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今日はレンタルビデオ屋でビデオを借りてみました。 借りたのは「戦場に咲く花」と「北京の天使」・・・・ やっぱり中国映画を借りてしまいました。 ちなみに私の好きな映画三部作は 「小さな中国のお針子」 「活きる」 「レッドダスト」 の三つです。 あぁ・・やっぱり中国映画だ・・・・ 歴史を感じる映画が好きです。映画でも無意識に歴史にこだわるのでした。 お暇な方は三部作、観てみてください!!□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月30日
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おにぎり 日本に帰ってきたらやっぱり日本食!!というわけでおにぎりを食べてみました。(中国には基本的におにぎりは日系のコンビ二以外おいていません。 そんなわけでおにぎりの歴史を考えてみました。 おにぎりの起源は平安時代の「屯食」(とんじき)というものだったようです。 これは平安京の大内裏(皇居)の警備員である「滝口」(たきぐち)の軽食として使われていました。最初は丸めたご飯に塩を振っただけのものだったようです。 のちに携帯食として普及していきますが、欠点がありました。それはご飯のネバネバで二個以上持っていると、くっ付いてしまい形が崩れることでした。 そんな問題に対して出来たのが表面を焼いた「焼おにぎり」だったようです。 江戸時代の画には旅人が焼きおにぎりをほおばる姿が描かれています。 ちなみに私の中国人の友人によると彼らはあまり海苔が好きでないようです。 まぁ日本人に海苔は必需品ですよね。私も帰国後海苔を食べてホッとしました。□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月29日
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上 ある日の夕食 ある日の中国での夕食です。 麺類を食べたくなり、「かけ」の麺を注文、それから羊の肉のから揚げを食べてみました。 うん、味も薄くておいしいですね。羊の肉は日本では最近ブームみたいですが、中国では鶏肉とならんでよく見ますね! このブログも少々本題から外れてきてしまいました!ちょっと油っこくなってしまったのでは??? 北京でのお話を終えたところで中国特集は終わりにしましょう。 明日から無事帰国記念ではないですが、改めて「日本文化」について考えていきたいと思います!! 特集期間にはありがたいお言葉をたくさんいただきありがとうございました! 明日以降もぜひよろしくお願いします!!□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月28日
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上 北京ダッグ ついに北京で北京ダッグをいただきました!! 北京には北京ダッグの名店があり天安門広場の外に列を作っていますが、私はあまり高いのは食べれないので、ちょっと安めの一人前頼み食べてみました。 う~ん、おいしいですいね。私は甘い黒酢のたれにつけないでそのまま皮にまいて食べましたがとてもおいしいですね。 当分食べる機会はないいなと感慨ぶかげにいただきました。□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月27日
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上 水餃子 日本人におなじみの餃子は「焼き餃子」ですが、中国では「水餃子」が主流です。 上の写真は北京のレストランで頼んだら出てきた餃子です。 これ、見た目ではわかりにくいのですが、直径30センチほどお皿に30個近くもってあるのです。一人で全部食べたら死んでしまいそうです。 中国料理は基本的にみんなで食べるものなのでどれも大きいサイズです。 食べると、油が飛び散りますので食べるテクニックが必要です。 おいしかったですが、さすがに半分近く残して帰ってきました。□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月26日
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チキンカレー 故宮を見たとはいうものの中国史の高い壁はそう簡単には超えられなかった・・・・反省しつつ天安門前広場に食堂を発見!入ってみました。 中国人は食べることが大好きで北京には中国中どころか世界中の料理が集まっていますが、その中に「面愛面」というチェーン店の日本料理屋があります。 らーめんの専門店なのですが、わざわざ中国に行ってこの店に入り、案の定カレーを注文してしまうという愚劣な行為をしてしまいました!! チキンカレーを注文したのですが、カレーの上にから揚げとキャベツの千きりを乗っけたという、どちらかというと「チキンアンドキャベツトッピングカレー」です。 味は典型的な日本のカレーで私の好きな味です。 ちなみに味噌汁のようなスープは味噌汁でなくとんこつらーめんのスープです。 日本料理は中国人に人気でこの店ではあんみつを食べて話しに花を咲かせている中国人の女の子たちがたくさんいました。 う~ん、どこの国の女性も甘いのが好きなのですね!!□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月25日
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上 養性殿内部 上の写真が皇帝が日常生活を送るようになった養性殿の皇帝の椅子です。 本来ここは字のとおり皇帝の休息場所であったらしいですが、のちに正式な住居になります。 先ほどと比べるとえらい簡素です。やっぱり日常はあれほどきらびやかなところにいるのも落ち着かないでしょうからね。 他に皇帝の寝室などもあり公開されています。 そろそろおなかがすいたころですね。故宮の話はこのくらいにして、食事のご紹介でも致しましょう。 中国史は私も詳しくなく、面白い記事か書けず失礼いたしました。更なる勉強をしていきます。□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月24日
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上 乾清宮玉座 故宮の軍機処の隣は皇帝の住んでいた「乾清宮」という建物で、皇帝が日常生活を送っている「内廷」と呼ばれていました。 上の公明正大の意味の額は順治帝(じゅんちてい)という、清朝初代皇帝の自筆で、皇帝としての規範を示していますね。 本来はここで皇帝が生活していたのですが、だんだん省略してきて、順治帝の孫の擁生帝(ようせいてい)という皇帝のときに別のもっと簡素な建物に移っていきました。 ではその建物をみてみましょう!!□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月23日
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上 軍機処 故宮は先に話しました大和殿が中心ですが、それはあくまで公式なときだけです。 今の故宮は「清」王朝のころのものですが、その「清」では皇帝の力がとても強いのが特徴でした。 そんな絶対的な皇帝に仕える大臣のうち清末になると、陸軍の大臣が権力をもつようになってきます。その大臣の職場が上の軍機処(ぐんきしょ)です。 政治の中心はこんな普通の建物が中心だったりします。ちなみにこの軍機処の反対側にはなんとスターバックスがあったりします!!□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月22日
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上 九龍壁 前にブログで書きましたように、故宮は赤い色で統一してあるのですが、その一辺に青い壁が存在します。 九つの龍の彫刻が瑠璃の壁にはめてあり九龍壁といいます。 九は「皇帝を」表す数字だそうで、故宮にはよく「九」にこだわって作られていて九の倍数などが多いんですね。 この青い九龍壁はいろんなところにあって赤い故宮に花をそえていたそうですが、現在では壊されて三箇所しか残っていませんが、今でのその威容を伝えています。 追伸:最近胃の調子が悪く(中国でマズイものでもたべたのか?)更改が遅れておりますが必ず行っていきますのでしばらくお時間をください。□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月21日
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故宮 大和殿 上の写真が、有名な大和殿。紫禁城の中心の建物で、かつては前の広場に役人が集まり、儀式が行われました。大和殿には皇帝のすわる椅子があります。 しかしこの後ろの宮殿群もみな色が赤いんです。なぜですかね? 中国人は「福」「禄」「寿」の三つがとても大事と考えます。この三つを表す色が赤色なんですね。更に子孫の繁栄も願っているのでしょう。 宮殿を赤くするのは紀元前から始まり、かつては日本も平城京や平安京がそうでした。 次回から宮殿の面白い部分を紹介していきましょう。□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月20日
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北京中国人民広場 天安門 今日から、中国特集をさせていただきます。中国は着物はもちろんさまざまな文化の影響をこの国に与えました。中国史を知らずして日本史は語れません。お付き合いよろしくお願いします!! 多くの方が写真を見ただけでお解りでしょう。中国の象徴的建物である天安門です。本来は後ろにある宮殿の正門でした。 写真を撮ったところが天安門広場で45万人の人が入れるとてつもないでかい広場になっています。 この門の前では近代中国は大きく二つの事件を起こしていて、第一次、第二次天安門事件と呼ばれていますが、私が高校時代の第二次天安門事件はすごかったですね。今、写真を撮っているあたりが血の海になっていました。 かつての事件も今では忘れたかのように、中国人や外人の観光地として平和になっていました。□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月19日
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多くの皆様のご配慮いただき、中国から帰国することができました。本日、正午には成田に到着し、休憩させていただいております。 明日より、日本史とともに中国史も織りまぜてお話させていただければと思います。 また、出立に際して、メールを下さった皆様、本当にありがとうございました。明日より励みになります。 これからもよろしくお願いします!!□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月18日
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中国国旗五星赤旗
2005年09月13日
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上 広東炒飯 中国行きの私は、今から心は中国状態ですが、さっそく食にも表れています。 実は、今度行く北京は当然北京料理が有名なのですが、大変味が濃いのが特長で、濃い味が苦手な私は南の薄味の広東料理のほうが好きなのです。だからおそらく北京にいってもあまり北京料理は食べないと思います。 そこで、今日は私が大好きなお店の炒飯をご紹介しましょう。 東京下町にある広東料理専門店の海老炒飯です。中国福建出身のおじさんが腕をふるってつくってくれ、安くおいしい本格広東料理が楽しめます。 ちなみにもし中国に行く機会がある方が注意してほしいのは、炒飯がとってもおいしい店とまずい店が必ずあることですね。まずいと油がギトギトでなかなか食べれないのではないでしょうか? 食も無理をせず楽しんできたいと思っております。□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月12日
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上 中国東北図 先日の「中国旅行」を発表させていただいてから、多くの方々からお言葉をいただき、本当にありがとうございます!! 行く場所ですが、13日より北京に入り汽車で東北の長春というところから18日に帰ってきます。完全な個人旅行なので全部自分で手配しなければなりません。 中国は汽車がいつも混んでいるのでチケットがなかなかとりにくいのですが、これらもやらないと・・・・ また、中国東北部は「秋」がありません。夏からいきなり冬になってしまうので、この時期なのにジャケットなどが必要になります。朝など息が白くなることもあります。 今、仕事のかたわら旅行の準備をしています。このブログは旅行直前まで更改し、帰国後はすぐに再開しますのでその間お休みいたしますがよろしくお願いします!!!□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月11日
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着物のことを「呉服」といいますね。なんででしょうか?真相はわかりません。 ただ一説に、中国の「呉」という国からわたってきた衣服だからだという説があります。 呉という国は紀元前の春秋時代というころに中国の上海前後を支配していた王朝です。後に、始皇帝で有名な秦が天下統一するのですが、この国から着物がきたとなると、まさに沖縄ルートや直行で日本に伝来したことになります。 これが本当だとすると大島紬など南方のつむぎは本土の着物の原型が残ったものかもしれませんね。 「着物の元祖大島紬」かもしれません。□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月10日
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このたび、私、遅い夏休みを利用いたしまして、中国にいくことにまりました。 なんでいくのか?当然です!歴史の遺物を見るためです!詳しい日程は後日ご報告させていただきますが、その間ブログの更改ができなくなってしまうと思います。 勝手なことですが、ご理解のほどよろしくお願いします!! 当然まとめて更改します!!お楽しみにしていてください!!□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月09日
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上 西部ドーム 抹茶オレ 私は野球が大好きで、プレーシーズンはよく野球場にいます。とりわけパリーグが好きで見に行きます。(20年ほどになるでしょうか) このたび埼玉所沢の西部ドームに行きました。所沢は例の狭山茶の産地でですが、酒をあまり飲まない私はここにくると必ず「抹茶オレ」を飲みます。ここにくる楽しみのひとつです。 抹茶オレなどどこでも飲めるんでしょうが、野球観戦しながら飲むのは最高ですね!! 野球シーズンもあと少し、時間があったらまた見に行きたいものです。 今日は歴史ネタ、着物ネタでなくすみません!!□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月08日
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上 法然上人絵伝(部分) 現在、大河ドラマで「義経」をやっていますが。私は見ていないのでわかりませんが、その中で、必ず後白河法皇という人がでてきます。 この人は元天皇でしたが、後に隠居後、「院政」によって実権を握り、当時平氏政権を駆逐した源頼朝、義経兄弟をたくみに操り、頼朝に「大天狗だ」と言わしめた人です。 そんな後白河法皇もついに命を落とすときがきました。 上の写真は死の淵に、法皇は法然と面会したときのものです。当時、法然は念仏を広めていたのですが、法然の後ろに法皇を天国に連れて行く阿弥陀如来さんが来ていて、法皇は必死にお祈りしています。 どんな権力者もいつかは死ぬもの。それを感じる場面ですね。□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月07日
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私の未熟なブログに多くの方々から暖かいコメントをいただだいており、奄太郎、感激であります。 ただ今、個人的なことながら多忙につき、ご挨拶、御礼、ご質問に対しまして、少々お時間をいただければありがたく存じます。 必ずこちらからもご挨拶いたしますのでよろしくお願いします。□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月06日
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上 精養軒のハヤシライス 昨日はなした精養軒ですが、やはり多くの方がご存知のようですね。かつて、明治期などは夏目漱石はじめ多くの文人に愛され、小説にもよくでてきます。 そこで有名なのが、ハヤシライス、上の写真です。 精養軒は展示会をやったりティールームなどに使えたりするので、私が行ったときにも「二科展」をやっていました。 まず、ハヤシライスの味。う~ん、美味しいですね。かなり大きくきった牛肉が入っていてかなりやわらかく煮込んであります。 食堂からは忍ばす池を見下ろせ、当時の人になった気分でいただくのがよいでしょう。□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月06日
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上 上野精養軒 明治時代になり、欧米の文化を必死でとりいれようとした明治政府は、外国を自分たちの目で見ようと当時の権力者みずから外国へいくことになりました。岩倉具視を代表とする「岩倉使節」です 彼らは欧米の文化と植民地の文化を実際見ていろいろなことを書き残しています。食事に関しても、今まで食べたことのないようなものを食べるわけですから、相当のカルチャーショックがあったようです。 岩倉具視は帰国後、日本でも西洋料理を食べれるように、西洋料理のレストランを作りました。これが今でも上野にある「精養軒」というレストランです。 精養軒は本来築地にあり、上野に支店がありました。しかし、関東大震災で築地の本店が倒壊し、上野精養軒が今でも残っているのです。 ここは日本橋の丸善とともに「ハヤシライス」発祥の店としても有名ですね。それではせっかくなので明日はその「精養軒のハヤシライス」をご紹介しましょう!!□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月05日
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上 新橋駅の現在 明治人のこよなく愛した新橋駅ですが、数年前、駅舎が当時のまま忠実に再現されました。それがこの「新橋オールドステーション」です。中は博物館になっています。 昨日のブログと比べてください。明治時代とだいたい同じ場所から撮ったのですが、そっくりですね。ただその後ろにあった線路部分は汐留の再開発で、高層ビルが建ち、別世界になっています。 ここは21世紀と明治時代が交じり合い、不思議な雰囲気を出しています。 東京新橋に来たらこの新名所をぜひごらんください!!□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月04日
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上 新橋駅 日本で始めて鉄道が開通したのが東京と横浜の間でしたが、東京は今の汐留、横浜は今の桜木町に駅がありました。 その汐留の駅は当時は新橋駅と呼ばれはいからなレンガ造りの駅舎が建っていました。写真がそれです。 明治時代の小説家のものにはよくこの駅舎がでえてきます。ここから日本の鉄道網が発展していきました。 後に大正時代に現在の東京駅ができ新橋駅は役目を終え、汽車の車庫になります。私が幼少時はまだ車庫でした。 現在、このあたりは再開発が進み日テレタワーなどがたっていますが、この新橋駅はどうなったのでしょうか?次のブログで紹介しましょう。 お楽しみに!!□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月03日
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上 平安京初期推定復元図 平安京は今から1200年ほど前に条坊制(道が碁盤の目)によってつくられました。その完成したてのころの推定図が上のものです。ただ、京都は奈良などと違い、この上に都市がのっかっていて発掘できないのであくまで「推定」なのです。向かって右はじを鴨川左を桂川が流れています。 これを見ると向かって左側(右京といいます)側に人が住んでいないのがわかりますか?こえはなんででしょう? 京都は盆地で両側を川が流れていますが、向かって右側(鴨川側)が左の桂川側より5~6メートルも高いのです。つまり向かって右から左になだらかな坂になっているのです。 ここで川がもし氾濫してしまったらどうなるでしょう。すべての水が左側に流れてしまうのです。したがっていつも水溜り状態になり、人が住めなくなってしまい上の写真のようになりました。当時の貴族の日記にも左側が池か沼のようになっているとかかれています。 京都の町はのちに左側を捨て、鴨川を中心にして、東山方面、写真で見ると右側に移動していきました。現在の京都の繁華街や寺院、京都駅も京都御所もすべて鴨川近くですね。 京都に行かれる際はそんなことも考えてみると面白いかもしれませんね。□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月02日
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上 如庵 織田信長さんは多くの方がご存知かと思いますが、その弟に有楽斎という方がいました。 織田家はどうしても信長が有名ですが、信長の子供の信雄は踊りの名手であり、弟の長益(ながます)はかの千利休の弟子になった茶人でした。けっこう文化人が多いんです。 この長益は後に有楽斎(うらくさい)と号し、大名としてより茶人として名を残すこととなります。上の写真はその有楽斎が京都の隠居場所(建仁寺にあった)に設計した茶室です。師匠の利休の作った茶室とともに国宝に指定され愛知県の犬山にあります。 織田家は本能寺で終わったと思っておられる方がおりますが、織田家はその後も存続し、小大名として明治まで続きます。 ちなみに大名である以上江戸時代は大名屋敷を江戸に持っているのですが、織田家の屋敷は初期は今の有楽町にありました。そうです。この有楽斎の名前が今でも残っているんですね。□□□■■■-------------------------------本場奄美大島紬専門店 奄伽樂(あまから) http://www.amakara.jp -------------------------------■■■□□□
2005年09月01日
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