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地元の公園でフリマがあった。 今回はラップテーブル倶楽部のPRとともに妻が育てて僕が廃材で器をつくった金のなる木を出した。金のなる木は16用意して12出たのでよかった。全部なくなるのがいいのだけど、全部なくなるとそれはそれで寂しかったもする。 ラップテーブルは相変わらず反応が薄かった。試作中のiPad stand iPhone standは結構見られていた。でも買ってくれたのは若者が手作り感がいいですと200円のiPhone standだけだった。 ラップテーブル倶楽部のPRのはがきが何枚か出ているので、ひとりでもコンタクトがあるといいのだけど。特に今回からは、後継者募集というのを作った。誰かバトンタッチしてくれそうな人を今年は探すのだ。種火は消したくないから。。。 朝からずっと曇っていて、多くの人は雨になると思っていたようだ。僕は降らないか降っても知れていると思ってはいた。終わりの時間になってから小雨が降り始めて、日暮れになっても小雨程度だ。植物に十分な水ではないけれど、今日は水遣りはカット。
Apr 30, 2012
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自分の身辺が好き。 去年よりずっと好きになった。 去年よりずっと歳をとった。
Apr 29, 2012
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いろいろ作ってはみるのだけど。。。 ・・・ でも、生き物はじっとしていてはくれない。 だから毎日見ている。毎日愛でている。哀しいかなもうクライマックス通過中だろう。
Apr 28, 2012
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メリープさんからもらった不思議な名前の、 そう ヨウラクツツアナナス 不思議な花が咲いています。
Apr 27, 2012
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今日分かったことだけど、ご先祖様のひとり。裏書あり。
Apr 26, 2012
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Apr 25, 2012
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Apr 24, 2012
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シンジロウ氏が審議拒否の拒否をしていて、拒否されて喜んでるのは大臣のほうだろうとうまいこと言っている。なかなか常識のある快男児だ。 会社なんかでも変な人事はいつも混じっている。およそ不向きな人物が大臣になっても不思議はないのだけど、どの政権でもあまりにも多い。人事権をもつ首相に人を見る目がないことと、もっとありそうなことは、指導力が欠けていていろんな権力者事情に翻弄されるからだ。官僚支配国家だから大臣は操り人形役みたいなものではあるけれど、それにしてもひどすぎる。 そんなの関係ないとでもいうように、モッコウバラは一日でさらに成長し、蔦もまたさらに自己主張を強めている。
Apr 22, 2012
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モッコウバラの蕾が膨らみ始めた。 咲いてるのもある。 実は屋根までかけあがってきている。 モッコウバラは決して花期は長くないから、花の時期以外は鬱蒼とした感じが広がってゆく。 それを快しとしない人もいるし、家族もそうかもしれない。褒めてくれた事はないからだ。 僕はほんとはこの古家を、危険住宅ではあるけれど老いるままにしたいのだ。だから、蔦が家全体に巻きつくのも、庭がツルニチニチソウだらけのジャングルになるのも僕として望ましいイメージで、ひとつの完成形なのだけど、妻は蔦で壁がやられるからとってくれと言うし、ツルニチニチソウは駆除撲滅して家周りをすっきりしたいのだ。不満だけれど僕はそれに従ってきた。だから、だからせめてモッコウバラだけは守りたいとささやかな抵抗をしているわけなのだ。 僕は、蔦だらけで家の壁が穴だらけになっていっても、夏は断熱してくれるし、冬は少しは断冷してくれて、外観は緑で家の老いを隠してくれることを望んでいた。足元がツルニチニチソウだらけになっても、いいグランドカバーだし、夏は少しは涼しげだし、花は可憐で好きだし、もう幸か不幸か僕が嫌いな蛇はとっくに居なくなったし、緑滴る環境で自分も老いて行き、ふと気がついたら息を引き取っていたということでいいとそういうふうに思っているのだ。 珍しく愚痴を言ってしまった。
Apr 21, 2012
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Etsyは最近お気に入りのサイトで、ハンドメードとビンテージのショッピングモールだ。とてもよくできたシステムで、出品者と購入者とのコミュニケーションもしやすくなっている。 僕は楽天とかの広告メールは見るまでもなく削除するけれど、Etsyのは頻繁に来るのに必ず見ている。センスがいいのだ。 で、昨夜、いくつかの画像からラップデスクが目に飛び込んできて、その出品者のページに入っていったら、ラップデスクばかり、同じ設計のものを天板とクッションとに多彩なバリエーションを持たせて作っているのだった。48USドルだけど2つ注文しちゃった。いずれラップデスクミニ博物館が出来るかもしれない。 昨日選んだのはこれで、この画像は出品者が掲載している画像だ。 ところで、この出品者はラトビアの人だった!ラトビアに関しては、実は何も知らない。そういう意味でも新鮮なサプライズだったのだけど、Facebookもあった。ラトビアは想像するまでもなくきっととても美しい国のはずだ。ECにも加盟しているけれど、日本人には工業製品も農業製品も馴染みがないのではないだろうか。Facebookの普及率は6%となっているので、日本よりまだ少ない。ラップデスクのおかげで、レアなコンタクトが出来てなんだか嬉しい。
Apr 20, 2012
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一昨年は今まででいちばん旺盛な演奏だった。それが去年はその疲れからか、冬眠状態が続いた。でも3月の末になって、蘇り始めたのだった。 このスプリングシンフォニーは仙台のメリープさんからもらったものだ。そのスプリングシンフォニーが3.11で真っ先に大丈夫かなと思ったメリープさんのものだから、咲いてきたことできっと大丈夫だというメッセージのように見えた。少なくともご本人は大丈夫だった。 実は今年、このスプリングシンフォニーは冬の間にしもやけのようになり、春先になっても変色したままだった。やられたかもしれないと思った。でも、ここ数日の温暖さのせいか、気がつかないうちに一部が蘇っていて、ほんの一部だけど一気に咲いてきた。まさかと思うぐらい急に、一部だけど蘇ったのだ!! 去年のことは2011年3月31日に書いている。 http://plaza.rakuten.co.jp/akirajapan/diary/201103310000/
Apr 19, 2012
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早起きできたので証拠写真。
Apr 18, 2012
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You can use your iPad three anglealso both direction.Very simple but useful.How do you think ?
Apr 17, 2012
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金のなる木って俗称だと思うけど英語でもdollar plantと言うのだそうだ。肉厚の葉っぱが硬貨に似ているからだという。 実は妻は園芸の先輩なのだけど、拘るというか執着するほうなので、知らない間に金のなる木もいつの間にか葉っぱから増やしていた。 たまたま月末に地元のフリマがあるので、そういうのには無関心な妻が、増えてしまった金のなる木の苗を売ったらどうかと言い出した。たまたま僕は自称工房で廃材をたくさんもらっていて、すのこのような使い方をされていた桐材があるので、それを苗の鉢というか鉢カバーというかフリマ用に作ることになった。そのサンプルがこれだ。 100円なら買ってくれるだろうけれど、植物にも器にも手間ヒマかかってるから200円でスタートしようかと思っている。2~30株あるのだという。めったにコラボしない夫婦なんだけど、珍しいことをしようとしている。 先日の内視鏡再検査と処置で、まだ検査に出しているとはいえ、内視鏡手術をした医師の言葉からは経過観察に同調してくれている。医師なら10人が10人追加手術を勧めますと内視鏡じゃないより本格的な手術を勧めたのに従わない患者に蒸し返すことはなかった。この先何があるか分からないけれど、患者ペースに医師も沿ってくれて、患者である妻も見かけ上はよさそうな気がする。
Apr 16, 2012
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Etsyで見つけた本が昨日着いていた。usedだけど、ただ読む本じゃないからまさにused感がある。今年のクリスマスにはちょっと頑張ってみようと思う。実は去年思い付きでいくつも作ったけれど、沢山残ったし、かといって棄てにくいので、古家のちょっと目に付かないところに集結してもらっている。もし僕が不意に居なくなれば、苦笑されるかもなあとか思いながらだ。不意に居なくなればと不意に口をついて出たけれど、それはいつも胸の内にあることだ。 ・・・ FBを頻繁に更新している人の場合、日常の行動が伝わってきて、可笑しかったり、感心したりする。設定にも依るのだろうけど、誰かが更新するとすぐiPhoneにFBからメールが来るので、しかも画面にプレビューが出るため、何処にいるとか**に「いいね」したとかコメントをしたとか何をシェアしたとか刻々と伝わってくる。今日も木工教室の帰りがお昼時を越えてるので、ロードサイドの大型めしやさんに入って、自分のウォールにその旨「おひとりさま~と入れてみた。そうするとすぐ東京のayakoさんから「わたしもおひとりさまランチ」と来た!地元の友達だったyoshieさんが札幌に引越したのだけど、彼女が札幌ドームに居るとかと常にウォールに投稿しているから、今はダルビッシュは居ないけど新監督で僕も注目しているので、すごく臨場感があって嬉しい。 僕はtwitterのような絶えずしていないといけなさそうなのは実はしていないのだけど、FBはブログのようにちょっと時間と手間がかかるわけではないしメールのようにわざわざ送受信するわけでもないし、ただ互いに公開しているだけだから手間も気遣いもあまりなくて互いに動静がわかるというのがいい。動静を知り合ってるから会ったとき話が速いし、人間関係の距離を近くし、維持していることが出来る。 昨日8年ぶりぐらいにtomokoさんと会ったのもFBでコミュニケーションが復活したからだし、当時ひときわ目立った発言力と行動力の人だったけど、やはりコミュニティビジネスの分野で10人もスタッフをもつNPOに開花していた。実は同じ名前のもうひとりのtomokoさんがいるのだけど、どちらもそれぞれが稀に見るスーパーレディでアクティブウーマンなのだ。昨日8年ぶりに会ったほうのtomokoさん一行と食事に行くとき、実はその少し前にもうひとりのほうのtomokoさんがその店に行っているとあらかじめFBで知っていたので、うまくいけば引き合わそうと思っていたのだけど、すでにもう帰ったあとだった。そして夜にはまた仲間と神戸に出没していることもFBで分かっているのだけど、まあアクティブなことと連日連夜という感じなのだ。しかも実は今夜は地域の人たちの1泊旅行に参加してるらしくて、彼女はクリニックを新設したばかりの院長夫人だしお仕事と両立の羽ばたきぶりが目に浮かぶ感じがする。彼女は信じがたいほどに若く見える人で、人懐っこくてどこへ行っても人気の人だ。 僕が知ったのは木工教室でだった。先に工房に入ってじゅんびしていたとき、扉が開いて誰かが入ってきたのだけど、僕は背後に風を感じた。え?誰なの?!と思った。華のある人なのだ。で、驚いたことに偶然にも彼女はまさにご近所さんだったので、名実ともにお近づきになったのだった。 ふたりの目だったtomokoさんを知ってることの連想から実は大昔もうひとり目立ったtomokoさんが居たことを思い出した。中学の同級生なのだけど、背が高くて聡明で綺麗な生徒だった。片足が不自由だったので、ずっと松葉杖だったから、登下校も特定の生徒がサポートしていたし、僕は教室の一番前の席、彼女はいちばん後ろの席で、親しく話をしたことはなかった。でもとてもやさしかった。FBしてるかな、と今日僕は思った。検索したら同姓同名がいっぱいだし、苗字が変わっているのが普通だから駄目だった。でももしかしたら苗字が変わっていないかもとも思って探したけれど、若そうな人ばかりだった。そりゃそうかなと僕は独り言を言った。。。。
Apr 15, 2012
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バルと聞いてBalと結びつく人も多いだろう。昔、ニチイがあった頃にファッション専門店をBalにした。でも今日のバルはそれじゃなくてbar、街バルといわれている地域イベントモデルで主に地域の食べ歩き飲み歩きを主体とする活性化目的のイベントだ。地元でもそれが今日あって、その一環でのフリマに参加したのだった。自転車で2往復する範囲の物量での手抜き出展だけど、売るのは得意じゃないし、余り売りたいとも思わないので、共感してくれる人がひとりでも出れば嬉しいと思うのはいつものことだ。飲食は強いなと思う。日ごろ地域イベント慣れしていない地域なのに、チケットも完売したし、当日の人出も十分に多かった。僕も幸いにして、8年ぶりぐらいでFBのおかげで再開したtomokoさんが興味を示してくれたし、ご主人まで関心を持ってくれたので嬉しかった。終わり際に少しゆっくり話せた女性もあったので、無料体験デーに来てくれたたらいいなとという期待が持ててt終了した。僕はかねてから町興し、街づくりは商店主の貢献力が大きいと思っている。だから街バルには共感している。ただ個人的にいい難いことは、飲食に関しては僕はイベントの影響を回避したい考えなので、チケットを買うとかいうことはないタイプなのだ。忙しい厨房はどうしても荒れる。スペインの街にはどこでもようなバールという溜まり場バーは街カルチャーでもあるから、日本の街バルはそれに触発されたと思う。でもたぶんスペインのバールはイベント性よりも日常性、ハイテンションよりもゆる~い空気だろうし、街バルも飲み歩き企画じゃない発想のイベント企画があってもいいと思うのだけど。。。僕の手抜き出展はこんな感じ。
Apr 14, 2012
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妻の内視鏡による再診断と処置に付き添う日だった。長時間の待機時間の中でミサイル、AIJ問題証人尋問、裁判官裁判判決なども進行した。 ならず者国家のミサイルのことは、僕はうまくいかないと思ってたし、日本の迎撃や即応体制もうまきくいかないと思っていた。日本のモタモタは日本ならその程度だと思ったけれど、珍しく劇場的な公開までしたならず者国家は、でもやっぱりその程度だった。 でも、ならず者はそれなりの成果を出してもいるのだ。成功してもしなくても誰もそんな権利はないのに公海を汚し、自国および他国の国民を危険に曝したのは処罰に値するけれど、世界を弄んで影響下に置いたのだし、日本がどれだけ動揺して、出来ることといったらどういうことしか出来ないのかを白日の下に曝させたのだ。せめて日本はこれを防災の日予行練習のような教訓としてこれからの対策に生かすしかない。ならず者は失敗からまた学んでいくし、今回の世界の動き、特にその程度しかできないといことを検証してしまった。失敗でよかったのではないし、飛んでこなくてよかったのでもない。厄介な存在はもっと厄介になってゆくから、いままでの対応はダメだということを思い知らなくてはならない。 3.11の悲劇で、巨大地震や巨大津波の現実性、原子力発電の正体を見せられてぼくらは科学技術者やいわゆる専門家への信頼感を見直した。いわば、格付けを1ランクも2ランクも下げたのだった。密室主義の国が異例の公開劇場化したのには驚いたけど、僕はそこに科学技術者への妄信か集団催眠のような危うさを感じていた。
Apr 13, 2012
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先日、今季初めて咲いたツルニチニチソウを切って生けた。 そのときは一輪だったけれど、こうして2輪になった。 ツルニチニチソウはたぶん雑草の部類だろう。誰が雑草か雑草でないかを決める権利を持っているのかは知らない。僕は今うちの被災跡地のカラスノエンドウとは戦っているから僕にはカラスノエンドウは雑草だ。でも僕にはツルニチニチソウは雑草ではない。強いし花は可憐で綺麗だしグランドカバーになるから好きなのだ。でも妻はツルニチニチソウと戦うように僕に強要する。強くてジャングルのようになるからと言う。僕はジャングルにしたいのだ。だから全く考えが違うし、好みも違うことになる。 何年か前までは僕は実家をツルニチニチソウのジャングルにしていた。何年かかけてやっとイメージどおりになってきたのだった。でもそれは妻には好ましくない解決されるべき問題だった。 結局僕は不承不承にツルニチニチソウと戦って、ジャングルは過去になっていった。でも強いからなくなりはしない。なくなってほしいと思われているのに生えてきて咲いてくるから僕にはそれはそれで大事なので、匿うわけにはいかないからちょっと生けてみてプチ満足しているわけなのだ。 男は結局黙ってしまうことが多い。結局は黙ってしまって、できることなのだったら言うとおりしておこうということになる。 ここにも女性支配社会であるという検証が可能である。
Apr 12, 2012
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桃は桃でまたいいな。 この花の桃の木は昔、友人が空き地でやってた貸し農園で生まれた。貸し農園では野菜を植えていたけれど、妻が生ゴミを肥料代わりに埋めていたので、そこから生まれたのだった。桃の木は成長が早くて、もう貸し農園には無理なので、実家の裏の小さなスペースに植えた。裏なので、誰にも気づかれないままに咲いたり満開になったりするのだった。それではもったいなから、切ってきてマンションのロビーに置いたら好評だ。 ・・・ 好評といえば、今の世の中で男の女ではどちらが好評かといえば、それは言うまでもない。女で生まれてよかったと女子たちが語るとき、ほんとにそう思ってるだろうし、そう聞いている僕や多くの男子達もそうだろうなと思ってると思う。男で生まれてよかったと語り合っている男子もいるだろうけれど、ちょっと説得力にムリがありそう。。。。 なんなのだろうこれ。 女性社会だからだと思う。 もともと人間社会は女性社会だと思うけれど、現代という時代はそれが天下に明らかになったのだ。 ・・・ でも、国会とか大臣って男子ばかりが目立ってるじゃないか、って? いや、好評じゃないものは存在価値が相対的に低いのだ。 はっきり言って、あのようなものは大した存在じゃないということは ニュースがいつも証明している。
Apr 11, 2012
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原発再稼動へのお粗末なお芝居はひどすぎるね。それだけじゃないけど、ニュースを見たくない。ニュース見なかったら、テレビは要らない。 ザッカーバークは27歳の経営者だから、経営の仕事は大変だろうと思う。面白いと思ったのは、社員全員集まる朝会はQandAらしいことだ。これとてもいい。 誰でも質問出来るのだろう。質問といっても、国会のような白々しいものじゃないと思う。ほんとの質問にほんとに答えるのはとても力量がいる。答えは実行を伴うものでないと答えじゃないからだ。ザッカーバーグの答えを毎朝聞いてみたいものだ。 100人ぐらいのメンバーの職場の朝会しか経験はないけれど、僕も朝会についてはワンウエイにならないようにしていた。上意下達とかいうのは朝会をされる立場だった頃に辟易していた。1万人の会社の社長が出る月例のなんとか会議は最悪だった。上意下達に熱心すぎてお経のようだった。でも後年、それはそれで気持ちは理解できた気もした。社員たちというものは、なかなか時分の方針や期待を分かってくれないものだという常に不満感が社長のストレスだったのだろう。 100人の職場で僕がしたことは、朝会を仕切る者も当番制にして、司会のような役目をさせるとともに、最後に3分フリーコメントをしてもらった。そうすることでメンバーの参加性が保たれ、当番はいずれは自分がより責任ある立場になったときの視点をいやがうえにも気づくことになる。リアクションに覇気がない者に遭遇すれば、自分もそういう態度だったかもと見えてしまう。当事者意識というものが芽生えてくるのだ。で、総責任者である僕は、もちろん最後に自分で纏めることもあるし、途中のやりとりの交錯に割り込んで時分の意見、指示、助言などをする。そうすることで、実質的に上意を下達することになるのだ。一方的に上手にスピーチしても、きれいに 流れてしまうだけなのだけど、具体的なやりとりの中で介入するので、情報発信効果が高いと思ってのことだった。 でも、もう現役に戻ることは99,9%ないけれど、もしまたそのような役割が回ってきたら、QandAでやりたいなと思う。 QにもAにも生の実力が必要だからだ。 . . . つい先日までこうだった。 今日は 桜がもうピークを過ぎてゆく。
Apr 10, 2012
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その存在自体が痛快な人物というのが居るけど、 マーク・ザッカーバークは図抜けている。 今週アエラの表紙になっていて、マスコミ嫌いらしいけど短いインタビューにも対応している。 今ユーザーは世界で8億以上、日本では1000万を越えたところらしい。 上場するので、時価総額はとんでもない額になる。 日本の国家予算の1割近くにもなるはずだ。 たった8年で、 わずか27歳の男の仕事なのだから、 形容すべき言葉もない。 僕は放置状態だったのを2月から毎日更新し始めた。よく出来たシステムだなあと少し分かってきたからだ。 フェースブックとは何なのかとてつもないものだとしか言えない。僕のようなただの無名の個人の場合には時間も手間もあまりかけずに人と人との距離が近くなるのに役立つシステムだなと実感する。 ブログもSNSもそういう側面はあるけれど、名前も姿も隠した人が多いのでどこまでいっても人間関係というのとは何かちがう違和感がある。 フェースブックも巨大で高密度なだけにいろいろ厄介な問題は起こるだろう。最高のものは最悪にもなる、というのは原発だけでもない。でも、原発と違って、いやな者は登録しないで済む。
Apr 9, 2012
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地元の公園も桜が綺麗なので見に行ってきた。去年の桜が思い出せない。心ここにあらずだったのだろう。悲惨なことがあると人の感性も翳り、想像の中の記憶映像もこんな感じになる。 あってもなくてもいいものを相変わらず模索しているのだけど、iPad dock に作ってみた。 杉材でそのままでもよかったのに、オイルステインでこうなってしまった。 くすんだ感じのついでに 古いデスクに置いてみた。 縦でも横でも使える。 でも・・・ でも、これじゃあ作品とはいいにくい。 作品と言えるモノに昇進するためには、 どうしたらいいのだろう。 諦めないことだ。諦めなければいつかは出来る。 と 誰かが言っていた。 あはは、 いつもそう思って通過するのだ。
Apr 8, 2012
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政権ってそういうものなのだろうけど、枝野さんもひどい男だな。ちょっとは良心と責任感があるかもと思ってたけど、やはり口先男だった。再稼動の問題は、最後のチャンスだったのに見て入られないワザとらしいひどい政権だ。まるで東電事故以前の世の中のニュースみたいだ。 生物と無生物の間、というこの種の本としてはよく売れた本があって、本読まない僕もそれは興味深かったのだけど、ずいぶん昔の話だ。その著者が昨日ラジオで話しておられたこともやはり興味深かった。生物学は生きるということを研究していることになるのだけど、それだけにちょっと哲学的にもなる。大きく変わらないように絶えず小さく変わっている、という言い方があった。生命現象にそういう性質を見ておられるのだろう。そうだとすると、日常絶えず体調に不具合を感じていても、大きく変わらないために小さく変わっていると捉えればいいのかもしれない。 でも、疑問もある。 小さな変化は大きな変化の前兆であることもまた事実だ。 どちらもあるのだろう。 どちらも事実なのだろう。 地震はどうか。 3・11以来地震が多すぎる。 巨大地震が起こらないように中小地震が多いのなら、その都度、あ、またちょっと消化できたな、と安心へと次第に近づいていけることになる。でも、巨大地震につながっていく、という見方もある。 阪神大震災は、ほんとうに突然だった。青天の霹靂だった。 自然災害は、なんでもありなのだ。 人災もなんでもありの時代だから、 再稼動はなんでも覚悟してくださいという意味なのだ。
Apr 7, 2012
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我流ヤマ勘ガーデニング歴がもう15年以上にはなるだろうか。でも、今はもう100ぐらいはある鉢たちが隅に積まれた状態になっている。その様子は写したくはない。 それでも、 クリスマスローズは、気がついたときはもうちょっと自分のジマンになっていた。何も特別なことはしていない。ガーデニングしていても、知識はほんとにないかからだ。 植わっている場所は、1.17で全壊の古家の土壁や瓦礫類で荒れてしまったところなのに、柿の木が斜めに覆いかぶさっていて日陰が多く、それがよかったとしか考えられない。 さすがにピークを過ぎてきていて、こ週末のイースターには妻の教会にもっていってもらうので、多くの人に見てもらえるだろう。 手元でも愛でたくて、こういうふうにしてみた。 花でも友達でも、 多ければいいというわけではないね。 あまり多ければ、 それだけケアする心も薄まらならざるをえないという側面がある。
Apr 6, 2012
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昨日重いもの動かしたからか、からだが軋むなと朝感じている。マイナスな感じをもつと伝染するのか食後感もあまりいいとは感じなかったりもする。甘さは甘さに残ってしまっている、というような。 人の体はいつも揺らいでいる。生きているからね。 世直しも出来ない間に、取り返しもつかない深刻なことになっているけれど、もう慣れてしまうとそれなりに生きることもできるだろう。 人間であるからこそ辛いこともあるけれど、人間であってよかったなと思うことのほうが多い。 何見ても、これはこれでいいなという感性があるのも人間であってよかったなと思う時だ。古家の2階に花を植えているので、水遣りにあがると、これはこれでいいなと思った。 。。。 30センチぐらいだったモッコウバラが、いつのまにかこんなになった。イメージどおりになってきた。
Apr 5, 2012
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被災跡地に小さいレンギョウが咲いた。 植えた覚えはないし、 その場所は元は家屋の下だから、 どうしてそれがあるのか分からない。 被災跡地と言っても、 うちの場合は3.11じゃなく1.17で17年前の被災だ。 復興は、 うちの場合にはまだできてはいないことでもある。 。。。 今日本人は3.11以降、だれもがみんな人生最大の試練を共有して生きている。地震と津波の破壊だけでなく、原発の恐ろしい正体がむき出しになったからだ。いつのまにか依存してしまっていた巨悪の存在を許してしまっていたのも国民だから運命的に共有している。 再稼動は、止める能力のある人は政権にはいないし、前政権はもちろん責任者そのものだし、結局はするのだろう。 仮に、しなくても、止まっている原発もみんな恐るべき手に負えない代物なのだから、みんな人生観を刷新するしかない。 僕が生まれたときには存在しなかった。いつのまにかそれを許した世代だ。だからただただ恥じている。
Apr 4, 2012
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今午後6時台、台風並みの暴風雨は今関東で荒れている。日本中をなぎ倒しているので、瓦礫や放射能汚染もどうなっていくだろうと思う。 もともと、原発は世紀の汚染を撒き散らしていて、地中、海中、山野の循環系にすでに浸潤している。再稼動なんか許されることじゃない。もちろん、現実というものは、許されることじゃないことを許し続けるものでもある。 先日ラジオで合鴨農法をしている人が話していたことに思わず聞き入ってしまった。合鴨農法なんて知らなかったのだけど、水田に合鴨を飼うことによって、雑草を食べてもらい、合鴨たちの活動で稲の育ちが活性化もされるし、米を収穫したら、合鴨も食用に供給されるという。それに、これは都市生活者は知らない人が多いだろうけれど、大量のウンカの発生は農業の大敵で、それは広くアジア各国で猛威を振るうという。農薬耐性ができたウンカが特に脅威らしいけれど、そのウンカの卵は稲の10センチくらいのところに卵を産むので、合鴨が食するのにちょうどいいのだそうだ。でも、合鴨はその毒性に強いウンカの卵を食べるんだよね。その人は国内だけじゃなく、アジア各国の農業指導もされていたのですごいと思った。 農薬の有害性は言うまでもないし、どこまで汚染が生物系に浸潤しているのかさえ分からない。素人でも分かるのは、スズメが減ったことだ。スズメもヒバリも蓑虫も減ったのだという。農薬が雑草に浸潤し、虫や淡水魚も海産物にも浸潤し、人間にも浸潤しているはずだ。だから、放射能物資もまったく同じように拡散し循環するのだと僕は思う。もう取り返しはつかない。せめてその総量を食い止めるしか人類に残された選択肢はない。 最高のものは、最低で最悪になるのだ。原子力は最高ではあっても、人類には最悪最低のものとして襲ってくる。
Apr 3, 2012
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もう去年のことだ。 一応役目は終わったので、 結構ジャマだし、 小ぶりにして再利用するために四苦八苦。 それがこうなった。 この前にある廃材利用の木製プランターをこれから白く塗って、花を植えるつもり。 でも、 実は、強風とかにも大丈夫なように 土台を重くしたのだけど、 重くしすぎてメッチャ重い!! どこに置くのかも問題だけど、 その前に、 運べやしないよ。 。。。 でも、原発のような手に負えないものよりはマシ。 再稼動なんてあり得ない。 大げさに検討するだけでも無駄。 地元が賛成したらそれでいいというような話じゃない。 或る意味で、 地元は利害がありすぎて、正常な判断は出来ない。 ほんとは 原発に地元なんかあるものか。 日本全部地元だし、 地球全部が地元なのに、 そんなことも分からないのか。
Apr 2, 2012
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新年度明け4月1日がカレンダーの最初の日曜日なんてカッコいい。 でも、カッコいいのはカレンダーだけじゃなかった。 今朝7時前、 自宅近くの交差点で信号待ちしていたら、前を自転車がビュッ~とよぎって行った。使い込んだ、荷物かごも使い込まれた様子の自転車で、髪をピシッと纏めた熟年女性だったのだけど、横顔でシノハラ婦長だっ!と判った。あっという間で声もかけなかったけれど、あの人の勢いと今の僕の勢いの隔たりから別次元で動く人を目撃したような感じだった。 シノハラ婦長は元々は地元の80床位の町の病院の外来婦長だった。病院で働く人はみんな忙しいけれど、特にナースたちはいちばん忙しいけれど、飛び交う蝶々のなかでも婦長は特別に激しく飛び交う鋭い蝶々だった。あんなに頼れる婦長がいると院長は助かるよなあという多分多くの患者に知られた存在だった。訪問看護が始まると、訪問看護用の車窓にシノハラさんを見つけたことも多かった。訪問看護にもピッタリの人だなと思った。たまに早朝に駅に行くとき、足早に降りてきてタクシーに乗り込むシノハラさんもよく目撃していた。シノハラさんは大阪からわざわざ通っていた。 そのシノハラさんが、何年か前にこの街に介護センターを開業した。これまたピッタリだなと思った。長年の地域医療の現場を通じて、地域の人にもなっているし、 多くの患者、家族に知られてもいる。実は僕の親達も世話になったし、僕も世話になった。 そのシノハラさんを今朝久しぶりに見たのだけど、あの自転車はたぶん今はもう駅から自分の会社までの「社長専用車」なのだろうし、昼間もあれで街を飛び交ってもおられるのだろう。相変わらずの前のめりの忙しそうな自転車のこぎ方と髪の纏め方を一瞥して、変わらぬ献身的な仕事ぶりが一気に想像できた。 病院時代、外来の婦長と病棟の婦長があり、病棟は親達も世話になって、立派な婦長の時にはとても信頼感があったし、その人が代わってからは随分困った婦長になって雰囲気が一変したこともあった。院長も手を焼いていただろうけれど、そういう場合すぐには院長も打開できないものだ。外来の名婦長は長く続いた。外来といっても、町の病院の場合は常連が多くて、いわば通いの入院モードだから、婦長の采配と患者達との多彩な対応振りは素晴らしかった。 そういう女性は若く見えるから、独立開業なさったのも、もしかしたら早くも定年だったのかもしれない。かりに途中退職であっても、地域医療と介護サービスとは一体性があるのが理想だから、とてもいいなと僕は思う。 父はその病院で逝った。我侭だった父だけど、シノハラさんには素直だった。 僕も、お世話になることになるかもしれない。僕もシノハラさんなら素直になるだろう。
Apr 1, 2012
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