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先日 下の娘が私の所にやってきて言うのです。娘「パパ。ちょっとお話いいかな?」私「いいよ。」娘「あのね、誕生日のプレゼントを早くしてね。一輪車を買ってくれないかな?早く練習したいんだ。買ってくれるとうれしいんだけど。」うーん、どうしようか。一輪車を買って欲しいというのは娘の課題。しかし、お金を出すかどうかは親の課題。だから、娘はお金を出してくれないかと、私に相談を持ちかけて、ちゃんとお願い口調を使ってお願いをしてきたのだ。で、子どもからなにかお願いをされたとき、特に不都合がなければ聞いてあげるのがいい。もちろん、不都合を感じたときは断って良いし、断るときはあっさりと断った方が良い。だから、上の娘が携帯を買ってと頼んできたときはあっさり断った。「悪いけどパパは必要ないと思うから、君用の携帯は買わない。」「だってみんな持っているんだよ。」などと言ってきたけど一切話には応じなかった。買うか買わないかは私の課題だからだ。でも今回の一輪車は好ましい。「うん、分かった。いいよ。」うわーいと喜ぶ娘。子どもの課題(例えば宿題)に土足で踏み込むのは過干渉で破壊的な結果を招くが、親の課題を親が主体的に決定していくのが親のリードだ。親がリードしないで子どもの意向に振り回されると飛んでもないことになるかも知れない。だいたい何のために親がいるんだか。その一輪車が今日届いた。娘たちは数時間一輪車に乗って(まだあまり乗れないようだが)遊んでいた。家に入ってきた娘らに「楽しかった?」と声をかけると、弾けるような笑顔で「うん。たのしかったー。」よかった。買ってあげて。※「課題の分離」はアドラー心理学に基づいた親子・人間関係学習プログラムSMILEの用語なんですが、「親業」にも似た概念が出てきますね。「親業」はゴードンさんが「STEP」(北米アドラー心理学会公認親子・人間関係学習プログラム)をかなり真似して作ったものですから、当然ですが。北米やヨーロッパでは「親業」はかなりマイナーです。逆にSTEPは500万人が受講しているメジャーなプログラムです。←クリックしてくださるとうれしいです!(^o^)
2005年12月31日
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今日は大晦日。大掃除は昨日までに済ませたので、近くの天然温泉に行きました。ここの温泉はサラッとしていて、飲料にもできる源泉かけ流しで大好きなのです。券を渡して男湯に入ろうとすると、三歳くらいの女の子がわがままを言って、キーキー騒いでいました。そして、おばあちゃんらしき女性がおろおろしながら機嫌を取っていました。「だって〇〇ちゃん、もうないでしょう。」すると女の子がかんしゃくを起こして、なにやら叫んで、館内に不快に響き渡るように、キーーっと叫ぶのです。私は「あーあ、注目するから、余計酷くなるのになあ。」と思いながら男湯の更衣室に入っていきました。私たちアドラー心理学を実践する者は、子どもの不適切な行動に一切注目しません。つまり、「ああ、どうしたの?」などと声をかけて機嫌を取ったりしないし(正の注目)、逆ギレして怒って「なに甘えてんだー!」と叱ったりもしないし(負の注目)、怒った態度と表情で全身から「あんたなんか知らない!」というオーラを吹きだしながら無視したり(最強力の負の注目)もしません。まず、相手にしないで注目しませんが、それでも止めなければ、聞きます。「ねえ、その方法良い方法だと思う?」って。うちの娘はかぶりを振って「思わない。」って答えました。「パパも良い方法だと思わないな。けい(長女)がその方法を取るならパパは君と話さないもの。パパと話したいなら、普通に話してくれればどれだけでもお話しするよ。」娘は穏やかになって話しかけてきました。もちろん私は真剣に彼女に向き合って、妹がもらったポチャコのハンカチを自分も欲しい という彼女の欲求を聞いて、問題の解決を話し合いました。問題の解決・話し合いの手順の仕方にもコツがあるのですがそれは又今度書きます。(問題を協力して解決していくことをSMILEでは「共同の課題」っていうんですけど。「課題の分離」(他人の課題に土足で踏み込まないこと。)だけだったら、「それはあなたの課題。勝手にやって。」「これは私の課題。口出さないで。」で、非常に冷たい関係になりますよね。課題の分離はあくまで、スタート地点。お互いの課題の解決をどのように協力してやっていくかが、アドラー心理学の相互尊敬・相互信頼の人間関係の肝要部分なのです。)子どもの不適切な行動には注目しないということが肝要です。機嫌も取りませんし、叱りも怒りながら無視もしません。なぜなら、正だろうと負だろうと注目すると、子どもはその不適切な作戦を止めないからです。ええ、叱っても止めませんよ。「叱っても叱っても止めないんです。」って親や教師が嘆くのを聞いたことありません?かりにお父さんの前では怖くて一時的に止めても、手を変え品を変え、相手を変えて不適切な行動を続けるかも。子どもが不適切な行動を本当に止めるのは、不適切な行動に替わる適切な行動を取ったときに大人から勇気づけられた時です。上の娘が 目の前のポチャコのハンカチを妹に譲って、次の週末に父親とハンカチを探しに行くという選択肢を選んでくれたとき、私は思わずうれしくなって娘を抱き締めて「ありがとう。これでみんなで仲良くできるね。パパうれしい!」って彼女に囁きました。彼女もうれしそうにしていました。娘四歳の時です。それ以来彼女は、不機嫌な感情をこれみよがしに見せ付けることで自分の要求を通そうとする作戦を二度と取りません。まあ、取っても成功しませんけど。※「課題の分離」…例えば、宿題をするかどうかは子どもの課題。子どもが宿題をちゃんとするかどうかが気になって仕方ないのは親の課題。宿題をするという子どもの課題に土足で踏み込んで、しかも自分の課題を子どもになすりつけて「まだ宿題していないのか?早くしなさい!」と怒鳴ったりすると、とてもとても破壊的な結果を招きます。完璧な共依存ですものね、これ。私たちアドレリアン(アドラー心理学を実践する者)は、鬱などの心の病やAC的苦しさは人間関係の結果に過ぎないと思っているのです。人間関係の取り方や適切な親子関係を取っていくことで、親も子も心の病になることを予防できるし、そこから健康な状態にカンバックすることも可能だと思っています。←クリックしてくださるとうれしいです!(^o^)
2005年12月31日
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私は感情的爆発が得意でした。 なぜかというと、出身家庭ではもめ事の解決には必ずこの感情的爆発が使用されていたからです。ですから、人間関係でもめたときには感情的な爆発をするものだと思っていました。というか無意識的な思いこみですけどね。 もちろん、私の出身家庭という閉ざされた狭い世界では有効だった(だって、祖母も母も私も妹も怖くて父には逆らえなかったのですから、それに思春期になってから私が同じ作戦を使い始めると父以外には効き目がありましたしね。)のですが、それ以外では全く効き目のない方法でした。 当たり前ですけどね。 特に大人になって、仕事上で使いでもすると周囲から敬遠されること間違いなしですよね。大事な場面で感情的爆発を起こして、みんなに引かれていました。はい。自分でもうまくいかないことに気づきましたね。 だって、ゲーム(感情的爆発を伴うような奇妙な交流)に引っかからない人はこの世にたくさんいて、そんな人たちにはゲームをしようとする人間はあまりつきあいたくない種類の人間でしょうからね。 うまくいかないのはわかるけど、どうしたらいいのかわからなくて、ひどい状態になっていきました。 引き延ばし、うっかり失敗、 重大なことや人との約束すっかりさっぱり忘れてしまう(本気で忘れていました。わざとじゃありませんでした。人と会う重大な約束をしていながら忘れて家に帰って飲んで、次の日に「あっ。」と思い出すという具合でした。きっととんでもないやつだと思われたでしょうね。)、 きつくて眠れなくてアルコールに逃げて、朝はまだ酔っぱらっていて仕事にも遅刻して(……飲んだくれていた父もきっと同じような状態だったのでしょうね。)、 うまくいかない仕事のことが頭から離れない気がして、食べ物がすべて本当に砂をかむみたいで、一ヶ月で十数キロも痩せました。 妻と出会うことで何とか乗り切りましたが、完全なうつ状態だったと思います。20年前のあの状態は。(その後もうつは出現するのですがその話はまた別なときに) その後交流分析(TA心理学)との出会いで、自分がゲームをしていることに気づいて、ゲシュタルト再決断やセルフリペアレンティングで自分を癒して、(交流分析は自分を癒すには良いのです。しかしTA(交流分析)にはそこから抜け出す道はありませんでした。)その後アドラー心理学のSMILEに出会って、少しずつ自分の癖を直していったのです。 SMILEは感情爆発(ゲーム)的傾向や他の諸々のAC的傾向から抜け出す王道でした。なぜなら、違う方法が明確に明示されていたからです。 トラウマ的記憶が激しかったり、他人に対する信頼感が取り戻せない人はSMILEをやる前に、カウンセリングを受けてセラピーを中心に自分の心を癒して、ライフパターンをリニューアルしておいた方が良いかもしれません。 違う方法を受け入れる準備が必要だからです。 ただ、トラウマの癒しや信頼感の取り戻しだけでは抜け出すことは難しいでしょう。それはあくまで準備であって、SMILEのような人間関係プログラム学習かそれに代わるカウンセリングによる適切な人間関係の取り結び方を学び練習する必要があります。←クリックしてくださるとうれしいです!(^o^)
2005年12月30日
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ある程度体重を減らすのに成功するんだけど、すぐ元にもどっちゃう時ってありますよね。 バッチフラワーレメディーの続きなんですが。そんなときに役に立つのが、チェストナットバット、です。 すぐ元に戻っちゃうと言うのは、甘い誘惑に負けちゃって、ついチョコレートを食べたとか、アイスクリームを食べたとか、ビールを飲み過ぎちゃったとか、夕食をおなかいっぱい食べちゃったとかいう原因があるんですね。 チェストナットバットを飲むと、そんな甘い誘惑に耐えることが出来ます。甘い誘惑に耐えながら、断ち切れるまで飲み続ければいいのです。 甘いものを口にしないで、それ以外の活動をするのです。感情のバランスを取って「そうここで食べちゃいけない。我慢しなきゃという経験からの学び」を強くしてくれるのがチェストナットバットです。 私はビールをついつい飲み過ぎようとする時にこれにずいぶん助けてもらいました。ビールを飲むだけじゃなくて、つまみも取っちゃうんですよね。しかも、高カロリーのチーズとかナッツとか、スクランブルエッグとか。 そんなときは、これを飲んで、ぐっと我慢して、他のことをしたり、寝室に行ったりする ひろなか でした。←クリックしてくださるとうれしいです!
2005年12月30日
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ダイエットって、もちろん食事と運動を考えないと成功しませんよね。 でも、分かっちゃいながらつい食べちゃう。つい飲んじゃう。それはいわば心の問題ですよね。 そこの感情面に効くのがバッチじゃないかな?自分の体験からそう思います。バッチ自体で効く訳じゃないんだよね。 実際、私は、毎日体重計にのってそれを記録して、お酒を自重して、食事も自重して、空腹の時間がなるべく長くなるように意識して、毒素を抜くために半身浴に浸かって…とオーソドックスな方法は毎日地道にやっているのです。 でも、挫折しそうになるじゃないですか? そんなときに効くのが、バッチフラワーレメディーです。 例えば、チェリープラム、「もう、我慢できない!食べてやるー!」と心の抑制を失って暴走しがちなとき、その感情のバランスを取ってくれて、衝動が落ち着いて、自分をコントロールできるようになります。 まあ、コントロールできるまで、何回も飲めばいいのです。過食症タイプの人にお勧めです。常備しておいて、何回も何回も飲むといいですね。 ←クリックしてくださるとうれしいです!
2005年12月30日
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今日ある方のカウンセリングをしていて、その方の子どもの頃の出来事の記憶にまつわる嫌な感情を消すのをお手伝いしました。 消した後、きょとんとされて「あれっ?記憶はあるんだけど、気持ちが入っていかない。何も感じない。」と不思議そうに言われるのです。青ざめていた顔も心なしか赤くほてっています。 実は誰でも自分の嫌な記憶の影響を消すことができるのです。ところが、自分でその嫌な記憶を強化するようなことを無意識的にやっていたりします。 癖になっているのですね。 だから、逆に嫌な体験の記憶の影響を消すような癖を身につければいいのです。 しかも、そのことは何も大変なことではなくてとても簡単にできたりするのです。 勇気づけの会の例会でのことです。下記のことは樫山さん(仮名)に了解を貰って書いています。ここではアンカーつぶしの例を挙げますが、記憶に伴う嫌な感情を消すやり方はいくつもたくさんあります。 体験したい方はひろなかへメールをどうぞ。電話でもやっています。 樫山さん(仮名)が前に出てきてくださいました。感謝をして、影響を消したい体験の記憶をお聞きしました。とても悲しそうにお話しいただきました。 辛い体験をお聞きした上で、信頼してもらっているなあという体験、ワクワクした体験、リラックスできる体験を三つお聞きしました。三つのプラスの体験をアンカリングしました。同じ場所にアンカリングしました。※アンカリングというのはNLPの用語です。 (樫山さん談) 一つは、先日、早期回想の話をしてもらった時のことです。その彼も、家庭の不和や、学校生活での挫折などいろいろ経験して、人間関係に神経質な人ですが、私のことは「同類」と思っているらしくて、わりとすんなりお友達になってくれました。 (2、3年前位に知り合ったのですが) 早期回想を話してくれることが、「私を信頼してくれているんだ」と言う風に感じられてとてもうれしかったのです。 食事をしてから話を聞き始めたので、アンカーに使った場面は、食事しながら雑談しているところでした。とてもくつろいで、穏やかに、楽しく話をしている場面です。 二つ目は、10年位前のことですが、友人3人と福岡に一泊旅行に行った時の事です。 ホテルで、偶然にも当時オリックスのイチロー選手や仰木監督を見て、(なんとオリックスの宿泊地だったのです。)4人とも興奮して、子ども達と一緒になって、お見送りの輪に加わっていました。 一種のお祭り状態(^^)どきどきわくわく体験でした。 二つの場面をある触覚刺激に条件付けしました。(いわゆるパブロフの犬です。)これをNLPではアンカリングと言いますが、似たようなことは交流分析でもアドレリアンカウンセリングでもします。 実体験をされていることを確認しながら、ていねいに「何が見えますか?」「何が聞こえますか?」「何を感じますか?」と三つの感覚を具体的に聞きながら触覚刺激に条件付けしました。 実体験というのは、その時の自分の内側から体験を思い出すことです。反対に分離体験というのは、体験している自分の体から出て、外側から客観的に眺めたり、聞いたり、感じたりすることです。 プラスの体験をしっかり再体験してもらって、それを条件付けていただいたのです。二つとも同じ触覚刺激に条件付けました。 三つ目は、一番リラックスしている時はいつですか?とお聞きしました。すると、彼女はお風呂でゆっくりとしているときが一番リラックスしていると答えてくださいました。 それで、お風呂の場面を思い出していただきました。表情も緩やかになり、呼吸もゆっくりになり、体もゆるんできました。しっかりとリラックスしていらっしゃるようでした。それで、さっきの二つと同じ場所に条件付けをしました。 三つのプラスの場面を重ね合わせたのです。重ね合わせることで、プラスの相乗効果で条件付けが強まり、悲しい場面に対抗できるように準備したのです。 次に、別の触覚刺激の場所にさっきの悲しい体験をアンカリングしました。思い出されたときには、本当に表情が暗くなり、体も緊張されました。かなりこだわっていらっしゃった場面のようで、一発で条件付けが成功しました。条件付けた場所を押していただくと、すぐに悲しい場面が登場したと報告されました。 そして、アンカーつぶしをしました。 簡単なやり方です。プラスの場面を条件付けた場所とマイナスの場面を条件付けた場所を両方同時押して刺激するのです。最初は何か不安定なゆらゆらした感覚におそわれます。しかし、しばらくするとフィーリングが安定してきます、安定したのを確認したら、マイナスの場面を条件付けた場所から押すのをやめるのです。3,4秒してプラスの場面を条件付けた場所を押すのをやめます。 「どうですか?どんな感じですか?」とお聞きすると、 「あれ?変です。」と樫山さんがつぶやかれます。「何が変なんですか?」とお聞きすると 「薄いんです。イメージが。」「白黒になっています。」「さっきのように悲しくない。」とおっしゃいます。 かなり影響が薄まっていたのですが、とどめを刺すためにビジュアルスウィッシュをしました。樫山さん曰く「リラックスの時のお風呂の場面が迫ってきました。」 「これからは、その嫌な場面を思い浮かべるとお風呂の場面が出てきますから。」と申し上げたら、楽しそうに笑われました。 次の日にメールをいただきました。昨日はありがとうございました。 帰ってから、「本当にお風呂に入っている時に考えたら、どうなるんだろう??」と思い、お風呂の中で嫌な場面を思い出そうとしました。不思議なことに、ほとんど白に近いような白黒・・輪郭までぼやけてるし・・・それに、もっと不思議なことに、「あの時はみんな、私のことを心配してくれていたんだよなあ」と、感謝の気持ちまで湧き上がってきたのです。そして、お風呂で泣きました。 しかし、「お風呂の中だから、こういう風に思うのかも・・」とふと我に返り(結構疑い深い・・)お風呂から上がって、少し体を冷やしてから考えようとしましたが、やはり結果は同じでした。 「明日、朝になったら気持ちが変っているかも・・?」と更に疑いました。(かなり猜疑心が強い・・) 実は、今まで何度も、「こんな気持ちを引きずっていてはいけない」と、考えを改めようとしていたのですが、そのたびに失敗して、更に暗い気持ちに陥ってしまっていたのです。 朝起きて、今この時間も、昨日までのように悲しい気持ちにはなりません。 それに、今まで母からしてもらった良いことや、誕生日におめでとうの電話をくれたことなど、今まで忘れていた嬉かった思い出が、少しずつよみがえってきました。 私の心の中で、今、不思議なことが起きているようです。人前で、あんな風に自分の過去を話せるようになったこと自体、驚きでした。とってもうれしかったので、ご報告させて頂きました。 本当にありがとうございました。(以上樫山さんのメール) いえ、いえ、やったのは樫山さんですもの。もともと嫌な体験の影響を消す能力があられて、それをうまく使えるようになられただけです。私が相談を受けた訳でもなく、樫山さんが自らの力を発揮されたのです。 ←クリックしてくださるとうれしいです!
2005年12月29日
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夕食の前に妻と中二の娘が話をしていました。妻が買ってきた「ごま団子」の話です。妻「ね、そうでしょ?びみょうでしょ?」娘「うん。確かに、びみょうだね。」買ってきたごま団子を試食しながら、その味について論評しているのである。私「えっ、ゆみちゃん(妻)、びみょうって言葉使えるんだ。おじさん、おばさんって、普通使えなくない?『びみょうって、いったい何が微妙なんだよ!!』って。」妻「びみょうくらい。使えるわよ。」私 ガーン!娘が「いいのか良くないのか分からない時にびみょうって言うのよ。美味しくもなくて、ものすごくまずくもないから、びみょうって言ったの。」と解説してくれました。夕食の時です。私が娘の所有している漫画本(結界師と言うやつ)を読んでいると。娘が言うのです。「パパって、結界師の7巻読んでなかったっけ?」で、私は言ってやったのです。娘の顔を見ながら「びみょう!」って。娘が笑う、笑う。「ははははははっ。」って大笑い。「パパ最高!その顔なあに?」だって。最高って思われて、最高!
2005年12月28日
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「こころ」と「ことば」と「人間関係」はお互いに密接な関係があるのです。私たちはこの世界を認知するときに大きく分けて「視覚イメージ」「聴覚イメージ」「体感イメージ(味覚、臭覚も含む)」の三つのイメージで認知します。そして、三つのイメージをことばに変換します。ですから、視覚イメージ優位の人は視覚に関することばが多いのです。「先が見えない。」とか「クリアになってきた。」とか表現したりします。体感イメージ優位の人は「壁に突き当たったようだ。」とか、「スルリとすり抜けた。」とか表現したりします。だから、違うイメージ優位の人と話すとなんだか話の内容がつかめずにピンと来ません。でも、ちゃんとカウンセラーとして訓練を受けている人はクライエントの優位なイメージに関連することばで返していきますから、クライエントさんは「なんだか話がよく分かるし、私の言っていることを分かってくれている。」と感じます。これはNLP(神経言語プログラミング)というものの知識なのですが、実は人間には視覚タイプと聴覚タイプと体感タイプの人がいると初めて発見したのはアルフレッド・アドラー(私はアドラーのひ孫弟子にあたります。)なのです。ですから、NLPを本格的に学ぶ前に感覚タイプは分かっていました。自分とは違うイメージを使って考えている人がいるのだということを分かっているだけで、人の違いが分かって人間関係は楽になっていきます。例えば、視覚タイプの人は相手から目を見てもらえないと注目してないと感じます。だけど、聴覚タイプは相手に注目していても目を見ないことは多いのです。(後天的にそうすることが礼儀だと訓練した人は別です。)だって、耳を向けられた方が「聞いてもらっている!!」って感覚が強いですから。これはアドラー心理学の知識ですが、ことばの使い方だけでケンカになったり、仲良くできたり、そして、心の中も変わったりします。人と関係をを取るときに、お互いに情報を交換しますよね。この情報の交換に使うことばに事実ことばと意見ことばの二種類があります。事実ことばを使うとケンカになることがあります。単なる意見をまるで事実であるかのごとく表現するからです。うちの娘たちが良くやっています。何かゲームの仕方で言い争っているのです。「違うよ。これはこうするんだよ。」「分かってないなあ。この時はこうするんだよ。」「違うもん。そうじゃないもん。」そこで私が介入します。もちろん介入には手順が必要です。なぜならば、その言い争いは娘たちの課題だからです。他人の課題に手順を無視して介入するととても破壊的なことが起こります。「なんか、パパ気になるんだけど、話に加わってもいいかなあ?」娘たち二人「うん。いいよ。」「両方の言い分を聞いてもいいかなあ?」と言って両方が思っていることを聞きます。「なるほどね。しょうこは…………って思ってるんだ。けいこは~~~って思ってるんだ。」娘二人「うん。」「そうかあ。二人の意見が現在の時点では違うんだね。お互いに相手を説得したかったら、私はこう思うんだけどって言ってみたら?そして、説得できなかったら、あきらめるって言う方法もあるよ。時間がたったら分かってくれるかもしれないじゃん。」二人とも、その後、少しだけ話して争いは止めました。当然です。「私は~と思う。」という意見ことばを使ったら、事実争いをしなくてすみます。言い争いをしているときは必ず、単なる意見を事実ことばで表現して、競争しているのです。意見ことばにして、なるほどね、相手はそういう意見なんだと思えば言い争いは終了です。アドラー心理学では、すべての心的葛藤は人間関係なのだと喝破しています。(様々な人間関係にスピリチュアルな側面が存在するのを否定はしませんが)と言うか、心的葛藤自体を認めないのですけどね。詳しく言うと。で、人間同士のコミュニケーションをより適切なお互いが協力し合えるようなものにしていけば、心も落ち着いてくると考えているのです。事実ことばと意見ことばというスキルもその一つです。言葉を変えることだけに意味があるわけではありません。しかし、言葉を変えるとその人の態度が変わることはよくあることじゃありません?態度が変わったと言うことは心の状態が変わったということですよね。そして、自分の態度が変わると相手の態度も変わるのです。さらに、相手の態度が変わると関係性全体が変わって、さらにさらに自分の心も穏やかに幸せになっていくのです。これがアドラー心理学が目指す、相互尊敬・相互信頼の民主的な横の関係です。※これは「親子関係セミナーSMILE」からの知識です。 勇気づけのページ←クリックしてくださるとうれしいです!
2005年12月28日
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今の時代には、文学療法というのが必要なのではないかと思っています。 私は明確な機能不全家庭で育ったAC(アダルトチルドレン)でしたが、今は、若い人に、機能不全家庭で育っていないのに、AC的困難さを持つ人が増えています。 AC的困難さを元々抱えているから、うつになったり、神経症になったり、境界例的になったりするのです。そしてその主因は、後で述べるように、その人や親のせいではなくて社会的ものなのです。※でも大丈夫です。AC的困難さからは抜け出すことが出来ます。 少子化もその影響に間違いありません。なぜなら、少子化、少子化と言うけれど、本当は少結婚化だからです。 夫婦一組当たりの生涯出産人数はかなり前から2人くらいで変わっていないって知っています?若い人が結婚しなくなったから、生まれてくる子供も減ってきているだけなのです。 これは深刻な事態です。 だからこそ、現代人は、心の成長やライフパターン(私たちは日常暮らしていく中での行動のパターンを持っているのです。)のよりよい変化のために、適切な文学作品を読む必要があると思うのです。 現代の生活では、心の様々な能力を伸ばしてくれる機会がとても減っていいます。 昔の人は、日々の生活の中でたくさんの多様なコミュニケーションと自然とのつきあいが必要でした。だから、様々な心的能力は自然と鍛えられていたのです。 例えば、子どもたちは様々な大人や先輩格に当たる自分より年齢の高い子どもたちや青年たちと毎日のように接してコミュニケーションを取っていました。子どもは異年齢集団で遊んでいたし、今のようなゲームもテレビもありませんでしたから、人と交流して遊ぶしかなかったのです。 そして、様々に変化する自然ともつきあい、さらには生活の中で習得する生活の技術は苦労して先輩たちから学ばなければ身につかない物でした。 遊びですら、コマ回しや竹とんぼやなにやらと技術がいる物でしたし、水をくんでくるとか、ご飯を炊くにもコツがいるとかです。 ところが現代の社会では、一日の中、子どもは親と教師以外の大人や異年齢の子どもや青年と接する機会はほとんどありません。これでコミュニケーション能力が正常に発達するはずがありません。 さらには生活のあらゆることが、簡単に言っては悪いけど「猿でも出来る」ものになりつつあります。買い物するにも、コンビニに行って黙って買いたい品物を差し出しさえすれば買えるのです。そこには何のコミュニケーションもありません。 私が子どもの頃買い物に行くと、店のおばちゃんや他の買い物に来ているおばちゃんや、途中のおじさんに声をかけられていたのとは大違いです。 だから、昔は「優れた文学」なんて読まなくても、心的能力は発達していたのです。 ところが、現代はそういうわけにはいきません。心的能力やコミュニケーション能力を身につける機会が皆無なのです。(もちろん例外はあるでしょうけど)何か、他の方法で心的能力やコミュニケーション能力を身につけなくてはなりません。 そして、心のかなり多くの能力を身につけるのに優れた文学作品を読むことが役に立つのです。 ただの文学ではいけません。 ○物語にのめり込めるだけの矛盾のない優れた筋書きや表現がなくてはなりません。 ○感動するだけの人生の真実が含まれていなくてはなりません。 ○物語から受ける影響が、前向きの人生観とか周囲と協力していこうという意欲や世界への信頼感とか人間への信頼感でなくてはなりません。 この三つの特質を備えた文学は、「文学療法」として読む文学なのだと思うのです。 今、この文学療法に役立つ文学作品の選定に当たっています。読まなきゃいけないので時間がかかるのです。 例えば、赤毛のアン、レ・ミゼラブル、あしながおじさん、アルプスの少女、大きな森の小さな家、トムソーヤーの冒険、三銃士などです。 まだありますが、整理したら公開します。←クリックしてくださるとうれしいです!(^o^)
2005年12月27日
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今、バッチフラワーレメディーにはまっています。この、自分の心の状態に合わせてレメディーを選んでいくだけの簡単な方法がとてもいいと思うのです。 誰かに頼るわけではありません。自分で選んで自分で癒せるのです。 よく分からないけれど、人間が自然の中で暮らしていた頃には自然の野草の花のエネルギーをうまく使って心のバランスを取っていたのではないでしょうか?花についた露を飲むとか。 でも、現代人は自然の野原や森には出て行きません。だから、バッチのようなものが必要になってくるのではないでしょうか? もしかしたら、日本人にあった日本のフラワーエッセンスが出来るかもしれません。日本の自然の草花を使ってです。イギリスの野草よりも効きそうじゃないですか。誰か開発しません?応援しますよ。 とにかく、今の時点ではバッチを周囲の人たちに広めたくて安くて早く送ってくれるショップから買っています。 とってもいい店があったのです。そのバッチフラワーレメディーを買った店から連絡が来ました。最近、改装中になっていたから、気になっていたのです。 レメディーは倍量の20mlなのに2400円と安かったし、品物の到着はアメリカからの航空便だったけど早かったし、対応も親切でとても好印象を持っていただけに残念だったのです。 メールで注文を取って、販売してくれるということで安心しました。追加の注文を入れました。 楽天は、他の店舗からクレームが入ると店の中身を審査するために「改装中」とするらしいです。最初は「安すぎる」というクレーム(確かに他の商品も安かった)だったそうだが、それではクレームとして成り立たず、その後、薬事法違反ということでクレームが入ったらしいです。 少なくとも、バッチフラワーレメディーは薬じゃないので薬事法とは関係ないので、残念でたまらないです。 楽天は、なかなか、改装中が元に戻らないので、Yahooに出店するらしいです。Yahooに出店されたら、そちらで購入しようと思います。 改装中のページに載っているメールアドレスや電話番号で商品は売ってくれるそうなので買いたい人はメールで問い合わせしてみてください。bijin-koubouきれいになれると言うショップです。アロマオイルなんかもあったと思いますので、メールで問い合わせて買ってみてくださいね。 うーん。私には何の得にもならないけど、みんなに得して貰いたいから。←クリックしてくださるとうれしいです!(^o^)
2005年12月26日
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うちの娘中学2年生、今朝から剣道の昇段試験に行っている。おっとりした天然の我が娘、いったい何を考えて剣道をやっているものやら。中学に入ったときに「剣道やるよ。」と宣言された時にはびっくりした。 うちは、私も妻もSMILEを受講している(私はSMILEのリーダーだし)ので、よその家の人は信じられないかもしれないけど反抗期は全く出現していない。 私たちアドレリアン(アドラー心理学の実践者)は、思春期のことを自立期と呼んでいる。反抗するなんてことをはなっから信じちゃいないのだ。 で、当然アドレリアンの家庭では反抗する子どもと親との相克は出現しない。 もちろん、娘と親二人との方針の相違とか意見の食い違いは起こるけども、そんなものは当然のことで、いつも家族会議で話し合っている。 娘が13歳になったときに「親辞め」の儀式を済ませている。 「今まで、親としていろいろとリードさせていただきまして、ありがとうございます。君がいい子だったので、お父さんとても楽しかったです。君も13歳になったので、これからの自分のことは全部自分でお決めください。ただ、経済的にはまだ自立は出来ないでしょうから、喜んで援助させていただきますので、ご相談ください。出来る限りのことをしますので。」 と言ってある。 だから、当然娘は自分に関すること特に進路については全部自分で決める気でいる。もちろん、私も妻もアドバイスをしたり、意見を言ったりするが、金銭的なことは別にして(金銭的なことは親の課題なので)、最終的には進路は彼女が決めるに違いない。 かなり遠い場所にある公立高校の美術科に進むと言っている。そして、三者面談で先生から「今のままでは無理だなあ。」と言われたもんで、「パパ、塾の冬季ゼミに行かせて。」と頼みに来た。 今までにはなかったことだ。よっぽどその公立の美術科に行きたいのだろう。 英語と数学を個別指導してもらうそうである。 クリスマスプレゼントはちゃっかり自分もサンタさんからもらっている。もちろん、彼女は小学校4年生の時からサンタさんは実はパパだということに気づいているのだが、下の小学校3年生の娘が本物のサンタさんが持ってきてくれていると信じているのに合わせているのだ。 彼女の談によると、15歳までもらえるらしい。妹と話しながら「私はまだ13歳だから、あと二回もらえるわ。」と宣わっていた。 下の娘がサンタさんからもらいたいおもちゃを私に伝えているとき(下の娘には、欲しいおもちゃをパパが、メールでフィンランドにあるサンタ本部に伝えるんだから早めに教えなくちゃと言ってある。サンタのホームページもちゃんと見せて証明もしてあるので、下の娘はすっかり信じている。)に、自分も横に来て「私は○○がいいってサンタさんに言っておいて。」と言っていた。 ちゃんとおもちゃを要求するところが、サンタさんのことをよく分かっているじゃない? でも、「親辞め」をされた大の大人がサンタさんからおもちゃをもらうのはいいのか?と言ったら……「うーん。まだ子どもでもいいけど。」って、都合のいいときにはそうかい。 勇気づけのページ←クリックしてくださるとうれしいです!(^o^)
2005年12月25日
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wing-spaceさんにリンクしていただいているのですが、すごいですね。彼のブログ。スピリチュアルな流れがメインに流れていて。 私自身、最近スピリチュアルな面にものすごく興味が出てきているのです。 (クライエントの方がたの同意を得て、モザイクで語ります。モザイクというのは数人の症例を混ぜ込んで個人が特定できないようにする表現方法です。)この前は、ある40代の男性の方に催眠状態に入っていただいていましたら、突然その方の前世らしき場面に入り込んでしまいました。 最初は、その方の早期回想場面に入り込んで、その早期回想を楽しいファンタジーに変化させていたのです。多くのアドレリアンは、明確な催眠状態を使いませんが、私はよく使います。 だって、トランス状態っていうのは、普段は無意識になっている部分との交流が活発で、その方が自分自身を完全にコントロールできている状態だと思っているからです。 その男性の方は、お母さんとの記憶を楽しいファンタジーに変えて行かれました。「母親にこんなユーモアがあったなんて」と楽しそうに笑いながら、過去の記憶とは全く違うファンタジーを楽しまれました。 こうすることで過去の嫌な記憶によって刷り込まれていた不幸に至る思いこみが幸せに至る信念に変わっていくのです。 その後、ビルのエレベーターで下りた地下室のベッドに休んでいるというシチュエーションだったのですが…ふと思いついて、そこからドアを開けて、外に出て行くことにしました。そして、ドアを開ける前に「外に出ると、あなたがとても行きたかったところにいることに気づくでしょう。」と後催眠をかけたのです。 そして、ドアを開けると、そこは草原でした。向こうの方に何かありますね。と申し上げると、大きな教会があるとおっしゃいます。 その大きな教会の周りを回っていると、急に内部にはいることが出来ました。そして、中に入って祭壇の前まで行くと、そこに人のいることに気づかれます。 私が、どんな人がいますか?とお聞きすると、牧師さんがいるというのです。そして、自分は12,3歳の少女だとおっしゃいます。 牧師さんがその少女であるクライエントのそばに寄ってきてなにやら話しかけるのだそうです。何と話しているかは分からないが雰囲気としてはゆったりした安心できる雰囲気だとおっしゃいます。 教会の外に出たいですか?それともまだしばらくここにいたいですか?とお聞きすると、まだしばらくここにいたいとおっしゃいます。 そこで、しばらく牧師さんとの時間を楽しんでいただきました。 十分味わわれた後、教会から外に出て、体を浮き上がらせて上空の方へと飛んでいって頂きました。そして、そのまま「宇宙の中心の存在」の近くまで行っていただいたのです。 「宇宙の中心である存在に、あなたがこの世に生まれた使命を教えて貰ってもいいですか?」とお声をかけたところ、「前世で達成できなかった、人との信頼関係の構築を達成するためにおまえは生まれてきたんだよ。」と教えてもらったとおっしゃっていました。 私は、今まではそんなセラピーをしたことのないカウンセラーだったので、そんな指示を自分が出してしまったことにも驚いたのですが…。 私自身もその後トランス状態に入って(いつもよりも素早く深いトランス状態に入っていけました。)「宇宙の中心」の前に行きました。そしたら、言葉にならない言葉で伝わってきて、「私は無償の愛を実現するために生まれてきたんだ!!」と強く感じました。 アドラー心理学にも「スピリチュアルタスク」という考え方があって、実際の人間関係が中心の「ラブタスク」「フレンドシップタスク」「ビジネスタスク」の三つだけではないという考え方です。(他に、個人の成長に関するタスク「セルフタスク」というのも考えられています。) ただ、私自身は、スピリチュアルな面は実際の人間関係から離れて別なタスクとして存在しているとは思っていないのです。 例えば、「ラブタスク」である私と妻の関係、娘たちとの関係、この一番濃厚な人間関係がこの世だけの関係とはとうてい思えません。なにやら「神」と言っていいか「それ」と言っていいか「宇宙そのもの」と言っていいか分かりませんが、そんな存在との関わりを感じてしまいます。 つまり、スピリチュアルタスクは独立して存在しているのではなくて、三つのタスクのそれぞれに存在している側面だと思っているのです。 ちなみに、「フレンドシップタスク」は友情の人間関係、「ビジネスタスク」は生きていくために関わらざるを得ない義務的な人間関係のことです。←クリックしてくださるとうれしいです!(^o^)
2005年12月25日
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今日はクリスマスイブ。定番の(うちだけ?)とりのもも焼きを私が作りました。無添加飼料とハーブで育てられた「ふくよか鶏」のももです。塩と5種類のスパイスを塗って、グリルで両面を15分ずつ焼きました。美味しそうな肉汁がしたたり落ちています。妻が二種類のサラダを作りました。クリスマスケーキは明日食べるのだそうです。まあ、甘いものを食べない私はいいですけど。そうそう、食事の前に妻をいいところに連れて行きました。イルミネーションのきれいなところです。近くのある集落に、個人の家が家や庭にクリスマス用のすごいイルミネーションを飾っているところがあるのです。妻ははしゃいで「きゃー、すごい。」とたくさん笑い声を上げて喜んでくれました。もちろんクリスマスプレゼントは、サファイヤのリングを買ってあります。←クリックしてくださるとうれしいです!(^o^)
2005年12月24日
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ダイエット記録をホームページ上で公開していたのですが、ちょっと停滞していて、足踏み状態だったのです。最近急激に、体重減少が復活してきました。今日計ったら、三週間前の66.5キロから比べると64.4キロのなんと2キロ減です。もちろん、毎食のご飯の量を減らしているのですが、最大の立役者はバッチフラワーレメディーでしょう。バッチフラワーレメディーというのは、70年くらい前にバッチ博士というイギリスの細菌学者によって開発された、人のマイナスの感情のバランスを取ってプラスに変えてくれる花のエキスのことです。実は、少々眉唾だったのですが、勇気づけの会例会に笹木さんという精神保健福祉士でかつバッチフラワーレメディーカウンセラーの方をお呼びして、みんなで講演をお聞きしてみんなのマイトリートメントボトル(トリートメントボトルというのは、ミキシングボトルとも言って、自分の今の状態に合わせたレメディーを6,7種類まで選んで入れて摂取するもの)を作ってもらったのです。びっくりしました。当時、ちょっとやる気が起きなくなっていて、かなりの精神的疲労があって、不安が頻繁に想起していたのですが、それにあわせてトリートメントボトルを作って飲んだら、ほんの2,3日で効果がみるみる出てきて、元気になっちゃったのです。他のメンバーに聞いたら口を合わせて「すごい効果!!」と言うのです。Fさんなんかは「体重がすごい減りました。」っていうのです。本当に見た目もスリムになっていました。で、私も「よし今度はダイエットに!!」と思っていくつかダイエットに役立つようなレメディーをトリートメントボトルに入れて飲んでいました。そしたら、本当に不思議にどんどん減っていくのです。レメディーで直接体重が減っていくと言うよりも、食べないでいることが精神的に楽になると言うような感じなのです。バッチフラワー協会バッチホリスティック研究会プルマインターナショナルe-セレショップまあ、このあたりを参考に試してみてください。うちの会では、トリートメントボトルをいろんな人に提供し始めました。←クリックしてくださるとうれしいです!(^o^)
2005年12月24日
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ふみさんのご主人がカウンセリングを受けたという記事を見て、私自身がカウンセリングを受けたときのことを思い出しました。あれは、10年ほど前のことでしょうか。酒乱で定期的に暴れる父親とそれを共依存的に支えていながら被害者を装っていた母親という出身家庭の中で、私は生きてきました。地獄のような苦しみのなかで、その地獄から抜け出すことはできないと思いこんでいました。だから、妻を説得して同居に持ち込んでいきました。今考えると、最初から別居しておけば良かったのですが、当時はそんなこと考えられませんでした。親とは同居するものだと思っていました。まあ、父親に洗脳されていたのですね。あんなにひどい親だったのに。(別に親に対する愛情はなくしていませんが、ひどい扱いを受けたことは否定できないので)同居した当初、父と約束しました。飲んだ暴れないって。まあ、無理な約束だったのですが。しばらくは我慢していた父が、定期的に暴れ出しました。ごくまともな家庭で育った妻はびっくりしたそうです。「私をだましたわね。」とも言われました。結婚する前に、というか同居する前にも、「うちの家庭はねえ、父親が酒乱で定期的に暴れるんだよー。暴言で周りの人全員を傷つけるし、ものは壊すし、暴力もふるうし」なんて話さなかったからです。でも、こうも言いました。「中に入ってみなきゃ、絶対に分からない世界よね。」そうです。酒害の家庭、あるいは酒害でなくても機能不全家庭(虐待とかネグレストなどのはびこっている家庭、DVは振るわれる方への虐待でもありますが、それを子どもに見せるとうことは子どもへの虐待でもあります。)のことは、その家庭の中へ入ってみないと分かりません。体験したことのない人には分からない地獄の世界です。暴れた後、最初は「すまん、こうすけ。もう二度と暴れないから」と謝っていた父は、そのうちに開き直り出しました。「俺の機嫌を悪くする、おまえたちが悪い!」(今なら、「あのー、あなたの機嫌はあなたのもので、私たちとは何ら関係ありませんからー。」と言うのですが。)と言って。で、気持ちよく定期的に暴れて、私たち夫婦を侮辱し、かつ暴力も振るいました。子どもの頃の地獄の再現でした。私は妻に言ったのです。「おまえは子どもを連れて実家に帰れ。俺は、あいつを殺して言えに火をつけるから。」って。そしたら、妻が言うのです。「そんなことするぐらいならば、カウンセリングでも受けようよ。お金使おうよ。何とかなるかもしれないじゃん。」って。カウンセラーと話す中で、徐々に出身家庭からの洗脳が解けていきました。丁寧に表現すると出身家庭のひどい環境の中で自分を守るために子どもだった私必死に身につけてきた作戦のことが分かってきて、大人になった私用の作戦に変えていったのです。当時はそのことが魔法のように感じていましたが、今各種の心理学やカウンセリングを学んで実践してきた体験から考えると当然だったのですね。ある程度の腕のあるカウンセラー(私くらいの 笑)とセッションを持てば、出身家庭というきわめて狭い世界の中で作られた思いこみや歪んだものの見方は、ゆるんでいきます。急速に楽になっていきます。当時の私も、「親とは同居するものだ」とか「親から受けた恩は返さないといけない」とか「自分はつまらない存在だ」(よく酔った父親から「おまえが今まで何か立派にやり遂げたことがあるか!!ないだろう。」と罵倒されていましたから、それを真に受けていたのですね。)いう歪んだ思いこみから開放されて、天国を見た思いになっていました。で、すっと楽になって、父親と大げんかをして同居を解消して、別居することになったのです。当時のカウンセラーさんには悪いけど、今の私が当時の私のカウンセラーをしていたら、あんな大げんかをさせずに同じ別居という結果に軟着陸させたと思うなあ。それにしても、カウンセリング料金も高すぎたなー。12回で30万円というのはちょっと……。まあ、腕はよかったですけどね。当時は他のカウンセラーを知らなかったし、カウンセリング料金というものがだいたいいくらくらいなのか知らなかったから。まあ、いろいろあるかもしれませんが、普通一回60分一万円前後でしょう。とにかく、カウンセリングでの支えがあって別居できたのは確かでした。家を出て行くときには今まで白黒に見えていた世界が一挙にカラーで見え始めていたのを覚えています。別居した後も、AC(アダルトチャイルド)であった私はいろんな苦難に見舞われます。まあ、不幸せになる癖を山ほど持っていましたから。アドラー心理学に出会った私は、それを徐々に幸せになるくせに変えていきました。まだまだ不完全だけど(と言うか、人間って死ぬまで不完全かもしれないけど)、今の私の生活は天国そのものって感じかな?←クリックしてくださるとうれしいです!(^o^)
2005年12月23日
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職場の忘年会だったのです。まあ、みんなと楽しくおしゃべりしました。特に横にすわったTさんは気持ちよく話していました。そりゃー気持ちよくなって貰おうと、たくさんたくさん勇気づけしましたからね。もちろん、Tさんて本当にすごいと思っていますよ。すごいからすごいって言ったんです。尊敬してますよ。でも、この職場には友達がいないんだよね。なんか、みんな波長が合わない。人間関係には「愛の関係」「友情の関係」「ビジネスの関係」の三つがあるのですが、職場の関係は基本的にはビジネスの関係なんですね。一番ドライな、生活するために義理でつきあう人間関係です。だけど、職場の人でも友達的なつきあいをする人は友情の関係になります。この職場の人は、誰も友人になれるような私と波長がある人がいないんだよね。ま、こういうこともあるでしょう。違う職場に行ったら、また友達が出来るだろうし、もしかしたら、来年新しく入ってくる人と波長が合うかもしれないし。妻と娘たちとの関係は愛の関係。愛の関係が一番難しいんだよね。一番濃厚だからね。でも、うまくいくとこれが一番ほっとする関係だよね。←クリックしてくださるとうれしいです!(^o^)
2005年12月22日
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昨日の夕ご飯は、妻も私も上の娘(中2)も忙しかった(特に妻が)ので、回転寿司からお好みですしを買ってきました。娘はインゲンとサラダ菜とシーチキンのごまたれサラダと白菜とベーコンのスープを作ってくれました。 いやー、私には十分十分。 久しぶりのお寿司(貧弱な我が家の食事内容がばれちゃうが……)で、僕にとっては大ご馳走だったのですが。 娘二人は、妻の実家の近くでいつも食べる寿司屋の方が美味しいとのたまう。 そうか、妻と実家に帰ったときはじいちゃんたちと寿司屋に行っていたのか。 うーん。ずるいぞ!! 勇気づけのページ 親子関係セミナーSMILE←クリックしてくださるとうれしいです!(^o^)
2005年12月19日
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人と関係をを取るときに、お互いに情報を交換しますよね。この情報の交換に使うことばに事実ことばと意見ことばの二種類があります。事実ことばを使うとケンカになることがあります。単なる意見をまるで事実であるかのごとく表現するからです。うちの娘たちが良くやっています。何かゲームの仕方で言い争っているのです。「違うよ。これはこうするんだよ。」「分かってないなあ。この時はこうするんだよ。」「違うもん。そうじゃないもん。」そこで私が介入します。もちろん介入には手順が必要です。なぜならば、その言い争いは娘たちの課題だからです。他人の課題に手順を無視して介入するととても破壊的なことが起こります。「なんか、パパ気になるんだけど、話に加わってもいいかなあ?」娘たち二人「うん。いいよ。」「両方の言い分を聞いてもいいかなあ?」と言って両方が思っていることを聞きます。「なるほどね。しょうこは…………って思ってるんだ。けいこは~~~って思ってるんだ。」娘二人「うん。」「そうかあ。二人の意見が現在の時点では違うんだね。お互いに相手を説得したかったら、私はこう思うんだけどって言ってみたら?そして、説得できなかったら、あきらめるって言う方法もあるよ。時間がたったら分かってくれるかもしれないじゃん。」二人とも、その後、少しだけ話して争いは止めました。当然です。「私は~と思う。」という意見ことばを使ったら、事実争いをしなくてすみます。言い争いをしているときは必ず、単なる意見を事実ことばで表現して、競争しているのです。意見ことばにして、なるほどね、相手はそういう意見なんだと思えば言い争いは終了です。アドラー心理学では、すべての心的葛藤は人間関係なのだと喝破しています。(様々な人間関係にスピリチュアルな側面が存在するのを否定はしませんが)と言うか、心的葛藤自体を認めないのですけどね。詳しく言うと。で、人間同士のコミュニケーションをより適切なお互いが協力し合えるようなものにしていけば、心も落ち着いてくると考えているのです。事実ことばと意見ことばというスキルもその一つです。言葉を変えることだけに意味があるわけではありません。しかし、言葉を変えるとその人の態度が変わることはよくあることじゃありません?態度が変わったと言うことは心の状態が変わったということですよね。そして、自分の態度が変わると相手の態度も変わるのです。さらに、相手の態度が変わると関係性全体が変わって、さらにさらに自分の心も穏やかに幸せになっていくのです。これがアドラー心理学が目指す、相互尊敬・相互信頼の民主的な横の関係です。※これは「親子関係セミナーSMILE」からの知識です。 勇気づけのページ←クリックしてくださるとうれしいです!(^o^)
2005年12月18日
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ブログに初めて挑戦します。 どんなものなのか、まだよく分かっていません。ま、とにかく日記を書いていけば良いんですよね。 今日は、娘たちが映画を見に行きたいとの賜っていますので、近くのシネプレックスに連れて行きます。 午前中は、自分のホームページにEFTのことを書いていました。 ここにも載せます。 ○EFT(エネルギーフリーセラピー)で、過去の出来事の記憶に付随している嫌な感情を浄化する。 EFTって、とても簡単です。最初はとまどうかもしれませんが、なれちゃうと一回1分でやれるようになります。 1 問題の指摘とその問題を抱えている自分を受け入れる宣言をします。 問題の場面を思い出してそのときの問題の感情を感じながら、空手チョップポイント(空手チョップをするときに当たるところ)をタッピングするか、胸の圧搾点をさすりながら、例:「私はあのときの場面を思い出すととても傷ついた気持ちになるけども、自分自身を深く完全に受け入れます。」などと三回宣言します。 ※タッピング:ツボを指でポンポンポーンと4,5回叩くこと。 2 問題の感情をイメージしながら、その感情を短い言葉 ( 例:「この傷ついた気持ち」などのような言葉 )で表しながら、12カ所の体のつぼをタッピングします。図解 12カ所というのは、 1:眉の内側のはじっこ(両手の人差し指で二カ所を) 2:目の外側のはじっこ、骨のところ(両手の人差し指で二カ所を) 3:目の下の骨のところ(両手の人差し指で二カ所を) 4:鼻の下、いわゆる「人中じんちゅう」です。めまいや気を失ったときのツボですね。(一カ所) 5:あごのちょっとへこんだところ(一カ所) 6:鎖骨の真ん中の下側(両手の人差し指で二カ所を) 7:脇の下、乳首の延長線上のところ(両手の親指で二カ所を) 8:空手チョップポイント(ここからは右でも左でもしやすい方を片方でよい) 9:親指の爪の根本の内側のはじっこ 10:人差し指の爪の根本の内側のはじっこ 11:中指の爪の根本の内側のはじっこ 12:小指の爪の根本の内側のはじっこ(薬指はしません。) 3 EFTをする前の問題の感情の強さがどの程度変化したかを確認します。たとえば、最初10くらいの強さで感じていた感情が6くらいになったとか。 4 「ガミュー9」をする。 手の甲の部分の、小指の骨と薬指の骨の間のへこんだところをガミューポイントと言います。 ガミューポイントをタッピングしながら九つの行動をするのをガミュー9と言います。 ガミューポイントをタッピングしながら 1目を閉じる 2目を開ける 3目玉だけで右下を見る 4目玉だけで左下を見る 5目玉を時計回りに回す 6目玉を反時計回りに回す 7 5秒から10秒ハミングする(何の歌でも良い) 8 1,2,3,4,5と数を1から5まで数える 9 5秒から10秒ハミングする(何の歌でも良い) これは、右脳と左脳のバランスをとるためにします。 5 1にもどります。次に、2、3と進みます。 ただ、気をつけるのは、「まだ傷ついた気持ちが残っているけども、自分自身を深く完全に受け入れます。」というように、「まだ残っている」というのを強調して、宣言します。 12カ所のタッピングの時も「まだ残っているこの傷ついた気持ち」と言葉にしながらタッピングします。 6 それでもまだ感情が残っていたら、「まだ少し残っている傷ついた気持ち」、さらに残っていたら「まだまだ、ちょっとだけ根強く残っている傷ついた気持ち」などとバージョンアップさせながら、ほとんど0になるまで続けます。 間にガミューを入れてくださいね。 なかなか感情が減らない場合は、なにか他の側面が存在していることが多いようです。 たとえば、父親から言われた言葉に傷ついていたと思っていたら、そのときに一緒にいた母親の傍観者的な態度に怒っていたとかです。 慣れてくると、一回1,2分でスピーディーに出来るようになります。 思い出せる限りの過去のこだわり、問題の感情に適応してみてください。 ←クリックしてくださるとうれしいです!(^o^)
2005年12月18日
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勇気づけの会始まって以来の事態が起こりました。なんと、例会に一人しか出席がなかったのです。Kさんご出席ありがとうございました。Kさんがいなかったら、私一人寂しく過ごすところでした。まず、バッチフラワーレメディーのトリートメントボトルを作りながら、「バッチって不思議によく効きますよねー。何で感情が好転しちゃうんでしょう。」とお話ししました。本当に好転しちゃうんですよね。不安だったり、イライラだったり、気になることだったり、すーーと解消しちゃいます。本当は、今までのセラピー技法を復習で演習しようと思ってプリントも用意してきたんですが…二人だけだったので、Kさんのライフスタイル分析をしました。自分のライフスタイル分析をすると、今まで分からなかった自分の癖が分かっておもしろいですよね。 勇気づけのページ←クリックしてくださるとうれしいです!(^o^)
2005年12月14日
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機能不全家庭でよく使われる作戦として、感情的な爆発をともなう一連の交流があります。やってしまった後で、双方とも「イヤーな後味」で終わる一連の交流です。 爆発的爆発を伴う交流…TA(交流分析)では「ゲーム」と言います。 人間関係における交流には、 1 引きこもり(交流をしないで、一人で考えたりボーとしている状態) 2 儀式(「おはよう。」「こんにちわ。」「良い天気ですね。」などの日常の挨拶など)、 3 暇つぶし(あまり目的もない世間話、遊びなど) 4 活動(何かの目的を持った活動) 5 ゲーム(どちらかの行動が引き金となっていさかいに発展して、感情爆発に至り、驚きや混乱の瞬間を経験し、最後には双方ともに「イヤーな後味」を深く感じて終了する「あっ、またやってしまった。」と思ってしまう同じパターンの行動形式) 6 親密さ(双方の本音と本物の感情をお互いに分かち合い、深い信頼関係を感じる思いやりと理性に裏付けられた交流) の六種類があります。(時間の構造化) 引きこもり、儀式、暇つぶし、活動、ゲーム、親密さの六種類です。 ゲーム以外の交流は必要な交流です。特に親密さは重要です。一番濃厚な交流だからです。本当に親密さの濃厚さと暖かさと居心地良さを知っている人はゲームをしようとはしません。 ところが、私もそうでしたが、機能不全家庭で育った人は「親密さ」を見たことも体験したこともないので、親密さを実現することが怖くてたまりません。 一番濃厚だということは一番危険だということでもあるからです。相手への絶対的信頼感がなければできませんし、やり方自体も知っていなくてはいけません。 (親密さのやり方を具体的に学べるのがスマイルです。私は、怖さを克服して、親密さのやり方を学び、親密な本音と感情のシェアリングを練習して、少しずつできるようになりました。) でも、親密さをできない機能不全家庭で育った人も濃厚な交流はしたい。だったら同じくらい濃厚な感情を感じさせてもらえるものがあればいい。 そう。親密さの代わりに繰り広げられるのが「ゲーム」なのです。ゲームがもたらしてくれる濃厚さは「イヤーな後味」ですが。薄っぺらな交流しかないより、濃厚なゲームがあった方がましなのです。 ゲームの基本は、「キックミー(私を蹴って!)」と「さあ、捕まえたぞ!このやろう。」の二つの組み合わせです。変化型としていろんな名称のゲームがありますが、どれもこの二つのゲームの変化型にすぎません。 付け加えると、A、Bという二人の人物がいて、Aが「キックミー」をしてBが「さあ捕まえたぞ」をしたら、同じ図式を繰り返すこともあるが、役割交換して今度はBが「キックミー」をしてAが「さあ捕まえたぞ」をすることも多いです。 「キックミー(私を蹴って!)」というゲームは、繰り返し繰り返し相手がやめてほしいと思う行動を続けることです。最終的には相手から手ひどいしっぺ返し(キック)を食らって、驚きと混乱を感じて終了します。 「さあ、捕まえたぞ!このやろう。」は相手の理不尽な行動を何度も我慢しているが、最後には感情的に爆発して、その瞬間になにやら勝ち誇ったような感情を覚え、しかし、その後に混乱を感じて「あ、またやってしまった。」と終了します。 わかっていただいたと思いますが、ゲームは「キックミー」のプレイヤーと「さあ捕まえたぞ」のプレイヤーが対になって起こるのです。ゲームをしない人は「キックミー」の罠にはまって「さあ、捕まえたぞ」をしたりはしません。「さあ、捕まえたぞ」の役を演ずる人の前に出ても「キックミー」を演じたりしません。 ほかに、「はい、でも(イエスバット)」というゲームもあります。相談する側と相談される側があって、相談される側がどんな解決策を提案しても、相談している側は「はいそうですね。でもできそうにありません。」とか、「なるほど良い方法ですね。でも、」と最初に「はい。」と言って必ず「でも、」「しかし、」と否定するやりとりを繰り返すゲームです。 カウンセリングの場面でよく起こるゲームです。カウンセラーが最後に怒ってしまったら「はい、でも」のゲームの罠に引っかかったのです。この「はい、でも」をする人も「キックミー」のプレイヤーですね。ちょっと変形ですけど。怒ったカウンセラーは「さあ捕まえたぞ」をやってしまったのです。 ゲームを演じるのは、機能不全家庭でゲームが日常的に繰り広げられてきたのを体験してきた人です。つい反応してしまうのです。癖のようなものです。 ですから、カウンセリングで他人への信頼感を回復させたり、カウンセリングやSMILE(人間関係学習プログラム)で適切な人間関係の取り方を学ぶと、少しずつゲームをすることが少なくなっていきます。とにかく、ゲームに代わる「親密さ」を実現しないことには、ゲームはやめられません。 ゲームに代わる具体的な代替案を学んで練習するということですね。 ただ、機能不全があまりにもひどくて、SMILEや親業などの代替案を学ぶのさえ困難な人は、最初にセラピーなどで、代替案の学びや練習が出来る段階まで回復させておく必要があるかもしれませんね。
2005年12月12日
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AC(アダルトチルドレン)は、アルコール依存症者のいる家庭や機能不全家庭で育って、その出身家庭のコミュニケーションの癖をつい身につけてしまって、困ることが多いということで、そういう人たちが自分の自覚にACという言葉を使ったのです。 共依存関係の中で生きている人とも言えます。 ところが最近の30代半ばより若い人たちは、1 親世代からすでにメディア漬けになっているということ(注1)2 地域社会の教育力の極端な低下(注2)3 異年齢子ども集団の消滅(注3) の三つの環境の影響をもろに受けて、機能不全家庭で育った子どもたちとあまり変わらないような困ったことに見舞われるのです。 親がかなり自覚的でメディアとの接触時間を親自ら率先して制限していたとか、 優れた読み物をたくさん読んでそこから生きる力を身につけていたとか、 特殊な事情で周囲のコミュニケーション環境がかなり豊富だったとか、 の条件を満たしていない限り、成長してからもコミュニケーションに苦しさを抱え込むことになる可能性が高いのです。 非常に恐ろしい事態なのですが、若い世代の方々には、「自分の気持ちがよく分からな」かったり(注4)、自己主張や相手の考えや提案をうまく受け取る作業が苦手だったり、他人が信頼できなかったり、自分が大事だと思えなかったりする人がかなりの割合でいるのです。 ただ、幸いなことに、ACの人たちに有効なものは、このような方たちにも有効です。SMILEのような人間関係プログラム学習、有能なカウンセラーとのカウンセリング、自助グループ、勇気づけの会のような学習グループ、優れた読み物をたくさん読むこと等々が有効です。ACと同じくらいそこから変化するのは時間がかかりますが、たゆまず癖を直していけばきっと出口があります。 これは確かなことです。注1…これは人類史上未曾有の事態です。人類発祥以来100万年かあるいは数十万年私たちは言葉を他の個体とのコミュニケーションにのみ使ってきました。その言葉が人間以外から一方的に流れてきて、しかも映像とあいまって釘付けにさせられるのです。毎日、毎日、何時間も言葉の原則からはずれた状態の環境の中で過ごすのです。今までの人類の環境から考えると非常に異常な環境です。これでコミュニケーション能力がおかしくならなかったらそれこそ驚きでしょう。 このことについては我が家の子どもたちが小さいことから気づいていました。長い間テレビやビデオを見せると子どもたちの言動がおかしくなることが観察されたからです。 当然我が家では一日2時間以内に制限しています。これは、電子ゲームを含めてあらゆるメディアとの接触時間です。注2…これも私たちのような初老の人間(40代は初老です。)にとって、自分の子ども時代とは恐ろしいほどの変化です。 私たちが子どもの頃、店に買い物に行くときにコミュニケーションがないということは考えられませんでした。途中で会うおじさんおばさんたちは必ず声をかけてくる(「あら、コウちゃん、お使いね。なんば買いに行くと?」)し、 店に着いたら、店のあばさんおじさんといろいろと話さなければ(「コウちゃん、今日は何のお使いね。豆腐ね。おばちゃんの鍋に入れてやるね。お母さんは風邪は治らしたね。そら、良かった。今日は大根の安かけん、持っていきなっせ、まけとくけん。お母さんの喜ばすが。お金は後でよかけん。」)ものは買えませんでした。 ところが現代はコンビニに行ってレジに選んだ商品を置くだけ、コンビニに入って出るまで無言で商品が買えるのです。 これは一例で、子どもたちは親と学校の先生以外の大人とはほとんどコミュニケーションをとらない生活をしていっているし、どんどんと便利になっていく社会の中で、技やコツを誰かから伝授されることもほとんどないのです。 私は通学路にある靴屋のおじさんから、「背筋を伸ばして歩け。」とか「ちゃんと目を見て挨拶しろ。」とか教育されていました。今はそんな地域のおじさんはいないでしょう?注3…これは日本全国津々浦々で一斉に起こりました。原因は1979年4月7日から1980年1月26日にかけて放映された機動戦士ガンダムというテレビアニメです。このアニメはガンダムというロボットのおもちゃを売り出すために作られたアニメだったのですが、たまたま制作者の腕が良くてものすごいヒット作品になりました。そして、全国で売られたガンダム関連商品、とそれに続くシリーズおもちゃものが子どもたちの間にはびこり、年齢層によって遊ぶおもちゃが異なるようになり、異年齢で遊ぶことが一斉になくなりました。そのくらいの年齢の人に聞くと一様に「そういえば小学校低学年の頃は小学校5,6年生のお兄ちゃんたちに遊んで貰っていたが、高学年になったときには小さいことは遊ばなかった。」と答えます。つまり異年齢子ども集団の消滅の原因はやはりメディアなのです。注4…メタ認知能力といいます。メタというのは一段上という意味です。つまり自分が何を認知しているのかを認知できる能力です。自分が本当は何を感じて何を考えているのかに気づくことのできる能力です。これは昔だったら、子どもの頃の技やコツを上級者から伝授して貰うときに起こる真剣なコミュニケーションと観察から身に付いていたのです。しかし、現代では、優れた読み物の読書習慣でしか身に付きません。例外はありますが。単なる読書ではダメです。1:優れた表現の 2:矛盾のない話の筋を持ち、3:人を感動させる力を持っていて、4:前向きの人生観、世界観を暗示する中身の読み物でなくてはいけません。例えば、「レ、ミゼラブル」のような優れた作品です。子ども向けだったら「赤毛のアン」とか「あしながおじさん」のような作品です。 このような作品をたくさん読むことによって、メタ認知能力や想像力、柔軟な問題解決能力、幅広い知見、世界や他人への信頼感、前向きの人生観などが知らず知らずのうちに身に付きます。 「ハリーポッター」のような駄作ではダメです。読んだ人は分かると思いますが、ハリーポッターって記憶に残らないでしょう? ※アダルトチルドレン的性格からの回復には「親子関係セミナーSMILE」がとてもいいです。 勇気づけのページ←クリックしてくださるとうれしいです!(^o^)
2005年12月11日
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