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日本人が他国の人々と最も異なるところは何だろう・・・?どん底の絶望の淵からでも這い上がって来る日本人の根底には如何なる精神文化が宿っているのだろう。多くの人が言う。日本が外国の侵略を受けて来なかったのは四方を海に囲まれ西欧諸国から遥か遠く隔たった東方の彼方に存在したという特殊な立地条件にあったと・・・!!!確かに、立地条件は侵略の歴史にとって大きな要素となる事には異論を挟む余地は無い。然しながら、同様の立地条件、例えばフィリピンにしろ台湾にしろ島国で東方の彼方にあった国(正確に言えば国家の体裁は整っていなかったのかもしれない)は他にもあったのである。日本にしても、元寇や幕末期の他国からの侵略に怯えた時期はあったのである。守勢に回った時の日本の強さは半端ではない。攻勢に転じた時の日本の弱さは歴史が言うまでも無く証明している。基本的に日本人は攻めに弱く守りに強いDNAを有しているのかもしれない。それは何かと尋ねれば、和する事を国家の大前提とした国の成り立ちにこそある。
2007.05.30
ここのところ政界のおどろおどろしい体質が目立って噴出している。現職大臣が自殺したなどという報道が、手際の良い形で報道されている。長崎県知事の時もそうであったが、起こりそうに無い所で事が起きるのが政界の政界たる所以なんであろう。あれだけ気の小さい男が、簡単に自殺など出来るものなんだろうか・・・?気が小さいから自殺をするのだと主張される向きもあるでしょうが、気の小さい奴は自殺などする勇気は持ち合わせておりません。きっとまた、裏の手で始末が行われたのでありましょうが、必殺仕置き人の世界とは違い、巨悪の力が小悪を始末するという限りなく恐怖政治の世へと向かっているようでなりません。最早、日本の社会には正義などと言う言葉は存在しないのかもしれません。皆さんは、本当にこのような社会を肯定して生きて行くおつもりなんですかねぇ?人気blogランキングへ
2007.05.28
最近、日本相撲協会の内部にきな臭い争いが生じているようだ。八百長問題は過去からずっと問題にされていた事だが、恐らく皆無であったとは思えない。私は、八百長問題に関してあれこれ言うつもりは全く無い。むしろ、そんな協会の体質の内で日々命を削って相撲をとっている力士に同情さえしてしまうのである。日本相撲協会が一番問題なのは、日本の大相撲の位置づけを何時まで経っても明確化しない事にある。少なくとも日本に於ける大相撲を伝統的な神事として格付けし、そこから一切表に出ないとするならば(表面的でなく抜本的に)大相撲を柔道などと同じように広めようというのは矛盾に満ちている。何も純粋なスポーツにせよというのではない、相撲道として柔道と同じく修行、鍛錬の場として、それの持つ精神性を大事にして行くのは非常に良い事である。けれども、今の相撲協会の体質は、裏社会との繋がりを含め本当に清廉潔白なものとして相撲を広めて行ける程美しさを持ってはいないような気がする。貧しく、戦火に苦しむ国の人々が、ジャパニーズドリームを求めて夢を叶え成功する姿を見て私は良くぞ頑張ったと賞賛の拍手を送りたい気持ちである。その一方で、最強の横綱と言われる力士を見て、本当に強い横綱とはそうではなかったと思わずにはいられない。大鵬の強さには、今の横綱には無い品格があった。育つほど、頭を垂れる稲穂かな・・・と言う言葉が今の日本にも様々なジャンルの世界にも欠けているのをつくづく憂える今日この頃である。本当に美しい国として日本が育っていくために次の言葉を送りたい。武士は食はねど高楊枝・・・これこそ侍(武士)の真髄である。
2007.05.22
多くの日本人が必ず義務教育の中で一度は教わってきたであろう十七条の憲法、それと共にそこに必ず登場する聖徳太子は一昔前の世代の人間なら誰でも知っている事であります。"和を以って貴しとなせり"という第一条から始まるこの憲法を目の当りにする時、いつも思うのが治世者というものが如何に国を治めるという事に手を焼いていたかと言うことであります。ある意味この憲法は国王の憲法であり、この時代になぜこんなものを引っ張り出して来るのかと怪訝に感ずる人もおありだろうけれども、どんな時代(君主制、封建制、幕藩体制、軍国制、立憲制)にも治世者は同じ矛盾に悩まされ続けるという事を表している良い事例として存在するからであります。民主主義の時代になっても、果たして本当の民主主義は訪れず、裏なる権力者達によって偽物の民主主義を押し付けられた日本国民は今再び立憲君主制への道へ引きずり込まれようとしています。豊臣秀吉のお陰で日本は一般人が武器を持たないという常識が出来た、私が彼を評価する唯一の功績(刀狩令)は、今日の日本人の常識(日本の市民は武器を所持しない)の中に生き続いています。平和な世界を築くのにヒーローは要らない、ヒーローは決して人の下に立つのではなく必ず人の上に立つからである。十七条の憲法の第四条では今一番注目すべき事が言われています。一節に(上礼びなきときは、下斉ほらず)、かみいやびなきときは、しもととのほらずと読み、上の者が礼儀を失する時は、下の者達もまとまらない(言う事を聞かない)という意味で官僚、権力者を戒めています。然るに、今日の日本はこの言葉をしっかりと噛み締めてみる時が来ているのではないかと感ずる事が余りに多過ぎる社会になっております。
2007.05.22
多くの日本人が必ず義務教育の中で一度は教わってきたであろう十七条の憲法、それと共にそこに必ず登場する聖徳太子は一昔前の世代の人間なら誰でも知っている事である。"和を以って貴しとなせり"という第一条から始まるこの憲法を目の当りにする時、いつも思うのが治世者というものが如何に国を治めるという事に手を焼いていたかと言うことである。ある意味この憲法は国王の憲法であり、この時代になぜこんなものを引っ張り出して来るのかと怪訝に感ずる人もおありだろうけれども、どんな時代(君主制、封建制、幕藩体制、軍国制、立憲制)にも治世者は同じ矛盾に悩まされ続けるという事を表している良い事例として存在するからである。民主主義の時代になっても、果たして本当の民主主義は訪れず、裏なる権力者達によって偽物の民主主義を押し付けられた日本国民は今再び立憲君主制への道へ引きずり込まれようとしている。豊臣秀吉のお陰で日本は一般人が武器を持たないという常識が出来た、私が彼を評価する唯一の功績(刀狩令)は、今日の日本人の常識(日本の市民は武器を所持しない)の中に生き続いている。平和な世界を気付くのにヒーローは要らない、ヒーローは決して人の下に立つのではなく必ず人の上に立つからである。十七条の憲法の第四条では今一番注目すべき事が言われている。一節に(上礼びなきときは、下斉ほらず)かみいやびなきときは、しもととのほらずと読み、上の者が礼儀を失する時は、下の者達もまとまらない(言う事を聞かない)という意味で官僚、権力者を戒めています。然るに、今日の日本はこの言葉をしっかりとかみ締めてみる時が来ているのではないかと感ずる事が余りに多過ぎる社会になっております。
2007.05.22
本来のブログの道から外れてギャンブルの道に道草を喰った仏陀はやはり元の道へと戻されて来ました。悪銭身につかずとはこの事でしょうか・・・?調子に乗ってギャンブルに現を抜かした仏陀は2週続けてお金をどぶの中に放り込んでしまいました。ちょっとでも参考にした方がいて、良い方に目が出たなら幸いですが、逆目に出た方には誠に申し訳なく思っております。暫く仏陀は大人しく修行の道に戻りたいと思います。南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏。
2007.05.21
さて、昨日投稿したはずの記事がうっかりミスで投稿されておりませんでした。そこで新たに明後日の第68回のオークスを予想してみたいと思います。本線は4,5,7,8,11,12,18で大方の見方と変わりはないというところでしょうか。穴が開くとするならば、9,10あたりかと思われる。結論馬連 4,5,7,8,11,12,18,9,10のボックス36点馬単 5,7,8,11,を頭に4,5,7,8,9,10,11,12,18を流して32点当るも外れるも仏の心次第であります。
2007.05.18
仏陀を名乗りながら競馬の予想とは何事ぞとお怒りになるお方もござりましょうが、先にも申した通り人間の世とは魔界の如き世界でございます。何とか辛い縛りをすり抜けて生きてこその人生でございますよ・・・!!!さて先週NHKマイルカップで970万の配当を取り逃がした(馬単はゲット、三連単は14-10-16で取り逃がし)仏陀が大胆に今週のビクトリアカップを予想して進ぜよう。まず、中心は2番ディアデラノビアと6番カワカミプリンセス。続く一団が4,7,8,9,10,13,14,17番。3,5,16番は敢えて距離に問題有りと見た。残りは力不足か・・・1,11,12,15,18結論:2を頭に4,7,8,9,10,13,14,17の馬連単,複2,4,7,8,9,10,13,14,17をボックスで三連複2を2着、3着固定の三連単全て100円投資で勝ったらご機嫌さん。それではまたの機会までさようなら。
2007.05.11
今日も朝からニュースでは野球特待生の問題についてやかましく報じていた。少なくとも30~40年前から確実に行われてきた事実を今になってやたら問題視するのは如何なものかと思う。生徒の間でも、それはごく当り前の事として認知されて来た現実である。勉強の出来る子は、特別奨学金制度を活用し、運動に優れた子は特待生として授業料他の減免を受けて学校に通う。それ自体特別おかしな事ではないはずである。大きな間違いは、それ以上に金銭の遣り取りが行われる現実にある。最近では、大手芸能プロダクションがスポーツ選手まで抱えてタレント活動をさせている。もし、高校野球というカテゴリーの中で、学校の名誉のために特待生制度を導入しているのだとすれば、その場所がプロフェッショナルの養成所と化すのは、どう考えても道理に合わないのである。もし、最初からプロを目指して野球漬けになる道を選ぶのであれば、タレント養成所に通うべきであるし、また、そのような機関で別に大会を運営するのが当り前である。あくまでも、少なくとも日本の教育制度に則った学校は個人の特殊な才能を伸ばすための場ではない事を理解しなくてはならない。むしろ、人間が社会人としてまっとうに生きていくための人間形成の場であるはずのものが、何時しか日本では脱線してしまい、皆は一人のために、一人は自分のためにの社会通念が出来上がっている。一人の個性を伸ばすために、その他大勢を犠牲にしてはならない。その他大勢のために、一人の個性を犠牲にしてはならない。矛盾である。しかし、人間社会は全て矛盾で構成される魔界のようなものである。法律は、やはり弱者、少数派に強く、権力、多数派に阿(おもね)るように元来庇護を必要としない者にこそ手厚いではないか・・・!?それを永遠の課題として生きるのが人間として生まれた者の使命なのである。タイトルの問題など小さい事である。話が逸れてしまったが、全国の自殺願望の諸君、そもそも矛盾だらけのこの世の中で、それをすり抜けて生き抜く事が人生の楽しみと知りたまえ・・・!!!南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏。
2007.05.10
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