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2003年9月18日楽天ブログ始めた。ファイブオールだった。過去完了になった。adagioになった。それも過去になった。ネット用の名前で、都合のいいことだけ公開するなんてやはりなんかおかしい。なのでakiraに戻った。facebookが地球で8億人も使ってる時代になって、いちばんリアルライフに近いし違和感がいちばん少ないと思う。 でも、ブログで知りあえて普通にお付き合いできる人が増えたことはブログで失ったことに余りある思わぬプレゼントだった。ありがとうございます。これからもよろしくです。
Sep 18, 2012
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Sep 17, 2012
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時代だな。 時代。 かけがえのない。。。
Sep 16, 2012
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その頃働き盛りで、東京は生活圏じゃないけど仕事圏だった。地方から出て来てきた人々で運営されているかのようなトーキョーシティの成り立ちが好きだったし、重要な人は誰でも30分圏内に居るメトロポリタンに気分が高揚した。それに、学生たちの街の男女にもまだロマンがあった。
Sep 15, 2012
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そういう経験はないのだけど、でも、哀しいだろうな男は。 明るい別れ?上手な別れ?女性の得意技? いつまでも若いなユーミンステージ。
Sep 14, 2012
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赤い鳥がメジャーになる前から知っているのは、地元でよくライブをしていたからだ。後に紙風船になった後藤悦治郎が同じ町内だったからだろう。紙風船はずっと夫婦でいい活動をしている。ハイファイセットは僕は山本潤子が好きだった。メンバーのひとりがトラブルになったらしいけれど、活動は二人でしているのかな。 人生でいろいろなことがあるのは 仕方がない。
Sep 13, 2012
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年をとることは仕方がないことだ。 この安定感のあるデュオが どういうふうに歩んできたのか、 聞いて見たい気がする。
Sep 12, 2012
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ささやかな人生。。 だれもがそうなのだし、 ささやかだからこそ、かけがえがない。
Sep 11, 2012
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山本周五郎の戦中日記というを拾い読みしている。でも、大空襲直前の1945年2月頃で終わっている。それから数ヶ月の恐るべき悲劇で破局があり、日本人は大転換した。代償は余りにも過大だけど解放されたのだった。 先日、NHKの取材班が今までにないような北朝鮮の地方都市の様子を取材して放映した。あれ?と思うような感じだった。あれならもしかしたら、アメリカが太陽政策をしたほうがいいかもしれない。アメリカの明るい風を取り入れる素地があるような気がした。
Sep 11, 2012
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人間は希望がないと生きられない生き物だ。 未来と言う言葉にしり込みし始めたのは、最近のことではあるけれど、これは引き返せないものだろうか。心に出来る隙間は怖いものだな。
Sep 9, 2012
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日本人でよかった、とかそういう国意識は皆無だけれど、日本人っていいなあ、というのはある。 感性もそうだ。日本でしか生まれないような唄のひとつだ。
Sep 9, 2012
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人生においては 別れというものはあり得ないと思っていて今もそう思っている。あり得ると認めることが余りにも耐え難くてそう思っているのだとそういう時期もあるにはあったけれど、あり得ないというところに回帰すると腑に落ちる気がする。
Sep 8, 2012
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あの夏の日がなかったら。。。 夏が後姿を見せ始めると、 これだな。
Sep 7, 2012
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演歌は苦手で、なんか体質的に合わない。でも好まれること自体は判る気はする。例外的に好きなのが三つある。北国の春、津軽海峡冬景色、石狩挽歌だ。
Sep 5, 2012
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聴いていても涙、 歌っていても涙。
Sep 5, 2012
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、山口百恵もさだまさしも 世紀を越えて親しまれると思う。 山口百恵の生き方を想像すれば、 この唄が彼女に唄われてよかった。
Sep 4, 2012
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子供の頃はまだ夜中になると遠くで汽笛が聞こえていた。ふと眠れぬ夜のひときだった。 その頃はまだ、後年悩み続ける日々があるなどとは想像もしなかった。 でも、叙情的な気分は若いからこそ独占できるものだ。枯れてきた今では、過去形の響きではある。
Sep 3, 2012
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ライブに行った事はなくても、オープニングで目を見張るドレスで現れるときのシーンは僕にはこの曲だ。 荒井由実の感性にチューニングが合ったのは、飛行機雲あたりからだろうけれど、汲めども尽きぬ素晴らしい感性はいつまでも瑞々しくて、あなたが老いることなんて信じたくはないし、まだその懸念もない気がする。
Sep 2, 2012
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どうしているのだろう。 まだスイスに住んでるのかな。 でも、 確認してみたら、 1977年没とある。 ついこの前、日本に来たと思ってたのに。 哀しい。
Sep 1, 2012
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