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今年の秋、小生の生まれ故郷、雲南市では、"白い船"という映画で一躍有名になった、錦織良成監督がメガホンをとって製作された、島根三部作の一つ"うん、何"のプレミアム上映で盛り上がっていたようである。2008年には全国でロードショー上映されるという事なので、皆さんも良ければ一度、神話の故里、島根県雲南市の青春ドラマを鑑賞してみて下さい。さて、そこで一つ気がかりな事もあって、一言申し添えておきたい事があります。プレミアム上映を鑑賞された方々のコメントの中に、やたら日本の田舎賛美があった事です。確かに、映像や作られた物語の中からは、日本が失いかけた、古き良き日本の自然や人々の素朴さ純朴さなどの面が、デフォルメされて表現されているので、それを見て田舎は確かに良い所だ、というのは、甚だしい誤解を生むかも知れないので、それだけは誤解の無いように申し添えておきたい。我々、田舎者が、なぜ、今都会生活をして田舎に帰ろうとしないのか、と言えば、単に田舎に就くべき仕事が無いからと言うのではない。生まれ育った故郷は、何時まで経っても麗しの心の拠り所に違いないのだが、中原中也が言うように、"故郷は、遠くにありて想うもの"だからこそ、麗しい故郷であり、実際の田舎暮らしというのは、個人に対して、無体な仕打ちをするし、封建制が根強く残っており、自由人(自由な発想で考え、発言し、行動する)には、誠に住み難い所である。田舎者が、大挙都会に流入し、その田舎者達が作り上げた都会は、今や、隣人の存在も把握出来ない程の冷たい核家族社会を形成している。恐らく、むしろ、昔から住み着いていた、元々、今や都会に変貌した地が故郷であると言う人達の方が、古き良き日本の人情を持ち続けているのかも知れない。むしろ、東京人(江戸っ子て言うのか・・・)の方が、田舎者なのかも知れない。煩わしく、情報も満足に入って来ず、また、新しい情報を受容れようともしない田舎暮らしは、進取の気性を持つ人々には、苦痛を齎(もたら)す以外の何者でもないのであり、いっそ捨ててしまいたい程の重荷になったりもするのである。私の友人が、竹下登氏がご存命であった頃、そのツテを頼って、島根県経済連の出荷するデラウェアの箱のデザインを、同じ島根県出身(津和野か益田だと思うのだが)の森英恵さんにお願いに上がった所、彼女は、島根県出身である事を嫌がった(極力表に出したくない)風であったらしい。それ程、自分の故郷、出自を表面に出したくない人もあるのだから、決して田舎というものが良い所ばかりと言うのではなく、詰まる所、生活している人間は同じ日本人であり、そこに根付いた習慣や風習が、自分に合っていれば、何処であっても同じ事なのである。団塊の世代が、大挙定年を迎え、ある人は、田舎で農業をしながら・・・などと言う話を多く耳にするけれども、田舎の付き合い、農作業の過酷さを知る田舎育ちの私達からすれば、何を馬鹿な事を言っているのだろうと思う訳である。全て、考え方の問題であって、日本全体が、本来考えなくてはならない日本の未来像が等閑にされている証拠であると思うのである。決して、決して、田舎は桃源郷であるなどと言う妄想は、抱かないで頂きたいものである。人気ブログランキングへ
2007.12.28
新聞にフランダースの犬についての面白い記事が載っていた。記事によると、フランダースの犬の物語を読み、また、その物語を映画化したりアニメ化したりしたものを観て涙するのは日本人位しか居ないというものであった。この事を検証すべく、映画に仕立てたベルギーの監督の見解は、日本人が持つ"滅びの美学"がそうさせるのだろうと結んでいた。確かに、日本人の多くが持つセンチメンタリズムは、神代の昔から育まれた、ものの哀れから来ている事大である。ものの哀れとは、命あるもの、全てが何れ滅びるとでも言えば良いのだろうか・・・???即ち、どんなに権勢を振るった権力者でも、何れ死に滅びて土に返れば、地を這って生きてきた虫けらの如き者と何も変わりはしないのである。ある意味、日本人は、大宇宙の摂理から言えば、人間の世の中というものが、如何に儚いものであるかをかなり大昔に気付いていたのだろう。欧米やその他の国々では、画家を志しながら恵まれず、教会に辿り着いてルーベンスの絵を観ながら死んで行くネロは、みじめな負け犬にしか映らないそうである。故に、アメリカなどでは、映画やアニメに取り上げる時は、物語のラストをハッピーエンドに曲げてしまうそうである。今日の世界を支配する狂者の論理の出所はこんな所にあるのかも知れないと思う所以である。日本人は、なぜか必然的に、一部の権勢を欲しい侭にする者達の影には、必ずその幾万倍かの人々が泣いている事を知っている。人間の世の中が、奇麗事ばかりで無い事を知りすぎているからこそ、見てみぬ振りをしたり、闇雲に争い事を作らぬようにする工夫をしてきた。多くの日本人が感涙を流すのは、滅びの美学の礼賛ではなく、そこに我慢に我慢を重ねつつ虐げられる自分の姿を見るからであると、私は思うのである。人気ブログランキングへ
2007.12.26
私のお得意先に、佐世保市にある乳業メーカーさんがあり、今日、用事があって電話したところ、この会社でお勤めになっている課長様が、丁度事件発生時にお子様の水泳の付き添いで行っていたそうで、捲き込まれて、足に散弾銃の弾を五発受けられたそうです。幸い、ご本人は、とても元気にしておられるそうで、今だから笑って言えるのだろうけれども、不幸中の幸いだったようです。大体、日常生活に武器と名の付く物が必要なのでしょうか・・・???マスコミは、やたら趣味や楽しみで猟や競技で使用する人もいるだろうから・・・と言うけれども、結局は動物や人の命を奪う道具でしかないと言うのが本当の所では無いだろうか・・・!!??昔から、やたら生き物の命を奪う者は、タタリがあると言われるけれども、病むに病まれぬ事情以外で、増してや楽しみで、生物の命を奪う奪うような事は、避けたいものである。武器を持てば、必ずや、それに対抗しようとする者が現れ、戦いを挑んで来る。戦う相手が居なければ、誰も戦いなどする必要が無くなる。戦いを挑もうとする者には、"しかと"するのが一番と心得る。これこそ、無手勝流の極意である。人気ブログランキングへ
2007.12.18
お久しぶりでございます。12月3日より7日まで九州出張に行って参りました。3日朝新大阪駅7時8分発のぞみ号に乗り込み一路博多駅を目指しました。車中では、いつもの事ながら、高鼾にて爆睡でありました。9時47分博多駅到着、駅前のオリックスレンタカーにて予約車に乗り込み、いざ鹿児島に向け出発です。九州自動車道大宰府インターチェンジから高速道をひたすら南下し約3時間で桜島サービスエリアに到着です。少々腹ごしらえをして、再び日置市伊集院に向かいました。午後3時頃のお約束でしたが、1時間ばかり早く到着してしまい、得意先の近所のローソンで時間つぶしをするはめとなってしまいました。ここまで、博多駅前からほぼ300キロです。2時50分頃に会社に入り55分頃よりお話をさせて頂き、3時半頃に今夜の宿泊地吉野ヶ里温泉ホテルに向けて来た道をただ引き返しました。午後7時半頃にホテルに到着すると、夕食をとって直ぐに寝てしまいました。次の日は、一路長崎県佐世保市へ向かいました。朝8時半頃出発して着いたのが11時頃だったと思います。それから約1時間半程お話をして、此処を経ったのが12時半頃でした。そこから次の目的地佐賀を目指したのですが、途中で電話があり、古賀市のお客さんから来て頂きたいとの連絡を受け一路古賀市に向かいました。古賀には、4時前に到着し、1時間ばかり相談に乗って、博多グリーンホテルに着いたのは、6時前だったと思います。此処で、弊社の常務と合流し、夕食を共にしてから、直ぐに床に就きました。此処まで約800キロの道程であります。人気ブログランキングへ
2007.12.11
12月3日より7日まで九州全域を回って来ます。その間、お休みしますので、よろしくお願いします。人気ブログランキングへ
2007.12.02
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