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太陽系は50億年前に出来たとされる。地球は46億年前に出来たとされる。 宇宙の果てはどうなってるのかと夏休みこども電話相談では毎年そういう電話があるのだろう。宇宙は丸いとは限らない、宇宙の形はほんとはまだよく分からない、とかよく分からないことの説明はよく分からないとしか言えないだろう。ラジオのアナウンサーが**くん、いい?分かった??と進行しようとしても、うん、わかった、ありがとございました、と引き下がるしかないよね。分からないってことがよく分かりました、と言えば角が立つとそこまで考えたかどうか電話した子供ははい、分かりましたりがとございました、となってしまう。 人間は600万年ほど前に人間になってきたらしい。 でも、人類らしい活動の軌跡は分かるのは2^3000年前からだから、宇宙的時間としてはゴミのように瞬間に過ぎない。まして僕たちは自分の祖先に遡れるのはせいぜい数百年だ。でもその数百年の中でも、ここ数十年、つまり現代人の生涯の中ほど激動の時代はない。その原動力は科学技術だ。そして、科学技術があってこそ経済発展もあり、経済発展で人類は増殖することが出来た。もちろん、生活も豊かになり福祉の水準も向上した。でもそうなればなるほど、飛躍すようだが実は政治の使命が大きくなった。政治は人間性の塊だから、人類の運命も地球の運命も実は政治に依存している。 地球は、絶滅の歴史だったと、長いスパンではそう言われているし、そうなのだろう。現代人の生涯が体験しているこの未曾有の急進と激動は破局の前奏曲のようにも思える。そう想像すると、すべての世の中の現象がそれに沿っているようにも思う。そうプログラムされている中を人間はそれぞれ善行と悪行を演じているだけのようなそうそういう世の中にも見えてくる。 増税に逃げた政治家も、原発の取り返しのつかなさを見ない振りする人たちもただのその中の部品みたいなものなのか。
Aug 31, 2012
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自分の頭がおかしいのか、とちょっと深刻なほどに憤ることがある。 誰も憤っていないみたいで、おかしいとは言ってないみたいで、でも自分ではどう考えてもそれっておかしすぎる、ということがあるのだ。 オスプレイのこともそうだ。防衛力が大事で、性能技術の新陳代謝が大事なことはもちろん分かるけど、オスプレイは安全だ、事故はオスプレイが悪いからじゃなく操縦のミスで、人間側の問題だと、だから配備は進めるという仕事のやり方っておかしすぎる。馬鹿じゃないのかと思う。でなければ、人を馬鹿にしているのかもしれないけれど、操縦ミスが起こるような装備ほど危険なものはないのだ。人的要因で事故が起こったことがわかったから、オスプレイは危険なので配備はやめてもらう、というのが普通の考えだろう。 あの原発は安全と判定されたので再稼動する、という「総合的判断」もそうだけど、あれはほんとは、また福島のような事故は起こるかもしれないけれど再稼動せざるを得ない、という意味なのだ。同時に、再稼動を止めて原発ゼロへと進める指導力は私にはありません、という意味なのだ。 そうだろうね、仕方ないじゃん、というのが国民の主流なのだ。 オスプレイも、おんなじようなことだろう。 でも待てよ。 技術と人間の関係についての僕の考えは昔から一貫している。 人間が扱いにくいような技術は技術じゃない。だから、原発のように事故にも廃棄燃料にも人間が手に負えないようなのは最初から認可されるべき技術じゃないし、オスプレイのような操縦ミスが起こるものも認可を取り消すべき技術なのだ。 そして、僕の天敵でもあるコンピュータ、この扱いにくい代物もまた同罪なのかもしれない。でも、コンピュータ技術は余りにも恩恵が全人類的に深く広いので、天敵だけど尊敬しているよ。
Aug 29, 2012
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始めてあなたが待ちうけ画面になりました、 とメールが来た。 そうだな。 ブログやめる理由には、 それもあるな。 ほんとに書きたいことは書けない、 というのもブログだ。
Aug 29, 2012
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lapdeskも今ではガジェットという分類でいいだろう。ガジェットは創作性を感じる。 気後れはするけれど、lapdesk.jpも頑張らねば。
Aug 28, 2012
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アスクル、カウネット、たのめーる それにうちではMonotaRo 昔は考えられなかったような豊富な品揃えと高度にシステム化されたサービスだ。 先日、たのめーるの営業の若者が暑い中を自転車で飛び込み営業してきたので、なんか買ってあげようと決めたのが実は箒だった。トラディショナル掃除機だ。 和室用の伝統的な箒でいいものがなくて、たまに雑貨屋さんにはあったりするけど、雑貨屋さん的付加価値で少々お高いことが多かった。ホームセンターや百円ショップのものはダメだ。それで、たのめーるのカタロクに載ってたので試しに買ったものが今届いた。 これは1980円だった。 開けてみたら、まずまずの感じ。タイで作っている。 まあ、こんなところだろうけれど、期待しているのは3000円でいいから、もっと穂先の密度が高いものだ。 狭い工房はいつも汚すので、その都度電気掃除機を出すのは大義なんだ。それだけで汗だくになるし、狭くてごちゃごちゃした場所や階段やマンションの共用部分、門の前から道路にかけてなど箒がラクでいい。 最新型の流通システムでロウテクな買い物をしてみました。
Aug 27, 2012
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夏の疲れもあり、いろいろな疲れもある。 現実の動きをウルサく感じる。ほとんどアナウンスもない地元FM局のほうが心地よい時がある。シベリウスの交響曲を流している。民族を超えて懐かしい響きが不思議だ。
Aug 26, 2012
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静かな境地に惹かれる瞬間がある。 誰にとっても生涯最悪の事態だった巨大地震巨大津波原発事故の三重苦で、現実というものを見てしまった。政権交代への期待の崩壊も、困難を避けて増税に逃げた与野党党首もそういえばただの現実だっただけだった。金曜日に活動している人々との会見も予想通りひどいものだった。ああいうシーンは昔から似たようなものをよく見た気がする。権力側の者は会う前から相手を厄介な人々として蔑視しているから、通り一遍のことだけ述べてあとは権力の部屋に戻ればいいだけのことなんだ。クリエイティブな話し合いは並の才覚では出来ないものだし、野田さんのような人は怯えて踏み込めないと思う。 現実というものの支配者である官僚機構や原子力ムラが押し切った今年は現実を見た失意だけが僕には残った。夏の疲れはいずれは取れるだろうけれど、現実を見た疲れはそうもいきそうにない。 でもいつも思うのだけど、期待レベルを下げればいいだけのことでもあるのだ。どこまで下げたらいいかはそれぞれ個人の見識にかかっている。
Aug 25, 2012
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10代の恋は遠距離だったので、夜通し冷凍庫の中を走ってきたような雪とつららで凍てついた列車が上野駅に入ってくるシーンはぼくには特別なものだった。それに乗って行って会ったのは仙台駅だった。東一番町のクラシック喫茶のブラームスの弦楽六重奏が耳について帰りの夜行寝台では涙で一睡もできなかった。遠いからバイト代は飛行機代になった。小屋一つだった仙台空港を知っている。去年の大震災はそういう意味でも心に刺さった。ダグラス、フレンドシップなどジェット機以前の機材を知っている。夜間飛行の詩情もまた青春の後ろ姿だ。 帰ってくるときの飛行機は、生駒山を越えると大阪平野に入り、見渡す限りの街の灯の上を少しづつ高度を下げ、やがて大河淀川を越える頃から着陸サインが出て、人が住む街で囲まれた伊丹空港(大阪国際空港)にファイナルアプローチするのだった。 あの着陸態勢の時の電子音好きだな。
Aug 24, 2012
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10年前にブログを始めた時、テニスのゲームの山場、ファイブオールという名前にしていた。five all とfinal approachは何処か似ている。 でももともとfive allだから早晩終わるしかなかった。 ファイブオールが終わっても、ブログ習慣が出来たから何度かリニューアルして続けた。同じ事続けるの苦手なのに、1000日続いた時期もあった。8年分ほどはネットの彼方に蒸発していった。でもブログは独白みたいなものなのに、公開日記だからいろいろな人と多彩にお近づきになったし、中にはお互いの人生にも痕跡を残しているから、ネット社会が実社会に根付いた時代を体験していることにもなる。 人生レベルの鎮魂のような動機で始めたブログだったから、鎮魂も遥か彼方になるにつれて、何か違うなあと次第に思うようになった。 ラジオのリスナーがラジオネームで投稿するみたいに、ネットのハンドルネームはそれはそれで用途はあるけれど、仮装ですますやり方はやはり健全ではないと思う。極端な事例かもしれないけれど、存在もしない人物であることすらある。ある人に会うためにうちにも数日滞在したことのあるKちゃんの場合など、彼女が会いたいと切望していた闘病中の彼はもしかしたら存在しなかったのではではないかと当時からどこかそう感じている。ほんとうは病んだ自分を晒したくなかったのかもしれないけれど、なんでもできちゃうのがネットだからだ。 フェイスブックも人間が関わることだから問題はいくらでもあるだろうけれど、フェイスブックはまだ健全だと思う。「普通に」健全だと思う。 今ブログはアメーバにしているのだけど、ハンドメード関係の断片をブログにするだけだ。アメーバはぼくには似合わないけれど、たまたま友人知人も少なくないからだ。
Aug 22, 2012
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2003年の9月18日にこの楽天でブログ始めたのだった。 あとひと月で10年だ。そう意識してから、放置し始めた。 なぜ? 領土問題っていちばん嫌なことだけど、 あれって真剣になるほどなんか変。 なんか変、と思い始めると とても厄介。
Aug 18, 2012
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人の生涯は何でできているか。 人はその人の生涯のことをいろいろと言うけれど、その人の生涯はほんとはその人にしか分からない。 人の生涯は何でできているか。それは人との関わりの集積でできている。成功も失敗も関係ないし、幸福も不幸も関係ない。そういうことはほんとうは何も関係ないと思う。共に過ごす時間を共有することで、人生というものはできている。 と僕は思っている。ずっとそう思っている。
Aug 3, 2012
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9月18日で楽天ブログ始めて10年になる。ブログは最近はもうあまり更新していないけれど、その理由は簡単じゃない。でもfacebookのほうがいろんな意味で馴染むので両方はちょっとね。ブログはamebaで「晴れ時々ブログ」という感じになるだろう。 楽天でたしか2回か3回一旦やめている。全部削除したからナットの彼方に蒸発した。今回は削除は先延ばしにしようかなと思う。削除するほどの内容じゃないからね。
Aug 1, 2012
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