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自衛隊のみなさん御苦労さま2代目タイガース非公式サイトですいよいよ2024年の最後の日だね今年撮った写真の中ではちょっと異質なんだけど とても気に入ってる写真を載せておきたいとおもいます これは名神高速道路のとあるサービスエリアで撮ったものでプロパティで確認すると2024年8月のもの 1月1日に起きた能登半島の地震の救援に行っていた部隊が任務を終えて帰還する途中で休憩のためサービスエリアに寄ったところだったのよ 数十台の特殊車両がズラリと勢ぞろいして壮観だったのでパチリと1枚撮りました長期にわたって能登半島の現地に滞在して避難生活支援 仮設インフラの設営 不明者の捜索活動などに携さわった部隊が帰っていくところだったんだけど・・・間もない9月21日に線状降水帯による大水害が発生して能登半島は再び壊滅的状態に・・・また自衛隊の出番が来ちゃったよねこの部隊は1か月もしないうちにまた派遣されたのかなあ? それともさすがに別の部隊が行ったのかな?自衛隊の本来の役目は国防なんだけど 日常的には災害復旧や被災者支援が重要な仕事なのよね 昼も夜も関係ないし本当に御苦労さまとおもいますお正月くらいはご家族で団らんできるといいね そう願ってるよ では1年締めくくりのご挨拶を 1年間ブログをご訪問いただきありがとう!みなさん好いお年をお迎えくださいんじゃまたね!
2024年12月31日
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コンビニvsドラッグストア2代目タイガース非公式サイトですことしもあと明日を残すのみ 押し詰まってきたよねこのところ一気に寒くなったので出かける気にならない 幸い雪が降ってないので近所のコンビニやドラッグストアくらいはいけるわね こういうお店は年末年始にはやっぱりありがたい存在ドラッグストアと言えば 2~3年くらい前から冷凍食品と生鮮食品のコーナーが異常に広げられて野菜やお肉なども手に入るようになった気がする というかスーパー化してきたんじゃないかな? コンビニは24時間やってるけど店舗が狭いからおいてある商品は限りがあるよね スーパーは広いんだけどそれほど遅くまでやってない その間隙をついてドラッグストアが変化してきたとおもうドラッグストアは夜10~12時までやってるところが多いし駐車場も広いから頼りになるのよ それにコンビニの20倍くらいは商品があるよ 百円ショップ併設の店舗も増えてるわ 2代目の近所では24時間やってるドラッグストアもあるしね それと大きな違いはコンビニは値引き率が小さいけどドラッグストアは安いのよ 例えば500ミリリットルのペットボトルのお茶がわかりやすいかな コンビニだと150円以上します ドラッグストアは伊右衛門とか生茶なんて78円 2本買えちゃうのよこうしてみると コンビニの強力なライバルっていうか脅かす存在になって来てるんじゃないかな? 最近2代目の周辺でも廃業するコンビニがあるけど 逆にドラッグストアの新店舗のオープンは目立ってますこの両者の対決はこれからどういう結末に向かってるんだろうね 小さい面積でもやれるコンビニは都会で生き残っていくとおもうけど 2代目が住んでるような車移動が多い地方都市ではドラッグストアが凌駕するんじゃないかって気がしてるのねドラッグストアの24時間化が進めば圧倒するとおもうのよクイズの答えあわせさて昨日のイラストクイズだけど お答えいただけたのは1名様でした 非常に落ち込んでます めげずにまた出題はしていくけどねでは改めてイラストを掲げますが ヒントは2代目のブログのプロフィール写真なのよ これが2代目のイメージとして頭に入っている人にはすぐ判ります 回答いただいた人への返しのコメントですでに答えていますが改めて書くと まず髪色に注目していただいて「ブロンド」「栗色」を探すと2人が排除されます そして髪の短い人をカットすると一番右が残るんだよねこれが正解でした じゃあみなさん 無事に新年迎えましょう!
2024年12月30日
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忘年会も正常化2代目タイガース非公式サイトです 仕事仲間と忘年会がありました コロナ蔓延状態の時は全く飲み会や食事会なんてやれなかったけど 去年後半くらいから恐る恐るやりだして今年は本格的にできてよかった みなさんはどう? 今年は宴会とかできたかな でもインフルエンザが流行りだしてるみたいなので 人込みではマスクが手放せない しばらく感染してないと重症化もあるみたいなので気を付けてねさて私ことですが 2代目の今の仕事は基本的に年中無休みたいなもので土日もやってるのね 4月から正式に「社員」になってるよ 絶対土日は出勤ということではなくて 要は月に基本10日の休みをそれぞれの都合に合わせて取ってます 祝祭日がある場合は11日とか12日というふうに月単位の休みが増えることで調整するの1か月前に個々の翌月の予定を提出し みんなのものを合わせたシフト表みたいなのができます でもきっちりシフトを組むわけでもないから 15人くらいの職場なんだけど少ない日は5人しか出勤してないなんて時もあるわ でも不思議だけど仕事は回っていくね完全休日というのはゴールデンウィークの5月3・4・5日 お盆をまたぐ1週間 年末年始は基本6日間です ほかに5日の夏季休暇が6~9月の間に取れるよなんといってもウィークデーに出掛けることが容易なのがありがたいところね 年に最低3連休以上を3回取れっていうルールもあるんだよまあどんな仕事なのかは「秘中の秘」としておくけどさて久々にイラストクイズです先日焼肉で忘年会をした時の様子を2代目が生成AIで作ってみたんだけど この中で2代目はどれでしょう? いつもブログを訪問してくれてる人には 何となく判るとおもうんだけど・・・難しい? 「一番左」とか 「右から3人目」 とかでお答えください 誰も答えてくれない時は マリーさんお願い!
2024年12月29日
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コンスエグラ外野手と育成契約合意2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは タイガースがスタンリー・コンスエグラ外野手(24)と育成選手として契約合意したみたいね 先日も報道されてたように外国人選手についても積極的に育成枠を活用して「育てる」という方針に従ってすすめてる 新しく尼崎へ移転するファームの施設をより有効に使っていこうという意味も持ってるとおもうよいちおうスポーツ報知さんの記事を引用する形で記録にとどめておきます こういう選手が一軍で活躍できる日が早く来るといいね! 2024/12/27(金) 16:56【阪神】元トッププロスペクト野手と育成契約で合意嶌村球団本部長「長打力が一番の魅力」阪神が前メッツ傘下2Aのスタンリー・コンスエグラ外野手(24)と育成契約で合意に達した。嶌村球団本部長が兵庫・西宮市内の球団事務所で取材に応じ、「12月のドミニカでのトライアウトで。外野手に重きを置きながら(獲得に動いた)」と説明した。コンスエグラはドミニカ共和国出身で190センチ、93キロの恵まれた体格の持ち主。元トッププロスペクト(有望株)の右投げ右打ちで主に右翼と中堅を守る。メジャー、3Aの経験はないが、23年にはマイナーで93試合に出場し、23本塁打を放った。嶌村本部長は「スイングスピードが非常に速い。長打力というのが一番の魅力です。外野手で肩も非常に良い。日本の投手への打席での対応はこちらにきてから覚えてもらいたい」と大化けを期待した。 【トライアウトから掘り出し物に!?】阪神が新助っ人として『スタンリー・コンスエグラ』と育成契約で合意発表!打球速度188キロ&投げては球速153キロの強肩を誇る元プロスペクトは、大化けの可能性も!? コンスエグラ選手は外野はレフト・センター・ライトどこでも守れる 足が速く盗塁も積極的 打球速度が速く2Åでは3年連続2桁本塁打 典型的なプルヒッターで三振が多いなどの特徴があるみたいね 一部情報ではタイプとしては江越選手を大柄にした感じの選手って言われてるらしいよ 2代目が動画で確認した感じでは バッティングフォームや飛距離なんかは現日ハム監督の新庄剛志さんの若いころによく似てる印象です ちょっと不鮮明だけど次の2枚を見てほしい 当たるとすごく飛ぶんだよたとえ2Åの選手であっても 一芸に秀でた若い選手を発掘・獲得して自ら育てようという方針 好いことだとおもうなあ とりあえず「育成枠」だしね日本国内だけで「とりあえず育成枠で育ててみようか」とおもえるレベルの長打力のある選手を見つけ出すのは相当難しいとおもうのよ 外国人選手は「パワーだけならメジャー級」みたいな選手がマイナーにかなり埋もれてるし アメリカだけじゃなく中南米出身の選手たちがいっぱいいるからある意味「宝の山」でもあるよあとはその素質を見極めて伸ばしていけるかどうかにかかってるわ 多分2Aクラスになると「今の状況ではこのまま終わってしまう」という危機感を持った選手たちが打開策を求めてるんじゃないかな ハングリーな人たちは日本の選手に刺激を与える存在として貴重だとおもうしね どんどん育てよう!
2024年12月28日
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背番号28(その2)背番号28の第2回目です「28」は金田正泰さんが1943(昭和18)年まで着けたあとしばらく空き番になりますそのあと復活するのは1949(昭和24)年なのよ 5年間の欠番状態を経て受け継いだのが田宮謙次郎さんです この人は週間ベースボールの表紙を飾るほどの名選手で ずっとタイガースにいたら「ミスター」って言われたかもしれないのよ でも「28」を着けたのは新人だった1年目だけね 田宮さん以外は どちらかというと「誰やそれ?」って感じの無名な選手が続いていくわ 今回は田宮さんを含め4名の選手を紹介しますよ田宮 謙次郎 投手・外野手(再再再掲) 田宮は背番号をよく変えた選手で、すでに「6」「9」「22」で紹介しているため4度目の登場となるが、最初に着けた背番号がこの「28」であることから詳しい内容で再掲する。田宮は茨城県下館高校から日大を経て1949(昭和24)年に大阪タイガースへ入団している。中学時代は熱心に柔道に取り組んでいたおかげで足腰が鍛えられており、高校に入って野球に打ち込むようになると投手として目を引く存在になる。日大に入ると左投げ左打ちで投手と外野手を兼任し、打っては首位打者を獲得、投げてはノーヒットノーランも達成した万能選手だった。本当に戦前から戦後のこの時期は二刀流が多い。田宮の能力を高く評価したタイガースは、大学を中退してのプロ入りを熱心に勧めた結果、田宮も決断し獲得に成功している。 タイガースでの1年目の背番号は「28」。翌年の1950(昭和25)年から2年間が「6」、1952(昭和27)年から1958(昭和33)年には「22」を着けている。 1年目の田宮は二刀流で、投手としても34試合に登板して11勝7敗159回2/3を投げて防御率4.56という成績だった。ほかに野手として6試合に出ており、登板した試合を含め打撃成績は66打数12安打6打点1本塁打、打率.182と平凡以下だった。 その後プロ入り4年目までは投手を続けていたが肩を痛め、1950(昭和25)年が1勝2敗、1951(昭和26)年は0勝1敗、1952(昭和27)年も0勝2敗に終わって投手を断念し、松木監督の奨めでシーズン途中から外野手に転向することになった。この1952年の打撃成績は94試合190打数47安打34打点7本塁打で打率.247だったが、野手としてやっていける足掛かりになった。 写真は左から大津淳、吉田義男、田宮謙次郎 1954(昭和29)年、125試合に出場して初めて3割を打ち、実力が開花する。この年を含めて1958(昭和33)年までの5年間はセンターのレギュラーとして活躍、そのうち4シーズンで3割を越えている。タイガースでの最後の年となる1958年には打率.320で、タイガースでは戦後初の首位打者に輝いた。 ホームランはシーズン最高でも12本という中距離打者だったが、確実にミートする技術があり、二塁打や三塁打が多い。首位打者になった年は勝負を嫌がられ、リーグ最多の20回も敬遠で歩かされている。また当時のタイガースでは吉田義男に次ぐ俊足で、1953(昭和28)年を皮切りに8シーズン連続二けた盗塁を記録しており、その中でも1957(昭和32)年には自己最多の37盗塁を決めている。全くタイプは違っていたが藤村引退のあと4年間4番打者を担った。藤村という長距離打者の代わりがいなかったためであり、本来なら1番や3番に適していた打者だろう。 左から小山正明、田宮謙次郎、江藤慎一 昭和33年オフ、A級10年選手制度の「ボーナス受給権」を行使しようとしたが金額的に球団と折り合わず決裂すると、やむなく「自由移籍権」を行使して大毎オリオンズへ移籍する道を選ぶ。オリオンズでは5年間プレーしたが すべて130試合前後に出場しており、そのうち3シーズンで打率3割を記録。好打者ぶりは健在だった。現役最後となった1963(昭和38)年も132試合に出場して103安打で打率.278の成績を残したが、本堂監督の起用法によってスタメン出場が減り規定打席に届かなかったことを不満としてきっぱり現役引退している。通算成績は1488試合4807打数1427安打597打点106本塁打190盗塁416四球467三振、打率.297であり、特にレギュラーになった1954年から引退までの10シーズンのうち7シーズンで3割をマークしている。走攻守そろった一流の選手だった。引退後、1988(昭和63)年には第2期村山実監督の1年目にヘッドコーチに就任してタイガースに復帰したが、シーズン中に村山監督と意見が合わなくなり6月に退任し、そのままフロント入りしている。OB会長を18年間つとめ、ときには監督や指導者に厳しい意見を言いながらも、タイガースを愛し、選手たちを応援していた。2002(平成14)年には野球殿堂入りしている。2010(平成22)年5月5日、82歳で逝去。河 文雄 投手富山県高岡市出身。旧制富山中時代は剛速球と鋭く落ちる「ドロップ」を武器とする右本格派として「富山球界一の投手」と評価されるほど才能に恵まれていた。しかし1940(昭和15)年は予選決勝で、1940(昭和16)年夏から甲子園大会そのものが戦争層激化のため中止になってしまい、大舞台に立てないまま社会人野球に進むことになる。1942(昭和17)年に満州(中国東北部)にわたって満鉄倶楽部に入部し、戦後は1946母親の郷里である北海度へ行き小樽協会でプレー。1948(昭和23)年には都市対抗本戦に出場している。 1950(昭和25)年、北陸出身の松木謙治郎監督から勧誘がありタイガースへ入団することになった。背番号は前年に田宮が着けていた「28」を引き継いでいる。期待されたが11試合(先発4)に登板して27回1/3を投げ、1勝1敗で防御率は5.14。四死球15を与えるなど制球力に課題があったのと同シーズンにひじを痛め結局1年で引退に追い込まれてしまう。退団後は小樽協会に戻り野手に転向、1953(昭和28)年には一塁手として都市対抗に出場している。小島 勝治 投手 河が1年で退団した翌1951(昭和26)年は、背番号「28」は空き番になり、1952(昭和27)年から受け継いだのが小島勝二。アメリカ合衆国ハワイ準州出身。マイナー球団のハノイ・レッドソックスでプレーしていた俊足好打の外野手で左投左打。1952年3月にタイガース入団が決まり、同年は92試合に出場して270打数76安打58打点5本塁打、打率.281の好成績だった。特にリーグ最多の10三塁打が光る。2年目の1953(昭和28)年は102試合に出ているが、打席数は減っており、打率.227と低迷した。1954(昭和29)年は61試合ながら打率は.280と上昇し、貴重な控えとして役割を果たしている。しかし球団自体の経営が苦しい時期であり、1955(昭和30)年の契約は延長されず、事実上3年で解雇という結果となった。通算成績は255試合658打数171安打101打点11本塁打で、打率は.260だった。横山 国夫 投手・内野手・外野手 岩手県古川市出身。高校は宮古高校で1955(昭和30)年に立教大学に進んでいる。立教大では長嶋茂雄や杉浦忠などと同期。大学入学直後からタイガースが接触していたようで、1955年の途中で退学。そのままタイガースに入団している。背番号は「28」を着けるが 同年には何も実績がなく、その年のうちに退団してしまう。1956(昭和31)年も在籍は何をしていたのか全く不明。高橋ユニオンズにいたという情報もあるが、NPBの在籍記録は阪神と大映しかない。1957(昭和32)年は大映ユニオンズに投手として所属し、公式戦7試合の登板があるが0勝1敗。14回を投げ自責点9で防御率は5.79だった。大映も1年で退団してしまい、1958(昭和33)年から地元に戻って東北電力に所属、補強選手として2度の都市対抗出場がある。まとめ田宮さん以外の3名は大した選手がいないね。3人とも写真などの資料が一切みつからないよ その中で小島さんはちゃんと使えばいい成績残せた可能性があるんだけど、要は経営難のためにリストラされしまったわけよ 日本人より先に外国籍の選手が切られたのね 少し残念横山さんはタイガースで何も残してないわ どんな人だったんでしょう? 当時のことはWEB上で探しても何も出てきません ヒロくんさんの先輩にあたるんだけど残念ね背番号28―3につづく
2024年12月27日
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ヘルナンデス内野手と契約合意2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは1週間ほど前のネルソン投手獲得の記事の段階では 名前が挙がっていてもはっきりしない存在だったのがラモン・ヘルナンデス選手だったよね どうやら入団契約の合意に至ったような感じよ12月26日現在では球団公式HPを見ても正式には何も発表はないけど 12月25日の時点で報道関係には確実な情報として出てきてるみたいね12/26(木) 7:30配信阪神が新外国人としてラモン・ヘルナンデス内野手(28)と単年で契約合意したことが25日、分かった。同日、西宮市内の球団事務所で取材に応じた嶌村聡球団本部長(57)が明かした。 今季メキシカンリーグで22本塁打をマークした長打力と、内外野を守れる点が強みだ。レギュラー定着を目指す前川右京外野手(21)らと競わせ、競争を激化させる〝劇薬〟となることを期待する。米大リーグで磨いた実力で、若手の壁になってきた過去の助っ人たちとは明らかに立場が異なる。クリスマスに契約合意が明らかになったヘルナンデスは〝挑戦者〟の立場からでもチーム力の強化に貢献できる男だ。嶌村球団本部長が、獲得に至った経緯を説明した。「日本人選手中心のチームにしてきている。でも、来年を考えた時に外国人打者も必要だと考えたら、やっぱりチームを補完する形(は必要)。競争に打ち勝って試合に出てほしい」 西宮市内の球団施設で取材に応じ、新助っ人砲の獲得成功を明かした。今季まで在籍したノイジーや、2021年にベストナインを獲得したマルテは米大リーグでの出場経験があった。さらに当時のチーム構成で一塁、左翼に主軸を張れるような大砲を置く必要もあり、獲得に至った選手だった。ヘルナンデスについては事情が違う。 「レフトは前川。来年が彼にとって本当に(定位置を)つかむつかまないというところで。そこには井上がいたり、虎視眈々と野口がいたり、井坪がいたり。例えばここにノイジーのようなステータスのちょっと高い選手がいたら、よーいドンでは(ノイジーを)使うようにする。そうじゃない今のチーム編成になってきた」 今季メキシカンリーグ22本塁打のヘルナンデスは主戦場の三塁に加え、一塁、左翼も守れる。だが、タイガースも内野は各ポジションに日本人選手がどっしりと構えている。中堅近本、右翼森下も走攻守で欠かせない。左翼の定位置争いという〝ひと枠〟をよりハイレベルな競争で勝ち取ってほしい。これから繰り広げられるサバイバルに、日本人選手にはないパンチ力を持つヘルナンデスを加え、さらなる戦力の底上げにつなげたい。 「レフト争い、サード争いかもしれんし」と笑みを浮かべた同本部長。「魅力のある選手です。やっぱり刺激にもなる。アメリカじゃ(最高でもマイナーの)2Aまで。彼からしても日本で成功したい思いが強い。メジャー経験がないから」とハングリーさにも期待をかけた。右打ちの28歳は〝タイガースドリーム〟をつかみたくて、今からウズウズしているに違いない。単年契約で、背番号や年俸は後日発表される。前川や井上らとの切磋琢磨が来日即、ヘルナンデスのミッションになる。(新里公章) Ramon Hernandez(ラモン・ヘルナンデス)1996年3月2日生まれ、28歳。ドミニカ共和国出身。2014年にダイヤモンドバックス傘下でデビュー。メジャー出場はないものの、19年にはダイヤモンドバックス傘下の2Åで98試合に出場し打率・236、11本塁打、44打点。今季はメキシカンリーグのモンクローバで82試合に出場し打率・313、22本塁打、71打点。右投げ右打ち。193センチ、102キロ。どうやら「当て馬」の意味合いが強いみたいだけど 遠慮は必要ないから若手野手陣がモタモタやってるようならポジション獲ったってかまわないわよ 要はみんなが緊張感や危機感をもって真剣にポジション争いをしてほしいのよ!
2024年12月26日
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2代目タイガース非公式サイトですガールズメタルバンド紹介の5回目になります今回ご紹介するのは「LULLACRY」というユニット とりあえず日本語読みすると「ララクライ」です 意味は「子守唄」らしいんだけどホント?カテゴリーで「ガールズメタルバンド」と宣言してしまってるから恐縮なんだけど このバンドはボーカルが女性でほかのメンバーは男性なのよ でもボーカルがフロントでバンド全体の主張をしている点ではガールズに近いものがあるんだよね 映像見ない限り音だけでは判んないし同じような構成のバンドはまだまだあるから この先紹介していくうちにまた似たバンドは出てくるよ この辺はご容赦くださいね「ララクライ」は1997年にフィンランドで結成されたユニットですロックバンドの百科事典「エンサイクロペディア・メタリウム」では このバンドは「メロディックヘビー」とか「ゴシックメタル」というジャンルに分類されてるね活動期間は1997年から2014年5月まで 残念だけどすでに解散して10年経ってしまってるまず結成時のメンバーなんだけど次の5人構成ですタニヤ・ケンパイネン (ボーカル)サミ・レッピカンガス (リードギター)サウリ・キヴィラハティ (リズムギター)キモ・"ヘヴィ"・ヒルトゥネン (ベース)ユッカ・オウティネン (ドラムス)そして2002年にボーカルがターニャ・ライニオに代わってるのね アルバムは次の5枚リリースしてて 2枚目までが旧メンバー 3枚目以降が新メンバーでつくられてます1999 スウィート・ディザイアー 2001 ビー・マイ・ゴッド 2003 クルーシファイ・マイ・ハート 2005 Vol.4 2012 ホウェア・エンジェルス・フィア 実はもう入手困難なものが大半で 2代目がアマゾンミュージックで聴けているのは3枚目のアルバムのみなのよ 輸入盤CDでもなかなか手に入らないその代わり「ベストアルバム」として「LULLACRY1998-2014」というのが聴けるわ これには結成時の作品から解散に至るまでの間から34曲がピックアップされて入ってるから時代の流れや構成の変化による違いがよく分かるよ 曲のフィーリングは表現が難しいんだけど ボーカルのタニヤ・ケンパイネンはパワフルな表現もできる力強さがあるから旧メンバー時代はテンポの速いパワー系の曲もわりと多いかな でも70年代から80年代前半の重い感じは全然なくて ギターソロもメロディアスだし 80年代後半のHR・HMムーブメントの影響を色濃く残してる新メンバーになるとボーカルが代わったこともあってスローテンポなバラード調の曲が増えてるかな アコーズティックギターも使ってるし ハードさは無くなってきてる その代わりに一般には聴きやすくなったかもしれないわね3枚目のアルバムが出た頃は日本でも知られるようになってきて その道の人たちは 「ボーカルの声も可愛いしギターは一流」という感じで評価が高かったらしいよ2代目は車で鳴尾浜へ行くときにベストアルバムを聴いてます 全34曲合計で2時間16分なので聴き終わるくらいには到着するのよね ちょうどいいのよ入手困難だけど聴いてみてほしいな 中古ならまだ手に入るしカープレイが利用できる人はアマゾンミュージックで! 気に入ってもらえるとおもうよ
2024年12月25日
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クリスマスの飾りつけって?2代目タイガース非公式サイトです去年もクリスマスに関して記事にしてるんだけど覚えてる? そうです!おもに「クリスマスイブ」について書いてたね今年は ツリーなどの飾りつけに焦点をあてて あれこれ発掘した情報を載せておこうと思います ちょっとだけお付き合いのほど クリスマス・ツリーって?調べてみると古代のゲルマン民族の信仰が起源のようね ゲルマンの人たちは寒さに強い「樫の木」を「強さの象徴」として崇拝の対象にしていたのよキリスト教の布教に伴って 宣教師たちはゲルマン人に改宗させようと「樫の木」を次々伐採してしまうの そしたらその切り株のそばから「モミの木」が生えてきたんだって それ以来クリスマスツリーに「モミの木」を使うようになったらしいわツリーに飾る星型やリンゴのような丸いボールといったオーナメントにも、それぞれ意味があるみたいね例えば頂点に飾られる星型のオーナメントは、イエス・キリストの降誕を知らせた「ベツレヘムの星」のことなのよ 丸いボールはアダムとイブが食べる「禁断の果実」から来ているしほかにも松ぼっくりは聖母マリアを助けたモミの木(マツ科)の象徴 ベルはキリスト誕生を知らせる「鐘」 杖型の飾りは人々を幸福へ導く羊飼いの持つ「杖」といった謂れがあるんだそうですクリスマス・リースって?こちらは古代ギリシャ神話が起源になってらしいの 「ギリシア神話に登場する河の神の娘ダフネは、ゼウスの息子・アポロンの求愛から逃れるため、自らの姿を月桂樹に変えました。悲しんだアポロンは、月桂樹で作った冠を愛の証として永遠に身に付けるようになりました。」 というものなんだけど この神話がもとになって「死すとも変わらず」という月桂樹の花言葉が生まれたんだって ぐるりと終わりがない「冠(輪)」が「永遠」の象徴と見做されたわけ 「アポロンは、勇気に溢れた人間や美の創造に秀でた人間に、月桂樹の葉を使った冠を与えるよう命じました。」という流れになって古代ローマでは戦いで勝利をおさめた英雄や詩人に月桂樹でできた冠を与え栄光と知恵の象徴として用いたのねその後、常緑樹のリースを飾る風習が各地に広がったんだけど これはまだキリスト教が生まれる前の時代で 豊穣や繁栄を願うために冬至や新年などのお祝い事で使われたものなんだよ4世紀になってローマ帝国のコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認し テオドシウス帝によってローマ帝国の国教と定められたころから すでにローマで習慣になっていた「リース」がキリスト教にも取り込まれていったみたいね飾りを象徴する色は?よく見るとクリスマスの装飾は 赤・緑・白といったカラーのアイテムが使われるのが一般的 これは、クリスマスを象徴する植物「ポインセチア」が関係します17世紀頃になって ポインセチアの形が「ベツレヘムの星」に似ていると認知されきて「クリスマスフラワー」として定着していくの ポインセチアは赤(花びら)・葉(緑)・樹液(白)で構成されていることから この3色がクリスマスカラーとして広がったのね さらにそれに次のような理屈が後付けされていくよ赤はキリストの血を表していて、「寛大な愛」の象徴。緑は「生命力」や「永遠の命」を意味。白は、罪や汚れがなく「純潔」「潔白」などの象徴ほかにもゴールドやシルバーも合わせてクリスマスカラーと呼ばれることがあるんだけど イエス・キリストの降誕を知らせた「ベツレヘムの星」やキリストの高貴さを表していて「光」や「王権」を意味するそうですクリスマスのお菓子や料理って?お菓子について見ると日本ではケーキが定番になってるけど フランスではブッシュドノエル ドイツではシュトーレン イギリスではプディングなど国によって定番のお菓子は異なってるよ 次の写真は「シュトーレン」ねお料理では七面鳥かな? 最近の日本ではフライドチキンやローストチキンだよね 焼き鳥っていう人もいるかも? 欧米では今も七面鳥を食べることが多いみたい もともとヨーロッパの国では七面鳥ではなくガチョウを食べていたのよ クリスマスという特別な日だから高級品のガチョウを食べようということのようねところがアメリカ大陸を開拓するために海を渡った人たちが収穫祭の際に七面鳥を食べたことがヨーロッパに逆輸入されて イベントの際に七面鳥を食べるようになったといわれてる クリスマスプレゼントの起源とは?子どもにプレゼントを持ってくる「サンタクロース」もキリスト教が大きく関係していて モデルになったのはキリスト教の聖人である聖ニコラウス聖ニコラウスが貧しい家庭に施しとして金貨を投げ入れたところ 暖炉にかかっていた靴下に金貨が入ったという逸話があって このエピソードからサンタクロースが靴下にプレゼントを入れてくれるというイベントが始まったと言われます だからツリーにも靴下をつるしたりするわけねサンタクロースが空を飛んでやってくるのは 北欧神話の主神であるオーディンが冬になると空を飛んでやって来たことが由来とされているよどっちにしても冬にそりに乗ってくるなんて いかにも北半球でできたお話よね 南半球のオーストラリアやブラジルなんかは夏だよ! あの格好でサンタクロース演じるのは酷だよね かといって海パン姿でそりに乗ってというのもちょっと気持ち悪いなあ・・・ どうでした? ちょっとイベントの意味が解ると見方も変わるでしょ 今夜はクリスマスイブ 去年と同じコメントで終わりにしますみんなそれぞれ予定あるかな?誰かと2人で過ごす人 大勢でパーティーとか忘年会やる人 一人で夜を満喫する人 いろんな過ごし方があるとおもうみなさん 素敵な夜を!
2024年12月24日
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外国人選手は「育成」も視野に!2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは いろいろ気になってたタイガースの助っ人方針が「見えてきたよ 即戦力期待よりも育成を重視するみたいなんだよねこれは有力選手のメジャー流出とか少子化による有望な日本人選手の減少などに備えたものかもしれないね ある意味「先見の明」と言えるかもしれない12/23(月) 5:00配信のスポーツ報知さんの記事をお借りして確認しておきましょう金の卵発見!育成契約で外国人野手獲得へ【阪神】来季は球団最多の助っ人9人体制 阪神が新たに育成契約で外国人野手を獲得する方針であることが22日、分かった。今月にドミニカ共和国で今年2度目の入団テストを実施し、また金の卵を発見。来季は球団最多を更新する助っ人9人体制でスタートする見通しとなった。今季は1月に同国で開催した入団テストでマルティネスとベタンセスを獲得。8月にはパナマで内野手のアルナエスを発掘し、3選手と育成契約を結んだ。来年3月には兵庫・尼崎市内に新2軍球場が開場予定。施設の拡充で育成契約選手の保有増も可能となり、球団は常勝軍団化に向けて新戦略のクローバル強化を推し進める。藤川監督も「育成の外国人選手というのは新しく取り組んでいるところ」と後押しする考えだ。 これまでは外国人8人が球団最多。22年シーズンはチェン、K・ケラー、アルカンタラ、ガンケル、ウィルカーソン、マルテ、ロドリゲス、ロハス・ジュニアと全て支配下登録選手で、来季の外国人の陣容とは大きく異なる。岡田前監督(現オーナー付顧問)から引き継ぐ、生え抜き選手を中心とした育成重視の考え方は、今後も変わらない。残留するビーズリーとゲラに加え、リリーフとして最速158キロ右腕のネルソンを獲得。先発候補のデュプランティエ、内外野を守るヘルナンデスとは合意間近となっている。勝利と育成。藤川阪神の挑戦は続く。監督のコメントにあるように すべてを即戦力として獲得してきた過去と違って 「育てる」という意識も持って探してるようなのよ岡田監督もこの2年かけてミエちゃんを育てようとしてたし マルチネス投手とベタンセス投手も岡田監督のときに育成で入団させてるのを見ても すでにそういう意識があったと言えるから 今後の方針として注目していいんじゃないかな 有力選手のメジャー流出とか少子化による有望な日本人選手の減少などに備えたものかもしれないね ある意味「先見の明」と言えるかもしれないカープアカデミーのようなことまではできないにしろ 来季はファームの拠点が新しくなるってことも後押ししてる気がするな この機会にぜひ「3軍制度」も検討していただきたいですね
2024年12月23日
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多治見市の鰻2代目タイガース非公式サイトですみなさん岐阜県の多治見市ってご存じ?2代目の印象はやっぱり「美濃焼」 愛知県瀬戸市(今では将棋の藤井聡太さんのほうが有名かも・・・)と並んで日本有数の陶磁器のまちとして印象が強いんだよねそれが2007(平成19)年8月16日に当時の日本最高気温となる40.9℃を記録して 「暑さ」が全国的に有名になりました いまもやっぱり暑いわよ「この暑さにあやかってまちをアツく元気にしよう!」と登場したのがマスコットキャラクターの「うながっぱ」 多治見に伝わる「皿を割られたかっぱ様」という民話が「もとになってる(多治見かっぱ物語 - 多治見市の公式マスコットキャラクター うながっぱ) キャラクターのデザインはアンパンマンの作者として知られている「やなせたかし先生」なのよ!(2013年にお亡くなりになりました)それは置いといて なんでウナギなの?と不審に感じる人が多いんじゃないかな?でもね次の地図を見てもらうと「おおっ」ってことになるよ鰻屋さんがやたらに多い多治見市この地図で数字がついてる店舗だけでも10店舗 とにかく鰻専門店が多いのよ ほかにお寿司屋さんや料理屋さんでも鰻料理をメニューとして出してるお店が多くて 合わせると30軒くらいはあるんじゃないかな? しっかり数えたことは無いけど 木曽川の支流に当たる「土岐川」が市内を流れていて 多分だけど昔から鰻が獲れたんじゃないかとおもうのね それと焼き物のまちというのも関係するみたいということで 多治見市にある鰻料理の老舗「魚関」さんに行ってきました今の時期に?とおもうかもしれないけど 2代目の感覚では暑い夏の土用のころより水が冷たくなってくる冬場のほうが鰻の脂の乗りや身の締まり方が好いのよ2代目はどこへ行ってもそうだけど 注文する鰻料理は「ひつまぶし」と決まってます 今回もね 名古屋の「あつた蓬莱軒」さんのことは前に書いてるんだけど いまでは「ひつまぶし」は東海3県にひろがる名物になってる感があるなあ この「魚関」さんは操業が明治30年だからもう100年超えてるね 代々継ぎ足し継ぎ足し伝えられたしっかりと濃いタレ これは最後にだし汁やほうじ茶で茶漬けにして締めるために 少し濃くしておかないといけないわけよ 名古屋ではおもにだし汁で茶漬けにするのが主流なんだけど この魚関さんではほうじ茶で締めます これがまた芳醇な香りが広がっておいしさが増すのよね 12月20日 金曜日のお昼に行ったんだけど多分50歳以上の人ばかりで満席でした 予約しておいたからよかったけどね HP(ホーム | 魚関)もご覧くださいませ うながっぱの多治見市 キャラクターができて16年になるのかな すっかり浸透してきてます ちょっとだけ写真を載せて終わりにするねなかなかかわいいでしょ 右のほうに「魚関」さんの看板が見えるねちょっと不気味? チョコレートパンです♡ まるかじりミネラルウォーターもあるよ 交流イベントでも大活躍中多治見市に行くことがあったら 「鰻」と「うながっぱ」忘れないでね
2024年12月22日
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天才共通のバッティングの極意?2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは 今年もあと2週間を切ったね 今年は一般的には年末年始のお休みが長くて 公務員の人など9連休になるみたいだけど 2代目は28日まで仕事に行くんだよ 連休欲しいなあ さて野球については契約更改もほぼ終わり あとは外国人選手の動向になってきて ブログネタになりそうな話題が途切れてきたわ そんな中で12月17日のスポニチさんの記事で気が付いたことがあるので掲載してみますよ まずは記事の抜粋から読んでみてね 2024/12/17(火) 5:15配信森下 後半戦復調の要因は「10センチ」の構えの変更梅野の一言が若虎を救った2年目だった阪神・森下翔太外野手(24)は前半戦、打撃不振で2軍降格を味わった。後半戦は一転、主軸らしい活躍でチームを支えた背番号1。復調の要因は、梅野隆太郎捕手(33)の一言による「10センチ」の構えの変更にあった。森下は今季、苦手だった内角をよく打った。同コースの直球は打率・351(57打数20安打)をマーク。新人だった昨季の・258(66打数17安打)を大きく上回った。克服の転機は、球宴休み期間の7月24日に行われたシート打撃。マスクをかぶる梅野の一言で霧が晴れた。「もうちょっと投手寄りにバットの位置を構えていなかったっけ?って。ハッと気付かされました。練習が終わって、去年の映像を見直したら、確かにずれていたんです」それまでは、まず右肩付近にバットを寝かせて乗せ、その位置からヘッドを起こして構えた。バットを握る手が耳の横にあるイメージだ。この位置だと、いざ投手を向いた時に手が見えなかった。視界に入るよう、投手寄りに10センチほど微調整。驚くほどの効果があった。「肩の上に構えた方が力が入る。でも、それだとテイクバックで引きすぎて、2度引きになる。顔の前で構えると感覚は気持ち悪いけど、テイクバックの引きすぎが解消されて、内角も対応できるようになりました」暗闇に差し込んだ光が、7・24の練習中の梅野の助言。「10センチ」の微調整と、猫背気味だった構えをやめて背筋を伸ばしたことが吉と出た。球宴前76試合で・224だった打率が、その後の53試合は・344と劇的に良化した。優勝争いに加わる原動力になっただけでなく、11月の国際大会「プレミア12」では侍ジャパンの4番を任されるまでになった。 「構えが決まれば打てる」というのが持論。悩み抜いて正解にたどり着いた経験は、この先にも必ず生きる。 (倉世古 洋平)天才打者と完全一致!この記事のどこが興味深いかって言うと 青字で示した「構えが決まれば打てる」ってくだりなのよ 2代目は「これどこかで聞いたことがあるなあ」と思ったんだよねなのでよく思い出してみたら背番号史の田淵さんのエピソードをまとめているときに見たわって気が付きました そのエピソードは「Wikipedia」に出てるから自分のブログには載せなかったんだけど ここで引用してみるよ西武時代に同僚だった野村克也が、大鏡の前で素振りもせずただ構えをチェックしている田淵を見つけ、何をしているのかと聞くと「僕は構えさえ決まれば打てるんです」と答えた。野村は「構えは確かに大事だが、いい構えだけでさあ何でも来いというのは田淵だけや」と呆れたという。(田淵幸一 - Wikipedia) なんかすごくない? 森下君が田淵さんと話をしたりアドバイスを受けたりしたことがあるのかどうかはわからない でもこのエピソード知ってか知らずか誰もが天才と認める田淵さんとバッティングのフィーリングが一致してることに驚いたのよこれは「天才が行きつくところ」なんじゃないかってちょっと不思議というか感動したんだよね まだプロで2年というキャリアしかない森下君がこの境地 改めて森下君の野球センスに天才を感じてまた見る目が変わってきたわ 皆さんどうおもう? 3年目の来季は大躍進がみられる可能性大だわ!
2024年12月21日
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ネルソン投手と契約2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは比較的早い段階から名前が挙がっていたけど決まったね 12月19日に更新された球団公式サイトで獲得の報告がありましたニック・ネルソン選手との契約締結について|球団ニュース|ニュース|阪神タイガース公式サイトアメリカ合衆国出身の29歳 最速158キロを誇る右腕で185センチ92キロ2020年にニューヨーク・ヤンキースでメジャーデビューし2022年からはフィリーズでプレーしていました 同年には自己最多の47試合に登板してるよ今季はメジャーで4試合 AAAで34試合に登板してますメジャー通算で74試合に登板 114.1回を投げて5勝4敗 120奪三振 防御率5.20の成績を残しています三振奪取数が投球回数を上回ってるね 藤川監督は自分がそうだったように三振取れる投手を選んでるように感じます 先日紹介したジョン・デュプランティア投手もそうだよね球団公式HPに掲載の本人コメント「タイガースファンの皆さん、こんにちは。もうすぐ皆さんにお会いできることにとても興奮しています。シーズンに入る前にこんなにワクワクしたのは初めてです。新しいチームメイトや監督コーチたちと早く仲良くなり、優勝に貢献できるようプレーしたいと思います。日本語を学んだり、美味しい食べ物を試したりすることも楽しみにしています。日本の野球がとてもレベルが高いことは知っているので、新しい挑戦が楽しみです。チームの勝利に貢献できるように最善を尽くしたいと思います」 補強は着々と進んでいるようね 残すところはジョン・デュプランティア投手とデルミス・ガルシア選手の成り行きですね おっとそこへラモン・ヘルナンデス選手も割り込んできてるぞ!もう今年もあとわずかだけど年内に白黒つくのかな?
2024年12月20日
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ナベツネさん逝く2代目タイガース非公式サイトですナベツネさんがお亡くなりになったそうですねタイガースファンとしては何度も煮え湯を飲まされた憎っくき存在 でもナベツネさんという大きな壁がいて球界が盛り上がったのも事実なのかもね 何言われようが動じない 巨人が1番じゃないと気に入らない わがままを押し通すという姿勢には批判も多かった そういうナベツネさんが敵役として存在することで球界もメディアも多くの恩恵を受けたとおもうよ本当にご愁傷さまです ご冥福をお祈りします2024/12/19(木) 9:39配信渡辺恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆が死去読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄(わたなべ・つねお)氏が19日午前2時、肺炎のため、都内の病院で死去した。98歳。葬儀は近親者のみで営まれる。喪主は長男、睦(むつみ)氏。後日、お別れの会が開かれる予定。渡辺氏は11月末まで定期的に出社し、役員会や社論会議に出席して大所高所から本社の経営や社論を総覧していた。今月に入って体調を崩し、病院で治療を受けていたが、亡くなる数日前にも社説の原稿に目を通して点検するなど、最後まで主筆として執務を続けた。 渡辺氏は東京都出身。東京大学を卒業後、1950年、読売新聞社に入社し、ワシントン支局長、編集局総務兼政治部長、専務取締役主筆兼論説委員長などを経て、91年に代表取締役社長・主筆に就任した。2002年の持ち株会社制移行に伴い、グループ本社代表取締役社長・主筆を2年近く務めた。その後、同会長・主筆を経て、16年から現職にあった。1996年から約8年間、読売巨人軍オーナーを務めた。大相撲の横綱審議委員会委員長や、政府の財政制度審議会委員、有識者会議「情報保全諮問会議」座長などを歴任した。96年から98年までは政府の行政改革会議の委員として、当時の1府21省庁を1府12省庁に再編する報告書のとりまとめに尽力した。【渡辺恒雄氏語録】・・・野球関連◆93年3月 ドラフト制度の撤廃を主張し、新リーグ構想を明かす。「巨人、西武の2球団だけじゃない。6球団で新しいリーグをつくればいい。(西武の)堤さんとそういうことを含めて話をして、一緒にやっていこうと」。◆95年6月 巨人のふがいない試合に激高。「話にならん。全員1割減俸だ。クソ食らえだ。ふざけんな。相撲部屋に連れて行ってけいこさせないとな」。◆97年9月 FA資格を取得した桑田の大リーグ移籍について。「オレが肩代わりしている17億の借金はどうなるんだ。そのへんをクリアしてから考えてみてほしいな」。◆00年5月 代打に甘んじている清原について。「能力があればスタメンだ。ダメなら仕方ない。邪魔しなければいい」。◆00年9月 オーナーになって初めてのリーグ優勝に目を潤ませる。「男が泣くチャンスは一生に1度か2度だけだからな。それにしても長嶋というのはメークドラマな男だ。ドラマチックすぎる」。◆02年11月 獲得に乗り出した近鉄中村を獲得出来なくなり「(中村が)巨人のクリーンアップで三塁に立ってみろ、子供が(髪形を)まねしたらどうするんだ。本音を言えば、ああいうタイプの人間はいらない。いなくても勝つ」。◆03年9月 辞任する原監督、新たに就任する堀内監督と記者会見に出席。「今回は原監督の辞任、解任とかいう問題ではなく、読売グループ内の人事異動だと思っています」。◆04年3月 長嶋元監督の入院に「無理させちゃいかん。こういうときは花1本も贈ってはいけない。邪魔なだけだ」。◆04年6月 堀江貴文氏が社長を務めたライブドアの球団経営参加について「知らない人が入るわけにはいかないだろう。僕も知らないような人が。そう簡単に、金さえあればいいってもんじゃないよ」。◆04年7月 球界再編問題に関連し、選手会の古田会長がオーナー陣との直接会談を求めたが、と聞かれ「分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が。たかがといっても、立派な選手もいるけどね。オーナーと対等に話をするなんて協約上根拠は1つもない」。◆05年6月 オーナー辞任から約10カ月で巨人球団会長に復帰しコメントを発表。「巨人軍は今歴史的な危機を迎えています。グループ各社の強力な巨人支援態勢を確立するため、私は巨人軍の経営に復帰、参画することにしました」。◆06年3月 WBC日本代表チーム壮行会でイチローと対面。「イチロー君は野球選手としてだけじゃなく人間としても素晴らしい。32歳の若者に80才の老人が教えられるよ」◆07年10月 クライマックスシリーズ第2ステージで3連敗を喫して敗退。「制度がよくない。リーグ優勝はなんの意味もない。おれがオーナーの時は絶対に反対した」。◆08年4月 北京五輪本戦でチームから選手を輩出する件について「また五輪でも、人を出すんだから。勝てるわけないだろう。(レギュラーシーズンは)3位でいい。しかし日本一は取る」。◆08年8月 北京五輪で4位に終わった日本代表に対して「韓国とかキューバとかは選手がハングリーなんだよ。その点は日本の選手が少し甘ったれてるから、いい勉強になったと思うよ」。◆09年3月 WBC連覇を成し遂げた日本代表にコメント。「イチローは35歳で峠を越したかと思ったが、最初に1発打って、試合を決めてくれた。長嶋の天覧試合のホームランに次ぐ、歴史的な出来事だよ。スーパースターだね」◆10年3月 行政刷新会議の事業仕分けに言及し、その上で「巨人は1番じゃないといけない。2位じゃいけない。それが巨人に与えられた宿命です」◆11年3月 激励会「燦燦会」で、セ・リーグの開幕について「開幕戦を延期するとかしばらくやめるとか俗説もありましたが、この前の戦争に負けた後、3カ月で選手、監督から試合をやりたいと声が出て、プロ野球をやった歴史がある」。◆11年9月 13年WBC参加に関して、日本の徹底抗戦を主張。「最初から妥協したらダメだ。なんでいちいちメジャーに屈服しなきゃならんのか」。◆11年10月 横浜の球団売却を巡る問題で「モ、モグ、モガベーか? 本当に何も知らんのだよ。携帯電話でゲームが出来るのか? 85歳の活字人間だからそういう幻みたいなこと分からんのだよ」。◆11年11月 元GM清武英利氏による告発問題で「こっちが法廷にもっていくよ。10人ね、最高級の弁護士を用意してる。法廷ならわが方のもっとも得意とするところだ。俺は法廷闘争負けたことがないんだ」。◆12年10月 セ・リーグ優勝祝賀会で「今季は86勝した。実は私は86歳。最初は(低迷して)はらはらさせて、最後は86に合わせてくれた。感激もひとしお」。◆13年1月 引退を表明したばかりの松井秀喜氏を次期監督の最有力候補に指名「原君の後すぐっていうのがいないんだよ。松井君が最適だよね」。◆13年9月 野球の五輪種目復活へレスリングを引き合いに「国家的見地に立って、野球を繁栄させようとしたら、ルールも変えてもいいから。国際競技になるように。レスリングはそれで成功したわけだから。オリンピックに野球が出るようにならないといかんよ」。◆15年3月 自身が転倒で入院した経験を引き合いに「選手(のケガ)は一生懸命頑張ろうと思った結果。言えた義理はない」。◆16年7月 7日阪神戦で完敗し4位に後退。「(高橋)由伸の責任じゃねえ。補強せず今の陣容で勝てと言っても無理。長嶋もワンちゃん(王)もボロボロになったのを引き受けて負けている。ボロボロを引き継いでも勝てるわけねえ」。◆17年3月 「燦燦会」総会でV奪還による景気回復を期待。「巨人が勝たんととにかく景気が良くならん。巨人軍の健闘が始まりますから日本の経済成長、政治力を強めるためにいろいろご協力いただきたい」。◆18年3月 激励会でオープン戦首位を評価。「昨年の今頃オープン戦で最下位だったが、今年は打って変わってトップ。ゲレーロさんはもう5本塁打、若い岡本くんが打点トップ。どう考えても非常にホープフルで去年のように皆さんを1年通じてがっかりさせることはない。優勝祝賀会を皆さんと開きたいので、ひとつご期待いただきたい」◆18年3月 「燦燦会」総会で「監督を長嶋さんは15年やった。高橋君は若いし、2年しかやっていない。10年以上やるつもりで、優勝を10回やって長嶋さんの記録を塗り替えることを期待しています」と高橋監督を激励。◆18年7月 読売新聞東京本社で巨人高橋監督から前半戦の報告を受けた後、東京ドームで広島戦の快勝を見届け「高橋はよく見ている。1人1人(の選手を)全部知っている。名監督だよ。監督はよくやっている。いい選手もいる。ただ足りないよね。もっと強化しないと。圧倒的に勝つようにね」。◆19年3月 「燦燦会」総会で胆石のため入院した長嶋茂雄終身名誉監督について「優勝してくれたら私は長嶋くんをおんぶして連れてきますよ。彼は僕よりも若いし不屈の精神力を持っている。必ず戻ってくる」。言いたい放題なんだけど 実は巧妙に世論や報道をコントロールしてたのかもしれない 何しろ頭はすごく好かったらしいからね こんな「名物オーナー」もまた不世出の存在かもしれない
2024年12月19日
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背番号28(その1)みなさんこんにちは 今回から背番号28を始めますよ最初ですが 2024年ドラフト2位指名で入団が決まった今朝丸裕喜投手(報徳学園)が「28」を着けることになったね新人高卒投手が「28」を背負うのは阪神のエースとして活躍した江夏豊さん(大阪学院)以来なのよ 2代目はサウスポーの門別投手につけてほしいなとおもってたけど どちらも将来のエース候補!期待してます さて この番号は創設された1936(昭和11)年のシーズンにつけた選手は無かったのね 2年目の1937(昭和12)年に青木正一さんという選手が着けたのが最初です 一体どんな選手だったのかな?そして2人目はすでに登場してる金田正泰さん ダイナマイト打線の一角であり のちには一軍監督になったあの金田さんですね この人は「7」と「21」で紹介済みなんだけどリンクをたどってもらうのもなんだから全文を再再掲することにします戦前に背番号「28」を着けたのはこの2人なので、今回は2名の紹介です青木 正一 投手・内野手栃木県足利郡葉鹿町(現足利市)の出身。旧制桐生中学(現県立桐生高校)時代はエース兼4番打者として活躍、1933(昭和8)年から4年連続5季で甲子園に出場。最終学年の1936(昭和11)年の選抜大会では準優勝して職業野球から注目される選手になる。当時は特に契約時期についてのルールもない時代。青木に目を付けたタイガースは選抜大会が終わって間もなく入団交渉を開始しており、夏の大会の予選が始まる前の6月に入団契約を済ませてしまうという荒業だった。背番号「28」の最初の選手。プロ入り1年目の1937(昭和12)年は、春季が3試合1勝0敗、秋季は3試合0勝0敗、1年を通じての防御率は3.60という成績だった。この1年目はリリーフ登板がほとんどだったが、特徴としてはかなり球速があったようで、対沢村として有名な「プレート1メートル前」から投げる特訓の打撃投手に抜擢されていたという。 1938(昭和13)年は春季4試合0勝0敗、秋季4試合2勝1敗だった。1939(昭和14)年にブレイクの兆しがあり10試合で4試合が先発、2勝を挙げ防御率も1.53と成長を感じさせた。ところが不運にも軍からの召集にかかってしまい退団を余儀なくされ、終戦まで戦地を転々とすることになる。 戦争が終わっても職業野球に戻ることはなく、1946(飽和21)年から2年間は地元の社会人野球の全桐生に入り都市対抗に出場している。この時は一塁手だった。その後も社会人野球の選手やコーチをするなど野球に携わった。2004(平成16)年に87歳で逝去。プロ通算成績は24試合(先発8)4勝2敗、91回2/3を投げて38四球27奪三振、自責点26、防御率2.55。金田正泰 外野手(再掲)金田は1942(昭和17)年の入団。タイガースにおいて背番号「7」を外野手の番号として認識させた人物と言える。現役通算15年をタイガース一筋で通し、首位打者を獲得するなど非常に高い出塁率を誇る俊足好打の名外野手。背番号は入団から2年間が「28」、次いで「7」に変え、なぜか1950(昭和25)年だけ「21」を着け、その翌年から引退まではまた「7」を着けている。紹介済みだが、タイガースの球団史において重要人物であるた再再掲しておく。金田は当時日本統治下だった朝鮮の出身、昭和24(1949)年に日本人女性と結婚して帰化している。京都平安中では春夏合わせて5回甲子園に出場する。左投げ左打ちで俊足の好選手だった。1941(昭和16)年に1週間ほどタイガースの松木謙次郎が平安中野球部をコーチをしたことがあり、当時キャプテンだった金田を高く評価している。その縁もあって1942(昭和17)年にタイガースへ入団することになった。新人の時最初につけた背番号が「28」。青木が軍に召集された後2年間空いており、金田は1942(昭和17)年~1943(昭和18)年の2年間だけ着けた。 「7」に代わるのは1944(昭和19)年からだ。途中でなぜか1950(昭和25)年だけ1年間「21」を着けたが、翌年から引退までまた「7」を着けた。 戦前は3シーズン経験しているが芽が出ていない。1942年から1944年までの3年間のトータルの数字は、170試合432打数88安打24打点4本塁打で、打率は.203に過ぎない。足が使えて積極的に盗塁を仕掛けているが、3年間で26回試み、成功15失敗11と成功率はそれほど高くなかった。選手として開花するのは、終戦の翌年、1946(昭和21)年からだった。この年の金田は人が変わったように打ちまくり、438打数152安打61打点1本塁打、打率.347で首位打者になっている。まだ1リーグ時代で152安打は当時のシーズン最多安打の新記録だった。 ダイナマイト打線 左から2人目が金田 この年を含め、1955(昭和30)年まで10シーズン連続で100試合以上に出場してレギュラーを守り、そのうち6シーズンで3割をこえている。しかしながら、二けたの本塁打を記録したのは現役中に1シーズンしかない。在籍16年、実働15年の通算では、1476試合5354打数1527安打568打点55本塁打187盗塁457三振、打率.285という立派な成績を残している。もっぱら1番を打つことが多かったが、俊足は盗塁よりも、広い甲子園を十分に生かした三塁打に現れており、通算103本という数字は、2023年現在でも、福本豊の115、毒島章一の106につぐ歴代3位の大記録だ。1シーズンに18本(これは現在もNPB最高記録)も打ったことがあるだけにベースランニングも上手かったと想像される。1956(昭和31)年は、有名な「藤村排斥事件」の首謀者と見做されたことで出場機会が減り、翌1957(昭和32)年を最後に現役生活を終えている。引退の翌年、1958(昭和33)年には二軍監督に就任、翌年途中から一軍コーチとなっている。この2年間も背番号7を引き続き着けていた。1960(昭和35)に一軍監督となって背番号は「30」に代わる。この番号はタイガースでは創設以来金田まで、監督が着ける番号だった。この年はなんとか3位Aクラスで終わったが、翌1961(昭和36)年は開幕からチーム状態が悪く最下位を低迷する状態になり、6月6日に球団から「休養」を命じられて事実上の退任、シーズン終了後に退団し評論家生活となる。1972(昭和47)年、現役監督3年目の村山実からの強い要請でヘッドコーチに就任し、ここから3年間「73」を着けた。 開幕から波に乗れない村山監督が4月21日に指揮権を返上して現役一本に絞ると宣言したため、事実上の監督となる。ただし、表面上の監督はあくまで村山のままだった。成績が5割に戻った5月13日、金田は指揮権を村山に戻すことを球団社長に申し出たが、戸沢一隆社長は受け入れず、そのままシーズン終了まで金田に事実上の指揮をとらせた。一方の村山はこのシーズンを最後に監督を辞任、現役も引退する。これが金田に追い出されたように見える形となったため、藤井栄治、権藤正利、江夏豊などの村山シンパから反感を買うことになる。1973(昭和48)年、金田が正式に監督に就任すると、ペナントレースでは首位から最下位までが6.5ゲーム差のなかにひしめく大混戦のなかで激しい優勝争いが展開されていく。 そんな中で村山シンパの選手たちとは冷え切った関係になり、特に権藤、藤井、江夏とはお互いに口も利かないかわりにマスコミを通して批判を言い合うなど関係が悪化していき、金田は上田次郎をかわいがって偏重に扱うようになる。残り2試合でマジック1となった10月20日の中日戦、金田監督は中日キラーの上田ではなく江夏を先発に起用し2-4で敗れる。 中1日空けて10月22日の甲子園でのシーズン最終戦は試合開始前から騒然として異様なムードに包まれた。マジックは1のままだが引き分けでもタイガースの優勝。ところが結果は巨人の高橋一三の前に散発4安打に抑えられ完封負け。目の前で巨人の優勝が決まる。試合終了と同時に、胴上げを阻止しようと阪神ファンがグランドになだれ込み、巨人のベンチを襲撃して選手に暴行を加えるなど甲子園球場は大騒乱状態になった。 兵庫県警の機動隊まで出動して混乱収拾にあたったが、巨人は負傷者が出るなどとても胴上げができず宿舎に帰った。なんとも後味の悪い幕切れだった。 3塁側ジャイアンツベンチへ襲いかかる阪神ファン中日戦で江夏、巨人戦で上田という起用は、様々な批判や論争を巻き起こしたが、金田は首脳陣と相談の上「後半戦の上田は不調で大きく負け越しており、エースである江夏の実績とプライドに賭けた」と言っている。 また江夏も「大事な試合では勝ち星の多いほうを選ぶのは当然。自分の先発が間違っていたとは思わない 打たれた自分が悪い」と語っており、この一件に関しては「決してわざと負けようとしたわけなどない」と両者納得しているようだ。シーズン終了後、11月23日のファン感謝デーで権藤が金田に対し暴言の謝罪を求めたが応じられなかったため殴りつけるという事件が起きる。権藤はそのまま引退を宣言。金田と対立していた藤井栄治はトレードされる。権藤を慕う江夏はこの件で「金田監督とは一緒に野球ができない」と言ってトレードを志願するが、球団は認めず残留し、金田監督も翌年の指揮を執ることになる。 1974(昭和49)年のシーズンは出足好調だったが失速して4位。球団史上最低勝率だったこともあって退任する。この年、金田は入団1年目の掛布雅之を周囲の反対を押し切って1軍で積極的に起用し、後半戦ではレギュラーに定着させる。同期ドラフト1位の佐野仙好とサードのポジションがかぶっており、1位を差し置いて6位の掛布を使うことにはフロントからも強い批判が出たようだが、金田は無視して使い続けた。もちろん金田が見た第一印象も「体も目立って大きくないから、正直なところ2、3年ファームで体を鍛えて、いずれ守備要員でもなればと、そういう感じの選手でしたな」というものだった。しかしすぐに掛布の資質を見抜いて、批判されながらもシーズンで使っていった金田の目は確かだった。掛布自身も「金田監督がいなかったらのちの自分はなかった」とまで語っている。まとめ青木さんは芽を出す前に軍に呼ばれてしまったようね 順調に選手生活を送れたらいい選手になってた気がするなあ「球都桐生公式WEBサイト」の中に青木さんの中学時代の写真が掲載されたのでちょっと借用しました ごめんね金田さんは3回目の登場 それにしても選手としての数字は戦争を挟んでるのに立派なものよ ホームランは少ないけど打率は高いし足で二塁打と三塁打を稼いでる いまなら近本選手のような感じかな 好い選手だったんだとおもう背番号28―2につづく
2024年12月19日
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えっ 助っ人投手を補強?2代目タイガース非公式サイトですみなさんおはようございます「THE DIGEST」さんや「cocoKARA」さんが伝えるところでは 2024年12月17日の情報として タイガースがジョン・デュプランティア投手(ミルウォーキー・ブルワーズ傘下)の獲得に動いているって!? 記事を載せておきますね()30歳にファン期待「化けてくれたら!」「結構楽しみ」阪神がミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結んでいた、ジョン・デュプランティア投手の獲得を目指していることが12月17日、MLB公式や複数メディアが報じた。30歳のデュプランティアは、2016年ドラフト3巡目でアリゾナ・ダイヤモンドバックスに入団。19年にメジャーデビューを果たした。MLB通算では19試合に登板。49.2イニングを投げて、防御率6.70、1勝4敗、WHIP1.69の成績を残している。そんな30歳右腕について、米移籍専門サイト『MLB Trade Rumors』は「最近では、24年に米独立リーグで圧倒的な成績を残し、18イニングを無失点、30奪三振、6四球を記録。彼はその成績をロサンゼルス・ドジャースとニューヨーク・メッツでの3Åへの進出につなげ、マイナーリーグで65回2/3を投げて、防御率4.20、奪三振率27.4%、四球率16.1%という恐ろしい成績を残した。3Åで4シーズンを過ごした同右腕は、防御率4.85、奪三振率と四球率は24年に記録したものと同程度だ」と近年も3Aなどで好調であることを伝えた。また同サイトは、右腕デュプランティアが16年にダイヤモンドバックス入りする際に、「全会一致でトップ100の有望株と目されていた」と注目選手の一人であったことも伝えている。阪神の新たな助っ人の獲得に動いているとの報道を受けてファンからは、「結構楽しみ」「打者の補強しないよなあ」「助っ人野手がいないのはヤバイと思う!」「阪神獲得ってまじ??」「投手陣は着実に層の厚みは増しそう」「阪神に来て化けてくれたら!」「パワーピッチャータイプかな!」 などと、さまざまなコメントが寄せられている。(THE DIGEST編集部)米球界で図抜けた奪三振力を誇った右腕デュプランティアは何者かおぼろげに見えてきた藤川阪神の“助っ人構想”阪神は、新体制下での覇権奪回に向け、投手陣のテコ入れに余念がない。現地時間12月16日、米移籍専門サイト『MLB Trade Rumors』は、ダイヤモンドバックスに在籍した右腕ジョン・デュプランティアが来季から阪神でプレーすると伝えた。契約年数などは不明だが、「次の春にはブルワーズのキャンプに参加予定選手だったが、日本の阪神での機会を求めて自由契約になった」と移籍が決定的であることを伝えている。現在30歳のデュプランティアは、2016年ドラフト3巡目でダイヤモンドバックスに入団すると、19年にメジャーデビュー。以降は先発とリリーフを兼任したが、大舞台では定着できずに苦闘。22年オフにドジャースを契約してからは3球団に在籍。いずれもメジャーでの登板機会には恵まれなかった。 それでもポテンシャルの高さは折り紙付きだ。持ち球は最速97.8マイル(約157.5キロ)、平均95マイル(約153キロ)の4シームを軸に、130キロ台のチェンジアップ、スライダー、ナックルカーブ、カットボールを投げ分ける。 制球力にやや難が残るが、それを差し引いても余りある奪三振力は魅力だ。実際、マイナーでの通算奪三振率は10.45と高い。今季の3Åでも23登板(7先発)で与四球率こそ6.47だが、奪三振率は10.99とハイアベレージを記録している。投手の再構築、いわゆる“魔改造化”に定評のある阪神であれば、ハマる可能性もゼロではない。すでに来季の助っ人5人体制化を明言している阪神。投手陣では契約延長済みのハビー・ゲラとジェレミー・ビーズリーに加え、獲得が囁かれるニック・ネルソンの並びが有力。そこにデュプランティアが入るとなれば、残す強化ポイントは、ケストン・ヒウラなどの名が挙がる助っ人打者の選定となる。藤川球児新監督の下で、若手育成とリーグ制覇を睨む阪神。そのためには助っ人の強化は肝となるため、おぼろげに見えてきた構想は実に興味深い。米メディアから出てきた情報だけに信憑性高そうだね「THE DIGEST」さんより「cocoKARA」さんの記事のほうがより踏み込んでるというか もう仮契約してるような書き方になってるね今のタイガースは 野手は育てなければならない選手がたくさんいるから外国人を入れると実戦経験を積ませることが難しくなっちゃうのよね投手陣は浜地さん出しても大丈夫なくらい豊富だけど 今年の青柳さんや伊藤さんのようなこともあるから一人でも多いに越したことはないわ 2025年は まだまだ「守り勝つ野球」で乗り切るというのが藤川監督の本音なんだなって思わせる記事ですデュプランティア選手のプロフィール1994年7月11日生まれ、30歳。米国出身。2016年のMLBドラフト3巡目(全体89位)でダイヤモンドバックスから指名され、19年にメジャーデビュー。今季はメッツ傘下3Åからスタートし、23試合登板で6勝3敗、防御率4・20。米独立リーグなどを経て、ブルワーズとマイナー契約を結んでいた。メジャー通算19試合(先発7試合)登板で1勝4敗、防御率6・70。右投げ左打ち。193センチ、103キロ。野手はデルミス・ガルシア選手が有力マイナー通算132本塁打っていうのは相当なものよ 636試合だから5.8試合に1本ペース 日本のペナントレースなら毎週1本打ってる感じよね 右打ちで一塁や三塁のほかレフトも守れるユーティリティさも持ち味藤川監督が言ってるらしいけど「主軸で出るような選手は取らない。日本人にないタイプというところを探しています。その上で、フルで出さなきゃいけないという条件がつかない選手」と難しい条件で探した結果絞られたみたいね前川君や井上君だけじゃなくテル君にも刺激を与える「若手外野手の競争相手」としての意味合いもあるんだって 下のプロフィールにあるようにマイナーとは言え636試合で132本塁打というのは魅力あるよ 期待はできそうなんだけどお名前はちょっと? 「デルミス」って いかにも「ミスが出そうな名前」だよ 面白いけど・・・ガルシア選手のプロフィール1998年1月7日生まれ、26歳。ドミニカ共和国出身。2014年にヤンキースとマイナー契約。22年、アスレチックスでメジャー初出場。メジャー出場は同年のみで39試合に出場し打率・207、5本塁打、20打点。今季はナショナルズ傘下の2Aで108試合出場、打率・182、14本塁打、38打点。マイナー通算636試合出場で打率・226、132本塁打、284打点。右投げ右打ち。185センチ、91キロ。
2024年12月18日
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分かりやすい話よね2代目タイガース非公式サイトです みなさんこんにちは マー君巨人入り!まったく2代目の予想通りになりました 楽天からの退団を表明した時のマー君がそれほど深刻な表情じゃなかったから 多分巨人が内々の接触をしてきてるんじゃないかなとは想像してたのよね巨人は今年リーグ優勝したのにCSでひっくり返されたことがよほどショックなのよ 大山さんやマルチネス投手の時を見ても「よその戦力にしたくない」とかよりも「あるものは何でも取りに行く」って感じが見え見えだったからね ナベツネさん健在のころの巨人らしさが戻ってきた感じ 倒し甲斐があるわ!ただし要注意なのは 自己顕示欲旺盛なマー君だから巨人では働く可能性があるってところね 楽天なんかとは露出度・注目度の桁が違うし そういうのに反応して馬力を出すタイプなのよ5~10勝する可能性もあり得るとみておいたほうがよさそう しかも高校時代に経験した甲子園球場での試合は底力出してくるとおもうよ 用心は必要ね・・・ 巨人には同学年で幼馴染の坂本勇人選手がいるけどこっちも問題児 悪友2人がそろうことで和を乱す可能性はあるよ ほかの若手選手が出番を奪われたり 大物マー君に委縮したり プレー以外の私生活面で誘われたりってこともあるかも って期待しちゃうわ! タイガースファンとしては スキャンダラスかつデンジャラスな巨人を観察するのも色々と面白そうね いろんな意味で来季は盛り上がりそう 各週刊誌の取材の皆さん頑張ってね田中将大巨人入り決定!阿部監督「智之が抜けるとピッチャーのリーダーいなくなる。そういう面でも必要」巨人が楽天を自由契約になった田中将大投手(36)を獲得することが15日、分かった。日米通算197勝右腕は今季1軍では1登板で未勝利に終わったが、球団は復活できると判断して本格調査。ハワイ優勝旅行中の阿部慎之助監督(45)も加入を熱望していた中で、関係者によると本人が入団の意思を固めたという。今季15勝を挙げ、来季は海外FAでメジャーに挑戦する菅野が抜ける投手陣に、新風を吹かせる存在として期待がかかる。前中日の守護神、ライデル・マルティネスに続き、巨人がさらなる大補強に動いた。前楽天の田中将大を獲得することが判明した。関係者によると、すでに巨人入団の意思を固めているという。日米通算200勝まであと3勝に迫る超ビッグネームが電撃加入する。昨年10月に受けた右肘手術の影響もあり、日米通算18年目の今季は1軍で1登板に終わったが、シーズン終盤の2軍戦で徐々に本来の速球の力強さを取り戻して着実に前進していた。11月24日に楽天退団が発表され、12月から交渉解禁。巨人は動向を注視しながら本格的な調査を進めてきた。阿部監督も、以前から獲得を熱望していた。「智之が抜けるとピッチャーのチームリーダーみたいな存在がいなくなる。実績があるから。うちは若い投手が多いし、そういう面でも必要なのかな」と入団が実現すればメジャー挑戦する菅野に代わる支柱になれるとみていた。さらに「(好調時に)たぶん戻ると思う」と復活に太鼓判を押していた。
2024年12月16日
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変わる?忠臣蔵の評価2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは「忠臣蔵」って知ってるよね 元禄15年12月14日 旧赤穂藩の浪士たち47人が 主君浅野内匠頭長矩(ながのり)の無念を晴らすべく 江戸本所松坂町の吉良上野介義央(よしひさ)の屋敷に討ち入って首級を挙げたという大事件のことよねまあ日付は旧歴だからグレゴリオ暦では1703年1月30日に当たるんだけど 現代では12月14日前後に歌舞伎や映画や時代劇ドラマなどが上演・放送されることが多かったのよね 明治以降の軍国主義教育が進められる中で美談として扱われていったという事情も大きいわでも近年は昔ほど人気がなくなってきているのか あまり大きく取り扱われることはなくなったって感じない? 特別なドラマや映画もあまり作られなくなったね 歌舞伎での「仮名手本忠臣蔵」も通しでは滅多にやらないよ今回は真面目な話として 「忠臣蔵」の価値観の変化を考察するよ 関心ある人は読んでみてね いろんなことから必ずしも美談とは限らないことが再認識されているわ 批判もあるのを覚悟して書いてみますね そもそもはっきりした動機が分からない吉良上野介が浅野内匠頭に様々な嫌がらせをしたと言われてるけど 事件後の事情聴取で内匠頭は動機について詳しい供述はしていないわ 「私の遺恨」としか記録に残ってないのよあとから芝居などの脚本で脚色が重なっていっただけで 実際に「上野介の命を奪わなければ気が済まない」ほどの理由があったのかという根本の部分で真相がはっきりしないままなのね浅野内匠頭の失態と公儀の裁定斬りかかって傷を負わせたのは紛れもない事実 でもそもそも剣術をやってる者が短刀で確実に相手を倒そうとするときは振りかざして切りつけたりしないのよ 刃を先にして突き刺して一撃で仕留めるの だから至近距離で一方的に切りかかっておいて討ち漏らすほうが そもそも武門の恥ってことになるのよそういう意味では内匠頭は剣術の稽古をまともにしていないお坊ちゃまで この時に討ち果たしていればのちの「討ち入り事件」も起きなかっただろうという評価 つまり未熟者が巻き起こした騒動ってことかな 江戸城内での刃傷行為は禁じられていたわけだから 内匠頭の切腹は理由如何によらず当たり前の罰則であることを忘れてはいけないわ それは武士ましてや一国の藩主である内匠頭なら承知しているはずよ この一点において内匠頭切腹の裁定については文句は言えません これで幕府を恨むのは逆恨み 「禁止されてるのに刀を抜いて人に斬りつけたやつが悪い」のは法理論からは当然なの 一方の上野介について「武士にあるまじき無抵抗」だったのに「神妙である」としてお咎めがなかったという公儀の裁定には問題があったかな 上野介を裁かなかったために対外的に失敗して世論の批判を買ってしまったし浪士の恨みも買ったね家臣の異様な執念本来「私の遺恨」があったとしても 内匠頭が最後までいじめに対して辛抱するか 最低でも上野介を討ち果たしたうえで切腹していれば討ち入り騒ぎなど起きなかったのよ だから先に書いたように 討ち入りはそもそも主君内匠頭が上野介を仕留めそこなった失態が原因だという解釈が成り立つのよ 殿の失態にもかかわらず 家臣はその後の幕府の裁定に恨みを持った でも幕府相手では戦にならない・・・つまり逆恨みを動機とする家臣たちが上野介を討つことで留飲を下げようとしたのではないかってことね 世論に訴え吉良家と幕府の両方にダメージを与えることができる一石二鳥の作戦なのかな法規に反した違法な私刑(リンチ)当時「仇討ち」というのは子が親の仇を討つなど「目上の親族のために復讐」することを指していて「主君の仇を討つ」ということは想定になく初めてだったのねなので「義」によるものか「私怨」によるものかの論争が今も続いているのよ 極端に言えば社員が社長の仇を討ったようなものだからさらに言えば いじめはしたかもしれないけど 上野介が内匠頭を切り殺したわけじゃないよね 逆に内匠頭が上野介に殿中で切りかかったうえに失敗してるわけ しかも「刃傷事件は内匠頭の私的な遺恨による違法行為」とされて公儀の裁定を経て「上意」として切腹を命じられたのよ・・・ それに対して上野介に復讐するなどはたとえ憤懣があったにせよ逆恨みによる違法な私的行為とされても仕方ないわなどなど考え方は幅が広くなってきてます でも当時にあっても世間大衆が芝居などの影響もあって浅野家浪士に同情する風潮になって 仇討ちを美談として祭り上げ それが進んで公儀の裁定への批判になることを恐れた幕府は 実はちゃんと手を打ってます赤穂浪士の切腹当日 吉良家を継いだ吉良左兵衛義周を信濃高島藩主諏訪安芸守忠虎にお預けとしているよ 理由は義父・吉良上野介が刃傷事件の時に無抵抗だったことが「内匠に対し卑怯の至り」であり、赤穂浪士討ち入りのときも「未練」のふるまいであったとして領地召し上げとなり吉良家は断絶するの遅まきながら「喧嘩両成敗」の形をとって民衆の公儀への批判をかわしたのね この処置は批判の矢面にある為政者としては仕方がなかったとおもうな今となっては確かめられない現代 特に近年では内匠頭に目を向けて その振る舞いは失態そのもので 家臣にとっては迷惑行為ではなかったかという責任論が強くなってる気がするね でも 内匠頭に対して上野介が何をし何を言ったのか? よほどひどい仕打ちがあったのか? 刃傷に至る動機を裏付けるような新たな証拠は出てきてないわ 裏事情が分からない限り推論しかできないし もう確かめることは無理なのかな・・・ 藩がお取りつぶしになって家臣一族郎党が路頭に迷うことも必然だとわかっているのに そんなことも念頭から消えるほど逆上して刃傷事件に至った主君は決してよい評価をされないでしょう ましてや命がけでその復習をするなんてことも今の若い人たちは ある程度までの理解はできても納得はできないんじゃないかな?みなさんはどう感じますか?
2024年12月15日
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背番号27(その9)背番号27も最終回 第9回目になりました「27」は長かったけど この先の大きい番号はこんな感じになってくだろうなっておもうのね ルーキーから数年で辞めちゃう人 最初大きい番号から始まってだんだん変えていく人 そういうことが多くなっていくからねさて最後の2名は最近の人なんだから皆さんわかるはずよね 2024年現在着けてるのが伊藤将司投手ってことはOKね?ではその前はだれだったでしょう? 覚えてない? 本文で確認してね 尾仲 祐哉 投手背番号「27」は秋山が返上して2017(平成29)年は空き番になっていた。2018(平成30)年から着けたのが尾仲である。福岡県北九州市の出身で、高稜高等学校3年時に外野手から本格的に投手に転向した。高校時代の3年間は甲子園どころか夏の大会地区予選で3年連続初戦敗退している。広島経済大に進学すると、130キロ台前半だったストレートの球速がどんどん上がって150キロを突破するまでになる。リーグ戦では最優秀防御率のタイトルを3度も取っている。2016(平成28)年のドラフト会議で横浜DeNAベイスターズの6位指名を受けてプロ入りするが、ルーキーイヤーの1年だけの在籍。11試合で1勝1敗、防御率6.52という内容だった。2017年12月、タイガースからFAでDeNAへ移籍した大和の人的補償でタイガースに来ることになる。空いていた背番号「27」を継承。タイガースでの1年目となった2018(平成30)年は12試合に中継ぎで登板し0勝1敗、防御率3.86だったが、11回2/3で14三振を奪っており、確かに球は速かった。2019(令和元)年に5試合の登板に終わったことから、背番号「27」をルーキーの伊藤将司に譲り、2020(令和2)年から「40」に変えてみたが4試合しか出番はなかった。2021(令和3)年は一軍へ上がれず、2022(令和4)年は1試合のみ。オフには戦力外が通告された。2022年11月にヤクルトスワローズが獲得を発表したが2年間目立った成績を残せず2024(令和6)年オフにまた戦力外となる。これを機会にプロから身を引き、社会人野球サムティ(兵庫県)に入団し現役続行している。 伊藤 将司 投手2024(令和6)年現在「27」を着けているのが伊藤将司。千葉県山武郡横芝光町の出身。横浜高校に進学すると1年生からベンチ入りし2年の夏にはエースとして夏の選手権大会に出場しているが3回戦敗退。3年の選抜でも1回戦で敗退だった。卒業後は国際武道大に進み、リーグ通算24勝5敗、防御率1.92の成績を残し、社会人のJR東日本に入社している。2020(令和2)年のドラフト会議でタイガースが2位で指名権を獲得し入団。グラブをはめた右手を前方高く上げ、逆に左手は後方下向きに引くため打者からボールの出所が非常に見づらいフォームが特徴で、ストレートを主体に低めに集める投球は安定しているし、スタミナがあって完投能力も高い。ルーキーだった2021(令和3)年にいきなり10勝7敗1ホールドと二けた勝利を挙げ、2022(令和4)年が9勝5敗、そして2023(令和5)年には再び10勝5敗と活躍しリーグ優勝・日本一に貢献している。しかし2024(令和6)年は勤続疲労があったのか18試合で4勝5敗と低迷し、ファーム落ちも長くリーグ優勝を逃した要因の一つになった。2025(令和7)年は復活が期待される。まとめようやく背番号「27」が終わりましたみなさん最後までお付き合いくださりありがとね どうだった?知らない選手が多かったんじゃない?2代目は今回の尾仲さんだって「はて?いたっけ?」となりましたよ 何しろ在籍がほぼコロナ渦と重なってるからファームの試合すら観に行かなかったからなあ でもコロナ前だった2018(平成30)年にはウェスタンで28試合に投げファーム日本一に貢献してるわ だけど申し訳ないけど2代目の記憶には入ってないのよね・・・伊藤将司さんは2024年はダメだったね コントロールが悪くなっててシーズンを通して修正できなかった 2025年はペナント奪還を目指してまた二けた勝ってほしい!!! 「ジャイアンツキラー」復活を期待してるよ さて次回から背番号「28」に進むよ タイガースファンにとってすぐ思い浮かぶのは江夏さんだよね! 逆にそれ以外の人ってすぐ名前が浮かんでこないくらい 江夏さんの印象強すぎだからほかにどんな選手がいたのかたどっていくよ まっててね背番号28につづく
2024年12月14日
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原口さんありがとう2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは原口さんの残留が決定したね!公表はされてなかったけどどうも他球団からのオファーもあったみたい よほどじっくり考えてたんだろうねやっぱり今年も出番が少なかったから 試合に出たいって気持ちは強かったんだろうね プロ野球選手として当然の欲求だから 熟考を経てタイガースに残ることを選んだのも ある意味大山さんと同じような理由だったんじゃない? やっぱり甲子園でタイガースファンの前でプレーしてまた優勝の喜びを分かち合う そういう心境になったんだとおもうよ2024/12/12(木) 21:53配信阪神は12日、国内FA権を行使していた原口文仁内野手(32)が、残留すると発表した。近日中に会見が行われる。原口は球団を通してコメント。「このたび、来季も阪神タイガースでプレーさせていただくことを決めました。今まで通り、タイガースのため、ファンの皆さまのためにタテジマのユニホームを着てグラウンドを駆け回りたいと思います。今後もよろしくお願いいたします」と待ちわびたファンに語りかけた。これで今季FA権を取得し行使せずに残留した糸原と坂本、行使したが残留を決めた大山を含めて全4選手が来季も阪神でプレーすることに決まった。09年ドラフト6位で阪神に入団した原口は、来季がプロ16年目。この2年間はほぼ代打専任となり「もっとゲームに出たい、スタメンから勝負したい気持ちが強かった。純粋に打席に数多く立って、貢献したい」と権利の行使を決めていた。一方で、高卒で15年を過ごした阪神への愛着が強かったのも事実。「人生で1回あるかないかの大事な権利。これも1つの経験だと思う」と期限を設けずに熟考を続けてきた。19年1月に大腸がんの手術を受け、丸5年がたった今年1月に完治を告げられた。また甲子園で大歓声を浴びる。背番号94は猛虎のユニホームで再び戦うことを決めた。 もう一度見てみたい「捕手・原口」 2代目はキャッチャーとしての原口さんをもう一度見てみたいとおもってるんだけど これはもう無理な注文かな 今年6年ぶりに「4番・原口」は見れた(ホームラン打ったよね!)から やっぱ「捕手・原口」も見たいよ・・・たまにはね
2024年12月13日
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2024年新人選手入団発表会心の準備はできたかな?2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは2024年12月9日 親入団選手の合同入団発表会がありましたねちょっと遅くなってしまったけど 球団発表のニュースから各選手の自己アピールなどを拾ってみたよ みんなで応援しよう!藤川球児監督のことば 今、私たち阪神タイガースの戦力というのは12球団で屈指だと自負しております。その中でこの9人の選手、育成選手もいますけれどもすごく激しい競争があると思います。私たち阪神タイガースが立派に彼らを育て上げて、親御さんの元を離れて素晴らしい社会人、それからプロ野球選手として活躍してくれる姿を想像しますが、それぞれ特徴が違いますから、それは選手たちから自己アピールを聞いてみたいですね。伊原陵人選手 ドラフト第1巡目 背番号1818番はプロ野球界でもエースナンバーと言われる番号なので、とにかくこの番号に恥じないように一生懸命自分のプレーができればいいなと思います。コントロールが一番自信を持っているところなので、そこは大事にしたいなということ、ボールのキレも一つ自分の持ち味なので、そこも見ていただきたいということ。あとピッチングスタイルは強気に攻めるというところが持ち味ですので、前面に出してマウンドで力を発揮したいなと思います。18番と言えば伊原だと言われるように頑張りたいと思いますし、その先には日本代表というところも目標に、阪神タイガースのエースになれるように頑張りたいと思います。藤川球児監督やっぱり即戦力で1年目から活躍してもらいたいなと強く願っています。彼の持ち味であるコントロール、キレ。私が一番彼の特徴的だなと思うのは右バッター、左バッターの内角の素晴らしいストレート。このボールを持って、各球団の主力のバッターたちに強烈な一発を残してもらいたいなと思っています。今朝丸裕喜選手 ドラフト第2巡目 背番号28 地元の甲子園で結果を出したいというところが一番大きかったので、そこが一番嬉しかった部分です。身長を活かした角度のあるストレートとコントロールというところが自分の武器です。まずはその伸びるストレートはどうやって投げるのかというところを一番は才木選手に聞いてみたいと思います。藤川球児監督今朝丸投手がドラフト2巡目に残っていてくれたことが、この阪神タイガースにとって非常に大きいですね。本当にありがたいことにご縁がありました。なので、彼には2年、3年、4年、5年と時間をかけて成長してもらいたいなと思います。私自身もすごく一軍で出るまで時間がかかりました。急がば回れという言葉もありますから、ゆっくりじっくり球団の新しい施設でのびのびやってもらって、近未来にエースとして出てきてもらえると信じています。木下里都選手 ドラフト第3巡目 背番号54今までピッチャーをやってきて、ずっと真っすぐに自信を持って投げてきていますし、一番磨いてきたところでもありますので、やっぱりそれを生かした力強いピッチングをお見せできたらと思います。54番の背番号は阪神タイガースにとって、一時代を担ってきたメッセンジャー投手の大事な番号ですし、その番号をいただく際にもやっぱりタイガースにとって大事な番号と言って渡していただいたので、本当に期待していただいていると思いますので、その期待に応えていかないといけないなという思いです。156キロというマックスのスピードがありますが、大台の160キロに乗っていきたいという気持ちもありますし、即戦力とも言っていただいたので、開幕の一軍を目指してまずは取り組んでいきたいという気持ちと、1年間怪我無く、勝利に貢献していきたいと思います。町田隼乙選手 ドラフト第4巡目 背番号43ずっとNPBのユニフォームを着たいと思ってやってきましたし、阪神タイガースという歴史や伝統のある球団に入らせていただいたので、それに恥じないような選手になっていきたいと思っています。背の高い大きいキャッチャーというところと、強肩が売りです。阪神タイガースで言えば、梅野さん、坂本さんなど第一線で活躍されているキャッチャーがいるので、その方にまず負けないように、そして超えていけるような選手になりたいと思います。独立リーグという厳しい環境でやってきたという自信もありますし、独立リーグ出身でNPBの舞台で活躍できれば、もっと独立リーグへの見方も変わってくると思うので、そういうのを代表できるように頑張りたいと思います。佐野大陽選手 ドラフト第5巡目 背番号45野球人生で初めての縦縞のユニフォームを、この伝統のある阪神タイガースで着ることができて、とても光栄に思います。指名漏れを経験して、この1年野球だけをやってきました。独立リーグで1年間、野球人としてすごく勉強させてもらいましたし、富山の球団には感謝しかありません。正確な送球、正確な補球、堅実な守備がセールスポイントだと思います。OBである鳥谷敬選手に小さい頃からあこがれていました。ショートを守っている時の立ち姿だったり、打席に入っている構えだったり、華のある選手だと思っていますので、鳥谷選手のように華のある選手になれるように頑張っていきたいなと思います。工藤泰成選手 育成ドラフト第1巡目 背番号127(セールスポイントは)ストレートの強さと変化球のキレです。目標は阪神タイガースの石井大智投手です。同じ秋田出身ということもあって、大学の頃から注目していたのですが、今シーズンもタイガースの勝利を担うような投手だったので憧れています。去年の指名漏れから一年間本当に野球に向き合ってきてストイックに生活してきました。独立リーグで培ったハングリー精神というものを忘れずに、頑張って支配下になりたいと思います。嶋村麟士朗選手 育成ドラフト第2巡目 背番号128こうしてタイガースのユニフォームを着てますます実感が湧いてくると共に、早くこの3桁の背番号を2桁もしくはそれ以外にしたいなと思います。コンスタントにヒットが打てるのと、広角にヒットが打てるのが自分の持ち味ですし、キャッチャーではセカンドスローだけでなく、1塁ランナーや3塁ランナーだったり隙のあるランナーをどんどん刺していく、そういう視野も自分にあると思うので、やはりそこは見てもらいたいです。藤川球児監督(同じ高知商の出身と振られて)ドラフト候補にはおそらく阪神タイガースだけではなくて、他球団でも上がっていたと思いますが、たまたまご縁があって来てもらえたというところでは、彼の明るい性格が、また育成から這い上がる強みにも変わると思いますし、独立リーグでプレーしてきた選手というのは、自分で立ち上がらなければプレーが続けられないんですね。プロの世界では必ずどこかで這い上がれなければいけないシーンがあるので、そういった意味ではこの彼の明るさというのは、それを兼ね備えてるんじゃないかなと思っています。嶋村麟士朗選手 育成ドラフト第2巡目 背番号128タイガースのユニフォームを着て、伝統のあるタイガースの一員になれたということを実感できているなと思います。自分の特徴がすごく岩崎選手と似ていて、右と左でまた違うと思うんですが、そういった特徴をどのように生かして一軍の舞台で活躍できているのかということを聞いてみたいなと思っています。今年5月にくふうハヤテの選手として甲子園で投げさせていただいて、マウンドからの景色というのはすごく鮮明に覚えていますし、あの時はビジターだったんですけど、次はホームの一軍の舞台で投げて活躍したいなというふうに思っています。一日でも早く支配下登録を勝ち取って、甲子園の舞台で活躍出来るように頑張ります。川﨑俊哲選手 育成ドラフト第4巡目 背番号130セールスポイントは、小柄ですけど直球を一発で仕留められるバッティングの強さだったり、長打力だと思っています。支配下登録を勝ち取って、一軍の舞台でレギュラーとして出られるような選手になりたいです。(輪島市出身ということで)1月1日に地震があって、9月21日には大雨で本当に大変な1年で、輪島の方、能登の方は暗いニュースばかりで、僕はそこで輪島のために、能登のためにと取り組んで、このドラフトで指名された時は本当に嬉しかったですし、少しでも輪島の方、能登の方に明るいニュースが届けられたことを嬉しく思います。まだこれからしっかり一軍の舞台に上がってもっともっと明るいニュースを届けたいなと思っています。ファンの方に名前を覚えてもらい、しっかり一軍の舞台で活躍できるように、ファンのため、そしてチームのため、石川能登のために全力で頑張っていきますので応援よろしくお願いいたします。遠慮はいらないわ みんな上を目指せ! 入った以上は委縮しちゃったら負けよ 貪欲に上を目指してほしいな 気を付けないといけないのは 一人前にならないうちに野球以外に気を取られてしまうことかな いろんなお誘いがあるだろうし取材もあったりするけど 大谷選手を見習って集中よ!よそ見をしてると振り落とされてしまうからはやく顔と名前と背番号覚えなきゃ!
2024年12月12日
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2代目タイガース非公式サイトですガールズメタルバンド紹介の4回目だよ今年7月に「クルシファイド バーバラ」を紹介してからだいぶ間が空いちゃったので久しぶりの更新ね今回ご紹介するのは「ヘルキャッツ」というバンド 実は2代目もごく最近まで知りませんでした 東ヨーロッパでは先駆けとなるオールガールズメタルバンドなの 結成されたのはスロベニアという国なんだけど どこにあるかすぐピンとくる? 次の地図でスロベニアの位置を確認してみてね 地図のちょうど真ん中あたりこのバンドは音楽学校に通っていた子供の頃に一緒に演奏を始めたサーシャ・ザゴルツとソーニャ・ザゴルツの姉妹がリーダーとなって2003年にスロベニア中央部にある首都リュブリャナで結成されてます 次の写真のようにとても素敵な街です 結成された当時のメンバーは サーシャ・ザゴルツ/ベースギター ソーニャ・ザゴルツ/ドラムス カーチャ・マベック/リードギター アジュダ・コヴァヴィッチ/ヴォーカル 最新メンバーは今確認できる情報では次のようになってるらしいわ サーシャ・ザゴルツ/ベースギター ソーニャ・ザゴルツ/ドラムス ミア・マリニッチ/リードギター サラ・シメウノヴィッチ/ヴォーカル 最初に出してるのはEP版で「ヘルキャッツ」というバンド名と同じ題名の曲 デモ版だったのかもしれないね これが2011年 その後ロシア クロアチア ボスニア・ヘルツェゴビナなどの音楽祭で演奏してたんだけど2013年に初めてのアルバム「Divja pot」をリリースするのね これはすべてスロベニア語で歌ってます 2014年にはイタリアツアーで初めて西ヨーロッパへ進出するのに合わせ 改めて英語翻訳版の「Warrior Princess」をリリースします次の写真の左がスロべニア語版で右が英語版だよ ジャケットのデザインそのものは同じよね 現在のガールズバンドは80年代アメリカのHR/HMウェーブの影響を受けてることが多いんだけど 結成したころのヘルキャッツもそんな感じがするね メロディーはすっきりとしていて ほとんどコーラスで占められています 曲調は複雑さがなくとてもキャッチーだわ このアルバムには特別に目立つトラックがない代わりにデッドタイムがないのね 全体が雰囲気の好い仕上がりになっています でも「Heavy Metal」 「Viking」「Bojevnica」 「Demon Sanjam」などはヘビーメタルと呼んでもいい曲だよ セカンドアルバムは2019年1月リリース「The Hex and the Healer」(次の写真がジャケット)なんだけど ファーストアルバムから5年以上たってるのよ その間にはミュージックビデオを4本リリースしているだけなんだよね どちらかというと彼女たちがツアーを中心に活動してることが寡作になってることに影響してるかな ザゴルツ姉妹は 2015年から始まった初の女性だけのロックバンドによるフェスティバル「Dan Rock Žena」の創設者としても有名で現在も主催者です バンド演奏活動だけじゃなく プロデューサーとしてフェスの開催や新しいバンドの発掘などを精力的に手掛けてる 下の写真は2024年に行われたフェスティバルのポスターです(スロベニア語だね) 来年が10周年になるのよ 2021年6月にはサードアルバム「CAT TALES OTHER LES」を発表してます この辺りから曲調が変化してきて はっきりと80年代の乗りとは違うなと感じられるようになってきてますね 2023年2月にリリースした4枚目のアルバム「END OF DAYS」は 「これがHELLCATS?」とおもっちゃうほど すこしアーティスティックになってるしヴォーカルが変わったこともあるけど 歌い方はデビューアルバムと比べて同じバンドに思えないくらい違ってます 2代目としては1枚目と2枚目は好きだけど だんだん離れていっちゃうなあ・・・って残念なのよ でも音楽は聴く人の感性によってさまざまな聞こえ方をするから 3枚目や4枚目が気に入る人もあるとおもう 1stアルバムは通販でもCDが手に入りやすいよ 2枚目以降はちょっと手に入りにくいけどアマゾンミュージックなどでストリーミング再生はできるよ ぜひ聴いてみて!
2024年12月11日
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来季はとんでもないことになりそう2代目タイガース非公式サイトですやっぱりというか・・・12月4日のデイリー新潮さんの記事にもあったように 巨人ならやるかもとはおもってたメジャー行かないならジャイアンツだろうなってね ライデルさんも苦渋の選択?それとも代理人任せ? まあどっちにしても2年24億なんて 日本の球団では巨人くらいしか出さないわね まず中日スポーツさんの記事を見てみよう2024/12/10 16:17中日から自由契約となっているライデル・マルティネス投手(28)が、巨人と来季から2年契約に合意したと、複数の関係者が認めた。全米野球記者協会所属のフランシスコ・ロメロ記者が日本時間10日に記したX(旧ツイッター)によれば、契約の総額は1600万ドル(約24億円)になる。また、プエルトリコや日本の野球を取材するエドウィン・エルナンデス記者はXで「当初、最有力候補とされたのはDeNAだったが、金銭面で折り合いがつかず、ソフトバンクは『この金額を了承するか、または契約しないか』という類のオファーだった」と記した。 この一報を受け、地元キューバメディアのシーベル・クーバは「巨人の大いなる戦力強化は、疑う余地がない。ライデル・マルティネスは日本プロ野球の盟主である球団で、ラテン系投手の象徴となる」と、鼻高々だった。 「マルティネスは素晴らしい活躍により、日本プロ野球の象徴としての地位を確立した。昨季はラテン系投手のシーズン新記録を更新する歴史的な43セーブを挙げ、防御率1・09をマークした。それまでの記録は、2021年にベネズエラ人のロベルト・スアレス(現パドレス)が阪神で挙げた42セーブだった」 さらに、同メディアは「日本プロ野球におけるキューバ選手の存在感は大きく、その中心にいるのがマルティネスやリバン・モイネロ(ソフトバンク)だ」と紹介した。先手必勝が来季の条件! 大山さんに振られた分では全然足りない額だけど マルチネス投手の価値はそれくらいあるよ 出てきたらもうダメ 諦めちゃうような投球するからね 読売としては やっぱり今年CSで敗れたのがよほど悔しかったんだろうなあ 来季は確実にリーグ優勝・CS突破・日本一を目指してなりふり構わずという感じだわ 来季のタイガースは対ジャイアンツ戦では先取点取ってリードを守り切る野球を徹底しないといけないね 中継ぎ陣には負担がかかりそう ブルペンの投手たちの体調管理が重要だし 一人でも多くの投手に負担を分散しないとシーズンを通して勝っていくことはできないよ
2024年12月10日
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現役ドラフトの結果は?2代目タイガース非公式サイトです 12月9日に実施された現役ドラフトの結果が出ていますね タイガースが1巡目にリストに挙げたのは先日の予想してた5人の選手の中の一人・浜地真澄投手だったね そしてDeNAに指名されたよとりあえず記録に残しておく意味でも各チームがだれを指名したか書き留めておくね セリーグ1巡目巨人 田中瑛斗投手(日本ハム) 阪神 畠世周投手(巨人) DeNA 浜地真澄投手(阪神) 広島 山足達也内野手(オリックス) ヤクルト 矢崎拓也投手(広島) 中日 伊藤茉央投手(楽天) 確かに浜地投手のリスト入りはあり得るなとおもってたけど DeNAとはまた嫌なところに指名されたね タイガースが苦手にしてるチームだとおもうし そこへ自チームの投手が行くのはちょっとなあ・・・実績もある投手だけに戦力になると厄介だよ ではタイガースの指名した畠世周投手(巨人)はどんな選手なんだろうね 一瞬は「台湾の人かな?」とおもっちゃったけど「はたけ せいしゅう」と読むんだってね広島県呉市出身で国籍は日本1994年5月31日生まれの30歳 右投げ左打ちの投手身長は186センチと大柄だね 体重が82キロ近大福山高校から近畿大学 テル君の先輩になるのね2016年のドラフト2位で読売ジャイアンツに入団してます選手としての特徴はというと プロ2年目の2018年に三軍で速球が自己最速となる156km/hを記録[してる 変化球はスライダー・カットボール・カーブ・フォーク・チェンジアップなど球種は豊富 投球フォームはタイガースで言うと伊藤将司投手を右にしたような投げ方らしいね プロ通算8年間で2023年だけが一軍での登板がないけどあとは毎年投げてる 今のところ2021年がキャリアハイだね 52試合に登板して先発も9回あるよ 96回2/3を投げて4勝3敗1ホールド11セーブ、とくに投球回数とほぼ同じ97三振を奪ってるのが好いし 防御率3.07というのも悪くはないよプロ通算では119試合19勝12敗2セーブ19ホールド 291回1/3で防御率は3.21とオールラウンドだね ただし2023年は登板がなく 2024年も1試合しか投げていないのは気になるとこだわ 手術やケガが多いのもちょっと気がかりね2016年のドラフト後に右肘の遊離軟骨除去手術2018年は2月のキャンプ中に腰を痛め三軍での調整 9月に一軍登録2019年は7月18日に3年前同様の右肘の遊離軟骨除去手術2020年は春季キャンプ中の2月29日に右肩の肉離れ2023年は3月23日に右肘関節鏡視下クリーニングの手術 結局手術歴を見る限りでは 2016年から右肘に爆弾を抱えたまま今も引きずっているって感じがするよね 根本的にフォームに問題があるのかもしれないよあまり期待することなく「働いてくれたら儲けもの」とおもったほうが好さそうねパリーグ1巡目ソフトバンク 上茶谷大河投手(DeNA) 日本ハム 吉田賢吾捕手(ソフトバンク) ロッテ 石垣雅海内野手(中日) 楽天 柴田大地投手(ヤクルト) オリックス 本田圭佑投手(西武) 西武 平沢大河内野手(ロッテ) セリーグ2巡目 広島 鈴木健矢投手(日本ハム) 今年は実施3回目にして初めて2巡目まで実施されたね ただし2巡目で指名したのは広島のみ 他の11球団は指名を見送りました今年の特徴としては 上茶谷大河投手(28)・平沢大河内野手(29)・矢崎拓也投手(26)と3名のドラフト1位選手が含まれていたことかな みんな年齢的にはまだまだやれる選手だから新しい環境で頑張ってほしいね タイガースに目を転じてみると 昨年2017年ドラフト1位で阪神に入団した馬場皐輔投手が巨人に移籍してるから 今年阪神が巨人の畠世周投手を指名したことで実質的に1年越しのトレードみたいな格好になったわ なんか変な感じだなあ・・・っておもう
2024年12月10日
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背番号27(その8)背番号27の第8回目です着けてる期間が短い人が多いからもう8回目になりましたよ残すところあと4名 一気に行きたいところだけど2名づつの紹介にして「その9」までにしますさて前回まで5人連続で捕手が着けてたよね でも今回の一人目は投手でしかも外国人選手 もう一人も投手で今シーズン(2024年)を最後に引退した選手です お分かりになります? では本文へ スコット・アッチソン 投手アメリカ合衆国テキサス州デントン出身。1994(平成6)年、マクロー高校時代にシアトル・マリナーズから指名を受けたがプロ入りせず、テキサスクリスチャン大学へ進学。4年後の1998(平成10)年に再びマリナーズが指名し、今度はプロ入りしている。メジャーデビューは2004(平成16)年7月で、この年は25試合2勝3敗、防御率3.52だった。翌年は6試合しか登板がなく、2006(平成18)年にはメジャーで出場が無いままオフにサンフランシスコジャイアンツに移籍。2007年は22試合で5ホールドを挙げたものの、オフにマイナー行きを拒否してフリーエージェントとなり、結局ボストン・レッドソックスとマイナー契約する。この年のオフ、タイガースはヤクルトとの交渉が難航するセス・グライシンガーの獲得に動いたが読売にさらわれてしまった。一方でアッチソンの情報をつかんでいたため即獲得に動きレッドソックスから契約を譲渡される形で2008年1月にタイガース入団が決まる。背番号は岡崎から「27」を譲られた。1年目の2008(平成20)年、岡田監督が当初先発として起用しアッチソンは開幕から3連勝する。しかしシーズン中盤になると「肩のスタミナがなく、80球程度で球威が落ちる」ということが分かってきたためファームに落としリリーフ転向を図ることになった。後半戦ではセットアッパーとして8月以降1点も与えず18ホールドを稼いでいる。2009年はアッチソンから藤川につなぐ方程式が確立し、両リーグ最多の75試合に登板して5勝3敗30ホールド。90イニングを投げて自責点17、防御率1.70と驚異的な数字を残した。特徴は投球テンポが速く打者に考える暇を与えないことで、小さく動くボールや大きなナックルカーブを多彩に駆使して三振もかなり取れる投手だった。もちろんコントロールも好く、フォアボールで自滅するような投手ではない。素晴らしい成績を挙げたことからシーズンが終わるとタイガースは引き留めにかかったが、日本での活躍はアメリカにも伝えられており、レッドソックスがメジャー契約を打診してきたこともあってアッチソンはタイガース退団を選んだ。その後はアメリカに戻り、レッドソックス、メッツ、インディアンズで中継ぎとして活躍し、2016(平成28)年1月に引退している。タイガースにおける2年間の成績は117試合(先発12)12勝9敗48ホールド、194回2/3を投げ46四球、166奪三振、自責点60で防御率は2.77。秋山 拓巳 投手(再掲)今回2人目の秋山投手はすでに背番号「21」で紹介しているので 一部修正を加えたうえで再掲となります。香川県丸亀市出身だが父親の仕事の関係で愛媛県西条市に転居している。少年時代から投打に優れた才能を発揮し頭角を現すのは早かった。 高校は地元の西条高校へ進み、当然のように1年生でエース兼4番としてチームの中心になり、3年時の2009(平成21)年には春夏とも甲子園に出場し、長身から投げ下ろす本格右腕としてプロの評価も高まった。一方左打者として高校通算48本塁打を記録したようにバッティングもポテンシャルは高く「伊予ゴジラ」と呼ばれる強打者でもあった。2009年のドラフト会議ではタイガースが4巡目に指名して入団しており、最初にもらった背番号は「27」だった。高卒新人投手は通常30番台から40番台が普通なので、秋山への期待の高さがうかがえる。 ルーキーイヤーの2010(平成22)年8月21日の東京ドームでの読売戦で初登板初先発のチャンスが来る。秋山は5回まで3-2とリードをもらうが6回に2失点で負け投手になる。成績は6回を投げて打者27人に対し6安打3四球5三振4失点だった。一週間後の8月28日のヤクルト戦では5回1失点でプロ初勝利を挙げている。前回登板に続き4四球と請求には課題が残すが、9月12日のヤクルト戦では制球も修正され被安打4奪三振3でプロ初完封勝利を飾っている。1年目は7試合に登板しすべて先発で4勝3敗、40回1/3を投げて奪三振23、自責点15防御率3.35の成績で、近い将来ローテーションの柱になるのではという期待が膨らんだ。 ところが2年目から6年間に及ぶ長期の低迷期に落ち込んでしまう。その間の成績は次のように寂しいものだった。 2011(平成23)年 2試合0勝1敗 7回1/3 防御率6.14 2012(平成24)年 2試合1勝1敗 8回 防御率9.00 2013(平成25)年 8試合0勝3敗44回2/3 防御率3.83 2014(平成26)年 2試合0勝1敗 6回2/3 防御率20.25 2015(平成27)年 3試合0勝1敗14回1/3 防御率4.40 2016(平成28)年 8試合1勝1敗20回 防御率4.05 高校時代には剛腕を誇った秋山だったが、プロ入り以降は一向に球速が上がってこない。平均球速が140キロ前後の投手のままで、これではストレートと変化球のスピード差による緩急がうまく使えない。この6年間は自分の投球スタイルをどうしていくか模索と苦悩の連続だった。そうした中で投げ込んでいるうちに増してきたのが制球力。非常にコントロールが良くなって。きわどいコースの出し入れが自在になってきた。これが武器になっていく。2017(平成29)年は背番号が「27」から「46」に変えられたが、秋山は1年間ローテーションを守って25試合25先発、12勝6敗、159回1/3を投げて規定投球回数もクリア、与えたフォアボールがわずか16個というのはリーグ最少だった。奪三振123は自己最多、自責点53で防御率は2.99とぎりぎりだが2点台を叩き出し、大変身を遂げた。なんといっても制球力が抜群に向上して四球を与えなくなったことが一番の成長だろう。ところが2018(平成30)年は右ひざの半月板を痛めて5勝10敗に終わり、手術を受けたが引退まで完治することはなく秋山を苦しめる。2019(令和元)年はケガの影響により4勝3敗、打線とかみ合わないめぐりあわせも多く低迷する。しかし、2020(令和2)年はローテーションの一角を守って11勝3敗と2度目の二けた勝利を挙げ、防御率も2.89で内容は安定していた。続く2021(令和3)年もローテーションを死守し、10勝7敗で2年連続二けた勝利。防御率も2.71と自己最高を記録している。シーズン終了後の契約更改ではプロ12年、30歳にして1億円プレーヤーとなった。2022(令和4)年には岩田の引退により背番号「21」を引き継いでいるが、一方でチームの編成方針が変わってくる。近年ドラフトで投手を上位指名してきており、選手起用を見ても投手陣全体の若返りにシフトしたような様相になってきた。秋山は開幕早々2連敗すると4月10日に登録抹消され、28日に復帰して1勝するがまた打ち込まれて抹消。その後は2軍でシーズンを終え、公式戦は5試合1勝3敗で防御率5.48に終わっている。2023(令和5)年に岡田昭信監督が就任すると若手優先の傾向が強まり、秋山は1年間の大半を2軍で過ごした。テスト的に開幕直後と8月の2度先発の機会が与えられたが0勝1敗で、結果が出ないとすぐ抹消されている。結局2試合0勝1敗で、オフにはトレード候補や現役ドラフト候補などと周囲からささやかれたが残留できた。2024(令和6)年は正念場を迎えたと言っていいだろう。しかし相変わらず一軍に呼んでもらえない。ストレートのスピードが最速130キロ前後に落ちたのが致命的で、カットボールに頼るだけのピッチングになってしまった。それでもコントロールの良さは健在で、コースを正確に突くため空振りより見逃しの三振を取ることが多かった。練習ではポール間ダッシュを繰り返すなど、スタミナを維持するメニューに取り組み先発投手として現役続行を模索したが、ウェスタンで17試合3勝5敗、防御率4.62の成績に終わり9月13日、球団を通じて引退を表明。通算成績は134試合(先発126)49勝44敗、733回2/3を投げて540奪三振、130四球、自責点298、防御率3.66だった。まとめアッチソン投手は中継ぎに回ってから予想外の能力を見せたんだってね 藤川さんとのコンビでは22試合連続負けなしという記録も作ったんだよスピードは驚くほどじゃないけど小さな変化をする変化球が打ち辛らかったらしいね 回またぎもできるセットアッパーとして3年目も残留が期待されたけど残ってくれなかった秋山さんはついこの前まで現役だったから皆さんよく知ってるよね 新人の時にいきなり4勝してから時間がかかってしまったけど 一次はローテを守って二けた勝利するなどよく頑張ってくれたんだね 2018年の半月板損傷と手術のあとは違和感が残り続けて どうしてもそれ以前の投球ができないまま引退に追い込まれてしまったのは残念!2代目は もし秋山さんが野手として本格的にやってたらどうだったのかなっておもっちゃうんだよね 高校の時に見せたパワーをもってすれば意外に中心打者になってたかもしれないけど本人は「投手人生に悔いはない」って言ってるようね 若いころからユニフォームの着こなしがきれいだったって言われてるけど ファームの試合でもいつも真っ白でピシッとしてたなあ アッチソンさんはセットアッパーになって以降は滅多に点を取られない投手だったのよ 引き留めが成功してたらマジで何回か優勝できてたかもしれないよ背番号27―9につづく
2024年12月10日
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テル君に疑問符!?2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは またまた聞き捨てならない記事が出てるよ12月4日に出演した関西ローカル番組での発言に「いろいろな声が上がってるのよ タイガースというチームで主力選手である以上こういうことは避けられないけど どんな記事かアサ芸プラスさんの全文を掲載しますね藤川球児監督が野放しにする「リーグ失策王」佐藤輝明が堂々と言い放った「メジャー移籍宣言」阪神・藤川球児監督が打ち出した、佐藤輝明に対するオフの放任主義に、早くも懸念の声が出ている。藤川監督は秋季キャンプ終了後、チームリーダーとしての自覚が芽生えたとして、「(オフは)は放っておいて大丈夫」だがこれに疑問を唱える球界関係者が、あとを絶たないのだ。スポーツ紙デスクが代弁する。「サトテルはどちらかといえば、勘違いするタイプ。昨オフは米シアトルのドライブライン・ベースボールに出向き、体の使い方に関するトレーニングに励みましたが、その前に守備力強化など、日本でやることが山積みになっていたはず。それをおろそかにして、大谷翔平などと同じような取り組みをするのは100年早い、との声が多かった。『砂の上に家を建てるようなもの』と揶揄するOBもいましたね。今オフも本人任せにすれば、同じような間違いを犯すかもしれません」飛躍のために新たなトレーニングに取り組むことはいいが、危険性も孕んでいる。その最たるものが、堂々の「メジャーリーグ移籍宣言」だ。12月4日に出演した関西ローカル番組で、悪びれることなくこう言ったのだ。「(メジャーリーグは)小さい頃からの憧れでもある。チャンスがあれば目指したい」そして今季は4番、5番を打つことが多かったが、「前の打順を打ってみたい、という思いがないこともない」公式戦では一度も経験したことがない1番でも起用を直訴するような発言が出たのだが、リーグ失策王が守備に関してコメントする場面はなかった。ここ数年の阪神の戦い方は、12球団一といわれる投手陣を中心とした守りの野球で、来季のメンバーを見る限り、打撃力が飛躍的にアップすることはないだろう。それだけに、失策王には守備力の徹底強化が求められる。野放し、放牧状態にするのは危険でしかない。(阿部勝彦) なるほどなあ・・・と思わせるような内容ね確かにテル君は集中力にやや欠ける面や練習にも独自の偏りのようなものがある気はするんだよね 周囲の言うことを聞きすぎて返って迷ってしまってダメになる選手も多いんだけど 耳を貸さないのもいけないよねそれと発言はいうべき時と時期尚早なときなどでは取捨選択しないとね 言ったことが独り歩きして意に反する解釈を報道されちゃったりするから・・・すぐ事件みたいになっちゃうのよ期待が大きいからのことだけど 自分が「これだ」と感じた人のアドバイスはしっかり聞いて継続しないとね
2024年12月09日
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大竹さんや細川さんに続く大ブレークは起きるか?2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは本日12月9日 第3回現役ドラフトが行われるよまずFULL‐COUNTさんの記事を抜粋して過去2年を振り返ってみるね次なる“ブレーク枠”は誰に…注目される第3回現役ドラフト出場機会に恵まれない選手の移籍活性化を目指す「第3回現役ドラフト」が9日、行われる。過去2年で計24選手が新天地に移り、2桁勝利やベストナインというブレークが生まれた。一方ですでに10人が戦力外通告を受け、9人が退団しているという厳しい現実もある。2022年組は細川&大竹が大ブレークした2022年の第1回で飛躍したのが、細川成也外野手(DeNA→中日)と大竹耕太郎投手(ソフトバンク→阪神)だ。細川は移籍初年度にキャリアハイの24本塁打、78打点をマーク。今季もチーム2冠の23本塁打、67打点でベストナインに輝いた。また大竹も2年連続で2桁勝利をマークするなど“成功例”といえる。2023年組は内間と櫻井がわずか1年で戦力外となった2023年の第2回では、水谷瞬外野手(ソフトバンク→日本ハム)が1軍デビューを果たしたどころか交流戦MVPに輝くなど大ブレークした。佐々木千隼投手(ロッテ→DeNA)は、28試合の登板で防御率1.95と復権を示した。漆原大晟投手(オリックス→阪神)、長谷川威展投手(日本ハム→ソフトバンク)、鈴木博志投手(中日→オリックス)、中村祐太投手(広島→西武)、梅野雄吾投手(ヤクルト→中日)は新天地で奮闘していずれも登板数を増やした。馬場皐輔投手(阪神→巨人)はわずか1登板に終わった。北村拓己内野手(巨人→ヤクルト)は48試合で打率.125、1本塁打、4打点どまり。愛斗外野手(西武→ロッテ)も52試合で打率.188と苦しんだ。内間拓馬投手(楽天→広島)と櫻井周斗投手(DeNA→楽天)はわずか一年で戦力外通告を受けた。今年はどんな選手たちが新天地に移るのだろうか。飛躍につながる移籍活性化が期待される。 どうですか? 確かに大竹さんや細川さんのような大成功はあったわけだけど実を結ばなかった例が大半だと言えそうねでも 実際にふたを開けてみないとわからないし成功例があるからにはやり続けてほしいとおもうよ 選手にとって出場機会を増やすか結局辞めていくかって分岐点になすんだけど やらなければ何も起きない リストに挙げてほしいとおもってる選手もいるはずよ2024年は誰がリストに? といっても全部の球団の予想なんて気が遠くなるので 我がタイガースに絞ってメディア報道などから予想してみよう榮枝 裕貴 捕手(高知高校) 2024年 1試合 打席なし 780万 来季5年目 一軍通算出場はわずか4試合だが、二軍では82試合で3本塁打、32打点、ОPS.727と打力も向上している。梅野隆太郎(福岡工大城東)、坂本誠志郎(履正社)の両捕手が一軍におり、伸び盛りの中川勇斗捕手(京都国際)もいて、なかなかチーム内の序列が上がりそうにない。豊田 寛 外野手/27歳(東海大相模) 2024年 11試合 19打数4安打 830万 来季4年目 今年、プロ初安打を放った苦労人外野手。二軍では90試合で打率.294、2本塁打、41打点、OPS.766と好成績を残している。特に左投手に対してOPS.905と好相性。キャンプMVPに選ばれているが、他球団に移籍したら活路が見いだせる選手。小野寺暖 外野手/26歳(大阪商大)2023年に43試合で打率.347をマークした小野寺暖。飛躍を期待された今季は、左手首のケガなどもあり25試合の出場にとどまった。阪神は近本光司と森下翔太が外野のレギュラーに定着しており、残る1枠も高卒3年目の前川右京が台頭するなど、来季もスタメン出場は限定的になることが予想される。二軍では通算5シーズンで出塁率.372と高い出塁能力を誇っているだけに、まとまった出場機会を得られれば打線に勢いをもたらせる選手。浜地 真澄 投手/26歳(福岡大大濠)高卒5年目の2022年に52試合1勝3敗21ホールドで防御率1.14でブレイクしたが、その後2年は徐々に出番が減っており2024年は18試合でホールドはゼロ。決め球がない弱点が克服されれば、制球力の良さが生かせるだけに、リストに乗れば確実に獲得球団があるだろう。熊谷 敬宥 内野手/29歳(仙台育英‐立教大)2021年には本職の内野に加えて外野もこなし、一軍で自己最多の73試合に出場。翌2022年は63試合の出場で7盗塁をマークし、代走のスペシャリストとして存在感を示した。 しかし、昨季は26試合と出場機会が減少。2024年も開幕から一軍メンバーに名を連ねたが、32試合と出番が限られた。俊足という一芸を持つだけに、現役ドラフトの対象となれば、面白い存在となるだろう。 待つしかない 複数のメディアが予想してるのは上記のような顔ぶれなのよね 「なるほどなあ」と感じてしまう選手たちであることは間違いないけど・・・ なかでも小野寺選手が一番予想が多いかなあ なかにはまだまだ伸びしろがある選手もいるよね? 実際に結果が判るのは今夜かな ちょとドキドキしながら待ってます 他球団に誰がリストアップされて タイガースが誰を獲るかというのはもう予想ができません 結果を待とうね
2024年12月09日
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背番号27(その7)背番号27の第7回目です前回は笠間さん嶋田さんと捕手が続いたんだけど 嶋田さんのあとを受け継いだのも捕手なのよね そのあとさらに捕手捕手と続きますなので今回ご紹介する3名はすべて捕手なのよ! 笠間さんに始まって5人の捕手が連続で着けるって 背番号「27」はそういう位置づけの番号になってきたのかな? まあとにかく読んでみて!山田 勝彦 捕手山田は愛知県名古屋市出身で強豪として知られる東邦高校。高校2年時には控えの投手として選抜大会に出場したが1回戦で敗退。このときリリーフで登板している。秋に新チームとなって本格的に捕手に転向するとみるみる力をつけ、東海地区ナンバーワン捕手と評価されるようになる。バッティングも好く高校通算で24本塁打を記録している。1987(昭和62)年のドラフト会議ではタイガースから3巡目で指名されて入団する。最初につけた背番号は「61」だった。ルーキーの1988(昭和63)年はファームで33試合、2年目の1989(平成元)年に初めて一軍に上がるが、出場したのは1試合のみ。3年目の1990(平成2)年はまた1年間ファームで過ごした。1991(平成3)年から一軍戦力の一角として認められるようになり、この年は66試合に出ているが打率.128。期待されていた打撃は伸びてこなかった。 背番号が「35」に変わった1992(平成4)年、「新亀フィーバー」に乗っかるように山田も台頭し、生涯唯一の100試合以上の出場を果たしている。成績は114試合313打数64安打31打点4本塁打、打率.203というもので、これがキャリアハイとなった。またこの年で嶋田が引退したため1993(平成4)年から背番号を「27」に変更している。当時は1990年に入団してきた関川耕一が強力なライバルとして存在していたため、なかなか正捕手定着ができなかった事情がある。捕手としては拮抗していたがバッティングでは関川のほうが優っていたし足も使えた。そのため関川は打力と俊足を生かせる外野手に転向していき、1996(平成8)~1997(平成9)年は山田が正捕手の座についている。ところが1997年のオフに関川がトレードで中日ドラゴンズに移り、交換で移籍してきた矢野燿大が強力なライバルとして立ちふさがったため、出場機会は激減していく。1998(平成10)年は矢野が110試合、山田は69試合とレギュラーの座を奪われ、以降は21試合、45試合、54試合、39試合と控えに甘んじている。2002(平成14)年には星野監督が就任し、そのオフに戦力構想から外れて伊達昌司とともに日本ハムファイターズへトレードされてしまった。日本ハムでは3年間プレーしており、最初の2003(平成15)年こそ40試合に出ているが、2年目が3試合、3年目は1試合に終わり2005(平成17)年オフに現役を退いた。引退後は楽天、オリックス、阪神でバッテリーコーチなどを務め、2022(令和4)年からはかつての同僚だった新庄剛志が監督を務める日本ハムで一軍バッテリーコーチを務めている(2024年現在)。通算成績は795試合1753打数360安打130打点21本塁打、93四球388三振、打率.205である。野口 寿浩 捕手(再掲)野口は背番号2で先代が紹介済みだが、非常に簡略な紹介に終わっているので詳細に改訂して掲載する。千葉県習志野市出身で高校は習志野高校。高校時代は甲子園に出場する機会はなく、1989(平成元)年にドラフト外でヤクルト・スワローズへ入団している。ヤクルトでは1990(平成2)年から1997(平成9)年まで8年間プレーしているが、古田敦也という壁が立ちふさがっており、出場機会に恵まれることが少ない状況でくすぶっていた。1998(平成10)年に、捕手不足に悩んでいた日本ハムへトレードされて視界が広がり、在籍5年間のうち4シーズンで100試合以上に出場している。在籍3年目の2000(平成12)年がキャリアハイで、134試合459打数137安打76打点11本塁打、打率.298という好成績を残す主力メンバーだった。ところが2002(平成14)年オフ、星野監督の大改革に巻き込まれてタイガースに移籍すると、矢野燿大というライバルにブチ当たってしまう。タイガースには2003(平成15)年から6年間在籍しており、2度のリーグ優勝にも控え捕手として貢献、2004(平成16)年には井川慶とのバッテリーでノーヒットノーランを達成するなど、出場機会は少ないが存在感を示している。実際に星野監督も「矢野と同じぐらいの力を持つ捕手はいざと言う時に効く。野口が一番の補強」と語ったほどだった。背番号は「27」を2年間背負った後、2005(平成17)年に「2」に変えて4年間着けている。野口は肩も強くキャッチングやインサイドワークもしっかりしており捕手としての能力は高いしバッティングもいい。しかしタイガースでの6年間の試合出場は、59試合、24試合、18試合、16試合、36試合、55試合にとどまり、あまりにも機会に恵まれない不運な選手だった2008(平成20)年オフ、野口はFA権を行使して横浜ベイスターズへ移籍する。2009(平成21)年はケガのため17試合の出場にとどまり、2010(平成22)年は屈辱の二軍スタートで、一軍では2試合に出ただけ、10月には戦力外を通告されてしまう。野口は現役をあきらめきれず、新たな働き場所を求めてトライアウトにも挑戦したが声はかからず引退している。その後2017(平成29)年から2年間ヤクルトでコーチを務めた。 通算成績は911試合2332打数582安打272打点42本塁打135四球467三振、打率.250だった。岡崎 太一 捕手奈良県五條市出身。小学生時代から捕手一筋で高校は智弁学園に進み、3年生の時に選抜と選手権で春夏甲子園に出場している。特に2001(平成13)年夏はベスト8まで進み、プロ球団からチェックされる存在になる。高校を卒業すると社会人の松下電器に入部、のちに同僚となる久保康友とバッテリーを組んで活躍し、2004(平成16)年のドラフト自由獲得枠でタイガースに入団し野口から背番号「27」を譲られている。同期入団には能見篤史がおり、のちによくバッテリーを組んだ。しかし、ルーキーイヤーの2005(平成17)年から4年間は一軍にすら上がれずファーム暮らしが続く。一軍では矢野が正捕手、二番手に野口という捕手陣がおり、岡崎の入り込む余地がなかった。そのためか背番号も2008(平成20)年から「57」へ変わっている。2009(平成21)年、ケガで出遅れた矢野に代わって開幕一軍を勝ち取ると12試合に出場したが、正捕手は115試合にマスクをかぶった狩野恵補だった。そして2010(平成22)年、メジャー帰りの城島健司が正捕手を奪い、岡崎は一軍に呼ばれることすらなかった。2011(平成23)年は城島が故障したものの、FAで移籍してきた藤井彰人が正捕手、二番手は小宮山慎二で、岡崎は7試合しか出ていない。その後も2012(平成24)年が19試合、2013(平成25)年~2014(平成26)年は日高剛の加入のあおりもあって出場機会すらなくなった。とにかく一軍出場の機会に恵まれず、どちらかというとファームの正捕手という位置になっている。2014(平成26)年にはFAで出て行った久保康友の人的補償で鶴岡一成、ドラフトでは梅野隆太郎が加入してきて頭を出そうとする岡崎のチャンスを奪っていく悪循環が続いた。2016(平成28)~2017(平成29)年はランディ・メッセンジャーや同期入団の能見が投げる試合でよく起用され、38試合、33試合と出場機会に恵まれる。2017年にはプロ入り初本塁打を放って金本監督を喜ばせたこともあった。しかし、2018(平成30)年には梅野が正捕手に成長し、坂本誠志郎や原口文仁などの台頭もあって、6試合の出場に終わり、その後の2年間は一軍の出場はゼロ。2020(令和2)年のシーズンを最後に引退を表明しタイガース一筋16年間の選手生活を終えた。通算成績は119試合146打数27安打11打点2本塁打、13四球、36三振。引退後はフロント編成部に所属し、2024年現在はスカウト。まとめ今回3人の捕手を紹介したけど 改めて一つしかないポジションでレギュラーを争う大変さが分かった気がするよ3人の中では野口さんが日本ハム時代に5年間レギュラーになってる 山田さんは1年だけ 岡崎さんは一軍で試合に出ることすら難しかった みんなライバルに阻まれることで挫折するところは同じよね 岡崎さんは16年間よく辛抱してたと思うなあ 捕手で16年在籍というのはタイガースでは最長なんだってね 実は岡崎さんは4年目ぐらいに戦力外を覚悟してたそうよ でもクビにならず16年いたんだからちゃんと役どころはあったのよ 球団が必要とする人材だったってことね背番号27―8につづく
2024年12月08日
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大山さんの余波?ジャイアンツはR・マルチネス獲りへ?2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは数日前の日記で「あるかもよ」って書いてみたところ どうもホントに動き出しそうな気配?になってるの?ん?読んでみるとデイリー新潮さんの記事は「憶測の積み重ねによる憶測」のようなもので どこまで信憑性があるのかは分かんないけどね・・・ 要点を抜粋してみますから読んでみて 2024/12/4(水) 17:12 巨人、R・マルティネス獲りへ“背に腹は代えられない”切迫事情ライデル・マルティネス投手(28)が12月2日に公示された保留選手名簿からは外れた。最大限の誠意を示したとする中日の関係者によると、球界を代表する守護神の争奪戦はDeNAともう一球団による一騎打ちの様相という。ここに来て急浮上してきた、その球団は巨人だった。前出の中日関係者は諦め顔でこう語る。「ソフトバンクの線が消えたと思ったら、また強敵が出てきました。DeNAも相当な資金をつぎ込んでくるようで、うちは蚊帳の外になってしまったようです」マルティネスは少なくとも来季は日本でのプレーを望んでいる。年俸は今季の2億円(推定)から10億円を超えるまで相場が跳ね上がるとみられている。中日にとっては慰留が絶望的と言える状況だ。 一方で、DeNAは11月末に今季中継ぎとして28試合で防御率1.71と活躍したJ・B・ウェンデルケン投手の退団を発表した。今季29セーブを挙げたクローザーの森原康平投手はセットアッパー構想が浮上し、マルティネスのためにクローザーの椅子を空ける準備に余念がないとの見方が出ている。昨オフ、今永昇太投手(カブス)がポスティングシステムにより米大リーグに移籍した際に手にしたカブスからの14億円超の譲渡金は金庫に眠っている。南場智子オーナーから全面的なバックアップが約束されているだけに、マルティネス獲得の資金に充当できそうで、中日に対しては大きなアドバンテージがある。 それでも、底力では巨人に及ばない。このほど、阪神から国内フリーエージェント(FA)宣言した大山悠輔内野手の獲得に失敗。虎の主砲に提示していた6年総額24億円超の資金はそのまま残っている。一方で巨人の最重要課題は、海外FAを行使した菅野智之投手がメジャー移籍する見通しのため、先発陣の強化である。マルティネス獲得に際し、なりふり構わぬ札束攻勢を仕掛ける必要性があるのか。 前出の中日関係者は、阿部監督がさらなるリリーフ陣の強化を目論んでいることに同調しつつも、それ以上にマルティネスを獲得しなければならない事情があるという。「同じセ・リーグのチームが戦力アップすることを阻止するためですよ。マルティネスがDeNAに行くようなことになれば自軍の脅威になりますから」「好選手を他球団で活躍させないため多少、補強ポイントからはずれていても抱えてきた歴史が巨人にはあります。今オフに大山を取りに行ったことも岡本(和真内野手)の来オフのメジャー移籍に備えると同時に、ライバル球団の阪神から主砲を引き抜くことで戦力ダウンを狙う意図があったはずです。マルティネスをDeNA入りは何としてでも阻止しにくるでしょう」(中日関係者) 「ライバル球団を強化させないために 使うか使わないかを度外視してでも横取りしておく」ってことが根拠だっていう記事ね 確かにかつてジャイアンツはそういう意味合いのやり方を得意にしていた時期もあったけどどうなのかなあ かなり無理筋の記事だとおもうよ いまどきいくらなんでもねえ・・・・でもやりかねないのが読売なんだけどね
2024年12月06日
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もう残留しかないよ!みんな待ってる原口さんFA宣言も空振りか?2代目タイガース非公式サイトです国内フリーエージェント(FA)権を行使した原口さんだけど いまのところタイガースからの引き留めの接触は3度ほどあったって報道があるね正直2代目は Cランクで金銭補償や人的補償も対象外だし 原口さんの地元の埼玉西武はファーストのポジションが空いてるようだから声がかかるとおもってたのよこのままどこからも声がかからないと最悪の場合は・・・「契約をしてくれる球団がなければ自由契約と同じ扱いとなってしまい どの球団も取ってくれないとなると、金額などの契約の条件を下げざるを得ないという状態に陥る」ということが指摘されてるわでもね 原口さんはタイガースに必要な選手! ご本人も「他から見て自分はどんな評価なんだろう」とこの機会に確かめてみたかったんじゃないかとおもうのね もし西武から好条件が出るようなことがあったら 地元だしかえって迷いに迷って困ってたんじゃない? 大山さんと一緒でタイガースファンから愛されているってこともよく承知してるだろうし「空振りか?」なんて書いちゃったけど 原口さんの場合はタイガースにいることが求められる存在なのよ タイガースこそふさわしい居場所だからどの球団もちょっかい出してこないファンは原口さんの残留を待ってるよ楽天退団のマー君は厳しくなってきてる 年俸高すぎるからFA宣言できなかったんだろうし 「安楽事件」でチームの輪を乱す選手というイメージがついちゃったし 楽天がマー君に提示した以上の金銭を出す球団は無いだろうなって楽天のファンからも惜しむ声はあまり聞こえないよ そもそも力の衰えがひどいからね 中継ぎがせいぜいなのに連投はきかない これってほしい? 原口さんはまだまだスタメンだって行けるし 複数ポジション守れる強みもあるし 代打では勝負強いし 一番なのは人柄も好くてタイガースファンから絶大な支持を受けてるってことよ マー君に比較してとても幸せだとおもう そういう意味でも残留選択しかないんじゃない?球団側も悪いようにはしないとおもう2024年12月4日(水)7:30国内FA権を行使している阪神・原口の状況について嶌村本部長が3日、「現状まだ返事(はない)というか、もう少し考えたいところがあるみたいです」と明かした。すでに原口とは複数回にわたって交渉を行っており、球団は決断を待っている状況。同本部長は「こちらとしては待つ以外のことはありませんので。本当に、戦力として考えておりますので」と熱く語った。 今の状況では もう気持ちの整理をして早くタイガースと契約すべきだよ ファンも待ってるんだから
2024年12月04日
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背番号27(その6)背番号27の第6回目です今回も寂しい内容になっちゃいそうです 2名はトレードで来た選手 3人目は期待されてた選手なんだけど 3人とも全くダメだったわけではないよ でも貢献してくれたのかって聞かれれば それほどの活躍はできなかったと言うしかないのよ とにかく読んでみてください宇田 東植 投手 東京都杉並区の出身。在日コリアンで本名は朱 東植(チュ・ドンシク)。中学時代は内野で主にサード。拓大一高に進学して投手へ転校している。1年時夏の東東京都大会3回戦でノーヒットノーランを達成しているが、3年間甲子園出場はならず、1967(昭和42)年に中央大学に進む。東都リーグでは35試合で9勝3敗、1970(昭和45)年のドラフト会議で東映フライヤーズから4位指名を受けてプロ入りした。変化球を主体にした右アンダースローの投手で、プロでは中継ぎで投げることが多かった。東映では1981(昭和56)年まで11年間在籍しており、142試合(先発39)16勝18敗の成績だった。1979(昭和54)年がキャリアハイで39試合(先発7)に登板、135回と規定投球回をクリアしており9勝3敗、防御率3.47だった。 1981(昭和56)年のオフ、年が明けた1982(昭和57)年1月に、榊原良行との交換でタイガースに移籍してくる。榊原は中央大学時代に宇田の1年後輩だった。 背番号「27」で迎えた1982年のシーズンはすべて中継ぎで29試合に登板、42イニングながら防御率は2.57で悪い成績ではなく残留もありえた。 ところが前年に韓国でプロ野球リーグが始まり、在日コリアンの宇田にも声がかかったようで、余力があるうちにと1983(昭和58)年にヘテ・タイガースに入団する。阪神タイガースで「27」を着けたのは1年だけということになった。 韓国ではどちらかというと先発で活躍しており、2年間で48試合(先発31)13勝12敗3セーブ、防御率2.97の数字を残したものの、待遇の悪さに辟易しており2年で日本に戻り引退している。 その後は地方局などの野球解説などで活躍した。笠間 雄二 捕手(再掲)笠間は背番号13-3で紹介済みだが、若干の改定をして再掲する。石川県金沢市出身。金沢高校時代には1年先輩に堂上照(元中日)がいたが甲子園出場はなく、1971(昭和46)年に社会人の電電北陸に入団する。社会人時代はバッティングの良い捕手として「北陸の田淵」と呼ばれるほど強打をふるった。 1973(昭和48)年のドラフト会議では太平洋クラブライオンズの5位指名を拒否、1974(昭和49)年には阪急ブレーブスの3位指名も拒否してなかなかプロ入りしない。 1975(昭和50)年に読売ジャイアンツから6位指名を受けてようやく入団を決めている。 1977(昭和52)年から一軍で起用されるようになるが、1978(昭和53)年に山倉和博が入団してきて、笠間の出番は減ってしまう。 1979(昭和54)年のオフ、交換トレードで阪急へ移籍。しかしここでも正捕手の中沢伸二という厚い壁があり、1980(昭和55)年の出場は26試合にとどまり、同年11月に片岡新之介との交換によりタイガースに移籍する。 タイガースでの1年目は1981(昭和56)年、片岡からスライドした背番号「13」で臨むが、正捕手の若菜嘉晴がいたこともあり36試合しか出場できなかった。 しかし翌1982(昭和57)年になると、女優K・Sとのスキャンダルの発覚で若菜の出場が73試合に減ったのに対して、笠間は88試合に増えており立場が逆転している。ホームランも8本でスラッガーとしての感覚が戻ってきた。しかもこの年のオフ、若菜が自由契約となって大洋ホエールズへ移籍したことで正捕手の座が確実になる。 1983(昭和58)年は127試合に出場、規定打席をクリアして103安打を放ち打率.271を記録。ホームランも12本と気を吐いてオールスターにも出場するなどプロ入り後最高のシーズンを過ごしている。1984(昭和59)年は背番号を「27」に変えてさらなる飛躍を目指したが、もともと爆弾を抱えていた右ひじ故障が悪化したこと、二番手捕手の山川猛が伸びてきたこと、前年入団した木戸克彦を球団が正捕手に育てる方針であることなど、一気に逆風が吹き、わずか37試合に出ただけで引退に追い込まれる。最高のシーズンの翌年に思いもしない幕切れだった。 引退後は、読売、阪急、タイガースでバッテリーコーチやスコアラーとして貢献、タイガースでは山田勝彦を一人前になるまでつきっきりで育てた。 通算成績は397試合839打数198安打85打点25本塁打、91四球160三振、打率.236である。嶋田 宗彦 捕手和歌山県有田市の出身で高校は簑島高校。2年時から石井毅(元西武ライオンズ)とのバッテリーで4期連続甲子園出場。3年時の1979(昭和54)年は史上3校目の春夏連覇を達成。卒業後はバッテリー共に地元社会人の住友金属に進んでいる。高校通算20本塁打。 社会人野球で5年間プレーし、1984(昭和59)年はロサンゼルス五輪代表、社会人ベストナイン捕手などの実績を挙げてドラフト4位でタイガースに入団する。背番号は笠間から「27」を引き継ぎ現役の8年間着けた。1984年のドラフト1位が5歳年下の実弟・嶋田章弘(投手・簑島高)だったのも「兄弟同時入団」として話題になった。章弘については「タイガース背番号史 15-4 | タイガース非公式サイト2代目 - 楽天ブログ」を参照。 嶋田のルーキーシーズンは日本一に輝いた1985(昭和60)年で、正捕手として木戸克彦がいる中で30試合に出場している。 嶋田は日本シリーズも打席に立って打点を記録している。ルーキーの選手が日本シリーズで打点を挙げたのはこれが初めてで、2024(令和6)年に森下が記録するまで39年間唯一の存在だった。 翌1986(昭和61)年には65試合で先発マスクをかぶるなど91試合に出場して打率.256、6本塁打を記録して着々と正捕手に成長するかに見えた。 ところが1987(昭和62)年はフィジカル面の影響で打撃不振を招き躓いてしまう。69試合で打率は.199に終わり、3人目の捕手まで評価が下がる。 1988(昭和63)年、ケガの回復が見込めないという理由で一時は「自由契約選手」として公示されるが、ほどなく支配下に戻り31試合に出場したものの、ホームランも打てずわずか2打点に終わった。 1989(平成元)年になっても状況は変わらず30試合、次の1990(平成2)年も47試合にとどまり、もう伸びしろがない状況になる。1991(平成3)年はわずか2試合、1992(平成4)年はついに一軍出場がなく、同年オフに引退した。 引退後はファームのバッテリーコーチや一軍バッテリーコーチ、スコアラーなどとして長くチームに貢献してくれており、優勝した2003年・2005年・2023年には、いずれも一軍でコーチを務めている。通算成績は300試合591打数123安打53打点13本塁打、41四球105三振、打率.208だった。まとめ今回掲載した3人のうち 宇田さんと笠間さんはトレードで移籍してきた選手で 2人とも1年しか「27」を着けてません 3人目の嶋田さんは兄弟同時入団で しかも弟さんのほうが期待度が高く1位指名 いずれは兄弟バッテリーで甲子園を沸かすと話題になったんだけど・・・弟さんのほうは2年目に肩を壊してしまってその後打者転向だし お兄さんもケガで大きく成長できなかったのよ やっぱりプロ選手は身体が資本とはよく言ったものよね でも「優勝請負コーチ」って呼べるくらいタイガースのリーグ優勝や日本一に貢献してるから やっぱり「目立たない大物」と言えるんじゃない? 岡田監督とは現役でも一緒にやってるし 二軍監督時代 一軍監督時代とずっと頼られてるみたいで 信頼厚かったんだろうね 背番号27―7につづく
2024年12月03日
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中日・マルティネス投手自由契約へジャイアンツは乗り出すのか?2代目タイガース非公式サイトですみなさんこんにちは12月2日 いよいよこのオフ最大の大物ライデル・マルチネス投手が自由契約になったね メジャーも含め国内でも12球団のどことも交渉・契約ができるのよ もちろん中日も引き留めはしたんだけど メジャーからの評価も含めマルチネスさんの価値が高騰してしまってて中日さんの財力ではどうにもならなかったみたいね 中日スポーツさんの記事を見ても苦渋の様子が判るわ2024年12月1日人事は尽くした。あとは天命を待つだけだ。「他球団の意見も聞きたいというライデル本人の希望もある。俺の彼に対する必要性や熱意は伝えた。あとはライデルがどう心を動かしてくれるのか」と井上監督は話した。2017年に来日したマルティネスは、入団時は育成選手だったが実力を伸ばして守護神に定着。2度のセーブ王に輝いた。今季が21年オフに結んだ3年契約の最終年。球団は再契約に向けて総力を挙げてきた。井上監督も10月下旬に焼き肉店で思いを伝えた。指揮官は「彼は必要不可欠。普通は投手陣を考える時に先発ローテーションから考えて中継ぎと抑えを決めるけど、残るのであれば抑えから考える。それだけの存在だと伝えた」と語った。11月21日にキューバへ帰国する際、マルティネスは「ドラゴンズを出たくないけど、今は戻ってこられるとは言い切れない」と涙を流した。実はマルチネスさんは今年5月に放送された 名古屋のCBCテレビの中日ドラゴンズ応援番組「サンデードラゴンズ」の中で 取材に対して「本当のことをいうけど、僕はドラゴンズにいたい」と断言してるのよ しかもメジャー行きには一つ大きな壁があることも証言してるの 「先のことは分からないけど、キューバ人がメジャーに行くには、亡命しなければならない。でも僕は亡命したくないんだ」そして育ててくれたドラゴンズに対する気持ちも泣けてくるものがあるよ「ドラゴンズが僕にチャンスを与えてくれて、みんなのことを仲間というより家族と思っている」「ファンの応援のおかげでいい投球ができているし、自分で決められることではないけど、僕はドラゴンズに残りたいよ」今後の動向が注目ね超大物に育ったがゆえの苦しい立場ってホントに複雑だよね 自分の意志だけでは決められないことが多くなってきてしまってるようねさてこの先どうなるんでしょう?大山さんに振られたジャイアンツはどうなのかな?菅野投手や岡本選手の穴って言うけど 抑えにこれほどの大物が獲れるなら動くかもしれないね もちろん日本でも単年7~10億円は必要って言われてるしメジャーならもっと出す球団はあるだろうし 2代目はドラゴンズでやらせてあげたいなって同情しちゃうけど そうなると強敵だからちょっと困るしなあ とにかく素晴らしい投手なのは間違いないから一番いい選択ができることを祈ってるよ
2024年12月02日
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掛布さんが第8代OB会長就任!いよいよご隠居さんになったね2代目タイガース非公式サイトです阪神のOB総会が2024年11月30日に大阪市内のホテルで開かれ掛布雅之さん(69)が第8代会長に正式就任しましたタイガースファンで知らない人はいない「ミスタータイガース」も このポストに就任したってことはもう現場には戻ってこない・・・ご隠居様になっちゃったてことだよね ちょっと寂しく残念ではあるけど 川藤さんと違った視線で後輩たちを見守ってくれるとおもうと また心強さはあるよね前会長の川藤さんから引き継ぎの言葉「タイガースの来年の90周年、そこに向けて一歩一歩前に進まなきゃいけないと思います。ここからは来年に向けての盃、それともうひとつ、ここまで、今年までタイガースのために一生懸命歴史を作られてきた岡田監督。この岡田さんにまず皆さん、お疲れ様でしたという拍手をよろしゅう頼んます」「新会長の掛布雅之氏、この人にバトンを譲りますので、カケ、よろしく頼む」掛布新会長から就任あいさつ「小林繁さんという方が巨人から阪神にトレードされてきました。その時、小林繁さんが言ったことは、巨人には歴史と伝統がある、阪神には歴史があるが伝統はないと。ただ、ここ数年の阪神の戦い方、チームの作り方を見たとき、胸を張って歴史と伝統のあるチームなんじゃないですかと、天国にいる小林さんに堂々と声をかけられるタイガースの土台ができたと思います。」「来年タイガースは創立90周年を迎えますので、岡田監督から今、前にいる藤川監督へのバトンが渡されましたし、また若い藤川監督が阪神の新しい歴史と伝統という1ページをプラスしてくれることを期待しますし、OB会としても精一杯バックアップしていきますので、頑張ってください。よろしくお願いします」掛布さんは早くも大山さんへ宿題提示前日FA残留を決断した大山さんへ「それはもう大変うれしかったですし、大山自身も悩んだと思いますけども、いい答えを出したと思います」と喜びのコメントから始まりすぐに注文も出たようね「彼が4番として全てのゲームに出るぐらいのですね、気持ちを持ってチームを引っ張っていってもらいたい。4番としてだね、数字で引っ張っていって」掛布さんが二軍監督時代にルーキーとして入ってきた大山さんはファームにいるときに指導も受けてる 掛布さんはそのころからずっと見守り続けてきて4番に成長し いまは中心選手として期待を込めての注文だよね「大山自身の経験してきた野球、これの集大成みたいなものを、新監督のもとで出して、チームを引っ張っていければいいんじゃないですかね。大山の経験が森下、佐藤輝を生かす形になってほしい。藤川監督を中心にして、いい戦いをして優勝する。これしかない」藤川監督がV奪還するため チームリーダーとしての大山さんに大いに発破をかけた感じだわ森下君は敢闘賞受賞森下君が初参加のOB会懇親会で敢闘賞を受賞したね。「“頑張ったで賞”みたいな感じです」「いろんな人が関わっているんだなと。僕は(阪神の)歴史と伝統はジャイアンツと匹敵するぐらいあると思う。そういう球団に入れたのは良かったです」残留を決めた大山さんについては「うれしいですし、残ってくれると思っていたのでめちゃくちゃ驚くとかなかったですけど(一緒に)できるので来年優勝したいなと思います」と内心を語ってくれました 来季は大山さんとの4番争奪戦ね! そう言えばパピーさんどうしちゃったのかなあ 2週間も更新してないのよ
2024年12月01日
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背番号27(その5)背番号27の第5回目ですここまで13名の選手を紹介してきたんだけど 5年着けた人が最長だったよね 今回は初めて10年以上付けた人が登場するよこの人は毎日オリオンズで8年プレーしてからトレードでタイガースに来てそこから11年も現役で頑張った選手 しかもそのあとさらに広島へ移籍して2年プレーしてる息の長い選手生活を送ってます コーチとして指導してもらった投手も多いのよ今回はほかにも2名の選手を掲載しますよ 読んでみてね若生 智男 投手宮城県仙台市太白区の出身で高校は名門東北高校。甲子園出場はならず、1956(昭和31)年に高校を卒業後すぐに毎日オリオンズに入団している。1960(昭和35)年、入団5年目にして一気に能力が開花する。44試合(先発28)13勝8敗、196回1/3を投げて自責点47、防御率2.15の好成績を残し、リーグ優勝へ貢献した。若生は日本シリーズでも第2戦の先発を含め2試合に登板しているが大洋ホエールズに4連敗で日本一は逃している。翌1961(昭和36)年が50試合9勝9敗、防御率3.19、さらに1962(昭和37)年には55試合15勝13敗、防御率2.73と主力投手に成長する。ところが1963(昭和38)年、18試合で3勝7敗に終わって迎えた秋、あの小山正明・山内和弘の「世紀のトレード」が世間を揺るがせる。エースと4番打者の交換という電撃的なトレードに注目が集まる中、小山を失うタイガースと山内を失うオリオンズがマイク・ソロムコと若生を交換するという穴埋めトレードを行ったことで、若生はタイガースに移籍してくる。翌1964(昭和39)年、タイガースはリーグ優勝した年だが、移籍1年目の若生は33試合5勝6敗で防御率3.15という成績に終わっている。日本シリーズでは中継ぎとして2試合に登板したが、南海ホークスに敗れ日本一にはなれなかった。 1966(昭和ア41)年には移籍3年目にして10勝4敗と二けた勝利を挙げ、1969(昭和44)年から12勝12敗、13勝10敗、10勝12敗と3年連続で二けた勝利を記録するなど、先発とリリーフを掛け持ちでよく頑張っている。若生は182センチで当時としては大柄で、ストレートも威力がある本格派投手だったが、野球は頭を使うものという持論を持っていた。若生がタイガースで活躍したのはONを擁した巨人の全盛期に重なっている。その凌ぎあいの中で若生は伝統の一戦で王の内角を突いて三振を奪った際、自身の頭を指さし「投手はここや」と満足そうに笑っていたという逸話が残っており、その教えは引退した後のコーチ業でも若い選手への指導の中で伝授されていくことになる。1971年の10勝を最後に二けた勝てなくなり、1974年は7勝を挙げたものの、新監督となった吉田義男がストッパー獲得のために広島の安仁屋宗八との交換で放出してしまう。 タイガースには11年間在籍し、背番号は「27」で通しており、348試合72勝74敗、1295回を投げ自責点374、防御率2.60の数字を残した。通算121勝のうち半分以上をタイガース在籍中に稼いだことになる。 広島に移籍した1年目の1975(昭和50)年は広島が初優勝した年である。若生は20試合に登板し7度の先発も務めるなど3勝3敗1セーブ、防御率3.06と貢献している。若生は日本シリーズでも第1戦と第6戦にリリーフで登板しているものの、またしても日本一は成らなかった。 しかし若生は所属した3球団すべてでリーグ優勝を経験し3度の日本シリーズに登板するという珍しい記録を残したことになる。 1976(昭和51)年のシーズンはさすがに衰えが目立ち、19試合で0勝1敗1セーブの成績で終わると現役を退いた。 通算成績は628試合(先発267)121勝120敗2セーブ、2260回1/3を投げて奪三振1396、632四球、自責点680で防御率2.71という立派な数字を残す。 引退後は広島やロッテの投手コーチを経て、1984(昭和59)年からタイガースのコーチに就任する。日本一となった1985(昭和60)年はファームの投手コーチを務めている。翌年はフロント入りしチーム編成に携わる。1990(平成2)年からダイエーでコーチやスカウト、1993(平成5)年からは横浜に招かれ二軍投手コーチなどを務めた。 2024年6月3日に船橋市内の病院で死去。87歳。宮崎 昭二 投手佐賀県鹿島市の出身で鹿島高校2年時の夏の選手権で甲子園を経験している。この時はエースとしてベスト4まで進んだが、準決勝で法政二高の柴田勲(のち巨人)に投げ負けて涙を呑んでいる。宮崎はプロ生活14年の実績を持つがタイガースにいたのは現役最後の1年だけであり、1962(昭和37)年に高校を出て入った球団は東映フライヤーズだった。ここで13年間在籍している。東映では396試合に投げている。そのうち363試合はリリーフだったこともあり、ルーキーの時から13年間毎年一軍のブルペンには入っている。1967(昭和42)年には唯一の二けた勝利となる12勝を挙げているが、自己最多の58試合に登板して先発が3試合ということから、ほぼ救援での勝ち星ということになる。 1974(昭和49)年のオフにタイガースへ移籍。背番号は若生の着けていた「27」を継承している。 しかしタイガースではわずか3試合のリリーフ登板に終わって勝ち負けもなく、1年で引退してしまったため宮崎を覚えている人はごく少ないだろう。 通算成績は399試合38勝46敗、889回1/3を投げ481奪三振、314四球、自責点は338で防御率3.42。宮田 典計(のりかず) 投手兵庫県加東郡社町の出身で高校は県立社(やしろ)高校。高校時代は無名で卒業後は社会人の鐘淵化学へ進む。1974(昭和49)年の都市対抗野球本戦で1回戦で完封勝ちを収めるなど好投したことで評価が高まる。1975(昭和50)年の社会人日本選手権は4試合すべての先発して2完封。チームを優勝に導きMVPを獲得したことで、同年秋のドラフト会議でタイガースから3巡目で指名されて入団することになる。背番号は宮崎の着けていた「27」を引き継いだ。ルーキーシーズンの1976(昭和51)年は1試合、翌1977(昭和52)年は2試合しか登板機会がなかった。3年目の1978(昭和53)年、14試合で1勝1敗、防御率3.77の数字を残したが、9月27日の対中日26回戦での勝利がプロで挙げた唯一の白星となる。 続く2年間は、7試合、4試合の登板で敗戦処理。1981(昭和56)年のシーズン途中に阪急ブレーブスへ金銭トレードにより移籍する。 阪急では3年間現役を続けたが8試合しか登板機会はなく、1983年で現役をあきらめ、翌年から打撃投手になっている。 球団がオリックスになっても引き続き打撃投手やスコアラーを務めており、イチローが入団してからは「専属の打撃投手」として調整に貢献していた。 2001(平成13)年からはオリックスのフロント入り、ファームの寮長などを務め2021(令和3)年3月に退職。 通算成績は36試合1勝1敗、68回1/3で自責点38、防御率5.00。 まとめ若生さんは小山さん=山内さんの「世紀のトレード」に巻き込まれる形でタイガースに来たんだねえ でも11年間も投げてくれて72勝を挙げてるのは貢献してくれた部類に入るよね しかもコーチ時代の教え子も多いし一人前にしてもらってるわ宮崎さんは覚えてる人いるのかなって・・・ 第1期吉田監督の1年目に在籍してるからどうなのかな 先代は全く知らなかったようだけど宮田さんもかなり怪しいかな タイガースファンよりオリックスファンのほうがよく知ってそうだね背番号27―6につづく
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