜はいろいろ、それに焼き魚。一人では食べきれない。これがずっと続くのだから慣れなければ・・・。
2006年05月22日
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今日は久しぶりの快晴。懐かしい10代から燃える思いで山に向かった頃の横浜と川崎のザイル仲間(田辺、近藤)の二人が来てくれた。独身時代は私の実家、結婚してからも上越の山に入るときは我が家に泊まり、一緒に夢を語った友だ。彼らの瞳の方が私より濡れている。妻のことは山仲間、職場の後輩たちが一番わかっていてくれる。話は尽きないが3時間ほどたくさんの話をした。ありがとう。
2006年05月21日
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昨日とは打って変わって蒸し暑い午前中と午後は雷雨の日。初七日のためポツポツとお線香をあげてくれる人が来る。その中に、二年前に数回、妻と一緒に自然の中でご一緒したミーちゃんが訪れてくれる。午前中も訪ねてくれたそうだが、他の客がいたので花束を玄関に置いて出直して来たという。ほんの短いお付き合いだったのにミーちゃんの妻への印象は強かったらしい。彼女の気持ちを察すると本当に嬉しい。お互いに涙を見せないように思い出を語る。妻は本当に天使だったのかも知れない! ふとそう思うことがある。ミーちゃん、みなさんありがとう。
2006年05月20日
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冷たい雨の降る日。皆さんから「本人の健康に気をつけてね!」といわれているのに、今朝は鼻の奥がひりひりと風邪の症状。なんと情けないことだろう。でも熱が出るわけでもなく鼻かぜ程度。今日は訪問客が少なくなったので物を片付けていると妻が病院へ持っていった手さげの中から二つの色紙が出てきた。あいだ みつお さんのもの。どういう気持ちで持ち込んだのだろう。そのひとつ「うつくしいものを 美しいと思える あなたのこころが うつくしい」。もう一つは長文だが要約すると「人生はどうしても通らなければならない道がある 愚痴や弱音を吐かないで 涙も見せないで黙って歩くんだ そのときに 人間としての 命の根が深くなる」 。何か自分の心をこの色紙の言葉に現したかったのだろう。この入院が最後になると悟っていたような気がしてならない。
2006年05月19日
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一日のうち、食事の支度だけはすることが決まっているものの何から手をつけていいのかわからない自分。時々訪れる弔問の方への対応。午後になって来た陽子と孫。玄関回りの下駄箱に入っている妻の靴を整理してくれた。これからはめちゃくちゃになっている二階の部屋や、一階の日本間など少しずつ片付けなければ… 妻がいたときには自分から片づけをすれば「死への準備」と思われるだろうし、本人も私に対して同じ気持ちで「暖かくなったら片付けるね!」という言葉に口を挟むことはできなかった。
2006年05月18日
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10:30分からの告別式、朝はあわただしい。兄妹、隣組みの皆さんに見送られ9:20分に家を出る。「ひっそりと静かに送って欲しい」といっていた妻だったが会場の椅子は埋まり、立ったままの方が大勢いる。また会社を辞めてもう7年目になるというのに別の「受付」が設けられていた。ありがたいことだ…会葬者への挨拶では「今までみなさんに病のことを打ち明けられなかった事情と、今までのご好意へのお礼、そして最近の様子を」を報告させていただいた。こんなに沢山の人に見送りしていただき、多くの人の瞳に涙を見たのは初めてかも知れない。みなさんありがとう!! ありがとう。 ありがとうございました。
2006年05月17日
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午前中に「遺影」が届けられた。どこの山の頂上だったかも確認していない。ただサービスサイズの写真を何の加工もしないで引き伸ばしただけのものだったが、本人らしい笑顔とできるだけ大きく顔が写っているものを慌てて選んだだけだけれど自然体で妻らしいと思う。 午後三時からの「納棺」には本人と私の兄妹たちが集まってくれた。午後六時からは通夜。この辺りでは通夜は親族のみというのが多いのでどれほどの人が来てくれるのか想像もつかなかった。でも100人は超えたと思う。ありがとうございました。今回の行事に関しての執り行いは運よく、すぐ後ろの家の金子さんが「松井造花店」に勤めていたので一切をお願いした。頼りの兄がいないため、これから告別式が終了するまで気が楽になりほんとうに助かる。
2006年05月16日
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弔問に来てくれる方が絶えない。みなさんは涙を浮かべて「なぜ! どうして…」と眠ったきりの妻に問いかける。私は今までに打ち明けられなかった事情をその都度話さなければならない。この再発多発転移と戦うには二人でなければ超えられなかったこと。「ガンだって今は大丈夫!」、「今は治療が進歩しているからね!」の言葉を受けても、現実をいちいち説明するパワーは私たちにはなかったこと。などなど・・・。でも、ありがとう。お世話になりました。みなさんの涙の分だけ、妻はがんばってくれました。この日の朝、今回の告別式までの行事に際して最も頼りにしていた兄が出血して検査入院したことを知らされる。何とか大事に至らないでと願うのみ。
2006年05月15日
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洗濯物を干してから9:00時前に家を出て病院へ。今日からは私も病室に泊まろうと思い、着替えとパジャマをザックに詰めてきた。ナースで「ちょっと」と、呼びとめられる。「奥さん、今日は自分でトイレに行けますと言っているけれど、実際は無理なので尿管を入れておむつをしています」という。「おはよう!」と言って部屋に入ると「おはよう!ありがとう」と返事をしてくれた。いつものように浮腫んだ足をマッサージしようとして「足は辛い! 」と聞くと、「うーん 大丈夫」という。それでも足首からマッサージを始めると、しやすいように足をベットの外側に伸ばした。「水は? 氷は?」と聞くと「いらない」という。静かにした方が良いのかもしれない? このホスピスに入ってから苦しそうなときはモルヒネを皮下注入しているので静かな昏睡時間が続いている。11:00時過ぎになった頃、上半身をやたらと動かすので「どこが痛い?」と聞くと「肝臓」という。看護婦さんにモルヒネを注入してもらってもまだ痛いというので家に置いてきた低周波治療器の「大長寿」を取りに行ってくる。と看護婦さんに11:00時50分頃、往復40分くらいかかるのでよろしくお願いします。と話して家に向かう。途中、車を運転しているときに携帯が鳴ったが急いでいたので家に行ってから確認しようと思い、家に入ると今度は電話のベルがなった。それは主治医からで「奥さんの血圧が急に低下してきているので戻ってください…」という内容。大長寿だけもってすぐUターン。病院への道は天気が回復してきたためか伊香保や榛名に向かう車で渋滞が始まっていたので長く感じられた。病室に戻ったのは12:40分頃。私が携帯に出なかったので並行して連絡を受けた陽子が先に着いていた。50分の私の空白! こんな時間になぜ? 妻の呼吸は1分に一度から2分、3分になり12:50分過ぎに陽子が「お母さん!」と声をかけたときの一呼吸を最後に繰り返すことはなかった。主治医による死亡確認時刻は13:02分。ありがとう。ありがとう… の言葉しかない。陽子は声にこそ出さないが涙は止まらない。しばらくして私の兄家族と朝出発した山形からの妻の兄夫婦も到着。間に合わなかった。霊柩車の手配、事務処理、亡がらの身体拭きには私と陽子に手伝わせてくれたことはホスピスならではのことか。15:00時すぎに家に着くと、隣り組の方々はすぐに集まるとともに、里山作業の仲間が黙ってテラスや家の周りに散在している竹炭や仕事の道具などを片付けてくれた。でもお礼を言っている暇もない。寺への連絡、葬儀、火葬、通報など頭は混乱…。遺影は妻と話をしておいた「槍ヶ岳頂上」のアップ写真がみつからない。続々と訪ねてくる弔問の方への対応。妻の言葉「ありがとうございました」を繰り返すのみ。告別式はあさっての16日を考えたが今日が「友引」のため斎場も火葬場も17日の水曜日にならないと満員とのこと。やむなく17日の10:30分の告別式に決めた。
2006年05月14日
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「乳がん仲間」のページを除くと仲間からの心配と励ましの言葉があった。ずっとお世話になってきたsayaさんのBBSに次のように書き込む。階段を降りるがごとく… 「sayaさん chacoさんそれからもお友達とのこと、何にも力になれないけれど嬉しいです。妻は10日にホスピスに入りました。9日の夜は痛みがひどかったらしいです。特に肝臓が全転移で猛威をふるい、入院してから13階段を下るように猛スピードで衰退している状況です。血中アンモニアが増加し脳にものぼり、的外れな言葉と、がん性腹膜炎のため腹水と食欲不振、肝性昏睡の時間が多く、点滴をしても腹水の増加を助長するだけで今は少しでも楽に過ごせるような処置をしていただいています。主治医の話では1週間から2週間と話していますが、私の感じでは数日かも知れないと思っています。明日からはできるだけ一緒に泊まって時を過ごしたいと思っています。こんなこと患者本人は書けませんのでちょっとリアルかも知れませんがお許しください。いつも皆さまの生活が安定していますよう願っています。」明日からはこの病室で一緒に泊まることをスタッフに話をする。
2006年05月13日
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遅れている炭焼きのスケジュールのため、5:00時すぎに起きて「乾燥炊き」を開始する。午前中に窯の中に火が入ったので焚口の燃焼を止める処置をして午後は病院へ。やはり今日も昨日より衰弱している。でも午後二時から院内放送で病院でのミニコンサートがあるという話を聞くと、妻は「聴きに行く」という。車椅子で会場になる外来のロビーに行く。最初は目を瞑るように聞き入っていたが一緒に行った孫が落ち着かないので外に連れ出し散歩から戻ると、途中で気分が悪くなったので部屋に戻ったと待っていた看護婦さんに聞かされた。夜になって家に戻ると、二年前に榛名や自然園に妻と一緒に行ったミーちゃんからの電話が入る。私のHP「掲示板」で妻の様子に気づいたという。いきさつを話すと泣いている様子がわかる。でも「リキままは大丈夫! 祈っている」と励ましてくれる。
2006年05月12日
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朝の8:30分に雨の中宿を出で、戸隠自然植物園に着くとやんだ。なんと幸運だろう! 妻の願いだろうかと思ってしまう。ありがとう。その後、野尻湖~飯山~津南と回って17:20分すぎに家に戻る。すぐに病院に行きたいが免許証がないのだ。でももう一度探そうと思って最初に居間サイドボードの引き出しを開けると、一番上に免許証があるではないか! ここもおとといに確か確認した所だと思うがどうしてだろう? ともかくこれで病院へ行ける。病院の妻は「ごくろうさま…」と言ってくれた。留守中に見守ってくれた陽子の報告からも容態はまた悪化しているもののすぐに命へのかかわりはなさそうで安心する。
2006年05月11日
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昨日の夜、婦長さんから電話が入り、明日ホスピスに入ることになったという。私は再び明日の旅をどうしようかと迷ったが、行かなければ妻になおさら気を使わせてしまうと思いでかけた。夕食時の乾杯の後、仲間たちに今まで妻の病について報告できなかった事情を説明すると、皆の心もすっきりしたようでその後はひそひそとした質問はなくなった。今日は心配した雨も降らず、北信越の5山も望めたことは何より。ホスピスに移った妻の様子が気になる。
2006年05月10日
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食欲が衰えている妻との約束で今日は「10:30分からホスピスの面接と見学が予定されていたので「うどん・ソーメン」を少しずつ作って10:00時前に病院へ。病室に入ると腹水を抜いているところで、2,300ccほど採取してからホスピス病棟を車椅子で見学する。静かな病棟で部屋も広くトイレ、冷蔵庫、テレビ、洗面台と病でなければホテルのような部屋。明日は患者への慰問のためにイベントがあるそうで見学を奨められる。再びもとの病棟に戻って同室の人にホスピスに移ることを伝えると、もう気心も知れて親しくなっているため残念そうだが、日ごとに容態が落ちていく側と、回復しいてく方とのギャップも大きくこれからのことを思うと、早くホスピスの雰囲気に馴染むことのほうが大切だと思う。明日からは里山活動仲間との「自然観察の旅」だが後ろ髪を引かれる思い。でも明るく通そう。夜になって免許証が見つからない! 松の芽摘みをするときに着替えをしただけで胸のポケットにあったはずなのに・・・。これでは病院へも行けない。車、着替えの場所、行動した範囲を何度も見て回ったがない。娘に電話をして長野から戻ったら半日再発行の手続きの足になってほしいと頼んでおく。
2006年05月09日
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今日もスケジュールが目一杯。二泊した兄は病院に立ち寄って午前中に帰宅の途に…。私は郵便局、そして陽子に手伝ってもらい冷蔵庫の整理。冷蔵庫は妻が注文していたものが「生協」から届きとても収容いるスペースがないのだ。本人ならきっと保存の目的も用途も考えているのだろうが、私にはいつのものか? 何なのかさえ分からないものが大きなビニール袋いっぱい出てきて処分する。午後になって病院へ。部屋の二人の仲間へも「竹炭」の盛り込みを作っていったが、一人が不在のとき婦長さんがホスピスの件で尋ねてきてその「炭」を褒められ渡してしまう。一つ足らなくなってしまったので明日作って来ようと思う。病院からの帰り道、兄のところに寄って入院が継続することを伝える。
2006年05月08日
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里山仲間の観察会の日だが、雨上がりのため4人しか集まらない。私たちの手入れをした山林の姿はこの4年間で確実に変化してきている。ギンランの生息確認。ウラシマソウ、マムシグサ、テンナンショウの見分け方などを学び、野草の種類と面積が毎年増えてきている。観察会は途中からタラの芽や山ウドの収穫にもなり、ビニール袋いっぱい持ち帰り、妻のところから戻った夕食には山形の兄と一緒に私の手料理で一杯。
2006年05月07日
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こんなことにならなければ娘たち家族とこの連休中には最低でも「赤城自然園」でゆっくりと遠足を約束していたのに実現できなかった。でも昨日の病院でお母さんが抜けてもやはり行こう! ということになり午前中は自然園で遊ぶ。昨年の孫たちは、だっこやおんぶしなければならなかったのに、今年は走り回って元気。こんな姿を見せてやれないのが残念。昼食は妻があの「おふくろ亭」のおそばを食べたいというので、そこで昼食をとり、全員で病院へ。おそばを「おいしい!」といって半人前ほど食べてくれた。今日は腹水の抜き取りなし。お腹にセットした排出管から腹水が少しずつ浸み出し、ガーゼの取替えをいていただいているが、このほうが穏やかで良いのかも知れない。
2006年05月06日
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また暑い日。車で外に出かけるとどこも渋滞にぶつかってしまう。病院へも伊香保への道路が大渋滞で金島小学校からの道に戻ってエスケーフ。陽子たち家族も来てくれたが孫二人は病室に入らず部屋の外でお父さんと遊んでもらったが、一時間以上してから病室は一時帰宅で妻だけになったので孫たちも病室に入ってくる。幼い心にも現実はわかるらしくいつものように大声でギャーギャー騒ぎ立てることもなくよい子だった。夜になって山形の兄から虫が知らせたのか電話が入る。明日行ってみるよ! ということになる。この兄はマサ江と気心が知れた兄妹では唯一の存在かも…
2006年05月05日
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10:00時過ぎに病院へ行くと、すぐに主治医が回診にきて腹水の様子をみて今日は排出管を埋め込んで外来でも対応できるようにするという。その処置をして腹水を排出すると2,000ccほど自然に出る。無理をして途中で止めると腹圧によって浸み出すという。この1週間で妻の身体は肩から胸にかけて極端に痩せてきている。乳房は1/3くらいにしぼみ、顔の表情にも力はないが何より態度が冷静なことと、同室の二人の患者さんと明るく会話していることがせめてもの慰め。
2006年05月04日
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朝方夢を見た。私が炭焼き窯のところで作業をしていると入院したはずの妻が庭から土手の階段のところに現れ健康そうないつもの表情でニコニコしながら手を振っているではないか! あれっ退院してきたの? と思ったところで目が覚めてしまった。病院へ行くと、昨日入院して腹水をとってから妻の食欲も回復して昨夜から今日の昼食まで7割以上食べられたとのこと。でも、またお腹のむくみが拡大し、足もむくんでいたのでマッサージ。ところでこの入院は3日程度と主治医は話していたのだが、腹水はまた溜まってきているのでこのまま退院ではすぐに辛くなってしまう。いつまで入院になるのだろう。
2006年05月03日
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昨日とは打って変わって肌寒い一日。病院で腹水を抜いてもらおうと思って出かけると、初回はいろいろな現象も現れることがあるので入院が必要という。まったくその用意をしていなかったので一旦家に戻って15:00時に病院へ入る。16:00時過ぎから主治医が超音波で注射をする位置を定める。妻の場合、腹部の手術をしているので腸管の癒着もあり慎重を要するという。入れたのは細い針のため腹水の出はポタポタより少し多い程度で腹圧によって排出するまでにとどめ量は1,100cc。排出後の症状に変化はなく楽になったという。これで食べられそうというので一安心して家に帰る。でも腹水を取り除くことは良くないことと私も本人も知っているし、主治医もそのことを話しながら処置しているのだからなんともやりきれない気持ち。食欲がなければ苦痛に耐えながらの点滴になるだろうし、腹水を抜けばまた栄養分が失われて衰弱。どちらを選んでも存命は時間の問題になってきたことを覚悟しなければならない。
2006年05月02日
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今日は里山作業で第八回目の窯からの「炭だし」をする。出来具合はまずまずというところだがちょっと不満が残る。というのは奥列の中心部が灰化しているのだ。この次は窯内部の煙の流れを考えて積まなければならない。ところで二日前から妻のマッサージをはじめたが、お腹の腹水はますます増えていて食欲の低下が著しい。明日は予約日ではないが腹水を抜いてもらおうと思う。
2006年05月01日
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