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背番号26(その5)背番号26の第5回目です第4回で紹介した工藤一彦さんが12年着けたことで それまで投手とも野手とも傾向がはっきりしなかったこの「26」がほぼ投手の番号として定着していくことになるのよ 今回3名を紹介するけどそのうち2人は投手 後の一人は日本ハムからトレードで来た野手なんだけど シーズン途中のトレードで来て翌年は出番がほとんどなく引退しちゃってるわ この選手を覚えてる人ってかなりの少数派だとおもう藤本修二 投手愛媛県今治市出身で高校は県立今治西高校。2年時にエースとして夏の選手権に出場しベスト8まで勝ち進むが、金村義明を擁する報徳学園(この大会優勝)に敗れている。3年時は甲子園には出られなかったがプロのスカウトからは一定の評価がされていた。1982(昭和57)年のドラフト会議で、南海ホークスから5巡目に指名されて入団している。1年目の1983(昭和58)年はファームで1年を過ごしたが、2年目の1984(昭和59)年に一軍へ上がるといきなり31試合に登板、そのうち先発が20試合とローテーション投手に抜擢され、規定投球回をクリアする162回を投げて7勝6敗。防御率は4.72だったが高卒2年目で早くも頭角を現した。1985(昭和60)年には37試合で31試合に先発。防御率が5.41と前年より悪くなってしまって8勝17敗と大きく負け越すが、196回1/3を投げてエース級の働きをしている。1986(昭和61)年は31試合のうち21試合が先発で10勝12敗、初めて二けた勝利を記録し防御率も3.78と安定感も増してきた。1987(昭和62)年がキャリアハイで、31試合中29試合に先発し、15勝8敗、217回を投げて防御率3.15と絶頂だった。 1988(昭和63)年、10勝15敗と負け越すも3年連続二けた勝利となりローテーションを守ったが、実はこの年にはシーズン終了後に南海はダイエーへの球団譲渡が予定されており、福岡ドームの建設が進められるなかでの落ち着かない1年だった。1989(平成元)年、球団名は福岡ダイエーホークスとなり、選手たちも福岡へ移転するが、ここから藤本の様子がおかしくなっていく。この年は右大腿内転筋を痛め、わずか4試合の登板しかできず0勝1敗に終わっている。1990(平成2)年になると、フィジカルな面では故障の影響が長引いて調子が上がらず、メンタル面では新監督の田淵幸一の要求や指導と合わず、精神的に不安定になっていったという。成績も1勝7敗、防御率は9.44と惨憺たる結果に終わり、オフに5対5のトレードでタイガースへ移籍することになり、背番号「26」を継承した。1991(平成3)年、移籍したタイガースでは30試合に起用され、シーズン開幕当初は4試合に先発もしたが結局0勝5敗、防御率6.94で使い物にならず、1992(平成4)は登板のないままオフには戦力外となった。タイガースを退団した藤本は西武ライオンズの入団テストを受け、採用されている。ライオンズ1年目の1993(平成5)年のシーズンは27試合登板して防御率2.63と中継ぎとして成果を上げた。しかし1994(平成6)年には限界となり4試合のみ、翌1995(平成7)年には試合で投げることなく引退している。通算成績は240試合53勝71敗6セーブ、1091回1/3を投げて588奪三振、防御率4.63だった。 引退後は1996(平成8)年からタイガースに打撃投手として採用され復帰。2002(平成14)年からフロント入りし、一軍や二軍の用具担当などを経て虎風荘寮長となった。竹内昌也(たけうちよしや) 投手秋田県由利郡象潟町(現:にかほ市)出身。高校は県立本荘高校で2年時にエースとして夏の選手権に出場しているが1回戦で完封負け。3年時には甲子園と縁がなく、卒業後は社会人野球のNTT東北へ進む。1992(平成4)年の都市対抗予選では7回参考記録ながらノーヒットノーランを記録するなど、社会人通算17勝1敗の成績を残し、同年のドラフト会議でタイガースから2巡目で指名されて入団している。背番号は戦力外となって退団した藤本のつけていた「26」を受け継いだ。入団1年目の1993(平成5)年は8試合に投げているが、勝敗には関係なく一軍を経験しただけに終わる。 2年目の1994(平成6)年は12試合で6試合の先発を経験。1勝3敗ながら防御率3.41とまずます安定していた。 1995(平成7)年がキャリアハイで39試合に登板、そのうち19試合に先発している。成績も10勝9敗1セーブ、130回を投げ防御率4.02と生涯唯一の二けた勝利だった。 当時のタイガースは1992(平成4)年こそ優勝争いをして2位になったものの、竹内が入団した1993年から暗黒時代に戻り、援護のないなかで投手陣は苦しいピッチングを強いられている。竹内も例外ではなかった。 1996(平成8)年から1999(平成11)年まで4年間の成績は、3勝4敗、8勝6敗、3勝4敗、3勝2敗と芳しくない。野村監督になると中継ぎに配置され先発の機会はほとんどなくなっている。 2000(平成12)年は登板機会がないままシーズン中に日本ハムファイターズの根本隆輝との交換トレードで放出されてしまう。 日本ハムでは7試合に使われただけで0勝1敗と結果が残せず、2001(平成13)年のシーズンは出番がないままオフに引退している。 通算成績は202試合28勝29敗1セーブ、521回2/3を投げて263奪三振、防御率4.05である。 下半身のしっかりした投手だったが、目立つほどの球速はなく、変化球の配球で打たせて取るタイプ。どちらかというと中継ぎのほうが多く、同点やビハインドでのロングリリーフとして試合を壊さないところに持ち味を出していた。ただ打線の援護があれば先発でももう少し勝てていただろう。キャリアの大半を暗黒時代に飲み込まれたのが不運だった。 引退後は中日ドラゴンズで、2002(平成14)年から2010(平成22)年までバッティング投手を務め、以降は同球団でスコアラーに転じた。根本隆輝(ねもとりゅうき) 内野手徳島県小松島市出身。県立小松島西高校3年時に春の選抜大会で甲子園を経験しているが1回戦で学法石川に完封負けだった。 1991(平成3)年のドラフト会議では日本ハムファイターズから6位で指名されて入団した。 1年目の1992(平成4)年から1994(平成6)年まで3年間はずっとファーム暮らしが続き、4年目の1995(平成7)年に初めて一軍登録されたが、出場は4試合で7打数ノーヒットに終わっている。 以後も1996(平成8)年が10試合、1997(平成9)年が2試合、1998(平成10)年が12試合と伸び悩みは続く。プロ入り8年目となった1999(平成11)年、71試合に出場して164打数47安打20打点3本塁打、打率.287を記録してようやく一軍定着かと思わせたが、翌2000年のシーズン途中に竹内との交換トレードでタイガースに移籍することになった。背番号は竹内の「26」をそのまま継承している。 タイガースに移ってからは43試合に出ており81打数23安打2打点、打率.284の数字を残している。シーズンオフには背番号を「37」に変えているので。「26」は1年しか着けなかったことになる。 タイガースでの2年目の2001(平成13)年、出場は14試合に減ってしまい、21打数4安打2打点で打率も.190となり戦力外でもいい数字だった。 2002(平成14)年には星野仙一監督が就任すると全く一軍戦力とみなされず、ファーム暮らしのままオフに引退している。 通算では165試合322打数80安打27打点4本塁打3盗塁46三振で、打率.244という数字しか残せなかった。まとめホークス時代の藤本さんは早くから一軍で投げてるけど故障してから完全にダメになったみたい しかも田淵監督とうまくいかずノイローゼみたいだったらしいのよ その状態でタイガースに来られてもやっぱダメだったわけね 引退してからは先代が安芸キャンプに行くとバッティングケージの移動やトンボ掛けなどの雑用を一生懸命やってる姿を何度も見たって言ってるわ竹内さんはチームの暗黒時代にかぶったのが不運 もう少し先発で勝ってて不思議じゃないって先代は言うのよ 速球派ではなかったけど変化球はカーブ系もシュート系もキレがあったらしいよ根本さんは「ホントにいたの?」って感じかな 皆さん記憶にありますか? 日本ハムでも伸び悩んでるよね でもプロ入りしてくる選手の半分はこれが普通じゃないのかな? まったく一軍経験しないで辞めてく選手も結構いるし 一軍でレギュラークラスになるのは簡単じゃないのよね26の6につづく
2024年10月28日
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ドラフト会議20242代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは身の回りのことで毎日書けない状況になっています しばらくはとびとびになるけど気にかけていてくださいねもうドラフト会議から3日目ね10月24日のドラフト会議からはやくも3日が経っちゃいました 2代目は大学ナンバーワン左腕の金丸夢斗投手を予想してましたがタイガースも1位でいったよね 4球団が入札して抽選になって中日に持っていかれたのは残念 1年目から出てくるだろうという投手だけに逆に要警戒だよね仕切り直しで1位は伊原陵人投手金丸投手は外しましたが やはり即戦力の投手ということで伊原陵人投手(NTT西日本)を指名して交渉権を得ました奈良県の智弁学園の出身で村上頌樹投手の2年後輩 左投左打で身長は170センチと小柄なんだけど DeNAの今永投手を思わせるタイプなんだって 社会人として今年対戦した北條さんの感想があるから見ておこうね北條史也選手(三菱重工WEST)の眼「いい投手ですね。関西の社会人の即戦力は同僚の竹田と伊原君と思っていたので。そう(1位)やろなと思ってました」「予選で3打席に立ったんですが、調子は悪かったと思います。真っすぐのキレが良くなかったように見えました。でも試合を壊さなかった。内外角に投げ分けられて打ち取られました。調子がいい時は誰でも抑えられると思うんですけど、調子が悪かった時に抑えられたのでいい投手だなと感じました。自滅がない」「背は高くないと思うんですけど、右打者のアウトコースにいい真っすぐを投げ込んでくる」「あの試合も球のキレは良くなかったけど、制球良く投げ切られたから抑えられた。キャッチャーのサインにもしっかり応えて投げ切ってるイメージ。キャッチャー次第でいろんな投球ができるんだと思う」 安定感のある投手のようね 今のタイガースはピッチングスタッフが豊富だけど 今年の青柳さんや伊藤さんのように1年を通じて期待を裏切るようなこともあるわけだから 安定した投手は絶対必要よ2位は世代ナンバーワンの今朝丸裕喜投手今朝丸投手(報徳学園)は2代目も欲しいなとおもってた投手なんだけど「多分2巡目には残ってないだろうな」って予想してたから嬉しいな右投げ本格派で188センチ 150キロ越えのストレートで押せるってとこが最大の魅力だわ まだ全体に身体が細くこれからしっかり鍛えていかないといけないから 3~4年後に力を出してほしいという「将来期待型」の指名よね3位はKMGホールディングスの木下里都投手この投手について2代目は全く知りませんでした 183センチで右投右打の本格派投手ですが高校時代までは主にショートで 大学に入ってから投手に転向したのよ 今年になって156キロを記録して往路が注目する投手になったんだけど 本人は「プロを目指して野球をしてきたのではなく、野球を好きで続けてきたら、プロに誘われた」って言ってるわ「本当にプロ野球、分かんなくて。セ・リーグがどこかも分かんないんですよ」などとぼけたようなコメント 「ヤクルトの村上選手ってすごいじゃないですか、ヤクルトってどっちなんだろう?」 これはすごいよ 少年時代からずっと野球やってるのにプロ野球についてほとんど知識がないって???こういうタイプは大化けするよきっと!4位は埼玉武蔵ヒートベアーズ町田隼乙捕手独立リーグを代表する大型捕手と言われるだけあって186センチ88キロの堂々とした体格してますが 関東のチームで観る機会もない2代目は全く知らなかった選手ね 21歳だし田淵さん以来の大型捕手を目指して頑張ってほしい最近の2年間は2月の沖縄具志川2軍キャンプにアルバイトに来ていたんだって 高橋遥人投手はブルペンでタッグを組むなど縁があったので指名後は祝福のメールを送り「びっくりしました。いっぱい連絡来ていると思ったので少しだけ。(縁がある)タイガースという意味も込めて」と明かしてます5位は富山GRNサンダーバーズ佐野大陽内野手この選手も独立リーグ出身 178センチ81キロのバランスの取れた体格で俊足好打の内野手として評価されました タイガースでは今だにポジション争いが続いているショートですが 佐野選手もショート これから厳しいチーム内での戦いになるよ 頑張ってね育成ドラフト育成は独特の指名だった気がするよ 3名が独立リーグだしあと1名は今年からウェスタンリーグに加わった「くふうハヤテ」の選手 2位の嶋村選手は高知商だから藤川監督の後輩ね 皆さん支配下目指して頑張ってください工藤 泰成(四国ILplus・徳島)東京国際大時代から評判の高かった球速は徳島の地で最速159キロに到達。アベレージも150キロ前後をマークする出力の大きさが魅力の今季独立リーグ最速右腕。粗削りながら140キロを超えるフォークも備える。嶋村 麟士朗(四国ILplus・高知)森友哉(オリックス)らを想起させる「打てる捕手」。パワーだけでなく逆方向にも本塁打を放つなど技術力も高く、今季打率も3割を軽々とオーバー。二塁送球タイム1秒8をマークする強肩も兼ね備えている。早川 太貴(くふうハヤテ)道立高、国立大を経て、昨年までは市役所で勤務しながらクラブチームでプレーしていた異色の大型右腕。最速150キロを投じ、今季は25試合に登板し防御率3.22。阪神戦は6試合で防御率0.35と相性の良さを見せた。川崎 俊哲(NOリーグ・石川)思い切りのいいスイングで広角に力強い打球を放つ内野手。2024年は39試合に出場し、打率.282をマーク。リーグ4位の15盗塁と脚力でも存在感を示した。
2024年10月27日
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非公認候補の支部に2000万円2代目タイガース非公式サイトです これまで政治のことについては書いてこなかった2代目だけど さすがにこれは「???」となったよ 自民党はパーティ収入のキックバックを政治資金報告書に記載していなかった人の中で高額で悪質な候補者を衆議院選挙で公認しなかった 裏金に厳しい視線を送る世論に応える意味で理解できるし 選挙の戦略としても悪くない選択だったとおもってたのよ ところがこの対象となった人が代表を務める地方支部に対して各2000万円が振り込まれれていたと聞いて ある意味「やっぱりな」と・・・ 森山幹事長さんは「党勢拡大のための活動費」という意味で「候補者個人の活動費」じゃありませんと苦しい言い訳をしてるけど 世間はそんな説明では納得できないとおもう ちなみに法令違反ではないようなので付け加えておきますけど偽装非公認? さすがの石破さんもきれいごとばっかり言ってたところで大負けしてしまうわけにはいかないよね 政権終わっちゃうから だから世間に向けては「非公認」と突き放したように見せかけつつ 裏でちゃんと支援はしておき もし当選して這い上がってきたら「追加公認」するってことなのよこれは共産党の「しんぶん赤旗」のスクープなんだけど 投票日の4日前に表ざたになったのは自民党にとってかなりの痛手じゃない? 無党派層や無関心層はどう動く? どうせ岩盤支持者の多くは選挙活動があるから期日前投票しちゃってるし 昔ながらの自民支持者も期日前に行く人多いのよ これから投票する人の多くは投票先をまだ決めていない人や今まであまり投票に参加してなかった人ねこのスクープで頭に来た人は多いとおもうよ 人を馬鹿にしてるから そういう人たちが27日までにどんな反応や態度を示すか たぶん比例の票は伸びないとおもうから石破政権は追い込まれるかもしれないね
2024年10月24日
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背番号26(その4)背番号26の第4回目です今回3名を紹介するけどそのうち2人は多くのタイガースファンにはなじみの薄い人かな 3人目の工藤さんは既に背番号「19」で紹介してるよ 小林繁さんの加入で「19」を譲り「26」に変えた投手ね相羽欣厚(あいばよしひろ) 外野手愛知県大府市出身で高校は名門中京商業(現中京大中京高校)に進み、3年時には春夏甲子園に出場して夏にはベスト8。高校から直接プロ入りしており、1962(昭和37)年、読売ジャイアンツへ入団している。入団1年目から11年間一軍の試合に出てはいるが、1967(昭和42)年の80試合が最多だが、それでも138打席にしか立っていない。主に代打や守備固めでの起用が多かったが1965(昭和40)年には4試合でスタメン4番を打ったこともあり、ジャイアンツの「第31代4番」として名を残している。1972(昭和47)年オフ、金銭トレードで南海ホークスへ移籍。1年目の1973(昭和48)年には自己最多の87試合に出場し223打数64安打18打点4本塁打で打率も.287というキャリアハイを記録して貢献。しかし、翌1974(昭和49)年は48試合にしか出場できずタイガースとのトレード要員となり、村上雅則と共に、和田徹と野上俊夫との交換トレードでタイガースへ移籍し背番号「26」を着けることになる。1975(昭和50)年、タイガースでは左投手用の代打として起用されたが、27試合の出場に終わり32打数5安打2打点、打率156という数字しか残せないままオフに現役を退いた。引退後はタイガースに残り、1984(昭和59)年まで二軍や一軍で打撃コーチや守備走塁コーチなどを歴任している。1985(昭和60)年から2年間、日本ハムファイターズでも一軍打撃コーチを務めた。1988年1月29日、膵臓癌のため逝去、まだ44歳の若さだった。切通 猛(きりとおし たけし) 外野手兵庫県姫路市出身で県立姫路南高校に進み、4番レフトとして夏の地区予選決勝まで進んだが惜しくも市立西宮高校に5-6で敗れている。卒業後は芝浦工業大に進学し、東都大学リーグ通算では42試合84打数12安打4打点、打率.143という成績しか残せていない。1968(昭和43)年、社会人東芝へ入社し都市対抗では4番として活躍し同年のドラフト会議で阪急ブレーブスから9位で指名を受ける。切通はこれを保留して1969(昭和44)年の都市対抗に三菱重工川崎の補強選手として出場しベスト4に進み、大会終了後に阪急と契約しプロ入りした。 高校時代から怪力で知られていたがプロ入り後は出場機会に恵まれず、阪急に在籍した7年間で一軍公式戦には37試合にしか出ていない。阪急での通算成績も37試合38打数8安打4打点2本塁打、打率.210という寂しいものだ。1975(昭和50)年のオフ、金銭トレードでタイガースへ移籍。背番号は引退した相場の「26」を継承する。タイガース1年目の1976(昭和51)年ウェスタンリーグでは8本塁打を放ってタイトル獲得。一軍でも20試合に主に代打として起用される。1977(昭和52)年、吉田監督は切通を代打として積極的に起用し、右投手に対して切通~桑野議という順で代打攻勢をかける形を定着させている。1978(昭和53)年も主に代打起用で47試合に出場しているが、同年で現役を退いた。通算成績は10年188試合247打数59安打12打点5本塁打16四球43三振、打率.239だった。引退後はタイガースに残りコーチ補佐をしながらトレーナーの資格を取り、1982(昭和57)年から7年間二軍トレーニングコーチを務める。1983(昭和58)年には右足太腿の筋肉断裂の重傷を負った岡田彰布をリハビリで見事に復帰させるなどトレーナーとして有能だった。1989(平成元)年にはフロント入りし2年間スコアラー、1991(平成3)年には現場に戻りトレーナー、1994(平成6)年から再びフロントに入り主にスカウトとして貢献、関本賢太郎、濱中治、藤川球児などを発掘し2000(平成12)年に退職した。2015年6月15日、71歳で逝去。工藤一彦 投手(再掲)背番号19-3ですでに紹介しているが全文を再掲する 茨城県筑波郡谷田部町の出身で高校は土浦日大高校。中学時代から知られた存在だったが、ある日土浦日大の見学に行くと監督から「工藤君ちょっと投げてみろ」と言われてマウンドに立たされた。工藤は当時の土浦日大レギュラーを相手に9連続三振を奪って監督をうならせ、「俺たちと一緒にやろう」と誘われて入学を決めたという話が残っている。高校時代は銚子商業の土屋正勝、横浜高校の永川英植、鹿児島実業の定岡正二とともに高校四天王と呼ばれ、3年時の1974(昭和49)年は甲子園に春夏出場しているがともに2回戦敗退。ただし秋の国体では銚子商に勝って優勝している。同年のドラフト会議ではタイガースの2位指名で入団し、背番号「19」を背負う2人目の投手となった。ドラフト1位は丸善石油の古賀正明だったが、球団の期待度は工藤のほうが高く、示された契約金や年俸も2位の工藤より安かったために入団を拒否、翌年改めて太平洋クラブライオンズの1位指名を受けてプロ入りするという波紋も残した。1975(昭和50)年、実際にプロ入りしてみると186センチ90キロの堂々たる体格の割に工藤のストレートは130キロ台半ば程度に過ぎず、どちらかというと回転数が少ない球質だった。しかしほかにこれという変化球もない状況では、すぐ使える投手ではなかった。 まずプロ入りから3年間は一軍登録すらされていない。4年目の1978(昭和53)年8月にようやく初登板したが、投げたのは2/3イニングのみ。しかも5安打を浴びて5失点、防御率67.50という不名誉なシーズンに終わった。プロ入り5年目の1979(昭和54)には背番号を移籍してきた小林繁に譲って「26」に変更し、ここからブレイクしている。31試合(先発18)に登板して7勝8敗の成績で完投も2試合あり、防御率は4点台ながらものらりくらりと抑えてしまうという特徴を見せた。芽が出ない間にフォークボールをマスターしたことがこの年の転機になったと言われている。1980(昭和55)年は引き続き先発とリリーフ掛け持ちで使われ5勝10敗と負け越してしまう。しかしローテーション投手として固定された1981(昭和56)年に9勝9敗、1982(昭和57)年には念願の二けたとなる11勝8敗でオールスターにも出場、さらに1983(昭和58)年はキャリアハイとなる13勝10敗の好成績でエース級の働きをしている。 1984(昭和59)年に肘を痛めて7勝5敗に終わると、1985(昭和60)年に就任した吉田義男監督は工藤を中継ぎに戻したが、ローテーションの谷間では先発もこなしている。この年にはもともとスリークォーター気味だったフォームをサイド気味に変えたが6勝どまり、翌年が5勝、そして1987(昭和62)年の3勝を最後に勝ち星と縁が無くなる。その後も肘の状態は回復せず、1990(平成2)年まで在籍したものの3年間白星がないまま引退に追い込まれた。通算成績は308試合66勝63敗4セーブ623奪三振、1186回2/3で自責点533、防御率は4.04というもので、勝ち越しているのは立派だ。高校時代に騒がれた四天王のうち工藤だけがドラフト2位で、他の3人はいずれもドラフト1位だった。しかし他の3人のだれよりも現役年数が長く登板数や勝ち星も一番多かったことを思えば、よくやったほうだと言えるかもしれない。まとめ工藤さんは江川卓さんの次の世代で甲子園でも評判だったらしいけど 先代に聞くとプロ入り後はスリークォーターになってストレートの球速は127~128キロになってしまってたって どこかで故障でもあったのかな 4年間着けた「19」を小林さんに譲って「26」に変えたんだけど12年間「26」で頑張ったのよ相場さんと切通さんは他球団で長くやってからトレードでタイガースに来た人たちです 来た時には完全にピークを過ぎてるからあまり期待もされなかった 当時のタイガースはこういうケースって多かったのよ 現役晩年にくることが多いから活躍できた人は少ないよね26の5につづく
2024年10月23日
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阪神は21日、来シーズンの1、2軍の監督・コーチ陣容を発表した。今季まで2軍野手を担当した上本コーチが1軍打撃に配置転換され、藤川新監督を支える。 打撃チーフには今季までオリックスで打撃コーチだった小谷野栄一氏が就任する。2軍では、藤川新監督と同い年で、今季までオリックスの内野守備走塁コーチを務めた梵英心氏が打撃コーチとして新入団する。 【1軍】 監督 藤川球児(44) 総合コーチ 藤本敦士(47) 投手チーフコーチ 安藤優也(46) 投手コーチ 金村暁(48) 1、2軍打撃巡回コーディネーター 和田豊(62) 打撃チーフコーチ 小谷野栄一(44) 打撃コーチ 上本博紀(38) 内野守備走塁コーチ 田中秀太(47) 外野守備兼走塁チーフコーチ 筒井壮(49) バッテリーコーチ 野村克則(51) ブルペンコーチ兼ブルペン捕手 片山大樹(49) 【2軍】 監督 平田勝男(65) 投手チーフコーチ 久保田智之(43) 投手コーチ 江草仁貴(44) 投手コーチ 渡辺亮(42) 打撃チーフコーチ 北川博敏(52) 打撃コーチ 梵英心(44) 守備走塁チーフコーチ 馬場敏史(59) 内野守備走塁コーチ 山崎憲晴(37) 外野守備走塁コーチ 工藤隆人(43) バッテリーコーチ 日高剛(47) 野手コーチ 俊介(37) やっぱり水口コーチは残らなかったんだね 今シーズンの成績に責任を感じてたようだし岡田監督と一緒に引いたってことね 2軍の投手部門は3人ともほぼリリーフ専門だったよね ちょっと気になるところかな? 和田さんは具体的にどういう動きをするんだろうね なんとなく「名誉職」みたいに見えちゃうよ それとも昇格・降格を決めるときの相談役ってことかな?まだまだ紅葉🍁には早いけど いい感じでしょ?これは作るの苦労したんだよ
2024年10月21日
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前川君フェニックスリーグで覚醒2代目タイガース非公式サイトです宮崎で実施中のフェニックスリーグで前川君がすごいことになってるわよ この2年間は岡田監督が期待を込めてかなり使ってくれてたよね 前川君もよく頑張ってたけど好打者という感じの成績だったのね いろんな評論家の人もバットコントロールのすごさやミートの確実さを褒めることが多かったけど 2代目は長距離砲としての素質のほうが伸びてくれないかなあってちょっと物足りなかったそれがこの秋に覚醒したのかホームランがポンポン出るようになってきたって言うのよ 「待ってました!」 前川右京の“快音”に「来年がますます楽しみやね」阪神・前川右京外野手から目が離せない。20日、みやざきフェニックス・リーグの巨人戦(アイビー)に出場し、5回に先制2ランを放った。21歳の躍動に「虎の柱になれ」「未来明るい」「来年がますます楽しみやね」と歓喜の声が上がっている。前川は「5番・左翼」で出場。0-0で迎えた5回無死一塁で、巨人の先発・京本眞投手から右越え先制2ランを放った。18日のDeNA戦でも右翼に3ランを放っており、2試合連発となった。2021年ドラフト4位で阪神に入団。高卒3年目の今季は116試合に出場して打率.269、4本塁打、42打点の活躍。期待の21歳は、さらなる飛躍を遂げるためフェニックス・リーグで鍛錬を積んでいる。前川の好調ぶりにファンは「1軍だと長打が課題の打者だからフェニックスとはいえポジれますね」「必ず物凄い強打者になる!」「格が違うわ」「1軍経験の差が凄い」「毎日放り込んで」などの声を上げている。さらに、入団4年目での“覚醒”を期待するコメントも目立ち「鈴木誠也曲線あるな」「藤川監督絶対見てるよ?」など、背中を押す声も広がっていた。(Full-Count編集部) フルカウント編集部さんの記事を丸々載せさせていただいてます 申し訳ありません こちらが記事ですのでご覧ください 虎の逸材は「物凄い強打者に」 21歳が南国で快音連発…望まれる“覚醒”に「未来明るい」 来季は二けた狙ってほしい! ホームが甲子園だからって悲観していてはダメよ 東京ドームや神宮や浜スタで量産してやればいいのよ 前川君は当てる技術は一級品だから崩されても苦しい体勢からミートしてヒットを打ててしまうんだけど それやってるといいことは無いよ 無理なボールは見送るなりファウルして 自分のポイントで打てるボールを確実にとらえられるかどうかね きっと大打者になれるって!
2024年10月21日
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生誕75周年の新グッズがいっぱい!2代目タイガース非公式サイトです 実は9月終わりから10月上旬に開催されたんだけど今まで記事に揚げるタイミングがなくて ということで自分でも記録に残しておきたいので時期は外しちゃいましたが今回取り上げておきますね 会場はJRナゴヤタカシマヤ10階催事場でした 誕生して75年目を迎えた「ピーナッツ」 スヌーピーも75歳ということね 今回は75周年を記念する限定グッズといろんなメーカーの新作グッズを集めたマーケットという感じで開かれました会場内の様子 スヌーピーの特徴は中高年の女性に絶大な人気があることかな ハローキティやミッフィーとかディズニーキャラなどと比べても明らかに年齢関係なく支持されてる感じなのよ 行ったのは9月30日なので月曜日ということもあって子供の姿はなく 中高年の年代の人が目立って多かったわ 大型のディスプレイもあちこちに飾られていて記念写真を撮ったりできます 来場する人たちのお目当ては やっぱり新作のグッズ類 文房具や食器類その他雑貨などが並んでて見てるだけでも楽しいです ちょっと紹介しようかな これは「日焼けしたスヌーピー」です サーフショップハワイさんの新商品 日焼けスヌーピーのぬいぐるみもあるよ まさに「まっ黒」 これは人気があって結構売れてた サーフボードに乗ったスヌーピーもいました スヌーピーらしくないスヌーピーも新作で出てた ちょっと顔つきが違うよね スヌーピーは毎年たくさんの新作が出てくるし 5年ごとのアニバーサリーには限定商品が作られるのでこうしたイベントが結構あるのよ 2代目もいつも楽しみにしてる 会場を見て歩くだけでも楽しめるから皆さんもぜひ行ってみて! と言いたいとこだけど とっくに終わっちゃったのでまた次回 タイムリーにご紹介できたらいいなとおもってます 2代目もいろいろグッズ買いましたが ご披露するのはやめとこう というより写真撮ってないのよね次の機会を待っててね じゃあまた!
2024年10月20日
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日本三大名湯下呂温泉2代目タイガース非公式サイトです2代目は温泉が好きで毎年必ず「名湯」の評価が高いところに行くのね 今年は7月に地元岐阜県の下呂温泉に行ったんだけど そのころシーズンたけなわでブログに紹介することができなかったのねやっとシーズンが終わって一段落したので さかのぼって紹介しておくことにします 2代目にとって地元の県だから全国の人にも知ってもらいたいしねJR高山線下呂駅下呂駅はそんなに立派なつくりじゃないわね でも駅を出るとそこからもう温泉街が始まってるからいきなり別世界に足を踏み入れることになるのよ 電車だと特急で名古屋から1時間50分くらい 2代目は自宅から車で行ったんだけど3時間くらいかな 東海北陸自動車道が富山まで完通したのが2005年で それから観光客が増えたね 2010年くらいからインバウンドの外国人観光客も多いのよ 高山まで車で1時間弱ということもあるし世界遺産の白川郷へもアクセスはよくなったから 温泉を楽しみながら飛騨観光するには便利な位置にあるんだよね広大な温泉街 下呂の温泉街は 真ん中を流れる飛騨川(長良川の支流)で2つに分断されてます それぞれがかなりの規模で 川の東側が山が多く斜面に温泉宿が立ち並んでるよ 西側は下呂駅を中心に温泉宿や繁華街になってる 夜の街も食べ歩きや飲み歩きしながら足湯に入ったりする人たちが散策してる 足湯は町の中に10か所以上あります 裸足になって裾をまくって足を入れると 足で温まった血液が心臓に戻って来て そこから全身を循環するわけよ 足を入れてるだけなのにしばらくすると体がポカポカになってくるわよ 下呂に来たらぜひ試してほしいわ 冬場のほうが効果が好くわかるよ下呂温泉の老舗「水明館」 今回2代目は「水明館」に泊まりました ここは下呂温泉でも超老舗で全国的にも有名だよね 過去には天皇陛下もお泊りになってる 建物は大きく「山水閣」「飛泉閣」「臨川閣」「青嵐荘」の4つがあってそれぞれ特徴があるのよ 2代目は「臨川閣」の露天風呂付の部屋にしました ここの上層階にはバルコニーに陶器製の露天風呂がついてるから温泉街を眺めながらゆったり湯につかることができて気持ちいいお部屋の様子 ゆったりしてる お部屋は12畳+6畳とバス・トイレで 広縁と露天風呂がついてる構成になってたわ 眼下は飛騨川が流れていて ちょっと雨のあとで増水してたから夜静かになると川の流れる音が大きく聞こえて 少しうるさかったな バルコニーの露天風呂には源泉が引かれていていい気持ち 足湯にもできるようにベンチのようなところが作ってあります ちょっと2代目も登場してどんな様子かわかる写真を載せておくよ 結構広いのよ 立ち上がると川向こうの建物から上半身丸見えなので 中腰で移動しないとヤバいというのはあるけど 川風が流れてきて7月の暑い日のわりには夜は涼しく感じました 風呂上がりにビールとか飲めるようにテーブルとイスも置いてあるよ 下呂温泉の泉質は城崎温泉に似ているのよ! アルカリ単純泉って言うのかな 特徴は無色透明で無臭 お湯に入ってすぐ肌がツルツルするのがわかるわよ こういう感覚は城崎温泉のお湯とそっくりなのお料理も美味しい館内の広さや庭の美しさに圧倒されます 翌日は 高山市内を観光 下呂からは車で1時間程度なので高山観光が十分楽しめました あまり撮ってなかったので 味気ない写真だけど載せておくね 〆は「キッチン飛騨」の飛騨牛ステーキを満喫 高山ではかなりの老舗になってきた「キッチン飛騨」 外観も店内も完全にヨーロッパ風で雰囲気が素敵なのよ もちろん5等級の飛騨牛が目的です ここのステーキは 抜群に美味い! 値段も高いけど味わいは最高です 高山に来たら奮発してぜひ試してみてほしいですね 下呂温泉は県内なので今年の冬の間にもう一度行ってみたいとおもってます 雪が降ってるときの温泉ってすごく好いものなんですよ 三大名湯って書いちゃったけど・・・ 城崎温泉は西の大関 下呂温泉は西の小結 いろんな評価があるから番付表もさまざまみたいだけど お湯の素晴らしさでは負けないよ 特につるつるしてお肌にいいから女性にとっては一番だとおもう
2024年10月18日
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背番号26(その3)背番号26の第3回目をはじめるよ今回はちょっと異質で 皆さんもあまりなじみのない選手ばかりが出てくるとおもう 渡辺さんが14年間つけたあとだけに 背番号「26」がかすんでしまった時代と言えそうね久野剛司(ひさのたかし) 投手久野は大阪府八尾市出身。府立八尾高校1年の時にエースとして夏の甲子園に出場しベスト4まで勝ち進んでいるが、その後の2年生以降は卒業まで甲子園の土は踏めなかった。高校卒業後は同志社大へ進み、ここでもエースとして活躍している。大学通算成績は70試合に登板して33勝16敗、188奪三振で防御率は1.52という堂々たるものだ。 1965(昭和40)年のドラフト会議でタイガースが4位指名し、内定していた河合楽器に断りを入れてプロの道を選んだ。背番号は引退した渡辺省三の「26」を受け継ぐ。 ルーキーイヤーの1966(昭和41)年には、いきなり38試合の登板機会があった。しかもそのうち14試合は先発に起用されている。しかしシーズン成績は1勝6敗。これは当時のタイガース打線があまり援護できていないことも影響しており、防御率は2.81と悪くはなかった。1勝は8月の広島戦での完封勝ち。2年目以降への期待感はあったようだ。 ところが1967(昭和42)年は一軍での登板は無く、1968(昭和43)年が11試合1勝2敗、1969(昭和44)年も12試合1勝0敗と満足に投げていない。 当時どういう評価だったのか記録や証言が残っていないのでわからないが、大学時代の数字から見れば完全に期待外れになっている。 1970(昭和45)年、シーズン途中で西鉄ライオンズへ移籍していったが1971(昭和46)年に現役引退する。 プロ通算成績は80試合3勝8敗162回1/3を投げ71奪三振、自責点67、防御率3.72だった。プロ入り後に大成できなかった理由はよくわからない。山本重政 投手兵庫県加東郡社(やしろ)町出身。県立社高校に進み2年生の夏の地区予選で毎回奪三振を奪うパーフェクトゲームを達成し一躍注目の投手となる。翌年の夏の予選でもノーヒット・ノーランを記録しており、鳴り物入りで立命館大へ進学している。1962(昭和37)年、大学1年の春季から登板し3勝を挙げる活躍にほれ込んだのが近鉄バファローズ監督の別当薫で、シーズン中に説得に赴いたことで、山本は同年で大学を中退して近鉄へ入団する。 近鉄では1963(昭和38)年から8年間プレーしたが、当時はパ・リーグのお荷物球団と呼ばれる弱小チームであったため、山本は一度もシーズンで勝ち越していない。1966(昭和41)年は防御率2.72にも関わらず、8勝19敗と惨憺たる成績に終わっている。 1967(昭和42)年から3年間は勝ち星がなく、1969(昭和44)年オフに戦力外、自由契約選手となった。 地元兵庫出身ということもあってタイガースが手を差し伸べ、1970(昭和45)年に途中入団、背番号は西鉄へ移籍した久野から「26」を引き継いでいる。 タイガースでは、2種類のカーブを主体にする技巧派に転じ、中継ぎとして貴重な仕事をしており、7年間の在籍中に防御率2点台の年が4回ある。1973(昭和48)年には背番号を「35」に変更している。1976(昭和51)年はわずか2試合しか登板は無く、現役最後のシーズンになった1977(昭和52)年は背番号も「63」となって、現役でありながらほぼ1年間バッティング投手として過ごし引退している。 通算成績は424試合40勝67敗4セーブ、1117回2/3を投げ奪三振782、自責点420防御率3.38だった。 引退後はそのままタイガースに残り、24年間スコアラーを務めたのちフロント入りし、2007(平成19)年に退社した。スコアラーとしての手腕は高く評価されている。森山正義 外野手長野県南安曇郡豊科町(現安曇野市)の出身。高校は東京の佼成学園へ進み3年時の選抜大会で甲子園を経験したが初戦で敗退している。明治学院大に進むとスラッガーとして開花し、首都大学リーグだけでなく日本の全大学野球リーグにおいても最多となる通算26本塁打を放った。これは2024年現在でも最多記録になっている。大学通算成績も100試合367打数110安打80打点、打率は.300を記録しベストナインにも4度選ばれている。文句のつけようがない成績だ。1972(昭和47)年のドラフト会議ではタイガースが2位指名で獲得に成功し入団が決まる。大学のホームラン数26本にちなんで、山本重政から背番号「26」を譲られている。これほどの素材だったが、森山は1973(昭和48)年から2年間在籍しただけで1度も一軍の試合に出ることもなくトレードに出されてしまう。入団前から肩痛と腱鞘炎に悩まされていたためで、ファームの試合では4試合連続ホームランなども記録してはいるが、一軍で使えるというめどが立たなかったからだと言われている。1974(昭和49)年オフに阪神5人に対しロッテ2人の交換トレードで放出され、1975(昭和50)年から1979(昭和54)年まで5年間をオリオンズでプレーして引退する。 タイガースでは試合に出ていないためロッテでの成績が生涯成績になる。通算の数字は25試合18打数0安打0打点0本塁打3盗塁1四球6三振で打率0割・・・これはほぼ代走要員の数字だろう。大学時代の華々しい活躍に程遠い結末だった。 1997(平成9)年から母校である明治学院大のコーチに就任、2005(平成17)には野球部監督を務めた。まとめ今回の3名は大きな貢献ができなかった選手たちね 山本さんだけは毎年20~30試合を投げてくれて中継ぎ役や敗戦処理など地味ながら貢献はしてくれたようだけどね久野さんと森山さんは大学時代の記録を見ると驚くんだよなあ この数字でプロ入りしたなら常識ではピッチャーは100勝以上、打者では1500安打くらいは軽くクリアできそうにおもうんだけどプロは厳しいのね このお二人は2代目が探した限りでは残念ながら画像は発見できませんでした26の4につづく
2024年10月17日
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秋の山へキャンプに行きたい2代目タイガース非公式サイトです やっと朝晩が涼しくなってきたね 空も抜けるように蒼いし 秋は山の中の林へ行くと空気が澄んでて気持ちいいんだよ でもね冬眠にむけてクマがなんでもモリモリ食べるシーズンでもあるわけ いまは栗やクヌギのなど実が豊富だし 里山では柿や梨も狙われる キノコなんかは食べるのかどうかな? においに敏感だからバーベキューなんかしてたら出てきそうね子連れの母グマ 山歩きで出くわしたら殺されるよ! 2代目の住んでる地域は割と山に近いのよ 一番近い山まで5~6kmくらいかな 10kmもいくとかなり深い山にも行けるんだ だから山に近い住宅地にイノシシやクマが出てくることもあるんだよ 林道やドライブウェイを走ると鹿やサルに出くわすことなんか珍しくないのよね サルはバッグとか持って行っちゃうし気が強くて力もあるから怖いよ 動物は好きだけどクマだけは怖い 2代目の住んでる辺りではツキノワグマだからヒグマのような巨体じゃないわ でも人間の力じゃとても歯が立たない 現実に目の前で見たことがあるのはシカ・サル・イノシシ・キジでクマはいまだに出会ったことないのよ 聞くところではクマが一番臆病なんだって 人の気配があると自分から避けていくから普通は人間のほうは気が付かないのね 渓流などの音でお互いの気配がわからずふいに鉢合わせした時が危ないそうよ ということでなかなかキャンプに行く勇気がないので ちょっと行った気分になろうと生成AIでイラストを作成してみたよ 同じ構図でリアル版とアニメ版を作ってみたので掲載しますね1 リアル版2 アニメ版 では見てくれてる人に質問です! リアルとアニメのどっちが雰囲気出てると感じたかな? コメント欄に1または2でお答えください できれば感想も(『透明感がある』とか『ミニスカが好い』とか) どうせ誰も回答くれないか・・・ と半分ふてくされてお待ちしてます ミニスカは要求したわけじゃなくAIの趣味なのか勝手に描いてきたのよ!秋キャンプじゃなく安芸秋季キャンプなら行こうかな
2024年10月16日
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藤川新監督 岡田イズムを継承!2代目タイガース非公式サイトです 10月14日午後 大阪市内のホテルで藤川球児さんの監督就任記者会見が開かれました 就任するにあたって藤川さんは 「岡田監督が指揮をとった2年、非常に強く、チームも成熟してきた。岡田監督が残した思いをつながないといけない。ぜひ応援よろしくお願いします」と述べて岡田イズムの継承を宣言しました背番号は現役時代にも背負った「22」をつけます 背番号史でも書いたけど2020年に藤川さんが引退したあと4年間空き番になっていたのよ この日のために空けてあったということかな では藤川監督の一問一答をタイガース公式サイトから-阪神タイガースの監督就任が決まりまして、今の率直な気持ちから教えてください。オーナーの方からも言われましたけれど、このチームではビジョンがあって、もう幾数年にも実はそれが繋がっていて、その中で岡田監督が指揮を執られたこの2年間に非常に強く、それからチームも成熟してきたのは自分も見てみていて、それから僕もチームの中から外から両方で見てきたところがあったので、この流れになったのかなと。自分自身は全くわからなかったですけれど、愚直に真っ直ぐにこう仕事をしてる中で、そういうものが見えてきたというところでお受けしましたね。-就任を要請されて就任を決断するに至った理由というのを教えていただいてもいいでしょうか?特にないです。今、自然なのかなと。やっぱり僕はタイガースに18歳で入ってアメリカに行ったり、それから自分で選択して独立リーグにいたりとかしてる中で、自分の下す決断っていうのに少しずつ自信を持てることができて、どんな道をおそらく選んでも自分の中で正解にできるんじゃないかというところが、ここまでの自分の自信にもつながっています。 なので、うまくいかないことはあると周りが言うかもしれないですけど、僕はどちらにしても大丈夫と思ってますので、それは自分の決断に間違いはないと思います。-岡田監督は恩師であられると思いますが、その後を引き継ぐということについては、今どんな思いをお持ちでしょうか?おそらくそれも全て必然であって、大きな阪神タイガースという来年90周年を迎えるこの流れ。そして僕の1年目が、岡田監督が阪神タイガースのファーム監督1年目ということで、全ての流れが、たまたまかもしれないですけど、それを自分の中で紐解いていくわけですね、人間なので。その中でどう受け取ろうかなとするよりも、これが自然なのか不自然なのかというところを考えた上で、何も不自然なことがないというところで、これも運命なのかなと、従えばいいという感じですね。-その岡田監督から学んだことで、今でも大切にされていること。それからこれから監督として活動していく中で、大切にしていきたいことあれば教えてください。選手の間だったり球団のSAとしてチームをサポートする側でいる時、外で解説している時には気づかなかったんですけど、いざ、この前に立って、この会見とともに監督がスタートするんですけど、やっぱり普通にやったらいい、これに尽きるのかなと。これがリーダーの仕事かなと思いますね。-先ほど杉山オーナーから背番号22番という発表も改めてありました。この22番は岡田監督が託してくれたところでもあると思いますが、この現役時代から背負った番号を監督としても背負うということについての思いをお聞かせください。正直、岡田監督からもらっていなかった番号であれば、全くこだわりはなかったです。僕自身が30番で入団して、それから92、それから22。アメリカで11番、それから21番、高知で11番、阪神に戻って18番とたくさんの番号つけてきましたけど、自分の中で結果がよかったこと、みなさんの印象に残っていること、全て含め、番号も空いてますし、全てが流れなので、そこに抗う方がおかしいんじゃないか。何もおかしいことじゃないなと。 僕は背中が見えないので、いつも何番でもいいと言うんですけど、みなさんから見た時に、今後は選手から見た時の印象がありますから、そういう距離感という意味では近く見えるかもしれないので、いいかもしれないですね。-藤川監督がどんなチームを作るのかというところでも非常に注目が集まっていると思いますが、藤川監督の理想のチーム、それから理想の野球を教えてください。あまり本当は言いたくないですけど、戦う前に。チャンピオンチームだった昨年であれば思うんでしょうけど。僕は、どちらかというと、新たに就任する監督であって、コーチともまだビジョンを組んでないわけですね。その段階でメッセージとして固まってしまうことは正直控えたいかなと。 岡田監督と戦ってきたコーチたち、選手たちが持っている野球観っていうのがすごく大事なので。僕としては前回岡田監督が監督だった08年の時の09年以降の野球を自分の中で覚えてまして、野球のベースが移り変わった記憶があって。 そこで選手たちが岡田監督という素晴らしい強烈なリーダーシップを持った野球から、僕自身もそうですけど、簡単にパッと変化できなかったというのがあって、なのでいかに流れの中で、いわゆるチャンピオンチームの巨人の阿部監督を倒していったりとか、他球団と勝負していかなければいけないという意味では、時間があるようでないので、そこは意思疎通を図ってから、決断を下したいと思いますけど、まだ見ていないので。-ユニフォームを脱がれてからも、スペシャルアシスタントや解説者としては常に外側からも阪神のことを見守って来られたと思いますが、現状のチームというのを、今、藤川監督はどう捉えていらっしゃいますか?前年度日本一、そして今年も2位まで強烈な追い上げ、岡田監督とたくさんプレーしてきたので、まあ監督力です、ハッキリ言えば。選手たちは素晴らしく脂が乗ってきているとは思います。 ただ、僕も岡田監督とともに戦ってきて、岡田監督というのは、駒が変わっても同じような順位に持ってくる力がありました。なので、これで僕も頑張ります。 だけど僕が来たことで例えばチームが下がってしまうようなことがあれば、選手たちも力がないということになりますから。僕は09年以降、必死でチームを支えたっていうのもありますから、そういう意味で選手たちの本気度と、現状維持で今いるような周りから見えるような選手は危機感持って臨んでもらいたいなと思います。-チームの強みはどのあたりでしょうか。そこはファンの方々、メディアのみなさんと同じかと思いますけど、3点ほど取ったらゲームをきっちり終わらせてくれる。安定の野球です。僕もそこは一番ベースになります。 面白みがある野球ではなくて、スルッと気づけばゲームが終わっているというのも、それが狙いですけど。そういうゲームって後ろからいくリリーバーが出やすいんですよ。 ゲームの流れのよどみをつくらないようなゲーム展開にしたいというのはありますから。あとは選手たち、コーチたちが、さらに呼吸が早くなるよう岡田監督が引っ張ってくれたと思うので、選手たちやコーチたちが常に忙しく呼吸しているようなこの秋、春、開幕まではそんな時間にしたいと思いますね。-最も強化すべきポイントはどんなところでしょうか。まあ非常に難しいんですけど、ベテランと言われる選手。僕もベテランの時期を実際過ごしました。その中で僕たちが現役を引退して、いよいよ、優勝はしました。勝てば勝つほどプレッシャーが高くなり、求められる責任感というのが大きくなります。 その中で、どんな選手がそれを少しでも、監督、コーチじゃない立場からその気持ちを受け流して、『いや、こういう時はこうするんだよ』っていうような、プレイヤーの中での気持ちの安らぎというかね。力が必要ですよ。 もちろん。選手にも力が必要ですけど、ベテランの選手で、ただ空気がいいだけでは、それは選手には必要ないんで。力もあって、周りの意見を汲み交わしながら、橋渡しとは言わないですけど。うまくファンとか選手から見た首脳陣とか。そうですね、全てを取り囲むっていうところの、そういう選手がいないし。欲しいし。また、なってもらいたいと思うし。 ただ必要なのは力です。力が必要なのは間違いないです。プレーヤー個人の力がなくて、ベテランっていうのは僕は必要ないです。-2025年には尼崎にファームのゼロカーボンベースボールパークが新しく出来上がりまして、今まで以上に環境も整うと思いますが、その育成強化というところへの思いも教えていただけますでしょうか。少しその話になると、また表情は1つ。僕も監督として考えなければいけない。今は戦いの部分なんですけど、次は育成という部分に変わりますから。少し話の視点が変わるんですけど。やっぱり新しく、鳴尾浜にもずっと大きくお世話になったし。 最後の試合ではたくさんのファンが来ていただいたということも聞いてます。それが今度、阪神沿線の中で、甲子園の途中で見られる、尼崎にできるということで。選手たちに多大なる刺激が入ると思います。それから女子野球もあります。で、今は地域で少年少女たちに野球を教えたり、チアリーディングとかダンスの方にも積極的に力を入れてます。 本当にこう地域密着っていうのはどの球団でも必要で。僕は高知県に行って講演にも行ったりするんですけど、やっぱり過疎化が進んでるところもあって。もっともっとこう、スポーツの世界から世の中に元気を与えて。受ける受け皿、夢のある世界を広げなきゃいけない。 という意味では、最初に話したビジョンっていう大きなその球団のビジョンの中にはそこはありますから。もちろんファームの選手も、もちろん大事ですけど、入団してくる選手にとっても大事なんですけど。それはまたそれで現場でやりますから。球場の周りをどういう風に美しくして、魅力のあるところにして。 まあ僕もせっかく来年90周年となる阪神タイガースの監督という役割をいただきましたから。球団の方とみんなで、今後100年、それから200年っていうところに向けて、いかに阪神タイガースが愛される球団で、全国から来たいという風に思ってもらえる球団にする必要が、私も義務があると思ってますから。見といてください。やりますから。-先ほど力のあるベテランというお話もありましたが、現在のチームで期待する選手。それからチームの柱として活躍してほしいと思う選手がいれば教えてください。まあ僕はその就任要請を受けた時にお話したんですけども、球団首脳の方にお話ししたのは、僕にとってファンの方には選手の名前、顔、背番号というのは大切かもしれないです。ただグラウンドに出た時はボールとバット。いわゆるプレーの素晴らしさ、能力が必要なわけですよね。僕はその選手たちがいくら築いてきたという、そのプライドとか、その応援されてるファンがたくさんいる。ものすごく大事です。だけど僕、現役やめてわかったんですけど、やっぱりタイガースの選手は辞めても愛されますし。それはどれだけプレーができるかは、もしかしたら関係ないかもしれない。 でも、相手を倒す意味では絶対的な力が必要なんで。いわゆる、どんな選手と聞かれたら、能力のある選手を、数字とともに見たいし。うちにも優秀なデータ班が入っています。それを今後に活かしながら、その中で野球という数字に現れない、このベースボール、また違う深みがある。僕も解説して、アメリカのメジャーリーグも見たし、日本のプロ野球も見たし。その違いはあるんですけれど、そこを岡田監督がやっていたような日本の野球。大谷選手みたいにはみんななれないんだって岡田監督おっしゃられていました。 その通りだと思います。なりたい選手もいます。そこの僕としてはなぜ?っていうところをデータとともに見つけながら、球団と一緒に選手にアプローチをかけていく。あくまで感情的にならずに柔らかく。グラウンドで選手たちが1番荒ぶるのがグラウンドであるような状態に持っていきたいと思っています。-この先、ドラフト会議、そして主力選手のFAなど戦力面での動きもあるかと思いますが、こちらについての藤川新監督のお考えは?そうですね。いわゆる僕たちが、今の現役選手はわかってると思うんですけど、自分たちが現役引退した頃から、金本さん、矢野さんの時ですかね。そのあたりから選手の入れ替えが始まりまして。いよいよこうフリーエージェントの選手が一気に出てくるようなところに出てきました。 これは戦力の入れ替えをした結果、最高の時間が長い分、戦力を入れ替えなきゃいけないっていう。他球団から魅力のある選手たちが一気に出てくるってことですよね。いよいよ、そういうところになってまして。実際まだできるんじゃないかっていうような選手がリリースされて。他球団でのチャンスを求めなきゃいけない状況に今タイガースはなっています。 これはでも、アメリカでは当然だし。できるチャンスがあるうちに、できるチャンスがある選手が他球団でプレーするという。まあ板山選手もそうですよね。ああいう球団にやっぱりしたいし、なるべきだと思います。だからフリーエージェントも同様で。僕自身、フリーエージェントで海外に出てますから。 残ってくれという思いは当然あります。だけれども、やっぱりその評価っていうのは今まで頑張ってきた個人の評価なんで。FAできない、残念ながら…残念ながら?残念ながらですね。このチームに尽くすしかないという風な感情にはなってほしくないんで。 思いきりとりあえず自分の権利を全うしてみたらって。その中で本当に必要であったらわかるだろうし。僕と一緒に野球がしたかったら、僕と一緒にメンバープレーしてるんで。飛び込んでくれるだろうし。出なきゃいけなかったら出ますけど。まずは大人なんで、せっかく大人の第一歩ですからね。判断を待ちたいし。と、表上はさせておいてください。-改めてになりますが、藤川球児新監督が目指すものを教えていただいてもいいでしょうか?当然勝ちに行きます。なのでプライベートで僕のことを知ってる選手たちはいますけど。やっぱり僕もオンとオフがあるっていうのはもうみんなわかっているので。そこは今度一緒にやっていく首脳陣の方々、球団の方々も理解していて。僕は使い分けはしません。監督として皆さんと向き合います。選手たちが迷うんで。 これは仕事という部分に関しては、なかなかこう難しくて。なので、迷わせないっていうことが重要になりますから。 この部分では、どうにかこう兄貴分みたいなところはコーチにも幾数名かいますから。そこでも担当部署分けしながら、みんなで主体的にこう動いてもらって。それを吸い上げる形で決断を下して、グラウンドで最高のものを他球団と勝負する。それまではまだ、今は計画準備中なので。まだ実行にはいってないですけど、その段階ですね。-藤川さんが監督として、またグラウンドに戻ってくることを望んでいたファンもたくさんいらっしゃると思います。最後にファンの皆さんにメッセージをお願いします。選手の間から4年経ちました。その4年間の間もSNS等々で本当にお世話になったし、タイガーファンだけに関わらず、たくさんの人と出会うことができて。社会人として大きく勉強することができました。 なので僕の中では『経験こそ財産』という風に今回も学びました。なので、まっすぐ愚直に、真心を込めて。このチームを預からせていただいて、ともにタイガースを、日本一続けていきたいし。 岡田監督が残したこの思い、まあOBの方々が、89年間残してきた思いっていうのを繋いで。僕はまた次の世代に繋がなきゃいけないと思いますから。任された期間を全うするので、皆さんもおじいちゃん、おばあちゃん、それからお子さんを連れて球場に来て、テレビの前でもラジオ聞いてても新聞読んでも、面白いなって言われるチームを作りに行きます。ぜひ応援よろしくお願いします。 長々とお話しされてるね 話好きなんだろうな 解説のときもけっこうしゃべるもんね 来季は勝っても負けても試合後の取材には応じてほしいな 岡田監督みたいに気分次第で拒否なんてせずにね とにかく期待して見守ります創立90周年は優勝で決めたいね
2024年10月15日
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藤川体制へ人事加速2代目タイガース非公式サイトですCS敗退が決まって動きが速いね すぐにドラフト会議があって秋季キャンプも始まるし あわただしく組閣を急いてる感じですそんななかでヘッドコーチを置かないという話も聞こえてくるのね 岡田監督下でのコーチ就任を辞退して今回いきなり監督就任の藤川さんの場合それでいいかどうか少し不安を感じるなあ お友達の集まりにならないようにしてほしいけど最終的にどうなるかな?球児監督正式発表!阪神は14日、藤川球児氏(44)が新監督に就任することを発表した。球団本部付スペシャルアシスタント(SA)を務めていたレジェンドが球団創設90周年の2025年から指揮。3年契約とみられ、背番号は「22」が有力だ。2軍監督は平田勝男ヘッドに4度目打診新体制の発表を前に、コーチ陣が球団事務所に呼ばれた。フロントと今季の振り返り、来季に向けた面談が行われ、平田ヘッドには新たな要職が提案された。07~10年、13~14年、19~22年と計10年に渡って同職を経験。実現すれば、異例の4度目だが、1軍との連携や育成のイロハを熟知している。チームの現状も誰よりも把握。来年3月から兵庫・尼崎市の新施設に移転するファームの新たな歴史の幕開けを託すのにも、ふさわしい人物だ。和田豊2軍監督(62)には1、2軍を幅広く見るポストを検討中。今岡コーチの退団発表阪神は14日、契約満了に伴い、今岡真訪打撃コーチ(50)の退団を発表した。また、水口栄二打撃コーチ(55)は辞任を申し出たが、球団は慰留に努めている。打撃部門はテコ入れが図られ、オリックス打撃コーチの小谷野栄一氏(44)の招聘(しょうへい)と、北川博敏2軍打撃コーチ(52)の1軍への配置転換が検討されている。来季はヘッド置かない可能性?来季はヘッドコーチを置かない可能性があり、藤川新監督と年齢の近い藤本敦士内野守備走塁コーチ(47)にチーフ格を託すプランも浮上。1軍に昇格する見通しの野村克則2軍バッテリーコーチ(51)と新指揮官を支えるとみられる。また、田中秀太2軍内野守備走塁コーチ(47)と馬場敏史内野守備走塁コーチ(59)の配置転換も検討されているという。金村暁氏も復帰へ投手部門は安藤優也コーチ(46)が留任し、16~22年にコーチを務めた金村暁氏(48)の復帰も確実となった。また、新たな役職のブルペンコーチに片山大樹ブルペン捕手(49)が就く。現役時代の藤川監督の球を受け、現在の投手陣のよき相談役。廣岡達朗さんの指摘いつも厳しくプロ野球に意見をしてはばからない廣岡さんが藤川新監督に期待しつつ厳しい注文も付けてるので最後に掲載します「投手出身の監督はハッキリ言ってダメだ。例外はあるが、ほとんど成功していない。フィールド全体を見渡し野球を知っている捕手、内野手出身の監督が望ましい。そしてコーチ経験がないのも問題。格言にもあるが、名選手が名監督になるとは限らない。いかに勉強しているかが重要で、そのためにはコーチ、2軍監督などの経験が必要なのだ。メジャーを見てみなさい。多くの監督がマイナーで指導者としての経験を経て順序立って1軍で指揮を執っている」「いくら評論や解説がよくても指導者としていいかは別だ。現場は違う。だからこそコーチ経験が必要なのだ」「大切なのは参謀として経験豊富なコーチを藤川につけることだ。巨人の藤田は牧野茂というヘッドコーチをつけて成功した。彼はガンとした信念を持った指揮官だった。勉強もしていた。藤川が経験豊富なコーチをヘッドとして招き、彼自身が、監督をしながら勉強を怠らず、性格的に指導に情熱と根気があり、ぶれない信念のある人物であるのならば、そもそも投手力のあるチームなのだから、うまくいく可能性はある」2代目も廣岡さんの指摘はよくわかる ご指摘の中の「ヘッドコーチをつけたほうがいい」というのが気になるよね 確かに過去をふりかえるとそんな気がする 星野監督の時は島野ヘッドがいたし 今の人事構想が藤川さんの意見が強いのかフロント側の意向が相当入っているのかは推し量れないけど もし報道にあるようにヘッドを置かず お友達や球団お気に入りのメンバー中心で固めるという感じに見えるのには不安があるのよ・・・矢野仲良し野球の二の舞は御免だわ それと今岡コーチの契約延長なしについては2代目は大賛成です そもそも就任当時から疑問だったからね
2024年10月15日
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やっぱり・・・終戦2代目タイガース非公式サイトです2024年10月13日 阪神3-10DeNA 第2戦(阪神0勝2敗)甲子園第1戦のタイガースを見てて気力や執念を感じなかったのは2代目だけではないと思うのよ 逆にベイスターズは普段と変わらず前向きな感じだった タイガースの選手たちが「監督が代わる」とわかってから「心は来年」みたいになってるのがよくわかるよ まして岡田監督が何となく「辞めさせられた感」が見え見えだったからかな? 選手のみんなに「着いていこう」という気が失せてしまってたように見えて悲しかったポストシーズンに強い森下君が先制弾1回裏に森下君のシリーズ第1号ソロで先制しました 昨年もそうだったけど物おじしないのが森下君の好いところよね 打席での気の持ち方がテル君より前向きで強気に振れるところが持ち味になってるわ今年も岡田監督がなかなか褒めてくれないし バッティング内容や練習への取り組みにも疑問を指摘されることが多かったわ 精神的にかなり落ち込んだ時期もあったけど この試合のホームランのような場面で積極的に強くスイングして行けるから主軸打者として来季も期待できそうね11三振を奪われた打線三振しちゃいけないとは言わないけど 大事なゲームになるとどこか余計な力が入ってスイングのバランスが悪くなるような気がするんだよね今年の前半がそういう感じだったし このCSでもそう見えてしまいました どこか気が小さいなあという物足りなさは1年を通じてあったとおもう異例の梅野さん2回で交代2回表のベイスタースは先頭宮崎さんから4連打が出ます5番宮崎さん 1B1Sからの3球目をレフトへ2ベース6番桑原さん 初球ライト前ヒット7番森さん 初球を内野安打8番戸柱さん 1B0Sからの2球目を走者一掃の3ベースこの後牧さんにもタイムリーが出て1-4となるんだけど 3回表に入るところで岡田監督はキャッチャーを坂本さんに代えたのよね来季以降の課題は捕手ベイスターズはシーズン中から早いカウントから打ちに来てるし その傾向は去年からあったのに タイガースの配球があまりに配慮に欠けているというか進歩の跡がない これは2代目も感じてて 折に触れて指摘しました 監督さんも初球の入り方について「何度も言ってるのに同じ繰り返し」と嘆いていたし「いつも同じやつに打たれる」ってことには頭に来てたよね これにはNHK「サンデースポーツ」で開設した落合さんも「その通りだと思いますね」と発言されていました 2年間戦って相手打線の傾向もつかめない 配球が単調で読まれる これでは勝てないよ 梅野さんが33歳 坂本さんが31歳 その他の捕手はまだまだ成長過程だから せっかく他球団が羨む投手陣を持っていても生かせない何とか中川君を早く一人前にすることを考えてほしいわ 簡単に育てることが難しいポジションだけにすぐにもテコ入れしないと大変なことになるよ藤川監督体制では 投手コーチよりバッテリーコーチに有能で経験豊富な人を起用する必要があるわ とくにファームにも捕手で実績のあるコーチが必要ね岡田監督の嘆き―試合終了直後に「え?ひっどいなあ。最後の最後に」―梅野選手を交代したことについて「普通やったら使わんけど。最後やからのう。昨日もそうやけど、なあ。同じことばっかり。最後まで。初球ばっかり」―2年間の心残りを問われて「全然、何もないよ。何でよ?日本一までになったのに。順番間違えただけや。1年目に成し遂げたからおかしくなってもうた。それだけのことや。言うてるやん、できすぎやって」―1年間打てなかった打線について 「キャンプのミーティングから言うてる。全っ然、打てへんな。ファーストストライクをな。中野なんか。今でも打たん。勘違い、1年間やで。信じられん。相手がストライク入らへんと思ってるのかなあ。ほんま分からん。そんなフォアボールなんて選べへんで」―2年間で褒められる選手を問われ 「いない、いない。まだまだの選手ばっかりやん。尻すぼみのチームになってしまった。去年がいきすぎてしまった。継続の能力もなかった。もうちょっと俺は伸びしろあるかと思ったけどな」岡田監督のファンに向けたコメント「阪神タイガースファンのみなさま2年間、たくさんのご声援を賜りありがとうございました。本日の試合をもって監督としての任を終えますが、今後も違った形で阪神タイガースの繁栄のために、務めを果たして参りたいと思います。本来であれば、メディアを通じてファンの皆さまへの感謝をお伝えしたかったところですが。コメントの形での発信となることをご容赦ください。2年間本当にありがとうございました」結果は結果として受け止めてリセット負けちゃったんだからいつまでも嘆いてても何も変わりません 新しい監督のもと来季に向けてしっかり目標をもっていかないとね大事なことには「分析」というのもあるよ 読まれてるならその上を読んでいかないと スコアラーは資料を基に徹底して「傾向と対策」を考えないといけないし実際に場面場面の当事者の選手も加わってとことん突き詰めてほしいオフに浮かれる時間なんてないよ 大谷さんの生活を見習うべきね タイガースファンの皆さんお疲れ様ファンのみんなは連覇を目指して1年間応援してどうだった? やっぱりこの結果にがっくりと疲れが出てるかな岡田監督は笛吹いても踊らない選手たちを何とかしようとできる限りの努力をしてくれたとおもうのよ 打てないクリンナップ3名や調子を落としたゲラ投手をファーム調整させたりも苦肉の策 残念な結果にはなったけど・・・最後まで優勝を狙ってくれての結果です 拍手を送りましょう!2代目は新監督で迎える来季に期待して全国のタイガースファンのみなさんと共に精一杯応援していく所存です 来季もよろしくね!本当にみなさんお疲れさまでした
2024年10月14日
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やっぱり・・・2代目タイガース非公式サイトです2024年10月12日 阪神2-7DeNA 第1戦(阪神0勝1敗)甲子園負けるならこういう負け方だろうなと心のどこかあったんだけどやっぱりっていうかなんというか そういう負け方だったなあ岡田監督も試合前から覇気なし 体調不良での休養から復帰した岡田監督にはなんとなく終戦ムードが漂っていた気がする 試合前の言葉にもどこか「勝ち残って日本一目指す」という覇気は感じなかったよ「やはり初戦は大事。2勝したら終わりなんで、まずはここに全力でいかないと勝機はない」「この一年間の総決算。いいとこも悪いとこもあったけど、今のチームで最後の最後までゲームがある限り、全力で勝ち抜ければ一番いい。素晴らしいファンの人たちにも楽しい、すごいゲームをやっていく」「2位から勝ち上がったことがないので、できるよう強い気持ちでやっていく」対DeNAは苦手?シーズン前半を見ているような感じ 今季は13勝11敗1分と勝ち越してはいるけど 去年もベイスターズには相性が悪いし苦手にしているイメージがあるよね 実際に牧―佐野―オースティンー宮崎って打線も強烈で迫力あるよ それに東投手をまともに打ち込んだことが無いし才木投手も粘ったけど・・・先発の才木投手の出来は好くなかった 毎回ヒット打たれるし 思ったように三振も取れない 3回なんかよく1点で収まったよ 振り返ると9月以降こんな感じが多かった気がするなあ5回 87球 7安打 1失点 2奪三振 この内容は本来の才木投手からほど遠いし 6~7月ごろに好投しても全然白星にならなかった時期の疲れがたまってシーズン終盤にバテたのかもしれないわね7安打すべてシングルの打線 今日はDeNAの先発・東投手の出来とか関係なかったよね 三浦監督は1点でもリードしたら1人1イニングでの継投行くって最初からの作戦だったんじゃないかな? 意表をつくつかないじゃなく短期決戦なんだから捨て身でそれくらいやってもいいとおもうよタイガース打線は力強さが感じられない シングルヒットが散発では1点取るのがやっとね 投打において完敗だった岡田監督も反発する気力が失せた? 「まあ、1年間の象徴、今年を象徴したゲームみたいなもんやな、はっきり言うて」「まずはまっすぐって。そら狙い球も、みんなそらなあ、1年間やって違うわけやから、攻められ方もなあ、そらまっすぐだけじゃないと思うけど。そらもうそんなん、1年間やって対策分かるやんか、何回当たってんのそんなん」「結局1年間、一緒のやつに打たれただけやんか。それだけのこと。1年間、全然、対策もできんかったっていうことよ、結局はな。そのままや」「1年間おんなじ打たれ方したよな。しかし、分からんのかなあ。スコアラーに言うたんやけどな、横浜で。分からんなあ。スコアラーに言うてもあかんわな、選手がやらんとあかんのやから。まあ、そういう1年やったよ」 第2戦は高橋遥人投手とジャクソン投手 シーズン中のタイガース打線はジャクソン投手をあまり打ってないよね 3試合で防御率1.53だから抑えられてると言ったほうがいいかなやっぱりストレートに振り負けないことが大事なんだけど 今年のタイガース打線は総じてストレートに対して初動が遅れて強く叩けていないから心配なのよ
2024年10月13日
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【阪神】スカウト会議実施1位候補明大・宗山、関大金丸筆頭に大商大・渡部らドラ1公表せず 阪神は11日、甲子園で10月24日のドラフト会議に向けたスカウト会議を実施した。ドラフト前日を除けば最後のスカウト会議となり、指名候補のリストアップを終了した。球団関係者によると、ドラフト1位指名する選手の公表は現時点ではしない方向だという。この日は1位候補には、筆頭の明大・宗山塁内野手(4年=広陵)、関大・金丸夢斗投手(4年=神港橘)のほか、大商大・渡部聖弥内野手(4年=広陵)、青学大・西川史礁外野手(4年=龍谷大平安)と内外野守れる強打の右打ち野手の名前も挙がったとみられる。地元兵庫の報徳学園(兵庫)・今朝丸裕喜投手(3年)、神戸弘陵・村上泰斗投手(3年)ら高校生投手も上位候補として確認。他球団の動向や補強ポイントを考慮してドラフト会議直前まで精査を続け、指名選手を決定するとみられる。2代目タイガース非公式サイトです漏れ聞こえたことをまとめた記事だとおもうけど 2代目が最近紹介した3人はやっぱ入ってたようね ということは他球団も同じような選手に関心持ってるはずよ 競合外した時の次の人選もしっかりしておかないといけないってことね
2024年10月12日
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サヨナラミエちゃん2代目タイガース非公式サイトです10月11日 タイガースのヨハン・ミエセス選手が帰国したと発表がありました 今シーズンは岡田監督の希望で残留したとされていたんだけど シーズン開幕前の怪我の影響も長引き 思うような成績を挙げることができなかったね ずっと期待してたんだけど残念だわ・・・ 2代目の予想は 交流戦くらいから出てきてシーズン2桁くらいホームランを打つんじゃないかって希望的に見てたんだけど とてもダメだったなあ今シーズンは14試合に出場して18打数2安打5三振で打率1割1分1厘 ホームランは1本も出なかった残念だけどこの成績では残れないよ またいつか会える日があるといいね ミエセス選手のコメント「大好きな阪神タイガースがCS、日本シリーズに勝って日本一になることを信じて応援しています。監督、コーチ、選手、スタッフ、ファンの方々、素晴らしい思い出をありがとう。私を心から受け入れてくれたみんなのことが大好きです。バーモス!」もうギャルピースが見れないのが寂しいよ
2024年10月12日
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久々に吉野家 試合がないと暇なのよね 書くネタがないなので昨夜久しぶりに吉野家に行って とっさに思いついて何枚か写真撮ってきたんだよ 1日分のブログにしては寂しいけどお付き合いください いつも行くお店なんだけど知らないうちに改装というか建て直されててまず意表を突かれました 暗くなってから行ったので変化のほどはわかりにくいんだけど「ちょっと違うな」という印象 店内に入るまで改装されたことに気づかなかった 10月15日まで「秋の牛丼祭」ってことで丼メニューが100円引きとアプリのお知らせに入ってたので節約がてらに食べに行ってみたのよ このご時世に100円引きはありがたいからなあ店内の印象が変わってましたまず店内は完全に模様替えされてレイアウトも以前と全然違うのに驚いたのよね なんとなくカフェかファミレスっぽく変わってた テーブルやイスなんかも壁のクロスと合わせた感じで 全体がシックにまとめられてしかも明るいさわやかな雰囲気でとても好い! なんと ドリンクバーのコーナーも新設されてるから余計にファミレス風に感じるのかもしれないね昨日はテイクアウトのお客さんでレジが込んでて 逆に店内客席ののほうはガラガラ状態 いっぺんに10人分くらい持ち帰る人なんかもいるので 店内が手薄になっていつもの「うまい・やすい・はやい」のなかで「はやい」というのができてなかったかな?いつものように牛丼頭の大盛を注文しました 注文は店内に入る前にレジで行い事前清算でしたが これって「牛丼祭」期間中だけなのかちょっとわかんないわ 祭りの期間が終わってから行ってみないとね2代目は紅しょうがをこれでもかとのっけて食べるんだよ 大さじ5杯分くらいもらって「紅しょうが丼」みたいにします 頭の大盛って並盛より一回り丼が大きいんだけど前からなのかな?気づいてなかっただけかな? ご飯の量も増えてる感じなのよね ちょっときつかった気が付くと他にも色々変化してる 驚いたことにフードコートのように バイブレーターを受け取ってブザーが鳴ったら取りに行くセルフサービスに変わってた 食べ終わったらトレーごと返却口に自分で持って行くのよ なので店内をスタッフが歩き回ることは一切なくなってる箸やつまようじ 紅ショウガ・七味・お醤油などは今まで各テーブルにおいてありましたが 手間をなくすために受取口の横にまとめて置いてあるので各自ここで必要な物を取ったり使ったりします お水やお茶もセルフサービスよ なんとなくスタッフが1名減になってるんじゃないかと感じたよ 絶え間なく小さな工夫をいくつか重ねて経費節約してるんだなとおもいましたね 少し味気ない感じになった気はするんだけど お値打ちに提供してくれることに確実につながってる その意味では本当に感謝です きっと全国の常連さんはもうすでに今回の変化に気が付いてるよね? さすがにぼちぼち衣替えかな
2024年10月11日
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2024ドラフト候補とその動向32代目タイガース非公式サイトです 1~2回目は大学生投手でしたが3回目の今回は高校生の投手です 今年は「怪物」とまで呼ばれる投手はいないようだけど 「同世代ナンバーワン」といわれる今朝丸投手を紹介するよ今朝丸君を見てると才木投手や広島の森下投手のような右本格派にダブって見えるのよね どの球団にせよ少なくとも1位の可能性は高いです 今朝丸 裕喜(けさまる ゆうき) 投手(18) 兵庫県神戸市出身で報徳学園3年生 甲子園には2年生春 3年生では春夏に出場しています 投手ですが少年野球時代はサードも守っていたようです 188センチ80キロ 右投げ右打ちの本格派でストレートはMAX151キロ 同世代ではナンバーワン右腕と評価が高いですね 甲子園では2年春と3年春はともに準優勝 3年の夏は1回戦で大社高校に敗れているんだけど 予選で151キロを計測しました 立ち上がりに若干不安のある投手らしいけど乗ってこればバンバン三振を取っていく力のある投手です 高校では3年間大きなけがもなく順調に伸びてきて 1年生では140キロ前後だったストレートが10キロ以上速くなりました 今年8月から9月にかけて行われた第13回BFA U‐18アジア選手権では侍ジャパンの代表入りし3試合に登板してます 決勝では先発を任せられましたが2回2/3で2失点 この試合では制球が定まらず被安打2ながら3四球1死球で逆転を許し準優勝でした 本来は本格派でありながら球持ちがよくコントロールは悪くない投手なんだけど 立ち上がりに不安があるのはマウンドの微妙な違いなどを気にする神経質な面があるのかなって感じはするねスカウトの評価阪神・熊野スカウト(2024.7) 「(プロ入り後は)才木のようになっていくイメージ。変化球もうまく投げられる。(ドラフト1位の12人に入ってくる)そういう感じになってくるんじゃないか」 「前回の登板よりも力みなく、バランスが良かった。制球も良かったし、修正能力が高い。投げながらスピードも出てくると思う」 中日・松永幸男スカウト部長(2024.8) 「初戦で大社に敗退したが、相手にかなり研究されていた印象があった。それでもハマッた時のボールは、さすがのひと言。真っすぐはもちろん、スライダー、チェンジアップ、フォーク、カーブとボールにキレがある。大型投手なのに指先の感覚の器用さが感じられ、きっちり内外角を投げ分けられるコントロールがあり、いい投手なのは間違いない」広島・鞘師智也スカウト(2024.9) 「年間通して基本的にはいいピッチングしていたので、将来性って考えたら特に問題ないと思ったし、よりレベルアップしているなと思いました。うちで言う 森下(暢仁)みたいなピッチャーになってくれたらいいんじゃないかなと思いますけど。練習も非常によくやっていますし、コーチとか監督に聞いても『人間的に成長している』っていう話も聞いてますし、ぼくもそれを感じられて、プロ野球でも成功する部類に入るんじゃないかなと思います」タイガースはどう考えるんだろう? 本命としては 関西大の金丸投手で行くとおもうんだけど 少なくとも4球団程度の競合は避けられない様相なのよね 1位の抽選に外れた場合に もし残っているようなら今朝丸君に行くとおもう タイガースでは才木投手に体格や投手としての特徴が似ているからね どうなるか分からないとはいえ 2位に残っている投手とは考えにくいよ
2024年10月09日
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背番号26(その2)背番号26の第2回目ですこの「26」はどちらかというと投手が着ける番号のイメージがあるよ 割と長く着けた人が何人かいるしね 今回3名を紹介するけど3人目の渡辺省三さんが一番長いのかな? 14年間着けてるよ のちにはピッチングコーチやスカウトとしてお世話になって選手も多いはずよ白坂長栄 内野手(再々掲)白坂は引退直前の2年間を背番号「1」、全盛期の1950~57年には背番号「17」を着けているためすでに紹介済みだが改めて記載する。背番号「26」は仁科栄三が引退した後2年間はだれも着けていない。1949(昭和24)年に受け継いだのは名セカンドとして有名な白坂長栄だった。白坂は岩手県二戸郡一戸町のリンゴ農家の三男で、旧制福岡中から仙台鉄道管理局に進んだが1942(昭和17)年に軍に召集され中国で終戦を迎える。戦後は仙台鉄道管理局に復帰し、1947(昭和22)年には都市対抗本戦に出場して存在が知られるようになる。1948(昭和23)年、若林監督が直接口説いてタイガース入りが決まり最初は背番号「27」を着けているが1年だけである。1年目はわずか1試合の出場で1打席凡退の記録しか残せていない。1949(昭和24)年に背番号を「26」に変えて73試合に出場するが、実はこの年は1年だけ投手も兼任している。8試合の登板記録が残っており0勝2敗で防御率12.00だった。これは戦後の投手不足を補うためだったと思われる。1950(昭和25)年には背番号を「17」に変えて臨み、139試合に飛躍し520打数132安打72打点18本塁打、打率.254というキャリアハイを記録している。本来長打が売りの選手ではなく、18本塁打というのは本人にとっても異常だったと思われる。通算で59本を打っているが 二桁のホームランはこの1年だけだった。とはいえこの年を起点に1957(昭和32)年まで8年連続100試合以上に出場する不動のレギュラーとなった。入団時からショートを本職としていたが、1953(昭和28)年に吉田義男が入団してくるとポジションを譲りセカンドへコンバートされる。守備は非常にうまく、入団後の2年間はエラーばかりしていた吉田は「プロ入りしたばかりの私を支えていただいた恩人の1人。残念です」と訃報を受けたときに談話を残している。1958(昭和33)年は背番号「1」に変更、鎌田実が成長してくると出場は極端に減り、1959(昭和34)年には公式戦出場が0になって引退している。通算成績は1020試合3313打数789安打360打点59本塁打102盗塁415四球312三振で打率は.238だった。 引退後はチームに残りスコアラー、二軍監督、スカウトなどを歴任して貢献している。2015(平成27)年7月8日に92歳で逝去。奥村高明 内野手 この選手を知るタイガースファンはもういないのではないか?1年間在籍して2試合しか出ていない右投げ右打ちの内野手。 奥村は兵庫県出身で明石中から関西大学へ進んでおり、大学時代は1年時からリーグ戦に出場する好選手で1949(昭和24)年の秋季リーグ優勝に貢献して評価が高まり、1950(昭和25)年にタイガースへ入団している。次の写真の前列向かって左が奥村。 背番号は白坂から「26」を譲られたが本職がセカンドのため白坂とかぶっておりほとんど出場できなかったようだ。生涯成績は1年で2試合0打数0安打1四球に終わっている。渡辺省三 投手 渡辺は愛媛県西条市の出身で旧制西城中学(現西条高校)。タイガースでは秋山拓己投手の先輩にあたる。中学を出ると倉敷レーヨン西条に入社して軟式野球部に所属していた。1949(昭和24)年に勃発した球界再編問題は2リーグ分裂へと発展し選手の引き抜きが横行する事態を招き、各球団は深刻な選手不足に直面する。タイガースが1951(昭和26)年10月、入団テストにより選手を募集したときに渡辺が応募しており、バッティング投手として採用され入団している。 1952(昭和27)年が最初のシーズンになる。渡辺省三と言えばだれもが認めるコントロール抜群の投手だが、背番号「26」が与えられとはいっても1年目はひたすらバッティング投手を務める日々が続く。これが人のまねのできない絶妙なコントロールの原点になった。 渡辺が好調な日はゴロが多く「内野手は忙しかった」と吉田義男が証言するコントロールの秘密について、月間タイガースの「本間勝交遊録」から抜粋してみる。 シーズン真只中。ローテーションの一角を担う投手が『スマン。ちょっと投げさせてくれるかぁ』自ら、バッティング投手を志願してきた。私が新人の年だ。『まさか・・・』初めはビックリしたものの、以降、同じ光景を何度も目にして納得した。バッティング投手との関わりを聞いたことがあった。『入団した年は、ほとんど毎日バッティングピッチャーをしていた』という。元々コントロールは良かった人。入団したいきさつが、バッターの調整台としての採用だったとも聞いた。一年間は来る日も、来る日も投げ続けた。その結果が、自分の投手生命でもあるコントロールに磨きをかけた。そう信じて止まない同氏。だから、シーズン中であっても打撃投手をかって出ることに抵抗はなかった。制球力が微妙に狂ってきたと思えば、自分から進んで投げた。二十分から三十分。要するに、コントロールの原点がバッティング投手だったのだ。 1年目には1試合も登板がなかった渡辺は2年目の1953(昭和28)年、制球力を買われて一軍へ上がる。主にリリーフ中心に54試合(先発12試合)に投げて10勝11敗192回で59四球、防御率2.86の数字を挙げて一躍頭角を現した。以降の全盛期の成績を見て見る。登板数のうち( )内は先発数 年 度 登 板 勝 負 投球回 四球 防御率1954年 51試合(10)10勝13敗 169回 28 2.501955年 46試合(20)18勝11敗 244回 42 2.401956年 52試合(30)22勝 8敗 260回1/3 30 1.451957年 43試合(29)17勝 9敗 230回 46 1.881958年 43試合(18)12勝12敗 191回 18 2.81 1956(昭和31)年は防御率1.45でタイトル獲得。1958(昭和33)年には191回も投げて18個しかフォアボールを与えていない。コントロールの極まった年だろう。 1959(昭和34)年からは再びリリーフ中心の登板となるが、1961(昭和36)年と1962(昭和37)年には二けた勝利(11勝、10勝)を挙げている。 1965(昭和40)年に引退するまで14年間背番号「26」で通しており、これが2024年現在までで背番号「26」を着けた最長記録になっている。 ここでもう一度本間さんの交友録から引用する。 技巧派を絵に描いたような投手。省さんの制球力には、あの精密機械とまでいわれた小山さんも一目置いていた。球は速くない。当時スピードガンがあったなら、おそらくマックスが130㌔台の半ばぐらいだったはず。大きな変化球があるわけではない。いかつい人でもない。どちらかといえば弱々しく感じられる方だ。やさ男、まさしくコントロールと精神力が命。マウンド上では、全くのポーカーフェイス。少々ピンチに立っても顔色ひとつ変えない。時には山なりの超スローボールを平気で投げる。ピッチャーがゆるい球を投げる時、かなりの勇気がいるもの。こうした大胆な一面を持ち備えた勝負師だった。 渡辺の投球はのちのエースたちにも大きな影響を与えた。小山正明は「省さんがおらんかったら、以後の僕はなかったやろね。本当にいい手本になってくれた。ピッチングにはコントロールが一番大切だと教わった」と語っている。 村山実も影響を受けており「ピッチングは力だけやないことを省さんに教わった」という言葉を残している。 次の写真の一番手前が渡辺。 通算成績は550試合134勝96敗、2018回583奪三振352四球、自責点546防御率2.44と素晴らしい。75球での完封勝利(1955年の中日戦)や、延長13回を112球で投げ切っての完封勝利(1957年広島線)などは無駄なボール球を投げないことを象徴する試合だった。 引退後は藤本監督、吉田監督、後藤監督の下で一軍投手コーチや二軍投手コーチを務めたのちフロント入りしスカウトに転じる。 九州担当スカウトとして新庄剛志・野田浩司・仲田幸司・遠山奬志・亀山努らを担当した名スカウトで知られている。 1998(平成10)年8月31日、神戸市内で倒れているところを発見されなくなっていることが確認された。ビルから転落したとみられたが、自殺するような理由もなく、屋上には争った形跡もない。ご遺族からの訴えにより「殺人被疑事件」との扱いとなったがいまだ真相は不明である。享年65歳。まとめはいお疲れさまでしたなかなか「26」は見どころの多い番号みたいね この先もああそうだったかと思うような選手が出てくるとおもうよ白坂さんは鉄壁の内野陣の元祖みたいな人ね 背番号は4回かえてるけど「26」を着けたのは1年間だけなんだね タイガースの歴史には必ず出てくる選手よ2人目の奥村さんは全く聞いたことがなかった人ね 在籍1年で2試合しか出てないんだから 覚えてるのは当時の関係者くらいじゃないかな?渡辺さんはタイガースが生んだ名投手の一人だとおもう 現役時代を見てる人は少なくなってるでしょうね 先代はピッチングコーチのころの渡辺さんをうろ覚えで知ってるようだけどそれよりも亡くなり方がちょっと謎だよね 亡くなる約3時間前には9月9日から九州でのスカウト活動のための熊本行きの航空券の予約をしていたりなど自殺としては不可解なんだって・・・26の3につづく
2024年10月09日
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セ・リーグ レギュラーシーズン終了2代目タイガース非公式サイトです10月7日の中日‐DeNA戦を最後にセ・リーグが全日程を終了です今シーズンもいろんなことがあったけど全体に低調で盛り上がりに欠ける展開だったとおもうなあ 団子レースといってもお互いがしのぎを削るってわけじゃなくて どのチームも抜け出す力がなくて仕方なく団子になってる感じだった タイガースは夏場まで打線のつながりがなく点が取れない試合が多く 監督さんもいろいろ工夫するんだけどダメだったね まだ「自分で状況を考えてプレーを選択して役目を果たす」ってところが自然にできるまでになっていなかったのよねタイガースが連覇できなかったことやドラゴンズが3年連続の最下位になったのは両チームのファンにとって残念だったとおもう 両方とも監督が辞めることになったしね カープの9月大失速というのもひどかったね 最下位のドラゴンズとの対戦成績が8勝16敗1分なのは異常だよ個人タイトルの行方は? 打撃部門で目立つのは全体にボールが飛ばなかったことかな ホームラン王の村上選手だけが唯一30本超えたんだけど33本は物足りないよ でも同時に打点王にもなってるから立派だけどね規定座席に到達した選手が24人で3割打者はたった2名 しかも2人とも外国人選手だった これもひどいよねえもちろん投手が頑張ったからだってことは言えるんだけど 岡田監督も「ことしは飛ばんなあ」ってこぼしてたように 試合球の選定にも何か異変があった気はするよねタイガースでは近本さんが5度目の盗塁王を獲得しました でも19個って「王」と名乗るのが恥ずかしいような数だとおもわない? この数字は1リーグ時代の14個 16個 19個に匹敵するけど戦前の試合数が少ない時代だし 2リーグ分裂後で20個にとどかなかったのはセ・パを通じて初めてのことなのよ 投手部門では まずドラゴンズの高橋宏斗投手が防御率で圧倒したね 確かに簡単に点が取れないってピッチングしてたよ ストレートも好いけど変化球の切れや落差がすごいからバットがついていけない感じだった菅野さんの復活は大きかったよね これがなければジャイアンツの優勝は無かったとおもう なにしろ一人で貯金12個も作ったんだからMVPじゃない?チームの貯金が18なのよ 菅野さんが3分の2を稼いだってことだからねタイガースでは切敷投手が最優秀中継ぎ投手のタイトルに輝きました 素晴らしい活躍で 何とか2位に踏みとどまれたのも切敷さんの貢献が大きいよね今後の選手の動向 岡本さんのメジャー挑戦はどうなるのかな?菅野投手はポスティングでメジャーを目指すようだから 同時に抜けられるとジャイアンツは痛すぎるからねえ マルティネスさんは残留希望って聞いてたけど空模様が変わってきたみたい 代理人が欲を出してきてる そりゃあねあの無敵ぶりならどこだって高く買うよ
2024年10月07日
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背番号26(その1)背番号26の第1回目です ペナントレースも終わったので再開し少しずつ進めていきますねこの「26」以上の番号は 監督の番号だった「30」を除いて球団創設の年にはありませんでした 要は創設時のチーム自体が総勢25人以内の人数だったということなのね「26」は創設2年目から使用されてます 今回は戦前に「26」を付けた3名の選手を紹介するよ奈良友夫 内野手広島県出身で旧制広島商業では1年上にエースだった鶴岡一人がおり、クリンナップを組んで1933(昭和8)年の選抜大会に出場、5番レフトとしてベスト4まで進んだ。 1936(昭和11)年に、今度は4番セカンドとして再び選抜大会に出場したが1回戦で敗退している。 1937(昭和12)年、元広島商業監督で当時はタイガースの監督になっていた石本秀一から誘われて入団している。背番号「26」。 入団すると春季からいきなり45試合に起用され規定打席もクリアした。おもなポジションはセカンドで、139打数35安打24打点、打率.252の数字が残っている。 しかし藤村富美男がセカンドにコンバートされてきた秋季には、出場が12試合と激減してしまう。 1938(昭和13)年になっても状況は変わらず、春季10試合、秋季22試合の出場にとどまる。さらに1939(昭和14)年には練習中の鎖骨骨折が響き、出場8試合で引退に追い込まれてしまった。 その後親戚の事業の手伝いをしていたが、戦後は社会人チーム「全広島」に入って1950(昭和25)年の都市対抗野球本線に出場している。 プロ通算では97試合273打数72安打38打点24四死球29三振、打率.264という成績だった。宮崎 剛(たけし)内野手(再掲) 宮崎はすでに背番号「5」で紹介済みだが、加筆したうえで再掲する。生まれは長野県長野市、その後中学まで日本領土だった当時の台湾で過ごしている。台北一中時代はラグビーをやっていたが、のちに大洋ホエールズの監督となる渡辺大陸と出会い野球に転じる。その後同志社高等商業学校に進み、1940(昭和15)年に大阪タイガースへ入団した。同年はルーキーながら87試合に出場し294打数60安打23打点を記録したが打率は.204でホームランは打っていない。1941(昭和16)年も80試合に出場しており、この辺りはセカンドとサードを守りながらレギュラーとして定着していた。 しかし、1942(昭和17)年1月に召集を受け、終戦まで主に満州で軍務につくことになる。 タイガースに復帰できたのは1946(昭和21)年だった。背番号「5」で戦後のスタートを切るが、当時の月給1000円では生活ができず、わずか2ヶ月で退団。渡辺大陸の誘いで国民リーグの宇高レッドソックスへ移籍し、1947(昭和22)年にはリーグ首位打者になったが、同年国民リーグは解散。1948(昭和23)年は阪急ブレーブスに入団してプロに復帰し、2年間主力選手として活躍する。1950(昭和25)年に大洋ホエールズが設立され、旧知の渡辺大陸が監督に就任すると、阪急から引き抜かれ、6年間大洋のレギュラーとしてプレーしている体は小さく長打力はないが俊敏な選手で、阪急時代の1948(昭和23)年から大洋時代の1953(昭和28)年にかけて6年連続20盗塁以上を記録しており、1950年には61個という数字が残っている。昭和30(1955)年に引退。その後大洋のコーチを長く勤め、昭和49(1974)年には一軍監督に就任した。どちらかと言えば、大洋で名を残した選手だろう。写真は大洋のコーチ時代。 タイガースでは3年間で198試合に出場、711打数148安打48打点27盗塁の成績を残した。 プロ通算は1049試合4048打数949安打28本塁打287打点221盗塁290四死球300三振、打率234である。仁科栄三 内野手兵庫県出身で北神商業(現市兵庫商業)では内野手として1940(昭和15)年に夏の選手権に出場したが初戦で敗れている。 1942(昭和17)年、タイガースに入団し背番号「26」。1年目はおもに野手としてプレーしており、投手としては1試合しか登板しなかった。 1943(昭和18)年になると投手が本業となり、14試合に登板して3勝1敗、防御率2.19という成績を残す。初勝利では名古屋軍を完封した。 しかし同年軍に召集され終戦まで各地を転戦。戦後の1946(昭和21)年5月にタイガースに復帰し、再び背番号「26」を付けたものの試合出場はできず退団している。 通算記録は、投手として15試合3勝1敗、70回2/3を投げて13奪三振、防御率2.15。 野手としては37試合48打数5安打0打点0本塁打8四球11三振で打率が.232だった。まとめプロ球団が創設されたころは「プロ経験者」という存在すらいないわけだから やっぱり高校(旧制中学)や大学などの人脈をたよりに人材を集めてたのが分かるわ奈良さんは広島商だね 宮崎さんは渡辺大陸監督というキーマンに少年時代から大洋入団まで常に目をかけてもらってたことが大きい仁科さんは地元ってことでのタイガース入りかな これからっていうときに戦争のブランクがあって すっかり実力が落ちてしまったのは惜しいよなあ 残念ながらしっかりした写真が見つかるのは宮崎さんだけ 奈良さんの写真は本人かどうか確信が持てない 仁科さんは見つかんなかったよ でも寂しいよね だから奈良さんと仁科さんは甲子園大会経験してることもあるので今年100周年の甲子園球場にまつわる画像を挿し込んでおいたよ!26の2へ続く
2024年10月06日
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岡田監督 最後の公式戦2代目タイガース非公式サイトです2024年10月3日 阪神3-1DeNA25回戦 (阪神13勝11敗1分)横浜スタジアムペナントレース最後の試合 岡田監督もポストシーズンが残っているとはいえ一つの区切りになったね 岡田監督の2年間をタイガースファンは一緒に喜怒哀楽しながら楽しめました ご苦労様ってねぎらいたいわ ありがとう大竹投手11勝目を飾る2年連続の二けた勝利 しかも10勝に1勝上乗せできてよかったね 援護の少ない中でホントに頑張ってくれたよね現役ドラフトで大学の先輩でもある岡田監督が獲得を決めてくれて 先発ローテーションの一角を任された昨年は12勝2敗で防御率2.26という大活躍 そして今シーズンが11勝7敗で防御率2.80だから成績としては少し下がってるんだけど 打線の援護という面では2023年より期待できない中での成績だからよくやったって言えそうねこの試合も5回1安打無失点 5奪三振2四球で安定感はいつも通り 1年間お疲れさまって言いたいけどCSでも期待してますリリーフ陣もお疲れ様勝ちパターンのリレーではないメンバーでしたが みんな頑張ってくれた人ばかり 3番手の富田投手は1点失ったけど前川君のエラーなので自責点は無く 今シーズンの防御率0.76は素晴らしい 2代目の隣町の出身だから応援してるんだよ!打線はヒット数ほど点が取れなかった 攻撃は相変わらずつながりが悪くて5回の3点だけだったね でもタイガースらしさはあったわ 先頭近本さんがフォアボール 2番中野選手がヒットで続き 3番森下君はサードのエラーで無死満塁 このチャンスに4番大山さんがライトへ2点タイムリー2ベース さらに5番テル君が犠牲フライで計3点取ったんだよね 好い攻撃だったとおもう公式戦の総括は? タイガースは全日程を終えて143試合74勝63敗6引分 勝率.540で優勝したジャイアンツとは3.5ゲーム差だった対戦した5チームに対して3チームに勝ち越し 2チームとは五分の成績でどこにも負け越しは無いわただしジャイアンツはDeNAから8つ貯金を作ってるけどタイガースは2つだけなのでCS考えると心配ではあるよね投手陣では青柳さんが2年続けておかしかったよね 監督も変わるし経営の主導権も阪神に戻るみたいなので このオフの動向が注目されそう トレードとか現役ドラフトもあり得るかもね2代目は昨年ファームで先発した時のビーズリー投手を見て「これはいける」って感触があったんだけど 今シーズンは予想通り戦力になってくれたよね しかも中6日じゃない変則な間隔でも対応してくれて8勝というのは大きかった心配なのは湯浅投手 昨年からファームで観てるけどずっと球威が落ちてる感じが続いてたら病気だったのね はたして再起できるかどうか 世の中努力だけではうまくいかないこともあるだけに・・・ 復活を祈ります打撃陣は夏場以降に調子が上がってきて9月はよく追い上げたんだけど あまりにも4~7月は低調だった 完封負けが多かったし一時は「2点打線」と酷評されたわ 来シーズンは1年間の調子の振幅を小さくすれば10勝以上は上乗せできるはずよ
2024年10月04日
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やはり辞めちゃうんだね2代目タイガース非公式サイトです 皆さんこんにちは 予想はしてたんだけどもう1年やってほしかったなあ 中心打者のテル君 大山さん 森下君 のファーム行きなんて フロントの顔色うかがうような監督ではできない芸当だったし 伊藤将司さん 西勇輝さん 青柳さんなんかもダメなときはファームに行かせて厳しくしてた その結果がチーム成績だったのよね 次に監督になる人はなかなかこんな大ナタ振るえないよ かと言って仲良し野球じゃ優勝は無理だからね 引き受けるのは覚悟が必要ね 今季は疲れ切ったかもしれないねデイリースポーツ阪神の岡田彰布監督(66)が今季限りで退任することが3日、分かった。岡田監督は15年ぶりに復帰した昨季、18年ぶりのリーグ優勝と38年ぶりの日本一に導いた。今季は球団初のリーグ連覇を目指したが、巨人とのし烈な優勝争いの末、28日にV逸が決まり、29日には2位が確定した。同日に杉山オーナー、粟井社長と会談の場を持っており、2年契約が満了となる今季での退任が決まった。阪神監督として歴代最多の通算551勝(2日現在)を挙げている。やはりもともと2年間の約束だった産経新聞2年前、監督就任を後押しした阪急阪神ホールディングス(HD)の角和夫代表取締役会長兼グループCEO(75)は「契約年限の2年間だけこっちの言う通りにしてください」と阪神電鉄本社首脳にお願いしていた。監督人事の権限が戻った球団首脳は岡田監督の絶大な功績を認めつつ、最終的には指導者の交代を決断した。 球団関係者は「岡田さんとは2年という最初からの約束。今季限りでの退任がわれわれとしてはスタンダードな選択」と話していた。 今後任は藤川球児さんが有力デイリースポーツ複数の関係者によると、後任は球団OBでスペシャルアシスタント(SA)を務める藤川球児氏(44)が最有力候補に挙がっている。藤川氏は21年に球団本部付SAに就任し、球団運営などに幅広く携わってきた。球団側は既に水面下で藤川氏と接触しているといい、今後の決断が注目される。CS~日本シリーズ まだひと働き頑張って! 退任はもう決まったことなので残念だけど クライマックスシリーズと日本シリーズは残ってます 監督さんも肩の荷を下ろして楽になったとおもうので あとは余禄だから気楽に臨んでほしいな 選手たちも勝ち負けに執着しすぎないように のびのびプレーして監督さんを送り出してあげてね いつも監督さんが言ってた「チームのことを考えたプレー」ができれば勝てるよ
2024年10月03日
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2024ドラフト候補とその動向22代目タイガース非公式サイトです 1回目は大学生投手ナンバーといわれる金丸夢斗選手を紹介したけど 2回目は大学生の内野手です もう皆さんもよくご存じの宗山選手ですね 宗山 塁(むねやま るい) 内野手(21) 今年の大学野手ナンバーワンと評価が高い宗山君は広島県三次市の出身で現在は明治大学の4年生ね 右投げ左打ちの遊撃手です小学1年生から地元少年野球チームで野球を始め 広島カープジュニアに入ったこともあるみたい 高校は名門の広陵高校で1年生の夏からベンチ入り 高3の年はコロナ禍で甲子園大会が中止 代替となった県独自大会で準優勝でした明治大では1年春にはレギュラー遊撃手となり 2年春には首位打者のタイトルを獲得 ベストナインは3回 2024年3月には侍ジャパンのトップチームに招聘されたけど骨折のため出場を断念してます大学の公式HPでは身長175センチ体重80キロなので「大型内野手」の部類には入らないかな 秋のシーズンの途中ですが 東京6大学リーグでの通算成績は77試合299打数99安打50打点9本塁打36四死球29三振 打率.331という数字 大学時代の鳥谷さんに比べるとちょっと物足りない感じもするんだけど・・・今日(9月28日)通算100安打(リーグ34人目)を達成したようね20年に一人の遊撃手 実は各球団のスカウトの評価は抜群で即戦力として大いに期待されてるのよ そういう声を直接聞いてみたほうが参考になるよ(広島・苑田聡彦スカウト部顧問)「もともと体が強い選手。守りに派手さはないですが、基本がしっかりしている。キャッチングも両手で丁寧です。一歩目のスタートが良い。入団1年目からどんどん起用していけば、15年は遊撃のレギュラーを任せられます。」(ロッテ・榎康弘アマスカウトグループディレクター)「一球で仕留められる力。試合前の打撃練習を見ていても、飛距離が出ますね。守備も春よりもレベルアップしている。どこも(1位で)ほしいでしょう。スター性がありますし、見ているほうもワクワクする。(ファンを)引き付ける力を持っており、プロでの活躍ができます」(ソフトバンク・宮田善久スカウト)「ケガ前よりも復帰後のほうが、明らかにパワーアップしています。リハビリ期間中はウエートトレーニング、明治グラウンド入口にある坂道でダッシュを繰り返す姿を見てきました。3年時まではアジャストする打撃でしたが、今年はコンタクト率を残しつつ、飛ばす力が加わりました。(プロでは)守備から入っていける選手なので、試合を重ねていくごとに一軍の投手のボールにも慣れてくるはず。攻撃型の遊撃手ですと、打てなければ出場機会は減る。一方、守りだけでは、常時、出場することはできない。宗山選手はすべてを兼ね備えていますから、1年目からチャンスが広がってくると思います」(楽天・沖原佳典スカウト)「即戦力で間違いないです。このクラスのショートは、なかなか出てこない。どれだけ(1位入札で)集まるか……。打撃は相手のあることですので、状況に応じた対応力が必要ですが、十分にその良さがあります。守備は次元が違う。スタート、捕球、スローイングと安定していて、見ていて、安心感があります」タイガースはどう考えるんだろう? とても評価の高い宗山選手だけど 取る取らないはチーム事情にもよるよね タイガースは昨年のドラフト会議で3位・山田脩也選手 4位・百﨑蒼生選手と2名の高卒遊撃手を獲得して 現在は特性を観察中ってとこなのよね 打てる遊撃手で好素材とはいっても左打ちの宗山選手をあえて1位というのはちょっと可能性薄いかな 外野手のほうは育ってきてるし 欲しいのは投手なのかとおもう 2代目はタイガースの宗山選手指名は無いと予想します
2024年10月02日
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5人の選手が来季戦力構想外に2代目タイガース非公式サイトです 今年もまた この季節がやってきたね 毎年必ず去っていく選手はいるわ でも特にファームの試合でいつも見てきた選手がタイガースを去るのはつらいのよね もちろん まだまだ現役で頑張りたいって人もいるわけだから 引き続き応援はしていきたいとおもってるよ 阪神の加治屋蓮投手(32)、高浜祐仁外野手(28)、岩田将貴投手(26)、遠藤成内野手(23)、片山雄哉捕手(30)が来季の戦力構想から外れたことが30日、分かった。加治屋は13年度ドラフト1位でソフトバンクに入団。20年オフに戦力外となり阪神に加入した。昨季は51試合に登板し、防御率2・56でリーグ優勝と日本一に貢献したが、今季は13試合の登板にとどまり、7月27日・中日戦(甲子園)が最後の1軍登板だった。 高浜は14年度ドラフト7位で日本ハムに入団。22年に渡辺とともに2対2の交換トレードで阪神に移籍したが、1軍での出場はなかった。 岩田は20年度育成ドラフト1位で阪神に入団。同期に佐藤輝、村上、中野らがいた。変則の左サイドスローから多彩なスライダーを投げ分け“和製ジェフ”と呼ばれた。22年に支配下契約。今季は2軍で46試合に登板したが、4年間で1軍登板はなかった。遠藤は19年度ドラフト4位で入団。内野を全て守れる器用さを持ち合わせ、高卒5年目の今季はウエスタンで最高出塁率・392、30盗塁と奮闘したが、1軍での出場はかなわなかった。片山はBC福井から2018年育成ドラフト1位で阪神に入団。今季は2軍90試合で打率・310、2本塁打、21打点の好成績を残したが、1軍昇格はなかった。1軍通算2試合2打席2三振。選手それぞれの思いは? 加治屋蓮投手(現役続行希望)「まだ体が元気なので、自分が納得いくまでというか、野球を離れられるような心境ではない」「最後までチームと一緒に戦えなかった悔しさと、本当にお世話になった球団だったので寂しい気持ちと両方ですね」「在籍した球団でリーグ優勝、日本一を達成することは自分の夢。そこは良かった」トライアウト受験に関しては「とりあえず(他球団からの連絡を)待ちながら」高浜祐仁外野手(現役続行希望)「この2年間、何もできなかったので悔しい気持ちはありますけど、それは自分の実力なので仕方ないです」「他の球団からオファーがあれば野球は続けたい。(トライアウトは)今のところ受けるつもりはないですけど、お話があればという感じです」岩田将貴投手(現役続行希望)「わがままを言えばもっと見てほしかった。今年に関しては手応えを感じてたので。チャンスが欲しかったっていうのが正直」鳴尾浜でチームメートの中でも親しい湯浅と抱擁「僕が1年目の時に寮の部屋が一緒で、何も分かんなかったところをあいつが全部1から教えてくれて」と固い絆で結ばれた長い年月を振り返った。続けて「あいつもケガしてたし僕もケガしてたんで、お互いに甲子園で投げようなんてずっと言ってきて。悔しいし、申し訳ない」「1軍でいい場面で投げ合う。一番仲良くさせてもらったので、それが一番ですね」遠藤成内野手(現役続行希望)「(戦力外には)正直びっくりしている」「フォアボールと出塁と盗塁は去年よりたくさんできたので、そこの面に関しては成長できた部分かなと思う」「5年間たくさんの方々に支えられて練習や試合とか、いろんな面で成長することができたので、いろんな方に感謝したい」「まだまだやりたいと思っている。今のところトライアウトも受けたい」片山雄哉捕手(現役続行希望)「なかなか1軍の輪に入れなかったので、どうしても、悔しいというか、やるせないというか、難しいですけど」「まだまだ体は元気ですし、自分の中でもまだ成長できる、まだまだ強くなれる、うまくなれるっていう気持ちはあるので。まだまだチャレンジしていきたい気持ちはもちろんありますし、自分の限界まで最後まで戦い続けたい気持ちはあります」5名の選手たち また会いましょうね! みんな現役続行を希望してるよね 加冶屋さんは2023年優勝のパーツとしてよく投げてくれたし 遠藤選手は数字を見てもわかるようにいよいよ伸びてきたなって手ごたえ感じてた矢先に何で? 岩田投手は2代目が見る限り なぜワンポイントで1軍で使わないのか不思議だった 一方で高浜選手と片山選手についてはちょっと危ないかなって感触だったかな 昨年他球団へ移った山本さんや板山さんも必死に頑張って試合にも出てるし みんな諦めずに挑戦してほしいよ
2024年10月02日
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タイガース優勝逃す2代目タイガース非公式サイトです タイガース● ジャイアンツ○2024年9月28日 阪神2-7ヤクルト 25回戦(阪神15勝10敗)神宮ビーズリー投手が誤算で2回裏に4点を先行されちゃったね 2回に右太ももに打球を受けた影響もあったかな? 強烈な打球だったしかなり痛そうにしてたから状態が心配だわタイガースは3回表に1点 4回表にも1点と追い上げたんだけど リリーフ陣が踏ん張れず 岡留投手 浜地投手がボロボロと追加点を許して2-7と完敗だった 一方ジャイアンツは菅野投手が安定感を見せ 8-1とカープを圧倒して自力優勝を決められました はっきり言って悔しいけど 今シーズンは開幕からずっとフラストレーション抱えてモヤモヤしたままだったので はっきりと優勝を逃した結果が出たことでさすがに吹っ切れたよ 息苦しかったからねえ・・・逆転勝利でちょっと意地を見せた?2024年9月29日 阪神7-6DeNA 23回戦(阪神12勝10敗1分)甲子園 前日にジャイアンツの優勝が決まってしまったので 才木投手は気合入らなかったかな? 菅野さんも15勝に到達したから最多勝の目も無いし・・・ 才木投手は序盤から失点を重ね 6回9安打5失点 ちょっと集中力を失ってしまった感じよね 7回表には2番手の漆原投手も1失点で2-6とリードされてしまったよ タイガースは7回裏最後の意地を見せて4安打にフォアボールも絡んで一挙に5点をあげて逆転し 7-6で勝ちました これで2位は確定です村上投手また乱調 決勝弾浴び11敗目2024年9月30日 阪神0-2DeNA 24回戦(阪神12勝11敗1分)甲子園クライマックスシリーズで当たる可能性大のベイスターズに対して この試合はひどいね リーグ戦では甲子園での最終戦だったのにもう個人の目標も無いかのような 気力を失った感じに見えてしまったよ CS勝ち上がって日本一という道は残ってるんだから こんな試合してちゃだめよ攻撃陣は8回までヒットが出ずあわやノーヒットノーラン 9回に何とか免れたけどたった2安打で完封負け!4回から登板した村上投手はポストシーズンで重要な戦力になってもらわなきゃ困るのに 相変わらず制球がおぼつかない 6回は一死からフォアボールを出して代打の宮崎さんに2ランホームランを浴びちゃったファウル判定に対するリクエストの中断はあったにせよカウント1-2と追い込んでの4球目を叩かれて決勝点 まだ2球遊べるのにとおもったけど・・・3番手で投げた佐藤蓮投手と4番手の川原隆投手については監督さんも手ごたえを感じたようなのでほっとしてます 佐藤投手は今年支配下に戻ってきたんだけど ボールの力は凄いんだよ 2代目も観に行った試合で実際に見て「なんで育成だったの?」と驚いたのを覚えてる きっと来季は1軍の試合で見れるとおもう川原投手も育成から這い上がってきたんだよね この投手も実際に見たけどボール速いから この試合もそうだったけど狙って三振が取れる投手だよ 制球力を好くなってこれば来季楽しみな投手だなあこの試合は監督談話を残しておくよ――吉野はよかった。 「きょうよかったなあ。前、フォアボール、フォアボールでな。あの映像見とったからのお」 ――CSで当たるの可能性もある。一回見られてよかった。 「まあ、ええときのなあ。前回、めちゃ悪かったんやな。あれな。あの映像見とったからな。ストライク入らんと」 ――ヒットが出なかった。 「やられたと思ったよ。別にええけどな、と思ったけど(笑)」 ――村上は予定通り。 「そや、青柳もあれや。3(回)、3(回)でいこうと思ってたから。そんなボールいってないなあ。広島もそうやったけどなあ」 ――広島の結果を受けて、きょう登板。 「ちゃうちゃう。最初からその予定やったよ。広島で2イニング投げさせて。延長になったら2イニング投げさせて、で、空けて、きょう3イニングいく予定やった。それで終わりやからなあ」 ――試合がない。 「あんまり空いてもアカンし。なあ」 ――村上はポストシーズンは先発の1人。 「それは分からん、分からん。そんなんはまだ。ちょっと間隔空くからな。フェニックスの日程見てても、ちょっと投げさしに行かれへんよな。バッターも巨人、DeNAやもんな。韓国と。ちょうど。そんなDeNAの試合に行かれへんわ」 ――青柳のポストシーズンの起用法もこれからか。 「もうこれから、これから」 ――青柳はランナーを出しながらも持ち味を出した。 「持ち味って、お前、そら打たれんのが一番ええんやから、そんなもん。ランナー出たらいつもいつもゲッツー取れるって、そんなん限らへんよ」 ――佐藤蓮と川原の投球について。 「おお、もう全然なあ、だから接戦やったらやめとこか言うとったんや、緊張しすぎたらあかんからな。でもええやん、いけ言うて。まあな、ゼロに抑えたわけやからな、川原もあの打順でな、おーん。大したもんや、自信つけたんちゃう、川原な」――2軍からの推薦があった2人だと思うがいいものを見せてくれた。 「いやいやだから、推薦というか、最後の支配下になって、2軍も良かったから支配下にしたわけやからな、結局。7月の時点でさ」 ――川原はキャンプで見た。佐藤蓮は。 「佐藤初めてや。映像見とったけどな、鳴尾浜で投げてるな。もうちょっと暴れるかなと思ったけどな、ちょっと見せといてよかったんちゃう、あれな、暴れそうで暴れないというな、そういうの武器かもわからへんし」 ――川原も良い真っすぐ。 「キャンプで良かったからな、だからな。まあ、うん。最後良かったよな、やっぱりな。最後の球はな、これな、見送り三振、インコース投げ込めたいうのは良かったと思うよ。思った以上に落ち着いとったよな、初登板でな」 ――2人ともフェニックス・リーグか。 「うん、まあ3日までは置いておくけどな。フェニックスも7日からとかやろ、スタート。そら、まだ(ポストシーズンでは)使えへんけど、まだ投げるチャンスあれば、横浜でも投げさせるよ。別にもう、そんなん関係ないんやから、勝ち負けとか。どんどんな、きょうでだいぶ自信つけたから。0点に抑えるいうのは、だいぶ自信になると思うよ、そらあ。別に(CSで)投げるピッチャー見せる必要ないし、こっちは」 岡田監督の頭は完全にポストシーズンに切り替わってるよね こういうとこはさすがだわ ただ今日の試合では不安もねえ 青柳さんと村上投手はちゃんと戦力になってくれるのかな? とても読みづらい感じだよね ただこの2人はシーズンを通して好い時期というのものが無かったわ 信じるにはリスクが伴うとおもう タイガースの公式戦は残り1試合 10月3日の対ベイスターズ戦だけよ CSを睨んで好い勝ち方しておかないとね! 秋山投手が引退セレモニー今季限りで現役引退する秋山さんが「ファイナルピッチセレモニー」に臨みました 同学年の原口さんが捕手を務め やはり同学年のDeNAの筒香さんが打席に立ってくれたね 力んじゃったのか投球はワンバンだったけど 「楽しくやり切れた。応援していただいたおかげでここまでやってこられたので、ああいう姿を見せられてよかった」と吹っ切れたように表情は明るかった試合前の練習にも参加して「みんなの練習を見ながら自分も練習するというのは懐かしかったし、本当に心地よかった」と名残を惜しんでいました頑張る姿を見せてくれてありがとう またグラウンドで会えるといいな!
2024年10月01日
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