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気がついたら、皆から「ロン毛」と呼ばれるまでに髪が伸びてしまった。店名にそぐわぬこの髪型。僕自身もあまり気に入ってはいない。だからといって3ミリにまでする気もない。明日ぐらいは美容室にいけるかなあ。どんな髪型にしよう。いまどきはどんなのが流行りなんですかねえ。
2003.03.30
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ジョージ・クルーニー主演のこの映画を最近流すことが多い。理由は簡単。湾岸戦争のリアルな姿が皮肉たっぷりに描写されているから。当時のイラクやクウェート、クルド人の現実のような部分をはじめて映画として描いた作品でもあるから好きなんですね。というのは、表向きの理由でして。もうひとつの理由は、単に店のDVDプレイヤーが非常に調子悪く、我が店の100タイトルほどのDVDラインナップのうちなんと10本ほどしか読み込んでくれなくなってしまったから。そのうち、読み込んでくれるのが、なぜか戦争物の「スリー・キングス」「トップガン」「プライベート・ライアン」など。娯楽作品でタイムリーなのは「マトリックス」くらいしかプレイできない。でも、買ってから2年も経ってないのになあ。修理の人も呼んだけど、「新しく買った方が良いかも知れませんね」とのつれない答え。で、もう仕方ないから買いました。5年保証まで付けちゃいました。一般家庭の数倍の頻度で使用してるからどうしても耐用年数が短くなってしまうのだ。だから保証をできるだけつけて、と。こんどのDVDは一体何年もつのでしょう。というか何ヶ月もつのでしょうか。買ってからまだ一度もまともに観ていない「AKIRA」がみたい。そういや「千と千尋」が棚から消えている。誰だ、持っていた奴は。せっかくアカデミーとったからかけようと思ったのに。
2003.03.24
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戦争がはじまった。遅きに失した感がある。いずれにせよこうなるとは思っていたから、たいした驚きもない。今回に限らず、戦争は無益だ。ただ思う。反戦を呼びかけている人々のうち、どれだけの人がこの戦いの本質を理解しているのだろうか。今僕が恐れるのは、世界的なこの反戦活動そのものだ。どうも冷静さを失っている。この戦いが始まる前に、フセインが化学兵器をまたクルド人自治区やクウェートに使用していたら、こうはなっただろうか。今回のマスコミ操作、国際世論の形成にはイラクは大成功を納めた。その端緒は、フセインがロシアとフランスにイラク内の油田開発権という利権をばらまいたからにほかならない。アメリカ主導の「新帝国主義」をイギリスを除くヨーロッパが頑なに反発している、その防波堤がこの「イラク」なのだ。シラク大統領の支持率が異様に高いが、所詮はフランス国内からの圧力や自国の利権を守るための反戦であって、決してイラク国民のためなどではない。でも、それが政治家の役目なのだから、どうしようもない。結果的に世界の「反米・反戦」の波に乗っかっただけだ。翻って、日本はどうか。小泉はすぐさま「米支持」を表明した。これも異論が多いとは思うが、個人的に見たら「賛成」であろう、いや「仕方ない」と言った方が正しいかな。というか、彼も日本の国益を考えたときにこうせざるをえなかったのだ。当たり前だ。日本と米とは同盟国なのだから。ここで「遺憾だ」とか言ってたら、日本は世界で笑われる。ただ、この同盟関係の危うさは、いつでも米側から裏切ることができるという点。それは純粋に軍事力の差から起因する。だからこそ、世界ナンバーワンの軍事力を誇るアメリカには、よりいっそうのモラルが求められるのだが、どうもブッシュというのはなにか勘違いしているとしか思えない節がある。だから恐い。ブッシュも恐いが、反動のテロも恐い。イラク後の世界秩序がまた変わりそうな予感すらする。第二次大戦、冷戦、各地の局地的な民族紛争、そしてハンティントンが言うところの「文明の衝突」が現実に起ころうとしている。ここまで公に「反米」を唱える世界的な風潮は見たことがない。繰り返しになるが、じつはぼくはそれが最も恐い。なぜならぼくは昔からアメリカという国がキライだが、今回は皆がヒステリックすぎて、とてもついていけないから。すでにNATOという強固な軍事同盟すらほころび始めている。まだ名前のないこの戦争。歴史上、単なる局地戦で「名の無いまま」で終わることを切に願う。
2003.03.20
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約三年前のこと。まだ僕がこのお店の店長で別のオーナーが経営していたとき。一ヶ月の売上の約3割があるお客さんだけで占められている時期があった。そういう事態はお店本来の姿とはほど遠いのだが、経営者ではない僕はただ静観していた。そのお客さんとはさる音楽業界の方で、当時のオーナーの知り合いということで店に来るようになり、僕をはじめスタッフも随分世話になっていた。呑み方も豪快で、何人できてもすべての会計を自ら支払っていた。昨年その方は東京から離れ別の地方で仕事をしている旨を前のオーナーはじめ関係者から伝え聞いていたのだが。どうして亡くなってしまったのか。じつは情報が不足し過ぎてわからないことの方が多い。先週末葬儀がしめやかに執り行われたとのこと。もうあの豪快な飲みっぷりが見られないと思うと、なんだか泣けてくる。彼がいちばんうちのお店で愛飲していた「コーヒー真露」をまた仕込もうと思う。それを皆で呑もう。僕らが彼にできるのはそれくらいだ。謹んで故人のご冥福をお祈り致します。合掌。
2003.03.18
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いやあ、非常に言い訳がましいタイトルですね。こういう人間なんで許してください。なんか悪いことしそうなときは最初に謝っちゃうタイプなんで。理由はふたつ。ひとつは、一年ほど休業していた音楽業界に復帰したこと。これは簡単に一行で書いてしまったけど、案外大変。今度は別の会社のレーベルを一から運営しなきゃならなくなった。リリースしたいアイテム(CD)は随分とストックがあるので、僕の主な役回りは、それらのアイテムを円滑に商品としてのCDに仕上げて、流通させ、同時にプロモーションすること。で、肝心なのが、結果として「売ること」である。売れなきゃ、大きなお金をかけた大きな自己満足。そしてすべての進行を円滑にマネジメントすること。これらを最初っから構築していかなきゃならない。一年前のツテは多少あるにせよ、流通から整備していかにゃんらんのは、けっこうきついのよ。「かまやっつくんの肩書きはどうしようか?」「へ、肩書きですか、好きにしてください」「え、じゃあ代表取締役でいいの?」とそこの社長。「いや、社長はきついんでいやです。お店だけで十分ですよ」と僕。「じゃあ、適当に考えておくね、プロデューサーとか」「そうですね、なんでもいいですよ」「プロデューサー」なる名刺を僕はとある会社でも作ってもらったことがある。なるほど、役どころをあてようがない輩のことを、プロデューサーというよくわからん肩書きで呼ぶんだなあ。なんか凄いような凄くないような、ふしぎな肩書き。一言でいえば、うさんくさい、っつうことですかね。もうひとつの理由は、単純に店が忙しいから。儲かっている、という意味ではありません。かねてから日記にも書いている人手不足のせい。なのに、うちのスタッフのうち数人はスノーボーダーのため、この時期に休みをとらせないわけにもいかない。だって自分ばっかり休んでグアムやらセブに行っておいて、ねえ。なお、近日中にひとり面接をする予定。さてどんな方がいらっしゃるのでしょうか。我が店のシフトを救ってくれるのでしょうか?結果は後日!
2003.03.17
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どういうことかっていうと、学生時代のゼミの友人やら、サラリーマン時代の同期やらがどういうわけか本日一同に会したわけでして。とにかく忙しくも久しぶりに愉しい一日だった。懐かしの学生時代、といっても、僕にとっての学生時代の大半は体育会の陸上部で費やされ、それ以外はアルバイト位しか印象に残っている出来事がない。そんななか、ゼミの友人に会うというのは、当時の勉学をしていた僕を知る数少ない証人で、少なくともその友人は僕でも忘れていたゼミの発表の「民族問題についての考察」なんぞをよく覚えていてくれた。その他の友人もなぜか僕の卒論の内容などを記憶していて、「あれ、俺何書いてたっけ」などとすっとぼけたことを言っていると、「お前、キャパについてだろ」とすかさず突っ込んでくれたり。彼らと話をしていると、「ああ、俺って歴史を勉強していたんだ」と、ミョーに感傷にふけってしまう。ちなみに僕は、今では想像もつかないのだけど、大学では西洋現代史というものを専攻して、それはそれは一生懸命に勉強に励んでいました。ゼミのN先生はナチスの専門家で、当たり前だけど、僕らが読まなきゃいけない本は彼の「第三帝国とナチス」とかいう著書やらヒトラーの「マインカンプ(我が闘争)」など、今読んだら吐き気がしそうな本ばかり。「夜の霧」など、当時ですら吐きそうになった。で、学生時代、勉強と言えばそんなヒトラーづくしの生活だっただけに、反動とでもいうか、例えば「シンドラーのリスト」だとか、「ライフ・イズ・ビューティフル」などのホロコースト物の名作もまるで観たいと思わなかった。こないだいっしょにセブに行った友人Kはアウシュビッツにも行ったことがあるのだが、僕はできればそんな話すらも聞きたくない。それほど酷すぎる歴史だった。結果、僕の卒論テーマはナチスからは少し離れたスペインの現代史に移り、第二次世界大戦の前哨戦とも言われたスペイン内戦がメインテーマとなったのである。まあ、そんなことはどうでもよく、そんなゼミの友人達と話しているそばから、同じくゼミの同期でうちの店には頻繁に顔を出すYが登場する。で、ここからがキミョーな人間関係で、このYがザルツブルグに留学時代、同期だったUという女性が、実は僕のサラリーマン時代の同期でもあり、たまたま同じ大学だったのだ。そんな彼女も後ほど合流して皆で呑んだ。といっても深夜帯は僕しかスタッフがいなかったので、あっち行っては学生時代の話をして呑んで、こっち行ってはサラリーマン時代の話やらYの転職について議論したり、かたやもう一組のお客さんは昨日も閉店までいた元スタッフの友人達で、珍しいことにほとんど関係者だけで席が埋まっていた。こういう事態は正直に言ってあまり歓迎されるべきではないのだが、いかんせん僕も最近の疲れとかが溜まっていたりして、みんなと喋りまくった。ときにはお薦めのカクテルを作りながら。ときには一緒にタバコを吸いながら。最後に残ったのは、大量の洗い物と事務仕事。すまん!2号!
2003.03.15
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なので、ネットに接続するのやら、メール受信も一苦労。お店の公式ホームページがこのページとは別にささやかながら開いているのだが、これも上手にアップロードできずに相当困ったことに。ぼくのPCは昔の会社で使っていたIBOOKの初期型なのだが、こいつがやっかいな奴で、すぐに機嫌を損ねる。まず、ノートブックにもかかわらず持ち運びができない。なぜならバッテリー自体がいかれていて、持ち運んでもコンセントを探さないといけないから。なんとかしなければと常々思っていたところで、前の会社の知り合いが所用で来店。OSを入れ替えてもらった。まあ、少しは安定したかな。近々、こいつを大手術する予定。
2003.03.08
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