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『志賀直哉論』中村光夫(筑摩叢書) 上記文芸評論の読書報告の後編であります。 前回は、いかにぼろくそに筆者が志賀直哉を「貶して」いるかについて、たくさん引用してみました。 前回も少し書きましたが、私は筆者の作家論について、二葉亭四迷、谷崎潤一郎を本書以外に読んだのですが、やはり一番「貶して」いるのは本書だと思いました。 一番「貶して」いないのは、たぶん二葉亭論だと思います。 谷崎論については、よく言われる「無思想性」について、「無思想」という表現ではなかったかと思いますが、「反知性性」とでもいう部分において批判していたのではなかったかと思い出します。ただ、作品に対する批判は控えめであったんじゃないかと。(主に最高傑作『春琴抄』以降について、あまりな傑作を書きあげてしまった苦悩という視点で書かれてあったと記憶します。) 一方、本書にある志賀作品に対する批判の苛烈さは、本書がまだ志賀直哉存命中に書かれたものであることを考え合わせますと、かなり先見性のある「画期的」な志賀作品批判であったと思います。 それは、志賀直哉が亡くなってすでに半世紀になんなんとし、志賀文学の再評価もかなり行われ、「盲目的」な志賀文学追随がなくなった今、谷崎作品と志賀作品の評価差に歴然としたものがある事からも明らかであります。 さて、本書の目次はこうなっています。 「祖父直道」「内村鑑三」「暗夜行路」「山科の記憶」「邦子」 読み終えてみますと、この構成はとってもわかりやすく、志賀直哉の資質の誕生から苦悩を経て、その限界までを見事に辿っています。 志賀直哉の非思想性と誠実さについて影響を与えた祖父直道から始まり、内村鑑三に強烈に引き付けられつつも、自らの肉欲の苦悩を極端な自己中心主義で肯定的に解釈し、キリスト教から立ち去った青春前期の姿を通して、いわゆる自己肯定と誠実さを日常生活と自己の文学性の中心に置いた志賀直哉の個性の誕生を説きます。 そしてその志賀的文学性の限界を描くのが後の3章ですが、そこに激しい批判が描かれていることは、前回も指摘しました。 それでは、筆者は志賀作品を高く評価することはないのかといいますと、もちろんそんなことはありません。激しい批判とも並行するように本文随所にそれは描かれていますが、つまるところ志賀作品のどこが最も優れていると書かれているかを見渡してみると、よく言われることではありますが、やはり「誠実性」と「描写力」にあるようです。 そしてそのことを筆者は、「本質的に青年の文学」といいます。 青年の心理も、これに道徳的属性を加へることによつて、広い自己肯定の地盤を得ます。 志賀直哉にあつて倫理が制作のモチイフとして決定的な役割を果す所以はここにあるのです。彼の作品の長所はあるいは鋭敏な感覚、それから来る正確、簡潔な描写、芥川の言葉をかりれば、「トルストイより細かいリアリズム」にあるかも知れません。しかしこの感覚に自信をあたへ、それを正確に再現する努力を可能にしたのは、彼の倫理であつたのです。 どうですか。この文では、かなり筆者は高揚したような筆致で、好意的な評価をしていますね。ただこの部分のすぐ後ろには、こう書かれています。 志賀直哉の場合は、成熟がたんに青春の喪失を意味した作家の悲劇がもつとも単純な形で現はれた典型と云へます。 実は成熟することがその文学者の文学的不毛に繋がってしまうような作家(ひょっとしたらそれは作家に限らないかもしれませんが)は、結構たくさん文学史の中に見えそうです。 三島由紀夫などは、自らで自分の文学性をそのように規定し、齢を経ることを激しく拒もうとした(その結果があの三島の最期であったかどうかは微妙として)ようです。 最後に、筆者が素晴らしい一文として取り上げた『暗夜行路』の一節を紹介します。 主人公の謙作が、初めて結婚の相手の顔を見た後の気持ちを述べた部分ですが、中村光夫はこの部分を「これは我国の近代文学を通じて、恋愛感情のもつとも美しい表現のひとつと思われます」と評しています。 彼は自分の心が、常になく落つき、和らぎ、澄み渡り、そして幸福に浸つて居る事を感じた。そして今、込み合つた電車の中でも、自身の動作が知らず知らず落ちつき、何かしら気高くなつて居た事に心付いた。彼は嬉しかつた。其人を美しく思つたといふ事が、それで止らず、自身の中に発展し、自身の心や動作に実際それ程作用したといふ事は、これは全くそれが通り一遍の気持でない証拠だと思はないでは居られなかつた。 なるほど、読者の心をも気高くしてしまうような名文でありますね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2015.04.26
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『志賀直哉論』中村光夫(筑摩叢書) 中村光夫の作家論については、わたくし、二葉亭四迷、谷崎潤一郎に続いて3冊目でありましたが、噂にたがわず(そんな「噂」、つまり中村光夫の志賀直哉論には、当時小説の神様のごとく言われていた志賀直哉のことがぼろくそに書かれてあり、それを読んだ志賀直哉が激怒して文芸評論家無用論を唱えたというような、まー、そんな「噂」であります)、すごいことが書かれてありました。 二葉亭、谷崎論は、ちょっと前に読んだのでもう詳しい内容は忘れてしまったのですが、志賀論はこの2作以上に、「ぼろくそ」に書かれているように思いました。 引用をしていくと切りがないほどですが、例えば志賀直哉の代表作『暗夜行路』についてこんな風に書いてあります。 ところが「暗夜行路」の場合は(略)社会はおろか、身辺の他人さへ独立した存在を保ってゐないのは、さきにも述べました。(略)作者はいつも謙作と重なりあつて、彼の感受性を通じて、彼の立場から対象を描くだけです。この小説で内面の働きを持つのは、彼だけであり、他の人々は彼から外観を観察されるだけです。 したがつてここには小説の本来である人間対人間の葛藤も、それにもとづく主人公の内的な発展もなく、ただ対象のうつりかはりと同じリズムをくりかへす主人公の心の呼吸の連鎖しかありません。 或る人が「暗夜行路」には金のことが少しも書いてないと云つてましたが、これだけの登場人物の相互の関係に、金銭が或る役割を果す場合がまつたくないやうに描いてあるのはこの小説の不思議な性格のひとつです。金銭が書けてゐないのは、人間性の半ばが見えてゐないことになるので、見方によれば、これはこの小説の最大の欠陥になるかも知れません。 (略)この小説の弱点は、この一例からも察せられるやうに、青春の狂態をいはば実験的な純粋さで演ずる主人公の観念性より、それをそのままに肯定する作者の未熟さ、あるひは青春期を終りながら青年の心理から抜けだせずにゐる不思議な矛盾にあります。 ……と、こんな具合ですが、上記の引用はまだ一作品に限ってのものですが、筆者はさらに、志賀直哉という小説家が、小説家として相応しい能力や感性を有しているかというところにまで疑問を投げかけます。 例えば、志賀直哉が「ボヴァリイ夫人」や「赤と黒」について、「仏蘭西とかウヰーンの小説が人妻のさういふ事を余りに気楽に扱つてゐる。読者は自身を姦通の相手の男の立場に置いて鑑賞する」と評した文章を取り上げて「ほとんど滑稽な誤解です」と指摘し、「エンマやレナール夫人が『気楽』に『さういふ事をしてゐる』とはよほど神経が異常な読者でなければ思へぬ筈です。」と書いています。 また、志賀直哉が長い沈黙の後に昭和九年に発表した「菰野」という短編について、「創作余談」で、「此小説は『暗夜行路』の最後と共に近頃では最も緊張して書いたものだ。材料そのものが、自分の気持にこたへたからでもあらう。然しこれも結局材料をまともには書けず、此材料を書くつもりで菰野に出かけ、どうしても書けなかつたといふ事の方を書いてしまった。」と書いた文を取り上げて、以下のように批判しています。 (略)もつと正確に云へば、事件の一貫した反映ですらなく、それを小説化しようとして焦慮する自画像を何やら意味ありげに綴つて自ら慰めてゐるにすぎません。「材料を卒業」どころか、手にあまる材料に負けた作家の憐むべき告白にすぎません。 しかもさういふ挫折を自己の無能として恥ぢるどころか、 「近頃では最も緊張して書いたものだ」とか「作品としての出来栄えは近頃の短編では最も気に入つてゐる」 などといふのは、常人には不可解な神経です。過去の業績によつて得た名声が、作家を自分自身に対してどれほど盲目にしてしまふかの例証がここにもあります。 ……しかし、「よほど神経が異常」とか「自己の無能」とか「常人には不可解な神経」とか、こんなこと、おおやけの書物に書いちゃっていいもんなんでしょうかねぇ。 なんか、とってもコワいものを感じてしまうんですがー。 でも一方で(「さらに」と繋げた方がいいのかも知れませんが)、中村光夫は本書の結語部並びに「あとがき」に、こんなことを書いています。 亡霊をつくりだす原因は、いつもそれを見る者の側にあります。志賀直哉の芸術の本体を知り、彼の才能の特質と限界を見極めることが、現代の文学にとつて緊要である所以であり、僕がこの尊敬すべき老作家に、おそらく多大な不快をあたへることを知りながら、あへて拙文を綴つた動機もそのほかにないのです。 だから敢へて云へば、この論文は僕なりの氏にたいする讃辞なので、それが否定的に聞こえるのは、氏にたいする評価に、ほとんど迷信に近い偏見が一般に流布されてゐるからなのです。もつともかういふ偏見がなくなれば、僕の評論もまた存在理由を失ふかも知れません。 ……うーん、「亡霊」「尊敬すべき」「讃辞」ねぇ……。 あやまっているのかさらにケンカ売っているのか、なんかよくわかんない文章なんですけどー。 なかなか、文芸評論家という職業も難儀なようですねぇ。 いえ、それともこれは、中村光夫という方の特異なお人柄でありましょうか。 えっと、この報告、次回も続けます。(今回、引用だらけになっちゃったので。) よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2015.04.18
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『元禄忠臣蔵・上下』真山青果(岩波文庫) さて前回は、冒頭の戯曲の読書紹介をしようとして「迷宮」にはまりこんでしまいました。その迷宮とはつまり、江戸時代に「スポーツ競技鑑賞」という娯楽はなかったかどうか、ということであります。 実は私は、「忠臣蔵」こそが当時の「スポーツ競技鑑賞」であったと考えたかったわけですね。 それほどに、本書には、当時の庶民達が、まるで阪神タイガースの身びいきファンのように(すみません。別に阪神タイガースファンが身びいきばかりをしているなどとは思っておりません、たぶん)、「浅野さまいとしや、吉良さま憎や」(この歌は実際にあったはやり唄だそうです)的状況にあったことが、これでもかこれでもかと書いてあります。 そしてそれは、無責任な庶民だけでなく、普通の武士からお上から、果ては公家さんまでが、手に汗握って赤穂浪士の仇討ちを今か今かと待っていた様に書いてあります。 しかし、これって本当なんでしょうかね。 だって、当時の武士たちや公家たちは、寄ると触ると浅野内匠頭と吉良上野介の話になり、浪士たちに敵を討たせたいものだと語り合っていたといいますが、敵を討たせたいと言うことは、江戸市中でのテロリズムをみんなで心待ちにするということであります。 本作の筆者、真山青果の時代作品は、厳密に考証されているというのが評価のひとつでありますが(本作においてもト書きにおける緻密な考証的文章は極めて特徴的であります)、江戸市民みんながテロリズムを待つ、つまり吉良上野介が首をちょん切られることを期待するに至っては、もう、ちょっと、その感覚が、わたくし、よく分からなくなっているんでありますが……。 しかし少し考えてみれば、このぼんやりとした江戸市民の共同幻想のような雰囲気の底にあるものは、やはりよく言われるところの日本人の死に対する軽視ではないか、と。 実際日本人の死に対する軽視(歪な死に対する親和性)は、現在に至ってもいっこうに止まるところを知らず、日本人の年間自殺者数は他国に比べて遙かに高止まりしています。 森鴎外が書いた『阿部一族』などの「殉死三部作」にも、確かに安易に死に赴こうとすることへの批判を書きつつも、一方では逃れられない(と判断する)死に従容として立ち向かう登場人物の姿と精神については、極めてストイックに賛美的な文体で描かれています。 こんな文化は、日本以外にも結構あるものなんでしょうか、世界には。 という、少々の「違和感」を覚えつつ、一方、筆者の作劇術については、実に見事なものだと感心いたしました。 わたくし、本書を読んで、「演劇的状況」とは何かということを少し考えたのですが、いえ、所詮素人考えではありますが、一等簡単な例で述べますと、小学生みたいですけれど、好きな女の子に意地悪をする、というのが原初的な演劇的状況ではないのか、と。 言動と心理の乖離とでも申しますか、そういった状況に我々は最も演劇的状況を認めるような気がします。 だとすると、なるほど、「忠臣蔵」はまさに打ってつけの素材となります。 昔から「忠臣蔵」は「独参湯(薬の名前)」と呼ばれ、芝居に乗せれば必ず当たる演目といわれ重宝されてきた意味が、少し分かったような気がします。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2015.04.04
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